島 田 陽 子
轟々と炊飯器の音聞こえくる朝にて今日も生きていくべし(惜一期)「死者達の方が豊かに賑やかになりて夜明けの識域にいる」「ああ本田さんまで死んでしまいしと心も力も抜けてしまえり」など、大切な方々を亡くした打撃の大きさが胸うつ今号です。お母さまの亡くなられた時とはちがう打撃、語り合える親しい人々の大切さを思います。そんな耐えられない日々であっても、炊飯器の音に「今日も生きていくべし」と気を取り直せるのは《日常》の強さであろうと思います。なんでもない小さな日常の一コマが、私たちに《生きる》ちからを与えてくれるのだ、と改めて考えさせられました。          (詩 人)
畑 中 圭 一
こんなとこ入ってからにほんにもう母の小さな遺影をぬぐう(惜一期)「……からに」「ほんに」と言った方言を生かしながら話し言葉で書かれた上の句には、作者の息づかいを感じさせるほどの生々しい感情表現が見られる。そうした表現があればこそ、小さなフレームに入れられた亡き母の写真を「ぬぐう」という動作が印象深いものになったのであろう。方言のもつ豊かな表現力について考えさせられた一首であった。 (詩 人)
中 村 桂 子
時を食う鼓動のように鳩が鳴く朝はこの世かあの世か知らぬ(惜一期)歌に関してはまったくの素人が、生意気なことを申し上げることをお許し下さい。今回の歌集を拝読して、全体から透明な、澄み切った心が見えてくるという印象を持ちました。その最初にあった右の歌が、その心の基本に思えました。若い人たちに自信を持って美しいものや心を伝えたいと思いながら生きてきたのに、何だかおかしな世の中になってしまった悲しさを共有する者として、嘆きや怒りを通り越した気持があるように思うのです。
   (JT生命誌研究館館長)
三 浦 光 世
明らかに我を怖れて構えいるゴキブリなれど命を惜しむ(惜一期)八月まで女性スタッフが、わが家に二人いた。何れも毛虫を嫌った。「毛虫も生きているんだ。やがて美しい蝶になるんだ。かわいがってやりなよ」と言うのだが、「イヤダ」「毛虫だけは好きになれない」という返辞が返ってくる。右の作を見て、そんなことを思い出したが、この世のすべて生あるものを、我々人間はもっと大事にしていい。ゴキブリを一度旅の途中、ある宿で床にいるのを見た。コーロギに似たかわいさがあった。どうしてこれをそんなに嫌うのか。この一首、私には共感を禁じ得ない。
  (作家。三浦綾子文学記念館長)
加 藤 多 一
さようなら、大きな声で生徒言い敬語なきその爽やかさあり(惜一期)敬語のさきわう国、いや氾濫するこの国に生きていて、そのことにふと悲しむ歌人は少ない。この二〇〇五年秋は、中年にして初めて姓と名と納税と国民年金に出会うことができたある女性のことで、公共放送も大新聞も「敬語」の大安売りだった。あのメンコイ幼女を愛子サマと呼ぶ。サマをつけられるヒト科ヒトの不幸。サマと呼ぶことですべて「世界」と癒着して幸福な歌人たち、詩人たち。しかし、サマなんて呼ばせるなかれ。歌人よ。
        (童話作家)
RICARDO UEKI
目が合えば人を怖れるゴキブリの心となりて眠ることあり
明らかに我を怖れて構えいるゴキブリなれど命を惜しむ
まさに私もこの心境です。みずからがゴキブリになって生きている毎日です。殺人のニュースが毎日テレビで放映されるのですが、そのほとんどがイラクとサンパウロでの出来事で、ブラジルでは北伯からの内国移民が都市に出てきて食うためというより麻薬を手に入れるために殺人を執行するのですが、「人を殺すのはゴキブリを踏み潰すほど簡単なことだ」と豪語するのですから。
    (作 家。ブラジル在)
野 村 一 秋
温かく声かけくるる生徒あり我も負けずに声かけて過ぐ
大丈夫?元気だしてな!語尾上げて我を気遣う生徒がありぬ(惜一期)私にも覚えがあります。教員というのは、二十四時間、子どもたちのことが頭から離れず、子どもたちのことでヘトヘトになっているのだけれど、そんなときに元気をくれるのも子どもたちなんですよね。学校を辞めた今は、読者の声がなによりの励みです。「おもしろかったよ」と言ってくれる子どもたちがいて、つぎの作品を待っていてくれる子どもたちがいるから、貧乏暮らしでも書きつづけることができます。 (作 家)
佐 藤 昌 明
流氷を想えば知布泊での本田重一甦りくる(惜一期)知布泊(チップドマリ)は、斜里から約二十五分ほどウトロに向かって走った海の眺めが素敵によい所ですね。今は道沿いに小さな店が一軒あるだけですが、昭和の初めには、斜里から拓殖軌道(馬が引くトロッコ車)も通じていて、漁民や開拓者がたくさん住み、結構賑やかな村でした。山側の小学校には数十人の生徒もいました。今、立松和平さんがその学校跡にログハウスを建て、たまたま来ています。実は私は、あの知布泊に四歳までいました。あそこから、昭和十三年、西宮市へ移り住みました。当時の海岸は人の背丈ほどある大岩がゴロゴロしていたもので、ウトロへは海岸沿いには道がなく、一旦山へ上がって山道を行かなければなりませんでした。山道には始終ヒグマがうろうろしていたそうです。話が長くなるのでこのあたりでやめておきますが、あそこから見る海の色の鮮やかさ、夕日の美しさは言葉では表せません。本田さんと二人で海を眺めている川添さんが目に浮かびます。(作家)
 川 口 玄
金木犀咲くを待ちわび漸くに匂えば楽し勤めに急ぐ(惜一期)
川添短歌の魅力の一つは、そのわかり易さ(小生のように歌を作れない者にも)にあると思う。キンモクセイを詠んだ歌は、あちこちで目にするが、この十月、八一歳で逝った小生の叔母も短歌好きで、たしか、キンモクセイをよんでいたことがあった。死人の連想のようだが、「夭折の人の通夜へと向かう道雁来紅あれば心に残る」(六三頁)を読むと、大先輩の俳人、渡辺牀羊さん(故人)の「冨士暮るる静けさ雁来紅咲いて」をつい思い出した。
    (『大阪春秋』元編集長)
神 野 茂 樹
この頃は日々飛ぶように過ぎてゆく車窓の景色と何ら変わらず(惜一期)この歌は、日々飛ぶように過ぎてゆく、ことをつまらぬこととして、車窓の風景と重ねているのだと思うが、日々飛ぶように過ぎゆくことは、幸せなことではないかと思い、敢えて選んだ。世は無常というのにと詠みかえることも出来るのではないか。以上は素人の愚考。 (『大阪春秋』編集長)
井 上 芳 枝
金木犀咲くを待ちわび漸くに匂えば楽し勤めに急ぐ(惜一期)
家の庭に念願だったキンモクセイを植えて早や二十年。見上げるほどに生長しました。私も秋風に乗って漂ってくるキンモクセイの芳香を待ちわびている一人です。下の句の気持ちがよくわかります。ああ、懐かしい桂林。過去訪れた天下の名勝。桂林の果てしなく広がる山水美とともに、市中に十万本余りも植えられている桂林の花、モクセイが頭いっぱいに広がり、あの甘すっぱい香りまで漂ってくるようです。あの道、あの山、あの岸辺。私の胸に焼き付いた悠久の景観、そしてモクセイ。ふつう木犀と書きますが、別の漢名に「桂」があるそうです。
(北九州市立大蔵中学校時代恩師)
鈴 木 悠 斎
鰹節踊るお好み焼きを食う今日生き延びてきたということ(惜一期)身近の人の相次ぐ死や自身の死に至るかもしれない動脈瘤を見据えながら、どこか開き直った明るさが漂っています。人間の免れ難い大事である生老病死と鰹節が踊るお好み焼きという卑近なものの取り合わせがおかしいのですが、これがたこ焼きなら余りにも卑近に過ぎ、ピザでは鰹節が踊りません。また下句の「今日生き延びてきたということ」が禅坊主の言い口のようでおもしろいと思います。「こんなにも死者を身近に感じつつ生きるも楽し楽だと思う」作者はすでに死と慣れ親しむ境地にあるのでしょうか。 (書家)
弦 巻 宏 史
懐メロを聴けば母まだ若き頃思い出されて胸熱くなる(惜一期)
ぼくは詠むことには門外漢です。この作品は本当に技を凝らさぬ素直な「詠み」に思います。私自身の遠い記憶が再現されて、切々と迫ってくるのです。「母さんがはしゃいでいたねあの月を見ながら父が電話で語る」母を見つめていた父と、いま改めて交わし合う愛惜のことば‥‥胸を衝いてきました。「こんな時電話していたときめきの名残りよ田中榮はいない」「疲れても虫ひびく夜はしみじみと田中榮と話したくなる」親友、この世で巡り会えたあの語り合い学び合った先輩‥‥その友を失った後々に来るあの空白、やり場のないことば、話しかけたい想いが宙に浮く。己れの中の存在の大きさにうろたえる。まさにぼく自身でもあります。「時代の持つ矛盾に心研ぎ澄ませ生くべし心真っ直ぐにして」大いに同感です。一首に絞り切れず、かくも揚げさせて頂いたのは、いずれも作者の、日常の心根の優しさ、その一端を率直に切り取っておられることに心打たれたからでした。ありがとうございました。   (網走二中元教諭)
井 上 冨 美 子
青春ドラマかつて流行りしこと思う体育大会涙で終わる(惜一期)今となっては遥か遠い思い出となっております網走二中在職の時のあの感動が、胸に熱く甦りました。学校生活にこのような感動場面が多くなってくると、きっと悲しい事件は少なくなっていくだろうと思っております。良い意味での感情の発散が必要だと思います。見下ろせば街は幾つかクレーンに吊されながら在るように見ゆ 確かにそう思えてきます。皆が寝静まっているうちにクレーンによって色々入れ替わり、新しい街並みになって、オホーツクの地平線より昇る太陽を迎えられたら素敵だろうなと、現実にはありえないことを考えてしまいました。この歌に巡り逢い、長いこと忘れていた子ども心を味わわされていただきました。ありがとうございました。    (網走二中元教諭)
小 川 輝 道
大丈夫?元気出してな!語尾上げて我を気遣う生徒がありぬ(惜一期)直截かつ平明な表現、生徒と教師の気持ちの行き交いを鮮やかに示してくれる。このような表現はどこからくるのだろうか、と考えてみる。おそらく、生徒に向き合う青年教師の素朴さ。かつて二中時代はそうであった。今も、きっとそうなのだろうと思う。権力的なオゴリを背にしているのでなく、同行者の心安さにあるのだろうか。決して格好よくは振る舞わないのだが、そのひたむきさを見ると、気遣う優しさを彼らは示してくれる。若者が全部悪いのではない。共感し合う豊かさに見える人間同士の一瞬を把えて、温かみのある作品になっている。(網走二中元教諭)
里 見 純 世
最後かもしれぬとポツリ本田さん言いしことあり日が沈むとき(惜一期)心の交流が深かった本田重一さんを詠んだ挽歌ですね。本田重一さん(ペンネームでは山路虹生さん)で親しんでいたのですが、亡くなったとはごく最近まで吾々網走歌人会の仲間でも誰一人知らなかったので、みんなびっくりしたものです。網走では本田さんと小生二人だけ札幌の「新墾」に所属していました。新墾でも大変活躍され、入社してそんなに経たないうちに新人賞を受けられました。本当に惜しい人を喪い歌人会一同残念に思っています。此の歌、本田さんの気持ちをよく詠みとっておられます。病気の事は口にしなかったので知る由もありませんでした。
(歌人)
葛 西 操
愛すべき妻を亡くしてその遺影守りつつ父八十となる(惜一期)
永いこと御無沙汰しておりました。漸く人らしい気分になりました。私も亡夫の七回忌をうからら一同集まりまして終わらせて帰って参りました。ホッと一安心致しております。夫婦とは一人になれば急に淋しくなるもので、日常あまり気にもかけずに過ごしてきましたが、もう帰ってこないと思えば、悲しさ、寂しさが突き上げてくるものですね。子供達と共にその言いようのない悲しさや、在りし日の様子を思い出し、それが次々に脳裡に浮かんできます。お父様の淋しいお気持ちがよく分かります。私も間もなく九十六歳になります。日々その日その日の事無きを祈って過ごしております。人生とは悲しいものですね。彼岸花咲けば亡き人帰るよなそんな気のする秋の夜長は
米 満 英 男
小さくなり虫に弄ばれる夢覚めて畳の目の生なまし(惜一期)抒景歌にしても叙情歌にしても、美的感性にとらわれている歌は、しばしば見受けられる。その作品が悪いとか好いとか言っているのではない。何となく心情のみならず、その〈作り様〉まてもが、殊更めいて、その情況を綺麗事で収めようとする。もちろん、〈川添短歌〉においては、自由自在に発想し表現する過程で、本人独自の〈美的映像〉を生み出し、それを確と組み立てている。只それが、右掲の作品のように、表面立ったものでない所以によって、不可思議な世界へと転出し、思わず読者まで捕らえて、逆にひとつの奇妙な歌へと甦っている。      (歌人)
 前 田 道 夫
「ゾエ様」と呼ぶ生徒増え西中も居心地はよし二年目にして(惜一期)「ゾエ様」というのは、今はやりの韓国のスターの愛称「ヨン様」を捩ったものであろうが、子供さんならではのニックネームであって面白い。ニックネームで呼んでくれる生徒さんが増えて、居心地の良さを感じられるということは、生徒さんとの関係がうまくいっておられることの証しであり、人気の程を伺いしることが出来る。「擦れ違う時に大きなコンニチワ放ちて中学生は過ぎゆく」「大丈夫?元気出してな!語尾上げて我を気遣う生徒がありぬ」もそれぞれ学校内の雰囲気を伝えていて微笑ましい作品である。                 (歌人)
三 島 佑 一
時を食う鼓動のように鳩が鳴く朝はこの世かあの世か知らぬ(惜一期)冒頭の一首にまず惹かれた。全部読み通してやはりこの一首を採り上げようと思った。「時を食う鼓動のように鳩が鳴く」という比喩がよく効いている。鳩の鳴き方は独特だが、それを「時を食う鼓動」と表現したところが巧みで、心が奪われる。「この世かあの世か知らぬ」とつづくので、より効いている。「夢かうつつか幻の」というめざめ気分を言い得て妙である。「時を食う」のであるから、時間も超越し、空間からさえも遊離した気分。それが鳩の鳴く現実の場景を付かず離れずの次元に漂うている。そういう思いを巧みに歌い上げていると思う。
                        (歌人)
東 口 誠
道端にゲンノショウコの赤き花揺れるを見れば安らぎにけり(惜一期)内容の濃密な多くの作品の中に見つけたこの一首に、しばらく立ち止まって心のしずまるのを、私は待った。激しい心情の揺らぎをうたったものやほとばしり出るような言葉で表現されたものにも佳品があるが、私はむしろこのような静謐な境地に心をひかれる。ごくありふれた場景であろう。結句も類型的かもしれない。だが、何の違和感もなくこの歌の中に入っていくことができるのである。それにしてもゲンノショウコも少なくなった。鉱山に咲くフウロソウと同類で、可憐な花には言うに言われぬ風情がある。実際、心が安らぐのである。 (歌人)
小 石 薫
葛の花浮かぶがごとく咲く九月途切れ途切れに太鼓が響く(惜一期)葛の花、優しい小さなのに咲く花である。その花が揺れているのではなく浮かぶが如く咲くのだという。そして遠い太鼓の音、絵として見えてくるものは、ふと通り過ぎてしまいそうな風景なのだけれども、この一首から感じ取れるものは、今にも心の壊れそうな不安感。何故なのだろう。〔母亡くて気になる事の一つにて父がこの頃優しくなりぬ〕〔「希望館」「子供の家」も抱えいて茨木西中教師も育つ〕一見、図式的に言葉を並べたように見えながら結句に到る経間から深い心が読み取れます。  (歌人)
                  高  階  時  子
ご利用は計画的にとサラ金の女優はしたり妖しく笑う(惜一期)
消費者金融会社のテレビのコマーシャルを巧みに詠んでいる。街角には大きな看板、テレビではCMが絶えず流されている。サラ金を利用するのは恐ろしいことだという思いこみと、あまりにも軽やかで楽しそうなCMのギャップに驚く。誰とも顔を合わせずにお金が借りられる自動契約機が設置され、手軽さが受けて営業成績は伸び続けている。テレビをつける度に、若い女性が誘うように微笑みかけるものだから、つい利用してもいいかと思ってしまう。自動契約機と通信回線で結ばれた審査端末があり、個人情報の確認は厳正に行われているのだが、自動契約機の前では借りているという意識も希薄になり、それこそ無限にお金が湧いてくるような錯覚に陥るだろう。「「ご利用は計画的に」と書いてある、CMでもちゃんと言っている。無計画に借りる方が悪い。」と業者は言うだろうが。耳と目から絶えず情報を送り込まれると、人間は想像以上にそれに影響されるものだとあらためて思う。それがCMのねらいとするところだが、その快さと不気味さを「妖しく笑う」が言い得ている。私も「若き女性が微笑むだけのコマーシャルアコムアコムとさも楽しげに」とサラ金を詠んだことがある。     (歌人)
古 川 裕 夫
あきらかに我を怖れて構えいるゴキブリなれど命を惜しむ(惜一期)引用歌には対象をあわれむ素直な作者の目がある。ゴキブリを叩こうとしているのであろう。小さな生物であるが、細菌<微生物を運ぶ害虫である。人は自らの世界を守る為に害虫ならば遠慮なく殺してしまう。その寸前に作者は反省しているのである。恐らく反省の後には何かでこの害虫を叩いたに違いない。結句に作者のためらいが惜し気なく表現された。ゴキブリもその為に構えている。作者は殺そうとする。人間と小昆虫のすさまじい心理の対比。欲を云えば「なれど」が少し歌の格調を落としているが、納得できる歌である。 (歌人)
                 足  立  尚  彦
鰹節踊るお好み焼きを食う今日生き延びてきたということ(惜一期)鰹節が踊る〜本来ならばとても美味しそうな光景なのでしょうが、下句を見せつけられた読者(足立尚彦)は、その、皿の上のお好み焼きの未完成を思ってしまうのです。鰹節が踊り終わっていない、という未完成。まだ踊っているのですから。この歌の主人公の「食う」という行為によって、作中の「お好み焼き」は踊り終えないうちに消滅していきます、未完成のまま。で、主人公もまた未完。連鎖なのですね、未完と未完とのオーバーラップが、それこそ物語なのでしょう。    (歌人)
                 唐 木 花 江
人の死はやがて己に連なるに中秋の月笑いつつ照る(惜一期)
「笑いつつ」がなかったら平凡な作になるところ。笑いつつ照っている月はたぶん超越者であるだろう。急に風冷たくなりて金網の向こうに朝の月が出ている 金網越しに見た冬の朝の白くおぼろな月。金網という冷感を伴ったアングルが光っている。写生であってただの写生ではない。「世俗を愛し俗嫌いつつ」田中榮は「出世したら歌がお粗末になる」が口癖だった。「この歌は俗やなあ」とよく言われた。「歌会にも来んようになったなぁ」と私のことを嘆かれていたそうだ。何もかも胸をえぐられる思いがする。    (歌人)
大 田 千 枝
本田さんいまだこの世にいるような気がして受話器に手をあててみる(惜一期)一読して良く判る歌。胸がキューンとする。私もうれしいことがあって母がどんなに喜ぶだろうと電話の側まで行ってから、母は亡くなったのだと気付いたことがある。『惜一期』の表紙に「『花一会』拝見しました。いつも乍ら旺盛な創作欲に感銘致しました。」という本田重一さんの葉書文が載っている。平成十七年七月二十七日投函され八月九日に逝去された。『惜一期』の表紙の写真は本田さんの畑の近くの光景だそうである。本田さんは天国でこれからも『流氷記』の行方を見守って下さるだろう。                 (歌人)
甲 田 一 彦
人の死はやがて己に連なるに中秋の月笑いつつ照る(惜一期)
平淡な言葉を並べただけであるが、それでいて実は、母堂を亡くし田中榮が逝き、本田重一の急逝に遭った作者は、自分の健康にも不安を生じているのである。上の句にこめられたそうした内容を読み取れば、精妙な表現であることに驚きます。しかし考えてみると、平凡なようで決して平凡でない表現であることがわかります。下の句まで読めば、そのことがさらによくわかると思います。「月が笑う」というふざけたマンガのような表現が、宗教的な深い真実をずばりとえぐりだして見事である。日常生活の中で使い慣れた言葉だけで、真実に迫るという川添短歌を絶賛したい。 (歌人)
水 野 華 也 子
早朝の窓を開ければ蝉時雨コルク栓抜く一瞬のごと(惜一期)うちのマンションの隣に大きな樫の木があって、その熊蝉の大音量といったら凄まじい。密閉されたマンションの窓を開けたときの感覚はまさにコルク栓を抜くといった感じです。なんと上手く言い得たものだと膝を打ちました。圧倒的な勢いのある音に凌駕される。抜いてしまうと、一瞬にして外の世界の命あふれる空気と混ざり合う。コルク栓を抜くという大仕事なんぞ何事もなかったかのように。浅き夢なれども我は突然に大きな蟻に食べられているコワイ夢だ。蟻の拡大映像の大きなのを見た日には、見てしまいそうな夢。私たちはいつ踏みつけにしているやもしれぬ小さな蟻。そんな蟻に食べられているとは。作者の謙虚なこころねを思う。しかし、ライオンに食べられるインパラが死の間際に見せる恍惚とした歓びのように、当たり前のように食われているのかもしれない。往き帰り車窓より見るコスモスの一秒ほどの華やぎ残るこの感覚はよく経験することですが、一行にしてみることは叶いませんでした。ほんの一秒過ぎるのみ、でも心の華やぎは確かに残るそこのところを見逃さず一行にされたことに感服しました。             (歌人)
                  塩 谷 い さ む
何と言われようと愚直に生きるのみ流氷記はわが一人にあらず
(惜一期)そうです。何と言われようと『流氷記』はこんなにも多勢の人に見守られているのです。個性の異なった歌を詠っているのです。それに協賛する読者が多勢毎号を待ち続けているのです。誰が何と言おうと自分を訴え続けて貰いたい。「負けるな一茶ここにあり」です。応援隊の一人として声援を送ります。「本当に話せる人の次々にあの世の方が親しくなりぬ」淋しいことですが、哀しい事ですがその通りです。与えられた人生の残りを精一杯、元気に、個を曲げることなく何時までも詠い続けてほしいものです。    (歌人)
林 一 英
不機嫌になりて終日物言わぬ我を触りにくる娘あり(惜一期)
春日向、作者と並んで座っていた中一のあの娘さんであろうか。「我を」は「触りにくる」に直接続くのではない。「我を」のあとにはちょっとポーズをおいて読みたい。ここ二、三日どうしてか物を言わなくなってしまった父の心中を推しはかり、気遣ってどうしようかとためらっている娘さんの気持ちがこのポーズにこめられている。「触りにくる」はまだ躊躇いながらか、それとも、もう迷わず一直線にか。どちらにしても川添さんちの父娘ならではの歌である。今時ほんとに珍しい。羨ましい親子関係である。「大丈夫?元気出してな!語尾上げて我を気遣う生徒がありぬ」という歌もある。作者の幸せを思う。幸せだからといっていい歌ができない訳はないのである。 (歌 人)
山 本 勉
青・緑・白とゴールに突入し彼らの青き肉体躍る(惜一期)この一首、若さと躍動感があって好きだ。殊に「青き肉体」と言ったところが憎い。こうも老いてしまえば、そんな肉体を持っていた自分が信じられなくなるが…。「泣く叫ぶ笑う瞬く間に変わる中学生のこのエネルギー」若さをこんなふうに表現できる川添さんが羨ましい。どこの学校へ転勤になっても、慕われる「ゾエ様」。
体育大会での様子が六四、六五頁で、ビデオを見るように生徒たちの姿が見えてくる。「カッとするたびにぷつぷつ目の奥で切れる毛細血管がある」生徒たちとは兄弟のように学校生活を送っているようだが、この一首が気になった。誰もが死と隣り合って生きている。お互いにカッカしないようにしたいものだ。(歌人)
大 橋 国 子
女郎花風に吹かれて揺れている夕月夜には誰も旅人(惜一期)
 古代から人は秋の夕暮れに漂泊の思いを持ったと言われています。秋の月、女郎花、どれも人を旅の思いに駆り立てるものであると思います。たとえ本当に旅に出なくても、そこはかとなく心のさすらうのを感じます。感傷ではなく、そんな感情が心を休め、日常の思いから人を解放すると思います。そんなふうに理解が出来ました。でも「アスファルト裂け目に群れるオオバコの花茎は常に上向きに咲く」こうして上を向いて、狭い場所からしたたかに生きる毎日を過ごしておられるのであろう川添さんの姿もまた感じられます。大変だけど… (歌人)
松 野 幸 穂
何と言われようと愚直に生きるのみ流氷記はわが一人にあらず
(第46号)初句「何と言われようと」に「何か言われた」だろうことなど推察してしまう。だが、そのとき自分が正しい道と信じたならば、気にしていることはないのだ。そして切ないほどの感情を、表現者として川添氏は結句に集約させる。「わが一人にあらず」に、思いを同じくする人々との交流が込められている。例えば、ぱっと散りゆく花火は強烈だ。人々を一気に引き付けるだろう。しかし一瞬だけで終わってしまう花火に、『流氷記』のように一人ひとりの手の中に届く蝋燭の炎のような灯かりの良さはない。氏はこの形態でこれからも進んでいくだろう。(歌人)
中 島 タ ネ
大丈夫?元気出してな!語尾上げて我を気遣う生徒がありぬ(惜一期)この歌には普段と違う元気のない先生に、元気を出してねと、数多い生徒の中にも、心配して率直に優しい言葉をかけてくれる生徒がいることに嬉しく思いました。月日は過ぎても、お母さまを亡くされ、また友情深い田中様とのお別れや悲しみが重なってのことでしょう。此の頃のお歌には、田中様への慕情の歌が沢山出て参ります。そんなことで心を痛めていらっしゃるのではと案じております。私が感じている川添様は、明るく優しい人であります。時には心身共に休めて、あの元気な明るい優しい先生でいて下さいませ。     (博多在)
大 戸 啓 江
人生に月謝を払い過ぎているなどと思えど好奇は尽きず(花一会)確かに、しかし出演料もたくさんいただいているようです。たくさんの人に出会えることに感謝。先生と出会えたことにも感謝です。人生ってお休みがとれません。死は神様がくれた休みなのではないかと、生意気にも中学時代から考えていました。それまでは精一杯生かせていただきます。「山吹が雨に打たれて唄いいるほんに緑に黄はよく似合う」雨と花と葉と空気と先生と、音と香りとそして宇宙。やさしく大きく目の奥が癒されました。どうして字を見て目の奥が緩むのでしょうね。 (中学校教諭。)
小 西 玲 子
こんなことしているうちにも死がやって来て無に全てしてしまうのか(惜一期)笑ったり泣いたり喜んだり怒ったり。何かを目指して頑張ったり悩んだり。どんな人にもいつか「死」が訪れます。だけど到り着くものって何だろう。死のために死に向かって生きているわけでもない。でも、もちろん人生は一度きり。限りある時間だからこそ、出会うものや見つかるものがある気がします。死によって、自分という人間は目に見えなくなっても、誰かの心に残ったり、自分という何かが残せるような人生を送りたいです。
                 (西陵中学校卒業生)
高 田 暢 子
不機嫌になりて終日物言わぬ我を触りにくる娘あり(惜一期)
命の重たさや、人間のはかなさなど、先生の悲しみが充ち溢れている歌が多く、息が詰まりそうななかで、ホッと温かい感じがした。日常の家族のつながりを垣間見るような‥‥現実よりも、あの世を身近に感じてしまうなかで、家族は今の生活に引き戻してくれる大きな力を持っているんだと思う。(西陵中卒業生)
吉 田 圭 甫
少しだけ違うものほど対立し母と娘今朝は口利かずいる(夜汽車)確かに動物は、何万種類もいるのに対して、人間は一種類しかいません。しかし、人間は、動物と違って、感じたり、話すことが出来ます。その人間の特有さが、新しい文化や工業などの発展を作り上げていくと思います。時によっては、その人間の特有さが、恐ろしい戦争や暴力を行ってしまい、人間が人間を殺してしまうのです。この歌と同じように、私もこの茨木市から世界平和を願い、一日も早く恐ろしい戦いを止めて欲しいです。
 (茨木市立西陵中三年生)
井 野 辺 純 香
こんなにも死者を身近に感じつつ生きるも楽し楽だと思う(惜一期)つらい。どうしてこうなのだろう。死んでしまえばいい。そんなふうに考える日が増えた。来年、自分自身にとって初めての受験がやってくる。何事も、思い通りにいかず、前に進まないこともある。しかし、いつも考え直す。自分よりもっともっと苦しい中で生きてる人がいる。この瞬間にも、死んでいく人がいる。そう思うと、自分がちっぽけな人間に思えてくる。そんな時、こんな自分だけど何か役に立つことが絶対ある。そう思い、今、勉強に身が入る自分がいる。自分にしか出来ないことがきっとある。だから、今、生きていることに本当に感謝しよう。(西中三年生
香 和 温 子
母さんがはしゃいでいたねあの月を見ながら父が電話で語る(惜一期)この歌を読んで、そばにいる人の存在というものが、いかに大切なのかがよく分かりました。その人との思い出というのは、やっぱりなかなか消えないものだし、心のどこかで、ぽっかり穴が空いたようになるのかなぁと思いました。そう思うと、先生のお父さんが電話越しで、亡くなった先生のお母さんのことを話す顔が想像でき、笑顔で話していたのかなぁ、と思いました。私も周りから愛されて語られるような人になりたいと思いました。
(茨木市立西中学校三年生)
藤 田 恭 平
アスファルト裂け目に群れるオオバコの花茎は常に上向きに咲く(惜一期)兵庫県の相生市で有名になったど根性大根の話に似ているなぁと、面白く思った。地中から堅い堅いアスファルトを突き破って地上に出てきて咲いているというのは、生きようという気持ちが強く表れたと思う。オオバコのように強い意志を持つというのはとても素晴らしいと思いました。だから自分もこのオオバコのように、いつも強い意志を持って生活したいと思います。そうしていると、いつの日か自分の前に壁が立ちはだかっても、乗り越えていけると思いました。 (西中三年生)
今 久 保 里 奈
犯罪を追いかけ死刑待ちわびる報道陣という人種あり(紫陽母)
最近、子どもが犠牲になる事件が続いている。犯罪者が捕まったら、その事件は解決なるのだろうか。直接関係のない人たちは「あんな事件があったね」と、時が経てば忘れてしまう。でも、被害者の家族達は、どんな思いをして時が過ぎていっているのか、私には、想像がつかないくらい苦しい思いをされていると思う。どうか新しい年には、犯罪者が消えますように…。(西中二年生)
小 野 舞
なぜこんなつまらぬ人に腹が立つ未熟な自分を叱りつつ寝る(花一会)自分も、こんな気持ちになることがたまにあります。いつもいつも怒ってばかりで自分が嫌になります。いろいろ訳があるから、自分も怒っているのかもしれないけれど、たまに自分でも分からずに人にキレています。自分がよく分からなくなる瞬間のような気がします。少し怖い気もします。でも、こんなふうに、つまらない人に怒ってしまう自分も悪いと思います。だから、自分の今年の目標は、どんなことでも怒らずに、自分の中で解決できるような人になるということです。今年も頑張るぞ!!
(西中二年生)
山 川 悠 貴
コチャコチャと雀おしゃべり聴く朝の至福布団の中の暫く(惜一期)この気持ちにはすごく共感できます。雀はこのころは朝に鳴いているのを聞いていませんが、布団の中が温かくなっていて、まるで底無し沼のようにずるずると、起きる時間が遅くなってしまいます。最近は雀に起こされると言うか、目覚ましに起こされる方が多いです。夏は夏バテで、起きるのが遅く、冬は布団があまりにも温かすぎて、起きるのが遅くなります。よく考えてみると、人間とは我が儘な動物だなぁと思ったりしました。春と秋ぐらいはちゃんと起きないといけないですが、果たして? 不機嫌になりて終日物言わぬ我を触りにくる娘あり この歌を見て、頭に浮かんだのは幸せそうな家族でした。休日ののんびりとゆっくりした時間を思い浮かべました。私はまだ中学生ですが、将来は何か仕事に就いて、出来ればですがこんな幸せな家族を持ちたいです。この娘さんは、慰めに来ているのか、それとも天の邪鬼なのか分かりませんが、構って欲しい年頃なのでしょうか?
      (茨木西中一年生)
馬 場 梨 江
目が合えば人を怖れるゴキブリの心となりて眠ることあり(惜一期)私はこの一首がおもしろいと思いました。目が合えば人を怖れるゴキブリという部分が、ゴキブリの気持ちを表していて、ゴキブリの気持ちになって眠るという、意味の深い部分が良いなと思いました。この歌ではただのゴキブリだけど、人が何かを怖れるように、ゴキブリも人を怖れているのです。最初は、どういう意味か分からなかったけど、読めば読むほど意味が分かってきました。何でもそうなんだろう。最初は出来なかった事でも、何回かやったら出来たという事があるように… (茨木西中一年生)

★昨年は三号しか出せなかった。一昨年に上埜千鶴子さんが倒れ、昨年三月には田中栄さんが亡くなり、八月には本田重一さんが亡くなって、流氷記の基盤にいる人たちが居なくなったのが、この取り組みに影響を与えているのは間違いがない。西陵中から西中への転勤やそれに伴う印刷機の導入やインデザインのソフト等の環境の変化もあった。幸い流氷記という名がついていることが僕を助けたのかもしれない。流氷のように漂いながらもこの世をしっかりと生きていること、このことに尽きるからだ。よく「漂流記」と間違われて言われるけれど、そういう意味もあるのだ。今年は最低四回(季刊)は出したいと思っている。★うまくは続かないけれどパソコンの上で、ブログ(日記)も書くようになった。
一年間だけ再入会することになった塔のことや、流氷記のことなど日記のように綴っている。この雑記に書き切れないこともあるので序でがあれば覗いていただきたい。塔には歌だけの掲載となる。★火野葦平が麦と兵隊で芥川賞を受賞した昭和十三年に岩下俊作は『富島末五郎伝』を発表した。それは「富島松五郎の譚である。」に始まる。警察の撃剣教師と渡り合い、大尉に「うん、シッチョル、シッチョル」とかわす無法松の存在は、その当時の庶民の生き方には明らかに反するものだった。松本清張も彼に『或る小倉日記伝』の草稿を読んでは、指導を仰いでいる。そんな岩下俊作が父と同じ職場にして言葉を交わしていたというのは驚きであった。火野葦平や松本清張の生き方を思うとき、ぼくに
は彼の生き方の凄さと共感を感じている。幸い、次男の伸二氏とも話すことが出来、原稿も頂いた。彼の言葉遣いは北九州の独特の方言で、博多などとも違う。筑豊とも少し違うところもあり、今回『富島松五郎伝』を改めて読み返すことで、自分の言葉をも再認識することになった。岩下俊作についても追求していきたい。
★中学校教諭の仕事と両立するのには限度がある。時間がなかなか取れないし、教材作成やテスト、採点など待ったなしの仕事が多すぎる。まして、本年度は三年生の担当。流氷に会いには行けそうにない。田中さんに話しかけながらの日常だが、これでいいのだろうかと聞くことがある。これでやめたらあかんで川添君、このままずっと突っ張って頑張りやという声が聞こえてくるのだ。

編集後記
雑記とこの編集後記が書けたときには真っ先に田中栄に電話して読み上げてから編集を確認していたのだが、もうそれも出来なくなってしまった。編集後記は志を書くべきであると彼は常に言っていたし流氷記は彼と共に作り彼に読ませるという目標があった。本田重一もこの二月の時期には流氷の接岸の様子など言葉を交わしていた。さらに12月には網走の松田義久氏も喪ってしまった。父から聞いた無法松は唐突のことであったが、そんな自分をうまく脱出させ再生させることになるやも知れぬ、そんな期待を持った。荒削りでも誠意のある歌を作りたい。