畑 中 圭 一
歌一つ出来るよろこび沁みてくる何事もなき一日なれど(槌の音)
詩を書いている者のひとりとして、ここに詠まれた「よろこび」には深く共感する。詩や歌が出来たからといって生活に大きな変化が生じるわけではない。何事もなく、平穏無事に過ぎる一日である。しかし、私の場合、詩が出来上がると、からだの芯から何か温かいものがじんわりと広がっていき、からだがぽかぽかとしてくる。「沁みてくる」というのは、そういう広がりを歌ったものだろう。これを達成感とか充実感とか呼んでしまうと、その温もりや広がりの部分が消えてしまう。沁みるという言葉がいいのである。私なら「沁みわたる」と詠みたいところだが…
(詩人。児童文学者。『すかたんマーチ―畑中圭一詩集―』)
中 島 和 子
カマキリに射すくめられつつ人間も心優しき生き物となれ(槌の音)幼児体験のトラウマなのか、昆虫、とりわけカマキリが苦手です。実物は言うまでもなく、写真も絵も映像も、まともに正視できません。こんなに嫌われていることをカマキリが知ったら、「僕が君に何をした?」と文句を言うでしょう。この一首に登場するカマキリは、私にも斧を振り立てているのです。「カマキリに射すくめられ」ている作者は、カマキリときちんと目を合わせています。でも私は、すごすごと「ごめんなさい」と逃げるだけです。      (童話作家。『さいごのまほう』)
加 藤 多 一
雄を負うオンブバッタがつつましく草に安らう母はもうなし(槌の音)オンブバッタのことをぼくも描写したことがありますが、このようにメス(母親になろうとしている姿)には注目できませんでした。いわゆる「男性神話」つまり男性中心社会が当然なのだ、男はエライのだという考えに染まっていては、こういう視点は持てない。確かに男性なのにそのラインをはみ出して見ている。これこそ表現者の第一歩かもしれません。「母はもうなし」は、やや安易ですね。いかにも短歌的発想と手垢が充分ついた言葉。惜しい、惜しい。女であった母、を上品に描いてほしかった。
          (児童文学者。オホーツク文学館長。)
佐 藤 通 雅
肉親の死が力になることわりが紅葉もやがて散りてしまえり(槌の音)肉親の死、とりわけ母親の死は悲しい。ただ悲しいのではなく、自分の生の根源が崩落したような悲しみだ。しかしどんなに悲しくても、きわめて個人的なことで、技法のかぎりをつくしても、けっして他人には伝わらない。だから自分は親が死んでも歌にすまい、しても発表すまいと考えていた。その自分の母も去年十一月五日に急逝した。とり乱すことなく処理しながらも、体は正直だ。不眠症になり摂食障害までかかえ、いつのまにか挽歌も作っていた。「流氷記」のいくつもの挽歌を、わが思いを重ねてよんでいる。「死が力になる」には時間が要る。 (『路上』)
南 日 耿 平
夢のまた向こうの夢に幾たびもひとり流氷原にわがいる(槌の音)折角原稿書いたのに置き忘れ、一からやり直し。歌も違ったものになってしまいました。あなたの歌には〈流氷原〉が秘められている。私には北朝鮮のピョンヤン(平壌)がそれ。初めての教師生活を迎えたところ。流氷にかわって大同江が凍ったのです。あなたの歌をみていて前登志夫さん(中学時代の教え子)と共通しています。不思議な詩人即歌人のお二人です。 (近藤英男奈良教育大学名誉教授。)
石 井 正 司
呆気なく母亡くなりて一枚の遺影に見つめられつつ暮らす(槌の音)ある日朝日新聞の選者大岡信の「折り折りの歌」の欄で川添英一の名前をみた。この欄は万葉以来の秀歌を紹介してきた。そこに川添君の名前が。驚いた。人違いではあるまいか。念のため奈教大に電話した。まちがいなく川添君だった。私は教員歴五十年教え子は数千人、いちいち名前など覚えられない。ましてや川添君は私の学科の学生ではない。割り当てられて仕方なく私の講義をとった他学科の学生である。一別以来三十年それだのに覚えていたのである。彼が客気あふれる個性豊かな学生だったからである。この歌であの青年が壮年となり、母を亡くす年齢になったのを知った。そしてこの歌は悲嘆慟哭から諦念に、そして日常性へ戻っていく心的過程を正確に映し出している。年配者の誰でも一度は経験するあの悲しい心的過程である。(元奈教大、元日大教授、神奈川県平塚市在住)
三 浦 光 世
秒針が時刻む音響きくる深夜は人の領域ならず(槌の音)
時間の中に生かされている人間の命を、この頃しばしば思うのであるが、そうした思いを捉えて一首の短歌にまとめることは至難な業である。この作、深夜という時間を、人間の領域を越えたものとして、見事に描き出していて非凡である。感覚が鋭いと言ったらよいのか、簡単に真似の出来ない境地であると思う。 (『希望は失望に終わらず 綾子からのメッセージ』)
野 村 一 秋
流氷の群れが日本を目指しいるイラク派兵に揺れる日本を(槌の音)あれよあれよという間に、自衛隊がイラクへ派遣されてしまった。ブッシュ支援のために。たしか、日本には憲法九条があったよねえ。ムシムシ。国民がいっぱい反対してるよねえ。ムシムシ。なんたって、小泉首相には支持率という強い味方があるんだもん。もう怖いものなしで、やりたい放題、言いたい放題。言いたい放題っていえば、高校生が署名運動したら、今の教育はなっとらんとか言ったそうだけど。「この際だから徴兵制も」なんてことになったら、他人ごとじゃなくなるのは彼ら。真剣になるのは当たり前じゃないの。でも、なんであんなに支持率が高いんだろう。「正義」とか「平和」とか、昔と同じ手を使われているのに、すっかりその気になってる、お人好しの日本人がいるんだろうか。 (作家。『天小森教授、初恋ひきうけます』)
 ウ エ キ リ カ ル ド
さまざまな夢の一つに過ぎぬ世か昨日も今日も忽ちに過ぐ(槌の音)この言い古された平凡な感懐が、日ごとに蘇える今日この頃。「明日があるよ」というブラジル式の楽天性が救いとなっている。どうせ「無」でしかない人生。そして「愚」でしかない世界。楽しい刹那を繋ぎ合わせて想い出すだけの人生で充分ではないのかと、ニヒリストは苦笑しています。(作家。『白い炎』)
川  口    玄
夕茜空の向こうにぽっかりと出口のような月浮かびいる(槌の音)
「出口のような月」とは、何とうまい表現なのかと思う。宇宙の出口なのか、人生の出口なのか。私事ながら去年の十二月で、満三十年間やってきたことが、一つの区切りを迎えたので、次の歌も印象に残りました。三十年刻み続けし鑿の跡青の洞門今くぐりぬく  (元『大阪春秋』編集長。)
大 島 な え
蛍光灯消せば深夜の眼裏に海月浮かびてながれては消ゆ(槌の音)
毎朝歩く舗道の脇に一本の桜の老木が立っている。冬の間、枯れ木のように黒く古びた幹を見せている桜の木は、今は花が満開に咲き一年で今だけの華やかさを放っていた。その道を真っ直ぐ行けば海に出る。何日かに一回は、このまま先まで歩いて海を見たくなるが、なかなかたどり着けずに道草を食い、今日も海が見られなかったなぁと寝る前に思った。眼裏に見える海は、いつも同じ静かな砂浜だ。そこには海月もきっと浮かんでは消えている。 (作家。『本屋さんで散歩』)
佐 藤 昌 明
母よりも若く逝きにし人あれば少し得心させられて寝る(槌の音)亡くなられたことを、こんなに悲しむ親孝行な息子を持たれたご母堂を、本当に羨ましく思います。大学病院の放射線過剰照射による副作用で痛みが激しく、苦しんで死んだ母親のことを、なるべく忘れよう忘れようとしている私など、全く親不孝です。ただ、母とやや同年齢の叔母たちが、まだ丈夫でいるのを見ると、やはり思い出し、残念であり、何ともしてやれなかったことに慚愧の念しきりのこともあります。亡き人をあたたかく思いやる心情は、人間だけの最大の『やさしさの象徴』という言い方はちょっとピント外れかな‥‥?    (作家。『北に生きて』)
 園  田   久  行
苦しみを解き放たれて横たわる母あり微笑のかく美しき(悲母蝶)  家内の母は糖尿病との長い戦い中で、失明し、やがて片足を切断していた。文字通り杖となった父は、インパール作戦の生き残りで、見るからに頼もしい杖であった。その母が亡くなった時、そこに、苦しみを解き放たれて横たわる母がいた。最後の別れで父は、お前一人で、どうやって三途の川を渡るんや、目も見えんのに足も悪いのになーと語りかけた。苦しみの中にいた人は、死は安らかな浄土への旅の始まりなのだろうか。母の顔の中に微笑を見たし、穏やかなきれいな顔をしていた。私にとっては、この歌の「母あり」と「微笑」の間には、かけがえの無いこんな思いが有って繰り返し読むだけで涙が出てくる。 (株式会社オランダ屋書店主)
藤   野     勲
凍りつつ彷徨う流氷群見えて大鷲となる眠りに入れば(槌の音) 母上が亡くなられて間もなく一年になろうとしますが、今号も亡き母上を想う沈痛な思いが全編を通じて切々と流れています。そこから飛び立とうとしても飛び立つことができないほど身も心も捉えて離さない悲しみの情というのはあるもので、そうした一群の歌の中でこのスケールの大きな歌に出会って何かしらホッとしています。大鷲とはいわば作者の想像力の謂にほかならず、本当は眠りに入らずとも想像力の限り力強く大きく舞い飛ぶのでしょうが、その大鷲が遙かな高みから見下ろしている光景が「凍りつつ彷徨う流氷群」であるところに、他の誰でもない川添英一という一個の人間の存在が確かに感じられるのです。 (俳誌「ひいらぎ」同人)
井 上  芳 枝
深耶馬渓鹿鳴館に蕎麦食いに来て奇岩立ち紅葉も見ゆ(槌の音)耶馬渓は夫のふるさと。この歌から懐かしさが湧いてきます。秋山の深耶馬渓の奇岩紅葉は見事ですが、私は春遅い山里のヤマフジ、ツツジ、シャクナゲが盛りの新緑のころが大好きです。すがすがしい空気をいっぱいに浴びながら山道を登っていく幸せ。「かにかくに渋民村は恋しかり おもいでの山 おもひでの川」啄木の歌が、夫の生き生きとした少年時代の姿に重なってきます。自然の懐に抱かれ、義兄夫婦の温かさに命の洗濯ができ、すてきな里帰りがいつも出来る喜びに浸っています。(北九州市立大蔵中学校時代恩師)
柴 橋 菜 摘
石炭を継ぎつつ会話はずみいし網走二中もはるかとなりぬ(槌の音)ざくざくと石炭をスコップでストーブに入れる。すす掃除と石炭ガラの始末に手間はかかったが、その回りで語らった人々との懐かしい日々。そこに人の輪があり温もりがあった。私にもそのような教員時代があり、同じ想いが蘇る。先輩の先生方の経験談や子供達の話題、様々な人間観察、人間考察―。そういう日々に育てて頂いた。そして今はまた、違う環境に育んでもらっている。還暦が手の届く歳になってはいるが―。
(奈良県大和高田市在)
山 川  順 子
網走にいる分身か流氷の近く迫るを自ずから知る(槌の音)この歌の前後を含め本当に網走、流氷を想う気持ちが表れていると想います。分身がいなくても川添先生の、すでに流氷の全てを体中で感じ取れる熱い思いが伝わります。 (『私の流氷』。札幌在)
吉 田 貴 子
どのように生くのか君らの人生の一シーンにいる我揺れながら(槌の音)この一年流氷記のおかげで先生のお考えや人となり身近に感じることが出来ました。美しく繊細な心や深くあたたかい心で日常をうたっておられる数々の作品に私の心も目覚めていく思いでした。この一年で流氷記の川添先生は娘の人生にたくさんの大切なものを残してくださったと思います。本当にありがとうございました。 (西陵中学校保護者。)
乗 岡 尚 子
夕茜空の向こうにぽっかりと出口のような月浮かびいる(槌の音)
慌ただしく去るものあれば弦月もこの世の出口と想いつつ見る

「太陽の東 月の西」で遊んだことはありますか。人は誰でも幼い頃、あの不思議の国へのパスポートを持っているのです。西の空を茜空に染めてお日様が沈んだ真向かいにぽっかり浮かんだ大きなお月様。それが不思議の世界への入り口。丸い扉をぬけた先で、幼かったわたしは――ある時は、宇宙の果てを極めにゆく宇宙船の乗組員となって、闇に煌めく星々の間をどこまでも飛んでゆき、ある時は永遠の時を生きるバニパネラとなってヨーロッパの古城に潜み、またある時は、虹色に輝く玉を探し求める小さな妖精となって、巨大な木々の間をさまよい歩き――けれど、人間の社会で生きてゆくための知識や常識を身につけるにつれて、入口はだんだん小さくなり、パスポートは、やがて一枚の片道切符となってしまったのでした。大きなお月様を見るたびに、大人になることで失ったものの大切さが思われ、あの頃のわたしが懐かしく、切なく思い出されます。それでもお月様は今も変わらぬ姿で待っていてくれる、今度は新しい世界への出口となって。いつかわたしは残った片道切符を握りしめ、この世界の全てのしがらみを断ち切って、今は亡き人たちの集う世界へと脱出するのです。 (西陵中学校保護者)
小  川   輝  道
簡単にあの母親では駄目という教師の口調聞きつつかなし(槌の音)こんな経験は私にもあった。子を育てるさまざまの現実には、養育の放棄や過干渉の母がいて、うなずくことのできない事実もある。しかし、私が不満に思い、認めがたい思いをした事例の多くは、教師自体が、子供を変えるために工夫したり、母や子のおかれている生活に目を向け心を砕く様子ではなく、声高に、口癖のように否定したり批評家然とした教師に出会うことであった。川添さんの人間観が、純粋な心情を揺さぶり、直截に表出され、私の右のような文章と比べ、及ばない、無駄を削ぎ落とした表現となっている。 (網走二中元教諭。北見市在)
弦 巻 宏 史
雨の夜は母が訪ねて来てくれる眠りの森に迷いいるべし(槌の音)
眠りまでのまどろみの中で、さまよう風景や心境が、つい幾日も同様なものを繰り返すことがある。悲しいほど振り切れない夜もある。しかし、煩瑣な日常では、まさに己れだけの、大事にしたい楽しみの時でもある。「訪ねて来てくれる」「母に会える」嬉しく切ない想いが胸をつく。雨の夜は尚更である。歳経れど所詮は母の洞のなか彷徨いながらいよよさ迷う(槌の音)母は大きくて広い。「所詮は母の洞のなか」、謙虚でありたいし、感謝の念である。私もつくづくそう思う。大切にしたい。(網走二中元教諭。『オホーツク街道』では司馬遼太郎に網走を紹介。)
井 上 冨 美 子
小春日の枝に安らぐ母子猿幸せは人のみにあらなく(槌の音)
目にすること、耳にすること「どうしてこのようなことに…」あまりにも多い昨今です。何ともやり切れない殺伐とした世情となっています。有史以来、人類は絶えることなく戦争を繰り返し、その度に地球という一つの星に生を受けているあらゆるものが、大きな犠牲を受け本当に痛ましい限りです。人々の暮らしは、昔より自然界のあらゆるものに助けられ命を繋いできているのにもかかわらず、人類の発展、人類による開発、そして戦争によつて、残念ながら大切な自然界の調和を大きく崩し歪めてしまいました。今となっては元に戻すことは不可能です。でもこれ以上悪い環境にならないように、たとえ小さなことであっても身のまわりのことを、一つ一つ考え行動し、日々を送らなければと、このお歌を通して強く思いました。    (元網走二中教諭。網走在)
高 岡 哲 二
癇癪の後は気弱になる父か母亡くなりし後のかなしみ(槌の音)この一首に魅かれ、心打たれました。父に対する目と、亡き母に対する想いが重なって、伝わってくるようです。作者の気持ちがこみ上げてくるのです。父を詠みながら母に対しての追慕が忘れられない作者、そして、父に対って「気弱になる父か」と気づかっているやさしさがあるのです。「癇癪」とは〈ちょっとしたことにでも激怒しやすい性質〉と辞書にあります。親子なればこその感情の交流でしょう。近頃は珍しい光景と思えますが、真実感があります。結句の「かなしみ」には、深い「かなしさ」が込められているようです。 (『日本歌人』)
北 尾   勲
夕茜空の向こうにぽっかりと出口のような月浮かびいる(槌の音)
私自身、日々目にする〈情景〉にこだわっているせいか、この一首に心引かれた。意味は一目瞭然、夕茜の空に浮かんでいる月を描いたものである。殊更目新しいモチーフではないが、「出口のような」という比喩が面白い。見えている情景、つまり「夕茜の空の向こう」から、いったいどこへ抜ける出口なのか。宇宙の外、と言ってしまえば身も蓋もないが、この月が淡月であることを思えば、おのずと遠くはるかな世界へとつながっている出口、となろうか。一見、何でもない作品のように見えて、ドキッとさせる不気味な一首である。   (『ヤママユ』・『鳥髪』)
新 井 瑠 美
蓮群れて風音立てて心地よき篠山城に秋深みゆく(槌の音)先ず絵が見えるのがいいと思った。美しい景色である。赤白の蓮が群れて、花を葉を揺らす風が心地よい。大きくもない篠山城ではあるが、城を出したことで流れた時間、空間を感じ、結句の「深みゆく秋」に悲傷の心を癒されつつある作者であろう。〈小春日の枝に安らぐ母子猿幸せは人のみにあらなく〉にも、川添氏のやさしさを感じている。 (椎の木同人)
坂 上 禎 孝
今が次々に昔に変わってく自分にも死が確実に来る(槌の音) 今、今が瞬時にして過去となってしまう。コチコチと時計の秒針が老域の我々を追い込めて行く‥‥。と言うより刻々と死に向かって走り続けている今である。幸いにも死期が分からないから少々心に安らぎがあるが、余程の剛健ではない限り百歳までは生きられない。後何年生きられるか自ずと計算が出来る。誰もが死への恐怖を抱きつつ生きている。この作品からも伺えるが老境に入れば入るほど死への意識は尚更かもしれぬ。然し仏心に帰依し、生ある者は全て輪廻生死なりと割り切れば、少々心も安らぐものである。そして歌は命の果てるまで詠まねばならない。(『好日』)
川 田 一 路
秒針に時刻む音響きくる深夜は人の領域ならず(槌の音)本来夜は人間の領域ではないのかもしれません。だからこそ昔の人たちは陽が沈めば静かに床に就き、神が誘ってくれる夢の世界に楽しんだのでありましょう。ところが現在は街も、そして個人の部屋に押し寄せてくるテレビまでもが夜をわがもの顔に、眠ることを知りません。こんなご時世に秒針という、文明が発するまことに小さき音に聞き耳を立てる。そして人間本来の姿を思い返すことが必要なのではないでしょうか。そのようなことを考えさせる一首であります。 (『山繭』)
羽 田 野  令
夕茜空の向こうにぽっかりと出口のような月浮かびいる(槌の音)
 月と星を天の穴だと言った作家がいましたが、ふとそれを思い出しました。この歌の少し後にも「弦月もこの世の出口」という歌もあります。出口、ここからどこかへ出るためのもの。この世から出て、あの世へ導いてくれるもののように月を眺めている作者。お母さまを思う歌の中にある一首だからやはり、月の向こうのお母さまに繋がる世界を恋う歌なのでしょう。一日の仕事を終えて見る空の夕日と反対側にある淡く白い月は、月らしくなくて、いろいろに見えてくるものです。 (『山繭』)
里 見 純 世
癇癪の後は気弱になる父か母亡くなりし後のかなしみ(槌の音)
今号は此の一首に注目致しました。淡々と表現されていますが、先生の真情がこもっており、御父上を思う先生の優しさを感じました。小生はこういう歌に一番惹かれてなりません。次の歌にも先生の気持ちを感じ、さもありなんと共感しております。
石炭を継ぎつつ会話はずみいし網走二中もはるかとなりぬ
二月中旬に娘さんと網走を訪問するとあとがきにありましたが如何でしたか。ご活躍を祈って止みません。
(『潮音』『新墾』。網走歌人会顧問)
葛 西    操
逆らわずただ淡々と聞いている父の行き場のない不機嫌を(夢一途)早いものですね。春の彼岸が近づいて参りました。さぞ天国のお母様も先生のお参りをお待ちしていることと存じます。私はお父様のお心の行き場のない不機嫌がよくわかります。身内の者と申しましても生涯を共にした方、口には出さずともさぞお淋しいことと存じます。どうぞお父様のお気持ちもお察しのうえ優しいお言葉をお掛けしてお慰め下さいませ。私も老いて今、娘達に優しい言葉をかけられるのが一番のことのように感じております。先生もどうぞお体を大切にして流氷記にお励み下さいませ。(『原始林』。網走歌人会)
田 中    栄
不愉快な笑いの中にいて我と同じ気持ちの生徒をさがす(槌の音) 教室の中の一場面、面白くない場面に笑い声を立てる中にいて、教師である作者と同じく、不愉快でいるであろう生徒をさがしている。心理の切り取り方としてリアリティーがあって新しい。然し「不愉快な笑いの中にいて」という小主観的な切り取り方が歌を浅くしていないだろうか、難しいところである。(『塔』)
前 田  道 夫
十三歳大人と子供併せ持つ君らと生きて今有り難し(槌の音)
十三歳(中学生)は外見はまだ稚くも見えるけれど意見などを言わせれば、もう堂々たるもの。大人顔負けのものもあるであろう。「流氷記」に寄せられている生徒さん達の一首評を読んでもなかなか面白く、「流氷記」の中で精彩を放つ存在になっていると思われる。このような生徒さん達の多くと交わってゆかれる教師という職業はなんと幸せなものでもあることか。「今有り難し」という結句も、実感の籠もった言葉として感じ取ることができる。(『塔』)
早 崎 ふ き 子
夕茜空の向こうにぽっかりと出口のような月浮かびいる(槌の音)とりたてた事件をうたっているのでもなく、単なる抒景歌のようなこの作品に、私は深い驚きとショックを受けた。私たちは通常「月」に対して美しいとか淋しいとか悲しいとかの情緒的な表現をもってうたうことが多いが、この作品はそのような抒情を払拭してしまい「出口のような月」とうたい「月」を「出口」、つまりあたかも「脱出口」のごとくにうたう。真赤に焼けている夕空(それは日常的現実の喩かもしれない)に「月」の機能を喪失した「脱出口」にすぎない白い穴。私はこの歌の精神風景にただならぬものをおぼえた。  (『塔』『玲瓏』)
松 永 久 子
不愉快な笑いの中にいて我と同じ気持ちの生徒をさがす(槌の音)三十一文字の中に何と切実に作者が、作者の教師像が投影されていることだろう。強気のようでいてナイーブで淋しがり?だった、若き日の作者が彷彿とする。生徒を魅きつけてやまない所以の一首と思う。教師とはこんなにひ弱な面があり、四面楚歌ではやってられないものかも等、種々想いをめぐらさずにはいられない。こんな歌に私はひかれてしまう。網走にいる分身か流氷の近く迫るを自ずから知る(槌の音) 少々ぎこちなく理屈っぽいが、作者に網走を詠まれると弱い。ここまでこの地に一体化されていられるのだとしみじみ感動する。  (『橄欖』)
榎 本 久 一
十三歳大人と子供併せ持つ君らと生きて今有り難し(槌の音)若々しい生命力と出会ったことで、自らもその生命力に促されて生活に新しい力が湧いてくることはままあることである。この一首はそこよりもう一歩具体に踏み込んでいる処がしみじみとさせてくれる。『流氷記』の歌評も中学生の評に心の洗われるのはそのことを如実にあらわしているのではないか。  (『塔』)
東  口     誠
我が命捨てられるのを待つように空のくずかご部屋隅にある(槌の音)繰り返し母の死をうたってきた作者は、ついに自分の死に思い到った。死んだ母を意識の外に置こうとしてもできない。そして、今、いつかは「自分にも死が確実に来る」と観ずるのだ。しかも、その死はくずのように「捨てられる」のであろうという。母の死から自己の死へ至る思念の連続は、掲出歌を中心に据えてみごとな構成をなしている。空のくずかごは、自分の命を捨てるために在るとする、意表をつく発想もさることながら、この虚無感は、読む者の心をも孤独に陥らせずにはおかない。恐ろしい「くずかご」である。(『塔』『新アララギ』)
 小  石    薫
時代劇いつもついでに殺される人あり一件落着なんて(槌の音)劇の中でよくあることです。殺されるということを拡大解釈すれば現実の社会の仕組みの中でついでに殺される人の何と多いことか。それで一件落着となることもまたしかりです。今回の「槌の音」は醒めたまなざしをより多く感じますが「枯れ葦の間にまに群れる浮寝鳥月夜の湖面輝きながら」「小春日の枝に安らぐ母子猿幸せは人のみにあらなく」のような作品にあうとほっとします。 (『塔』『五〇番地』)
鬼  頭    昭   二
重心を移しつつ行く歩みさえ意識してまた今日も過ぎゆく(槌の音)歩むという人間の基本的動作、それは無意識化された労働と言ってもよい。それに意識が傾いていくというのは母を失ったことにより心の在り処が内側へと深められているということだろうか。心と肉体は表裏をなすものであることも考えさせられる。(『五〇番地』)
古 川 裕 夫
誰そ彼れにまぎれて母ら透明な人らか風がすり抜けてゆく(夢一途) この号には母への憧憬が多い。この一首は中でも印象が鮮やかである。夕暮れに風が吹く情景は死者らが作者の傍らを通って行ったと感じられたのである。勿論実在の人らが通ったのではない。風が浄土へ歩んで行くと意識下に浮かんで自然に読者に母への思い入れを素直に納得させる作歌力がある。誰そ彼れと漢字にした所も作者の意図であろう。数々の母の生前、死後を歌った作品の中からこの一首を選びたい。 (『塔』)
遠 藤 正 雄
我が命捨てられるのを待つように空のくずかご部屋隅にある(槌の音)わが命とくずかごとの落着に驚いた。命は重いもので、くずかごには似合わないと思ったが、そんな処に、この歌は心を惹く。家の外は言うに及ばず、家の中でも命を落とす処はいくつもある。風呂場も然り、階段も然り、死は処かまわず人間を狙っている。「わが命」の代わりに「わが歌を」と入れ替えてみた。どうしても歌が作れない時、丸めて放り込む処は屑籠であり、作者の一面が見える歌だとも思った。「夕茜空の向こうにぽっかりと出口のような月浮かびいる」この世からの出口の向こうに母上の居られる極楽浄土がある。   (『原型』『滋賀アララギ』)
甲 田 一 彦
夕茜空の向こうにぽっかりと出口のような月浮かびいる(槌の音)
誰にでも夕焼け空を眺めるということはよくあるものです。そこに見える月は、三日月のような細い月です。よくみると、月の黒い部分がくっきりと見えるものです。この歌では、その月を「出口」と捉えているわけです。浄土へ旅立たれた人の出口、自分もやがて行くだろうという出口、母を憶い、自分の命を思い、生きとし生きる者への作者の温かい眼差しの込められた一首であると思いました。 (『塔』。北摂短歌会会長。元高槻十中校長。)
塩 谷 い さ む
わが命捨てられるのを待つように空のくずかご部屋隅にある(槌の音)部屋の隅にやがて捨てられるであろう。命を待ち受けるように屑籠がある。いや、屑籠も捨てられていたのかもしれない。弱者同士なんだと思いながら読んでいる。いずれにしても哀しい歌である。イラクへは幾多の「いのち」を抱いて若き自衛隊員が発って行った。遠い昔、おんぼろの輸送船で征った日が去来する。この度の『槌の音』は何だか哀しい歌が多いように思われるけれども、読者の僻目か?「癇癪の後は気弱になる父か母亡くなりし後のかなしみ」「亡き母に現在形で物言えばもう半年か息白く見ゆ」人は悲しみを越えて生きているのです。 (『塔』)
平 野 文 子
十三歳大人と子供併せ持つ君らと生きて今有り難し(槌の音)十三歳、この年頃の中学生は、丁度大人と子供が同居する年代でもありましょうか。或る点では大人びて、理性的な面がのぞくかと見れば、やはり十三歳、まだ幼く、あどけない面差しを残す。多感な時期でもあります。教職にある作者は、そうした生徒たちと同じ時を共有して生きることに感謝の念さえ抱いている。己が職業に対する作者の自負も窺われて、頼もしい教師像が想像されるのです。上句、三句にこめられた思いは、自然に親しく呼びかける君らと生きての語句に集約されて、あたたかい絆があります。
藤 井 し げ る
秒針が時刻む音響きくる深夜は人の領域ならず(槌の音)
まこと深夜は人間の領域ではない。既に肉体を喪われた母君は「夢の幕の向こうに潜む」人であり、母君と会うためには、その領域を超えなければなりません。しかし、そこは異形の異類のひしめく世界でもあり、かのイザナギのごとく所詮は断絶の厳しさを知らされるのみです。うつし身の母を恋う少年のように純粋で真摯な悲母蝶の感傷も、ここに至ってようやく客観化され、今しずかにこの断絶を受容されはじめたように思われます。(『好日』北摂短歌)
大 橋 国 子
夕茜空の向こうにぽっかりと出口のような月浮かびいる(槌の音)
茜空が真闇に変わると、暗いトンネルに出口があることにほっとするように、大きな月が浮かんでいる。何となく安堵感が満ちてくる。星は心を動かすものだけれど、月には心を満たす何かがある。普段は考えたことがないけれど、読みながらそう思いました。フセインの赤き喉元さらされて自由は武器の向こうに遠し地球儀をクルリと回すとあちこちに戦いの火があるように思います。テレビの映像の現実性でその臨場感に思わず身震いします。戦いが終わっても争いは終わらない。フセインの赤い喉の大写しは醜く、争いの火がまだ消えないことを暗示するかのように思えました。嫌な画像でした。  (『北摂短歌会』)
山 本   勉
母想うたび胸詰まりつつ眠る夢の中では死者生きるらし(槌の音) 「たらちねの母の声して目の醒めぬ死してもわれを思うか母よ」 先日、珍しく母の夢を見て右の一首を詠んだ。医療ミスで無念の死を遂げて三十年。「夢の中では死者生きるらし」その通りだと思う。恐らく子が百歳になっても母は案じ続けるのではないだろうか。「一昔前といえども時代劇出演者はほぼ故人となりぬ」最近のテレビを見ていると、幽霊ばかりが出ているような気がする。「今が次々に昔に変わってく自分にも死が確実に来る」本当、死は確実に秒針を刻んでいる。 (北摂短歌会。『ポエムの森』)
中 島  タ ネ
時を経て思うことあり生きるには慣れねばならぬ匂いがありぬ(槌の音)人生には出会いがあり別れがあるように、やがてその死が自分にも来る現実は避けて通れるものではありません。まして大切な肉親との別れほどこの世で最も苦しく悲しいことはありません。この歌にはだんだんとそれに慣れて生きていかねばと自分に言い聞かせ、月日が過ぎていく悲しみを味わっていく心のようすが感じられます。さりげなく匂いに結んでいらっしゃるのに深く感動させられました。 (福岡市在)
古 川 裕 夫
秒針が時刻む音響きくる深夜は人の領域ならず(槌の音)ある夜、作者は眠れなかったのか、または、何かの理由で目覚めたのか、はっきりと聴覚は鋭くさめて時計の秒針の小さく刻む音を捉えた。この時間感覚は正常の他の人々がすべて睡眠の中にあり、深夜は意識外にあって音を聴く領域ではないと云うのである。確かに深夜の領域は人外の世界で、生きていても認知されない時間なのである。鋭い感覚で一首が生きてくる。この次には冷蔵庫のうなり声の歌があり丑三つ時に聞こえてくると詠っているがこの作品の方がすぐれている。 (『塔』)

高 田 暢 子
どのように生くのか君らの人生の一シーンにいる我揺れながら(槌の音) 卒業式を終え、あっという間だった高校生活を振り返ってみると、中学校時代のことは本当に遠い遠い昔のようで、時間の感覚が分からなくなる。中学でも高校でもたくさんのいろんなことがあった筈なのに時が経って忘れていく。でも、その時、その場所に確かに自分は存在していて、人と関わっていた。今でも付き合いのある人はいるけれど、大半がただすれ違っただけの人になっていく。本当に人の出会いは素晴らしさとか空しさとかいろいろなものが入り混じって不思議だなぁと思う。それでも人は人と出会うものだから、私自身それは大事にしたい。
(西陵中卒業生)
荒 木 祐 貴 子
仏壇屋親鸞日蓮並びいてあの世この世の金ピカあわれ(夢一途)
宗教や信仰。様式や呼称の違いこそあれ、何かを一心に信じる心は万国共通である。では日本はどうか?数少ない多宗教国家である日本における唯一神とは大衆ではないだろうか。神は姿がなく遠く見え、だが確かに輪郭を持ち、身近に存するものだ。怖れるからこそ崇め盲信するものではないか。そもそも神の姿はなく、大概は人の想像であり、でなければ、現存する神の偶像がほぼ人の姿をしていることはないと思うのだ。体感できる神の所業を人は超低確率の偶然とも呼ぶ。神が私に何をしてくれたか。無を形式化して飾っても意味などない。宗教とはそれを信じる人の心の中に意義がある。来世も彼世も存在する訳がない。神とは《無》いのだ。極楽も地獄の苦悶も、全てはこの世の人の中にあるはずだ。(西陵中卒業生)
山 田 小 由 紀
フセインの赤き喉元さらされて自由は武器の向こうに遠し(槌の音)イラクの人々には本当に自由はやって来るのだろうか。フセイン逮捕で一件落着、とはほど遠い今の状況に、武装蜂起や軍隊への攻撃は、さらに増えているという。私は、人々の自由を奪うものは実際、フセインというわけではなく、抱いてしまった心の武器にあると思う。自由国家であるはずの米国からの軍隊の中に自殺者が出るほどの今のイラク、本当はどのような状況にあるのか私たちには分からない。復興支援という形で、身体の自由を保障しようとしても、心の自由は得られるのだろうか。私は、偉そうなことが言える立場ではないけれど、望まれていない自衛隊派遣を、本当に行うべきなのだろうかと思った。世界中の自由は、けれど存在すると思う。子どもの頃は、それが当たり前だと思っていた。心の武器を捨てる、それは一人一人意味が違い、勇気がいることだと思う。だけど、それができれば、誰もが心に描いたことのある地球を世界中の人々が手を繋いで立っている姿は、実現できると思う。     (西陵中卒業生)
   中   恵 理 香
我が命捨てられるのを待つように空のくずかご部家隅にある(槌の音)この歌を見たとき、空のくずかごは天国だと思いました。天国に行くってことは死んじゃうってことだけど、それは今の私からはすごく遠い気がする。でも本当は遠くなくて何よりも近い存在なのかもしれない…。だから部家隅にポツンと置かれたくずかごのように空のくずかご(天国)も自分の命が捨てられるのを待つように、目立たないけど身近にあるものだと思います。 (西陵中卒業生)
田  坂      心
不愉快な笑いの中にいて我と同じ気持ちの生徒をさがす(槌の音)
中学とは全く違う環境の中にいて、自分のよく分からない話を聞きながら、不自然な笑顔を浮かべていた去年の四月。孤独を少し感じ始めて、自分と同じ不自然な笑顔をつくっている人はいないかと、周りを探っていました。自分と同じ人を見つけたとき、すごく嬉しかったです。今では、その子たちとは自然な笑顔が出る大切な友達です。しかし、この歌ではどこか、昔の私と今の私、両方にいまだに当てはまるのではないかと心の中に残りました。(西陵中卒業生)
乗 岡 悠 香
夕茜空の向こうにぽっかりと出口のような月浮かびいる(槌の音)
例えば学校の委員会、宿題、勉強、テスト、行事、部活、人間関係。家でならば衣食住、家事の手伝い、ピアノ、おこごと、期待。そんな、しなくてはいけないこと、背負わなくちゃいけないこと、責任も、しんどいことも嫌なことも、全部ほっぽり出して、忘れちゃって、ふいっと、真っ赤な空の中へ飛んで行ってしまいたい。あの月の向こうには、きっと、私の知っている世界が広がっているだろうから…。 (西陵中卒業生)
小 樋 山 雅 子
味わうでなくただイライラと過ごしいる中途半端な時間に怒る(槌の音) 私はボーっとすることが多い。というか、ボーっとすることが好きだ。人それぞれ、何をしている時が好きかは違ってくるが、人生は意外と短いものだと思うから、その限られた短い時間をなるべく有効利用したいと思う。どう過ごすかは人それぞれだけれど…。 (西陵中卒業生)
   奥 田 治 美
スクリーン広がるように視野展け生きる喜び湧き出でてくる(夢一途)先生にも、光のような兆しが見えてきたのかなと、うれしく思って選びました。わたしは、身近な人が死んでしまったとき、初めは死のことについてよく考えていました。そのころのことは、あまり記憶に残っていません。たぶん、周囲のことが眼中に入らず、自分の視界の中に閉じこもってしまっていたからだと思います。でもその次には生きることについて、考えるようになります。そして漸く、視野がひらけます。その瞬間、その人の死をやっと受け入れることが出来たような気がしました。それと同時に、そのことは想い出になり、自分はまた、自分として生きていけるような、そういう気がしました。 (西陵中卒業生)
古 藤 静 香
死ぬほうがいっそましだと思うほど胸ふさぎくる霧湧き続く(秋夜思)私はたまに自分の若さに愕然とする。倍生きても三十で、この人間の寿命の長さが時に私を苦悩させる。人は何十年も生き続けることで何が出来るのだろう。人は生物であるのに、どこか生態から外れた構造であるような気がして、私はその意味をいまだに理解することができない。 (西陵中卒業生)
大 津 明 日 菜
スタンドが畳の海を灯台のように照らしている眠る間に(秋徒然)
私は眠る時スタンドはつけません。しかも灯台も本や写真などで見たことはあるけれど本物は見たことありません。しかしこの歌の情景がすごくよくわかりました。そして先生がこのスタンドの明かりできっとこの歌を作っているんだろうなと思いました。真っ暗な海で灯台の明かりが一つあるのと、真っ暗な部屋にスタンドの明かりがあるというのは、規模は全然違うけれど、似たようなものだと感じました。 (西陵中卒業生)
水 口 智 香 子
阿弥陀さん母さん二つの御仏飯今日こそ残さず食べて下さい(悲母蝶) 私はこの歌の中に「見えない愛情」を見つけた。形こそないが、母子の絆が刻まれている。哀しさと人間独特の弱さ、それに反する強さに惹きつけられた。今、私の周りには「愛情」しかない。しかしいつかは「見えない愛情」と向き合わなくてはならない時が来るだろう。その時は逃避や拒絶という行動を取りたくない。受け入れ、涙が枯れるまで泣いてしまおうと思う。私は感謝の気持ちを捧げ、愛情の中で一歩一歩大地を踏みしめたい。(西陵中卒業生)
吉 田 佳 那
大勢の流れに逆らいながら行く氷塊もありいずれ負けれど(槌の音)力強いこの句にとてもひかれた。わたしは流氷は見たことがない。でも先生の流氷の歌を読んでいると目の前を冷たく白いしぶきをあげながら巨大な氷の塊がとうとうと流れていく様子が目に写る。人間の力など及びもつかない自然の力。私も一度この目で見てみたい。そのとき私は何を感じることが出来るだろうか。(西陵中二年生)
神 田 理 博
丸まりて布団に入ればじんわりと体に沁みて温かさ湧く(悲母蝶)
僕も、夢からだんだん涼しくなり『あっ、寒い』と思った時に布団に入って毛布を掛けたらとても気持ち良かったという経験があります。その気持ち良さは時に部活や勉強での一日の疲れを癒してくれる温かさであったり、一日のバタバタから解放されて古巣に戻ったように感じる温かさであったりします。「体に沁みて」という語句から、身体だけでなく、心から温まり、ホッとさせて
くれる身近な空間を思い起こさせるこの歌にとても共感しました。(西陵中二年生)
徳 田 滉 大
今にして思えば母は死の準備いつもしていたような気がする(夢一途)この歌を読んで、僕の小さいときに亡くなったひいおじいさんのことを思い出しました。おばあさんやおばさん達は泣いていました。しかし僕は小さかったので何でこんなに泣いているのかなー?と思っていましたが、今考えると僕の父に当たる人が亡くなったら、どんだけ泣くだろうと思うと、そのことを考えた僕は何も考えられなかったので、泣いていた人達に失礼だったと思います。 (西陵中二年生)
田 村    恵
夢一途ついふらふらとしてしまう我にも輝く一つ星あり(夢一途)
今の私にはこれ!というような夢がなくて、これもいいなあ!あれもいいなぁと、この歌のようについふらふらとしてしまいます。でも、これからいろいろなことを経験して、私だけの「輝く一つ星」を見つけたいです。 (西陵中二年生)
中 野   大
殺す気になれず毛虫を見ておれば赤子のごときかなしみが湧く(悲母蝶)毛虫とか小さな生命も、赤子と同じ命と思えば、平気で命を奪ってしまおうとする気持ちを持てば哀しくなってしまう。どんな小さな生命であっても本来命を奪っていいというものではない。 (西陵中二年生)
長 谷 友 介
いい人を亡くしてほんとに寂しかね母がみんなの思い出になる(夢一途)僕もおじいちゃんが亡くなってすごく寂しくて悲しかった。誰でも身近な肉親が死ぬと思い出が急にこみ上げてくるものです。僕もその一人でした。この歌を読んでまた、思い出がこみ上げてきました。 (西陵中二年生)
阿 部 達 彦
ゴキブリに悲鳴を上げる妻よそれニンゲンよりも大きなものか(蝉束間)前、家にゴキブリが出て、お母さんがソファーの下から出てきた所を、悲鳴を上げて新聞紙を丸めた奴でバンバンと叩きつけ殺していました。しかし、それはあまりに可哀相なことです。ゴキブリだって命のあるものなのに、その姿形だけで嫌われるのは可哀相だと思います。 (西陵中二年生)
芥 野 直 史
灰色に町はアスファルトの匂いヒトの地球は滅びゆくべし(悲母蝶)地球はもともと緑でいっぱいだったが、いろいろな開発のため緑は壊され、ビルやいろいろな建物が建っている。しかし、このままでは自然は損なわれ、地球は滅んでしまう。だからこそ今人間は、自然のことを考えていくべきだと思います。僕はこの歌を読んで改めて思いました。 (西陵中二年生)
吉 田 圭 甫
人責めるよりも自分が責められる方がと母に思い至りぬ(夢一途)僕もこの歌と同じ意見です。人を責めるのはとても簡単で、時にはおもしろいのですが、反対に、責められるととても辛いです。しかし、人に責められると、つい人のせいにしてしまいます。やはり自分に罪を無くすためでしょう。まだ僕たちは子供だからよいのですが、大人だったら大問題とはいきませんが、かなりの問題でしょう。このような幼い行動をすぐに無くし、立派な大人になりたいです。 (西陵中二年生)
佐 竹   藍
母想うたび胸詰まりつつ眠る夢の中では死者生きるらし(槌の音) 死んでしまったお母さんを思っては胸が苦しくなり辛いということを示していると思います。それだけお母さんのことを大事に思い、そして好きだったかがわかります。現実ではもう死んでしまったからお母さんは現れないけれど、自分の見ている夢の中では死んでしまった人も自由に出てこれます。こういうところからみてもやっぱり寝ている時が一番幸せなんじゃないかな。(西陵中二年生)
平 瀬 達 也
フセインの赤き喉元さらされて自由は武器の向こうに遠し(槌の音)
もし、武力や圧力で自由や平和を手に入れたとしても、それは脅して奪ったもので、本当の自由でも平和でもない。「核抑止論」というものがある。他の国よりも強力で多量の核兵器を持つことで、自国への攻撃を思いとどまらせる、というものだ。そのためには、他の国より多くの核兵器がないと意味がない。したがって、次々に核兵器が世界中で作られる。もしこれで世界で戦がなくなっても、やはり脅し合いで、平和とも自由ともいえないと思う。  (茨木西中二年生)
白 石 千 尋
母想うたび胸詰まりつつ眠る夢の中では死者生きるらし(槌の音)
亡くなった人を想うと胸が苦しく、つらい思いにおそわれる気持ちは少し分かるような気がします。私もそのような感情に襲われたことがあります。眠る前にふと思い出してしまい、涙が溢れてくるのです。目の前に存在しない人が夢の中に出てくるのは不思議なことですが、それはきっとその人が、自分の心の中で生きているからじゃないかと思います。いつも見守っていてくれて時々、励ましに会いに来てくれる。だから孤独を感じても、自分の中に生きている人といつも一緒なのだからと思えば、きっと毎日を強く生きていけるのではないでしょうか。(茨木西中二年生)
中 田 有 来 未
今が次々に昔に変わってく自分にも死が確実に来る(槌の音)今と昔とはちがう。昨日と今日もちがう。一日一日と経つごとに自分にも死が近づいてくる。生まれた時から死へと向かって生きていく。でもなぜ「死が来るとわかって生きているのか?」と思いました。でもそんなことを思っていても何の役にも立たないので、私は今の自分の人生を精一杯生きよう!!と思いました。そうしたら、死が来たとしても後悔がないから自分の人生にケジメがつけられると思いました。 (茨木西中二年生)
田 所   孟
フセインの赤き喉元さらされて自由は武器の向こうに遠し(槌の音)ブッシュ大統領が「悪の枢軸」とイラクを名指しして、たいした根拠もないままに戦争をふっかけて、結局今はたくさんの人が死んで、さらにとことん泥沼化して毎日テロが起こっている。武器によって平和をもたらすなんてあり得ないことなのに。「自由は武器の向こうに遠し」というのは、そんな今の状況を鋭く批評していると思う。 (茨木西中二年生)
横 田 貴 大
少しずつ死を目の当たりにして人はやがては来る日思いつつ寝る(悲母蝶)人は生まれた時から死というものに進んでいる…と僕は何となく感じました。人間は本当にもろく永遠には生きていけない、ということは知っていたけど、この一首を読むと、また思い出したなぁと頭の中で思い浮かべていました。ガンなどで死んでも悔いのないように生きたいです。(西中一年生)
山 本   洋
今にして思えば母は死の準備いつもしていたような気がする(槌の音)ぼくも、川添先生と同じように母をなくし、父もなくしました。父と母は本当は死んだわけではないけれど、今日、国語の初めての授業で、先生と同じ気持ちでいるなぁとお母さんの話を聞いてしみじみ思いました。ぼくの方はいつか母に会えるかもしれません。そう考えると、先生の方がつらい気持ちをしていたと思います。でも、いつまでも明るく、優しい先生でいてください。これからよろしくお願いします。(茨木西中一年生)
二 宮 光 紀
眠るたび死んでは朝に生まれくる命と思えば一日は楽し(凍雲号)
ぼくがこれを選んだわけは、『槌の音』の文章にある「一日こそ人生なのかもしれない」という言葉がすごく気に入ったからです。一日ごとに新しい自分を発見できることがおもしろいからです。そして、その日の自分はその日しかいないので、ぼくは一日の自分を大切に生きたいからです。 (茨木西中一年生)
田  坂    心
今が次々に昔に変わってく自分にも死が確実に来る(槌の音)
今という時間は、一瞬にして過ぎて行き、中学生の時に来た高校受験のように、また大学受験が来る。今よく考えてみれば、中学を卒業して、もう一年になった。いつの間にか過ぎて行く時間そして、いつか来る「死」。この死はいつ来るか分からない。もしかしたら明日かもしれない…。しかし、私はこの死が来る前に社会貢献の、歴史に残るほどの大きなことをしてみたいと、日々、野心をふくらませています。 (西陵中卒業生)

◆小学校半ばの頃に山下清を見たことがある。八幡中央町の角にあった丸物(マルブツ)という百貨店五階に作品展と共に来た時である。僕は絵描きさんといえばベレー帽を被り痩せて細い手をしているといった思い込みをしていたので作品の群れの横にボォーッと座っている白い薄いシャツ、ステテコのような半パンの小太りのお兄さんが偉い絵描きさんであるということに驚いた。また絵といえばルネッサンスの絵やターナーのような美しい景色をさらに美しくしたような作品だと思っていたので小学生の続きのような作品群にもびっくりした。作品の価値はまだ分からなかったものの、父にあんな人こそが本当の絵描きさんなんだといわれて、芸術というものを身近に感じるようになった。◆中学一年生の時に大蔵中学の講堂にオペラの藤原義江が来た。砂原美智子を連れての旅の途中、とてもいいお爺さんという感じ。いかにも楽しそうでボストンバック一つで全国を飛び回っているということ。そんな生活もあるのかとあこがれた。◆中学の修学旅行は京都、奈良。大阪城で弁当を食べたとき食べ残して塵籠に捨てた友達の弁当をためらいもなく拾い上げて美味そうに食べる浮浪者の人達を見た。なぜかそれを羨ましく感じていたのである。奈良公園の思いっ切り寝転べる草はらと共に印象に残り、帰ってから父母にそれを告げると母が泣きながら叱った。この子は乞食にあこがれて先が思いやられるとでもいう気持ちだったのだろうか。◆そんな母も、博多にロダン展が来たとき、日曜日の混雑した時に行くもんじゃなか、平日の朝からじっくりと見てきなさい。人が命を懸けて作ったものだから、一日懸けて味わって来なさい、学校の方はウチがうまく電話しておいて上げるから心配しなさんな、美味しいもんでも食べてと大きなお金を持たせてくれた。学校をこんなに簡単に休ませるなんてとも思ったが、嬉しかった。平日にカッターシャツと学生ズボンで終日ロダンの彫刻を眺めていたのを覚えている。◆大学受験の時はいつもバリケードが築かれていて東大も安田講堂が占拠されて試験がなかった。その分京大や九大にしわ寄せがきた。その国立一期試験に高熱を出してふらふらの状態、最中に眠気まで出て気が付いたら終わっていた。国立二期はかねてから書道では日本一と言われていた奈良教育大特設書道科に。父に書は習っていたが所詮田舎者の手習い、実技は半分くらいの点数だったそうだ。でも筆記試験はほとんどの教科が満点だったと記憶している。国立二期に合格したとき父に止めて浪人しろと言われたが従わなかった。当時の仲間はそのまま合格したり浪人して東大京大九大慶応早稲田に入った者ばかりだったがその後どうなったか。大学が目的となるような生き方となりはしなかったかと思っている。確かに当時の奈良教特書は小坂奇石が退官したばかり、天石東村、谷辺橘南、乾鍵堂、平田華邑、宮崎紫光、といった教官に梅舒適や沖六鵬、田中塊堂といった大家が講師に居て文字通り日本一の内容だったと思う。小坂先生と谷辺先生に師事して、書に熱中したが、創作するという行為とは違う何かを感じてもう一つ先に進めなかった。小坂先生は実際に漢詩を作り蘇東坡等にも長けていて近寄りがたい所があった。この人の真似はすることが出来ても長い期間をかけなければいけないと思った。当時の仮名は日比野五鳳の全盛だったが、谷辺先生の仮名は古筆に負けぬ当時最高の名筆家であったと思っている。周恩来や郭末若とも交流がありすべて一流だった。先生は自分で歌を作りそれを書く自詠歌をなし、その歌会に参加したのが歌の初めだった。書道科の先輩、上部一恵さんの勧めで『塔』の歌会へ。高安国世先生に会い、たちまち塔の編集に参加した。永田和宏、玉城多佳子などがいた。◆と、ここまで書いて紙面が終わりに近づいてきた。後の網走行きなどもいずれ書いていきたい。今まであまり書かなかったが少しずつ書いていこうと思う。山下清に始まったが、僕の佳しとするものの形を確認していきたい。今はあまりにも本質を見失う要素に満ちていると思う。本質の反対は現象、つまりウツツノカタチ、そこをしっかり見ていかなければ…僕には僕にしかない生き方の形があり、それを生き抜く他にない。

編集後記
四月から茨木市立西中学校へ今まで自ずと出来ていた流氷記の印刷環境も違いバタバタとした。ただ職員室の環境は温かくこのような営為を受け入れてくれる。退職まであと六年ほどしかないので最後の職場になるかもしれぬ。入学式の看板と式次第は僕が書くのですぐに西中教諭であることに慣れ明るい未来に向かっている。前校より厳しい環境にある生徒も多いが前向きで明るい。また生徒に教えられ導かれて新たな流氷記も出来るのであろう。自分の生き方に間違いはなく過去も決して間違ってはいなかったとこの頃そう思えるようになってきた。