五十六号掲載一首評 
安  森   敏  隆
午前二時眠れぬ我を操作する飛行機の音しばらくひびく(父無夏)この冒頭の一首の「午前二時」に何とも言えぬ実存がある。それは作者の川添さんの、なみなみならぬ「思い入れ」が、ここにはあるからであろう。ちょうどその時「飛行機の音」がしばらくしたのである。この「飛行機の音」に対峙する「午前二時」の「思い」は多分、「父」に関わることであろう。亡くなられる前か、亡くなった後かが、この「後」の歌を読んでもよくわからない。わからないけれども「父」に関わることだけは、そして、この「父」へのひたすらな思いだけは伝わってくる。こんなに重い、そして貴重な「午前二時」を詠んだ作品を私は他に知らない。(同志社女子大学教授・「ポトナム」代表)
中  村   桂  子
父さんと呼べばにわかに胸詰まるいかなる過去も愛あふれおり(父無夏)何も申し上げることはありません。ただそのまま何度も言ってみるだけです。私も、すでに父母を亡くしており、まさにこれと同じ気持だからです。「八月の半ばの予定聞かれては帰省といえど父母はもうなし」という歌も同じ。そのままです。でも、このようにして人々の心の中に残ることで生は続いていくのだとも思っています。父も母も私の心の中では生きていると。 (JT生命誌研究舘舘長)
三  浦   光  世
飛行機が離陸していく浮遊感ありて一気に眠りへと入る(父無夏)十数年前、羽田空港から飛行機に乗り、私はたちまち眠りに入った。目が覚めた時、「あ、もう旭川に着陸するのか」と、私は機に坐っている妻に言った。が、「冗談じゃないわよ。今、羽田空港を出る所よ」と妻が答えた。そんなことも思い出して今回の右の一首を選んだ。時の間の状況が実によく描写され、一首として完成していると思う。なかなかこうは詠めないと思う。この度の五五号にも、魅かれる作品が多くあったが、特に右の一首を選んでみた。      (三浦綾子文学舘舘長)
黒  江   鏡  湖
父さんと呼べばにわかに胸詰まるいかなる過去も愛あふれおり(父無夏)書家であられたご父君と地上の別れをなさった。以前に母上を亡くされている。英一さんはみなし児となった。無論、愛する夫人とお子さんとの家庭があるのだから天涯孤独という訳ではない。しかしながら、地上ではいつかは別れなくてはならぬ[定め]があるとはいえ、この窮まりのない寂寥感は言葉で言い尽くすことはできない。父としての厳しい鍛えに歯を食い縛ったこともあったであろう。しかし、それはすべて父上の[愛]の姿であったことを今更にして憶うのである。それが「いかなる過去も」に万感の思いを込めつつ、感謝を込めつつ「父さん」と呼んだことであった。私の母は八八歳にして天国に召され、二九歳で死んだ父の所へ行った。その時私は六八歳、父母を亡くした私はみなし児になったとの思いを重ねる。(札幌市在。三浦綾子さんの友人。『氷点』に高校教師黒江先生で登場。)
加  藤   多  一
人間があの世天国浄土など小さな虫を殺しつつ言う(父無夏)こういうリクツの歌はおもしろくない‥‥と人は言うけれど、偽とウソと悲惨がいっせいに人の世に襲いかかる最近の現実にあえいでいる今秋の私は、この作品のリクツを愛す。文字や短歌の伝統・短歌の美が、現実の矛盾と酷薄さから目をそらす「口実」にされては、日本語の美しい伝統が泣くのではないでしょうか。もうひとつの口実は「制度仏教」でしょう。美しく伝統ある仏閣もなく経典もなく文字もない、アイヌ民族の「祈り」こそ、理想だと思う私です。もしかすると三百年前のアイヌは「素粒子」の存在を信じていたかもしれません。(童話作家)
菅  沼  東 洋 司
やわらかな心となりぬゆるやかに坂下りつつクチナシ匂う
玄関を開ければ金木犀匂い父に会いたくなりて出てゆく(父無夏)このような歌がふと生まれ出てくる作者のご心境に共感できるものがあります。誰でもせわしい日常から逃避し、安息の場に身を置きたいというはかない望みを抱えながら生きております。そしてふとした瞬間に、人は心の片隅にそんな空間を見つけて己をその中に投げ出すのです。束の間の安らぎ。そんな時間を見出せる人はあるいは幸せかも知れません。肉親のご逝去に遭遇され、悲しむ間もなく死者を送るセレモニーを滞りなく済まされた作者の、まぎれもない「心の歌」とお見受け致しました。  (作家。ブラジル在)
川   口     玄
たくさんの小人の帽子鮮やかに雨の紫陽花輝きて見ゆ(父無夏)
 あじさゐは不思議な花で、この花を見ると、誰もがいろいろのことを連想するようですが、「たくさんの小人の帽子」と見立てたことに感心しました。花のみごとさだけではなく、短歌というものの楽しさを教わったような気がしました。  (『大阪春秋』元編集長)
神  野   茂  樹
心込め書かれ刻まれし父の書を捜せば無数の碑に会う(父無夏) 小生は想像力が乏しいので、歌の背景がどうのと思うに至らないのだが、岳州氏の書を拝見した今、この歌に込められた川添さんの心情が伝わる。〈一生を終えて後に残るのは、われわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものである〉何かいつものボクらしくない感想ですね。(『大阪春秋』元編集長)
藤  本  美 智 子
やわらかな心となりぬゆるやかに坂下りつつクチナシ匂う(父無夏)お母様に続きお父様を亡くされ、悲しみと寂しさと共にどこか気が張っていらっしゃったことと思います。そのような時期にクチナシの匂いに心が和らいでいらっしゃる。〈ゆるやかに坂下りつつ〉というのがまたいいですね。「天空より雲見るように睡蓮の葉の下この世あると思えり」も印象に残りました。(詩人)
鈴  木   悠  齋
野ざらしの痛みに耐えてキリキリと今日はひねもす偏頭痛あり(父無夏) 野ざらしとくれば、芭蕉の「野ざらしを心に風のしむ身かな」が浮かび、落語の「野ざらし」を連想します。昔、それを「野ざらしを心に釣りをする身かな」というパロディーにしましたが、落語好きにはおわかりでしょう。これは枕で本題はここから。三年前、川添氏は頭に動脈瘤が見つかった時、「心して独りなるべし生きながら我がシャレコウベ風化してゆく」と詠われましたが、生きながらシャレコウベが風化してゆくという表現に大層感銘して、一首評に採り上げました。この偏頭痛はもしや動脈瘤のものじゃないかと、私も頭痛持ちなので人事ではありません。頭といわずに野ざらしという唐突な言葉で、ひどい痛みをサラリと詠っているところに共感を覚えます。もうそんなに若くはありません。御同病お互いに気をつけましょうぞ。(書家)
弦  巻   宏  史
携帯に指示されながら街を行く人は滅びに向かいつつあり(父無夏)
まさに現代の風景。この社会への警告である。管理と指示で人々を追い回す市場原理。はたしてこの社会は人間をどうしようと言うのだ。どう考えても多くの人々から豊かな成長と大らかなゆとりを奪ってはいないか。更に随所で人々の生存権を奪って恥じない社会。家族や友人達は密になっているのか‥‥。社会も人間も「滅び」に向かっていないか。今日という歴史を背負った生き様である。その想いが切々と伝わってくる。炎天の後に怒りの雷の雨唐突に来て地を叩き過ぐ 少年の頃、その中を駆けてみたかった。北国にはめったにない。    (網走二中元教諭)
小  川   輝  道
六月の雨に打たれてオオデマリ花嫁衣装ひっそりと過ぐ(父無夏)自然の景色と人々の姿、情景を捉えてうまいと思った。黒澤明氏の映画にもそんな映像があったなと連想した。万物、湿潤の中にオオデマリは静かに咲いている。その前をひっそりと花嫁が歩いていった。女性にとってある出発を物語る花嫁衣装のヒトだった。静とゆるやかな動、作者の観察と感受性が際立っている表現である。睡蓮の葉の下緋鯉泳ぎいる世界は今も昔も同じ 餌を求め緋鯉は悠々と睡蓮の池を泳いでいる。人間世界の変転を超えて、自然の姿、働きは変わることがない。歳々年々とは言わず今も昔も同じ、の表現にゆったりとした趣がある。(網走二中元教諭)
井  上  冨 美 子
父亡くて半年経ちてようやくに母亡き父の心となりぬ(父無夏)
御尊父様のご立派な作品集と実用手本集を拝見致しました。品格のある書体に心底魅了されたところです。御尊父様の初盆の何よりも一番のご供養になったことと思います。川添先生も超御多忙な日々を過ごされていることとお察し致しておりました。このお歌を拝見しまして、ようやく一息つくことが出来たのかしらと思った次第です。体験した者にしかわからないご心境だけに尚のこと、ゆったりとした時の流れを持てたときに感じる優しい心づかいが伝わってきました。今にして思えば父のいない夏ツクツクホーシつくづく惜ーし 深い悲しみの中にも、このような心地よく聴こえてくる言葉の音律のお歌を詠まれたということに、少しホッと致しました。(網走二中元教諭。網走市在)
里  見   純  世
八月の半ばの予定聞かれては帰省と言えど父母はもう亡し(父無夏)川添さんの歌はいつ読んでも平易な表現ながら余情が感じられ共感をおぼえます。
今にして思えば父のいない夏ツクツクホーシつくづく惜ーし
玄関を開ければ金木犀匂い父に会いたくなりて出て行く
稲妻がキリリと立ちて北摂の竜王山が怒り始める
沙羅の花清しき朝を托鉢の般若心経僧通りゆく
父さんと呼べばにわかに胸詰まるいかなる過去も愛あふれおり
(歌人。網走歌人会元会長)
葛   西     操
玄関を開ければ金木犀匂い父に会いたくなりて出て行く(父無夏) お返事遅れて申し訳ありません。私もこの頃は呆けの初まりだと思っております。娘は私のことを母さんとは呼んでくれなくなって、おばあちゃんと呼んでいます。今日は帯広の方から娘と孫が車で来てくれました。わざわざいいのに、と言いましたら、もう入れられないからね、と言って帰りました。母さんにおばあちゃんの世話をしてきなさいと言われた、と言って帰りました。離れても孫は可愛いものですね。先生も元気を出して頑張って下さい。私は歳ですから、いつお迎えが来てもいいように毎日み仏様を拝んで居ります。先生、お元気でお過ごし下さいませ。     (九十九歳。北見市在)
山  川   順  子
父亡くて半年経ちてようやくに母亡き父の心となりぬ(父無夏) 私は父を亡くして一年以上経つのに今だ時は止まったままだ。もうすぐ知命というのに、これではあの世からも怒られる。しかし何でも自分の身に起こらないと分からない。今まで私が発したお悔やみのコトバ等は口先だけの軽さだ。悲しい体験によって知った悲しい事実だ。雨後なれば虹鮮やかに立って見ゆ幸せは今いきていること(雨後虹)久しく虹など見ていなかったのに週に二度三カ所で見られた。あの虹を昇ったら八月に亡くなった父に会えるかなと見つめていたが虹の先は地上におりていた。そう、虹を見られるのも今生きているから、生きていると言うことを幸せと思えれば、皆が命を大切にできると思う。 (札幌市在。)
込  堂   一  博
父さんと呼べばにわかに胸詰まるいかなる過去も愛あふれおり(父無夏) 最愛のお父さんを亡くし、その喪失感と悲しみの中で、作者は「父さん」と呼んでみたのであろうか。お父さんは、既にこの世を去り、息子の呼びかけにも何の返事もない。その瞬間、作者は、父親の死を現実のものとして受けとめ、思わず胸詰まる思いをされたのであろう。しかもお父さんとの過去の思い出は「愛あふれおり」とある。亡くなったお父さんは、心優しく愛情一杯に作者を育て、見守って下さったに違いない。それにしても羨ましいような父と息子のうるわしい関係。父親に、かくも愛された作者は、真に幸せな人と言える。(三浦綾子読書会)
前  田   道  夫
山の野に星のごと咲く姫女苑ふと亡き父の面影が顕つ(父無夏)
「星のごと咲く姫女苑」は綺麗な捉え方であり、しかも臨場感があって景色がはっきりと浮かんで参ります。御父様を亡くされての今年の夏はいかばかりお淋しかったことでしょうか。見るもの聞くものすべてに亡き御父上を重ねて偲ばれたことと思います。
田の畦に二輪紫カキツバタきりりひたすら誰待ちて立つ のカキツバタも御父様の姿を重ねられているのでありましょうか。
松  永   久  子
父亡くて半年経ちてようやくに母亡き父の心となりぬ(父無夏)
心の中の説明に過ぎぬかも知れないが、考える程にじわりと深いものが沁みてくる一首である。子の心、肉親を失うことの大きな心の欠落をうなづかされずには居られない。鬱鬱と夏の終わりの夕卓は身体に沁みる茄子食みている 巧い一首である。「うつうつと」は長かった夏の逝く哀感であろう。もう夏も終わりだなと食べる茄子の味がしみじみと万感を誘うのであろう。茄子故によく判る気持ち。(尚、この頃の茄子の漬け物は最高に美味しくて‥‥と言外の満足もかもし出している。)(歌人)
三  島   佑  一
透明な柩の箱に横たわり眠れぬままに夜が明けてくる(父無夏)
お父さまが亡くなられて一途に偲ぶ気持が、いつか柩に眠る父が自分になっている不思議な体験を詠まれたと思う。透明な柩に夜が明けてくる清澄感が胸を打つ。天空より雲見るように睡蓮の葉の下この世あると思えり これも非凡な幻想で、この世があの睡蓮の葉の下にある。ということはこの空の下に睡蓮の花が咲いているという普通の人が見ない世界を現前させている。(歌人)
高  岡   哲  二
父さんと呼べばにわかに胸詰まるいかなる過去も愛あふれおり
(父無夏)一首の純粋なところに惹かれ心打たれる。亡き父に対する感情、真実な想いが伝わってくる。下の句の「いかなる過去も愛あふれおり」には、真実が込められている。〈ゆるす〉という寛容があると思う。ともすれば親子の関係のぎくしゃくしている現実社会にあって、清涼剤とも云える一首である。息子からの亡き父へのメッセージであると思う。次の一首も魅かれる。閑かさや蓮の花びら一つずつ落として風は一瞬に過ぐ  (日本歌人・同人)
堤     道   子
父恋し母恋しとぞ夕方の鴉の帰路は飛びながら鳴く(父無夏)
「鴉(あ)も烏(う)もカラスなり。」鴉は烏合の衆とか凶鳥とか云われて、隠れた一面の「孝鳥」であることはあまり知られていないと私は思いたい。反哺心(はんぽしん)といい、鴉は自分を育ててくれた親が老いると、口移しで餌を運ぶといわれる。昔の人の観察は深い。白楽天の『慈烏夜啼』の詩には「慈鳥その母を失う、未だ反哺心を尽くさず、唖唖(ああ)として哀音を吐く」がある。「かあ」も悲しみの声は「唖唖」と聞き取れる。父恋し母恋しと思う心は、生きとし生ける者の裡なる思いで、熱い熱いものである。(歌人。北海道芽室町在)
高  階   時  子
八月の半ばの予定聞かれては帰省と言えど父母はもう亡し(父無夏)帰省とは「故郷に帰ること。故郷に帰り、父母の安否を問うこと」と国語辞典にあるとおり、お盆や年末年始に帰省するのは、自分を迎えてくれる父や母、あるいは兄弟たちがいるからである。「帰省」ということばに込められた安らいだ、郷愁を誘う響きは、自分の帰りを待っていてくれる人たちを抜きにしては語れない。すでに父母を亡くした作者にとって、生れ故郷はなつかしい処であるが、生前の両親の姿を思い出してしまう辛い土地ともいえるかもしれない。「夏休みのご予定は?」と聞かれて、今まで何気なく使っていた「帰省します」ということばを重く噛みしめている。「帰る処」があるということは、誰にとっても大きな支えになっているはずだ。私も五十代の後半になり、郷里を、親元を離れたくてしかたがなかった自分の若い日々を思い出しながら、巣立っていったこどもたちの帰省を迎えている。  (歌人。兵庫県たつの市在)
唐  木   花  江
前の夜に殺められたのかも知れずアヤメに魅入っている我がある(父無夏)
理路整然とした歌群の中、この一首に注目した。殺められたのはアヤメなのか我なのか、慄然とさせられる「前の世」「殺められた」「アヤメ」「我」‥不思議の美、不可解な世界が展開する。結末が見えないから読者は困惑するだろう。予定されていない答え。だが、それは我々が選ぶべきなのである。そこにこの一首のふくらみがある。途中に句またがりがあるが、それもさらに我々を揺さぶる。理論的な作品よりも私はこの方が好ましい。「運転手いるのだろうか長き長き貨物列車の音聞きて寝る」この一首にも不思議の童話を感じた。(歌人。大和高田在)
塩  谷  い さ む
そこだけにしかない論理の攻撃に晒されており黙るほかなく(父無夏)
「そこだけにしかない論理」に頷いている。無理矢理にくっつけてくる屁理屈に辟易している作者像が目に浮かび同情しているが、よくあることである。負けずに頑張って貰いたい。父の死を聞きて戸惑う落ち着けよどこかで父の声が聴こえる(父惜春)も採りたかったと今思っている。妹さんの評の「父さん、来たよ。」の呼びかけに一瞬お父さんが微笑んだ気がした、という。親子の愛に打たれている。「川添岳州」の書は永遠に耀きを増すだろう。もう一度「岳州氏」のご冥福を祈る。(歌人)
小   石     薫
花菖蒲歩めば父も母もいて此岸といえど心澄みゆく(父無夏)
ご両親のいらっしゃった頃の風景がそこにあり、母そして父と旅立たれた浄土への思いが「此岸といえど」という言葉を引き出したのだと思う。誰も書く者がなければ久方の硯に向かう父偲びつつ この硯は父の硯であったのか。長い間愛用なさった硯には長い歳月のその時々の思い出が残っていることだろう。自身よりも高い峰であった父の存在は今なおまぶしいのだ。歳月が流れ、多くの思いが胸を去来することだろう。この二首、比喩的にならず直截な表現をしていることでより深い思いを伝える。(歌人)
横  山   美  子
透明な棺の箱に横たわり眠れぬままに夜が明けてくる(父無夏)
死の準備せよとごとくに早朝を目覚めて一気に過去よみがえる

 私事ですが、最近不眠気味なので、この連作の感じがとてもよくわかります。一首目、眠れないのだけれども、起きて動き出すだけのエネルギーは湧いてこないのですね。そのうち窓の外が白白と明るくなってきて朝が始まるのです。二首目、眠れないときに考えることは暗いことが多いです。そう、自分の死を考えることも多いです。そしてそれに連動して過去のさまざまなことが思い出されるのです。 亡くなりてしまえばいろんな歳の父、母の匂いがよみがえりくる そうですね。身近な人が亡くなるということはいなくなるのではなく、むしろ四六時中いっしょにいられるようになるということかもしれません。川添さんのお歌は、まっすぐに詠われているので、まっすぐ心に届きます。(歌人)
福  井  ま ゆ み
父亡くて半年経ちてようやくに母亡き父の心となりぬ(父無夏)
お母様亡きあと、お父様は何年くらい一人暮らしをされたのだろうか。妹さんは九州に住まわれているうだが‥‥。お父様は手術不可能の動脈瘤を抱えておられたそうである。しかし、家に引きこもることなく、日々書の練習に励み、作品の発表をする準備をされていた。口数の少ない、それでいて一本筋の通った九州男児を思い浮かべる。全力投球の生涯であられたと思う。(歌人)
池  田   裕  子
やわらかな心となりぬゆるやかに阪下りつつクチナシ匂う(父無夏) 先日、初冬の空一面がピンク色の空たなびく夕焼けに出会い、暫く東の空より西の空まで続くこの美しい自然に見惚れ、天変地異が起こりませんようにと祈る気持ちで眺めました。善意も悪意も、それなりの勝手な論理も無視して、ふと感じる大自然の偉大さその中に人間がいて、それを詠う個々がいる。すでに人生の坂道を下り始めた私は、クチナシの花にも感動する心を残して、シンプルに生きていくことが課題であると常に思います。何気なく優しい言葉が心に沁み込んでくるような一首でした。(歌人)
山   本     勉
八月の半ばの予定聞かれては帰省と言えど父母はもう亡し(父無夏)なんと哀しい歌でしょう。親の年齢を越えても、親子は親子ですよね。その愛する両親をつづけて亡くされた作者の悲しさや寂しさが、よく理解できる一首です。毎夏、そのご両親に会うために帰省していたのでしょうが「帰省」と言ってしまったあと、虚しい気持ちが心の中を過ぎったのでしょう。胸を突かれた作品です。今回の「父無夏」の表紙がフジテック塔でしたので、茨木市に住んでいた頃を懐かしみ、暫く眺めていました。そして最後の八十頁で「フジテックタワー解体されてゆく怪獣クレーン微かに動き」を読み、表紙に用いられた意味が分かりました。あのタワーがなくなることに寂しさを覚えています。(歌人)
荒   井     衛
見えなかった山が見え空広くなる工場敷地に虹かかりいる(雨後虹)今まで激しく降っていた雨が徐々に小止みとなり、やがて止んでいく。すると空にかかっていた雲が、薄紙をはがすように消えてゆき、青空が見えてくる。そして虹が現れてきた。それが何と工場敷地の上というではなかいか。雨が上がってゆき、青空を見せてくる一瞬を見事にとらえた作品である。わたしの希望としては、虹の架かった工場敷地は発展してゆく工場であれと祈った。
                     (歌人。高槻市在)
野  村   和  子
辛けれど歯を食いしばり過ごすべし逆境こそが人強くする(父惜春)徳川家康の人生訓を読み、過去に苦い経験があり、悩み生かされている自分と、宿命みたいなものを感じていましたが、右の歌を読ませていただき過去の出来事に対して自信と、将来に光りが差してきたような希望と勇気を持てるようになり感謝しています。本当に有り難う御座いました。(歌人。高槻市在)
柴  橋   菜  摘
携帯に指示されながら街を行く人は滅びに向かいつつあり(父無夏)携帯を持たぬ生活をいつまで出来るか挑戦している。電車の中や歩いている時さえ、メールをしたり喋ったりしているのを見ると、不気味に感じることもある。いろいろ不都合なことが起こりつつあるのに、本当にそんなに便利なものであろうか。私にはどうもなじめない。「人は滅びに‥」と詠まれていることに共感する。父の死を悼み悲しむ余裕すらなくて葬儀は着々と過ぐ(父惜春)四人姉妹の長女たる私も、全くこの境地。突然心臓死で、急な旅立ちをした父だった。その報を電話で知らされ、まず頭をめぐったのは葬儀の段取りであり、次々こなさなければならないことにひたすら没頭したのである。今でもあの日のことは鮮明に覚えている。その父の二十七回忌もすませた。哀しみは時折フワッと沸き出してくるかもしれない。しかし川添さんは、お父様の「書」という素晴らしいものを世に出された。それはこれから、明日への力になると信じる。(シナリオ作家・奈良大和高田市在)
谷  藤   勇  吉
鬱鬱と夏の終わりの夕卓は身体に沁みる茄子食みている(父無夏)
 作者・川添氏にとって、この夏はただの夏ではない。ご尊父殿を亡くされて迎えた初めての夏。その空白に耐えているしかない夏。まさしく「父無夏」なのである。『父無夏』中の一首ながら、この作品は、直接に父の死を悲しむとか惜しむとかといった内容ではない。しかし、第一句「鬱々と」及び第四句「身体に沁みる」は、父君を亡くされた作者の哀しい心情をそれとなく表わしているものであろう。上の句「鬱鬱と夏の終わりの夕卓は」では、末尾の助詞「は」が素晴らしい。この「は」が存在するが故に、本来、作者だけに関わる、個人的な「夏の終わりの食卓」が、私たち読者の「夏の終わりの食卓」をも含めた、普遍的な「夏の終わりの食卓」になったような気がする。その普遍的な「夏の終わりの夕卓」に、作者は「茄子」を「食」んでいる。その「茄子」が「身体に沁みる茄子」であることは、理の当然とも言えよう。作者の置かれた場面及び作者の為しつつある行為は、「鬱々と」した場面であり、「鬱々と」した行為であることは、これまた、理の当然とも言えよう。この作品は、集中第一の傑作である。 (川口市在住)
中  島   タ  ネ
父恋し母恋しとぞ夕方の鴉の帰路は飛びながら鳴く(父無夏)
秋は夕暮れの早い空を、鴉は泣きながら、山に可愛い子どもか待っているのを、父母さまに例えながら詠われたのだと感じました。亡くなりてしまえばいろんな歳の父、母の匂いがよみがえりくる お亡くなりになって、その歳々に、子どもの頃からの数々の想い出が、次から次へと浮かんで来て、懐かしんでおいでになるご心境をお察し致します。私事ですみませんが、父母が逝って二十三年になっても、叱られたこともあり、優しくしてくれたこともあり、また、母の、お彼岸などに作ってくれたおはぎ、お団子のおいしかったことが、父母の亡くなった年齢に近づくにつれて思い出されます。これは生きている限り続くと思われます。   (福岡市在)
濱  野   瑠  妙
玄関を開ければ金木犀匂い父に会いたくなりて出て行く(父無夏)私は金木犀の匂いを嗅ぐと小学生の頃を思い出します。通学路に金木犀を植えていた家があり、登下校の時に香りが漂っていました。その頃は、ただ「いい匂い!」と思っていただけでした。大人になって、金木犀の香りがすると、子どもの頃にタイムスリップしたようになつかしくなります。今年もタイムスリップしました。 (三島中学校保護者)
時  任   玲  子
やわらかな心となりぬゆるやかに坂くだりつつクチナシ匂う(父無夏)草花や木がたくさん登場しているのは、お父様が急逝された先生の心を癒すためなのかなと感じつつ、読みました。芳香に疲れた心が癒されることって、確かにありますよね。クチナシの甘い香りに、一緒に魂がほどけていくような、心地よさを感じます。天空より雲見るように睡蓮の葉の下この世あると思えりはるか高い上空の視点から眺める世界と、足許の水面から下に広がる世界を重ねて思いを馳せる、深く奥行きのあるスケールの大きさを感じました。蒲の穂の群れる河原は古代めき夕焼けながらしばらく歩む 東山魁夷の日本画のような世界をイメージしました。とても絵画的で色彩があふれてきます。麦の穂の直線清しき匂い満ち無数の海老が跳ねてゆくらしこちらは上質のエッチング作品を思わせられます。麦の穂の直線と、無数の海老を結びつけられるまなざしが、とても新鮮でリズムが響いてくるようです。
慎ましく咲く睡蓮の白き花浄らかなればしばし真向かう
閑かさや蓮の花びら一つずつ落として風は一瞬に過ぐ
空よりも深き青の面睡蓮の花に鎮もるひとときがある

私はどうも、水辺の花に惹かれるようで、こちらのような歌に出会うとほっとします。(職業相談員・非婚シングルマザー・三島中保護者)

上  柳  か お る
怒るのはやめて元気の出る言葉かけよう友も親も教師も(父無夏)確かに、この一首のようにすれば、どれだけ人間関係も円満になることかと感じます。怒るのはかなりエネルギーのいることで、こちらが相手を思って言っても、言われた方にすれば気分の悪いことで、反対にキレられる恐れもあります。言葉はとても難しいものです。牧師の伯父が、「言葉は二面性を持っている。相手の欠点は長所にもなりうるし、又その反対の場合もある」とよく言っていました。例えば「おせっかいな人」は少し口出しし過ぎて疎ましく思われがちですが、裏を返せば、世話好きで優しい面もあります。私も言葉をうまく使いこなして良い人間関係を築いていきたいと思います。    (三島中学校保護者)
高  田   暢  子
天空より雲見るように睡蓮の葉の下この世あると思えり(父無夏)この歌を読みながら、自分が天空から地上を見ている気分になると、一気に地上の睡蓮の花が咲き乱れる水面をすり抜けて、水の底の方から花や葉が浮いているところを見ている自分になった。ものすごいスピードに呑まれるような感覚で、別世界に引き込まれた。おそらく先生は別の思いを持って睡蓮を眺めていたのだと思うけれど、私にとってはまた別の世界を体験できた歌だった。        (西陵中学校卒業生)
中  川   雄  介
大地震終わりてすぐの我が居らぬ空のベッドは家具の下にあり(冬菊号)この歌を読みその時のことがありありと甦ってきた。小学校6年の時に阪神大震災を経験した。経験したこともない大きな揺れに、初めて死の恐怖を感じた。そしてその後も余震に怯え、数日間死を意識し続けた。あの地震では何千人もの方々が亡くなられた。それを思えば自分は神に生かされたのではないかと今感じる。生かされた命どう生きるか。(三島中学校教育実習生)
若  林  真 理 子
怒るのはやめて元気の出る言葉かけよう友も親も教師も(父無夏)言葉には一種の霊妙神秘な力が存すると信じている。古代の日本人が信じた言霊である。日々、暗いニュースばかりが報道される。不景気、殺人、事故・・・こんな社会を眺めて、胸がぎゅっと締めつけられる、悲しみが心を支配する、それをごまかし生きる、つらいな・・・大人の社会を眺め、子どもたちはもっと胸を痛めているだろう。来春、教師として教壇に立つことが正式に決まった。こんな今だからこそ、私にできることは何だろう。この先出会うたくさんの子どもたちへ、できる限り多くのすばらしき言葉をかけられる教師になること、それが今の私の目標でもある。愛あふれる言葉を、怒りではなく・・・人として生まれた幸と悲しみを深夜眠れぬまま思いおり(輝く旅)道端に咲く小さな花に憧れた。おまえはいいな。風のままに吹かれ生きていく。人間は大変なんだよ。愛や憎しみ、喜びや悲しみ、そっと風に吹かれるそんな日はどこかに忘れてきてしまったよ。そんな夜はひたすら孤独と闘って、眠れぬ夜と会話する。それでも、私はやっぱり人間でよかったんだなぁ。人と人とが触れ合う温もりをちゃんと知っているからね。(教育実習生)
中  野   泰  輔
睡蓮の葉の下緋鯉泳ぎいる世界は今も昔も同じ(父無夏)今の世の中では「グローバル化」が進行していて、アメリカで発生した金融危機ですら、日本をはじめ世界中に大きな影響を及ぼすといったことが起こっています。しかし、この歌にもあるように、睡蓮の葉の下、つまり、人間の暮らす地上世界とは別の空間では、地上での人間社会の動きとは関係なく、平成の今の世の中でも、戦国の世でも、貴族の世でも、全く同じように緋鯉が泳いでいたのでしょう。そう考えると、何と今の人間社会の騒ぎの馬鹿馬鹿しいことか。結局、経済が何だのとかいう話は、人間以外にはどうでもいい話なのです。小さなことにとらわれて、我を見失っている人の多い今の世の中で、私にその馬鹿らしさを教えてくれたのがこの一首です。        (西中学校卒業生)
山  崎   響  子
主人公の周りの死のみ重きまま勧善懲悪ドラマが終わる(父無夏) この一首は、私が今まさに見ているドラマで思ったことです。主人公とは縁のない全く関係のない人が死にそうになっていても別に何もせず、はい、死んでしまいましたで終わるけど、主人公と縁のある人が死にかけていると、主人公は助けるために頑張ります。ドラマだから仕方のないことかもしれないけれど、これは命の大切さが平等であるとは言えません。ニュースとかで誰かが亡くなったと聞いても、「自分の身の周りの人じゃないし関係ない」と思うのと一緒だと思うし、自分も他の人もそう思っている部分があると思います。それはドラマの影響でもあるし、ドラマのおもしろさと引き替えに、こういうことが失われていくのなら、ドラマなんてない方がいいと思います。(西中卒業生)
上  野  英 里 華
フジテックタワー解体されてゆく怪獣クレーン微かに動き(父無夏)この歌にした理由は、表紙が、フジテックが解体されていく写真だったからです。フジテックが無くなるのは何だか少しさみしいけど、でも、フジテック解体後の景色はどんなのだろうと少しわくわく感も出てきました。また、フジテックを解体するクレーンを怪獣にみたてるのも少しおもしろいなと思いました。この歌は、少しさみしいような気持ちもあり、おもしろいところもある、不思議な歌でした。        (三島中二年生)
石  崎   晴  菜
怒るのはやめて元気の出る言葉かけよう友も親も教師も(父無夏)私はこの一首を読んで、こんなことを思いました。自分は最近、人に対して怒りっぽく、というか自然な笑顔が少なくなっているのではないかな、と。やっぱり、人に対して無理矢理作る笑顔や言葉ではなく、相手も自分も自然に心から感じ、元気の出る言葉や表情を出したり、もらったりすると、自分にとっても誰にとっても気持ち良く、心が晴れるのではないのかな、と思います。
  (元三島中学校一年生)
濱  野   咲  希
フジテックタワー解体されてゆく怪獣クレーン微かに動き(父無夏)私はこの十三年間、フジテックタワーを見てきたので、急にクレーンがフジテックタワーを壊しているのを見て少し悲しいです。私の中では、フジテックタワーは総持寺のシンボルだったので、それが無くなってしまうと、総持寺は少し寂しくなると思います。フジテックタワーは、私の家からでも、小学校や中学校からでも、いつも見えていたので、私はフジテックに見守られている感じがしていました。それが壊れても私の心の中には、ずーっとフジテックタワーが建っていると思います。(三島中二年生)
広  瀬   礼  子
熱すぎて人が住めなくなる地球そんな日射しの中帰り来ぬ(父無夏)この歌を読んだとき、地球温暖化のことが書かれていると思いました。熱すぎて人が住めなくなる地球は地球温暖化のこと‥‥そんな日射しの中は、真夏の中、と言い換えることができます。言い換えると、熱すぎて人が住めなくなってくる地球温暖化、そんな真夏の中帰り来る、となります。(三島中学校二年生)
市  原  沙 也 加
人間があの世天国浄土など小さな虫を殺しつつ言う(父無夏)
確かにそうだ。私は今はしないけど、昔は小さいアリなどの虫を踏んで殺してたなぁ‥‥って感じた。改めて思うと、小さな虫だって生きているんだ、でも私たち人間は普通に踏んで殺してた。そんな簡単に踏まれた虫たちの気持ちはどうなんだろう。恨みでいっぱいかもしれないな‥‥。そんな気持ちで天国に行けるのかな‥‥ってあまり思わなかったことを、この歌は教えてくれました。   (三島中学校二年生)
山 下 藤  拓  途
フジテック塔より高いクレーンが釣り糸垂らし塔壊れゆく(父無夏)フジテックは、僕が移住してきた頃にあって、小学生の時も、あの塔ばかり見ていました。時々道を迷ったりした時も、フジテックを目印に進んでいました。僕はフジテックに何度も助けられてきました。しかし、中学生になり、フジテックもあと少しで無くなります。僕たちの時代はフジテック塔の存在を知っていますが、次の時代の人たちはフジテック塔の存在を知りません。僕たちはその事も誇りに思っていきたいです。(三島中学校二年生)
伊  藤   勇  丞
フジテックタワー解体されてゆく怪獣クレーン微かに動き(父無夏)フジテックは日に日に小さくなっていきます。茨木市のシンボルの一つが身近にあったのに、今はもう無くなるに等しいくらいになってしまい、バックネット裏でテニスをする度に思います。来年生まれる子ども達の時代では、フジテックの塔が存在しなくなるので、今後もバックネット裏に行くたびにフジテックがあったことを思い出して練習などをしていきたいと思いました。
林     瑛   華
親しげに話した秘事が次々に悪意津々変えられていく(父無夏)
私はこの歌を見た時、小学校であったことを思い出しました。私はある友だちを信用して、秘密のことを打ちあけました。すると次の日、他の友だちがその秘密のことを少しオーバーにして言っているのを聞いてしまいました。だから、この歌は、本当に現実的なのだと思いました。   (三島中学校二年生)
上  柳   良  太
大方は不幸なニュースばかりにて見つつ聞きつつ夕食進む(父無夏)僕はこの一首を読んで、確かに「最近はニュースを見ても良い知らせより悪い知らせの方が多いな」と、先生に共感しました。今は本当に嫌な世の中で、何の罪もない人が殺されてしまうような事件は特にいやです。しかも、人が犯した罪を真似しようとする人などもいて、ニュースを流す方も嫌だし、そんなニュースばかりではテレビ番組も全体的に暗い雰囲気になります。だから僕はニュースがもっと気になって、楽しく明るい雰囲気のテレビ番組になるように、もっと世界の人々に協力してほしいです。
副  島  な つ み
フジテックタワー解体されてゆく怪獣クレーン微かに動き(父無夏)とうとう「フジテック」が消えた‥‥。昔からあるから無くなると悲しい。作るのは時間がかかるのに壊すのはめっちゃ速かった。これから迷子になったら、フジテックがないから困る。風景もサッパリした。茨木のトレードマークだったのに。つぶれる前に一回はフジテックに上ってみたかった。さよなら‥‥フジテック。 (三島中学校二年生)
岸  田   大  貴
フジテック塔より高いクレーンが釣り糸垂らし塔壊れゆく(父無夏)ぼくがこの歌を選んだのは、毎日、学校に行く時に段々と小さくなっていて、その上にはフジテックよりさらに高いクレーンがフジテックの一部を取っていき、一番下にある緑の部分までなくなりました。ぼくにとってフジテックは、生まれてきた時からあり、それが今、壊されているので悲しいです。茨木市に住んでいる方も、茨木のシンボルのフジテックが壊されていてとても悲しいと思います。       (三島中学校二年生)
中  山   ひ  な
味わうでなくただイライラと過ごしいる中途半端な時間に怒る(槌の音)私は、この一首を読んで、よく分かるなと思いました。時間は、みんな平等であって損や得そのどちらもないけれど、この時間を、どのようにして使うかによって損か得かが出来てくると思います。なので、ただボーッとしているときに勉強をするか、ただボーッとしているだけか、それも、また時間をどれだけ有効に使うかということも違ってくると思います。私は、いつもボーッとしている時間の後にイライラします。ボーッとしている間に、やることはたくさんあるのに、もうちょっとゆとりを持って勉強に取り組みたいです。だから、これからは中途半端な時間をどれだけ有効に使えるかが勝負です。(三島中学校二年生)
平  井  聡 一 朗
仮の声、心に依存して歩く人は携帯電話を離さず(父無夏)僕は、この歌を読んで、便利なものは次第に当たり前になって、なくては不便なものにかわってしまうということを思いました。今使っている当たり前なものは、便利なものであって、作った人に感謝しないといけないという当たり前の心を改めて知った歌でした。   (三島中学校二年生)
吉  田  日 菜 子
怒るのはやめて元気の出る言葉かけよう友も親も教師も(父無夏)人間は、気持ちがぶつかった時、怒るほうも怒られるほうも、とても嫌な気持ちになり、余計やる気も無くなります。でも、元気の出る言葉を掛け合うと、お互いに頑張ろうという気持ちになり、怒っていた時よりもすっきりするような気がします。だからこれからは「怒る」ではなく、「元気の出る言葉をかける」という意識を高めていきたいと思います。(三島中学校一年生)
増   田     華
落ちてきた蝉を貪る野良仔猫命が命の中に収まる(専待春)生きていくためには、ものの命を奪ってでも自分が生きていかないと駄目だけど、この歌を読んだらとても残酷に思えた。私も生きていくために、牛や豚を食べて命を繋いでいく。野良仔猫たちは、私たちよりとても小さいけれど、頑張って毎日毎日命懸けで命のリレーをしているんだととても感心しました。私は生きるものすべての命を大切にしていきたいと思いました。(三島中一年生)