篠    弘
流氷が今日は離岸れて彷徨うと聞きて心も虚ろとなりぬ(小秋思) 氷海の動きを、じつに執拗に、かつ多彩に詠んでこられました。目撃したことのないわたしには羨しいモチーフです。 大きな自然を前にして、 己れの小さな存在をいやおうなしに体感することでしょう。この一首は、みずからの内的葛藤と微妙に結びついています。 離岸していく流氷を知ったことで、動揺し、かつ緊張感が失せていく、そうした心理を抉り出しています。 やはり短歌は、生身で生きる人間のありか、それが見据えられていく必要があります。こうした作風を大事にして下さい。これも個人誌の成果でしょう。 (『コスモス』編集委員。毎日歌壇選者。)

茨 木 和 生
氷塊は一部屋ほどの大きさにぎっしり岸に積まれて並ぶ(二ツ岩) 一昨日の『高浜虚子記念文学館全国俳句大会』で私が特選にとったのは《一抱へほどある波の花もとぶ》という作品だった。「一抱へほど」という把握に、これを得るまでの見つめている努力の時間にうたれての選だった。 抽出した流氷塊の歌は、もっと大きく「一部屋ほどの大きさ」と把握されていて圧倒された。短歌もやはり即物具象の詠出が強い存在感を読み手に与えてくれると思って感動した。 (俳人。 『運河』 主宰)

藤 本 義 一
一つだけ取り残された氷塊が浅瀬に骸のごとく横たう(二ツ岩)
川添さん、全体に暗くなってきましたね。小休止してもいいのではないですか。剥製とか蝋人形のイメージで自然に対してはいけないと思います。といって、なにも無理に健康を誇示することはないと思います。
ただ、中学生諸君の感じ方を引き出しただけで絶賛に値します。といって、家族との会話が死んでしまっては、純化はないのと同じではないかと思います。
句や歌は、いや、散文全体の姿は、本来もっと自然の融和と自己の相関にあったと思います。  (作 家)

三 浦 光 世
異国語のごとくに妻の怒り聞くうなずきながら謝りながら(二ツ岩)
今月の流氷を詠まれた作品は、一段と力がこもっていて、正に圧巻と感じた。 それだけに、その中から一首を選ぶのはむずかしく右の一首を挙げてみた。先ず、「異国語のごとく」が巧みな比喩である。 そして下句の畳みかけた表現がまた見事な心理描写となっている。このような人間関係の作品に、特有なあたたかさも感じさせられる。現代社会をを批判した底曳きが海の資源を取り尽しロシアより買う蟹が売られるの一首にも注目した。犯人という肩書で死んでゆく無実の人あり過去も未来もの「未来も」は鋭い。 (『綾子へ』 近著)

島 田 陽 子
ただ一つ汚き大きな氷塊が気高くしばし夕日を浴びる(二ツ岩)
この歌と共に「底曳きが海の資源を取り尽しロシアより買う蟹が売られる」や「排水口群れつつやがて死に至る鳥あり甘き毒も流れる」他など、虚と実の差を見据えてうたわれたものに、今号心をひかれました。流氷はテレビで見るしかないので、やはりさまざまな夢をかきたてられますが、 夕日を浴びて気高く輝く面ばかりを追ってはならないことを教えてもらいました。 人の世の現実から流氷のまちも逃れられないことも。中学生が「こんなにも眠りが気持ちいいのなら死も又いいものなのかもしれぬ」(水の器)に共感しているのは驚きです。 (詩人。詩誌『叢生』『ぎんなん』発行)

も り ・ け ん
通夜のあと人は集いてがやがやと寿司動物の死をつつき合う(二ツ岩) 私自身、この世紀になって八日目に母を亡くしました。だからこの歌に目がいったのでしょうか。いやいや、母のときもこのように感じましたがいつも思うことです。死は終わりではなく、途中のこと――という仏教の教えからするとこの感覚はむしろ普通のことなのかも知れませんね。生物はいつか死を迎え、その次の世へと旅立っていきますが、いつもこの世との接点を持っている――私は今も母と会っています。前よりももっと密に会えるようになったのです。死後すぐにパリ雲上で確かに母は私に話しかけましたから……。 (詩人)

中 島 和 子
冷蔵庫うなりつつ空飛んでいる家族三人眠りただ中(水の器) 一首を選ぶことがこれほど大変で、これほど楽しい作業だということを初めて体験しました。この一首は私の空想癖を刺激し、一瞬にして童話ができてしまいました。題は『空飛ぶ冷蔵庫』―そのまんまですね。『冷蔵庫の冒険』―平凡です。やっぱりこの一首に勝てそうもありませんから、書
くのはやめた方がよさそうです。 詩人。童話作家。『ぎんなん』同人。

菊 地 慶 一
氷塊の上にしばらく座りいる我がため流氷原も輝く(二ツ岩) 流氷の渚を歩くというと、 寒気と凍風に身が縮むのを想像されるだろうが、そんなことはないのだ。 なぜ、氷塊の寄せる渚がほっとするほど平穏なのか。作者は自然の内懐に入り込み、思わず座り込む。視野一面の氷原の部分が突然に白い炎を上げる。光はゆっくりと位置を変えていく。これを雲氷現象と呼ぶ。雲の動きにあわせて氷原のスクリーンを日差しが移動する。 たった一人の観客のために氷原が展開する神秘の演出。網走の二ツ岩、藻琴、北浜海岸などの渚を歩くことによってのみ流氷の世界に没入できる。(流氷観察者。 作 家)

加 藤 多 一
イセの部分アイ子の部分持ちながら流氷残る網走にいる(二ツ岩) 今号はあえて短歌作品の表現法としてはナマの傷をもつ一首を選んだ。 すなわち、 私がひとりの表現者 (児童文学・エッセイ)として、いつも悩んでいる問題がひそんでいるからです。 すなわち、わかりやすさ (普遍性・共通性) と表白衝動 (自己のために書く。わかってもらおうとする妥協はイヤだ。自己の生の衝動こそ重要)との 「攻めぎあい」 の典型がここにある。 私は 「イセ」 を理解できるが、「アイ子」 は何のことやら。この表白衝動の未成熟を愛す。ああ。 (オホーツク文学館長。児童文学者。)

清 水   敦
格安で暖かそうなジャケットを妻は文句をいいながら着る(水の器) 「ホントにもう、 また太っちゃって」なんて…。 ささいな日常のはしはしにあるこの《贅沢で不当な文句》、 実は現代人の心の底に無意識に、恒常的に堆積しているのではないか。省時間機器を作れば作るほど忙しくなっていく。 欲しいものを欲しいだけ求めると欲しくない状態になるというパラドックス。 人間的である。 (版画家。『わたしの流氷』同人)

寺 尾   勇
流氷が無言の叫び寄せて来る地平の真白を見ている岬(二ツ岩)流氷の蠱惑に憑かれた作者。 自らの人生に隠れたり顕れたりする混沌(カオス)を悠久な歌声としロゴスに結晶し咄々と囁く。ある時は「流氷の上に横たわる我が骸」として。ある時は「自らのいのちを往く水の水泡の如く夢幻に過ぎぬ」と思い定め。流氷の先の岬を真白と見る死への凝視。流氷への懸想への絶晶。虚無への水漲る世捨人の魔笛。風哭き骨の蕊まで究極の静寂と孤独。それでありながらどこかに 「世の中を捨て得ぬ心地して都離れぬ我が身なりけり」の透明なきざしのすかしみられる。最後の砦が輝く「我が裡の彼岸此岸を突き抜けて流氷群がそこに来ている」いのちの絶壁に立つ作者の美しい魂。 (奈良教育大学名誉教授。美学者。)

近 藤 英 男
流氷の上に横たう我が骸ひたすら独り烏がつつく(二ツ岩) 流氷の歌、他にも心打たれる数首がみられるが、年輪としていただいたのがこの歌。前号では、偶然寺尾教授の選ばれた山下画伯の歌。あなたから戴いた歌集《夭折》再読して感無量。二十一歳の歌境は只々驚くのみ、書も独自であるが、短歌革命の前登志夫さんもおどろかれる新風にして枯淡。 ニューコスモロジーは《流氷記》として結晶。《夭折》の天と地と噛み合ううねる光たつ没日に海よいざなうなかれ の歌が、いま流氷記巻頭の湧き出でてくる歌綴る手帳だけ持ちて流氷来る海へ行く と氷結。 歌集《夭折》が《流氷記》と変身した。 (奈良教育大学名誉教授。体育学)

深 尾 道 典
地上より離れられない列車にて告ぐる鳳駅名哀し(二ツ岩) 川添英一さんは、実に放胆に歌を詠みますが、北海道へ向かう旅の途上のこの歌も、一首だけ切り出してみると、その特徴がもっとはっきりしてくるような気がしてきます。 背後には、鳳晶子、つまり与謝野晶子のイメージも揺曳していて――。川添さんの歌は、磁石が北を指すように北を目指し続けていますが、 それとともに「網走へ戻ると思えど大阪の空も古里なのかもしれぬ」と詠んでいます。改めて日々の暮らしを見つめ、 新たな展開を見せはじめることになるのではないかと思っております。(シナリオ作家・映画監督)

宍 戸 恭 一
生き物の人こそ不思議奇妙にて地球に引っ掻き傷のみ作る(水の器)
人間は体質を変えなければどうしようもないところに来ている。山崎方代が「東洋に三好十郎がある石臼の目盛りを刻みゆく」と詠んだ三好十郎に惚れ込み半世紀たって、彼が最後に言った「悪人を求む」という言葉の意味が現実味を帯びてきた。三好十郎がこつこつと生涯をかけて追及してきたこと―あらゆるイデオロギーを拒否せよという訴えに、いま、私たちは直面している。政治であれ宗教であれ、すべてのイデオロギーは時の支配者がおのれに都合よくあみ出した産物であるのに、何の疑いもなく、盲目的に信奉してきた結果、物質の豊かさの幻影に目がくらみ、どんどん地球に引っ掻き傷をつけてきたのだ。人が人を支配する社会が存続する限り、かかるイデオロギーを拒否する人こそ、支配者にとっては最も手強い悪人である。物質生活と精神生活のバランスをつねに考えながら、群れを嫌い、ひっこみ勝ちな人こそ、真の悪人に価する人で、それは既成の、自立した人や自我人という呼称も、西脇順三郎が戦後追及してきた「幻影の人」も含めた人間のことであり、私たちは自らにメスを入れ、このような体質を持つようにしたいと思っている。(京都『三月書房』店主。三好十郎研究者)

中 平 ま み
箱の中運ばれやがて棺の中入るべく人は何急ぎゆく(二ツ岩) 一日一生。一期一会…と思って毎日を生きています。しかしブライトブライト(明るく明るく)ばかりはゆきません。「生きている間はそんなこと考える必要ない」という人もいますが私は「死を思ってこそ生も輝く」という方に与します。 私の残りの生は、愛する犬たちを扱い助け倖せにする事を第一にするつもり。(作 家)

川 口 玄
異国語のごとくに妻の怒り聞くうなずきながら謝りながら(二ツ岩)
決して美しく格調の高いうたではないかも知れないが、 情景が眼にうかぶような、それでいて詩的な雰囲気が感じられる、と私は思う。夫婦間の深刻な諍いではないことは、うなずき謝る夫の姿勢でよくわかるし、 内容は異国語でしゃべっているように聞いても理解していない、ユーモラスで一寸横着な男の姿。まるで私のようだ。 (『大阪春秋』編集長)

神 野 茂 樹
湧き出でてくる歌綴る手帳だけ持ちて流氷来る海へ行く(二ツ岩)川添さんは一首を選べというが、これはなかなかシンドイことであります。まず一通り目を通す。しかしてもう一度読み通して○をつけて行く。今回は六首に、△が一首。 歌詠みでもなく無論俳句もしない野郎がどこに基準をおいて印をつけるか。 最早カンでしかない。冒頭の一首を選んだのは、よくまあこんなカッコええこととカンジたからであります。《死》にまつわる歌は、印をつけようとしてためらってしまうカンジでした。 (『大阪春秋』編集委員)

佐 藤 昌 明
残された氷塊一つと帽子岩並んで午後の薄ら日を浴ぶ(二ツ岩) 今年三月、昔なら考えられない冬期の突貫工事を経て、網走中央小学校に勤める次男が、 帽子岩の見える向陽ケ丘の東突端に住居を新築しました。大学へ入ってから学問の深奥に気づき、ロクな仕送りもないまま苦労して大学院まで行って夢中で勉強してきた息子ですが、管理職コースには全く関心なし。それというのも『学歴』も『学』もない非力な父親が辛苦する校長姿を見て育ったからではないかと疑わしく、 何となく無念、惜しくもあるのですが、しかしまあ現代、それもアリかな、その方が今風の幸せ感を腹一杯味わえるのかな……とふっ切って賛意を表している次第。彼の新居の二階から見下ろす帽子岩と漂う流氷片、そして遠く雪の知床連山の遠望は表現しようもないくらい見事。この歌を読ませていただいた瞬間、帽子岩周辺のよく見る光景が、まるでカーナビの鮮明な液晶画面を間近に見るようにパッと目に浮かんだのでした。それにしても、 『並んで午後の薄ら日を浴ぶ』……川添さんの頭の中には、どうしてこんな見事な形象表現の言の葉が即座に浮かぶのか……我が息子の心情を理解し難い以上に、不思議でたまらないのです。 (『北に生きて』著者。網走在)

新 井 瑠 美
新大阪出でてまぶしき淀川の川面に光の粒はじけおり(二ツ岩)
淀川の鉄橋を渡る車窓から見られた一首か。初句からの、丁寧な叙述に安定感がある。 面白みということには程遠い作かも知れないが、《光の粒はじけおり》の結句に、作者の細やかな観察眼が働き、心の躍動感も感じられる。 無理な言い廻しのない所が好感度を持つ所以。 《電車より束の間見えて安治川のどってり重き水横たわる》は、状態をよく表している。ものをよく見ることの必然を感じ、一首に仕上げる力量が歌の善し悪しを決めているようだ。『椎の木』

黒 崎 由 紀 子
横たわる水の袋か寝返りを打つたび心移動してゆく(水の器) ビニール袋に水を入れて口を縛り、 タプンタプンと転がして遊んだことがある。 それは、しっとりと丸味があり、生き物のような不思議な感触を手のひらに残した。 この一首を見て、ああ人間も、あの時の水の袋なんだと思った。やわやわとしてあどけなく、どんな色や形にもひったりと添いながらも驚くほど凶暴な魔物。 そんな水を抱えているから、人はタプンタプンと寝返りを打ちながらも、生きて行くしかないのかも知れない。 秋風に揺れる胸の水たまりこぼさぬようにまっすぐ歩く 由紀子 (『長風』同人)

高 田 禎 三
真上より黒く落ち来て真っ白に光を返し雪しきり降る(二ツ岩)雪の降る中で上を見上げると、なぜか黒いものが上から次々に落ちてくるあの不思議な体験を思い出し、「そうなんだ…こんな思いになったことがあるなあ…」と共感しました。 もう一首、あるある、同じような体験が…と思ったのが、「新大阪出でてまぶしき淀川の川面に光の粒はじけおり」の歌です。夕方、車窓から何げなく外を見ていたら淀川の鉄橋を渡るとき、 川面がキラキラと輝くのを見て、その時に乗り合わせたことに幸せ感を感じ、元気が出たことを思い出しました。(高槻市立第十中学校長。元高槻七中教諭)

小 川 輝 道
生臭き匂いをつけて低く飛ぶ汚れたカモメに睨まれて過ぐ(二ツ岩)
海に棲み餌を求めて獰猛に飛び回るカモメの生態を活写していると思う。「生臭き匂い」「汚れた」という語は他に替え難い海のギャングを描ききった。 私も狙いを定めて飛来するカモメを間近に見て恐ろしさを感じたものだ。それほど悪逆でないわれわれは、むしろ睨まれて不安な思いで通り過ぎてゆく。「海辺の生きものの写生」に徹した傑作である。 「天や地に死者は還りて夕方はますます赤く日が沈みゆく」死者を送る人を包む静寂と深い自然を感じる作品である。作者は「ますます赤く沈む」太陽に身をさらしている。その感動に共感する。 (元網走二中教諭)

井 上 冨 美 子
海岸町出でて向かいは二ツ岩見えてこれから我が道歩く(二ツ岩)立ち止まらず歩いてゆこう二ツ岩一つの岩となる所まで  海霧の向こうにかすかに二ツ岩見えて優しき心となりぬ
一首目、川添先生の追い求められているものは… おそらく数え切れないほど、この道を往来して、自分の人生について熟考されたのでしょう。その思いが強く伝わってきます。 二首目、この人生立ち止まっては何も光明が見いだせない。とりあえず突き進むだけ。やがて何かが見えてくるような感じがする。そんな気持ちをこの歌に託されているように思われました。 三首目、 赤児が無心で母親に抱かれるように、二ツ岩の深い懐に優しく抱かれ、心癒されやがて次なる活力を与えられ、 再び歩き始める川添先生の姿が見えてくるようです。 (元網走二中教諭)

匂 坂 京 子
人一人死んだからとて何一つ変わるなく今今があるのみ(惜命夏) 祖母や、友人との永遠の別れは悲しかったが、この歌のような思いが、あったことを記憶している。が、家族を失った今回は全てが変わってしまった。二度と家族が、揃うことはない。この間まで、病む姿しか思い出せなかったが、少しずつ元気だった頃の主人が戻ってきた。医者に何と告げられようと、奇跡が起きると最後まで、強く信じていた。だれしも、親や身近な人が死ぬことなど、思いも依らぬことである。毎日を共にしてきた者が、倒れるということは、自分の罪を問わずにはいられない。 (西陵中保護者)

澤 田 佳 代 子
川と海と間の濃さにて我が裡をくまなく巡り水流れゆく(水の器)魚のサケは、海より川の方が安全なので川の中で産卵する。だが、川は安全な一方、エネルギーを多量に要するため、大きくなれない。それで海に下っていって大きく成長し、その後、産卵のために川に戻り、子孫を残す目的を達成する。 そしてそのまま、親ザケは川で果ててしまう。私は、サケが何故、最終的には死んでしまう運命のために必死に川を上るのか、ずっと疑問であったが、金沢大学の小池浩司助教授によると、サケに組み込まれた遺伝子によって、産卵の時期になると、海水では生きられないホルモンが分泌され、強制的に真水の川を求めてサケが上っていくらしいのである。 人間にも、同じようにそのような遺伝子が組み込まれ、つい百年ほど前は、受胎能力を終える頃、ほとんどの女性は、その生命を終え、平均寿命は五十歳ほどであった。だが、現代、平均寿命が飛躍的に延び、人類未曾有の更年期というものを迎え、 更には、その後も二、三十年先まで生き続けねばならない。遺伝子に逆らって、私達はどこへ行こうとしているのか… 今、私は正(まさ)しく不安な出発(たびだち)の一歩をすでに踏み出してしまっている。 (『わたしの流氷』同人)

千 葉 朋 代
異国語のごとくに妻の怒り聞くうなずきながら謝りながら(二ツ岩) 妻の怒りは、夫の耳にこのように聞こえているのかと、がっかりしたり、ほっとしたり…。怒りながら訴える内容は、本気半分、勢い半分。全て真面目に受け取られては、困るのです。 この程度で聞いてくれた方が、後で妻も楽なのだろうと思います。 仲良き夫婦は、このことが分かっているのでしょう。私はこの歌に、妻への静かな愛情を見るのです。 (『わたしの流氷』同人)

山 川 順 子
網走へ戻ると思えど大阪の空も古里なのかもしれぬ(二ツ岩) 今回は網走へ行った時詠んだ歌が多い中で、さあ、これから熱い想いの網走へ、待ちに待った流氷へ会いに行くその時に、ふとつぶやきにも似たような、自然に出ただろうこの一首に、目がとまりました。これは、作者の隠された本心ではないかと思いました。 (『わたしの流氷』同人)

半 澤  守
網走の三十七度の夏と聞くストーブ焚いた夏もあるのに(惜命夏) 網走は昨年の七月三十一日、 九十五年ぶりという猛暑に襲われました。母は九十四歳の高齢で老衰でした。この暑さに容態は急変し八月四日夫の待つ黄泉の国へと旅立ちました。 荒屋にはエアコン設備など無く扇風機だけが涼を呼ぶものでした。 細く痩せた媼には暑さがいかに苦しいものだったことか、冷夏の時には強い母でしたが暑さに弱い母でもあったのです。この一首に昨年の夏を思い出したのです。
母逝きし荼毘の煙は唐松の梢つつみて蝉しぐれ降る 守 (『浜ぼうふう』『わたしの流氷』同人)

里 見 純 世
ゆっくりとためらいにつつ走りいて飛行機一気に離陸してゆく
機首上にして飛行機は一気に昇る天まで上る
直ぐ下に海がぺったり単調な波の模様をきらめかせ見ゆ
雲の上飛んでいるのかいないのか明るく青く空も輝く
光浴ぶ空と雲あり飛行機は雪の大地にやがて降りゆく (二ツ岩)

飛行機の離陸と着陸の歌。 明るく爽やかで臨場感があります。
率直で無技巧な手法が限りない魅力をそそり、 好きな歌として採らせていただきました。 (『新墾』『潮音』同人。網走歌人会元会長)

松 田 義 久
立ち止まらず歩いてゆこう二ツ岩一つの岩となる所まで(二ツ岩) 全体にテンポの速い感じの歌の中から、ややテンポを緩めた、しかも第二十五号の主題らしきものの充実感を表出している一首を私の少年時から中学時代に市街地から徒歩で結構約一里にも相当する二ツ岩までの風景や、全面に見える春夏秋冬における生活ぶりをも蘇らせるものの一端を見せてくれた作であるように迫ってくるものがあった。 街側から見ると二つの岩がぽつんと仕切られているが、岩の裏手へ廻ると一つの岩が悠然と展げられているし、表側より裏側の方に生活のつてになるものが多かったことを今も思い出している。なお、「わが心走りてゆかな帽子岩目がけて夕日バラ色に照る」「一つだけ取り残された氷塊が浅瀬に骸のごとく横たう」などもいい。 (『北方短歌』同人。網走歌人会会長)

田 中   栄
海霧の向こうにかすかに二ツ岩見えて優しき心となりぬ(二ツ岩) 私は網走の「二ツ岩」を知らない。 多分二見ノ浦の夫婦岩のように二つ並んでいるのであろう。 海霧の向こうに「二ツ岩」が見えるというのは何か和ましい。下句の心理も素直で追体験できる。おとなしい歌だが、的確に歌われている。同時の作として「立ち止まらず歩いてゆこう二ツ岩一つの岩となるところまで」も面白い歌であるが、少し理知的で掲出歌の方につよく引かれる。(『塔』選者)

前 田 道 夫
氷原は見渡す限り一枚の氷となりて目交いにあり(二ツ岩) 久しぶりに網走を訪ね、 流氷に接した川添さんの感慨がひしひしと伝わってくる本号。 さまざまな流氷あるいは氷原の姿が捉えられ描かれている。感銘を受けた作品は数多く、一首を選ぶことに随分と迷った。この一首、広い氷原が見渡す限り一枚の氷であるとは凄い光景であり、神秘的なものさえ感じられる。余分なものを一切削ぎ落とした表現はすっきりしていて、 究極の美しさも感じ取ることが出来る。 (『塔』同人)

榎 本 久 一
臍曲がりひねくれ我を温かく見守りくれし生徒達あり(二ツ岩)この一首に気負いもなくただ作者の心情が自然に出されていると思われる。 「私の選ぶ一首」中学生編のいつからの愛読者だろうか。 これらの短文と歌の関連がいつも素晴らしいと思っている。 ペアで読むことによって、どれ程歌が輝いて再認識されるか。とうてい私のごときの及ぶものでない。脱帽するばかりである。「暗き濃き海に群がる鳥たちの叫びの中に我が立ちつくす」にもひかれた。 (『塔』同人)

鬼 頭 昭 二
雪の道止まれば静寂がいっせいに我が両耳に飛び込んで来る(二ツ岩) 意識していなくても我々は何らかの音に取り囲まれて存在している。 真の無音の状況に置かれると、 むしろ聴覚を強く意識することになる。 そこから自分自身の存在が大きくクローズアップされてくるのである。 自分の身内に理屈を越えて迫ってくるものを受けとめるしかない。 (『五〇番地』同人)

遠 藤 正 雄
金網に黒ポリ袋入れられて地吹雪すさび身を寄せている(二ツ岩) ゴミと言えども、重宝にされた過去があった。商品としての役割も果たしてきた。が、不用となれば邪魔にされ捨てられてゆく。「金網」「黒ポリ袋」「地吹雪」とたたみかけてくるこの歌を読んで、息を呑んだ。 人間誰しも、 特に余生は幸せでありたいと希うものである。 だが、金網に身を寄せているのは、大不況の地吹雪にさらされている切り捨てられた弱者たちである。 思えば他人事ではないのだ。高齢化が急速に進みつつある現在、老後の不安をかかえながら暮らしている我々であり、この様な世相を巧みに風刺している。

塩  谷   い さ む
箱の中運ばれやがて棺の中入るべく人は何急ぎゆく(二ツ岩)「狭い日本、そんなに急いで何処へ行く」という標語があった事を思い出す。箱の中は自動車かと思ったら、一連の作品からみて飛行機の中のようでもあり、又雲海から見下ろす下界の様子かも知れない。何れにしても日本人のなんと忙しいことか、 急いで急いで死に急がなくてもいずれは棺の中に入るのだと人生への警句として読んだ。 作者の人生達観のうたか?平和の中をやがて棺の中に入る人達は幸せである。 遠い大陸に南溟の島に、空に、海に散って未だに還らぬ幾万人もの遺骨があることを忘れてはならないと思う。 平和はいい。 (『塔』同人)

甲 田 一 彦
星雲のごとくに群れて咲く紫苑生きるは束の間輝きて伸ぶ(秋夜思) 「星雲のごとく」「群れて咲く」と実にうまい適確な写生の後に、「生きるは束の間」と転じる力量に引きこまれる気がします。 言葉のうまさ以上に、真実に迫る気魄を感じます。 さらに第五句「輝きて伸ぶ」は写実であり心であり、まさに「結句」という言葉がピタリあてはまる見事な歌と思いました。 作者の暮らしているあたりの風物から、これだけの作品を引き出す力量を絶賛します。一首後の「撫子のかすかにかすかに揺れる秋の風彼岸此岸を突き抜けて吹く」なども同じです。 (北摂短歌会会長。『塔』同人)

吉 田 健 一
偏見と中傷好きな人達の心をほどく過程も楽し(小秋思)一読してよくわかるし、なるほどそうだと頷いてしまった作品である。若い頃は誰か他人から邪まな目で見られていることに気づくと、 反発を覚えるのが関の山であるが、ある程度の年齢に達すると、自分に敵対的な態度を見せる人の心を解きほぐすことも楽しみのひとつとなってくる。その辺の機微を詠んだ歌。 ただ「偏見と中傷好きな」の「好きな」は偏見と中傷の双方を受けると思われるが、 「偏見好き」という言い方は、通常、しないと思われる。このあたり、一考を要するだろう。 (『塔』同人)

平 野 文 子
我が生きて来し氷塊が海の上溶けてゆくまで彷徨い続く(二ツ岩) 作者が愛してやまない流氷との融合した切ないまでの情感が寄せて来て、あたかも読者までもが流氷の海にいるような、そんな臨場感を覚える一首です。 流氷を現実に知らない此の身がとても残念で、 いつの場合にも積極的に流氷に巡り会い得る個性的な流氷の歌人に羨望しきりです。自分の生き方を氷塊に投影して、作者は何を思い、流氷の海を彷徨い続けたのでしょうか。さまざまに人生も考えられる奥深い心象詠だと思います。(『かぐのみ』。北摂短歌会)

古 市 浩 恵
氷盤に乗ればずぶりと海水が膝まで食べて上がれば凍る(二ツ岩) 中一の時、網走二中に転校してきた私は、流氷について学校で注意事項が配布されたことに、とても驚きました。さすがに乗ってみたことはありませんでしたが、 年に一人くらい実行する人がいて、再度、 危険ですからということで先生より話があったように記憶しています。 私はそのことで、流氷は、見た目にはきれいだけれども、危ないものと覚えました。先生は乗ってみたのですか?今となれば試してみたかった気もしますが…。天も地も我も全ては網走の流氷原に吹く風となる自由な感じで、素敵な一首で気に入りました。 (旧姓市丸。 網走二中元生徒)

吉 田 和 代
紫の小さな花あり山小土手卒業式あり緑輝く(二ツ岩) 私達の卒業式も、緑輝く穏やかな光の日でした。私にとっての中学校生活は何にも代えることのできない宝物です。今振り返ってみて、体中から良かったと思えるのは、 私達のことを真剣に考えて下さった先生方や親、 そして何よりも一番近い存在であった友達のおかげです。色々な事との出会いや多くの心に触れた事で、私の中に今までにない、とても温かな感情が生まれました。これから大人になってゆく中で、そんな感情をいつまでも忘れずにいたいと思うと共に、様々な事に自らぶつかってゆき、 自分を大きく広げてゆきたいです。 (西陵中卒業生)

小 西 玲 子
立ち止まらず歩いてゆこう二ツ岩一つの岩となる所まで(二ツ岩)とても深い歌だと思いました。この二つ岩は、人生の迷い道を表していて、そこに自分が遭遇した時に立ち止まって、あきらめるのではなく、いつか絶対にたどりつける一つの岩、一つの自分だけの道に少しずつでよいから、 歩いて行こうということをおしえてくれます。 時間は戻せないし、止まらないので、私は前を向いて歩いていきたいです。一つの岩となる所には、そこまで頑張って歩いてきた苦しみも、自分にとって、とても幸せなものに変わって待っててくれるはずだと信じています。 人のあら捜しばかりに浮かれいる哀れな自分に気づくことあり(断片集) この歌を読んで私は、自分にこういう所はないかと考えました。人の欠点を捜して、その人の良い点を捜せなくなってしまうのはとても悲しいことだと思います。私は、友達の良いところを一人一人言うことができます。人には欠点はあります。私にもあると思います。 でも、必ず良い点もあると思います。 私は、 自分の良いところも友達の良いところも考えられる気持ちを大切にしたいと思っています。 (西陵中卒業生)

中 村 佳 奈 恵
気が付けば潮の香はなし流氷の淡き匂いの中に立ちいる(二ツ岩) 「二ツ岩」は先生が二月に網走に滞在された時の歌が中心になっている。その中で私はこの歌がとても心に残った。私は網走へ行ったこともなければ、流氷を見たこともない。だから、流氷というものをTVの映像や写真や先生が以前見せて下さった絵葉書や想像でしか思い浮かべることができない。しかしこの歌を読んで、目に映る流氷の姿ではなく、 本当に自分の目の前に流氷が迫っているような感じを強く受けた。それは香りや匂いという言葉が距離を縮めてくれるからだろう。一体「流氷の淡き匂い」とはどんなものなのだろう。それこそは実際に触れてみなくては、わからない。夢中で流氷に会いに来たんだという、先生の流氷への愛着が感じられる一首だと思う。 (西陵中卒業生)

四 方 真 理 子
暗けれど明かりを消せば生き生きと命の通う柱見えくる(水の器) 明かりはいつも、一つの中心的なものにあたっている。大きかったり、有名だったり、珍しいものであったりと外面的に輝いているものばかりだ。 しかし、小さなものであっても、どんなに汚れていても、外面ではなく内面的に輝いているものこそ、明かりをつけなくてもとてもきれいに見える。 暗くても輝くことのできるものは本当の美しさを持っているものだと思う。薄白き霧氷の森に迷い来て足跡続く目が覚めるまできれいな歌だと思った。夢に向かって突っ走っていて、その夢ばかりに気が向いてしまい、他のものは見えずにいる状態だ。 夢中になっているから迷ったり悩んだりするのだと思う。そして、何かに気づいたとき一歩前進し強くなるのだと感じた。 (西陵中卒業生)

高 田 暢 子
一夜にて雪積む道となりている玄関出でて雪原に入る(二ツ岩)何でもない景気が一夜にして真っ白で美しい世界になるあの朝は何度見てもいいものだと思う。 あの白は雪にしかないもので本当に美しく、世の中で最も純粋なものだと思う。寒い冬の頃は夏の日差しが恋しくなるが、 最近大分暖かくなってこんな歌を見るとあの景色がとても見たくなる。 (西陵中卒業生)

土 谷 沙 恵
冷蔵庫うなりつつ空飛んでいる家族三人眠りただ中(水の器) 冷蔵庫のうなる音が夜になると聞こえてくるという体験は私もしたことがあります。 でも、よく考えてみると、冷蔵庫は昼でもうなっているのではないかと思います。 それが私達の耳に届かないだけで。その冷蔵庫のうなりという表現がとても仲のよい家族というのを想像させ、身近なものに感じられます。きっと三人仲良く夢の世界へと飛び立っていられるのではないでしょうか。 (西陵中卒業生)

小 野 二 奈
宝石もブランドもなく千円の時計と仲良く過ごす我あり(惜命夏)高い値段でブランドだと何もかもがいいという考えの人は今の世の中多いと思う。 ブランドづくしの生活をしている人を時々見ると、少し気がひいてしまう。私はブランドを全て悪いとは思いません。 それは、 丈夫で長持ちするもの、一番自分が気に入ったものだったらその価値があるからです。安い時計で気に入っていて、長持ちするなら、自分にとってのすばらしいブランドになると思う。だから、ブランドは売る前ではなく、買って使っているうちに決まると私は思います。声にして詠むとき歌は千年の彼方より来てしばしとどまる(水の器) 短歌・俳句・百人一首…これらには人々の思いが深く込められていると思います。 文章に自分の気持ちを伝えることはすごく簡単に見えて難しいことだと思います。現在私達は、昔の人々の心を理解することができます。 それはすばらしいことだと思います。 気持ちはいつの時代になっても変わらないで感情を読む人に伝わります。私はこの三年間で学んだ事がたくさんありますが、その一つは、文章には作者の考え、意見だけでなく感情も文字一文字一文字に込められているということです。少し勉強が楽しくなりました。 (西陵中卒業生)

白 石   愛
紫陽花は揺れつつ笑顔満ちあふれ傘の奏でる雨聞きており(断片集)雨が傘を打つ音のリズムに乗って紫陽花が楽しそうに揺れている。 梅雨の時期の雨、雨、雨の暗い気持ちがいつの間にか吹っ飛んでしまう。にっこりと笑っている紫陽花、そしてそこにおられる先生、何だか私も知らないうちにその雰囲気に誘い込まれそうだ。社会的弱者をついには擁護せぬマスコミも企業のひとつひとつ(惜命夏)マスコミの利益追求の重視を批判する歌である。確かにマスコミも企業のひとつであるため、利益を求めることは、当たり前だと思うが、本来の姿を忘れてはいけない。マスコミというものはいつも人々の立場に立って、客観的に冷静に物事を見て、事実を正確に伝える役割を持っていると思う。 それによって世の中を良い方向に引っ張っていく、リーダー的存在に位置しなければならない。この歌を機に、今のマスコミの在り方を改めて考えた。(西陵中卒業生)

内 田 恭 子
かくまでに尖りし心も少しずつ金木犀の香にほぐれゆく(金木犀)友人に、香水とかポプリとか香りモノが極端に苦手な人がいる。その友人がつい先日「この匂いなら平気」と言って指差したのが金木犀だった。「何でこの花だけ?」と言いかけて、この歌がパッと浮かんだ。人に媚を売っているような人工的な話ではない、素朴で優しい金木犀の香りに、 彼女もホッと一息つけたんじゃないだろうかと思った。 着飾るモノが多いなか、素で勝負している金木犀が、何だか羨ましく感じた。 (西陵中卒業生)

川 野 伊 輝
詞書き必ず添えて発送す大事にしたいものがあるから(小秋思) 自分は国語力がないのでこの歌の意味を明確に書けといわれると無理でしょう。 しかし、 自分にはこの歌に何か共感するものがあります。それは恐らく自分が今、歌詞作りに凝ってるからかもしれません。 僕は歌詞の中にとても大事なものを詰め込んで書いていきます。 大事なものをなくさぬうちに詞の中に詰め込んで大切に伝えていきたいのです。 それでこの歌に魅かれました。(西陵中卒業生)

木 佐 木 美 希
グラウンド小さな地球傾けて走れば青い空まで動く(秋夜思) 私は中学二年生まで陸上部に所属していました。この歌を読んだ時、自分がグランドで走っている風景が思い出されました。練習はとても苦しいものでしたが、それを乗り越えて積み重ねて行くと必ず『結果』というものは、ついてきてくれました。その時の感動は今でもはっきり覚えているし、何年たっても、きっと忘れることはないと思います。(西陵中卒業生)

鈴 木 亜 弥 子
我が帰るたびに出てくる猫ありて彼も孤独の目を輝かす(断片集) 孤独だった彼の目にいつも帰る時に出会う猫が移り輝く。私は孤独ではなかったけれど、小学三年生の二学期頃、ある日突然一匹の猫が出てきて家の前までついて来ました。その日から約三年間、ずっとついて来てまるでそれが帰りを待ってくれている妹のようにその猫は走って来ました。それからどうなったのかはわからないけれど、彼女の子供達や孫達はずっとじゃれ合ってたり、走り回ったりして元気にしています。この歌を読んでこの事が遠い昔のことに感じられました。 (西陵中卒業生)

脇 田 真 美
失敗も無駄も過程の一つにて今日のドラマの終わらんとする(水の器) この歌を読んで、私はなんだか励まされた気がしました。人は何度も失敗しながら成長していく。無駄なことはないと考えるし、何事にでもチャレンジしていけるように思いました。私は、もうすぐ中学校を卒業します。でも、中学校生活でのたくさんの失敗を過程の一つにして、高校でもいろいろな経験をしながら、成長していけたらいいなと思いました。 (西陵中卒業生)

福 島 悠 子
ここまでに生きてこられたのは不思議奇跡に近いと思うことあり(秋夜思) この歌を読んだとき私は周りの人々のお陰でここまで生きてこれたのだと実感しました。なぜかというと、誰もいなかったら何かあった時に助けてもらえないし、やっぱり一人で生活するということは大変だと思ったからです。だから私は今までお世話になった人達やこれからお世話になる人達が困っていたりした時は、私がその人達の手助けをしようと思いました。 (西陵中卒業生)

中  村    文
世の中で布団の中ほど心地よいものがあろうかしみじみといる(水の器)すごく気持ちが分かりました。特に冬の寒い朝は、私は目が覚めてから三十分くらい、布団の中にいます。あまりにも気持ち良すぎて出られないのです。とっても温かくって、ふかふかで夢の中に居るような感じです。布団の中にいる時、私は色んなことを考えたり夢を見たりできます。そのまま、起きてもずっとそこに居られるような気がして、時を忘れたようにじっとしていると、遠くから母の「早く起きなさい」という怒りの声が聞こえてくるような気が…

若  田  奈 緒 子
ミツバチとテントウ虫見ゆノイバラの中忙しき短き命(麦風号)ミツバチって言われてみれば、いつも忙しそうに、花の周りとかを飛び回っている気がする。テントウ虫なんか、体はあんなに小さいのに、ちゃんと模様もあってすごいと思う。地球や宇宙の事を考えると、人の一生はとても短くはかないけれど、虫はもっとはかない。 そんな短い一生の中で、誰に教えられたわけでもないのに、空を飛んで、忙しいほど働いて…この歌を読んで、いつもはキライな虫も、少し偉く思うことができました。 (西陵中卒業生)

藤 川 彩
紅葉して散ってなくなるまでしばし滅びの時を人楽しみぬ(燃流氷) この一首を見て、 少しドキッとした。 私は四季で一番秋が好きで、 紅くなったもみじなどの葉が散る瞬間を見るのもすごく好きだ。 でも、木の視点から考えてみるなら、葉が散るのはきっと悲しいだろう。 そう考えたら、なんだか私は、木の葉が散るのを喜んでいるやな奴に思えてきた。 でもやっぱり木が紅葉するのを見るのは好きだ。これはずっと変わらないと思う。たぶん大抵の人は紅葉して散るのを見て楽しむだろうに、先生は、こんな考え方が出来る人なんだなぁ、と驚かされた一首だった。 (西陵中三年生)

木 村 明 日 香
ムギュギュッギュ痛くはないか真っ白な新雪にわが足跡残す(二ツ岩 真っ白な、 積もったばかりの雪を見るとつい踏みたくなってしまう…これは大人も子供も同じではないだろうか。 私も昔から雪を見るたびに踏んで足跡を残している。 それが新雪ならなおのこと。しかしそれは雪にしてみればいい迷惑だろう。空からの急降下の旅も終わってほっと一息ついたところを踏まれるのだから。 それにあの靴の裏の小さい凸凹に何十キロもの体重がかかるんだから、めっちゃくちゃ痛いだろう。でも、こうして書いていても、私はまた来年雪が積もったら踏むだろう。 (西陵中三年生)

北 川 貴 嗣
目を凝らし見れば流氷原の夜かすかに赤き空の端あり(二ツ岩) 読んだ瞬間、 壮大な景色が僕の頭に浮かびました。 静かで壮大な流氷原と、それに対する小さな小さな赤い空の端…。辺りはもうすっかり夜なのに、 一部だけ名残惜しくぽつんと取り残されたみたいな。そんな寂しさを与えてくれました。 雷に光りつつ雨たちまちに怒涛の海に吸い込まれゆく平地では厄介な大雨も、荒れ狂う大海原が相手では、アリ対ゾウです。見る見るうちに轟音とともに吸い込まれる。また、それをさらに印象づけた雷の一筋。すさまじい情景がすぐに想像できる歌だと思います。 (西陵中三年生)

大 西 琴 未
ムギュギュッギュ痛くはないか真っ白な新雪にわが足跡残す(二ツ岩) よく考えてみると雪を踏んだ時、 確かにムギュギュッギュと痛そうな音がするなぁと思いました。 私は一面真っ白な新雪がある所には一度も行ったことがないけど、もし目の前にそんな雪があったら、思わず足跡をいっぱい残してみたくなると思います。雪があるだけでも嬉しいのにまだ誰も足跡をつけていなかったら自分の足跡をつけるのはすっごく気持ちがいいだろうなと思います。 そんな感じがとても伝わってきました。 そんな所に行ってみたいです。 (西陵中三年生)

野 村 充 子
一人くらい違う意見もあっていい言えば忽ち生きづらくなる(燃流氷) その通り!本当この歌通りの今の世の中…。意見、それは一人一人が持つ自分の意志。私は人の目を気にして生きていくのはイヤである。とは言いつつも実際気になるものである。人間である以外消しても消えないもの。だが、自分の意志を持ち、それを発揮するのは己自身…。生きてるうちに幾つの意志を発揮できるか、楽しみだ。 小手面胴次の瞬間空いているそこへ素早く竹刀を飛ばせ(夏残号)剣道のことについてはよく知りませんが、この歌は武術を生かし剣道には欠かせない《素早さ》を伝えてくれる歌だと思いました。 何というか「空いているそこへ素早く」というところが、だらけていた私にカツを入れてくれました。さすが剣道部顧問の先生が作った歌ですねぇ。気合が入ります。剣道部のみなさんに是非お薦めしたい一首です。 (西陵中三年生)

宮 脇   彩
紙に照る日差し七色きらきらと輝き心やわらぎており(二ツ岩)
この歌を見て、情景はすぐに頭の中に浮かんできたが、ろくに気に留めたことはなかった。 しかし、よく考えてみると、それは幾つかの偶然が重なった上で初めてできるものなのだろう。 窓から日光が射していなければ紙に日差しが照ることなど決してないし、日光が射していてもその場に白い紙がなく、 それを見る人がいなかったら目撃をして気に留めることなど出来ない。 そのような偶然と、 誰かが手を加えているでもない自然とが織り成す風景こそが、真に貴く美しいものなのかもしれない。 (西陵中三年生)

宮 本 浩 平
乗り急ぐ人らひしめき電車去る後の空虚のしみじみ優し(二ツ岩) 近ごろ一人で電車に乗ることが多くなって、 この歌のような感じを受けることが多くなりました。 この歌を読んだ時、 なぜかすごく共感できるというか、 電車が去った後の空虚の優しい感じがよく分かったのです。 この歌の「電車が去った後」の表現が、 僕の思っていたものと、すごくよく似ていたので、僕はこれを選びました。これを何回も読んでいると、その場所や環境が思い浮かんでくるような感じがいいなぁと思いました。 (西陵中二年生)

白 田 理 人
やがて死へ墜ちてゆくのか少しずつ移動してゆく人も車も(二ツ岩)
今、人は頻繁に車を使い、飛行機で地球の裏側まで簡単に移動しています。 それどころか、宇宙まで自由に行き来することが、夢ではない時代になりました。 しかし、人がどこへ行く時にも、人は同時に「死」へと向かっている。 どんなに文明が発達しても「死」からは逃げられない。 「人類の偉大な一歩」も「死」へ通じる道の途中の一歩でしかない。でも、いつかは果てる、限られた生命だからこそ、人は今を精一杯生き、輝かしい快挙を成し得て、そこに大きな足跡を残せるのかもしれない。 この歌は僕にそんなことを考えさせてくれました。 (西陵中二年生)

渡 辺 あ ず 咲
ムギュギュッギュ痛くはないか真っ白な新雪にわが足跡残す(二ツ岩) 家族でスキーへ行った時、雪が降るとわくわくして、たくさんの足跡をわざと付けて歩きました。 この感触は踏んだ人にしか分からないと思う。とても気持ちいいのだけど、しっかり一歩一歩踏みしめないと進めません。 この歌は、新しいことを始めるには、勇気も痛みもあるだろうけど、自分の進む道を見つけて、力強く挑戦し、努力しようと言っているのだと思います。私もあの真っ白な新雪を踏んだことを思い出し、進みたい道を満足できるように頑張りたいと思います。 (西陵中二年生)

阿 河 一 穂
この生も夢幻に過ぎぬこと目を閉じ思いみること多し(二ツ岩) 今までの地球の歩みから考えると一人の人の人生なんて所詮は夢か幻でしかないのかもしれないと時々ぼくも思ったことがあります。ほとんどの人が死を恐れながら頑張って生きていても、視点を広く見ると、一人一人の人生は夢や幻に等しいと思います。でもその夢や幻が集まって、 今の世の中があるのだという事も忘れてはならないことです。 (西陵中二年生)

桐 山 浩 一
赤とんぼ無数に群るる波の上ためらいにつつ日が沈みゆく(断片集)
ぼくはこの歌を読んで、 小さかったころのことを思い出しました。 夏休みも終わりごろ、友達と日が暮れるまで遊び、家に帰る途中、赤トンボが無数に飛んでおり、きれいな夕焼けが目にうつりました。 ぼくは、茨木に引っ越して来たので、この歌がより心にジーンときました。 小さかった頃は、外で元気よく遊んでいましたが、だんだん大きくなるにつれて、ゲームなどをし、このような景色を目にすることが少なくなってしまいました。 自分を振り返った一首だったと思います。 (西陵中二年生)

小 山 香 織
ジェット機より速く地球は回りいる次々命振り落としつつ(二ツ岩)
地球は24時間で一周するが、一体どんなスピードで回っているんだろう。ジェット機より速いんだし、きっと一秒間に何 と回るんだろう。私はこの回っている地球に暮らしている。地球が回っているなんてこれっぽっちも思わないケド。 地球は丸いのになぜ、
私たちは落ちないのか。私が立っている所の反対側では、知らない人が、逆さま向いて立っている。 今思うと、地球って何なのか分からない。 その分からない物体に住んでいる私も、また、分からない生物だ。 この地球で生命が誕生したっていうのがすごいなと思った。 (西陵中二年生)

植 之 原 万 里 代
剥製のように動かぬワシカモメ獲物の我を見下ろして立つ(二ツ岩)じっと見下ろしているカモメの姿は、 いつ飛びつこうかと時をうかがっているようにさえ見えてくる。 この自然の世界の中で生き延びていくために、 必死で獲物を狙っているカモメの姿が浮かんだ。 動物たちはみんな、生きていくのに必死なのに、私達はなんでもあるし、人間に生まれてきてよかったのかなぁと思った。(同

田 坂   心
声高に海の演歌が流れいる海産物屋に蟹人を待つ(二ツ岩)海産物屋に大きな音で流れている演歌。 海産物屋には人間のためだけの水槽がある。その中に蟹が自分の死を待つかのように入っている。人間の声も蟹にとっては寂しい声でもあろう。 何かの運命のイタズラのように…。それを知ってか、蟹は人を待っているようだ。 少し前の悲劇が起こる前の穏やかで棲み慣れていた母なる海のことを思いながら。それを考えると心に残る。そんな悲しい風景だ。(同)

大 西 祐 太
立ち止まらず歩いてゆこう二ツ岩一つの岩となる所まで(二ツ岩) 合唱コンクールでみんなの歌声がばらばらなとき、途中であきらめずに最後まで練習すると、必ずみんなの心は一つになり、素晴らしい歌になります。このようにみんなの心をまとめるために、くじけず歩いていくということが、とても大切だと思います。そして一つの岩となる所まで歩いていくと、そこに感動が生まれます。ぼくはこの歌がピン!ときたので選びました。 (西陵中二年生)

古 田 土 麗
ゆっくりとためらいにつつ走りいて飛行機一気に離陸してゆく(二ツ岩)何回か海外旅行に行ったことがあるので、飛行機に乗ったことを思い出しました。離陸する時と着陸する時が私は嫌いです。耳が痛くなることもありますが、この地上から離れて行く何とも言えない不安な不安定な気持ちになるからです。飛行機も同じような思いを持っているのでしょうか。飛行機と一体になった先生の気持ちが伝わってきました。 ムギュギュッギュ痛くはないか真っ白な新雪にわが足跡残す 誰もが小さいころ、 こういう小さな出来事がうれしかったのではないだろうか?小学校の頃に、 雪が積もったことがあり、登校する時などに足跡がないところに、 わざと足跡を残したりした経験があります。それがとても嬉しくて印象に残っています。たぶん成長したとしても、また足跡を残してしまうような気がします。 (西陵中二年生)

松 川 実 矢
犯人という肩書で死んでゆく無実の人あり過去も未来も(二ツ岩) テレビのニュースを見ていて思ったことがありました。よく「犯人と思われる◇◇氏は『何もしていない』と全面否認しています」とか言っているけど、 本当にしてなかったらどうなるの?と思った。犯人扱いにされて亡くなっていく人は本当にかわいそうだと思う。本当の犯人はその頃どんな顔でどんなふうに過ごしているのかと思ったりします。 (西陵中二年生)

隅 田 未 緒
紙に照る日差し七色きらきらと輝き心やわらぎており(二ツ岩)今まで一度もなぜ虹が七色なのか考えたことがなかった。 日が差して七色になっているのも特に考えたこともなく、 日常の生活の一つだった。でも今考えると考えないのが私の生活なんだと思った。 歩いたり食べたりすることも考えたことがあったけど最後は私の考えが出てきた。 でも今こんなこと考えても私の考えが出てこない。でもそれでいいんじゃないかなと思った。変に私の考えを出すより気持ちいいなって思える方が大切だと思う。 何となくうれしい気持ちになれるために虹とかはあるって考えるともっといい気持ちになれると思った。 (西陵中二年生)

二 瓶 加 奈 子
ジェット機より速く地球は回りいる次々命振り落としつつ(二ツ岩)実際に人が地球から振り落とされることはないけど、 地球上で次々に人が死んでいくのは、 命が地球に振り落とされているのかもしれないと思った。私たちは地球に生きて来て、そのうちにどこか他の所に魂が飛んでいってしまうんだ。天国に行くとか、あの世に行くというのは、案外そんなものなのかも…。落ち葉を全部振り落として冬の間、裸になっていた並木も今、春になって緑の葉をたくさんつけて風に吹かれている。それが私にはとても嬉しい。地球はジェット機より速く回っていて、 その間に私たち人間も見守っているのだろう。 (西陵中二年生)

青 田 有 貴
人間の夢の世界に動物は当てはめられて従うばかり(小秋思) 私も一度だけサーカスを見たことがあります。 その時は小学校低学年だったので見るものが「スゴイ」とばかり思っていましたが今考えると何か少し昔とは違う気持ちが出てきました。 人間が技を教えてやっているけれど、 動物たちはどう考えてるのだろうと気になりました。 技が出来て本当に嬉しいのは人間じゃないかと思います。 ライオンがもし人間だったとして火の輪をくぐれと言ったらきっと「何でやらないといけないんだ!」と怒ると思います。 人が嫌がることを動物にさせるのは少しひどいとも思えてきました。

山 口 藍
にこにこと何考えて生きてんの?そんな顔してたい春の日は (新緑号)この短歌のページを開けたとき……ふと目がこの一首にいきました。それは、最初の「にこにこと」という所に魅かれたんです。そして、この歌を何度も読み返していくと、私の日常生活の中でも、この歌のようなことを思う時があるなぁと思うようになりました。私はたまに、友達や家族などと接していて、「にこにこと何考えてんの?」と思う時があります。それに、私だってそう思われてる時もあると思うし、自分でも思う時がある…。だから私は、この一首を選びました。 (西陵中二年生)

金 指 な つ み
日は赤きトンネルとなり地に憩うめざして川はするすると入る  川は海を目指してひたすら流れている、 と思う人は少なくないだろう。でも、夕日がちょうど川の進む目の前にあったらどうだろう。川の視点から見れば夕日がトンネルに見えるのではないか。もしかしたら川は海を目指して流れているのではなく、 赤い夕日を目指しているのではないのだろうか。 この歌をじっくり見てみると、そんな考えが頭の中に浮かんできた。