島 田 陽 子
不登校生徒の椅子の不揃いを直して今日の授業を進む(雨後虹)不登校生とは一クラスに何人いるのでしょうか。いつも主のいないその机が教師である作者の心にひっかかっているので、椅子の不揃いを何気なく直して授業を進める、という所作は自然な動きになっていると思えます。生徒たちの目にも不自然でなく見なれた動きになっているでしょう。それだけ思いは深いわけで、「二年三組学級通信羅針盤舵取りながら毎日綴る」ときも、不登校生徒のことは頭を離れない。それだけに「人生はオセロゲームと思うべし終いに一気にひっくり返せ」と、ひそかに励ますことばともなるのではないでしょうか。 (詩 人)
畑 中 圭 一
そこだけにしかない論理溢れいてヒトは滅びを加速していく(雨後虹)「そこだけにしかない論理」とは、自分にだけ都合のよい、身勝手な論理であろう。そんな論理が溢れていて、共有し得る論理をもたない社会には共生・共存は望むべくもなく、それは争いの絶えない社会、破滅へと地すべりしていく社会である。現代社会のそうした病巣を剔抉し、ヒトの堕落と破滅を警告する作者の声に耳を傾けたい。
なお川添氏の作歌姿勢がうかがえる次の三首にも注目したい。
何もかも順調ならば歌なんか出来ないだろうと諦めている
その為に生まれて来たのかこの今も逆境にこそ歌作るべし
胸塞ぐ不安の中に歌作る鮮やかな自然想い浮かべて
中 村 桂 子
美しかね!我が裡に棲む母が言う桜花びら落ちるしばらく(雨後虹)不登校や施設や家庭の事情など、この社会の歪みそのもの‥‥と書いていらっしゃる気持ちを共有します。驚くほどの幸運に恵まれようとは思わないけれど、日常は平穏で幸せでありたい。そんな願いを持って暮らしている人々の生活を壊していく社会になってしまったようで気になります。そんな中で、亡くなってもなお心の中に、体の中に在り続けているお母様とご覧になった桜。今年の桜は、美しかったように思います。
三 浦 光 世
逆境になりてもチャンスだと思え平穏無事よりいいかもしれぬ(雨後虹) 私の父は三十二歳で、肺結核で世を去った。私の三歳の時である。その結核菌を幼児感染、四歳頃リンパ腺結核(るいれき)に苦しみ、十七歳の時は腎臓結核で右腎を摘出、数年後は後遺症の膀胱結核に呻吟した。幸い清書の《苦しみに遭ったことはよかった。それによって神のおきてを知り得た》という言葉を読み、耐え抜くことができた。そんなわけで、右に選んだ一首に深い共感を禁じ得ない。『そのために生まれてきたのかこの今も逆境にこそ歌作るべし』の作も力のみなぎる一首と思う。 (三浦綾子文学館長)
中 島 和 子
不登校生徒の椅子の不揃いを直して今日の授業を進む(雨後虹)
川添先生の心の中が見えてくるような一首。胸がジンとしました。娘婿も中学教師。この歌を紹介した後、彼とこんな会話を交わしました。「不登校の生徒、クラスにいる?」「不登校に、させません」「生徒は学校に行きたくても行けないのに、どうやって?」「毎日電話して、家庭訪問して、話して、話して、話して…」「何て言うの?」「『守ったる』って言います」「そしたら?」「来ますね」。またまたジンとした私。どちらかと言えば口下手な彼の『守ったる』という言葉は、生徒の心にどんな風に響いたのでしょうか。 (詩人。児童文学者)
川 口 玄
今号の小生の好きな歌は左の通りです。
雨後なれば虹鮮やかに立って見ゆ幸せは今生きていること
胸塞ぐ不安の中に歌作る鮮やかな自然想い浮かべて
かつて暴力に怯えし生徒にて微笑いつつ過去話してくれる
紫陽花の雨ののち虹鮮やかに立ちて見守る不思議がありぬ
桜花残りて青葉きらきらと光と風を浴びながら舞う
(『大阪春秋』元編集長)
神 野 茂 樹
雨止みて北摂の山くっきりと心も澄みて一日始まる(雨後虹)
いつもならヘンコな(社会派の)歌を選ぶのですが、今回は、身近な日めくりを見ていて、日々の戒めの言葉も良いが、こんな歌で始まる一日もいいなと思い選びました。寡聞にして短歌日めくりがあるのかどうか知りませんが、川添さん、作りませんか。
(『大阪春秋』編集委員)
菅 沼 東 洋 司
雨後なれば虹鮮やかに立って見ゆ幸せは今生きていること(雨後虹)何の説明も要らない率直な感懐。鮮やかな虹が今生きていることの幸せを象徴している。だが、それも虹の立っている間だけであってはならない。たとえ虹は消えてしまおうとも、その輝きは心の中にいつまでも生きつづけて欲しいもの。 あの虹は自分の上にも立っている守られながら人は生くべし 心の中に輝く虹を持ちつづけることで、人は強く生きることができるのです。混沌とした世の中だからこそ、この歌が光ってくるのです。勇気と力を与えてくれる二首。「ありがとうございました」と心から言える二首。 (作家。ブラジル在)
井 上 芳 枝
駐車場隅に小さな菫咲く紫は亡き母愛でし色(雨後虹)お母様も愛でし紫色は、私も大好きな色です。還暦記念に出版した「ひとすじの道」の表紙は、右半分が紫色で、白い左半分は「ひとすじの道」と書名だけ書いた、すっきりとした装丁です。傘寿の祝いに出版した「ひとすじの道 二」は、表紙カバーを紫色一色でしました。駐車場片隅に咲く菫の花は、紫色が一番似つかわしい。お母様の慎ましげな姿が浮かびます。 (中学校時代恩師)
鈴 木 悠 斎
雨後なれば虹鮮やかに立って見ゆ幸せは今生きていること(雨後虹)幸せというものは、きわめて主観的なもののようです。オリンピックの水泳で金メダルを取ったのを一番幸せと言った女の子がいるかと思えば、一人安アパートで夜泣きそばを食べるのを無上の幸せと感じているご仁もおり、幸せの様相は千差万別です。けれども、その最低条件は、その人が生きているということに尽きると思います。この歌の「幸せは生きていること」という下の句は、言い得て妙、至言と言えるでしょう。しかし、われわれ凡人は、この当たり前のことが、なかなか幸せと思えないのですね。ナンギなことです。 (書家。寝屋川市在)
弦 巻 宏 史
孤児あれば父母のこと話せずに授業が進む如何ともなし(氷点旅)不登校生徒の椅子の不揃いを直して今日の授業を進む(雨後虹)教師は日々生徒たちのことを思いめぐらしている。さまざまな生い立ちを背負って、教師である私と巡り会っていたのだ。何気なく口端に出た言葉に自から愕然としたこと幾度か。己れの人格が問われた。作者は温かい。実は教職とはとりわけお互いの人格が問われている職業であり、職場でもある。管理職なれば汚れてしまうのか何とも切なくなりて向かいぬ(雨後虹)教育行政は益々実に鈍感になるのではないかと危惧している。黒土は北海道の春の色堅雪溶けて湯気立ち昇る(氷点旅)少年の頃眼前に広がっていた十勝の畑地は、厳寒にして積雪は浅かった。春分を過ぎて、陽は高くまぶしくとも黒土の数センチ下は凍土。茫洋たる大地が湯気を沸き立たせていた。雨止みて北摂の山くっきりと心も澄みて一日始まる(雨後虹)例えばこの一首に北国と異なる暖かい雨、立ちのぼる霧、奥深い風土を窺ってみる。日本列島、この風土と愛し合い逞しい人々の営み、その生きざまこそが「美しい国」なのだ。 (網走二中元教諭)
小 川 輝 道
鳥たちのペチャクチャ際限なく続くヒトの失態語られるらし(雨後虹)たくさんの小鳥の囀りは朝らしい自然の風物詩だ。いかにも活気に溢れ、精一杯語り合っているようで微笑ましい。無数の語らいの中には、みっともない権力者の失態を始め、知能を有するたくさんのヒトの噂も語られているのではないか、というあたりユーモアを含み面白かった。テレビに登場する人達が我が物顔に騒々しくしゃべり、注目を集めようとしている低文化現象は、例の美しさも乏しく嘆かわしいとさえ言える。自然観照の中に、小動物と尊大なヒトを対比させ、その滑稽さを表現する作者のゆとりとウィットに富む感性に共感した。 (網走二中元教諭)
井 上 冨 美 子
雨後なれば虹鮮やかに立って見ゆ幸せは今生きていること(雨後虹)この一首を拝見しました時、二十数年前のあの時のことを思い出しました。仕事と子育て真っ最中の頃、夕刻会合が終わり外に出たとき、凄い夕立でしばし足を止めていました。まもなく雨が止みバス停まで歩いて行って、何気なく海の方に視線を移した時、信じられないような光景が目に入ってきました。鮮やかな七色の大きな虹が、海の上に架かっているのです。こんな美しい虹は生まれて初めてです。本当にこんな事があるのかと何度つぶやいていました。側にいらした全く面識のない人に「素晴らしいですね!きれいですね!」と話しかけていました。その方も「本当に!私も初めてです。」とお応えになりました。その時は全てのことを忘れて、その見事な自然の偉大な美しい力に浸っていました。この一首は、その時の私の気持ちを詠っていただいたようでとても嬉しく思いました。有り難うございました!
(網走二中元教諭)
伊 藤 勝 子
そこだけにしかない論理溢れいてヒトは滅びを加速していく(雨後虹)反対の真実もある殺し合い認めず許さずヒトするけれど(氷点旅)私の父は、私が生まれて三日目に召集され、二十年の五月にメレヨン島で餓死しました。意見の違い宗教の違い、自国の利益の為にと敵を作って戦争になりますが、今年も戦後六十二年で、さまざまなことが報道されます。梯久美子さんの『散るぞ悲しき』の記事を目にした後は、この本を手にすることが出来ませんでした。戦争は双方の国の人間の心が失われる恐さで、心が暗くなりました。メレヨン島の生還者から死者をも食して生き延びた話を小学生の頃聞いていましたので、いまだに戦争の絶えない世界ですが、どうか平和で安心して暮らせる世界になりますよう願うばかりです。 (佐呂間在)
池 本 一 郎
合歓や木槿が咲き出して、梅雨の雨が続きながら夏の季節感が確かです。流氷記五二号拝受。いつもありがとうございます。葉書による拙文を載せていただき特別扱いで恐縮です。
美しかね!我が裡に棲む母が言う桜花びら落ちるしばらく
溜め池のように夕日に照らされて生徒のいない机が並ぶ
どのように米膨らんでいくのかと炊飯器の音聴きつつ眠る
束の間の虹架かりいて全盲の人と出会いぬ見守りながら
今号では右のような作品に特に注目いたしました。どれも読み終わって独特の余韻が深い作品と思います。折柄、お大事に。 (葉書にて。 歌人)
高 階 時 子
溜め池のように夕日に照らされて生徒のいない机が並ぶ(雨後虹)生徒のいないがらんとした夕方の教室。机が夕日に照らされて光っている。作者にはその情景が溜め池のように見えた。「溜め池」の比喩がおもしろい。ほとんどの溜め池は、湖よりも小さくて、どこか泥臭い。そして、それは自然に成ったものではなく、人工的に作られ、水を溜めておくというはっきりとした目的を持った池である。机だけが並んだ、生徒のいない教室と溜め池を結びつけたことが、この歌のいちばんの魅力だ。 (歌 人)
唐 木 花 江
山椒の葉に美しき青虫の付きて殺さぬように告げおく(雨後虹)青虫は蝶になるのか。もしかして花に化けるかもしれない。「殺さぬように告げおく」詩的な言葉である。「桜花残りて青葉きらきらと光と風を浴びながら舞う」写実でありながら実に美しい一瞬を掬いあげている。清新な二首である。瑞々しい感性だ。「雨後虹」何という美しいタイトルだろろう。表紙の写真は知床だろうか。薄ら青い空、紺の山脈、朝なのか、山頂に陽が少し射している。黒ずんだ近景と白い雪原、私は思わず静かに立っているだろう、遠い北の果ての虹を探した。タイトルも一首をなすと言われている。静かで美しい風景であった。郷愁の思いを忘れがたく感じた。 (歌 人 ・大和高田市在)
堤 道 子
唐突の虹の出現見るように今日在る不思議噛み締めている(雨後虹)虹は気象の中の変化の継続があっての結果であろうが、突然と思うこと、また吾という生命が時間の流れの中に保たれて来ているのを忘れたように、虹に触発されて今自分であることを、これも虹に覚めたように突然覚めている。虹が消えると同時に自分である意義はあるのであろうかと思ってみる。歌には「今日」という少々長い時間として表現しているけれど、虹が消えても何かに向かいまた熱中している自分が、先ほど覚めた自分であろうと考える。今を覚めて命の尊さ、不思議さ、はかなさを歌ったと読んでみた。 (歌人。北海道芽室町在)
古 川 裕 夫
触角を揺らしてゴキブリ身構える恐怖の的の我と向かえば(雨後虹)ゴキブリにはゴキブリの世界がある。主人公は今、ゴキブリを叩こうとしているのだが、ゴキブリにとっては命懸けの闘争である。だから恐怖の的なのである。作者には単なる不潔な相手にしか過ぎないゴキブリにとってはこの一瞬が命の瀬戸際なのである。触角を揺らしてと上句に詠い出したのがこの情景をうまく捉えている。この後、ゴキブリは叩かれて命を終わったか、それとも逃げ延びてしまったか、不明の儘に終わっている。これが又、面白いではないか。微苦笑を禁じ得ない。 (歌 人)
塩 谷 い さ む
トンネルの中の溝川それ以上大きくなれぬ鯉跳ねている(雨後虹) 心の混乱が続くなか、創作の環境を作り出すことが出来なかったと言いながら作られた「雨後虹」を拝見して、〈継続は力なり〉という言葉を思い出している。また「歌を詠う目でモノを観ていくのが一番の方法だと悟った。」という。まさにその通りだと思う。学級担任としての責任もあり、大変だと思うが、頑張り続けて欲しいと思うのは私だけではないと思う。読者の一人ひとりが応援をしているのを忘れないで好漢川添英一の奮闘を期待している一人でもある。 (歌 人・東京在)
林 一 英
容赦なくゴキブリ叩き潰すとき阿修羅のようなしびれが残る(雨後虹)今回は問題作としてこの歌をとりあげたい。ゴキブリは蜚蠊とも書くが、とにかくイメージが暗く、濁音に支配されて響きもきたない。人間にとって害虫なのだから仕方がないが、「容赦なく叩き潰す」とは―どんな実害を蒙ったのか、こうまで残酷にとつい思ってしまう。どなたが名付け親か、名前でも随分損をしている。しかし私がひっかかるのは下の句である。叩いた反動として手に残った感覚的、肉感的なしびれもあろうが、「阿修羅のような」という意味深長な表現から「残る」のは、むごいことをしてしまったという慚愧の念ではなかろうか‥‥。(歌人福井在)
吉 田 健 一
四分の一は眠りの中にいてストレスのない夢ばかり見る(氷点旅)「追い詰めて追い詰められて眠りつつ母呼べば母応えてくれる」に始まる夢をテーマにした連作中の一首。中学校の現職教師として日頃ストレスの多い時間を過ごしている作者にとって、夢の中の世界は亡き母にも会うことのできる唯一の心安らぐ場所のようだ。私もストレスに圧し潰されそうな日々を送っているが、不思議なことに、見る夢ときたらストレスとは無縁の、他愛のない内容のものが多い。そんなことから、共感を覚えた一首。他に、「僕の夢だれかの夢と繋がって眠りの森の地球広がれ」にも心癒されるものを感じた。(歌 人 遠野市在)
横 山 美 子
夢ばかり次々出でて朝方は現つも夢の一つとなりぬ(氷点旅)
よく分かる歌です。寝覚めのぼんやりしている時間帯は、目覚めてもまだ夢を見ているような状態にいます。しかし発想を変えれば、われわれが現実と思っているものも、実は夢なのかも知れない!
視野に吸い込まれるように進みゆく自転車とかく一体となり 自転車に乗っているときの感じを、実に巧く詠っていると思いました。そう、自転車が走っているのではなくて、視野が私を自転車ごと吸い込んでいるのかもしれませんね。 人よりも早くに叫び鳴き交わす獣の朝をまどろみて聴く(雨後虹)この獣というのは、犬とか猫のことでしょうね。日中は、人間のペットの顔をしている彼らも、夜中とか明け方は、本来の獣に戻ってというか、雄、雌になって相手を求めているのでしょうね。それを寝床で聴いている川添さん。 一日に一度サナギとなりて寝るヒトよ羽ばたくために眠ろう(雨後虹)おもしろい歌だと思いました。たしかに日に一度寝ないと生きていけないわれわれですが、それを、「一日に一度サナギとなりて」と詠ったところが秀逸だと思いました。さらに「羽ばたくために眠ろう」もなかなかです。水田の水面に電車が過ぎて行き区切られた空揺れつつ映る(雨後虹)巧い歌だと思いました。電車が通った振動で水田の面が揺れたのですね。そしてその水面に映っていた空――その空は水面の面積に区切られている――が揺れたのですね。
(歌人 川西市在)
近 藤 桂 子
みしみしと流氷鳴きて裂け目より透明な血の海が噴き出す(帽子岩)流氷記を読み、川添様が教師であり、本田重一さんを敬愛してやまないこと、網走にもいたことがあるなどを知った。流氷の歌、ご両親、娘さんの歌など、私でも理解できる平明なことばで、深い気持ちを織り込んだ歌々が私の心を捕らえた。この歌は流氷がぶつかり合いながら、そこから海水を噴き出している。透明なはずの海水、それが血の色とは!たとえ夕日で赤かったとしても、もの凄い心象風景と思え、その壮絶さにのめり込んでしまう。思わず本田重一さんの「半身を喰われて唸る牛のごとこの夜の吹雪は猛りて止まず」が思い出された。 (歌人。富良野市在)
谷 藤 勇 吉
紫陽花に虎が雨降るしめやかに母亡くなりて四年となりぬ(雨後虹)三句目の「しめやかに」の働きが見事。これは直接には、「虎が雨」の降る様を形容したものであろうが、ここに位置することによって、ご母堂が静謐の中で死の世界へ旅立って行かれたであろうこと、そのご葬儀が厳かに「しめやかに」行われたであろうことなどが髣髴とされる。今、初期からの『流氷記』をひもといてみると、川添氏は、ご自身に限りない愛を注いだであろう、ご母堂様の生涯とその死について、数多く詠っておられるが、特にその死について歌われる際には、「紫陽花」及び「雨」という語を用いることが多い。これは、ご母堂のご逝去というドラマが、これらの風物詩を背景として展開された故であろうとも拝察されるが、この作品と真摯に対峙した時、私には、これらの語の関連に、それ以上の必然が感じられてならない。さて、作者・川添氏は、この作品において、今までの手法とは異なる新機軸を打ち出した。それは、「紫陽花」に降りかかる「雨」を単なる「雨」としないで、歴史上有名な曽我兄弟の仇討ち物語と関連する、「虎が雨」という言葉で以って表現したことである。これ在るが故に、氏の作品は従来以上に重層的かつ浪漫的なものとなつた。川添氏のご母堂と大磯の虎御前のために香華を。川添英一氏のために乾杯を。
(歌人 秋田県横手市在)
小 原 千 賀 子
工場は跡地となりて深々と空と雲との光ひろがる(雨後虹)
川添さんの通勤の道を、私も毎日通っているので、本当にこのとおりの風景が広がっています。工場は、美しいとはいえない建物だったけれど、どんどん解体されていき、今まで見えなかった空や山が見えて、不思議な感覚がわき起こります。太陽も空も、同じように存在しているのに、建物があったときと今とでは、全然違うようです。やがて、ここにまた新しい建物が建つでしょう。いつかまたこの短歌を読んだら、この広々とした風景を思い出すことができるでしょう。胸塞ぐ不安の中に歌作る鮮やかな自然思い浮かべて(雨後虹)一首評を書くというよりも、強く印象に残った歌です。私自身のことを言えば、苦しみの感覚にとらわれてしまうとき、外に出かけて、誰にも会わず、公園のような木がたくさんあるところをただ歩いていると、合理的な理由は何もないのですが、少しずつ元気が出てきます。自然から深い力をもらっているみたいです。歩くということができるだけでも、とてもありがたいと思っています。 (歌人。茨木市在)
池 田 裕 子
空見つつそのうち何とかなるだろう呟くことで希望を繋ぐ(雨後虹)言葉にしてみると漠然としたものが一つの形になり、漠然としていても、確かな希望へと繋がってくる。心身共に、ある不安が目的に変わって、明日への命へと広がっていく。空は限りなく頼もしい強い味方である。仰ぎ見れば常に私たちを見つめている。そこには亡き父母たちが存在する浄土にと続く道がある。思い通りにはならなくとも、人生には何時も何とかなり、何とかなっていく大きな力があると思う。私は今免疫力をつけるために食事療法を実行中で身体をコントロールしているのが心であり実行力のみと薬に背を向けました。不安ながらも前向きに希望という不確実なものに自分を試しています。季節の移り変わり、朝の光、紅く輝く夕日に、又、夜空の星、月、動物をも含め大自然の全てを支配する大きな力を感じながらの近頃の此の一首心に残りました。(歌 人。高槻市在)
藪 下 富 美 子
逆境になりてもチャンスだと思え平穏無事よりいいかもしれぬ(雨後虹)とても此の歌に励まされました。人は生きていくなかで幾度となく自分の意志とは関係なくいろんなことが起こります。でも、その逆境に流されることもなく、それは自分の感じ方考え方で此の歌に詠まれているように思えるのかもしれません。とても強靱な精神をお持ちなのだと感心しました。チャンスというものは向こうからやって来るものではなく、どのような環境においても自分で掴むものですね。私も残る人生少しでも此の歌に詠まれているような心境に近づいて力強く生きていきたいものです。
(歌人。高槻市在)
古 藤 幸 雄
気に入らぬ者を悪だと決めつけるヒトよもういい加減にしろよ(氷点旅)二十代の川添氏は一風変わっていた。食パンの耳を食べ、八百屋で残り野菜を求め、柿の葉を干して茶葉にしていた。これだけ見れば吝嗇のように見えるが、気に入った硯を見つけると、半年分くらいの給料をはたいて平気で購入した。価値観の異なる人から見れば、奇人変人の類に見えるのだが、なんと贅沢な生き方をしている男かと私は感服した。作歌に全情熱を傾けていた氏は、そのために何の躊躇いもなく暮らしやすい高槻の地を捨て酷寒の網走に転勤転居した。ものごとの価値を定める川添氏のこの視点は今も変わらない。この歌は教え子を擁護しているのかもしれないし、氏自身の心の奥にある悲痛な叫びなのかも知れない。溜め池のように夕日に照らされて生徒のいない机が並ぶ(雨後虹)生徒がいると見えないものが、いないと見えてくるものがある。あれでよかったのか、生徒への対応、自分の言葉などがふつふつと甦り自省とも後悔ともつかない思いにかられることがある。「夕日に照らされて生徒のいない机」を前に教室に佇むとき、詩人の心には何がよぎったのだろう。「怒りつつ励ます所作も見に纏い生徒の小さな成果見ている」とつづくのである。「偉そうな教師に反撥したくなる生徒の心残しておこう(氷点旅)と詠む川添氏なればこそ、生徒のいない机を前に見えるものがある。放課後の空き教室が、夕日に照らされた「溜め池」のように映って見える詩人の描写力には、さすがと唸らせるものがある。 (元教員。高槻市在)
高 田 禎 三
管理職なれば汚れてしまうのか何とも切なくなりて向かいぬ(雨後虹)今回は、川添氏の本職の中学校教員としての悩みが詠まれた歌が多かった。そのどれにも氏の心の葛藤が出ていて、共感と共に頑張ってほしいと思った。此の歌は、かつて管理職であった頃のことを思い出させ、心の痛みを甦らせた。私にも職責上心ならずもやらねばならなかった事もありました。管理職も辛いものです。なめられてしまうと思い凄むのか教師も弱い弱い生き物 氏の生徒指導をめぐる歌の中に、同僚の教員との生徒指導に対する考え方、やり方の違いが詠まれる事があり興味深い。氏は氏のやり方で迷わずにやられることだと思う。氏のやさしさは氏にしかないものだから。
(歌人。高槻市在)
荒 井 衛
同じ道なれども行きと帰りでは距離が違うと思うことあり(雨後虹)趣味でいろいろの所を歩いている自分にはこの短歌が目に付きました。同じ道でも行きには気付かなかったことを帰りに発見したり、以前に来た道なのに今日来てみると非常に短く感じたり長く感じたりすることはよくあります。ところが今歩いている道が行きと帰りでは距離が違うと思うことがあるというのですよ。何でもない事柄であるが、本当にこう思えることは多々あることで、この短歌には全く同感です。自分の体験では、帰りに距離が短く感じることが多かったように思います。それにしても、よくこういうところに目が行ったものと感心させられました。(歌人。高槻市在)
柴 橋 菜 摘
鳥たちのペチャクチャ際限なく続くヒトの失態語られるらし(雨後虹)昔話「聞き耳頭巾」であったか、鳥語を解することが出来たのは?人間の耳にはやはり「チッチッチ」「ホーホー」「カァカァ」各々の鳥語で届く方が良いかも知れない。これが日本語訳されて聞こえてきたら、たまったものではない。きっと恐ろしい話しも混じっているだろう。でも中に、面白い話や希望につながる話が一つでもあれば、人はやっぱり生きていけるかな?夕刻、電線や木々に止まり、賑やかに囀っている彼等を見上げ、きっとバカな我等の所業を報告し合っているのではと、時々聞き耳を立てて見る。 積む雪の白温めて冨武士の山に薄日移動していく(氷点旅)流氷記の三十一文字は、川添さんの心の叫びであるとともに、それに共鳴する人々の集合体だと思う。ときに激しく、ときに哀しく、ときに優しく‥‥。この一首の「白温めて」「薄日移動していく」が、何とも言えず私をホッコリさせ、幼い日、吉野連山の移ろう薄日を、独り眺めていた自分を思い出したのである。
(奈良大和高田市在)
中 島 タ ネ
紫陽花に虎が雨降るしめやかに母亡くなりて四年となりぬ(雨後虹)今回はお選びするのに迷いました。このお歌は紫陽花の好きだったお母様を偲び、四年の月日が過ぎて尚お慕いする気持ちは強くなるばかり、そんな時、現在の社会問題や教員の評価、何処まで続くいじめ自殺不登校などエスカレートするばかりで、心の安まることのないのが、人に優しく自分に厳しくの川添様の信条でしょうか。もっと自分を労ってくださいませ。何もかも順調ならば歌なんか出来ないだろうと諦めている この世に生きている限り悲しいとき苦しいとき悩んだりする時々に楽しいことがあればいいですね。生意気なこと申し上げてすみませんが、もっと気楽にして、急いで何もかもやっておしまいにはならずゆっくりと人生を歩いていって下さいませ。屹度お母様もそう願っておいでになると思います。 (福岡市在)
西 田 恵 理
あの虹は自分の上にも立っている守られながら人は生くべし(雨後虹)虹は、時として見た人の心に深く刻まれるのであろうか。今年の春、新学期、通勤途上の朝方、万博公園の緑あふれる森伝い、180度円弧状にキラキラと輝く虹を見た。その虹は、今、まさに、地面から歩いて渡ってみたい虹。私は、何故か、心ときめき「生きているって素敵」と、前向きで幸せな気持ちに満たされた。川添先生のご覧になられた「あの虹」は、私の見た「虹」と同じ「虹」だったのでしょうか。私にとっての「あの虹」を思い出させて下さったこの歌は、「流氷記第五十二号雨後虹」の中でも特に心に残りました。そして、この歌は、生徒を心から愛し、広い視野で物事を見極めることができ、人間性豊かで温かな心の持ち主である先生の人柄がにじみ出ています。
(西中学校保護者)
岸 久 美 子
何一つ無駄などなくて生きて来たこの頃そんな思いに浸る(帽子岩)若い頃からこの歳になるまで、いろんな事を経験してきた。楽なことや成功ばかりではない。失敗や挫折、いろんな苦難を乗り越えてきた。この歌を読んだ後、今自分がこうしてあるのは、その一つ一つの積み重ねのおかげだと思えてくる。どれも私に必要な事だったのだ。自分の子供にも「失敗や苦労を恐れるな。大人になった時、その経験が何一つ無駄なくあなたの人生に生かされてくるのだよ。」と言ってあげたい。
(西中学校保護者)
高 田 暢 子
なめられてしまうと思い凄むのか教師も弱い弱い生き物(雨後虹) 中学生の時は、先生が怒る姿によく理不尽を感じていた。なぜこんなことぐらいで怒らなければならないのか、なぜあんなに感情的に、暴力まで使うのだろうかと不思議でならなかった。その疑問を他の教師や親たちにぶつけると、「教師も人間なんだから」といつも言われたが、納得なんて出来なかった。今年母校の西陵中学校に教育実習で戻り、生徒たちに対峙すると、全てを見透かされているような感じで恐かった。これが先生の立場かと実感した。自分が恐かったように先生たちも恐かったのだろう。同時に、先生たちはそれに耐えられない弱い人たちだったのだろうと思った。もし、この先私が教壇に立つことがあれば、生徒たちと対峙し続ける教師でありたい。 (西陵中卒業生)
平 岡 勇 作
雨後なれば虹鮮やかに立って見ゆ幸せは今生きていること(雨後虹)昔の日本では、『虹』とは龍であると考えられていた。だから二つ目の『霓』という漢字が日本で出来た。『虹』が雄、『霓』が雌。太陽と反対方向に現れる、はっきりと見える『虹』。太陽と同じ方向に現れる、うっすらと見える『霓』。今の科学社会では、その二つの『虹』は両方共に光の反射である、と解明されてしまった。だが美しい景色として、昔から変わり無く存在し続けている『虹』。古来日本で龍は八部衆の一角としての崇拝の対象。その幻想的な光を見ることは、まさしく生の実感である。そこから、生きているから幸せを感じられる、と発想が転換されていく。死んで花実がなるものか、と。げに美しき詠懐一首也。 (西陵中学校卒業生)
大 西 美 帆
何糞と思いてハハハと笑いいる強くなるべし逆境なれば(雨後虹) 逆境になってハハハと笑えるのは素晴らしいことだと思います。私は逆境になるとすぐに狼狽えてしまい、凄く悩み、笑うことは出来ません。この歌を見たとき、逆境の時に笑えるような、強い自分になれたらいいなぁという、憧れを抱きました。今すぐには無理だと思いますが、少しずつ、逆境の時にも笑っていられる強い自分になれるように頑張りたいです。 (西中卒業生)
和 田 ひ と み
あの虹は自分の上にも立っている守られながら人は生くべし(雨後虹)どんな時でも、人は一人では生きられません。常にだれかが傍にいて、そっと守ってくれている。たとえそれがお節介だなと思うことがあっても。たとえそれが無駄に思うとしても‥‥。人は必ずだれかに守られ、又、人は人のために尽くしてやりたいものです。それが〈人〉というもの。それが〈人間の在り方〉であると私は思います。けれど、そんな事を言っている自分は、人から本当にたくさんの恩を受けているのに、その一つ一つをしっかりと受け止められていません。最も身近で私のことを陰から支えてくれている家族。私の至らない点を気付いてくれ私に教えてくれるのに、私はそれを〈うっとおしいなっ!!〉などと思ってしまい、折角のアドバイスも気にも留めず、右から左へと流していました。特に母の言うことには全く聞く耳持たず‥‥。友だちが何かアドバイスをしてくれても、自分にとって嫌なことを言われるとすぐ腹を立ててしまったり‥‥。自分がとても情けないし、何て恩知らずな人だ‥‥と思い、とても自分に腹が立ちます。これからは、もっと周りの人たちからの優しさに素直に応えていける自分になりたいです。 (茨木市立西中学校三年生)
馬 場 梨 江
空見つつそのうち何とかなるだろう呟くことで希望を繋ぐ(雨後虹)きれいな青空は嫌なことや不安なことがあっても「そのうち何とかなる」「きっと大丈夫」だと思わせてくれます。当たり前のように青空はいつも私たちの真上にあり、ちっぽけな雲があるだけですが、そのちっぽけな雲が青空が私たちに安心感を持たせてくれているんだと思います。「唐突の虹の出現見るように今日在る不思議噛み締めている」今、私たちは当たり前のように毎日を過ごしていますが、これは不思議なことだと思います。学校に行って授業を受けることも、友だちと話したり悩んだりしてることだってとっても不思議なことなんです。今ここにこうして生きているのはどうしてなんだろうと思うときがありますがちゃんとした理由なんてありません。虹が急に出るように、人にも急に何かが起こるときがあるんです。こういう自然現象と人を重ね合わせてみると意外とおもしろいなと思いました。(西中三年生)
山 崎 響 子
空を飛び羽うねらせて耳元にヒトを攻撃するつもりか蚊は(雨後虹)蚊は、夏になると私たちの大敵になります。ひきょうなことに、寝ているところを狙ってくることが多いので、朝になるととても痒くなります。寝ているときに耳元でプーンという音がすると鳥肌が立ちます。蚊なんておらんかったらいいのに、と思いますが、誰かが、色々な生物がいてこの地球のバランスを取っているんだと言っていたのを聞き、あー、そうだなと思いました。今の季節にピッタリだなぁと思い、選びました。(西中三年生)
能 勢 一 穂
不登校生徒の椅子の不揃いを直して今日の授業を進む(雨後虹)
この歌を読んでグッと来るものがありました。もうすぐ夏休みでクラスの皆とも離ればなれになってしまう事を考えると不登校生徒の人とは学校でも会えないので、夏休みに入るともっと会える機会がなくなってしまうわけです。「学校でも会えないのだから夏休みに入っても同じじゃないか」と思う人もいると思いますが、小学校の時は友だちで今、不登校の子には会いたいわけで‥‥夏に入るとサティとかで会えるかも知れないけど、私はその子と学校で会いたいので‥思い出しては、元気かなぁと思うのです。そのせいか、この歌はズキンとしました。まるでみんなは不登校のその子のことを気にも留めていないようで‥‥でも、実の所はそうかも知れないのです。教室で暴れてたくさんの机をグチャグチャにしても授業妨害しても自分優先の人があんなにいるのだから、当たり前かもしれないのです。この歌を読んでもう一度考えさせられました。私は優しい人になりたいです。桜花残りて青葉さらさらと光と風を浴びながら舞う 何となくすごく淋しい歌のような気がします。残ってしまった桜の花びらが、青葉が茂る頃に落ちてきたのを見たことがあります。すごく淋しくてすぐに土の上に落ちてしまいました。戦争の映画で、桜吹雪を背景に「散る桜 残る桜も 散る桜だ」と言っているけれど、先生の歌も人に重ねて考えると、とても悲しい歌になる時があります。だけど青葉と重ねて残った桜を見ると少し元気が湧きました。生まれ変わるように四回様子を変える桜。私もそのようにして変わっていきたいです。(茨木市立西中学校三年生)
中 野 泰 輔
前向きに明るく生きていればいいこの世は全て幻なれば(雨後虹)人間誰しも喜怒哀楽という感情を持っている。でもやはりみんな楽に生きたいと思っている。しかし、この歌から感じられるのは、何も問題なく人生が送られればいいとか、問題にぶち当たって、どうしていこうかと悩んでいる様子は勿論全く伝わってこない。逆に「失敗してもどうにかなるさ」というニュアンスが伝わってくる。今の社会、金がないから自殺したり、今の地位を保ちたいために、汚職をしたりと、色々なことがある。でも、考えてみれば確かにくだらない。金や名誉なんかはあの世には持って行けないのに、そんなことで悩む人が多すぎる。そうなるんだったら最初から貧乏人の方が良かったんじゃないのと思うときがある。でも、やっぱり貧乏でも前向きに生きていれば、そんな生活も楽しくなるだろう。もしかしたら何か大きな幸せを見つけられるかもしれない。そんな人があるかも知れません。だからそんな小さいことでめげずに、そして気楽に人生を送れるような自分でいられるようにしていきたいと思います。(西中三年生)
石 丸 雄 一
高熱で唸っているのに市議選の最後のお願いコールが響く(雨後虹)前々から思っていたことがこの歌に凝縮されており、思わず苦笑してしまいました。一中学生が言うのも何ですが、今の日本の選挙は極めて変です。選挙カーで大音量で宣伝し、街頭演説でも自分の掲げる政治方針よりも名前を覚えさせる。大方の方々がそんな方法を取っているように見えてなりません。無差別に宣伝している町中には、この歌のように大きな迷惑と思っている人も大勢いるものだと確信しているので、このような手法は自分には納得しがたいです。印象に残らせることは案外簡単なことである、と自分は考えています。ただし、それが良い印象にするとなると、なかなか簡単なことではないとも考えています。そうだからこそ、あんな安易な宣伝は改めてもらいたいと思っています。来る七月二九日には参院選の投票が行われるようです。まだ有権者でない自分にとっても、これからの生活が少しでも変わる可能性を信じ、是非とも「価値のある」言葉を聞きたいと思っているところです。 (西中学校三年生)
小 野 開 登
えっ、みんな嘘じゃないかと思うこと此頃多くなりて過ぎゆく(雨後虹)ニュースを見てても、身近なことでも、いろんなハプニングは起こると思います。例えば、ついさっき食べた肉まんに段ボールが入っていると知らされたら、誰でも驚くでしょう。何でも自分の都合のよいように転がってくれれば嬉しいのですが、そういかないこともある。その時が人生で一番苦しくて楽しい。その表裏一体となった二つの物を、僕は感じる時が減っているように思います。自分はいろんなことから逃げているんだなと。ハプニングが起こるということは、自分が行動をしている証だと思います。逆に、ハプニングが少ないということは、自分が特に大した行動を起こしていないということを示していると思います。行動を起こして、苦しみと共に生まれるのが真の楽しみだと思います。逃げていてはいけない。何か行動を起こさないと意味がないと思いました。(茨木市西中学校三年生)
中 野 健 太 朗
拳銃をみんな持ってるアメリカが核を持つなと小国に言う(那智滝)銃、それは使う人を選ばない。核、それは人々を恐怖と絶望に陥れる。このことはアメリカがよく解っている筈です。アメリカは前大戦で戦勝国の一つになりました。アメリカが原爆を使ったのは、アメリカがこれ以上損害を受けなくするために使いました。その後、日本は憲法を改正し、今は『軍隊』を持たない国になりました。平和のために、しかし、アメリカは今『核』を保有しています。広島、長崎に原爆を落とし、その惨劇を見ても、なおかつ、銃により自分の命を守らなければと言い訳をしながら、依然として銃を持ち続けています。そんな戦勝国であるアメリカこそ、平和を訴え、核武装を解除するべきではないでしょうか。他にも、ロシア、北朝鮮等、広島・長崎を見て『核』をまだ手放せないのでしょうか。また繰り返すつもりですか?あの悪夢を!
(茨木市立西中学校二年生)
瀬 野 実 咲
ちょっとしたことで落ち込む君に告ぐチャンスと思え明るくなるぞ(雨後虹)この短歌を読んで、少しだけ勇気をもらいました。私も、よく些細なことで落ち込んでしまって、なかなか前へ進めません。でも、この失敗を次のチャンスだと思えば明るくなりそうです。しかし、そうだと言っても、その失敗を次に生かさずに何回も同じ失敗をしていては駄目だと思います。そして前向きに行動することが大切なことだと実感しました。(西中二年生)
木 村 湧 也
一日がかく速く過ぎ避けられぬかの日を思う如何ともなし(雨後虹)僕はこの歌を読んで、一日って速く過ぎるようで、速く過ぎないようにも思いました。一日は速く過ぎても何も思うことはないし、速く過ぎなくても何ともありません。こう考えると、一日は不思議だなと思いました。そして今日という日があるから、また明日も来るんじゃないかなと思いました。(茨木西中二年生)
川 添 和 子
空を飛び羽うねらせて耳元にヒトを攻撃するつもりか蚊は(雨後虹)「あっエサだ、エサだ。おいしそうだなぁ。エサの固まりの中に、好みの暗闇があるぞ~♪」(ヒュッと手が飛んでくる)「おっとー危ないなぁ。このエサは獰猛なんだよなぁ=,それにしても腹ペコだぁ…」思わず蚊の身になって、呟いてしまいました。
何糞と思いてハハハと笑いいる強くなるべし逆境なれば 兄のこの歌を、父が書にした短冊を、保健室の片隅に飾っています。眺めていると、亡き母の幸せを思います。折々の歌に兄の一首が掲載された朝、早朝の電話で感激明けやらぬ声で報せてくれた母の声が思い出されます。短冊を飾ったその日の女の子二人の会話「逆境って、今の私やん。ハハハって…ハハハって笑える気持ちじゃないよね~。」「ハハハ…でも笑いよ~やん。」この歌を口ずさみながら、教室に戻って行きました。歌がこの娘たちの言葉となり、力となってくれることを願います。さて、次は、私からリクエストして、どの一首を短冊に作ってもらいましょう♪
(妹 福岡県立北筑高等学校養護教諭)
古 藤 幸 雄
何もかも順調ならば歌なんか出来ないだろうと諦めている(雨後虹)幸せに満たされた人の人生から秀歌や名作が生まれるわけがない。歌人や作家が生み出す作品なんて所詮は苦悩に呻吟する魂の証だろう。世間の常識的価値観から一定距離を置いた人生を生きている。それも納得の上で。ナンバーワンでなくオンリーワンであることを求めて生きている人に文句を付けることはない。
『専待春』の編集、印刷を終えてから、たくさんの一首評が漏れていることに気づきました。原稿のまま大切に持っていたり、他のファイルに入れていたものです。大変失礼しました。
萬 里 小 路 和 美
駐車場隅に小さな菫咲く紫は亡き母愛でし色(雨後虹)紫は慈愛の色。ありし日の御母上様の慈愛に満ちたまなざしが伝わってくる歌です。道端に咲く小さなすみれに出逢えただけで嬉しくなります。小さな体に、優しさと強さをたたえ、ひたむきな生き方を教えてくれるすみれ。見つめている私に何も望まず、ただ、やすらぎを与えてくれる花。そんな野の花のような生き方をしたい。そう思わせてくれる一首です。 (詩人。京都八幡市在)
里 見 純 世
同じ道なれども行きと帰りでは距離が違うと思うことあり(雨後虹)流氷記第五二号発行敬意の至りに存じます。何気ない表現のように見え乍ら、小生の心を捉える先生の表現力に感心した歌を拾い上げてみました。右記の歌ですが、小生は毎日散歩を続けており、最近はさっさと歩けなくなってきて、先生の此の歌をまさしく実感として受け止めています。次の歌もさらっと詠んでいて、観察眼が行き届いているのを感じずにはいられません。口調も整っていて惹かれる歌です。
水田の水面に電車過ぎて行き区切れられた空揺れつつ映る
(歌人。網走市在。元網走会長)
葛 西 操
神仏信じるべきか運不運授ける何かがあると思えり(雨後虹)
私は小学生の時から亡き母が朝学校に行く前に、必ず神仏にお線香を立てており、お祈りして行きなさいと言われて、その通りに行っておりました。また引き揚げの時は皆疎開して家には大きな御仏壇ばかり。私は心のどこかに神仏を信じていたのだと思いました。今でも朝夕は必ずお経を上げてお参りをしております。やはり人間は何かに縋り掴まって頼りにする何かを自分の力にする、そういう心を誰でも持っていると思います。私は自分が弱いのか、いつでも自分の心から信仰は離れませんでした。信じて悪いことはないと思います。 (歌人。北見在。九十七歳)
前 田 道 夫
不登校生徒の椅子の不揃いを直して今日の授業を進む(雨後虹)
不登校生徒は教師にとって最も頭を悩ます存在であることと思われます。教室の中において、そこだけぽっかりと穴のあいているような空しい感じ、「椅子の不揃いを直して」に、生徒に対する優しい心遣いがよく表されていると思います。「悪いことしてみて世間知ることも君らの仕事なのかもしれぬ」「ちょっとしたことで落ち込む君に告ぐチャンスと思え明るくなるぞ」これらの作品からも教室における作者の姿をまざまざと思い浮かべることか出来ます。 (歌人。浜松市在)
小 石 薫
同じ道なれども行きと帰りでは距離が違うと思うことあり(雨後虹)「ちょっとした事で落ち込む君に告ぐチャンスと思え明るくなるぞ」「雨後なれば虹鮮やかに立って見ゆ幸せは今生きていること」も心に残る歌ですが、今の心境にぴったりなので先の歌を挙げました。私は今介護のため病院通いをしております。夕方帰って来る道のりを遠いと思う時が多いのですが、自分の作品がなく締め切りを前に困っている時に病院にいて出来てしまうこともあり、気持ちが楽になります。この作品はどちらと理解しても成立する内容でそこが自在で良かったのかと思います。
(歌人。東京在)
山 本 勉
水田の水面に電車過ぎて行き区切られた空揺れつつ映る(雨後虹)この一首、上句と下区が見事に決まった作品だと思う。作者の立っている位置まで分かる作品だ。「水田」は「水張田」だろう。僕の住んでいる所は、山と空と田圃ばかりであって、悲しいかな電車の通るような環境ではない。鴉ばかりが威張っているといっていい。この一首の中の「区切られた空」にドキッとした。この歌が作られた頃は田植えの頃だったと思う。「区切られた空」は広いキャンバスであり、限りない名画を見せてくれるものだ。たまたま電車が通過し、その振動か風によってこの「空」が揺れた。それだけのことであるが、誰もが気づかない一瞬を、作者はきっちりと捉えている。
(歌人。京都府亀岡市在)
名 越 環
大宇宙わずかに変わるとも見えずたちまち人も地球も滅ぶ(那智滝)なんと悲しく暗いニュースばかりを流すのか、「日本のマスコミ」よ…。どうぞ、時にはお腹の底から笑えるニュースを流しておくれよ…。アメリカが転んだら、日本はどうなるの??アジアの中の日本(地球の上の)、しっかりしてくれよ~。嘆かわしくて、投げやりになっても、日々は流れ過ぎてゆくから、着実に、1歩をすすめないとならない、人間のこの【私】。「日本では食べぬ平和な鳩の声くぐもりながら朝をこだます」(雨後虹)にも、今朝は共感を覚えて嬉しい。川添先生の視点には、毎回どきりとさせられて、でも 気持ちが良くすがすがしさが漂う。やはり、逃げ出すことなく、1歩前へ・・・(仙台市在住 仙台三浦綾子読書会)
付記 前号から半年以上も経ってしまった弊害かも知れません。気持ちが間延びしている間に、折角送っていただいた原稿を離散させる結果になってしまい汗が溢れるばかりです。他にも、気がついたことがありましたら、ご連絡下さいね。次号は三月には出して不具合のないよう気をつけて編集します。