藤 本 義 一
もうこれで死んでもいいという程の作品ありや今日もまた過ぐ(輝く旅)
 わが実感です。
 これまでに四百字詰原稿用紙二十万枚以上書いてきたわけですが、いつも書いた後は、ま、これぐらいかという諦めです。
 六十代に入り、七十代に入り、これは死ぬまでつづく思いだと気付きました。それは、実際に夢を見ていると実感することは不可能で、目が醒めてから、ああ、夢を見たと実感するのと同じことだと気付いた時です。
 目醒めれば 死屍累累の 机上かな
これでいいのだと思います。 (作  家)

中 村 桂 子
輝きて風にそよげる枯葉見ゆ散りゆくまでのつかの間にして(輝く旅)輝く時がありたいと思います。たとえ枯葉としてでも。束の間でも。しかし今の世の中、一人一人が輝くことを求めていないのではないかという方向に動いています。一人一人が、一つ一つの生命が、この世にあることの大切さを無視しているように思います。なぜこんなことになってしまったのか。空しいけれど、でもやはり生命のことを考えていこう、そんなことを考えています。(生命誌研究館館長『あなたのなかのDNA』『ゲノムを読む』)
島 田 陽 子
もうこれで死んでもいいと言う程の作品ありや今日もまた過ぐ(輝く旅)創作にたずさわる者は誰でも、いつでも、このように思いつつ、生きているのではないでしょうか。勿論、われながらよく出来た、といくらかは嬉しくなる時もありますが、これで死んでもいいとは到底思えません。どこまで行っても「完成」には辿りつけない自分の限界を知った時から、むしろ、開き直って、だから生涯続けられるのだと思うことにしています。はるかな、はるかな到達点、そこへ着くまで「人という乗り物に乗り旅を」して、「いつか下車」するのですが……。(詩人。『島田陽子詩集』。『かさなりあって』)
加 藤 多 一
柿の実に噛み跡残る甘暗き夕べも早く暮れてしまえり(輝く旅)
メッセージ性が強い歌群の中にみつけたこの歌に心ひかれたのは、どうしてだろう。メッセージ(祈り)は、柿の実に残るニンゲンの噛み跡そこに射してきた甘い夕べの光の裏にかくれてひっそりしている。下句のはかない短歌的抒情をひき出すリズムが私のDNAに快いからたろうか。―こう書きつつ、現在の日本に繁栄している多くの短歌的抒情に私は疑問をもつ。抒情はときとして論理を眠らせる。ねむらせてねむらせて、思考停止している間に、権力(たとえばテンノウセイ)は表現者の体の中に入り込んで棲みついてしまう。 (児童文学者。オホーツク文学館長)
三 浦 光 世
キリストは左の頬も出せと言い戦を好むヒト諫めいし(輝く旅)
有名な聖書の言葉を一首に詠んでいる。キリストは「人もし汝の右の頬をうたば、左をも向けよ」と言われた。私も時に聖書の言葉を短歌に引用することがあるが、うまくいかない。右の一首はその点、よく単純化している。ところでこのキリストの言葉は、しばしば敗北主義として批判される。が、これは神の側で責任を持つ言葉なのであろう。〈数日前話したばかりの伯父が今火葬の炎のただ中にいる〉この一首も人生の儚さを詠嘆していて、共感させられた。  (『綾子へ』『妻と共に生きる』)
畑 中 圭 一
人としてあと何日を生きられる切なさきゅんとしてくる夜明け(輝く旅)私は鈍感な人間らしい。こういう胸が「きゅんと」なるような切なさを感じたのは、六十歳を過ぎてからではなかったかと思う。川添氏がすでにこういう切なさを、しかも「夜明け」に感じておられることに私は驚いている。現代社会は熟年の到来を早めているのだろうか。もっとも、間もなく満七一歳になる私には、この切なさも感じられなくなってしまった。生に執着がないわけではない。やらねばならない事がまだたくさん残っている。だが、死が近づいていることにもはや「切なさ」は感じないのである。むしろ自分がこの世から消えた後、地球は、日本の国は、孫達はどうなるんだろうか、よい方向に変化するのか、それとも坂をころげ落ちるのか、それが気がかりである。
(詩人。『ほんまにほんま』『いきいき日本語きいてェな』)
松  坂    弘
アメリカの日本州とは裏腹の大和ごころも儚くなりぬ(輝く旅)
この歌を読むと、このたびのイラク戦争における日本政府のアメリカ政府への追従ぶりを、思わずにはいられませんでした。フランスの大統領のようにはっきりNOといえない日本の首相がなさけないばかりです。世界で唯一の被爆国である日本がなぜ科学兵器をつかっての戦争についてNOといえないのか。まことに悲しむべことです。      (『炸』主宰。『松坂弘歌集』
菊 地 慶 一
戦闘機一気に発ちて沖縄の基地より殺しに行くとは言わず(輝く旅)平和ぼけで不感症になっているこの国の人々に突きつける一首である。改めて読むと戦わざる決意の歌が他にもあった。イラク戦争への予感を既に持っていた作者のなみなみならぬ鋭さに感銘する。戦争への姿勢も明確にしない表現者など不要である。「もっと怒る勇気があっていいし、怒りを発信する短歌があっていい」とは、ある歌人の言葉。(作家。『オホーツク流氷物語』『白いオホーツク――流氷の海の記録』)
中 島 和 子
戦闘機一気に発ちて沖縄の基地より殺しに行くとは言わず(輝く旅)今、バクダッドにアメリカ軍が侵攻したと、テレビがライブで報じています。映像からは叫び声も聞こえず流血も見えず、映画の一場面のようにリアル感がありません。砲弾の先には、確かに人間がいるはずなのに。生の映像を、リビングでぬくぬくと見ている私には、いったい何が見えているのでしょうか。今、こうしている間にも、人間が死んでいます。でも私は、夕方になったら、晩ごはんのおかずを買いに行くのです。人間って、何なのですか?   (詩人。童話作家。『さいごのまほう』)
野 村 一 秋
アメリカの日本州とは裏腹の大和ごころも儚くなりぬ(輝く旅)
なぜ、今、戦争なのか。なぜ、イラク攻撃なのか。なぜ、日本が支持なのか。ブッシュがなんと言おうが、戦争は人殺しだ。しかも、犠牲になるのは武器を持たない人たちだ。そんな戦争を、日本の総理大臣が支持をした。多くの国民が反対しているにもかかわらず、日本は人殺しの共犯者になってしまった。戦争が短期間で終わろうが、フセイン政権が崩壊しようが、奪われた命は戻ってこない。だれのための戦争だったのか、この戦争でだれが得をしたのか。それは、戦争終結後のイラクを見ればわかるはず。(児童文学者。『天小森教授、初恋ひきうけます』)
 川  口    玄
柿の実に噛み跡残る甘暗き夕べも早く暮れてしまえり(輝く旅)
『輝く旅』は、ちょうどおもしろい小説を読むように、一気に読んでしまいました。五二ページの伯父上の死の連作は、哀切きわまりない感じと、芝居の一場面のような印象をうけました。
蓑虫のように布団に浸りいるこの温もりが生きるよろこび という歌も、まったく同感ですが、詩的な美しさで「柿の実…」のうたが一番好きです。      (『大阪春秋』編集長。)
神 野 茂 樹
褒めるのは甘いと陰口叩かれるされど生徒が輝きて見ゆ(輝く旅)
どうもボクは最初の一首に強い印象を受けてしまいます。後ろの方に、亡くなられた伯父様を偲ぶ歌が詠まれていますが、小誌へ寄稿くださった随筆の方が感銘深く、この八首ではその感銘にとどかない感じました。ボクの想像力が足りないからかも知れませんが。(『大阪春秋』編集委員。)
宍 戸 恭 一
億年も数秒にして大宇宙広げて煙草吸う老爺あり(輝く旅) 肝甚なことは何一つ出来ない国会が健康法なぞという法律を制定して、禁煙を声高く訴えている。煙草に害があるのは、二、三〇年前に各国のタバコ会社が利潤追求のために混入した科学的薬品にある。私はロンドンやボストンに頑固にも昔の伝統を守りつづけているタバコ店を見つけて、そこのブレンド品を愛用しつづけている。薬品臭のある一般品とは異なり、紫煙と呼ばれ、色々な夢を紡ぎ出してくれる私のブレンドは、医者もおどろく程、肺の状態も良好を持続している。そんな私は、四〇年程前のこと、パイプをくゆらしながらイスタンブールの丘に立って、東洋と西洋とを一望のもとに眺めたならば、さぞ、雄大な気分になるだろうと思った。その後、タバコに火をつけて「スーッと烟を吹き出したら/それが白い雲になって/光った もう/宇宙はどれ位の大きさのものだらう/と言わぬことにしよう/見よ、宇宙の大きさは/おのれの大きさと同じだ!」(以下略)という若き日の三好十郎の詩に出会い、紫煙のゆくえと宇宙のことに目が開かれた。そして、今回の一首には、私が理想としている生き方が、実に見事に表現されている。こんな老人になっても、生を全うしたいものだ。 (京都寺町三月書房店主。三好十郎研究者。)
リカルド・オサム・ウエキ
キリストも釈迦も異端の少数の一人に過ぎぬ命ある時(輝く旅) 私も異端派のひとり、こつこつ移民の大河小説を書いていると、俯瞰的に登場人物を意のままに動かしている自分自身が、神の位置に昇って、人間社会を見下ろしている気分になります。もちろんそれは錯覚に過ぎないのだけれど、物語作者は、キリストや釈迦と同じ高みに立たなければ書けないので、傲慢不遜、唯我独尊、この自我の勁さに自己陶酔して、宗教者もこんな心境だったのだろう、とにやりとしています。この思い上がりの楽天性が、私の生きる原動力になっています。流氷記の作者にも望ましいことではないでしょうか。(作家。『白い炎』『花の碑』ブラジル在住)
林 哲 夫
十円で肩揉み腰揉みする娘父の弱点自ずから知る(輝く旅)
イラク爆撃が始まった三月二十日、まさにその日からタチの悪い風邪を引き込んで寝付いてしまった。同じ日に「流氷記」が届いたのだが、まったく精神的にも肉体的にも重苦しいときに、どうもしっくりこなかった。右の一首がわずかななぐさめとなったのみである。尾形亀之助は便所の蠅でも知っている大きな戦争の最中、帯も締めず庭に向かって立ち小便をした、そんな詩を書いている。これ以上の戦争詩はない。彼の背後に孤独な衰弱死が迫っていた。幸いにこちらは爆撃のニュースを聞きながら風邪薬をむやみに投下した結果、まる一週間で体内テロを鎮圧できた。        (画家。『喫茶店の時代』)
大 島 な え
落ち葉踏めばドングリ混じる秋の香の斑らな日差しに溶かされている(輝く旅) 京都の三月書房は、一見なんでもない書店のようで中に入ると、選び抜かれた、とんでもない本ばかりある書店だ。『流氷記』は、その本の中でも特別大事な宍戸店主の座る脇に置かれた鞄の中にあった。手に収まる小さな歌集は、大事なたまもののようにも都の景色に馴染んでいる。落ち葉踏めば秋の日差しに溶ける香り。匂い立つような秋がある。今回、この冊子へ架ける喜びをまた、ドングリのように、ふと足の裏に心地良く当たるものになれば、とても嬉しい。(作家。「本屋さんで散歩」)
 藤  野    勲
星のように輝く水をプラタナス吸いて立つ夜のオリオン光る(輝く旅)朝日新聞の大岡信「折々の歌」で川添氏の名前に接したのは、実に三十年ぶりのことでした。ようやく連絡の取れた川添氏は、すぐに『流氷記』のバックナンバーをどっさりと届けて下さいました。その一冊一冊にこめられているであろうさまざまな思いはここでは触れないとして、最近号「輝く旅」の一首は強く僕の胸を打つものでした。僕にとってもオリオンは特別の星座で、今年「オリオン座わが家に架かり冴返る」なる一句をものしたこともありますが、おそらくこれからは少年時代からのあの懐かしい唱歌に代わって、冬この雄大な星座を見上げるたびに、静かに輝き流れる水と屹立する一本のプラタナスのイメージと共にこの一首が僕の胸を突き上げることになるのでしょう。
『俳誌「ひいらぎ」同人』
佐 藤 昌 明
生きるとは愛とは何かしみじみと君に会うたび優しくなりぬ(輝く旅)川添さんが羨ましい。川添さんそのものが、会う度に相手が優しくなれる人柄だからなのだろうと思う。『人柄を磨く』ということは『優しさを磨くこと』と私は頑なに信じている。自身に生来優しさの遺伝子?が皆無だから。生き方に多少の信念を持とうとすると、かえってそのことが壁になり、いくら口や文章で言い訳しても、他の厳しい目で見られるとバレバレ‥‥そんな人生を七十年近くも過ごしてきてしまった。会うことで優しくなれるような人にめぐり逢いたい‥‥自分を包み込んでくれるような広く温かい心を持った人と知り合いたい‥‥と念願しても、この世ではもう絶望的のよう。だとするとただ一つ、やはり先祖たちが望んだように、あの世での、慈悲心無限の仏様との出会いを一心に願うことだけだろうか。 (作家。『オホーツク秘話』)
鈴 木 悠 斎
どさくさの薄い平和の日本が勿体ないことばかりしている(輝く旅)死んだ私の父がよく言ってました。「日本は資源もないくせに贅沢三昧して驕り高ぶってる。今にきっとバチが当たる」と。父の大予言は当たりました。今や日本は急な坂を転げ落ちるように凋落に向かっています。さんざんに他の生物を食べ尽くし人は勝手なことばかり言う(秋徒然)この歌の「生物」を「民族」に、「食べ尽くし」を「虐殺し」に置き換えればアメリカの姿がよく現れてきます。キリストは左の頬も出せと言い戦を好むヒト諫めいし(輝く旅)ブッシュの神様は「右の頬を打たれたら半殺しの目に合わせなさい」と言ってます。またこの神様は「汝殺しなさい」と言います。またはこうも言ってます。「目には空爆を歯には破壊を」と。   (書 家)
釜 田 勝
亡くなるは無くなることか今日一つ義父の形見の草履を捨てる(輝く旅)震災の前年、十八年寝たきりだった母が逝った。長年の介護疲れと、深い悲しみが綯い交ぜになって、ほどなく私は体に変調をきたした。かかりつけの医師は、糸の縺れがほぐれれば、そのうちによくなると診断してくれたが、徐々に体調が回復しはじめたのは、一切の行事を済ませ、母の遺品をすべて整理し終えた一年後の頃である。―亡くなるは無くなることか―掲出歌に接して、共感を覚えずにはおれませんでした。ウォークマン読経のごとく若者の悟り顔あり地下鉄の中 わかりやすく、この作品も好きです。   (『競馬キンキ』元編集長)
井 上 芳 枝
褒めるのは甘いと陰口叩かれるされど生徒が輝きて見ゆ(輝く旅)褒められるうれしさ。力が湧く思いです。しかし、長い教員生活で、生徒指導はなかなか理想通りにはいかず、叱ることが多く反省しきりです。この歌から、二年前の中学校の同期会のことを思い出しました。男子生徒がそばに来て「先生から、知能検査では指数が高いのだから、努力すれば希望校への進学は大丈夫よと言っていただきました。」と。このことを心にとどめ努力し見事に進学できたとのこと。たった一言の助言を忘れずにいてくれたとは。握手した彼の手の温もりは今だに忘れられません。結句の「輝きて見ゆ」が、歌を引き締めてすてきです。
天 野 純 子
見るからに意地悪そうな人が意地悪にて少し気の毒になる(蝉束間)見るからに意地悪そうな人が本当に意地悪だった。やっぱりなと納得してしまう。意地悪そうな顔と共に嫌悪する、あるいは遠ざかる。しかし川添先生はその人のことを気の毒に思う。そこに先生の温かみを感じました。世の中にはいい人のように見えてすごく意地悪な隠れ意地悪もいるのに、不幸にも意地悪そうな顔に生まれて、卑屈になったのか、長年の意地悪が表情となって現れたものか、人間の悲しさをとらえ、思いやるこの歌に惹かれました。そして以前自分が作った〈人相は悪いが悪い人でない〉をひょいと思い出しました。(川柳作家。番傘『人間座』同人。)
山 川 順 子
日本もそういう時代があったとよ母の少女期戦いさなか(輝く旅)母が戦争のニュースを見て「いやだね」とつぶやいた。今まで戦時中の話はしないし、私からも聞いたことがない。きっとつらい経験をした一庶民の声が大事なんだろうが。昔の流行歌、ドラマが人気だ。リバイバルブーム、歴史まで逆戻りしたいわけではないだろうに。将来、正義、きれい等々辞書から消えてしまわないよう大人の責任は大きい。 (『私の流氷』同人。札幌在。)
柴 橋 菜 摘
人という乗り物に乗り旅をするいつか下車することに怯えて(輝く旅) 『人』を乗り物と表現されたことに、オッという驚き。乗せてもらっている『人』を、じっくり眺める。まあ、何とよくいろいろなものを見せ、いろいろなものを味わわせ、私に付き合ってくれていることよ。それは、あと何年?いや何日?ひょっとして何秒‥‥? このポンコツ車、もう少し頑張ってくれることを願いつつ、この世の土産話をひとつでも多く持って行くつもりである。下車した先にある世界へ―。    (大和高田市在)
小 川 輝 道
亡くなるは無くなることか今日一つ義父の形見の草履を捨てる(輝く旅) 義父も去り、その残していったものから一つ一つ別れていく。別れながら作者は再生していくように思われる。「別れ」を「捨てる」という語の的確さ、他に替え難いものがある。草履は長年使い古した意か、サンダルと違って老いた義父に相応しい生活感の深いことばだ。「亡くなるは無くなることか」「今日一つ」身近な人の生と死に向きあい詠嘆と諦観がこもり、表現された語の力と作者の想念の深さに感心させられた。流氷を詠んだ川添さんの作品が『折々の歌』(朝日新聞、大岡信氏)で紹介された。日々、打ち込む創作への大いなる励ましと思った。
(網走二中元教諭。北見在。)
井 上 冨 美 子
人という乗り物に乗り旅をするいつか下車することに怯えて
生きている我ら残して横たわり輝く旅に君出でんとす(輝く旅)

過去、現在、未来の人生を、このように端的に表現されていることに、春風のような爽やかさと感動を受けている自分がここにいます。死することを輝く旅立ちにできる人は微少なり。西尾妙子さまのお人柄が偲ばれます。川添先生にとって、本当につらい悲しいお別れだったのでしょうね。あの世に行かれても、きっといつまでも心の中に生き続け、川添先生を励ましてくれることでしょう。      (網走二中元教諭。網走在。)
 木 村 草 弥
アメリカの日本州とは裏腹の大和ごころも儚くなりぬ(輝く旅)
 次号が出る頃にはどういう事態になっているかは判らないがアメリカが国連を無視してイラクに侵攻した。アメリカの方針に対する小泉首相の態度は全くの追随という他ないと言える。というより日本人全体の対応も、まるで対岸の火事視したもので戦争反対のデモなども殆ど起らなかった。戦後日本はアメリカの傘の下に囲われて、ぬくぬくと平和ボケというのが実情だろう。川添さんの歌の「アメリカの日本州」という把握の仕方は鋭い。この頃では、日本をよく知る外国人の方が「大和ごころ」を持っているような変な時代になった。時宜を得た歌だ。(『未来』『霹靂』)
桑 原  正 紀
人という乗り物に乗り旅をするいつか下車することに怯えて(輝く旅) 不思議でおもしろい歌だ。人間は遺伝子の乗り物という見方があるが、ここではどうやら無数の微生物のことであるらしい。しかし、〈魂〉を主人公にして鑑賞してもおもしろい。いずれにせよ、人間の肉体を〈自分〉という意識から切り離して、一つの乗り物としてとらえているところに新しい切り口がある。
     (『コスモス』同人。)
利 井 聡 子
黎明の鳥鳴く前のつかの間はわが血液のせせらぎを聞く(輝く旅)
明け方の音のない世界の中で、心の平穏を見つめている作者。鳥が鳴き、水音や人声や車の音で忽ち平穏がくずれてゆくまでの束の間。作者はその平穏な気持ちを「音」として表現した。彼独特の感覚「血液のせせらぎ」という語句。血液といえば、毒々しいものを感じていた私にとって、この「せせらぎ」の音感は私の中に流れる毒々しい血液を逆流させ、素早く浄化させていく錯覚さえおぼえた。それ故、「血液のせせらぎ」はまこと「つかの間」のものであっただろう。     (『飛聲』同人。)
高 階 時 子
戦闘機一気に発ちて沖縄の基地より殺しに行くとは言わず(輝く旅) ハイテク武器を駆使して、空から地上から人々を虫けらのように殺したイラク戦争。ついにここまで来てしまった。爆撃で手足を失ったこどもの写真に、わが身をさすりながら震撼した。轟音を響かせて空に上がる戦闘機。それは人を殺し、物を破壊するため行くのだ。上句で戦闘機の巨体が目に浮かぶ。そして下句のくだけた表現「殺しに行くとは言わず」に作者の絶望的な気持ちが出ている。身の回りの事物や人のことを読んだ作品と共に、このような作品も作者にとって重要な位置を占めていると思う。いわゆる時事詠と呼ばれる作品も作り続けることが大切だ。(『礫』同人)
川 田 一 路
流れ星一瞬我も光るらし夢も現つも錯覚なれば(輝く旅)
流れ星は自らの存在をなくする一瞬にだけ光を放つ。しかもそれは自らが放つわけでなく大気との摩擦によりかろうじて光を放つのである。ひょっとして私たち人間も同じなのかもしれない。命をかけて死に至るとき、世の中との摩擦を受け入れながら一瞬輝くのかもしれない。―という思いすら実は自己幻想のなかでの慰めでしかなく、我々は意味もなくこの世を去ってゆくのだ。だからこそこの世で生きていく一日一日が重要なのかもしれない。 (『山繭』同人。)
里 見 純 世
亡くなるは無くなることか今日一つ義父の形見の草履を捨てる(輝く旅)読んでみて、思いの深い歌と知り、共感しました。以下次の歌どれも、ハッとさせられるものがあり、惹き付けられました。◇キリストも死後輝いて語られる全て生者の都合によりて◇十円で肩揉み腰揉みする娘父の弱点自ずから知る◇言い訳にばかり使われ人により神はほとほと疲れいるべし◇争いを好まぬ筈の宗教がなぜか戦の火種となりぬ
     (『潮音』『新墾』同人。網走歌人会元会長。)
葛  西    操
人として生まれた幸と悲しみを深夜眠れぬまま思いおり(輝く旅)
先生、私もこのお歌に接して色々と考えてみましたが、私は人として生まれたことに幸を感じております。動物なればいかに才ありても発言出来ぬ屈辱を受け返す言葉がありません。一寸の虫にも五分の魂と申しますが、私のような凡人でも時として子供と心の内を話すことがあります。今の子は時代の差か、お母さんばかりが苦労したと言うけれど世の中のみんなが苦労しているのよと言います。こんな会話を交わしながら子ども達と話せるのも幸ではないかと思いながら過ごしています。人生、授かりし命、最期まで大切にして生きたいと思います。(『原始林』同人。網走歌人会)
南 部 千 代
人という乗り物に乗り旅をするいつか下車することに怯えて(輝く旅) 生体は遺伝子の乗り物に過ぎないと言われています。私達は人間として生まれ、すでに組み込まれている旅を続け死に行き着くまで下車しないことを知りながらいつか必ず用意されている下車に怯えています。死に怯えない人もいるのでしょうが、少なくとも私は心を見透かされたようでお手上げ状態です。短い一生なのに今、中東ではまた沢山の命が戦渦に奪われて、宗教もエゴの一つの行為…ですが、《書けない》時もあります。これからも無理をせず流氷記お続け下さい。これが川添さんの旅の形なのでしょうから。
田  中    栄
亡くなるは無くなることか今日一つ義父の形見の草履を捨てる(輝く旅) 上句は文字を見ないと分からないところがある。然し下句とうまく照応していて寂しさが惻々伝わってくる。作者には死の想念の歌が多い。少し抽象に過ぎるところがあるが、この歌は具体を通して死の実感を感じられるところを評価したい。(『塔』編集同人。元選者)
鎌 田 弘 子
褒めるのは甘いと陰口叩かれるされど生徒が輝きて見ゆ(輝く旅)
断然この一首である。教師としての人柄が本当によく表出されている。三句切れ、そして立て直して続けてゆく表現上の問題は少々あるけれども、超えてゆく内容のエネルギーがある。生きる姿勢が、直截に届いてくる。この若い情熱を、ずっと貫いてほしい。「亡くなるは無くなることか今日一つ義父の形見の草履を捨てる」具体的に物に即して、生の地平から歌い出してゆく姿勢に、死について、読者は目をとめさせられる。歌うことは、今、山々あるけれど、生活に深く根をおろし把握して、歌は、やはり、自己鎮めであろう。      (『未来』同人。)
前 田 道 夫
炊飯器蒸気の翼ごうごうと未明の空を飛びつづけおり(輝く旅)御飯の炊けてゆくとき、炊飯器が未明の空を飛びつづけているという発想がユニークで面白い。「蒸気の翼」というのも言われてみればそのようであって納得できる。炊飯器に目など付けて想像してみるとアニメの一齣を見ているようで楽しくなる。「人という乗り物に乗り旅をするいつか下車することに怯えて」「生まれれば死ぬのは当たり前なのに死にたくないと思い悩みぬ」等、死を意識した作品が多くあったが、死に怯えるとか、死にたくないという思いは私にもあり、共感をもって読むことができた。  (『塔』同人。)
早 崎 ふ き 子
人という乗物に乗り旅をするいつか下車することに怯えて(輝く旅) リチャード・ドーキンスの著書『利子的な遺伝子』を川添氏が読んでいるか否かは知らない。私は〈人は遺伝子の乗りものにすぎない〉と述べる歌の素材とした。右の歌をドーキンスに即していえば人=遺伝子は人という乗り物に乗って人生という旅をする。だがその乗り物としての人間はいつか下車、つまり死を迎えねばならない。死は人間にとってみずから体験しえない未知の世界ゆえに怯えるのである。その果てに死を組み入れし遺伝子の知恵もて人は悩みつつ生く   (『塔』『玲瓏』同人。)
榎 本 久 一
褒めるのは甘いと陰口叩かれるされど生徒が輝きて見ゆ(輝く旅)作者らしい処のある歌だと思った。教師が生徒を優れた者として見ることはよくあることであっても、なかなか素直に口に出せないのではあるまいか。ともすれば、苦情悲嘆の歌の並ぶ冒頭に置かれているのが良い。作者は心のひらめきのままを歌ったのだろう。前号の悪しざまに生徒を笑う教師あり自分が言われているように聞くの裏返しの立場だけではない歌だ。(『塔』同人。)
三 谷 美 代 子
亡くなるは無くなることか今日一つ義父の形見の草履を捨てる(輝く旅) 義父が亡くなったという事実を、信じられない、信じたくない作者である。「形見の草履を捨てる」という直接的な行動によって、目の前から無くなった者、延いては義父の死を諾おうとしている。哀切な思いの籠もる一首である。(『塔』同人。)
小  石    薫
人の死に遭えば自分に残された月日が鼓動を持ちて迫り来 (輝く旅)昨年姑が亡くなりました。これまでの月日に私は何度も人の死に遭って来ましたが七ヶ月介護にかかわったためでしょうか、今までのどの場合よりも心にしみるものがあります。介護もさりながら姑は母よりも夫よりも子よりもこれまでの長い時間を共有した人であったからかも知れません。実にいろいろのことを教えられました。気が付いてみると今私も同じ立場にいるのです。下句の「鼓動を持ちて迫り来」、今まさにその思いで暮らしております。明治生まれの女性には遠く及びませんが、一日一日を大切に過ごせたらよいと思います。  (『塔』『五〇番地』同人)
 鬼 頭  昭 二
落ち葉踏めばドングリ混じる秋の香の斑らな日差しに溶かされている(輝く旅) 触覚と嗅覚と視覚とが重なりあって、自身の存在そのものも拡散してゆくようである。今回は理念的な作品が多く全体的に物足りなさを感じたが、感覚的な作品も見せてほしいと思う。読者に同意を求めるのでなく、独自の対象へのアプローチを。 (『五〇番地』同人)
遠 藤 正 雄
亡くなるは無くなることか今日一つ義父の形見の草履を捨てる(輝く旅) この歌を読んで、この三月末に九十九歳の母の死に遭った私は、共感を覚えた。あの世とこの世に境というものはなく、横たわる遺体は魂の抜けた物体であるとも思った。火葬にされたあとの、骨も灰もすでに、物体と化していた。母の遺品も、殆んど捨てられてしまった。今、大切に形見として残しておく物も、一つずつ捨てられてゆくのであろう。「亡くなるは無くなることか」この言葉に、人の世の無常と、別離の悲しみが籠められている。「戦闘機一気に発ちて沖縄の基地より殺しに行くとは言わず」
平明な表現で重い内容を伝えている。   (『原型』同人。)
吉 田 健 一
幾億の微生物いるわが体ひとつの星と同じ気がする(輝く旅)とりたててうまい歌というわけではないが、記憶に残った作品の一つである。この作品の言うとおりわが体に生まれ、育ち、死んでゆく幾億もの微生物にとっては、われら人間の体こそがそこから逃れることのできない星のような存在なのである。そして、人間の体が滅ぶとき、その体に取り付いている微生物は死滅するのである。してみれば、地球という星の上で生きているわれら人類も地球の死とともに滅亡してしまうに違いない。そんなところまで考えさせられる作品である。 (『塔』同人。)
塩 谷 い さ む
アメリカの日本州とは裏腹の大和ごころも儚くなりぬ(輝く旅)まこと、日本州とは言い得て妙。アメリカが期待していたであろう大和魂はすでに無い。アメリカ自身が施した教育政策に依って大和ごころを抹殺、日本全体を骨抜きにしたからだ。世界最強を誇り、「我」を押し通す米国自体の失政だと思う。彼の溌剌とした日本人は一体何処へ行ってしまったか。哀しいことだと思う。日本もそういう時代があったとよ母の少女期戦いさなか 戦争はしてはいけない。勝っても、負けてもである。褒めるのは甘いと陰口叩かれるされど生徒が輝きて見ゆ 人間は褒められて伸びてゆくのだと思うのだが…。 (『塔』同人。)
 甲 田 一 彦
新幹線で我が来るのをまつように伯父目前で息引き取りぬ(輝く旅)今回の三十七号では、作者の挽歌に引きつけられました。苦吟するでもなく、湧き出すように作られたのだろうと勝手なことを考えて読みました。そこがこの作者のすごいところですが、特に終わりの『輝く旅』五首が心に残りました。考えてみると、この『輝く旅』の故人は、作者には教え子の母親なのですから、興味本位に見れば、いわゆるセクハラの危険を持っています。一首目と二首目は、そのまま読めば恋の歌です。それが四首目と五首目によって挽歌となり、第三首目によって母親の実像を出して前後をつなぐという見事な連作のまとめ方です。美しい挽歌を読めば、作者の優しい心が、故人に通じていたことが伝わって来ます。作者は別のページで「触れ合いこそ大切なのにセクハラの一語が支離滅裂に巣喰いぬ」と詠んでいます。この歌も心引かれた作品でした。セクハラという不快な片仮名語を痛烈に切り捨てています。心の琴線にふれて共鳴する次元の高い人間関係を求めて模索する作者がいきだしたのが『輝く旅』であるとつくづく思いました。  (『塔』同人。北摂短歌会長。高槻十中時代校長。)
平 野 文 子
亡くなるは無くなることか今日一つ義父の形見の草履を捨てる(輝く旅) 大切な人の形見の品は、その人への思いが込められているだけに、なかなかに手放せないものです。然し故人を偲び、愛用した果てに務めを終えたものについては、また異なる意味もあると思うのです。作者は「義父の形見のサンダルの緒が切れて捨てし昨日も過去に収まる」と詠んでいます。何れも亡き義父上に対する情味あふれる挽歌と受け取りました。上句、亡くなると無くなるを掛けた発想に、如何にも作者らしい独自なものを感じました。  (『かぐのみ』。北摂短歌会。)
大 橋 国 子
褒めるのは甘いと陰口叩かれるされど生徒が輝きて見ゆ(輝く旅)鮮やかな黄色い炎の続く道イチョウは未練振りほどきつつ
生徒を褒められるのは素敵な先生ではないかと思います。それに思春期の子供には荒れた敵わない所と共にこれから輝いていく芽があると思います。中学という結構大変な職場で、それが出来ること。子供にとっては嬉しいことではないでしょうか。「未練振りほどきつつ」が好きです。銀杏の少し長いめの葉柄が、桜や紅葉とは違った落ち方をするように見えます。それにあのトランプのカードのような感じのする葉は集めてみたいような不思議な思いさえします。他の赤く染まった葉とは違うそんな雰囲気を表現しておられるのでしょうか。     (北摂短歌会。)
 山  本    勉
確実に次々人も死んでゆく地球の形の林檎をかじる(輝く旅)
三七号『輝く旅』も、死を詠った作品が目立った。その中から取り上げたこの一首。私なりの偏見で読んでみた。確実に人は死んでゆくのに、地球人口は決して減らないこの不思議。日本神話では祖先はイザナミ・イザナギということであり、キリスト教ではアダムとエヴァである。そのどちらをも信じる信じないは個人の勝手だし、私も信じていない。川添さんが、どのような思いでこの一首を詠まれたのか分からないが「林檎をかじる」に意味をこめられたように思う。「裂けて十字となり眠る…」など、目を瞑ってしまうような歌も書かれるのだから、この林檎は「禁断の木の実」と解釈してしまう。地球人口が減らないのは、人間は「林檎」が好きだから、ということになる。私の偏見を書いてみた。(北摂短歌会)
若 田 奈 緒 子
この夜空見上げているか死に際の醜い戦のさなかの人も(輝く旅)
イラクへの攻撃が始まった日、私は米陸軍博物館を訪れた。館内には独立戦争からベトナム戦争まで戦渦の悲劇を伝える貴重な資料が展示されていて、中には日本兵の父への手紙や水筒まであった。戦地に行くため親や妻や子を残し、遣り場のない想いを紙に綴った人々。それを読んだ父親の気持ちは推し量ることができない。やがて人の命だけでなく、思い出や幸せや多くを奪い戦争は終わった。そしてこの博物館は建立されたという。戦争の悲惨さを一人でも多くの人に訴えよう、そして事実を残そうという意志により集められた数々の資料、それを私が一つ一つ覗き込んで見ているその瞬間にも誰かが戦争で命を散らしている。人命に関することなので、この矛盾にこだわらずにはいられなかった。攻撃によって同じ間違いを繰り返してしまっている気がする。その間違いにより生じた損失を超えられるほどの意味を戦争は絶対持っていない。私は日本人として、過去の悲劇に対し、学ぶ姿勢を忘れず、戦争にはどんな理由があっても、反対する気持ちを持ち続けたい。この「醜い戦争」が一日も早く終わるのをただ願うばかりだ。                (西陵中卒業生)
小 西 玲 子
生きるとは愛とは何かしみじみと君に会うたび優しくなりぬ(輝く旅) 私が悩んでいるとき、隣にいて、同じ景色を眺めながら何時間も過ごしている時の友達から、私は大きな愛を感じます。生の気持ちでぶつかって、叱って泣いて励まして。愛すると優しくなれます。愛されると優しくなり、生きているとたくさんの愛に出会えます。生きて生きて、愛して優しくなりたい。(西陵中卒業生)
高 田 暢 子
夢を見てるような人生今日もまたあっという間の夕闇にいる(輝く旅) あー疲れたとため息をついたら、もう夕方の薄暗い道をゆっくり自転車で走っている。一日はやかったなぁとしみじみ感じる。そんな高校の部活生活もついに終わってしまった。全身に疲労を感じ、重たくなった瞼を一生懸命我慢しながら帰ったのももう大分前のようで懐かしく、二度と戻れない時だからこそ幻のように、この歌のように夢だったようにも思う。人は生きている限り、この感覚は消えず、ずっと死ぬまで続く、どこか虚しい、寂しいもののように思えた。     (西陵中卒業生)
高 島 香 織
生まれれば死ぬのは当たり前なのに死にたくないと思い悩みぬ(輝く旅)私は死ぬのが恐いのです。まだ生きてきた意味をしらないから。なぜ今私がここにいるのかを知らないからだから恐い。私が無になってしまったら、みんな忘れていってしまうだろう。でも、たった一人でも私を愛し思い続けてくれる人がいれば恐くない。なぜならその人の中に私がいるから。完全なる無じゃないから。私は私を離れることを恐れない。(西陵中卒業生)
藤  川    彩
美しさ醜さ常に併せ持つ心を今日は持て余し過ぐ(麦渡風)自分を見ていると悪い、醜い所ばかりに思えるし、仲の良い友達を見ていると、良い所ばかり目に見える。本当の、心の奥の方にいる自分、見えないところの友達を知らないから。反対に、自分の良い所、友達の悪い所ばかり探すのも間違ってる。完全な人間なんていないのだから、美しさと醜さを併せ持っているというのが正しいのかもしれない。 (西陵中卒業生)
蓮 本 彩 香
生き物を殺して飾る人間の都合の神など居るわけがない(輝く旅)世界中にはいろんな神様がいてたくさんの宗教があります。それはすべて人間が造り出したものでしょう。そう思う私でも、つい神様に頼ってしまいます。辛い時や不安な時、多くの人が神様に救ってもらおうとします。地球上のたくさんの神様たちは、まるで人間の弱さを物語っているようです。 (西陵中卒業生)
金 指 な つ み
褒めるのは甘いと陰口叩かれるされど生徒が輝きて見ゆ(輝く旅)「褒めるだけなんて甘い。時には厳しくしろ」と言われるけれど褒めたときの生徒の顔が輝いて見えてそれを見ると褒めないわけにはいかない…という感じ。私も西陵中の時、川添先生に褒められるとすごく嬉しくて「また頑張ろう」という気になったものです。確かに厳しくすることは大切なことですが、時には生徒を褒めて、やる気を出させることも必要だと思うのです。(卒業生)
山 田 小 由 紀
どのような縁でこの世に生まれくる目交い全て映画のごとし(秋徒然)生まれてから死ぬまでに出会う人々の数なんて、地球上の人間のほんのひとにぎり。でも誰に出会うかによって、その人の人生が変わることもある。その出会いを『映画』と例えているのはおもしろいと思った。今戦争で殺し合っている人達もいるし、。人生、まさに映画のようなもの。嫌なこと、悲しいことがあっても誰もが幸せを願うもの。その思いが空振りせず、戦争のない世の中を作っていきたい。人々との出会いを大切にしていきたい。
妹 尾 芳 樹
わが内の無数の生きもの生と死を繰り返しつつ今日もあるべし(輝く旅)今僕達には、ある程度の自由が当たり前のように保証された上で生活ができているが、その自由も誰かの自由を犠牲にしてあるものです。今(四月十六日現在)世界中が一触即発の状態でアメリカの傘下にある日本がいつ攻撃されてもおかしくないのに今のところそれが無いのはイラク戦争で世界の流れがほとんどそちらへ行っているということもあると思います。何かを犠牲にして自分にプラスになる物を勝ち取る。こんな時代ではもはや世界中を幸せにしたり理想郷を実現するなど無理なのか、と考えさせられてしまいました。(西陵中卒業生)
白 田  理 人 
億年も数秒にして大宇宙広げて煙草吸う老爺あり(輝く旅)
 現代の社会の中でせわしなく生きている人々へのメッセージを感じました。日頃僕たちは、目の前の物事ばかりにとらわれがちです。けれども、もっと広い視野をもって、宇宙全体に思いをはせるとき、そこには日常の時間や空間を超越した世界が広がります。すると、自分の身のまわりにあるものはすべて、ちっぽけなものに見えてきます。「煙草吸う老爺」が面白いと思い、この歌を選びました。いかにもくつろいでいるという感じで、はりつめたところが全くありません。一仕事終わって一服しているのでしょうか。まるで、宇宙を創り上げるという仕事を終えたかのように。彼は自分の頭の中に、宇宙を広げていたのかも知れません。彼の目は、きっと宇宙を見渡していたのでしょう。(西陵中卒業生)
乗 岡 悠 香
束の間の平和なれども沖縄の悲劇を風化させずにいよう(秋徒然)
今度のイラク攻撃に「あんたらばっかじゃないの?って本気で怒ってしまいました。だって沖縄の悲劇から百年も経ってないんですよ。悲しいじゃないですか。自分たちが味わった悲しみ苦しみ痛みを後の世の人が受けてしまうのは―。今度こそ悲劇を風化させない、二度と戦争を起こさせない、そのための努力をしていきたいです。 (西陵中卒業生)
斉 藤 実 希 子
確実に次々人も死んでゆく地球の形の林檎をかじる(輝く旅)
地球をかじったら、甘くっても、もっと欲しくなる。もしこのままどんどんすり減っていったら最後に残る『芯』は何なのだろうか。欲深い人間たちの《つけ》がまわってくるのはそう遠くないような気がした。      (西陵中三年生)
磯 部 友 香 梨
鮮やかな黄色い炎の続く道イチョウは未練振りほどきつつ(輝く旅)イチョウが並び黄色い炎がごうごうと、でも優しくそして儚く、日ごと勢いを弱めていくような道が頭に浮かんできました。そのイチョウも今はもう新たな若葉色の炎を勢いよく燃やそうとしています。この若葉達も、時の流れには逆らえず、未練を残しつつ、文字通りの金色の輝く旅に出てしまうのだと思うと、どこか人間の一生を見ているようだなと、深く考えさせられました。
角 島 康 介
言い訳にばかり使われ人により神はほとほと疲れいるべし(輝く旅) 一九九八年に行われたサッカーワールドカップで当時の日本のエースストライカー城彰二がミスをして決定的なチャンスを決めることが出来なかったシーンでNHKの解説者たちが「神様はどこまで意地悪するんだろう」と言ったそうです。このことがたまたま僕の読んだ本に「そんなもの神様のせいにしていては千年経ってもワールドカップじゃ勝てるわけない」と書いていました。例え話などでよく「神様」を使うけど、その本に書いていたとおり、「神様のせいにして嘆くヒマがあれば自分で次からはこうしよう、とか考えなければいけない」と思いました。
良 原 裕 美
十人に一人感応してくれる流氷記わが心の波動(水の器)私もその十人に一人の内か、なんて思いました(笑)詩、短歌、俳句と言うのは、興味の無い人から言えばただの文字列であって、説明されて「あぁ、ナルホド。」と思うくらいなのでしょう。しかし、その少ない文字の中から背景を読み取り自分なりに何かを感じるという事はとても素晴らしい事だと私は思います。 (三年生)
大 津 明 日 菜
日本もそういう時代があったとよ母の少女期戦いさなか(輝く旅)今、イラク戦争の真っ最中です。きっとこれを書いている今も何人もの命が奪われているのだろうと思います。この歌のように少女、少年という青春の楽しい時期が戦争だったというのはとても悲しいことです。今回のイラク戦争では少年達が直接アメリカに何をしたわけでもないのに青春が奪われ、そして命まで奪われる時もあります。日本にもそういう時代があったことを私はこれからも忘れずに生きていきたいです。 (西陵中三年生)
古 藤 静 香
歩むたび次々桜開きゆく空の青さも輝きを増す(新緑号)学校に行く途中に桜が咲いていました。毎年なんとなく咲いている感じでした。しかし、今年はなぜかきれいに見えました。見ただけでわくわくする気持ちが胸いっぱいに広がりました。私の心も空の青のように輝きました。 (西陵中三年生)
森    晶  子
確実に次々人も死んでゆく地球の形の林檎をかじる(輝く旅)ハッとイラクを思い浮かべました。望んでなんかいないのに、目の前の幸せをどんどん奪われて、命まで取られてしまったイラクの人たち。悲惨な結果になることが分かっているのに、平気で爆撃し続ける人たち。どうして…どうしてこの地球をもぎたての林檎の姿に戻せないのでしょうか。ゴミになる前に。(三年生)
奥 田 治 美
物忘れ激しきことも責めるより笑うよりしょうがないじゃないか
(輝く旅)先生のそのままの声を聞いた気がしました。妙な作りっぽさみたいなものがなくて、言葉にかたさもない。そのせいだと思います。切ない感じがひしひしと伝わります。老いるっていうのはこういうことなんだ、こういう身近なところにあるんだと、改めて実感させられます。でもそれは人間にとって成長していくのとおんなじに自然なことだし、その人を責めることはできない。やっぱり笑って老いていくしかないんですね。でも、そういうのもまたステキな老後でいいかなとも思います。(西陵三年生)
安 孫 子 は づ き
生き物を殺して飾る人間の都合の神など居るわけがない(輝く旅) 自分たちだけのために、生き物を殺す……。生きる為には仕方ないのだが、この一首は、それとは違う意味を持っていると思う。生きるために殺すわけでなく、自らを飾るため、つまり、そんな一時的な感情のためだけに他の者たちの命を奪う……そんな人間に味方をする神なんて何処にもいないだろう。一時の感情のためだけに他の者の命を奪うことのないように心していきたい。          (西陵中二年生)
伊 藤 美 沙 絵
黒焦げの人人人を埋めに行く戦争末期の沖縄かなし(秋徒然)流氷記を読む前には「短歌って何?」って感じでした。それをお母さんに聞いたら「あんたなー、短歌ってすごいねんでー!長い文をあんなに短くまとめるんやから!」と言われました。それでも「へー!そうなん?」と思っていた私は流氷記を読んでみました。すると意外に「あー、なるほど!」と思う歌がたくさんありました。この歌を見た瞬間、経験もしていないのに、戦争の風景が想像できました。この歌は沖縄だけでなく、広島、長崎の人々にとっても意味のある歌だと思います。ゾウリムシ二つに裂けて若くなるそんな素敵な生き方もある(秋徒然)この歌は何とも言えないけど、おもしろいと思いました。 (西陵中一年生)
永  島    侑
昨日まで言葉交わしていた人も焼かれてしまえば骨壺に入る(銀杏葉)おととしの夏、私のおじいちゃんが病気で亡くなりました。昨日までいたおじいちゃんが火葬され、その変わり果てた姿に私は一瞬、本当におじいちゃん?と目を疑いました。おじいちゃんの骨は箱の中に入り、持ってみると温かい、おじいちゃんのぬくもりを感じました。おじいちゃんのことを思い出す一首でした。(西陵中一年生)
玉 越 敦 貴
蚊や蠅を殺して喜ぶ人ばかりいるのか日本のテレビの夏は(蝉束間)蚊などを叩いて殺したりするのは大人がやるから、子供がそれを覚えて、殺すのが普通ということになってしまう。だから僕の家では、クモを見つけたら、殺すのではなく、捕まえて逃がしてやる。小さい生き物にも命があるのだから、もう少し温かく見守ってやってはどうかと思う。      (西陵中一年生)
幸  長    彩
流れ星一瞬我も光るらし夢も現つも錯覚ならば(輝く旅) 流れ星って本当に一瞬しか光らないけど、もし長い間光っていて、燃え尽きなかったら、地球にぶつかってしまうから、少しの間しか光っていられないなあと思います。少しの間しか輝けない流れ星も、ずっと輝いていられる星も、同じ星だと思います。人の命も大切さは同じだから、みんなの命も大切にしなければと思いました。
加 藤 靖 子
人のため食べられるため生きている動植物は何思うことなく(明日香)いつも私達が食べている食事の中にも、命があったものはたくさんあると思います。もし食べられずそのまま捨ててしまったら動植物はきっと悲しいだろうと思います。動植物のことを考えるとかわいそうですが、人間は食べないと生きていけない。だから感謝して食べていきたいです。   (西陵中一年生)
吉 田 佳 那
逃げ惑い殺されてゆく人々の沖縄今も戦闘機発つ(秋徒然)人の命を虫けらのように簡単に殺し、人々の心を傷つけ悲しみに落とす戦争。こんな戦争を体験された人のことを思うと「助けて!」という叫び声が聞こえてくるようで胸が痛みます。この一首を読んだ時、こんなに愚かな戦争をどうして今もやっている国があるのだろう、どうして今も恐ろしい核兵器を持っている国があるのだろう、という疑問が頭の中でぐるぐると回りました。大切な命を奪う戦争はこれからも二度と繰り返してはいけないと思う。みんな一人一人一生懸命生きているのだから。 (西陵中一年生)
原 奈 津 季
突き詰めて思えば生も死も全てあっという間の過去となりゆく(輝く旅) 私はこの「あっという間」という言葉をよく使います。でも「あっという間」を長さに表すなんて私は考えたこともなかったので、何だかとっても不思議な気持ちに、すごいなーという思いにもなりました。言葉を長さにするなんて考えられなかったからです。そんな私でももっとよく考えれば、すごいことをかんがえられるんだなーと思ってもらえるようになるんじゃないかとも考えました。これからは言葉をもう少し考えながら使っていこうと思います。 (西陵中一年生)
中 山 あ き み
人間が粗末に棄てた食べ物にゴキブリ寄れば撃ち殺すのみ(秋徒然)人が食べ残した物にゴキブリが無駄にならないようにと寄って来ているのに撃ち殺すのは、人間は少し身勝手ではないでしょうか。ゴキブリから見れば人間はどのように映るのかと思つてしまいます。  (西陵中一年生)
大 塚 麻 亜 子
ゴキブリに悲鳴を上げる妻よそれニンゲンよりも大きなものか?(蝉束間) 私は虫などが大嫌いです。特にゴキブリやクモなどが嫌いです。でもこれを読んで、虫は人の身近にいて数も多いもので、あんまり嫌うとかわいそうかなと思いました。これからはあんまり嫌わないようにしたいのですが、果たしてできるでしょうか? (西陵中一年生)
吉 田 圭 甫
堂々とヘルメットせずに仕事する新聞配達バイク見ている(未生翼)僕もなぜか堂々とヘルメットをせずに新聞配達をする人を見て不思議に思ったことがあります。それが認められているような何かがあるのでしょうか。交通違反については周りの人から見ても迷惑だし、本人のためにも守って貰いたいです。また、一方通行を無視して走るバイクにも、そんな勇気があるのなら他で役立ってほしいと思います。 (西陵中一年生)
中 野 大
さまざまな形にペンを持つ指の動いて試験たけなわとなる(蝉束間)最初は意味がよくわからなかったけど、何回も読んでいるうち、意味が分かるようになりとてもおもしろくなりました。こんなふうに周りの何でもない風景をじっと観察するのもいいなと思いました。 (西陵中一年生)
中    皐  月
人間が粗末に棄てた食べ物にゴキブリ寄れば撃ち殺すのみ(秋徒然)授業中に先生がよくこの話をしてくれます。私も「そーだよなーゴキブリさんだって生き物なのに」って思っていました。ゴキブリがかわいそうです。ゴキブリを殺すとき、かわいそうとも何とも思わず殺してしまうのは何か哀しいです。動物や森林を平気で殺したり切ったり、私達が生きていく上で大切な物だったりするものだけど、ちょっとでもそういう物に優しい感情を持つべきだと思います。 (西陵中一年生)
待 谷 貴 央
真っ黒なガマに無数の無念の死つまりて点す形象ある身が(秋徒然) 僕も戦争が嫌いです。何十万人もの命を奪い多くの罪のない人々を犠牲にした戦争が憎いです。世界には今でも戦争をしている国があります。そんな国の人々の戦争の悲しさが世界に伝わって、少しでも戦争に反対する声がふくらんでいけばいいなと思います。 (西陵中一年生)
乗 岡 智 沙
今われが生きているこの幸せに勝るものなし過去も未来も(蛍)
ここに生きていることの幸せは何にも勝るものはない。どこまで行こうがどこまで戻ろうが…人は今のこの時この場所しかないから、過去も未来もつかむことが出来ない。人には過去も未来もあるのに、今、ここが好きだと思えるのは幸せなのかもしれない。
松 本 崇 嗣
人間が粗末に棄てた食べ物にゴキブリ寄れば撃ち殺すのみ(秋徒然)見た目が相手に醜くみえるだけで何てひどいことをされるのか。ゴキブリのように相手の勝手な思いだけで殺されていく世界のどこかの人々のことを思ってしまった。 (西陵中一年生)