私の選ぶ一首

貞 久  秀 紀
人死ねば焼かれて灰になるという娘の話の聞き手となりぬ(蝉響号)
 哀切なおかしみと温もりと。ほんのりとしていますね。

原 田   昇
死後歩む光の道に蛍いて獣の匂い漂わせ待つ(蝉響号)
人間の死後のことはわからない。たぶん美しい光の道だろうと誰もが思いたい。
しかし、この世にある現身は獣の匂いをはなち、男と女はある。それが美しいものであると思うことは、生きることへの賛歌である。人世ってそう永いものでもないのだ。

松 坂    弘
地球にはクレーンが棲み人間が周りを蟻のごとくに動く(蝉響号)
二十世紀も残りわずかとなった。二十世紀という概念はもともとキリスト教を中心とした西欧のもの。しかし、仏教国たる日本にも定着してきた。右の一首は、世紀末の地球の在りようを、大変アイロニックにとらえ、するどく告発している。どきりとさせられる内容の歌である。

 島 田  修 三
煙草害の授業を終えて一服する体育教師うまそうに吸う(麦風号) 肺だの気管だのがタールに黒々とまみれた禁煙取材用スライドなんぞを小生も見た覚えがあるが、あれは確かに恐ろしい。恐ろしいけれど、煙草はうまい。特に授業後の一服と来たら、実にもうサイコーにうまいのである。テメーら煙草なんか吸うんじゃねえぞ、などとエラソーに説教しつつ、みづからは愛煙家という体育教師の姿が生き生きとして妙にリアリティーがある。こういうシーンを歌う川添さんの眼は微苦笑に満ちて、なかなか味がある。

里 見  純 世
氷塊はためらいにつつ海面に真っ赤に浮かぶ日が沈むまで(夏蝉) 此の歌を読みますと、 私の心の中に、歌の情景と、それを眺めている作者の気持ちまでが快く素直に伝わってきて、 とても好きな歌です。 少しも構えたところがなくて具体的でやさしい表現をしていて効果的です。他にも好きな歌をあげてみます。
ラベンダー波立ちながら寝転べば限りなく青き空広がりぬ
断りの返事の中にプライドと社会の掟が見えかくれする
死ぬることまだ実感とならぬまま我が人生の半ば過ぎゆく


井 上  芳 枝
雲海の上澄みわたる空ありて死の向こうには苦しみもなし(蝉響)
仲の良かった弟が、肝臓ガンで他界して六年。この歌に弟が重なるのです。
「白鳥のいななくかのような暗い沖
ぼく死ぬことはこわい
だが死はこわくない〜」
と、詩集 『白い人』(日本詩人撰集4 近代文藝社)を遺して逝った弟。
絵画、陶芸、書など、多才だったありし日の弟をしずかにしのんでいます。 (北九州市立大蔵中学校時代の恩師)

小 川 輝 道
またしても取り残されし帽子岩はるかに流氷遠ざかりゆく(春氷 号)
 網走で別れて以来、風格を感じる賀状の短歌に接するだけであったが、 ほとばしるような流氷記歌集を出し続け、 以後、 大きい驚きと感銘を受けるばかりだった。網走を再訪し、たくさんの作品を詠み、 懐しい旧知に会えたことは、 みずみずしい心の旅になったことであろう。 その時の作品と思われる。
遠ざかる流氷を見る春の解放感と旅愁。 いつも海にひとり立ちつくす帽子岩の影に、 広がる海に染みるばかりの孤独感を平明に詠んだ。作者の多くの作品を支える孤独感と、それに注ぐまなざしを感じさせる作品の一つだと思う。 (元網走二中教諭)

井 上 富 美 子
幾年も無常の蝉の生き継ぎてひたすら夏を震わせて鳴く(蝉響号)
二十年近く前のことですが、八月の猛暑の中、福岡に研修のため出掛けたことがありました。 その当時三十八度位気温があったように記憶しております。 少しでも涼しい内に行動しようと思い早めにホテルを出て木陰を求めて街路樹の下を歩き始めました。 間もなく頭上より一斉にジーン!ジーン!とすごい迫力で蝉が鳴き始めました。網走に住んでいる者として想像だに出来ぬ音響でした。暑さを通り越してある種の感動を覚えたものです。一秒の途切れもなくいつ止むのであろうか鳴き止むことがあるのだろうかと思いながら幾度か頭を上げ(顔を上げ)蝉の姿を探しましたが木の葉に遮られて見つけることが出来ませんでした。沢山いる筈なのに…。きっとあの時の蝉の群れもこの歌のように限りある命を謳歌するように力一杯鳴いていたのでしょうね。今でもあの時の強烈な蝉の鳴き声が耳元にはっきりと残っています。

田 中   栄
人のあら捜しばかりに浮かれいる哀れな自分に気づくことあり (蝉響号)
自分の内面を客観視して極く自然にうたっている。或る日一気に出来たのであろう。人間というものは相手の欠点を捜し出し、自分と同等だ、或いは自分以下だと思うことによって自己満足する。この歌の如く「哀れな」存在だ。或る心理を言い得て普遍性がある。然しきびしく言うと俗とすれすれのところもあり、一般論でなく個に即する事も必要であろう。参考に土屋文明の一首を挙げて置く「吾がもてる貧しきものの卑しさを是の人に見て堪へがたかりき」自然主義に徹して現実感が迫ってくる。

前 田 道 夫
横たわる外なく魚は並べられ死に際動けば新鮮という(蝉響号)
漁獲された魚には自己の意志などもつことは出来ない。並べられるのも横たわっているのも人の手によってなされているところである。魚自体に刻々と迫っているのは死である。その死の真際において一寸動いてみせたところを新鮮だよと魚屋は自慢しているのである。この作品の前後の「おいしそうなどと幼き死体さえ人よろこびにすることがある」「店頭に動く蟹あり人集い笑うも醜き傲りかと聞く」とともに作者のシニカルな眼が感じられる一首である。

古 市  浩 恵
凍死などしているなかれ夜をこめて家出の生徒捜しつつおり(抄)
先生の作る歌を毎号楽しみにしています。 その中でも特に私がつい探してしまうのが網走の香りとでもいうか、 風のようなものです。あっ、この感じはあの辺りのことかと、 とても身近に感じられ十数年の年月がぐーっと引き戻される気がします。「 雪明かり青く注げる放課後の長き廊下をぎしぎしと行く」この「ぎしぎし」本当にこんな音を立てていたし、なつかしいです。当時中学生の私には先生の大変さなど知らず日々過ごしておりました。ちょっとショックな一首で心の隅に残りました。 (旧姓市丸浩恵さん、網走二中時代の生徒。)

吉 田  健 一
やかましく死は死は死はと蝉の鳴くそう死に急ぐこともないのに
蝉の鳴き声は一体どんなふうに聞こえるのだろうか。私の耳には「ジージー」と聞こえるが、 私の老父に言わせると「ジジイ、ジジイ」と鳴いているのだそうだ。 こんな具合に、蝉の鳴き声の聞こえ方は人によりさまざまであるが、 作者の耳には「死は死は死は」と聞こえるという。これは私にとって大きな驚きであった。歌意は、 数日間で死んでしまう蝉の命を詠んだ歌と取る事もできるが、前後の作品と合わせて考えると、戦争の為に死んでいく若者の運命を暗示していると解釈すべきであろう。

遠  藤   正  雄
横たわる外なく魚は並べられ死に際動けば新鮮という(蝉響号)
人間と魚との係わり合いを、 淡々とした表現で核心に迫っている。読者に伝わってくる内容は重い。水揚げされた魚は嫌応なしに人間の思うがままの扱いを受ける。魚凾に並べられて、時には塩をぶっかけられ、時には氷責めに遭わされる。その時間は残酷というより他に言葉がない。 人間であれば、否人間でなくても、命あるものにとって、生涯の一大事であり、まさに断末魔の苦しみである。弱肉強食の悲しい繰り返しが地球上に存在している。 結句に作者の思いが籠っていて、この歌の鮮度を高めた。 (塔)

甲  田   一  彦
地球にはクレーンが棲み人間が周りを蟻のごとくに動く(蝉響号)
十一号を通読して印象に残った一首でした。 土屋文明の鶴見臨港鉄道の 「稀に見る人は親しき雨具して起動機の上に出でて来れる」等の一連を思いました。文明の作は昭和八年ですから六十六年の歳月が挟まっています。 文明は同じとき「機械力専制は恐怖せしむ」と歌い、川添英一は、地球という天体上にうごめく人間を「蟻のごとくに」と表現したのです。巨大クレーンを見ながら、目は人間に向けられ、地球の将来に向けられていることが見事だと思いました。 (北摂短歌・塔)

塩 谷 い さ む
寄付金の筈が何やら巧妙に天引き自動振込みとなる(蝉響号)
寄附金のはずが、助け合いのつもりで協力した筈が、いつの間にか、会員になり、社員にされている。 一体どうなってんのと言いたい。ましてや、自動振込みとは、吃驚仰天である。国民総番号制が実施されようとしている折柄よくよく気をつけないと何をされるやら、呑気に暑気払いのつもりなんて言ってはいられぬ。昔のむかしの「お上」がまたぞろ復活してきそうな不気味さに襲われる。くわばら、くわばら… (塔)

高 田  禎 三
やかましく死は死は死はと蝉の鳴くそう死に急ぐこともないのに
 そう言うと、シワ、シワ、シワと聞こえなくもありませんね。そう聞いた川添氏の顔を思い浮かべながら、 何やら納得してしまいました。 今回の蝉響号では、本当は最後の方の魚市場での数首が気に入っています。魚の側からの視線は「金子みすず」のそれにも似て、考えさせられると同時に、ドキリとさせられました。多くの命によって我々の命が支えられている事を改めて思い知らせてくれる数首でした。

磯  田   愛  香
自分を追い詰めて行くのも悪くないこの頃少し気が軽くなる (春氷号)
救われたような気がした。 高校一年になったばかりで、私にはすべてが重い心境。ふつうに歩くことすらしんどいという状態だった。 この歌を見て、 私はあらためて、この世界が広いことを感じ、自分が好きになれる日々が続いた。 確かに辛い事ばかりかもしれないが、それも案外悪くないぞと、先生が言ってくれているような気がした。 先生 ありがとう! (西陵中卒業生)

高  田   暢  子
未知というより本能のままにして娘は物怪信じいるらし(夏蝉号)
 子供というのは多かれ少なかれ、 霊感とかがなくても見たり感じたりするものだと思います。 私も小さい頃、何もないカーテンの方をじーっと見ていて、いきなり泣き出していたと、母に話を聞いたことがあります。 その光景は、大人である母からすると、すごく気味の悪いものであったらしいです。 『となりのトトロ』も同じように表現されたものだと思いますし、やっぱり、子供は子供の時だけに与えられた不思議な体験を、みんなしているんだと思いました。

中  村   佳  奈  恵
幾年を土に籠りて出でて鳴く蝉の鼓動の天にこだます(蝉響号)
この夏限りといっせいに鳴く蝉の鳴き声を、「蝉の鼓動の天にこだます」という表現を使ったこの短歌で、蝉に対する先生のエールと愛情が私に伝わってきました。数年も土の中にいて、私たちの目から見ても、ほんの数日しか生きられない蝉の命は、本当にはかないものです。 でも、蝉たちはその命のはかなさにもめげず、一生懸命この夏を生きようとしています。 その命に対してのひたむきさと力強さに先生の温かい気持ちが感じられました。

若  田   奈 緒 子
空青き神の作りし白樺の幹くきやかに輝きはじむ(蝉響号)
私はこの夏に白樺湖という場所へ行き、 初めて白樺の木を見ました。 白樺は私の思っていた以上にきれいな美しい景色の中で生きていました。 天に向かってまっすぐに伸び真っ白な幹は緑の景色の中でキラキラと目立っていました。 まるで白樺の林には木の精が棲んでいるようでした。 今回この歌を選んだのはこんな私の感動の思い出とぴったりだったからです。 とても神秘的な白樺の林のイメージを、私の気持ちをよむように表してくれています。

高  島   香  織
雪解けの冷たき水を飲みて咲く桜花びら星のごと降る(桜伝説)
雪は美しい。その美しい雪の解けた水を飲んだ桜はなお美しいだろう。
この一首から、 美しい物から美しいものが誕生していくことに、はっと気づかされた。 私も、 この一首を読んでまた新しい自分に出会えた気がする。その自分は、桜の花のように内側から美しさの感じられるものであり、 ものの内側から滲み出るすばらしさに気づいた自分の心そのものに美しさを感じた、と言っていいだろう。 私も、先生の詠った桜の花のような女の子になりたい。

大  西   琴  未
白樺の林は鹿の足のごと跳ねつつ青き空渡りゆく(蝉響号)
私も、北海道に行って白樺を見たことがあります。とても白くて、こんな木があったんだな、と思ったくらいでした。細くて、高くて、私は白樺が大好きです。そんな白樺の、いっぱいの林が、青い空といっしょに見えたらすごくいいなと思います。青い空を背景に、 白樺が鹿の足みたいに跳ねるなんて、 想像するだけで、 とてもさわやかな気持ちになってきます。 もう一度白樺を見たいです。

田 那 村   紗  帆
ラベンダー波立ちながら寝転べば限りなく青き空広がりぬ (蝉響号)
この一首を読むと、ラベンダーのいい香りがいちめんに立ち込めて、果てしなくラベンダーと、青い空の景色が広がっている情景が目に浮かびます。たとえラベンダーが咲いていても、いちめんに咲くような広い場所はなかなかありません。この景色を見ながらこの歌を詠んだのなら、その場所がずっと残っていたらいいなぁと思いました。

石  黒      亮
青春・朱夏・白秋・玄冬それのみの話に授業の大半終わる(蝉響)
 ぼくは、 授業で 『青春、 朱夏、 白秋、 玄冬』 の話を聞いた時に、「 自分は今、 青春なのか、 朱夏なのか、 そして自分は、 どこまで行くのか。 」 と思うようになりました。 先生は、 普通なら白秋までは生きられると言っていましたが、 ぼくは生きられるのか。 でも、 ぼくは生きていられる時間を大切に、 そして有効に使っていきたいと思いました。 短歌がふだん思いもしない事を考えさせてくれることに、気づきました。 今後は、短歌の内容を知り、疑問に思った事があれば、調べて見ようと思いました。

宮    脇      彩
紅葉を激しき炎と見ゆるとき木は一瞬の命輝く(冬菊号)
今まで私は、紅葉は穏やかで美しいものと思っていた。それを引っ繰り返して「激しき炎」ととる、 新しい見方にこの一首で気づいた。 紅葉の紅を「燃えるような色だ」と度々思うことはあっても、「炎」と取ることはなかった。 紅葉を「木の一瞬の命」と表すことで、紅葉の内に秘められた激しさを初めて知ったように思える。 紅葉によって引き出される、一瞬の木の命の輝き│今度の秋は紅葉をよく見てみようと思う。

外    山    万  希  子
滅ぶべきノストラダムスの七月も過ぎて高校野球となりぬ (蝉響号)
蝉響号で一番目にとまったのがこの歌です。ノストラダムスの予言のことなどさっぱり忘れていて、気が付けば、夏の終わりの高校野球が始まっている…という、先生らしいユーモアのある歌で、私はとても気に入っています。《短歌》というものは、私は全然読んだりしたことがないので、ちょっと分かりませんが、とってもいい歌だと思います。

井  之  上    汐    里
教室の全員いずれいなくなる死ぬ順番は神のみぞ知る(麦風号)
この一首はかなりぐっと来た。「教室の全員いずれいなくなる」最も当たり前なことだが、 誰もいなくなった教室を想像すると無性に悲しくなり、淋しくもなった。自分がこの世からいなくなる日は必ず来るのだが、 そのいなくなる日までは精一杯生きようと改めて痛感させられた言葉である。こういう、ぐっと心の中にまで入り込めるような一首を作るのはすごいと思う。 初めておもしろいと思ったし、私の世界がまた少し広がってうれしい。