中 村 桂 子
少しだけ違うものほど対立し母と娘今朝は口利かずいる(紫陽母)チョウなどは二万種もいるというのに人間は一種。地球上に暮らす人は皆、同じ祖先から生れた仲間であることを現代生物学は明らかにしました。それなら皆んな仲良く……と思うのに、このありさまです。本当に情けない。何とかならないものかと心痛みますが、少しだけ違うものほど対立なるのかなあとも思うのです。でも、子どもたちの上に爆弾を落とすようなことをしてはいけない。そのくらいのことはわからなければいけない。一日も早く、戦いを止めて欲しいと願います。私たちは、半世紀の体験からそれを強く主張していくことが大切です。
三 浦 光 世
食卓は土より生まれたものばかりヒト偉そうに食べているけど(紫陽母)私は毎朝、二階の窓をあけて、隣家の野菜畠と花畠を眺める。今はトマトや茄子が育ち、もうすぐ実をつける。花畠には春以来、実に様々な花が咲きつづけている。これらが、すべては土の中から出てくることに、毎回感謝する。そんなこともあって、右の一首に深く共感した。人間は確かに畠を耕し、種を蒔き、食物を得ているわけだが、偉大なのはその土であり、これを創造した創造者の恩恵を思わずにはいられない。右の作品は、むずかしい単語を全く使わず、内容と実にマッチして、優れていると思う。仮名書の「ヒト」も適確。
(作家。)
畑 中 圭 一
竹若葉かさかさ我の死の後も匂いや音は変わらず続く(紫陽母)
竹の葉は、代こそ変われ、匂いや音はいつまでも変わらずに存続していくのだろう。ところが人間ははげしく変わっていく、そして私という存在も、死後、忽ちのうちに忘れ去られてしまうんだろうかという思いが、歌の背後に流れているようだ。自分の死後、子どもや孫たちはどんな暮らしをするのだろう、自然は変わらぬが、人間は変わる、社会も変わる、そしてこの地球はどうなるんだろう――死を見つめることで、私たちは未来への不安をつのらせているのである。 (詩人、児童文学研究家)
南 日 耿 平
稲の葉にちょこんと座る雨蛙母亡き我のなぐさめとなる(紫陽母)
巻頭第一歌をいただき、ホッとされた川添さんの姿に無感量。私も母を失った時は身の置き所がなかったが、九八歳生きて亡くなったと思い直すには三年以上も経ったころ。今父を始め姉も兄も弟もみんな幽界に送り、たった一人になってしまいました。誰もが生あれば死もあることは分かり切っているが、今となっては仏様にお任せするより手立てはない。その日その日を暮らさせていただくのみ。あなたの歌にホッとします。(近藤英男元教授)
ご母堂に関する歌すべての読後感想「流氷記」(紫陽母)
川添英一氏の「流氷記」のなかの亡きお母上に寄せられた歌の数々を読んで、なんとお幸せなお母上とご子息かと羨望するばかりです。私の母など一九四五年二月十一日に防空壕のなかで若い生命を取られてしまいました。殺されたのです。戦争という大きな敵に。敵はアメリカでもないしどこの国でもありません。戦争を起こしたすべての愚かな権力者です。死に眼に合うこともなく、遺骨すらわからない状況のなかでした。在るのは今なお消えない憤怒です。何十年が経過しても、不毛の大地を吹きすぎて行く風の声と、からからと転がる幻の亡骸の音だけが聴こえます。リカルド・ウエキ
川 口 玄
五月雨に濡れて滴のきらきらとモミジそこだけ輝きて見ゆ(紫陽母)写真展でよく見るような美しい植物の一瞬の状態が目に浮かびます。静かな感動こそが詩の大きな価値ではないかと思います。
(『大阪春秋』元編集長)
佐 藤 昌 明
小六の娘と同じ齢にて殺人肯う少女もありぬ(紫陽母)今年の冬二月、網走へ遊びに来てくれた川添さんのお嬢さんの素直さ、可愛さをよく知っている私には、心から諾える歌です。私が現職中に教えた多くの五、六年の女の子たちの中にも、そのような怖い子は一人もいませんでした。四十年も五十年も経った今でも遊びに来ると、少女のように素直にはしゃいで帰ります。貧しい時代に育った彼女たちだからこそ心豊かに育ってくれたのでしょう。私はクリスチャンではありませんが、「貧しき者こそ幸いである。彼らは神の国に至ることができる」は真実だと思っています。
井 上 冨 美 子
見たい顔触れたい心あまたあり授業へ階段急いで上る(紫陽母)
十分の休憩も教室にいて椰子の実暗唱する生徒聞く 川添先生の教育の熱意変わらず。網走第二中学校で在職されていた時も同じ思いを抱きました。仲々思っていても実践することは難しいものです。川添先生の真心は、きっと茨木西中学校の生徒の皆さんに伝わることと思います。新たな出会いが新たな生きる大きな力となって、先生と生徒の心が、お互いに響き合い、高め合っていかれることを心より期待しております。 (元網走二中教諭)
小 川 輝 道
見たい顔触れたい心あまたあり授業へ階段急いで上る(紫陽母)
生徒への熱意と温かさが率直に上の句にあふれ、下の句の教師の動きも躍動的である。教師の弾む気持ちが、教室に共鳴と意欲を生み出すに違いない。「現代の問題性」を抱える生徒に向き合い緊張感をもって実践の場に立つ作者の明るさと心意気をあらわした作品となっている。教育は希望を育てる営為であるだけに、どの作品もそれぞれ明るい。「身につけて名詩を空に口ずさむとき明らかに生徒は変わる」「少しずつ出来るよろこび積み重ね生徒の笑顔増えつつ楽し」「歌や詩や句は空で言え中学生豊かな心育ちゆくべし」 (元網走二中教諭)
井 上 芳 枝
見たい顔触れたい心あまたあり授業へ階段急いで上る(紫陽母)川添先生の温かい生徒への思いが、切々と伝わってきます。生徒さんも先生の授業を待ち望んでいるようすが目に浮かびます。二句、三句の「触れたい心あまたあり」に感嘆しきりです。結句の「急いで上る」も授業にはずんで行かれる先生の態度に心打たれます。私の教師生活を振り返りみて恥ずかしい限りです。どうぞこれからも一人ひとりの生徒さんの心にあかりをともし続けて下さい。
釜 田 勝
五月雨に濡れて滴のきらきらとモミジそこだけ輝きて見ゆ(紫陽母)川添さんは中学校の教師を本職とされるが、書家でもあり、武道の修練者でもあって、私が在職の頃は競馬界にも精通されていた、正に粋人であります。川添さんといえば網走イコール流氷のイメージが湧いてきますが、推察するところ、全国各地の野山を歩いて花鳥風月に親しみ、時には微かな霧の流れをも五感に吸収するが如く、自然に接してこられた経験が、かけがえのない財産となって作品に反映されているように思います。カマキリのあまた頭の紫陽花の幼き花の緑が匂う も、豊かな感性が伝わってきて、注目した歌です。(元競馬キンキ編集長)
高 田 禎 三
見たい顔触れたい心あまたあり授業へ階段急いで上る(紫陽母)私も教員生活が長くなりましたが、その後半は教室での授業とは離れた処にいましたので、今、嘱託教員として授業することに喜びを感じています。そんな私が一番強く共感したのがこの歌です。このような毎日であってほしいものだ、という希望も混じっていますが。
(元高槻七中教諭)
安 森 敏 隆
たちまちに母の面影顕ちてくる菖蒲の花の群れる畦道(紫陽母)
短歌は〈いのち〉をうたうものだ、と教えてくれたのは、母でした。私も母のぎりぎりの〈いのち〉をみていたら川添さんのように次々と五七五七七の歌が生まれ、母亡き後の今も、何を見ても母の〈いのち〉に重なって歌がうまれてくるのです。
「たちまちに母の面影顕ちてくる」っていいですね。「菖蒲の花」を見ても、星を見ても、海を見ても、そしてイラクの人々をみても、母の〈いのち〉につながり、そして根源的な〈いのち〉につながり、歌となって死者を浄化し、うたう自分をも浄化してくれるように思うのです。これこそ歌の〈いのち〉ですね。(歌人。同志社女子大学教授)
新 井 瑠 美
もうちょっといい歌作らなあかんでェ生徒に言われて嬉しくなりぬ(紫陽母)純で素朴で明るい生徒の言葉に、思わず嬉しくなつたと告白する作者。言葉の裏にある励ましを感じるからこその一首であろう。先生も生徒も本音で言い合える場のあること、何よりと思う。又、作者は〈見たい顔触れたい心あまたあり授業へ階段急いで上る〉熱血先生の若々しさを階段の下から見ている。どうぞ、このような関係の、先生と生徒であって欲しい。心明るむ作品である。 (歌人)
高 階 時 子
エゴノキの花びら溜まる道端を流氷群のごとく見て過ぐ(紫陽母)エゴの落花と流氷の組み合わせが、強い印象を与える歌である。五月頃になるとエゴノキが白い花をたくさんつける。そしてまたたくまに白い花は、夥しい落花となって道端に溜まってゆく。作者は白い落花を流氷にたとえた。このことが一首の眼目である。かつて暮らした街、網走の流氷群は、作者の原風景となって大きな位置を占めていることがうかがえよう。ただ、「見て過ぐ」という表現があっさりしすぎており、作者の諦念のようなものを感じる。この表現は、流氷群という喚起力の強い情景には似つかわしくないように思えるがいかがだろうか?(歌人)
黒 崎 由 起 子
紫陽花は母にあらねど目詰めれば雨に打たれてそこだけ光る(紫陽母)「紫陽花に話しかけられてもお返事したら駄目よ。目を合わしても駄目、振り返らずまっすぐ走ってきなさい」、幼い私は「どうして」って聞くのも恐ろしくて紫陽花の咲く道ではいつも走っていた。誰がこんなことを子供の耳に囁いたのかすっかり忘れてしまったが、紫陽花への恐怖心は今もかすかに残っている。路地の突き当たりのまあるい花達は、まさに寄せ合う顔にしか見えないし、雨に濡れているその葉音はひそひそ交わす話し声にしか聞こえない。まるで思いを残したまま逝った人たちの響きのように今日もさわさわ揺れあっている。
里 見 純 世
稲の葉にちょこんと座る雨蛙母亡き我のなぐさめとなる(紫陽母)
四七頁の雑記を読んで先生がお母さんの一周忌に九州に出かけられたことを知りました。母上を思うお気持ちが素直に歌に詠まれており、愛誦せずにはおられません。
独り言なれども母と対話する時間この頃増えてきている
薔薇の花やさしく開き母の死をようやく少し受け入れており
たちまちに母の面影顕ちてくる菖蒲の花の群れる畦道
一周忌まだ母の声聞こえくる家の小さな音伝うたび
松 田 義 久
小賢しい人にはなるな真っ白な雲ゆっくりと窓わたりゆく(紫陽母)
久しぶりに先生の歌にじっくり触れてみる機会を頂き有り難うございました。教育者としての子どもとの触れ合いの歌がたくさん目に止まりとても温かいものと決して焦らずじっくりと生徒ひとりひとりと日常の授業の中で対決してゆく姿勢と、その方針の取り方に感心しました。そして教育の在り方が実行されてゆく日々が若々しさに充満しているようです。また先生の家庭内の歌も、公明正大ぶりの様子も好ましいといつも感じております。
葛 西 操
十年を過ごしし西陵中を去る桜坂には花散りながら(花びら)十年一昔というけれど本当に長い間ご苦労様でした。十年前にはお母様もまだお元気のお様子、人の命も桜の花が散るようにいつかは散ってしまい、何ともはかないものです。でも先生も元気を出して新しい職場で頑張って下さい。それがお母様に何よりの供養になると存じます。
田 中 栄
稲の葉にちょこんと座る雨蛙母亡き我のなぐさめとなる(紫陽母)
稲の葉にちょこんと座っている雨蛙はさびしいけれどどこか諦念を持ったような明るさがある。母を亡くして何とも言いがたい寂しさを持っている作者の心に慰謝を与えてくれる。そうだこう生きてゆこうというなぐさめだ。淡々と歌って物をとおした心情がよく生きている。亡き母を思った歌の多い中に素直な一首。
前 田 道 夫
もうちょっといい歌作らなあかんでェ生徒に言われて嬉しくなりぬ(紫陽母)一読、笑ってしまった。冗談にしてもこのような辛辣な言葉は、一寸、人に向かっては言えないところであるが、ぬけぬけと言える生徒さんがいるということは、常日頃の教師対生徒の間の風通しが良いということの証しでもあろう。痛いところを突いてきたなといった感じの言葉にも嬉しさを感じつつ聞いてやっている作者の広い心が伝わってくる。 (歌人)
榎 本 久 一
もうちょっといい歌作らなあかんでェ生徒に言われて嬉しくなりぬ(紫陽母)「嬉しくなりぬ」真実そう思っていなければ出ない言葉だと思う。『流氷記』は生徒の感想文があって輝くのだと常々思っているので、この大切な思いを持続して貰いたいと切望している。利害面識をこえた、純真な思いでの愛読者が居ることが作者の掛け替えのない幸せだと思われる。(歌 人)
鬼 頭 昭 二
梅雨の間のズボンの裾の濡れているシロツメ草を踏みて帰れば(紫陽母)最近心情をストレートに吐露することが多くなっている作者であるが、私はこの作品のように意味を押しつけない淡々とした歌を好む。といって意味を伴わないということではない。ズボンの裾の濡れを認識している作者の今は、シロツメ草を踏んだという経過の果てにあるということである。いろいろな過去の必然の結果として今があるのだ。人生というものもそうだろう。
古 川 裕 夫
干涸らびていきつつ蚯蚓アスファルト舗道と人の行き来がつづく(紫陽母)作者は動物の死を通して、自己の死に向き合っている。しかも、何か少し残虐性を主張したい様である。この残虐には乾燥が匂っている。「干涸らびていく」にこの匂いが浮かび上がっている。そうだ、死とは乾燥である。決して湿潤ではない。人も死んだら大抵は火葬される。これは乾燥以上の火熱による消失であろう。舗道の上に一つだけ転がっているミミズが太陽に照らされ、人の靴に踏まれて水分を失って行くのである。写生時に写実的に詠まれているので素直に共感できるのではなかろうか。(歌人)
沼 並 明 美
麦の香の丘に木立のごとく立ちふうわり白き雲を見ている(紫陽母)この一首には、印象派の画家の絵を見ているような風情が感じられました。濁りのない素直な感覚に好感を覚えたのです。人生には苦しみも悩みも存在しますが、それを忘れて身も心も大自然にゆったりと任せている時、この世界は何と美しく偉大であることでしょうか。作者がお母様を亡くされた淋しさに打ち勝って、短歌を通して生徒の皆様とともに人生の悲しみの後に得られる充実と、人間として生きていくことの素晴らしさを実感されることを願っています。
(歌人)
塩 谷 い さ む
もうちょっといい歌作らなあかんでェ生徒に言われて嬉しくなりぬ(紫陽母)
率直にものを言う生徒の一言に触れて教師冥利に尽きたと思います。生徒もまた心の優しい先生に巡り会えたことを喜んでいる。暗い世相の中での明るい一断面を見事に歌い上げた名歌だと私は思う。同じ口調で同じ報道ばかりする日本はどこへ進むのだろうこういう生徒がいる限り日本もまだまだ大丈夫と思います。独り言なれども母と対話する時間この頃増えてきている いい追善供養になると思う。「老いて尚なつかしき名の母子草―虚子」を思い出します。後書きにもあるように校庭には日々新しい花々が咲くのです。益々のご研鑽を祈ります。 (歌人)
川 田 一 路
鳥が泣く鳴くでなくては擬人法ヒトの傲りは数限りなく(紫陽母) 日頃なにも気にせず使っている擬人法も考えてみれば地球上の全てのものを自らの心の中で思いのままに支配している心情の現れかもしれません。その気持ちが人間同志、他人に対してもあると思うと、人の心は悲しいものです。まあ、短歌を作る上においては自分の心情をものに託し、表現する擬人法にとどめ、心豊かに人生を楽しみたいものです。
(歌人)
小 原 千 賀 子
死にて後も心はありや夏過ぎて風に混じりて母の声する(夢一途)声は、最も人の個性を表すものである。電話を通してさえ、親しい人なら名前を聞かずともすぐ誰々さんと分かる。また、年齢を重ねても声は若い日のそれとあまり変わらず、久しく会っていない人の声を聞くと「ああ、なつかしい」と思う。この歌にある母の声はそれ以上に作者に迫り、実際に聞こえていると思う。母の声と言葉は、死によっても絶えることなく、繰り返し語りかけられるだろう。悲しみの只中にあって、母のこころは作者を支え、これからもまた、その声に作者自身の心を寄せて歩んで行かれることと思う。 (歌人)
森 妙 子
昨日今日ベルトコンベア流れゆき少しずつわが壊されている
柿若葉小公園には人影もなくて壊れたブランコひとつ(紫陽母)
文明が発達する。その利便性の中にあって、人間の内面は少しずつ壊されていく。そして、反比例するように自己愛が増幅していく。一度きりの人生だから謳歌したい。少子化となる。子供を温室の中で過保護に育てているうちに、子供達は外で遊ぶことが少なくなった。斯くて、柿若葉のむせる公園に人影はなくブランコは壊れたまま。この二首の中に、現代を生きる矛盾した人間の悲しみが見事に焙り出されている。
山 本 勉
亡くなりてしまえば今はしみじみと耳にも目にも母棲みている(紫陽母)
男にとって母の存在は、女性が感じるよりも大きいと思う。父も母に負けず子供を慈しみ育ててくれただろうに、どうしても母の陰に隠れてしまう。母は太陽、父は月といったところか。右の一首を読んで改めて年表を調べたら、母が亡くなって丁度三十年目になる。私のほぼ半生に匹敵する長い年月だが、今なお母の面影は明瞭に思い浮かぶし、声やその話し方までがはっきりと残っているから不思議だ。何かに打ち込んでいて、ほっと我に返った時「勉!」と呼ぶ母の声にはっとする時がある。「耳にも目にも母棲んでいる」は万人が納得でき、胸に迫るものがある。
柴 橋 菜 摘
海に背を向けて漁船の並びいる冬の日ビュッフェの絵に入るごとし(花びら)
この歌に会った途端、ビュッフェのあのどこか人を寄せ付けない線の厳しさ、しかしなぜか魅き付ける不思議な感覚のタッチを思い出す。冬の日の漁港で川添さんはその絵に昇華されている。寺尾先生ならどんな評をされるだろう?「接岸もせずに漂う流氷を我のごとしと遠く見ている」と「地に落ちた椿の花の増えてゆく無常はかくも淡々として」の無常観、空気感に浸る心地よさを私の中に感じる。「稲の葉にちょこんと座る雨蛙母亡き我のなぐさめとなる」(紫陽母)年々蛙の声が減っている中で、彼等の合唱が聞こえるとホッとし、彼等の無事を祈るのである。
古 川 裕 夫
優しくて礼儀正しく温かい生徒に接することのよろこび(花びら)花びら号の最初のあたりには作者の教師としての生徒を見る作品が幾つか見られる。この一首はその中では極めて温和な目が生徒の一人に注がれている。新聞をにぎわしている最近の学校での不祥事を心配する私であるが、この作品は教師と生徒の間に昔の日本に存在した血の通った心のつながりが、さり気なく歌われている。恐らく何のためらいもなく作者はふと思いついた感慨を一首にしたのであろう。それだけに私は、何のためらいもなくこの作品に肯定感を抱いた。教育とはこうでなければならないに違いない。 (『塔』)
甲 田 一 彦
よく見ればジシバリ黄花あふれいる野のやわらかき細道続く(花びら)
ジシバリは田の畦などにびっしりと茂る雑草ですが、作者は新しい任地の学校への通り道で見たのかも知れません。派手な花ではないのですが、一面に咲く習性の花ですから、嫌でも目に付くのです。それでも、名前まで知っている人は少ないと思いますが、作者の知識の広さにも感心します。それ以上に「野のやわらかき」という着眼点に感動しました。作者の暖かい思い遣りのある心が、すべてのものを包み込んでいるようで、これが作者の歌を流れているバックボーンだと思います。
吉 田 貴 子
(薔薇の花やさしく開き母の死をようやく少し受け入れており)
この一年流氷記はあちらこちらに先生のお心の痛みが感じられ、読んでいてとても悲しくつい立ち止まってしまいながら読ませていただいていました。しかし回を追うごとに先生がお母様の死に向き合われ、そして受け入れていかれる心の動きが感じられるようになり今回は今までに比べると速やかに拝見することができたように思います。私も毎年薔薇の深くやさしい美しさに心があたためられます。先生もそうお感じになったのでしょうか。
小 原 千 賀 子
流氷記一枚一枚心込め夜を込め夜明け近くまで折る(春香号)豆本『流氷記』は完全な手作り。まだ出会ってから間もないが、私はこの本のきちんとした美しさ、誤植がないことに驚いた。本を作ることがどれだけ大変なことか、多少出版業界を知っている私は身に沁みてわかる。作家の作品はもちろん第一にオリジナルな価値があるのだが、校正も大変だし、普通は多くの働き手があって本はできる。しかし『流氷記』は、著者と上埜千鶴子さんという方が一枚一枚手で折って作られているという。八十頁の本を何百部も夜を徹して…。いつも自分のことに引き寄せて短歌を読む私だが、この「折る」作業でいちばんに心に浮かんだのは、岡山聖心教会の週報である。毎週日曜日に礼拝に来る人々のために、そして私のように離れた地に暮らす者のために、寸分の違いなく、きっちりと、心を込めて折って下さる方々。私はこの方たちに、ただただ感謝する。
小 西 玲 子
ある時は我の全てのしての母今死に給う数字が止まり(悲母蝶) 先日、私の祖父が亡くなりました。祖父はかなりの読書家で映画が好きで紳士的で孫のことを何より愛している人でした。そんな祖父は私にたくさんのものを残していきました。人生で大切なこと、生きている喜び、色々な気持ち…数えきれません。そんな祖父はある時は私自身の全てだったと言えます。祖父と二人で会話をしていると、いつも私は今まで気が付かなかった発見がたくさんありました。私が生まれて成長していく中で、祖父がいたから今の私がいる、そう思います。私はまだまだ祖父と話をして祖父に教えて欲しいことや聞きたいことがたくさんあります。祖父はいつも流氷記を楽しみにしていました。読書家なので、文を書いたりすることが好きな私を見て、自分に似たと喜んでいる顔を見るのが好きでした。最後に私は祖父に文庫版になった流氷記をプレゼントしました。今頃どこかで読んでいるかな。私は祖父とつながっている自信が今でもあります。守られているのを感じます。すぐには会えなくても、顔が見られなくても、声が聞けなくても、祖父と私はずっと変わらず続いています。おじいちゃんにありがとうと言いたいです。どのように生くのか君らの人生の一シーンにいる我揺れながら(槌の音)色々な人生に出会ったけれどその中で、私にとってなくてはならない存在の人はたくさんいます。人は一人では生きていけないから、そんな人達がいるからこそある自分があると思う。私はその人達に何を上げられているだろう。私の笑顔や涙、たくさんの感情が大切な人の心の中に刻まれるといいな。そして何か感じて欲しいなあ。一度しかない人生は毎日一回きりだけど一度だからこそ気付いたり刻まれたり大事にしたい気持ちや忘れられないものがあると思います。私は、一シーン一シーン素直な気持ちを伝えたい。
(西陵中卒業生)
高 田 暢 子
犯罪を追いかけ死刑待ちわびる報道陣という人種あり(花びら) ジャーナリストとは何なのか。以前イギリスのダイアナ妃が亡くなった時にも考えた。今、イラクに行くジャーナリストへのバッシングが激しく、自己責任論という言葉が頻りに飛び交う中で、それでもイラクへ行くジャーナリスト達が追い求めているものは何なのか、死と隣り合わせの状況で命を懸けてまで何を得たいのか。そこには、日本の人々にイラクの現状を知って欲しい、伝えたいという気持ちの他に何かがあるように思う。それが何なのかは想像もつかないけれど、自分と自分の周りも含めて命の大切さについてもっと考えていかなければならない、そんな気がする。今日一つ歌身につけて生き生きと生徒の口調弾む目がある(紫陽母)先日川添先生から流氷記の文庫が届いた。中には私の感想も載っていて、顔から火が出そうなくらい自分の当時の文章が恥ずかしく思えた。感想を書き始めてもう六年が経った。あの頃は授業の始めに有名な人の短歌や俳句を覚えた。もう誰の歌だったか忘れてしまったけれど、「君かへす朝の敷石さくさくと雪よ林檎の香のごとく降れ」という歌があった。意味も分からずただ綺麗な情景を思い浮かべ、口に出していた。その後この歌は綺麗なように見えて実は不倫の歌なんだと聞き、とても驚いた覚えがある。今でもそんな歌はたくさんある。六年間流氷記を読んできたが、後から意味が分かったもの、今でも分からないものもある。それでいいんだと私は思っている。川添先生も歌には解釈がそれぞれあっていいんだと言っていた。先生がそんな考えだからこそ私は今まで続けてこられ、これからも続けられるんだろうと思う。流氷記が続く限り、私も頑張っていきたいと思う。(西陵中卒業生)
北 川 貴 嗣
トータルで人生なんて分からない寄り道ばかりして来たけれど(未生翼)この歌に強い共感を覚えました。まだ十代半ばという若さで、経験も少なく、未熟な自分に何が分かるのだ、とも思います。が、今までの経験からこの歌が訴えかけている意味というのは、僕にとって大きいのです。一例を挙げてみると、ある時期、本当に苦しく辛いことがあり、自分の存在の意味までをも問うてしまうが、ある日突然、その辛かったことが自分にとって大きな利益をもたらすようになる。つまり、この歌の通り、その場、その場だけを見て、それを評価するのでなく、もっと大きい視野を持たねばならない。そういうことです。「寄り道」は決して無駄ではありません。 それぞれの終着駅にて降りてゆく人乗せて電車未来へ走る(未生翼)ユニークな歌だと思いました。時の流れを電車にたとえ、人の一生を乗車にたとえる。こんな身近なもので人生を表現されると、人生のはかなさがただ、電車に乗って、降りるだけという、これこそ儚い行動により、身近に感じさせられます。辛い過去の日々こそ宝ゆっくりと海を濡らして日が沈みゆく(未生翼)強い共感を覚えました。本当に辛いことは、後から見返ると、それはもう、他に代えられない素晴らしい宝です。日が海を濡らす、という表現は美しいです。僕には、太陽、つまり宝がねその余韻を辺りに放ちながら、ゆっくりと自分の胸の中に収まっていくように感じられました。(西陵中卒業生)
白 田 理 人
春の雨やさしく叩く生きるものなべて目覚めよそう悪くない(花びら)
春、自然に暮らす生き物たちは、冬の眠りから目覚めます。春の雨は彼らに等しく降り注ぎ、木々に新たな生命を芽生えさせます。そんな命の水に、母性を感じずにはいられません。春の雨は自然という母の癒しです。そこに込められたのは母の祈りです。「そう悪くない」という言葉で救われた気がしました。この言葉は、今を生きる人々への励ましにもなっていると思います。自然に入ってきて何故かほっとさせられる歌でした。
(西陵中卒業生)
高 谷 小 百 合
少しずつ出来るよろこび積み重ね生徒の笑顔増えつつ楽し(紫陽母)だんだん物事が出来てくるのは、とても嬉しいことで、それが表情に出てきます。勉強は積み重ねで、少しずつ出来るようになります。分かった時の喜びは大きいなと思います。私は高校生になってもっと出来る喜びを感じました。先生が生徒たちの表情をしっかり見てくれていることが分かってとてもいいなと思いました。私ももっと笑顔が増えるように頑張ろうと思います。
(西陵中卒業生)
衛 藤 麻 里 子
十分の休憩も教室にいて椰子の実暗唱する生徒聞く(紫陽母)この歌を読んで、中二の頃の先生の授業を思い出した。三夕の歌や方丈記の冒頭など、次から次へと暗唱するものが増えていくので先生の前にはいつも長蛇の列が出来ていた。私も必死になって暗唱した覚えがある。チャイムが鳴っても生徒はみんな並んだままだった。私も休憩時間に入ってから忘れないうちにと先生の所へ行った。また、ノート点検のときも次の授業のチャイムが鳴るまで生徒のノートを見ていた。今更だが、先生が早めに教室に来ることが少なかったのはこのためだと気付いた。
(西陵中卒業生)
森 晶 子
束の間のこの世なれどもいちはつの花の不思議に見入ることあり〔紫陽母)むせかえるような慌しい時間の流れにくたびれたとき、私はよく目の前にある自然の世界に目を向けます。考えることをストップし、空に映える木々を見つめてみるのです。すると、普段気づきもしないような、空間の美しさを発見できます。無力な自分と、その私に与えられた自然という財産に、嬉しさとも言い切れない不思議な思いを抱きます。自然とは何て美しいものでしょう。そして、何て大きなものでしょう。「竹若葉かさかさ我の死の後も匂いや音は変わらず続く」も重ねて、自然というものを深く考えました。
(西陵中卒業生)
中 西 希 和
十年を過ごしし西陵中を去る桜坂には花散りながら(花びら)私と川添先生は偶然同じ時に西陵中を去ることになりました。私は二年間しか西陵中に行っていません。しかしその間にたくさんの思い出を作ることが出来ました。川添先生は私に比べて五倍の年月を西陵中で過ごしたのです。きっと私以上にたくさんの思い出を作ったと思います。でも川添先生がこの短歌に込めた気持ちはよく分かります。桜坂を歩いていると今まで作ってきた思い出が全て頭の中に戻ってきました。私はこの短歌を読むと西陵中の思い出を全て思い出せる気がします。 (西陵中卒業生)
中 越 あ す か
次々に銃が暴走して終に束の間生きし人いなくなる(紫陽母)世界では、いろんな戦争や民族紛争が起こっています。最近では、イラクでの人質事件のように、あまりにも残虐なやり方で人が殺されています。人が簡単な気持ちで銃を持ち、あっという間に人の命が消えている。そんなことが次々と起こっていると思うと、とても恐いです。自分の周りは平和だけれど、知らない所では全く平和ではないということを、この歌で改めて感じました。
(西陵中卒業生)
中 恵 理 香
亡くなりてしまえば今はしみじみと耳にも目にも母棲みている(紫陽母)生きている時には身近にいて会話をしたり、手を触れることもできた。でも、死んでしまったらこのようなことは出来なくなってしまう。とても悲しいことだと思う。しかし、耳を澄ませば生きていた頃の声が聞ける。目を閉じれば姿が浮かぶ。それは自分の中に母が棲んでいるから。そう考えると悲しみも和らぐ気がする。
(西陵中卒業生)
森 田 小 百 合
出る杭は殺る常識に今も満つキリストジャンヌダルクのように(紫陽母)「出る杭は打たれる」ということわざがあるように、この捉え方は昔と変わらずに生きている。日本は特にもたれ合いの社会であるからこそ、人々は互いに他人の様子を窺う。その感情が人の心を支配しているので、一人が劣ったり、一人が飛び抜けていると、引きずり落としてしまう。見えない力は、とても大きくて怖いと思う。
(西陵中卒業生)
石 川 香 織
十年を過ごしし西陵中を去る桜坂には花散りながら(花びら)
川添先生と同じく、私も楽しかった西陵中を離れ、父の転勤で愛知県岡崎市に来た。ここ矢作(やはぎ)中は創立百十二年という歴史がある。雰囲気も違い、西陵中を思い出してちょっぴり寂しさもあったが、今は友達や先生方の温かさで慣れ溶け込んだ。この学校は八時に登校、授業が始まるまでの二十分間、読書の時間があり、好きな本が読めて今は楽しみの一つになっている。読書の時間、皆が真剣なまなざしで教室が静まりかえっている。
吉 田 圭 甫
カマキリに射すくめられつつ人間も心優しき生き物となれ(地の音)人から見ていびつな動物を見つけると「キモイ」などと僕たち人間はよく言いますが、動物の方から見ると何もしていないのに文句を言われているのです。この歌を読んで僕は動物の気持ちがよく分かりました。また生き物も僕たちと同じく生きているのだと感じました。今後、小さいアリなどとも気持ちを考えて共に生きていきたいと思います。
(西陵中二年生)
中 野 大
天井の木目の模様渦巻きて脳のごとしと思いつつ見る(紫陽母) 僕にもたまに見えたりします。猫の目や竜の目、細目で見た太陽にも…。掴もうとするのですが掴めないので腹が立つほど。僕には目を閉じると赤い点や青い点がいっぱい見えるのです。この歌はこんなことを考えさせてくれました。(西陵中二年生)
神 田 理 博
優しくて礼儀正しく温かい生徒に接することのよろこび(花びら)
小さい頃から知っている人に会ったらちゃんと挨拶しなさいと言われ続けてきた。自分ではしっかり礼儀正しくしているつもりだけど、先生は、どう感じているのだろうか。自分にとって、優しくて温かいという人と言うと、おばあちゃんと言うイメージあるけど、先生は、どういう時に優しくて温かいと感じるのだろう。先生と交わす短い会話の中に優しくて温かい気持ちが込められるのは、どんな人かと友達をいろいろ想像してしまった。 (西陵中二年生)
吉 田 佳 那
目をつむれば銀河のごとき輝きの向こう母棲む星見えてくる 人は死んだらもう何もかも全て終わってしまうのかな、とふと考えるときがある。そしてなんだか大きな暗い穴に落ちて行くような感じがする。でもこの歌はそうではないということを気付かせてくれた。身は滅びてしまうがどこかで心はずっと生き続ける。先生のお母さんだって一つの星となり、きっと輝いていると思う。先生の、お母さんに対する深い愛があるかぎりずっとその星は光り続ける。
岡 本 藍 里
秒針が時刻む音響きくる深夜は人の領域ならず(槌の音)
みんなは「静かな時は昼間に過ごす。」と言うけど、私はこの一首が本当に静かな時を表すと思う。実際私が静かな時を本当の意味で過ごすのは深夜である。誰の声も聞こえない。真っ暗で何も見えない。ただ一つ耳に入るものは時計の秒針の音だけ。カチコチと一定のリズムで鳴り続けている。そしてその音は日ごとに違う気がする。落ち着く音の時もあれば、時には恐怖さえ感じる。しかしそれが私に得体の知れない快感を与える。人々はあまりにも忙しくて、さり気ないひとときを感じにくくなっているのではなかろうか。眠そうなナイフの光に血まみれに林檎の皮がほどかれてゆくぱっと見るとキーワードは恐ろしく感じる。『ナイフ』『血まみれ』『皮がほどかれ・・』だがこれは=で結ぶと『ナイフで林檎の皮をむいているだけ』なのだ。しかしもっとよく考えてみると、少し恐ろしくなるでしょう?光るナイフが血まみれの皮をはぐ。この詩では[林檎]が使われていますが、これを人間に置き換えてはいかかでしょう?少々残酷ですが、この様なことは実際にあったのです。いえ、今でもあります。私はこの詩を通じて、戦争についてもう少し考える必要があると思うのです。(茨木西中二年生)
中 田 有 来 未
卒業式ビデオカメラの群れ見えて人の残せしもののいつまで(未生翼)
卒業式、それは今までのことにケジメをつけ、また新たな一歩を踏み出す式だと思う。小学校の卒業式ではお父さん、お母さんがビデオカメラを持ってきて撮っている。一生に一回しかない小学校の卒業式。久しぶりに写真を見てみると思い出すその日。とても楽しかったなどと写真を見て思う。いつまでも消さない限り残っている卒業式の出来事。便利で不思議な光景、でも現実の人は確実に時間に乗って進んでいく。
(茨木西中二年生)
白 石 千 尋
見上げれば視界に空のある不思議思えば死後は闇のまた闇(花びら)死後の世界がどんな場所かは分かりませんが、この歌の「闇のまた闇」のようにとても暗く寂しい感じの場所ではないかと思います。私達生きている人間にとっては空があることはごく普通のことですが、亡くなってしまった人には見上げても闇しか見えないのです。私はいつも学校の帰り道に空を見ています。空はいつも違う表情をしていて、綺麗だし面白いです。亡くなった人はいつか生まれ変わると言われています。だから早く生まれ変わって暗闇の世界から明るい世界へ出てきてほしいです。(西中二年生)
藤 本 美 紀
どこまでも平和な日本の若者が戦争ゲームばかりしている(帽子岩)
確かに今の日本は平和のように見えるかもしれない。でも、その中には、人を平気な顔して殺したり、傷付けたりしている人が大勢いる。それは本当に日本が望んだ平和なのだろうか。日本の若者達は人殺しのゲームを平気でしている。そんな人殺しの遊びがなくなった時、その時が日本の本当の平和の時だと思う。今が次々に昔に変わってく自分にも死が確実に来る(槌の音)今がどんどん昔に変わっていく。つい最近のことでも二年、三年くらい経ったくらいに感じることがあります。自分にも必ず死が訪れることも。人が生まれるのも人が死ぬのも、世界の流れのうちの一つなのだろうか。自分が死ぬのもその流れのうちだとするのならとても哀しい。この歌はそんなことを思わせてくれた。 (茨木西中二年生)
辻 田 七 恵
早送りするように時過ぎてゆく朝から朝へ横たうばかり(花びら)
自分はまだ若いと思っていたら、あっという間に歳を取っていて、それでもまだ大丈夫と思っている…それを繰り返すうち…朝が来たと思ってたらもう夜、ますます焦るばかり…。(茨木西中二年生)
山 藤 朝 美
気が付けば今年も梅の花開く立ち止まることなく時は過ぐ
忙しい日々が続くと、いつの間にかいろいろな時が過ぎていく。時が止まればあれをしよう、これをしようといろいろしたいことがある。いつの間にか死んでいるかもしれない。一日一日を大切に生きなければと思う。 (茨木西中一年生)
大 林 陸
蝶となり流氷となり落ちてゆくイチョウ葉すべて違う形に(銀杏葉)ぼくはこれを読んで、イチョウ達がダンスをしていて、ウキウキワクワクしている様子が浮かびました。イチョウ葉の一つ一つが大切な友達、素晴らしい友達、たった一人しかいない友達のようです。自然の中からこんな気持ちにさせるものなのだと感心しました。
(茨木西中一年生)
矢 持 亜 祐
武器を持つ少年少女の哀しみを想えば鮮やかな夕日見ゆ(紫陽母) 私は武器を持ったことも見たこともないが、違う国では毎日のように持ちたくない武器を持たされている人達がいる。武器を持たされている少年少女は、武器を持つことが使命でこの世に生まれてきたとは思わないはず。この世が戦争や武器を持たすようなことのない世界になるように祈りたい。
殺人を狩猟のごとく楽しんで兵士は神に祈りを捧ぐ(紫陽母)今この時にも人が次々に殺されて死んでゆく。それを狩猟のように楽しんで、兵士は夜には神に祈りを捧げている。戦争では人をたくさん殺すほど手柄になるのだから、兵士は喜びを報告しているのかも知れない。そんな形に私は怒りが込み上げてくる。人の命を奪い人生を奪い、人の心を傷付けさらに自分の人生さえも変えてしまう。こんな愚かなことの繰り返しを本当になくしていかないと平和は絶対に訪れては来ないのに。(茨木西中一年生)
長谷川未紀
吹けば飛ぶような蚊に弄ばれて殺意は思わぬところへ及ぶ(紫陽母)最近暗いニュースが起きているこの世の中。人が人を殺す‥‥何て恐ろしいことだろう。小学生が同級生を殺す、一年前の長崎の事件。何で人が人を殺すことが出来るのか、私には考えられない。一番大切な命を人が奪う‥‥。一人でも命を大切にしていくことで殺意が減っていき、世界中に広まればいいなと思いました。
今久保里奈
森は羽 羽を広げて森森と冷たき水の谷間をくだる(夭折)森の中に入ったら静かすぎてとても怖い。落ち葉を踏む音もそっと音を立てないように歩いてしまう。何か出てきそうで怖い。暗くて静かで早く抜け出したい。でも、森の中に入ったら埃一つない澄んだ空気が吸える。そして、透き通った水が上から流れてきて、私はその冷たい水に触れると気持ちがすっとするので大好き。だからまた森に入りたくなってしまう。