流氷記19 一首評 今までのものをまとめたものです。

いいように言われて黙って来たけれど僕には僕の言い分がある(紫陽花)短歌にかういふユーモラスな味がにじみ出るのは結構なことだと思ひました。 (阿川弘之・作 家)
生まれ死に生まれ死にして流氷の真っ赤に燃えるたまゆらにいる(燃流氷) 生死と流氷。(小生はかつてオーツク海で南極そのものの雪原を見ました。宗谷でしたので、 乗員にも南極隊員が多かった。)真っ赤のさまは見ませんでしたが、「たまゆらにいる」はうまいと思います。 (北 杜夫・作 家)
冗談のように聞こえて俺だって今が晩年なのかもしれぬ(秋沁号) 物書きになって四十七年目に入りました。 だんだん難しくなってくる気がします。 私は、ただ、三十八歳の時に
 ひ び    ひ び  ひ び にち じつ   ひ び    ひ び
日 日 や 日 日 日 日 日 日 の 日 日 ぞ 日 日
という駄句をひとつ作って、 これを呟きながら毎日原稿用紙に向かっています。 一カ月に日本列島を一回縦断してます。 流されて追い詰められて盛り上がる氷塊我の生きざまのごと (燃流氷)ニュージーランドを十日間ほど歩いて来ました。 帰った日に第十五号が届いていました。 流氷は過去二回撮影取材したことがあり、南半球から北半球に一挙に舞い戻った気がしました。 流氷の私の印象は時の経過に伴う氷の切片のプリズム風の七色の変化と、時に鋭く、時に鈍く、時に幽かな軋みでした。 現在は現代詐話師を取材しています。俗な世界を俗な目でずっと瞶めていきていきたいのです。 (藤本義一・作家)
全員が百年以内に死ぬること既定の事実として授業する(麦風号) 「教室の全員いずれいなくなる死ぬ順番は神のみぞ知る」と甲乙つけ難く、身に迫る一首。そんな、はかないかなしい存在なのに、憎愛の感情や生きている大変さに悩まされる人間、因果なものです。 (中平まみ・作家)
求むるものだけに輝く光あると信じて眼強くして生く (凍雲号) 一読、 反射的に聖書の 「求めよ、 そうすれば与えられる。」の言葉が浮かんだ。 下句は私にはできない表現。 ここまで率直に力を入れて詠めないからである。 意欲的な生き方から生まれたユニークな一首と思った。九九年四月八日にVサインして写りしに生徒今亡し(渡氷原) 一首としての独立性が的確であると思う。Vサインして写真に写っている生徒が、目に浮かぶようである。病死か事故死か、その死因まで問う必要はない。若い命を惜しむ心が充分に出ていて、読む者の胸を打つ。地平線薔薇色に燃ゆ見る限り流氷原は鎮もりの中(渡氷原)三月七日、女満別に用事があって行った。その時案内されて網走まで足を伸ばし、流氷も見た。そして二十九年前、妻と共に見た燃える流氷を思い出したが、右の作に更に思いを新たにした。     (三浦光世)
小便といえども雪を溶かしいる命の水かいとおしく見ゆ(渡氷原) いささか理に堕ちているところはあるが、一連の北海道取材の歌に続けて読むと、実感があって、快い解放感をもたらしてくれる作品だ。たしかに「命の水」だねえ。この歌は、ウイスキーがこう呼ばれることを知っていて読むと、アイロニーが酒のようにしみわたる仕掛けになっているのかもしれない。 「見ゆ」はあまりにも芸がないとも思われるが、そんなレトリックは気にかけぬナタの切れ味の素朴さが川添英一の味だと思います。 (加藤多一・児童文学者、オホーツク文学館長)
船のごと網走台町潮見町夕日の浸る氷海を行く(凍雲号) 私は網走市台町二丁目六の一〇という住所に居を構える。ここは昔、知人岬と呼ばれていた海抜五三メートルの崖の上である。 その最先端で流氷の海を眼下にしていると、 まさしく私の身体は家ごと氷海に突き進んでいくのだ。そのことを、この歌で教えられた。 身ぶるいするほどの感動だった。 三十年近くも同じ場所に住んでいて、 一首の歌で初めて気づいた感覚だった。 今冬は流氷量一〇という全海面を覆う状況である。この小文を書いている夕刻も、私は台町の町ごと家ごと、朱色の氷海に分け入って行く。         (菊地慶一・作家、流氷観察者)
流氷原心残りし墓標にて果てまで幾多の沈黙続く(紫陽花)現実的な流氷原から伝わってくる大自然の息遣いに圧倒される。記憶の中での流氷原は時に哀しく苦しみを含んで脳裡を駆けてゆく。 見る人の心の裏側を映して、刻々と光が薄らぎ、手の温もりまで失ってしまう。 数時間の生命を懸命に燃やし続ける妻の魂が氷海に放たれてしまった。 この一首から私は昨年十月亡くなった妻の姿を見た。三十数年流氷を追い求めたが、本物の流氷を見ることが出来なかった。 今、流氷原の彼方に、置き忘れられたように輝く雲の一端に、あの優しい眼差しを感じている。流氷原は闇と化す。 (山崎猛・写真家、アルプ美術館長)
今まさに離れんとする滴くあり命の重きかなしみが見ゆ(凍雲号) 私の写真集を求めて下さってご感想と共に『流氷記』 (五号発行の頃か?)を届けて下さり、その後創刊号と共に毎月忘れず拝見することになりました。 私の大好きな道東網走で教職につかれたことから『流氷記』のタイトルが気に入りました。 私の感想も最近は求められるのですが、 忙しい生活ではゆっくり鑑賞する時間もありません。 私の写真の内容以上に歌は奥深く簡単に批評は出来ません。 流氷記の縁で私の写真集(『ふゆいろ』)にも登場してもらって多くの読者の眼にふれてもらって喜んでいます。 この一首は『水の詩写真展』 からと…               (津田洋甫・写真家)
次々に土に吸われて細雪斜めに異次元空間に降る (凍雲号) ことばの順序が複雑な不思議な歌だ。 「細雪」は大気中を斜めに吹き、土に到達すると融けて土中に吸われてゆく、というのが常識的な順序であろう。 そのとき、「大気中」という空間と、「土の中」という空間は、どちらも三次元的なひろがりをもった空間だが、両者は異なった空間軸をもった「異次元空間」ということができる。 しかしこれは全く物理学的な理論説明に過ぎなくて、この歌の真意はむしろ、「水」という物質の固体から液体への転移を暗喩して、人の心の存在空間が異質に変貌してゆくさまを詠んだのではなかろうか。 ( 和田悟朗・俳人 奈良女子大学名誉教授 )
月もなき夜といえども目交いは白き流氷光を放つ (春香号) 流氷の地、網走が川添さんの魂の拠り所となっていることを、矢継ぎ早に刊行される流氷記から読み取ることができます。 流氷記を読み返しながら、決まったようにたどり着くのはそのことです。魂を光が迎えに来るという流氷の海夕焼けて燃ゆ(燃流氷)川添さんの魂は、 現在身を置く高槻と曾住の地網走の間を自在に往き来しているのに違いありません。 流氷の地は、 川添さんにとって、 さながら聖地のようです。 (深尾道典・シナリオ作家。映画監督。)

眠るたび死んでは朝に生まれくる命と思えば一日は楽し(凍雲号) 心はこんなにもまっすぐ表せるものなのだなあと川添さんがうらやましくなりました。巻末で触れておられる斎藤茂吉も、真心ということを書いていたと思います。事物を写す心をさらに写し取るというのは大変なことなのだと思います。それから 代名詞「あそこ」と言えば笑い出す思春期盛り生徒達あり はなにやらおかしくまた哀しく。あそこがいつまでもあそこでありますように。 (貞久秀紀・詩 人)
清 水 房 雄
流氷の間に間に位置を変えながら真っ赤に濡れて波輝きぬ (金木犀)「間に間に位置を変えながら」はやや煩瑣の傾向はあるが、それ以下即ち下句の感じ方は特殊性があり、それが今後どのように伸びて行くか期待される。 物忘れなど責められて半日を最晩年のごとくに過ごす (燃流氷)私などいつも体験している事で、大いに共感せられる作だが、「など」には一つの型の印象がまつわり、「最晩年」は語自体に或る過激なものを感ずるのが惜しい。 (「青南」選者、元アララギ選者)
来  嶋  靖  生
ものなべて虫の音となり燦々と星の輝く深夜となりぬ(秋沁号)
秋の夜の、当然のことを言っている歌だが、その当然のことを作者は自らの言葉で着実に述べている。「ものなべて虫の音となり」は誇張だが、その誇張は下句の星の輝きを導く必然として効果をあげている。それとなく、人の生きるさびしさをも感じさせてくれる佳い歌である。 (『槻の木』 編集)
     島  田  修  三
煙草害の授業を終えて一服する体育教師うまそうに吸う(麦風号) 肺だの気管だのがタールに黒々とまみれた禁煙取材用スライドなんぞを小生も見た覚えがあるが、あれは確かに恐ろしい。恐ろしいけれど、煙草はうまい。特に授業後の一服と来たら、実にもうサイコーにうまいのである。テメーら煙草なんか吸うんじゃねえぞ、などとエラソーに説教しつつ、みづからは愛煙家という体育教師の姿が生き生きとして妙にリアリティーがある。こういうシーンを歌う川添さんの眼は微苦笑に満ちて、なかなか味がある。 ( 『まひる野』 編集委員 )
篠 弘
一匹では寂しいからと蟋蟀を増やしし娘共食いを知る(秋沁号) 少女のやさしい心配りと、はからずもきびしい自然の抗争を知った痛みを、作者はしかと見守る。たんに少女を愛する域を超えたものがあり、その視点にうなずく。
この一首とともに
ピアノ弾くように少女はパソコンに向かいて機器の一部となりぬ クールにその姿態を見つめた歌も、深く印象にのこる。いつもピアノを弾いている少女なのであろう。ひたぶるにパソコンに挑むポーズに、目を細める。
この二首の情愛は、美しく交錯する。(「まひる野」編集委員)
田 井 安 曇
年の暮れ突然逝きて網走の棚川音一賀状を残す (金木犀) 川添英一といえば確かに船首で水を切った一時代のあった名である。したがって送られてくる毎号の小歌集にもう少しもう少しと注文をつけ、返信は留保してきていた。今も「心込め作りし歌も拙くて」などとは金輪際言ってほしくないし、むやみに作らないことに恃むところあってほしいと思うのである。 掲出歌、死者の名まで含めてのこの感情を支えているところが何ともいい。他に「金木犀に雀騒げは明るくて障子に映りし影消えている」「雨の後しばらく虹の観覧車見ており二人手が触れている」がおのずからで佳品と思った。自ずからがよい。(『綱手』主宰)
松  坂    弘
地球にはクレーンが棲み人間が周りを蟻のごとくに動く(蝉響号) 二十世紀も残りわずかとなった。二十世紀という概念はもともとキリスト教を中心とした西欧のもの。しかし、仏教国たる日本にも定着してきた。右の一首は、世紀末の地球の在りようを、大変アイロニックにとらえ、するどく告発している。どきりとさせられる内容の歌である。
金木犀に雀騒げば明るくて障子に映りし影消えている (金木犀)
読んでいて、ハッとしました。 とてもいい歌です。とくに、下句の把握、表現がいいと思いました。「明るくて…」というかすかな条件法、それが「影消えている」の結句にぴったりとつながっています。 技巧を感じさせない技巧(呼吸)というものを感じさせます。北原白秋的な世界を詠みとりました。 「炸」主宰。
佐  藤  通  雅
生きていると思えば死者も蘇り語りかけさえしてくれるもの (夏残号)人生の峠の頂点に達し、下りにさしかかると一歩の差で死者を見送ることが多くなる。自分も、野辺送りの会で酒を酌み交わしつつ「もしかしてこれはオレを送る会じゃないの」と錯覚することがある。故人の歌集もよく読む。作者はもういない、けれど語りかけたい。感想も伝えたい、そのように切実に思う。ふと、これも自分がまだ生の側にいるからだと気づく。そうであるなら死者の分も生きなければならないのだ。自分だけの生であるはずないのだと実感する。この歌はそういう思いを代弁している。 (路 上)
大 塚 陽 子
自分とは違う自分が語られて自分のように見えることあり(金犀) 自分のことは自分が一ばんよく分かっている、などというのは大それた言い草で、他人の目に映っている自分こそがまことの自分なのかも知れぬ、自分というこの不可思議なるもの。誰にでもふとそんなことを思う一ときがある。この一首、さらりとさりげなく述べられておりながら、実はそのさりげなさのゆえにこそ、怖いことがうたわれてもいる。毎号お送りいただいて、この粘着力の強さは、この一首のさりげなさの中にひそむ力なのだろうと思った。 (『辛夷』 選者)
小 野 雅 子
ゆっくりと沈みゆく日よ今日もまたあらゆる所に人の死がある
(燃流氷) この号は高安国世の死を悼む歌をはじめ最近起こった凶悪殺人事件からイチョウの一葉まで、死を詠んだものが多い。身近に人の死がない日がつづくと、つい死など遠いものに思いがちだし、だからこそ人間はいつまでも生きていられるような気がして勉強したり働いたり出来るのだが、 言われてみればその通りなのである。 戦国時代や大戦中の戦場に身を置く人の述懐ではなく、 平和な現在の日本にあってそのことに思い至るとき、 この一日を終わる夕日はゆっくり沈んでいくように見える。
( 『地中海』 同人)
西 勝 洋 一
人の好い生徒がいつも引っ掛かる問題少しひねって作れば(燃氷) 教師の歌を集めています。集めてどうしようというのではありませんが、私も教育の現場に身を置いているので気になるということです。社会全体の有り様が鏡のように写っているのが子供の世界です。この一首もそういう意味で今の日本の社会を切り取っていると思います。人の好い人間がますます生きづらくなってきた日本。そして、そういう状況に加担している己(教師)の姿。そういう視点で教育の現場、教師の姿を歌っていけば、教師の歌もまた説得力を持つのだと思います。そんなことを考えさせてくれる一首です。    (「短歌人」「かぎろひ」同人)
米  満  英  男
平和ゆえ平和の言葉なき民とまずゲンダーヌは語り始めぬ(麦風) この歌のあとに「日本名北川源太郎拒否しウィルター人ゲンダーヌとして死す」という作品がある。 この《ゲンダ》と《源太》の間をつなぐひとすじの糸、 否、荒々しく太い縄の中に充満する、そのゲンダーヌの心の中の忿怒と自恃の思いが、 まざまざと見える気がする。右の歌を、掲出する歌の底に沈めて再読するとき、「平和ゆえ平和の言葉なき民」 というフレーズの重さがずしりと読み手にこたえるばかりか、そのあとゲンダーヌが何を語り、作者自身がどう聞き、どう受け止めたかまで、はっきり感じとれる。
( 『黒曜座』 主宰)
中  野  照  子
帰り道下るは桜通りにて獣の匂いの満つる坂道 (桜伝説)
土屋文明を困らせた川添作品はどんな一首であったのだろうか。若きこの作者の新鮮な表現と純一な抒情は印象的であった。 あげた一首「獣の匂い」は、食に関わる店なども並ぶ「桜通り」か、あるいは文字通り桜が続く道であり「獣」は花見の人や雑踏の喩とも思われる。「坂道」はこの一首の風通しの役を果たしている。 歳月は人間を太らせ豊かにし、また変えもする。が、若き日に見せた資質は変わらぬはずであり、どこかに光っている。この一首、
壮年川添英一の、今を生きる力ある歌といえよう。 (『好日』 京都新聞『歌壇』 選者)
安 森 敏 隆
死ぬることずっと先だと思いしに高安国世逝きてしまえり(燃氷) 昨年(平成十一)七月十六日、 師の和田周三(繁二郎)が亡くなった。 思えば、私が昭和三十五年、大学に入った時、ふと見上げると、作家の高橋和巳と哲学者の梅原猛がいた。 また歌人の和田周三と国崎望久太郎がいた。 ともに〈先生〉として私の前にあらわれたのである。 大学二年のとき知り合った北尾勲(ヤママユ)と京都在住の歌人を尋ねようということになった。田中順二、高安国世と次々と十人ばかりたずねたものである。 もっと先だと思っていた高橋和巳が亡くなり、国崎、高安、和田と歌を残して先立たれた。 ( 『玲瓏』 同志社女子大学教授)
原  田    昇
死に向かう生も溶けゆく流氷も照らして斜陽かけらとなりぬ(夏残号)生けるものは必ず死す、形あるものは必ず滅すと、この世の約束事がある。大自然の流氷も溶けていくのだ。のぼる朝日もあれば落陽もある。そこまで思いいたれば人生もさばさばしたものなのだ。作者も大自然の中で浮世の葛藤に思いをはせたのであろう。不治の病いに苦しみながらも、運命に逆らえないと居直っている私には共感をよぶ一首である。(二千年三月逝去『黒曜座』)
魂まで透き通る造型 竹 内 邦 雄
わが心モーゼとなりぬ氷塊の果てまで陸のごとくに続く
薄氷の海一面に銀色に輝きて明るき空映りいる
新雪を踏めば大きく音のして命の一歩こだましてゆく (渡氷原)

北海にひしめく流氷の青冴ゆるとき、魂まで透き通る特殊な情念の昇華が余すなく造型されている一巻に目を見張る思いがしました。 南海に住んでいて、そういう世界の追体験の出来ることをよろこびとします。 (『林泉』 『香川歌人』 『未来』)
里  見  純  世
見る限り二本の線路光りつつ夕日の山の麓まで伸ぶ (燃流氷)外に次の歌が特に小生の心を捉えました。
・湧網線載りしゆえ我が捨てられぬ地図あり佐呂間に終日遊ぶ
・巨大な陽昇りて沈む網走を今は孤島のごとくに慕う
・死ぬることずっと先だと思いしに高安国世逝きてしまえり
・昨夜よりの雨が作りし水溜まり落ち着いて濃き紅葉を映す

どの歌も、構えずに率直に詠まれているところが良く、これこそが歌の原点だと信じます。(「新墾」「潮音」同人 網走歌人会元会長)
高  辻  郷  子
ホッチキス・裁断…腰がへらへらと崩れ落ちつつ数日終わる(夏残号) 小歌集を、狂的なエネルギーで連続刊行する、川添氏の肉体的精神的限界の歌である。多くの歌人を巻き添えにして、精神的に突っ走る、一人の男の眩し過ぎる生き方を私はしばらく凝視して来た。単なる読み手の吾々でさえ、時には息苦しさを感じる程だから、氏にとっては、まさに生命を削る行為なのではあるまいか。ホッチキスの歌が、それである。 しかし私は、かかる挑戦の気概にこそ敬意を表したい。困難な道を選択するのも、男の美学なのだから。 (網走歌人会元会長・『心の花』)
本  田  重  一
斜里岳の雪の形を見て決める種蒔き時あり土ほぐれゆく(春香号) 斜里岳は標高千六百米頂上は二峰に分かれ、 知床半島の付け根のあたりに急峻な姿を見せる。 土地の農家は朝夕眺めて暮らす事になるが、五月から六月にかけて次第に山容を鈍色に変え、山襞に残る雪渓の白さが目に付く。 丁度この頃春の播種期が終りを迎えて「別れ霜」の時が近づいたのを知るのである。 かつて網走在住の経験のある川添氏は、 我々の生活感をより深く抉り取られた。「見て決める」その背景をしっかりと押さえている処に、旅行者の視点を越えた心の働きが感じられる。 (『新墾』 『塔』 )
田 中 栄
民族の乗りて渡りし氷海が切れ目なく天の果てまで続く(渡氷原) 氷海を渡った民族というのは次の歌にある「トナカイの群れと北方民族」というから北海道の先住民族というとアイヌ。アイヌとは人間の意。「かつては北海道・樺太・千島列島に居住したが、現在は主として北海道に居住する先住民族」(広辞苑)そのアイヌ民族がトナカイを連れて千島列島へでも渡ったのだろうか。続く流氷原の先は海、ちょっと不思議な気がする。しかし歌としては砂漠を移動する民族と同じように、イメージとして迫ってくる。金田一京助の『北の人』など調べたく思っている。  『塔』選者
松  田  義  久
冬の日の白き光を着て動く生徒にドッヂボールが跳ねる(燃流氷) 毎号に標題に添ってオホーツク海の流氷が回想の形で、或いは現実に観察している形で、色々な様態で詠まれており、たまらない程の揺さぶりを掛けられる。今回も流氷の歌から一首をと思いましたが、小生も過去には教育現場での子どもの動きを詠むべく努力した時期があったことを思いつつ。この歌の中の冬の太陽の光を窓越しに受けながら生徒それぞれの動きの中に光が走っており、縦横無尽にドッヂボールが跳ね、その球を追ってひとりひとりの動きも活発に出ている処が若々しく生きている作品。
(「北方短歌」 網走歌人会会長)
前  田  道  夫
幾重にも階積み上げて流氷のごとき都会が目のあたり見ゆ(春香) 作者の流氷への想いは熱い。六号の後記にも記されているが、網走の旅では歌が溢れるほど出来たとある。 真に羨ましいかぎりである。 旅から帰って都会のビル群にも流氷を重ね合わせて見てしまう。「流氷のごとき都会」 は都会もいつか流されて消え果ててしまうのかもしれない。 そのような絶望の想いを感じ取ることが出来る。 流氷のごときではあるが流氷の持つ美しさはない。「階積み上げて」に都会の危うさを憂うる気持ちを汲み取ることが出来る。どの集を見ても佳作が多く一首に絞り込むことが難しかった。
( 『塔』 同人 )