篠    弘
流氷は掻き分けられてまた凍り船の軌跡も白くなりゆく(帽子岩)
やはり「流氷」を詠んだ作品に注目した。このきびしい氷の海のたたずまいが、クールに写実されていて、それを見つめる作者が、ここから逃れようもない情感があらわれる。絶対的孤独とでもいうべきものか。同じようなモチーフのものとして〈氷塊の上に座れば悲鳴とも怨嗟ともなき声こだまする〉もよいが、いささか概念風になる。こうした大きな掴み方は試みられてよい。また〈一冬のいのち流氷軋みつつ群れてけだもの横たうごとし〉にも注目した。その計りしれぬ生命力への畏怖があらわれる。いくぶん形が整い過ぎるかもしれない。 (『まひる野』編集委員。 詩歌文学館長。毎日歌壇選者。現代歌人協会理事長。)
中 村  桂 子
この朝の睡蓮開く時に来て亡き母偲ぶ静けさにいる(夢一途)
お母様の御逝去の後の御家族(特にお父様)の御様子を御自身のお気持ちが、そのまま自分のこととしてよみがえってくる歌ばかりでした。その中で、むしろ、生々しいものから少し離れた感じのこの歌に惹かれました。悲しさ、辛さから少し遠い静けさにです。 (JT生命誌研究館館長。『あなたのなかのDNA』)
三 浦  光 世
今にして思えば母は死の準備いつもしていたような気がする(夢一途) 死別という避け難い悲しみも、時間の経過と共に変化していく。それもまた、悲しい現実。そうした思いから自然に詠い出されたこの一首に全く無理がない。順直に共感させられる作である。口語で通しているのに、そうした発想も感じさせない。この作品の優れているところであろう。捨てるものばかり増やすと妻が言う我の余生もかくのごときか  日常生活をうたった右の作にもまた、深い人生観が滲み出ている。 (『三浦綾子撰集』『綾子へ』)
近 藤 英 男
九十を越えて喜び悲しみを近藤先生熱く語れり(夢一途)自分のことを書いて下さった歌を採り上げるというナンセンスな文章に皆さん驚かれてご覧になられたことでしょうか。こんな道楽めいた文章も、病院に見舞いに来て下さって何十年振りかの再会に心弾ませて話し合ったからに違いない。木村草弥さんも流氷記のメンバーで私の友人、寺尾勇先生も亡くなられたが、私の心の中では生きていらっしゃる。あなたの歌の不思議さと巡り逢いの嬉しさを感じて敢えてここに書かせていただいた次第です。
 (奈良教育大学名誉教授。奈良の病院にて。)
加 藤 多 一
母の死を悲しみながら食べている鯖か死後幾日なのだろう(夢一途) 死者を悼む短歌と歌人は多くそれぞれの個性をもって胸をうつが、この発想(素材と素材をつなぐモチーフとしての)の新鮮さに目をみはりました。何というバチ当り。何という佛教への冒涜。キリスト教でも何でも宗教を権威と権力と金儲けと戦争の口実にする勢力からは、いやな顔をされそうな作品ですね。私はこの死生観・生命感覚をストレートに支持します。建物や像や墓がどれほど豪華絢爛であっても、死者はそこにいない――と固く信じるゆえに。アイヌ民族のカムイの方へ私の魂もひかれるのだ。 (児童文学作家。オホーツク文学館長。『馬を洗って…』)
畑 中 圭 一
幾つもの部屋なる夢の洞窟を出られなくなる母捜すうち(夢一途) 母を求めてつぎつぎと部屋を捜してあるく。しかし、母は見つからず、暗い洞窟に迷いこんでしまった自分を見出すのみ。常ならぬ母への思慕の情が、不条理な夢によって強く浮き彫りにされている。「母捜すうち」を結句にもってきたのが効果的だ。この歌人が時々描く夢の世界には共感をさそうものが多い。
 (詩人。児童文学者。『いきいき日本語きいてェな』)
中 島 和 子
六時には一気に暗くなる九月わが今生もやがてまぼろし(夢一途) 年賀状に、人生時計を書いてきた人がいました。一時間を五年と考えると、九十歳まで生きたとして、朝六時に生まれると夜中の十二時に死を迎える――五十一歳の彼女は、現在四時十二分というわけです。その計算でいくと、私はすでに夕方に突入。そう言えば西の空がうっすら赤く染まり始めたような‥‥。「五十代は午後三時。日は高いが急がねばならぬ」という言葉を何かで見つけて、「夕方にはまだまだ」とのんびりしていた私は、すっかり慌ててしまいました。「でもなぁ‥‥」と、すぐに気を取り直す私。秋の夜長、楽しみはいくらでもあるじゃないかと。(詩人。児童文学者。『まじょのいのり』)
中 平 ま み
人間を全肯定か全否定してマスコミが闊歩してゆく(未生翼)一体「マスコミ」なるものが今のようになったのはいつからでしょう?ね。「マスコミ志望」なんて人々にも〔ちょっと…〕と思ってしまいます。多数決だから従う納得を決してしている訳ではないぞ(螢)昔々は民主主義=多数決の論理に何の疑いも持ちませんでした。しかし、自分が大衆連合・媚びをせぬ少数派(マイノリティ)自覚をしてからは、大いに疑問を抱きます。血液が逆流するにはあらねども死への不安にのたうつことあり(蝉束間) そうです。私もやはり夜半覚醒や眠れぬ刻など〈あ〜〉と「死への恐怖感」にまんじりともせず惨然とメメント・モーリと思いつつ横たわっていることがあります。 (作家。『ブラックシープ 中平康伝』)
 リカルド・ヲサム・ウエキ
ススキ原いざ肉体を脱ぎ捨てて母よ風立つ夕暮れにいる(夢一途) この歌を読んだとき忽然と顕われたのは夢幻能の安達が原でした。女の業を脱ぎ捨てて、白い風になりススキの原を駆け抜けたであろう御母上の眼に見えぬ姿が見えたような気がしました。「げに侘び人の習いほど、悲しきものはよもあらじ。かかる憂き世に秋の来て朝げの風は身にしめども、胸を休むる事も無く、昨日も虚しく暮れぬれば、まどろむ夜半ぞ涙なる。あら定めなき生涯」かと透明感のある一首でした。(ブラジル在作家『白い炎』)
林     哲  夫
捨てるものばかり増やすと妻が言う我の余生もかくのごときか(夢一途)父が死んで、実家の二階を長年占領していた品々をすっかり捨ててしまった。つくづく感じる。残していいものは、思い出と金だけである。どちらも邪魔にならない。(画家。装幀家)
大 島  な え
淀川に夕日とどまる流れ見ゆ海と空とのけじめなき果て(夢一途)
平成十五年も終わりを迎え、やがて新年が来る。いつも同じ事。昨日の今日と変わりないのだと過ごしたいのは希望だが、師走の街をサンタ同様、大きな紙袋を求めて子どもと歩き回るのだった。御母上を亡くされての新年は、めでたいとは言えない。夕日が沈み最後の残照が消えてしまっても、その美しさは、いつ迄も思い出として残っているだろう。冬の夕焼けを見ると、昔なつかしい思いに胸が締めつけられるのは、そのせいなのだろうか。    (作家。『本屋さんで散歩』)
川 口   玄
不幸にさえ分け入って来る人あれば怨憎会苦と思う外なし(夢一途) 分け入って来る本人は、自分がそういう行為をしているという意識が無いようです。そういう困ったヤツが小生の周囲にもいて随分腹を立てた記憶が今でも忘れられません。             (『大阪春秋』編集長。)
神 野 茂 樹
人責めるよりも自分が責められる方がと母に思い至りぬ(夢一途)
人を責めることはそんなにないが、責められるのは困るので、ときどき人の《せい》にする。そんな卑怯な小生をドキリとさせる一首。 (『大阪春秋』編集委員。)
佐 藤 昌 明
庭の片隅のダリアは天を向き人に従かぬと凛と咲く見ゆ(夢一途)
花の咲きようにも種々あって、空に向かって伸び伸び咲く花、他を押しのけて我が物顔に咲く花、今にも萎れそうに元気なくダラリと咲く花。まあどんな花でも咲いてさえくれればいいと私は思うのですが「人に従かぬと凛と咲く」花に模して人間の生き方を示唆‥‥川添先生らしい主張が潜み、とても気に入り印象に残りました。私も生来人に従くのが不得意で、しなくてもいい苦労をイヤというほど味わわされ、イジケながらこの年齢にたどり着きました。しかし、今更改心する気はさらさらありません。  (作家。『北に生きる』網走在)
鈴 木 悠 斎
我に手紙書きたいばかりに毎朝の天声人語を母写し来し
百七冊途中で母の文字絶えて天声人語のノートが残る(悲母蝶)
「この子にしてこの母あり」。川添氏の母上はいったいいつから天声人語を写しておられたのでしょう。百七冊も残ったということは五年や十年ではないでしょう。二十年、いやそれ以上続けられたのではないでしょうか。この根気と執念はただの親心ばかりではなく旺盛な向上心のたまものでしょう。まさに「この子にしてこの母あり」。川添氏のよって来る深いところを垣間見たような気がします。(書家。河内マサヤン。花札おしゃれ神戸展)
 藤 野    勲
森抜けて不意に明るき草原に大きな木槿の花開きおり(夢一途)母上を悼む悲痛な歌で占められた『悲母蝶』に次いで出された今号は、鳳仙花、ダリア、虎の尾、キキョウ、睡蓮、木槿と、花をモチーフにした静謐な作品で始められていますが、その底流にはやはり胸裂けるような悲しみの感情が流れているようで、「この朝の睡蓮開く時に来て亡き母偲ぶ静けさにいる」のようにその思いは抑えても抑えても噴き出てくるものなのでしょう。そうした冒頭の作品群の中で、この木槿の歌は、何でもない自然の景色をそのまま素直に詠んだ歌であるようにも、あるいはまた夢か現か判然としないままにふと踏み迷ってしまった幻の光景を詠った歌のようにも受け取られ、不思議な魅力を静かに湛えており、忘れられない一首です。大きな木槿が花開くその明るい草原は、亡き母上がおられる世界であるのでしょうか。 (俳誌「ひいらぎ」同人)
井 上 芳 枝
現身の母に隠れていた父の優しさ此の頃気づくことあり(夢一途)
お父様寂しい日々をお過ごしのことと思います。お父様とは最後の友好訪中(北京・蘭州・酒泉・敦煌・平成三年)でご一緒し、どれほどお世話になったことでしょう。敦煌莫高窟を見学後、夜(夜十時頃まで明るい)鳴沙山へ。帰りは思い切って初めてラクダに乗ったのです。お父様が前、私はしっかりお父様につかまって、無事到着した時の安堵感。十年以上も経つのに、お父様の優しさは忘れることはありません。どうぞ、お父様をお大事にして下さい。      (北九州市立大蔵中学校時代恩師)
弦 巻 宏 史
苦しみを解き放たれて横たわる母あり微笑のかく美しき(悲母蝶)
生き様も死に際も母美事にて悲しけど誇らかに見送る(悲母蝶)

私も七月、九十六歳の母を亡くしました。あなたの歌の数々、しきりに納得しつつ読ませて頂き、この年齢になっても、改めて母の存在の大きさにうろたえています。六年以上も、床にあり痴呆でもあり、会話も成立せず、身近に住むことも出来ない息子でした。しかし、今も、あの母の私へのメッセージは何だったろうと、様々思いめぐらし、やはり、母を誇りに思うのです。
死後出会う若き激しき母なれば夢といえども声あげて泣く(夢一途)
残されし父の頑固を頼もしく思えて少し遺影と笑う(夢一途)
阿弥陀さん母さん二つの御仏飯今日こそ残さず食べて下さい(同)

いずれも平易に切々たる思いと、親と子、家族の有り様が、優しく微笑ましく語られ、温かくなりました。
スクリーン広がるように視野展け生きる喜び湧き出でてくる(同)
私も「今、生きていることの喜びと感謝、さまざまな邂逅への喜びと感謝を」と母が励ましてくれているような気持ちで、生きる勇気を得ることができました。「湧き出でてくる」と共感しました。お母様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。合掌。
(網走二中元教諭。網走在)
井 上 冨 美 子
いい人を亡くしてほんとに寂しかね母がみんなの思い出になる(夢一途)この歌には、人々の暮らしの中での心地よい温かさがあり、惹かれました。ご人望の厚かったお母様の生活された風土そのものの温かさが、「ほんとに寂しかね」の言葉に内包されているように感じました。お母様が取り持つ縁でお顔を合わされた方々の、お母様を偲ばれ語られた会話そのものを、そのまま歌に詠まれた母親思いの川添先生の一途な気持ちが、オホーツク海の流氷のように、優しく厳しく、心の内に押し寄せて参りました。(網走二中元教諭。網走在)
小 川 輝 道
窓外の簾の影が映りいる明るき襖の朝をまどろむ(夢一途)緊張感をもって日々を生きる。勤務の日常、短歌の実作、そして歌集編集も生活時間に占めているであろう過密の時間にも、簾の影が映る襖にさす朝の光を明るく感じるまどろみのひとときがある。朝陽のきらめきを感じながらの静けさ、ひとしお平安を感じ、大切にしたい心のありようを見せてくれた作品だと思う。清々しさを思わせる朝の光を把えた日常詠、写生に通じる繊細な感性が、言外に心のうちまで滲み出る心地よい作品になっているといえよう。(網走二中元教諭。北見在)
釜 田   勝
ゆめいちず桐箱に扇子納まりて吉永小百合さんより届く(夢一途)
恩愛を享けた母の突然の死、失意と深い悲しみのどん底にあった自分を励まし、夢と希望を与えてくれたのが、吉永小百合さんから贈られた扇子であったと、川添さんは《編集後記》に記されています。流氷記の読者なら、決して「ああそうですか」と読み流せる歌ではありません。今号、川添さんがもっとも詠みたかったのがこの歌ではなかったかと察します。(競馬キンキ元編集長)
乗 岡 尚 子
誰そ彼れにまぎれて母ら透明な人らか風がすり抜けてゆく(夢一途) 「たそがれ」という言葉の響きが好きだ。同じ「うすあかり」の時を表す言葉でも、闇から光へ向かう「黎明」が、新しいものの誕生を予感させる凛とした白い光を思わせるのに対し、光から闇へ向かう「たそがれ」は、消えゆくものを優しくぼかしてくれる淡い黄色のあかりを思わせる。薄れゆくあかりの中で、ものの輪郭は徐々にぼやけ、やがて闇の中へと溶け込んでゆく。大切な人を失った悲しみでさえも、このたそがれのあかりの中では突き刺すような痛みではなく、鈍痛となって胸の奥に沈む。そして、一瞬の風に今は亡き人の気配を感じ、はるか昔に思いを馳せるのはこんな時なのだ。 (西陵中保護者)
吉 田  貴 子
今日もうつうつと過ごせり母亡くて何の変わりもないというのに(夢一途) 学校でお見かけする先生の後ろ姿や横顔が以前とは違って見え、別の方かと思った時がありました。『夢一途』を手に取り『悲母蝶』の時より、むしろ先生のお母様へのあきらめきれない思いが、より深くなっておられるような印象を受けました。一首一首歌を詠まれることにより、パズルのピースをうめるように先生のお心の悲しみが埋められていくことを、心からお祈り申し上げます。 (西陵中保護者)
柴 橋 菜 摘
誰そ彼れにまぎれて母ら透明な人らか風がすり抜けてゆく(夢一途) 美空ひばりさんが亡くなられた時、親友の中村メイ子さんの「もう死は恐くない。だってひばりちゃんに逢えるんだから」こんな意のコメントが、心に残っている。身近な方々を、お送りする度に、来世でお逢い出来ますようにと手を合わせる。もしかして、今頬を撫でた風は、祖父母か父か、それとも恩師かもしれない。天人の彼らは自由の身―。時折、私達の周りに降りてきて、ハラハラしたり嘆いたり、たまには拍手をしてくれているのかも‥‥?夕闇迫る帰り道、ちょっと立ち止まり、この一首を味わわせて戴く。     (大和高田市在)
山 川 順 子
人の生なんて束の間夢一途抱いて生きな命の限り(夢一途)努力なしのバラ色の人生など無いが、報われるとは限らない。一寸先は闇、明日のことなどわからない。だからこそ今日この一日を大切に生きる。頭では理解しているけれど出来ない。まあいいか、もういいや、と。人生八十年と思うから明日は来る、あと何十年もあると思ってしまうから大事にしないのかも。束の間と思えば逆に気が楽になって生きていけるかな。  (『私の流氷』同人)
中 島 タ ネ
法事に行く新幹線より華やかに咲く曼珠沙華流れつつ見ゆ(夢一途) 車窓より見える真っ赤に咲いた曼珠沙華に眼をやりながら未だお母様の死を受け入れられないまま過ぎ去りし年月を共に生きていたいろいろな想い出が走馬燈の如く心を駆け巡って何とも言いようのない気持ちになっていらっしゃるのがよく解り私もこの花には想い出があり好きな花です。   (福岡市在)
小 野 雅 子
新幹線乗るたび母の危篤の日よみがえり来る揺れつつ思う(夢一途)母が危篤との知らせを受け、大急ぎで乗った新幹線。その車中で一刻も早く母のもとへと気持ちのあせる川添英一氏にとっては、この、地上で一番速い乗物がどんなに遅く感じられたことか。最期のときには間に合ったものの母上は亡くなられた。その後新幹線に乗るたびにその時のことを思い出すというこの歌は、母の死を直接うたった作品よりも悲しい。その悲しみは新幹線に乗るたびによみがえって、いつまでも続くのであろう。ある場所を通る時やある音楽を聴いた時などのこうした思いは、誰にもあることだからこそ胸を打つ。   (『地中海』)
米 満 英 男
母の死を悲しみながら食べている鯖か死後幾日なのだろう(夢一途)前号に引き続き、四十号においても母との別れを嘆く作品が多く詠じられている。いずれの歌にも二度と会えない別離の費消が深々と沈められ、まさに直裁的に読み手の側のこころに伝わってくる。この作品、上句の書き始めには、格別の仕掛けがあるわけではない。が、下句に至って突然〈鯖〉が登場し、しかもそれが普段には意識したこともない〈死後幾日なのだろうか〉という思いにつながっていく。つまり〈母の死〉を通して、その背後に〈生きとし生きるもの〉への慈しみの情をしみじみとよみがえらせている作品である―と読み取った。 (『黒曜座』主宰)
新 井 瑠 美
ススキ原いざ肉体を脱ぎ捨てて母よ風立つ夕暮れにいる(夢一途)
最愛の母を亡くすという悲しみが、時間と共に透明になってまいりましょう。一年間はまだ、何を見ても涙ぐまれるでしょうが、掲出のお作のように、自分の傍らには、いつも見えるお母様の姿、見えるだけでなく、心の中に、常にいて下さるお母様を、詩に昇華されると信じています。前号を拝見しているので、そういう事情もわかった上で選びましたが、〈いざ肉体を脱ぎ捨てて〉が、肉体を生滅させても霊魂の在ると信じる深愛を感じている。と採られるかどうか…。いずれにせよ、残るお父様への思い、身の回りに目を配ることで川添氏は立ち上っている。
木 村 草 弥
淀川に夕日とどまる流れ見ゆ海と空とのけじめなき果て(夢一途)
母にまつわる挽歌が、この号にも多いが、直接的には母は詠われてはいないが、私はこの歌を採りたい。一見、叙景風な描写だが母を喪った川添さんの心象を表白したものとして秀逸である。昔から日本の和歌は、こういう自然の風物に仮託して人の心象を詠って来た。優れた叙景歌には、それがある。ところで川添さん。次のような歌は頂けません。朝霧の空へと向かう車列見ゆ人生五十年もまぼろし 織田信長でもあるまいし、今どき五十歳で、こんな詠嘆は古い。 (『霹靂』『未来』)
高 岡  哲 二
鳳仙花弾ける夏は午後の闇突き抜けて秋そこに来ている(夢一途)
この一首に強く魅かれます。鳳仙花というと斎藤茂吉の一首が浮かんできます。〈たたかひは上海に起り居たりけり鳳仙花紅く散りゐたりけり〉南方の花、鳳仙花の紅のイメージは鮮烈で激しいものがあります。その紅が弾ける夏と詠む作者の目、「午後の闇」が良く効いています。明から闇という暗へ、突き抜けて秋そこに来ている、作者の心の揺らぎ、内面が迫ってくる一首であると思われてなりません。          (『日本歌人』)
川 田 一 路
不可解な夢の幾つか前世の続きなのかも小夜時雨降る(夢一途)
亡くなられたお母さまを偲んで詠まれた歌に心を揺さぶるものが数多くありましたが、他人の大きな悲しみに何かと言及するのが苦手ゆえ、敢えてこの歌を選びました。文明人は全てが理解出来るというのは文明人最大の誤解。魂は前世からの何ものかを引きずり現世を生き来世へと旅立つもの、その何ものかに気づき思いをはせることが大切なのではないでしょうか。その想いが「小夜時雨」という情景にうまく醸し出され心に響く作品となっています。     (『ヤママユ』)
里 見 純 世
新幹線乗るたび母の危篤の日よみがえり来る揺れつつ思う(夢一途) 此度も先生のお母上を詠まれた歌に注目しました。どの歌にも心情がこもっており、観念的でなく、具体的な表現をしながら、本質をつかんで詠んでおられ、敬服しました。歌とはかくあるべきだと思っております。次の歌にも心をうたれました。「誕生は美空ひばりと同じにて一日違いに逝きにし母は」お父さまを詠まれた歌も内容の深い歌だと味わわせていただきました。「現身の母に隠れていた父の優しさ此の頃気づくことあり」「残されし父の頑固を頼もしく思えて少し遺影と笑う」 (『潮音』『新墾』。網走歌人会元会長。)
葛 西    操
提灯と棚飾られて骨壺と遺影の母が現れている(夢一途)いつのまにか秋風が身に沁む季節となりました。何処を読んでも亡きお母様のことで読むたび涙が止まりません。お母様のお姿が心の中より消えないと存じます。いや永久に消えないと思います。先生、霊魂は不滅と聞いております。どうぞ元気を出して頑張って下さい。老いの私も間もなく九十四歳に迫っております。どうぞ老いに負けぬようお元気を出して下さい。     (『原始林』。網走歌人会。)
南 部 千 代
夢一途ついふらふらとしてしまう我にも輝く一つ星あり(夢一途)
肉体より脱けた母上様の魂を強く身近に感じられておられるのですね。どんなにか善い方だったのでしょうね。天声人語のノートを残され先生のお歌の流氷記の最大の理解者でもあったのでしょう。輝く星とは…手に届きそうですか。前向きの嬉しいお歌です。今回の表紙、女満別辺りの雪道ですね。もうすぐこのようになるでしょう。立冬に初雪、そして今日は(十一月)十三日、初霰が来ました。晩秋は着々と初冬へ移りつつあります。大切な人が亡くなられても、四季は忘れずに訪れます。どうぞお体に気をつけられて冬に備えられますように。御健詠たのしみに。
田 中   栄
現身の母に隠れていた父の優しさ此の頃気づくことあり(夢一途)
総じて男性と女性の性格の表れには相違のあるものである。優しさに於いても男性の方が内在的だと言える。母親が亡くなって初めて父の持つ優しさに気づく、心理のあやを言い得て惻々と迫ってくるものがある。一般にやや冗長的な表現の多い中にきびしく己を見つめたこの一首に惹かれる。 (『塔』編集委員)
前 田 道 夫
この朝の睡蓮開く時に来て亡き母偲ぶ静けさにいる(夢一途) 「この朝の睡蓮開く時」という情景が一首を拡がりと奥行きのあるものにしており、亡くなられた母上を偲ばれる気持ちをよく伝えていると思います。「母亡くてつくづく惜ーしツクツクと天より神の繰り言ひびく」「秋の風渡れば外は憂い様子ウイヨース蝉やがて死ぬまで」他にも母上を偲ばれた多くの作品、それぞれに深い感銘を与えられました。掲出の作品は、それぞれオノマトぺが効果的で、よく情感を伝えていると思われます。(『塔』)
榎 本 久 一
逆らわずただ淡々と聞いている父の行き場のない不機嫌を(夢一途) 薄情を気取っているのではない。共に身近な者を失っていく者同士の共感を下敷きにした、さらに悲痛な立場の者へのどうしようもない思いが込められていると思った。前後の歌を併せ読むことによって、不機嫌の内容はわかるが、この一首のみで、色々の背景はわからないままで充分観賞に耐えられるのではないかと思った。 (『塔』)
東 口    誠
淀川に夕日とどまる流れ見ゆ海と空とのけじめなき果て(夢一途)
亡き母を追慕する多くの歌の中にポツンと置かれたように見えるが、直接母に触れていないにせよ、限りある人の命と永劫の宇宙とをいやでも思わせずにはおかない。一読、論語の「逝者如斯夫、不舎昼夜」という句や万葉集の「もののふの八十氏河の網代木にいさよふ波のゆくへ知らずも」という歌を思い起こす。様々に他の作品を連想させるのは、この歌の弱点にちがいないが、古来、このような心の在り方がわれわれ東洋人の共有し共感するところであることを考えると、似たような先行作品があっても許されるべきであろうと私は思う。    (『塔』『新アララギ』)
鬼 頭 昭 二
母よりも若く逝きにし人あれば少し得心させられて寝る(夢一途)
このようなことをせめてもの慰めとして母の死を受容しようとしている。それは儚い気休めには過ぎないことと分かりつつも……。普遍的な人間の心情に通じる一首である。 (『五〇番地』)
甲 田 一 彦
闇と闇つながる故に眠りより覚めればひとり網走にいる(夢一途)
四十号に達した「流氷記」を心から祝福します。最愛の母上を亡くした作者が、『悲母蝶』の数々の絶唱を乗り越えて、さらに前進されることを期待して。作者の歌の原点は、何と言っても流氷の網走です。今号の歌集最終頁にみえるこの歌が、今後を暗示していると思いました。第一句の「闇と闇」が、作者の心の深層をかいま見せるもので、それは夢や幻ではなくて、眠りより覚めている現実であり、結句の「網走にいる」という結ばれ方にも納得させられました。     (『塔』。北摂短歌会会長)
遠 藤 正 雄
逆らわずただ淡々と聞いている父の行き場のない不機嫌を(夢一途) 母上の数々の歌の中に、残された「父」の心境を浮彫にしている。父上のもともと頑固な性格のなかに、今まで母の陰に隠れて見えなかった優しさのあることの発見。そして、その頑固さも、少しずつ形を変えてゆくなど。掲歌は連れ添いを亡くした者でなければ判らない心理状態を言い叶えている。やがて、それぞれの人間が体験しなければならない宿命を思わせる。故郷と離れ居りしも母死して母と身近になりてしまえり 遠い日のことも、近い日のことも、母を思わない日はないのである。 (『原型』『滋賀アララギ』)
塩 谷 い さ む
今どこに居るのか母の亡くなりし夜空に火星輝きて見ゆ(夢一途) 八十首の中から先ずこの歌が眼に飛び込んで来た。そして「母」を「妻」に置き換えて涙をこらえている。妻が逝って恰度九十日になる。母を亡くしてからは三十五年が経った。何時になっても人との別れは悲しい。ましてや肉親との別離は尚更である。ご母堂のご冥福を偏に祈ります。(合掌)又、「こんなにも我が身内からずっしりと抜けるものあり母の死なれば」「半世紀以上も母と連れ添いて父の涙は滂沱となりぬ」今、父上と同じ立場に立っている。私はこの歌を読みながら、じーっと空を見上げている。
吉 田 健 一
メモ取らぬままに忘れし歌幾つ脳裡に沁みて日が沈みゆく(夢一途) 年齢とともに記憶力が衰えるのは、人間誰しも仕方のないこと。私も最近、つくづく記憶の衰えを感じている。よって片時も手帳を離さず、大切なことはメモを取るようにしているのだが、メモを取る前に忘れてしまうこともある。作者も同じような経験をされているのであろう。夕日の沈みゆく様子を眺めながら、自分の一番はっきりとした現れである記憶の衰えに思いを致しているのである。実に身につまされた一首である。 (『塔』)
平 野 文 子
逆らわずただ淡々と聞いている父の行き場のない不機嫌を(夢一途) 掲出した此の一首の前に「連れ添いし人を亡くして少しずつ頑固の形変わっていく父」が載せられています。母上様を亡くされた悲しみを、一際深く受け止めておられるのは、やはり永年連れ添ってこられたお父上に他ならないと思うからです。生まれた時も一人なら死ぬ時も一人……人間の孤独が痛感されます。年老いて妻に先立たれた父上の変わりゆく頑固の形も何となく理解出来るような気がします。母上様への思い出をそれぞれの胸に、どうかお父様お大事にお過ごし下さいませ。  (『かぐのみ』)
工 藤 直 次 郎
数限りなき夢持ちて母は今いずこにありや百日忌過ぐ(夢一途)
四十号は前号に引き続き亡き母上様の作品多く、先生のご悲嘆こころからお察し致します。なお作品の内容もさることながら『夢一途』なる題名の素晴らしさに目を奪われました。掲出の一首には何とも言えぬ悲しみを感じます。   (北摂短歌会)
山 本    勉
こんなにも我が身内からずっしりと抜けるものあり母の死なれば
(夢一途) 生きている限り、逃れることなく誰もが体験しなければならない問題です。後七「母の死」の「母」の字を入れ替えれば万人に共通する一首です。半世紀以上も母と連れ添いて父の涙は滂沱となりぬ お父さまの思いがじ〜んと伝わってきます。平成十一年、文芸評論家の江藤淳氏が自ら命を絶たれた。奥様を亡くされたからだと報じられ、子供に恵まれなかった私は他人事とは思えず、自分だったら……と、胸を痛めたことを思い出しました。逆らわずただ淡々と聞いている父の行き場のない不機嫌をお父さまの底のない悲しみが行き場を失っているのです。年老いて伴侶を奪われた弱いお父さまを、今こそ抱きしめてあげて下さい。 (北摂短歌会。詩誌『ポエムの森』編集)
瀬 尾 睦 子
あえぎつつ子のこと夫のことを言う母を叱りてたまらなくなる(悲母蝶)母上様が亡くなる半年位前、一時間くらい電話でお話ししました。まだ亡くなったとは思いたくありません。いつも英ちゃんのこと言っていましたよ。本当に私も教えられることがいっぱいあります。いい方を亡くして残念でなりません。どうしてどうしてと思いたいですが、私も英ちゃんと一つ違いの娘(教職の身)がいます。どうにか元気でいたいなと思っています。

磯 田 愛 香
淀川に夕日とどまる流れ見ゆ海と空とのけじめなき果て(夢一途)
 この一首がとても好きです。修学旅行で北海道へ行ったとき、この歌のような、海と空の境目を見ました。同じ「青」なはずなのに、それでも違う「青」に感動しました。けして交わりはしない。けれど離れることもない海と空の絵を、この歌をよんで思い出しました。   (西陵中卒業生)
高 田  暢 子
人の生なんて束の間夢一途抱いて生きな命の限り(夢一途) この歌は自分の中にすーっと入ってきた。たぶん今私自身大学受験が終わり、将来をはっきりと考え始めたからだと思う。今はただやりたいことが幾つかあるだけで、将来は漠然としている。まして、自分がどんなふうに生きていくかなど全く湧いてこない。ただ、この歌を読んで改めて考えていると、自分が何かをしようとする時、楽な方へ傷つかない方へ行こうとしている弱い自分がいる。そんな自分に甘えていては自分の生きたい人生は生きられない。本当に夢を一途に追いかけていれば、甘えなんて出てこない気がする。今はまだ自分に一途に追いかけたい夢はないけれど、私はこの歌に背中を押された。とにかくやりたいことが出来る今、やれるだけやってみて、夢を探したいと思う。『夢一途抱いて生きな』こんなにも今の自分に必要な言葉はない。(西陵中卒業生)
小 西 玲 子
メモ取らぬままに忘れし歌幾つ脳裡に沁みて日が沈みゆく(夢一途) 人にはそれぞれいろんな思いがあると思う。喜びや悲しみ、希望や不安、それに言葉には表しにくい気持ちだってあると思います。私は、川添先生に出会ってそして先生の歌に出会い、この流氷記の中で色々な人達の思いや気持ち、そして自分自身の気持ちにも出会うことができた気がします。それは私にとってすごく大きなことでした。言葉や歌に気持ちを託すことは難しいけれど、とても大切なことや自分や人への気持ちに気付いたりすることの大切さがあります。だから私は、先生の作られる歌や、この歌のようにメモを取らないうちに忘れてしまった中にある一つ一つの自然な心の動きを考えさせてくれる重くて大きな歌が好きです。先生の心の中には一杯一杯大切な気持ちが沁みてあるんだろうなぁ。私の中にある気持ちを気付かせてくれるのは川添先生の歌です。今この時間、全てのものに感謝の気持ちや幸せを感じました。
北 川 貴 嗣
淀川に夕日とどまる流れ見ゆ海と空とのけじめなき果て(夢一途)
哀しげな歌です。また、何か未練があるようにも感じます。僕にとって、身近な淀川ですが、その流れを見つめている作者は周りの時間が止まっているように感じているのではないかと思います。騒音も何も耳には入ってきません。あるのは川、日、海、そして空の映像のみです。川にとどまる夕日は、何か思い残すことがあり、海の下へ沈めずにいます。そして、その海と空との境目といえば、ぼんやりです。どっちつかずの思い‥‥。作者は自分の哀しさをこれら夕日たちに重ね合わせているのではないかと思いました。 (西陵中卒業生)
若 田 奈 緒 子
夢一途ついふらふらとしてしまう我にも輝く一つ星あり(夢一途)
人はこの歌のように、一つ星を見つけた時、強くなれるのではないかと思う。自分の中だけで存在している時には、弱くて脆いものも、自分の外の何かが指針となれば、それは形となり確かなものとなる。人の命も同じではないかと思う。誰かの心にどれだけ自分が染み込んだか、どれほど素晴らしい時間を共有し、幸せを噛みしめあえたか。自分以外の人の心の中に、自分の存在が残ったなら、それは生の意味を帯びるし、その生は豊かだったことになるのではないだろうか。そしてきっと誰かの一つ星になるだろう。 (西陵中卒業生)
大 西 琴 未
母の死を悲しみながら食べている鯖か死後幾日なのだろう(夢一途) この歌にはとても共感が持てました。私の大好きだったおばあちゃんも去年亡くなったからです。それまで死についてあまり考えたこともなく、遠い存在のように思っていたけれど、一緒に楽しい想い出をいっぱい作った身近な人が急にいなくなってしまった途端、私の中の死という存在がすごく大きくなったように思えました。だから今まで何となく食べていた魚なども同じ命なんだなと考えてしまい、複雑な気持ちでした。この歌は死の大きさが伝わってくるとても深い一首だと思います。(西陵中卒業生)
 金 指 な つ み
人の生なんて束の間夢一途抱いて生きな命の限り(夢一途)この歌を見たとき私はびっくりしました。私の感じていたこと、でもなかなか言葉にならなくて曖昧になっていたことがそのまま表現されていたのです。人生なんか地球の歴史からみたら本当に一瞬のことでしょう。宇宙の遥か彼方から眺めたら本当にちっぽけなものでしょう。しかしそんな短く小さい人生にも様々な出来事が起こるのです。それは人によって違いますが…。たとえ嫌な出来事が起こったって、不安や絶望という闇の中で人生を送るよりは、夢や希望という光を抱いて明るく楽しい人生を送るほうがきっと充実した、いつ死んだって納得のいく人生になるに違いありません。そのためにはどんな嫌なことからも逃げないで、試練のハードルを飛び越えて、必死になって「今」を生きること。それが私たち「今生きている人」に与えられた神様からの贈り物なのではないでしょうか?確かに人の死はとても辛いことです。それが身近な人ならなおさら・・・。でもそれはもしかしたら「よく頑張った。もう休んでもいい。」という神様からの合図なのかもしれません。私はまだ十五歳で、本当の人生の大変さを知らないからこんなことが言えるのかもしれません。しかし十五歳だからこそ、「今」と「これから」を生きる人間だからこそ、考えなくてはならないのではないでしょうか。「人の生なんて束の間夢一途抱いて生きな命の限り」。私はこの歌を心に刻み込み、そしてこの記念すべき四十号につけられた素晴らしい名前のとおり「夢一途」に生きていきたいと思います。 (西陵中卒業生)
 乗 岡 悠 香
生まれては消えゆく蝶かはらはらと袖はためかせ束の間を飛ぶ
華やかに飛びて視野から消えている蝶よ逢うこそ別れのはじめ(悲母蝶)蝶って不思議なヤツだと思うの。あ!蝶々が飛んでいると思って次の瞬間見たら、何かもう何処か行っちゃつて?あれーと思って振り返ったらそこにいたりして。瞬間移動でもしたんか?!って思う。でも、してないって言い切れないよね。私は今まで揚羽蝶をけっこう見てきたけど、もしかしたらみんな同じ一つの揚羽蝶だったかもしれない。きっと彼らは瞬間移動も出来るけどタイムトラベルも出来るのよ、はかないなぁって、かわいそうだなぁって私たちに思わせといて、本当は私たち以上に長い間生きてるんだよ。 目つむれば花さえ語りかけてくる冬の日溜まりうとうとといる(断片集)温かい冬の日溜まりにお花さんも気持ち良くって誰かとおしゃべりしたかったのかしら。それともうとうととしている誰かさんの夢なのかしら。どっちでも素敵。日溜まりにとってそんな優しい瞬間が自分のために起きたのなら、それはやっぱり嬉しいことなのでしょう。 (西陵中卒業生)
中  恵 理 香
夢一途ついふらふらとしてしまう我にも輝く一つ星あり(夢一途)
私には夢が沢山ある。どの夢も実現させたいという気持ちからこの一首のようについふらふらとしてしまう。だが最後に本当に実現するものは一つだけだと思う。それが輝く星なんだと思う。その星をつかむために私は夢を追い続けるだろう。
(西陵中卒業生)
奥 田 治 美
誰そ彼れにまぎれて母ら透明な人らか風がすり抜けてゆく(夢一途)ときどき、ふっと、亡くなった人がいたような気がすることがあったりしました。本当にそこに、亡くなった人たちがいるのか、それはわからないのですが、振り返りたくなったりしてしまいます。それはすぐに、風のように去っていってしまいます。そしてその、「ときどき」でも、ときどきは、そのものに、手を振ってみても、いいんじゃないかなと思いました。(西陵中三年生)
西 尾 美 暢
スクリーン広がるように視野展け生きる喜び湧き出でてくる(夢一途) 人間は、目の前に夢が見えてきたとき、喜びというものが見えてくるのではないでしょうか。反対に、前に何も見えず、頑張ろうと思うことすらない時、何も見えないのだと思います。そうなってしまったとき全てにおいてどうでもいい…という感情が出てきます。しかし、そういうときに人の頑張っている姿は力をくれます。この人は頑張っている!!…じゃあ自分も頑張ってみようかな…と。私は夢がない時でも、目の前にあることを頑張ろうとすれば、いつか夢は見えてくるのではないかな、と思います。 (西陵中三年生)
森   晶 子
今にして思えば母は死の準備いつもしていたような気がする(夢一途) 二度倒れ、意識は失ったものの、寝たきりの私の祖父のことを思いました。五年前に病院通いになってから、不平不満ばかり言っていた祖父でしたが、その中にはいつかはやって来る時のことを思う覚悟というものがあったように今になって気づきました。だから「人の生なんて束の間夢一途抱いて生きな命の限り」にもとても感動しました。そして今は、この文字の通りの人間の権利が、地球上で苦しんでいる全ての人たちに与えられることを祈ります。そう、イラクの人たちに。  (西陵中三年生)
大 津  明 日 菜
人の生なんて束の間夢一途抱いて生きな命の限り(夢一途) 本当に人の人生なんてほんのわずかな時間にしか過ぎないと思う。しかしそのわずかな時間の中で夢を作り、その夢を抱いて叶えるために頑張るのだ。一生の中で人間は笑ったり泣いたり怒ったり、たくさんの思いが出来る。少ししかない命でも自分の思いだけで素敵なものになると思う。 (西陵中三年生)
水 口  智 香 子
森抜けて不意に明るき草原に大きな木槿の花開きおり(夢一途)私の心は真っ暗でした。進んでも進んでも見える景色は同じで、空からの光ばかりが私を勇気づけ同時に見下ろしています。私はその光を愛しく、時には妬ましく見上げることしかできません。そんなある日、私は光に包まれました。迷路を抜けることができたのです。後から後から嬉しさが溢れ出し、自分の前にある幸せを抱きしめました。その時、今まで通ってきた迷路であった出来事が蘇ってきました。迷路があったからこそ、今の幸せに出逢うことが出来たことに気付いたのです。私は幸せをそっと置いて次の迷路へ駆け出しました。空は明日も私を照らし、見下ろすでしょう。 (西陵中三年生)
森  田  小 百 合
夢一途ついふらふらとしてしまう我にも輝く一つ星あり(夢一途) 受験生という立場にたっている私も、今、夢に向かって大きく前進しなくてはいけないのですが、時々思い通りに勉強が進まなくて、ついふらふらとしてしまいます。しかし、星という自分の夢を輝かせるためにも、まだまだ頑張らなくては、と思いました。
角  島   康  介
本当に母さん死んでしまったの?この思い常あるがかなしき(夢一途)僕の祖母は二年前に亡くなってしまいました。祖母は入院していたけど、時々行くお見舞いの時は少しは話すことができていました。それに入院するまでは一緒に住んでいたから、亡くなったと頭では分かっていても、その後半年ぐらいは何か変な感じで「死んだ」というよりは「いなくなった」というような感じがしました。それからは人の「死」に対して少し考えたりもしました。人が死ぬというのは、とても不思議なことだと改めて感じました。
坂  井   彩  美
庭の片隅のダリアは天を向き人に従かぬと凛と咲く見ゆ(夢一途)
普段はあまり意識しないけれど、植物も生きている。人間のように自我が発達しているわけではないから、植物の気持ちを無視して、ついついないがしろに扱ってしまう。だけど、このダリアのように優雅に美しく咲き誇るさまを見ると、植物も人間同様この地球に生きる人々なんだと感じられると思う。(西陵中三年生)
出  来   幸  介
今にして思えば母は死の準備いつもしていたような気がする(夢一途)
先日、川添先生のお母様が亡くなられたことを知った。その知らせを聞いてからしばらく経った後で、この「夢一途」を読むと、いかに先生のお母さんが周りの人に気を配り、常に優しい方であったかがわかる。お見舞いに来てくれた人々には、元気であることを見せるが、実はそれはみんなに最期のお別れをしていたのだ、と思うと、胸が熱くなった。きっと自分の母が死んだら大変な悲しみに打ちひしがれるだろう。しかし先生は、周りの人に少しも悲しみを見せようとはしなかった。先生はいつも心の中で母親の愛情を噛み締めておられたのだと思った。 (西陵中二年生。剣道部部長。)
田  中    良
少しずつ死を目の当たりにして人はやがては来る日思いつつ寝る(悲母蝶)
人は生まれた時から死へと向かって行きます。どんなに努力しても永遠には生きられません。生きている間に、何度か死を目の当たりにすることがあります。僕の場合はまだ一回しかありません。しかし、歳を取っていくと、自分の周りにいた家族や友人が亡くなっていき、死を目の当たりにすると、死が近くにあるような気がして寂しくなると思います。だから歳を取っていくと、だんだん死を意識したり後悔することも多くなると思います。しかし、若い時から、死を意識して「毎日精一杯生きよう」と考えていくことで後悔の少ない人生になるのかもしれません。  (西陵中二年生。剣道部。)
佐  竹     藍
本当に母さん死んでしまったの?この思い常あるがかなしき(夢一途)母というのは、自分が生まれた時からずっと一緒にいてくれて自分が一番好きだった人だと思います。そんな人が死んでしまったのを簡単に受け止めるというのは不可能だと思います。母が死んでしまった日から「本当に死んでしまったの?」と聞くのは本当にその人が好きだったということで、心の中にずっとこのような考えがあると、母の死を思い出してしまうのですごく悲しいと思います。 (西陵中一年生)
中  野     大
ジーンズを履けばジェームスディーンわが重なりて照れ笑いなどして(秋徒然)先生の歌には死という言葉が多くとても気になりましたが、この歌にはそんな暗さがなく、先生の何事にもこだわらない颯爽とした姿が浮かんで、とても気に入りました。
吉  田   圭 甫
どのような生き物かになり母が今我の周りにいてる気がする(夢一途) 僕の周りに亡くなった人はいないのでこの気持ちを理解することは出来ませんが医療ミスなどで死んでしまうのは、とても辛いというよりも悔しいと思います。その人は一生、医療ミスをした人を許すことが出来ないからです。川添先生は、あの時お母さんを亡くしてしまった時の事をいっぱい話をしてくれた。その時、僕は少し悲しかった。でも先生は決して泣いたりしなかった。それが今も心に引っかかっている。その時の先生はかっこよかった。 (西陵中一年生)
神  田   理  博
セメントの小さな川あり人植えし白き虎の尾しめやかに咲く(夢一途)この川は、周りが一面緑の中を流れていた。きれいな水の中を魚が泳いでいて、夏になると少年が魚を捕りに来る。季節にはそれぞれの花がいろいろな色で川を飾っていたんだと思う。セメントで固められ、無愛想になってしまった今、少しでも彩りを与えようと、川の昔を知る人が白い虎の尾を植えたんだろう。人が変えた川に、人が植えた花が咲き誇っているのではなく、「しめやかに」咲いているところがいいのだと思う。(西陵中一年生)
乗  岡   智  沙
眠るたび死んでは朝に生まれくる命と思えば一日は楽し
夜眠ると命は散っていき朝起きたらまた生まれていく、そのときに見る夢というのは、科学とかではどーのこーのと言われているけど、もしかしたら魂が毎夜毎夜違う世界に行くのかもしれない。たとえば太陽のように私達は別の世界に行って旅をするのかもしれない。同じ夢を何回も何回も見ることが少ないのは魂は物覚えが悪いのかも、なんて…。朝は花が朝露に濡れて開くように生き、夜は日が沈むように大きくゆっくりと死んでいく。人間は人の生まれてから終わりまでを人生というが、本当は一日こそ人生なのかもしれない。 (西陵中一年生)
桐  山   潤  也
いい人を亡くしてほんとに寂しかね母がみんなの思い出になる(夢一途) この歌には、先生のお母さんへの思いとみんなのお母さんへの想いが伝わってきました。たくさんの人の心の中にいつまでも生きているお母さんの素晴らしさと亡くしてしまった悲しみとを強く感じました。 (西陵中一年生)
加  藤   靖  子
ゴキブリに悲鳴を上げる妻よそれニンゲンよりも大きなものか(帽子岩) 前に、「人間がゴキブリを見て怖がるよりも、その人を見るゴキブリの方がもっと怖いんじゃないか?」という話を聞いて、私はきっとそうだと思いました。ゴキブリから見て、人はとてつもなく大きい巨人なのではないかと思ったからです。もし逆の立場だったらと考えてみると、きっと私はゴキブリと同じように逃げる行動をとると思います。 (西陵中一年生)
吉  田   佳  那
人責めるよりも自分が責められるほうがと母に思い至りぬ(夢一途) 先生の歌を読んでいるうちに一度もお会いしたことのない先生のお母さんの輪郭が浮かび上がってきた。その核となるのがこの歌のような気がする。私にはとても言えそうにないが、先生ならふと口にされそうな言葉だ。 (西陵中一年生)
衛  藤   麻 里 子
人の生なんて束の間夢一途抱いて生きな命の限り(夢一途)人生は八十四余年。私は十六歳なので五分の一程生きてきただけだが、短かったとは思わない。残りの年月がものすごく長く感じられる。最近、私は将来何がしたいのか考えていた。やりたいことはとても大きなことなので、生きている間には達成できないかもしれない。そう考えると、人生八十四余年は束の間になる。これから、自分の夢を達成するために努力していこうと思う。(西陵中卒業生)
 北  川   貴  嗣
際限もなく人がいて次々に死ぬ生まれるを繰り返すのみ(螢)死ぬために生きるみたいと娘言いまた子の無邪気な世界に遊ぶ(未生翼)誰もが一度は深く考えたことなのではないかと思う。これは哲学の問題になっていくのであろうか。僕も幾度となく思い悩まされた。人間は何のために生きているのだろう。人間に限らず、全ての生物についても同じだ。考え出すと実に不思議であり、なおかつ、答のでない問題である。前の歌を見て、さまざまな思いをめぐらせているうち、後の歌が目にとまった。幼い子は実におもしろい。僕には思いもつかない考えだ。言われてみると確かにそうだが‥‥。いつも、こうして明日には忘れてしまっている問題だ。 (西陵中卒業生)
奥  田   治  美
阿弥陀さん母さん二つの御仏飯今日こそ残さず食べて下さい(悲母蝶)わたしも、仏壇とわたしの身近な死んでしまったひとにご飯をお供えしたことがあります。だけど、もちろんそれは、どれだけ時間が経っても、絶対なくなったりはしません。そのひとが生きていたころのようには、けっしてならない。そういうことに言いしれぬ切なさを覚えました。ご飯、という形のそのものはなくなりませんが、それでも、そのものの「いのち」のようなものを、召し上がっているのだと思います。 (西陵中三年生)

葉緑素 (373)
岩 井 三 窓
 五年ほど前、隣へ中学の先生をしておられる方が宿替えをして来られた。挨拶に見えたとき、国語を教えていると聞いたので、番傘人間座の豆本(句会報)を、ご笑覧あれと差し上げた。その豆本が先生にはショックだったらしい。氏は歌人だった。結社に属せず、一匹狼と言うか、孤高孤独の歌人だった。予てから、歌集を編みたい願望はあったのだが、願望だけに止めていた。豆本、ワープロでこんな本が出来る。大袈裟に言えば、目からウロコが落ちたのである。まして氏はパソコンの熟練者である。隣のおじさんがこんな本を…。それ以来、氏は豆本作りにひたむきに情熱を傾けられた。同時に作歌意欲もますます上昇。ついに豆本の、隔月刊個人誌「流氷記」を、今のことばで言えば立ち上げられた。二年ほど前、朝日新聞の詩、短歌、俳句、創作の月評欄に氏の短歌が取り上げられたこともあった。それも「流氷記」を寄贈された縁である。そして三月二十八日、朝日新聞の第一面を見て驚いた。「折々の歌・大岡信」に隣の先生・川添英一氏が載っていたのである。
流氷が今日は離れて彷徨うと聞きて心も虚ろとなりぬ
その日の午後に、守口で川柳教室があり、嬉しさのあまりこの大ニュース?を披露した。とたん、声あり「先生の町には、文化人が二人もいはりまんねんな」。また別の声もあり「そやけど、宿替えは古いし可笑しまっせ」。そうだった、宿替えは死語であ
り、文化人の使うことばではなかった。
「流氷記」は現在第37号、この号には氏の作品90首と短歌作家や受け持ちの中学生の作品評がある。
ゴキブリに悲鳴を上げる妻よそれニンゲンよりも大きなものか
よく女の子は虫やゴキブリを見て「気持ち悪い」とか「こわい」とかよく言ったりしているけど、実際一番怖いのは人間だと思います。足立美沙登(西陵中二年生)
(番傘みどり第474号より。昨年四月刊のものです。岩井さんは番傘人間座主宰、『川柳読本』『川柳燦々』『紙鉄砲』など著書も多数ある川柳界の重鎮。初めて会った時からそのお顔の素晴らしさを感じていました。川端康成が文学者の顔をしているように、岩井さんも洒脱な笑顔を持っていて、まずあこがれました。それだけでもここに越してきた価値があったとも思ったものです。さらに豆本を見て、今のような流氷記が浮かんできました。本当に縁の不思議さ有り難さをつくづく感じています。今号に少し余裕が出来たので転載することが出来ました。)

◆四十号刊行が十一月だつたので今は年刊四冊のペースになってしまった。年鑑等に不定期刊と記したのは正解だった。今までもそうだったが、他からの強制や義務感だけでやりたくなかったし自分の中から発するものでなければという姿勢は強く持っていたい。流氷記が四十号になり、これから本統のものを作っていかなければならないのだ。五号を過ぎた頃には結社に入って勉強をやり直してはいかがですか、という葉書が届き、二十号を越えたときには、流氷記の役割は終わったのではないかというメンバーの厳しい声も聞いた。でもその都度、だからこそ流氷記の存在意義があるのではないか、ここから本当の流氷記が生まれるのではないかと奮起してきた。禅の公案にもあるようにとどのつまりの地点から本当の世界が拓けるのだ。生前の寺尾勇先生から、流氷記のような形は今までの文学史上類のないものだから決してやめずに続けるように、とのお言葉があったことに思いを寄せている。ひねくれ者のせいなのかもしれないが、流氷記にしか出来ないものを追求していきたい。◆先日、数十首の歌を記したメモ帳を無くしてしまった。すぐにどんな歌だったか思い出してもう一度作ろうとしたが、半分も出来なかったし、思い出したものも先に作ったものとは違う。同じ歌は出来ないものだが、自分自身の中でも再現することが出来なかった。つまり過去の自分すら他人と変わらず、時間の一つ一つの貴重なこと、二度と得られないことを実感した。何でもないことだったが自分にとってはこの時期を乗り切れる契機ではないかと少し嬉しくなった。◆思えば小さな頃から、大きな目的のために敢えて負の方を選ぶという性向があった。世間が望み皆が指向することを自分がするということに恥じらいを覚えることが多かったように思う。学歴や肩書きなどにこだわる時むしろ苦しみがあった。でもそのことが流氷記に方向を定めてくれる気がする。◆先日の新聞に山極寿一さんが類人猿と猿の違いについて書いていた。喧嘩が起これば猿は強い方に加勢し優劣関係に忠実、類人猿は弱い方に加勢し食料分配も弱い方の要求から行われるというのだ。強者が弱者に場所や権利を譲ることでの共生を喜びとする心を持っているとのこと。残念ながら日本の政治の現状も我が職員室も教室も類人猿の心を持っているとは言えない。とすれば、猿、類人猿とさらに賢いはずの人間とは何なのだろうか。猿が猿の心のままに小賢しくなっただけなのだろうかと暗澹とした気持ちになるのは寂しい。

編集後記
 歌を忘れたわけではなかったが歌に集中することの出来ない時が長く続いた。今も続いているのかもしれない。でもこれは僕にとって必要なこと。西陵中学校も十年目を過ぎ、次の職場を考える期間がそうさせたのかもしれない。西陵中学校の色んな要素が確かに歌を作らせた。周りの優しさも厳しさも意地悪さもあったのかもしれない。さまざまな要素が歌の環境を育ててくれたのだろう。いつまでも槌の音を響かせていきたい。二月中旬は娘と網走を訪問する。僕の流氷はあらゆる処まで漂って叙情の世界を表出していきたい。そろそ┌────────────┐ろまた船出の時だ。