中 村 桂 子
赤牛の背中のごとく鮮やかに紅葉をまとう山並み続く(迷羂索)
流氷記をいただくとホッとします。ご両親へのお気持ちは大切になさって、ゆっくりとした時間の流れの中に身をお置きになっていただきたいと思います。慌ただしい世の中ですが、人との関わりは、ゆったりとした中にしかないと思いますので。高槻に職場を持ち、毎日京都から通うようになって、車窓からの山並みを楽しんでいます。東京では、これほど近くに山はありませんので、桜の時、紅葉の時、思いがけない美しさに安らぎます。
(JT生命誌研究舘舘長。『生命科学』『食卓の上のDNA』)
畑 中 圭 一
胎内に居る心地して由布の湯は過去も未来も温まりゆく(迷羂索)文字通り「母胎回帰」の歌である。温泉の湯にからだを沈め、ぬくもりを味わいながら、母胎のなかの安らぎを想起しているのである。それは微塵の痕跡もない、無意識の記憶と言えようか。どこからともなく現れては消えて行く悦楽のひとときである。その安らぎのなかで、過去だけでなく未来までも温まって行くと歌う作者は、やはり前向きに生きている人なのだと思う。(詩人)
加 藤 多 一
こんなこと釈迦が言う筈ないお経唱えて僧は坂下りゆく(迷羂索)リクツの歌は魅力ない――と人は言うが、そこにこそオトシアナがある。人間の情と心と詠嘆に安住していると破綻はないが、文学の本質たる「真」が滅びます。実績ありフアンも多い川添短歌もまた「亡き父恋し母恋し」だけでは、どうも満足できませぬ。人を悼む、亡き人をいつまでも忘れない、という美徳はあまりにも万人に理解され過ぎて美しすぎて、批評精神が衰退してしまう。先月「知里幸恵・銀のしずく記念舘」の地神齋のカムイノミに参列し感動しました。本来「祈り」には権威、権力、財力、建築物の強大さと無縁でないでしょうか。(児童文学者『馬を洗って』)
黒 江 勉
父亡くてああ桜咲く誰に告げ愛でればいいかわからなくなる
突然の臨終羨む人もありて全て模範となりて父逝く(父惜春)
「父惜春」には敬愛して止まなかったご父君への思いが惻惻として伝わってきて止まない。私は五歳で〈肺病〉であった父を亡くした。二九歳であった。抱きかかえられて見た座棺の父の目が無念そうに開いていた。母は八八歳まで生きた。死んだ時にみなし児になったとの思いであった。時に五八歳。この二首に胸を打たれました。二首目には英一さんの慰めと希望に満ちた明星を見る。(作家三浦綾子の友人。『氷点』には陽子の美術教師黒江先生が出てくる)
込 堂 一 博
死ぬまでの時間は誰も持ちながら知らんふりして日々過ぎてゆく
(迷羂索)人間は必ず死を迎える存在。しかし自分の死を考えることを誰もが嫌う。そしてできうる限り、「死」を考えないように生きているのではないか。牧師として何回も臨終の立ち合いをしたり、葬儀の司会も執り行って来た。それらは、あくまでも第三者の死であり葬儀だ。死が自分のこととして迫って来た時、どのように対応するのだろうかと時々想像してみる。しかしながら、すぐに自分は、まだまだ死なないと錯覚しながら「知らんふりして日々過ぎてゆく」生活に流される。死ぬまでの限られた時間を「どう生きるのか」と問われる一首だ。 (三浦綾子読書会『三浦綾子百の遺言』)
川 口 玄
北摂の山色づきて夕暮れは獣の群れの動くがごとし(迷羂索)
感覚の鈍い小生にとっては、意味が解しがたい短歌や俳句の多い中で、『流氷記』のうたは、いすれも、安心して、楽しみつつ、感服しつつ読むことが出来ます。ときどき書道展を観にいきますが、そのほとんどが「上手らしい」のに意味のわからない作品で興ざめをします。小生にとっては、森羅万象の気づかなかった美や真実をわからせてくれる歌がすべてです。 (『大阪春秋』元編集長)
松 坂 弘
いずれ死ぬやがては死ぬと突然の人の死を聞く戸惑いながら(迷羂索)久しぶりに「流氷記」五六号を拝見しました。昭和の末に四年暮らした高槻の街並みを思い浮かべています。右の歌を拝読しながら、去年あたりから親しくしていた人の死に逢うことが増えました。川添さんは「戸惑」うというのですからまだ若いということ。さらなるご活躍を祈念申し上げます。(歌人。『炸』主宰。『書いて暗誦する小倉百人一首』
監修など)
藤 本 美 智 子
死ぬまでの時間は誰も持ちながら知らんふりして日々過ぎてゆく
父と母亡くして何もかも虚しされど世の中何も変わらず(迷羂索)できるだけ死ぬまでの時間を考えないようにして生きています。人が死んでも、人がいなくなったのに何ら変わることのない毎日が流れていきます。夕焼けも西の國では昼陽にてかなしみなきかなしみこそまこと 印象深かったです。(詩人)
森 山 久 美 子
父さんと呼べばにわかに胸詰まるいかなる過去も愛あふれおり
心込め書かれ刻まれし父の書を捜せば無数の碑に会う
親子の情の深さをきめ細かく丁寧な表現だ。ジーンと心に響いてきます。痛々しい母の体のごとくにて無花果太くくねりつつ立つ 歌人としての平静な目で終焉を現実の目で捉える厳しさ、敬服しました。特に無花果を比喩にもってくる辺り詩情がより高く表現されています。(詩人)
菅 沼 東 洋 司
そこだけにしかない論理溢れいる国も職場も人の世なれば
人は論理なくしては生きられないと言われます。論理は生きる上での大切な基となり、平和な社会の礎となるものと聞いております。いちばん身近な家庭においてすらも、何かと決められたものがあって和が保たれております。人と人とのつながりの大切さは、つきつめていくと、しっかりした論理と、それから愛≠ノよって成り立っていると考えます。平和な社会を築く上での両輪でしょうか。何を急きこの世の終わりのように啼く蝉の読経の早朝にいる お父上様のご冥福を切にお祈り申し上げます。(作家。ブラジル在住。詩歌サロン『ふろんていら』編集。)
鈴 木 悠 齋
夕焼けも西の国では昼陽にてかなしみなきかなしみこそまこと(迷羂索)この世の中には絶対というものは無いんですね。東西南北は相対的なもので善悪もそうです。だから喜びや悲しみも同じです。悲しい悲しいと言っている人ほど大したことはなく、何気ない顔をして生活している人がより深い悲しみを秘めていることもあります。「かなしみなきかなしみこそまこと」という下句はかなり破調ですが、真実を言っているようでひかれます。だから「よろこびなきよろこび」も同じでしょう。私達はちょっとのことで喜んだり、悲しんだりして日々を送っていますが、それが大多数の凡愚というもので、それを超越した人が悟りを得た人といえるのでしょう。こんな境地はとても無理としても、せめては一日一日を精一杯やれることをやりたいものです。(書 家。各地で花札展など個展開催しています。)
弦 巻 宏 史
父と母亡くして何もかも虚しされど世の中何も変わらず(迷羂索)先ずこの一首が飛び込んできた。ぼくもこの三年で義父母を亡くした。世の中は何事も無く過ぎていく。痛切に胸にまた。日々多くの人々の死が報道され、身近だった方々も他界される。それが「日常」だ。ひとりひとりに生命と営みがあり、それぞれの死を乗り越えて生きている。漠とした思い悲しみが感情や思索をおおう。「ひとつの生命ひとつの人生」を心したい。投函をさぼつていたらこの東日本大震災。あまりにも多くの想いが募り痛んで整理できずにいる。重ねて原発事故だ。怒りが収まらない。
秋来ぬと目にはさやかに敷き詰めし小石のごとき雲広がりぬ 秋の壮大な天空に広がる無数の小さな雲たち。爽やかな一首。ぼくの好きな風景。平易直裁な表現に感服。ヘッセの郷愁(ペーターカメンチント)を思い出した。雲はやはりこの上ない芸術の一つだ。
(網走第二中学校元教諭。 北方少数民族博物館『ジャッカドフニ』館長。『オホーツク街道』では網走で司馬遼太郎を案内、ゲンダーヌや中川イセのことを紹介。「弦巻さんは、広い額をもち、高い鼻梁に度のつよい近眼鏡をかけて、背は低からずという感じで、都会ふうの紳士である。」))
井 上 冨 美 子
夢の中父現れてあの声と笑顔を残しいずこへと去る(迷羂索)
この一首を拝見しました時、あの頃の自分の気持ちと良く似ているように感じました。二十五年前、母が他界して丁度半年位たつた頃のことです。早朝目覚める少し前に見た夢の中で、大きな鳥居のところに母が立っていて、にっこり笑っているのです。只々にっこり笑っているのです。残念なことに会話することはありませんでした。ハッと目覚めて私は「母はあの世で幸せなんだね」と自分自身に言いきかせました。安堵感のような不思議な気持ちになったものです。今でも時々あの母の笑顔を思い出して、私も一歩前を向いて日々を過ごしています。
(網走第二中学校元教諭)
前 田 道 夫
赤牛の背中のごとく鮮やかに紅葉をまよう山並み続く(迷羂索)
この歌と並び「北摂の山の傾りは色づきてあまたの獣横たうごとし」があり、共に北摂の山を詠まれたものであろう。自然詠は捉え方がなかなかむつかしいものであるが、この歌は「赤牛の背中のごとく」の形容が素晴らしく、この比喩によって山並みの姿がくっきりと浮かんでくる。また亡くなられたご父君を偲ばれた「淋しくてたまらぬ父の晩年に浸りつつ読む日記の文字を」「夢の中父現れてあの声と笑顔を残しいずこへと去る」等、幾つかの歌があり、いずれも熱い想いに胸を打たれました。(歌人)
利 井 聡 子
フジテックジテックテックと塔高く聳えしが今更地となりぬ(迷羂索)阪急電車からこの「フジテック」の文字の白い塔がよく見えた。ひときわ高く聳えて駅の近い事を知る一つの目印でもあった。或る日、塔に書かれていた文字が「ジテック」となっていた。天辺から壊されていたのである。次の日には、「ジ」が無くなり「テック」となっている。そしてあの威風堂々と建っていた塔が消えた。そこには今まで存在していたものが跡形もなく無くなってしまう虚無感が漂っている。簡潔な表現により、滅びゆくものの哀れが「更地となりぬ」によって見事に完成されたと思う。 (歌人。利井常見寺坊守)
林 一 英
未来を食べ過去となしゆく今という決して掴めぬ怪獣といる(迷羂索)『今』を把握不可能の怪獣と見る、それは決して単なる隠喩どころではなく、こうして物を書きつつある間にも「時間」は不断に蚕食されつつあります。「怪獣」とはまさに至言。我々の、私の明日は不気味に音もなく、刻々と彼に併呑されてゆくのです。「食べる」という表現が痛いほど利いています。だが、思い出の対象は蚕食された過去だけではない。「明日に向かって思い出す」っていう手もある。時間は一本の線ではない。一直線につながっているのではない。一秒一秒の上に何十億という資問(世界)が広がっていると考えれば、未来はただ喰われゆく存在ではない。これは一種の輪廻の思想だろうか。お浄土に生きている妻や娘にも、こう考えれば限りない明日が、未来がある、そこであの人たちは生きている。(歌人)
南 部 千 代
この号(迷羂索)の中では、解体されてゆくフジテックタワーが底流となって詠まれていらっしゃいますが、読み手である私にも心の襞の推移がかなしいくらいに伝わってまいりました。「いずれ死ぬやがては死ぬと突然の人の死を聞く戸惑いながら」信仰心のうすい私ですが、救ってくださるというなら、どんなによいことか。「救われぬ人らを救うべく立ちて不空羂索観音かなし」みほとけに預けきらぬ自分を恥じながらです。過日、本願寺展で範宴時代の親鸞の書を拝観しました。固い真面目な書体と思いました。歎異抄の蓮如筆など。又三十六人集の流れるような仮名文字に川添さんの御父様の書を思いながらでした。流氷記五六号ありがとうございました。先生のご努力に感動しております。これからも良いお歌を見せて下さいませ。
塩 谷 い さ む
理髪中の鏡に映るわが姿父と重なる齢となりぬ(迷羂索)父と母亡くして何もかも虚しされど世の中何も変わらず散髪をしている父の姿がだんだん自分に似てくると言う作者像が浮かんで来る。そうして自分の巡りは何も変わっていないのだ!それだけ世の中のテンポは迅いと思う。さみしいけれど仕方のないことである。ついていくしかないのだ!元気を出して頑張るしかない。『流氷記』の作者も停年が近いと云う。体だけは元気にしてもう一度元気になって貰いたい。いのち有っての物種である。私の息子も停年になる前に亡くなった。祈、健康!それしかないのだ。
(歌人。この間、亡くなったとの便りが届いた。亡くなる数ヶ月前に電話で話をしたことがなつかしい。これが塩谷勇さんの最後の一首評になる。淋しい。そして残念です。)
水 野 佳 也 子
理髪中の鏡に映るわが姿父と重なる齢となりぬ(迷羂索)私も最近は鏡をみると 母に似ていて はっとすることあがあります。昔は父に似ていると言われていたのですが、年を重ねてくるとずいぶん母に似てきてびっくりします。父や兄が「ママかと思ってびっくりした」なんて言います。存命中、母に「ママに似てきたよお」って訴えると、母は喜ばず、「あんたはパパに似とるの。あたしには似とらんよお」って頑なに拒むのです。普通、こどもが 親に似てるの嫌がるけど、親が拒むのかあ?!どうやら、ママの思いは 「私に似なくてずっと美人だから大丈夫だよ」って「パパに似てかわいいよ」って ずっと慰め続けていたのです。へんなママ… からかわれているのだろうか駅前のポケットティッシュついに貰えず思わず笑ってしまいます。こういうことありますあります。私も「ん? おばちゃんは対象外か? え? でも あのおばちゃんもろたで?!」いろいろ思いをめぐらせてしまったりして…。日常のたわいないことですが、この一行は ほんの一瞬のうちにあれこれ思う人間のおもしろさ、作者のまじめでおとぼけ系のお人柄が表れてとてもおもしろいです。いやいや、考え始めると、哲学的命題にも匹敵する深刻な大問題にも成り得そうな…人の思考の迷宮の入口。その先にはラスコーリニコフの広大な闇の迷宮が広がっているのかも…。フジテックジテックテックと低くなる様を見ている数日哀し壊されていく塔への思いがよくわかります。フジテックジテックテックと機知に富んだ表現がリズミカルですし、無くなっていくのが刻々と迫る感じがします。なんにしても 親しんだものが消えていくのはほんとに哀しいことですね。 口腔は海底なればウミウシの舌泳がせて我は眠りぬうわ、すごい感覚です。今晩眠るとき思いだしそうです。お目覚めは ザムザ気分でしょうか。舌って、意識してしまうとほんと不思議なものですね。秋来ぬと目にはさやかに敷き詰めし小石のごとき雲の広がりぬ 軽妙な本歌取りスタイルで 愉快な雰囲気が好きです。きれいな空を思い浮かべて、深呼吸します。 ただに水溜めつつ眠る膀胱となりてぴたぴた日を継ぎており我が身をまるごと膀胱に喩える感性がたまりません。「ぴたぴた」がまたたまりません。(膀胱には溜まりますが…。)一体何をやってるんだろ、おしっこ行くばっかりで、結局なあんも進んでないなあ、なんて無力に虚しい思いのつのるとき。切実感。ユーモラスでありながら、ペーソスもあり、ほど良い自虐。(しかし、膀胱を馬鹿にしてはなりませぬぞ。膀胱もまた偉大であります。膀胱に感謝感謝!) 亡き父や母に似ている老人を今日も昨日も意識しているまさにその通りでございます。私は 母があんなことになるまではほったらかしで、すっかり何十年も一人で生きてきたような気になって忘れておりましたが、そんな私も近頃では 世の中こんなに年寄りばかりだったのね、 なんて そんな歳かっこうの人ばかり目について仕方ありません。お年寄りが急に愛おしくなりました。
古 藤 幸 雄
そこだけにしかない論理溢れいる国も職場も人の世ならば(迷羂索)人と「違い」を生きたい。志をもつ人なら当然のこと。人はだれでも縛られないで生きたいもの。まして詩人である川添氏は、だれにもまして自分らしさを求めて漂泊してきた個性の魂、自分の魂を檻にいれられることが一番苦手です。けれども氏か生活の糧を得るための職場は教育現場、教育界ほど個性を嫌い、個性の自由を認めず、「そろえること」に全エネルギーを消耗してきた世界はありません。そこには「そこだけにしか通用しない」閉鎖的な論理が満ち溢れています。学校の「価値観」に揃えさせる、そうでないものは異端者であり、排除の対象です。校則があって、制服があり、みんなが同じことをするように求められてきました。みんなか同じことをしておれば、教師は安心できるのです。長い間、川添氏は氏自らの人生観とは異なる不条理を生きてきたはずです。教育現場は、ひとりひとりの違いを認め、個性を尊重する自由化路線に舵を切り替えました。それを象徴するのが「ゆとり教育」、しかし、今や「ゆとり」は低学力の敵、「ゆとり」排除と同時に、閉鎖的な教育界に逆流している、それを嗤わざるを得ない詩人の心境、「そりゃ人の世」なんですものね。(元中学校長。郷土史研究家)
横 山 美 子
フジテックジテックテックとなってゆき今クの半ば塔崩れゆく(迷羂索)今号ではフジテックの塔が壊されてゆく様子が何度も詠われている。人工物とはいえ景色の一部であったものが無くなるのは、それを見慣れた人間に強い喪失感を覚えさせるということが一連の歌から伝わってくる。一連のなかで、この歌は、解体の様子がカタカナ文字でおもしろく表現されていて、リズムもよく、特に印象に残った。フジテックタワー解体父母の亡くなりて後と記憶に残る の歌になると、塔喪失の記憶が、自身の肉親喪失の記憶と相俟って余計印象深くなったことが分かる。 (歌人)
山 本 勉
未来を食べ過去となしゆく今という決して掴めぬ怪獣といる(迷羂索)まるで野菜を食い尽くす青虫のように、人も生きものも今という時を未来に向かって食べている。その今というのは何だろうか?と作者は今を見つめている。そして「決して掴めぬ怪獣」だと結論した。その着眼点の確かさに「さすが」と感心した。私のような年齢になると、ものの考え方がどうしても流れて行く時間に心を奪われてしまうものである。私の最近の作品には今日という時の流れを老いに結びつけて詠う作品が目立ってきた。「生きてあらば日々に衰へゆく生身今日を生くればひと日増す老い」「振り返り振り返り見る来し方は手に掬はれぬ幻ならむ」そんな私から見れば、川添さんはまだまだ青年だと思っているのに、年寄りとかつて思いし歳となり逆らい難きあきらめ多し なんて諦めの作品があるのは、頷けない。ずっと以前にも老いを頻繁に詠まれた作品があったが、生まれた順番からいけば「明日」は私などより、遙かに沢山残されているのではないだろうか。本物の歳よりから見れば、川添さんはちょっと我が儘だと思う。(歌人)
小 原 千 賀 子
湯けむりと雲かきわけて煌々と月照る由布の露天に遊ぶ(迷羂索)
自然と一体化してスケールが大きく素晴らしい。湯けむりと雲、月の対照が絵のようで、しかもダイナミックな空の動きまでも表現されている。芸術性が高く、三十一文字の中に宇宙があるという感を良く受けました。そして結びに「遊ぶ」という作者の自在な心があり、そこがいちばん魅力的です。このように自然の中に「遊ぶ」ことのできる境地は、長い時間かかってできていくものだと思います。これからの作者の創作の広がり、奥行きを感じさせる、私が最も気に入った作品です。(歌人。)
谷 藤 勇 吉
からかわれているのだろうか駅前のポケットティッシュついに貰えず(迷羂索)手元の辞書を引くと、「羂索」とは「鳥獣を捕らえる道具」のことであり、「(それを胸に抱いた)不空羂索観音様は、その大悲の羂索で以って一切の衆生をお救い下さる」のだとある。 その「羂索」で以って、才人・川添英一さんは一体いかなる鳥獣を捕えんとしてお迷いになって居られるのでありましょうか? 或いは、その有り難い不空羂索観音様の前に屈して、歌人・川添英一さんは一体何をお迷いになって居られるのでありましょうか?それはそれとして、川添英一さんの最近作と言えば、昨年黄泉路に旅立たれたご尊父さまへの思いをお述べになられた作品とか、教育者として生徒さんの前に立たれる時の思いをお述べになられた作品とかが多いのである。 しかし本作は、そうした作品とは打って変わった軽妙洒脱な味わいの作品である。学生風の男女が、サラ金業者やパチンコ店などから依頼されて、客引きの為の「ポケットティッシュ」を配っている光景は、電車通勤をしている者なら、殆んど毎日のように目にする光景である。そうした場合は、「チラシなら欲しくもないが、ポケットティツシュならいくら有っても困るものではないから」といった軽い気分で近寄って行き、ひょいと手を出して貰おうという意志を示すことはよく有ること。ところが、そういう時に限って、有ろうことか、わざわざ手を伸ばしてやった自分だけが貰えないで、せっかく伸ばした手のやり場に困ったりもする。配っている側としては、予め依頼主側から申し渡された事項を守ろうとしただけのことであり、この中年野郎をかってやろうとか、焦らしてやろうとかといった特別な悪意は無いのだが、わざわざ手を伸ばしてまで貰おうとした側にとっては、「私はこいつに〈からかわれているのだろうか〉」とまで思ってしまうのも無理からぬところである。この一首に接して、私は、あの謹厳実直を絵に描いたような紳士・川添英一氏に、私とそれほど変わらない一面が在ったのだと思い、歌人・川添英一さんに対する親愛感を益々深めたことであった。
フジテックタワー解体父母の亡くなりて後と記憶に残る 作中の「フジテック塔」とは、主として海外市場向けのエレベーターを生産している〈フジテツク梶rがエレベーターの性能実験を行う為に、1975年、大阪府茨木市内の阪急京都線・総持寺駅近くに建てた、高さ150mの威容を誇る実験塔である。ところが、そのオーナーのフジテツク鰍ヘ、その本社を滋賀県彦根市に移転し、次いで実験の為の新施設も完成したので、茨木市のランドマークとして地元住民の誇りとなっていたこのタワーは、2008年の9月22日を限りとして、無用の長物として解体されることになったのである。天辺の紅から始まり、「紅・白・紅・白」と紅白のだんだら模様に塗り分けられていたこのタワーには、紅色をした天辺部分から、その下の白・紅・白に至る部分の脇腹に「フジテック」という社名を示すカタカナ文字が書かれていた。この解体工事は、タワー本体を3メートル単位で輪切りにして行くという工法であったので、その下で長年暮らし、それを郷土の誇りとして来た地元住民たちは、「ああ、今日は〈フ〉が無くなった。明日は〈ジ〉が無くなり、来週は名前全体が無くなってしまうだろう」などと、何かとその工事のことを話題にして、その名残を惜しんだことであったと思われる。この作品群の作者・川添英一さんは、そうした地元住民の一人として、この解体工事の一部始終を目にしていて、その様をこの作品群にリアルに詠み表したのでありましょう。この解体工事が行われていた期間は、川添英一さんのご尊父様及びご尊母様がお亡くなりになられた時期と重なっていたと推測されるが、そういう哀しいご理由もお在りになってなのか、作者・川添英一さんにとっては、特にその解体を惜しまれるお気持ちが強かったのでありましょうか。
(鳥羽省三ブログより)
田 中 由 人
猫さかる声に苛立ち出でし朝無彩の景色にかこまれている(迷羂索)音のコントラストがいいと思います。猫の季節の、はばかることのないノイズ。そして人の営みの静寂。モノクロームの日常の朝がはじまる。鶏声ではなく猫の情交の金切り声。当世の人の孤独と野性が呼び覚まされますね。もう一首。ようやくに撓りて雪の落ちてゆく椿の赤く鮮しく見ゆオーソドックスな写実ともいえそうですが、白と赤のあざやかなコントラスト。枝が雪の重みで撓み雪を落とす。そこにひょいと真紅の椿が顔をあらわにする。色彩のコントラストと同時に動と静のコントラストも妙ですね。美しい写実だと思います。
(八幡高校時代同窓生)
瀬 尾 睦 子
父さんと呼べばにわかに胸詰まるいかなる過去も愛あふれおり(父無夏)先生の胸中お察しいたします。よく五六号出ました。これからも頑張って下さい。全部読みました。ありがとう。体に気をつけて下さい。母上様がいつも私の宝物は英ちゃんと言っていました。声が聞こえてきます。また五七号もよろしくお願いいたします。 (亡き母の友人)
中 島 タ ネ
さまざまな過去が雑多に入り混じる夢あり今日も眠りゆくべし(迷羂索)夢にはさまざまな、途轍もない夢であったり、楽しい昔の事、旅行したりまた、会社に勤めていてお茶汲みしているなど、山に登って迷ってしまったり、数々あり、又、続きを見たいと眠りに就いてもなかなか叶いません。人の生涯は長いようで一瞬のものです。もし昔からの夢を順番に見られるとしたら、どんなに素晴らしい夢が毎晩見られることでしょうね。今日まで長い歳月を生きてきて波瀾万丈の数々ありながら、この頃は知人や友人が次々に逝って淋しい限りです。夢には何かしら深い意味があるのが感じられます。流氷記、久々に心待ちしておりました。(福岡市在。伯父の友人)
時 任 玲 子
理髪中の鏡に映るわが姿父と重なる齢となりぬ(迷羂索)老いを感じさせられる瞬間をきりとられたような歌だと感じました。命はいつどの瞬間も死に向かって老いを間断なく重ね連ねてゆくものなのでしょうが、前半の青春までは成長と呼び、途中は充実とか成熟とかいい、朱夏から白秋、そして玄冬へと移ろう歳月の隙間すきまに、そのあるじに気づかれないように忍び入って、ある日ある時ふっと湧き出でる感覚とでもいうのでしょうか。それに出逢った瞬間を見事にきりとられた歌だと思います。 (元三島中学校保護者)
濱 野 瑠 妙
父と母亡くして何もかも虚しされど世の中何も変わらず(迷羂索)父と母は健在です。しかし、実家で飼っていた犬がこの間亡くなりました。十九年生きました。長生きしました。ずっと寝たきりになりました。先月、四十九日が過ぎましたが、ポカンと心は大きな穴が開いています。時々、周囲の笑顔や楽しそうな様子にイライラすることもあります。こっちは悲しみでいっぱいなのに。そんな気持ちとは裏腹に、世の中はいつも通り規則正しく進んでいます。時間を巻き戻したいのに‥‥。 (元三島中学校保護者)
高 田 暢 子
昨年の今ごろ父は生きていたなど想いつつ今年も暮れる(迷羂索)先生も同じように感じているんだなと、多くの人が同じように感じているんだなと、歌を読んで少し救われたような思いがした。先月、飼っていた犬が亡くなり、生まれて初めて、愛する者がいなくなる経験をした。あぁ昨日の今頃はまだ生きていた、一週間前は‥‥一ヶ月前は‥‥と毎日毎日思い返さない日はない。しかし、この経験がなければ、先生の歌や心にこんなに深くは共感できなかっただろうと思う。先生が時間と共に癒やされていったように私も時が経てば思い出になっていくのか、と思うと少しホッとした。今この時に此の歌に出会えて良かった。
(西陵中学校卒業生)
広 瀬 礼 子
華やかに飛びて視野から消えてゆく蝶よ逢うこそ別れのはじめ(悲母蝶)私は、この歌を読んだとき、今の自分に相応しい歌だなと思いました。数ヶ月前くらいに、大切な人と会えなくなりました。その人とは、お互い辛かったこと、楽しかったことなどをしゃべったり、相談に乗ってくれたり、約束などたくさんのことを共にしました。でも今は、その人に会えない。人に会うと、その人との別れの時が刻々近づいてくると、私はそう思います。(三島中学校卒業生)
和 田 莉 奈
昨年の今ごろ父は生きていたなど想いつつ今年も暮れる(迷羂索)どきん、と氷の手で心臓を掴まれたような最初の感覚のあと、ふわりと春の夕方のような暖かさに包まれた想いになりました。私の父が亡くなったのは私が五歳の時。理解するのは難しく、悲しさに胸を塞がれました。今も未だ受け容れるのは出来ていない気がしますが、父の言葉や仕草、癖などを折に触れては思い出し、母と話しながら優しい気持ちになります。父をいつもそばに感じつつ、時間や日々を大切に、素敵な先生や生徒達、そして父母への感謝をもっと真剣に生きていたい――この一首を声に出して何度も読みながら改めてそう思いました。氷原の割れ目より射す月みえてクリオネ熱く明るく踊る(小秋思)最初、ぱあっと青い色が目の前に広がった気持ちになりました。それも、深く透明な青色です。小学生の時、シーウォークというすごく簡単なダイビングのようなものを体験した際の世界に一瞬で飛んでいけた感じになり、自分の周りが海であるかのような感覚になりました。私は氷原を見たことがないし、クリオネも水族館で見ただけです。なのに、氷原の寒さや冷たさ、その割れ目に差し込む月の美しさ、可愛いクリオネのダンスなどを、まるで本当に体験したかのように感じてしまいました。絵のようなこの一首、とてもとても大好きです。雪の道止まれば静寂(しじま)がいっせいに我が両耳に飛び込んで来る(二ツ岩)生まれてから十二年間ずっと宝塚という町で暮らしていました。茨木とは違い、とても寒く、雪もよく降る町でした。当時私は雪の降る日の朝が好きでした。窓を開けてベランダに出ると、冷たい空気と雪の日独特の静けさを感じることが出来、その雰囲気がとても心地良かったからです。習っているピアノのレッスンで、休符や静寂も音楽の一部だから大切にしなさい、と教わったことがふと頭に浮かび、この歌からも『音』が感じられると思いました。雪の日の静寂が動きを止めていればこそ感じられるように、日々に忙殺されず、時には立ち止まり、大切なものを感じ取りたい、と思いこの歌が大好きになりました。石と岩ぶつかりながら滔々と川は過去より未来へと行く(蜥蜴野)水は高い所から低い所へと流れる――これは私のお気に入りの言葉の一つです。辛いとき、苦しいとき、この言葉を思い出しては、なるようになる、と前を向くように心掛けていますが、この歌では『ぶつかりながら』という言葉が特に印象に残り、より好きになりました。一昨年、私は病気で入院しました。今も通院中で、運動を禁じられていたり、熱に悩まされたりしています。何でこんな目に遭うのかと恨めしく感じる時さえあります。今後、しんどくなったら、この一首を声に出し、苦難にぶつかる自分を励まして、しっかり前進してゆけるようになりたいと思います。 (茨木市立養精中学校三年生)
高 田 美 由 貴
簡単に殺し人死ぬ謎解きのドラマ訝しみつつ観ている(迷羂索)私は暇な時によく二時間ドラマを観ます。どれも、人が二、三人あっさりと殺され、主役はいつも通り謎を解いて犯人を捕まえる‥‥といったワンパターンなものです。学校の授業やテレビで「人の命は大切」と聞かされていても、たった二時間で人の命が失われ、その犯人が捕まってしまうのを観ると「どうせ命なんてちっぽけなものなんだ」と毎回思ってしまいます。更に、殺人を正当化する為に「犯人は仕方なく殺しをしてしまった」というオチがありがちですが、仕方なかったからという理由で人を殺めてもいいとはならないのではないでしょうか。大人達は私たち子供に「命は大切、人殺しはいけない」と道徳的なことを説いても、一緒に観ていて、子どもに影響を与えやすいドラマには何も言いません。それって大人の勝手じゃないんですか?――この一首は私の感じた色々なことを単純かつ明快に表していて、とても共感できました。透明な星星星にひびく〈ぼく〉ひとりぽっちひとりぽっちひとりぽっち(夭折)よく晴れた日の夜、塾の帰り道でふと空を見上げるとそこには多くの星が輝いています。そこが住宅街であったりして人がいなければ、自分がこの世界に一人取り残されてしまったかのような気持ちにとらわれることもあるのですが、この一首にはそんな孤独感などがよく表れているなぁと感じました。特に自分が独りであることを複雑な表現を使うのではなく「ひとりぽっち」と三回繰り返していることで〈ぼく〉の寂しさがストレートに伝わっているように思います。(茨木市立養精中学校三年生)
山 本 彩 季
からかわれているのだろうか駅前のポケットティッシュついに貰えず(迷羂索)この一首をみたとき、思わず笑ってしまいました。それに、私もよくある‥‥と共感したので選びました。ポケットティッシュを配っている人を町で見かけると、ついつい前を通ってしまいます。そこで二個貰えた日はちょっぴり幸せな気持ちになりますが、この歌のように、他の人は貰っているのに自分だけ貰えなかったりすると、とても嫌な気分になります。このような出来事は、誰もが経験した事があると思うので、誰もが共感でき、親しみやすい歌になっていてすごく好きです。簡単に殺し人死ぬ謎解きのドラマ訝しみつつ観ている(迷羂索)この一首をみたとき、これは先生が授業中に言っていたことだ!ととっさに思いました。私も、ドラマのサスペンスものなど何か不思議だなぁと思っていて、そんなときに先生がこの話をしてくれて、そういうことだったのか‥‥とすっきりしました。この一首を始め、先生の作った歌は、おもしろいものばかりで、読んでいてとても楽しいです。
(茨木市立養精中学校三年生)
濱 本 ひ か る
辛けれど歯を食いしばり過ごすべし逆境こそが人強くする(父惜春)私はまだ十五年しか生きていない。しかし、たった十五年間の中にも辛いことは山ほどあった。その間は辛くて辛くてどうしようもなかったけれど、今思えば、その出来事があったからこそ、少しのことでめげない自分になれたし、他人の辛い気持ちもよく理解できるようになった。この一首はそれを気付かせてくれた上に、意味のない辛い出来事はないのだと私に改めて感じさせてくれた。だから私はこの一首を選んだ。(養精中学校三年生)
上 岡 聖 騎
いい人を亡くしてほんとに寂しかね母がみんなの想い出になる(夢一途)僕も同じような体験をしました。僕は五歳の時に祖父を亡くしました。五歳の僕には、人が亡くなるということは初めてで、とても悲しく、泣いている思い出しかありません。でも、今となっては、祖父との楽しかった思い出が頭に浮かんできます。先生もお母さんとの楽しかった思い出が頭に浮かんでくるんだなとこの一首を読んで思いました。僕は、この一首を読んで、もっと親孝行して、いい思い出が一つでも多くなるように日々努力したいとこの一首から学びました。ものなべて虫の音となり燦々と星の輝く深夜となりぬ(秋沁号)これを選んだ理由は、僕の通っているクラブチームの合宿で岐阜に行った時、そこは自然がとても多い所で、夜になると虫が鳴き出し、就寝時間にはその虫の音がよく響いて聞こえてきます。深夜の1時、うるさいから眠れないのではなく耳を澄ますと虫が話しかけてきているように聞こえました。ここは灯りがなく星がくっきりと見える所‥このことを思い出しました。(茨木市立養精中学校三年生)
五 百 井 風 香
近づけば近づく程に寄り添いて一つの岩となる二つ岩(新緑号)
私はこの一首に、孤独の中にある温もりを感じました。真っ白な雪の中に二つの岩。その岩以外には何もありません。そんな凍えるような寂しい景色の中に、この二つの岩が寄り添って、お互いを温め合っている気がして、人間のような愛が感じられました。どんなに寒くても、暗くても、二人なら大丈夫というメッセージか伝わってきました。人は誰しも一人では生きてはいけません。誰もがお互いを助け合って生きています。私は、そんな基本のことを忘れかけていたのかもしれません。この一首をよみ、改めて実感させられました。(茨木市立養精中学校三年生)
奈 良 紗 帆
人間があの世天国浄土など小さな虫を殺しつつ言う(父無夏)江戸時代に徳川綱吉は生類憐みの令を出しました。虫や動物、生きている生物を殺してはいけないと言いました。確かに生物は人間と同じように食事をし、睡眠をし、笑顔で話しているでしょう。しかし、私たち人間は蚊を見つけると、優しい手が殺人器となったようにすばやく殺してしまいます。この一首を、虫の気持ちとなって読んでみると、私はなんてひどいことをしてきたのだろうと感じさせられました。虫も人間も同じ、とは簡単に言えません。でも、命が一つなのは同じです。この世の生物のすべては一つしかない大切なものなのだと、この一首を通じて改めて思わされたような気がします。(茨木市立養精中学校三年生)
島 ア 里 彩
紫陽花の葉に次々と落ちてくる雨あり木琴叩くがごとし(麦渡風)次々と落ちる雨が木琴を叩くように聞こえる。そのイメージが頭に浮かびました。紫陽花は六月に咲く花で、私の誕生月です。そしてとても好きな花でもあります。小さな花をたくさんつけた紫陽花に次々と落ちる雨‥。それを眺めるだけで心が落ち着く気がします。そして木琴のように聞こえる音。今まで私は、ただ単にポツポツという音にしか聞こえていませんでした。色々な視点で紫陽花を見ているこの歌が好きになりました。(茨木市立養精中学校三年生)
阪 口 沙 也 加
一匹では寂しいからと蟋蟀を増やしし娘共食いを知る(秋沁号)子どもは心が純粋で優しいから、ひとりぼっちのものを見ると、かわいそうだから友達を作ってあげようと考えます。私はそれは子どもの時しか持てないきれいな心だからすごくいいなと思います。でも蟋蟀にとっては一匹入ってきたことによって自分は死ぬことになるのでよくは思っていない筈です。これはとても皮肉だなと思いました。でも子どもたちはこういう残酷な現実を知っていってだんだん大人になっていくんだなと思います。だから子どもの時だけ持っているきれいな心を大切にして欲しいです。
大 川 儀 晃
人の好い生徒がいつも引っ掛かる問題少しひねって作れば(燃流氷)この歌を見たとき自分の事を言っているのではないだろうかと感じた。川添先生はいつも私に「大川はまた満点逃したな」と言っていた。この歌の「人の好い生徒」という部分を見たとき、この歌の中では私は人の良い生徒なんだと感じた。今は私は若い。だから素直に人の良い人間になって、年をとってから引っ掛け問題を解けるようにしたい。この歌は私に、今は素直でいた方が良いと教えてくれたと思う。(茨木市立養精中学校三年生)
嶋 美 月
雪解けの冷たき水を飲みて咲く桜花びら星のごと降る(桜伝説) 美しい春の情景が思い浮かびました。冬になると葉が落ちてまるで死んでしまったかのように見える桜。そんな桜が春になり、流れてきた雪解け水によって生き返り、きれいな花を咲かせます。やがて風が吹くと散っていく花びらは、まるで星が降っているようです。そんな光景に出会うたび、春の訪れを桜が知らせてくれたのだと実感します。この歌はそんな春のさわやかな風と、その風によって桜の花びらが美しく舞う、そんな美しい景色の中に私を立たせてくれました。(茨木市立養精中学校三年生)
植 村 紗 愛
ゆっくりと沈みゆく日よ今日もまたあらゆる所に人の死がある(燃流氷)毎日世界中で人が生まれ死んでいきます。人の死というものは人生最期の輝きであってまさに夕日が沈みきる前のあの素晴らしく光る瞬間、これだと思います。沈む前に全てを放って死ぬのです。一方、突然死ぬ人もいます。まるで雲に覆われ光が遮られるように急に命の光の最期が訪れるのです。世界中のあらゆる所で一日に何度も何度も起こります。一日の間で、夕日が沈むことは一度しかないけれど、これは何度も起こるのです。この世界を語っていて少し寂しくなってしまいます。
西 岡 真 麻
ゆっくりと秘かに町の上昇す真白き羽毛降らせつつおり
音もなく巨きな鳥の渡るらし羽毛ひたすら降り続く朝(流氷記抄)冬のとても寒い日の朝、目が覚めて窓を開けると、白いふわふわしたものが見えた。この歌では〈羽毛〉と記されている。その羽毛が降り注ぐ中で空を見上げると巨大な鳥が飛んでいるではないか。もう一度目をこらすと町が上昇しているように見えた。羽毛の神秘さと共に巨大な鳥、上昇する町‥自然との絶妙なバランスがある。確かに奇妙なバランスかもしれないが、これは絵なんだと考える。油絵、水彩画‥。見る人によってこの絵がどう変わるかは分からないが、確かに私は一つの絵に見えた。
村 岡 優
星のように輝く水を欲りながら根は支えいん夜の大樹を(夜の大樹を)この世界には光と影がある。その象徴はテレビの世界だ。芸能人は高いお洋服を着てキラキラ輝くアクセサリーを付けてきれいにお化粧をしている。芸能人は憧れの的である。しかし、その芸能人を支えている人はまともにお風呂にも入れず、動きやすいシンプルな服装でお化粧もろくにしていない、芸能人とは対照的な、私たちと同じ人達である。なぜ自分から進んで影に、木でいえば根になるのか私には分からない。しかし、光のあるところには必ず影があり、光を支えるのは影なのかもしれない。そう考えると影は素晴らしい存在なのだ。光を支える影こそ本当の光なのかもしれない。(茨木市立養精中学校三年生)
長 岡 里 緒
いいように言われて黙っていたけれど僕には僕の言い分がある(紫陽花)この歌には自分と重なる所がある。自分なりの言い分があるのに、ただ黙って他人の言う事を聞いているだけのもどかしさに。自分の言い分を言わず他人の言うことに黙って従うというのは自分に嘘をついていることだと思う。嘘を重ねていくことは却って自分を苦しめていく。他人は自分をいいように言って利用しているだけなのかもしれない。自分を抑えるだけでなく、表現することも大切だ。私はその大切さに気付くことが誰にでも必要だと思う。この歌は私だけでなく誰にでも当てはまり、一人一人の心の内を客観的に映し出す為の鏡のように感じられた。
柳 将 博
携帯に指示されながら街を行く人は滅びに向かいつつあり(父無夏)まず始めに考えたことは、この世の成り立ちだ。人はみな自分を中心に考えている。自分の所持物などは自分の思うとおりになると思っているのだろう。何も見えなくなってしまい、自分が実は動かされていることに気付いていない。そんな人間の愚かさを表していると思う。人間は本当に何も考えていない愚かな生物だと思う。もっと自分のことも考えなければならない。自分が何をし他にどういう影響を与えるか、考えなければならない。もしこのままの世界が続くなら人々は確実につぶし合い、滅びてしまうだろう。もっと未来を見据えながら生きていかなければ。
中 林 茜
窓際に明かりを消せば闇のみに部屋に一つの星が輝く(夭折)
夜、自分の部屋の電気が消えていて、月と星の明かりが部屋に差し込んでいるという場面が思い浮かびました。私も、たまにこういうのをやったりして、星を見ています。そこにはいろいろな発見があって、「今日は昨日よりも星が多い」とか「あの星の色が一番きれい」と独り言を言ってしまうこともあります。その中でも一番感動したのが、冬の日の夜にベランダに行ってオリオン座を見られたことです。取り敢えず本物を見られたことがすごく嬉しくて、その日の夜のどの星よりも輝いて見えました。この歌は、そんな私の体験を思い出させてくれました。
山 下 優 子
すれ違う人あるいはと振り返り一人の人を捜しつつ過ぐ(麦風号)昨年、祖母を亡くした。亡くなる数週間前、家に遊びに行った時、御飯を作って元気に迎えてくれた。突然の死で私の心はついて行けなかった。今でも、家へ遊びに行くと元気に迎えてくれるのではないかと、どこかで信じている。一緒に過ごした地へ行くと、人混みの中の誰かが祖母ではないかのかと振り返る。姿が見えなくても祖母は私の心の中にいる。そう思うと今も、生きていて、大好きだった祖母が身近に感じられる。そして私を見守ってくれている。教室の全員いずれいなくなるその順番は神のみぞ知る もし養精中学校に入学していなかったら駅ですれ違っても道で出会っても全く赤の他人。そんな友達と出会えたからこそ三年間が楽しかった。楽しい思い出と一緒に作った友達とももうお別れ。もう死ぬまで一生会わない人もいるだろう。でもいずれ全員がたどり着く先が天国だと思うと心が温かくなる。また天国で養中の仲間と出会えると信じている。この世を離れる順番はばらばらだが、本当の別れではないと思う。だからこの歌を選んだ。
今 藤 蒿 大
言い負けて少し清しき傷付ける言葉避け来し結末なれば(春香号)この歌から、自分に対する理想や戒め、そして強い誇りを感じました。一体、相手を傷付け勝利することにどれほどの意味があるのだろうか、僕は常々そう思います。勝利とは、自分も相手も、そして周りさえも喜び讃え合えるもので、決して自分さえ良ければいいというものではない筈です。宮沢賢治の「雨ニモマケズ」は僕の理想そのものです。みんなにデクノボウと呼ばれても、褒められることがなくても、必死に忍び、黙々と歩み続ける姿には美しささえ覚えます。今まで自分はどれほど他人を傷付けてきたか想像するだけでとても心が痛みます。今後は周りを幸せに出来るように考えて生きていきたいです。(養精中学校三年生)
割 石 英 聖
大方は不幸なニュースばかりにて見つつ聞きつつ夕食終わる(父無夏)僕も最近のニュースは毎日暗いものばかりだと思う。しかもそれを当たり前のように見ている私たちもいる。人間の感覚がマスメディアなどの影響もあり狂ってきているのではないか。近頃の犯罪の動機が「ニュースでやっていたことを再現したかった」など、ゲーム感覚になってきているとんでもないものもある。このまま行くと日本は犯罪が当然のような国家になってしまうのではないか。そうならないためにももう一度一人一人が命の大切さを考えて欲しいと思う。(茨木市立養精中学校三年生)
小 野 愛
雨の後しばらく虹の観覧車見ており二人手が触れている(金木犀)初めて二人で遊園地に出かけたけど、何だかぎこちない感じだった。その時急に雨が降り、どこかで雨宿りをしてしばらくしたら雨が止んで、ふと空を見上げると虹が架かっていて、その瞬間、二人の緊張の糸がほぐれ、どっちからともなく手をつないだと私は想像しました。虹を一人で見るより、自分の大切な人と見る方が一人より何倍もきれいと感動できると思います。今この隣にいる人と一緒にいられるということ、そして虹を見られるということは他でもない奇跡なんだと思うことが出来ると思います。私もいつかそんな運命の人と出会うことができるなら、その人と一緒に虹を見て、二人で奇跡という名の人生を歩みたい。雨後なれば虹鮮やかに立って見ゆ幸せは今生きていること(雨後虹)雨の後、時々空を見上げて見ると、七色のきれいな虹が空に架かってることがあります。そんな時私は、どんなに辛い時であっても、その虹を見ると、この世に生まれてきて良かったと思います。ただ単に虹を見ただけでと思うかもしれませんが、私はそう思います。だから、雨が降った後に早く虹が出ないかなぁといつも思います。でも虹は自分が見たい時には見られず、決まって落ち込んでいたりしている時に見られます。たった一つの空しかないのに、どんなに世界が広くても空に虹が架かっていると、見上げる人を必ず勇気づけてくれる、私が一番好きな景色であり、目指す場所へ誘ってくれる光の翼です。 (茨木市立養精中学校三年生)
平 井 沙 耶
右目より出でて電車はするすると夜の隙間に吸い込まれゆく(断片集)この一首を読んだとき浮かんだのは父と二人で見送る終電に近い電車の姿。私はよく父と二人で出かけます。毎回帰ってくるのが遅いので真っ暗の中に駅から電車が発車していきます。その度に「もう今日が終わるんだ」と感じます。普段の一日の中に一つ嬉しいことが加わると、一日がとても早く思えます。特に中三で受験で忙しい時たまに良いことがあると「また頑張ろう」と思えるからそういう日がとても楽しみです。高校生になるとなかなか時間がなくて父と一緒にどこかへ出かける機会が好くなると思いますがいつか行ける日が来るといいなと思います。この一首はそんな父との貴重なひとときを思い出させてくれました。
橋 実 央
求むるものだけに輝く光あると信じて眼強くして生く (凍雲号)「求むるものだけに輝く光」それは本気。本当に目指し、辛いことがあっても耐え抜くこと。それが出来たものにしか見えない光。その光があると信じ、強く生きていく。そう教えられた歌だと思います。昨日、中学校を卒業した私。春からは高校生です。高校、大学生活。そして社会へ出てからも辛いことや苦しいことはたくさんあると思います。暗い闇の中で一人でもがくことがある。でも必ず光は差す。そう信じて一生懸命努力しよう、と思わせてくれる一首です。(茨木市立養精中学校三年生)
川 添 和 子
いつもとは違う妹声荒らげ電話に母の苦しみ伝う(悲母蝶)
保健室に置いている『流氷記』(文庫版)や父の作品集を見て、手元においておきたいので譲って欲しいとおっしゃる方が時折おられます。つい先日にも定年退職後、再任用で勤務されるかたわら大学に通いながら九州北部の遺跡などを研究されている国語の先生に『流氷記』をお渡ししました。久しぶりにぱらっと頁を開いたときに目に飛び込んできたのがこの一首です。兄に電話したあの瞬間のことが、ありありと記憶の中から飛び出してきました。父が「何か大変なことが起きとる。母さんが膵臓かどうとかで、部屋を移されて先生たちがばたばたと手当しよる。」とうろたえた声で電話してきました。それまで父も母も十時間近くかかるような手術を何度か受けていましたが、その時でさえ兄を呼ぼうとは思わなかったのですが、この時はなぜか「兄を呼ばなければ」と思い、病院に向かう車が信号停車した時に兄に電話をしました。母の死から八年二ヶ月の時が過ぎました。母と生きているかのようなレイアウトの家で、毎日お経をあげて暮らしていた父が逝って、三年六ヶ月の時が流れました。そして、私は、父母が生きているかのような家で、今も暮らしています。朝起きたとき、家を出るとき、帰宅したとき、夜寝る前、そして何かしら兄が近況を知らせてきた時、仏壇の前の父母の笑顔に手を合わせ、話しかけ念仏を唱えます。多分、今も私は父母と共に暮らしているのでしょう。これはとても贅沢な時間です。東日本大震災や十津川村の土砂に埋もれた災害の爪痕をテレビ画面で見るたびに、悲哀や感傷にひたる間もなく、自分の生活の立て直しを迫られる人々のことを思います。死者たちへの鎮魂の祈りの時は、明日も多分自分のみが生きていけるだろうことが見えてきた時に訪れるものなのではないでしょうか。兄は今、父の字体のフォントを作成中のようです。父の業績を形にしていく作業なのでしょう。わたしたち兄妹は、父母の生の続きを生きているかのようです。そんな私たちにも、「今」という時は生きている限りやって来ます。形ある物はいつか壊れる‥‥茶碗を割った私に母が言ったこがあります。そろそろ父母の洋服や持ち物は、ご浄土にある父母の手元に返して行くべき時がやって来ているのではないかと、そんなことを思い始めることが最近ようやく出来るようになりました。父母は、兄や私に命を残してくれました。「今ここ」を生き、今私の持っている力を、私に関わってくれる人々にお返ししながら、そして少しでも人々に貢献出来るような力を磨きながら「今」を生きていこうと思います。(福岡県立八幡工業高校養護教諭)