島 田 陽 子
言い負けて少し清しき傷付ける言葉避け来し結末ならば(断片集)
言いつのり、とことんまで言ってしまえば相手を傷つけること多いこの世の中、一歩ひかえたために言い負けたけれど、気持ちはむしろ、ほっとして、少しだけ清々しい。少し(横に点)、というまだこだわりがあるのがわかる、という共感。その次に置かれた一首で作者はやはり傷ついていたことがわかる。しおしおと帰れば妻にも言い負けて一人座りぬ氷塊のごと
風 来 坊
風立ちぬいざ生きめやもすすきの穂輝きながら野を走りゆく(秋夜思) 「くちびるの怒りを胸に」して身をもって思いつめた作者は《死のやわらかさ》を絶唱。生きるものと死ぬるものの分水嶺に死の谷の影を歩み死の味の生を凝視。芒が風にひかれて白い
尾のように野を走り月の光に消える。数年前の晩秋私は曽爾高原の芒原を歩き「ひとつ山押して なびけばすすき原 枯れゆくのも力の如し」との感慨を想起した。「夭折の髪かがやかす容れ難き悦びなれば我はすさまじ」『夭折』の知性の感性の断崖の接点を渡った作者の心の面影をあらためて偲ぶことが出来た。(寺尾 勇
美学者 奈良教育大学名誉教授)
藤 本 義 一
ここまでに生きてこられたのは不思議奇跡に近いと思うことあり この気持ちは五十代に入った時にふと思ったものです。
水害(昭和九年)戦災(昭和二十年)震災(平成七年)、年々災々同じからずを振り返ると、この人生の魔術に呆然としたりします。
先日、新潮社の短歌の集りに呼ばれ、一首詠んできました。題は平成十三年の干支にちなんで《巳》つまり《蛇》でした。
脱皮する蛇眺め入る少年の
顔歪みつつ 晩き春ゆく
これは、戦災の翌年、中学二年の時の感慨です。(作 家)
三 浦 光 世
十月の終わりの雨か冷たくてやさしく細くひたひたと降る(秋夜思)
言い過ぎているようで、決して言い過ぎていない不思議な一首である。全身的に対象を凝視しているのかも知れない。しかも時間をかけて。たやすく真似のできない作と言えるのではないか。このように物事を深く感じとる姿勢に注目させられた。
兎棲みしかつての森もフジバカマ庭に咲くのみ家並み続く
この作品にもしみじみと心ひかれた。この頃、農村の過疎化が言われて、かつて家並みがあったところが、森に帰っている情景を目撃することがある。この作はその逆。そして同じく時の流れが詠い上げられている。
加 藤 多 一
夭折の髪輝かすススキ原程なく闇へ吸い込まれゆく(秋夜思) 多忙な生活のなか一瞬で存在をとらえる仕方で、 こういう個人歌誌を出している川添さんは、うまくすくい取ったときの切れ味は、目をみはるものがあります。まだお会いしたことがないのに、失礼な言い方かもしれませんが、この歌の場合、五七五、つまり「夭折の髪輝かすススキ原」のみに、その切れ味を感じます。 俳句と呼びたければそうしてもいいけど、 輝く中空の空の白さに夭折の顔々をいくつか見たのか。 いや夭折の願いのその末のかなしみを自らの体内に見たか。とにかく「夭折の髪」の切れ味につきる。
(オホーツク文学館長 児童文学作家)
中 平 ま み
キャスターの笑いの中にどうしても笑えぬ世間のよこしまが見ゆ(秋夜思) キャスターという単語が大嫌いです。そこにどうしようもないギマンを感じて…(なまじっか自分が昔そのような事をやっていたせいもあるのでしょうか。大多数の彼等には唾棄すべきものを感じてしまうのです)ニュースに味付けなんて必要ない―ともう十年以上も思い続けています。正確にシンプルに伝えてくれりゃいいのです。彼(女)らは黒子に徹すべきでしょう。
(作家)
川 口 玄
氷原がグーガーギーゴー鳴り響く神の調べのただ中にあり(秋夜思)短歌は小生には作れないのですが、読むのが大好きです。それに形而上的な詩歌は苦手なので、どうしても、情景が眼にうかぶような歌しか、心に残りません。
行ったこともない大氷原ですが、グーガーギーゴーと鳴るとは、何と怖ろしげで、感動的な風景かとしばしボーゼンとしました。 (『大阪春秋』編長)
井 上 芳 枝
ここまでに生きてこられたのは不思議奇跡に近いと思うことあり(秋夜思)忘れもしない昭和二十年六月十九日の福岡空襲を思い起こしています。 この夜、福岡女子師範学校の寄宿舎にいた私たちは、警戒警報、続いて不気味な空襲警報が鳴り響くなか、防空壕に入りましたが、近くで焼夷弾が炸裂、
広がる炎に怯えながら、急ぎ道を、畑を突っ走り、校外へ退避。 一夜ですべてを失いました。 空腹、開墾、動員、そして空襲… 必死に生き抜いた青春の暗い、切ない思いが駆け巡ります。「平和はいいもんだ
ほんとにいいもんだ 貧乏しても一杯の茶がある」しみじみと味わう今宵です。 (大蔵中学校時代恩師)
鈴 木 悠 斎
ためらいを捨てて打つべきいくつかの瞬時を海豚となりて跳ぶべし(秋夜思) 剣道というものは残念ながらやったことはありません。 漫画の『赤胴鈴之助』や剣豪小説なら大フアンでした。 昨年の『夏残号』に十二首の剣道の連作があり、大いに心ひかれました。中でも海上の海豚のように体が伸び面一本が瞬時に決まるや、息を呑む群衆のなか面を打つ少女が海豚のごとくに跳ねる
が印象的でしたが、 今回の「海豚となりて跳ぶべし」も溌剌とした少年少女剣士の姿を彷彿とさせています。 モハメド・アリならきっと「蝶となりて舞ふべし」とか「蜂のごとく刺すべし」と歌うでしょう。
(この人の書の風格には『書家』にはないものがあります。)
築 田 光 雄
煙草のけむりなぜに吸わねばならぬのか楽しめぬまま早々に去る(秋夜思) 人は日々に地球の未来を考えているのではない。世界平和を、自然保護を、考えて生きているのではない。そうではなくて、例えば「煙草のけむり」の如く、「ここまでに生きてこられたのは」の歌の如く日々を生きているのである。意味のありげな歌よりもぼくはこれらの歌が好きである。文学になり得ているか否かそんなことはどっちでもいい。前号でも書いた。おかしみの精神がなければ面白くない。「煙草のけむりなぜに吸わねばならぬのか」「なぜに」と問わねばならぬことがぼくたちにはある。そうしながら逝ってしまうのだ。呵々。 (吹田市立山田東中学校教諭。)
古 井 田 美 和 子
死ぬほうがいっそ楽だと思うほど胸ふさぎくる霧湧き続く(秋夜思)死ぬ方がいっそう楽だと思うことは誰しもあるだろう。 命の大切さを子供に語りながら、 私自身もそう思ったことは一度や二度ではない。胸の霧を微かな希望でなぐさめ、心の中で自分なりに折り合いをつけてきた。少年事件での少年の胸ふさぎくる霧は何だったのだろうと考える。霧湧き続くことのないように、子どもたちが自ら考え、判断し、自分で霧を払う力。 一人の人間として生きていく力。そんな力をつけたい。豊かな感性と素直な心が出ている生徒の感想に感動しています。 (茨木市立穂積小学校長)
小 川 輝 道
夕焼けと風と沁みいるこの街も器械と話す人ばかりいる(秋夜思) 深まる秋、街の風情に心を動かすとき、携帯電話をかけながら歩く人、夕暮れのなか立ち止まって器械に話す人々も増え、くろぐろと心なしかさみしく不気味にさえ感じることが多い。 神の国と言い、同じ人がIT革命を強調する不思議さの中で、便利とはいえ効率の波の中にどれほど巻き込まれていくのだろうか。 心に沁み入る街を想い、下の句との対比を適確に、作者は現代の哀れさを心憎く表現している。煙草のけむりなぜに吸わねばならぬのか楽しめぬまま早々に去る無神経さや曖昧さが同居する不愉快さを感じている私にはこれも真情表出し秀逸と思う。(元網走二中教諭)
井 上 冨 美 子
力抜き深々すわる秋の夜はちあきなおみの声沁みてくる(秋夜思) 『喝采』のイントロが遠くから聞こえてきて、やがてあのちあきなおみさんの何とも言えぬ味わいのある歌声が、私の耳元に届き、しばし目を閉じていました。なぜか自然とこの一首に心が動きました。表舞台からお姿を消されてから何年になるのでしょうか。私の心の中には当時のまま生きづいています。お元気なお姿を拝見したいような気持ちもありますが、マスコミであまり騒がないで、ちあきなおみさんの今の生活を、そっと静かに見守ってほしいと願っています。(元網走二中教諭)
村 上 祐 喜 子
すすき原光りて揺れる帰りにて我が髪照らし月従いて来る(秋夜思)先生の髪とすすきの穂を銀色に輝かせながら、先生を決して追い越すことなく、後ろから優しく従いて来る《お月さま》。 「お月さまが ついてくるよ。」今、高校生の娘や、中学生の息子が幼い頃、不思議がって、よく口にしていました。そんなほんわかした子育ての頃が蘇り、懐かしくなりました。
夕焼けと風と沁みいるこの街も器械と話す人ばかりいる 《お月さま》の娘も、今や携帯片手に「器械と話す」ばかり。もっと顔見合わせて生のおしゃべりしようよ。 携帯の小さな文字と音ばかり気にしていたら、心を癒してくれる「夕焼け」や「風」も感じなくなってしまうよ。もっと大らかに深呼吸して、大自然に抱かれて生きようよ!と、つい言いたくなってしまう母です。この二首に我が子の昔と今を並べてしまいました。私は流氷記の中の、情景が浮かび上がるような自然を詠まれた歌と、愛娘さんや生徒たちとの心の交流が伝わる歌に惹かれます。(西陵中保護者)
白 石 由 美
誰一人踏まぬ雪原日の沈む彼方まで行く我が一人のみ(秋夜思)夕刊の囲み記事に懐かしい名前を見つけ、同窓の案内を出し、その返事が『流氷記』でした。歌集を通じて、彼の幾年月が静かに目の前に広がるようでした。彼の雪原や氷原の歌には、孤独を通り越して自分を突き放して見つめようとする思いが伝わります。
家庭の中でも自然の中でも、歌は思いの一瞬を切り取ることができるのだと、電車の中で読みながら、感じています。 (大蔵中八幡高同期生)
佐 藤 通 雅
誉めて人高き調子に走りゆく小出監督愛満つるのみ(秋夜思)オリンピックで金メダルをとったのはいい。 ところが帰国してからのテレビをみていると、すべての画面に監督はいた。これはほぼ近親相姦だと自分は思った。 たぶん、そこまでに一体化して練習を重ね、生活を共にしてきたのだろう。うっとうしくないのか。夫婦以上にビタビタとくっついていて互いに息づまらないのか。 「走りゆく」は誰が走りゆくなのか。ふつうなら「走らする」だろう。しかし監督が「走りゆく」としたのかもしれぬ。それならパロディーだ。 「愛満つるのみ」これが本当ならブキミだ。今度のオリンピックでブキミなものをみてしまった。 (路上」編集発行者)
桑 原 正 紀
我が前に次々開く白き道ためらいもなく歩みゆくべし(秋夜思)この歌は当然、茂吉のあかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけりを意識しているだろう。 意識しつつも、てらいなく堂々と歌い上げるのが川添さんの長所だ。 いま目の前に開けてゆく道は、実景であってもいいし、また象徴的な人生の道であってもいい。 その道をためらうことなく歩いて行こうという気持ちがまっすぐに伝わってくる。そこが清やかで心地いいのである。また、この号では十月の終わりの雨か冷たくてやさしく細くひたひたと降るにも強く引かれた。気持ちが純な人なのであろう。 (『コスモス』同人)
里 見 純 世
打ち上げ花火を打ち明け花火と娘は歌う秘密めきたる大人へ向かう(秋夜思)歌の大事な要素として私は余韻というものをいつも心に置いています。冒頭の一首は読むたびに余韻が感じられます。平易な表現の中に先生のお子さんを見つめる愛情が脈打っていて惹き付けられずにいません。兎棲みしかつての森もフジバカマ庭に咲くのみ家並み続く何となく郷愁を感じる歌です。
剣道具担ぐ若者達が行く朝の難波の鈍色の街下の句の 「朝の難波の鈍色の街」が余韻を引いています。もう一首尾白鷲高く昇りてふわり飛ぶ風あり能取灯台の上「ふわり飛ぶ」が目に見えるよう。二首とも単なる叙景歌ではなく、迫るものがあります。(『新墾』『潮音』同人。網走歌人会元会長)
松 田 義 久
果てしなく続く氷塊空の青攻めぎて地平せり上がり見ゆ(秋夜思) 流氷記にふさわしい一首を選び出してみた。時期的には、流氷の歌は、私の場合、一月の始め頃から流氷鳴りの前触れみたいなオホーツク海の空の色や、 北西の寒風が肌にピリピリと感じる時点から作歌を始めるので、
新鮮味のある歌が出来上がるまで満足できないでいる。 そこへゆくと、この一首は秋の夜にさえ氷塊が、空の青が眼裏に強く焼き付いている厳冬の雰囲気を盛り上げていて私好みの作品になっていて共鳴できそうです。
網走の十一月に入ってからの海の色は鈍び色が濃くなっています。晴天の続く日が少ないからでしょうか。 (『北方短歌』同人。網走歌人会会長)
南 部 千 代
我々は壊れるようにプログラムされてるらしい子を残しつつ(秋夜思) これは確かにそうだと思います。有機、無機を問わず。生きているものは死へ、形あるものは破壊へ、その間に子孫を、代替物を、補充しながら。遺伝子の情報解析でも死ぬことはプログラムされているというし、自分だけではないことと思いながらも諦め切れない自分に弱っている昨今です。昨日、今日網走も雪がちらつき出しました。晩秋から初冬に移ろうとしています。現在だけを見て生きていますが心細い季節にかかりました。破壊から何か生まれることを願いつつ。どうぞよいお歌をお続け下さい。(網走短歌会)
葛 西 操
目つむれば海岸町より二ツ岩歩いてしばし磯の香のする(秋夜思) 立派なお歌もありましたが、私は網走に住んでおりましたので此の歌を選びました。目つむれば海岸町より二ツ岩までしばし磯の香のするような情景が目に浮かんできます。海岸町に居りましたので二ツ岩の裏まで歩ける干潮の砂につかの間足跡残るもよく分かります。どの歌も私の心に沁み入ってきます。私も夜、潮騒の音に目覚め短歌の道に入りました。
(『原始林』同人。網走歌人会)
坂 上 禎 孝
何だろう裏側に棲む我ならん目をつぶること此の頃多し(秋夜思) 歌を詠む者は、誰だって一首を完成させるには目をつぶりて思考する。若い時と違って老いゆくほど適当な語彙が浮かばない。年を重ねて歌が深まってゆくほど尚更である。掲出歌においてはそんな呑気な意味ではない。人生だって表も裏もある。物の解釈だって色々な方法がある。大方の人は、人に知られない裏側を持ち合わせて生きている。奇麗事ばかりではこの世は渡れない、等と色々考えさせられて面白い歌である。目をつぶりて物事に耽る行為は老化を防ぐ一つの方法であり、年老いて行くほど思考を深めたいものだ。(『好日』同人)
杣 庄 章 夫
捨てられて取り残されて葛の花開く荒地の広がりてゆく(秋夜思) 流氷記二十二号(秋夜思)四〇頁の第一首目 秋山の樹の下がくり逝く水の は序詞で、次の潜み流るる我が意識あり を導き出してくる。 和歌集の中にあっても遜色のない一首とみた。
四一頁の一首目「捨てられて取り残されて」の荒れ地を覆う葛。私の住む近江の甲賀郡では、この葛の茂る所は、バブル期に乱開発されて売れ残った部分に限られる。今も、この眼でこの光景をみる故に、掲出歌が私の心を揺さぶる。「潜み流るる」作者の「意識」は想像するほか無いが、
「荒れ地の広がり」を許容するものではあるまい。(『好日』同人)
新 井 瑠 美
力抜き深々すわる秋の夜はちあきなおみの歌沁みてくる(秋夜思)雑事から解放されて、一息つく作者の姿が見える。CDからか、ちあきなおみの声が胸を打ってくる。 心を唄うちあきなおみの演歌は、本当に沁みてくる。うまいのだ!気取ってクラシックなどと言われぬところに、川添氏の素直さと暖かい人間性がある。一気呵成に詠まれるのでは…と思われる毎号のおびただしいお作の中から伺われる作者像とみめぐりに、読む側もホッとしたり、教えられたりしている。
今号では《秋山の樹の下がくり》と《風たちぬ》の本歌取りはいただけなかった。 (『椎の木』同人)
田 中 栄
星雲のごとくに群れて咲く紫苑生きるは束の間輝きて伸ぶ(秋夜思)感銘のある一首。 「星雲のごとくに群れて咲く紫苑」という比喩は佐藤佐太郎にも通じる感覚があって鋭い。 心惹かれる比喩で紫色の頭状花をうまく言い得ている。 問題は「生きるは束の間」は少し出来上がった観念ではなかろうか。普通紫苑は風に耐え、台風の季節にも咲く。花期としてみれば長い方。何にしても感動のある歌である。「淋しさを猶も紫苑ののびるなり」正岡子規 (『塔』選者)
前 田 道 夫
輝きてビルの谷間を流れ行く人も車も直線で消ゆ(惜命夏)ビル街を高い所から眺めているのであろう。真っ直ぐな道であってもある距離まで進めば人も車も見えなくなることであろう。風景としては、誰でも普段目にしているところではあるが「直線で消ゆ」と捉えたところは鋭いと思う。健康であっても人は事故等で突然消え去ることもある。そのような命のこと等も考えさせる。一読、はっとさせられた作品である。土を出でて此の世に在るという不思議寝転びながら蝉時雨聞くも命、人間について考えさせられた。日輪のあまねく照らす海の上伸び上がり波数秒止まる(秋夜思)「伸び上がり波数秒止まる」に注目した。波は高波であろうか。 波の動きには一瞬たりとも止まることはないと思っていたが、 このように表現されてみると、伸び上がった瞬間、静止状態になることがあっても、不思議ではないようにも思えてくる。
数秒は稍、オーバーな感じがしないでもないが、誇張されたことで、反ってインパクトのある表現になっていると思う。 (『塔』同人)
榎 本 久 一
すすき野に生まれて風は夕方の片足垂れたブランコに吹く(秋夜思)風が命を付加されて、 生き生きと立ち上がり行動してゆく設定が良いと思った。夕方を逢魔が時と言うが、この風は魔性の誘いに乗っているのか異次元の世界が何げない日常のひとときに入り込んでいる。 片足垂れたブランコも事実としてどんな状態なのか少し把握しにくいが、 うらさびれた情感が出てもう子供達の居ない静けさをよく表現していると思った。ほかにホトトギス咲く坂道を下りしが夕べは直に闇となりゆく 耳も目も澄ませて待てばためらわず打つべき間合い一足に跳べなどに好感を持った。『塔』同人
三 谷 美 代 子
何だろう裏側に棲む我ならん目をつぶること此の頃多し(秋夜思) 詠い出しは口語体でしかも初句切れなのだが、「なに、だろう」と「二、三」の構成で、あまり強くは響かない。 裏側に何かを棲まわせている「我」を覗きこむような、自省をこめた初句切れである。初句で推量しているのだから、
三句ははっきり「我にして」と認定してもよかったのではないかと思うのだが…。上句を受けた下句の具体が利いていて、微妙な精神構造を抱えた作者像を垣間見る面白い一首と思います。
(『塔』同人)
小 石 薫
我々は壊れるようにプログラムされてるらしい子を残しつつ(秋夜思) 「プログラムされている」ではなく「らしい」としてあるところに不安感、凄みを感じます。私たちには時に予測し得ない運命が待ち受けています。気まぐれに指に潰しし蟻のごと不運も時に唐突に来る
という一首もありますが、 見えぬものの不気味さを表している前者をとりました。いつかは壊れてゆくものの「子を残しつつ」の結果に悲哀の情を感じます。(『塔』『五〇番地』同人)
鬼 頭 昭 二
二ツ岩の裏まで歩ける干潮の砂につかの間足跡残る(秋夜思)「二ツ岩」が効いている。 その名のとおり二つあるのであろう。光景が浮かんでくる。あとはそのまま受け取るだけ。余計な表現がないのがよい。川添作品は感傷に偏り過ぎと思うが、このように平明にありのままを歌うだけで作者の心の有り様が伝わってくる。(五〇番地)
唐 木 花 江
風立ちぬいざ生きめやもすすきの穂輝きながら野を走りゆく(秋夜思) 確かに瑞々しく詩的な情景だ。しかし、有名詩の一節が上三句を占領してしまった。だから追加説明になり死んでしまった。引用は「風立ちぬ」ぐらいで止めるべきではなかったか。
個人誌発行の歌人である。少なくとも一般歌人レベルでの作品はいただけない。亡き高安先生の文に「歌は褒めるばかりではいけない」とありました。秀れた旧「塔」の先輩の皆様、いかがでしょうか。(「りとむ」同人)
遠 藤 正 雄
気まぐれに指に潰しし蟻のごと不運も時に唐突に来る(秋夜思) 神様はいたずら好きであるらしい。気まぐれに指先で人間を蟻のように潰されてしまわれる。人間ではどうにもならぬ眼に見えない大きな力が働いている。人は
「運命」と言う。一寸先の事は、すべて神様しかご存じない。死は唐突に来るものであり、作者は人間の生の実体を捉えている。ただ「不運も」は「不運は」の強調語にしたい。肩書が物言い肩書が返す人間不在の会話がありぬいつかの名刺折り曲げ事件を思い出した。肩書か物を言う時代でも、世間知らずの肩書だけでは世間を渡ることは出来ないのだ。社会詠の妙。
塩 谷 い さ む
煙草のけむりなぜに吸わねばならぬのか楽しめぬまま早々に去る うまそうに煙草を吸っている人がいる。吸いたくない煙を吸わされている作者が眼に浮かぶ。煙草を吸っているのならまだ許せるが、火をつけた侭の煙草を灰皿に置いて饒舌っている輩には格別腹が立つ。肺癌なんて怖くないと言う人はそれでいいかも知れないが、吸わされる身にもなってみろと言いたい。煙草好きの人と話して居てもちっとも楽しくない。全く同感である。斯く言う私も三十年前まではヘビースモーカーであった頃を思い反省しきりである。肩書が物言い肩書が返す人間不在の会話がありぬ この歌もよく判る。『塔』同人
甲 田 一 彦
反抗やいい生意気も教えいるその標的に時にされつつ(秋夜思)中学生の教師という仕事はむつかしいものです。 彼等から反抗や生意気を消去したら、後には抜け殻が残るだけです。反抗や生意気に正面から取り組んで行こうとする作者の姿が彷彿とします。しかし、この歌の真骨頂は下句にあることは明らかです。作者の職場詠には、捨て身の教育者の姿がにじんでいることを感じ、いつも感動します。次の歌なども同じだと思いました。寂しくも一人で死んでゆく君ら皆と同じでない生き方を ここまで指導することが「生きた教育」だとつくづく感じました。 (北摂短歌会長。「塔」同人)
吉 田 健 一
気まぐれに指に潰しし蟻のごと不運も時に唐突に来る(秋夜思)私ごとで恐縮であるが、この夏、左手の人差し指をスズメバチに刺された。 それはまさに唐突な出来事であった。その体験を基に、蜂、虻、蟻などに関する短歌をいくつか作った。 そんなことがあったせいか、 《気まぐれに…》という歌は私にとって実によくわかる作品である。 作者が言うとおり、 不運というのは時として唐突に襲ってくるものなのである。そればかりか、逆に我々の方が他者に不意に不運をもたらすことがあることをこの作品は想起させてくれる。深い内容を含んだ作品である。 (『塔』同人)
平 野 文 子
ためらいを捨てて打つべき幾つかの瞬時を海豚となりて跳ぶべし(秋夜思) 一連の剣道の歌の中に並ぶ一首。歌ばかりか、剣道にも優れた作者の面目躍如たるものがあります。日本古来より伝わる剣道に、幾多の武術者が真剣に錬磨、習練したその技量、技術には或る面に於いて、禅の悟道にも似た境地に通ずるものがあるのを感じます。読み返すほどに此の歌は更に広く社会生活を送る人々への示唆ともなり、進むべき道に伴う者への良きアドバイスともとれるのです。常に優柔不断、迷いばかりが連続の私など、下句、「海豚となりて跳ぶべし」は正に魅力的な発言で出来れば私も海豚のように跳んでみたい気持ちです。
(北摂短歌会。『かぐのみ』)
小 川 輝 道
手術のあと逆に励ます母といて一つの雲の渡りゆく見ゆ(漂泡記) 手術は時に死に至る過程でもある。 不安や悲しみに、逆に「心配するな」と言ったり、「お前こそもっと身体を大切に」と母なればこそ励まそうとしてくれた。
母の思いを素直に受け止める作者の目に映る一片の雲の動きは、心に沁み、さみしさも深い。「渡りゆく見ゆ」は広やかな語調で秀逸であり、いくつもの挽歌の秀作と重ね合わせ風格を感じた。幼き我背負いてくれし母の背のこんなに小さくなりて座りぬ老境深まる母への悲しみをうたい、下の句に余情溢れる。我の手を強く握りて死に就きし伯母ありき昔なれど忘れずの三首にひかれた。 パチンコ屋ばかり豪華に人間が同じ方見て並んで座る(新緑号) この時代の風俗を巧みに捉えている、 と愉快になった。どの街にもパチンコ店は、娯楽の殿堂めかして最大級の照明で飾ってある。「〜ばかり豪華に」と率直に、しかも言い得て妙である。そして集まる人間が「同じ方見て並んで」座っている当然の姿をその通り表現し、実にユーモアに溢れていると思う。当世風俗をこのように表現できる観察眼に感心させられた。流氷と海の境に群るる鳥生競うがに声高く鳴く 雄大な北海の静寂と群れ鳴く海鳥を捉え、北の氷海の原風景を見詰める作品である。鬼頭さんの「生を競いて」に教えられた。背中まで凍れる夜かオリオンの弓絞りつつ我が前に立つ(凍雲号) いただいた歌集を読み、 書き出しておいた印象作品を惜しいので二つあげる。 北の空に輝くオリオン座の景観をうたう。自然の大きさと清澄さ、弓絞りつつに見られる緊張感もよい。青年時代、上野の西洋近代美術館で見たブルーデルの弓をひく勇者の彫像と重なった。ライオンのごときグランドピアノにて躍動しつつ弾く指の見ゆ グランドピアノをあらわす比喩の大きさ、ピアノ弾く人の練達の指の動きに驚嘆している人の、臨場感を的確に捉えている目と無駄のない表現が心に残った。 (元網走二中教諭)
南 部 千 代
接着剤剥がすごとくに眠りより現つに一歩立つまで長し(惜命夏) 一読して全く同感です。脳味噌も臓器も外しゆったりと半日せめて眠っていたい この歌思わず笑ってしまいましたが、これだけの短期間のミニ歌集作り、どれ程精力的に消耗していることかと案じてもおります。私は御歌を読むだけで疲れます。これからも楽しみにしておりますので、無理をなさらずに御続け下さいませ。網走は秋たけなわ、緑肥用の向日葵も黄からしも真っ盛りです。そしてやがてまた流氷の季が巡ってくる事でしょう。御身大切に。
(網走短歌会)
塩 谷 い さ む
神在りしこの国仏キリストも混じりて迷いのただ中にいる(渡氷) うん、うんその通りそのとおりだと頷いている。神の国日本に入り込んで来た仏教そして長い弾圧にも堪えて浸透したキリスト教、特に二千年問題の昨年から今年にかけては本来の日本は一体何所へ行って終ったのかと思われた事が多々あった。悲しい出来事と共にかつては神国日本と言われた時代を思い出す。「二人とも自分の言いたいことだけをまくし立てつつ黙らせようとす」これも納得の出来る現代風刺のよく効いた歌である。字余りのついでに「黙らせようとする」と「る」を入れたい処だが。 にこにこと何考えて生きてんの?そんな顔してたい春の日は(新) 一年のうちでほんとうにこんな日があってもいいと思うし「国民の休日」にでもしたい歌。誇張や粉飾をした歌ばかり読んでいて、こんな歌に出会うと芯からホッとする。『新緑号』に相応しく新鮮で、何回も読み返していて心から楽しくなった。長行軍の中での小休止である。遠い昔、「急いた精兵ェさん三日前に死んだ、急かん精兵ェさん金拾ろた」という歌を思い出している。月天心墓すみずみまで照らしいて生者も死者もおおかた眠る も好きな歌である。「そんな顔してたい春の日は」を「そんな顔していたい春の日」としたい。 (『塔』 同人)
甲 田 一 彦
星雲のごとくに群れて咲く紫苑生きるは束の間輝きて伸ぶ(秋夜思)「星雲のごとく」「群れて咲く」と実にうまい適確な写生の後に、「生きるは束の間」と転じる力量に引きこまれる気がします。 言葉のうまさ以上に、真実に迫る気魄を感じます。 さらに第五句「輝きて伸ぶ」は写実であり心であり、まさに「結句」という言葉がピタリあてはまる見事な歌と思いました。 作者の暮らしているあたりの風物から、これだけの作品を引き出す力量を絶賛します。一首後の「撫子のかすかにかすかに揺れる秋の風彼岸此岸を突き抜けて吹く」なども同じです。 (北摂短歌会会長。『塔』同人)
神 野 茂 樹
我々は壊れるようにプログラムされてるらしい子を残しつつ(秋夜思)平均寿命の半分以上の年はとおに過ぎ、あと三十年ぐらいの命かな―と漠然と思い、馬齢を重ねていくのかな―と思い、いつ壊れるにせよ、ボケたくはないな―と思い、 思い、思っても仕方がないかケセラセラ。子は勝手に生きるから、いつまでも親が生きていてはいけない。だからそうプログラムされている。中途半端に壊れたら子も困る。潔く壊れたいな―。 (『大阪春秋』編集委員)
若 田 奈 緒 子
生前は惨ざんだったと啄木を想えばしばし安らぎている(秋夜思) 明治時代の代表的歌人であった石川啄木の歌からは量り知れない「悲しみ」があふれ出ている。でも、その歌からは人生に苦悩しながらも一所懸命に生きてゆこうとした姿が表れている。
私もそんな啄木の歌に魅せられたうちの一人で、短歌に込められた意味の重みや深みの素晴らしさに気づいたのも、それらの歌からだった。生きていくことの悲しさ、つらさを味わった者にしか詠むことのでないあの歌は、時代は変わっても、時には、私達に、勇気や前を向いて歩いてゆく強さを与えてくれると思う。
(西陵中三年生)
中 村 佳 奈 恵
誉めて人高き調子に走りゆく小出監督愛満つるのみ(秋夜思) この歌はシドニーオリンピックの女子マラソンで日本人初の金メダルを獲得した高橋尚子選手と小出監督を詠ったものである。 あの感動の42.195 のドラマは、高橋選手をいつも見守り、励まし続けた小出監督と、
それに精一杯応えて頑張った高橋選手との素晴らしい成果に外ならないと思う。 そのすべてのことが先生のこの歌に凝縮されて表現してあって凄いなと思った。
テレビで小出監督を見たことがあるが、怖いとか厳しいとかいう感じではなくて、本当に高橋選手のことを理解し、成長を温かく見つめている様子が感じられた。爽やかで簡潔な表現の中に人間の持つとても温かい気持ちが感じられる歌だと思う。
(西陵中三年生)
高 田 暢 子
一瞬にして事故起こる一瞬にドラマのごとく人転びゆく(秋夜思)先月何げなく車に乗っていると、どこかで聞いたドラマのような「キュー・ドン」という音がしました。初めて一が一瞬にして死ぬ恐怖を感じました。この時私は、ドラマというものは日頃テレビで人が故意に作っていてそれが現実のものとは別で実際にはありえない事と思っていたけど、その音を聞くとすぐに事故とわかって、同時に恐怖まで与えてしまうテレビの影響の大きさを感じました。
内 田 恭 子
我のみの歩む道あり氷原の果てへ一筋足跡続く(秋夜思) 真っ白な雪原を独りで… という歌なのに、ちっとも寂しげな感じがしない。むしろ堂々としていて潔さがあると思う。氷原の果てへ歩む事に、迷いがなかったからか。
そしてそれは、一筋だけ続く足跡が示しているのだろう。素敵で、羨ましい歩み方だと思った。(西陵中三年生)
小 西 玲 子
波よ跳べ砕けて海に還るまで夕日は光あまねく照らす(秋夜思)この歌を読んだ時、とても心が熱くなりました。夜になる前の少し荒い激しい波と、空にはオレンジ色の夕日。そしてどこまでも続いている地平線。とても自然の大きさを感じました。自然が私に与えてくれる力はすごいものです。いろんな事を考えさせてくれます。空や海は地球上でずっとつながっていて、夕日は地球上で一つだけです。今日もまたみんなが同じ空や同じ夕日を眺めて生きています。私は、この歌はとても広々としていて、大切なことがたくさんつまっていると思いました。 (西陵中三年生)
三 部 訓 子
耳も目も澄ませて待てばためらわず打つべき間合い一足に跳べ(秋夜思)私は、先生の作った歌の中では、やはり剣道の歌が好きです。でも私は、先生の歌のようにはできませんでした。 今思えば、気持ちが弱かったんだと思います。私が今まで経験してきた、つらかったこと、悔しかったこと、これら全てに気持ちで負けていたんだと思います。だからこの歌を見た時、試合にも何でもためらっていた私ですが、これからはゆっくりでもいいから、逃げないで「ためらわず」二年間とちょっと鍛えてきた面を打つような気持ちでいきたいと思います。 (西陵中三年生 剣道部元部長)
麓 綾 実
力抜き基本のままに打てばよい剣道審査は禅のごとしも(秋夜思) 私は、剣道の審査のとき、いつも先生に言われていた言葉があった。「基本のことをしっかりやれ!」でした。 私は、この一首を読んだとき、その言葉が思い出されてきました。今は部活を引退してしまい、剣道は全然やってないけど、
此のような歌を読むと、剣道をやりたくなってきました。 (西陵中三年生 剣道部)
今はもうやらなくなった剣道をなつかしいよと思い出語る
思い出をいっぱいもらいありがとう感謝を込めて防具を返す
先生に一度も言わず引退し今感謝して言うありがとう
小 野 二 奈
肩書が物言い肩書が返す人間不在の会話がありぬ(秋夜思)今、会社などで使われている名刺には肩書が書かれている。 そこに人間の嫌な癖が出ていると思います。その肩書を見て、その人の価値を決めてしまうなんて、私は許したくないです。その人の考えや人生をすべてその一行で表すことなど不可能だと思います。私達は、自分の考えや意志を表す文章を書いたり、話すのが苦手だと思う。だからこれからの社会では肩書なんかではない自分自身を堂々と表し、活躍できる場所がもっとできればいいと思う。誰もがお互いの意見や考えを分かり合えたらいいと思う。
(西陵中三年生)
大 谷 紗 千
すすき野に生まれて風は夕方の片足垂れたブランコに吹く(秋夜思)この歌の情景は、いろいろと想像することができます。ここは公園で、目の前にブランコがあって、あっちにはすすきの野原が見えているんじゃないだろうか、なんてことも考えたりします。きれいだとか、でも最後はさみしく聞こえるなぁとか考えました。(三年生)
田 中 久 美 子
缶ジュースペットボトルと地下資源飲んでは捨てるため作られる(秋夜思)普段、道を歩いていると、空き缶やペットボトル、お菓子のゴミなどを見かけることが珍しくありません。ところで、プレゼントをもらうとき、いつも奇麗に紙で包んでもらいますが、「包む」ということは日本人にとって心を込めるということで大切なことだ、 と以前に学んだことがあります。 プレゼントを包むように物を使った後はその後のリサイクルなどを真剣に考えていかねばならないと思います。この歌を読んで、こんなことを今まで以上に考えさせられました。 (西陵中三年生)
土 谷 沙 恵
ポストまで深夜歩けばコオロギの少し切なき風の音を聴く(惜命夏)昔はコオロギなどの秋の虫も多くいたのに近頃ではほんの数匹が一生懸命に自分たちをアピールしているようで少し寂しい気がします。 『少し切なき風』という所がコオロギの切なさと深夜の静けさとを感じることが出来、いいなと思いました。この歌には小さな虫にも大きな生命があり、一生懸命に生きているという小さなことを気づかせてくれたと思いました。これからは時々、外に耳を傾けてこの小さな歌を聞いてみようと思います。
きっと美しいひとときとなるでしょう。 (西陵中三年生)
古 藤 香 緒 里
和やかに話しかけ来る生徒増え卒業まであと二十日となりぬ(断片集) この一首を読んだとき、三年生というのを実感しました。卒業のことを考えると、すごく寂しくなります。 だから、卒業までにやりたいことを全部やって、いっぱい思い出を作りたいです。 「三年間頑張ったな」と思えるような、悔いの残らない卒業を迎えられるようにがんばります。民族という曖昧なもの背負いオリンピックの競技たけなわ(秋夜思今年のオリンピックは感動がいっぱいでした。特に、日本代表のサッカーは涙が出てしまうほどだった。三十二年ぶりのメダルを賭けて一生懸命戦う彼らの姿は、 多くの人に感動と勇気を与えたことだろう。 国の代表ということで頑張ってくれた各国の選手達。私は、多くの選手から大切なことをたくさん学びました。 (西陵中三年生)
川 野 伊 輝
最小の原子の中に大宇宙みえて心はするすると入る(惜命夏)この歌を読んで、ふと、昔考えていたことを思い出しました。今現在「宇宙の果て」は発見されていません。 また、「あらゆる物より小さい世界」もまた未開拓の地なのです。 物が在る限り、大小の世界は果てしなく存在します。と、考えると宇宙≒最小の原子(世界)となるのではないでしょうか。だから、最小の原子の中に大宇宙が見えても違和感はなく、心はするすると引かれていくのではないでしょうか。僕の心はきっとその中にするすると連れて行かれると思います。 (西陵中三年生)
藤 岡 め ぐ み
ひたすらに歩む人らの背中見ゆやがて彼方へ消えてなくなる(秋夜思) 学校でぼーっとしていてふと目に映った足早に廊下を歩いていく友達の背中を、見えなくなるまで見ていることがあります。友達でも家庭でもその人がどこか遠くへ行ってしまうような気がしてたまりません。いつか独りぼっちになってしまいそうな不安でいっぱいになります。それは、もうすぐみんな別々の道を歩くことに対する不安にも似ていました。そんなさみしさ、不安、別れ、悲しみを感じさせると同時に「しっかりしなきゃ」とも思わせる一首でした。
福 島 悠 子
打ち上げ花火を打ち明け花火と娘は歌う秘密めきたる大人へ向かう(秋夜思)この歌を読んだ時、ふと自分の幼かった頃を思い出しました。 よくは覚えていないけど、 お母さんのことをお母たんと言ってみたりしていました。幼い頃の言葉遣いはしっかりとしたことが言えないけど、少しずつ大人に近づくにつれて、言葉や考え方がしっかりとしていくということを、
この歌でつくづく実感しました。 (西陵中三年生)
白 石 愛
アボリジニー流るる誇りフリーマン最新衣装まといて走る(秋夜思) 政治的な重圧を背負って金メダルをとったフリーマンは、 大きな勇気を持った人です。彼女は、ウイニングランで、アボリジニーと豪州の旗とを持って走り、アボリジニーの存在を世界中に認識させたからです。また、先住民族アボリジニーの脈々と流れる血に誇りを持ち、大地・人間・太陽を表す、赤・黒・黄で彩られた新しいデザインの靴を履いて、堂々と走り抜きました。私はフリーマンのように、日本の国を心から誇らしく思うことができるのだろうかと、ふと、考えてしまいました。
(西陵中三年生)
山 口 真 実
人一人死んだからとて何一つ変わるなく今今があるのみ(惜命夏) この一首を見て、何か怖いけど、そうかもしれないなと思いました。 何一つ変わることもなく、 がすごく印象的です。 誰かが死んで親しい人は悲しんでくれると思う。
けど、 時間が経てば忘れられるのかな、と思うと、何か自分って、相手にとってどういう存在なんだろうと改めて思いました。 (西陵中三年生)
中 曽 裕 介
犯罪を考え作る小説を真似て現つの人殺される(惜命夏) この歌を読んでふと思い出した映画がある。「コピー・キャット」というこの映画に登場する犯人は歴代の殺人鬼を真似て人を次々と殺していく。 彼は殺人鬼達についての出版物などで情報をつかんだのだろう。僕は戦慄を覚えた。このようにマスコミからの情報がさらなる惨劇を生み出すとは…。犯人が悪いのではなく、現代の情報化社会のひずみが悪いと、僕は昨今のニュースを見ていて考えている。今の少年は少々の非行ならいいと思っているが、二十一世紀、その考えがエスカレートしているかもしれない。
(西陵中三年生)
高 谷 真 奈
これという心もなくて過ぎてゆく曼珠沙華はや枯れて花なし(秋夜思)私もこの歌のようにはなりたくないなと思いました。何も目標もなくただ生きているだけなんて耐えられないと思います。 それが気づけずにただ時間が流れていまうことが多く、 とても時間を無駄にしていることが分かりました。 どんなことでもいいから一つでも目標を見つけてそれに向かっていけたら、きれいな花でももっと輝けるし、私もそんなふうになりたいと思いました。(西陵中三年生)
小 野 健 太 郎
飛行機で飛ぶたび気づく日常のなべては雲の下の出来事(渡氷原) この歌を読んで、ふと「我に返る」ということを考えました。例えばテスト三日前、今まで時間を大切にせずにだらだらと過ごしてきたことに後悔して「我に返」ります。いろんな事を、この歌のように視点を変えて考えてみること、
ふと我に返って考えてみることの大切さに気づきました。 (西陵中三年生)
高 島 香 織
退屈な市民に媚びてマスコミは殺人事件起こるのが好き(燃流氷) 私がこの一首を読んで感じたのは「絶望感」である。私自身に、そして、私の周囲の人々に。 私が口でどんなにむごいとか、哀れだといっていても、所詮は他人事なのだ。
他人事だから、私たちにとっての殺人事件は「退屈しのぎ」の「殺人事件」にしてしまう。 毎日のように流れるマスコミの報道。それを当たり前のように聴く他人。そんなことではいけないなと感じさせる一首でした。(佐倉西志津中三年)
北 川 貴 嗣
救急車かすめて過ぎぬ血の色にしばしサイレン余韻を残し(惜命夏)救急車のサイレンの音はほぼ毎日耳にすると思います。 もうみんな耳慣れしてしまったのでしょうか。 でも、深く考えてみると、怖いものです。これだけ救急車が走り回っているのですから、それだけ病気・事故にあった人が多いということになります。ということは、 その中で残念ながら命を取り留めることができなかった人もいるのです。 あっちこっちを飛び回りながら…次は自分の所にやって来るかもしれません。けたたましいサイレンの音と共に…
野 村 充 子
雷の後雲覆う空にして黄の夕焼けのまぶしさあわれ(秋夜思)「黄の夕焼け」 という部分を目にした時すさまじい雷や雷鳴が覆って来ていたのがわかりました。 《雷の去った後》という空はじっくりとまだ見たことがあまりないので機縁があったらこの歌とともに見上げ、歌い上げたいです。この年になりても寝相悪きこと感謝すいまだ健康にいる(夏残号)なんだかこの歌を読んでいると、私のためにあるような歌だなあと思いました。私も先生と同じで、この年になっても寝相が悪いのですが、この歌のように「感謝すいまだ健康にいる」なんて、思ってもみませんでした。
私はいつまでも寝相が悪いままであってほしいです。でも、ちょっと恥ずかしいけど…この歌はありがたい歌だと私は思いました。(西陵中二年生)
宮 脇 彩
雪解けの冷たき水を飲みて咲く桜花びら星のごと降る(断片集)この号を読んでいて、ふと目に留まった一首だ。この一首を読んだ途端、その情景がありありと浮かんできた。 その情景は、正しく『自然の美』と呼ぶに相応しいものだった。この辺りでは、そのような美しい風景になど到底出会えるものではないが、想像するには難くなかった。今でもその情景を想像すると、私の心は「雪解けの冷たき水」で清らかに洗われているようだ。 (西陵中二年生)
阪 本 麻 子
ここまでに生きてこられたのは不思議奇跡に近いと思うことあり(秋夜思)この歌をみて不思議な気持ちになった。私は何の疑問もなく、ただ当たり前に十四年間生きてきたが、 確かに今、ここに生きていることは奇跡なのかもしれない。
一日の内に数え切れない生命が生まれ、消えていく中、 偶然に偶然が重なり、私は生きている。 私の祖先にあたるサルが、魚が、プランクトンがたった一体だけでもいなければ、私はここに存在していないのだろう。それとも私でない別のヒト(もしかしてヒトじゃないかもしれない)として生まれてきたのだろうか。生まれてからも、毎日毎日何千人も人が死んでいく地球で今までよく生きてこられたと思う。
あっけらかんと「ああ、今日も晴れかぁ」なんて言っている場合ではない。すごいことなんだ。今生きていることは。「生きている」ことを改めて考えさせられた一首でした。
(西陵中二年生)
中 澤 梓
気を抜けばホッチキスの針歪みいるかくして深夜の作業を進む(惜命夏)『流氷記』の仕上げのホッチキスを留めているところでしょうか。一つ一つ、我が子のように愛情を込めて、一つ一つ新たな『流氷記』が産声をあげて読者のもとへ行く。今まで川添先生が作ってきた一冊一冊が、
世界でたった一つしかないものと思わせる一首です。 (西陵中二年生)
大 橋 佐 和 子
我が前に次々開く白き道ためらいもなく歩みゆくべし(秋夜思) この歌を読んで、《自分の進むべき道》を想像した。 私は、人生というのは長い道なのではと思う。自分の目の前にある道を、真っすぐ前を見て進んで行く。時には、自分で道を作って歩く。長い一生のうち、立ち止まることも、後戻りしてしまうことも、どの道を進むべきか迷うこともきっとあると思う。迷っても、立ち止まってもいいと思う。
自分を信じて、ゆっくりでも、目をそらさずに真っすぐ前を見て、進んで行けばいい。 いろいろな事があって、それでも私は歩いていこうと思う。 (横浜市立荏田南中二年生)
松 川 実 矢
蛍光灯見て目をつむれば紫の輪がイトミミズのようにうごめく(秋夜思)この一首を見た時、一瞬 「何か体験したことあるような、ないような」と考えてしまった。 そして、自分も蛍光灯を見てやってみれば、先生がイトミミズって書くから少し気持ち悪くなったけど、これはけっこうみんな体験してるんじゃないかと思う。
先生の一首一首は身近にあるからいつも楽しいのが一つは絶対ある。 これも楽しい一首でした。 (西陵中一年生)
金 指 な つ み
さなぎより出てくる蝶の羽根のごと手足を伸ばし娘は眠りおり(断片集)さなぎから出てくる蝶の羽根と寝ている娘さんとを重ね合わせていて、とっても面白い歌だと思います。この歌からは娘さんの無邪気さが伝わってきます。私も昔こんな時がありました。眠くて眠くてしょうがない時、居間で寝てしまったことが…。さなぎからやっと解放された蝶の羽根と娘さんはどことなく似ているようなそんな感じがこの歌から感じられます。
(西陵中一年生)
古 田 土 麗
ひたすらに歩む人らの背中見ゆやがて彼方へ消えてなくなる(秋夜思) ドラマとかで、こういう場面がたまにある。私はそのとき思うことがあります。 『後ろ向け、後ろ向け』と毎回思います。そして向かない時は、 心の中で『どうして向かないんだよぉ』と思います。 時間は後戻りできないのですね。 ただ彼方へ消えてなくなるばかりで…その中に自分の背中があったりして… この一首からこんな思いが映像とともに浮かんできたのでした。 (西陵中一年生)
山 口 藍
雀、鳩、烏、犬、猫…人間の間にまに町に声溢れゆく(漂泡記) 私の日常生活にも色んな生き物の声が溢れている。 この歌を読んで、「自然」という言葉が頭に浮かびました。生き物たちは、自然であるからこそ、町や村、公園など、色んな所に溢れているんじゃないかと思った。 私は、生きること、自然の大切さ、そして毎日が笑顔や声で溢れゆくことが、とても大切だと感じました。 (西陵中一年生)
隅 田 未 緒
グラウンド小さな地球傾けて走れば青い空まで動く(秋夜思) 宇宙に比べたら地球は小さい。でも私たちにとって地球は大きい。生き物すべて一緒になったら地球は小っちゃいと思う。 その小さな地球でも傾けば私たちだって空だって動くんだと思いました。
そう考えたら《みんな同じ》ということにすごく感動し嬉しくなりました。そして、私はこの一首がとても好きになりました。 これから辛いことがあれば、
この一首を思い出せば元気になれそうだなと思います。 (西陵中一年生)
宮 本 浩 平
稽古積み重ねてもなお勝ち負けにこだわり基本を外す者あり(秋夜思) 実際僕もこういうことになったり、見たりしてきたけど、いくら基本を積み重ねても勝ち負けにこだわると、 それすら忘れてしまう。「勝ち負け」というのは、人の行動までも変えてしまう不思議なものなんだなと思った。
人は誰でもどこかに「勝ちたい」と思う心があるんだと思う。 勝ち負けがないと競い合うこともなくなってしまうような気がする。「基本を外すものあり」は一つの「勝ち負けのあらわれ」であって、同時に人間の性のような気がする。(一年剣道部)
蓮 本 彩 香
ここまでに生きてこられたのは不思議奇跡に近いと思うことあり(秋夜思) 人は誰でもいつ死ぬか分からないし、生まれてすぐ死ぬ人もふれば、すごく長生きする人もいる。時々、その人達の違いは何だろうと思うことがあります。でも、どんな人にも自分だけの人生があるのは同じだと思います。たった一度の私の人生だから、後悔だけはしないように、一生懸命生きていきたいです。(西陵中一年生)
小 山 香 織
寂しくも一人で死んでゆく君ら皆と同じでない生き方を(秋夜思) 私は死なないと思っていてもいつかは天国行き。 そう思うと怖くて怖くて仕方がない。やっぱり命が尽きてしまうまでには、一つも悔いの残らないことをしておきたい。人は違う、自分で納得のいく人生を送りたい。
今は友達や親兄弟がいるけど、 最後は一人になってしまう。自分自身悔いの残らない人生を送りたい。 けど、みんなにもそんなふうに送ってもらいたい。
そこで、はじめて「とても楽しく幸せな人生だった」と思えるだろう。川添先生も家族を大切にして、最高の人生を送りましょう。 (西陵中一年生)
二 瓶 加 奈 子
悪い人ならば死んでもいいのかとテレビを見つつ思うことあり(漂泡記)テレビでは毎日人が当たり前のように死んでいきます。ドラマでは悪い人は殺されても当然のようなシーンが多くあり私もそれで本当にいいのかなと思うことがあります。 その人の家族のことや仕事のことなどいろいろあるのに省略されてかわいそうです。 (西陵中一年生)
井 戸 木 里 佳
採点に心狂わせ虫の音も聞かず眠りの中に入りゆく(秋夜思) 先生は、しょっちゅうテストの採点などをしなければならないし、他にも仕事がたくさんあって大変だと思います。この歌を読んで、先生が虫の音も聞かずに眠ってしまうほど大変なんだということを改めて感じました。くっきりと心のまなこ開けて見るすすき野風に氷原となる
氷原は地球の始め思わせて果てまで白い大陸続くこの二つの歌を読んで、きれいな情景が浮かんできました。「心のまなこ」がよかったなと思いました。 (西陵中一年生)
古 河 綾
ここまでに生きてこられたのは不思議奇跡に近いと思うことあり(秋夜思)なぜこの一首を選んだのか分かりません。でも本当にここまで生きてこれたのは奇跡だと思います。この世の中、人を殺せるものがたくさん溢れだしているのに生きているということが不思議です。
私は骨折とか何もしたことがないのでそれはすごい奇跡なんだなと思いました。 (西陵中一年生)
青 田 有 貴
缶ジュースペットボトルと地下資源飲んでは捨てるため作られる(秋夜思) タバコやゴミを平気で捨てる人に対して思うことがあります。他の人達にまで迷惑をかけ、その上地球まで汚しているのに何も感じないのかということです。 地下資源も数に限りがあるのに、粗末な扱いばかりしていたら何だってすぐになくなってしまう。一番世話になっている地球に、人間は恩を仇で返すようなことをしているなと思いました。「使い終わったらすぐ捨てる」ということがいつも頭にあるけれど、ゴミ箱に入れる前にも今一度何かに使えないかと考えてみようと思いました。 (西陵中一年生)
蘇 鉄 本 昴
犯人の異常な性格伝えいる口調ありあり目を輝かす(秋夜思)ニュースなどをよく見ていると、 犯人の異常な性格をこれでもかこれでもかと伝えている人は、 その罪を本当に悪いことと思っているのかというくらいに興奮して自分に酔っているように思えることがある。 そんなニュースを釘付けになって見ている僕も同じで心の目を輝かして聞いている。 他人のことだからこんなふうに考えてしまう人間の面白さと怖さをこの歌で感じることができた。(西陵中一年生)
若 田 奈 緒 子
ミツバチとテントウ虫見ゆノイバラの中忙しき短き命(麦風号) ミツバチって言われてみれば、いつも忙しそうに、花の周りとかを飛び回っている気がする。テントウ虫なんか、体はあんなに小さいのに、ちゃんと模様もあってすごいと思う。地球や宇宙の事を考えると、人の一生はとても短くはかないけれど、虫はもっとはかない。 そんな短い一生の中で、誰に教えられたわけでもないのに、空を飛んで、忙しいほど働いて…この歌を読んで、いつもはキライな虫も、少し偉く思うことができました。(西陵中三年生)
小 野 二 奈
スピードに乗ってしまえば後戻り出来ぬ哀しき仕組みがありぬ(惜命夏)悪いこと良いこと両方とも気が付くとなかなかやめられません。例えば、二時間と決めて買い物に出掛けたものの、五時間があっという間に過ぎてしまい、帰ってからと決めていたスケジュールがすべて狂ってしまうこともよくあります。しかし、一方、美術などのポスターや作品は一度いい案が思いつくとその作業を終えるまでやめられません。きっとこれは、誰もがなることで、いいことだと思います。スピードに乗ってどんどんひらめいてくるからです。スピードに乗る時にはちゃんとけじめをつけないとといつも思います。脳味噌も臓器も外しゆったりと半日せめて眠っていたい(漂泡記) 先生がなぜこの歌を作ったのか分かるような気がしました。「先生」という職業はやりがいのある仕事で子供と分かりあえれば楽しい仕事だと思います。でも一方、なかなか認め合えないという生徒もいると思います。全てを分かり合うことはむずかしいけれど、その人の一面を理解することは可能だと私は信じてみたいです。先生の「疲れた心」を少しでも回復させてくれるような生徒が少しでもいるから頑張れると思います。
私もそんな生徒のうちの一人になれるように少しずつ努力していきたいです。 宝石もブランドもなく千円の時計と仲良く過ごす我あり(惜命夏) 高い値段でブランドだと何もかもがいいという考えの人は今の世の中多いと思う。ブランドづくしの生活をしている人を時々見ると、少し気がひいてしまう。私は、ブランドを全て悪いとは思いません。それは、丈夫で長持ちするもの、一番自分が気に入ったものだったらその価値があるからです。安い時計で気に入っていて、長持ちするなら、自分にとってのすばらしいブランドになると思う。だから、ブランドは売る前ではなく、買って使っているうちに決まると私は思います。 たてがみのように針葉樹の並ぶ雪山見つつ人暮らしゆく(渡氷原) この歌から、自然の美しさと、その中で共に生活する人の苦しさが想像されました。 私はずっと、この茨木に住んでいて、本当の自然を実感したことはありません。 この前、テレビで「これから先も残しておきたい大阪の風景」という番組がありました。 その時、木がすごくきれいでびっくりしました。 絵では表現できない「緑」でした。 こんな風景が「大阪にもあるんだなぁ」と本当に感心しました。自然と共に生活するのは大変だけど、私は緑の木、青い海、誰にも表現できない風景が好きです。 (西陵中三年生)
小 西 玲 子
人のあら捜しばかりに浮かれいる哀れな自分に気づくことあり(断片集)この歌を読んで私は、自分にこういう所はないかと考えました。 人の欠点を捜して、 その人の良い点を捜せなくなってしまうのはとても悲しいことだと思います。
私は、 友達の良いところを一人一人言うことができます。 人には欠点はあります。 私にもあると思います。 でも必ず良い点もあると思います。 私は、
自分の良いところも友達の良いところも考えられる気持ちを大切にしたいと思っています。 (西陵中三年生)
古 藤 香 緒 里
我が授業聞きつつ窓の外ばかり見ている生徒我のごとしも(漂泡記)私は、空が大好きです。ぼぉーっとするのも大好きです。だから、この歌を読んだとき、素直に共感できました。 授業中、分からなくなったり集中できなくなった時は、
必ずといっていいほど外を見ます。空を眺めながらぼぉーっとするのが好きだからです。しかし今年は受験生、外を見る時間は減らさないといけません。 若者の無気力すらも呑み込んで骨なく肥大してゆく社会(惜命夏)私にとって今の社会はあまり好ましいものではありません。今の社会は人間の心や気持ちを大切にしているのでしょうか?私は大切にされていないと思います。もし、人間の心や気持ちが大切にされていたら…人間の中身が豊かだったら…若者もきっと無気力にならなかったと思う。今、社会に対して無関心な人もいる。
ずっとこのままだったら…すごく怖いです。(西陵中三年生)
福 島 悠 子
ここまでに生きてこられたのは不思議奇跡に近いと思うことあり(秋夜思) この歌を読んだとき私は周りの人々のお陰でここまで生きてこれたのだと実感しました。なぜかというと、誰もいなかったら何かあった時に助けてもらえないし、やっぱり一人で生活するということは大変だと思ったからです。だから私は今までお世話になった人達やこれからお世話になる人達が困っていたりした時は、私がその人達の手助けをしようと思いました。 (西陵中三年生)
白 石 愛
気が付けばもう曼珠沙華立ち枯れて彼岸の遠く秋深みゆく(秋夜思)忙しい日々に追われながら、ふと気づくと、道端にきりっと立って咲いていた曼珠沙華が、あっと言う間に立ち枯れてしまって、秋の深まりを感じます。そんな光景が何だかちょっぴり寂しく、またちょっぴり物悲しい感傷的な気分を誘ってくれました。
私達三年生も、受験勉強で忙しい日々を過ごしていますが、本当にもう少しで入試、卒業という日が迫って来ています。時が経つのは速いものです。 渋滞の車を束ね越してゆくバイクの悪の快感にいる(秋夜思) 実によく目にする光景です。「悪の快感」という表現が、滑稽で大変面白く、気に入りました。 渋滞の車の間を悠々と、また颯爽と擦り抜けて行く気持良さが的確に表現されていると思うからです。「悪いな」と思いつつも、その快感に浸る気持ちに共感を覚えました。
にこにこと何考えて生きてんの?そんな顔してたい春の日は (新緑号)私はこの歌を読んで、とても共感できました。暖かい春の日は、何も余計なことも考えずに、 ただ思うがままに楽しく過ごしてみたいものです。この目まぐるしく速く時が過ぎていく世の中、そこで生きている人々、
私達に、嫌なことも、辛いことも、忘れさせて、本当の温かい心の休日を与えてくれる歌、 何だか「ほっ」とする歌のように思われます。 (西陵中三年生)
北 川 貴 嗣
生きているうちに抱くべし触るべし死ねば冷たく堅き物体(惜命夏)思わずうなずいてしまったこの歌。 その通りだとおもいます。
生きている時に接すれば温かみがあります。 でも、 死んでしまったら……何も感じることのできない、ただの物体に化してしまいます。「冷たく堅き物体」から淋しさが伝わってきました。 てきぱきと何を処理して改札機我が許されて扉が開く(新緑号)
此の歌を読んで、人間の技術は進歩したなぁと思いました。つい最近まで間近にあった改札口の判子押しの駅員の姿が、 遠い昔のことのように思われます。「我が許されて扉が開く」に、とてもユーモラスな印象を受けました。 しかし、きちんと切符を買ったのに「我が許されない場合」は厄介です。果てしなく澄む青空に雲の群れ白く輝き凍りつつ行く (凍雲号) この歌を読んだとき、ぼくはあの大雪の日のことを思い出しました。暖冬、暖冬といいながらも、結局派手に降ってくれたあの大雪です。あの日の朝の雲は、この歌と同様、凍りついたみたいでした。外気をピーンと張り詰めていました。そこを「雲が凍りついている」と発想したところはさすが先生と思いました。
(西陵中二年生)
野 村 充 子
我が前に次々開く白き道ためらいもなく歩みゆくべし(秋夜思)私はこの自然の歌が大好きです。 何か見た目はパッとしないかもしれないけど、素朴な味が出ていていい。自分の前にはまだ開かれていない白い道。 ためらわず地を踏みしめて歩んで行きたい。この歌は私の中の何かと結び付き、新たに決意を強めるものとなった。一蹴りで敵を沈めしアンディ・フグ死のマットより起きることなし(惜命夏) 私はK1のルールとかは何も分からないけどTVごしに時々見かける強くてかっこいい、アンディが大好きだったのに……あまりにも突然だったアンディの死に、私はショックでした。この歌はアンディの最後をしめくくるのに最高の歌だと思いました。リング上でのアンディは一番輝いて見え、今もなお私の心の中で、この歌とともに輝き続けています。土となり肥やしとなりて安らかに蟋蟀の死が転がっている (金木犀) 私は最初この歌を読んで、背筋が凍りました。 興味引かれたのは「死が転がっている」という所です。 きっと蟋蟀のことだから、三、四匹で鳴いていたのだろう。
その死がたくさん転がって、たぶん雨に打たれしてるうちに元の土へと返っていったということ。蟋蟀は果たして安らかに帰れたのでしょうか…。一人くらい違う意見もあっていい言えば忽ち生きづらくなる(燃流氷)その通り!本当この歌通りの今の世の中…。意見、それは一人一人が持つ自分の意志。私は人の目を気にして生きていくのはイヤである。とは言いつつも実際気になるものである。人間である以外消しても消えないもの。だが、自分の意志を持ち、それを発揮するのは己自身…。生きてるうちに幾つの意志を発揮できるか、楽しみだ。地に沈むように寝床に背骨置く一日の重さがずしりと響く(金木犀)私は、一日の重さが地球に吸収され、次々と新しい一日を迎えるのだと思う。また、日々の重さが骨の髄まで達したとき人は燃え尽きるのだろう。私にとってこの歌は人生を重く感じさせるものとなった。そしてまた新しい日々が始まろうとしているのだ。傷つけぬ言葉を選びするうちに声の勢いだけで負けゆく(金木犀) この一首には私も思い当たる時が時々あります。 相手は傷つくまいと思って言った一言が、相手を傷つけてしまったり、この歌のように、相手を傷つけない言葉を選んでいるうちにポンポンと逆に言われている時の自分が、妙に情けなくなるときがあるのです。一体どうしたらよいのでしょうか?教材に工夫重ねる努力など上司の目には最も遠し(漂泡記) 先生の苦労がしみ出た歌でした。でも、私は思うのですが、『工夫重ねる努力』は決して無駄ではないと思います。上司の目には届かない努力でも、その教材を使う生徒達には、先生の重ねられた努力がきっと届くと私は同時に思いました。 この歌は仕事上の先生の思いが素直に出ている気がしました。 小手面胴次の瞬間空いているそこへ素早く竹刀を飛ばせ(夏残号)剣道のことについてはよく知りませんが、この歌は武術を生かし剣道には欠かせない《素早さ》を伝えてくれる歌だと思いました。 何というか「空いているそこへ素早く」というところが、だらけていた私にカツを入れてくれました。さすが剣道部顧問の先生が作った歌ですねぇ。気合が入ります。剣道部のみなさんに是非お薦めしたい一首です。(西陵中二年生)
山 口 藍
にこにこと何考えて生きてんの?そんな顔してたい春の日は (新緑号)この短歌のページを開けたとき……ふと目がこの一首にいきました。それは、最初の「にこにこと」という所に魅かれたんです。そして、この歌を何度も読み返していくと、私の日常生活の中でも、この歌のようなことを思う時があるなぁと思うようになりました。私はたまに、友達や家族などと接していて、「にこにこと何考えてんの?」と思う時があります。それに、私だってそう思われてる時もあると思うし、自分でも思う時がある…。だから私は、この一首を選びました。(西陵中一年生)
古 田 土 麗
缶ジュースペットボトルと地下資源飲んでは捨てるため作られる(秋夜思) 確かに缶ジュース、 ペットボトルも飲んだら捨てられる。アルミ缶とペットボトルはリサイクルできるけど、スチール缶などは出来ない。コップ数杯分の液体を飲むだけなのに、何ともったいない、とんでもないことを、人はしているんだろうか。 ここまでに生きてこられたのは不思議奇跡に近いと思うことあり(秋夜思) 生きたいと思っても死んでしまう人がいます。 私も今までに高い熱を出したり事故に遭いそうになったりして、 不思議に今ここに生きています。 不思議というより奇跡に近いのかもしれません。
生きていることをそれだけ大切にして生きていこうと思います。
小 山 香 織
グラウンド小さな地球傾けて走れば青い空まで動く(秋夜思) この一首を読んで「私もこの地球に住む一人なんだ」と思った。走れば走るほど青い空は続いていく。動けば動くほど太陽と月はついて来る。前々から何でついて来るのか不思議に思っていたなぁー。地球の先端部分まで行くと落ちてしまうのか、それとも向こう側に廻ってしまうのかと思った。酸素があり、森林があり、生き物が住んでいるこの《地球》があって良かったと思う。その地球に住んでいる私は、すごく嬉しくなった。地球は第二の母親という感じがした。 渋滞の車を束ね越してゆくバイクの悪の快感にいる(秋夜思) 名神や国道、 私は車の中でずっとラジオを聴きながら動くのを待っているのに、横を一瞬にして追い越して行くバイク。あれを見たとき、 とっても腹が立ってしまう。
車は縮まらないのかと思うが縮まってはくれない。 何十分とじりじりと待たされる私の気持ちはバイクに乗ってる人には分からないと思う。 (西陵中一年生)
隅 田 未 緒
パンツ丸出しで昼寝をする娘この無邪気さにしみじみといる(惜命夏) この前公園で、 スカートをはいた女の子がブランコに乗っていた。パンツが見えているのに平気で気持ち良さそうに乗っていた。私は《かわいい》と思った。自分をアピールしているのでなく、パンツが見えることより遊びに夢中になっている無邪気さがかわいいと思った。だんだん大きくなるとそんな無邪気なところがなくなってしまう。本当のかわいさって、小さい頃のようにありのままの自分の時だと思う。先生の娘さんも暑いからパンツ丸出しで寝たんだなぁってかわいさが伝わってきます。
(西陵中一年生)
若 田 奈 緒 子
アボリジニー流るる誇りフリーマン最新衣装まといて走る(秋夜思)シドニーオリンピック最後の聖火ランナー、フリーマンが聖火を掲げ走った姿は立派だった。あの姿を見て、オーストラリアの原住民、アボリジニーの人々はさまざまな想いを抱いただろうと思う。かつて迫害され閉鎖的な生活を強いられたアボリジニーの人々。だが、フリーマンの誇りに満ちた走りには、たとえ現代的な衣装をまとっていても、アボリジニー本来の自由な生き方が表れていた。彼女はまさにシドニーオリンピックの聖火ランナーにふさわしい人物だと思った。そして、彼女が聖火台に炎を灯した時の感動をこの歌ははっきりと思い出させてくれた。 (西陵中三年生)
大 谷 紗 千
ためらいを捨てて打つべき幾つかの瞬時を海豚となりて跳ぶべし(秋夜思)この一首を読んで、私はますますイルカが好きになりました。 それは、海面を何のためらいもなく、ザブーンザブーンと気持ち良さそうに跳び撥ねているイルカがとても勇ましく見えるからです。私もそんなイルカのように、ためらいを捨てていろんなことにチャレンジしていきたいです。 (西陵中三年生)
川 野 伊 輝
ポストまで深夜歩けばコオロギの少し切なき風の音聞く(惜命夏) この歌を聞いて曾婆ちゃんの家に帰った時のことを思い出しました。 思い出した瞬間、目の前が涙でぼやけました。最近涙もろくて、悲しくもないのに、胸が熱くなって涙が出ました。 「切なき」という言葉。それを見てまた涙が出てきました。悲しくないのに涙が出るのは気持ちいいです。 この歌のおかげで何か熱いものを手に入れました。それと同時に故郷に帰りたくなりました。 今度、北浦(故郷)に帰って、夜の道をコオロギの泣き声を聞きつつ、自分も涙を流して歩いてみたいと思います。 (西陵中三年生)
内 田 恭 子
かくまでに尖りし心も少しずつ金木犀の香にほぐれゆく(金木犀)友人に、香水とかポプリとか香りモノが極端に苦手な人がいる。その友人がつい先日「この匂いなら平気」と言って指差したのが金木犀だった。「何でこの花だけ?」と言いかけて、この歌がパッと浮かんだ。人に媚を売っているような人工的な話ではない、素朴で優しい金木犀の香りに、
彼女もホッと一息つけたんじゃないだろうかと思った。 着飾るモノが多いなか、素で勝負している金木犀が、何だか羨ましく感じた。 波よ跳べ砕けて海に還るまで夕日は光あまねく照らす(秋夜思) 波が砕けて零となり、零は光を受け還る。先生の歌には本当にその光景を見ているような錯覚を覚える。この短歌を目にした時も、キラキラした海原、そんな眺めが脳裡に浮かんだ。束の間、けれど燦然と輝いて、一瞬にして砕け還っていく。そんな波の短く、幾らでもある営みも、何だか壮絶に思わされた。
(西陵中三年生)
高 田 暢 子
曇より青空少し見えてきて楽しく心変わりゆくらし(凍雲号) この歌をよんですぐに真っ青な空が、 頭の中に浮かんできました。やっぱり空っていうのは心を表すのと同じで、空がくもってたり、雨が降っているとなんとなく心まで沈んでしまうけど、
真っ青に空が晴れてると、小学校の頃の運動会や遠足を思い出せたりします。 だからこの歌での、心の動きなどはすごく良くわかるし、歌にも共感できたと思います。
(西陵中三年