流氷の歌雑感 田 中 榮
川添君が北海道の網走にいた頃、春先の流氷を歌うよう勧めたことがある。日本でそこだけしか見られない自然の風景、その壮大な自然の美と鮮烈さに心惹かれることが第一だが、オホーツク海岸に住む人らの生活に直接、間接関係のあることが見逃せない、と考えたからである。昭和三十七年佐藤佐太郎が宇登呂へ行って流氷を歌っている。佐太郎は歌う材料の新鮮さということを常に考えていた。その頃はまだ流氷は手つかずの材料だったのである。
氷塊がよりあひて海をとざしたるいちめんの白満つるしづけさ
氷塊のせめぐ隆起は限りなしそこはかとなき青のたつまで
この透徹した感性による写生はいまだに後人の及び難いところであろう。現代の歌のように甘さがなく、全身全霊をもって歌いあげている。
川添君の今回の旅行は、かつての流氷の情景に、又その時の生活に憑かれたように行かれたことは大変よかった。然し、残念なことに佐藤さんの時のように、大挙した流氷の接岸がなかったようだ。そのかわりかつての生活と人があるところは強みだと言える。
今回流氷への旅の歌百二首のうち、私の感銘した歌を次に挙げて少しく感想を述べる。
1死後歩む彼岸此岸か真っ白に流氷の原果てまで続く
2網走川氷上ラッコ昼寝する鷲に狙われているとも知らず
3オホーツク取り残されし氷片を冷たき赤き夕日が照らす
4氷海に立つ断崖よりオジロワシ音もなく海すれすれに飛ぶ
5人見えぬ町すみずみまで吹雪いて閉じたシャッターの音のみひびく
6シャッターの微妙に震う地吹雪の網走人は小走りに行く
8顔を見て声聞くだけで励まされし中川イセに今逢いに行く
これらは単なる旅行詠に終わっていない。自然の観照とともにかつて生活した人達との関わりが自ずと出てくるところに作品の奥行きが感じられる。
1の歌は死後の世界の写象。イメージとして実感があるが、第二句「彼岸此岸か」は正確でなく、あいまい。整理する必要があろう。
2の歌、動物の生態を捉えて的確、下句の捉え方は面白くてあるあわれがあるのだろう。
3の歌、自然の風景として印象的。「オホーツク」はシベリアの港町、「オホーツク海」が正確。字余りになってしまっても構わない。又「氷片」は余りに小さく、「氷塊」位でなかろうか。
4の歌、客観的写生が行き届いている。氷海の気分がある。「オジロワシ」という名詞が利いている。
5の歌、なんでもない風景だが、極寒の網走の情景が生き生き迫ってくる。下句の音の発見が一首を生かしているのであろう。
6の歌も前の歌と同じだが、初句「家のシャッター」と物を提示すべきであろう。
7の歌、挽歌として一応気持ちはよく分かる。「流氷」の比喩はきびしくて、潔癖という感じは分かるのだが、虚無的な感じというか、マイナスイメージも感じられるところが考えさせられる。
8の歌は純直だが、やや平板な所が惜しまれる。
以上は私の注目した歌だが、外に気になる傾向が見られる。それは擬人法。子規以来アララギでは幼稚で俗に近い手法として排除されてきた。近頃植物などに生命を見るアニメニズムが歌われるようになって、うまく使われているのを見る。
しかし、次のような歌の場合は、どうにも賛成できない。
凍りついた巨岩が大きな口明けて吠えるらし海背に立つ我に
流氷の海に真向かう切崖の巨大な顔の雄叫びつづく
岩が海に向かって吠え、切崖の顔が海に向かって叫ぶ。これは全く幼稚に近い擬人法ではなかろうか。通俗のそしりを受けても仕方がない。本来は己を空しくして虚心に自然を凝視すべきところであろう。作歌以前の問題として考えるべきだ、と思う。
いろいろ注文をつけたが、この一連は一つのエポックを示す作品であり、今後の進展が期待できる。
流氷の客
本 田 重 一
私の住む女満別より車で二十分ほど走ると、蒼黝い潮が波打つオホーツク海がある。冬は流氷が訪れ、二月から四月初旬にかけては接岸して居座る場合が多く、一望千里の大平原が出現する。荒涼たる景観は見るものをして荘厳な感動を喚び起こさずには置かない。 然し、気まぐれに風向きが変わると、忽ち海岸線を離れて蒼い海面が現れる。巨大な大自然の営為には、ただ息を呑む思いである。雪原の真中にある女満別空港は、近年観光の拠点として、年間百万人を超す利用者で賑わう。二月末のある日、その空港の到着ロビーへ未知の客を出迎えた。川添英一氏である。
川添氏はかつて四年ほど網走へ在住したという。その頃既に歌作に於いて一つの作風を我がものとされていたことを、今にして知ったが、当時は如何なる心境のもとに、この北涯てに足を止めたのであろうか。この間の経緯については、高辻郷子氏が流氷記第七号に周到な論考を展開されて、漸くわれわれも理解の緒を見い出し得た処である。過酷な大自然の掟の前に生身を曝すことによって自らの原点を探る「北帰行」の旅として、川添氏のその後の人生に深く刻み込まれていると察せられる。
流氷記六号、七号と夥しい作品群を発表されて斯界の注目を浴びているが、第六号の後記に「網走の風に触れるともう一つの皮膚感覚があって、忽ち網走次代の過去へ戻る事ができる。」と述べられているように、かつて一地方に存在した自己を通して深く内奥に迫る作歌姿勢は、単なる旅行詠にとどまらず、殊に共感を覚える所以であろう。
数日を同行することによって、私自身も流氷を始めこの地方独特の風土を改めて考え直す機会に恵まれた。未開の蝦夷へ新天地を求めて入植した祖父以来、すでに三代目から四代目へと移り、フロンティア精神は風化しつつも、この地に根付いて素朴な自然の中にある。然し、この国は隅々まで画一化の波に洗われており、北の辺境も例外にはなく、物の豊かさを追い求めざるを得ない日常なのである。
海に泛ぶ氷塊の一つ一つは毀れつつ滅びゆくものの形とも見えなくはないが、陽光に輝く流氷原を眼前にするとき、永遠の中の一微粒子に過ぎぬ己にも、新たな生命力の漲る重いがある。
折から啼き渡る白鳥群を頭上に見つつ「流氷の客」川添英一氏を雪の空港へお送りした。階上のコーヒーラウンジの窓から見ると、エプロンに待機する機体の主翼に、作業車より長いアームが伸びて不凍剤が噴霧されていた。雪雲を突き切って上空の寒気に達する対策であろう。ここは北緯四十四度の線上にある。
私の選ぶ一首(流氷記・流氷記抄から)
松 田 義 久(網走歌人会前会長)
わが場所のように周りを睨みつつオジロワシいる流氷の上(春香号)
八十七首の中から一首だけを選び出すという事を依頼されたものの、全部を何回か通して一つ一つの作品を読んでみて、その至難な事をつくづくと実感した。それは、作者が若い時分に僅か四カ年とは言え、私の終生棲みつこうとしている「流氷の街あばしり」に、教員として関西から赴任し、厳しい冬の生活を体験し、特に四半期近くを流氷に閉ざされるオホーツク海を自分の目で見てきた強烈な印象は、作者の脳裡に深く焼き付いて、現在も『流氷記』として歌集に収め続けているからである。流氷の自然の動きが、ある時は形として、ある時は色として、又ある時は人間や人間以外の生物などと関係して捕らえていく歌の妙は語るに尽きないものがある。ここに取り挙げてみたオジロワシの一首も、日本では北海道東部にしか棲息しない尾白鷲の飛来を目撃した作者の鋭い目と情感の高まりが伝わってくる。また、流氷とは関係の無い歌の中にも鋭い目と光が溢れている作品が幾つも垣間見ることができ、読む人を楽しませてくれた。
新 井 瑠 美
知床の海夕焼けて轟きのオシンコシンの滝聞いている(春氷号)
平成十年七月初旬、川添英一氏の個人誌『流氷記』第一号が届けられてからこの四月までに、第七号が矢継ぎ早に発行された。一年に充たず発表数五百余首の猛スピードの、氏の熱いメッセージをたじたじの思いで受けている。
一首選は結構厳しいと思いながら、私の知らない知床の海の、恐らくは壮大な夕焼けに染まって、オシンコシンの滝の音を全身で聞く、孤高の氏の背が見えてくるのである。『流氷記』と題され、網走にかつて住んだ作者が、歌の原点になる地に再び佇った時の感慨は深い。
小 野 雅 子(地中海)
言い負けて少し清しき傷付ける言葉避け来し結末なれば(春香号) 二人だけの言い争い、大勢の人の中での作者と誰かとの口論、あるいはその大勢対作者の言い合いと、場面はいろいろ想像できるが、とにかく言い負けたのである。相手を傷つけることを言ってしまえば、自分が優勢だったかもしれないが、それは避けおおせた。しかし口惜しさがないわけではない…そうした微妙な心理が「少し清しき」という言葉で的確に表現されていると思う。単なる気負いや負け惜しみではなく、人間としての品性、矜持、心のゆとり等をもって世の中を生きている作者の思いがのべられた作品。
遠 藤 正 雄
しおしおと帰れば妻にも言い負けて一人座りぬ氷塊のごと(春香号)
何事かあって…言い負けて、しおしおと家に帰ると「妻にも言い負けて一人座りぬ」そこには、いささかの暗さも乱れもない。ユーモアのある夫婦関係があり、ほほえましい限り。しかも自分を「氷塊のごと」と結ばれた。この氷塊は寒さにも風にも負けない、時に厳然と、時に悠然と構えている。『流氷記』を次々読ませていただき、その中で最も惹かれた私の好きな歌の一つである。
もとより感想は十人十色、私の力不足が秀作を見落としている失礼を御容赦下さい。
榎 本 久 一
遠がなしく響くキツネの叫び声真夜流氷の海を見ている(流氷記抄)
心が研ぎ澄まされている。「遠がなしく」と詠い出した後、「響く」「叫び」と重ねた鳴き声を述べた表現から、キツネへの共感を感じとる。作者はキツネと一体化している。大袈裟かもしれないが茂吉の「実相観入」とはこのような処だろうかと思われる。続く真夜の流氷の海という詠嘆の現場は、「響く」というよりは、沁み通るようなキツネの声の次元を高める最適の場であり、作者の北方憧憬と、その至り着いた充足感以外のものではなかったろう。「見ている」はダメ押しとして効いている。
籠 嶋 敦 子
銀河よりちらりふらりと落ちてくる雪あり銭湯より自宅まで (春氷号)
地を彷徨して生きゆかねばならぬ飢えと愛、それは天を仰ぐ時にこそたち起る。「ちらりふらり」の効果的な擬態と擬人。樹々や星々、天なるものとの交霊。それら前登志夫や山中智恵子の世界を髣髴とさせる。それに到るには推敲の余地はあろう。しかし作者の更なる精進によってそれは得られるだろう。若き日々の感性豊かな作品群を選ばず、敢えてこの一首にしたのは、歳月を経て作者が人並みに世の辛酸を味わった結果、自ら得た、深耕された精神領域が見えたからである。一首に漂っている清浄感と哀歓もいい。
塩 谷 いさむ
風吹かぬ夏の湿りを伝いくる貨物列車の土たたく音(秋声号)
じめじめと蒸し暑い夕凪の中を走って来る真っ黒な貨物列車が延々と連なっている。土たたく音と作者は言っているから、踏切ではなく、野原にでもいるのだろうか?私はふっと彼の大陸を何日も何日もかけて、勝算のない作戦に向かった貨物輸送の日を思い出している。真夏の蒸し暑い有蓋車の中に閉じ込められて前線へ向かった日の事が脳裏を走る。
蒸気機関車から吐き出す煙で前方にいる兵隊の顔からは黒い汗が流れていた。また厚い夏が来る。