流氷記一首評
中  村   桂  子
壊れないように大事にゆっくりと豊かで楽しい夢を見ている(夢徒然)
久しぶりに送っていただいた流氷記を読み、自然体で生きることが更に進んだと思いました。本当に大事なことです。お金や権力に縛られて右往左往する生き方にしたくない。そう思わせる事が多くなった世の中だけに、素直に生きたいと思います。夢は誰にも邪魔されませんし、大事な世界です。ゆっくりと豊かで楽しい夢。本当は社会がそうあって欲しいと思いますが、「夢の中に忘れ物あり取りに行く次に残しておくものもあり」も同じですね。(生命科学者。JT生命誌研究館館長。著書に『生きもののしくみ』『ゲノムの見る夢――中村桂子対談集』『食卓の上のDNA―暮らしと遺伝子の話』など。いつも流氷記を見守ってくれている。有り難い。))
岩  田   一  政
感傷に浸ることなど今はなし少しずつ死に向かいつつおり(夢徒然)
私も少しずつ死に向かう準備をしております。それにつけても生命は美しいものと思います。聖光上人のように「なきに事かけぬようはからひて過る」と振る舞うところまではなかなか到達しません。(武道家。元日本銀行副総裁。東京大学名誉教授。僕の網走二中時代、大東流合気武道総本部で総務副部長をしていた頃、フランスの著名な武道家アラン・フロッケの通訳として網走を訪れていた時に知り合って以来の友人。)
清   水     敦
身を守り平和のための戦いが戦争となるかなしきことよ(夢徒然)
「省時間機器を作れば作るほど人間はいそがしくなった」とはずいぶん昔シーマッハという人が、著書スモールイズビューティフルの中で言った言葉です。自由を求めれば求めるほど人は不自由になる。幸福を追求すればするほど人は不幸になる。積極的平和主義が戦争につながることを、どれだけ多くの人が気づいているのでしょう。(銅版画家、造形作家。直刻銅版画〈メゾチント〉のすぐれた技法と静謐な世界が内外で高く評価されている。豊かな自然に魅せられ平成2年、植物画家の妻晶子氏と札幌から網走に移住。3ヘクタールの雑木林に、緑の錬金術工房「森の家」を構えている。谷川俊太郎に彼のために作った詩がある))
込  堂   一  博
二十年くらいはあっという間にて永遠の別れも身近となりぬ(夢徒然)
作者は、心の奥底でご自分の死をいつも自覚して生きておられる。「感傷に浸ることなど今はなし少しずつ死に向かいつつおり」も心に沁みる。私も還暦を迎えた頃「自分の残り時間は、あとどれだけか?」と強烈に自覚したことがあった。旧約聖書のモーセの祈りに、「私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。」(詩篇90篇10節)とある。私の人生の残り時間は、ごくわずかであることに唖然とした。あっという間に、夢の如く過ぎ去る人生と思えば、少しは心して丁寧に生きたいと願う。身を守り平和のための戦いが戦争となるかなしきことよ 積極的平和主義という美名の下、集団自衛権の閣議決定がなされた。昨年末は、多くの国民の反対を押し切って、特定秘密保護法案が成立した。何か一つの方向に我が国が進む気がして、胸騒ぎを感じる。あの悲惨な戦争を体験して、戦争放棄を高らかにうたった憲法第九条が、巧みな手法で形骸化していく。近い将来、「積極的平和主義」が、いかにまやかしであったか暴露される日が来るのではないか。海の沖の方に、巨大な大津波が日本列島に向かって突き進んで来るような光景を幻のように見ることがあり、ハッとする。(三浦綾子研究家。『三浦綾子百の遺言』に僕の歌を紹介している。四月二十五日、旭川での〈『氷点』の五〇周年を祝う集い〉で再会することが出来た。十月末日に三浦光世氏が亡くなったとき、彼からの知らせでそれを知った。信仰心のない僕には羨ましい存在の心友でもある。))
高  岡   哲  二
戦争に負けて良かったなどという母の世代も少なくなりぬ(夢徒然)
一読して心にかさばって消えない一首である。「負けて良かった」とは、中々言えない言葉であるが、誰しも終わってよかったとは思ったことだろう。下句の「母の世代も少なくなりぬ」に、この一首のポイントがあると思う。昭和は遠くなりつつある今日、この一首を詠まれた作者に敬意を表したい。〈などという〉だから、他にも色々とあることだろう。敗けたと表現しなかったところに、母の世代の真価をみる。(歌人。室生在。朝日新聞大和歌壇選者。歌文集『室生山峡』。故近藤英男先生の紹介で。))
菅  沼  東 洋 司
ざっくりと林檎を齧るその時に一人の女(ひと)がよみがえりくる(夢徒然)
 
秋、心さわやかなひととき、りんごをざっくりと噛んだときふっと思い浮かべた一人の女の面影がある。それは少々甘酸っぱい思いのまつわる遠い日の思い出。あまりにも清純すぎた自分だった、と思う。あのひとは今どうしているだろか、幸せだったら、と思う。りんごを食めば人生の切なさががよみがえる。りんごの放香にも似て。食べることこそが出会いというべきか柿の果肉を砕くひととき(夢徒然)人生は出会いと言う。歩くこと、歌うこと、旅をすること、動いておれば何かに出会う、誰かに出会う。食べることも然り。いろいろなものを食べ、いろいろな世界と出会い、いろいろなことを知る。まさにそのとおり、と思う。すばらしい着想。すばらしい人生の広がり。
(作家。ブラジル在。ブラジルでの詩歌サロン誌『ふろんていら』に流氷記の僕の歌を掲載してくれる。二〇〇六年十一月にリカルドウエキオサム氏が突然に亡くなったが、氏の『白い炎』は素晴らしい小説で感銘を受けていた。その死を親友として知らせてくれた手紙を契機としてのお付き合い。))
川   口     玄
歴史家の書いた歴史は我々の生きた歴史と違う気がする(夢徒然)
水田に逆さに白き山映る一瞬一瞬が車窓より見ゆ

近ごろ小説を読むことが少なく、特に現代作家のものは数行読んでイヤになることが多い。自分の波長に合わぬ文章を勉めて読む気力も感覚も、老来(八十歳)なくなってしまったらしい。歴史でも文学でも事実、あるいは真実に近いものがよく理解できるのではないだろうか。
そこだけにしかない論理弄ぶどこにでもいる人の群れあり(眼裏月)
昨日観たような錯覚持ちながら日曜夕刻笑点を観る
短歌や俳句を読むのが好きで、新聞の投稿欄などよく見るのですが、選者の選んだものに、小生が感心するのはいつも殆ど無いのです。考えてみると「技巧に過ぎた」?のが多いように思うのですが、小生のドグマでしょうね。川添短歌は、世間話をしているような親しみがあるのが好きです。短歌俳句の存在価値は「人生の一瞬と人生そのもの」を感じさせることにあるのではないでしょうか。            (『大阪春秋』元編集長。玉稿と共に、毛筆による素晴らしいお手紙いただく。感動と共にこのような貴重な経験をさせていただいていることに心から感謝したくなる。)
神  野   茂  樹
ゴキブリを蜘蛛を殺せとのたまえど妻よあなたの方が恐いよ(夢徒然)
昨年から週末は帰省し、ボケ始めたオフクロに付き合っている。施設に入所したので田舎の家は無人なのだが、たまに、カラッカラに乾いた流しの隅にゴキブリ君がいることがある。嫌われものだがなぜか嬉しくなる。誰、いや、何もいない空き家同然のシーンとした台所に棲むゴキ君に「あっ、キミもいたのか」と。ただゴキブリの文字のみで選んだもので、いつものことで選評にならずあいすみません。(元大阪春秋編集長)
園  田   久  行
苦しみを解き放たれて横たわる母あり微笑のかく美しき。(悲母蝶)
 
家内の母は糖尿病との長い戦いの中で、失明し やがて片足を足首から切断していた。文字通り杖となった父は、インパール作戦の生き残りで、見るからに頼もしい杖であった。その母が亡くなったとき、そこに、苦しみを解き放たれて横たわる母がいた。最期の別れで、父は、お前一人で、どうやって三途の川を渡るんや、目も見えんのに 足も悪いのになーと 語りかけた。苦しみの中にいた人には、 死は 安らかな浄土への旅の始まりなのだろうか。 母の顔の中に 微笑を見たし、穏やかな きれいな顔を していた。私にとっては、この歌の「母あり」「微笑み」の間には、かけがえの無い、こんな思いがあって繰り返し読むだけで 涙が出てくる。(古書『オランダ屋』店主。ふと気になって、オランダ屋のホームページを覗いてみて見つけたもの。少し前のものだが未掲載のものなので、ここに掲載した。)
山  地   泰  行
目に見えぬ者らを乗せて悠々と回送電車は何処へか去る(夢徒然)
毎日多くの人が死んで行く。そのひとかたまり、ひとかたまりを載せて次々と出て行く回送電車。その一車輌を作者は見たのだろうか。回送は「回想する」と言う言葉に重なる。死者が回想するのか、死者を回想するのか、時間は悠々といくらでもある。賢治の銀河鉄道をも思い起こさせる幻想的でちょっと不気味な歌。(古書店四季店主 オランダ屋さんと共にもう四十年の付き合いになる。勤めの後に時々寄っているが、今回一首評をもらうことが出来た。ある時期には古書店が周りに乱立していた。オランダ屋さんもいくつもの支店があったが、今は本店の一つだけとなり、四季も続いている。どちらも古本屋さんらしい雰囲気や書籍を並べてくれている。貴重な存在である。)
前  田   道  夫
戦争に負けて良かったなどという母の世代も少なくなりぬ(夢徒然)
私も同じ世代にありますので上句については全く同感いたします。若し、あの戦争に勝っていたなら、日本は何処まで軍の羽根を伸ばしていたことでしょう。私は十九歳で召集令状を受け、北支派遣の騎兵隊に入隊しており、終戦の時、わが軍は老河口まで侵攻しておりました。若し、終戦にならなかったなら、戦死をしていたかも知れません。そう思うと本当に負けて良かったと今でもときどき思い返しているところです。(歌人。父と同じく大正十四年生。ウィキペディアによると、「老河口作戦(ろうかこうさくせん)とは、日中戦争中の一九四五年四月から六月の間に行われた、河南省西部および湖北省北部での日本軍と中国軍の攻防戦である。」とある。)
鎌  田   弘  子
戦争に負けて良かったなどという母の世代も少なくなりぬ(夢徒然)
多分、私と同世代のことであろう。思いは個々である。昭和二十年は十四歳、同時代を生きて、この一首の主題多面的な解釈の一つとして、歴史観の確たるものではなく、或時の思いのような、しかし重い実感ではある。私は昭和六年七月東京の大森生まれ、十九年に国民学校卒、都立第八高女(旧制)の二年生、大井町駅前の大きな防空壕に飛び込んで、かろうじて機銃掃射をのがれ、綾部に疎開、動員学徒として働いた。そして、今、八十三歳。「バカ犬は吠えてばかりと教えればやや大人しくなる生徒あり」心ひかれて読む一首である。(歌人。『塔』の先輩である。鎌倉彫の先生などもしている。)
天  野   律  子
桜桜花浴びながら歩むとき人は栄華を味わいて行く(夢徒然)
咲ききった瞬間から桜は散り急ぐ。冬が終わり春が近づくのを待ちながら、人々はその春を待つ思いを桜の花に託する。いつ咲くのか。まだ咲かないのか。期待が極まった頃、桜は花を開く。人々はその花びらを浴びながらその下を行く。黙しながら、踊りながら、酔いながらその下を歩む。彼もまたそうして栄華の時を通過したのだろうか。その栄華の儚さを味わったであろうか。そうして、その栄華というものが思い出となった時、より一層の儚さで輝くことに、やはり気づいたのであろうか。(歌人。二〇一二年に亡くなった夫君米満英男には流氷記でもたくさんのアドバイスをもらった。高安国世先生とも親しく『塔』にとっても、その取り巻きとして貴重な存在であったのだが、何故か最新刊『塔事典』に米満の名がなく不可解である。)
高  階   時  子
体から時間が抜けて走り去り今を取り残されて我がいる(夢徒然)
 時間は確実に過ぎ去り、それは毎年一つずつ増えていく年齢として身に引き受けているのだが、外観や身体の衰えも感じてはいるのだが、60歳をすぎていること、あるいは80歳になったこと、生まれてから90年が過ぎたことなど、実際の年齢の実感がない。心の動きは30代、40代の頃と少しも変わっていないように思える。自分の内側では時間が止まったままで、外側だけに時間が猛スピードで経過していくような・・・若い頃は60代でもかなりの老人に思えたものだが、いざ自分が60歳になってみると、60代になったという実感がないのだ。そんな感じを作者は巧く表現している。何という名前継子の尻拭い遠慮しながら小さき花咲く(夢徒然)「ママコノシリヌグイ(継子の尻拭い)」はタデ科の1年草で、5-10月頃に薄いピンクの小花をつける。目立たないが愛らしい野草である。それなのに名前が「ママコノシリヌグイ(継子の尻拭い)」とは?「他の草木などに寄りかかりながら蔓性の枝を伸ばし、よく分岐して、しばしば藪状になる。蔓の長さは1-2m。茎は赤みを帯びた部分が多く、四稜があり、稜に沿って逆向きの鋭い棘が並んでいる。柄のある三角形の葉が互生し、さらに茎を托葉が囲む。葉柄と葉の裏にも棘がある」。そして名前の由来は、「この草の棘だらけの茎や葉から、憎い継子の尻をこの草で拭くという想像から来ている。韓国では「嫁の尻拭き草」と呼ばれる。漢名は刺蓼(シリョウ)」。(「ウィキペディア」より)茎や葉に棘があるからといって、ひどい、あまりにも気の毒な名前ではないか。「遠慮しながら小さき花咲く」 --- 名前のせいか、遠慮しながら咲いていると、作者もこの花におおいに同情している。「ママコノシリヌグイ」のように、ひどい名前をつけられた花に「ヘクソカズラ」がある。臭気を発するために「ヘクソカズラ(屁糞葛)」となったようだが、これまた可憐な小花である。(歌人。彼女のブログ『私の選んだ一首』から)
堤     道   子
私にもこういう頃があったのよ幼子を見て言う老婆あり(夢徒然)
 
三年四年と続く猛暑に、私の体力はだんだんと奪われたようで、今年は半年ほど何も出来ずに過ごした。人間本来の願いというか、元気にならなければと思い直す。今年はヘルパーさんにお世話になり、ぴちぴち働く動作をみて、自分にもこういう時があったと思ってみる。私の前から逝ってしまった人たちの顔が次々に浮かぶ。とても元気であった方たちなのに、人生は分からないものだと思ってしまう。幼子を見た老婆は、どれほど自分のたどった長い時間を振り返ったことだったろうか。幸せの時間が沢山あったことを想像する。(歌人。北海道芽室町在。本田重一歌集『凍耕』との縁から。)
唐  木   花  江
ざっくりと林檎を囓るその時に一人の女がよみがえりくる(夢徒然)
回想の歌であるが実感があり詩がある。果実の酸っぱさ、歯ごたえ、色彩の鮮やかさ、素敵な思い出があったのだろうと想像する。少しもの悲しく甘い詩情がある。比較的硬質な作品群のなかで私にはひときわ光って見えた。「目に見えぬ者らを乗せて悠々と回送電車は何処へか去る」多分深夜だと思われるが「目に見えぬ者ら」は死者たちではなかろうか。何処へか去っていく、この世を離れたいづくえかである。(歌 人)
横  山   美  子
目に見えぬ者らを乗せて悠々と回送電車は何処かへ去る(夢徒然)
 この世には、生者の魂のみならず、死者の魂も満ち満ちている。たとえば、いま目の前を回送電車が走り去ったが、決して空だったわけではない。生者こそ乗っていなかったが、死者の魂のいくつかが運ばれて行ったのだ。というような歌意でしょうか?「悠々と」ということは、電車も、電車の運転士も、そういうことは先刻承知で運んでいるのですね。おもしろい歌だと思いました。(歌 人)
林     一   英
眼球を頬張る心地ぶどうの実ぬるりと舌の上に沈まる
とろとろと葡萄の果肉舌の上転がりながら溶けてゆきたり(夢徒然)

この歌人の感覚の鋭さには正直言ってシャッポを脱ぐ。「眼球を頬張る」「ぬるりと」「舌の上に沈まる」「葡萄の果肉〜転がりながら溶けてゆきたり」などなど‥。特に「眼球を頬張る」や「ぬるりと」には、ルドンのあの有名な絵を思わず連想させられた。この作品、集中のまさに圧巻。ざっくりと林檎を囓るその時に一人の女(ひと)がよみがえりくる」に白秋の君かへす朝の舗石さくさくと雪よ林檎の香のごとく降れ」を連想しました。ともにいい歌ですね。好きな歌です。 鳥が翔ぶ進化も奇蹟も信ずべし夢に描いたとおりの未来視覚が現実に捉える「鳥が翔ぶ」は勿論、進化一般も、万に一回ほども起こり得ない奇蹟さえもなべて信ずべしとは何たるオプティミズム!夢に描いたとおりの未来がそんなにバラ色に満ちたものだとは―何たる自負!単なる主観を超えた大理のあることを大きく納得して下すおおらかな判断とも言うべきものか。老境に達してようやく得たる「信ずべし」であろうか。次の一首の「この世はそう悪くない」のおおらかな肯定も、苦が楽に一変する奇蹟も起こり得るこの世だからこそ、苦しみながら生きていく「べし」の肯定的断言も納得できるのである。(歌人。以前送られてきていた歌誌『塔』の中に、とても品のある作品と注目し、『流氷記』文庫版をお贈りしてからのお付き合い。父と同じ大正十四年生。高安国世先生からリルケの講義を受けたこともあり、前号の高安国世の歌の生原稿に最も喜んでくれた一人である。‥‥〈突然のお便り失礼いたします。私、林一英の孫で林知明と申します。祖父宛に年賀状をいただきましたが、実は、祖父は昨年十一月二十日、入浴中に急死いたしました。仕事の関係で別居しておりました為に発見が数日遅れ、葬儀は身内だけでやらしていただきました。年賀状も仕事の合間に整理していました為、ご連絡か遅れまして申し訳ございません。生前の祖父へのご厚情を心より感謝申し上げます。どうか川添様もお体お気を付け下さいませ。平成二十七年二月十三日 林知明〉の葉書が突然舞い込んできた。思えば十一月のある日、林一英さんから突然お電話があり、僕の声を聞けたことをとても喜んでくれたのを思い出す。亡くなる寸前だったのでは、と父の電話のことを思い出した。心がとても辛く痛む。話すと知明さんは福島で除腺の仕事中とのこと。)
小  原   千 賀 子
爽やかな見えぬ空気がニンゲンも草木も生かしこの朝がある(夢徒然)
夏の朝早く目覚めて外に出ると、ひんやりとした空気が心地よく、生き返る気分になります。息を吸い、息を吐く。それを繰り返して私たちは生きている。「ニンゲンも草木も生かし」とあるように、生かされて、朝を迎える。あたりまえのこととして普段は意識していない、空気が、奇蹟のように思えます。言葉にして書く、ということはとても大切なことですね。作者も、短歌を作ることによって、日々生きる力を得ているように感じました。(歌 人)
池  田   裕  子
何という名前継子の尻拭い遠慮しながら小さき花咲く(夢徒然
何となく気になる名前と思っていたが、あらためて一首の歌になると気になる。こちらの都合で勝手に付けられた名前で、全ての植物は迷惑しているようにも思うし、人間の凄さにも驚く。尻拭いには小さなトゲがある。継子を育てる女性の本心、根底‥そんなところを突いているのか、また一種のアイデアでもあり得る名前とも思う。現実の世に子供を死に至らす時代の今、この名前がすんなり定まるはずはないと思いつつ、花は遠慮などせず堂々と咲き、実を付けると信じたい。現実の世界、日本にも千人を越える子供の存在が不明という行政にも悩みのある時代、ウーンとうなりながらこの一首に濃縮された世の中を思いました。(歌人。北摂短歌会との関わりから。好田吉和先生は、くも膜下出血を患って入院中。時々その様子を見に行っている一人。こんな関わりも悲しいけれど、仕方ないこと。)
鳥  羽   省  三
図書室の本積み上げて流氷記束ねて圧縮されし数日(夢徒然)この歌は、この度、ご刊行なさった60号を初めとした、川添英一さんの個人歌集『流氷記』の成り立ちを説明していて、私にとっては真に興味深く、趣き深い一首である。一首の意は、「私は、私自身の個人歌集『流氷記』を刊行するに当たって、この数日間、勤務校の図書室の分厚い本を、件の歌集の上に幾冊も積み上げて、正しく折り目が付くように圧縮しているのである」といったところでありましょうが、このような難しい手順を経て仕立て上げられた中の一冊が、川添英一さんがお住まいの高槻市の郵便ポストに投函されて、はるばると我が家の郵便受けまで運ばれて来るのでありましょうか。なお、同歌集には、「三千円歌集は一円でも売れず溶かされてまた紙となりゆく」並びに「目録に高価な歌集並びおり我楽多となる定めも知らず」という、歌人と名乗る他の方々の歌集への皮肉たっぷりな二首も掲載されているのであるが、これらの二首こそは、主宰と称し、選者と称する有象無象の輩に雁字搦めに呪縛された、現在歌壇の歌人たちに対する痛烈な批判とも思われる作品である。     (歌人。ブログ『臆病なビーズ刺繍』から)
小  川   輝  道
原爆忌過ぎて夜通し鈴虫は命の限り鳴き続けおり(夢徒然)
原爆の惨禍への怒りと被災への同情が原爆忌を迎えた人々の心情といえよう。そして夜をこめて鳴き続ける鈴虫は、生き続けようとする小さな生命の可憐なまでの叫びではないか。無残なまでの人間の業苦と、対照といえる小さな生物の静かで涼やかな必死さにより印象的な作品となった。「夜通し・命の限り」は表現の極致となる。満州事変から十五年に及ぶアジアへの侵略と大戦の不幸はなすべきではない悲惨な原爆投下を導いた。戦争は様々な形の不正義を生み出すのだが、その不幸を知ろうとしない人達が増えている悲劇があり、作品は訴えている。         〈網走二中元教諭〉
井  上   冨 美 子
葉も花も複雑緻密で美しい色合い一つ一つが違う(夢徒然)
まことにその通り。庭を眺めていると、春に咲く水仙、クロッカス。初夏に咲く木蓮、石楠花、牡丹、芍薬、木瓜、都忘れ、今咲いている撫子、桔梗、朝顔等々どの花も葉の形と色合い、花の形と色合い、変化に富みながらも釣り合いがとれ、風にも雨にも逆らわず和して、私達に感動を与え、和ませ、勇気や元気をいただき、言葉では言い尽くせない多くの恩恵を受けております。自然界で生を受けて共生させていただいている多くのものに対して、敬意と感謝の念を持ちつつ、残されている貴重な日々を過ごしていかなければと思っております。             (網走二中元教諭)
田  中   由  人
台風の夜は激しい雨が降り膀胱に水溜りゆくのみ(夢徒然)
凄まじい雨風の音を聴きながら身じろぎもせずに恐怖心と戦っている情況、心中でしょうか。心拍数は上がり、手には冷や汗。トイレにたつのもすこぶる面倒な気持ち。そんな折には、却って尿意をもよおすものですね。「膀胱に水溜まりゆく」という表現は、そんな嵐を物理的にも心情的にもあらわした切迫感を漂わせます。ただし、この歌は、還暦を過ぎた人のものですね。(八幡高校同級生当時、彼に文学を学んだのかもしれないくらい影響を受けた。独特な風貌があった。)
廣   吉      眞
坂上がることあきらめて押していく自転車明日は漕いでいくべし(夢徒然)
「歌人」と聞いて悪い人を思い浮かべることは無い。男性なら「物静かで聡明、そして感受性がとても豊か」女性なら「ひかえ目でおだやかながら、内に秘めた燃え盛る炎」。さて実際はどうなのか?興味は尽きません。近頃の電動自転車は体に良くありません。坂道を立ち漕ぎで上がってこそ、足腰と心肺能力を鍛えることが出来るのです。その一瞬を切り取って歌にする。すばらしいと思います。 (大蔵中学・八幡高校同級生。大蔵中学ではいわゆる級長仲間。今と違って級長というのはちょっとした存在だった。京都に来て西陣織で大活躍したようだ。中学高校の二年上に現東京都知事の舛添要一がいて、同窓会ではよく話題になる。)
亀  口   公  一
原爆忌過ぎて夜通し絶え間なく野生の鈴虫鳴き続けおり(夢徒然)
原爆忌と鈴虫を織り込んだ歌が三首あったが、迷わずこの歌を選んだ。決め手は「野生の」である。今、当たり前の自然との共生が失われつつあり、その究極が原爆であり、原発である。最近、歳のせいか、あらためて「野生の思考」を取り戻したいと思う。(大蔵中学・八幡高校同窓生。特に心の通じ合っていた仲の良い友人の一人。)
厚  東   敏  幸
そうするより他になかったことばかり全ての過去が今に繋がる(夢徒然)
 
単身赴任の寂しいアパートの一室で特にすることもなくボーッとしている時、買い物に行くのに慣れた道をとぼとぼと歩いている時など、歳を取ったせいか、ふと、今まで過ごしてきた年月を振り返ることがある。この歌は、そういった時に脳裏に浮かぶ自分の想いとピッタリ合って、しっくりしたというか、共感できた。同じような年代の人みんなが共感できる歌でもあると思うがどうだろうか・・・。もう少し若い頃は、あの時、ああ言っておけばよかったのに、あの時、別の道を選択することができたのに、と思うことが多く、ふと暗い気持ちになって、しばらく落ち込みことが多かった。でも、年月を経て、仕事の方も閑職となって、時間に追われなくなってから、振り返ってみると、その時々に口走ったこと、判断したことは、自分の育ち、性格、能力など色々な要因が重なり合ってのものであり、「そうするより他になかった」ものだと思うようになってきている。その時々の、家族、親戚、友人、先生、会社上司や同僚からの影響は、自分ではコントロールできなかったものなんだと思うようになってきている。この歌は、過去の想いに浸る時の自分の感覚にぴったりとくる。その他、共感できた歌。
二十年くらいはあっという間にて永遠の別れも身近となりぬ
死ぬまでは死なないように頑張っていくのみこの世はそう悪くない
   (八幡高校同窓生)
鈴  木  ひ ろ 子
美しき水迸る黒部川青濃き空と白き峰見ゆ(夢徒然)
富山から入って薬師岳や立山に何度も登った私にとって、懐かしく親しい情景なのでこの歌を選びました。車か列車であっという間に通り過ぎるし、こんなに天気にめぐまれるのも稀なので、実際に自分の目で見たのかどうか定かではありません。なのに、この景色を思い浮かべることができるのです。黒部川は、雪解け水が豊かに勢いよく流れています。北アルプスの上の空は深い青です。白馬三山から剣岳、立山連峰、右の方に少し離れてなだらかな薬師岳。圧倒的な大自然の姿がうたわれています。(千葉市在住。北海道旅行中偶然本田重一歌集『凍耕』を入手されてからメールでのお便りありそれからの縁。驚くことに、以前山口県に住んでいて、その時に福智山に登ったということ。不思議な縁を感じる。)
畠  山   眞  悟
母言いき今は極楽火も水も灯りもボタン押せば出てくる(夢徒然)
歴史学者の網野善彦が九十年代の本で、今の学生は日本人の暮らしを何も知らないと嘆いていた。平成生まれの若者には黒電話など遠い記憶の遺物としか見えないだろう。私の幼かった一九五十年代、家にはラジオと電球しか電化製品はなかった。私たちの世代の母親にすれば八十年代以後の生活は夢が現実になったと思えたろう。これほど急速に生活のありようそのものが変化し続ければ、人間はついていけず、いろいろ不適合を起こして世の中がおかしくなるのも無理はない。スローライフという言葉がもてはやされることに苦笑するしかない。(茨木市立養精中学校元教師。歴史に詳しく、養精中学時に随分彼のお世話になった。色んな学校に赴任してきたが、魅力ある教師は少ない。ほとんどの教師が指導書の範囲内で仕事をしているからであろう。そんな中で自分の考えを持ち、歴史に対しても熱心に研究して、たくさんの研究書も作成、『多賀城碑』のことなど勉強させてもらった。)
広  瀬   礼  子
母言いき今は極楽火も水も灯りもボタン押せば出てくる(夢徒然)
この一首を読んだ時、今のこの時代に生まれて本当に幸せだと思いました。昔は、火打ち石で火を熾さなければ火は使えないし、水も井戸から汲まなければ飲めない。そんな苦労も今の人たちは知らずボタンを押すだけで使えると思うと、川添先生のお母さんが言っているように極楽だと思います。昔の人は本当に苦労してきたことが、今の生活ではボタン一押しで出来てしまう世の中になったことが伝わってくる歌です。(茨木市立三島中学校卒業生)
松  田   純  奈
香ばしき麦秋続く車窓より物語めく過去よみがえる(夢徒然)
外に出ると私は季節を感じます。桜が咲いていれば春を感じ、セミの鳴き声を聞けば夏を感じ、ドングリが落ちているのを見れば秋を感じ、冷たい風が吹けば冬を感じます。でも、外に出て感じるのは季節ではなく、過去の記憶です。幼稚園の子が遊んでいるのを見たり、小学校で運動会をやっていたら、当時の思い出がみるみる甦ってきます。それが、楽しい記憶でも、たとえ苦い記憶でも、それは私が育んできた大切な宝物であることには間違いありません。今でも、中学校の時の楽しくて、学校へ行くのが大好きだったあの頃を忘れたことはありません。かけがえのない思い出ができたのは周りの人のおかげです。これからも、過去の記憶を甦らせながら、人との関係を大切にし、生きていきたいとこの歌を読んで改めて感じました。 (茨木市立養精中学校卒業生)
近  藤   沙  雪
安全な道などなくて自転車は人と車の間を走る(夢徒然)自転車は(法律上は)車道を走ることになっています。しかし、自転車がそこを走るのは、「危ない」「怖い」と感じる人も中にはいると思います。(私もその1人です。)でも、歩道では人が歩いているし、その分幅が狭く感じる。結局、仕方ないから低速で、歩く人とぶつからないように気を使いながら走る。私以外にも、いろんな人がこんな経験をしたことがあると思います。「自転車専用道路」たるものをつくってほしいと思う今日この頃です。(茨木市立東雲中学校三年生)
松  田   風  瑞
死ぬまでは死なないように頑張っていくのみこの世はそう悪くない(夢徒然)
最近のニュースでよく十代の人や、自分と同じ学年の人とかが、いじめなどで命を落としていることが少なくありません。人を死ぬまで追い込ませるいじめって何だろうと疑問も湧いてくる。私はこの歌を読んで大変勇気づけられました。人の死って本当に突然で、もしかしたら自分は明日死ぬかもしれないし、もしかしたらあと十秒後に死んでしまうかもしれない‥‥そういうことを考えたらきりがないけど、私は、自分が死ぬまで絶対に死にたくありません。死にたいほどつらい時、苦しい時もあるけれど、それを乗り越えて幸せがあると思うからです。必死に生きていたら、いつか必ずいいことがあると思うし、考え方次第で人生前向きに生きられると思うからです。(茨木市立南中学校三年生)
鎮  谷   美  玖
懐メロの歌手も当時の父母も若くて我も幼くなりぬ(夢徒然)
先生と自分は生きている年月の長さが全然違うけど、自分も最近聞いていない歌を聞くと、その時に好きだった人とか、友だちとけんかしていたこととか、いろいろ思い出す。歌の力ってすごいと思うと同時に、もっともっと人生を楽しんで五十歳、六十歳になったころ、思い出すと同時に幸せになるような人生を送ろうと思った。 (茨木市立南中学校三年生)
丸  山   泰  延
ゴキブリを蜘蛛を殺せとのたまえど妻よあなたの方が恐いよ(夢徒然)
もし家にゴキブリや蜘蛛が現れたら虫が嫌いな人はすぐ殺せと言ってはしゃぐ。でもそう言っている妻の方が怖い、という情景がすぐ浮かぶ。確かに僕はゴキブリは嫌いだがはしゃぎはしない。それに代わって、殺せ殺せと普段から言っている女性はとても怖い。その恐ろしさはゴキブリや蜘蛛をはるかに超える恐ろしさだ。そんなふうにして人は怖い生物だということを数年前に知ったばっかりだったのでこのうたを選んだ。ゴキブリや蜘蛛も嫌いだが怖い生物も嫌いだ。そういう自分も怖い生物なのかもしれないが。 (茨木市立南中学校二年生)
岩  田   一  輝
車窓よりコスモス畑鮮やかに過ぎて心は色ひろがりぬ(夢徒然)
もし誰かが車でドライブしている時に、車窓からコスモス畑が色鮮やかに見えて、一瞬で「綺麗!」と思う人もいれば、花に興味のない人は、何やねん、コスモスって普通にその辺に咲いている花やんかと思うかもしれない。でも、この歌は、花に興味のない人でも、一瞬でコスモスが綺麗に見えたり、心にコスモスの綺麗な色が残る。自分もこんなふうに興味のない人でも、自然の風景の美しさに興味を持ってもらえるような歌を作ってみたい。(茨木市立南中学校二年生)
坂  本   晴  一
丸まりて布団に入ればじんわりと体に沁みて温かさ湧く(悲母蝶)
今の季節がちょうど冬で、とても寒い時期なので「体に沁みて温かさ湧く」という部分がとても印象に残りました。それと同時に、僕はいつもこんなことをしていたんだなぁと、日頃の生活を振り返ることも出来ました。そして、毎日同じことをしているのに飽きないということにも、この一首を読んで気がつきました。歌から日頃のことや、新たな発見を見つけ出すことができるということを、この歌を通して改めて感じることが出来たので、とてもいい事を思い出すことができたと思います。 (茨木市立南中学校二年生)
岩  崎   理  緒
テレビでは除菌除菌というけれど人こそ除菌されねばならぬ(夢徒然)
これを読んだとき思わずうなずいてしまった。人間は菌を嫌がるが、菌を発生させているのはまさしく人間なのだ。それに、菌は周りを傷つけないが、人間は言葉や暴力など色々な手段で簡単に人を傷つける。そんな人間こそこの地球の菌なのだから、人こそ除菌されるべきだと思う。 (茨木市立南中学校二年生)
水  野   日  葵
戦争に負けて良かったなどという母の世代も少なくなりぬ(夢徒然)
今の日本が、私は少し不安である。集団的自衛権が可決されたからだ。戦後七十年を迎え、もう一度戦争に対して考え直さないといけない時なのに、と私はテレビを観て悲しくなった。高齢者社会の今、戦争の悲惨さを伝えられる人が少なくなってきている。今のままでは、また昔の日本に逆戻りしてしまうと思う。朝の連続テレビ小説では、お決まりのように戦争のシーンが出てくる。今までは何も感じずに見ていた。でも今は違う。もう一度考え直さなくてはいけないのではないかと、これを読んで感じた。  (茨木市立南中学校二年生)
石  川   歩  美
四十度近くも暑いこの夏も過ぎてしまえばなつかしくなる(夢徒然)
この一首にはとても共感ができます。夏の間はとても暑く、四十度も近くなると、暑いがいつの間にか口癖になっていて、早く冬が来て欲しいと思いますが、いざ冬になると、寒い、が口癖になっていて、あれだけ暑いと言っていた夏も、早く来て欲しいと、不思議ですが思ってしまいます。だから私はこの一首に共感できます。(茨木市立南中学校二年生)
潮  汐   航  一
アザラシのように桜は生き生きと手足を広げ花咲かせゆく(夢徒然)
桜の木をアザラシに喩えたことが気に入りました。春になり、桜が満開になると、黒々とした幹がまるで獣のようにみえてくるものです。それをアザラシが生き生きと手足を広げているんだと表現したところに、植物と動物との絶妙なコラボに僕は惹かれました。(茨木市立南中学校二年生)
西  川   里  穂
テレビでは除菌除菌というけれど人こそ除菌されねばならぬ(夢徒然)
空気清浄機のCMで、空気でウイルスを除菌と宣伝しているけれど、東北大震災の後に起こった福島原発による放射能汚染など、それを作ったのが人間なのだから、人間が菌をばらまいているのと同じ。そんな人こそ除菌されねばならぬと言っているのだと思う。衣服が洗剤で除菌されてきれいになっても、人間は実際に除菌されないから、人間がその服を着ると、再び衣服に菌が着いてしまうというのも言いたいのかもしれない。人間はそんな愚かな繰り返しばかりをしているから。
(茨木市立南中学校二年生)
山  野   彩  奈
炎天の小公園にカナムグラ使われなくなる哀しみ群れる(夢徒然)
最近は技術が進んで、みんなゲームなど、家の中で、涼しい場所や温かい場所から離れられなくなっている。それも楽しいとは思うけど、昔からの自然に囲まれた公園での遊びをもっとしないと、と思う。だけどこの頃は知らない人と話をしないようにとかで、公園で遊ぶことは少なくなった。公園をみると雑草がたくさん群れているだけ、そんな寂しさと哀しみをブランコやシーソーも感じているのだろう。(茨木市立南中学校二年生)
塚  田   瑞  穂
台風が日本に近づくやもしれぬ数日後の危機だれも知らない(夢徒然)
台風の前はすごく晴れているイメージがあります。なので、私はその度に本当に台風は来るのかなと考えて油断してしまいます。すると数日後、必ず台風が来て、どこかで神様が油断した罰として空で怒っているのかなと思えるほど暴れます。だから台風は油断してはいけないなと思います。 (茨木市立南中学校二年生)
杉  本   華  菜
ゴキブリを蜘蛛を殺せとのたまえど妻よあなたの方が恐いよ(夢徒然)
すごく面白く楽しい作品です。妻がゴキブリや蜘蛛が怖くて、殺してと必死に言っている場面が想像できます。それに逆らうことも出来ず、仕方ないな、君の方がよっぽど怖いよとぶつぶつ小声でつぶやきながら、ゴキブリや蜘蛛に、悪いな、ごめんなと、蠅叩きを持ってためらっている夫。面白く楽しくそしてちょっぴり哀しい光景です。(茨木市立南中学校二年生)


永六輔さんから