畑  中   圭  一
斑雲流氷となり浮かびいる見下ろして我が鷲となるべし(無法松)空に浮かぶ斑雲がいつの間にか流氷に見えてきて、しかもそれを高いところから見下ろしている自分がいる。わたしは空飛ぶ鷲になってしまったにちがいない、と作者は詠っている。ゆたかな想像力のはたらきで、壮大なスケールの情景がみごとに表現されている。アナロジイ(連想)、メタモルフォーシス(変容)、そして視点の転換――これはもう現代詩の世界ではないか。それを三十一文字の中におさめた表現力に敬服してしまった。類似の発想は、鰯雲流氷のごと浮かびいて心泳がせ人歩みゆく 地上より空見下ろせよ懸命に車も人も我がめぐり過ぐ にもみられるが、鷲に変容するこの歌が抜きん出ているように思う。
               (詩人。児童文学研究家)
三  浦  光  世 
呼吸器に口閉ざされて物言えぬ母のいまわの際よみがえる(無法松)ご母堂の最期を回想しての作。上句、具体的に詠みあげて的確。「呼吸器に口閉ざされて」の把握に深い詩を感じさせられる。特別な言葉で注目を引こうとしない一首であるが、このような率直な描写にはやはり魅かれる。この度は、右の作が私にはきわだって注目させられた。
謝っておいてやろうとこの頃は余裕楽しむ心となりぬ 
この心理描写もいい。むずかしい題材を見事に詠いあげていると思う。       (作家。三浦綾子文学館館長)
加  藤   多  一
道の端黒き骸の横たわり犬死にという人の死もあり(無法松)川添英一さんの短歌のうち、身内や友人の死に出会った切なく率直な悲傷歌はそれなりに感動しますが、しかし、茂吉の「死に給う母」をはじめとして「当時者」を越えることは難しい。所詮読者は当時者になりにくい。「個人的なことは実は政治的なこと」という卓見に触れたばかりの小生は、犬の死が「ヤスクニ問題」と直結するのを――と、この歌を読んだ。靖国神社にまつられるから死は美しい、名誉なのだと教えられた世代の私。戦後生まれの人々が首相の靖国参拝に反対しないのが不可解なのです。
中  島   和  子
緊張の中にほどけていく部分持ちて生徒は受験期に入る(無法松)寒風の中で見つけた梅のつぼみを連想しました。スイッチが入ってしまった梅が咲くことを止めることができないように、中学生も試練を前に緊張しつつもほどけ始めているのですね。次の「流氷記」が発行されるころには、中学生も梅も、青い実を結んでいることでしょう。ガンバレ、中学生!
                (詩人・児童文学作家)
も  り ・ け  ん
物忘れ勘違い責め立ててくる妻の勘気を疎ましく聞く(無法松)
実感のこもる歌です。私の友人日本笑い学会副会長、昇幹夫氏の言葉を借りると次のようなコメントになります。〜夫のロマンは妻の不満である。妻は修行の場である。自らをみがくために妻はある〜 と。そう考えると、何となく落ち着いて対処することが出来るものです。お互いにすばらしい妻を持ったことに感謝しましょう。間違っても恨んではなりません。 (詩 人)
               佐  藤   昌  明
斑雲流氷となり浮かびいる見下ろして我が鷲となるべし(無法松)今年、網走の流氷は遅く来て、随分早く去って行きました。川添さんに見てもらえないのがさびしかったようです。流氷のないオホーツク海へ観光客は不満そうに流氷観光船で出港して行ってます。昨年私達夫婦は九州と富山へ二度旅行をしましたが、その時の飛行機の窓から下に見える雲の様子がこの歌にぴったり‥‥流氷の上を大きな鳥になって飛んでいるような気がしたものでした。『我が鷲となるべし』という名文句(?)は思い浮かばなかったのですが‥‥。私も句づくりは好きな方なので、川添さんのような巧みな表現はできないのですが流氷の句を一句。『たゆたうてやがて融けゆく浮き氷』
鈴  木   悠  斎
ページ繰るように雪降り母の棲む隠し扉のあると思えり(無法松)雪は美しい。雪の積もっている光景を見れば心が安らぎ洗われます。昔から詩人は雪を繰り返し歌ってきました。しかし、今年のように大雪で雪国の人が大きな被害に遭っているのを思うと雪がロマンチックだなんて言ってもおられませんが、ページを繰るように雪が降るといのは心が惹かれます。そして、隠し扉から母が現れるというのもどこかメルヘンのようで私は好きです。まるでドラえもんの「どこでもドア」みたいと言ったら、作者や心ある読者から叱られるかも知れませんが。(書家)
吉  阪   市  造
流氷記一枚一枚心込め折れば待っててくれる人あり(無法松)
印刷会社に勤めていたことがある。機械による製本の作業ながら、それでも、最終段階の裁断、「化粧落とし」が終了すると、ひとつのものが生み出された喜びがあった。この一首、裁断の一歩手前の作業ながら、作者の喜びがすでに発せられている。折る紙の中に、流氷記を待っててくれる人たちの期待が織り込まれてゆくのだ。紙折り、裁断、出来上がり。手作りゆえの喜びは、機械作業では得られぬものが‥‥。      (網走在)
神  野   茂  樹
あってもいいことなのだろう人が鳥インフルエンザに淘汰されゆく(無法松)ウン、あってもいい、と同感したので選びました。
   (『大阪春秋』編集長)
                米  満   英  男
無法松かつてどこにも居りしこと獣臭き生徒思えば(無法松)
元、教員として学校に勤務したものの、これは凄い所だと思案し直した。真っ当な教員も幾人かは居たが、信じられない奇妙な者と、学校を替わるたびに出会った。毎朝遅刻して、一時間目には来ず、二時間目辺りになって顔を出す。勿論授業は見捨ててのことである。結婚して間無しの女性教員は、六時間目の授業か済むと、もう姿は見えない。一週間経っても出勤して来ないので、教頭が様子を見に行くと、悠然と寝転んだままテレビを観ていたそうだ。勿論、男女別は問わない。無法松は男の事かと思ったが、圧倒的に女性が多かった。女無法松が恋しい。
安  森   敏  隆
赤松の上に筋雲広がりぬ相国寺境内を歩めば(無法松)「相国寺」の土地の一割が、私の勤めている同志社女子大学の今出川校舎である。臨済宗相国寺の土地の上に同志社女子大が建っている。ここから、御所がよく見えるため、五階以上の高い建物がたてられない。ここの五階の屋上から五山の送り火がよく見られる。「相国寺」の境内には赤松がいっぱいある。「筋雲」とあるから巻雲のことだろう。秋のひと日、作者は、ある感慨をもってみたのだろう。「塔」の先輩、田中栄も亡くなった。畏友の清原日出夫も亡くなった。作者の心の奥の奥が詠み込まれているのだろう。                 (同志社女子大学教授)
川   口     玄
複雑な家庭の事情など見せぬ優しき言葉の生徒に触れる(無法松)この歌を読んで、何故か、六十数年前の小学校(当時は国民学校)の同級生K君を思い出した。K君はいわゆる在日韓国人の子供で、見るからに見すぼらしい服装の少年だったが、物静かでありながら笑顔を絶やさず、成績もトップクラスだった。時々、校庭や、教室の場で彼と話しただけの淡々たる交際であったが、妙に記憶に残っている。いつの間にか学校にも来なくなったが、その後の彼はどんな人生を送ったかと思う。 (大阪春秋元編集長)
小  川   輝  道
何思うことなく今日も来てみれば淀の川原に刈萱群れる(無法松)この人の作品のなかに、身近な野草の名がたくさん詠まれていて、自然観照に寄り添って生きていく人の姿も垣間見ることができる。私の住む地域の文化連盟の探訪会に参加すると、短歌や俳句の人らが小さな野の草の名にも深い関心を示しているのに出会うことが多く、印象深いものがあった。川添さんが、小さな野の草花を歌材にしている時の繊細さや微妙な心の姿勢に、作者の生きていく人としての広さや、奥の深さを感じることができる。歌作の中に〈解き放つ〉はたらきを感じ、心に触れるものであった。
弦  巻   宏  史
複雑な家庭の事情など見せぬ優しき言葉の生徒に触れる(無法松) いつも自然、季節、母、愛、友、生活、生と死、等々多くの素材を鋭い感受性で把えて自己と対峙する姿勢に敬服しているのですが、今回は敢えてこの一首にしました。子供たちは確かに育てられていると嬉しくなる例も多い。しかし、今日、人間は本来どう育てられるべきなのか、この世界、この国、社会、環境や諸条件が改めて問い直されている。そして生命や安全さえ脅かされたりあまりにも多くの子供たちや若者が非情で過酷な渦中で生きている。そのひとりが、今日も登校し、明るく優しく生きている。本当に愛おしい。子供は本来、けなげでひたむきで心優しいものなのだと思うのです。平和で安らかな日々を願わずにはいられない。
井  上  冨 美 子
流氷記一枚一枚心込め折れば待っててくれる人あり(無法松)
川添先生の新作の短歌と全国から寄せられる一首選者の声を、このような形にまとめ上げられることだけでも大変なこと。それを印刷して二四〇〇枚という、気が遠くなるような枚数を、きちんと心を込めて折られ、製本してこのミニサイズの貴重な宝物が出来上がるのですね。手のひらの中に収まる小さな短歌終ですが、宇宙のような無限さを感じています。それぞれの分野でご活躍されておられる方々、そして在学中の若い若い方々のお心が濃縮され沢山盛り込まれていて、拝見しているうちに、とっても幸せな気持ちになっている自分がいます。この度は、網走の流氷接岸初日と流氷記『無法松』が手元に届いた日が同じ二月六日でした。本当に驚きました。川添先生とオホーツク流氷の因縁のようなものを強く感じました。その時の余韻を静かに受け止めています。「緊張の中にほどけていく部分持ちて生徒は受験期に入る」「複雑な家庭の事情など見せぬ優しき生徒の言葉に触れる」この二首には、ふと二中在職中のあの頃のことを思い出しました。いろいろなドラマがありました。    (網走二中元教諭)
井  上   芳  枝
複雑な家庭の事情など見せぬ優しき言葉の生徒に触れる(無法松) 三十五年間の教員生活の中で、私も生徒の優しき言葉にいくど慰められたことでしょう。中学一年のクラスで、国語担当係のA君は、授業の始まる前に「先生、荷物を取りに来ました」と、休み時間に必ず来てくれるのです。退職して二十年は過ぎていますが、今だ鮮明に覚えていて心に残っています。温かさの伝わる歌です。「ありがとうA君」 (大蔵中学校時代恩師)
山  川   順  子
流氷記一枚一枚心込め折れば待っててくれる人あり(無法松)
川添先生が忙しくても悲しみが深くても手元に届く流氷記。一枚一枚心込め折られた本を手にし、自分の都合でご無沙汰しているのを反省しています。今の私に考える力を与えてくれてありがとうございました。 我が家の金木犀咲きそれだけで幸せと思い終日過ごす 何かホッとしました。和やかなひととき。逆に毎年咲いているでしょうに、この時は心が弱っていたのかなと思ったり。何気ない日常に幸せと思える幸せを大事にしたいです。
柴  橋   菜  摘
時を食う鼓動のように鳩が鳴く朝はこの世かあの世か知らぬ(惜一期)「時を食う」と言う表現にハッとさせられる。くぐもった鳩の鳴き声を耳にした時、きっとこの一首を思い浮かべるだろう。「こんなとこ入ってからにほんにもう母の小さな遺影をぬぐう」母上様への情感が素直に優しく愛おしく、こちらの胸に迫る。「逆境も何くそ負けてなるものかそんな自分が頼もしくなる」私自身、やっとこんな気持ちになってきた。日々の暮らしを一つずつこなしながら、それが出来ることに感謝し、自分にエールを送る。まだ他人様のお役に立つパワーが残っていると願いつつ…。
中  島   タ  ネ
無法松らしき生き方全うし岩下俊作心に残る(無法松)あの有名な映画史上に残る『無法松の一生』の作者がお父様と職場が同じだったとは驚きました。私が若き頃、松竹の会社に勤務していた昔に引き戻された感じがして、懐かしい思いでした。松五郎を演じた板東妻三郎、三船敏郎様は特に素敵でした。夫を亡くした若くて美しい未亡人に、車夫の松五郎は、少し弱々しい男の子の力になって下さいと頼まれて、生涯を母子に尽くし、その間、夫人に恋心を抱きながら打ち明けることもできず、亡くなる時は母此の名義で貯金まで残して一生を終わる人情愛あふれた、今でも鮮明に心に残る映画でした。 (博多在
  瀬  尾   睦  子
いい景色みる時母がついてくるはしゃぐ声など聞こえたりして
ねえ英ちゃん どこからか声聞こえくる母亡くなりて後頻繁に
片時も読経欠かさぬ父は母まだいるような空間にいる(無法松)
この歌を読んで、胸がいっぱいになりました。お母さんが思い出されてきます。私も主人が亡くなり、一周忌を迎えました。いつもいつも思い出は尽きません。沈んでいた矢先に流氷記が届きました。本当にありがとう。自分だけではないと言い聞かせて頑張ります。ありがとう。一度、北海道の流氷を見に行きたいと思っています。 (母の友人)
里  見   純  世
氷海に夕日の沈む喫茶店本田重一今はもう亡し(無法松)此の外にも本田さんを詠まれた歌に川添さんのお気持ちがとても出ていて感動しました。此の歌は前号の惜一期によると平成十五年に斜里と宇戸呂の間の知布泊という喫茶店で見た夕日の事ですね。その時の夕日を詠まれた川添さんの歌を去年の網走歌人会の新年宴会の時、姫屏風に不肖私が書いて差し上げた事を思い出し、新たな感動に浸っているところです。丸鋸のような夕日が氷海の果てに真っ赤になりて墜ちゆく(丸鋸という表現が素晴らしいですね)。本田重一(山路虹生)さんの死が惜しまれてなりません。
(歌人)
葛   西     操
切れ切れの雲繋がりて雪となる空の彼方に流氷群あり(無法松)
流れゆく雲眺むれば生まれし古郷樺太を想い出します。特に冬の夜空の美しさは星天に煌めきて、小学生でしたので、ただ美しさに見とれておりました。大人となってもあの美しさでは上杉武田の戦いの最中でも見とれていたのでは、などと一人で想い出しておりました。流氷群も山の如く押し寄せて来、男の子らは氷の上で遊んでおりました。晴れの日は遠く海の彼方に蜃気楼が絵の如く浮かび、あの情景は今も目に焼き付いております。当日川添先生がおいででしたら、素晴らしい川添文学が出来ておったと時々想い出しております。北指して流るる雪雲声上げて呼べば古郷
山彦となる 何十年過ぎても古郷は心の中に在るものですね。
                前  田   道  夫
霜月の朝の布団の温かく幸せと思うささやかなれど(無法松)
霜月の朝というと、冷え込みも強くなり、ぬくもりのある布団がそろそろ恋しくなる頃である。誰もが体験しているところではあろうが、温かい布団をささやかな幸せと捉えているところには、独自の感じが出ていると思う。「金木犀花まだ幾つ残りあるささやかなれど今日の喜び」「雲間より黄金の光射している幸せは気付かれずあるもの」ささやかなこと、身近なところに喜びと幸せを感じられている。これらの作品についても共感を覚えるところです。 (歌人)
三  島   佑  一
柿の実のあまた広がる空の青吸い込まれつつ独りなるべし(無法松)柿の実の珠色と空の真青な色の対照が鮮やかである。たくさんの散らばる珠の点々を通して――かくそれは有限である――遠く高くひろがる青は無限で、その一画を切り取って今、眼にしているにすぎない。有限が無限に吸い込まれてゆくような英邁な敬虔と畏怖の念の中に、一人の人間であるわれは独りであることを強く意識する。独りでいる自分を小さくも大きくも感じながら、今自分を宇宙の世界の中に美として存在する人間を改めて認識する。目前の親しい小さな自分を、手の届かない冷たい高次の宇宙を想起させてくれるのがいい。
小   石     薫
買い物の小さな喜び見つけいて父の明細細かくなりぬ(無法松) 伴侶をなくされて、まして男の方が後に残るとはこういうことなのでしょうか。母上が亡くなられてから今日に至るまでの父上の心の経過がしのばれます。上句に読む者は救われます。お二人で暮らした時代はこまごまとした家事や買い物に関心を持たない方だったかもしれません。今、悲しみや戸惑いを経て、生活の中の小さな喜びを見つけておられるのでしょう。またその姿をそっと見守っている作者の視線も見えます。(歌人)
高  階   時  子
いい景色見るとき母がついてくるはしゃぐ声など聞こえたりして
ねえ、英ちゃん!どこからか声聞こえくる母亡くなりて後頻繁に
 二首ともふっと口をついて出てきたような歌。母を亡くしてからの方がいっそう母の呼びかける声が聞こえてくるようだと。母恋の歌を読んでいると、作者の中にはいつまでも母上が住んでおられることだとあらためて思う。母上を詠んだ歌がいくらでも生まれそうな。「はしゃぐ声」から母上の明るい性格もうかがえる。
ただ、「いい景色」とまとめてしまわないで、具体的な景色を描いた方がもっと印象深い歌になるのではないだろうか。私も時々、四九歳で亡くなった母が、五五歳になった私を見て「まあ、あんた、こどもを三人も産んで、こんな年になったんか。」と言いながら驚く姿を夢に見ることがある。もう一度会うことができればどんなにいいだろう。
唐  木   花  江
夕卓の柳葉魚の匂い噛みごこち生きるはこんなものかもしれぬ(無法松)上三句の具体、下句の抽象的表現への転換、その感覚は抜群で人生的示唆が深い。匂いや噛みごこち、人それぞれに感受は異なるだろう。それが各々の人生観へと繋がっていく、ある種の諦念が漂っている。その諦念はまた人生を深くするだろう。文学として短歌に不可欠であるのは精神性である。それが一首の上出来、不出来を左右するだろう。「お題」「笑ふ」モダニズム、新取を気取ったとしても精神性が皆無であれば、ただ面白いだけの歌としかうつらない。 (歌人)
古  川   裕  夫
本読めば目が痛くなり目を瞑るその闇は死へ通じる道か(無法松)この歌にすぐ目が行った。私自身が左耳下腺癌で病院へ通っている。左瞼の下に腫瘍が生じ抗癌剤の使用に同意するか問われている。私は医師で、下部消化管の内視鏡に従事し、何百例と云う患者の大腸ファイバースコープを施行した。身体にプロテクターをつけるが顔面は剥き出しの儘だ。左頬の腺腫が何十年放射線を浴びて何時の間にか癌化した。職業病である。この悲しさ。人に云っても理解しにくいであろう。メージャーの内科、しかも下部消化管を専門とした自己の運命である。一首は私の共感を呼んでしまった。 (歌人)
                 東   口     誠
教室に深く斜めに射してくる日よ健やかに生徒を照らせ(無法松)『流氷記』に生徒を詠んだ歌は少ない。作者の職業から考えると、もっと仕事に関わるものがあってもよさそうなものだが。そう思って、敢えて仕事につながる歌をさがしながら読んでみた。幾首か見出した中では、この歌が印象的だった。筆者も同業者であり、この祈りのような気持ちはそのまま受け入れることができる。おそらく冬の日差しであろう。懸命に学ぶ生徒たちのひとりひとりを照らしてくれという教師の願いは天によって叶えられなければならない。初句から「日よ」までの具象と以下の祈りの表出とのバランスがよい。
甲  田   一  彦
嵐山緑と赤黄紫の傾りもともに夕暮れてゆく(無法松)天下の名勝嵐山を真正面に詠んだこの歌に感激しました。家から電車で三十分も行けば嵐山ですから。春夏秋冬の嵐山を見ているのですが、歌にするのは難しいものです。この歌は晩秋の嵐山ですが、第一句に「嵐山」を据えて、「緑赤黄紫」と色鮮やかなところを捉えているのですが、特に紫が効いていると思うのです。これで、川をはさんだ嵐山の全景が「傾りもともに、夕暮れてゆく」で鮮やかに浮かんできます。単純な日常の使い慣れた言葉で仕立て上げた一首に拍手を送りたいと思います。複雑な家庭の事情など見せぬ優しき生徒の言葉に触れる(無法松)教師というものは、さまざまの生徒に、さまざまの場面に接していく職業です。「複雑な家庭の事情」のことも、要領よくやりすごすか、あるいは全力で対応していくかです。後者によって「優しき生徒の言葉に触れる」という感動が生まれるのです。まじめでひたむきな川添先生が見えるような気がします。この一つ前の「注意する無視する流す幾通り生徒の汚き言葉に向かう」と並べて読む時、今の中学生を前にする国語の先生の苦労が偲ばれます。作者が健康に気をつけながら教壇でも歌壇でも精進されることを祈るのみです。
                川  田   一  路
桜の葉おおかた散りて散り際の明るき枯葉の一群が見ゆ(無法松)数ある作品群のなかにあり珍しく自然の一情景を描写した作品である。その描写実体も美しく情感に溢れるし、そこに託された作者の心情が読み取れ素晴らしい一首となっている。散り残っているということは生きながらえていること故選ばれしものとも解釈出来るが、枯葉という以上は枝にあることは即はぐれものであろう。そのはぐれもの、落ちこぼれの一群に対しての賛歌、応援歌として鑑賞した次第。
塩  谷  い さ む
山に入りオナモミ付けて帰り来る少年時代は今はもうなし(無法松)思い切り野山を駈けた少年時代はいつになっても懐かしい。あの夢、この夢が走馬灯のように回り続けている。取っても取っても取りきれなかった鋸菌も今では遠い思い出である。秋の空を流れてゆく雲に多感な少年時代を託したなぁ…と同感しきり。「マスクした女の胸に触れられて頭蓋の中の歯の治療受く」にも全く同感である。そして作者の言う唐突に出てきた「無法松」という標記にも納得している。益々の精進を切に祈りたい。「柿の実のあまた広がる空の青吸い込まれつつ独りなるべし」も私の好きな歌である。独りではない青い空がある。(歌人)
山   本     勉
あの青き空は夏には見られざり青に吸い寄せられて見ている(無法松)高槻市にいた頃も、北摂の山なみをよく眺めたものであったが、去年、亀岡の中に住むようになって、山の青、空の青、刻々に変わりゆく雲の色彩の美しさには、一年経った今も魅せられている。四季折々の自然の演出にも「吸い寄せられて見ている」私たち夫婦である。川添さんは北摂の山や空を見て詠われたのだと思う。「流氷記二千四百枚を折る狂わぬように心を込めて」「流氷記一枚一枚心こめ折れば待っててくれる人あり」「忙しい人ほど返信してくれる個人誌一冊一冊送る」私も甲田先生のもとで、会誌である「北摂」を毎回編集・製本をしているが、神経を使い、孤独で実に大変な作業である。気をつけていても、仕上がった冊子に入力ミスがあったりして、詠者や読者に迷惑ばかりかれている。それでも「狂わぬように」「心こめ折れば待っててくれる人あり」の思いが力強い励ましとなっている。「忙しい人ほど返信してくれる」の中には私も含まれているのだと思い、嬉しくなった。川添さんは「流氷記」私は「北摂」。お互いに頑張り続けていきたいものである。 (歌人)
大  橋   国  子
星への距離思えば夜空深くなり道を揺らしてわが歩みゆく(無法松)最近、空気が汚れ、星を見ることが少なくなりました。でも夜、物干しに出るとオリオン座でしょうか、近眼の私には翼があるように見える星が青く輝いています。冬空なので、他の星も見えますが、でもこれは何光年も離れた所のものですよね。宇宙 の大きさ、人々が数々のロマンを抱いたことがなるほどと思われます。色々な煩いが一瞬に消えて、道を揺らして歩んでおられる姿が大きく浮かんできます。        (歌人)
小  原  千 賀 子
我もまた雀のごとき身軽さに刈萱の穂を触りつつ行く(無法松)
子どもの頃、自分の背丈ほどもある草の中を歩くとき、葉っぱをちぎったり、ひっぱったりして遊ぶのが好ぶのが好きだった。そんなことをしていて、気がつくと手が切れて血が出ていたことがあった。その葉は、うすく細長く、それでいて硬かった。真新しい紙のように。そのときの痛みをまだ覚えていて、今だに河川敷などで「あっ、これで手を切ったなあ」と思い、触ろうとする心が抑えられる。けれども、この歌のように雀みたいになってちょんちょんと身軽に触れていたら、きっと安全。自然に触れてその中に紛れ込み、自分も自然のひとつに混じってしまう。その自在な感じがよく表れていてとても魅力的な一首である。
西  村  ひ さ み
天井の龍の見下ろす釈迦牟仁もかつては心弱きことあり(無法松)お釈迦さんも実際に生きた人間なんですよね。休耕田畔のアザミにイチモンジセセリが語りかけつつ止まる。「語りかけつつ」がいいと思いました。教室に深く斜めに射してくる日よ健やかに生徒を照らせ 生徒への愛を感じました。注意する無視する流す幾通り生徒の汚き言葉に向かう 昔人間の私には考えられない。寒々とした思いがしました。 幾通りもの人生があったのに今を選んで可なりや否や 共感しました。   (歌人)
池  田   裕  子
目を閉じて広がる世界死の後も続く気がする安らぎに満ち(無法松)私の主人は長年病で苦しみ入退院を繰り返しその度に崖淵を歩いているようだと医師より言われる数年があり、苦しみ抜き救いようのない状態で没しました。毎日看護しながら愚痴を言わぬことに感謝していました。死後の世界は苦しみより解放され、安らぎを与えられると信じることが私の願いであり、祈りでありました。この歌に惹かれたのは「安らぎに満ち」そんな世界であってほしい、そして「気がする」だけでも良いと思いながら生きる重さを感じさせられる一首でした。       (歌人)
藪  下  富 美 子
ねえ英ちゃんどこからか声聞こえくる母亡くなりて後頻繁に(無法松)母堂を亡くされた此の歌を拝見し、私自身の遠い記憶が鮮明に思い出され、切々と迫ってまいりました。いつも母が声をかけ、またそばにいるような錯覚をしたものです。親子(特に母親)とは濃密な関係にあるのでしょうか。美しい思い出にはいつも母がおりました。孝行したい時に親は無しとよく古人は言ったものだと思います。終わりに自分の経験や気持ちに引き寄せて読むことができ共感を呼んだのだと思いました。 (歌人)
国  田  恵 美 子
不機嫌になりて終日物言わぬ我を触りにくる娘あり(惜一期)
 こんなにも意地らしく可愛いお嬢さんの、その時の仕草が伝わってきて感情がこみ上げてきました。一方、先生の動脈瘤に圧迫された頭脳から魔法のように生み出されるお歌にも圧倒されました。どうかくれぐれもお身体を大切にして下さいまし。
小  西   玲  子
幾通りもの人生があったのに今を選んで可なりや否や(無法松)
 生きていると、考えてその一つの道を選んだり、自然とその道を歩いていたりしています。多分、何通りもの道があるし、自分の目の前にある道を選ぶのも感じ取るのも自分自身で、人によって違うと思います。考えて進むこと、選ぶことやその時の気持ちでその道を進むことは、時に怖かったり間違っている気がして、もう一つの道が美しく見えたりします。でも、それを感じている今日この瞬間も、新しい道が待っています。何に辿り着くか誰も分からないけれど、選んでいるのも歩いているのも自分なのです。分かっていてはつまらないけれど、分からないと不安になってしまうのです。けれど、その道や時間が少しでもずれてしまうと、会えなかった人達や、感じられなかった気持ちがあったかもしれないのです。そんなことを思っていると、全てが愛しく思えてきます。地球にはたくさんの人間がいるし、私なんて小さい小さい一部かもしれないけれど、地球にしみわたっていくくらいの気持ちが生まれてきます。単純でもなくきれい事でもなく私は、こんな気持ちは大切にしたいです。こんな気持ちで短歌を読んで、色んな気持ちにさせてくれたり、何気ない会話を大切に感じることが出来たりします。そんなことを思いながら今を生きています。
   (茨木市立西陵中学校卒業生)
高   田    暢   子
注意する無視する流す幾通り生徒の汚き言葉に向かう(無法松)
いよいよ教育実習まであと一ヶ月程となった。自分が生徒の側にいた時には、好きなだけ教師を批判していた。今思えば、もう少し温かい目で見ておけばよかった。中学校の時には、ほとんどの先生が嫌いで、ましてや、自分が教師になろうと思うことなど全くなかった。この五年で自分がどれだけ変わったかを実感する。この歌を心にしっかり留め、生徒たちに向き合いたいと思う。
(茨木市立西陵中学校卒業生)
                齊   藤      萌
思い出は黄色く染まり散ってゆく銀杏並木の下を歩めば(無法松)銀杏の葉は散ってしまえば汚くなって、いつの間にか消えてしまうけれど、散りたてのまだ綺麗な銀杏の葉を拾って自分だけの特別な一枚の葉にしたくなる時があるように、綺麗な思い出は残しておこう、大切にしようと思うことがあります。次の年になれば、銀杏はまた黄色く染まって散っていくけれど、またその時には、大切な思い出を一つ残しておけるような人生なら素敵だなぁと思います。嫌な思い出は散らして終わりにしてしまえば簡単だなとは思うけれど、その中でも決して忘れ慣れない痛みや悲しみもあります。けれど、その思い出はきっと自分にプラスになる筈だと思ったら、強くいられるのかも知れないなと感じます。
(茨木市立西陵中学校卒業生)
小 樋 山  雅   子
教室に深く斜めに射してくる日よ健やかに生徒を照らせ(無法松)午後の授業ほど辛いものはない。というのは少し大げさかもしれないが、本当に辛いことは確かだ。お弁当でお腹がいっぱいになったところに先生の淡々とした喋り声。その上お日様までがぽかぽかと照らして生徒を眠りに誘う。その暖かさは気持ちよすぎてありがた迷惑な程だ。けれど、ふと思った。折角の日の光をそんなふうに邪魔者扱いする気持ちが「邪魔」なのかもしれない。たまにはお日様に照らされてお昼寝してみたっていいしゃないか。「寝る子は育つ」とよく聞く言葉。大目に見てよ。ねっ、先生。
(茨木市立西陵中学校卒業生)
高  谷  小 百 合
思い出は黄色く染まり散ってゆく銀杏並木の下を歩めば(無法松)イチョウの葉の黄色は、とてもきれいで大好きです。でも散っていくのを見ると淋しい感じがします。思い出は楽しいことや、いやだったことなどたくさんあります。でも積み重なると忘れていくのかな、と思います。これから、いい思い出をたくさん作っていけたらいいなと思います。 (茨木市立西陵中学校卒業生)
森       晶   子
柿の実のあまた広がる空の青吸いこまれつつ独りなるべし(無法松)幼い頃の祖父の柿畑の光景を思い出しました。小さい私には柿の木はそびえ立つ巨人の存在で、実の隙間からのぞく真っ青な空はどこか不思議の国への入り口のような気がするほど美しく、空想の世界で遊んだことがよくありました。枝の剪定をしたり柿の実をとったりする祖父の手伝いをしたときの独特の感覚。孤独とも言えないけれどまるで世界に独り置き去りにされたような怖さがあった広い柿畑。それは自然に対する尊敬や感謝の気持ちにも通じるものであったかもしれません。昔に帰って祖父に会えたらな、と懐かしさと苦しさでいっぱいになりました。 
(茨木市立西陵中学校卒業生)
佐 々 木  真 里 奈
筋雲の高く渡りて人は吸い寄せられるごと空をみている(無法松)広い青空に鮮明な白い雲。その景色が頭に浮かんで清々しい気持ちになります。受験生活の中でその気晴らしの一つが景色を見ることです。私にも忘れられない景色があります。それは、夕日が沈む頃、広い田んぼがオレンジに輝いて、地平線が押し寄せてきたように見えたことです。私も作者のように景色に吸い寄せられた一瞬です。霜月の朝の布団の温かく幸せと思うささやかなれど 寒い冬はおきるのがつらくて、この歌にすごく共感しました。布団の温かさはとても小さな幸せだけど、どんな小さな幸せも見逃さず、たくさん感じることの出来る人生でありますように。
教室に深く斜めに射してくる日よ健やかに生徒を照らせ これを読んだ時、心に何かあたたかいものを感じました。中でも「健やかに照らせ」という言葉がとても素敵です。生徒が健やかに育つようにと願ってくれている先生の温かい心が伝わってきて感動しました。もうすぐ卒業です。見守ってくれた先生ありがとうございました。 (茨木市立西中学校卒業生)
浜   松    紗   奈
懐メロを聴けば母まだ若き頃思い出されて胸熱くなる(無法松) これは本当に凄いと思います。今のおばさま方や私の母は、鼻歌でピンクレディーの歌を歌う。懐かしいメロディーを聴くだけでね何十年経った今でも歌詞が出てくる。今みたいにどんどん歌が売り出されるならば、このような現象は起こらないのだろうが、歌が作られ売り出し始めた頃なら、自分の好きな曲、一曲だけ大事に大事に心にしまっておけるんだと私は思います。私にも心に残しておける懐かしのメロディーを探したいと思います。年越えるただそれだけの歓びを伝えんあと幾たび言えるのか まだまだ私には早いよ、とか思っている私に降り掛かるのは子供殺害の事件。無関係な子供をどうして殺さなきゃいけないのか。私は犯人が許せません。たとえ全然顔を知らなくて話をしたことが一度もなくても、私は許せません。だって、人はみな同じなのだから。同じ人で、自分と同じつくりの人間。その人間同士に争いがあるなんて考えられない。いつでも平和で仲の良い世界を私は望んでいます。   (茨木市立西中学校三年生) 三   村    文   恵
イチョウの葉色づき我もいつ散るか分からぬままに今日も暮れゆく(無法松)いろいろな歌があったけど、この歌がまず一番に目に止まりました。いつ死ぬかわからない自分の人生が死へ向かっていく。こんなこと聞いたら怖いけど、この歌は《強く生きていけ》と私に訴えているようで、凄く身に沁みました。最近は、簡単に「死ね!」とか言う人がいるけれど、たった一度しかない自分たちの人生に、そんなことを言っているなんて、何だか恥ずかしいことだな、と思いました。イチョウの葉が色づくように、自分の人生も光り輝いていて、そして、その人生を満足して散っていきたいです。 (茨木市立西中学校三年生)
藤   田   美 千 子
人一人憎むを心の支えとし生きることあり悲しけれども(無法松)人を憎みながら生きている‥‥この歌を読んだ時、少しぞっとしました。確かに愛する人を失ったり、傷つけられたりしたら、加害者の人を憎んだり、恨んだりすると思います。けれど、憎悪からは何も良いことは起こらないと思います。加害者の人を憎むのではなく、被害者の人との思い出や時間を大切にするべきだと私は思います。そして、憎悪の心の支えじゃなくて、もつと人生に希望を持って生きていけたらいいと思うし、もし、私の周りにそんなことがあったら、そう思えたらいいなぁー、と思います。
(茨木市立西中学校三年生)
                中  野   泰  輔
山に入りオナモミ付けて帰り来る少年時代は今はもうなし(無法松)今まで友達と、もしくは自分一人で山に入った経験が僕には全くありません。それどころか外で遊ぶのが普通だったのも小学校の低学年まででした。しかし、三十年くらい前は、外で遊んでばかりだったと聞きます。それは一体なぜなのでしょうか。それは、多分、人間が自然に対する親しみを失ったことにあるのではないでしょうか。つまり、自然に対する親しみを失ったことにより、自然が減り、それで子供は遊ぶ場所を失い家の中で遊ぶようになった。すると、子供達は自然に対する親しみがなくなり、そのことが子孫に引き継がれ、どんどん悪化していくのだと思う。でも、昔は、自然に対する親しみがあった。山に入り、虫を捕まえたり、いろいろなことが出来た。そして、それにより新たな発見があり、自然に対する親しみが増してくる。それが子孫に引き継がれると、自然に対する親しみはとてつもなく大きなものとなると思います。この一首には今の社会に対する風刺のようなものが僕には感じられます。だから、この悪循環を食い止めるためにも、僕は周りの自然を愛していきたいです。また、人間が「デジタル」の眠りから目覚め、自然に対する親しみを取り戻せたらいいと思います。
              多 比 良   美   有
アスファルト裂け目に群れるオオバコの花茎は常に上向きに咲く
(惜一期)どんなに堅くて冷たい場所からでも、力強く生えているオオバコは凄いと思いました。私は、オオバコのような小さな花でも、ある人にとっては、大きな存在になるんじゃないのかなぁ、と思いました。私は、嫌なことがあっても、いつまでも下を向いて入るんじゃなくて、オオバコのように、常に上を向いて生きたいと思いました。
                山  崎   響  子
寝て見える所に母の写真ありなあ母さんと言いつつ過ごす(夜汽車)お母さんは自分のすぐそばにいないが、写真の中のお母さんはすぐ近くにいる。というのが、少し悲しくて、逆にいいところだと思う。本物のお母さんがいなくて、写真というのは虚しいけど、その誰かが、そのお母さんに語りかけている。その人は、お母さんのことが好きなんだなぁー、と思いました。この一首を見て、自分も親に感謝しないといけないし、少し悲しく、でも、温かみのある歌だなぁと思い、この一首を選びました。
                藤  原   実  穂
グランドが全てスケート場になる網走二中思いて滑る(無法松)
グランドがスケート場になるなんてびっくりしました。毎日学校に行けばスケートが出来て、トリノオリンピックで荒川静香さんが金メダルを取ってから、スケート人気が上昇している今では、身近にスケートが出来る環境がうらやましいと思います。でも、一方では、グランドがスケート場に出来るほど、寒さが厳しいということなんですね。私は網走の寒さが実感出来ませんが、厳しい環境であっても、その環境を楽しむ工夫が必要で、私もいろんな場面で楽しめるようにしたいと思いました。
                永  代   陽  子
思い出は黄色く染まり散ってゆく銀杏並木の下を歩めば(無法松)思い出はふと気がつくと、忘れかけているような時があります。そのころは思い悩んでいたり、怒ったり、笑ったり、泣いたり‥‥。でも、今思うと、そんな思い出は笑って友達と話せるようなことばかりです。今、たくさんの思い出を作るのもいいけど、過去の思い出を振り返り、そのことを家族や友達と話すこともいいな、と思うような一首でした。
                中  島   麻  衣
山に入りオナモミ付けて帰り来る少年時代は今はもうなし(無法松)昔はたくさんあった自然が、人の手によって壊された、というようなことを表している歌だと思います。昔は山で遊んだり出来たのに、今は出来ない寂しさみたいなものも感じられる。自然を大切にしない人が今はたくさんいるので、、そういう人にこの歌を読んでもらって自然のことを考えてもらいたいし、自分もそういうことをちゃんと考えられるような人間になりたいと思います。
                珍   坂      舞
謝っておいてやろうとこの頃は余裕楽しむ心となりぬ(無法松)
 今の私は、誰かと意見が食い違ってしまって言い合いになってしまったとしても、謝っておいてやろうというような心の余裕がありません。相手より一歩大人になると、凄い喧嘩にならずに、お互い傷が付きません。私はすぐにムキになるので、これはやめようと思います。これからは、自分の意見も言いながら余裕を楽しみたいです。
                 小  野   開  登
逆境も何くそ負けてなるものかそんな自分が頼もしくなる(惜一期)スポーツをやっている自分にとって、「負けてなるものか」という強い気持ちが一番大切だという事を、この歌を読んで改めて気付きました。その強い思いを持って、自分が頼もしくなることができればいいな、と思います。
                 玉  谷   純  基
ありがとうありがとうと二度言いし田中榮の最期となりぬ
他人の家なれども赤き薔薇あまた咲けば嬉しくなりて過ぎゆく
(惜一期)この号の題名がとてもよかったし、歌も気に入ったものが多く、この二首を取り上げた。読んでいたら何か温かい気持ちになれた気がした。全部読んだけど、どれもいいしなぁ、と思って迷ったが、この二つの歌にした。この二つの歌がいいと思った。 

◆落ち着かず万事が中途半端な時期が続いた。せめて歌だけでもと思うのだがうまく出来ない。職場でも大きな出来事も事故といわれるものもなく平穏なのに心満足な心境にない。目の前で季節の推移だけが淡々とあり、桜の季節も過ぎてしまった。緑一色となった桜は風に耀うばかり。僕もまた流氷記の号を重ねなければならないと思う。田中栄、本田重一の二つの死を抱えながら、どちらにも声を掛けられぬもどかしさを感じながら創作する閉塞感はたまらぬものだ。◆本田さんの弟さん春一さんの助けで本田さんの歌を一部集めることが出来た。命日の八月九日までに、この流氷記と同じ形の冊子にまとめる予定である。本田さんの歌を読んでみて、流氷記の基盤になっているなとつくづく思っている。

編集後記
何とか春のうちに刊行しようと思ったがもう初夏の日差しである。さらに紙を注文するのを忘れて発行も遅れそう。それでも夏に入る前に送れると思う。これからすぐに本田重一歌集の編集にかかりたい。桜一木の一葉一葉や花びらの一つ一つが人一人の命の営みではないかと此の頃強く思う。桜の花が散っても桜の命が滅びないように人の大きな命の木があるのではないか。これからも流氷記はこんなことを考えながら進んでいくと思う。母や田中栄、本田重一と心の会話を重ねながら生きていくのだろう。自ずと次の号の課題も見えてきそうな気がするから。