流氷記49号 思案夏 掲載一首評
中 村 桂 子
見るたびに母の機嫌の変わりいる遺影は部屋の片隅にあり(桜一木)お母様を亡くされてから、より一層、人に対しても自然に対しても優しくなられたと同時に、寂しさを感じている歌が見受けられるようになった気がします。生きものは魅力的なものですが、死があるのがやはり厳しいですね。
お母様が、生きていらっしゃる時の様子が想い出されるようで、ちょっとホッとしました。でも、やはり寂しいですね。
(科学者。JT生命誌研究館長)
和 田 吾 朗
流氷記一枚一枚折りてゆく気の遠くまた楽しい作業(桜一木) この「流氷記」を受け取るたびに思うことは、こんなに小さな本を手作業で綴るのはとても指先の器用な方なのだろうと想像する。一時に何冊を作られるのだろうか。中央のホッチキスの位置が少しでもずれると、前半か後半かどちらかがめくれなくなるのだ。この作者は、送った先方でそのようなことが起こっていると気付いているのだろうか。それからもう一つ気になるのは、この小本を六十円で送ることができる不思議。今この私が書いている短い文章を送るには八十円を要する。この紙をはがきの大きさに切ってはがきに貼り付けると五十円ですむのだ。
(俳人。奈良女子大学名誉教授)
島 田 陽 子
淀川へ注ぐことなく安威川はひたすら海へ海へと向かう(桜一木)あ、そうなんだ、と思いました。大阪府の川だからといって淀川、大和川にすべてが注ぐとは限らない。それでも海へ海へとひたすら向かっているところに、いさぎよさのようなものを感じるのは、作者の自負のせいでしょうか。「簡単に認められなどするものかこの自負持って生きて来しかな」と呼応するわけで、そのことに快感を抱いてしまう読者の意地もまた、類は類を呼ぶたぐいかもしれません。
(詩 人)
畑 中 圭 一
我は人なれば分からずけだものの怖れるヒトの匂いして生く(桜一木)「‥‥分からず」というのは、ヒトの匂いが「分からない」ということであろう。しかし、そういう匂いを発し、獣たちに怖れられているヒトという存在のことは「分かっている」のである。すなわち、作者は一であることを超えて、より高いところからヒトを見ている。そのヒトは地球の支配者たらんとして多くの動物たちを殺し、あるいは家畜化してきた。それが動物たちを怖れさせている。しかもその恐怖は地球の絶滅に対する怖れでもある。哺乳類霊長目の「ヒト」を見つめるこの歌には、人間と動物との共生を念ずる作者の確固とした思想がある。
(詩 人。児童文学者)
三 浦 光 世
見る度に母の機嫌の変わりいる遺影は部屋の片隅にあり(桜一木)写真の表情が変わることは、物理的にはあり得ないはずだが、見る者のその時の感情によって、あり得ることを、私も幾度か体験している。故にこの作品への共感は少なくない。
それはともかく実によくまとめた作品である。端的に詠んだ上句、それに対応する下句、共に字余り全くなくすっきりしている。特に下句に言い難い感情移入を感じさせられる。
自転車に今日は手袋無しで乗る二月末日紅梅匂う
この一首の季節感、生活描写も見事である。
(三浦綾子文学記念館館長)
も り ・ け ん
温かく優しき言葉かけてくる生徒に今日は救われている(桜一木)疲れが見え隠れする一首。正に同感である時が最近多い自分にハッとしました。昨年より詩作の他に女子大学で教えるという業を始めた私にとって、この一首の思いが救いでもあります。冷たく厳しき言葉に救われるという時もないではないのですが、人間の弱さとでも申しましょうか。ついつい温かく優しき方へと行ってしまいます。どちらも与えられた試練と甘んじて受けましょう。先生とご一緒に。
(詩人・ハーモニカ奏者)
川 口 玄
桜花散りつつ青葉出でてくる絶妙な色合いというべし(桜一木)
この五月初旬(八日)、樹齢四百年余という荘川桜を見に行ったが、折りよく満開、散りはじめ、小さな一枝だけが美しい黄緑色の若葉が出ていて。この歌のように印象的であった。荘川桜は、四十数年前、ダムに沈む名木〈二本〉をときの電源開発局総裁、高碕達之助が、桜作りで有名だった笹部新太郎に依頼して、植え替えに成功したもの。昭和五十年に、晩年の笹部新太郎氏に直接、植え替えの苦心談を取材したことを思い出した。
(『大阪春秋』元編集長)
神 野 茂 樹
あでやかなこれが最後の桜かも我かも知れず人かも知れず(桜一木)いくつか○印をつける。いずれも心情を詠んだものばかり。小生はいささか美的感覚に劣るのか。紅梅もオリオンもイヌノフグリにもあまり興を持たぬ。無粋者なのか「卒業という文字幾つ重ね来て熟さぬままに我独りいる」「兼好も芭蕉も身近になりて老ゆまだ人の世も悟らぬままに」など。ところが選んだ一首は桜の歌。しかしこれとて心情を詠んだ歌でもある。世は無常ということを体験すると、「これが最後の」が琴線に触れた。直裁で無粋な表現だが小生にはそれが良い。(『大阪春秋』編集長)
リカルドオサムウエキ
人一人憎むを心の支えとし生きることあり悲しけれども(無法松)この歌がじいんと心の奥深く染み込んできました。眼の奥熱うしながら。私は両親を大坂空襲で殺されましたさかい、その恨みを昭和天皇いう優柔不断な男のせいや思いつづけてきましたけど、おそらく棺桶に入るまでなくならへんやろ思います。それが「花の碑」や「蜆川」いう小説になっています。
鈴 木 悠 斎
淘汰され絶滅してゆく種のひとつヒトは地球に嫌われながら(桜一木)そう、ヒトは地球最大の嫌われ者でしょう。確かに長い間地球を蝕んできたのですから。特に十八世紀以来ヒトは文明のなのもと、便利、快適のために地球を汚し、壊し続けています。その親玉がアメリカです。しかしその嫌われ者は世界の風潮を無視して、一向に地球いじめ、環境破壊をやめそうにありません。人類の進歩のため、自由のためと称して戦争、人殺しを繰り返しています。まるで「地球よりも自由が大事」「命よりも金が大事」と言うように。そしてアメリカは言うでしょう。「たとえ人類は亡んでも自由は守る」と。そして小泉さんも言うでしょう。「右に同じ。アメリカさんの言うとおり」と。かくして「ブタに真珠」ならぬ「ブタと心中」の道行きとなるのであります。川添氏の大予言はノストラダムスより確かな予感がします。(書 家)
佐 藤 昌 明
早朝の一番鳥は雀にてペチャクチャ人の噂するらし(桜一木)
今年の冬、北海道は雀の集団死があちこちであった。原因不明だが何十羽もがかたまって死んでいた。気味の悪い現象である。我が家の裏のHさん宅の屋根には、毎年雀の夫婦がやってきて子を育てるのだが今年は来ないのではないかと心配させられた。夫婦の雀は朝早くから巣作りして卵を産み、もう孵るという時期、Hさん宅で屋根の工事が始まり、鉄骨が家の周りに組み立てられた。雀の子がどうなるか私達は心配。しかし、大工の棟梁は段ボールで巣箱を作って鉄骨に結びヒナを入れてやったらしく、雀の夫婦は人に臆せずエサを運び、ついに巣立ちさせた。嬉しい出来事だった。いつも窓からのぞいて心配していた私達の噂を、彼らはペチャクチャしていたはずである。 (作 家)
弦 巻 宏 史
二月晴れいつもは通らぬ道を行くマンサクの花耀うところ(桜一木)日を追って道々や庭々に花が咲いていく。それらを期待して道を選んで歩く。そんな日々を過ごしていけるのも大きな幸せのひとつだ。コンクリートの壁やけばけばしい看板(広告)を目にせざるを得ない毎日の中で、花木を育てて人々の心根の優しさに出会えて生きるはずみを頂くのだ。「イナバウワーまだ肌寒く吹く風に輝きながら猫柳咲く」思わずニンマリ。「早朝の一番鳥は雀にてペチャクチャ人の噂するらし」姦しく楽しい。「睾丸をぶらぶら犬も渡りゆく西河原橋安威川またぐ」これもまた威風(?)堂々。 (網走二中元教諭)
小 川 輝 道
卒業という文字幾つ重ね来て熟さぬままに我独りいる(桜一木)
年々歳々、子らの卒業に立ち合い送り出す教師のはたらきは、重要な区切りとなり子らは巣立っていく。ゆるがせにできない成長のための階梯だ。その教師が熟さぬままに独り歩んでいることに気付くことは、己れを見つめ内省を深める姿として共感を強くする。同じような感懐は「兼好も芭蕉も身近になりて老ゆまだ人の世も悟らぬままに」にある。「清貧の思想」を記し死を迎えた中野孝次氏を想った。「イナバウワーまだ肌寒く吹く風に輝きながら猫柳咲く」トリノを飾った美しい演技に早春を呼ぶ猫柳を重ねて、感覚の新しさと軽妙さが印象的であった。(網走二中元教諭)
井 上 冨 美 子
感動の心が徐々に失せてゆく人にまみれて日々過ごしつつ(桜一木) この歌のように、生きてきた道のりと反比例するかのように、日々の暮らしの中で「感動の心」が少なくなってきているのは事実です。先日、ある茶席で、花入に薄紫のシラネアカイと可愛い莟をつけたヤマブキが、朝露を受けたような姿でそっと入れてあり、私はとっても清々しい感動を覚え帰路につきました。まだまだ大丈夫!自分の心の持ち方ひとつで、無感動一直線の進行をくい止めることが出来ることに気付き少し安心しました。もうすぐ二歳と四歳になる孫のように、些細なことにも大きな喜びや感動を表している姿に学び、これからも良い刺激を受けながら年を重ねていきたいものと思っております。「地に低くタンポポ群れる休耕田人の愚かな世と言うべきか」「卒業という文字幾つ重ね来て熟さぬままに我独りいる」この二首も心に重く響きました。 (網走二中元教諭)
井 上 芳 枝
唐突に道に転がる赤椿妙に明るく心に残る(桜一木)木偏に春と書くツバキ。立春を迎えると、私はツバキを連想します。なかでも早春の光を浴びて咲く真っ赤なヤブツバキが大好きです。道に転がっている赤椿は、風に運ばれてきたのでしょうか。赤い花びらは、黄色の花粉や、つやのある濃い緑の葉に映えて何ともいえない華麗さが目に浮かび、心に残る歌です。
(中学校時代恩師)
長 岡 千 尋
明石大橋下暗き影浮かぶ幾多の死者の心あるがに(桜一木)わたしは南四国を郷里とする者だから、この大橋を何度渡ったか記憶にないくらい渡った。―「ともしびの明石大橋渡るとき父の面輪(おもわ)に似し秋の雲逝く」これはわたしの歌であるが、あの巨大で美しい橋も、死者の記憶に重なってゐるのである。川添さんの作品は、そんなわたしのやうな個人の記憶につながってゐるものではなく、太古からの人間の生きの緒(を)にふかい慟哭の詩情を寄せたものであろう。言ふまでもない、あの人麻呂の嘆き、この海峡を通過した、いくたの古人の嘆きを直感してゐるのだらう。 (歌人。談山神社神主)
里 見 純 世
流氷が接岸している報を聞き白梅光る坂下りゆく(桜一木)
お忙しい中を、休まずに作歌されている姿勢に敬意を表しています。本田重一さんの歌集を編まれるとか、誠にご苦労さまです。右の一首の外にも、さりげなく詠まれてながら小生の心に残る歌を拾い上げてみました。
こんなにも緑あふれる廻りかと気付く桜の下のタンポポ
自転車に今日は手袋無しで乗る二月末日紅梅匂う
温かく優しき言葉かけてくる生徒に今日は救われている
(歌 人)
葛 西 操
散る時を待つ花びらの心もて今日も生くべし春逝かんとす(桜一木)今年、九十六歳になっても色々思い出しております。若い頃から歌心はありましたが、終戦引き揚げ、主人の招集と、色々重なり、四人の子の教育に本当に苦労しましたが、お陰様で主人亡き後も、皆大事にしてくれますので、安心して生活をしておりますが、先生からお歌のお便りがある度に、もっと早く先生にお会い出来なかったことがとても残念に思っております。このお歌は現在の私の心境です。詩人(サムエル・ウルマン)は「人は歳を重ねるだけでは老いない。老いるときは夢を失ったときだ。」と言います。私も元気を出して一日一日を大切に元気を出して生きていこうと思っております。先生もお元気でお過ごし下さいませ。
(歌 人。北見市在)
米 満 英 男
人の世に受け入れられぬ名前にてイヌノフグリは宇宙のごとし(桜一木)何とも言えず面白い作品です。ゴマノハグサ科の二年草で、「犬の陰嚢」に似ているところからの名付けだそうです。植物のネーミングには随分変わったのがありますが、「イヌノフグリ」は傑作だと思います。因みに別に江戸時代から伝えられて来たものに「ママコノシリヌグイ」というタデ科の草があります。昔のこととて、上等の和紙を使うのは勿体ないので、道端のその草 を引き抜いて、それでママコの尻を荒っぽく拭うのですが、そのトゲが痛くてヒーヒー泣くそうです。正にイジメそのものです。結句の「宇宙のごとし」の締めが見事です。(歌 人)
萩 岡 良 博
今日一日上を向くことなかりしか筋雲染めて秋の夕暮れ(桜一木)人の営みと自然の営みの対照。人のかなしさと自然の美しさを詠み込んで鎮まる一首。共感を覚えた。しかし、結句の歌語「秋の夕暮れ」が、現代短歌として甦っているかどうかは評価のかわるところであろう。小生は小さな疑問符をつけておく。(歌 人)
前 田 道 夫
紅梅は緑の中に鮮やかに命の刹那輝かせおり(桜一木) 「命の刹那輝かせおり」に注目した。単に命だけではなく「命の刹那」と捉えたところに鋭い感性を感じることができる。刹那とは、極めて短い時間を指す言葉であるが、広辞苑に依れば「一指弾(指で弾く短い時間)の間に六五刹那あるという」とある。この言葉によって、紅梅の花が躍動感を持って迫ってくるように感じることができる。
(歌 人)
三 島 佑 一
一本の桜となりて思考せよ青葉が風にきらきらとして(桜一木)
前向きな姿勢がいい。同じ桜でも満開の桜でない。風に吹かれて一斉に散りゆく桜でもない。散り花いっぱいの無惨な桜でもない。そういう劇的な華やかさの過ぎ去った、人生の花舞台から脱け出たあとの、しかし青葉若葉のこれからと息づく桜の緑に注目して、今自分がどういう時点にいるか、長い歳月の尺度の上から、キラキラ見つめようとする態度。 (文芸評論家。歌 人)
松 永 久 子
牙剥きて威嚇し迫る冬の海帰りて後もしばらく残る(桜一木)冬の海の厳しさを知らずに過ぎて来ましたが、今日院展で丁度この一首を描いたような絵に出会い衝撃を受けました。作者の下句そのままの感慨を知らされた気がして心に残りました。その他「二月晴れいつもは通らぬ道を行くマンサクの花耀うところ」「安威川の堤カラスノエンドウの見ている景色も夕暮れていく」どちらも巧まぬリズム感。後の歌の花から見た夕暮れ、何気ない自然詠にふっ切れた洒脱さが感じられ、とても気に入っています。(歌 人)
三 谷 美 代 子
二三日の違いなれども二月尽紅梅耀よう横過ぎて行く(桜一木)
二三日前にはまだ蕾だった紅梅の花が見事に咲いているのを仰ぎながらその横を通り過ぎてゆく作者。ふっくらと暖かいものが感じられる一首である。白梅でなく「紅梅」が利いているのだろう。 (歌 人)
古 川 裕 夫
カラス二羽三羽塒へ急ぎいる西空燃えて秋の夕暮れ(桜一木)
極めて平凡な歌である。しかし、平凡であるが何か悲しい。西空が夕焼けに赤く染まっている。カラスが赤い西空を更に西の塒へ急いでいる。山も、空も瞬時で暗くなるのを動物も人も直感する。もう帰って今日は休むのだ。季節は秋。秋は悲しい。日が暮れるから更に悲しい。さびしい。カラスの姿は二羽か三羽。泣き合いながら急ぐ。餌をあさる作業は既に終わった。二羽三羽のうちの一羽は少し若いのであろう。さあ帰って行って休もう。あの森の中の木の上で寝よう。明日と云う日がまた来ることを信じて休もう。 (歌 人)
林 一 英
生者とも死者とも対話重ねつつ生かされ生きて今日も暮れゆく(無法松)川添さんは心の熱い歌人である。川添さんの歌はすべてそこから溢れてくる。私などと決定的に違うのはそこである。川添さんが常に求めてやまないのは心から対話が交わせる相手だ。お母上は永遠の対話者。重い病に耐えて生き、先だって相次いで逝った『塔』の歌人、田中栄さん、本田重一さんがまさにそれだった。特に田中さんとの心の交流は長く深かった。人は誰でも他者との交わりなしに生きることはできない。しかし、川添さんを措いて誰がこのように堂々とそれを歌い切ることができるだろうか。これはやはり川添さんならではの歌である。我は人なれば分からずけだものの怖れるヒトの匂いして生く(桜一木)太古、我々の遠い祖先たちは獣の跳梁跋扈する大自然の中にあって、獣たちの襲来におびえて暮らしていた。しかし、今やヒトは逆にけだものの怖れる怖い存在になり果ててしまった。科学文明を手にした我々は、皮肉にもけだものに怖れられるヒトというけだものに化してしまったようだ。「匂い」という語はけだものを暗示する。ヒトというけものの匂いを発散しつつ生きている人間的存在の悲しさ、自らが人であるが故にそれを感知することなく生きている怖さ。初句、二句と結句の照応が見事で、結句が特に生きている。 (歌 人)
小 石 薫
気がつけば夕べ明るく若葉摘みなどない町にも春が来ている(桜一木)「若葉摘み」に注目します。関西で使われる言葉でしょうか。私の周りでは「若菜摘み」とまでは言いませんが、多く「草摘み」を使います。今、どこにあっても四季の風物は一つずつ消えていっていますが、それでも町中といえど、季節を感じるものは残っています。人の服装や表情さえ、春へと向かう季節は冬と違うものを感じます。「気がつけば」はあまり使いたくない言葉ですが、日脚が少しずつ伸びて、春だと感じ始める頃の微妙な気持ちの変化を表す言葉として、この一首の中ではとても生きています。
(歌 人)
甲 田 一 彦
あでやかにこれが最後の桜かも我かも知れず人かも知れず(桜一木)今年の四月も淡墨桜に逢いたくてね根尾の里を訪ねました。歌会の皆さんもご一緒にです。桜の支柱は全面的に更新されて、木の肌のさわやかな丸太が、咲き始めのピンクの花の上の青空に突き出ていて、その清新な風景に、忘我の時間を持ちました。この歌を読んで、作者の気持ちがわがことのように感じ取れました。西行法師の「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけりさやの中山」が浮かんできました。しかし作者はまだまだ若いのですから「最後の桜」はまだまだ先のことにして、勇猛精進されることを。
(歌 人)
塩 谷 い さ む
もしかして自分の生まれ変わりかもそんな気になる数人がいる(桜一木)この世の中には自分によく似た人間が何人かいる、と言われる。戦国時代には武将の多くには影武者が何人かいた。最近ではアメリカのブッシュ大統領とそっくりな人が出てテレビを賑わしていた。ラッシュの時に間違って声をかけたりもする。そして生まれ変わったらあんな人になりたいと思う先輩もいる。でも作者は「自分の生まれ変わりかも」と言っている。信頼の出来る人、自分の遺志を継いでくれる人に後事を託したいのかもしれない。そして部屋に掲げられたお母さんの遺影に「もう一人俺を生んでくれ」とねだっているのかもしれない。 (歌 人)
吉 田 健 一
早朝の一番鳥は雀にてペチャクチャ人の噂するらし(桜一木)
この歌を読んで、ふと頭に浮かんだのは、「雪だるま星のおしゃべりぺちゃくちゃと」という松本たかしの俳句であった。単なる擬人法を超えた、何とも言えぬ詩趣が感じられる句である。ひれと比べて、川添氏の作品は詩趣という点では一籌を輸すると思われるが、まるで人の噂話でもするように鳴き交わしている雀の生態を見事にとらえているように思う。日本中のどこでも見ることの出来る朝の光景をさり気なく詠んだだけなのであるが、ほのぼのとした懐かしさの感じられる作品に仕上がっている。(歌 人)
小 原 千 賀 子
人の世もこれと同じか大椿在りしも小さな更地となりぬ(桜一木)この頃、自分の周りに起こる出来事をしっかり受け止めることができず、私は、現実から逃げるような生活をしている。もっと何かしなくてはいけないことがあるだろう、きちんと考えなくてはと思うけれども、何もできず何も考えられず、時を過ごしている。この歌を読んで、近所にあった椿の木を思い出した。二階建てのアパートの前の空き地にあったが、とても大きくて見事な木だった。しかしあるとき地面近くで伐られてしまっていた。思い出があったので、悲しかった。時間を戻すことはできないのはわかっているが、もう一度見たいなあと思う。「あのころは楽しかったな」と思うことが多くて、過去ばかり追いかけている。
山 本 勉
淘汰され絶滅してゆく種のひとつヒトは地球に嫌われながら(桜一木)この一首に今の地球、殊に日本が抱えている問題が見事に詠い込まれている。地球環境、地球温暖化が更に進めば、動物のみならず人間も淘汰されてゆくことは間違いない。この一首とは少し外れるが、日本の将来に大きな不安を与えている少子化という問題を考えてみた。私の子供の頃は近所に腕白が溢れていたが、日本が裕福になるにつれ、子どもが減ってきている。誰もが中流以上の生活を望み、子育てという大切な責任を放棄してしまった夫婦の身勝手さがあると思う。「貧乏人の子だくさん」という言葉がある。私のきょうだいは九人だし、貧乏なりにみんな立派に育っている。今の日本、至る所で児童が減り、学校が次々に廃校になっている現実を考えると、ヒトみずからが淘汰しているのではないだろうか。日本は近い将来、外国に呑み込まれてしまうのではないかと心配である。
(歌 人)
大 橋 国 子
兼好も芭蕉も身近にありて老ゆまだ人の世も悟らぬままに(桜一木)兼好や芭蕉のように深い世界は得られないけれど、好みの古典も変化しています。熟していない部分はきっと必要なのでしょうが、悟りというものを持てれば、人生は安定した心で乗り切れるかもしれないと思います。夜光虫踊るかたちに人群れて夜の桜は水面のごとし 夜桜の世界は、どうしてああ独特のものなのでしょうか。水面(みなも)という表現がとてもピッタリしました。もしかしたらそこをフワフワと行く人達は夜光虫になっているのかもしれません。人がいてもいなくても、夜桜は妖しげななものと、あの春の景色を思い出しました。 (歌 人)
池 田 裕 子
感動の心が徐々に失せてゆく人にまみれて日々過ごしつつ(桜一木) 咲く花一つにも想いを馳せ野に咲く花の名前まで知り尽くし愛しみ続けていられる先生に戸惑いを感じなど信じられません。加齢と共に失せていく感動の心はどうしようもなく又それと共に怖さも薄れていくようです。ケセラセラ的要素が生まれているのかも知れませんが、顕わにしない心の動きであっても秘めたるものは持ち続けたいとこの頃思います。望む望まざるに関わらず確実に死へと進んでいる今、何事にも感動できる心だけは、しがみついてでも持ち続けたいものです。短歌への挑戦が始まって四年。仲間ができ、幸運にも流氷記にも出会いました。感動の固まりのような先生とお話出来る機会もあり、幸せを感じています。この歌の中の人の中に私共も含まれているのでしょうか。当然ながらショック、大ショックですが、日々の生活が滲み出る一首でした。(歌 人)
藪 下 富 美 子
卒業証書貰いてピンと背を伸ばす生徒の顔の大人めきたる(桜一木)今どきの生徒は注意をすると無視をする。そしてそ知らぬ振りをしたり、汚い言葉を吐く、が、その生徒が一生に一度の中学校の卒業証書を貰って背筋をピンと伸ばし、しかも顔付きまでもがはっきり大人にに見えたと‥‥。いかに日頃から生徒達のことを心配したり、共に苦労されているかということが、この歌を読んで分かります。生徒達も自然にこのような態度が取れるのですから、この先今まで苦労をかけた先生に少しずつでも嬉しい報告が出来ればいいのにとつくづく感じさせられる一首でした。 (歌 人)
高 田 禎 三
温かく優しき言葉かけてくる生徒に今日は救われている(桜一木)私の教員時代にもこういう日が何日かあったことにまず共感しました。授業がうまくいかなかったり、生徒との関係がうまくいかず落ち込んでいた時、生徒から声をかけられたことがきっかけとなり何とか立ち直ったことが何度かありました。客観的に考えれば温かくも優しくもない普通の言葉かけなのですが、妙に心が安らぎ、また頑張ろうと思い返しました。そんな苦しくもがいていた昔の教員時代を懐かしく思い起こしてくれた一首でした。
山 川 順 子
散る時を待つ花びらの心もて今日も生くべし春逝かんとす(桜一木)桜が咲く頃、二年続けて病室の父の許へと通った。いつ咲くのかなと思いつつ気付いたら散っていた。冬の寒さに耐え、やっと咲いたであろう花なのに。明日という日が来る保証のない世の中なのに。でも、来年こそは笑顔で信じたい。 (札幌市在)
中 島 タ ネ
あでやかなこれが最後の桜かも我かも知れず人かも知れず(桜一木)桜は年に一回美しく咲いて潔く散っていくさまはこの世を惜しむかに見えて、その姿は人生の終わりに似た感じが致します。こちらに移り住んで毎年のように大切な友達が亡くなり四年が過ぎました。福岡城趾に桜を見に行き、花びらの舞い散る下で弁当を頂きながら、この大木は幾百年位前、あの戦乱の時代から四季折々に移りゆく世を古城に佇み、何を考え思ってきたのか、聞いてみたい気持ちにさせられます。人はみないつか亡くなる。自分もあれから今年初めて、趣味の教室の皆様と花見に行き、あの頃が想い出され、桜は見る人々に色々な喜び悲しみ想い出を与えてくれる美しい花だと思いました。
(福岡市在)
瀬 尾 睦 子
買い物の小さな喜び見つけいて父の明細細かくなりぬ(無法松)
私も主人が亡くなり一人暮らしです。主人がいる時はいつも車に乗せて貰っていました。感謝の気持ちでいっぱいでした。父上様の気持ちが痛いほどわかります。私もこれから頑張って生きていきます。 (母の友人)
森 佳 子
卒業という文字幾つ重ね来て熟さぬままに我独りいる(桜一木)
卒業式という節目に立ち会うたびに、自らを振り返って思うことを歌の形で手渡されたような気がしました。夜光虫踊るかたちに人群れて夜の桜は水面のごとし
初めに読んだとき、淋しい歌だと思ったのですが、気になって繰り返し読むうちに、ざわざわとした人声が川の音にも聞こえて、ふと見上げた夜空に白く浮かぶ桜の花に胸迫る思いをしたことを想い出し、ただ、好きだなぁと、この歌をもう一つ選びたいと思いました。(西中学校保護者)
平 岡 勇 作
簡単に認められなどするものかこの自負持って生きて来しかな(桜一木)誰しもが他人から認められたいと思って活躍するものです。故に自分一人だけが認められる等有り得ないことなのであります。そんな各々が自分自身を主張し合う世界の中で認められるには、己の力を誇りに思って歩む事が必要なのです。一際わたしの心に残った一句でした。ただ共感するのみです。
(茨木市立西陵中学校卒業生)
吉 田 圭 甫
緊張の中にほどけていく部分持ちて生徒は受験期に入る(無法松)夏の暑い日から私は、受験の辛さを感じていたものの、本当の辛さであるプレッシャーや悔しさを感じる受験期を迎えたのは、この歌の通り、梅のつぼみの出来る一月でした。ここまで来ると、友と分かち合いながら、試練に向かっていき、緊張が高まっていくものです。そして、桜の花が満開になった時、卒業し、受験結果を聞き、中学校生活の楽しさを感じると、ともに新しい学校への期待が四月の中旬に満開をむかえる山吹のつぼみのように膨らんでいくのです。今は、関西大倉高等学校で勉学に励み、家を少し早く出ると、茨木西中学校の可愛らしい生徒と話しながら、自転車で登校している、落ち着かず万事が中途半端な時期が続いたとは思えない、元気な懐かしの川添先生を一目見ることができます。
(茨木市立西陵中学校卒業生)
大 西 美 帆
青空に映えて白梅耀けば寒さも少し緩む気がする(桜一木)
寒い日の青空に白梅が耀いてみえる‥‥そんな真っ白な梅の花を見たら、私も春が待ち遠しくなって、少し寒くなくなったような気がすると思います。冬には、少し寂しいような悲しいような気持ちになるけど、白い梅の花などを見ると、もうすぐ春なんだな!と明るい気持ちになれます。この歌にはすごく共感出来て、とてもいい歌だなぁ‥‥と思いました。(西中学校三年生)
山 川 悠 貴
もしかして自分の生まれ変わりかもそんな気になる幾人がいる(桜一木)自分に少しでも似ている人がいたら、ついそう思う時もあるかもしれません。でも、自分と全く同じ感性の人は絶対にいません。住んでいる環境が違ったり、親の性格が違ったり、 そういうことが影響して、自分の性格が構成されていき個性ができあがります。なので、似ているなあと思う人がいたなら、その人と同じような環境で生まれ育ってきたということになると思います。だから双子は互いに意思疎通ができる!とかいわれるんでしょうか。生まれ変わりかも…とまで言わせるような人に会ってみたいような気もしないではありませんが、似すぎているというのも気持ち悪いかもしれません。簡単に認められなどするものかこの自負持って生きて来しかな向上心あふれる歌だと思います。目標はいつも上を目指して立てるべきものです。認められるだけで緊張の糸をゆるませていては、それ以上の進歩は望めない。頭の中で分かってはいるものの、どうしても油断してしまう心はあると思います。油断する自分の心にくじけないで、更に奮起して頑張る…。これはテスト前の心境に似ていると思います。努力はいくらしても損はないです。それは、歌作りにもテストにも、他のあらゆることにも共通して言えると思います。
馬 場 梨 江
「花びらはゴミとなりつつ桜散る瞬時瞬時が目に浮かびおり」春になると桜が咲きます。その桜の木は、2つの綺麗所があります。それは、綺麗に咲いてる時と、舞い散る時です。私的には、舞い散る桜を見ている時のほうが、とても、綺麗だと感じます。舞い散った後の桜の木も、いいなぁと感じる人もいると思います。
小 野 開 登
複雑なDNA組み合わせつつ世に生き物としてある不思議(桜一木)生物というのは不思議です。DNAというものは、僕自身全然わかりませんが、科学がどんどん発達して、DNAについていろいろなことが判ってきたというのは知っています。しかし、どんな複雑なDNAのことを理解しても、「世に生き物としてある不思議」は判らないと思います。そもそも不思議という言葉には「どう考えても判らないこと」という意味があります。その「どう考えてもわからない」不思議をその人なりに分かるようにしようと努力するのが、人間の義務なのではないでしょうか。この歌を読んでそんなことを思いました。
(茨木西中学校二年生)
石 丸 雄 一
淘汰され絶滅してゆく種のひとつヒトは地球に嫌われながら(桜一木)ヒトは地球によって生み出されたものの、現在多くの人々がその地球に対する感謝の気持ちを忘れているように見えます。地球上で現在最も栄えて生物であるヒトは、ひのままではこの歌の通り絶滅し、地球の歴史の汚点として残るだけのように地球を労っていない人々に向けての警告のような歌にも見えました。つまり、この歌を見て未来を知るのではなく、未来を変えてほしいのだと思います。自分はこの歌から、人々の絶望ではなく、再生への意欲が見えたような気がしました。 (西中学校二年生)
森 葉 月
母の死の式より悲しいものはなく卒業式にも淡々といる(桜一木)今までたくさんの人の死を見てきたけれど、一番そばで見守ってくれている母の死は何よりも悲しいことだと、この一首を読んで改めて痛感しました。前に私は、もし明日母が亡くなってしまったら……と考えたことがありました。そうなると、今まで母がやってくれていた家事など、全てが自分の負担になると思うととてもぞっとしました。家事だけならともかく、いつも相談や愚痴を聞いてくれる人、その母を失うということはやはり考えられません。それなのに私は今まで暴言を吐いたりしてきました。この一首で、母の存在はとても大切だと実感し、母を振り返ることができたので、これからは、そんな母を大事にし、敬いたいと思います。 (西中学校二年生)
井 野 辺 優 香
雨に濡れ桜花びら付けて行く車も一期一会のひとつ(桜一木)
今日見た車、昨日見た車、出会った車達にもう一生会えないのかもしれない。こんな所にも出会いがあったというところに驚いた。桜花びらをつけて行く車とももう二度と会えないと思う。出会いがあるから別れがある。そう考えると少し悲しくなった。友達との出会いも大切な一期一会だと思う。今出会った友達ともいつか別れが来てしまう…。だから一日一日を大切にしないといけない。これからは、出会った人や物を忘れずに大事にしたいと思いました。 (西中学校二年生)
中 井 友 紀 子
母の死の式より悲しいものはなく卒業式にも淡々といる(桜一木)やっぱり一番身近だった人が亡くなった悲しみは大きいと思います。私も母が死ぬのは嫌です。それに比べて卒業式は、逆に嬉しいです。なぜなら、その時の嫌だったことがなくなったような気分になるからです。(人によっては失礼な意味になってしまうけど)卒業式は何も考えずに椅子に座っていました。(奨学生の頃)勿論、合唱の時はしっかり声を出しました。でも、やっぱり葬式になると、淋しい気分になります。二度とその人と会うことが出来なくなるのですから。
(西中学校二年生)
山 崎 響 子
道ばたにゲンノショウコの赤き花揺れるを見れば安らぎにけり(惜一期)いつも歩いている道路の花は見ないことが多いのですが、他の人にとっては大きな大きな存在になるのだと思います。感性の豊かな人は道に生えているタンポポを見て感動の涙を流すのかもしれません。ある人にとってはただの雑草にしか見えないかもしれません。この歌に出てきている人は、心の豊かな人だけと思いました。私も感性の豊かな人間になりたいし、そういう人が増えるといいなぁと思いました。温かく優しき言葉かけてくる生徒に今日は救われている(桜一木)この歌を読んで一番最初に、いつも教室で一人ポツンといる子に、ある女の子が話しかけてあげていた場面を想像してしまいました。例えばこういう場面に私がいたら、とっても嬉しいし、また明日も学校に来たいなと思うことができると思います。こういうのを救われているっていうんだと思いました。そして毎日話すようになって、ふと気付いた時、自分を支え励ましてくれた友達が隣にいるのです。その時、本当の友達というのが実感できると思います。だから私も、近くにいる一人一人の友達を大事にしようと思いました。
珍 坂 舞
もしかして自分の生まれ変わりかもそんな気になる幾人かいる(桜一木)性格や姿などが自分のよく似ていて「生まれ変わりかも」と思うことがときどきあります。けれどよく考えてみると、自分と何もかも同じ人は絶対にいません。他の人と違うことを気にする私はおかしいなぁと思いました。世界にはたくさんの人がいるのに誰一人同じ人がいないのもある意味すごいなぁと思いました。
多 比 良 美 有
自転車で追い越す登校時の生徒卒業式まであと数日か(桜一木)
私たちもこの夏休みが終わったら、中学校生活の半分が終わったことになります。三年生になると受験などもあるし心配です。一年半後の自分が今年卒業していかれた先輩達のようであってほしいです。残りの短い期間、どんなことにも負けずに、必ず後悔をしないように頑張りたいと思いました。
和 田 ひ と み
こんなにも緑あふれる廻りかと気付く桜の下のタンポポ(桜一木)幼いころから、根を地下深くにしっかりとはって、堂々と生きているタンポポが好きでした。そのタンポポを見る度に、とても元気がもらえ、勇気も湧いてきました。中学一年生の時、理科の授業で生物についてやっていて、タンポポを根っこから採取しました。すると、タンポポは根っこが長いということは、知ってはいたものの、私のとった根っこは何と一ロもあって、本当にびっくりしました。そのタンポポを見たとき、そこから強い生命力を感じ、「どんなことがあっても」、前を向いて生きていこう!」と思いました。あの時のタンポポには感謝しています。
中 部 主 貴
まだ若き君らは羽が生えているテストに頭働かせつつ(桜一木)
毎日、学校の勉強、部活、テストで一日が終わってしまう僕の生活。でも、この一首を読むと何か別のものが見えてきたような気がしました。テストやその他いろいろなことで頭を働かせ、ただそれ以外何もないように生活しているが、実は僕らはいろいろな可能性を秘めた未来へ向かっていける羽を持っているのだ。なんだかワクワクしてきます。だからといって輝かしい未来ばかり夢見てばかりいたらいけません。僕らに羽があっても、その羽を動かすエネルギー、すなわち学校の勉強などがないといけません。僕は僕らの持っている羽を目一杯使うためにこれから学校の勉強などを頑張っていこうと思いました。
中 野 泰 輔
次々に生れては消える一つ波その瞬間の生もてあます(桜一木)
「僕は今、この瞬間の生というものを大切に出来ていただろうか?」それが僕がこの歌を読んでみて思った最初の感想です。というのは、今この時期にどこかで新しい生命が誕生しているかもしれない。また、どこかで命の灯が消えているかもしれない。そんな時に、自分はこんなに呑気に暮らしていてもいいのか?と思ったからです。自分の命はいつ消えてもおかしくない。しかし自分はこのことについてあまり考えなかった。でも、今自分が思っていることは、「自分が生きていられることに感謝しなければならない」ということです。そういうことを改めて考えさせてくれたのがこの歌なのです。 (西中学校二年生)
小 川 真 鈴
温かく優しき言葉かけてくる生徒に今日は救われている(桜一木)いつもいろいろな生徒を相手にしている先生に、温かくて優しい言葉をかけたら、先生は、嬉しくなるんだなと思いました。生徒が嫌っている先生にしたら、天使が言った言葉のように思えるんじゃないかなぁと思いました。いつも救われてばかりじゃ、どうしようもないけど、たまに救われるのが一番感動できそうな気がします。だからこの歌を選びました。(西中学校一年生)
西 井 由 美 香
簡単に認められなどするものかこの自負持って生きて来しかな(桜一木)「簡単に認められなどするものか」という作者の思いが、私の心に深く残り、この歌にしました。私はいつも「他の人に認められたい」と思っているので、作者の正反対の思いに、「そういう考え方もあるのか!」と驚きました。こんな考え方で生きてもいいな!と思いました。作者の楽しんでいるような生き方がとても羨ましいです。これから生きる何十年間かを、この歌を忘れずに生きていこうと思います。
(西中学校一年生)
瀬 野 実 咲
卒業証書貰いてピンと背を伸ばす生徒の顔の大人めきたる(桜一木)私も、小学校の卒業式で、卒業証書を貰ったとき「少し大人になったもんだなぁ」と感じた。小学校の時の思い出がたくさん詰まった証書を見た時は、少しジーンときた。この歌を読んで、卒業や別れを繰り返していくことで大人になっていくんだ、と感じた。これから「今までがんばってきて良かった」と思えて卒業できるように、悔いなくがんばっていきたいと思う。(西中学校一年生)
橘 美 沙 都
アスファルト隅のわずかな泥土にスミレ開けば小人のごとし(桜一木)スミレは、アスファルトの小さなすき間にも咲いている。小さなかわいい小人のようだということが、わたしはこの一行の詩に詰まっているんだなぁと思いました。わたしも、小さくてかわいいスミレが、アスファルトの隅に咲いているのを見たら、心が癒されると思います。この詩を読んだら、また春が来て欲しいなぁと思いました。
(西中学校一年生)
橋 詰 竜 一
緊張か退屈か様々な指作りて卒業生徒は並ぶ(桜一木)僕も小学校の卒業式は退屈でした。人が卒業証書をもらっている時が暇で暇で仕方なかった覚えがあります。なんせ当時1組だったもので、早々に証書をもらって3組の最後の人も含めて全員が座るまで待っているのが退屈で、首の通り指で遊んでました。近くに来賓の方が多数いらっしゃってましたが。まさに図星でした。
福 井 ま ゆ み
母の死と己れの癌を詠う時輝く田中栄かなしも(冬菊号)
二〇〇一年四月より再出詠となった私の歌は、田中栄氏の選を受けた。以後、欠詠はないのだが、何故か後にも先にもこの一回だけである。人は、生まれてくる土地、そして親を選ぶことは出来ない。この事実はぬぐい去りようがないのだが、田中栄氏の年譜を見ると、大阪府岬町(一つ先は和歌山県)に生まれ、早くに父君を亡くされている。ほぼ同年齢のアララギ系の歌人たちと比べると、鉈で断ち切られたようなマイナスイメージを受ける。お会いしたことはないが、遺歌集は手元に置き、繰り返し読んでいる。(歌人)