中  村   桂  子
くっきりと月浮かびいて我が前を青い流氷原がひろがる(父惜春)お母様など身近な方のご逝去伺い心を傷めておりましたら、今号でお父様の急逝という思いがけないお話。お見舞い申し上げます。『流氷記』に込めていらしたさまざまなお気持ちを思いながらいただいた歌集を読んでおりましたら、この歌が眼に飛び込んできました。なんの衒いもない歌ですが、作者の原点があるように思えたのです。生意気のようですが、この原点を大事になさって歌を作り続けて下さることを願っております。最近の社会を見ると「コスタリカ真に戦争放棄せし小国なれど大きく見える」に共感します。 (JT生命誌研究舘舘長)
島  田   陽  子
我が父も受難のありしことありと思えば少し気が楽になる(父惜春)今号は「降って湧いた災難」に苦しむ作者に突然の父の死が重なり、読む方も辛い一冊でした。キリストの受難やサラエボの悲劇、大津皇子など「ただ殺されるだけの人」に思いを重ね、耐えている時、かつて父もまた受難の時があったと慰められたのは父の大いなる愛といえます。ホールインワンの後の苦しみを知らない最後も。お父上のご冥福お祈りいたします。受難といえば「子ども産むように雌雄は出来ている生き物の喜びと哀しみ」の一首に「喜び」の面は出して欲しくないと思いました。サラエボの女にとっては受難でしかないのです。男と女の違いでしょうか。 
三  浦   光  世
くっきりと月浮かびいて我が前を青い流氷原がひろがる(父惜春)滅多に見ることのできない情景を、見事に描写した傑作。おどろきです。これだけの自然描写は、そう簡単にはできません。網走の流氷は、家内三浦綾子と見に行きまして、『続・氷点』に取り入れることができました。あの時は流氷が血の滴りのような赤さを帯び、おどろいたことでしたが、右の御作に新たに思い出させられました。初句から結句まで間然とするところのない作品と思います。 (三浦綾子文学舘舘長。)
和  田   悟  朗
プレー中倒れて死すと聞いてよりグランドゴルフの名前を知りぬ(父惜春) かんたんな報告文のような一首。たんたんとして閑かだ。グランドゴルフは私も近辺の老人たちと組んでいるグループでやっている。だからホールインワンの歓喜のありさまも目に見えるようだ。偶然にそれの達成のあと自ら興奮して一時に血圧が昂ったのだろうか。父の死を「新鮮な」「美事な」「突然の」「唐突に」「厳しい現実」「模範」などという表現で書くことは、かえって言辞のうまさと感じられ、むしろ何の感想をも述べない掲出歌が、読む者の心に深く食い入って来るようだ。 (俳 人。)
畑  中   圭  一
真贋を見分ける才のあることも妬み誹りの要因となる(父惜春)
次々と偽装事件が起きて腹立たしいことだが、そういう「物」の偽装ではなく、「人」の偽装というものがある。いわゆる似而非者(ニセモノ)である。なぜかそのニセモノが人気を博したり、権力の座についたりすると、世間もいつの間にかニセモノを見破ることができなくなってしまう。それを見破り、贋物を贋物として糾弾すると、当のニセモノやそれを支持する人たちから妬まれたり非難されたりするということがしばしば起きる。作者の身辺に何が起きたのかは分からないが、ニセモノを追及したために疎外されるという苦い体験があったのだろう。その結果、知らんふりするのも才能だと思う今にして知る世の才覚を という歌が生まれたのだろうが、川添先生、「世の才覚」にとらわれていては本物の歌は生まれないんじゃないですか。
(詩人。児童文学研究家。作者註 真贋を見分ける才のあるのは父のことだと詠ったのですが‥‥。)
加  藤   多  一
少しでも自分は進化しているか父母想えば心もとなし(父惜春)
短歌的心情の有利さか‥‥ああ、わかる、わかるとわが老骨を抱きます。同時に自己が「進化」することは、父母の恩に応えることだ‥‥としみじみ思う。七十歳過ぎてから父母の時代を体を張って越えたことを、亡き父母は喜んでいてくれる‥‥と私も自らを慰める。制度仏教(葬式と寄付金で私を縛る)に忠実だった父母と違って、今は完全に無視できる。どんな宗教団体も金儲けと政治的支配の手段になっているではないか。今年私は「アイヌ語教室」の一年生になりました。アイヌのエカシの心で死ぬ準備です。(童話作家。エカシ=アイヌ文化伝承者鷲塚鷲五朗エカシ)
八  田   伸  二
今は亡き父母想い散る桜見ているうちに緑となりぬ(父惜春)
 ごぶさたをいたしております。御尊父様のご冥福をお祈り申し上げます。流氷記五四号のこの歌に感銘いたしているところです。
 私事ですが、小生昨年二月より間質性肺炎と糖尿病で入院治療いたしました。入院時は視線をさ迷い三日後生還しました。現在、病院の外来と自宅での治療に専念しております。残る命を覚悟して、充実した毎日を送っております。ご健康をお祈りします。
(父の八幡製鉄所安全課勤務時代に一時上司であった八田秀吉氏つまり岩下俊作のご子息。岩下俊作は『豊島松五郎の生涯』即ち『無法松の一生』で、無法松を生み出した人。松本清張を世に送り出した人でもある。)
菅  沼  東 洋 司
泥土の中から蓮の花は咲くその出生を人問うなかれ(父惜春)
 苦労して高きに達した人を世間はとかく詮索したがるものです。忌むべきことがその人の過去にあれば、それを世間に言いふらし、はては足を引っ張って引きずり落とそうとするものです。何をしてもケチをつけたがる人の多い世の中で、己を前面に押し出すことのむずかしさ、また、そんな世間の理不尽性を、人生を真摯に見つめようとする人にとっては痛切に感じ取ることが出来るのです。そんな中で咲かせる花なればこそ価値があり、その花だけを私たちは愛で、称えればよいのです。比喩のうまさと作者の「深い目」をこの一首に感じることが出来ました。また、その深い目を通して紡ぎ出された次の一首も捨てがたいものでした。
生まれては消えゆく定め絶え間なくひたすら落ちる雪を見ている
                 (作家。ブラジル在。 )
藤  本  美 智 子
ドラマでは殺人事件ばかりにて己れの死など誰も思わず(専待春)テレビでも映画でも小説でも殺人事件がなければドラマにならないようなところがあります。そして、みんな、死を他人事と思って楽しんでいます。いつかは死ぬのに。それまでは心穏やかに暮らしたいものです。「蓮の花開いて落ちし一片を見ているカエル眠そうな目で」大きな蓮の花びらがたぶんゆっくりと落ちるのを見ているカエルの姿が印象深かったです。笑えない腹立つばかりどうしてもミスタービーンが好きになれない(父惜春) お父様は立派な書道家であられたのですね。なるほど人生は満足と無念が交差するものであるかもしれません。選んだ一首ですが、ミスタービーンはどうしておもしろいのかと思っていました。本当のことをいう作者に同感です。(詩人。高松市在)
む ら せ と も こ
撫子の花咲き浮かぶ野を過ぎて夕焼けながら帰路急ぎゆく(専待春)野にあるなでしこは、茎が長く、ふしがあり、深い緑にかるく白い粉がかかっていました。夕ぐれには、その茎が見えにくくなり、花は、あちらこちらに浮いているようでした。「今にも飛んでゆきそうなつばさの花」でした。暗い中でもあたたかい火をともしているようで今も心に残っています。「夕やけながら」もいいなあと思いました。夕日の沈みそうな海岸沿いの道を、なでしこを横目に、メダルに力を入れ、家路を急いだ日を思い出します。自然を詠ったものは、行ったことがなくても、その場所に行って見ているような気になってしまいました。(詩人。明石在住)
安  森   敏  隆
手術出来ず一つ残りし動脈瘤破裂して父またたくまに死す(父惜春)この号にて御尊父さまの急逝を知った。そしてその歌を読み、「雑記・父の死」を読み、涙したことである。そういえば、私の義母もそうであった。八年間の在宅介護の中で、最後の三年間は寝たきりになり、医師から「手術」が出来ないことが宣言されていた。それでも義母は、最後まで生きてくれた。この一首、最後の「父またたくまに死す」が、何ともすごい。殊に「またたくま」が川添英一さんの「こころ」と、お父様の状態をそのままアマルガムして語っている。      (歌人。同志社女子大教授。)
松   坂     弘
奥の間に優しい父が横たわるもう動かない安らぎに満ち(父惜春)私も、父との死別は、作者と同じように、死に目に会えぬ辛いものでした。だから、右の歌を読むと作者の辛いやり切れない思いがよく理解できます。下の句の「もう動かない安らぎに満ち」という表現に作者の心情が惻惻としてあふれている。 (歌 人)
鈴  木   悠  齋
突然の臨終羨む人もあり全て模範となりて父逝く(父惜春) 人は皆苦しまず、人の手を煩わさずに死にたいと望みますが、なかなかそうはいかないものです。作者のお父さんの死は周囲の人が羨むほどのものだったようですが、生き方と死に方が見事に一致する人はそうあるものではないようです。そのお父さんの死の一ト月ほど前に知り合いのお婆さんが九十歳であっという間に亡くなりました。いつも元気でさっぱりした気性の人でした。仲間の婆さん連中は「ええ死に方しはった」と言っていましたが、そういう死に方が出来る人はそれにふさわしい生き方をしてきた人と思います。御二人のご冥福をお祈りいたします。(書家。)
柴  橋   菜  摘
安らかな死に顔見れば安らかな浄土あるかもナミアミダブツ(専待春)今まで幾人の最期のお顔を拝したであろうか。いつも思うことは同じで、既に浄土へ行っておられる方々と、もう軽やかに語り合っているであろうと。そして、「私もそのうち参りますが、土産話をもう少し作りますので」と。人の目に焼き付けておけ桜葉は今はらはらと宙を降りゆく 近年になく美しく咲き誇った桜に、もしかして、この世の終わりを予見して、命の全てを咲かせているのではと不安がよぎったくらいである。尚にその姿が目に焼き付いている一首に出逢えた。    (シナリオ作家。)
川   口     玄
ホールインワンの直後に蹲る美事な父の最期となりぬ(父惜春)
父上様のご冥福をお祈り申し上げます。第五四号で好きな歌を左に列挙します。
進まずに消えずに止まる時間あり冬バラ濡れて我が前に立つ
知らんふりするのも才能だと思う今にして知る世の才覚を
完璧の他は許せぬ生徒あり危うき心なのだと知らず
笑えない腹立つばかりどうしてもミスタービーンが好きになれない
生まれては消えゆく定め絶え間なくひたすら落ちる雪を見ている
よく見れば枇杷の花咲き白き蝶あちらこちらに止まるがごとし
思い遣り大切なのだと感想をイケズな生徒がさらりと書きぬ

              (元『大阪春秋』編集長)
神  野   茂  樹
唐突にするかしないか問うてくる上書き保存閉じられもせず(父惜春)パソコンとたわむれていない人にはこの歌はわからない。パソコンも歌に詠まれるようになったのかと選びました。ウインドウズが世界を席巻しているが、ボクはビル・ゲイツが大嫌いだ‥‥貧乏人のヤッカミ。       (元『大阪春秋』編集長)
里  見   純  世
桜咲き舞い散る花を浴びて行くああ父母はこの世にいない(父惜春) 御父上様ご逝去なされしこと、心よりお悔やみ申し上げます。さて今回のお歌を拝見しましたが、お父上様を詠まれた歌に真情が籠もっており、いずれも光っていると思いました。小生なりに特に心を惹かれた歌を申し述べさせていただきます。
沈む日が河口を染めてしみじみと父母のなき齢となりぬ
父亡くてああ桜咲く誰に告げ愛でればいいかわからなくなる
歌詠まぬ四十幾日父の死を認めたくなき自分がありぬ

呉々もご自愛のほど祈って止みません。 (歌 人。)
葛   西     操
父の死を聞きて戸惑う落ち着けよどこかで父の声が聴こえる(父惜春)先生、ご無沙汰致しております。昨日、流氷記を見てびっくり致しました。お父様がお亡くなりになったとのこと。私は自分が歳を取っておりますので、どうして私より先にと心の中でつぶやいております。まだまだ生きて先生のお話のお相手になってくだされば良かったのに、ちょっと早すぎたと思って御仏壇にご冥福をお祈り致しました。私も今は何一つ満足なことは出来ませんのですが、お陰さまで娘たちが良く尽くしてくれますので、安心して過ごしております。先生、お力を落としのないように。お父様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。(歌人。九十九歳。)
井  上  冨 美 子
ホールインワンの直後に蹲る美事な父の最期となりぬ(父惜春)
桜咲き舞い散る花を浴びて行くああ父母はこの世にいない
前のお歌では、独自の書道の世界で精進され「カワゾエハジメ書体」を確立されたお父様の八十二歳と三ヶ月のみごとな生き方(人生)が、しみじみと心に伝わってまいりました。後のお歌では、川添先生の今のお気持ちが、痛いほど表現されていて、ただただそうであろうなと思うばかりです。この夏にお父様の作品集を刊行されるご予定とのこと、ご尽力される川添先生のお姿が目に浮かんでまいります。お父様もたいそうお喜びになられることだろうと思います。もちろんお母様も。どうぞくれぐれもご自愛下さりご活躍下さいませ。(網走二中元教諭。網走市在)
山  内   洋  志
一首評風に飛ばされ溝川を追いかけ捜す夢…汗まみれ(父惜春)
 かけがえのない方を亡くした先生の悲しみが心に沁みて、久々にペンを持ちました。私は、流氷記の良い読者であると思っておりましたが、文才乏しい身には、良い参加者・協力者になることはたやすくありません。ご勘弁を。教職にあった頃、何度も見た夢です。学年末になったのに教材が半分も残っている。子供たちにどう釈明しようかと思い悩んでいる。そして、息苦しくなって目が覚める。きまって、汗まみれであった。不思議なことに、教職を去ってからは一度もない。私の場合は、単なる小心者だったのだが、先生の場合は、流氷記にかける強い思いがそうさせるのだろう。日々の仕事と生活の中でストレスの解消に心がけ、健康で長く流氷記を続けられますよう願って已まない。       (網走二中元教諭。北見市在)
小  川   輝  道
一首評風に飛ばされ溝川を追いかけ捜す夢…汗まみれ(父惜春)
夢を見ながら論理的に考えている不思議さを思うことがある。どこまでも汚れているところでトイレを捜しているつらい夢をたびたび見たものだ。川添さんの作品は流氷記に歌人の全精力を注いでいる人らしい、ゆるがせることのない表現となっている。現実から一つ隔てた睡眠の時間が、現実世界をかくまで投影している不思議さがある。逢い見ての後の心のその後にしみじみ愛を思うことあり 作者が悪意と受難、自己犠牲の矛盾と悲しみを詠む、たくさんの作品群のなかで、古歌にあるようなしみじみとした心の奥を感じているのに出会い、目を惹かれた。 (網走二中元教諭)
弦  巻   宏  史
価値観の違う世界を裁こうと人の傲りがまた顔を出す(父惜春)
咄嗟にイラクに対するアメリカを、チベットに対する中国を、グルジアに対するロシアを思ったが、同時にこの国の政治屋たちのありようを思った。自国の国民や他民族に対しても、かくも不遜で傲慢な状況がいつまでも許されていい筈はない。全ての国でひとりひとりの人間の存在、そのいのちと人生を認め合い寄り添う温かい知性が求められている。ぼくはつくづくそう思う日々が多い。平易に詠まれているが、まさに様々な今日を思い起こさせる。作者の憤りが幾重にも伝わってくる。 (網走二中元教諭。『オホーツク街道』で網走の文化を司馬遼太郎に紹介。北見市在)
道  上   隆  三
生まれては消えゆく定め絶え間なくひたすら落ちる雪を見ている(父惜春) 私事ですが、〇六年から〇八年まで、癌の再発により手術、入院を余儀なくさせられた。十八時間に及ぶ手術によってどうにか一命を留めることができてリハビリに励んでいる。最近、ようやく人の歌に目を通すようになり、やはり人の命に係わる歌に出合うと立ち止まるようになった。人の歌はいずれも生の声には違いないが、死生観を感じさせる歌である。他にもう一首。
辛けれど歯を食いしばり過ごすべし逆境こそが人強くする(歌人)
前  田   道  夫
満足と無念が交差しておりし父は八十二と三ヶ月(父惜春)
急逝された御尊父を詠まれた作品の数々、いずれも悲しみが伝わり胸打たれるものばかりです。この一首、シンプルに詠まれていて「八十二と三ヶ月」の数字が効果を挙げていると思います。「ホールインワンの直後に蹲る美事な父の最期となりぬ」グランドゴルフの大会でホールインワンを打たれた直後に倒れられたことを「美事な最期」と讃えて、微かな慰めとされておられる、その気持ちがよく伝わってきて、読む者にも安堵の気持ちを与えられます。御尊父様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。(歌人)
小   石     薫
とんでもない人との出会いも人生の大事な過程なのかもしれぬ(父惜春)「とんでもない人」と思う人と出会ってしまうことは一生のうちで誰にでもあることです。以後の人生が狂ってしまう出会いもあるでしょう。一生は出会いの連続ですが、それに対して深刻にもならずプラス志向の心の在りようが下句に見えてとてもよいと思いました。「今は亡き父母想い散る桜見ているうちに緑となりぬ」挽歌のなかでこの一首が最も心に残りました。(歌人)
林     一   英
生まれては消えゆく定め絶え間なくひたすら落ちる雪を見ている(父惜春)初句、二句、四句と、雪は儚いものの象徴のようで、それを見ている筆者の気持と推察できるような気がする。でも、ひたすら落ちることで、雪は大地にしみ、大地の重しともなっている。私はまたリルケのこんな詩の一節をも思い出す。「我々はすべて落ちる。総てに落下がある。しかし一人ゐる。この落下を限りなくやさしく両手で支へる者が」そんな広き御手を私は思う。絶え間なくひたすら落ちつつ雪はそっと優しく受けとめられている。そんな大きな二つの掌が雪には見えているのか‥‥雪はただ無心に降っている。     (歌人。福井市在)
堤     道   子
秋月に縁あるゆえ親しみて上杉鷹山折々思う(父惜春) 「秋月」は上杉鷹山の祖父祖母の地。上杉鷹山。一七五一年秋月家江戸一本邸に誕生。父は日向高鍋城主秋月佐渡守種美‥‥。鷹山の誕生から米沢藩主になり、低迷する米沢藩の改革に至る系譜をみるにつけ、鷹山の人格を知ると歴史を越えて鷹山に縁するという流氷記の作者に親しみを感じる。私の父が生前(大戦前)和服を好み、「米沢」が好きだと言っていたので、ある時、米沢織りを訪ねた。米沢市に入り織物を知るより先に知ったのは、吾が身に沁みこんでいた名歌「為せばなる為さねばならぬ何ごとも為さぬは人の為さぬなりけり」が上杉鷹山の作であったということであった。(歌 人。北海道芽室町在。註:江戸時代後期、『中興の祖』と呼ばれる名君として全国に名を馳せた、米沢藩の上杉鷹山、日向高鍋藩の秋月種茂、筑前秋月の黒田長舒がいた。実は鷹山と種茂とは兄弟。長舒はその甥。鷹山の祖父は秋月藩主黒田長貞であり、鷹山は高鍋藩より米沢藩に養子として入ったものである。)
高  階   時  子
桜咲き舞い散る花を浴びて行くああ父母はこの世にいない(父惜春)沈む日が河口を染めてしみじみと父母のなき齢となりぬ
 母についで父も逝ってしまった。せめて父母よりも先に逝かなかったことだけはよしとしよう。自分を産み育ててくれた父母はもう此の世にいない、そう思うとなんとも言えない寂しさがこみ上げてくる。五十歳を過ぎ、親の老い衰えていく様子を目のあたりにすると、避けることのできない生老病死がひしひしと思われる。私も作者と同じような年齢なので、これらの歌を読むと身に沁みる。作者は父母と共に暮らしていないだけに、きりきりと身をさいなむように父母への思いが襲ってくるのだろう。ただ、作者の父君は元気なまま突然死に近い状態で逝去された。齢八十歳を越えておられることを思えば、大往生といってもいいだろう。望んでも得られぬ逝き方だと人は思うにちがいない。身内の者にとっては、まだまだ早すぎる死としか思えないのであるが。桜吹雪、河口を染める夕日、自然は人の営みがどう変化しようが、時が至れば花は咲き散り、日は昇り沈む。自然との対比がいっそう哀しみを深めている。    (歌 人。兵庫県滝野町在)
塩  谷  い さ む
知らんふりするのも才能だと思う今にして知る世の才覚を(父惜春) 先ずはお父さんのご冥福をお祈りいたします。知らんふりも世渡りの術という人もいるが、やっぱり放ってはおけない。世渡りの才覚だろうか?哀しすぎる歌だと思う。アメリカの日本操縦法の一つかもしれない。「飼い犬に手を噛まれるというたとえこの世の辛い習いのひとつ」も好きな歌である。人生の行路にはいろいろなことがある。その一つ一つを学び取りながら、反復しながら長い人生を生きていくしかないのだ。好漢川添英一氏の教訓をしっかり抱き締めて、残る人生を踏みしめていきたいと思う。       
川  田   一  路
信号が今朝は見るたび赤になる道も時間もなお続くのみ(父惜春)マーフィーの法則というのがある。どうも自分が不運な巡り合わせにあると思い込みがち、これもその一つの例であろう。この作の場合、赤信号という比喩が面白い。自分は進もうとしているのに、それを妨げるものがある。人生のこれから先、行き先も時間も多くあるのにストップを喰っている。赤信号も皆で渡れば怖くないのかもしれないが、それも出来ない。そのジレンマが何となく感じられてユニークな一首。 (歌 人。京都市在)
森     妙   子
進まずに消えずに止まる時間あり冬バラ濡れて我が前に立つ(父惜春)冬バラは何の象徴か。冬のバラは、どこか凛としている。しかし、濡れているのだ。次々とうたを詠みつづくと、父上の突然の死。このバラは、神の使いなのか。はたまた父上か。止どまっていた時間は、この世とあの世の橋渡しだったのか。比喩の効いた心にぐうっと沁みてくる短歌だ。(歌人。和歌山橋本市在)
小  原  千 賀 子
くっきりと月浮かびいて我が前を青い流氷原がひろがる (父惜春)悲しみや怒り、寂しさといった感情を具体的なことばで表現していないだけに、いっそう、作者の心を際立たせているように思える歌。流氷原は作者の生き方の原点であり、これからも常に心にある風景だろう。夜、くっきりと美しい月、その光の下に立つ人間、眼前に広がる流氷原。この静寂と美のなかで生きてゆければ楽かもしれないが、実際には雑多で、忙しい日常生活と、むずかしい人間関係がある。そこから完全に抜け出すことは不可能だろう。しかし、心が疲れてしまったとき、この歌にある風景の中で、ゆっくり休んでほしいと思う。(歌人。茨木市在)
田  中   由  人
雪ののち晴れの明るき窓の外暗き厨に茶飲みつつ見る(父惜春)
大津皇子、菅公、イエス、サラエボのひとびと..........今号の歌は非業の死を遂げた人がずいぶんですね。「父惜春」は挽歌が基調ですね。でも、この歌は白と黒の色彩のコントラストもさりながら、日常生活でのささやかな希望、期待に胸がときめくシーンが象徴されてステキですね。明と暗の対照ですね。暗いキッチンで茶を啜っている小生も元気がでてきますよ。針生一郎さんじゃないけど、「くりや」という表現がいいんでしょうね。なんともない「景色」からゴソゴソと元気が湧いてくる歌はいいもんですね。・・・・・と、とりとめもないことを書いてしまいました。
         (福岡県立八幡高校時代同級生)
池  田   裕  子
進まずに消えずに止まる時間あり冬バラ濡れて我が前に立つ(父惜春)不思議な空間に一瞬立ち止まる私は人の世の空しさを常に感じていますので、冬バラの美しさはそれ以上に空しいと思う。何のために咲き、何のために香るのかと思う。先日、五月のバラ園のフェスティバルに行き、さまざまな美しいバラを眺めて来ました。世界的な有名人の名の付いた個性的な、それなりの特長のあるバラ達が咲き誇っている。少し時間を逸した花弁の先がセピア色に変わり始め、花の終わりをみつめていると老人の顔がダブってくる。次々に咲く莟の生命も同じくものの哀れを感じるが、余計なことは考えず、澄み渡る空に凛と咲く冬バラを見よう。我が前に立ったのは本当に冬バラだったのでしょうか。ふとそんな思いに駆られました。(歌人。高槻市在)
藪  下  富 美 子
真贋を見分ける才のあることも妬み誹りの要因となる(父惜春) 本物とにせ物を見分ける才能があっても、見せびらかしたり自慢したりすると妬まれたり非難されたりする原因にもなる。「知らんふりするのも才能だと思う今にして知る世の才覚を」この歌も先の歌と少し角度を変えて読まれた歌だと思います。共通点がありますね。知っているのに知らないふりをするのも苦痛で、ここに来て生きていくための知恵の働きを知る。二首に詠まれている中間の考えで生きていくことは本当に困難なことだと改めて自分への戒めとして読ませていただきました。(歌人。高槻市在)
荒   井     衛
淀川の河原歩みてしばらくは薊の花の前にて止まる(専待春)
あざみの花といわれてもピンとこないので辞書を引いてみた。キく科の多年生植物。葉は切れ込みが多く、ふちにトゲがある。種類が多く、春から秋に紅紫の花を開く、とあった。何だ、よく見かける花ではないか。何でもない光景の一コマをさり気なく詠っているところに魅力を感じた。  (歌 人。高槻市在)
中  島   タ  ネ
父もまた難受けやすき感性と才持つ人と改めて知る(父惜春)
突然のお父様のご訃報に戸惑いと悲しみのなか葬儀にご来客の皆様に気強く応対されていたお姿が今でも心に焼き付いております。悲しみのなかでその後遺品を整理されるとき今まで解らなかったことが多大にあり、あまりの偉大さに八十二年余の人生を思うとき、戦前戦後の苦しみもあり、また楽しいこともありながら、市や公共事業等にも貢献され、また書道の先生として沢山の人に教えながら至る処で才多き密度の高い人生を送られ、その日にもグランドゴルフでホールインワンをなし、大勢の皆様の前で有終の美を飾られたとか。皆さんに慕われ惜しまれながら人生に幕を引き、きっと奥様のお側に逝かれたお父様をただただ尊敬するばかりで御座います。ご冥福をお祈り申し上げます。(福岡市在)
斉  藤  実 千 代
少しでも自分は進化しているか父母想えば心もとなし(父惜春)
私の母は、意識なく五年が経ち、毎日病院通いしていた父は、一年ほど前から幸か不幸か認知症になり、後、二、三ヶ月と宣言された自分の命のこともわからない状態です。この歌は、そんな両親と会う度、自分は両親が望んでいたような人生を送っているのだろうかと思うきっかけを作ってもらえた歌でした。私が満足して人生を送っていると報告できるように進化を感じられる日々を過ごしたいと切に思いました。追:娘は社会人として頑張っております。なかなかペンを執る機会を作れず失礼しております。どうぞいつまでも感性豊かな歌を作って私達に読ませて下さいませ。  (西陵中学校卒業生保護者)
上  柳  か お る
父の死を聞いて成績処理急ぐこの世の厳しい現実がある(父惜春)私も母を九年前、父を三年前に亡くしました。肉親との別れは、非常につらいものです。何年経っても消えるどころか、増しているのかとさえ思われます。悲しみに浸って何もしたくない気持ちがある一方で、現実の自分の生活が何とか気を紛らわせて元気づけてくれているのかと感謝することもあります。たぶん、先生も、季節ごとにご両親を想われ、悲しみと現実の世界で揺れ動いていかれるのではないでしょうか。(三島中学校保護者)
濱  野   瑠  妙
感動の心が徐々に失せてゆく人にまみれて日々過ごしつつ(桜一木)年齢と共に、そして忙しい毎日の生活のなかで感動することが減ってきました。周りを見ると同じような大人が多いように感じます。ふと、幼児の素直な心がとても心に沁みることがあり、忘れかけていたものが現れます。でも、それも束の間の出来事でまた、同じように感動する心が消えていき‥‥その繰り返しだと思います。         (茨木市立三島中学校保護者)
中  川  由 喜 子
突然の父の死惜しむ人多く誇りを持ちて葬儀を終わる(父惜春)
突然の臨終羨む人もあり全て模範となりて父逝く(父惜春)

 この二首は並べて掲載されてありましたが、二首で起承転結のまとまりがあり、まるで一つの四行詩のように思えました。安らかに天寿を全うし、皆に惜しまれ、次代に多くの功績を遺されたお父さまのお人柄がにじみ出ています。死が関わりを分かつのではなく、これから遺作を通じて多くの出会いにつながる、まさに一幅の名画を思わせる歌でした。生き方は死に方だと思います。見事な最期、惜しむ人々、遺志を継ぐ人間、全てを揃えて往生できる方は古今稀です。面識のない私にとってさえ、お父さまの在り方は「全て模範」、一歩でも近づいて人生を締めくくれるよう頑張りたいと思います。     (三島中学校保護者)
時  任   玲  子
この道を選ぶにあらねど後戻りできぬ地点を過ぎてしまえり (花びら)働くことで心の傷が癒された経験をもつ私は、社会から疎外された人を仕事に結びつける今の仕事がとても好きだし、楽しいです。が、職業安定所で働きながら不安定な条件で働き続けさせられる不条理を抱きながら、四五歳を過ぎて転職ははるか遠くになってしまいました。ほとんど変わらぬ仕事をこなしながら、時にスペシャルな仕事も引き受けながら、常勤職員との待遇の差は民間以上のものがあり、官製ワーキングプアをひた走っています。手許不如意を毎月繰り返す非常勤の身分で、ひとり親を貫いている今の私の心に響きました。 ページ繰るように雪降り母の棲む隠し扉のあると思えり(無法松) 二十三年前の、あまりにも唐突な母の自死に遭遇した、世間知らずなお嬢さんだった頃を思い出しました。就職して最初の年末年始の休暇を母と二人で過ごし、「楽しいお正月をありがとう」と言い残して、私のアパートを出て職場の看護学校へ向かった姿が最後でした。ちょうど一月三日の夜で、雪が舞っていた闇の向こうへ母が吸い込まれてしまったみたいで、またどこかからひょいと会いに来てくれそうな感覚がずっと続いていました。隠し扉が日常のあちらこちらにあるように思えた感覚がよみがえりました。両親が離婚して、父親のいる大阪を離れ、私が東京で就職し、母が神奈川で住み込みの仕事を始めて間もない頃でした。「お母さんがいないとさびしい」と、生きている間に一言言えていれば、母は死ななかったに違いないと、幾つになっても思います。大切な人を見送って、初めてめぐってくる桜の花には、何か特別な感情を抱いてしまうものなのですね。川添先生にとって、今年の桜は言葉はなくても語りかけられる命の木だったのでしょう。胡麻粒のごとき地球に争いを繰り返し人つかの間を生く(紫陽母) 宇宙からの視点でものをみれば、なにがあってもそれでいいと受け入れられそうで、この歌も好きです。 サルビアの赤に幻惑されて見る妥協なき純粋を怖れる(紫陽母) ここのところ、赤いコートで背筋を伸ばして出歩くときがあって、印象に残りました。 (職業相談員・非婚シングルマザー)
若  田  奈 緒 子
フォーマットしたくて雪降る水仙の群れる岬に一人来ており(父惜春) 先生は一体何をフォーマットされたかったのでしょう。そして私の憶測ですが、フォーマットは完了せず途中でエラーが表示されたのではないですか。雪降る水仙の群れる岬、あまりに美しそうで、過去を紐解き、反芻し、消化するには気が散ってしまいそうな場所だと考えるのは短絡的でしょうか。リセットでもリスタートでもなく、フォーマットという言葉を使われたところが、悲観でも楽観でも能動でもないイメージを創り出していて、とても気に入りました。(茨木市立西陵中学校卒業生)
高  田   暢  子
アメンボのように手足を伸ばしいてオリオン冬の夜空に灯る(父惜春) 今回のこの父惜春の号は息の詰まるほど人間の哀しみや暗くどろどろとしたものを表現した歌が多く、思わず、ホッとできたこの歌を選んでしまった。四月から新しい環境での生活が始まり、毎日に追われ、星も見ていなかったと、夜空がなつかしく思えた。現実は川添先生の他の歌のように苦しく、激しいものだけど、そんな状況にいる時こそ、ホッと一息ついて、星や花や身近なものに感動する時が必要なのだと思う。落ちてきた蝉を貪る野良仔猫命が命の中に収まる(専待春)生き物が生き物を食べているところを見ていると、どうしても生々しいと感じる。きれいやカワイイとは思えない。お腹がすいた時の人間にも貪るという言葉がしっくりくる。現代の飽食の国日本では、忙しい人たちのために食はオシャレでクールで、簡単になってきている。食べ物がどこでも手に入り、貪るように食べる人はごく少数だろうと思う。人間の食が単なるエネルギー補給化していくなかで、今でも人間以外の動物たちをみると、変わらずその命を食する姿がある。人間もまたいつか昔の姿のように帰っていくのだろうか。西陵卒
中  井  友 紀 子
今日あたり流氷接岸するだろう心がどこか網走にいる(父惜春)
私は中学二年生の夏休みに北海道へ行きました。夏だからもちろん流氷はないけれど、涼しくてきれいな所だった、ということを覚えています。また行きたいなと思っても、行くとしたらもっと先になるだろうとも思います。もし行けるのならば、今度は冬に行ってみたいです。そして、一度、流氷というものを実際に見てみたいです。       (西中学校卒業生。茨木市在)
若  林  真 理 子
何一つ無駄などなくて生きて来たこの頃そんな思いに浸る(帽子岩)その時その時にベストを尽くして生きてきた二五年。たった二五年じゃないかといわれても。後悔はしないと決めていても、あの時、「ああしていれば・・・」という思いに苦しむ愚かさ。無駄がなかったら、もっとスマートに生きていけるのに。しかし無駄のおかげで今がある。そしてそれはこれからも。挫折の多い人生を全面肯定してくれる一首。 (三島中学校教育実習生)
中  川   雄  介
人殺しばかりテレビに溢れていて風さわやかな墓に来ている(紫陽花)テレビをつければ殺人のニュースを見ない日は無い。そんな日々の中でふと墓に行く。墓には自分の先祖の墓がある。また知らない人々の先祖の墓もある。そこでは自分の命は先祖から受け継いだものであり、同時に他人の命もそれぞれの先祖から受け継いできたものと改めて思い出す。殺人はその歴史をいとも簡単に断ち切ってしまう。人間として大切なことを思い出せる場所。そこでさわやかに風がふく。なんと気持ちの良いことであるか。   (三島中学校教育実習生)
上  柳   良  太
気に入らぬ者を悪だと決めつけるヒトよもういい加減にしろよ(氷点旅)僕はこの歌を読んですごく共感しました。最近は自分が間違っていても「気に入らなかったから」という、ちょっとした理由で人を殺すような人がごく一部でもいる世の中です。殺したりしなくても陰で人のことを悪く言う人もいます。僕は人、一人一人のことを良く分かっていれば、ちょっとしたことだけでは悪とは思わないと思うのですが‥‥ちょっと甘いでしょうか。やはり人の好き嫌いは出てくると思います。僕はそういう好き嫌いを分けてしまう人がいたとしても、悪だと決めつけず、その人のことやそう思う訳を知ってあげたいです。心の中で好き嫌いを決めるだけならともかく、外に口に出して話したり殺したりしてしまうような人は悪です。好きにはなれません。(三島中学校一年生)
濱  野   咲  希
アスファルト隅のわずかな泥土にスミレ開けば小人のごとし(桜一木)私は今までスミレを何かに例えたことがなかったけれど、小さくてかわいいスミレは、小人にも見えるなぁ〜と思いました。小さくてかわいいスミレが、硬いアスファルトの隅で力強く育っているのがすごいと感じたと同時に、私の心と体も強くなりたいと改めて思いました。     (茨木市立三島中学校一年生)
矢  野   望  美
卒業証書貰いてピンと背を伸ばす生徒の顔の大人めきたる(桜一木)卒業式の事を思い出しました。証書を貰ってから気持ちが変わり、姿勢が良くなって、お母さんに姿勢が良くてかっこよかったよとも言われたので嬉しかったです。卒業って、やっぱり哀しいけど、大人になるって感じで、哀しいだけじゃないなと思わせてくれました。      (茨木市立三島中学校一年生)
西     拓   樹
戦争や殺し合いとは言うけれどただ殺されるだけの人あり(父惜春)ぼくは小六の時に、総合学習で広島の原爆のことや、修学旅行で戦争のことや恐ろしさをたくさん学んだけれど、こんなことは考えていませんでした。でも、確かに、考えてみると、そうだな〜と思います。爆弾で人を殺すのは簡単です。でも、殺される方は、もっと苦しいし、つらいものです。人間はもっと人のこと、仲間のことを考える心を持たなくてはいけないと思います。そして、この一首を、今も争っている人たちに聞かせてあげたいです。そして、今も続いている戦争が一分、一秒でも早く終わったらいいなぁと思いました。   (茨木市立三島中学校一年生)
高  橋   早  紀
氷海の上に雪降り続く朝なぜか明るき沈黙がある(父惜春)氷海の上に降り積もる雪。想像したらとてもきれいな光景が目に浮かびます。その朝、明るい沈黙があるとあって、南極か北極かなと私は想像しました。そういう所を少し見ていたいなと思います。この辺りでは、全然雪も降らないし、明るくても、沈黙している時はなかなかないので。一人暮らしとかだと、明るき沈黙もよくあることなのかな。今、想像すると何だか少し淋しいです。うるさすぎるのはイヤだけど、やっぱり少しでもにぎやかな方が私はいいなと思います。     (茨木市立三島中学校一年生)
市  原  沙 也 加
笑いつつ笑う笑いを笑えない苦い笑いに気づいてくれよ(専待春)それは私たちの身近にもあるものです。人が笑って、みんなが笑って、一人だけ笑っていなければ、残された気持ちだからだなと思います。不思議とそんなふうに思うときがあるもの‥。何でも一人が嫌で、人と合わそうとする。きっと弱い、臆病な人だと思います、人間は。そう考えたら、どれが本当の笑いで、どれが苦笑いか分からなくなるかもしれない。だから気づいてくれよ、という言葉が入ったのかな、と思う。本当に周りも気づいてくれよ、と私も叫びたい気持ちになりました。(三島中学校一年生)
副  島  な つ み
不登校生徒の椅子の不揃いを直して今日の授業を進む(雨後虹)
 私はこの歌を読んで胸がジンとしました。不登校になる生徒も不登校にさせる方も問題があると感じます。私が小学六年生の時に不登校の男の子が転校してきました。クラス全員が大歓迎で、先生も毎日のように家庭訪問に行った甲斐あって、その子は少し学校へ来てくれるようになりました。男の子はまた転校してしまったけれど、私は少しの間でも、心を開いてくれてとても嬉しかったです。この歌を読んで、とても内容が似ていたので、この歌を選びました。どれだけ口下手でも、生徒の心にはちゃんと心が伝わるんだなということが分かりました。(三島中学校一年生)
中  山   ひ  な
見るからに意地悪そうな人が意地悪にて少し気の毒になる(蝉束間)私は、見るからに意地悪そうな人を見ると、その外見だけで判断してしまいます。中には、優しい人もいるが、意地悪そうで性格まで意地悪な人も中にはいます。そういう人を見て、どうして愛想良く出来ないのかなと思い、少し気の毒になります。でも、そういってこの感想を書いている私も、実は、意地悪と思われているのかもしれません。これからは、どんな人にでも愛想良くふるまえる人になって笑顔で過ごしていきたいです。(一年生)
岸  田   大  貴
流氷記楽しみにして待っている人あり生きてゆかねばならぬ(父惜春) ぼくは流氷記を五冊持っています。二日連続読みました。このように毎日、早く読みたいなと思う人はたくさんいると思います。もしぼくが出版している一人だと、待っている人に、早く読ませてあげたいです。川添先生、出来たら早めに五十五号を出して下さい。お願いします。ぼくも本などを出版したいです。これからもよろしくお願いします。  (三島中学校一年生)
林     瑛   華
知らんふりするのも才能だと思う今にして知る世の才覚を(父惜春)私がこの一首を選んだ理由は、「知らんふりするのも才能」というところが、すごくおもしろいと思ったからです。なぜかというと、私は、知らんふりをするのが苦手ですが、それを才能と」と片付けると笑いになるからです。 (三島中学校一年生)
酒   谷     遼  
すんなりといかない方がいいのかもなど青空は教えてくれる(那智滝)生きているといろんなことがあって当たり前。いつもいつもすべてがうまくいくよりも、挫折や不安など、いろんな困難や壁にぶち当たり、それを乗り越えていく経験をすることが大切なんだよと、青空は教えてくれたという最後の言葉が僕は気に入りました。    (三島中学校一年生)
時  任   瑠  威
沈黙のその表情を眺めつつテスト監督ゆったりと過ぐ(桜一木)ぼくは、前期の中間テストはもう終わってしまったけれど。この歌を読んで、確かになぁ、と思いました。テスト中はとても閑かで、監督の先生はこわばった顔ばっかりで、笑いそうになっても必死にこらえていました。でも、よく考えたら、その強ばった顔の先生たちがいたからこそ、テストもちゃんと受けられたわけです。今思い出すと、その先生たちに感謝です。(三島中一年生)
松  尾  彩 友 子
ドラマでは殺人事件ばかりにて己れの死など誰も思わず(専待春)殺人事件のドラマは、当たり前のようになってきています。自分の死は‥‥。考えたこともなかったです。自分だけでなく、家族、友人‥‥。身近な人がいついなくなるか分かりません。ドラマだけでなく、ニュースで毎日のように見かける人の死。どこか遠い話のように思っていました。人はいつか死ぬ。そのことを感じさせられた一首でした。  (三島中一年生)
本  村   結  愛
人がはやペットにされて飼われいる未来の地球転がっていく(氷点旅)難しそうな歌が多くて、なかなか理解できる歌がなかった中で、この歌を読んだとき、「あっ、おもしろい!」と思って興味が湧いた。今は、人間が普通に、犬や猫をペットとして飼っているけれど、未来では、人間以外の生物が地球を支配しているかもしれない。そう思うと、人間がペットとして飼われていてもおかしくないのかもしれない。でも、想像すればするほど、どう考えていいかわからなくなり不思議な気持ちになった。(一年生)
野  口   英  佑
ホールインワンの直後に蹲る美事な父の最期となりぬ(父惜春)川添先生のお父さんの人生はすごいと思います。書家としても偉大な人だそうで、しかも、最後の最期にホールインワンをとったからです。最期まで、良い人生を送れてとても良かったのかもしれません。でも、亡くなってしまったので、先生にとってはとても悲しいことでもあります。がんばってほしいです。指導書やワークブックに書かれない真実少ししゃべりて終わる(麦風号)これを読んで、川添先生の苦労が伝わってきました。もっと本当のことを教えたいのだけれど、あっという間に授業の時間が終わってしまった、少し残念だ、という感じです。先生の授業での話がとても楽しみです。これからもいろんな事を教えて欲しいです。  (茨木市立三島中学校一年生)
川  底   英  剛
花びらはゴミとなりつつ桜散る瞬時瞬時が目に浮かびおり(桜一木)桜は僕たちの心を落ち着かせてくれます。ほかにも春を感じさせてくれたりします。僕はそんな、桜の咲いているときが一番立派に見えます。桜は、咲いているとき、ひらひらと散っているときがきれいだと思うけど、散った後のピンク色の道路もきれいだと思います。今、地球は環境が悪くなってきて、桜はいつまで見られるのだろうと思うようになってきました。だから、今、僕に出来ることを考えていきたいです。 (三島中学校一年生)
清  水   七  海
アメンボのように手足を伸ばしいてオリオン冬の夜空に灯る(父惜春)この歌を読んで、冬の夜にベランダから見たオリオン座を思い出しました。暗くて、何色かわからないような色の空にある、伸び伸びと手足を伸ばしたオリオン座。何にも考えないでボーっと見ているだけだと、何となく見ていたくなる‥‥不思議な感じがします。見ているだけなのに幸せです。そんな感じがまた思い出せたので、良い歌だと思いました。 (三島中学校一年生)
上  野  英 里 華
この空に虹が架かればいいのになぁ思いて虹を描きつつ見る(雨後虹)私は、今まで絵を描くときは、ただ周りの人から指示されたとおりに描いてきました。みんなと同じような絵ばかりで、自分だけの絵など描いたこともありませんでした。でも、この一首を読んで、そうやって頭の中で、今描こうとしている絵を想像しながら描くことで、もしかするとオリジナルな絵が出来るかもしれない。そう思うと、今まではあまり絵を描かなかったけど、どんどん描いてみようと思いました。 (三島中学校一年生)
広  瀬   礼  子
生まれては消えゆく定め絶え間なくひたすら落ちる雪を見ている(父惜春)この歌を読んで「ひたすら落ちる雪を見ている」が一番心に伝わってきました。雪は生き物であり、生まれては消えゆくとは、この世に生まれてきてそして亡くなってしまうということ‥‥この本には自然の物や生き物のことがたくさん書かれているんだなぁと思いました。(三島中学校一年生)
川  添   和  子
父の死を聞きて戸惑う落ち着けよどこかで父の声が聴こえる(父惜春)職場に、父が倒れたので、とにかく急いで病院に来るように、という電話が入り、震えながら運転して病院に向かいました。父が「気をつけて来い。急いでも着く時間はそんなには変わらん。お前が来るまでは死なん。」そう耳元で話しかけて来るのを感じていました。「意識はありませんので、ご本人には痛みや苦しみはないだろうと思います。」という医師の説明とは裏腹に、「父さん、来たよ。」と話しかけた瞬間に、父が微笑んだ気がして、私は医師に手術の出来る病院への搬送を交渉しました。CTの映像を見せられ、この状態の患者の緊急手術を受け入れる病院はないだろうという、説明が返って来ました。一報を聞いて駆け付けて下さったお世話になっていた方々や、救急車で付き添っていただいた方のご家族を処置室に招き入れ、父に会っていただきました。みなさんに声を掛けていただき、私は父に声を掛けながら、掌に父の暖かさを感じながら「お気の毒ですが、この(心臓の)波形は、振動によるものだと思われますので…」という医師の声を聞きました。死亡確認は11:15でした。あの日から4ヶ月が過ぎました。遺影の父は、私が泣いたり悔やんだりする度に「見事な最期やったろうが。俺は立派に生き抜いたやろが。お前も生きろ。」とでも語り掛けるように、微笑みを浮かべています。兄が喪主として葬儀を取り仕切り、父の作品展示と沢山の方々にご参列いただき、誇りを持って父を見送ることが出来ました。そして現在、兄が纏めてくれている父の作品集は、最終校正の段階に入りました。兄のところで、校正段階の作品集を見た帰りの車中で、私はこの文章を記しています。 仏壇に寄り添うように並ぶ両親の願いは、多分、残った家族が日々の暮らしを大切に、仲良く幸せに最期の日を迎えるその日まで、人間らしく生き抜くことだろうと思います。父母がそうであったように…。父の作品集は、両親が生きた証の一つの集大成として相応しい・素敵な出来あがりになりそうです。お世話になった方々にお届け出来る日も近づいています。現世にていただいたご縁に感謝いたします。父母と暮らした自宅の庭には、今、紫陽花の花が咲き誇り、風に遊んでいます。おかげさまで兄も私も、日々元気を取り戻しているように思います。今年の夏も暑くなりそうです。どうぞみなさま、ご自愛下さい。 (妹・福岡県立八幡工業高等学校・養護教諭)
注:父川添岳洲作品集『一を貫く』と実用手本集『明月素光を流す』の二冊はこの八月上旬に新葉舘出版で刊行されました。その岳洲書体は近くフォント化される予定もあります。