私の選ぶ一首
藤 本 義 一
冗談のように聞こえて俺だって今が晩年なのかもしれぬ(秋沁号)
物書きになって四十七年目に入りました。 だんだん難しくなってくる気がします。
私は、ただ、三十八歳の時に
―― 日 日 や 日 日 日 日 日 日 の 日 日 ぞ 日 日
(ひびやひび ひびにちじつの ひびぞひび)
という駄句をひとつ作って、 これを呟きながら毎日原稿用紙に向かっています。
一カ月に日本列島を一回縦断してます。 ( 作家 )
加 藤 多 一
生も死も貫く何か見えてきて人は思いによりて繋がる(秋沁号)
三浦綾子氏に自らの生き方死に方を重ねて自己凝視する人は多いと思う。小生も市民葬に参列してきたが、この歌の如く「思いによってつなぐ」という視点が、エライ人の堂々たる演説にはなかった。そのことが「発見」でした。「北海道あるいは旭川のため、文学のため功績をあげた」というのは、為政者の勝手な言で、三浦綾子の反権力の「思い」をこそ、思わなければならぬ。
原子力発電所に明快に反対した人として、私はつながっていたい。こういう私を激励してくれる一首だ。
( オホーツク文学館館長・児童文学者 )
来 嶋 靖 生
ものなべて虫の音となり燦々と星の輝く深夜となりぬ(秋沁号)
秋の夜の、当然のことを言っている歌だが、その当然のことを作者は自らの言葉で着実に述べている。「ものなべて虫の音となり」は誇張だが、その誇張は下句の星の輝きを導く必然として効果をあげている。それとなく、人の生きるさびしさをも感じさせてくれる佳い歌である。
(槻の木)
深 尾 道 典
アマゾンのセクロピアの木だけに棲むナマケモノ月見上げて眠る
「流氷記」は川添さんが、かつて寒冷の地、網走で過ごした日々を詠むというより、 そこで暮らした歳月が歌人を突き動かして闊達に歌わせているのだという気がしてなりません。
そうした川添さんの歌は、さまざまなことを思い出させ、考えさせてくれます。 この歌を読んで、 わたしは、いつかテレビの映像で、各々母親の食べる木の葉しか食べす、樹上で道を譲り合い、最少のエネルギーで生きている姿に接し、
これはもうナマケモノどころか森の賢者ではあるまいかと考えたことを思い出しております。 (夏残号) ( シナリオ作家、映画監督… )
中 平 ま み
筆不精とは明らかに違うもの無視という気を感じておりぬ(紫陽花)
人に便りをして、 返事がまるでない――というのは傷つくものです。でも、しょっちゅうそういう思いをしています。私自身は、たとえどんな相手にも返事、はする人間ですが。いい人なんて、本当に少ないものです。私は、犬の方がずっと好きです。 ( 作家 )
米 満 英 男
朝食にさえも無数の死が皿に載せられていし我が腹にあり(秋沁号)
ここでの「無数の死」とは、あるいは食卓に置かれた〈明太子〉であろうか。 我々ニンゲンは、 己が命を養うために、 動植物を問わずありとあらゆる命を食いつづけて来た。
貪婪なまでの雑食性動物として│。が、やはり、ふとその〈業〉の深さを感じることがある。ところでいくらそう思っても止めるわけにはいかない。せめて我が腹を撫で、わが腹に収めたその無数の死を弔うしかない。
この歌は、そうした〈犠牲者〉と、それを承知で食いつづける人間自身に向けての懴悔と居直りの歌であるようだ。
(「黒曜座」・「薔薇都市」) いつも心熱くそして暖かい人…
天 野 律 子
追いかけて来て階段を踏み外す夢といえども背骨に響く(秋沁号)
追われてひたすらに逃げる夢を、見ていたころがあった。何者なのか、何故なのか、追われる恐怖と、わけのわからない理不尽さへの苛立ちとが、目覚めをざらりとした気分で濁らせた。川添英一氏もまた、かって追われる夢を見ていた頃があったのであろうか。今、彼は壮年の域に在るはずだ。追われるのではなく、追いかける夢を見るようになっている。より虚しさに襲われる夢だ。階段を踏み外す始末ではないか。その痛みを知るのは、決して、日常経験的な背骨ではない。このことだけが確かだ。
(「黒曜座」・「薔薇都市」 歌人・詩人…ちょっと不思議な人…)
高 辻 郷 子
ホッチキス・裁断…腰がへらへらと崩れ落ちつつ数日終わる(夏残号)
小歌集を、狂的なエネルギーで連続刊行する、川添氏の肉体的精神的限界の歌である。
多くの歌人を巻き添えにして、精神的に突っ走る、一人の男の眩し過ぎる生き方を、私はしばらく凝視して来た。単なる読み手の吾々でさえ、 時には息苦しさを感じる程だから、氏にとっては、まさに生命を削る行為なのではあるまいか。ホッチキスの歌が、それである。しかし私は、かかる挑戦の気概にこそ敬意を表したい。困難な道を選択するのも、男の美学なのだから。(網走歌人会会長・心の花)
松 田 義 久
一匹では寂しいからと蟋蟀を増やしし娘共食いを知る(秋沁号)
蟋蟀の鳴く秋の夜の寂寥を詠み上げた川添さんの今月号をゆっくり読ませていただきました。作者と蟋蟀の係わり合い、作者と蟋蟀と子供との係わり合い。それぞれの歌の中から深みゆく秋への寂しみが受けとられ、秋沁号らしく数多く詠まれていましたが、秋を鳴く虫に対する子供さんらしく沢山の蟋蟀を虫かごに入れて楽しもうとする反面に実象として共食いの惨たらしさを知った歌に感銘しました。ただ気のついたことが一つ。ルビの打った作品が所々にあったのが…。「一匹では」は(ひとりでは)と下に付けた方がむしろ生きるのではと考えます。
(元網走歌人会会長)
里 見 純 世
蟋蟀を捕まえて来て我が庭に放てり娘生き生きとして(秋沁号)
後半の句がいいですね。生き生きとした娘さんの様子が目の前にはっきり浮かぶ感じで小生の心を捉えてしまいました。奥さんを詠んだ歌も率直で、感心しています。
娘が弾くピアノの曲を美しと褒めてばかりを妻なじりおり
「妻なじりおり」の句が率直です。夫婦ならではの雰囲気が感じられて微笑ましい気さえします。古書店の主(あるじ)の歌も心を惹かれました。
愛想の悪き小さな古書店の主も夏も逝きてしまえり
の一首です。 (元網走歌人会会長)
小 川 輝 道
総持寺駅出でて芙蓉のやわらかな十二三の花輝きを浴ぶ(秋声号)
忙しい毎日を過ごし、雑踏を極める駅を離れると、さわやかな芙蓉が目にとまった。 三句から五句への描写に詩情がこもる。
電柱の上にてしばしせわしなく動きしカラスふいと飛びゆく(冬待号)
「ふいと飛びゆく」の状景の捉え方が特にいい。 これら多くの作品の中に微妙な表現を示した観察眼と対象に心を傾ける作者の姿を感じ、 私は「詩の世界」を感じさせてくれるこれらを大切にしたいと思ってきた。「私が選んだ一首」に紹介される作品の力と、
選ぶ人々の眼の確かさに共感すると同時に、おびただしい作品群をどう捉えるか、私なりに読み、考えてみた。これらは現代を生きる一人の歌人の人間の表出である。
川添氏という存在のつぶやきであり、ためらいであり、喜びや苦悩の表現なのだ、ということである。 詩人の繊細さと周辺との葛藤も描き、十一号後記にいみじくも自己省察の鋭い
「偏屈で群れることが嫌い」という言葉もあって、氏を身近に感じる歌集となった。願わくば長い人生の視野の中で、生活の足場から焦らずに、恵まれた才能を更に生かして活躍されることを切に願っている。(元網走二中教諭・先生も向陽ケ丘の教員住宅に住まわれていた。住宅からすこし下るとすぐに真下に海が展けた。帽子岩、赤と白の対の灯台…今でもはっきりと目に浮かぶ。)
井 上 冨 美 子
向陽ケ丘より遥か知床の連山雲より現れて見ゆ (秋沁号)
身近に、 こんな素晴らしい眺望の地があることに感謝し日々を送っています。オホーツク海が流氷で覆われている時、また時化のときは人生の厳しさ儚さを感じさせ、凪の時は人々の気持ちを穏やかにさせ、しみじみと人生の喜びを感じさせてくれます。本当に春夏秋冬いろいろな姿を見せてくれます。二中が新校舎になった時、向陽ケ丘に移転しました。勤務を終え、帰路に向かう途中、あの下り坂の急カーブの手前で、足をしばし止めて、この眺望に見入ったものでした。この歌を拝見した時、その当時のことが、すごいスピードで懐かしく思い出されました。 (元網走二中教諭)
鈴 木 悠 斎
歌を作らせているのは世間とは離れた履歴の生きざまによる(秋沁号)
私は以前、 「歌作るこころにひそみいるらしきかなしみまとい生きゆく我か」をこの評に書きましたが、 今回の歌は心に悲しみを持った作者の表面に現れた部分を歌ったものです。自己の信じる所をひたすら行動に移す作者は、大学で文学の分からぬ教官に抗議し替わって講義をしたり、都会の学校に務めていると思えば、遠い北の果てに行ってしまう。ぬくぬくと平凡な生活に浸っている我々とは違うのです。奥さんの息をつかれるのも頷かれますが、そこが作者の真骨頂であり、いい歌の源泉なのです。
(書家)
井 上 芳 枝
此頃はやや緊張が見えてくる三年師走『故郷』授業す (冬菊号)
『故郷』の授業、過ぎ去りし昔を懐かしみました。魯迅を身近に感じるのは紹興を訪れたからでしょうか。 魯迅の故郷浙江省紹興。(杭州から車で二時間)柳と掘割で美しい水の都、紹興の風景がぐんぐんと広がっていくのです。
魯迅の学習部屋三昧書屋には魯迅が使用した小机がそのまま残され、 木登りして遊んだ小さな庭も見学し、少年時代の魯迅をしのびました。記念館には自筆の文章や書簡、書物などが展示され、生きた学習ができました。中国の民族を救うには文学からと悟り、医学を断念して文学の道に転じ、因襲的思想の打破につとめ、新生中国への道をひたすら歩み続けた、魯迅の革命への激情に、私も強く心をひかれます。『故郷』の最後「もともと地上には道はない。歩く人が多くなればそれが道になるのだ。」は、ずしりと重く私に語りかけてくるのです。
(中学恩師)
宮 脇 彩
笑いつつ我は恐るる幼子は危うきことに目を輝かす(秋声号)
このような光景は結構見かけるものではあるが、このように歌に詠もうという人はなかなかいないのではないか。こういう日常的なことが、こういうふうに自然に詠める作者の感性がよく読み取れる。何かに恐れている心、その「何か」を考えさせる。
新 井 瑠 美
冗談のように聞こえて俺だって今が晩年なのかもしれぬ(秋沁号)
〈今が晩年〉と自覚することで、作者の信ずるところへ踏み入られたかと思った。古くは実朝、近くは林和清氏の、花の二十代で〈晩年〉の虚夢を歌いあげた秀作は別にして、追い込まれるギリギリのところで心底の本音がでたと見てとれようか。ここからが川添氏の正念場かと期待と畏れを抱いている。この号には他に〈
追いかけて来て階段を踏み外す夢といえども背骨に響く〉〈生も死も貫く何か見えてきて人は思いによりて繋がる〉などこれまでと違った味わいを見せていただいた。(椎の木)
田 中 栄
確実に死に近づいていく時間を競いてリレーの攻防続く(秋沁号)
一首読んだ時或るインパクトを受ける。人という生き物のかなしさと云うか、はかなさである。あわれと云っていいのかも知れない。然し、上句はやや一般的な想念で、俗に近いところがあるのではなかろうか。『秋沁号』は死の想念を歌ったものが多いが、既成の観念を抜けることは難しい。斎藤茂吉に次の思想詠がある
あかつき はくめい「暁の薄明に死をおもふことあり除外例なき死といへるもの」(つきかげ)この場合「除外例なき」が眼目だが、詩の真実が感じられる。参考になるだろう。
(塔)
三 谷 美 代 子
流氷のことを思えば流氷となりて彷徨う分身がある (秋沁号)
『流氷記』発刊に際して、作者は創作の起点を網走の流氷に置く、というように記されていたと記憶する。網走での四年間、作者を取り巻く温かい人々の中にありながら、目に沁みついた流氷は今なお作者の分身として冬海の彷徨を続けるのであろう。 「流氷のように漂う此の世かと次々視界の変わるさびしさ」の一首にも原点から見詰める眼差しを窺うことが出来る。二首共に「流氷」が比喩として使われている弱さはあるが、作者の心情は惻々として胸を打つものがあり心ひかれた。 (塔)
前 田 道 夫
ピアノ弾くように少女はパソコンに向かいて機器の一部となりぬ
ピアノを弾くときもパソコンを叩くときも、 背筋を伸ばして機器に対しなくてはならない。 その姿勢を上句は捉えているのであろう。 パソコンそれ自体は単なる機器に過ぎない。 人の手によってどのようにも成果を上げてゆくことが出来るものである。 何事も対象と自己が一体とならなくては充分に己を発揮することは出来ない。 「機器の一部となりぬ」は簡潔にして要を得た表現であると思った。(秋沁号) (塔)
榎 本 久 一
地下鉄は長い洞窟真っ暗な真昼をひそと通り抜け行く(秋沁号)
地下鉄がどれ程シールド工法で施工されているか知らないが、この地下鉄はシールド工法のものを想定してのことだろう。長い洞窟という捉え方が良いと思った。
以下の述部は、 自分の思いと重ねて気負いさえうかがえるように思われる。地上の狂騒から逃れて、 地下には地下だけの世界が駆け引きなく進められている。
あまり混雑しない車内で空想がふくらむのは微笑ましい。 (塔)
甲 田 一 彦
電波となり記号となりして次々に文字増殖し人殺しゆく(夏残号)
文明が発展し、文化が花ひらいて、人間が幸せになるというのは、実はウソッパチであった。無限に文字を吐き出す現代社会は、冷静に見れば、民族だ、宗教だ、正義だ……と人と人の殺し合いばかり。二十世紀末の地球を、この一首は見事に切り取って見せてくれるのである。短歌の未来についての悲観論や絶望論があるが、この一首は二十一世紀への明るい展望を示しているのではなかろうか。作者の努力精進に心から声援を送りたいと思っています。
( 北摂短歌会・塔 )
塩 谷 い さ む
人混みに紛れて死んだ筈の人ふと擦れ違う一瞬がある(秋沁号)
この世には三人の似た人がいると言われる。確かにあの人は死んだ筈なのに、通勤の雑踏の中などで、よく似た人に出会うことがある。ほんの一瞬の擦れ違いだが、しばらく錯覚に捕らわれる。その人を思い出すのに暫く時間がかかる。どんどん目まぐるしく変化していく此の世であれば尚更である。事実と幻想が交錯することがよくある。これも生きて行く上での難しさか? 妻はただ普通であって欲しいというそれが一番難しいのに(夏残号)のように。
遠 藤 正 雄
冗談のように聞こえて俺だって今が晩年なのかも知れぬ(秋沁号)
さりげなく詠まれていて真に迫っている。 晩年を広辞苑で引くと「一生のおわりの時期。死に近い時期。年老いたとき。」であった。四季に晩夏、晩秋があり、なんとなく詩情をそそるが、人生の晩年はどうだろうか。人として完成度の高い、最も充実した時期と思う。四十歳で亡くなった太宰治は、二十八歳の頃「晩年」を出版している。彼は出版に際し晩年を意識していただろうか。フィクションの世界は面白い。だから小説になる。歌には歌の面白さがある。晩鐘の余韻を感じさせる歌だ。
(塔)
久 保 田 よ 志 子
細き道くねくね続く戸伏町家より出でて一人は楽し (秋沁号)
戸伏町は私の生家のある処です。昔から本照寺の報恩講には父が連れて行ってくれました。高槻の天神様には母が連れて参ってくれました。幼い時の楽しい道でした。歩くのも厭わずついて行きました。千歳橋を茨木から渡る手前の村で、少し入ると小さなお宮があり、その前を西へ突き当たった家が私の生家です。紅く塗った古い門で、
主家は南向きの平屋で茅葺きの古い家でした。今は立て替えられて変わりましたが、 辺りの古いままの家並みと細い道は昔のままの面影をいくらか残し、
幼い頃をしのぶことが出来ます。 そんな思いが伝わって来ました。 (北摂短歌会)
古 市 浩 恵
花を摘むなんて優しき感情と思えず生きき生き難かりき(秋沁号)
花の美しさについ出る子供の手を止めてよいものか。 差し出された花を払い落としてしまうのか。育児をする身としては大変困った問題です。 私自身子どもの時は花を摘んで遊び、母にも上げました。そんなことを考えながらも命あるものの大切さと感謝の思いを教えてくれました。自分の子であって自分ではない、子という生き物に、せめて在りのままの気持ちを伝えたいと思います。次の 「どうしても好きにはなれぬ花を摘み人のためだけ飾る営み」も同感です。 (網走二中時代生徒)
藤 井 純 子
名も知らぬ草に束の間しがみつき雨宝玉となりて輝く(夏残号)
「ああ、これわかる!」と思った。この歌を見た時、一瞬でその景色が浮かんだ。雨上がり、雲間から太陽が顔を出した時、地上がキラキラと輝く。私は、眩しくて目を細めながら美しいと思う。そして不思議と生きていることが幸せだと感じる。美しいものを見ていると心が和んで柔らかくなるから、そういう気持ちになるのかな。我ながら単純かもしれない。この歌は、そんな私のささいな幸せを読んでくれた気がするのです。
(西陵中本年度教育実習生。)
若 田 奈 緒 子
指導書やワークブックに書かれない真実少ししゃべりて終わる
川添先生の国語の授業は、ただ教科書を読み、漢字の練習をするのではなく、私たちの知らない世界のことを少し教えてくれるものでした。その世界というのは、アンネ・フランクが生きてきた世界であり、汚染されてゆく現在の世界でもあり、川添先生自身が自分の中に持っている世界でもありました。そんないろんな世界の話を少し話してくれることが、私が国語を好きになった理由の一つでした。先生と同じように私も、国語というのは、教科書やワークブックからしか学ぶだけのものではないと思うのです。
(西陵中二年生)まだまだ授業には四苦八苦していますが…
中 村 佳 奈 恵
白樺の林は鹿の足のごと跳ねつつ青き空渡りゆく (蝉響号)
白樺の木を鹿の足に見立てて、白樺の林の様子を詠んだこの歌は、とても印象深く私の心に残りました。特に「青き空渡りゆく」という箇所は、真っ白い白樺の木々が山の斜面にたくさん並び、まるで鹿の足が空を駆けているような風景が目に浮かびました。私は、白樺の木を写真でしか見たことがないけれど、この歌を読んで、このような風景のある場所に、とても行きたくなりました。 ( 西陵中二年生 )
高 田 暢 子
雲走る空の下にて台風を待ちつつ並木の緊張が見ゆ (秋沁号)
この歌を読んだとき、《嵐の前の静けさ》という感じがよく伝わってくる歌だと思いました。台風の来る前って妙に静かで、風だけが静かに強く吹いている感じで、それが木に何かをそっとささやきかけているようにも見えます。そんな思いで木を見ると、
本当に嵐に備えて立っているようです。これは自分も「台風が来る」と思っているから、木を含めいろいろなものが緊張しているように見えるのかもしれません。(西陵中二年生)
北 川 貴 博
文化祭するたびゴミが増えてゆく人の傲りを文化というか(秋沁号)
初めてだった中学校の文化祭。一年生は「過去・現在・未来」をテーマとした制作発表。二年生は職業体験の発表。三年生はステージ発表と、とてもにぎやかでした。しかし、今になって考えてみると、たくさん材料を使い、一生懸命作った作品も、文化祭が終わってしまうと、ただのゴミと化してしまうということを、そして、莫大なゴミが出たことを思い出させてくれた。文化を伝えていくことも大切だが、ゴミ問題の方も、考えていかなければならないと頭を悩ましてくれる歌だった。
(西陵中一年生)
大 西 琴 未
日向より陰へと人は移動するそのうち日陰がすべてとなりぬ
この一首はとてもおもしろいと思います。日向がそのうち日陰になるのは当たり前だけど、人が陰に移動したのに、日向の所も日陰に結局はなるということだから、口では表しにくいけど、なんとなく不思議な感じがします。ちょっとした身近なことで、こんなふうに表現できるなんてすごいと思います。それに読んでいて楽しいです。私も、とても身近なことでおもしろいことを見つけてみたいです。 (西陵中一年生)
阪 本 麻 子
段ボール・ベニヤ板など文化祭するたび少しずつ森は死ぬ(秋声号)
この歌を読んで初めて「ああ、そうだなぁ。」と思った。文化祭のとき、私の組は多大な数の段ボールを使った。木が何十年もかけて作り上げた立派な幹が、私たちのたった二日の文化祭で消えてしまった。だが、私はそんなことは気が付いてさえいなかった。先生の歌は何かあたりまえのことを、 改めて感じさせてくれる。それも、とても身近なことを、もっと真剣に見つめてみようと思う。 (西陵中一年生)
宮 脇 彩
目つむればただ蟋蟀の音のみにこの世も夜も安らぎの中(秋沁号) 蟋蟀は枕草子にも出ているように、とても鳴き声に風 情のある虫である。目を閉じていても鳴き声が聞こえてくるというのがとてもいい。私もこの一首のような体験をしたことがある。夏休みに祖母の家へ行った日の夜、何の虫かはわからなかったが、とても安らかな気持ちで眠りについたのを覚えている。このような体験から、この一首にはしみじみ来るものがある。このように、自分の気持ちと同じ一首があるというのは、とても素敵なことだと思った。 (西陵中一年生)
大 橋 佐 和 子
オッペルからオッベル、オツベルへと変わる悪も時代とともに変われば (麦風号)
私は、この一首が好きだ。読んだとき思わず「本当だね」と言いたくなってしまうような短歌だと思う。国語の授業で『オツベルと象』をやって、『オツベル』の名前のことも先生から聞いていたので、とても分かりやすかった。私は本当にこの歌の通りに思う。殺人や詐欺など、後を断たない犯罪、悪の数々…、そんなことが数え切れないほど起こっている時代が、これから変わっていって欲しいと思う。(西陵中一年生)
田 那 村 紗 帆
稲の穂の無数に垂るる金色の朝な朝なを風吹きわたる(秋沁号)
この時季たくさんのきれいな稲の穂が風に吹かれていっそう綺麗さを増す。いろんなことで日々あわただしく生活していて、こんな景色を見かけても通り過ぎたり、自然に触れることが減ってきているけれど、こんな景色を見て落ち着くのも大切だと思う。風は冷たくて寒いけれど、こんな景色には綺麗だと思わせるものがあって、何か不思議な感じがする。
秋ならではの景色の中にある、厳しさと綺麗さがでていていいと思った。(西陵中一年生)
藤 川 彩
花壇に咲く花よりもなお美しく咲く雑草と呼ばれる花あり(蝉響号)
これは言える!まず私が思ったことはそれであった。私は、花壇に咲いてる花も好きだが、そこらへんの雑草もかなり好きなものが多い。私は人とは少し違った感性を持っているのかもしれない。みんなが気に入っているものが、私は気に入らなかったり、私の気に入ったものを他の人は気に入らなかったりするので、友達は少ない。でも、気の合う友達はいい。話がずれてしまったが、やはり人の感性は違うようで、花壇に咲いている花よりも、雑草でそこいらに生えている花の方が良いと思えることがある。
(西陵中一年生)
宮 田 貴 之
糞尿は江戸時代には肥料にて無駄なき社会もかつてはありき
昔は糞尿も畑にまいて肥料にしていたけど、今ごろは色々な物が捨てられて無駄なことが多すぎる、と思わせる歌だ。空き缶やペットボトルもリサイクルすればいいのに、ただ捨てられていくだけ。特に粗大ごみの中には、まだまだ使えるようなものばかりである。僕たちが生きているこの今を先生はしっかり見ておこうとし、僕らに伝えてくれる。この歌のように昔の時代の良さも僕たちは知っておくべきだし、それが未来に役に立つことだってあるような気がしてくる。僕も目の前にある色々なことをしっかりと見つめていきたい。 (西陵中一年生・紫陽花)
小 西 由 紗
雨しとど降りつつ開く真っ白な花次々と生まれては消ゆ(春香号) いつも雨が降ったら嫌な気分になってくる。特に、大雨の時や、雷が鳴っている日。でも、そのとき雨のつぶが地面に落ちて飛び散ったその瞬間を白い花として見ているのと、嫌な気分で歩いているのとでは、大違いだ。嫌なことでも、考え方、感じ方次第で、気分が変わってくる。また、そんな日だからこそ、「楽しんでやるぞ!」という気分が湧いてくるような気がする。
(西陵中一年生)
網走歌人会(網走新聞十月二十七日掲載)
息を呑む群衆のなか面を打つ少女が海豚のごとくに跳ねる(夏残号)
群衆の見守る中で、一人の少女剣士がまるで海豚がジャンプするように気合をこめて打ち込む姿が目に浮かぶ。読んでみて、まことにさっそうとした気持ちの良い歌である。《今月の佳作》の僕の歌の前に本田重一氏の「発作起き倒るる
母を抱き止む死んでもいいよこの腕の中」の歌があり、「そのも のズバリ作者の気持ちを詠んでいるのに感動させられる。 何と いっても下の句が抜き差しならぬギリギリの作者の悲痛な叫び
であり、 歌とは此のように読み手にうったえる力のあることを 示す好例である。」とある。 里見純世氏の歌もある。
菅 納 京 子
宇宙より金の粉降り注ぐ朝水鳥騒ぎつつ海を飛ぶ (夏残号)
私がこの句で一番魅きつけられた言葉は「金の粉」です。「日光」などと表すより、よっぽどやわらかな感じがして、とてもいいと思いました。素晴らしい一日の始まりに、水鳥はいてもたってもいられなくなったのだと思います。そしてきっと先生も、金の粉を体いっぱいに浴び、エネルギーをたくさんもらって、充実した一日を過ごされたのではないでしょうか。想像するだけで感動してしまう、とても綺麗で生き生きとした自然をとらえた一首ですね。 (西陵中三年生)