流氷記一首評60号(夢徒然)掲載
中 村 桂 子
山王町思えば父も母もいて幸せなりき貧しけれども(眼裏月)
この歌の前後はすべて幼なかった頃に暮らした街の描写です。「丸井戸を覗けば常にくっきりと満月見える少年期あり」とあるように、すべての人が決して金銭的に豊かではなかったけど、ゆったりとした時間が流れていた頃です。アベノミクスなどというカタカナに振り回されながら、どんなに大きなお金が流れても、普通の暮らしから幸せが奪われるのはごめんだと思います。単なる昔は良かったでなく、日常を大事にする社会をと願います。(生命科学者。JT生命誌研究館館長。著書に『生きもののしくみ』『ゲノムの見る夢――中村桂子対談集』『食卓の上のDNA―暮らしと遺伝子の話』など)
三 島 佑 一
魂が吸い寄せられていくような満月この世の出口が見える(眼裏月)
満月をこの世の出口と見る発想が面白い。とすると朝日は入り口か。朝日はいつもまん丸で安心してられるが、満月はやがて欠けてゆく。するとこの世の出口はふさがれて出られなくなってしまう。三日月になると閉められてしまって、また満月になるまで待たねばならない。その辺を歌にするとどうなるか。面白い発想だけにいろいろ広げて歌になりそうな、歌にはなりにくそうな、しかしそれをうまく発展させれば傑作ができそうな、そんな起爆剤のような一首と思う。(作家。歌人。四天王寺大学名誉教授。著書に『堀辰雄の実像』『谷崎潤一郎『春琴抄』の謎』『あの日は再び帰らず 』など)
菅 沼 東 洋 司
目を閉じて天も地もない果てしない宇宙の闇に体ごと入る(眼裏月)瞑目し、沈思黙考。あるのは闇の世界。精神に安らぎを与えて自己を見つめ取り戻すという禅の境地にも似て、人は一日の業を終えたとき、ふっとそんな気分に浸ろうとするものです。たとえ束の間の安らぎであっても、何かしら明日への活力が漲ってくるのを感ずるものです。現代に生きる人のもっとも手軽にできるストレス解消法でしょうか。私も書斎の窓から外を眺めながら諸々の思いに耽って、自己凝視、自己探求の鏡に浸ることがあります。そこにはブラジルの大自然の広い空間があります。社会から隔離された私だけの空間です。御歌はそんな私のために作って下さったような一首です。考えるゆえに我あり生と死を繰り返しつつ地球は回る(眼裏月)万物の生と死を乗せながら地球が回っているということを改めて納得したことでした。偉大なる大自然の飽くなき輪廻。人間はちっぽけなものです。(作家。ブラジル在)
黒 江 勉
流氷のようにこの世に生きて来ししぶとく後も生きていくべし(眼裏月)
遙かカムチャッカ半島の西域に広がり、北海道東岸に繋がるオホーツク海。それを南下して来る流氷の〈旅〉は川添さんの人生そのものなのですね。私が初めて見た流氷は音でした。シンセサイザーが奏でる和音の一筋の音にも似ていました。岸壁に来てその威容に息を呑む思いでした。海面から怒りを突き上げるように、鋭角、鈍角の氷塊が、二、三米の高さにびっしりとひしめき合っているのでした。しぶとく生きる川添さんの人生にやがて優しく氷解する生きざまもあるのでしょうね。(「網走でお会いして以来、氷点五十年記念にて思いがけなく再会できて、大変嬉しく思いました。三月に肺炎もどきをしたのですが、熱が出なかったので入院せず、点滴、抗生薬で退治することができました。三`体重が減り、いささか高齢者らしくなりました。私は結核で両七年、切った貼ったの手術も数多く、ここまで来られたのは、目に見えぬ大きな力に守られてきたと信じております。これも三浦綾子さんと光世さん、古くは前川正さんに会えたからだと思います。心の思いは体の細胞に賦活力をもたらすのです‥‥」一首評に添えられたお手紙から。平成二十六年四月二十五日、旭川グランドホテルで「『氷点』の五〇周年を祝う集い」があり、参加した時にお会いすることができた。その日も朗読家の松村美智子さんとともに歓談し、翌日は札幌にある道立文学館で、共に若尾文子主演の『氷点』を鑑賞した。彼も父と同じ大正十四年生まれ。)
神 野 茂 樹
フジテック塔の辺りと何処からも見えしが塔は今はもう無し(眼裏月)
エレベーターの実験塔でしたね、確か。あれは何だろうと初めて見たのはいつ頃だったか。なくなったんですねぇ。あるものがなくなるのは寂しいですが、また別のあるものができる。その繰り返しですからねぇ。全首読むと、迷いますので、最初に何か感じるものをと選びました。三首目でよかった。全く〈評〉になっていなくて、すいません。今日は八月十五日、誰もいない事務所で、日がな一日、城山三郎を読んで過ごします。午前中に電話が一本。もう鳴らないことを願いながら。(『大阪春秋』元編集長)
松 村 龍 古
次々に道展かれてペタル漕ぐ小さな未来なれども向かう(眼裏月)
教師たる作者の、ひたむきな思いが伝わってきて、つい楽しくなる。大したことも出来ない(?)のに教師として、ひたすら働いている。そんなドラマチックな姿がよく受け取れる。世の中、総理大臣をのぞいて、みな小市民(笑)みなペタルを漕ぐべし。 (書家。漢詩人『神山)
田 中 由 人
思春期という新鮮な匂いして中学生見ゆ我が眼交いに(眼裏月)
齢をかさねたひとから見ると、「思春期」という言葉それ自体からすでにみずみずしいすがすがしさが漂ってくるようです。溢れんばかりの、萌えたつような活力、エネルギー。新鮮な「匂い」ですね。活性化した細胞の放散、ですね。中学教師の目の前に、圧倒するように匂い立つ「思春期」。宝物ですね。瑞々しいフルーツの山ですね。そんな教室の情景がうかんでくるような一首だとおもいます。ストレートな叙景でしょうが、「思春期」、「新鮮な匂い」、「我が眼交い」という言葉によってすこぶる抒情的な歌になっているのではないでしょうか。(福岡県立八幡高校同級生)
鈴 木 悠 斎
よろよろと歩くゴキブリあまりにも我と重なりすぎて笑えぬ(眼裏月)
ゴキブリを自分自身と照らし合わせるのはおもしろくも哀しいことです。私はバブルで日本中が好景気に沸いていた頃同人誌に「日本ゴキブリ考」なる一文を書きました。日本人はチョコチョコよく動き回る。生命力が強くて長生きだ。風采が上がらず余り美しくない。よって日本人はゴキブリに似ているというような内容でした。今街では余りガラのよろしくない人達が韓国人をゴキブリと叫んで排斥しているようですが、残念ながら、日本人こそゴキブリなのです。川添氏の他の歌にも「ゴキブリを殺してと妻叫びいる因果なことよとあきらめて立つ」(夏残号)とか「容赦なくゴキブリ叩き潰すとき阿修羅のようなしびれが残る」(雨後虹)等ゴキブリの歌が散見しますが、何故日本人はこれ程ゴキブリを嫌うのでしょう。恐らくゴキブリが余りにも自分や日本人によく似ているからでしょう。人間というものは無意識の内に自分と似たものを嫌がるものです。日本人が韓国人や中国人を嫌いアメリカ人が好きなのがその証拠です。ヘイトスピーチの皆様は今一度自分達の姿形そして心をよく見直した方がいいでしょう。(書家。)
園 田 久 行
若き母に強く手を握られしこと幼き頃の思いの一つ(眼裏月)
認知症の母が、病床から手を伸ばして、握手を求めてきた。強く手を握られて、驚いた。その三日後に、母は死んだ。あれは何だったのだろうか。母は私の母であり、私は母の子供である。(古書オランダ屋店主)
高 岡 哲 二
我にしか出来ぬ生き方ばかりにて除外例なき死に向かいいる(眼裏月)
真剣に生き方を考える作者は、「除外例なき死に向かいいる」と詠む。とても大切で避けられないことを、深々と巧みに詠まれていて伝わってくる。〈除外例なき〉から茂吉の一首が浮かぶ。(歌人。朝日新聞大和歌壇選者)
堤 道 子
夢の中なれども我はさまざまな人生歩む味わいながら(眼裏月)夢について人それぞれで、こだわらなければ、そこから何も広がらない。自分の知らない世界を夢であれ体験すると感じたり思ったりすることによって、何かが見えてくるような気がする。現代歌人協会会員、浜田蝶二郎も夢の中のことや死後の世界への関心を歌っている。死よりは戻りしあらねど近似死より戻りしは驚くべきことを言ふ 蝶二郎」流氷記の作者の云うように、生命の終了の後の自分を考えることは、いつまでも残る疑問である。(歌 人)
前 田 道 夫
初恋のときめき訳もない笑い中学生といる嬉しさは(眼裏月)育ち盛り、伸びざかりの子供達と交わることの出来る教師という職業は、この上ない素晴らしい仕事であると思います。癪に障ったり怒らなければならない場合もあるかと思われますが、それを乗り越えた歓びの方も大きいのではないかと思われます。それは次のような作品からも窺うことが出来ると思います。「人生で一番良い時なのだろう中学生とたわむれながら」「中学生に元気をもらいながら生くもう出汁ガラのようにしおれて」これからも生徒達との交わりを通じて歌われるお歌を楽しみにしている次第です。(歌 人。)
松 永 久 子
鈴の音の聞こえて巡礼過ぎゆきぬ祈りつつ人生きてゆくべし(眼裏月)
巡礼と覚しき鈴の音が過ぎてゆく。姿の見えぬその音のみ聞こえて、却って作者を敬虔な思いに浸らせたのだろう。下句への自ずからな思いを詠んだのだと、自他共に人間本来の大事な生きざまを示唆された一首と思う。北摂の空燃えながら安威川の溶けて流るる一筋が見ゆ みごとな夕焼けが安威川の流れに映り、まるで金色に川水が溶け流れる一すじのようだと、美しくも雄大な、そしてやや厳かな或る日の自然の一コマを絵のように詠まれている。そこだけにしかない論理価値観が職員室の会話にもある そっけないようだが、ずばり言い得ていると思う。あらゆる職場に生じている感覚ではないだろうか。定年過ぎてまでこの世界にある作者にして、この批判はさすがだと思う。 (歌 人)
天 野 律 子
魂が吸い寄せられていくような満月この世の出口が見える(眼裏月) 踏切をいかにも急いでいるように電車が走り何処へか去る そうだったんだ。彼が佇っている踏切を急いで通過していったあの電車は、この世の出口である満月へと走っていたのだ。見てはならないものを、彼は見ていたのだ。だが、まだその電車に乗るのは許されていない。いずれはいずれであって、今ではない。それがいつの満月になるのかは知らされていないはずだ。あの電車を見てしまった以上、あの満月の通路を知った以上、彼は少しずつこの世の幻の裏にある永遠について話し始めるだろう。(歌人。「‥‥老、そしてその先にある死の影が、視野を横切る様子がなまなましく捉えられていて共感しました。‥‥」彼女の、添えられた手紙から。)林 一 英
水草に止まる小さなアマガエル目を閉じて今滴くとなりぬ(眼裏月)この歌は、五九号のあまたの歌の中で最も印象に残る歌だった。目を閉じると「小さな雨蛙」がまな裏で透き通る「一粒のしずく」に化するという。あの、色の変わる、しかも小さな、雨蛙でなければいけない。まるで一瞬の魔術のようだが、「目を閉じる」は観想の深化深い内化であろう。かつてなべてのイノチは水から生まれたと聞く。その始原への一瞬の蘇生である。雨蛙は滴くに化し、しずくは再び雨蛙にかわる。生物発生への始原への思いもはせられ、印象に残る歌でした。庭先に一木輝く木瓜の花開きすぎたるままに咲きおり 薔薇科の落葉低木、木瓜。わが庭にも、かつてその木はあり、鮮紅、淡紅、その花の色は今も記憶に新しい。歌人はその花の満開の咲きぶりを眺めて「開きすぎたる」とみる。その木瓜はたった一本。「輝く」ように咲いている。咲き過ぎたことを惜しんでいるのであろうか。そうではあるまい。咲き過ぎてなおそのまま咲き続けている木瓜の生きる姿を「輝く」と讃え、賛美しているのであろう。極限まで生きてなおまだそのまま美しさを保ち続けようとするこの一本の花木の強靱な生命力。それは美の極限であり命の極限でもあるのだ。 (歌 人)
利 井 聡 子
魂が吸い寄せられていくような満月この世の出口が見える(眼裏月)
真空のような月。魂が吸い寄せられるようだと感じた作者。月の貌は、見上げる者の心の状態によって様々な表情を見せる。それはさておき、「この世の出口が見える」というフレーズにお喋りがしたくなった。「出口」それは、もう一方から見れば「入口」である。一軒の家の玄関でも来客側からすればそこは「入口」であり家人からすればそこは「出口」なのである。病院の玄関でも、患者が訪れる時はその玄関は「入口」であり、入院患者からすればそこは「出口」。見方によって表から見る時と裏から見る時とでは全く違う作用をしていると思うのである。作者がこの世の「出口」と見た月の面も、彼岸からの死者を迎え入れる「入口」とも読むことが出来るのでは‥‥等と楽しく思い巡らせた一首である。(歌 人)
森 妙 子
フジテック塔の辺りと何処からも見えしが塔は今はもう無し(眼裏月) フジテック塔の見える辺りに居住されていると思われます。その辺りに、若い頃主人が住んでいたそうです。時経て、娘の結婚相手がフジテックの社員でした。今は離婚していますが、孫娘は父親とメールなどして仲良くしているようです。時代の移り変わりを思い、あの塔がもう無いというのは感慨無量です。特に惹かれたうたをもう二つ。若き母に強く手を握られしこと幼き頃の思いの一つ 丸井戸を覗けば常にくっくりと満月見える少年期あり 昔々、古井戸の中に満月を生け捕りにしたような思いがありました。(歌人)
横 山 美 子
はらわたのように置かれたポリ袋三羽のカラス執念くつつく(眼裏月)
私は、いきなり最初の歌に心打たれました。「はらわたのように」とあるのは、ゴミの入ったポリ袋のことなのでしょうね。食べ残しの食品がたくさん入っているのでしょう。そこへカラスがやってきて突くというよく見かける光景でしょうが、このように詠われると、この「はらわたのようなポリ袋」は、われわれの内臓を詠っているかもしれないと思わせてしまいます。われわれの傲慢な食生活を揶揄しているようにも読めてしまうところが怖いと思いました。(歌 人)
山 本 勉
中学生に元気をもらいながら生くもう出汁がらのようにしおれて(眼裏月)
川添先生から見れば、出汁がらのようにしおれているのは私である。幸いにも先生は、生徒たちの横溢した元気の中で教鞭を執っておられる。だから時には自分も中学生の年代に戻ったような気持ちになるのだろう。教師という素晴らしい天職を持たれて、幸せな職業だなと羨ましく思う。思春期という新鮮な匂いして中学生見ゆわが眼交いに 歳をとれば、そういう時代もなつかしく思い出します。(歌 人)
池 田 裕 子
切れ端のようなわずかな時の間を今生きている死を待ちながら(眼裏月) 本当にそうなのだ。なだらかな坂道を緩くり歩むときの静かな時の流れと、早く早くと急かされて居るとき、それだけで気弱な私など血圧が上がりドキドキが始まる。心を調える、深呼吸をしながら生を自覚する時の切れ端とはよくぞと思う。イプシロンを打ち上げる時代、米国のボイジャー号が太陽圏外である星間空間と呼ばれる未踏の領域に入ったと知る現在、何百億単位と距離と時間を想うとき、人生そのものが時間の切れ端を生きているのであり、一番遠くにある死だけが永遠であるからその瞬間への不安、期待が常に存在するのだ。今生きている死を待ちながら‥‥である。(歌 人)
弦 巻 宏 史
クチナシの花洗うごと雨が降る白き光沢鮮やかにして(舌海牛)
白なれど色鮮やかな梨の花そぼ降る雨にしめやかに降る(眼裏月)
あなたの多くの作品の中で、特に自然詠に魅かれ共感しています。それは私自身が自然こそ風雲や様々な災害に耐え、よく調和し営々と生きた姿であり、飽かず迫るものを持つ芸術だといつも想っているからですが、この二つの歌はとりわけ、その白の美しさが際立っていて心が洗われます。白にも多様な色調があり、更にそれぞれの花のささやかなグラデーションが素晴らしいものです。それらをイメージしながらひとつひとつの短いいのちに寄り添い鮮明に詠いあげる作者の心根の優しさを想います。他の歌の随所に今日教育現場のご苦労やその中で生徒たちを心豊かに育てていられる実践とその成果である生徒たちの感性と鑑賞力にも敬服致しました。(網走二中元教諭。北方少数民族博物館『ジャッカドフニ』館長。『オホーツク街道』では網走で司馬遼太郎を案内、ゲンダーヌや中川イセのことを紹介。「弦巻さんは、広い額をもち、高い鼻梁に度のつよい近眼鏡をかけて、背は低からずという感じで、都会ふうの紳士である。」)
井 上 冨 美 子
足下にヒトリシズカの花咲けば後ずさりしてしばし見ている(眼裏月) 我が家の庭石の半日陰のところで毎年元気よく咲いてくれていますヒトリシズカ。宿根草で素朴な様子の趣の深いものだけに、山草として鉢植え・ロックガーデンの一角などに植えられたり、また茶花としても多くの方々に愛用されています。葉脈のはっきりした光沢のある深い緑の四枚の葉が、ほとんど輪生するように相接してついています。桜の花が咲く頃、中心から三センチ前後の花穂を一本立て、花は小さく花被がなく、雄しべは一個で、花糸が三本に分かれて水平に出て白い糸のようです。葯は外側の二本の花糸につき、中央のものにはありません。この花をみかけたら、どの人もきっと、この短歌のように、後ずさりしてしばし見ている‥‥このような気持ちになるのではないでしょうか。ヒトリシズカの立ち姿は、まことに凜として、見る人に、前向きに生きる力を与えてくれます。大好きな花です。(網走二中元教諭)
小 川 輝 道
鈴の音の聞こえて巡礼過ぎゆきぬ祈りつつ人生きていくべし(眼裏月)
生と死と向きあい、人々はさまざまな形で祈りの心とともに生きてきた。静かな音色とともに巡礼者が遠ざかっていくのを感じながら、人間が生きていくことの深さとそこに表れてきた祈りの心を作者は受け止めている。たくさんの作品の中で珠玉のような一点として共感をもった。かつて窪田空穂が「鉦鳴らし信濃の国を行き行かば」と母を憶い祈りにこめた明治の人の作品の境地と重なるものを感じた。次は、こまやかな自然への観照と静かな没入の姿を感じる佳作と思う。鮮やかな土となるべく梅の花ひとひらひとひら吸い込まれゆく (網走二中元教諭)
柴 橋 菜 摘
はらわたのように置かれたポリ袋三羽のカラス執念くつつく(眼裏月)
ズバリ「はらわた」と言われるとドキッとする。まさに人の欲の残骸のごとく、道路に積み上げられているゴミ袋。それを嘲笑うようにカラスが突き破る。慌てて人間は網をかぶせたりあれこれ策を弄しても追っつかない。自分のカラダを暴かれうろたえるのだ。そのポリ袋に、自分のはらわたが入っていることを、私は忘れていた。パソコンには無数の悪が詰まりおりどんな悪かと覗きたくなる(幸紐絡)パソコンはもちろん、携帯電話も使わない私は、パソコンの悪を覗くことはない。いろいろなサイトのトラブルを耳にするにつけ、私のついて行ける世界ではないと感じる。確かに便利だ。瞬時に連絡が出来、情報が手に入る。しかし古い時代の頭には、どうも便利だ、早い、が胡散臭い。とは言え、そのお世話になっているのも確か。いつしか私は変人になっている。そして不器用な時代遅れが、どこまで通用するか、このまま遊んでみようと思っている。紫陽花の葉の下の闇昆虫と小人の棲まい人に知られず(舌海牛)セカセカした社会の流れの中で、紫陽花の葉の下にファンタジックな世界を感じることができるのは幸せだ。事実私たちが気付かないだけであるかもしれない。今度我が家の八つ手の葉の下などよくよく見てみよう。バーチャルの画面に夢中な人間が増えていく。それが不気味でどうしても相容れない。小さな花、小さな虫、それらの気配を感じ、一緒に生きていることを実感して欲しいのだが‥‥想像力が欠如していくように感じている。(奈良県高田市在。十月四日に大阪シナリオ学校後援落語会「CRおさんの会」に彼女作の『買い取り屋』桂蝶六が演じられる。)
若 浜 修 一
思わねば思わぬままに迎えねばならぬ不可避の死を思いおり(幸紐絡)
七月、可愛がっていたバーニーズのハナが、わずか八歳の誕生日を迎えずに、ひとなつの吹き抜ける風のごとくに逝ってしまいました。今だにこの喪失感から抜け出せず、あの時叱らなければ良かった、又あの時、もっと強く抱きしめ撫でてあげれば良かったと、後悔と自責の念で一杯です。しかし、死んでからではすべて叶いません。今でも、ヘッヘッと鼻息荒く、僕の下お近くに寄って来るのを感じる気がします。せめてあと数年で良いから一緒に生きて欲しかった。ハナにもう一度会いたいよ!ハナよいつか必ず会おうね。(お手紙から。「‥若い頃から夭折した方々、音楽家、作家、歌人など、その無念さを読み取ろうと、色々、レコード、本等を集めておりました。そんな中でたまたま、安土多架志、小野茂樹、坂田博義など、わずか一冊くらいしかない歌集まで手を出していました。今回、川添さんが坂田博義の歌集の編集をなさり、その付記をお書きになってを知り、その出会いの不思議さに改めて驚いた次第です。‥」)
中 島 タ ネ
五十年昔のことが鮮やかに今よみがえる昨日のように(眼裏月)
今考える時、五十年といえず、もっと昔、子供の頃まで、鮮やかに心の中にある。体育の若い素敵な先生に憧れ、バレー部に入り、部員皆で騒いでた、楽しかったあの頃、卒業して戦後は、親に背いて京都に行ったり、総て思えば波瀾万丈の人生でした。初恋に別れがあり、悲しい恋があり、会社のことなど忘れられない人との出会い、別れがあり、たくさんの人との出会い、旅行など、いろんな思い出が走馬燈のように心を駆けめぐり、みな昨日のようです。この歳になり、いつ死んでもよいと思う時、自分を振り返りながら、川添一お父様の御本にありました「幸せはあなたの心の中にある」いいお言葉です。こうありたいです。(福岡博多区在)
畠 山 眞 悟
大方は不幸なニュースばかりにて見つつ聞きつつ夕食進む(父無夏)五十代以降、碌なことがない、自身は入院、自宅療養、早期退職、娘はもやもや病で倒れICUで一週間生死の境をさまよいなんとか一命をとりとめる。三十を過ぎた息子は今も引き籠もりを続けていて先の見通しはない。四十年の教員生活を終えたが、また半日ほど働きに出るようになった。死ぬまで働き続けて死後には何も残らないだろう。人生というのは理不尽で不幸なニュースばかりである。それでも「一切皆苦」と心の底から納得できるようになって、明るく毎日を過ごせるようになった。勉強は楽しく面白い。山に登れば雄大な自然に心うたれ私事の悩みも吹っ飛ぶ。ギターを弾けばルネサンスから現代まで五世紀に渡る音楽を味わえる。自転車で時速三十qを超せば風になれる‥‥。あんがい捨てたものでもないのだろう。(元中学校教員。歴史のことに詳しく、養精中学校当時、彼からたくさんのことを学んだ。中でも、多賀城碑の存在が明治になってはっきり否定され、現在確かな存在であることが証明されたことは、僕の『ぼろ塚』での宿河原や、『徒然草』にある兼好の見た一言芳談についての考証を後押しして下さり、進めることが出来た。)
大 戸 啓 江
思春期という新鮮な匂いして中学生見ゆ我が眼交いに(眼裏月)
教師という仕事をしていると、中学生のあまりにも未完成で浅はかな思考に常に驚かされ、感動させられもします。私が先生のクラスにいた当時、私も新鮮な匂いを身にまとっていたのでしょうか。自分で考えるということも出来ない、ただ生かされていた時代。自分の可能性を知ることすら出来なかった時代。今になりようやく中学生という時代は、新鮮で可能性に満ち、最も輝く時代なのだろうと感じています。近頃、新鮮な匂いを(良くも悪くも)惜しげもなく振りまく彼らと関わることの出来る教師という仕事をしていることに喜びを感じることが多くなりました。(舞鶴市の中学教師。かつての教え子だが僕を見て教師になるのを決めたという。先日は彼女の娘さんが体操の競技に出場し、そこにかの田中章ちゃんがいたようで、声を掛けたと手紙が寄せられていた。いろんな縁が絡まっていて面白い。)
山 崎 響 子
悔しさと不安をバネに生き生きと過ごせたとふと思うことあり(眼裏月)
この歌は、私の三倍近い年月を生きてこられた川添先生だからこそ言えることだと思います。私は悔しいことや不安なことがある時には、きっとこのことは未来の自分にとって必要な試練なんや、これをバネに成長してやる!と自分に言い聞かせながら乗り越えてきました。この歌を読んで、今まで経験してきた、そしてこれから経験する悔しさや不安がどのような形で川添先生のように実感することが出来るのか、楽しみになりました。この歌を読むと、これからの様々な試練に立ち向かっていけそうな気がします。面白くなければ流行りの歌といえど我に関わりなしと思えり(専待春)私が中学生の時に一首評を書かせてもらった歌が、六年経った今ではどのように感じるのかと思い、この歌を選びました。大学三回生になった今、流行や噂に流されることなく、自分が面白い、良いと思うものを求めて生きていけている気がします。私は今年から就職活動という人生の中でも大きなイベントを迎えます。私は周りの友達とは少し違う道を歩むことになりそうです。周りの友達が皆こうだから、じゃあ私も‥‥と流されることなく自分としっかり向き合い、自分の意志をしっかりと持って就職活動に臨みたいです。中学生の時と根本的な考え方は変わっていませんね(笑)(茨木市立西中学校卒業生)
広 瀬 礼 子
丹前や浴衣や着物着て通る下駄の音して過去よみがえる(眼裏月)丹前と聞いて、私は初め分からなかった。たぶん着物のようなものだろうと思った。おそらく私のように、どんなものなのかすぐに頭に浮かぶ若者は少なくなってきているんだと思う。それだけ時代が進歩し、昔の(日常的な)ものが現代から薄れてきていると感じさせられた。この一首を読んで、昔は浴衣や着物が当たり前だったことを感じさせられた。そう思うと、今では夏祭りの時ぐらいしか浴衣を着る機会がないのは残念だ。(茨木市立三島中学校卒業生)
上 柳 良 太
一週間あっという間に過ぎていて未来も残り少なくなりぬ(眼裏月)
僕はこの歌が現在の自分にとてもよく当てはまると思って選びました。川添先生はこの歌を詠んだ時、「未来」というのは「死」が近づいていることを表していたのかもしれません。ただ、この歌のいいところは聞き手によって連想されるものが変わってくるところにあるのではないでしょうか。今年が受験生である僕にとっては、残り少ない「未来」というのは、テスト本番までの時間です。受験勉強というのは毎日が濃く、長く感じますが、一週間として考えると、「もう一週間か」と、とても不思議なものです。ただ一つ言えることは、誰がどのようにこの歌を解釈しても「未来」までの時間というのは、今の自分にとって一番大切な時間を連想するはずです。自分にとっての大事なことを再認識させ「未来」への計画を立てられる、そんな歌だと思います。 (茨木市立三島中学校卒業生)
松 田 純 奈
目つむれば無数の流れ星が見ゆいずれは我も星となるべく(眼裏月)
この一首を読んだ時、はじめは少しさみしい歌かなと思った。でも、よく考えてみると、とても奥が深いと感じた。人はいつかは星になる。でも、この歌にはいつか星になる日が来るまで精一杯生きようと強く思う気持ちが表れていると思う。私は、どんなときも前向きに空を明るくさせる星のように多くの人を幸せにさせられる笑顔でいつも輝いている存在でいたいと強く思った。(茨木市立養精中学校卒年生)
秦 亜 美
亜美の透き通った美しい声が満月のごと心に沁みる(眼裏月)この歌は、私の思い出の歌です。先生が作ってくれたというのもありますが、先生が今でも私の夢を応援してくれているというのがとても嬉しいからです。この歌のように、美しい歌声をたくさんの人に、そして先生に届けられるようにがんばります。雨に濡れ輝きながらアスファルト歪つに街の電柱映す 私は、最初この歌を読んだ時、雨上がりの昼が思い浮かびました。雲の間から出ている太陽の光と、その光を受けて街を映すアスファルトの上にある水溜まり、そんな何気ないふとした瞬間が一番素敵で美しいのかもしれないと思います。(茨木市立養精中学校卒年生)
森 亮
眠るたび死んでは朝に生まれくる命と思えば一日は楽し(凍雲号)朝、起きて「あっ、今日熟や、嫌いな授業もある。めんどくさいなぁ!」と思ってダラダラと一日を過ごすことがよくあります。正直、一日なんて自分の人生の中のほんの一部分だと思っていました。でも、この歌は、一日を[生き物]として捉えていること、それを意識して一日を過ごせたことを〈楽し〉と、満足感を持って表現されています。このような発想が僕は出来ません。周りから「現実感ありすぎ」とよく言われるし、自分でもそう思うからです。このような想像力で現実を見ていくことも大事なことだなと思いました。地の果てまで続く氷原くっきりと満月そこに在るように浮く(小秋思)視界いっぱいまで広がる氷原。そしてそこに一体化するかのように出ている月。想像するだけでも、とっても素敵ですよね。僕ならそんな情景を見たら「すげぇ!」で終わると思います。そんな感動的な光景を短歌にしてしまう当時の先生が、どれだけ短歌作りに熱中していたかが分かります。きれいな情景が描かれているこの歌、かなり気に入っています。桜咲き舞い散る花を浴びて行くああ父母はこの世にいない(父惜春)父と母が生まれ、いろいろな人生をたどり、この世から去った二人の人生と、桜が咲き、風に吹かれ、舞い散るようすを重ねていることが、妙にマッチしているのがいいなぁと思いました。また、二人の人生が咲き誇る桜のように美しかったことを表しているのでしょう。でも、もう一方で、人の命は桜が舞い散るほど簡単になくなるものだとともとれるので、明るい理想と暗い現実゛共存できているが不思議です。(茨木市立東雲中学校三年生)
近 藤 沙 雪
一週間前が昨日のように見え時間が呆気なく過ぎていく(眼裏月)
この歌には、私の日常がぴったり当てはまっていると思います。私の場合、行事など楽しいことがあると、時間があっという間に過ぎていく気がします。そして、「もう一週間経ったんだ」と後々しみじみ思います。楽しいことがあるときは、特に時間が目にも止まらぬ速さで過ぎていってしまいます。私はこの一首を読んで、時間をどんな時でも大事にしていかないといけないな、と思いました。(東雲中学校三年生)
卜 部 響 介
フジテック塔の辺りと何処からも見えしが塔は今はもう無し(眼裏月)僕はこの歌を読んで、川添先生は何かとフジテックに特別な思いを抱いていると感じました。なぜなら、前にも「フジテックジテックテックとなってゆき今クの半ば塔崩れゆく(迷羂索)」などの歌があったように、フジテックについての歌をいくつか作られていたからです。僕も、これらの歌に共感できる部分があったのでこれを選びました。実際、自分のマンションからフジテックが崩れてゆく姿を見て残念だった気持ちを、この歌を読んで思い出しました。フジテックの塔はなくなってしまったけど、先生の歌で、その頃のことを昨日のことのように感じることができます。(茨木市立東雲中学校二年生)
川 端 麻 友
その笑顔見るたびほのかに温かい優しい気持ちが湧き出でてくる(眼裏月)この一首は、いろんな、たくさんの人の笑顔のパワーが表現されているんだと思いました。人の笑顔ってすごいです。優しい気持ちが湧き出てくる、書いてあるとおりです。私は、ほかの人にもパワーを与えられるように、ずっと笑顔でいたいです。たくさんの人が優しい気持ちになってくれるといいなと思います。そういうことを考えて、笑顔は大切。なのでこの一首を選びました。とても良い歌だなと思いました。(茨木市立東雲中学校二年生)
西 村 香 澄
桜花波立ちながら海中の憂いに沈み我が歩みゆく(新緑号)この歌を読んだとき、最初は意味がよく分からなかったけど、桜の木の下を歩いている時に桜が揺れて海の中にいるような、そんな情景が思い浮かんできました。桜花という春の季語と海中という夏の季語が入っていて、不思議な雰囲気で、とてもきれいだなと思いました。憂いという言葉にも深さを感じます。私は自然が好きなので、桜花と海中という言葉が入っているこの歌に魅力を感じ、魅かれました。私もこんな景色のある場所へ行ってみたいと思いました。先生のこの歌を見つけて本当によかったです。私もこんな歌が作りたいです。(茨木市立南中学校三年生)
松 田 風 瑞
もういいよ死んでもいいよと苦しみの母見て思う励ましながら(悲母蝶)
ものすごく悩んで選んだ作品なんですが、何よりすごく心打たれたし、私の祖母が亡くなる前日のお見舞いの時を思い出しました。息がすごく苦しそうで、点滴の針がとても痛々しかったけど、私の話をうれしそうに聞いてくれた祖母のことをすごく思い出させてくれた作品でした。この時の先生はすごく絶望的な気持ちだったんだろうなと思いました。この作品は人の命の尊さを感じさせてくれ、どの人も、亡き母や父のことを思い出すような少し切ない作品なので心惹かれました。 (茨木市立南中学校三年生)
岸 上 万 紘
花びらが落ちてしまえば鮮やかに若葉桜木光をまとう(幸紐絡)
作者の歌はその数も多く、またジャンル分けすると、生死、現代、自然、人間観察などという感じになるが、私はそんな多くの歌から、この歌を選んだ。なぜなら若葉という言葉が心にとても響いたからだ。若葉の緑色は、私は、初夏を感じさせる色だと思う。四月に「春だよ」と伝え、花が散ってしまった後で、「もう初夏になるよ」と伝え、ちょっとした季節の連絡網のようである。桜には昔から死体が埋まってると言われるが、本当にたくさんの死体が薄桃色綺麗な花をつけるのだろうか。私はそうは思わない。桜はこの歌のように花を落とし〈光をまとう〉姿が最も美しい。(茨木市立南中学校三年生)
山 鹿 大 空
呆気なく母亡くなりて一枚の遺影に見つめられつつ暮らす(槌の音)
お母さんが亡くなったことの悲しみに負けないように暮らす先生の姿が思い浮かびます。僕も今年の五月、祖父が病気で余命が一年もないと医者に言われました。「何でよりによって僕の祖父が死ぬんだ」と思うけど、誰にでも最後は来るものだと自分に言いきかせるようにしています。祖父は野球が好きです。だから僕は高校に入って野球をしたいと思います。この歌の先生のように、悲しみに負けないように、この地球から天国にまで届くような熱いプレーを野球でしてみたいです。 (茨木市立南中学校三年生)
足 立 塁
ものなべて虫の音となり燦々と星の輝く深夜となりぬ(秋沁号)
満月の夜、いろいろな虫の鳴き声が聞こえる。家のベランダから唯一、こおろぎの鳴き声だけが僕の耳を震わせて、いつまでも僕の心の中に語りかけるようだ。斎藤茂吉の歌に「死に近き母に添い寝のしんしんと遠田のかはず天に聞こゆる」というのがあるが、燦々と輝く星が語りかけているかのように、夜空いっぱいに響いて鳴いているこおろぎの澄んだ声が自分の周りで、いつまでも語りかけてくれ、いつの間にか眠りに就いている自分の姿と重なってきた。
(茨木市立南中学校三年生)
池 田 匠 吾
新雪を踏めば大きく音のして命の一歩こだましていく(渡氷原)
北海道の広い大地に降り積もる雪、辺りは誰も足を踏み入れていない一面の銀世界である。何も音がしない静寂の中で足を踏み出すと「ザフッ」と大きく力強い音が響き渡る。この音は命の音で、この力強さは生命の強さです。そして銀世界は大きな音を飲み込み、再び静寂が訪れます。自分が動くたびに大きな音がして動かない時に見せる自然の静寂の対比、さまざまな音であふれた現代社会では感じられない音と空間を、先生は体験したのだろう。僕も銀世界の中で命の音を聞き、自分と向き合ってみたいと思いました。(茨木市立南中学校三年生)
鎮 谷 美 玖
雨の後しばらく虹の観覧車見ており二人手が触れている(金木犀)
私の頭にいろいろな情景が浮かびました。この何ともいえぬ穏やかな短い言葉の連なりがとても好きです。「二人手が触れている」手を握ると書くんじゃなくて、触れているとこがすてき。「触れている」から二人の気持ちも読み取れるような気がする。恥ずかしいけど、好きな人の指から伝わる鼓動が心地よい。そして二人は、この幸せな時間がずっと続きますようにと、観覧車のような虹に願いを込める。 (茨木市立南中学校三年生)
西 濱 有 人
ゾウリムシ二つに裂けて若くなるそんな素敵な生き方もある(秋徒然)
とてもユニークな歌だと目に留まりました。一年生の時に自身が細胞分裂して増えていく生物については学びましたが、先生に「今生きているゾウリムシは今まで一度も死んでいない。それは人間の爪のようなもので、生まれ変わり生まれ変わりして変わらぬ爪のままこのようにある」と説明されて成る程と思いました。このような見方でいろいろな事を見ていくと、思いもかけぬことが発見されて嬉しくなります。この歌に出会って、こんな面白い歌もあるのだと、特にゾウリムシという普段あんまり触れない言葉に面白さを感じました。
(茨木市立南中学校三年生)
塚 田 瑞 穂
明日が来るのを待ちわびる確実に死が近づいてくる筈なのに(幸紐絡)
私は、明日や楽しみな日を、日に日に待っています。だけどその分、死が近づいているという事を改めて思いました。まだ十四歳だけど、あっという間に大人になるんだなと思ったり、ついこの間まで小学生だったなと気がします。つまり、あっという間に大人になるという事は、半分人生が終わったと、大人になって言うのかなと思いました。なのでこういった思いから、この歌はすてきだなと強く感じさせてもらいました。(茨木南中学校二年生)
水 野 日 葵
春の土手輝く緑敷き詰めて踏めば小さな草立ち上がる(渡氷原)いつも何気なく踏んでいる草々は、私が知らないうちに立ち上がっている。そんな様子が、頭の中で思い返され、踏まれた草々の気持ちを考えてみる。私だったら〈痛い!〉と思うけど、草は体がやわらかいから、痛いとは思わないのだろうか‥‥。春の土手に敷き詰められた一面の緑は、見ると私に癒しを与えてくれる。そして、踏まれてもすぐに立ち上がる小さな草のように、どんなことがあっても、くじけずに頑張っていこうと思う。(茨木南中学校二年生)
松 浦 壮 汰
眠るたび死んでは朝に生まれくる命と思えば一日は楽し(凍雲号)
一般的に、命というと、〇歳からから心臓が永久に止まるまでを指す。しかし、この歌では、朝起きた時に生まれ、夜寝る時に死ぬと考えている。そう思えば一日は楽しく美しいという考え方は、命というものを別の視点から見ている。その視点がすごいと思った。僕はいい意味でそんな常識を逸脱した考え方はできない。だから、僕も早くそんな格好いい考え方の出来る感性になりたいです。 (茨木市立南中学校二年生)
上 村 尚 陽
この空に虹が架かればいいのになあ思いて虹を描きつつ見る(雨後虹)
あの空に虹があったらどんなにいいだろう。自分の目の前に虹が架かったらいいなあと思うことがあったことを思い出させた歌です。自分の想像で虹を描くという。もし目の前に虹があれば空想だけでなく、本当の姿が見られればいい、本当の虹もいいけど、自分の考えた虹もいいと思います。でも、さらに、その自分の描いた虹よりももっときれいな本当の虹を見ることがきっとあると思います。そんな想像をしているうちに楽しくなりました。
(茨木市立南中学校二年生)
野 中 琴 乃
人の好い生徒がいつも引っ掛かる問題少しひねって作れば(燃流氷)
まじめでとても熱心に授業を受ける友達がいるのですが、少し複雑な問題に見事に引っ掛かって間違ったことがありました。一方で、いつも授業にうるさい人が正解になり、複雑な思いになったことがありました。この、歌は以前に一度、実際にあったことなので、目に止まりました。この歌は、何回読んでも、その通りだなあと感じさせてくれます。人の好い生徒が先生は好きなんだなあというのもよく分かります。私もこんな短歌を作ってみたいと思うようになり、短歌に興味が湧きました。(茨木市立南中学校二年生)
林 紗 矢
星ふりて夜は冷たく流れいん水平線の見えるガラス戸(夜の大樹を)
この歌を聞いたとき、はっきりと水平線と星が見える、そんな鮮やかな絵のような光景が目に浮かびました。この歌は夏でも冬でもよく、口ずさむたびに、いろいろな想像ができます。私自身、星などの天体系が好きなので、「星ふりて」という言葉の響きが素敵で、水平線という言葉にも惹かれました。先生もよく覚えている歌で好きだと言っていました。何度も口ずさんでいきそうで、これからも忘れられない歌になりそうです。(南中学校二年生) 古 川 穂 乃 花
雨後なれば虹鮮やかに立って見ゆ幸せは今生きていること(雨後虹)
この短歌に出会う前、今命があって生きていることはすべて当たり前だと思っていました。「幸せは今生きていること」という部分に、大きな感動をもらいました。ずっと私は、生きていることを幸せと思わず、適当に過ごしていたところもありました。命があること、生きていられることに感謝して、一瞬一瞬でも悔いなく終われる一生にしたいです。(茨木南中学校二年生)
田 辺 成 美
春の土手輝く緑敷き詰めて踏めば小さな草立ち上がる(渡氷原)
私はこの歌にすごく惹かれました。百首見ている中でもこの歌が私の目に留まりました。この歌での情景が目に浮かびます。春の土手には草がたくさん敷き詰まっています。その中には雑草もあれば花もあります。しかし、踏まれても立ち上がる根強い草があると書いてありました。人間の中にもいろんな人がいるし、その中でも頑張っている人、根が強い人が生き残れるんだということををこの歌から感じました。 (茨木南中学校二年生)
前 原 直 幸
ゾウリムシ二つに裂けて若くなるそんな素敵な生き方もある(秋徒然)
人間という観点を捨てて、ゾウリムシの観点から、生き方を書いたところが好きです。人間なら一度きりの人生で、死に向かって歩いているけど、ゾウリムシは進歩せずとも、その形をずっと保ったまま生きているところが、人間とは違った一つの個性だと思います。人間は時代とともに進歩しながら道具を発明し使用していながらも、その明るい世界の反面、死を怖がっている。そんな人間とは正反対の生き方で生きているゾウリムシを私も素敵だと思った。
(茨木南中学校二年生)
岩 田 一 輝
安威川を上る明るい蛇が見え電車も川面も物語めく(桜一木)
夕方、橋の上から安威川を見ると、上流に向かって、川が蛇のように光ってくねくねと続いて見えます。そんな川面を蛇だと感じたとき、その景色の中を通過していく明るい電車も、物語の一つのシーンのように見え、何か素敵な気持ちになります。ぼくもそんな景色に出会ったことがあるような気がして、この歌に目が留まりました。 (茨木南中学校二年生)
尾 澤 凜 太 朗
優しくて礼儀正しく温かい生徒に接することのよろこび(花びら)
生徒に接することが何より自分に対しての喜びに感じる先生、教室に入るととたんに元気になって大きな声で授業をしてくれる先生、自分もそんな先生の生徒だから、この歌に書いてある「優しくて礼儀正しく温かい生徒」のようになりたいと思いました。もっともっと先生に近づけるように努力したいです。この優しくて礼儀正しく温かい生徒にも出会いたいし、自分もこんなふうによろこびや優しさを感じながらこれからの人生を過ごしたいです。
(茨木南中学校二年生)
松 井 優 希
目つむれば指紋のような夜になる海はさびしきもの呼びていつ(夭折)
目をつむれば指紋みたいな海になるというのがとてもいいなあと思いました。海は海でしかなく、夜の海はさびしさだけを呼んでいて、目をつぶっても指紋のような謎の模様があるだけというのが印象に残りました。不思議な感覚があり、先生がまだ十代の時に作った歌だと聞いて、何か妙に共感するものがありました。 (茨木南中学校二年生)
小 澤 俊 吾
山中の白き一筋那智の滝見ゆるは常に新しき水(那智滝)
「見ゆるは常に新しき水」という言葉に、はっとしました。いつも同じように見えている白い那智の滝も、常に水は入れ替わっていて、新しい水を見せていること、書いていることは当たり前のことだけど、そのことに気付いて、はっとなりました。思えば、川の水もいつも流れていて、僕らが見るのは常に新しい水です。川だけでなく、この時間だって、今だって、次々に入れ替わっていて、新しい時間の中にいるのです。そんな不思議な発見にびっくりしてそして嬉しくなりました。
(茨木南中学校二年生)
土 井 優 輝
雪解けの冷たき水を飲みて咲く桜花びら星のごと降る(桜伝説)
冬の寒いときに降った雪が春になり雪が解けて、その水を飲んできれいに咲く桜の花びら、とてもきれいな絵のような風景、桜の花びらがいっぱいにいつまでも散って、まるで映画のかぐや姫のような華やかな動きのあるシーンが浮かんできました。桜の花びらでいっぱいになったピンクの川に鳥が泳いでいる光景も僕の中にはあります。 (茨木南中学校二年生)
高 本 晴 輝
何もかも空がリセットしてくれる雲ゆったりと動きつつ見ゆ(舌海牛)
雲はずうっと動いていて、その時見た雲の景色はもう二度と見ることができないので、雲がリセットしてくれたと気付きました。この「雲がリセットしてくれる」のフレーズがいいなぁと思いました。今という時間が二度と来ることがないのも、流れている川の水が一瞬一瞬、違った水であることも、当たり前のことだけれど、いろいろ考えるとおもしろいです。この歌の中にも、そういう色々な不思議を見つけることができ、短歌の鑑賞も楽しいです。 (茨木南中学校二年生)
坂 本 晴 一
いいように言われて黙って来たけれど僕には僕の言い分がある(紫陽花)
今まで我慢してきたけれど、もう堪忍袋の緒が切れたという気持ちがよく伝わってきました。人間は誰しも我慢して生きているけれど、先生はよっぽど我慢して生きていたというのがとても身に沁みました。僕にもこの歌と同じ我慢を結構してきた身なので、とても同情し、心の中で「その通りだ」と何度も繰り返してしまいました。そして、こういう日常的な感情も歌にできるというのも知って、とても参考になりました。この歌をこれから心に刻んで生きて生きたいと思います。 (茨木南中学校二年生)
高 田 百 華
名も知らぬ草に束の間しがみつき雨宝玉となりて輝く(夏残号)
雨の日の道ばた、いつもだと気付かない光景に驚く。雨粒が着いてきらきらと輝く草に目が留まり、その輝きに目を移すと、無数の宝石のような丸いきれいな玉が輝きながら必死にしがみついている様子を夢中になって見ている自分、そんな光景だ。何気ない日常の風景、その中の一つだけを切り取ると、私たちの生活はこんなにも美しいものに囲まれているのだな、とこの歌に気付かされた。特に好きなところは「しがみつき」という三句目のところ。雨が宝玉に例えられているのに名も知らない草にしがみつくというのが可愛らしく感じられました。一瞬で過ぎていく自然のいろんな表情をこの歌のように五感を研ぎ澄まして感じられるようになりたい。(南中学校二年生)
小 関 悠 太
優しくて礼儀正しく温かい生徒に接することのよろこび(花びら)
優しくて礼儀正しくて温かい生徒に接することが、先生にとって生き甲斐なのだと思った。真面目ではない生徒に接するともう教師やめたいなとか思うかもしれないけれど、先生はクラスの全員の生徒に温かい目を向けてくれているのがよく分かります。それでもこの歌に書いてあるような生徒に接すると、本当に教師をやってきて良かったとしみじみ思うのだろう。自分も先生にこんなふうに思われる生徒になりたい。 (茨木南中学校二年生)
西 川 里 穂
重そうな机がひとつふかぶかと小さくなりぬ不意の夕暮れ(夭折)
中に教科書がぎっしり詰まった机が一つあって、夕暮れの不安定な空間のなかで、少しずつ小さくなっていく、夢の中で見たような、不思議な光景が浮かびました。先生が歌を作り始めたばかりの十代の作品で、私の感性と近いのだろうと共感した歌です。こんな、現実にはあり得ないような風景も歌になるのだなぁと感動しました。この歌を見たときの驚きはすごかったです。 (茨木南中学校二年生)