流氷記一首評(平成25年7月11日現在)
中 村 桂 子
一人一人顔と気持ちを確かめて授業の中の話を変える(舌海牛) 生徒に暴力を振るうことを教育と勘違いしている先生が少なからずいるという実態を知り、暗い気持ちになっておりましたので、この歌が心に沁みました。一日に四クラス百六十人の一人一人に向き合っていらっしゃる川添先生がちょっと輝いて見えます。私は幸いに、ずっとよい先生に恵まれ、今も恐縮していますが、思い出すのは教えていただいた知識ではなく先生の生き方の魅力です。専門家に申し上げるのははばかられますが、教育ってそういうものではないでしょうか。(JT生命誌研究館館長)
岩 田 一 政
諸行無常諸行無常と蝉が鳴くあと幾つ夏我にはありや(舌海牛)
あと幾つ夏過ごすかと思うときこんな暑さも味わいとなる
流石に六十歳台後半に入ると死期を思い浮かべることが多くなります。普通は騒がしいはずの蝉の鳴き声や耐えきれない夏も、懐かしい思いで過ごすようになります。また同時に、季節の移り変わりや、ほんの少しの風の変化や身の回りの木や草に咲く花の移り変わりも美しさとその変化を楽しめるようになります。死後の姿が清らかで整然としていることが日本の文化だと思います。(日本経済研究センター理事長。元日銀副総裁。東大名誉教授。武道家。)
も り ・ け ん
心込め話せば必ず通じると生徒に向かうこの歳にして(舌海牛)
この歳にして、同年の私としては考えさせられます。残りの年を意識した歌に川添先生の思いが見えてきます。私も今、同じ茨木の地にて、教鞭をとっています。梅花女子大学で卒業後に母になる女子に「日本人の親になるための講義」をしています。母は子に、子守歌、童謡を歌い、昔話を語り、土地のいわれ、偉人の話、行事の意味を語ってきました。そんな母になってもらう講義です。心込め話すだけでは、とハーモニカを使い歌わせています。紙のかぶとも一緒に作ります。私たちが自分の子にしなかった事へのつぐないのように。(詩人。絵本、童話作家。ハーモニカ奏者)
神 野 茂 樹
玄関の施錠を何度も確かめる確かめる時は常締まりいる(舌海牛)
〈冷蔵庫肉も野菜も食べ尽くし家ひびかせて雄叫びあげる〉〈自転車のペタルを強く踏みながら流れる時が不気味に迫る〉〈けたたましきこの世を裂くかと百舌の声聴いて清しき心となりぬ〉いずれも僕の乏しい想像力で状況を推察しようとするのだが、この〈雄叫び〉は、この〈不気味さ〉は、〈清しき心〉は、僕の鈍感な頭ではピンと来ません。選んだ一首は、毎朝僕も同じ状況なので。錠ばかりでなく、ガスも、エアコンも、電灯も。強迫観念症です。〈唐突に怒鳴りて気まずくなる仕草こころ動かされずに観ている〉これも僕には難解です。(『大阪春秋』元編集長)
菅 沼 東 洋 司
明日が来るのを待ちわびる確実に死が近づいてくるはずなのに(幸紐絡)死は身近にありながら常に一番遠いところに在ります。死を思いつつも忘却し、明日を考えながら生きている私たち。生きるとは明日へ思いをつないで行くこと。「明日」というのは生きるための「糧」なのだ、と考えます。どうにでも言える評価が歴史にも現実にもある心澄ませば(幸紐絡)評価とは一人一人の持つ価値観で決められるべきもの。しかるに、実際は全てが権威ある人の手に委ねられて、それが歴史として定着し人口に膾炙されるようです。他者の言説を鵜呑みにせず、一人一人がしっかりと現実を見据えて、自分自身の価値基準を持てば、世の動きもまた違ったものになるにちがいありません。
井 上 冨 美 子
紫陽花も盛りを過ぎしと思いつつ坂を下ればクチナシ匂う(舌海牛) 時の移ろいを花の姿で表しているところが無理がなく自然です。幸せなひと時を感じつつ、その坂を下る姿を想像しながら、もう一度、声にして詠みました。我が耳に女歯科医の胸触れて母に抱かれし安らぎ戻る 何も申し上げることありませんね。お母様への思慕はとこしえにと言うことでしょうか。先生見て見てとノートを見せにくる生徒は学ぶこと楽しくて 学ぶ意欲の低下がとても気になっておりましたが、教える側の考え方、お人柄、授業の創意工夫で、このようになるのですね。未来が明るくなります。(網走二中元教諭)
小 川 輝 道
やわらかに木槿の花の揺れている秋真っ盛り風吹き渡る(舌海牛)
このところ日本列島は、異常と言ってよいほど暑い盛りと強風、豪雨に見舞われた。穏やかといえる季節感を伴う日常の暮らしは、私たちにとって得難い賜物とさえ思えるこの頃である。静かな気配と風の舞う自然の律動を捉えて風格を感じる作品だと思う。出勤や散策のかたわら、目に映るクチナシ、ツユクサ、アベリア、紫陽花等々、こまやかな観察と想念のなかから、日々をたしかに生きている作者の姿勢を感じることができる。そして、「あと幾つ夏過ごすかと」「素晴らしい人生だった」等は、率直な念いで実に共感できる世界である。(網走二中元教諭)
田 中 由 人
ひとところ会話を交わすように咲くカンナの群れる所に至る(舌海牛)
花にも流行り廃りがあるんでしょうね。私たちが子供のころには、街中のちいさな花壇でも、公園でも、川の土手でも、畑の隅っこでも、とにかくカンナが夏の陽を浴びていた記憶がありますね。赤や黄の、ひときわ目立つ立ち姿。群生したカンナの立ち姿は、お喋りを楽しむ賑やかな女性達を彷彿とさせます。カンナは闊達な女性達の喩ですね。あけっぴろげで明るいものの喩ですね。そのカンナの鮮やかに咲き誇るところにばったり出くわしてしまうと、誰しも、もうハッとしますね。と、同時に、カンナの花は、私たちの世代にとっては昭和という時代を思い起こさせる花ではないでしょうか。忘れられようとしている花ですね。(福岡県立八幡高等学校同窓生)
鈴 木 悠 斎
最悪のシナリオ観れど他人事のように思えて今日明日のこと(舌海牛)
東北大震災から早や二年になりますが、被災地の復興は余り進んでいないようです。多くの国民はわずかな義援金で一応の責任を果たしたと満足しているようで、時がたつに従って現地のことなど忘れがちです。所詮は他人事だからでしょう。沖縄に米軍基地を押しつけて知らん顔をしているのも全く同じことです。この大震災でも東北以外の地域ではほとんど以前と変わらない生活をしています。ましてやいつ起こるかわからない東南海地震のことなど全く他人事としか思えないのも悲しい人間の性でしょう。そこのところを作者は正直に詠っています。(書家。『鈴木悠斎芭蕉書展』『花札作品集』)
松 坂 弘
これが喉仏の骨と掴みいる焼かれしばかりの命抜け殻(舌海牛)
一読、どきっとする。父や母の骨を焼き場で拾った時のことが、ふとよみがえる。そして、いずれ自分もこういう運命をたどるのだろう、と思う。去年、喜寿をクリアした。しごく元気に日々を過ごしているが、茂吉のいうように〈除外例なき〉はきっといつの日かやってくる。そんなあれこれを思いつつ、繰り返しこの歌を読みかえした。(歌人。日本伝統文化コーディネーター養成スクール教授。)
高 岡 哲 二
一人一人顔と気持ちを確かめて授業の中の話を変える(舌海牛)
うまくいくこともいかなくなることもありて教師も成長していく
流氷記五八号を送って下さり有り難く思っております。近藤英男先生のこと、教師時代のことなどを追想いたしました。この二首、教師の歌として、心に響くものがあります。教師にとって授業は、子どもとの対決でもあり、対面であって、心に根を下ろすものがあります。一人一人を認めて、工夫した授業の展開が、一首からうかがえます。(歌人。朝日新聞大和歌壇選者)
堤 道 子
大蜘蛛は足を束ねて壁の端恐怖の形か微動だにせず(舌海牛) 第五八号『流氷記』の一首評の中で、十五頁のなかの八子望美さんの虫への思いやりのある対応に目が留まった。それは「虫が部屋の中に入ってくるとキャー叫ぶ人がいるが、虫の方が百倍怖がっていると思う。自分よりも百倍、千倍も大きなもののいるところに入って来たのだから、優しく逃がしてやるとよいし、ゴキブリや蜘蛛に会った時は「あら、こんにちは!」くらいに思ってみたい」と今まで文章として見たことのない思いやり。私が取り上げた冒頭の大蜘蛛の歌も、共通した虫側の恐怖心がみえるし、一連の歌を見ると蜘蛛は逃してもらったと分かり安心した。蜘蛛は外見は不気味だが、なかなかのハイテク機能の持ち主であるという。巣に張る横糸は粘着力を持ち、食料の虫等を捕る。縦糸には粘着力がないので、巣の上の移動に使う。自分の体をぶら下げたり、たぐったりする糸は、あの細い糸の中が安全とゆとりを完備する二本の細いフィラメント(繊維)で出来ていて、一度には切れない構造になっているということである。私も或る時、店頭に売られている美しい壺の中で、外に出られない蜘蛛の絶望感を察して、中にあった符丁の紙ですくい上げて外へ逃がしてやった。ほっと安心していたところ、偶然に蜘蛛の糸の内面を知る機会に巡り会って、助けた蜘蛛からの御礼のように思えたのであった。参考になった本は〈クモの糸のミステリー、ハイテク機能に学ぶ 大崎茂芳著 中公新書〉であった。(歌 人)
池 本 一 郎
寒さは続きますが、今年ももう三月。学校は年度替わりでいろいろと多忙でしょうか。貴『流氷記』拝受。いつもながらご恵送いただきありがとうございます。何といっても『歴史研究』の三編の貴文がとても面白く、いろいろと教えられながら拝見しました。野坡の代表句を二、三挙げてもらうと更によかったと思います。巻頭の九十六首の大作はエネルギーに驚きます。五首選は〈白き花ドクダミ群るる校庭の何考えるなくベンチに座る〉〈眼裏の模様が像を結びゆくしばらくの間に眠りに入りぬ〉〈授業中窓行く雲の美しさこの時だけと生徒に告げる〉〈四クラス百六十人発言し今日の授業も無事に終わりぬ〉〈大地震南海トラフの可能性聞きつつ備えなど何もなし〉となりましょうか。多謝。(歌人。葉書。三月三日受。池本さんは『塔』で「散文短歌論」を唱えていた。)
北 尾 勲
よく見れば葛の花見え浮木のごと薄き緑の波間に浮かぶ(舌海牛)
葛の花は派手派手しい花ではないので、よく見ないと見過ごしてしまう。だからこそ「よく見れば」と自分自身を喚起させたのである。葛の花の咲いている場所は「薄き緑」に覆われている山か。その緑の中に、ふと、葛の花を見つけたのである。それはまるで「浮木のごと」浮かんでいるように思えたのだ。どんな山か。どのように咲いていたのか。いろいろ想像されて、印象的な一首となった。川添作品に叙景歌は必ずしも多くはないが、その数少ない叙景歌を見ていくと、その風景をどのように捉えようとしているのか、背後に何を見ようとしているのかが分かる仕組みだ。(歌 人)
前 田 道 夫
大地震南海トラフの可能性聞きつつ備えなど何もなし(舌海牛)大地震の予告は私達の東海地方も含めてかなり前から出されている。必ず起こるとされてはいるが、しっかりとした備えなど何も手を打っていない。それは、はっきりした日時は分かっていないからである。人間はどんな危機でも直接身に迫ってこないと本気になれないものである。また大地震は、人間の力では防ぎようがないことも分かっているから、なるようにしかならないと始めから諦めているのである。一首には全く同感であり、改めて地震について想いを馳せ恐怖を募らせた次第である。(歌 人)
天 野 律 子
眼裏の洞窟の闇探りつつ常ほの白い夢を見ている(舌海牛) 常ある日々は決して確かなものではなく、ほの白い夢の中でのそれと同じように、とりとめのないものかも知れません。そのことに作者は気付いています。〈うつつ〉と〈ゆめ〉の境界は眼裏の洞窟にありそうです。その眼裏の洞窟を探りながら見るほの白い夢、それはなんと明媚な風景なのでしょう。その夢の中の風景には、明けることのない夜の闇、暮れることのない昼の光が渾然と溶けあっているように思えます。作者には、きっとそれが見えているのですよ。(歌 人)
高 階 時 子
災害と自分の死とが繋がらぬ怠惰な日々を過ごしつつおり(舌海牛)
これまでにも何度か紹介したが、『流氷記』は川添英一氏が出している個人誌である。その持続のエネルギーには敬服するばかり。掲出歌の前後に次の歌がある。・大地震南海トラフの可能性聞きつつ備えなど何もなし・最悪のシナリオ観れど他人事(ひとごと)のように思えて今日明日のこと 作者の歌の多くは平明であり、思いを率直に述べていてわかりやすい。技巧を凝らしたものはほとんどないように思える。技巧のあとを読者に感じさせない技巧もあるので、私がそのように思っているだけかもしれないが。掲出歌にしても、多くの人が「そうなんだ。災害が起きた時に備えておかなければと思いつつ、実は何もしていなんだ」と同意するんじゃないだろうか。私もそうだ。関東の海岸近くに離れ住む娘には防災袋を買って送ってやったけれど、自分の家には非常時の備えらしきものは何もない。阪神淡路大震災や東日本大震災に震撼しながらも、日々の生活は元のまま、何の改善策も覚悟もない、目先の仕事に追われているだけのなさけないありさまだ。テレビニュースや新聞で、地震や津波の予想地図を繰り返し報道してほしい。(予想地図を切りぬいて保存してはいるけれど・・・)忘れっぽくて怠惰なわれわれに、繰り返し注意を喚起するためにも、今なお苦闘が続いている福島第一原発の様子をNHKなどで毎週報道してほしい。(歌人。彼女のブログ『私の選んだ一首』から)
林 一 英
よく見れば我のごとしも曼珠沙華枯れて傾きながら直ぐ立つ(舌海牛)
仏花、曼珠沙華。これは村はずれの墓地の一隅か、また村道の野辺に咲く一群の枯れかかった彼岸花。すっくと、したたかに立っている姿には、私もなぜか心惹かれてかたわらに立ち寄り、しばし眺め入る。美しく輝いた燦爛の時を過ぎて秋陽照る中にもなお赤き舌おのがじし口より吐きて真っ直ぐに寡黙にたち続ける曼珠沙華。それはわれら凡夫の姿そのままではなかろうか。「枯れて傾きながら」なお「直ぐ」立ち続ける姿は我等の生の姿そのもの。一本でなくて群落、生なだけになおのこと趣が深い。(歌 人)
大 前 和 世
先生見て見てとノートを見せにくる生徒は学ぶこと楽しくて(舌海牛)
生徒のノートには何が書かれていたのでしょうか。興味が湧きます。一生懸命調べて書けば、きちんと読んで指導し、褒めて下さる先生がいる。時にはプラスαもある。養精中二年生は幸せだと思います。流氷記五八号に添えられた『国語授業感想文』によると、ぞえぽん(川添先生のあだ名?)になって凄くわかりやすく、クラスの皆も集中して良い雰囲気になった。得られる知識も多い、楽しい、すごく優しい良い授業です、と五クラス二百人の生徒が、三年生でも川添先生に教えて欲しいと願っていることが書かれています。本当に教師冥利につきるような言葉ですね。私もそんな授業を見せていただきたいし、現場の若い先生方を指導する立場に立って下さったらとも思います。どうかお体お大事になさって下さいませ。(歌 人)
横 山 美 子
この匂い全てとばかり口無しのクチナシ妖しき匂いを放つ(舌海牛) 芳香を放つといえど、クチナシを含めて植物に口のないのは当たり前のことなのですが、こういうふうに詠われると、命があっても思いを述べることのできない植物、いや、植物のみならず、動物、ひいては人間にまで思いを致すことができると思いました。人間には言葉があって、通常”思いを伝えられる存在”のように思われていますが、実際は、思いを述べることもできず、口無し(無口)になっている人も多いのです。しかし、その思っていることは、表情、態度に出ますので、人格者であれば、黙っていても、あたかもクチナシの花が芳香を放つように、他の人によい香りを放つのです。というふうに、〈人は口先の言葉より、思い、態度のほうが大事〉という寓話のようにも読めますが、「妖しき」から、女人の色香は、黙っていても(むしろ黙っていたほうが、より)殿方にセクシーアピールをしてしまうというふうにも読めるかと思いました。(歌 人)
小 原 千 賀 子
我が裡に号泣している幼子の夜通し続くかなしみに満ち(舌海牛)第五十八号の中で特に注目した歌。素通りできない作品で、この歌を詠んだ作者の胸中、屈託が伝わってくる。年齢を重ねるごとに、真情を吐露したり率直に考えを述べることは難しくなっていく。誤解や無理解に抗して疲労困憊しながら、生活していく。必死に伝えようとして伝わらない思いを抱えて、裡なる幼子は泣き続ける。号泣という言葉が感情の激しさを伝え、幼子という言葉が無垢の心を伝えている。「心込め話せば必ず通じると生徒に向かうこの歳にして」作者の誠実に心打たれる。(歌 人)
池 田 裕 子
日々草雨後の晴れ間にぺちゃくちゃと話しかけきて気が和みゆく(舌海牛)
ぺちゃくちゃのお喋りは女ばかりと思っていたが、花も偶に語りかけてくれる。うちひしがれた気持ちのとき、どうしようもない自分に出会って心痛む時、黙って歩いてみると野の花でも確実に心和ませてくれる。夜通し泣く幼子を裡に棲まわせながら、常に死と対峙していられるのですね。私自身の夢である「よかったな〜」」と一言云える人生の終わりを迎えるために、そのために生きている気がするが、特に毎日が日曜日となってからはますますその感が深まり、それが未定である故に、今日は歌を詠み、変わらぬ明日を迎える日々が有り難いのだとつくづく思うのです。(歌 人)
永 島 美 千 惠
よく見れば我のごとしも曼珠沙華枯れて傾きながら直ぐ立つ(舌海牛)
ある投稿句「老幹になお裸木となる力」が思い浮かんだ。しばしの鮮やかな花の時は過ぎ、枯れて傾きかけているが、茎はまだ直立して地中の鱗茎とつながって命は確かだ。「ヒガンバナ」と読まず、「曼珠沙華」としたところに、ありったけの命を生ききって、やがては天上の華にならんとする作者の思いを感じ取るのは勝手すぎるか。「我のごとしも」「枯れて」には、わびしさも漂っているが、それを見つめつつ自分の道を歩みゆかんとする作者の強い思いがある。(真向法の友人。元高校国語教師)
伊 藤 勝 子
諸行無常諸行無常と蝉が鳴くあと幾つ夏我にはありや(舌海牛)
今日明日とあっという間に過ぎていく焦りも悔いも巻き込みながら
最期にはこの人生は素晴らしい言いてこの世に別れ告げたし
私の選ぶ歌はこのようになるようです。身の内外から押し寄せる老化、手術してもまだ本が読みづらく、好きな針仕事もままならず、老化にストッパーがかかりません。この三首、我が心をそのまま詠んでいただいているような気がします。最期まで自分が自分でいられるよう、神様に委ねるより仕方ないのでしょうか。
(北海道北見在、元佐呂間で民宿経営)
中 島 タ ネ
何もかも空がリセットしてくれる雲ゆったりと動きつつ見ゆ(舌海牛) 毎日雲の流れは数分もそのままということはなく、常に動いて美しい青空だと思っている間に、どんより入道雲が広がり、まるで大蛇でも出てくるような感じがしていれば大粒の雨が降り、また夏冬区別無く雷を落とし、世間を暴れ回り、夕暮れの早い秋には西空に沈んでいく太陽を真っ赤な茜色の雲で、美しい輝きを見せ、冬には当地にはあまり降らない牡丹雪をベランダから眺める、この雪が大好きです。このような雲の流れることが、まるで人生のドラマを物語って繰り返されていくようです。人生には限りがありますが、幾千万年と続いていくこの雲が不思議に思えてきます。このお歌は感じました。(福岡市博多区在)
畠 山 眞 吾
諸行無常諸行無常と蝉が鳴くあと幾つ夏我にはありや(舌海牛)
夏、日本アルプスの山々に登ると、あと何度この山稜を眺められるだろうかとふと思う。そう遠くないうちに登りに来られない年がやってくる。まさに「あと幾つ夏我にはありや」の心境である。にもかかわらずいつまでも山を楽しめるような雰囲気で日常は過ぎていく。今日は昨日と変わらず、明日は今日と変わらない。そう思う時の流れは、実は「諸行無常諸行無常」とひそやかな音をたてているというのに。(茨木市立養精中学校教員)
広 瀬 礼 子
路地裏の時代変わらぬ一角に紅花襤褸菊つつましく咲く(舌海牛)昔はもっと花々が美しく咲き誇っていた道も、今は人間の住みやすいように砂粒一つ見えない、硬いコンクリートになってしまった。だが同時に、美しく咲いていた花の住み家を奪ってしまった。このことを思い出させ、自然の素晴らしさ、大切さを改めて教えさせてくれた一首だった。以前、心が折れそうになったこともあったが、この一首を読み、自分もこの菊のように頑張らなくてはいけないなと元気をもらえた一首でもあった。(茨木市立三島中学校卒業生)
山 本 萌 乃 佳
妻は抜けと言えど抜かずに残しいしタンポポ輝く我が裏庭に(舌海牛)
私は、花の中でタンポポが一番好きです。ひっそりと咲いている筈なのにすごく存在感があります。裏庭に咲いているのに輝いて見える‥‥それってすごいと思います。そんなすごい花だからこそ、抜けと言われても抜きたくなくなり、ずっとその前に座って見ていたいという気持ちになるのです。なので、この歌を選びました。(養精中学校三年生)
岡 本 明 香 里
簡単にあの世で会おうと言うけれど死後など信じられずに暮らす(舌海牛)
この歌を見たとき衝撃を感じた。「死」とは一体何だろう?「あの世」は本当にあるのか?という疑問が浮かんできた。死とはいつ訪れるか分からない。明日もしかしたら死んでいるかもしれないし、何年も生きているかもしれない。いつ死ぬかわからない。だから、人間は死に対して怯えているのだろうか?その答えは今の私にはわからない。いつか分かる時が来ればいいと思う。だが、「あの世で会おう」というのは生涯わからないだろう。なぜならあの世に行かなければわからないからである。この歌を読んで、死について深く考えることができたと思う。(養精中学校三年生)
塚 本 晴 也
わが命など一瞬のきらめきか冬の銀河の瞬きつづく(幸紐絡)
この広い宇宙の銀河の冬に一つの星が思い浮かびました。自分の命は、その銀河に比べれば儚いものです。しかし、だからといって何もしないのではなく、いつも光り輝く続ける一等星のような存在になれたら、残り少ない人生を充実したものに変えられると僕は思う。今日明日とあっという間に過ぎていく焦りも悔いも巻き込みながら 今年の三年生を見ていたら、受験を控えて焦っている人を多くみました。彼らの表情には、胸に憂鬱をためているようなものを感じました。僕らは来年受験生のなりますが、川添先生の物の考え方で、高い壁を乗り越えたいものです。(茨木市立養精中学校三年生)
シ ン グ ・ピ リ ヤ
最期にはこの人生は素晴らしい言いてこの世に別れ告げたし(舌海牛)人生が終わるとき周りの人が「この人がいなくなって悲しい」「また会いたい」と心から思ってくれたなら、その人生は素晴らしいと私は思います。人それぞれ「素晴らしい人生」の価値観は違います。でもみんな共通して素晴らしい人生を送りたいと思っているはずです。今まで深く考えたことがなかったけど、この歌を読んで、自分が死んだ時、周りの人から「この人がいなくなってさみしい」と思ってもらえるような人生を送っていきたいです。(養精中学校三年生)
山 本 風 花
心込め話せば必ず通じると生徒に向かうこの歳にして(舌海牛)
すぐに今の二年六組にあてはまるなと思いました。六組が授業中にちょっとしたことで、ざわざわとうるさくなってきた時、先生は黙ってしゃべっている人の方を見ます。それは、この歌の「心込め話せば必ず通じる」ということを実際にやっているんだな、と感じました。私は、他の先生が怒鳴って静かにさせるよりも先生が黙って、しゃべっている人の方を見る方が静かになる気がします。でも授業のときの声は大きいです。その時先生はこう言います。「この歳にしてでっかい声だしてるんやから」と。(養精中学校三年生)
広 野 ひ か る
今日明日とあっという間に過ぎていく焦りも悔いも巻き込みながら(舌海牛)
今日はもう終わっちゃったんだと思うことがよくあります。この歌のように、一日は本当にあっという間です。私は勉強している時、今日はここまでやろうと決めるけど、眠たくなって寝てしまい、次の日に焦ったりしてしまうことがあります。今日やっていたことが、気づけばもう明日という日です。だから、私はこの大切な一日一日をただ過ごすのではなく、有意義なものにしようと思いました。短い時間ではあるけれど、毎日こつこつと何事にも頑張りたいです。(養精中学校三年生)
三 好 真 央
簡単にあの世で会おうと言うけれど死後など信じられずに暮らす(舌海牛)
この歌を読んだとき、私はパッと沖縄のバンザイクリフを思い出しました。ドラマなどを見た時に「あの世で会おう」と当然のように言って崖から落ちていく人を見ました。しかし、本当にあの世で簡単に会えるのでしょうか。そもそもあの世なんて存在するのでしょうか。明日は何が起こるか分かりません。何が起こるか分からないから楽しいのです。私はその楽しさをもっと噛みしめて生きたいです。川添先生の歌は「生」に着目した歌が多いと思うのですが、その中でもこの歌が印象に残りました。(養精中学校三年生)
松 田 純 奈
今日明日とあっという間に過ぎていく焦りも悔いも巻き込みながら(舌海牛)
最近、私はとても時間を速く感じます。それはきっと毎日が楽しくて有意義な一日を過ごせているからだと思います。でも、時には喜んだり悲しんだり悔しい思いをしたり、それを繰り返して私たちは生きているのです。この歌は、焦りも悔いも巻き込みながらでも頑張っていこうという応援メッセージが隠されているのかなぁと思いました。私は何事にも負けずにこれからも生きていきたいと思います。(茨木市立養精中学校三年生)
安 永 蓮 人
災害と自分の死とが繋がらぬ怠惰な日々を過ごしつつおり(舌海牛)
この歌が一番心に残りました。なぜなら、今回東北大震災があっていたことに対してあまり考えたこともないし、ボランティアなども考えたことがありません。そのため、毎日のようにいつもだらけて過ごしています。もしもこの震災が茨木にも来たらどうなるのか、とこれを書いていて思いました。何十年か前にも震災があったのは知っているが、体験をしたことがないのであまり恐怖というものがありません。なので、ぼくは今回あった地震や災害を警戒していかなければいけないと思いました。(茨木市立養精中学校三年生)
進 藤 沙 弥 香
春の土手輝く緑敷き詰めて踏めば小さな草立ち上がる(渡氷原)
春の土手には新しい芽や草がたくさん生えている。それを私たちは何事もないように踏んでいる。しかし、小さな草は踏まれても何度も立ち上がる。もうだめだ、と思わずに、次もがんばろう、という強い意志があるように私には感じる。そうして強くなった小さな草は、やがて立派な花を咲かす。私たちも同じように、どんな困難があっても、そこであきらめるのではなく、明日に向かってがんばり続けることが大切である。そうして、心が強くて立派な大人になれるのだろう。(茨木市立養精中学校三年生)
山 内 花 菜
玄関の施錠を何度も確かめる確かめる時は常締まりいる(舌海牛)
私の日常生活が思い返されました。約束の時間に遅れそうな時に限って、家の鍵を締めないといけない。家を出てからも、ちゃんと鍵を締めたかな?締めたかな?とすごく不安になる。だから、やっぱりもう一回家に戻ってしまう。でも、そういう時に限って絶対に鍵は締まっている。そんな苦い体験が何度もあります。心配するほど絶対に大丈夫、いつもそんなふうになるんだな、と改めて感じました。(茨木市立養精中学校三年生)
西 川 未 悠
なるようになると思いて生きて来し自分を信じる他はないから(舌海牛)
私は「なるようになる」という言葉が好きです。落ち込んでいる時や失敗してしまった時はそう思うようにしています。それだけで生きていけるとは思っていませんが、少し気が楽になるからだと思います。でも、私は自分を信じてはいないです。周囲やその場の流れに任せていたり、少し投げやりになっているだけなのかもしれません。この歌を読んで、自分を信じた上で「なるようになる」と思えたらかっこいいだろうなぁと思いました。(茨木市立養精中学校三年生)
野 口 佳 純
今日明日とあっという間に過ぎていく焦りも悔いも巻き込みながら(舌海牛)
この歌を読んだとき他の歌に比べて心に残りました。毎日の日々の中で喜びや楽しみもたくさんあるけれど、焦りや悔いも同じくらいあるなと改めて思いました。毎日毎日いろいろなことが起こるけれど楽しく過ごしていった方が得だと思います。悩んだりもするけれど、ずっと考えていても前へ進めないからです。この歌を読んで前向きに楽しんで毎日が思い出に残るようにしたいと思います。たまには悩んだりもすると思うけど、それでも毎日の日々の中でたくさんのことを学んでいこうと思いました。(茨木市立養精中学校三年生)
横 山 佳 歩
何もかも空がリセットしてくれる雲ゆったりと動きつつ見ゆ(舌海牛) この歌を読んでいたら、重刑が目に浮かびました。雲がゆっくり動いていて、見ていると不思議な力で気持ちを楽にしてくれます。でも、雲がたまにすごく速く動くときがあります。その時は何だか、悪い意味で言えば、焦らされているように感じ、良い意味で言えば、背中を押してくれているみたいです。背中を押してくれるような人がいたら安心できるし心強いです。なので、私もこの歌でイメージした雲のように、人の背中を押して上げられるような、そんな人になりたいです。(茨木市立養精中学校三年生)
小 池 知 沙 帆
氷塊に氷塊の影水色に置かれて流氷原は静まる(卵黄海) まさに題名の通りの流氷記という感じで、ただ静まってるのではなく、そこに自然の大きさを感じます。氷塊の流れる様はそれだけで漠然と美しいと感じ、影にある少しの色に寒々しくもどこか知らない世界に入り込んだようです。流氷原という言葉だけで広がる大きさに言葉を失ってしまいます。こんなに冷たく寒いのは景色や絵だけでもなく、人の心にもこんなに無機質なところはあるのだろうかと思い、そんな世界に色をつけたらどんなにか楽しいことだろうと思わず笑ってしまいました。新鮮な死体が並び流れくる回転寿司をほおばりて食ぶ(幸紐絡)この歌を見た瞬間、あ、おいしそうと思った私はどこかおかしいのでしょうか。前号でこの歌の感想を読むとみんなはおいしそうとは書いていないのに、私はおいしそうと思ってしまいました。普通に流れてくる新鮮な刺身を思ったのですが、読み返してみて死体という単語で、そのおいしそうな魚を普通に食べているという現実に、ちょっと悪寒を感じてしまいました。元気に泳ぎ回っている海や川、水族館の魚たちが店に出たらさばかれてしまうという事実を思い複雑な感じになりました。(養精中学校三年生)
柳 澤 有 咲
今日明日とあっという間に過ぎていく焦りも悔いも巻き込みながら(舌海牛)
私は眠りに就く前に「今日は生きてる意味があったかな?」と振り返ることを日課にしています。一日の間に良いことがたくさんあった日は、すっきりと眠ることができますが、ついてない日には、もう何をやってもうまくいかない気がして、このまま今日が終わる事が悔しくなります。でも、そんな夜こそ「明日は素晴らしい日にしてやる!」と強気になることができ、本当に良いこと続きの日になったりもします。今日一日の出来事ぐらいで、自分の人生を濁したりしたくありません。過去の栄光にすがることなく人生のために今日を大切にしたいです。(茨木市立養精中学校三年生)
湯 浅 実 奈
なるようになると思いて生きて来し自分を信じる他はないから(舌海牛)
私は「自分を信じる他はない」という部分がとても心に響きました。どんなに回り道をしても、どんなに迷っても最終的に答えを出すのは自分です。自分を信じていけば必ず道は開けると思います。これから生きていくなかで大きな壁にぶち当たることもあると思います。けれど自分と真剣に向き合って、一番良い答えを見つけていきたいです。たとえその答えが間違っていたとしても自分を信じていたことを誇りに思って、後悔はしないと思います。
(茨木市立養精中学校三年生)
川 井 伶
楽すれば苦となるされど苦を越せば楽となるべしこの人の世は(舌海牛)
私はこの一首を見たとき「これだ!」と思わず声に出してしまいました。私は今まで楽ばかりしてきた人間です。そして今苦という所にいます。ある目標、楽を目指しています。その楽がいつ来るかは分からないけれど、今を頑張ればと、私はこの一首に励まされました。すごく元気をもらった気がします。よく口にする言葉だからこそ、考えれば考えるほど深いなぁと思いました。この一首を誰かに伝えて上げたいです。(茨木市立養精中学校三年生)
橋 中 佑 季
最悪のシナリオ観れど他人事のように思えて今日明日のこと(舌海牛)
この歌を見たとき、私はふと東北大震災を思い浮かべました。そして、阪神淡路大震災の話も思い出しました。東北大震災の時はあんなに大きな地震がくるなんて、とテレビで観て驚いていました。まるで同じ国とは思えないほどぐちゃぐちゃに崩れていました。津波に流される家や車、人、揺れの激しさに崩壊する建物…。でも、確かにあの時、映像を見ていても、被災者の方のインタビューを見ていても、心のどこかで他人事だ、という目で見ていた自分がいました。決して私が生きている場所であんな事起きたりしない、と。決して私の身にはあんな事は起こらない、とも。でもそんな確証はどこにもありません。もしかしてこれを書いている今、巨大地震がくるなんて事も、あるかもしれないのです。最近はロシアに隕石が落ちたりもしました。次は日本に落ちてくるなんてこともあり得なくはないと思います。いつ、どんなシナリオが待ち受けていて、いつ、どんな目に遭う分からないなぁ。
そんな気持ちでこの歌を読みました。(茨木市立養精中学校三年生)
松 尾 有 希 子
気が付けば今年も梅の花開く立ち止まることなく時は過ぐ(卵黄海) この歌は、先生からもらった『流氷記』の中で、特に気に入った歌です。今はこの歌のような時季なのかなと思いました。昨年の四月に二年生にようやくなったなぁと思っていたら、もう三月。もうすぐ三年生になってしまいます。行事やテストにばかり目がいって身近な花などよく眺めることなどなかったようです。そんなことをしみじみ考えされられました。(養中三年生)
工 藤 優 梨 香
動くともなき白雲の浮かびいていつまでが我が生きている空(冬菊号)
この広々とした青い空は、どこまでも続いている。地球で何かが起こったって、空は一つも変化しない。いつまでも空は生き続けているのだ。私は、空を見ていつも思う。自分のこの狭い心を、空のように何一つなく生きていくことが出来れば良いのになと。しかし、そういうわけにはいかない。これからも、困難に立ち向かうことはたくさんあると思う。そういうことを経験することによって、人は心身共に成長することができる。空のように自由に生きていくということは、とても難しいことなのだ。私は、自分らしく生きていくのが一番理想の生き方だと考える。他人に惑わされず、自分の決めた道を真っ直ぐに進んでいこうと思う。(茨木市立養精中学校三年生)
早 川 莉 菜
求むるものだけに輝く光あると信じて眼強くして生く(凍雲号)学生の間は、色々な目標や夢があって、顔つきを変えて取り組まないといけない。私も達成したいことはいっぱいあるし、なりたい自分もある。この歌を読んで、やっぱり一筋の光のために必死になることはカッコいいことだし、何事も強気でいかなくてはと思った。また、信じることは簡単ではないけど、どんなことも信じることから始まる。この歌から、こんなにたくさんのことを学ぶことができた。踏まれし後徐々にほぐれてゆく落葉が不意に笑いのごと盛りあがる(夜の大樹を)最初に読んだ時、落ち葉が盛り上がったり、笑うということがイメージしづらかった。でも何度も読むうちに、人間が普段あまり見ない歩道の片隅で、葉っぱが生きていて、その葉っぱも喜怒哀楽があるんだと思った。落ち葉も土に還ってまた新たな生命をつくるために、人や風や雨に揉まれながら必死にがんばっている。そして、楽しんだり、笑っている。すごく小さな出来事だけど、そこに目を向けて、深く考えているこの歌に感動しました。(茨木市立養精中学校三年生)
西 村 優 助
大地震もまだ予震かもしれぬとの報におののく半日ありき(冬菊号)
ちょうど二年前に東日本大震災がありました。僕はそのとき小学校の体育館で、卒業式の練習の最中でした。天井の電気が揺れ、嫌な予感がしました。帰ってからテレビで東北で大地震があったことを知りました。どのチャンネルも震災のニュースばかりで衝撃的でした。その後大津波もやってきました。堤防を越えて町に押し寄せ、多くの人が亡くなりました。「目の前で妻と子供を見殺しにしてしまった」という話をテレビの報道で聞き、とても悲しくなりました。日本人は誰でも一生に一度は大地震に遭うといいます。それに備えて二度とこんなに多くの死者を出さないようにと意識した出来事でした。ミニバイク転倒して我が横たわる地はアスファルト露骨に匂う(惜命夏)ぼくがこの歌を選んだ理由は、以前ミニバイクのえげつない事故を見てしまったからです。一つは電車に轢かれる事故。もう一つは死亡事故でした。ミニバイクと大型トラックの事故でした。辺りには脳味噌や体のあらゆる所の部分が転がっていました。翌朝の新聞にも載っていました。将来ぼくは絶対にミニバイクには乗りたくないです。事故を見て本当にショックを受けました。とても悲惨でした。将来、事故が起こらないようになったらいいなと思いました。(茨木市立養精中学校三年生)
森 口 翼
ゴールまで順位変わらず走るさまドラマなきかなしみが顕ちくる(冬待号) この歌は人間の感情のドラマを観察して表現したものだと思いました。ぼくも本やテレビで起承転結の少ないものを見たことがあります。本当にワクワク感や楽しさがなくドラマとしての面白みに欠けます。しかしこれこそ現実の姿かもしれないと思い、妙に感心してしまいました。はいはいはいその素直さに腹立つと妻はますます苛立ちてくる ぼくもお母さんにそのようなことを言って何度か怒られたことがあります。面倒臭くなり「はいはいはい」と言っただけでちっとも素直な気持ちで言った言葉ではないからです。時には相手が怒り出すかもしれないけれど、本当の気持ちを勇気を出して言わなければならない、そんな時も必要なのだと思いました。(茨木市立養精中学校三年生)
高 見 泰 生
ゾウリムシ二つに裂けて若くなるそんな素敵な生き方もある(秋徒然)
発想がすごく新鮮だと思いました。「二つに裂けて若くなる」というのは、死ぬとかではなくて、また人生をやり直すという意味だと思います。確かに少し前の人生に戻ってやり直したいものです。この歌そのものが素敵だと思いました。(茨木市立養精中学校三年生)
佐 藤 大 介
卒業式の四日後公立受験にてまだほどかれぬ緊張がある(春氷号)
僕たちは卒業式の前に受験があるけど、兄の年までは卒業式の後にあって、すごく面倒くさいと言っていました。四季の後と前の差は大きいと思うので恵まれているなぁと思いました。しかもこれからの人生に関わるから余計にかわいそうだなぁと思いました。僕もすぐに三年生、この歌をみていると不安が募ってきました。三年生に近くなると『受験』という言葉に敏感になりました。でもなぜか勇気づけられます。僕たちは二年前の人たちよりも運がついているのだから‥‥。(茨木市立養精中学校三年生)
落 合 空 千
最悪のシナリオ観れど他人事のように思えて今日明日のこと(舌海牛)
先日、震災から2年が過ぎました。あの日、僕はテレビで、おびただしい数の車や家、船などが津波に飲み込まれていくのを見ていました。その時に、とても恐怖を覚えました。ですが、今、2年の月日がたつと、全く他人事のように思えてきます。いつくるのか分からないのに………そんなことを思っていた僕の心と一致しました。早く備えないと…、と思いました。(茨木市立養精中学校三年生)
小 泉 奈 央
求むるものだけに輝く光あると信じて眼強くして生く(凍雲号)
私はこの歌の短冊を川添先生からもらいました。なぜこれを選んだかというと、初めて読んだとき心にぐっと来たからです。目標に向かって眼を強くして努力すれば、いつか必ず叶う・・・とても大事なことだと思います。私は次は三年生に上がり、受験生になります。行きたい高校に向かって毎日努力しないといけないと思いました。この歌は、一生懸命頑張ったら良い結果が待っているということを思い出させてくれました。受験だけでなく、これからの人生においても言えることなので、これを忘れずに強く生きていこうと思います。 (茨木市立養精中学校三年生)
内 田 佳 奈
桜花波立ちながら海中(わたなか)の憂いに沈み我が歩みゆく(新緑号)桜は満開に咲くとすごくきれいだ。しかし、すぐに散ってしまう。そして次の春に備える。人の一生のようだと思う。この歌は満開の桜の花の下にありながらその心は散ってしまった桜のようにどこか哀しい、そんな歌だ。やがて全ての花が散ってしまう、それを予感しているかのような歌だ。だが、私は哀しいだけではないような気がする。力強い。私は散ってしまっても何度でも何度でも咲けばいいと思う。私はどんな困難にぶつかっても立ち向かえるようになりたい。落ちこんでもすぐに立ち直る人間になりたい。どんな事があっても、最後には力強く歩みたい。(茨木市立養精中学校三年生)
川 本 実 歩
素晴らしい人生だったと死に際にしみじみ思い消えていくべし(舌海牛) 人の価値観や感じ方はそれぞれなので、自分を大切に、そして死に際までの人生を自分らしく、一生懸命に生き切れたら、それはその人にとって素晴らしい人生なんだと思います。そして、死に際に今まで出会った人たちやものに対して「ありがとう」という感謝の気持ちを持って、この世を去られたらいいなぁと思いました。
(茨木市立養精中学校三年生)
萬 野 達 也
紫陽花の葉に次々と落ちてくる雨あり木琴叩くがごとし(麦渡風)
六月の梅雨の時期に、しとしとと雨が降っている様子をすぐに想像できました。紫陽花のたくさんの葉があり、そこに次々と雨が降っています。雨が降り、紫陽花の葉の一つ一つが音を立ててそれに応えます。まるで紫陽花の葉と雨が素敵な合唱をしているように感じられます。紫陽花の葉と木琴とがよく合い、もし木琴が鉄琴やピアノだったら何だか変だとも思いました。(茨木市立養精中学校三年生)
正 見 大 志
ジェット機より速く地球は回りいる次々命振り落としつつ(二ツ岩)
ぼくがこの歌を読んで感じたのは、生命のはかなさと自然の厳しさです。生命がどれだけ消えても地球は全く気にすることなく回り続ける。それとは反対に新しい生命も生まれている。そうやって世界の生命は循環しているのだなと感じました。これは社会にもあてはまると思います。能力のない人は次々とリストラされる。そして優秀な人材の取り合い、これは仕方ないことだとは思うけど、何となく悲しいように感じます。将来そんなことのないように立派な大人になりたいです。(茨木市立養精中学校三年生)
木 附 俊 輔
待ちわびて国語が好きな生徒たち授業があっというまに終わる(幸紐絡) この歌の通り、国語の授業だけあっというまに終わってしまいます。授業では最初に慣用句や四字熟語、俳句、短歌などをします。クラス全員が手を挙げるまで先生は根気よくやってくれるので、いつの間にか皆が覚えていって、競争で手を挙げるようになりました。教科書に入ると内容の説明だけでなく、教科書にアンダーラインを引かせたり印を付けたりします。教科書が机上に出せているか確認したり皆が理解できたか聞いてくれて、きちんと答えると嬉しそうに褒めてくれます。ノートも授業の感想や内容の感想など自分の言葉で書くようにと言われているので、そんな授業にいつの間にか集中しているうちに、終わりのチャイムが鳴ってしまいます。国語の授業はいつも本当に短く感じます。
(茨木市立養精中学校三年生)
小 川 泰 史
ゾウリムシ二つに裂けて若くなるそんな素敵な生き方もある(秋徒然)
この話を授業で聞いたとき、とても感動しました。ゾウリムシを題にするのも初めて聞きましたが、ゾウリムシのことがよく分かっていると思いました。正直初めに思ったのは、男のまま生きてて途中で性転換する人たちのことで、そんな素敵な生き方もある、てことはどんな生き方も素敵ってことやと思い、そんなふうに捉えていました。けど、よくよく考えるとそういう考え方もあるけど、男女の区別もなく、そのまま若くなれるということだと気付き、そんな生き方も素敵だなと改めて思ったことでした。(茨木市立養精中学校三年生)
大 山 美 優
人が言う皆が言うから世間では…など言いながらあんたも一人(ぬば玉)
この一首を読んだとき私は、すごく自分にあてはまるなぁと思いました。何かが欲しいとき、母に「みんなが持っているから買って」と言います。そう考えると、私には優柔不断なところがあると思います。迷うとみんなに合わせてしまいます。それで、後からやっぱり違う方にしておけば良かったと後悔することもあります。でも、みんなと同じ方を選んで、分かち合える分、合わせて良かったと思うこともあります。これから先、ものごとを選択しなければいけない場面に出会うことがたくさんあると思います。ですが、みんながどうこうではなく、しっかりと考え、自分の意志を持ちながら生きていきたいなと思いました。 (茨木市立養精中学校三年生)
吉 岡 里 紗
最期にはこの人生は素晴らしい言いてこの世に別れ告げたし(舌海牛)人生とは長い物語です。人の数だけ物語があり、人が死ぬたびにその物語は終わります。それを人は恐れます。終章はとても幸福なのかも知れないし、とても不幸かもしれません。でもそれは読者が決めたことです。端から見て不幸でも、主人公にはそれが救いだったのかもしれない。反対に、幸福そうでも心は満たされていなかったかもしれない。私は、私自身が一番「すばらしい」と思える結末を迎えたいです。
(茨木市立養精中学校三年生)
大 槻 千 尋
優しくて礼儀正しく温かい生徒に接することのよろこび(花びら)先生がどれだけ生徒のことを思ってるかが分かります。これをみて私は、先生は優しい人だなと思いました。この歌は先生の優しい気持ちで溢れています。これからも、先生の歌をたくさん見て学んでいきたいです。複雑なDNA組み合 わせつつ世に生き物 としてある不思議(桜一木)私はこの歌を読んで、確かに不思議だなと思います。複雑な組み合わせでできた私達は、凄いです。木もこんな複雑なDNAがあるのかなと私は不思議です。私だったら、こんなことは思いうかべられません…。やっぱり先生の歌は先生の思うこと、疑問に思ったことなどを、歌にしていると思いました。(茨木市立東雲中学校二年生)
大 槻 春 奈
キリストも釈迦も異端の少数の一人に過ぎぬ命ある時(輝く旅)この歌を読んですごくいい歌だなと思いました。私はこの歌が気に入りました。たしかにそうだと思いました。キリストさんも、みんなといっしょの人間だから、この歌をえらびました。目を閉じて見れば明るく果 てしない流氷原を夜汽車が 走る(夜汽車)「目を閉じて/見れば明るく/果てしない/流氷原を/夜汽車が走る。」という歌のリズムとその光景全部が気に入りました。「目を閉じて見れば」私の脳裡にも、真っ暗な夜を元気よく汽笛を鳴らしながら夜汽車が走ると、そこから流氷原が真っ白に広がって見える、そんな広大な景色が現れてきました。本当に感動しました。(茨木市立東雲中学校二年生)
北 村 陽 梨
明日が来るのを待ちわびる確実に死が近づいてくる筈なのに(幸紐絡)明日が来るのを楽しみにして待ちわびているのに、実はその分死も近づいて来ている、という事実を聞かされて、ああ本当だなぁと思いました。今までこんなこと思っていなかっただけに真剣な気持ちになりました。人はいつか必ず死ぬのですから、今を大切にし、意義のある一日一日を過ごして生きていかなければならないと強く思いました。充実した一日一日を確かめながら生きていきたいです。(茨木市立東雲中学校二年生)
坂 本 瑠 杏
雨の後しばらく虹の観覧車見ており二人手が触れている(金木犀)
とてもきれいな歌だなと思ったから、この歌を選びました。虹のことを観覧車と言っているところが最高にいいと思いました。二人の手がちょっと触れているというところがとても良かったです。僕もこんなやわらかい頭で日常を過ごしていきたいです。教室の全員いずれいなくなるその順番は神のみぞ知る(麦風号)全員がいずれいなくなるというのは、本当にそうだと思いました。自分は何番目なのかなと思いました。その順番は、自分にも分からなくて、神しか知らないということを改めて思いました。(茨木市立東雲中学校二年生)
三 浦 拓 人
安威川を上る明るい蛇が見え電車も川面も物語めく(思案夏)夕暮れ時の、安威川が夕日に照らされて川面が明るい蛇のように見えてくねくねと上流へと続いている。そんな水面も電車もきらきら光る蛇のように、人生の物語のように、時がゆっくり進んでいく感じがして、まるでゆっくり進歩する人間みたいでとっても気に入りました。いいように言われて黙って来たけれど僕には僕の言い分がある(紫陽花)僕の日常が歌われているようで気にかかりました。いつもいいように言われても黙って来たのに、自分の言い訳を言えずに、自分の心の中にとどめている様子が、自分にとても似ているなと強く感じました。(茨木市立東雲中学校二年生)
森 亮
紅茶より湧きくる蝶の燦々と己が体の中に燃えゆく(夜の大樹を)普段、普通に飲んでいる紅茶でも一首浮かぶのは、先生がそれだけ歌に賭けているということなので、尊敬できるなぁと思いました。僕なら思い浮かぶことはないでしょう。紅茶なんて飲んだらお終いなのに、体の中に入っていくところまで気に留めていて、それが「燃えゆく」と書いているところが気に入っています。温かいことを燃えゆくと表しているから、読み手にインパクトを与えています。そんな細かいところまで手が行き届いているので僕はこの歌が好きです。冬空にオレンジ色の満月がこの世の出口くっきりと見ゆ(氷点旅)冬なんて寒くて、ただ寒さをしのごうと必死だったけど、この一首を見て、今年の冬は少しは気に留めておこうと思いました。先生が満月をこの世の出口と捉えたところは、とても想像力があって、豊かな考え方だと思います。実在は、月は出口じゃなくて地球の惑星なのに、出口と喩えたこと、三日月、半月などもあるなかで、満月を選んだことなどに先生の才能を感じます。情景もきれいだし、読んだ人に色々想像させることができるので、よく出来ているなぁと思いました。(茨木市立東雲中学校二年生)
白 神 拓 真
すれ違う人あるいはと振り返り一人の人を捜しつつ過ぐ(麦風号)捜している人は誰なのかと気になりました。でも、この一首を見てみて、この人は大切な人を捜しているだろう。その人のことを秘かに捜しているんだなぁ、捜しながら歌を作っているのだろうと思いました。少し哀しそうな感じもしました。(茨木市立東雲中学校二年生)
新 宮 領 彩 加
「Aでないことがわかった」間違いを糧としてわが授業は続く(紫陽母)私がこの一首を選んだ理由は、これは普段の川添先生の授業の様子がそのまま出ている歌だなぁと思ったからです。いつも、答えを間違ってしまっても、優しくそしておもしろく「Aでないことがわかった」とごまかしてくれています。間違うことはいけないことではない。むしろ間違うことは大切だ、と言われているような気がしました。私も、これから間違いを恐れず、自信を持ってもっとたくさん発言を出来るようにかんばろうと思いました。(茨木市立東雲中学校二年生)
谷 口 茉 生
求むるものだけに輝く光あると信じて眼強くして生く(凍雲号)この歌を読んで一番心に残った言葉は「輝く光」です。やりたいことを出来るようにするために努力すると「できる」ということは、私にとってすごく力になります。なので、「輝く光」を見たときに、それを目指していきたいと思いました。私は、これから嫌なことがあっても、この歌を思い出して、乗り越えられるように頑張ろうと思います。(茨木市立東雲中学校二年生)
森 岡 未 咲
夢現つ夢の一つの人生を今生きている風に吹かれて(幸紐絡) 私は「夢の一つの人生を今生きている」という言葉がいいなぁと思いました。自分も、夢の一つの人生を、今、生きているんだな!と思いました。私は、もともと『夢』という漢字が好きで、そのことも、この歌を選んだ理由の一つです。これからも、自分の『夢』をめざして生きていきたいです。(茨木市立東雲中学校二年生)
吉 田 直 詩
ゾウリムシ二つに裂けて若くなるそんな素敵な生き方もある(秋徒然)僕たち人間や、ほとんどの生き物は、寿命が来たら死んでいく筈なのに、ゾウリムシは年を取っても死ななくて、分裂するだけで、若返りしたり、子孫を残したりと、一つの行動で、子孫も増やし、そして若返ることも出来て、まさに一石二鳥だと思った。人間もこんなふうに若返ることができたらいいと思った。もしこんなことができたら、人間はずっと人生を楽しむことができていいと思った。(茨木市立東雲中学校二年生)
武 藤 加 奈
「Aでないことがわかった」間違いを糧としてわが授業は続く(紫陽母)先生の普段の授業の風景があったからいいと思いました。いっつも国語のワークブックの答え合わせをする時に、「アか、イか、ウか、エか」という問題の時には、みんな張り切って答え合っていて、生徒がふざけているのが分かっていても、「アでないことが分かった」と、みんなに乗っているのがおもしろいと思ったからです。この答え方はいつまで続くのか、ちょっと子供っぽいな、と思いながら授業を聞いている、そんな風景が浮かびました。(茨木市立東雲中学校二年生)
西 川 千 晴
フジテックジテックテックとなってゆき今クの半ば塔崩れゆく(迷羂索) 私も、フジテックの塔は、何となく気に入っていたので、塔がなくなってしまう時は、少し悲しかったです。その時のことをこの歌で思い出せたので、塔が崩れるときの気持ちがよみがえってきました。この歌をみてすごく表現力があるなぁと感心しました。フジテックのすぐ横にある三島中学校の先生だった時の作品だと聞いて、すぐ目の前で崩れていく塔を先生はどんな気持ちで見ていたのだろうと思いながら読みました。(茨木市立東雲中学校一年生)
山 縣 輝 久
ゾウリムシ二つに裂けて若くなるそんな素敵な生き方もある(秋徒然)ぼくはこの歌が好きです。なぜなら生命の神秘を感じるからです。こんな小さなゾウリムシが何億年も前から裂けては若返りを繰り返して生き続けてきたなんてまさに生命の神秘だと思います。何かつよいものを心に感じました。 (茨木市立東雲中学校一年生)
村 田 佳 祐
フジテックジテックテックとなってゆき今クの半ば塔崩れゆく(迷羂索)この歌がいいなぁと思ったのは、この歌を一度聞いただけで耳に残るからです。休み時間も「フジテックジテックテック」と言っている人がかなりいます。歌手の歌う歌でも、いつまでも耳に残る歌がいい歌として残っていきます。フジテックジテックテック‥‥と、実際にフジテックの塔が崩れていく様子が早送りに僕の頭の中で思い出とともに像を結んできました。 (茨木市立東雲中学校一年生)
村 田 奈 未
何もかも空がリセットしてくれる雲ゆったりと動きつつ見ゆ(舌海牛)嫌なことがあったとき、夕日やきれいな空を見て、何もかもリセットできてスッキリできる。この、何もかも空がリセットしてくれて、「雲ゆったりと動きつつ見ゆ」に、心が洗われてくる様子がよく表れていて、自分もゆったりとした雲を見ているような気持ちになりました。とても共感できて好きな歌です。いいように言われて黙ってきたけれど僕には僕の言い分がある(紫陽花)この歌も、自分に当てはまり、共感できるので好きです。周りにいいように言われているが、心では自分の中にちゃんと言い分がある。でもそれを敢えて言わないでいる。そんなきっぱりとした気持ちにとても共感できます。(茨木市立東雲中学校一年生)
中 敦 弘
水平線線の途絶えたあたりより波の数だけ鳥が飛び立つ(夭折) 水平線のちょっと途絶えた所から、無数の波が美しい鳥になって飛んでいく。「波の数だけ」という例え方がいいなと思いました。波の数だけ、無数の無限の波が羽を広げて鳥になっていっせいに飛んでいく光景―たぶん、作者は目の前のきれいな海の無数の波をみて、これが鳥になって飛び立っていったらどんなにいいだろうなぁと思って作ったのだろう。すごい歌だと思いました。(東雲中一年生)
土 戸 美 咲
ゾウリムシ二つに裂けて若くなるそんな素敵な生き方もある(秋徒然)理科の授業でゾウリムシのことは知っていたけど、今日、ゾウリムシは自分が分裂して増えていくので、今生きているゾウリムシは何万年も前の昔から一度も死んでいないんだという話を先生から聞いて、なるほどと思いました。そう考えてゾウリムシはすごい生物だと分かりました。生物によって生き方や寿命が違うのは知っていたけど、微生物の一部は違うことが知れて良かったです。こんな短い表現で、知らなかったことが知れたり、いろんな深い考え方が出来るのだと改めて感心しました。(東雲中学校一年生)
島 口 大 輝
眠るたび死んでは朝に生まれくる命と思えば一日は楽し(凍雲号)寝ているときには一度も目を開けず、死んでいるようになっているけど、起きると命が育まれてきて、生き返っているよう‥‥その日に生まれたんだと考えると、その一日が生き甲斐に変わる、ということが伝わってきた。この歌からぼくは、いつも新しい一日を生きているんだと新鮮な気持ちで一日を過ごしたいです。 (茨木市立東雲中学校一年生)
水 野 敢 太
明日が来るのを待ちわびる確実に死が近づいてくる筈なのに(幸紐絡)人は、明日という未来を待っているが、その分、「死」という一文字の事実が迫ってきているという深い悲しみを書いているのに共感しました。人は一日生きるごとに一日死に近づいているのです。このように思うことで一日一日を大切に生きなければならないのだという気持ちを強くしました。(茨木市立東雲中学校一年生)
中 川 晴 佳
窓ガラス対のガラスを映す昼どこも接していないかなしみ(夭折)教室の窓を見ながら、窓が閉まっているときには窓と窓が繋がっているけど、窓が開いて窓と窓とが向かい合っている時には、窓と窓はどこも接していない、と先生が説明してくれたとき、この歌にとてもロマンチックなものを感じました。透明なガラス窓はきれいな心を表しているようです。向かい合っている純粋な心の二人がとても美しく想像されました。(東雲中学校一年生)
藤 井 璃 音
冬空にオレンジ色の満月がこの世の出口くっきりと見ゆ(氷点旅)冬空に大きなオレンジ色の満月が浮かんでいる美しい光景が目に浮かびました。私は、これからの明るい未来が見えてくるような気がして、とても明るい気持ちになりました。出口がくっきりとのところで、未来がいい未来になればいいなぁ、と思いました。(東雲中学校一年生)
服 部 真 弓
苦しみを解き放たれて横たわる母あり微笑のかく美しき(悲母蝶)すごく悲しい歌だけど、私のおじいちゃんが死んだ時もそんな感じでした。死ぬ間際までとても苦しんでいたけど、亡くなって穏やかな顔になって、口元に微笑をたたえているのを見ると、ほっとした気持ちになりました。「美しき」に先生の実感がこもっていると思いました。近づけば近づく程に寄り添いて一つの岩となる二ツ岩(新緑号)最初は二つに見えていた岩が、その岩のところに近づくにつれて一つの岩に見えてくる、そんな景色が頭の中で想像できます。人と人との気持ちやつながりも表しているのでしょうか。水平線線の途絶えたあたりより波の数だけ鳥が飛び立つ(夭折)とてもきれいな光景が浮かび、何度読んでも飽きないリズムもあり心に残りました。(茨木市立東雲中学校一年生)
雪 丸 辰 一 郎
音もなく巨きな鳥の渡るらし羽毛ひたすら降り続く朝(流氷記抄)
雪が羽毛のようにゆったりと柔らかく降っているというのがきれいです。こんな現象を夢の中でも見られたらいいなぁと思いました。焼香の順に並べど明らかな死の順番が何処にかある(秋徒然)生きているものには死がありその順番もあるんだと思い知らされました。何もかも空がリセットしてくれる雲ゆったりと動きつつ見ゆ(舌海牛)自分の嫌なことを新しくして気持ちが晴れたらいいなぁと思ってこの歌を選びました。嫌なことを忘れられたらいいなぁと思います。雲が嫌なことを運びつつ良い気持ちが来たらいいなぁと思いました。(茨木市立東雲中学校一年生)
仙 波 一 輝
歩むたび次々桜開きゆく空の青さも輝きを増す(新緑号)この歌がいいと思った理由は、桜がどんどん咲いていってきれいだなと思ったからです。歩くたびに桜が咲いていって空が青い色で天気がいい日は、とても爽やかでいい景色が広がります。桜の鮮やかな色と空の青色が一緒になると素晴らしいです。ゆっくりと沈みゆく日よ今日もまたあらゆる所に人の死がある(燃流氷)この歌は、少し悲しい歌で、その日が終わると同時に、だれかの人生も終わっているということなんだなと思いました。世界では、どんどん誰かが死んでいくので、誰かが楽しい気分になっている時も、誰かは悲しい気分になっているものです。ゆっくり日が沈むのはきれいだけど、一日が終わるというような気分になります。静かな気分になるいい歌だと思いました。(茨木市立東雲中学校一年生)
神 原 大 地
目をつむれば花さえ語りかけてくる冬の日溜まりうとうとといる(冬菊号)冬の日溜まりの中、うとうととする、とてもほんわかとしていて、花さえ語りかけてくるような、そんな優しい気持ちにさせる歌です。作者のとても気持ちよさそうな様子がそのまま伝わってきました。(茨木市立東雲中学校一年生)
杉 田 梨 里 香
何もかも空がリセットしてくれる雲ゆったりと動きつつ見ゆ(舌海牛)雲を見ていたらとてもいい気持ちになる、リセットしたような気持ちになれる、ということは私もそうだな!わかるな!と思ったのでこれを選びました。私は、いらいらしたときとか、これからは雲を見て、気持ちをリセットさせて、いろんなことをやり直そうと思います。私以外の人も空を見たらいい気持ちになれると思います。なので、たまには空を見てリセットして、もう一度やり直せばいいと思います。(茨木市立東雲中学校一年生)
建 部 涼 太 郎
名も知らぬ草に束の間しがみつき雨宝玉となりて輝く(夏残号)雨が降ったあと、安威川の河原にはいくつもこういう景色が見られます。学校の帰りにも、雨が宝玉のように輝いているのに気がつくことがあります。何でもないことのように見えるけど、名も知らぬ草に懸命に落ちないようにしがみついているように見える雨のしずくがきらきらと輝いていて、宝玉のように美しく見える。ぼくもこんな風景に感動したことを思い出しました。(茨木市立東雲中学校一年生)
勝 部 勇 輝
魂が光を迎えに来るという流氷の海夕焼けて燃ゆ(燃流氷)「魂」という字が印象に残りました。ぼくは流氷の海を見たことはありませんが、地平線に沈む大きな真っ赤な夕日が、何か魂のように見えて自分を見つめてくれているように嬉しくなった、という気持ちがぼくにはよく分かります。こんな景色の所に行ってみたいなぁと思いました。(茨木市立東雲中学校一年生)
寺 内 悠 稀
雪解けの冷たき水を飲みて咲く桜花びら星のごと降る(桜伝説)頭の中で、きれいな水と桜の花びらとが想像できます。冬に積もった雪が、春になって、その雪が溶けて、そしてその水を吸って桜が成長して美しい花を咲かす、すごくきれいな歌です。こうして、毎年毎年、桜が咲くんだなぁと思いました。桜の花びらは、たくさんあり、星の数ほどあるということが、ぼくの心にひびきました。何回読んでも飽きないし、すごく美しい歌だと思います。(東雲中学校一年生)
森 思 寧
どうにでも言える論理の応酬に少し厚かましい方が勝つ(秋徒然)一人ずつ考え方の違う論理なのに、しつこく自分の考えを訴える方が勝つ、というこの歌にひかれました。人の間では、議論をしていても必ず違う意見の人がいて、必ず対立するものです。対立したなかで、自分の意見を貫くには、自分の意見を信じ、人より厚かましく勝つ、という言い方に、少し遠くから眺めている覚めた作者の気持ちがあり、共感できるものがありました。(東雲中学校一年生)
市 川 喬 大
窓際に明かりを消せば闇のみに部屋に一つの星が輝く(夭折)夜に部屋の明かりを消すと、星がいつも輝いて見えます。星を見ると、心がやわらぐし、きれいだなとつくづく思います。この歌は僕も共感できます。星はあの大きな宇宙の中で、自分だけの光を輝かせていることが、とてもすばらしいと思いました。ぼくもこの歌の星のような役割をしたいです。(茨木市立東雲中学校一年生)
川 崎 智 葵
もういいよ死んでもいいよと苦しみの母見て思う励ましながら(悲母蝶)この歌を読んで、今にも死にそうな母が、息子を思い、精一杯生きている姿が目に浮かびました。息子は、もう苦しい思いはしなくてもいいと思っているのですが、母は頑張るという母の温かさが心に沁みてとてもすばらしい歌だと思いました。母と息子の哀しさがしみじみ伝わります。息子も複雑な気持ちを抱えていることが分かり、私にもその気持ちが伝わってきました。悲しい風景が頭に浮かび、とても印象に残りました。(茨木市立東雲中学校一年生)
川 端 麻 友
星ふりて夜はつめたく流れいん水平線の見えるガラス戸(夜の大樹を)私が一番気に入ったところは、星や、水平線といったきれいな言葉が入っているところです。この歌の美しい世界が頭の中でイメージされて浮かびました。星はきれいでみんなも見れば、癒されると思います。その上、水平線も見えて、その場所のガラス戸はサイコーの景色なんだろうなと思いました。なので、すごく心に残りました。(茨木市立東雲中学校一年生)
中 路 実 沙
地表まで雪は呼吸を止めず降り人の歩みを美しくする(夜の大樹を)私がこの歌を気に入った理由は、降り続く雪が人を美しくするという意味がとてもきれいでいいと思ったからです。大阪はあまり雪が降らないので、この歌のような景色はあまり見られないけれど、真っ白な雪が斜めに降ってくる中を黙々と人が歩いている姿はまるで絵のような光景だと想像することができます。こんなふうに目の前の風景を見てみようと思いました。(茨木市立東雲中学校一年生)
石 井 拓 真
明日が来るのを待ちわびる確実に死が近づいてくる筈なのに(幸紐絡)僕はこの一首がすごく気に入りました。なぜかというと明日を楽しみにして、早く明日にならないかなーなんていつも思っているのに、実は時が過ぎていくごとに一歩また一歩と死が近づいている。そんな「明日」の不思議な意味に、この一首を読んで強く共感したからです。思ってみれば、人生って謎だらけだなぁと改めて思いました。何か大切なことを気づかされた気がします。(東雲中一年生)
井 原 柊 介
踏まれし後徐々にほぐれてゆく落ち葉が不意に笑いのごと盛り上がる(夜の大樹を)人に踏まれても踏まれても負けずに、また盛り上がろうとする、そんな落ち葉の強い心に共感しました。秋になると毎日のように目にする落ち葉、ぼくも毎年、その黄、赤の美しい小さな木の葉に感動しています。この歌では、そんな小さく、はかない木の葉が辛いことや苦しいことに耐えきって、また盛り上がる、弱い者の大きな心に改めて気づかされました。教室の全員いずれいなくなるその順番は神のみぞ知る(麦風号)「全員いずれいなくなる」という所が印象に残りました。なぜ神だけが知っているのかというと、最後の一人が死ぬ時に分かる(最後から二人でも分かる)未来のことだからです。人が次々に死んでいくのはさみしいけれど、そんなふうに見ていくと一日一日を大切に生きなければとも思いました。(東雲中学校一年生)
岡 元 愛 優
いいように言われて黙って来たけれど僕には僕の言い分がある(紫陽花)「僕には僕の言い分がある」という最後の言葉がとても気に入りました。その人がじっと我慢をして、言い訳もせずに、ずっと黙って来たとしても、それを最後まで言わなくても、心の中ではしっかりと、自分には自分の言い分がある、と思っている。周りの人が分からなくても理解しなくてもいい、自分さえ納得していればいいんだという強い気持ちが感じられて、私の心につよく残りました。
卜 部 響 介
新雪を踏めば大きく音のして命の一歩こだましてゆく(渡氷原)新たな命の誕生を描いた歌で、少し勇輝をもらえる歌なので、とてもいいなぁと思いました。この歌には深い意味が込められていて、真っ白に深く積もった新雪を踏んでみると、大きな音が辺りにこだまして、初めての世界に飛び込んだような新鮮な気持ちになり、命の始まりの一歩を感じるという世界を描いていて、先生が実際に体験したことからこのように感じたのだと思います。このキーワードの「こだま」が一番印象に残りました。(茨木市立東雲中学校一年生)
竹 中 悠 将
山桜しきり散りつつ雷の光るとき時止まる花びら(桜伝説)「雷の光るとき時止まる」という言葉がとても心に残りました。桜の花が散っている時に雷が光ると、その雷の光に照らされて花びらの一つ一つが一瞬、止まっているように見える、そんな景色を歌っているのだと思います。花びらが散るのは短い間だけれど、その短い時間が長く感じられる、そんなこともすばらしいということだとぼくは思いました。(茨木市立東雲中学校一年生)
長 瀬 菜 月
この空に虹が架かればいいのになぁ思いて虹を描きつつ見る(雨後虹)これは雨上がりに書いたものかなぁと思いました。願い事をしているみたいな感じでした。私にも、ここに虹があったらいいのになぁという場所があります。そんな場所に虹が架かっていたらきっと願い事が叶うでしょう。この歌を読んで、「虹」という言葉がすごく印象に残って、すごく明るい願い事のような感じの歌で、とっても気に入りました。(茨木市立東雲中学校一年生)
芥 川 璃 奈
夢現つ夢の一つの人生を今生きている風に吹かれて(幸紐絡)「今生きている風に吹かれて」という言葉がとても気に入りました。夢と現実、今生きているのは現実なのに、この歌では夢の方を生きているという。今生きているのは夢の続きの方かもしれないと風に吹かれながら感じているというのが私にも分かります。今生きているからみんなとしゃべれる、勉強が出来る、遊べる‥‥今生きているのは夢のようでありがたいことなのだと思いました。(茨木市立東雲中学校一年生)
西 尾 茉 帆
息を呑む群衆のなか面を打つ少女が海豚のごとくに跳ねる(夏残号)女子の剣道の試合。周りの群衆が息を呑んで見守っているので、決勝戦か何かでしょう。そのなかで、一瞬、少女の面が鮮やかに決まる。面が決まるときには少女の背筋も伸びているので、イルカが海上で跳ねるような形になる。そんな面を打つ様子が私にも伝わってきた。こんなふうに面が決まって「面あり!」の声とともに勝負が決まる、そんなふうに今度の試合でも勝ってみたいです。(茨木市立東雲中学校一年生)
園 田 杏 華
星のように輝く水を欲りながら根は支えいん夜の大樹を(夜の大樹を)大きな木の下から夜、上を見上げると、星がたくさん輝いている。木は真っ黒で今はよくは見えないけれど、木を支えている根は、輝いている星のようなたくさんの水を吸っている‥‥。「星のように輝く水」というきれいなイメージに私はひかれました。夜なので大樹も見えないし、根も見えないけれど、星だけがたくさん輝いている、そしてきらきらと輝く水、そんなきれいな景色が頭の中に浮かびました。(茨木市立東雲中学校一年生)
川 添 和 子
アスファルトコンクリートの道ばかり帰路二十分快適なれど(舌海牛)
クチナシはカメオの如き深き彫り白鮮やかな花匂いくる(舌海牛)私の日常の移動は、自動車です。つい最近、北九州にも珍しく雪が積もり、朝の雪道での運転が不安な日に、久しぶりに徒歩とバスで通勤しました。一日の勤務&たっぷりの残業を終え、帰路につきました。バス亭を降りると、父の文字が刻まれた愛宕神社の鳥居が迎えてくれます。毎年この辺りでは一番早く花を咲かせる桜の木が、鳥居の側には枝を広げていて、寒さの中にもゆっくりと水を吸い花の季節に備えていることを感じながら、鳥居をくぐりました。若いお嬢さんが、同じ夜道を歩き慣れているような足音を響かせて、私のほんの少し前を歩いていました。勝手にお仲間気分で、女同士お互いに夜道も安心かも…とほくそ笑みました(^^)寒いけれど、風が爽やかに感じられ、帰宅する頃には、風と空、コンクリートやアスファルトではあるけれども足下から立ち昇る大地の気、道端の木々や家々で丹精こめて育てられている植物たちに一日の疲れを洗い流されたかのように爽やかな気持ちでした。富田町も、都会の中にありながら緑豊かな町でしたね。一生懸命働いて、大地の恩を浴びながら我が家に向かう兄ちゃんの姿が目に浮かぶような一首だなぁと思いました。二首目のクチナシ、我が家にも家を建てる前から土地に生えていたクチナシの木が、玄関脇に長いこと季節季節に気品溢れる花を咲かせ、薫りを辺りに振り撒いていました。クチナシの花の季節は、その薫りに帰宅した安心感を覚えたものでした。家にクチナシを植えるものではないと様々な方に言われ、「植えたのではない、生えていたのだ。」と父母は説明していました。私が家を出てからのことで経緯はよくわからないのですが、クチナシと同じように土地に元から生えていた桐の木と共に切られ、今はもうありません。桐の淡い紫の花や、クチナシのくっきりとした葉や花の佇まい、濃厚な薫りは、今も鮮やかに目に浮かび感じられます。カメオに喩えられたクチナシを詠んだ歌に、一時我が家にあったクチナシの木のことを思い出しました。 (妹 福岡県立八幡工業高等学校 養護教諭)