岩   田    一   政
本当かどうかわからぬ身近にも表と裏の歴史がありぬ(思案夏)
 日本の古代の歴史、特に古事記にはとても心をひかれます。しかし、古事記に書かれたことが、どこまで真実なのか、どこか心が落ち着かないところが残ります。日本書紀は、明らかに表で、古事記は裏に近いと思うのですが、そのまた裏があるように感じることがあります。合気道の植芝盛平先生は、古事記についても独自の解釈をしていたように思います。先代旧事本紀は、正史ではありませんが、もう一つの日本の古代の歴史の裏が書かれているように思います。 (武道家。日本銀行副総裁。東京都在)

   中   村    桂   子
長崎は八幡に似ちょると言いし母思いつつ行くオランダ坂を(思案夏)今回もお母様の歌になりました。さだまさしに、思案坂という曲があったような気がしますが。思案夏。昆虫の様子や花の様子がいつも通りでない夏でしたから、この題名に込められた気持を共有します。自然はその変化がわかりやすいのですが、人の心は見えにくい。でも、なんだか人の心も変わりつつあるようで気になっています。市場原理と競争原理を振り回す人々にかきまわされて、どうなるのだろうと。    (生命誌研究館館長)
   畑   中    圭   一
パソコンが壊れてしまえば何もかも無くしてしまう危うさにいる(思案夏)兼好法師は「筆とればもの書かる」と書いた。ペンを執ると文章がいつのまにかできあがってしまうということだ。この言い方を借りると、今の私は「パソコンに向かえば、もの書かる」である。詩を書く場合よりも論文執筆の際によりつよくそれを感じる。発想の段階で難渋していても、パソコンに向かってキイボードをたたきはじめると、文章がすらすらとできあがっていく。いまや思考回路も表現法もすべてパソコンに支配されてしまったのだと思う。だから、パソコンが壊れたり、ウイルスに侵されたりして起動しなくなったときの「危うさ」は大変なものだ。入力してあったデータが使えない、あるいは消えてしまったというようなことではなく、思考や表現が停止してしまうという「危うさ」なのである。そんな危うさをかかえながら、ものを書いている私、一度パソコンと「話し合い」をしなければ、と思っている。
(詩人。児童文学者。京都府在)
   藤   田   富 美 恵
野アザミの上にゆらりと羽拡げキアゲハ止まる足ならしつつ(思案夏)戦争中、祖母のふるさとである福井へ疎開していた私は、家のまわりの草原で、蝶やトンボを追いかけたり、ままごとをしたりして、妹達と遊ぶのか楽しみでした。その時のなつかしいシーンを想い出しました。 (童話作家。大阪府在)
   三   浦    光   世
真実は譲らずされど攻撃は極力避けて生きてゆくべし(思案夏)
 今回の中で、この一首に注目した。聖書に「然りは然り、否は否とせよ」という言葉がある。むずかしいことではあるが、人生にとって大事な教えである。選んだ一首からも、そうした姿勢の大切さが示される。特に一首の中にこめられた気魄を感じないではいられない。理論だけにおちいりやすいところを短歌作品として、実によくまとめた。こうした作は意識的にできるものではない。やはり深い感動にもとづく必要がある。このような作を今後も大いに期待したい。(三浦綾子文学記念館館長。旭川市在)
    川    口      玄
昨年と同じ処に赤カンナ群れ咲く見れば胸熱くなる(思案夏)「思案夏」は、小生にはどの歌もわかり易く、ずいぶん楽しく拝見しました。いままでの流氷記にくらべて、表現がより具体的で、言葉がはげしく感じられるのですが、盛夏をはさんで、作者の体調も夏型(?) になったのでしょうか。往年の流行作家、藤沢恒夫の俳句に「去年の枝 同じ処に 辛夷咲く」(覚えている通り書いたので字句が違っているかもしれません)があったのを思い出しました。       (元『大阪春秋』編集長)
  神   野    茂   樹
カアカアと鴉の訴え聴きながら今日が始まるさまざまな音(思案夏)目下、金欠病の療養のため、朝四時に起き、五時から九時まで四時間、近くのビルの掃除をしている。夜明け前の大川端は意外と明るく、いつもノラ猫が出迎えてくれる。野宿の姿も珍しくない。川面には対岸のホテルのネオンが輝く。掃除の帰り、鴉が見送ってくれる。なんや歌とは関係のないことを書いてしまった。カァー。 (『大阪春秋』編集長。大阪市在)
  佐   藤    昌   明
電線に繋がれて立つ電柱を伝いて帰る独りの部屋に(思案夏)
「電線に繋がれて立つ」「殺意悪意を知ることもなく」「乗り合わす縁消えてゆく」等々‥‥どの歌にも川添さん持ち前の鋭い観察と巧みな表現が随所に発見でき、多少でも物書きをする人間にとってはその秀れた創意性は羨ましい限り。しかも作為の殻から脱皮し、心底から人の世の矛盾と無常を詠い上げる姿勢は感動以外何ものもない。    (作家。網走在)
 八   田    伸   二
唐突に道に転がる赤椿妙に明るく心に残る(桜一木)私は49号でこの歌評を書かれた井上芳枝さんの文章に惹かれました。井上さんは地元の新聞等に投稿されておりいつも楽しみにしている方です。道に転がる赤椿と共に心に残りました。  (北九州市在)
   井   上    芳   枝
長崎は八幡に似ちょると言いし母思いつつ行くオランダ坂を(思案夏)体調を壊す六年前、書の学習をしている友人と五人で長崎へ一泊旅行。当時を懐かしく思い起こす歌です。新婚旅行で長崎を訪れて二回目。この長崎旅行が最後の旅となりました。八幡の町に似ていると言われた母上様、私も八幡生まれの八幡育ちで、ずっと八幡での生活、そして最後の旅。不思議な縁を感じます。長崎を旅して、原爆の悲惨さをしみじみと味わっている今宵です。
  (中学校時代恩師。北九州市在)
   鈴   木    悠   斎
簡単に認められなどするものかこの自負持って生きて来しかな(桜一木)「怖れ入谷の川添さん」、脱帽です。人は誰しも自分の仕事を認めて欲しいもの。ましてや学問芸術に携わる者はその思いは人一倍強いはずです。かく言う私も創作花札なるものを作っては発表しており、書とイラストとシャレがうま過ぎず、へた過ぎず、てきとうに合体した、おもろうてためになる花札ですと宣伝にこれ努めていますがなかなかです。凡人の私は、待て待て、もうちょっと、いつかきっと認められる日が来ると自分に言い聞かせていますが、川添氏の歌を見てうなってしまいました。「ワシら認められとうてうずうずしてんのに正反対やないか。うーん、やっぱり違う、川添さんは」「まだまだ修行が足りん」とガツーンとやられた感じです。     (書家。年に数回個展開催)
  上   山    好   庸
森の中迷わぬように語りかけツリフネソウは艶やかに咲く(思案夏)体全体に森の気を感じながら沢筋を登っていくと、ふと目の前に現れる ツリフネソウ。来たんだねと溪の風に頭をふるわせながら出迎えてくれる。張りつめた気持ちが緩み暫く見つめている。露に濡れた頭はまた小さく揺れ、何かを語りかけるようだ。「じゃあな」と声に出して別れを告げ、振り返るとまた小さくおじぎをする。共に生きているのだという幸せを感じる歌でした。
(写真家。飛鳥演劇『時空』主宰。明日香在)
   小   川    輝   道
つつましきおみなの肩に触れるごとキキョウは揺れて微笑むごとし(思案夏)あこがれの淡い抒情を詠い美しいと思った。繊細さが表現を際立たせている。魔物をはらむ現代のただ中にある中学生と向き合う日々の現場と、歌集表現に力を凝集している生活の中で、揺れるキキョウに心を移すことのできた作者の心の遊びに深く同感できた。歌人の境地を示してくれたことが発見であり収穫でもあった。「死が近く来るのだという漠とした不安が横切り歩くことあり」「めまいして倒れるたびにこの視界これが最期か目をこらし見る」もろもろの包囲の中で表現者であろうとする川添さんの営みに平安であることを願う。(網走二中元教諭)
    井   上   冨 美 子
言葉なき心持つかなオオケタデ命と出会う不思議がありぬ(思案夏)九月初旬、訪れた濃茶席で、すらりと伸びた晒菜升麻と小さめの華やかな赤穂のオオケタデが、胡銅口四方の花入に野にある姿のようにみごとに入れてありました。その時の感動は忘れないでしょう。「思案夏」を拝読し、この一首に出会い、心に響き感動した訳が「命と出会う不思議がありぬ」ここにあったのではないかと気付かされたところです。オオケタデは江戸時代は観賞用として植えられたものが、後に野生化したものと聞いております。野生化したことによって、尚一層魅力が増したのではないでしょうか。群れ咲く赤穂は風に吹かれながら、郷愁の秋へと誘います。
(網走二中元教諭。網走市在)
    米   満    英   男
流氷の海を見下ろすオジロワシその目もて世を俯瞰して見ん(思案夏)北海道には七、八回訪れてみた。何と言っても、あの広々した大地と海と湖が素晴らしい。南は大沼国定公園に始まり、洞爺湖から襟裳岬、阿寒湖、摩周湖を経て、風蓮湖に行き、そのあと知床半島という、東方の絶景の地に赴いた。月並みな風景訪問の地とは言えない。〈内地〉の旅先きとは全く違う、日常生活がすべて清浄化されてしまうような、えもいわれない眺めである。無論、最北の稚内に行ったがそこは単なる足場で、その沖にある礼文島と利尻島が見所であった。慌ただしい旅廻りであったが、これぞまことの、天、地、水の組み合った道行きであった。  (歌 人。宝塚市在)
   安   森    敏   隆
わが裡に母宿りいて困難も乗り切るように生きていくべし(思案夏)茂吉の「死にたまふ母」の絶唱をまつまでもなく、〈母〉の歌はよい。近代短歌の究極は〈母〉に収斂する《いのち》の歌であると、この頃おもうようになった。短歌はもともと挽歌と相聞歌にある。亡き人や生きている人への《いのち》の叫びである。それらの根源に母の《いのち》があり、自然の《いのち》がある。この一首も、母の《いのち》がわが裡に宿り、それがひとつの声となり、生きる指針をたまものとしての《いのちの言の葉》として結実させているのである。私も二〇〇一年、二〇〇二年とつづけて二人の母を亡くし、今も私の裡に生きつづけている。
        (同志社女子大教授・歌人。京都市在)
 北    尾       勲
蓮の花開いているか唐突に心が池の端に来ている(思案夏)池に咲く蓮の花を見ようとはるばるやって来たところ、そこには何と「心」が来ていたという。いったい誰の? 一連の歌群から、母の心であることが想像されるのであるが、あるいは作者のそれであるかもしれない。蓮の花に集まるものの正体を見定めるような、ドキッとする一首であろう。      (歌 人。鳥取市在)
  津    崎       史
かくれんぼ隠れたままに日が暮れる母らこの世に戻っておいで(思案夏)幼いころのかくれんぼう。なぜかいつも夕暮れ。そして私は鬼。十かぞえて振り向いても誰も見えない。どこ、どこにいるのと不安になる。そう、二年前に逝った母も、つい最近逝った父も、私をおいたまま隠れてしまった。まだその辺りに隠れていて、ふっと姿をあらわしそうな感覚がある。この歌は、今の私にとって、私の気持ちをそのまま代弁してくれているような気がする。(歌人。御父君は十月三十日に亡くなられた白川静先生。僕が尊敬し理想としていた先生でもありました。)
   利   井    聡   子
複雑にねじれ縺れてポケットにDNAのように紐あり(思案夏)
ふと手に触れたポケットの底の小さな紐から、こんな面白い一首が生まれた。DNA、つまり自分を形づくっているねじれた、縺れた遺伝子を隠し持っていると、暗に詠んでいる作者。そこにはそれに対する深い内観の眼を感じとることが出来る。それは、単に比喩としてのDNAのような紐ではなく、DNAのようにねじれ縺れた紐があると詠んだことで明らかであろう。「な」ではなく「に」と、たった一字の助詞の使い方で、大変興味深い一首となったと感じ入った。   (歌人。高槻市常見寺坊守)
   里   見    純   世
犯人の嘘の巧みと愚かさがマスコミは好き事件がつづく(思案夏)此の一首は現在の犯罪事件の多い風潮をするどくついており、成る程と同感致しました。次の歌も文句なく小生の心に入ってきました。
死が近く来るのだなという漠とした不安が横切り歩くことあり
長崎は八幡に似ちょるといいし母思いつつ行くオランダ坂を
お父さんしっかりしてよと娘言う怒りの目して励ましでなく
五万円払って買った電卓が今では百円ショップに並ぶ

(歌 人。網走市在)

   葛    西      操
網走の夕日と思う目つむれば時と場所とが溶け始めたり(思案夏)流氷記を受け取るたびに先生のご苦労が思われます。私はいつも戴くたびに先生のご苦労を偲んでおります。この歌も先生が網走にお住まいの時に夕日を見た感動がそのまま伝わってきたのだと感じました。私も永いこと網走に住んでおりましたが、近頃は方々に娘達に連れて行かれますのでなかなか網走に戻ることはできません。北見と網走は隣村のようなのですが、近い所ほど行けぬものですね。私にとって網走は第二の古郷のようなものです。元気なうちに一度訪ねてみたいと思っております。その時は先生に状況をお知らせいたします。   (歌人。北見在。現在札幌在)
 南   部    千   代
かくれんぼ隠れたままに日が暮れる母らこの世に戻っておいで(思案夏)かくれんぼの鬼はたった一人で日が暮れても探し続けているのでしょうね。亡くなられたお母様に心の中で呼びかけていられるようなお歌に惹かれました。送り出した棺の数と同じだけこの地球上には呱呱の声もある筈と思いながら現実には圧倒的に多くなった身辺の別れに流されています。かくれんぼならいつかは戻ってくるのでしょうに。「限りなく墜ちてゆく夢現実の中にも歯止めの利かぬことあり」歯止めはおろか、加速してくる年齢に茫然としているばかりです。網走ナナカマドがもう朱くなりました。水も思いきり冷たい秋です。御自愛下さいませ。 (歌人)
  高   階    時   子
紫陽花を見るたび母の声がする守られながら生きていくべく(思案夏)母上は紫陽花が好きだったのか、この歌では紫陽花と母上とが結びつけられている。視覚と聴覚を活かしながら母恋の思いを巧みに表現した。川添さんはこの歌のように繰り返し繰り返し亡き母上のことを詠み続けている。母上を詠んだ歌を読むたびに、私は川添さんの母上が羨ましくなる。私は娘が母親(私のこと)を見る容赦ない目に何度もたじろぐことがある。そんな時はいつも川添さんの母上を詠んだ歌を思い出す。母上はことば数が少なく、常に温かい目でこどもたちを見守ってこられたのだろう。亡き母に今も守られていると実感できることはなんと幸せなことだろうか。下句の「生きていくべく」というありふれた言い方よりも、具体的な動作を表す方がよりいっそう印象に残る歌になるような気がするのだが。       (歌人。兵庫県在)
   前   田    道   夫
お互いに短き命ならばなれオンブバッタの笑顔と出会う(思案夏)亡くなられたお母様を詠まれた歌が幾つかあり、それとともに死について詠まれた歌も多く見られる。「徐々に夜が明けつつ思う今日生れて今日死ぬ命も無数にありぬ」「何時の日か私も私の視野も消ゆ映画のような日々と思えば」「死が近く来るのだという漠とした不安が横切り歩くことあり」命を詠まれた幾つかの作品それぞれ身につまされるものがある。これらの歌を読んできて掲出の歌に出会った時ほっとさせられるものを感じた。下句が面白い。オンブバッタの顔が本当に笑顔を作っているように、目に浮かんでくる。 (歌人。浜松市在)
   古   川    裕   夫
モノクローム篠突く雨は次々に道に模様を描きつつ降る(思案夏)不思議な印象を与える一首である。先ずモノクロームと云う片仮名の出出しが面白い。色彩のない暗い世界を読者に訴えておき、次いで道路に降り注ぐ雨の印象を正確に描き切った。作者は道路に消えていく単純な雨脚に目を注いでいるに違いない。私にも幼年時代から経験のある光景である。単純なそれでいて道の表面が描き出す模様がこの一首に匂いのない光景を、感情の移入がない映画の一コマの如きカットで択りとっている。老練な、私には真似の出来ない描写になっている。さすがである。
                (歌 人。滋賀県大津市在)
   唐   木    花   江
安威川を渡る明るいヘビが見え電車も川面も物語めく(桜一木)
一匹の蛇の効果。結句の「物語めく」で一首が決まった。平凡な写生に終わっていない。蛇によって風景が生かされ動的となった。「畳の目砂漠のごとく広がればうつ伏せて旅どこまでも恋う」広い畳目のひろがり、それは時に砂漠のような淋しさを持つ。恋う旅は歓楽地に紛れ遊ぼうという旅ではない。ひとり砂漠を行くような空漠の旅であろうか。深い精神が感受できる。 (歌人)
   甲   田    一   彦
停電になれば昔に戻れない便利の他に選択肢なく(思案夏)最近風呂をリフォームしたが、スイッチ一つで適温の湯が出て、浴槽から溢れる前に止まるし、追い炊きもスイッチ一つで便利重宝この上ない。しかし停電したら入浴できないだろう。昔のガス風呂は電気など不要だったし、昔々の五右衛門風呂は薪でも何でも燃やせば沸いたのである。考えてみると、身辺は便利重宝にぎっしりと包囲されているが、一つ狂うとガラクタになるものばかりである。しかも、現在のわれわれにはこの便利重宝を取り込む以外の選択肢はないのだから、この歌に頭を下げました。
     (歌人。高槻在)
  山    本       勉
人溢れあふれて我とすれ違う画面に向かうごとく見ており(思案夏)う〜んと唸った一首である。電車や地下街で押し合うようにすれ違う人々々。その物体は人であるけれど、人という認識が麻痺して鏡の向こうの画面を見ているような錯覚を起こしてしまう。だが、その一人一人には家族があり、生活があり、様々な人との交流もある。そして色んなことを考えているのは、自分と全く同じである筈だ。それを誰もが「画面に向かうごとく見て」いるのである。それをこの歌のように捉えたのは凄いと思う。全身に電流が走るような、不思議に頷ける一首である。
                (歌 人。京都府亀岡市在)
   森      妙    子
何時の日か私も私の視野も消ゆ映画のような日々と思えば(思案夏)過ぎ来し方を振り返ってみれば、全てが映画のシーンの一コマ一コマの繋がりのような気がする。そのうち、自分の視野の消える日が来る。その時までは、なるべくなら心豊かに生きたい。謝っておいてやろうとこの頃は余裕楽しむ心となりぬ(無法松)作者の心の持ち方に同感。人と人とが、譲り合うこころを持てば、この世の中もっともっと楽しいことが多くなりそう。(歌人。)
   林      一    英
かくれんぼ隠れたままに日が暮れる母らこの世に戻っておいで(思案夏)日の終わり頃、日暮れ、そして幽暗の冥界へ。沈黙の時間が声なき声の切実な呼びかけに連なり、美しく昇華する。童遊びの背後に流れる時間を歌う上の句と、故人追慕の情を詠む下の句が見事に照応して、しみじみと心に残る。この歌もまた、この歌人に際立って多い母恋い歌のひとつである。もう日が暮れたから早く帰っておいでという。彼岸でももう日は暮れように、母たちはまだ隠れたまま。息をひそめて隠れている夕暮れの静寂な時のはざまにふと心に浮かんだ母たちの住む世界への、いとしい人たちへの切ない思慕の情。穏やかで温かで童画的で美しい。(歌人。福井市在)
   塩   谷   い さ む
わが子孫残そうという本能が欠けつつヒトは絶滅間近(思案夏)
子孫を残そうとするのは動物の本能である筈。何故か先進国の中で日本の人口増加は最低になった。「絶滅間近」の文字が哀しく響いてくる。反面で「色欲の褪せてゆきつつ見聞きする罪さえ犯す人はかなしも」の歌に出会う。「少子化担当大臣」という大臣まで作って対策を練っているが‥‥。その昔「産めよ殖やせよ」というスローガンの下、増産?に励んだ時もあったのに、内政の不備を衝く歌の数々に感嘆しています。  (歌人。東京都在)
   水   野   華 也 子
能を舞う光景に似て木の陰にウラナミジャノメ厳かにいる(思案夏)そう言えば華やかな蝶ではないが、つつましい気品と言えるかも‥‥ウラナミジャノメ。木の陰に舞う静寂。その空間はまるでそこだけスポットが当たっているように作者の心をとらえたのでしょう。能を舞う光景に似て厳かにという比喩が絶妙です。作者の感性に感服します。(歌人。大阪市在)
    福   井   ま ゆ み
悔し泣きしながらピアノを弾く娘いつの間に幼年期越えしか(冬待号)ピアノは不思議な楽器だ。熊のようないかつい男性が、びっくりするような柔らかいビロードのような音を出したり、おとなしそうな少女が火の付いたような、激しい演奏をしたりする。人の心を写し取る楽器といわれるのも頷ける。私も、十五歳からの八年間、ピアノに全力投球した時代がある。作者の娘も、ピアノを学び、そして少女から大人の女性へとあっという間に羽化してしまったようだ。            (歌人。高知市在)
   美   野    冬   吉
真実は譲らずされど攻撃は極力避けて生きてゆくべし(思案夏)
 人生というものは己の生きる現実の価値を確かめ味わうことだと思う。そうして一人一人が事故の人生の真に出逢う時が至高の時。しかし、それを共有できる人というのは本当に稀であると思う。否むしろ価値観が違うどころか相反する人の方が多いものだ。自分の毛色の違う者、考えの異なる者をつい攻撃したくなるのは本能であるが、本当は他人の価値観を寛容に受け入れることこそが、豊かで幸福な人生を拓く鍵である。そう分かってはいても、人というのは、何時まで経っても中々大人になり切れないものですね。         (歌 人。東京都在)
   池   田    裕   子
ぶつかりて砕けて散るを繰り返す激しき雨になりたい今も(思案夏)今年の土砂降りは凄かった。一寸した集まりに一寸したお洒落して出掛けたとき、五分ほどのその雨に遭い、雨宿りするところもなく、傘を差していたにもかかわらずずぶ濡れになってしまった雨はけろつと上がって青空になっている。電車の中で靴を拭き、靴下を履き替えたが、冷房に震えた。けれど砕け散る雨に私は少し楽しんでしまった。潔く心打ちつけて生きる日々、そこに発声する事柄「今も」に感じ取ることができました。
                   (歌人。高槻市在)
   国   田   恵 美 子
めまいして倒れるたびにこの視界こそが最期か目を凝らし見る(思案夏)この上の句を詠んでドキッとしています。先生の抱えている爆弾を知っているからです。度重なるめまいは危険です。医師と仲良くしてどうぞ爆弾のご機嫌を損ねないように大切になさって下さいませ。「近づけば蓮池ざわと揺れてくる一瞬ありて鎮まり戻る」「蓮の花開いているか唐突に心が池の端に来ている」この二首も心穏やかには読めません。先生には遣りたいことがたくさんあるでしょうに。「定年後小さな会社開きたい僕にしかない世界はないか」模索して下さい。実現して下さい。嬉しいですね。楽しいですね。流氷記も待っている人がたくさんいます。そんな人達の期待を裏切らないで下さいますようにお身体大切になさって下さいませ。 (歌人。高槻市在)
   藪   下   富 美 子
真実は譲らずされど攻撃は極力避けて生きてゆくべし(思案夏)
真実はあくまでも譲らず攻撃は避けて生きる。世の人々が此の誠心を持って生きてゆけば、世の中平和で暮らせるのかも知れませんが多少活気が失せるような気がします。時にはまた、物事によっては、周りに少々波風が立っても、攻撃的に進んでもいい時もあるのではないでしょうか。先生の歌にも、砕けて散る激しき雨になりたい‥‥と詠んでおられますように、物事をあまり控えておられますとストレスが溜まらないかと心配です。(歌人。)
   森   田   冨 美 子
蓮の花開いているか唐突に心が池の端に来ている(思案夏)此の歌を拝読しまして感涙致しました。ちょうど彼岸の日に亡き子に逢いに知恩院の納骨堂に行きました。もう旅立っていればよいがと願いながら、橋の下の蓮の花にそれとなく独り言を呟く、ばかな母親だなあと恥じて帰りました。帰りますと、先生が流氷記を送って下さっていましたので、開いて見たところが蓮の花二首。不思議な因縁を感じました。どうぞお母様のためにも、お身体おいとい下さいませ。 (歌人。高槻市在)
  高   田    禎   三
簡単に公表できぬこともある職場詠心に留めども(思案夏)ずっと歌集を読み進めて最後にこの歌と出合い大きく心を動かされました。短歌はその人の考えている事がそのまま外に出てしまうので、公開すると都合の悪い事もありますね。私も妻から「私を詠んだ歌は外に出さないでね。家の中のことが丸わかりになるので‥‥」と何度も言われています。どんな職場でも同じだと思いますが、思ったこと、感じたことをそのまま外に出せば都合の悪い事も多いですね。でも気持ちのままを歌にしてみて、それを歌の中に貯めておき、公開しないのも一つのストレス解消の方法かも知れませんね。    (歌人。高槻七中元教諭。高槻市在)
  古   藤    幸   雄
バックアップするなら僕をもう一人用意しておけ温和しいのを(思案夏)これは文句なくおもしろい。「温和しいのを」がよい。この一言で作者がどんな人生を生きてきたのか全てが分かる。温和しくないために苦しみ、来世など信じてるわけがないのに、転生できるのなら「温和しい」のがいいのだ。最近は死と老いへの不安を歌ににじませる作者にしては威勢がよく、高踏的で、若い頃の川添さんを彷彿とさせる。神への憤り、からかい、挑戦のように思える小気味よい秀歌だ。(作家。高槻七中元教諭。高槻市在)
  瀬   尾    睦   子
感動の心が徐々に失せてゆく人にまみれて日々過ごしつつ(桜一木)少しずつ感動の心が失せているみたいですが、本当にこの通りです。でもまだまだ歳ではないので頑張っていかねばとも思います。以前は時々お母様と市場で会っていました。セオさ〜ん!と呼んで下さる優しく甲高い声が今でも聞こえるようです。夢でもよいから出て下さい、と思っています。天国で私の主人などとお話ししているかもしれないと秘かに思っています。元気で頑張っていかねばと思っています。いつも流氷記有り難う。また送って下さい。待っています。     (母の友人。北九州市在)
  中   島    タ   ネ
長崎は八幡に似ちょると言いし母思いつつ行くオランダ坂を(思案夏)このお歌には親しみを感じさせます。長崎には何度か行く機会があり、父母も一緒に行ったこともある。至る処に日本離れした歴史とロマンの漂う中に、あの戦争の原爆の後も残る処もありながら美しい思い出深い街です。私も亡くなった母の年齢に日々近づいて参り、日暮れの早い秋の夕暮れに西空に燃えるような太陽が沈んで行くさまを見ながら、今母が生きていたら心ゆくまで話したい気持ちに駆られます。川添様のお気持ちをお察しいたします。「めまいして倒れるたびにこの視界こそが最期か目を凝らし見る」こんな事が度々おありになるのなら、一度病院に行って診察なさって、まだお若いこれからの人生を、もっとご自分をお大事になさって下さいませ。         (福岡市在)
   小   西    玲   子
暫くを同じ車輌に乗り合わす縁消えてゆく一人二人と(思案夏)
 家を出ればあらゆる場所で人とすれ違います。すれ違うのなんてほんの一瞬。その中で、奇跡のように出会った人が今私の周りに居てくれてる人達だと思います。出会いがあれば別れもある。でも出会ったことで相手からもらう気持ちや新しい自分、何にも替えられないものが沢山あると思います。心でちゃんと感じたものは、一生消えることがないと思うのです。出会ったことが縁でも運命でも、たとえ偶然だとしても、出会えたことに感謝する気持ち、喜びを忘れずにいることがまた素敵な縁と繋がる気がします。 (西陵中学校卒業生)
   白   田    理   人
感動の心が徐々に失せていく人にまみれて日々過ごしつつ(桜一木)とてもストレートな表現で、一読して共感しました。しかしその後すぐに疑問が湧いてきました。感動って人と人との関わりの中で生まれるものなのになぜ「人にまみれて日々過ご」す中で感動しなくなることが自然に思えるのだろうかと。(もちろん小説や映画でも感動しますがそれは主人公の視点に立って他の登場人物と出会い、言葉を交わしているからだと思います)日常生活での人との関わりの中ではあまり感動を得られないのが普通だ、というような風潮がある気もします。感動というと実際に経験した出来事より小説や映画の方が先に頭に浮かんでくるのもそのせいかも知れません。実生活に感動を求めることを諦めた人々との無味乾燥な交渉が「まみれる」という言葉で表現されていたのかとも思いました。しかし、御歌を拝見する限り、先生の生活には感動が溢れているのだなあという感想を抱かずにはいられません。貪欲に感動を追い求め、歌として表現していこうとなさる先生の姿勢があらわれた一首に思えます。 (西陵中学校卒業生)
    奥   田    治   美
ぶつかりて砕けて散るを繰り返す激しき雨になりたい今も(思案夏)ひときわ心に強く残った一首だったので選びました。妙な切なさを覚えます。一見すると、作者の向上心溢れる一首のようにも思われるけれど、「なりたい今も」という結句から「もう、ぶつかって砕けて散る生き方はできないのではないか」という作者のかなしみも込められているような気がしてしまったからかもしれません。激しい雨のようになるのもいいですが、やさしい雨になって生きるのも、またいいと思います。 (西陵中学校卒業生)
   平   岡    勇   作
本当かどうかわからぬ身近にも表と裏の歴史がありぬ(思案夏)目立つ者あり、されど隠れた努力あり。…何故だろう、必ず歴史の裏側に、辛く悲しい軌跡あり。表だけの歴史、華やかであればひっくり返して悲劇的。生きる上では山あり谷あり大波小波。表裏二つを味わってこそ、真の誠の人間也。…私はそう思います。  (茨木市立西陵中学校卒業生)
    高   谷   小 百 合
今日一日無数の人とすれ違う殺意悪意を知ることもなく(思案夏)今の世の中は、すごく怖いなと思います。少し前までは、すれ違う人みんないい人だと思っていたのに、今では何が起こるか分からない時代になっていることがとても寂しく感じます。毎日いろんな人とすれ違っているなかで、誰が何を思っているかなんて分かりません。最近では通り魔や連れ去りなど、大きな事件のニュースや新聞を見て、怖い世の中だと思います。私は、無数の人とすれ違う中で、殺意悪意を持っている人がいることを知ることもなく、考えることもなく、すれ違う方がいいのかなとも思いました。 (茨木市立西陵中学校卒業生)
    和   田   ひ と み
植物の受粉のために蝶が飛ぶ短き命鮮やかにして(思案夏)死は生と一体‥‥こんな言葉を聞いたことがあります。どんな生き物も、生まれては死んでゆく‥‥。でも、〈どんな人生の生き方をするのか〉によって、その人の生き方は変わってくると思います。と思うと、私は自分にすごく申し訳ないことをしているんだな‥‥と恥ずかしくなりました。この植物も、この蝶も、自分の生きている時を、目いっぱいに生きているのに、私はそんな風には生きていない気がするからです。もっと、周りの人や、いろんなものに、感謝が出来る自分になりたいです。自分から、もっともっと「ありがとう」と言っていこうと思います。 (西中二年生)
     山   川    悠   貴
昨日今日不意に亡くなる人多く自分のことだと気付かないまま
 最近では理由も無く犯人の「むしゃくしゃしていた」で人殺しが成り立ってしまう怖い世の中です。そのなかに自分もいるなんて考えられるでしょうか?台風で亡くなった人、飲酒運転の車に追突されて亡くなった人など、色々いますが理不尽だと思います。
パソコンが壊れてしまえば何もかも無くしてしまう危うさにいる 現代社会の欠点ですね…大切に使っていてもそのうち古い機種だと言われるようになってしまいます。それにしてもパソコンって便利です。手書きで文章を書くのとパソコンで書くのでは断然パソコンの方が疲れないです。が、書いた文章を手違いで消してしまったときは悲しいです。 (茨木市立西中学校二年生)
  馬   場    梨   江
徐々に夜が明けつつ思う今日生れて今日死ぬ命も無数ありぬ(思案夏)今、日本は戦争をしてない平和な国っていうイメージがありますが戦争をしてない国が平和だとは私は思ってません。戦争以外でも、人は殺されたりして無くしたくない命を無くしているからです。でも、それと同時に生まれてくる命もたくさんあります。人は、生まれてきたくなくても、生まれる命もあるでしょう。それとは逆に生まれてきたくても、生まれることができない命だってあるんでしょう。なので、生まれてきたくても、生まれることのできない命の分も、今、生きている私たちが精一杯生きることが大切なんだと思います。  (茨木市立西中学校二年生)
  中   野    泰   輔
今日一日無数の人とすれ違う殺意悪意を知ることもなく(思案夏)今ここを通り過ぎた人の気持ちを知ることなんて出来るのでしょうか。多分、いや絶対に出来ません。しかし、もし、人の思っていることを知ることができたら、しかも、このように殺意等を抱いていたとすれば‥‥。でも、人の思いを知ることができたならば、殺意を抱かなくなるかもしれません。特に、ここ最近、少年が殺人を犯すことが多くなっています。しかも自分勝手な理由で起こした事件も多いのです。前にも書いたように、人の思っていることを知るのは不可能です。でも、表情や言動などから推測するのは決して不可能なことではないはずです。最近の子どもは、考える力がなくなっていると言われています。その原因にはテレビゲームや偏った食生活にあるとも言われています。これらは日本で、ほんの少し前に出来たものです。殺人事件は極端ですが、人の気持ちを推測することができないといった例はいくらでもあり、学校では、いじめや授業妨害などが挙げられます。こんな事が起こる原因の一つには、前に挙げたような現代の文明の弊害があるのではないのでしょうか。(茨木市立西中学校二年生)
  小   野    開   登
原爆で亡くなりし蝉じりじりとあの夏伝う人揺れて見ゆ(思案夏)原爆では人間だけでなく、たくさんの動物が死んだはずです。小さくても尊い命がいくつも奪われました。その悲劇を繰り返してはいけないと誰もが言いますが、皆が心からそう思っているのでしょうか。普段の生活では聞いていて気分が悪い言葉で会話している人たちもいます。小さな命を一つでも守るためには、小さな争いを一つでも減らすことが大切だと思います。人間の命も、蝉の命も、他の動物の命も、これから戦争で亡くなるということはあってはならないと思います。  (茨木市立西中学校二年生)
  石   丸    雄   一
クレーンとビルと車と鉄塔と地球は奇妙な生き物ばかり(思案夏)今日もまた、何匹何頭もの奇妙な生き物に出会いました。今、この時も外を眺めると、多くのその生き物が見つかります。恐らく明日も、そして明日以降もその生き物に出会うでしょう。そしてこの生き物たち、どちらかというとヒトと共生していると言うより、寄生されているように見えてなりません。更に、ヒトは自らこの生き物たちを生み出しておきながら、環境問題等に彼らが絡んでくると、責任を彼らに押し付けようとします。排気ガスが問題となっている自動車、ヒートアイランドの原因の一つとされているビル等は、その被害者となっている、と自分は敢えて考えます。このように考えて再び外で寡黙にヒトの為に働く奇妙な生き物たちを見てみると哀れに思えてきました。環境を、そして彼らを守るため、地球に優しい燃料の開発に取り組む人や、ビルの緑化に精を出している方々の努力がいつか報われる日が来ることを願いたいです。以上がこの歌を読み考えたことです。ヒトが生み出したこの奇妙な生物のことを考え、環境等のことも一考するのが、この歌の一つの大きな意味であると自分は思っています。
  能   勢    一   穂
もしかして自分の生まれ変わりかもそんな気になる幾人かいる(桜一木)私もたまに心の中でこんなことを思います。この人うちに似てる所あるなぁ、と。そんな感覚がとても好きです。昔、本当によく似ている人と、あるキャンプで出会ったことがあります。すぐ仲良くなりましたが、なぜか小さなケンカも絶えませんでした。初めて喋ったときからケンカが始まりました。なのによく遊んでいるのです。そのうち、「うちら性格似てるって言われるな」などと二人話をしていました。二人でいるとなぜか自分の性格が浮き上がってきて腹が立つのです。「次のキャンプまでにはココを直してくる」と二人で宿題を出し合って別れました。次のキャンプで再会したとき、互いに一言もしゃべっていないのに二人は心から笑い合っていました。だから、この一首を読んで、このことを思い出し、とても心に残りました。 (西中学校二年生)
  山   崎    響   子
五万円払って買った電卓が今では百円ショップに並ぶ(思案夏)
 このことは前にも川添先生が授業中に言っていたことでした。今では、ガラス製のコップなど、あらゆるものが百円で手に入ります。そう思うと、他の国では食べ物すらなくて、苦しんでいる人がいるのに、この国はぜいたくだなぁ、と思います。だから、自分が持っているものやみんなで使うもの、全てを大切にしなければならないと改めて思いました。(茨木市立西中学校二年生)
   井 野 辺  優   香
パソコンが壊れてしまえば何もかも無くしてしまう危うさにいる(思案夏)パソコンは私にとってなくてはならない機械です。いろんな情報を集めることが出来たりゲームすることが出来たりととても便利です。でもそんなパソコンがある日壊れていたら‥‥と思うと、よく使う私は悲しくなるし、逆にイライラしてしまうと思います。そして今までや、これからの情報がわからなくなってしまう気がします。それほどパソコンに私は依存してしまっているのです。身近な機械だからこそ先生も壊れてしまうと何もかも無くしてしまう気になると思いました。パソコンばっかりに頼ってはいけませんが、なくてはならない機械だと思いました。
  珍    坂      舞
植物の受粉のために蝶が飛ぶ短き命鮮やかにして(思案夏)蝶は命が短いのに私たちの周りに鮮やかに飛んでいます。私は「かわいいな」と思いますが、虫の苦手な人は「いやだなー」と思うのではないでしょうか。しかし植物から見ると虫が止まっていってくれることは有り難いことです。いろいろなふうに思われている虫たち自身、飛ぶのが楽しいとは思っていないのかもしれません。本当は飛ぶのは嫌だけど植物の受粉をさせるという仕事の中、飛んでいるかもしれません。虫たちは色んなふうに思われているけど、ちゃんと仕事をして、悔いのない生き方をしていってくれる。いいな、と虫の命のことを改めて考えさせられる一首だと思いました。 (茨木市立西中学校二年生)
  森     葉    月
スイッチを付ければ歌い踊ることテレビは不思議と今は思わず(思案夏)スイッチを付ければ中に人がいるのは当たり前、詠い踊っているのも当たり前、不思議に思わなければ、すべて当たり前に過ぎてしまいます。そんな私も幼い頃はテレビの中に小さい人が入っているのかなぁと思っていて一生懸命にテレビを見ていた記憶があります。初めて白黒のテレビが出来た時のみんなの反応は私の幼い頃と似ていると思います。そう思うとやっぱりテレビを発明した人は凄いと思いました。 (西中学校二年生)
    瀬   野    実   咲
原爆で亡くなりし蝉じりじりとあの夏伝う人揺れて見ゆ(思案夏)夏休みに、広島、長崎の原爆記念日がありました。そして、原爆関係などのニュースもたくさんやっていました。戦争の時の様子はよく本を読んでいると、すごく恐ろしいものなんだな、と分かります。なぜあんな原爆を投下したのか、と思うと、悔しくてたまりません。きっと、原爆で亡くなった人たちは、原爆記念日に広島・長崎にやって来て、もう一生あの恐ろしい戦争が起こらないように、と願ったのだと思います。   (西中学校一年生)
     西   井    由 美 香
まだヒトは月に着陸しておらぬ自明も歴史の軽みのひとつ(思案夏)この歌を見て、先生が授業中に「まだ人間は月に着陸してないねんで〜。」と言っていたことを思い出した。人間って、地球上で一番栄えている動物だけれど、そんなに偉いもんじゃないということを、この歌は感じさせてくれると思う。実際、アメーバーとかの微生物の方が、歴史は長いわけだし。そう思うと、「人間って、ちっぽけな生き物なんだなぁ」と自然と考えてしまえる。不思議な歌だなぁと思った。 (茨木市立西中学校一年生)
   小   川    真   鈴
お互いに短き命ならばなれオンブバッタの笑顔と出会う(思案夏)短い命なのだからと、笑顔で一生懸命に生きているオンブバッタに感動しました。短い命だから、一日一日を大切に生きていかないといけないんだと、改めて思いました。どんな時も笑顔を忘れずに生きていきたいです。    (茨木市立西中学校一年生)
      橘     美  沙  都
目をつむれば宇宙となりぬ複雑で奇妙なヒトとして生まれつつ(思案夏)私は時々、「私はなんでヒトとして生まれてきたのだろう?」と思います。この歌の本当の意味や、言葉に込められた思いは分からないけれど、私が目をつむったとき、そこに見えて、そこに広がる世界はほんとうに宇宙そのものなんだ、そんな言葉そのままの意味であるならとてもそう思います。
        (茨木市立西中学校一年生)


〔時評〕個人誌歌集の楽しさ
             長   岡    千   尋
大阪高槻市在住の川添英一氏は、縦十センチ、横六センチの手に乗るような豆本短歌個人誌を出し続けている。――その誌名は「流氷記」で、今夏、第四九号(思案夏)を発刊している。表紙裏・表ともにカラーで、八十ページ、本文の紙は明るいグレーと凝っている。いかにも手作りという感覚がお洒落で、全国の短歌誌はたくさんあるだろうけれども、これは川添氏だけの世界である。
 氏は、二十歳で「塔」に入会、編集を担当するなどその才能を発揮し、池本一郎氏、永田和宏氏らとともに「塔の第三の新鋭」といわれた。しかし、「塔」の左翼的体質が嫌になり、「塔」の編集から離れ、歌壇から決別し、北海道へ移住している。―三十代半ばで再び復帰、現在は中学校の教師を務めながら、作家活動を続けている。
氏は多作で、毎号、百首近い作品を収めており、その努力を敬しつつ、私はいつも何かその憑かれたようなものに、衝き動かされるのである。ちなみに、この短歌誌のユニークな点は、毎号、氏の作品を、ジャンルを越えた名士に短評してもらっているといいうことだ。
四九号では、吉行和子氏(俳優)・中村桂子氏(科学者)・和田吾朗氏(俳人)・島田陽子氏(詩人)・三浦光世氏(三浦綾子文学館長)といった多士済々。歌人では米満英男氏・萩岡良博氏と私の知己も参加している。それ以前の旧号をめくっても、阿川弘之氏・北杜夫氏・藤本義一氏・田辺聖子氏・落合恵子氏などという著名人の名が出ており、川添氏の交際の深さに驚くわけだ。―それは別としても、氏のユニークさは、亡き母の知人、学校の保護者をはじめ以前、勤務していた中学校の教え子から、現在勤務する茨木市立西中学校の生徒の短評まで掲載されているということだ。だからこの個人誌は、氏の教育の場でもあり、教育者としての志と方法を模索した結果が、文学として表現されているということになろう。―一例だけあげてみる。
中二の女子のB・Rさんは、
花びらはゴミとなりつつ桜散る瞬時瞬時が目に浮かびおり
を評して、桜には満開の時と、舞い散る時があるが、「私的には、舞い散る桜を見ている時のほうが、とても、綺麗だと感じます。」と率直な感想を記す。散ってゆく花の美しさを見た少女の情緒を、短歌が発見させたのである。私はこれを見て国語教育の大切さを思った。国語の乱れは、国の乱れであり、こんにちの社会問題でもあるが、川添氏のこの小さな言葉の力が、さざれ石を巌となすのである。―氏の作品をあげてみよう。
色褪せて紫陽花開く傍を行く母の死いまだ鮮やかにして
・近づけば蓮池ざわと揺れてくる一瞬ありて鎮まり戻る
・逆さまに実は見ている目の部分持ちて奈落に吸われつつ寝る
・何時の日か私の私の視野も消ゆ映画のような日々と思えば
・原爆で亡くなりし蝉じりじりとあの夏伝う人揺れて見ゆ
・時止めて蝉の羽化やわらかく過ぐ今夜の眠りは月浮かべつつ
・電線に繋がれて立つ電柱を伝いて帰る独りの部屋に

      〔『日本歌人』二〇〇六年十一月号より転載〕

〈わが感銘歌〉津 崎  史
亡くなりてしまえば今はしみじみと耳にも目にも母棲みている                        
川添英一 『流氷記』という、定期入れぐらいの大きさの歌集がある。八十余首の歌と、一首評からなる個人歌集で、年に五・六冊の割合で出ている。作者川添氏は、中学校の先生で、こよなく流氷を愛し、生徒達を愛し、幅広くものを見、新鮮な感覚のはたらく人である。深い思索あり、社会批評ありで、毎号たのしみに読ませてもらっている。
 その川添氏のお母さんが亡くなった。一年前のことだ。そこで作者の母親への慕情がしみじみと詠まれることになる。口語調の、やわらかなしらべの中に、母への思い出が満ちてくる。「独り言なれども母と対話する時間この頃増えてきている」(紫陽母)「幾つもの部屋なる夢の洞窟を出られなくなる母捜すうち」(夢一途)「呆気なく母亡くなりて一枚の遺影に見つめられつつ暮らす」(槌の音)四月に母を亡くしたばかりの私は、作者の哀切な叫びをわが叫びとして読んでいる。 (平成一六年十一月号「ハハキギ 」)