田 中 文 子
彼と見し能取岬の流氷が遥か広がる目を閉じるたび(花一会)
川添さんに能取岬を案内してもらい、流氷を見た時の主人の感動した姿は今も目の前に浮かんできて忘れることができません。美幌峠の眺めも最高でしたが寒く冷たいのにも驚きました。その夜は宿で夕食を共にして楽しい一時でした。もう一度流氷を見にいこうと云っていましたのに果たせずになりました。
中 村 桂 子
羽根拡げ密を吸うらしシジミ蝶その深き青生きてこそ見ゆ(花一会)自分も歳をとってくると、別れが多くなります。それだけに小さなものの中に、生きていることのすばらしさを見出したくなります。小さなムシ、小さな子どもたち、小さな花。生きているからこそ見える輝きを見せてくれる小さなものに惹かれる気持ちよくわかります。 (JT生命誌研究館館長)
岩 田 一 政
凍りつつ彷徨う流氷群見えて大鷲となる眠りに入れば(槌の音)空を飛ぶ夢を見ることがある。大抵は、平野の野を飛んでいることが多いが、小高い丘や山が見えることもある。飛行機に乗った時の記憶が残っているせいかとも思うが、飛行機に乗ったことのない子供の時代にも空を飛ぶ夢を見たことがあるので、人の深層に潜む願望のようにも思う。この歌はもっと雄大で荒々しい光景である。大鷲となって世界の果てに飛んで行く勢いがある。「流氷の寄せ来る音を聴いている眠りは遠き海上にあり」も同趣旨の歌であるが、歌人の孤独や荒涼感、生きることの厳しさを伝えてくれる歌である。夢から醒めて、もう空を飛んでいないことを残念に思うのが常であるが、歌人の場合は如何であろうか。(武道研究家。日本銀行副総裁)
三 浦 光 世
大災害起こるも危害被るも人の勝手が絡まりている(花一会)
全く同感である。ここまで深く災害の根を捉えることはむずかしい。よく詠み切っている。人間はもっと、あり方を生き方を問い直して、すばらしい地球を大事に守っていく必要がある。
畑 中 圭 一
死に至る所詮なれども最期まで心澄むべく歌詠うべし(花一会)
歌うこと、創ることはけっして楽ではない。苦吟という言葉があるように、歌うことは時にたいへん苦しいしごとである。だが作品ができあがった時の達成感や充実感はまた何物にも代えがたいものだ。そのずっしりとしたものが命のまんなかに沈んでいくと、心が澄みわたる。それがあれば落ちついた心で最期を迎えられると作者は歌う。私もそう思う。「所詮」という語にこういう使い方があったのかと教えられたが、とにかく率直な歌い方がいい。(詩人、児童文学研究家)
RICARDO UEKI
大災害起こるも危害被るも人の勝手が絡まりている(花一会)
1999年キリスト教の脅し文句は実現しなかったけれど、地球が崩壊するのは物理的に真理なのだ。であるにもかかわらず、地球も人間も永久に存在するものと錯覚しているような、ブッシュや小泉やその他もろもろの権力者たちが、戦争ごっこに余念がない。どうせみんなが五十歩百歩の愚かな生き物。「出世なんかしたらあかんで」と言われた田中栄さんという人のように、みずからがアホ面して、寸秒を楽しく生きたらええのんとちがいますか。
私はそうしています。
〔川添英一様  九州、大阪、北海道、魂のさすらいはつづいていますね。でも、それがなければ詩は生まれないのですから、ヒョウヒョウと風が吹き抜けるなかを、襟を立ててでも歩いてください。魂の孤独は免れませんが、躰の健康さえ保っておれば、どこまででも己を追及していけるでしょうから。たとえ亡くなられていても、あなたには良い母親と好い友人がいつまでも身辺に添ってくれています。うらやましい生活環境です。地球の向こう側から「流氷記」が届くと、北の寒い風ではなく、人の暖かい息吹が伝わってきます。〕
川  口    玄
少年のような笑顔を常持ちし田中榮は逝ってしまえり(花一会)四五号の流氷記は「田中榮」氏に関して全編、挽歌のような印象で、作者の、田中氏と死(人生)に対する感情が快く感じられ、全編を息つぐ間もなく読みました。特に印象深いものを列記します。
死に至る所詮なれども最期まで心澄むべく歌詠うべし
祖先にも子孫にもわが心あり桜若葉の風を見ている
小庭辺の隅に置かれし花桃のあでやかなれば今日は良しとす
道の端ひそと小さく菫咲き風のごと時来ては過ぎゆく
我とわが時間次々消えてゆくクレマチス咲く庭過ぎる間も
他人の家なれども赤き薔薇あまた咲けば嬉しくなりて過ぎゆく
花水木風に揺れつつ揚羽蝶あの世この世を飛び急ぐらし
白馬岳馬の形の駆け抜ける未来へ心明るくなりぬ

神 野 茂 樹
なぜこんなつまらぬ人に腹が立つ未熟な自分を叱りつつ寝る(花一会)
週の半ば顔を合わす川口玄さんが「おっ、表紙がカラーになってるで!」つづいて「ここどこやろか」と。「そら、網走ちゃいまっか」と無意識に口をついて出た。閑話休題。腹が立つとき、それはたいてい八つ当たりであることに後で気付く。「金持ち喧嘩せず」という。早く「金持ち」になりたいが、早や五十となりました。(『大阪春秋』編集長)
鈴 木 悠 斎
出世したらあかんで川添君!それが口癖田中榮かなしも(花一会)少年のような笑顔を常持ちし田中榮は逝ってしまえり「花一会」はまるで田中榮氏の追悼号みたいです。ほとんど毎号情愛あふれ、時には厳しい評を書かれていたというのに、恥ずかしながら私は今までほとんど見過ごしていました。今回田中氏の評を読んで川添氏が師とも父とも言われる存在であったことが頷けました。さすがにその評は的確で鋭く、しかも慈愛に満ちており、前出の二首の歌と共に一度もお会いしたことのない田中榮氏の姿が彷彿としてきます。田中さんどうぞ安らかに。 (書 家)
佐 藤 昌 明
あかんねんもうあかんねん田中さんこんなに弱々しい声で言う(花一会)私と一まわり年令の違う叔父が、平成九年北千里で亡くなった。北海道の知床から大阪へ出て、学校も出ずに電気技師の資格をとり、戦前、鳴尾の『昭和電極』に勤めたのだが、間もなく軍隊にとられ、終戦で帰ったものの会社は空襲で消滅。それからの苦労は並大抵ではなかったと思うのだが、叔父は、精神的には安定した生活を送った。具合がわるくなり、私達が見舞った時、「元気になって、また北海道へ遊びに来てよ」と言う私に、「あかん、もうあかん…行かれへんわ」と、弱々しい微笑みを浮かべて叔父は言った。逆境に打ち勝って強く生きたあの叔父だからこそ、自分の命の残余を正確に予感できたのだろうと、今でも思っている。〈瞑目〉  (作家。網走在)
弦 巻 宏 史
さざ波のごとくに光散りばめて桜若葉に風渡りゆく(花一会)
一見、この季節の平凡な日常である。しかし、この風景は、私たちに己れの人生や人々への憶い、世相の移ろいや遠い歴史などを想起させる。そしてこの花へのいとおしさがいっそう募ってくる。六月下旬、藻琴山に登った。深い霧の中、満開のチシマザクラがこれ程なまめかしいと思ったことはない。オオカメノキの花も、あわせて、けぶる緑を背に咲いていた。その可憐で優しい姿に、すっかり心を揺さぶられた。「わが脳の裡に積もりて次々に桜花びら風渡るたび」「桜花水滴となりわが脳裡ひたひた落ちて深夜眠れず」この花々の様相と運命が容赦なく魂の深みに浸み入ってくる。私はそこに自身が生きているという喜びとこの自然との邂逅の悦びを想うのです。しばしお休みの様子、非力な私を物差しにして、あなたは、或いは「荷下ろし症候群」かなどといぶかりました。「花一会」うれしい便りでした。(網走二中元教諭)
井 上 冨 美 子
天国の母にみせたいこの桜並木を行けばはらはらと散る(花一会)川添先生の母親への思慕が美しい情景となって伝わってきます。この人に読んで欲しいと作りいし流氷記たださ迷うばかり田中榮氏への川添先生の深い思いがひしひしと伝わってきます。嬉しさも腹立たしさも歌一つ出来れば平穏無事に収まる 先生のお歌への情熱の原点はここにあるのではないかと思いました。最後にこの歌も心に強く残りました。何もかも一期一会に過ぎてゆく母の命日飾る紫陽花。「花一会」とても心地よいタイトルでした。また、表紙の写真を何より嬉しく拝見させていただきました。 (網走二中元教諭)
小 川 輝 道
悔しさも腹立たしさも歌一つ出来れば平穏無事に収まる(花一会)
歌を詠むこと、表現を尽くすことが作者にとって無上のこととして日々を生きる。悔しいこと腹立たしいことに囲まれる生活人の想いが深いだけに短い詩型に表しえた時、替え難い到達点と心の穏やかさに落ち着く。作者の打ち込む境地を平明な表現を通し同感することができた。「ありがとうありがとうと二度言いし田中榮の最期となりぬ」田中氏を追慕し悼むこれらの多く作品を通し作者の心情が吐露されている。飾らない友を得て響き合ってきた詩人の人生を感じる作品である。母や田中氏への懐かしみ悲しみをうたう心に、川添さんの出会いの幸多いことを知った。(網走二中元教諭)
里 見 純 世
この人に読んで欲しいと作りいし流氷記たださ迷うばかり(花一会)此の歌を読んで、流氷記の最大の理解者だった田中榮さんという歌人を喪った先生の悲しみがひしひしと伝わってきました。此の歌の外にも田中榮さんを詠んだ歌に惹かれました。
目つむれば田中榮と母がいる眠りの中の会話は楽し
彼と見し能取岬の流氷が遥か広がる目を閉じるたび
ああせめて声が聴きたい話したい田中榮が身に沁みてくる

葛  西   操
紫陽花の咲くとみる間に枯れてゆく束の間母の三回忌過ぐ(花一会)ご無沙汰しております。流感のため三月から病の床に伏し、五月末まで休んでおりました。網走歌人会も退会致し、また今、先生のお歌を読んで、お母様の三回忌の過ぎし思いを、紫陽花の枯れてゆく束の間に譬えたことに、感じるところがありとても悲しくなりました。「いい人を亡くしてほんとに寂しかね母がみんなの思い出になる」お母様は亡くなられても人望のある方でしたね。本当に惜しい方でしたね。お盆も間近です。ご冥福をお祈りいたします。(歌人。元網走在。九十五歳)
井 上 芳 枝
悔しさも腹立たしさも歌一つ出来れば平穏無事に収まる(花一会)
日常生活には、何かと煩わしいことが多い中で、好きなものには夢中になれて心が落ち着きます。川添先生には「歌」があります。苦心の深さが自然に骨を作ってくれ、そして肉や皮をつけて自分を創ることが出来ると思います。「深さや高さは一度や二度では理解出来ない。驚き、抵抗が何度か繰り返されて初めて自分は太る」桑田笹舟先生の関戸本古今集の解説の中の言葉が浮かんできます。四月腹部の動脈瘤の手術をして、なかなか元気の出ない私ですが、好きな書と文章の道は、これからも歩き続けたいと思っています。 (北九州市立大蔵中学校時代恩師)
三 島 佑 一
さまざまな像次々に浮かびくる白昼も目をつぶれば楽し(花一会)同じような不思議を私も歌に詠んだことがある。できたら写真に撮っておきたい。フイルムに収めておきたいと思うほど、時を忘れて見とれる状景である。が、こればかりはできないのではないか。これがもし反対に奇怪な恐ろしいような像が出没したら、人は皆発狂するのではなかろうか。しかし瞼の奥に映る抽象画はつい見ほれるから楽しいのであり、楽しいと思えるほど見事できれいである。それだけにこの題材はもっとその不思議を伝えうる歌い方ができるような気がする。それほど言葉を越えているのである。    (歌人。文芸評論家)
前 田 道 夫
あかんねんもうあかんねん田中さんこんなに弱々しい声で言う(花一会)
この作品の他にも田中榮さんを詠われた幾つかの歌があり、読むたびに田中さんの声が、動作や口振りを伴って聞こえてくる。田中さんに直接お会いするのは、夏の「塔全国大会」の折が殆どであったと思うが、塔入会以来の長いお付き合いの中から思い出されてくることは多い。四月号以降、田中さんの作品が見られなくなった『塔』は、手に取るたびに欠落感と寂しさがあり、改めて田中さんの存在の大きさが偲ばれるところである。(歌人)
小 畑 百 合 子
紫陽花の咲くとみる間に枯れてゆく束の間母の三回忌過ぐ(花一会)
どの作品にも優しい表現の中に人生の機微が歌いこまれている。人と人との絆、小動物の生態、めぐりくる四季にはさまざまな花が現れては散り萎えてゆく。過ぎゆく時の迅さの中で大切な愛する人との出会いと別れの美しさ、かなしさ、むなしさが、淡々とした言葉の奥に感じられる。年と共に加速されて過ぎてゆくそのような歳月の中にいつまでも作者の心の中に生きつづけるのはありし日の母の姿ではないか……と思うのである。(歌人)
東 口  誠
目つむれば田中榮と母がいる眠りの中の会話は楽し(花一会)亡き人を夢に見る。そこでの会話は生きる者と死せる人との境がなく、また刹那と永劫の区別もなくごく自然に交わされる。まして、亡き人が肉親やとくに尊敬していた先輩であれば、ひとしおいきいきとした語らいとなって楽しい時間をもつことができよう。素直な表現のなかに亡き人を思う心のやさしさがこもっている。作者も亡き人に慰められているのだろう。固有名詞が生きている。「目つむれば」と「眠り」の重複感は否めないが、三句切れのため上下に分かれているので大きな瑕にはなっていない。一連の挽歌で最も印象的な作品だった。 (歌人)
道 上 隆 三
英雄も犯罪者も死を弄び人の歴史の不可解続く(夜汽車)仕方ない死ということか猫の死を跨いで車あまた過ぎゆく 私は昨年、歌集『メメント・モリ』(死を想う)を発刊した。一年間の癌との闘病詠を一冊にしたものである。人間、裸で生まれ裸で死んでゆくより他はないのであるが、その人生の中に背中合わせの死がひそむ。英雄は自分を生かすために人の死を選び、その結果、自分の死で幕を引く。猫も同じであり、夫夫の死後は忘れられ消えてゆく。そしてまた新しい徳と罪の歴史は繰り返される。母の死を乗り越えて客観性の豊かな二首である。(歌人)
新 井 瑠 美
死に至る所詮なれども最期まで心澄むべく歌詠うべし(花一会)一読、尤もと諾える一首であります。少なくとも、歌を詠んでいれば、普通の人より邪悪な心の、ひとつでも抑えたいもの。私の場合、恥ずかしいことには、歌を詠まない人より、醜いようであります。せめて、この一首を折にふれて口遊み、自戒したいと思います。一歩、一歩、死に向かって歩く道すがら、すだく虫の声に心を澄まし、一輪の花を美しいと感じ、生かされている今を喜べる、素直な自分でありたいと願っています。ただ、老年の私はともかく、川添氏のお歳で、あまりに早く悟られない方がいいと思ったりしています。 (歌人)
利 井 聡 子
わが笑う声がそのまま母の声蛇腹のごとき日々くぐり来て(花一会)親子って妙なところが似るもので、鼻筋だったり、頭の形だったり‥‥。声もまた然り。作者は笑ったその声が亡き母の笑い声とそっくりだと、ふと気付いたんですね。亡き母への強い想いが、数多くの歌を生み、作者の少年のような純粋さが読者の心を揺さぶります。「蛇腹のごとき」で、アコーディオンを想像させ、その音色までも感じて哀愁が漂います。また、「重ね来て」ではなく「くぐり来て」と詠んだところ、母亡き後の作者の「やっとの思い」で過ごして来た心情が浮かび上がって来て、共感が持てました。(歌人。利井常見寺坊守)
高 階 時 子
我とわが時間次々消えてゆくクレマチス咲く庭過ぎる間も(花一会)生物は誕生と同時に死へと向かっていく。たとえば小さな砂時計を目の前に置いてみるといい。目に見えない「時」が砂という具象物になってさらさらと下に流れていく様子がわかる。「時」は確実に過ぎ去っていき、後戻りはできない。人生80年の時代になったとはいえ、50代半ばを過ぎると自分の行く末、残された時間について考えてしまう。このままあわただしい日常生活に埋没して老いに突き進んでいくのか、作者はクレマチスの紫の花に呼び止められたように、自分の持つ時間を意識した。
萩 岡 良 博
花脱ぎて緑若葉の耀えば我も桜の木となりて立つ(花一会)一期一会は人だけでなく人と花にも言えるだろう。「花一会」にはそういう思いが込められていると読んだ。花が散る。人が死ぬ。自明なことである。しかし花が散った後、葉を噴いて立つ桜の木があり、人の死後もその人への思いを抱いて生きていく者がいる。母の死に続いて、田中榮氏の死。第四五号は田中榮氏への挽歌が多い。花が散った後、緑若葉を耀かせて立つ桜の木のように、詩魂という緑若葉を耀かせて挽歌を紡ぎ出しながら歌人は立ち尽すしかない。初句の「花脱ぎて」という擬人法を使って表現した作者の思い入れが少し重たい。 (歌人)
古 川 裕 夫
宝石も敵わぬ深き羽根の色しみじみ蜆蝶を見ている(花一会)
やや素人っぽい詠い方であるが、人工の宝石のように細工された物質でなく、自然の生物が美しいと作者は感じている。その感動が素直に受け取れる。この号には田中榮への挽歌が多いのだが、あの田中榮の如くナイーブな歌人に対する憧れの裏返しの如き作品である。焦点は蜆蝶であるが、小さな生物への感動をその儘、歌にした為に素人っぽい作品になったに違いない。作者も田中榮と同じくナイーブなのである。技巧のないこのような歌もあっていいのではなかろうか。 (歌人)
林    一  英
中一の娘と座る春日向ジョウビタキ来てきょろきょろとする(花一会)
庭に面した縁側に「秘密めきたる大人へ向かう」年頃の娘と並んで座っている父親。かつて「寂しくて嬉しくて娘はやわらかな命の重み身を寄せてくる」と歌われた娘さんであろうか。まだ夢を共有できる年齢の娘と父。「春日向」が温かい。下の句に動が来て、結句が、うす紅色の絵のような上の句と見事に照応している。「きょろきょろ」は、ジョウビタキの動作よりもむしろ気持の擬人的表現であろう。父と娘の静かな睦まじい姿を樹上から眺めてなんとなく面映ゆく、ソワソワと落ち着かないジョウビタキの気持は、鳥に託した歌人自身の心境かも知れない。(歌人)
唐 木 花 江
紡ぎゆく仕草に揚羽蝶止まり杏の花が微妙に揺れる(花一会)蝶の仕草を紡ぐと捉えた一瞬の感性、その詩的表現は見事だ。田中榮への追悼歌が多く哀切である。事あって結社に残るを潔しとしなかった私は、当然ながら田中選歌欄も去らねばならなかった。結社を去ったことには今も悔いはないが、田中選歌欄を振り切るように去ったことには、当時も今も痛恨の思いはある。何を言う資格もない私ながら多くの心からなる追悼の歌に接し、うなだれるばかりである。田中榮氏と川添氏の交流の深さが偲ばれる。「出世したらあかんで」の一首。歌の真実は歌にこそある。人の世の地位ではない。 (歌人)
足 立 尚 彦
他人(ひと)の家なれども赤き薔薇あまた咲けば嬉しくなりて過ぎゆく(花一会)
私も常々体験している場面なのですが、この気分や状況を歌にしてみたことがありませんでした。信じられない何かがあったからです。この「嬉しさ」が実は信じられなかったのです。「他人(ひと)の家なれども赤き薔薇あまた咲」いているのを眺めると嬉しくなります。実際に自分の表情が変わるのもわかります。そして「嬉しくなりて過ぎ」てしまった後もしばらくその気分は続きます。で、問題は、私のその気分はいつまで存在し続け得るのだろう、ということでした。それが気になって私は歌にしなかった、というか出来なかったのだと思います。しかし、今、川添英一作品を前にして私はとても素直です。ポイントは「過ぎゆく」だったのですね。「過ぎゆく」があるこらこそ、この歌に出会って私は嬉しくなったのでした。
祐 徳 美 恵 子
ビートルズ聴きつつ思う同時代生きていたこと至福のひとつ(花一会)
作者と同世代の人間には殊のほか共感を抱く人も多いと思う。私もその一人である。川添英一をして詠わしめた戦後世代の心情を代弁した短歌だと思う。ひとつの「時代を生きていた」ということに纏わる感慨の深さは人それぞれではあるが、額に刻まれた皺と同じように、心に深く刻まれた苦悩や悲しみがあったということである。それでも私たちの世代にはあのビートルズの曲がどこかでいつも流れていた。たったそのことで、同世代と思うことの《暖かさ》を思い起こさせてくれる。川添さん、ありがとう。「本当にそうねぇ」と私もひそかにこの至福のお裾分けを頂く。 (歌  人)
大 田 千 枝
道の端ひそと小さく菫咲き風のごと時来ては過ぎゆく(花一会)「道の端ひそと小さく菫咲き」と道端に咲いた菫を描写してから、「風のごと時来ては過ぎゆく」と、自然詠から心象詠へ。四句から五句への句またがりの表現に風のように来ては過ぎてゆく「時」というものを、しみじみと深く考えさせられた。「時来ては過ぎゆく」のは一期一会であり、人生そのものであるかもしれない。「天国の母に見せたいこの桜並木を行けばはらはらと散る」も忘れられない一首。 (歌人)
甲 田 一 彦
川添君ぼくもうあかんねんという田中榮を励まして切る(花一会)
「塔」の発足から編集の中核として活躍され、選者として、また歌会での指導者として、塔の発展に尽くされたのが田中榮さんである。川添はこの人と共に編集部で活躍し、作歌の以心伝心の指導を受けて育ったのである。「花一会」には『田中榮』を詠み込んだ歌が十七首あって、二人の交友が鮮やかに見て取れるのである。
何を見て考えしと日々伝えいし田中榮は死んでしまえり
川添君!田中榮の肉声が響く死を告げられたというに
そのままの声が頭蓋に響きくる田中榮も我が裡に棲む
出世したらあかんで川添君それが口癖田中榮かなしも
少年のような笑顔を常持ちし田中榮は逝ってしまえり

私も歌会などで田中さんに何度かお目にかかりましたが、優しい口調や温顔が心に焼き付いています。投稿歌にたいしての丁寧なお葉書なども何回かいただき、今も大切に持っています。合掌
塩 谷  い さ む
目を閉じて聴けば居眠りばかりする教師と陰口叩かれており(花一会
昔は話をする人の目をしっかりと見て聞けとよく言われた。が、生徒の話す言葉をひとつひとつ噛み締めて聞いている教師の真摯な姿を居眠りをしていると言う生徒がいるのは寂しいけれど、清濁併せ呑む教師像の作者の毅然たる態度に拍手を送りたい。今回の歌群百二十首の中に、田中榮氏の追悼のうたが二十首以上もあった。かの温厚そのものであった田中榮氏のご冥福をお祈りしながら追慕の一首を捧げて好漢益々の健詠を祈りたい。
出世したらあかんで川添君!それが口癖田中榮かなしも
川 田 一 路
歯の抜けた所より死が忍びよる舌は味わいたくはないのに(花一会)田中榮さんの死、氏の死は川添さんにとってのみならず、結社『塔』においても偉大な存在であったらしい。小生は「塔」に入会してまだ一年ちょっとなので田中さんにはお会いしたことはないが、周囲の声を聞いていると、その人柄が偲ばれる。というわけで今号は挽歌、そして自らの死生観を詠んだものが多い。その死生観には幾つかハッとさせられるものがあったが、その代表がこの歌。忍び寄る死に対峙する肉体、そして頭脳の状態が鮮やかに描かれていて見事だ。ユニークな作品。(歌人)
森   妙 子
死者達をたわわに乗せて散る桜言葉行き交う風渡るたび(花一会)お母様、親友、身近な人が桜の散っていくようにこの世から去っていく。風に乗る花びらの一枚一枚が生者へ残す言葉のようだ。川添君ぼくもうあかんねんと言い、ありがとうありがとうと言って亡くなられた田中榮さん。三十一文字の中に隠された友情、深い物語が感じ取れます。「満月の下轟々とひびき去る夜汽車の客の心となりぬ」(夜汽車)夜汽車に乗って、銀河鉄道を超えていった人達をことあるごとに思い出してあげたい。香華を手向けることよりも、死者に対する何よりの供養だと思うから。(歌人)
山 本   勉
生も死も夢の一コマ簾越しかすか揺れつつ人行き来する(花一会)「花一会」はこの号にぴったりの号名だと思う。このタイトルを決めるのに苦心されたそうだが、「一期一会」の人の出会いの儚さが胸に迫ってくる。川添さんの作品には、死がよく歌われているが、本号では、師とも父とも慕い続けた田中榮氏の死去による衝撃と悲しみが、全編の中に重く流れている。人の一生はせいぜい百年。その一本の道を簾越しの一コマととらえ、一瞬を通り過ぎるいのちへの頼りなさが、見事に詠われている。
英ちゃん!と川添君!と聞こえくる母と田中榮亡くせば
死者と向き対話すること多くなる目覚めて起きるまでの数刻
間 瀬 喬 子
母亡くしし悲しみ身体に沁みとおり悪意にも心揺れることなし(悲母蝶)
某短歌批評会で突然にお会いした川添英一さん。その話しぶりにすっかり引き込まれた。しかし時間が迫っているからとの理由で、作品の批評もそこそこに終わった。手許に残ったのが「流氷記」であった。『悲母蝶』の一連、細やかに瞬時を切り取って詠まれたことで、作者の心のうねりが手に取るように伝わってきた。死にて後も心はありや夏過ぎて風に混じりて母の声する お母様の最期を看取られたことは幸せであると思う。 (歌人)
水 野 華 也 子
祖先にも子孫にもわが心あり桜若葉の風を見ている(花一会)祖先にも子孫にもずっと繋がっている心がある、いやいやもっと大胆にそれがわが心だという。スケールの大きな捉え方と、桜若葉がとてもしっくりきます。花の季を過ごして後、ある落ち着きをとりもどす。樹も人も。大きな宇宙はひとつ、あなたもわたしも、桜も風も、みんなひとつ、ずっとつながっている、般若心経の境地のようです。そんな澄んだ心地で桜若葉の風を見ている作者。快い風を感じます。〈太陽も地球も銀河も滅ぶものさればこの世は夢なのだろう〉〈気がつけば鳩鳴き交わす夏未明かくのごときか死後も未生も〉〈生も死も夢の一コマ簾越しかすか揺れつつ人行き来する)これらの歌の宇宙観死生観に共感を覚えます。 (歌 人)
小 原 千 賀 子
死に至る所詮なれども最期まで心澄むべく歌詠うべし(花一会) ここに凝縮された、いうならば短歌への愛に、私は心打たれました。「心澄むべく」ということばに、まさに川添氏の人柄と志が表れていると思います。大切な人を亡くした深い悲しみのさなかにあってなお、歌を作る、それは作者にとって生きることと同義語なのだと思います。そして田中榮氏も、お母様も、このように作者が詠い続けることを今もなお、喜んでいることと思います。初めの志を持ち続け、作品を『流氷記』として発表していくことは、非凡にして実直、この豆本のエネルギーを感じます。この一首は、私を励ましてくれました。ありがとう。 (歌 人)
柴 橋 菜 摘
ありがとうありがとうと二度言いし田中榮の最期となりぬ
他人の家なれども赤き薔薇あまた咲けば嬉しくなりて過ぎゆく

今回は田中榮さんへの想いの歌が何首もあり、素晴らしい方であったことが伝わってくる。私も逝く時はかくありたいと願い、お人柄が胸に迫った一首である。二首目は、私も同じ想いで通り掛かりの花を愛でさせて頂くことがあるので、素直に入った。丹精の季節の花々を、美しく咲かせて下さっていると、とても嬉しい気分にさせて頂く。花功徳だなと思う。(大和高田市在)
瀬 尾  睦 子
ここにいたら母さん喜ぶだろうなぁ次々開く花火観ている(夜汽車)この歌を読んで胸がいっぱいになりました。主人が死んで五ヶ月になります。いつも、思うまいと思っても涙が出ます。主人は食べるものより景色や風景をいつも見ていました。二人で旅行に時々行っていましたが、車なので景色の良い所で停めて写真など撮っていました。残念です。思い出だけを残して逝きました。私もいつかは死ということになりますが、今の所どうにか御飯はおいしく、悪いのは足だけなので頑張って生きていきたいと思います。お父様がお参りに来てくれて元気そうでした。頑張って生きていきましょうね。(母の友人)
中  島   タ  ネ
母はもういないのだなと思い知る老女の何気ない仕草あり(花一会)三回忌も終わり月日の流れはとどまることなく過ぎて行きます。お母様への想いは深まるばかりでございましょう。そんな時ふと老女を見て、この世にいる筈のないのに、間違いでもよい、母であればどんなに嬉しいかと、心の躍る想いであったと思います。私もこんな経験が何度かございます。歌にはその人の心が解り優しさが感じられます。きっと天国から見守っておられますよ。母を想う心は永遠であり果てしないです。時々はお母様の思い出に浸る時間を持って上げて下さいませ。 (博多在)
高 田 暢 子
大切な人次々に亡くすたび死は心身にしみわたりゆく(花一会)
先日、半年ぶりに先生に会った。一目見た瞬間、先生がものすごく小さく見えて、本当に驚いた。どんなに疲れていても失われることのなかった、先生独特のオーラがものすごく弱くなっていた。話すと更に弱気で、もうそろそろ自分も駄目かもしれないと言われた。私はとても悲しくなってきたけれど、先生のあんな姿は本当に初めてで言葉に詰まった。けれど、そのまた一ヶ月後には、流氷記を死ぬまで続けなければという思いが湧いてきたようで、大分いつもの先生に戻っていて安心した。私も、これからもしっかりと先生の歌に感想を書き続けようと思う。 (西陵中卒業生)
岡 本 英 璃 乃
どのように生くのか君らの人生の一シーンにいる我揺れながら(槌の音)
今、大学受験という大きな壁の前に立っています。自分のやりたいことと、就職率や学歴とを比べて迷ったり勉強してみたり、面倒臭くなってやめたり、あせったり自分が本当に何がしたいのか分からなくなったり、そういうときは中学の時の友達に会ってしゃべったり、高校の先生に相談したりします。この歌を読んで、自分の人生は自分だけで決定するんじゃなくて、周りの環境であった人々によって影響されるものでもあるのかなぁと思いました。(茨木西陵中卒業生)
岡 本 英 璃 乃
近づいて初めて分かる道の傍サヤエンドウの花を見ている(花一会)いつも何気なく通っている道でふと周りに目をやると、いつの間にか桜が散っていたり、あれ?こんな花が咲いてったっけ?と思うことがあります。この歌を読んで、これは人に対しても言えるかなと思いました。外見であの子優しそうだなとか恐そうだなと思っても、付き合っていくうちに、やっぱり恐かったとか優しかったとかが見えてきます。忙しい時間の中で、周りにも目を配るのはなかなか難しいけれど、しっかり近づいて物事を見れば、今まで気づかなかったものを見つけることが出来るんじゃないかなと思いました。
角 島 康 介
なぜこんなつまらぬ人に腹が立つ未熟な自分を叱りつつ寝る(花一会
自分もこういう風に思うことがたまにあります。自分はカルシウム不足ではないかと思うぐらい腹が立つ事もあります。それは考え方の違いというか価値観が違うというか、見下している言い方に聞こえるかもしれませんが違います。でもやはり他人のそういった行為などをも〈いなす〉事ができる器の大きな人間にならなければいけないのかもしれません。それに感情的になってしまってはいけない。これが自分が最近考えていることです。 (茨木西陵中卒業生)
吉  川    薫
大災害起こるも危害被るも人の勝手が絡まりている(花一会
災害、それは天災や人災のことである。私はその『天災』という呼び方は嫌いだ。直接人の手が加わった災害ではないが、人の身勝手さが神を怒らせたのではないだろうか。人類が存在しなければ地球はこんなにも急速に弱体化することもなかっただろう。そんな醜い欲望や身勝手さに神の怒り―天災は良い薬なのではないか。人が危害を被るのも、人が存在しなければあり得ないことであるし、危害を加える人間も最近の災害ではみられるような気がする。人は人に影響を及ぼし及ぼされ現在を生きていく、醜い身勝手な魂を持つ存在として。そんな人の存在について考えさせられる一首だった。 (茨木西中三年生)
平 瀬  達 也

一枚の布団に縋りついて寝る時はまたたきつつ消えてゆく(花一会)階段を上り、自分の部屋で布団に入ったときはこの上なく心地よい。時間の感覚がなくなって何かに吸いこまれるような感覚になる。脳というか、魂と体が別になった気分になる。本当に不思議な感じがする。眠るときの感覚はまさにこの歌の通りだと思います。 (茨木西中三年生)
広 兼   秀
ビートルズ聴きつつ思う同時代生きていたこと至福の一つ(花一会)
僕はビートルズのことがよく分かりませんが、一時代に名乗りを上げた人が同時代にいるというのは何となく嬉しいというのはよく分かります。でも自分がビートルズのように一時代に名乗りを上げる側の人間になる方がもっと嬉しい。だから自分はビートルズのように一時代に名乗りを上げる側に立ちたい。    (茨木西中三年生)
藤 田 恭 平
空気・海・適温などたまたま人が住める地球に思いみるべし(夜汽車)今の地球は空気がどんどん悪くなってきたり、海面が上昇して、水没都市が出来てきたり、地球温暖化が急速に進んできている。そして地球は動物の住めない環境になってきている。これはすべて人間が自然を破壊してなったことだから、これから地球温暖化を止めていって動物の住みやすい地球に戻していかないといけないと思う。これからはエネルギーの消費を減らしたりリサイクルをしたり自然を破壊しないで自然を増やしていって自然の有り難さを味わえるようにしていきたい。 (茨木西中三年生)
小 野 ま い
ありがとうありがとうと二度言いし田中榮の最期となりぬ(花一会)私もこんなふうに思われたいです。ありがとうという言葉は誰が言われてもうれしい言葉です。田中榮さんはすごくいい事をしてもらったんだなぁと思いました。だって、最期にありがとうって言うなんてすごいことだと思います。私もこんなふうに思える友達を作り、大切にしたいです。(茨木西中二年生)
山 崎 響 子
なぜこんなつまらぬ人に腹が立つ未熟な自分を叱りつつ寝る(花一会)自分の気持ちと似てるなぁーと思ってこれを選んだ。私も、くだらないことでいちいち相手にしたりする。そんな自分の気持ちがこの一首に表れている気がした。こういう歌があると、こう思っているのは自分だけじゃないんだなーと、少しほっとした感じもありました。(西中一年生)
山 川 悠 貴
眠るたび死んでは朝に生まれくる命と思えば一日は楽し(凍雲号)一日ごとに生まれ変われたら、どんなに楽しいでしょうか。昨日と今日と明日の自分が違う自分なのだとしたら、一日一日が楽しくなりそうだと思いました。眠るたびに死に、朝目覚めたらまた生まれる。人間は個人個人ではそんなことは出来ないけれど、人間すべてをこの一首に例えてみると、実現しているような気がします。どこかで誰かが死んでいる時に、どこかで誰かが生まれてくるという人生のバトンタッチが成立しています。私もその中の一人なのかと思うと、何だか不思議な感じがしました。 (茨木西中一年生)
馬 場 梨 江
スマトラ沖地震津波の映像よ生きるは今の今だけ確か(花一会 ニュースでやっていて、こんなことがあったのかとびっくりしたスマトラ沖地震では、津波で人が流されて、とても被害が大きくて大変だった。そこに生きる人達にとっては思いもよらないことで、何も分からないまま一瞬にして命をなくした人もいるのだ。本当に生きていることは今生きているそのことだけが確かなのだろう。明日があることだって起きるまで分からないのだから。どんなときでも自分をしっかり持っていよう、どんなことが起きているのか考えよう。そう思いました。 (茨木西中一年生)
中 部 主 貴
さまざまな当たり前角突き合わせ世界は愚かな戦いをする(花一会)この一首は今の世の中を象徴したものだと僕は思います。例えば日本と北朝鮮で両国の当たり前を今でも言い争っていますし、日本国内でも同じように当たり前を言い争っているようです。世界中の人がその当たり前を自分から取り外さない限り争いは続くと思います。思えば今まで当たり前と思っていたことが実はそうでもなかったということが僕の経験にもあります。絶対に自分が正しいと主張するのでなく相手の立場でお互いに考えられるような世界になればいいのにと思います。 (茨木西中一年生)
中 野 泰 輔
スマトラ沖地震津波の映像よ生きるは今の今だけ確か(花一会)
地震や台風などの天災の映像を見るといつも思うことですが、これから十年、二十年と生きていける保証はどこにもないということをつくづく思ってしまいます。地震は時や場所を問わず襲ってきて人々を死に至らしめたりするからです。つまり、私たちはいつ死ぬか分からないのです。もう一つ命の大切さを思い知らされることがあります。それは戦争です。なぜなら、今でも見知らぬ国で戦争によって人が死んでいっているからです。世界の人々は命というものをもっと理解して、これからの世の中は自分達が作るという意思を持って真の平和を作り出してほしいです。   (茨木西中一年生)

◆八月九日、本田重一さんが亡くなった。その頃は僕は九州に帰省中で連絡が取れず、後に網走歌人会からの便りで知った。いっぺんに力が抜けてしまった。表紙裏にあるように死の十日程前に投函された葉書で、大変だが取り敢えず元気そうだと思っていたばかりだったから。平成十五年には斜里と宇戸呂との間の知布泊で丸鋸のような夕日を見た。その時に、もうご案内出来ないかもしれません。ちょっと手術が…と呟かれて、心配になった。十六年には自宅に訪ねて少し会えたが胃の痛みに耐えていたようだった。僕の「斜里岳の雪の形を見て決める種蒔き時あり土ほぐれゆく」の歌は彼との車の中での話から生まれたものだったし「流氷が今日は離れて彷徨うと聞きて心も虚ろとなりぬ」も電話の向こうにいたのは本田さんだった。謙虚な人だったが、彼は北海道の誇る優れた歌人であった。田中榮と共に僕の中から消えることはない。◆田中さん御夫妻が網走を訪れ、共に能取岬の流氷を見下ろしたときの感動は今でも新鮮である。文子さんの言葉はそのまま榮さんの言葉でもある。田中さんの資料等をまとめようとも思ったが、彼の所属する『塔』から何らかの貸与請求がある筈なのでと、このような形で追悼したつもりである。◆『塔』にもう一度一年だけ再入会しようと決めた。流氷記HPの中に短歌日記を早速作ったところ。早速その十月号が届いた。その中、大前和世さんの田中さん追悼の原稿を見て驚く。彼女から流氷記のこと書きましたよと原稿のコピーが届いていたからだ。その中、
ささくれて流氷寄するこの海に岬の崖は雪つけず立つ
弾力ある顔らに対いてもの言いつつ不意に透きゆく河を意識す
地平までつづく湿原秋くさの葉擦れはやさし身をつつむまで
という田中榮さんの歌のあと、
「第三歌集には、旅の歌が多い。川添さんは、田中氏夫妻が訪れて下さった網走二中の桜咲く校舎を流氷記四十五号の表紙絵にした、と送って下さった。父親以上の存在だったという。」という部分が完全に削られている。見開きの次の頁の最後には充分な空きがあり、意図的なものであろう。こんな『塔』に一年間限定で入会する。詠草は一月号からである。一年分の歌は充分にある。

編集後記
歌が出来なかった訳ではない。本田重一さんが亡くなり流氷記としての行方を少し失っていただけ。塔に一年限定再入会を決めてから一日五首以上を作ると決めて歌は大量に出来ていった。空や花、月などに感動しても誰にも言えぬというジレンマが続く。田中さんや本田さんに独り呟くより仕方ない。これから流氷記をどう発展させるか試されているのかもしれない。一刻一刻に命が通っているのが見えるようになった気がする。その集積が一期。それを惜しみつつ歌を深化させていきたい。表紙の写真は悲母蝶と重複するが本田さんの畑の近くの光景である。