畑 中 圭 一
同じように見えて二つとない波の形溢れる海飽かず見ゆ (専待春)打ち寄せる波はみな同じように見えていたが、よく見るとその形はさまざまで、みんな異なっている。同じものはない。言わばひとつひとつの波が個性を持っているように作者には見えたのであろう。それで、いつまでも「飽かず」見つめたのである。画一化されていく現代社会、個性が押しつぶされ、皆同じような生活スタイルを志向し、同じような考え方・ものの見方をしてしまう、というよりも同じでないと仲間はずれにされてしまう社会、そういうものを強く感じているが故に、作者はひとつひとつ異なった形でやってくる波に惹かれたのである。それは自然のもつ力や命への回帰でもある。私が惹かれたもう一つの歌は、萩群れている野に入れば千年の命が我に宿ること知る であるが、この二つの歌は、自然の力や命への賛美という点で相通ずるものがあるようだ。 (詩人。児童文学者。京都府木津川市在)
中 村 桂 子
同じように見えて二つとない波の形溢れる海飽かず見ゆ(専待春)歌がおつくりになれない時が続いたとおっしゃる言葉の向うに、お母様をはじめ、身近な方が相次いで亡くなられた悲しみがおありと知りました。他の方の気持を慮ることはできても、その気持にはなれないもどかしさどうしようもありません。ただ、こうしてまた流氷記をおつくりになったことを素晴らしいと申し上げるしかありません。一つ一つ読ませていただき、静かに海を見つめていらっしゃる様子の見える歌を選ばせていただきました。
(JT生命誌研究舘舘長)
三 浦 光 世
戦場は怖いというのみ戦争のことは語らず伯父逝き給う(専待春)いわゆる反戦歌ということになろうか。他者の言葉を素材に、一首にまとめることはむずかしいが、これは見事に決まっている。
「戦場」と「戦争」の二語の使いわけが、まことに巧みである。氏の作品傾向の中では、珍しい部類に入るが、このような作品も、今後大いに期待したい。とにかく今回は右の一首に特に感動させられた。
(三浦綾子文学記念舘舘長。旭川市在)
黒 江 勉
同じように見えて二つとない波の形溢れる海飽かず見ゆ(専待春)作者はどんな時にどんな心境の時に詠んだのかと思う。物思いに耽っていた時ではないだろうか。私にもある。そんな時の方が多いし、歌にも出て来易い。海と陸からできている地球。この果てしなく押し寄せて来る一方の雄である海は波でできていると言っても良いのではないだろうか。エンドレスの中にあるような、無限の愛の象徴でもあるようだ。しかし一方に突如として怒り狂う、人に下す神の厳しさを現す津波ともなってしまうのである。人はどう生くべきか、波は教えてくれる。
(三浦綾子さんの生前、最も親しくしていた人の一人で、『氷点』にも、陽子の高校の美術教師の黒江先生として登場している。)
加 藤 多 一
オモロナイと中学生の娘言う若手芸人今花盛り(専待春)この歌の前においた「大方は面白くもない笑いにて若手漫才冷ややかに聴く」と共に「お笑い」を「笑う視点」が私を刺戟してくれる。しかし、この程度ではそれこそオモシロクナイ。歌壇を問題にしない川添さんゆえ、この程度の批評精神ではなく、塩酸ほどの毒が欲しい‥‥こう望んではいけないのでしょうか。「偽」という漢字で代表されるような、特に権力側の嘘と言い逃れを徹底追求できない日本人の現状を見破っている中学生に大人は答えられない。最高権力、天皇制の前では浅薄な笑いをするしかない。
(児童文学者。北海道夕張郡在)
藤 本 美 智 子
雑踏に目を凝らし見る亡くなった母がまだいるような気がして(氷点旅)『流氷記』の御本も頂戴し、水がほとばしり出るように歌を作られているのに驚きました。お母様への思いは格別で、この歌のように雑踏に目を凝らしお母様を捜していらっしゃいます。お母様がいたらどんなにいいでしょう。自分はこれほどまでに母を思えるだろうかと反省しました。母がいることはありがたい。それにしても、中学生の皆さんは先生の歌を鋭く読んでいますね。
(詩 人。高松市在)
森 山 久 美 子
拳銃をみんな持ってるアメリカが核を持つなと小国に言う(那智滝)ひところは、大国の権威や包容力があったように思われますが、だんだん後ずさりしてゆく寂しさを感じます。此の歌は、弱い者いじめの根源をついていて心惹かれました。戦中派世代ですので。みんな佳い作ばかりで目移りしてしまいます。長い間、短歌離れが続いていますので、見る目もおぼつかなく、逡巡の後、書かせていただきました。
(詩人。大阪寝屋川市在)
菅 沼 東 洋 司
ムクムクとひしめき合える鶏頭の色鮮やかな花を見ている(専待春)赤と黄色の鶏頭の花は奇妙に存在感のある花です。盛り上がるように咲く様には圧倒感すらあり、見る人の心を捉えて放しません。人は花を愛でるとき、花の美しさに自己を投影させて無我の境地にひたります。そんな束の間の陶酔感の中で本来の自分を取り戻し、無意識のうちに心の浄化をはかるのです。思うにまかせぬ世のしくみ、人間の勝手のよさなどを時として嘆く作者の心境が、鶏頭の花をじっと見つめている姿から感じ取ることができます。何気ない所作を描きながら作者の内奥を読み取ることができるのです。新しき世界を欲りて春を待つひたすら熱き心となりぬ 鶏頭の花を見つめている作者の胸中はこっとこのような心境に満たされているのではないでしょうか。(作家。ブラジル在)
鈴 木 悠 齋
目の前にこんなつまらぬ人がいる同じヒトだと思いたくなし(専待春)私の一首評の自慢はあまり人の取り上げない歌を選ぶということでしたが、前号の「雨後なれば虹鮮やかに立って見ゆ幸せは今生きていること」が何と私以外に五人も選ばれておりショック?を受けました。長い間投稿を続けておればちょっとは人並みになったということでしょうか。けれどヘソ曲がりの私としてはやっぱり人の選びそうにない歌を選びたい。今回の歌は大いに共感しますが、私の場合は、わが子や親を虐待したり、殺したりする親や子の記事を見るにつけ、こんな連中は人間以下だと思ってしまうことです。そしてこんな親殺しや子殺しの多い国は必ず滅びるだろうと悲観するのです。 (書家。寝屋川市在)
込 堂 一 博
現代歌こうあるべきという声を無視して歌壇から遠くいる(専待春) 人は、ある枠にはめられると自由と喜びを失うものではないかと思う。「こうあるべき」という声を余りに気にしていると一歩も身動きができなくなってしまう。九年前から油絵を趣味として始めた。だんだん作品を描く中で、人々から評価され、何かの賞を取ってみたいという誘惑が忍び込んできた。その誘惑を払いのけつつ、自分は、自分の感動したものを、楽しんで描けば良いのだと自らに言い聞かせている。作者が歌壇から遠くいることは、作者の個性を貫いて生きる姿勢であり、深く共感する。時には、それが辛く淋しいことであっても。(牧師。三浦綾子読書会。)
安 森 敏 隆
親を食べ生きる虫ありさながらに母死にて後わが裡に棲む(専待春)何とも共感する、すごい歌である。私も二〇〇一年一月十七日、藤田昌子を亡くし、一年後の二〇〇二年一月六日に実母文江を亡くした。その長い介護の中から、死んだあとに二人の母が私の裡に棲んで、「介護百人一首」という、たまものを私に与えてくれた。今年もNHKに福祉ネットワークで「介護百人一首」を募集したところ、五九五三首の歌が応募され「百首」にしぼり、一月二六日にNHKみんなの広場ふれあいホールで吉永道子さん、毒蝮三太夫さんらと公開録画する。母のたまものである。
(歌人。同志社女子大学教授)
北 尾 勲
連なりて六甲よりも高き雲その下神戸の街も暮れゆく(専待春)
季節はいつなのであろうか。前後の歌から判断すると夏のようであるが、季節に関係なく、それはしばしば見られるのであろうか。六甲の山並みはいつ見ても近々とあり、眺めるにしてはあまりにも日常に接し過ぎているのであるが、それよりも低く雲がかかって、「神戸の街」を包んでいるというのだ。山、雲、街並みの三者が立体的にとらえられ、いかにも風景が立ち上がって来るかのように思える。結句「暮れゆく」で、一定の距離感も感じられる。 (歌 人。鳥取市在)
川 口 玄
ヴェロニカに遇いしイエスの悦びか真っ赤な紅葉の一樹輝く(専待春)美しい紅葉の一本の樹を見て、ヴェロニカを連想するのは、やはり作者の詩人の魂なのだろうと思う。時々、ハッとするような美しい紅葉の木をみることがあるが、これからは小生もヴェロニカを思うことにしたい。佐藤忠良に「ヴェロニカ」の顔の作品あり。これは気品があって美しい若い女性の像であるが、ヴェロニカというのは美しいだけでなく、「やさしさ」の象徴なのだろう。 (『大阪春秋』元編集長)
神 野 茂 樹
ことごとく逆風満帆なれど行く前代未聞なればなお良し(専待春)いつものことながら、私は無粋で、深読みも出来ず、パッと選んでしまうのだが、今回は、日記帳の端に小さく載っている“格言”に触発されて、右の歌を選んだ。前回は日めくりで今回は日記帳と、凡人ここに極まれり。 (元『大阪春秋』編集長)
小 川 輝 道
戦場は怖いというのみ戦争のことは語らず伯父逝き給う(専待春)夜に目が光って兄さん怖かった戦争直後の伯父を母言いき 悲惨な戦場へ行かねばならなかった伯父をうたうことは、故なく生死をさまよい身を捧げざるを得なかった人への慟哭であり、非戦への深い想いなのだろう。一人一人の信条やささやかな暮らしを暴力的に奪っていった戦争の時代を、必死に生きた「母べえ」を描いた山田洋次監督の鋭い洞察と表現、美事に演じた吉永小百合の悲しいまでの訴えに心を動かされた後だった。伯父と別れる川添さんの痛切な想いと、飾らない表現に深い共感をもつことができた。 (網走二中元教諭。北見市在)
井 上 冨 美 子
お坊ちゃん家庭教師で育ちいし首相が教育改革を言う(専待春)
やはり気になる教育界の変遷。一月十八日(金)の朝刊に“中教審「脱ゆとり」を答申。新指導要領〇九年度から一部実施”大きな見出しが目にとまる。ここ数年教育界の話題がとぎれることがありません。良い方向に変遷していくのであれば歓迎も出来るのですが、私にはどうもそのようには思えないのです。もっと現場の声を聴いてほしい。もっと子ども達を取り巻く環境(家庭も含め)を直視してほしい。もっと教師の要望を聴いて欲しい。そして、永年培って発展してきた、日本風土に根ざした教育の良さを忘れないでほしい。“学校に行くのが楽しい”と子ども達が言えるような世の中になってくれることを切望しています。大人が元気な若葉の芽を摘み取るようなことだけはあってはならないと思うのです。最後に、詠まれていました「新しき世界を欲りて春を待つひたすら熱き心となりぬ」寒い北風と向き合いながら暮らしている者にとって、力強く温かいメッセージとして心に響きました。 (網走二中元教諭。網走市在)
弦 巻 宏 史
落ちてきた蝉を貪る野良仔猫命が命の中に収まる(専待春)生命が生命を食う。その様は一錠の風景である。わが飼猫が蜘蛛を食べる凄まじい形相に恐怖を抱いた経験がある。また、ひとつの生命を全うできずに潰えてしまうこともある。生ぬるき夏へ移ると思いしがはやおのずから落ちる蝉あり
ある時、灼熱のアスファルトの上で毛虫が遺体と化していた。この通りを渡り切れなかったに相違ないと、ぼくはいたく同情した。作者のいのちを把える視点に同感することが多い。戦場は怖いというのみ戦争のことは語らず伯父逝き給う あまりにも悲惨で痛苦に満ちた体験故に、語れぬまま逝った人は実に多い。戦争は最も卑劣で汚い極悪非道な犯罪である。二十一世紀こそは、人びとのひとつひとつの生命とひとつひとつの人生に思いも寄せず驕りと貪りを極める権力亡者たちには、早急にお引き取り願う時代でありたいですね。(網走二中元教諭。網走市在)
里 見 純 世
我よりも母亡くなりし後の父逞し料理美味く工夫す(専待春)
此の一首に心を打たれました。何と言っても下の句が光っていますね。読み手の誰にでも共感できる歌ですね。先生もほっとなさっていることでしょう。お父上のご健勝を祈って止みません。此の外に小生の心に残った歌をあげてみます。
工場の跡地の中の水溜まり空の青さと輝き映す
殺人を暴くドラマと悪を斬る時代劇観て盆も過ぎゆく
現代歌こうあるべきという声を無視して歌壇から遠くいる
お坊ちゃん家庭教師で育ちいし首相が教育改革を言う
(歌 人。網走市在)
葛 西 操
全神経集中させて杖と行く全盲なれば声掛けず過ぐ(那智滝)今年は温暖化のせいか、とても温かい日が続いております。私のような老人には凌ぎやすい年です。それでも年と共に頭の方も物忘れが多く、歌などとても読めなくなりました。この先生のお歌を読んで、私も若い頃、全盲の女性を見て、声を掛けようと見てむおりましたが、私より速く歩むので、私は目の見えない方に神経が宿ってお出でだと思いました。この度、歌人会の三十二号に、私は、瞽女という重い人生百年を生きてきて、その労苦に心が揺さぶられるということを書きました。その瞽女さんは丁度百歳で亡くなられたということです。それをテレビで拝見しましたが、私は全盲の方は、心に神が宿っていると思いました。全神経を集中させておられるからですね。(歌人。北見市在。九十八歳)
南 部 千 代
親を食べ生きる虫ありさながらに母死にて後わが裡に棲む(専待春)久しぶりに流氷記ありがとうございました。苦しい時期であられた由、乗り越えて出来た五十三号を安堵の思いで読ませて頂きました。川添さんのお歌には変わらないテーマとして生と死が真摯に取り上げられていると拝見しています。生物は必ず死ぬとは誰もが知っていながら、どうしても自分のことは遠くに置きたい、私はその典型のようなものです。信に薄い身を恥じながら年を累ねています。もう両親も居ません。私が食べてもらう番でしょう(笑)。表紙のブルーが素敵ですね。網走はこれから流氷が迫ります。私も春が待ち遠しいです。次のお歌楽しみにしています。
(歌人。網走市在)
前 田 道 夫
同じように見えて二つとない波の形溢れる海飽かず見ゆ(専待春)自然の風物は同じように見えていても何処か違ったところがあり、その時その時に遭遇するのは一回限りの景色である。それだから海にしろ山や空にしても見飽きるということはない。此の一首前後の作品「次々に地表の疵のような波常変わりつつ輝きて見ゆ」「赤き陽が波間に映り広がれば海の匂いも紛れゆきたり」とともに情景をよく捉えていて感じを表していると思います。(歌人。浜松市在)
三 谷 美 代 子
工場の跡地の中の水溜まり空の青さと輝き映す(専待春)
曾て、騒音を上げていた工場の跡地。その深閑とした静まりの一隅へ、作者の視線が注がれている。「水溜まり」が映す空の青さと輝き。読者の視界も拡がってゆく想いである。すがすがしい一首。 (歌 人。箕面市在)
古 川 裕 夫
平安の紫色よりしめやかに桔梗の色は今の紫(専待春)桔梗の色はうすい紫色だが、作者の目はその花の色にしっかりととまった。私もこの色は大変好きである。昔から、平安時代いやもっと前からこの花の色はすばらしい。今の紫と云っているが、なつかしい色である。言い得て誠にすばらしい。感動を伴う。私は左目しか見えないが、目をつぶると色が瞼に浮かぶ。殆ど一日寝ているが、これは糖尿病癌耳下腺癌の為である。面白く素晴らしい歌である。作者に共感を覚える。拍手を送る。川添英一万歳。(歌 人。大津市在)
利 井 聡 子
雲の手が北摂の山撫でていて優しさが今すべてとなりぬ(専待春)北摂の山を撫でていくように、ゆっくり動く雲。その彩あいさえも想像させる一首。その「優しさ」に通じる。作者の、時に見せる悪党ぶりや、批判的な歌の詠みぶりに隠されたナイーブさ、優しさが大いに感じられて読み手にうれしい。(歌人。高槻市在)
堤 道 子
@思い込みのみが笑いを誘うのか笑いと白け同居して観る
A生真面目な人を小馬鹿にした笑い我が言われたような気がする(専待春) @の歌は今流行のお笑いなどを観てのものであれば、主人公の思いこみは笑いを誘い成功しているし、白けは笑うほどにつまらないことを批判してどちらも妙味といえる。@の歌の「観る」は自分が心を伴って観ている形である。Aの方は自分が観られる立場に置き換えてもよい歌である。観る方が相手の思い込みや生真面目な考えと知るとき「そんなー」とか「えー」とか何らかの批判めいた気持ちがあっても一度に笑いが起こる。一方白けは「行き過ぎているよ」「足りないね」などで一瞥を下す。観られる方では、思いこみや生真面目な考えを批判された場合、相手に対して「自分の考えたようにあなたはここまで考えられたろうか」と云ってやれるぐらいの強さと、或る部分では「自分はもっと軽く考えてもよかったのではなかったか」と反省の、この二つを時と場合によって湧かせ、平均の取れた中庸の考えをもてるようにするのも大切である。世の中は起こった事柄が即刻過ぎていくので、@Aの歌は鋭く事情を掬い上げ、事情によって心を沸き立たせる勇気があれば、人生の前進のきっかけとなれる歌である。 (歌 人。北海道芽室町在)
林 一 英
我よりも母亡くなりし後の父逞し料理美味く工夫す(専待春)
直ぐ後の歌に依ると、お父上は先の大戦に従軍して多くの戦友を失った中で辛うじて生還された方らしい。連れ合いを亡くされた後も、息子の私よりも「逞し」く生きておられる気持ちの裏には、まさに死ぬべき運命の中を幸いにして生かされたからには命を大事にして、先にみまかった妻の命もついで長生きせねばという決意が固く秘められているのであろう。しかし、この歌には、亡き母君に対するいつまでも断ち切ることのできない追慕と深い執着から、父親のように逞しくは生きることの難しい作者の衷情もそれとなく歌われているようで、心に残る。(歌人。福井市在)
甲 田 一 彦
雲の手が北摂の山撫でていて優しさが今全てとなりぬ(専待春)
今朝晴れて木々の緑も陰影も北摂山容くっきりと見ゆ
北摂の山より高い鉄塔の電気が人を狂わせていく
この号には「北摂の山」の読み込まれた歌が三首あります。私も毎日見ている山で、私の歌心の源泉の山でもあります。しかし、どうも歌にはなってくれない山ですが、作者にはまるで手品のように歌が出てくるようで、いつも一本取られたような気がしています。第一首の「優しさ」は作者でないと詠めないもの。第二首の「山容」は見たことのない人にもくっきりと見える巧みさ。第三首の痛烈な社会時評。短歌の魔術師です。
すばらしい批評について
第五三号を読んで、私が最も感動したのは四一頁の高田暢子さんの文章でした。五二号の作品「なめられてしまうと思い凄むのか教師も弱い弱い生き物」に対する高田さんの批評は凄いとつくづく感動させられました。実は私も長い間、公立中学校の教師をしていました。だから此の歌を読んで「オレも弱い弱い教師であったか」とちょっぴり考えさせられました。しかし、この度の高田さんの一文に接して、自分の考えの甘さを痛感したのですが、それ以上に、この短い文章が、短歌の批評として第一級のものであることに敬服しました。川添先生の教師としての不断の精励と、命を懸けての短歌作品が、こんな立派な後進を育成していることを、本当に心から祝福します。 (歌人。高槻市在)
高 岡 哲 二
氷点の陽子となりて歩みいる海岸町から二つ岩まで(氷点旅)この一首につよく魅かれます。以前に、三浦光世氏の「三浦綾子と生きた四十年」の著書と、ラジオを通して、お話をお聞きしたことがよみがえります。三浦綾子と『氷点』の陽子、あたかも陽子が実在の人物のように思われてくるのです。この一首、陽子‥‥氷点の陽子を、一体となって詠んでおられます。 (歌人。奈良室生在)
塩 谷 い さ む
オモロナイと中学生の娘言う若手芸人今花盛り(専待春)その通りだと思う。若い芸人たちは芸を追及するのではなく芸に溺れているのではないだろうか?俺は「芸人」だと言う気魄がない。粘りがないと思うのは同じだと思う。さみしい、悲しい現象だ!娘さんと全く同感である。今年の流氷は去年より多いと聞く。歌が出来ないと言いながら一一五首を作り上げる好漢川添英一氏の弛まぬ努力に頭が下がる。人には浮き沈みがある。高安先生の仰ったように「かきくらし雪降りしきり降り沈み我は真実を生きたかりけり」を座右の銘として生き抜きましょう。“負けるな一茶ここに在り”
(歌人。東京蒲田在)
川 田 一 路
落ちてきた蝉を貪る野良仔猫命が命の中に収まる(専待春) 命が命の中に収まるというフレーズがいい。言ってしまえば、人間をも含めての弱肉強食を詠っているのではあるが、それを双方「命」としてとらえ、命が命の中に収まると言われると、時事詠としての人間批判を越え、輪廻の境地にまで達する思いがしてくる。野良仔猫という表記も最初読んだときは少々違和感を伴ったが、落ちてきた蝉との対比において可愛く、下句の衝撃度を高める役割を果たしているともいえる。(歌人。京都市在)
福 井 ま ゆ み
連なりて六甲よりも低き雲その下神戸の街も暮れゆく(専待春)昨年、和歌山に行った帰りに、二十年ぶりに神戸で下車した。震災の恐ろしさは、当時も今もずっと神戸に住んでいるいとこから聞いていたが‥‥。そのあまりの変化にびっくりしてしまった。神戸には音大卒業後、三年ほどチェンバロのレッスンに通っていた。YS―Uが安定した運行をしており、日帰りで通うことが出来た。神戸までチェンバロレッスン受けにゆき少女期の残照のごとき三年―福井まゆみ 『フランス組曲』三宮駅前の小さなお店も、すっかり入れ変わってしまい、少しさびしい。(歌人。)
山 本 勉
珈琲にミルクが落ちて広がれど所詮器の中に収まる(専待春)歌が出来ないと、電話でこぼしていた川添さん。前号を発行して半年といわれるが、その目はじっくりと事物を見て捉えておられる。この五三号は、ちょっぱなから私の胸をぐいぐいと抉ってゆくように思えた。だからどの一首を選んでも良いのだが、さすが一首を選ぶとなると頭が痛かった。ここに選んだ一首だが、何回も読み返さずにはいられなかった。実に深い意味のある歌だと思う。「所詮器の中に収まる」は、ミルクを人間の愚かさに置き換えて見事に言い得ている。私の生きてきた長い年月の間にも、小さな器の中で威張っている人間に苦しめられてきた。ヒトラーやスターリン、フセインや金正日など、究極は狭いコップの底で威張っていた臆病者に過ぎないと思う。この一首は、自分への戒めとしても重く受け止めたい。
(歌人。京都亀岡市在)
池 田 裕 子
ボロボロに打たれて投手座りいる身につまされて心に残る(専待春)打者への一方的な喚声と贔屓チームであればなおのこと、群衆の影に隠れ打たれた投手への思いやりなどあるはずもなく、投手自身のことなど、一瞬にして消えてしまう。テレビでしか観戦したことのない私には、瞬間の顔しか見ていないが、一寸した運の悪さが大きな不運に繋がる事も多いのだろうと、余計なことを考えて、心に残るし気になる。これをチャンスに、また頑張っていくための日常茶飯事のことかもしれないが、肩を落とすこの姿が心に残る。同感である。どの歌もこの優しさが表れている底に天の邪鬼的なものを感じるが、持って生まれたような優しさに困るとき、弱い者への労りをしみじみと歌に感じています。
(歌人。高槻市在)
藪 下 富 美 子
同じように見えて二つとない波の形溢れる海飽かず見ゆ(専待春)二つとない波の形を飽かずに眺めておられる情景が目に浮かびます。が、果たして二つとない波の形に海飽かず見ゆだったのでしょうか。私には波の形の中に他に何か見えるものがあったのではと思われます。先生の中学校教師としてのさまざまな思いが‥‥二つとない波の形が生徒の顔だったり、個性だったり、その生徒が持っているエネルギーだったり‥‥と海を見ながら思っておられたのではと勝手に想像してしまいました。生徒相手のお仕事は大変だと思いますが、それぞれの形の違う子ども達を先生の熱意と優しさで伸ばして頂けたらと思います。 (歌人。高槻市在)
荒 井 衞
連なりて六甲よりも低き雲その下神戸の街も暮れゆく(専待春)
六甲とは神戸市の北に連なる三十キロに及ぶ断層山脈で、最高峰でも九三〇米程であるから、そう高い山地ではないが、海岸から神戸市街を経由して、山地として成り立っている訳であるから、存在感は相当のものである。そう高くもない六甲山地より、更に低く雲が連なっていて、その下の神戸市街も暮れてゆくという、実景を詠んでいるのである。六甲に沿い、海岸に沿って細長く伸びる神戸市街の特長をよく表していると思いました。(歌人。)
坪 内 久 江
ボロボロに打たれて投手座りいる身につまされて心に残る(専待春)一生懸命に投げた結果ですので、プロとは言え、控えの奥の表情を撮られて可哀想に思って見ることがあります。自分の失敗した時の心境を思うと同感です。生真面目な人を小馬鹿にした笑い我が言われたような気がする 大方は面白くもない笑いにて若手漫才冷ややかに聴く オモロナイと中学生の娘言う若手芸人今花盛り 思い込みのみが笑いを誘うのか笑いと白け同居して観る この頃の若手芸人は早口でしゃべりまくり、叩いたり、おバカキャラを売りにしたり、冬に肌を露出して見るに堪えない時もあります。我が高齢者には理解できなくて世の移りかと思っています。ゆっくりとお腹を抱えて笑える芸を見たいものです。(歌人)
名 越 環
悔しさもやがて哀しみへと変わる壊れて滅びゆく姿かも(専待春)ここ半年ほど毎月札幌と仙台を移動している。実家の母は七十二歳、まだまだと人は言うけれど、今日の別れが最後になるやもにと不安は募る。売り言葉に買い言葉でケンカをしても親は親、いつまでも子は子なのだ。そんな老いていく母に「親は子を育ててきたというけれど勝手に赤い畑のトマト」な〜んて詠う俵万智の作品を伝えたりすると、ひっくり返ってしまうのではないだろうか。長生きをしてネ、といいつつも私のことがわかってくれるうちが花かなとも思う。切ないものです。人生修業‥‥川添先生、いつまでも熱き心を! (仙台三浦綾子読書会)
谷 藤 勇 吉
生真面目な人を小馬鹿にした笑い我が言われたような気がする(専待春)「流氷記・専待春」の鑑賞に夢中だった私の背中越しに、「この歌の主題は、〈最近流行の、いわゆる若手芸人と呼ばれる人たちの品性を欠いた芸風への批判〉でしょうが、歌風も筆跡も生真面目そのもの、といった感じの作者の川添さんには悪いけど、笑いの本質は、昔から、生真面目な人やその行為を笑いものにし、晒しものにする点にあったんじゃないかしら。だって、あのチャップリン映画は、モダンタイムスだって、ライムライトだって、みんなそうよ」と家内が云った。これを聞いた瞬間、私は、「然り。もしかしたら、家内の頭脳はあの川添氏のそれより明晰なのであるまいか」と思いかけた。だが、次の瞬間、「待てよ。顔と名前が一致している力士が、朝青龍と白鵬と琴欧州の三人だけという、家内の頭脳が、あの川添氏の頭脳より優れているはずはない。家内の考えはどこかで狂っている」と思い直し、川添氏のそれには遠く及ばないが、家内のそれにはいくらか勝っているかも知れない頭脳で、私は懸命に考えてみた。家内の言うように確かに、モダンタイムスの工員もライムライトの道化師も、チャップリン映画の主人公たちはみな、笑われる存在として描かれている。だから、モノクロの画面で彼らに接した時、私たちは思いっきり笑い、日頃の憂さをはらすのである。だが、監督兼主演者のチャーリー・チャップリンの狙いは、そこだけに在ったのではあるまい。彼・チャップリンは確かに、自身の演じる主人公の表情や動作を通じて、映画の鑑賞者を爆笑の渦に誘うが、彼の真の狙いは別のところに在った。彼・チャップリンは、映画の主人公たちに爆笑の対象者たることを強いている、時代や社会制度を糾弾するためにそれらの映画を製作したのである。だから、私たち、チャップリン映画の鑑賞者は、モダンタイムスやライムライトの主人公たちの表情や動作を見て、大いに笑いもするが、時代や社会から笑いの対象者たることを強いられている彼ら・主人公の生き方に同情し共感し、彼らに愛情を感じ、それと共に、彼らにその境遇を強いている、彼らの時代や社会や政治家たちに激しい怒りをも感じるのである。吉本の若手芸人たちの笑いからは、日本の現代社会の政治家たちへの怒りも感じられなければ、笑いの対象者たる私や川添英一氏に対する一片の愛情も感じられない。
(秋田県横手市在住)
中 島 タ ネ
戦場は怖いというのみ戦争のことは語らず伯父逝き給う(専待春)昨年は伯父さまや伯母さまがご逝去なされて大変だったのですね。心よりご冥福をお祈り申し上げます。福田清さまとは何回かお会い致しましたが、おとなしい実直そうな方だったと記憶しております。子どもの頃伯父さま伯母さまに可愛がっていただいたのでしょう。予科練に受かりし過去も持ちながら伯父逝き給う平成半ば この伯父さまも、予科練の話や後、鳥取の部隊に居たことは少し聞きました。このお歌に、久しぶりに生前の昔に引き戻された想いで心の躍りを抑えることが出来ず、暫しあの頃を偲んでおりました。大切な方が亡くなって五年が過ぎ、月日の過ぎ行くのが早く、時間を止めたいくらいです。(福岡市在)
瀬 尾 睦 子
同じ道なれども行きと帰りでは距離が違うと思うことあり(雨後虹)流氷記お送りいただき有り難うございました。私も足が少し悪いけど、毎朝一時間くらい散歩しています。その時に、此の歌のような気持になり、その通りだと思いました。いろいろなことを教えられます。主人が亡くなってから三年になります。いろいろなことをぼつぼつとやっています。お母様も時々夢に出てきます。お母様は今、どんな道を歩いていらっしゃるのでしょうね。
(母の友人。北九州市在)
高 田 暢 子
雲一つなく晴れわたった昨日から続いて今は雨降り続く(那智滝)昨日まであんなに晴れていたのに、今日はなぜこんなにも暗く、どんよりと雨が降っているのだろうといつも思う。また次の日に嘘みたいに晴れると、雨が降ったことなんて忘れてしまう。太陽はいつも変わらずに昇ってきて、そこにいるのに、ちょっと雲で隠され、雨が降ると、不安になる。ずっとこのままでないかとさえ思ってしまう。どうしても、と信じることができないだろうか。目に映るものにすぐに惑わされてしまう。先生の歌の「今は」というところが光ってみえた。
(西陵中学校卒業生)
平 岡 勇 作
蝉となり鳥となりして叫びいる生ある不思議と死の淋しさと(専待春)慣用句に「生は寄なり死は帰なり」というのがある。無から生まれた我々は、今の世に身を寄せているに過ぎないが、死ぬ事は元の無に還ることである、という意味である。確かに同じ無かもしれないけれど、生きていた証の有無の違いがある。輪廻が例え在ったとしても、今の自分が過去に生きていた筈もない。まさに生の不思議、共感致しました。(西陵中学校卒業生)
山 田 小 由 紀
溜め池のように夕日に照らされて生徒のいない机が並ぶ(雨後虹)夕日に照らされた机を見る時、その時期により、さまざまに感じることがあると思います。毎日の放課後なら、あぁ今日はこんなことがあったなぁ、と振り返ったり、文化祭の後であれば、皆が机の上をごちゃごちゃにしながら頑張っていたなぁと思いながら祭りの後の静けさを感じたり、卒業式の後であれば、とても感慨にふけるものであるでしょう。学校の机は、毎日、何かが積み重なってゆくものです。まだ十代でありながら私ですら懐かしさを感じずにはいられない小中高といった学校の机‥‥先生はきっと愛おしさという言葉では表しきれないほどの思いと共に机に向かっていることでしょう。
(西陵中学校卒業生)
中 野 泰 輔
ことごとく逆風満帆なれど行く前代未聞なればなお良し(専待春)やはり人生はなかなか順風満帆とはいかないものなのだろう。というよりも、追い風が吹くのは稀であり、常に自分には向かい風ばかりが吹いてくると誰もが感じているだろう。人生の中で向かい風に吹かれたとき、多くの人は後ろ向きな気持に陥り、そこからなかなか抜け出せなかったということがあると思う。私もそのようなことが多くあった。しかし、「逆風満帆」という言葉から感じられるのは、さまざまな所で吹いてくる逆風を、敢えて体全体で受け止めて、それでもさらに突き進もうという川添先生の決意である。「前代未聞なればなお良し」から。その決意の強さをうかがい知ることが出来る。向かい風が吹き荒れる現代社会の中で、私も「逆風満帆」で生きる前向きな姿勢を大切にしたい。(茨木市立西中学校三年生)
山 崎 響 子
面白くなければ流行りの歌といえど我に関わりなしと思えり(専待春)これは、私が思っていることと同じだと思い選びました。今、流行している歌があまりいいと思わなくて、昔の流行の過ぎ去ってしまった曲でいいなと思うものは何曲もあります。でもそれは、周りの意志に左右されずにきちんと自分の考えをもっているということ、と取ると良いことだと思います。今の時代の波にさらされてしまうのではなく、自分の意志をしっかり持ち、自分の夢に向かって進んでいきたいと思います。
(西中学校三年生)
能 勢 一 穂
死ぬほうがいっそ楽だと思うほど胸ふさぎくる霧湧き続く(秋夜思)私は今年の春に高校生になる。大人になったと思うけど大人じゃないと思う。十五才なんて世間じゃ子供扱いだからだと思う。私は子供扱いされるのが大嫌いで、そうする人は無視してきた。でも高校生になったら、そう言う事も行かないだろう。中学、高校は微妙で子供だが都合のいいように大人にされたりする。生きていて一番の敵は理不尽だ。正しい正しくないに関係なく受け入れなくちゃならない高校に行くのが怖くなった。死ぬほうがとは言いすぎだが気分はそんな感じである。(西中学校三年生)
山 口 美 加 代
落ちてきた蝉を貪る野良仔猫命が命の中に収まる(専待記)人間の繁栄は地上にある命を食べてきたからに他ならない。豊かな時代、綺麗に調理されたものを食べていると〈命〉を食している事を忘れがちだ。野良猫は生きる為には落ちてきた蝉をも貪らねばならない。命が命の中に収まるという下句の表現は残酷だが野生そのもの。生き物が生きていく為の本来の姿といえよう。野良の仔猫というのが一層命の循環を鮮明にさせた。命を詠んだ歌をもう一首〈ドラマでは殺人事件ばかりにて己の死など誰も思わず〉一見、日常の何気ない歌に思えるが、自分自身の存在の中にある命がさりげなく提示された。現実とは無関係のサスペンスドラマを楽しむ私。だがその私も〈命を持った私〉に他ならない。「―誰も思わず」と言いきった事で、背中合わせの〈命を持った私〉がはからずも浮かびあがった。 ( 歌 人 ・吹田市在)
森 晶 子
太陽もやがて燃え尽き滅ぶのに一つの命惜しむこの夜(雨後虹) 今世界では、あちらでもこちらでも悲惨な殺戮が繰り返され、私が笑う一瞬のうちにも多くの命が散っています。私は、衝撃的なシーンを見る度に憤りを感じ、明るい未来なんてあるのかしらと思ってしまいます。しかしそれでも、それぞれの事件に対しては私はただの傍観者でしかなく、それらの大きな意味は私個人の些細な悩みや不安に隠され、いつの間にか怒りは消えて当たり前の事象に化けていくのです。人の想像力や順応性はなんて身勝手で不思議なものかとつくづく感じます。「あの虹は自分の上にも立っている守られながら人は生くべし」(雨後虹)に読み取ることのできるような、他人と自己とを同等に思いやる広い視点が、今の自分の目の前に理想のものとして浮かび上がってきました。 (西陵中学校卒業生)
小 原 千 賀 子
十代の父は少年飛行兵鳥となる夢見しことありや(思案夏)先日、お父様の訃報を聞きとても驚きました。お父様のことを詠んだいくつもの作品を思い出し、『流氷記』をめくっていたら、この歌が心に入ってきました。とても素敵な歌です。誰も皆、十代の親の姿や夢を具体的に知っているわけではないけれど、日頃の言葉や行動を通して、その若い日のことを想像したりします。そこにはきっと作者自身の夢も重なっていて、追憶と愛情がこもったこの歌となったのではないかと思います。お父様の肉体は亡くなられても、心はずっとこれからも変わらず、川添さんに寄り添って下さる、そんなお父様だと思います。(歌人。茨木市在)