藤  本  義  一
さまざまな海の生き物組み合わせ奇妙奇天烈ヒトというもの(帽子岩)実は十数年前、沖縄の瀬底島に行ったことがある。沖縄本島を二時間半車で北上して島に着き、琉球大学臨界実験所に着き、一日中海岸の砂浜にいた。そこで見た光景の心境がまさにこの一首に集約されている。無数のナマコが微動だにせずそこにいたのだ。貝の類はゆっくりと動いていた。
一体、このナマコたちの時間と私の時間はなんなのだろうか。こう考えているうちに一日が過ぎた。このナマコに生まれてきたなら、一体、現在はなにを考えているのかと思った時、ヒトのいい加減さを感じたのである。          (作 家)
  島  田  陽  子
我もまた土の一部かしとしとと降る春の雨聴きつつ眠る(帽子岩)この感性はなつかしいものとなりました。高層建築の一室に眠る人間は春の雨音に気づくことなく、土の一部かという皮膚感覚も忘れています。土から遠くはなれ住むことは、生物としての素朴でまっとうな感性を失ってゆくことに気づいても、現代の住宅事情ではどうにもなりません。だからこそ、意識して自然に接したいと思うのでしょう。「丸鋸のような夕日が氷海の果てに真っ赤になりて遠く」のを見れば人生観も変わるかもしれません。《丸鋸》という表現で夕日の大きさや、目くらむ輝きが見えるようでした。    (詩人。『共犯者たち』『島田陽子詩集』)

  畑  中  圭  一
群れないと逆境になる職場にて独りしみじみ十年が過ぐ(帽子岩)群れの中にしか居場所が見つからないという人は、弱い人間だ。しかし、そんな弱い人間も群れをつくると強くなって、「群れない」者を疎外し、虐待する。「群れないと逆境になる」とは最悪であるが、現実にはそういう職場がいまだに存在するのである。五十年前、私はある詩人の「詩を書く人間は、徒党を組んじゃいかん」という言葉に共鳴し、「群れない」人間として生きてきたつもりである。幸い、そのために逆境に追いやられたという覚えはないのだが……。(詩人。『いきいき日本語きいてエな』)
  三  浦  光  世
棺に居る死者には関わりなき葬儀なのかも集う人なつかしき(帽子岩)人の死に際して、出会う人との交流を懐かしむことはよくある。が、それを一首にするのはむずかしい。人生の機微を洞察する時、このような歌が生まれるということであろう。
群れないと逆境になる職場にて独りしみじみ十年が過ぐ
初句の把握はさすが。ここにも人生への深い視点を見る。
突然にかつて生徒を傷つけた言葉に思い至ることあり
自分の言葉に傷ついた誰彼を、私も悔やむ毎日である。共感深し。 (『死ぬという大切な仕事』『妻と共に生きる』『綾子へ』)
  加  藤  多  一
民主主義共産主義もサル科ヒト棲めば争い繰り返しゆく(帽子岩)この作品の作者にも、今日は「苦言」を書きます。私が短歌実作から離れたのは、ともすれば短歌的抒情が硬質の論壇を湿らせ曇らせるからです。この作品についていえば民主主義に対置すべきは共産主義でなく独裁制あるいは専制主義という用語だと思われます。民主も自由も都合のいいように使われる。それに乗せられないのが少なくとも「詩人」の誇りだと自戒しています。戦争準備法を有事法制と呼びかえて国会を通したこの国は、天皇制民主主義の国。戦争不可避の印象を誤って持たれぬようにあえて苦言を。       (童話作家。オホーツク文学館館長)
  岩  田   一  政
悔しくて眠れぬ夜は選り分けて言葉を歌となるまで磨く(帽子岩)
「言葉を歌となるまで磨く」という表現に、悔しい気持ちをより高い次元の境地に耳をおくことによって、悔しさを乗り越えようとする思いが伝わって来ます。私も、自分の言ったことが曲解され、どのように気持ちの整理をつけようか、寝ながら七転八倒したことがあります。悔しくて昇華する方法は、他にもあるでしょうが「言葉を磨く」ことも、一つの方法と思います。もう一つの方法は、心をひたすら鎮めて、省察を深めることだと思います。        (武道研究家。日本銀行副総裁。)
  佐  藤  通  雅
突然にかつて生徒を傷つけた言葉に思い至ることあり(帽子岩)
私も三十八年間教師をしていたから、この歌に思い当たることがいくつもあります。逆に生徒から傷つけられたこともあり、回数からいったらこの方が圧倒的に多いのですが、それらの大方は記憶からどんどん消えていきます。しかし自分が傷つけた方は消えていかず、今でも生傷のようによみがえることがあります。とりかえしがつきません。けれど「教師は失敗によってこそ成長するものだ」といわれます。その一言に助けられました。今の時代は失敗があるとどんどんバッシングする。これでは教師が育たず、枯れていく一方です。           (『路上』主宰)
  江   口     節
何ひとつ無駄などなくて生きてきたこの頃そんな思いに浸る(帽子岩)悔恨や願望はいつも生活のかたわらにあって、悟りとは程遠い日々ですが、振り返って、どの行為も言葉も今の自分につながっているのだとつくづく思います。その良し悪しを言うのではなく、あるがままを受け止めるところから、また明日への一歩が踏み出せるのかも知れません。 (詩人。『叢生』同人。)
   上  山  好  庸
黎明は雀と鳩の声ひびきこの世の音を初期化している(帽子岩)
 先日、河瀬直美監督の「沙羅双樹」の試写を見た。冒頭、奈良町の一画をなめるようにカメラが切り込んでいくのだが、どれとは言えぬ雑多な生活ノイズが増幅し、見る物を不快なまでに圧倒していく。思えば溢れる雑音の中から必要な音だけを意識的に受け入れているのが私たちの日常かもしれない。それを雀や鳩が日々初期化しているのか。 私の寝床にはここ数日「ちょっとこい ちょっとこい」とコジュケイがけたたましく入り込んでくる。昨夜はフクロウの鳴き声が枕元まで響いていた。もう少し寝かせてくれればいいのにと、筍の香が漂う真竹の竹薮を見やる。    (写真家。演出家。『明日香路』『厩戸皇子』)
   宍   戸    恭   一
真夜中に目覚めて自分の内臓に元気でいろよと思う外なし(帽子岩)五十年来三好十郎との対話に使用してまた全資料を佐賀県立図書館へ寄贈した。これで私の《魂》は十郎の出生地に住みつくことになった。念願が叶った私と、この《魂》との交流は、「対話」が深く刻み込まれた内臓の生命力に、その成否がかかっている。今回、私が選んだ一首には、私の現在そのものが、見事に表現されている。 (京都三月書房店主。三好十郎研究家。)
  林    哲  夫
本能と生殖なのに猥褻という文字ヒトは持ちあぐねいる(帽子岩)うちの娘にさかりがついて、このところ「男はどこだ〜」といった感じでキュ〜ンキュ〜ン鳴くのである。合コンでもセッティングしてやりたいくらいだが、そうもいかない。むろん飼い犬の話。ただ、一定の時間が過ぎるとこの現象はピタリと止む。種の複製プログラムのリズムだなあと感心する。面白いことに『説文』は「猥」を犬の吠え声だと解釈している。「猥」は下着だそうだ。そこから「乱れ、汚れたさま」に転じた。それはさておき、この一首、「ヒト」じゃなくて「ワレ」なのかも。  (画家。『喫茶店の時代』)
   リカルド・ヲサム・ウエキ
どこか嘘ついて生きてる人々が今地下街にあふれつつ行く(帽子岩)私自身嘘の皮かぶって生きていますので、心にぐさっと突き刺さった歌です。どうせ嘘をついていなければ生きておられないのなら、いっそ嘘で固めた小説ほんまらしく書いて、「これは体験していなければ書けない小説ですね」と読者が言うのを聴いて、べろっと舌出して、老後を楽しんでいます。世界中嘘だらけなのに、ほんまのことだと惟うてる純朴な人も案外多いんですね。だからブッシュやフセインやその他おおぜいの政治屋どもが、自分こそ正義だと大嘘ついて、自分らも嘘つきながら、偉い人?の言うことをほんきに聴いて、まじめに生きてる無辜の民騙して、殺し合いさせるんですよね。金儲けのために。 (作家。『白い炎』『アマゾン挽歌』『花の碑』。ブラジル在)
  藤   野    勲
網走の二月の雀よ酷寒の大気を群れて鳴きながら飛ぶ(帽子岩)
 「二月酷寒には革命を組織する」の美しくも潔い一行ではじまる「二月革命」が収められた『吉本隆明詩集』一冊をいつも小さな鞄に入れて彷徨っていた学生時代の日々を突然思い起こさされたのは、作品の「二月」「酷寒」の言葉ゆえにほかならないのでしょうが、それも「網走」という地名があるが故になおさらといえるでしょう。記憶に、というよりも身体の深いところに染みついてしまった詩行をゆくりなくも揺り動かし目覚めさせる力を短歌という形式は有しているようで、そうしたいくつかの詩行を身体の深いところに染み込ませたまま、ついには向こう側に行くことになるのだなという思いを抱かされたのでした。さながら網走の酷寒の風に吹き飛ばされている小さな雀のように。 (俳誌「ひいらぎ」同人)
  佐 藤  昌 明
意に添わぬ者には敵意むきだしにして人かなしけだものなれば
(帽子岩)人、普段は人柄さも出来たように振る舞うが、一旦敵と見るや、追いかけ、噛み付き、振り回すこと獣の如し。そのさま哀れとも愚かなりとも‥‥仏教では邪険の輩(ともがら)とも言う。我もまた邪険の輩の典型的な見本にて自らを持て余し居る。人はサル科の時代から精神的には一歩も進化していないことを喝破。お見事! (作家。『北に生きる』網走在)
  大  島    な  え
貝殻のごとき布団の中に寝て夢見て人は肺呼吸する(帽子岩)
夜明け前に雨の音を聴きながら、まどろむ時間は天国にいる気がする。このままずっと布団の中で寝ていたい。と思うが生きているかなしさ。目が覚めて、また一日の仕事に行かなければならない。以前に吉行淳之介の小説に、病弱だった主人公が入院する時「布団の中に行けていいな」と言われるところがあったと思うが、そう言われた本人は、どちらかというと地獄の方を近く感じていた。微熱で学校を休み、布団でゴロゴロしながら、枕元に雑誌を広げ、冷たい飲み物に甘いケーキもある。そして今だけは優しい家族。そんな記憶をふと思い出していた。   (作家。『本屋さんで散歩』)
  半   澤     守
意に添わぬ者には敵意むきだしにして人かなしけだものなれば(帽子岩) 今の米国、そしてイスラエル、一国を統轄する人間の浅薄考慮が悲劇を生んでいる。自己満足を得るために戦争行為を始め、そして追従する国民の考えは理解できない。また同盟国という名のしがらみに囚われて、海外へ派兵するという政府与党の輩は何を考えているのか。所詮無能な烏合の衆なのだ。広大な藪の中の小さな泉では、しょせん言いなりにしかならぬのか。嘆かわしい限りである。この一首に詠われた「人かなしけだものなれば」が救いのない現世を表現している。 (『浜ぼうふうの会』同人。網走在)
  鈴   木    悠   斎
人殺し正義がやれば許される理不尽がまだドラマの主流(帽子岩)
世界もかくの如し。ブッシュ大統領がアフガンでイラクで正義のためと言って人殺しを繰り返し、同じアメリカがベトナムで大量殺戮し、長崎広島に原爆を落としても許されるこの世界が不思議です。もっとも落とされた当事国が喜んでアメリカの尻にへばりついているのですから何をか言わんや。そこで私はこんな歌を詠みました。「こわいなあ地球の藪医者ブッシュさん破壊科汚染科虐殺科」「恥知らずアメリカべったり小泉さんアメ尻あまいかしょっぱいか」『折々の歌』も認める川添氏の歌誌にこんな戯れ歌は似合いませんがご勘弁のほどを。 (書 家)
  井  上  芳  枝
氷原が果てまで続くその果てに燃えつつ夕日今沈みゆく(帽子岩)敬虔な感じに打たれます。北九州生まれで、ずっとこの温暖な地に根を下ろしている私にとって、氷原の世界はあこがれです。落日の何とも言えない神々しさ。りんとした空気が伝わってきます。四句目の「燃えつつ」で、力強さが伝わってきます。氷原に沈みゆく落日、一幅の絵のよう。一度眺めてみたいなあ。どんなに心がしびれることでしょう。  (北九州大蔵中学時代恩師)
  川  口    玄
どこか嘘ついて生きてる人々が今地下街にあふれつつ行く(帽子岩)「どこか嘘ついて生きてる」とは何とうまい言いまわしかと思う。まっ正直に生きているんだ、と自信を持って言いきれる人が、この世にいるのだろうかとも思う。「群れないと逆境になる職場にて独りしみじみ十年が過ぐ」という歌も、私の好きな一首です。     (『大阪春秋』編集長。)
  神   野    茂   樹
それぞれに正義と悪があり我も悪の一人になることがある(帽子岩) つらつら(ではありませんが)読みすすむうち、右の歌に、オレもそうだなと思い、選びました。以下の歌は読まずじまいです。悪いヤツです。      (『大阪春秋』編集委員)
  小  川     輝   道
突然にかつて生徒を傷つけた言葉に思い至ることあり(帽子岩)
川添さんは、飾らない自然体、持続する姿勢で生徒に向き合っていたのではないか。それは根底のところで影響を与える。その人が生徒らを傷つけた言葉に思い至る。人間対人間の関係のなかでの教育のはたらき、それ故にさまざまなことが起こりうる。それらの波動を受けながら生徒は育っていくと思う。私達の言動は、完璧なものはあり得ないが、「子らを傷つけたことば」にふと気づきながら、同情や悔恨、そして教師としての教育力の再生を掌中にしていく。そのようなはたらきを考える時、私も自身を振り返りつつ、作品の持つ素直さに親しみをもった。(元網走二中教諭。北見在)
  井  上  富 美 子
雨の音そのものになり聴いている地中に眠る命の鼓動(帽子岩
 この歌に出逢い、ふと思い出されたことがあります。もう二十五、六年前のことです。その日も雨音が聴こえていました。放課後、職員室で数人の先生方と語らい中、ある先生が「幼少の頃、両親は仕事で朝早く出掛け、ひとりで留守番をしていたとき、今日のように雨が降ってきて、ますます孤独感が大きくなってきてね。いつしか屋根を伝って聴こえてくる雨音に耳を傾けていると、恨めしい雨音が、次第に友だちの声のように聴こえてきてね。自分は独りじゃないんだと心の底から思えるようになってきてね。元気がでてきたんだ。雨の日も悪くないなと子供心にも感じたよ。不思議なものだね‥」と優しい眼差しで思い出話をされていました。その時、私はその先生の感受性の深さと、心を癒してくれる自然の力の偉大さにすごく感動したのことを昨日のことのように思い出されました。自然の心のうちに触れながら日々の暮らしを送りたいものです。 (元網走二中教諭。網走在)
  釜    田      勝
群れないと逆境になる職場にて独りしみじみ十年が過ぐ(帽子岩)
他に「先生と呼び合う苦しみもありて職員会議ようやく終わる」という歌もあり、作者は《群れる》つまり《馴れ合う》ことを嫌う熱血教師であると拝察しました。四、五句の「独りしみじみ十年が過ぐ」という表現は、本来寂しく感じるものですが、今、この一首に限っては、孤軍奮闘というか、逆に作者の凄いバイタリティーが伝わってくるのです。「だっだっだっ港の流氷掻き分けて小さな生活(くらし)の船が出て行く」も純朴な温もりを感じさせる、いい歌だと思います。 (元『競馬キンキ』編集長)
  千  葉  朋  代
亡くなるは無くなることか今日一つ義父の形見の草履を捨てる(輝く旅)あれもこれもと取っておいた父の形見もいつの間にか姿を消していきました。「父」という、私の外にあった存在がこんなにも私の中にあることを感じ、物の中に父を見る必要が無くなってきたのだと思います。敢えて言えば、今は私自身が父の形見なのでしょう。ここまでと亀裂広がる氷原にきつねの足跡一筋続く(帽子岩) 評言の足跡に数時間前のきつねの姿が見えます。どこに向かって歩いているのか、時折曲がったり、立ち止まったり、そこで何があったのでしょう。足跡をたどるのは、ちょっとした時間旅行ですね。人間が立つことを許されない流氷と海の境界で、このきつねが見たものさえ感じ取れそうです。この歌には四次元の広がりがあると思います。その広がりがオホーツクの情景をよりリアルに感じさせてくれました。それと、足跡が残るのは雪国ならではと、改めて嬉しくなってしまいました。
 (『私の流氷』)
 木  村  草  哉
ゆっくりと攝津富田に入る電車始発明るき透明な箱(帽子岩)
どこかへ出掛けるのか、朝の始発電車を待っているとガラ空きの電車が室内灯も明るくホームへ入ってくる。作者は、それを「透明な箱」と把握する。八〇首を越える今号の作品の中には「述志」の歌なども含まれるが、私は、この歌のさりげない叙景が好きだ。少なくとも、ここには「詩」がある。「摂津富田」というのは東海道本線の高槻の一つ大阪寄りの駅名で、川添氏の住いする所である。「地名の喚起力」というものがあり、地名という固有名詞をうまく使うと趣きのある作品が出来る。この歌は、そんな一つである。 今号の巻末に「流氷記」二五号所載の
*流氷が今日は離れて彷徨うと聞きて心も虚ろとなりぬ
という歌が朝日新聞の大岡信「折々のうた」三月二八日付に掲載されたと書かれている。この歌にも何とも言えぬ哀調を帯びた「詩」がある。  (『未来』『霹靂』)
  黒 崎 由 起 子
太陽も月も地球もわが死後も変わらず何ということもなく(輝く旅)春の朝、突然母が何やら片付け始めた。押入から箪笥、本箱の引き出しまで引っぱり出している。「私がいなくなったら、後の人が困らないように片付けておかないと。」独り言めいた言葉を聞きながら、私は黙ってその作業を見ていた。しばらくすると母は「これあなたにあげる。」と雑煮椀五客を差し出した。慎ましい暮らしの中で母が受け継いできた塗りの古びたお椀。お母さん、こんなものもう使わないよという言葉を飲み込んで「ありがとう」と受け取った。誰がこの世からいなくなっても、何も変わらず過ぎていくよと思いつつ、母にはそう言えなかった。(長風)
 利 井 聡 子
桜雨聴きつつ眠る幼き日も今も変わらぬ耳の洞窟(帽子岩)「桜雨」という出だしが甘美な雰囲気を醸し出して、耳の洞窟に落ちていく雨音のやさしさまで感じられる。感受性の強い少年の頃より、雨音にさそわれながら眠りに入りゆく作者。その雨音は耳の洞窟の水滴の静かさを伴って今も―。やがて年老いて耳遠くなり洞窟の水滴を感じなくなった時、作者はこの桜雨の音をどのように捉えて詠むのであろうか。そんな未来の歌も楽しみに、長く流氷記を読んでいきたいものである。(『飛聲』利井常見寺坊守)
  坂 上 禎 孝
生きている人自ずから運ばれて電車と電車すれ違いゆく(帽子岩)
人は元気でいる限り活動する動物であり一人一人その目的に向かって東奔西走を繰り返し命の尽きるまで止むことはない。自家用車であれあらゆる乗り物の中には、さまざまな人達がいて、決して同一人間ではなく、それぞれ違った人生観を持ちながら、また違った思考のもとにその目的に向かって生きている。そしてこの日本の大きな社会が創造されているのであろう。行き交う電車の中の人々の人間模様までも感じさせる奥深い歌と捉えた。誰もが見過ごしてしまいそうな歌だけに敢えて取り上げた。
  (『好日』同人)
  羽 田 野  令
限りなき闇の奥へと点々と蛍灯れば導かれゆく(蛍)川がきれいになったのか、ごく普通の住宅地なのですが、今年初めて裏の有栖川で蛍を見ました。闇の中に灯っては消え消えては灯る光の美しさに、先週は毎夜川まで見に出ました。その幻想的な光はいろいろなことを思わせてくれます。闇の中に灯る蛍の光に、作者は「導かれゆく」と言っていますが、その行く先の「闇の奥」とは、どういう世界なのでしょうか。蛍の導く闇の奥には、自らの心の裡の深淵が、自分でも掴むことの出来ないような、深い真っ暗な口を開けているのでしょうか。   (『ヤママユ』『吟遊』)
  川 田 一 路
氷解の上に座れば悲鳴とも怨嗟ともなき声こだまする(帽子岩)
第三十八号には流氷を詠んだ作品に印象的なものが多かった。多々あるなかで僕には写生詠よりも流氷に託した心象詠に、より魅力を感じる、選歌した作品がその範疇に入るか否かはともかくとして、氷海の上に座ったときの心情がよく分かる。悲鳴とか怨嗟といったものは冷たく凝り固まるものである。それらの声が氷塊からギシギシと声なき声を軋ませて呻いている。恐ろしい作品だ。「だっだっだっ港の流氷掻き分けて小さな生活(くらし)の船が出てゆく」 対極的なこの作品も人間に対する愛情が滲み出て好きだ。 (『ヤママユ』)
  柴 橋 菜 摘
みしみしと流氷鳴りて裂け目より透明な血の海が噴き出す(帽子岩)どの歌にしようか迷った。何首もこちらに響くものがあり、「氷塊の上に座れば悲鳴とも怨嗟ともなき声こだまする」とともに、見たこともない流氷たちの景色が浮かぶ。そして、地球の叫び、人々の嘆き、川添さんの想いが聞こえてきたのである。(そんな気がした)私達を取り囲む事象に対して、その心を感じ取れる生き方をしたいと思う。自分なりの伝え方を、日々模索しているところである。    (奈良大和高田市在住)
  里 見  純 世
丸鋸のような夕日が氷海の果てに真っ赤になりて墜ちゆく(帽子岩) 表紙の帽子岩の写真を眺めたら、右の一首を何度も繰り返し読み味わっているところです。丸鋸のような夕日がいいですね。下の句の「真っ赤になりて」という歌い方によくマッチして小生の心を深く捉えました。とても印象的だと思いました。もう一首の「流氷がいまだ接岸すると聞く春の嵐の吹きすさぶ夜」も良い歌ですね。あばしりを遠く離れた御地より流氷接岸に思いを寄せている先生の姿が浮かびます。二首とも具体的で歌意がよく通り、然も余韻があって惹かれました。(『潮音』『新墾』同人。元網走短歌会会長。)
 葛 西   操
今われが生きているこの幸せに勝るものなし過去も未来も(蛍)
私は現在九十三歳になりました。先生のお歌を拝見して色々と考えさせられることがあります。この歳にして過去に苦しみなしということは詭弁ではないか、人として常に多少の苦しみまた悲しみもあるものと思って暮らしておりましたが、現在健康でいるのが何より幸せではないかと気づかされました。いつ神のお召しがあるやもしれませんが、命ある限り先生のお歌を拝読させていただきながら命の大切さと幸いを味わっていきたいと思います。先生のご活躍を祈ってやみません。(『原始林』。網走短歌会。)
  田  中     栄
流氷が動きて微かな音ひびきクリオネ羽をひらめかすらし(帽子岩)春風にのって流氷が軋みながら岸を離れるのであろう。その動きに伴って微小な生物であるクリオネが、海中に羽根をひらめかせて泳ぐ。想像の世界だが、クリオネは流氷の季に存在する。天使のような羽根を持ったかすかな生物だ。一首自然と生物との動きが出ているが、少し複雑な思いが惜しまれる。(『塔』)
  前  田   道  夫
氷原が果てまで続くその果てに燃えつつ夕日今沈みゆく(帽子岩)はてしなく続く氷原、その果てに今、沈もうとしている夕日がある。単純化された表現は、実際の氷原に接したことのない私にも、その光景は、鮮明な映像として目に浮かんでくる。「丸鋸のような夕日が氷海の果てに真っ赤になりて墜ちゆく」丸鋸のようなという捉え方に独自性があって面白いと思った。(『塔』)
  榎  本    久   一
丸鋸のような夕日が氷海の果てに真っ赤になりて墜ちゆく(帽子岩)比喩がすばらしいと思った。氷海を見たことのない者にも、全力回転の丸鋸さながらの夕日が音のない音をたてて墜ちてゆくさまが目に浮かぶ。この風景から理論を超えてさまざまなことに思いが゛及ぶ。いつまでも記憶に残る歌だと思う。他に「ゆっくりと摂津富田に入る電車始発明るき透明な箱」過不足のない表現と地名が好きな歌だと思った。 (『塔』)
  小    石      薫
我もまた土の一部かしとしとと降る春の雨聴きつつ眠る(帽子岩)安らかな思いの伝う歌と思います。地の上を安らかな所と感じるのは地の上に生まれた生きものがみな共有する本能的な感覚といえるでしょう。そして私たちは本来土に還るべき命です。地上の生命の連鎖を受け入れる自然な気持ちが「土の一部か」という言葉を引き出したと思いました。土に沁み入る雨の音とともにあるいはその匂いなども感じ取っているのでしょうか。それから「何一つ無駄などなくて生きて来たこの頃そんな思いに浸る」の作品も前作品と底辺でつながっていると思いました。(『塔』『五〇番地』)
  鬼  頭    昭   二
流氷は掻き分けられてまた凍り船の軌跡も白くなりゆく(帽子岩)理屈なく心にしみ入る光景である。限りなく白く広がる世界。そこに一つの船。一時その船によって生まれたアクセントもすぐに消されていく。過去から繰り返されている自然と人的異物との関わりの普遍性へのいとおしさのようなものを感じされる。(『五〇番地』)
  竹   田   京   子
ブラジャーもシャツもパンツも回りいる振動に家ひそまりてあり(卵黄海)全自動洗濯機を回しているのでしょう。「洗い」の大小の振動、「脱水」の折の洗濯機全体が移動するほどの振動などが思われます。午後でしょうか。女性用の下着であるブラジャーと男性用の下着であるシャツとパンツが洗濯機の中で回っています。その振動は作者一家の日常をより多く知っている家内(いえぬち)をひそかな振動に変えてゆきます。ある日の午後、ふと覗き込んだ洗濯機漕内、そこには少し前の作者一家の日常がまるで走馬燈のように巡り巡っているのでした。そしてひそかに自らを取り戻してゆく作者を見守るようにひっそりと家内は静まりかえっていたという主観が働くのは必然かもしれません。尚この一首、河野裕子氏の「二日も三日も怒りて荒きわれの辺に小家族草のそよぎにも似る」を連想させる一首であること、また紛れもなく作者の才気と不断の修練から生まれた「ブラジャーもシャツもパンツも回りいる振動に」の表現であることなどを記しておきたいと思います。         (『天』主宰)
  甲  田    一   彦
人間の際限のなき欲望はブラックホールに呑まれゆくべし(帽子岩)生きるということは殆ど本能のままではないだろうか。まず浮かんでくるのはそんなことです。本能といえば聞こえはいいのですが、凡人にはやはり煩悩のことです。百八煩悩といいますから、人があの手この手で追究する欲望は、本当にブラックホールに呑まれないと終わらないというこの歌に拍手するよりないと思います。「悔しくて眠れぬ夜は選り分けて言葉を歌となるまで磨く」作歌の裏面というのでしょうか。「際限のない欲望」の歌と並べると、全くブラックユーモアです。だから人間という不可思議な生物。この人にこの歌があることを、私の座右の銘にしたいと思っています。(『塔』北摂短歌会会長。高槻十中時代校長)
  遠  藤   正  雄
リモコンにみな操られいるような視界は携帯持つ人ばかり(帽子岩)上句の比喩がよく効いている。人はリモコンに操られ、やがては、ロボットに操られる世になるのだろうか。核を作った人間が、核に脅え、文明が地球を蝕んでゆく。この歌を読んで、携帯の氾濫が便利さだけのものでなく、将来の不安を暗示している。「戦争では罪にはならぬ人殺し三面記事とは何なのだろう」最初、目に止まった歌である。三面記事の内容については何一つ書いていない。その分、この歌の幅を広くした。遠い処で聖戦を唱えつつ争っているが、身近な処では人殺しの裁判は行われている。さりげなく下句に繋いで、余韻を醸し出している。 (『原型』)
  塩  谷   い さ む
戦争では罪にはならぬ人殺し三面記事とは何なのだろう(帽子岩) 敵の飛行機を何機か撃墜すれば忽ち「軍神」であり、敵艦をいくつか轟沈すればいくさの「神様」になる。戦争では人殺しをたくさんして武勲の勲章を与えられるが、一方では人命を疎かにしてはいけないとも教える。斯うして聖戦と正義との戦いは続き、新聞記事はそれを煽るように書き立てる。「人殺し正義がやれば許される理不尽がまだドラマの主流」としてもてはやされるのである。哀しい現実があり、まこと矛盾した話である。《靖国へ貴様の分も泣きに来る》   (『塔』)
  平 野   文  子
流氷がいまだ接岸すると聞く春の嵐の吹きすさぶ夜(帽子岩)
歌集のタイトルともなっている作者の心の拠り所、流氷を淡々と詠んで、しかもその裡に熱い思いが込められているのを感じます。平成六年三月、私は大阪の海遊館における「オホーツク流氷ウィーク」のイベントに参加したことがあります。そして北の海の流氷に初めて手を触れたことを思い出しました。「流氷の天使」ともいわれるクリオネの優雅な舞、愛らしいペンギン、個性的な泳ぎのマンボウのことなどなど‥‥流氷と共に、今でも鮮明に私の心に残っています。   (『かぐのみ』『北摂短歌研究会』)
  大  橋    国   子
みしみしと流氷鳴きて裂け目より透明な血の海が噴き出す(帽子岩) 流氷を見たことはないのですが、これは流氷の鳴き声ではなくて、人の心の内の、もっと言えば、川添さん自身の裡の叫びではないかと感じました。叫び、血を流し、生きていくのが人なのかもしれないと思います。但流氷の海が流すのは透明な血なのでしょう。私も大きな自然の中に放り出されたいことがあります。「ゆっくりと摂津富田に入る電車始発明るき透明な箱」小さな駅に着く鈍行の電車。なぜだか春の朝早くの電車のような気がします。それだけで爽やかで少しの希望がある。これからどんな旅をする人があるのかは分からないけど。 (『北摂短歌研究会』)
   山    本      勉
それぞれに正義と悪があり我も悪の一人になることがある(帽子岩) この一首をイラク戦争という大きな問題から見た場合、深刻な一首だと思う。イラク戦争で徹底的に反対した人、それも正義だろう。また、平和を脅かす代名詞のようなフセインを倒すことも正義だ。この二つの正義が、反対側から見れば悪と映る。このジレンマに苦しんだ人も多かっただろう。「ヒトラーや金正日を望むのか従順時に残酷になる」「ヒトラーに忠実だった人々が戦後見事に消えてしまえり」ナチの幹部たちは民衆を置き去りにして見事に消えた。あの残虐なアドルフ・アイヒマンを捕らえたのは奇跡だろう。そして今、フセインに忠実だった人々の多くは、どこへ消えてしまったのだろう。そのうち金正日の回りの者たちも消えるだろう。「仕方ないの中の犠牲に幼子の何も語れぬ死が置かれおり」独裁や戦争は、いつもこのような犠牲者を生み出すものだ。丸い地球に丸い平和が訪れる日は、人類の住む限り訪れることはないのだろうか。   (『北摂短歌研究会』)
  山  川   順  子
リモコンにみな操られいるような視界は携帯持つ人ばかり(帽子岩) 十年も経たないのにあっという間の普及、次から次の新機種。今から十年後はどのような性能になっているだろう。アンテナ向けるだけで人の心が読め会話しなくてもいいとか?歩きながら自転車、車を運転しながら、友達と一緒なのにメール打ち、禁止なのに公共交通で堂々と。何これ、そんなに楽しいの、見つめる姿は他人を寄せ付けないバリアが張っているようだ。メールで一斉に〇〇せよと言ったら従うのかな。ストレスをなくすには、見ない、聞かない、言わない状態に自分がなるか。        (『私の流氷』。札幌在。)
  上   山    好   庸
もうこれで死んでもいいと言う程の作品ありや今日もまた過ぐ(輝く旅)この世に生を受けた以上、自分の役割を全うしなければと思いつつも、つい怠惰な日常に流されてしまう。一生懸命さも時に空回りしていることに気がつかない。思い通りにいったかなと思うとすぐ自己嫌悪に陥る。「もうこれで死んでもいいと言う程の作品」には一生出会えないかもしれないが、それでも次こそはと気合を入れ替える。その膨大な積み重ねを振り返りながら「思いはおのずからでありたく」と納得なることだってある。生きていくということは実に厄介なことだが、おもしろい。
   (写真家。演出家。『明日香路』『厩戸皇子』)

  高   田    暢   子
仕方ないの中の犠牲に幼子の何も語れぬ死が置かれおり(帽子岩)
先日、中学一年生の男の子が四歳の子供を殺したというニュースを聞いた。ニュースでは犯人の子供は普通だった、優等生だったと。こんな子供が子供を殺してしまう事件ではいつも同じことが聞かれる。普通という言葉の意味が何なのか、事件の度に考えさせられる。普通という言葉で一括りにされてしまう世の中を‥‥。自分も《普通》の世界に生きている恐さ。でも一番恐いのは、殺人事件が起こるといつも注目されるのは犯人で、犯人の人物像、動機ばかりがニュースで流れる。いつの間にか本当の命の尊さ、幼い子供の命が一つ、確かに失われてしまった事実を忘れているのではないか。実際、私は今回の事件が起こり、ニュースを見てまず考えたのは犯人のことだった。小さな子供の命が失われたことを悼むよりも犯人のことを考えた。この歌を見て、もう一度考え直しても、自分が考えるのは犯人の方で、自分がとても哀しい人間になっている気がした。人の命について、もう一度考え直さないといけない。 (西陵中卒業生)
  小  西   玲  子
歌作るたびに心が軽くなる独りうっすら笑いなどして(蝉束間) 私は、川添先生の作られる歌がとても好きです。先生の歌を見せていただいてから歌の素晴らしさを知った気がします。こんなに短い歌の中に色々な気持ちや思いが刻まれていて、私も先生の歌を読むたびに心が軽くなったり、もう一度自分を見直したりすることができます。先生の歌からは素直な気持ちや自然の壮大さが私の心に広がっていきます。私が自分の気持ちを忘れずにいれるのは、この流氷記のおかげだなと改めて思いました。何一つ無駄などなくて生きてきたこの頃そんな思いに浸る(帽子岩)私は、無駄なことをしたなあと思ったことは一度もありません。ふと今までを振り返ったときに少しでも何かがずれていたら今ここに自分がいることも、大切な人との出会いも全て無かったかもしれないと思うのです。人が向かっているものは死なのかもしれないし人って儚いのかもしれないけど一瞬一瞬の気持ちや思い出やそんなものがたくさん重なり合ったものが人間だと思うとどんな人生も無駄ではないし何にも代えられないとても大きな重いものだと思うのです。だから私は私で良かったと、心から思います。
藤  川    彩
ポストまで深夜歩けばコオロギの少し切なき風の音を聴く(惜命夏)夏が終わり、秋になる…。コオロギの鳴き声が秋の淋しさを際立たせているのがわかる。それを《風の音》を聴く、としているところが好きだ。ポストまで、しかも深夜歩く淋しさを増すように風がコオロギの鳴き声を運んでくる。こんな感傷的な気分になることはよくあるが、それがこのたった一首の中に収まってしまうとは…。今年もコオロギの美しい声を聴きたいと思う。 (西陵中卒業生)
蓮 本  彩 香
日本もそういう時代があったとよ母の少女期戦いさなか 今、世界は大変な状態になっているようですが、少なくとも日本は平和な時代です。戦争は五十年も昔のことで、その体験をした人は本当に少なくなってきています。いつか戦争を知らない人達だけの時代になったとき、反戦を唱える人がどれだけいるでしょうか。戦争のむごさや悲しみから目をそむけてしまうのではなく、現実を知って戦争の記憶をずっと残していかなくてはいけません。日本の未来は私達が築いていくものですから。 (西陵中卒業生)
山 田 小 由 紀
仕方ないの中の犠牲に幼子の何も語れぬ死が置かれおり(帽子岩)
各国の大統領や首相たちが肯定し進められてきた戦争。たくさんの犠牲者一人一人のことを殺した側は本当に考えているのか、と思うことがある。生命の息吹を最も感じている赤ん坊は、死んでしまう時、何を思っていたのだろう。私が赤ん坊の時考えていたことは、もちろん覚えていないけれど、彼らはきっと「生きたい」という気持ちを精一杯噛み締めていたところだったのではないのだろうか。ただ泣いてしか表現できない自分の気持ちを、叫んでいたのではないだろうか。戦争だから人が死ぬのは仕方ない、そんなのただの言い訳だ。一度消してしまった命の炎は再び燃え上がることはない。小さな小さな炎でも、かけがえのない大切なもの。もう戻ることはなくても、今生きている私たちが、それら一つ一つのことを真剣に考えるべきなのだと思う。まだ続いている戦争を一刻も早く止めたい。そのために世界のことを、人の気持ちを考えていこう。そして築いていこう、心の平和を。人間は一人で生きているのではない。世界中で助け合って支え合って生きているのだから。 (西陵中卒業生)
 中  恵 理 香
灰色に町はアスファルトの匂いヒトの地球は滅びゆくべし(帽子岩)もともと地球には緑が溢れていた。しかし、今地球の緑は減ってきている。そして、地球の環境はだんだん悪くなっていき、いつか地球は滅びてしまうだろう。私は、この歌を読んで、地球の将来をしっかり考えていくべきだと思った。(西陵中卒業生)
  白 田  理 人 
ゆっくりと摂津富田に入る電車始発明るき透明な箱
幾つもの箱に乗り継ぎ行くものか人生既に半ばを越えて
伯父の死は十万円の棺にて儚きこの世の果てのゆうぐれ
生きている人自ずから運ばれて電車と電車すれ違いゆく(帽子岩)

 この四首に共通するのは、箱という存在です。「箱」は常に中身を想像させる言葉だと思います。一首目では、この言葉によって始発電車の空間の透明さがより引き立てられている感じがしました。また別の捉え方をすれば、ただの金属の箱に過ぎない電車が人と関係することで命を得るということかも知れません。二首目の「箱」はただの「電車」にとどまらず、人を取り巻く環境や所属する集団などの概念としての箱を表現したものでしょう。三首目は、とても強烈な印象を与えます。「十万円の棺」という箱がただ一つの目に見える存在としてすべてを現実につなぎ止めています。四首目は、三首目と対比して捉えると、生きている以上は自分の意志でどんな所へ行く箱にでも乗れるという意味でしょう。この四首は、それぞれ別の世界をもっていますが、「箱」と「人」のいろいろな関係が描かれています。時に人は箱によって束縛されます。しかし、箱の外に出ることもで可能であり、他の箱の中に入ることもできます。特に四首目では、そのことが生きていることへの希望までも表現しています。三首目で死を描くことでその表現はさらに強められていると思います。これは、先生の命に対する思いの現れでしょう。 (西陵中卒業生)
 磯 部 友 香 梨
何一つ無駄などなくて生きてきたこの頃そんな思いに浸る(帽子岩) 私も十五年ほどを生きてきて、全く同じことを思う機会が多くあります。成功はもちろんのこと、自信を持っていて、今の私をしっかりと支えてくれているし、失敗も、やっぱりそれは私の経験となって私の中に生きていて、しっかりと今の自分を作ってくれています。昔から自然には何一つ無駄というものがないように、生きている意味のないものがないように、私達の毎日も、決して意味のない日などないのだと改めて思わせてくれる歌だと思います。   (西陵中三年生)
 高 谷 小 百 合
氷原が果てまで続くその果てに燃えつつ夕日今沈みゆく(帽子岩)
その景色がすぐに浮かんできました。すごくきれいな景色です。私も本当に見てみたい景色です。氷原ができる所はとても寒い所でしょう。でも、そんな寒い所ほど、きれいな景色が見られると私は思います。沈んでゆく夕日は、いつまでも燃えている、そんな素晴らしい夕日が見えると嬉しい気持ちになるでしょう。
斉 藤 実 希 子
争いを好まぬ筈の宗教がなぜか戦の火種となりぬ これは私も前から感じていることです。例えばアメリカの指導者は信仰の厚いキリスト教徒だと聞きました。では、キリストは人が血にまみれて死んでゆく戦争を望む人だったのでしょうか。逆に、愛と平等を貫く人だったからこそ、現代まで尊い人として知られているのではないかと思います。本当の意味で宗教を早く見つけてほしいです。                (西陵中三年生)
良 原  裕 美
このままに溶けてなくなっても良いと死へと繋がる一瞬もある(水の器)人に平等なものは「死」です。お風呂にはいっている時にふと似たような事を思ったりもしますが、砂糖のように綺麗に解けて逝ける程、人は清らかな生き物ではありません。それでも死を美化するほどの一瞬を感じる人間は皆エゴイストなのでしょうか。偏見と中傷好きな人達の心をほどく過程もたのし(水の器)昔、汚いものを洗う時に汚れが落ち白くなる過程をワクワクしながら楽しみました。このご時世偏見と中傷にまみれて、今ではどれが偏見なのかその境界線すらぼやけています。それでも、こうやって洗濯物を洗うみたいに人の心も綺麗になれば良いのになと感じました。 (西陵中三年生)
中 越 あ す か
薄緑色に蛍がゆらゆらと闇切り裂きつつ揺れて飛びゆく(蛍)
初めてこの歌を読んだとき「薄緑色」と「蛍」という言葉がとてもきれいだと感じたので選びました。私はこの歌のように風景が映し出されているものが好きです。実際に見たことはないけれど想像した光景がきれいに思えるからです。蛍は一度も見たことがないのですが、テレビで夜暗い水辺で蛍が光り出してはぱぁっと明るくなり、見えなかった所が光で見えたりするというのがあって本当に闇を切り裂くように周りを明るくするなと思いました。蛍を実際に見たくなりました。生も死も一瞬されど窓枠をしばらく羊雲渡りゆく(輝く旅)生まれるときも死ぬときも一瞬のことです。でもそんな中、空の羊雲はゆっくりといつも通り移ってゆきます。人が生まれたり死んだりしたとき、喜んだり悲しんだりするのはその人の家族や知り合いだけで、他人は雲と同じように何もなかったかのように毎日を過ごしていく…そんな様子が思い浮かびました。私も実際に他人が亡くなったニュースを見てとても悲しんだことはありませんでした。人の生や死の周りのことがよく分かりました。 (西陵中三年生)
奥 田 治 美
ゾウリムシ二つに裂けて若くなるそんな素敵な生き方もある(秋徒然)ゾウリムシには、「死ぬ」というプログラムがない、とっても古い種類の生き物です。でも、それって本当に素敵だなあと思いました。老いてからだが分裂によってまた生まれ変わって子供に返る。そんな素敵な人生ってないな!と思います。(三年生)
玉 越 敦 貴
良い生徒悪い生徒と簡単に言うなかれ君教師にもよる(蝉束間)ぼくも将来の夢は教師になることです。そんな思いでいろんな教師を見てきました。生徒を蹴ったりする教師にはみんな怖がって、発表するのにも手が挙げられない。「間違えたらどうしよう」などの不安でびくびくしてしまうのだ。ぼくの六年生の時の先生が「人が変わるのを待つな。自分が変われ」と言ってくれたことがとても印象に残っている。教師が変われば生徒も変わる。良いとか悪いとか決めつけるのではなく、直せるところがあればまっすぐな心で直していくことだ。すべての生徒が笑って授業を受けられるように。              (西陵中一年生)
永 島   侑
灰色に街はアスファルトの匂いヒトの地球は滅びゆくべし(帽子岩)今地球は、温暖化、森林の減少、砂漠化などさまざまな問題を抱えているのです。そんな中で人は、何もないかのように毎日を過ごしているのです。このままでいいのでしょうか?世の中が便利になっていくにつれ、地球はどんどん汚れていくのです。私はこのままだといけないと思います。今の状態だといつ地球が滅びてもおかしくないのです。私は最近よくテレビや新聞で「核兵器」や「戦争」という文字をよく見ます。戦争は何人もの命を奪い、地球を一瞬で真っ黒にしてしまうものです。なぜそんなことに賛成する国がいるのでしょう。地球を変えていくには、まず私達が変わらなければいけないと思います。本当に大切なものを見失っていないかどうか確かめていきたいです。どこまでも平和な日本の若者が戦争ゲームばかりしている 何十年前に日本では戦争をしていました。今でも苦しんでいる人がいるのに、最近では戦争ゲームを平気でやっています。ゲームの世界では殺されてしまっても起きあがることができるけど、現実では違うのです。後の人達に戦争の恐ろしさを伝えていかなければならない私達が、戦争ゲームをして笑っていていいのでしょうか?(西陵中一年生)
 吉 田  佳 那
蝶となり流氷となり落ちてゆくイチョウ葉すべて違う形に
私も思ったことがあります。イチョウの葉は落ちる時、いろんなものに変身します。まるで楽しむかのようにひらひらと蝶になり空中を舞ったり、まっすぐに一直線に風を突っ切ったりと、一枚一枚変身し、風とダンスを踊ります。そのイチョウは、とても気持ちよさそうです。時には風のざわめきが「いっしょにダンスを踊りましょ」と聞こえ、イチョウのように空中をひらひらと舞ってみたいな、と思う時もあります。イチョウでも一枚一枚心があり、風が吹くたびに、私に素晴らしいダンスを見せてくれ、うらやましく思います。イチョウは私の大切な友達です。(西陵中一年生)
伊 藤 美 沙 絵
見るからに意地悪そうな人が意地悪にて少し気の毒になる(蝉束間) 意地悪そうな顔だなと思った人が本当に意地悪な人だったので、何とも気の毒な気持ちになってしまったという歌。確かにマンガなどでも意地悪な顔というのがある。意地悪な心で意地悪ばかりしているとそんな顔になってしまうのかもしれない。それなら私はいつも笑顔でいられるようにしていたい。(西陵中一年生)
  中 野    大
さんざんに他の生物を食べ尽くし人は勝手なことばかり言う(秋徒然)ぼくは、この歌の意味が何となくわかりました。この歌の最後をアメリカ人が読んだら、きっと怒るでしょう。また、違う言葉に置き換えれば、また違う国の姿がよくわかるのでしょう。ぼくはこんなことを考えさせてくれるこの歌が好きです。
  田 村    恵
今われが生きているこの幸せに勝るものなし過去も未来も(蛍)
確かにその通りだと思った。楽しいとか嬉しいとか感じることが出来るのは、今、生きているからなんだから。生きているっていうのは、どんなことにも代えられないくらいの大きな幸せだなと思う。 (西陵中一年生)
神 田 理 博
流氷は掻き分けられてまた凍り船の軌跡も白くなりゆく(帽子岩) 二度目に訪れた網走でやっと流氷船に乗ることができました。船はバリバリと音をたてながら氷を砕いて進んで行きました。砕かれた氷は船に振動を与えながら左右に分かれて大きく傾いて後ろへ流されていきました。その白い氷の内側がこんなに青かったことを初めて知りました。こんなことを思い出した一首でした。(西陵中一年生)
中    皐 月
さんざんに他の生物を食べ尽くし人は勝手なことばかり言う(帽子岩) 地球に生きるものの中で一番ワガママなのは人間だと思います。動物を殺すのはかわいそうだと言っておきながら牛や豚は食べる。私も牛も豚も好きだから食べるけど、何となくこの歌を見ると、こんな自分もおかしいのかな?と思いました。戦争など、人を殺すなんて、とんでもないことなのに、殺せば偉い人になってしまう。そんな人間が世界にはいます。こんな哀しいことに早く気づいてほしいです。 (西陵中一年生)
妹 尾   美 鈴
どこまでも平和な日本の若者が戦争ゲームばかりしている(帽子岩) 私はテレビゲームは全然しないし、相手を殺し合うゲームもしません。でも、誰かを「ムカツク」と思ったりしたことはありました。やっぱり、世界が平和になるためには、ちょっとしたことで、こんなことを言っていては駄目なんだ、と思いました。最近、クラスで誰かに「死ね」とか「殺す」とか言っている人や、自分の気に入らない人に、ちょつかいを出したりしている人を見かけたけど、その人たちは、もう少し相手の気持ちを考えたり、自分がしたことを反省してみたりする必要があると思います。私たちも、これから先、大人になって今の日本のような平和を守っていかなくてはならないんだから、もう少し身近な所からでも「平和」について考えた方がいいと思います。
乗 岡  智 沙
人殺し正義がやれば許される理不尽がまだドラマの主流(帽子岩)どんなに正義だと言っても人を殺したらもう終わりなんだよ。悪が人を殺したりするのは駄目だけど正義が人を殺したりするのはいいなんて、バカみたい。じゃあ、正義が人を殺したら殺しという罪から逃れられるの?人を殺したことには変わりないくせに。自分たちは正義で悪い奴らを皆殺しにしたんだ――なんてただの言い逃れ。殺したらもう戻れないんだよ。 (西陵中一年生)
山 田 健 太 郎
それぞれに正義と悪があり我も悪の一人になることがある(帽子岩) 僕は、時々ちょっとしたからかいを受けている友達を見てかばったことがあります。しかし、時間が経つといつの間にか、立場が逆になってからかっていたことがあります。まさに、正義と悪があり我も悪の一人になることがある、に当てはまります。僕もいつの間にか悪になってしまうこともあるけれど、正義になった方がいいに決まっている。 (西陵中一年生)
吉 田  圭 甫
見るからに意地悪そうな人が意地悪にて少し気の毒になる(蝉束間)確かに意地の悪そうな人は顔に出てくるとよく聞きます。この歌を見るまではそう思っていました。しかしそれはあまりにも気の毒なことで意地悪な人は本当はかわいそうなんだという川添先生の心に触れて、それも一つあるのではないかと気づきました。今度から人を見るときには、見た目だけではなく、その人の心を探って判断していきたいと思います。 (西陵中一年生)
妹  尾   芳  樹
リモコンにみな操られているような視界は携帯持つ人ばかり(帽子岩) 高校生になり、毎日電車で通学するようになってからはこの歌の光景をよく見るようになりました。高速でメールを打つ人、内蔵されているテトリスで遊んでいる人、している内容は様々ですがこんな感じで車内のほぼ全員が携帯をいじっている事もまれではありません。そんな様子にこの歌の「操られて」の表現がよく合うと思います。しかしもはや僕たちは携帯を手放す事はできません。こんな状況だから、世間一般では携帯のマナーについて色々と言われていますが必ずしもマナーが悪いとは思いません。むしろ一部では向上していると思います。僕は毎朝7:09発の快速で通学していますが実はその時間帯では携帯を出している人はいません、その他の乗車マナーについても完璧です。こうしてだんだん携帯マナーが世間に形成されていくのだと思いたいです。そうしたら先生の携帯に関する唄も今とは違う内容になるかもしれません。 (西陵中卒業生)

雑記 ◆六月二十三日夜六時三十分過ぎの妹からの電話で始まった。「兄ちゃん、すぐに新幹線に乗り!母さんが急性膵炎に掛かって!今度は普通じゃないけん!すぐに新幹線に乗ってきー!そう、厚生年金病院、黒崎の。今、車の中やけん。すぐに、
乗り!」ただごとでない語調があった。妻に伝えて電車にそして、新大阪一九時四二分発ひかりに乗った。病院に着くと母は苦しみに悶えていた。ありがとうと言い、苦しみの声であえぎあえぎ、学校に早く帰りなさい、来んでええのに、とも言った。僕も西陵中の一年と三年の一週間後の期末テストの作成が頭に浮かんで、一度帰らないとなど甘い考えも浮かんだ。が、母は苦しみ止まず急性膵炎は腹の中が火事になっている状態で五日間を乗り切れば助かるかもしれないと主治医から説明があり、希望を繋いで母の看病にあたった。ほぼ五分毎に喉の渇きを潤してやらねばならない。うがいをするだけで水は飲めない。僕らにできるのは側にいて励まし楽呑みでうがいをさせてやるくらい。父も昨年は動脈瘤の大手術をしているし、少しは眠りつつしないと皆が倒れてしまう。父と妹と三人、常に二人はいて交代で眠った。母は痛みで眠れずに苦しんでいた。薬によって楽になるはずなのに母は苦しみ続け、その病状の進行の早さに薬の量を増やすなどしたが体も弱りだしたようだ。元来心臓が弱くもたなくなったのかもしれない。二四日午後、医師から人工呼吸の話が出たので妻と娘を呼び、母の姉妹も呼んだ。友人などの見舞いにも母は必ず応対しあえぎながらもありがとうを言った。夕方駆けつけた娘にも大きくなってと喜んだ。その後に付けた呼吸器は自力も出来るもので母の意識と意思ははっきりしていた。二五日母はおとなしくなったがもう限界を越えていた。午後一時二三分皆に見守られて息を引き取った。枕元の数字が前後していたがやがて止まり「母さん!」と叫ぶたびに何度か吹き返し最期まで耳も確かだった。その夜と二六日と自宅で寝せた。葬儀屋がさらに丁寧な湯灌、化粧もして母は一段と美しくなり、一度も顔に布を被せることはなかった。今にも起きそうな寝顔だと顔を何度も触る親戚もあった。二七日通夜、二八日葬儀、通夜では親戚縁者代表で挨拶した。葬儀では娘が代表で言葉を贈った。家族だけでもいいと誰にも連絡しなかったが三百人以上の人が集まり惜しんでくれた。骨もきれいに焼けていた。美事な死に様だった。生前ノートに写していた天声人語が百七冊目途中で空白を残した。天声人語の後には日記が綴られていた。三月二八日僕の歌が折々の歌に載り、何と今日の嬉しいこと、と書かれていた。最初で最後の親孝行だったのかも知れない。
川添キミ子、昭和五年五月二九日福岡県生。父とは従兄弟同士。純粋で一途でお人好し、最期まで優しく美しい母だった。

編集後記
 突然の母の死がまだ映画を観たばかりの興奮から覚めぬように信じ切れずいる。でも人に限らず死とはこういうものなのであろう。九州から自宅に戻ると貰っていた甲虫の幼虫が孵っていてそれに雌を買ってあてがったが先日もうその雌が死んでしまった。日々他の生物の死を食べながら人の死がどんどん過去になっていくのを哀しむ。そんな人の有様を描いていくことになろう。百七冊の天声人語の写しを見たとき初めて未だ母の掌の上にいるに過ぎない自分に愕然とした。母の死への悲しみからか目前の苦しみ怒りにも動揺することのない悲母という言葉の実感を体験した気がして今号の題名とした。母に捧げたい。