流氷記一首評
中 村 桂 子
もやもやと晴れぬ気持ちを歌にする真実がそこに見えてくるまで(期一会)たくさんの歌の多くが、どうとでも言える論理や虚報、テロ、戦争など、もやもやするものを扱っていることに気づきます。作者が特別に闇を見る性質なのではなく、現在の世の中が、なんともやりきれない状況になっているということです。私もまったく同じ気持ちでおり、とにかく歌という道を持っている方は、それを通して真実を見ていただきたいと思うのです。私も自分の仕事の中で同じことをしていきたいと思っています。(生命科学者。JT生命誌研究館館長。著書に『生きもののしくみ』『自己創出する生命―普遍と個の物語―』『ゲノムの見る夢――中村桂子対談集』『食卓の上のDNA―暮らしと遺伝子の話』など。)
黒 江 勉
ひたすらにハーモニカなど吹いている心も体も初期化したくて(期一会)
初期化とはパソコン等の取り扱い用語と理解していますが、確か手順を新しく初めに戻すということだったでしょうか。そういう思いでハーモニカを奏でる作者の思いが伝わってきます。青年の頃と壮年の二期に亘り、約八年の結核諸病のため、療養を余儀なくされた時期がありました。青年の頃は約五年で、その中頃、半年に亘る高熱、膀胱の激痛により死を覚悟しました。隣のベッドの患者さんの枕元にあった本の裏表紙に一行「最後迄耐へ忍ぶ者は救われるべし」を見たのでした。(マタイ24・13)「溺れる者は藁をも掴む」の気持ちで読みました。闘うのではなく、苦しみをありのままに受けよう、に変えられました。初期化であったのです。当時の郷里旭川市に帰り、再入院となったのですが、そこで堀田綾子さんを神は巡り合わせて下さり、また夫の三浦光世さんをも巡り合わせてくれました。霊の糧を沢山頂いたことに限りない感謝を覚えつつ天国のお二人を偲び、もうすぐ卒寿になろうとしています。(三浦綾子の取り巻きの一人。『道ありき』にも「どこか前川正の顔に似て、上品な感じのする人だった。俳句をしているらしく、時々俳句のことでわたしたちの部屋にも来ていた青年である。その人は黒江勉と言った。」と紹介され、かの『氷点』にも陽子の高校の美術教師として実名で登場している。「‥‥去年光世さんに会われたとき、記憶をなくしていたと書いておられましたが、矢張り、四、五年前からその兆候がありました。それでも間をおかずに会っている人はよかったのですが、そうでない人は、それを分からず、冷たくなったなど評判が立ち、長年教会で一緒の人もそう言って誤解されて、お気の毒でした。それと、左右どちらかは若いときの中耳炎で聞こえないと話しておりました。亡くなった時、三〜四十分前迄見舞いの人々と談笑していた位なのに、神様はきっと苦しみを与えられず召されたのでしょう。しかし、旭川の空にぽっかりと穴があいた感じです。その少し前同じ月に妻が天国に行ってしまいました。―藤棚が好きで天国へ駆けし妻―真っ青な秋陽無情に妻逝きぬ―‥‥」彼の手紙より。)
込 堂 一 博
そこだけにしかない論理振りかざす教師に嫌悪抱くことあり(期一会)
教師の世界に限らず、それぞれの職業分野に、そこにだけにしかない論理を振りかざすことが多いのではと共感を覚えます。これも故三浦綾子著「氷点」のテーマ、「原罪」の結果ではと思わされます。現役警察官の女性殺害、福井大学准教授による教え子殺害、中一の上村君の殺害等々、日本列島は「殺人列島」になったのではと、いぶかるほどです。さらに宗教家や政治家たちの破廉恥な事件の数々…。さらには現政権による権力の暴走、このまま行けば日本は米国と共に間違いなく戦争に巻き込まれること必至と危機感を抱きます。いったいどうしたら良いのかと、日ごとに苦闘し祈りつつ、小さなことでも自分にできることを実行したいと願っています。今回の「流氷記」に書かれてありました「三浦光世さんと後藤健二さんのこと」の一文強く心に響きました。川添さんが昨年、後藤健二さんと直接お会いしておられたとは驚きました。川添さんの一文と写真を後藤さんの遺族に届けることができたらいいですね。「笑顔が美しかった」後藤健二さんの死を悼みます。ご遺族の悲しみの深さを覚えます。天からの慰めを祈るばかりです。ご健康の守りと祝福をお祈りしつつ。感謝して。(三浦綾子研究家。『三浦綾子100の祈り』、
『三浦綾子100の遺言』z「死の現実を直視して生きる」に綾子さんの「死を自分のこととして真剣に考えることは、生きることを真剣に考えることでもある。とにかく死は公平に誰の上にも来る。わたしはそのことを銘記して生きよう」〈北国日記〉を挙げ、左頁の解説に僕の「焼香の順に並べど明らかな死の順番が何処にかある」と「突き詰めて思えば生も死も全てあっという間の過去となりゆく」「人の死に遭えば自分に残された月日が鼓動を持ちて迫り来」の歌を挙げながら、死の現実から逃げ出さずしっかりと生きていこうと書いてくれている。」)
松 坂 弘
目つむればヒトを抜け出しキラキラと無数の星の宇宙に眠る(期一会)
流氷記六十一号拝読しました。小生、ことし秋には八十歳になります。七十代に入って、あけがたに見る夢の断片に、右の歌のような場面が、一、二度ありました。ドキッとしました。「流氷記」をいただいて、昭和六十年代に四年間暮らした高槻の日々を思い浮かべました。お元気にご活躍下さいますように。(歌人。『松坂弘歌集』『書いて暗唱する小倉百人一首』(監修))
川 口 玄
締め切った部屋がアンプとなり響く朝の雨音しみじみと聞く(期一会)
この歌を読んでいると何だか楽しい気分になるのです。私にはこういう経験がありませんが、いかにも現実に現れそうな状景です。いつの間に喪中葉書の束があり机上に夕日ここだけに射す
年末の喪中葉書の数が年々増えてきているようで、喪中葉書が来た時だけ、その主を克明に思い浮かべるのが不思議です。肉親以外の人とのつながりは、思っているより淡々たるもので、むしろ非情なものかもしれません。 (『大阪春秋』元編集長)
神 野 茂 樹
月明かり街の光と別府湾美しきかな人の世もまた(期一会)この七月に六十歳になります。いつ死んでもイイなんてとても言えませんが、いつ果てるやも知れず、飲めるうちはと、週末はチェーンドランカーです。今号もまた、日常の出来事から、時事問題まで、川添節が唸り、川添メロディーが奏でられておりますが、ドランカーが選んだ一首は、いい気分で綴りながら眺める夜景でした。(『大阪春秋』元編集長)
前 田 道 夫
さまざまな家庭過程の生徒いて机間巡視も味わいを持つ(期一会)
生徒一人一人についてはそれぞれの家庭事情があり、それに対応する教師の気遣いも大変なものであろう。教室において巡視をするときもそれぞれの生徒ひとりひとりの家庭を想い描いているのであろう。一首は、教師としての心遣いが佳く表現されており、生徒に接する優しい気持ちが佳く表現されていると思います。「家庭過程」のリフレインも一首の音読に効果を挙げており、教師としての立場が佳く表現されている一首であると思います。(歌人)
小 川 輝 道
武器輸出に潤う国の汚さも後藤健二氏淡々と言う(期一会)植民地支配の名残裏側で欧米諸国は武器輸出する 中東の地で悲劇的な死を遂げた後藤氏を悼み、その矛盾を明確に表現している作品と思う。植民地支配が生んだ複雑な歴史の上に、アフガン・イラク戦争と、収拾のつかない混乱が続いてきた。テロが各地に発生する報復の連鎖の恐怖、その人びとのようすを伝えてきた後藤氏の嘆きを同時代に生きる川添さんが詠んだのである。日本の歴史にあっても、多数であれ少数者であれ武力の支配によって酷使や移動を迫られた無惨に思い至る心を大切にしていきたい。連行等々、時代詠の多い歌集となった。 (網走二中元教諭)
井 上 冨 美 子
網走に流氷来たるの報道もただ日常の一コマとなる(期一会)過ぎた年月を感じました。川添先生にとって、オホーツク海の流氷に対する特別な思いは、膨大で且つ深遠であり、地元で生活している私にとって、考えが及びませんでした。私にとって、流氷の到来は、日常の一コマなのです。肌で感じる風の冷たさや痛さで、もうそろそろ流氷の姿が‥‥心の準備を始めます。気持ちも自然とひきしまります。専門家によって、流氷のさまざまな恩恵について分かってきております。漁師の方々にとって流氷の到来は豊漁につながる自然の恵みなのです。この頃では観光資源としても重要です。国内はもとより諸外国から沢山の人が訪れています。美しい知床連峰を望み、観光船オーロラ号に乗って流氷帯に入り、間近で流氷を観察できます。網走もこれから海明けを待って一斉に漁船が出発しますと活気づきます。ただ地球温暖化の影響で流氷帯が縮小の傾向にあるとか、流氷の厚さがなくなってきているなど大変心配しています。 (網走二中元教諭)
高 階 時 子
ひたすらにハーモニカなど吹いている心も体も初期化したくて(期一会)以前にも何度か紹介したが、『流氷記』は川添英一氏の個人誌で、各号にタイトルがついている。(今号は期一会)ハーモニカは小学生の頃、学校で習った記憶がある。何一つ満足に楽器を弾けないまま過ぎてしまったけれど、ハーモニカは特になつかしい。ハーモニカは手頃な値段で買えるうえに、小さいのでポケットに入れて持ち運べる。どこにいても気軽に演奏できる身近な楽器として存在感がある。
吹くとそれなりの音は出せても、メロディーを美しく奏でようとすれば、吹いたり、吸ったり、なかなかむずかしい。掲出歌においては、楽器はピアノやバイオリンなどではなく、「ハーモニカ」でなくてはならないだろう。部屋の中でも、公園の片隅でも、どこでもハーモニカなら吹くことができる。だからこそ、下句の「心も体も初期化したくて」とすんなり結びつくのだ。(歌人。彼女のブログ『私の選んだ一首』から)
唐 木 花 江
突き抜けるような青空深き淵ゆったり泳ぐ白き魚あり(期一会)理論的、記述的な作品群のなかにあって幻想的な一首である。青い空を深い淵だとする表現に納得できて美しい。さらに白い魚のまぼろし、読者はそれを雲と感じるか、また機影と感じるか。或いは何もなかった、白い魚は作者が見た幻影であったか。三十一文字について塚本邦雄は次のように意味づけている。「美しい幻を見る以外に何の使命があろうか」と。私は歌を作るとき、つねにこの言葉を支えとしている。次の一首も同じ手法である。「くっきりと南に輝く星ひとつ目ざして翔けてゆく馬がある」特に「翔けてゆく」は美しく空想的だ。(歌人)
竹 田 京 子
紫陽花の葉の下の闇昆虫と小人の棲まい人に知られず(舌海牛)
掲出の一首、作者は紫陽花の葉の下の闇に昆虫と小人の棲まいがあると詠っている。昆虫はホソヒラタアブかテントウムシか、小人はアイルランドのシーオークのような妖精か。二句目「葉の下の闇」の表現、「葉の下闇に」では「木の下闇に」などとは違い、見慣れない表現であり融和せず、「葉の下の闇」としていて悪くない。そして、四句目から結句へ「棲まい人に知られず」と結んでいる。葉の下の闇が濃いゆえ人に知られないの意味か、てまり咲き、不吉でもあると言われる紫陽花という花の人生のような葉の下闇ゆえ人に知られずの意味か、深味のある一首でもある。(歌人)
松 村 龍 古
銃向けてトラックに載せ運びしと強制連行教えしことあり(期一会)
春になると、心が非常に動きだす。この思いは何なのか、今もわからない。水仙が咲きシクラメンが香る。しかし心はなぜか、なぐさめられない。春はやはり悲しみの季節なのかもしれない。そんな時に、この一首と出会った。やはり匂い立つ花をうたうでけでは、心が満たされない。(書家・漢詩人 漢詩集『神山』)
横 山 美 子
川添さんのお歌は、素直で、解り易い歌が多い。笑うより他なく笑う我に妻その分怒りやすくなるらし なんとなく解ります。奥様は真面目な方なのでしょうね。川添さんも真面目なのですが、喧嘩を避けるために、笑ってやり過ごそうとしている。それを奥様が見咎めて怒るのでしょう。夫婦のちょっとした機微を上手く歌にされていると思いました。 もやもやと晴れぬ気持ちを歌にする真実がそこに見えてくるまで 歌を作りながら、癒されていくのですね。作歌に没頭することで、現実の憂さが晴れてくるし、さらに出来た歌を見ることで、自分を客観的に見ることができる。 ひたすらにハーモニカなど吹いている心も体も初期化したくて これもよく解るお歌です。解るというより共感できるといったほうが適切かも。パソコンをしない人には「初期化」というパソコン用語の意味が解らないかもしれませんが、解る人には非常に上手い比喩と思われるでしょう。 六甲の山より見れば古戦場広がるような霧の海見ゆ 叙景歌。情景が目に浮かぶようです。六甲山の高いところから見ると、霧の海、雲海でしょうね、が海のように、見える。実際、この雲海の下には、源平合戦の現場であった海があるわけですが、本当の海を見るより、幻想的な雲海を見るほうが、昔の合戦が思い浮かべられる。スポンジが赤い果汁を含むかのような西瓜はかぶりつつ飲む 夏の熟れ切った西瓜の様が上手く描写されていると思いました。スポンジという思いがけない物をもってきたことで歌がユニークになったと思いました。結句の「かぶりつつ飲む」の「飲む」で度肝を抜かされそうになりますが、しかし、確かに西瓜=ウオーターメロンは「飲む」ですね。実は、川添さんのお歌は、解り易すぎて、ちょっと物足りなく思うときもあるのですが、今回のは、哲学的な、ご自身の人生を深く見つめたお作も多かったように思いました。どれだけの余命あるのかイチョウの黄さりげなく落つ落ち尽きるまで 叙景歌のように見せかけて、人間の晩年を詠っているようにも読めます。深い歌だと思いました。あの頃の大人はほとんど死んでいるそんな幼年期をなつかしむ 当たり前のことを詠っているようでいて、これも深い歌です。幼年期を懐かしむということは、あの頃生きていた人達を懐かしむことにもなるのです。ハッとさせられました。極楽に地獄を変えた一遍の鉄輪今も湯けむりが舞う この「地獄」というのは温泉地の湯元の源泉をさしているのでしょう。源泉そのものは「地獄の釜湯」という言葉があるように、地獄の象徴なのですが、その地獄も扱い方によっては人を癒す極楽になる。「一遍の鉄輪」というのは一遍上人が別府温泉に施浴のために開いた鉄輪温泉のことのようです。今回の号には、昨年イスラム過激派に殺された後藤健二さんの記事や、故作家三浦綾子さんのお連れ合いだった三浦光世さんの記事もあって、読み応えがありました。(歌人。彼女のブログ『神鳴り』より)
小 原 千 賀 子
ハーモニカ吹けばお礼を言われいて心も体も嬉しくなりぬ(期一会)
この頃よく思うのは、何げない人と人との触れ合いがこの上なく嬉しく心を温かくするものだなぁ、ということである。朝、散歩の時に出会う学生が、ちょっと微笑みながら恥ずかしそうに挨拶してくれるとき、私の心は嬉しさで満たされる。この歌も、ハーモニカを吹いていた作者にお礼を言ってくれた、その喜びの素直な表現である。心を通わせる事は美しい。改めてそう思わせてくれた一首である。(歌人)
鈴 木 ひ ろ 子
時と場所共有しつつそれぞれにいずれは命消えてゆくのみ(期一会)
昨年、父が九十二歳にて逝き、職場で一緒だった方が突然、五十九歳で亡くなりました。そして私は、救急車で運ばれて緊急開腹手術を受ける、ということがありました。私の周りでは命は最も大切にされ、医学の粋を費やし助けようとします。他方、紛争地域やテロでいとも簡単に奪われる命や健康な若い心身がたくさん報道されています。混乱してしまった私に、この歌が響いてきました。共有しつつ生きる時と場所を大切にしていこう、共有する実感を与えてくれる短歌を大切にしていこう、と思っています。(歌人。千葉市在住)
池 田 裕 子
こんな山奥に紅葉の高山寺ひっそり小さな本堂が見ゆ(期一会)
国宝もある高山寺が本当に小さくひっそりしているのに私も驚いたことを思い出します。周りの大樹は凸凹の根を這わせてこのお寺をますます小さく演出させて京都間近く山奥を感じるのも不思議でした。本来の仏の持つ静けさが伝わってきて心満たされる豊かさがありました。やわらかな白き湯に入りしみじみと未だ叶わぬ夢を見ている めずらしいほど穏やかな日々と職場での闘いのような日々が嘘のように感じるのですが、どちらも生きている今の姿でしょうか。白き湯に浸るただそれだけで全ての夢が叶ったのではないかなと思っています。「私は健二」と言わなくても良い日が来ることを願っています。(歌人)
菅 沼 東 洋 司
目つむればヒトを抜け出しキラキラと無数の星の宇宙に眠る 《死後の世界》があるという。人類の想像の産物であろうけど、それはないと科学で立証することも不可能。では眠後≠フ世界はというと、それはあると明らかに誰もが思う。でも、それとて科学的に立証するすべはなさそう。(脳科学の問題だとして機器を使って解明しようとするなど論外)。夢は夢として夢の世界の存在を信じていたほうが人は幸せと思う、死後の世界のように。キラキラと輝く無数の星の宇宙に眠りながら人は現実の世界を抜け出してみたい、そんな願望を携えながら。もやもやと晴れぬ気持を歌にする真実がそこに見えてくるまで この胸の中のもやもや、果たして正体は何か。解きほぐし解きほぐししてその先に見えてくるもの。真。そこに辿りつくまでの何と迂遠なる道のり。この迂遠なる道のりこそが歌なのだと悟らされました。 (作家・ブラジル在)
田 中 由 人
いつの間に喪中葉書の束があり机上に夕日ここだけに射す(期一会)
静謐。もちろん、それを醸成しているのは「喪中葉書の束」でしょう。死者ですね。厳かな死です。そして、「夕日」との対照。西陽ですね。西方浄土にいざなう弥陀の光。とても絵画的です。白と黒とオレンジ色の光。その光景を視る主体、主体の意識(作者)さえも表象されない額縁に入った「静物画」といった印象です。フェルメールの「浄土教版」ですね。(福岡県立八幡高校同窓生)
廣 吉 眞
大量に武器を作りて輸出する国あり平和を主張しながら(花水木)
せっかく高性能の武器を作れる能力も設備もあるのに、いつまでも指をくわえて見ているわけにはいきません。戦車もブルドーザーも同じ技術で作れます。気象衛星も弾道ミサイルも。無人航空機は衛星回線を利用すれば地球の裏側からでも制御可能で、人や建物をゲーム感覚で攻撃することができるそうです。日本人の得意分野です。さあ立ち上がるのです。‥なんて冗談ですが、拉致をして平気な国や、周りの国や海を呑み込んで自分の国にしてしまったり、そんなえげつない国に囲まれて日本も良心的な事ばかり言っていられなくなっていることに憂慮している毎日、今の日本でどこまで続いていけるのやら‥(福岡県立八幡高校同窓生)
厚 東 敏 幸
新聞が日本の世論導くに嘘と知りつつ書いていたらし(期一会)新聞社何の因果か困窮し嘘と言い訳ばかりとなりぬ 新聞やテレビでの報道は、正しいものという前提で読んだり見たりする人が多い。私もその中の一人。しかしながら、取材者も人の子であり、私と同じような会社社会に属している。おそらく、他社や社内での特ダネ競争があることも想像される。勢い余って、取材情報を十分に確認しないまま思い込みで記事にしてしまうこともあると思われる。目につきやすい記事とするため、表現に付け足しが多くなることもあるだろう。そのような会社環境下で、ある程度経験を積むと主担当となって記事を任せられる。それを新聞社なりテレビ局としての意見として公に出すには、本来、上司が記事内容のみではなく、裏付け資料をチェックしなくてはならないはず。しかしながら、往々にして、中々時間が取れず、信頼する主担当の話を信じるしかなくなる。私の所属する技術屋の世界も同じで、主担当が誤入力しても計算間違いしても、上司がチェックできないことが多い。主担当の自己チェックを前提としているところが多くある。本来は、上司が違う目でもってチェックする必要があるが、なかなか難しい。ただし、技術の分野では、後工程で辻褄が合わなくなったり、不都合な事象が発生するので発覚することが多い。誤報や恣意的な記事は、あっても気づかれないか、気づいても新聞社やテレビ局のハードルが高くクレームまで行きにくい。社会的に影響度が大きいものは、それに関連する組織があるので、時々クレームが大きく取り上げられ、謝罪記事にまで進む。元々は、我々と同じ人の子が、取材をして、新聞やテレビで発表しているのだということを頭に入れておき、一歩引いて読めば、記事の内容を頭から信ずるようなことにはならないと思う。この頃は、冷めた目で新聞なり、テレビなりを見るようになった。のめり込めないというのは、少し寂しいことでもある。
(福岡県立八幡高校同窓生)
伊 藤 勝 子
言うことを聞かねば殺すという神に何故に従う人々がいる(期一会)
どうとでも言える論理がそこにだけにしかない掟へいつしか変わる
そこだけにしかない論理に殺される弄ばれる人の群れあり
私が生まれて三日目に出征し、二十年五月にメレヨン島で餓死し生きたかったであろう父を想い、後藤健二さんの、博愛精神が通じない国で終わらされた命志半ばのご本人又、ご家族の深い悲しみに胸が痛みます。昨年九月に、外務省から渡航中止を求められたようですが、自己責任で行くとの画像を残し行かれたとのこと、私たちに大きな何かを残して逝かれたような気がします。世の中、自分中心に世界が回っていると思う人がいて、居心地の良くない所が多すぎます。自分とは違う世界の人の立場も考える人が多くなれば、住みよい世界になるのではと思うのですが‥‥人間となりてここまで過ごししも輪廻の短い過程のひとつ 五十年あっという間の実感に残されし日は幾許もなし 時と場所共有しつつそれぞれにいずれは命消えてゆくのみ 生きている限りさまざまな境界で区切られて生き、またさまざまな事が多様化され、戸惑いながら生きる古い人間になり生きる場所が狭くなりつつあります。まさに物忘れの連続に日々自分と戦っています。九十六歳で亡くなった母のことが遅まきながら理解できるようになり、三十三歳上の母との歳の差はなく、すぐ後を歩いているようです。先生が詠まれたように、今までの来し方が本当に、あっという間の出来事のように思われます。あとどのくらい元気で暮らせるかはわかりません。が、他に迷惑をかけない老人でいたいと思っています。(北見市在住。佐呂間で元民宿経営)
畠 山 眞 悟
人生の当たり外れの大方を語る齢か同窓会過ぐ(期一会)この数年、中学三年(昭和三十九年)のクラス同窓会の世話役をしている。還暦を過ぎて、二十代にしていた同窓会を再開することになったのだ。四十六名の同窓生のうち、住所が判明したのが約二十名、参加者は十名余である。人生の外れ=負け組は参加しにくく、回を重ねるほどに大当たりとはいかないまでも人生まずまず組になる。同窓生の人生の当たり外れの話題で、同窓会は過ぎてゆく。(養成中学元教員)
山 崎 響 子
吸い込まれていきそうな青青き空見上げる我は消えてしまいぬ(期一会)私は、落ち込んだ時、嫌なことがあった時、悩んでいる時にはランニングをしながら空を見上げます。すると、本当に自分ってこの空に比べたらちっぽけなものだなぁ、ましてこんな悩みを自分以外の誰が気にするんだろう、とくよくよ悩んでいたのが馬鹿らしく思えてくることがよくあります。嫌なことは全部空に吸い取ってもらって(笑)『自分』という存在は空に吸い込まれてしまわぬよう、しっかりと地に足を付けてこれからも生きていきたいです。 本当にそうなの?それを確かめよ真偽の資料振り分けながらこれは私が普段の日常生活で意識していることで、共感を覚えたのでこの一首を選ばせていただきました。今日ではインターネットやSNSが急速に発達し、嘘か本当かも分からない情報で溢れかえっています。その情報を自分にとって良いものにするのも悪いものにしてしまうのも、本当に扱い方次第だと思っています。情報に振り回されて、身を滅ぼすことにならないように自分の目で真偽をしっかりと確かめながら上手く情報と付き合っていきたいものです。 (茨木市立西中学校卒業生)
広 瀬 礼 子
いつよりか何処からか湧き虫の音の響く夜半をしみじみと寝る(期一会)私の祖父母の家には小さな庭があります。私は小さい時いつもの部屋とは違う古い和室の祖父母の家でお泊まりする夜が嫌いでした。ある夜、寝るのが怖かった私に祖母が「虫さんたちが子守歌を歌っているから大丈夫だよ」と庭がある窓を開けてくれました。その日から私にとって虫の音が子守歌のように聞こえ安心して眠れるようになったことを今でも覚えています。最近は大学も忙しく、祖父母のことは、また明日会いに行けばいいや‥‥と堂々巡りしていましたが、この一首を読み、今度の土日に祖父母の家に久しぶりに泊まりたいなと思いました。この一首を読み、川添先生に共感できましたし、先生はいつも人の心を動かしてくれるのだと思います。(三島中学校卒業生)
近 藤 沙 雪
言うことを聞かねば殺すという神に何故に従う人々がいる(期一会) 自称イスラム国について話題になる中、見るのもつらく悲惨な事件が発生しています。いくら神が「言うことを聞かねば殺す」と言っても、「殺す」ことはあってはならないこと、やってはいけないことです。私たちはそのことを分かっているのに、何故その神に従う人がいるのか、不思議です。「地球には国境なんかありません命はぐくむ海と陸のみ」世界地図は、国が赤い線で区切られています。でも、地球の写真を見ると、赤い線はどこにもありません。今日もこの地球のどこかで、命が生まれ、はぐくまれている。この歌を読んで、「そうだなあ」と共感しました。話は変わりますが三月十三日の卒業式は、とても思い出深いものになりました。「決意の言葉」を私が読んでいる時にすすり泣きが聞こえて、「卒業するんだ」と実感しました。最後に「群青」を歌い終えたとき、「みんなとの合唱も最後だ」と思い、寂しくなりました。 (茨木市立東雲中学校卒業生)
丸 山 泰 延
ハーモニカ吹けばお礼を言われいて心も体も嬉しくなりぬ(期一会)
「ハーモニカ」という楽器の音をテレビの世界からなら聴いたことがあるが、直接目の前で初めて聴かせてくれたのが川添英一先生だった。昼休みや授業で目の前で天使の歌声のような優しい音色を聴かせていただいた。その音を聴いてお礼を言われて笑顔になる先生の顔が浮かんでくる。そういう歌なんだと思う。またこれからもハーモニカを続けてほしいし、自分もいつかは挑戦してみたいと思う。今まで有り難うございました。来年も国語を持ってと頼みくる生徒と楽しかりし一年 この一首から「来年も国語を持って」と言われている情景がすぐ浮かんでくる。僕もそう言っている生徒の一人で、1年でたくさんのことを学ばせて頂いた。これからも川添先生のことを応援するし、新しい場所、新しい空気の中でまたそう言われるように頑張ってほしいと心から思う。本当に、楽しかりし1年でした。 (茨木市立南中学校三年生)
水 野 日 葵
あと五分あと五分だけ目をつぶる夢の続きに逢うやもしれぬ(期一会)
布団はいつも気持ちが良くて、朝目覚めると「もう朝かぁ、起きたくないな」と思う。それに、夢を見ていると、続きが知りたくなって仕方がない。あと五分、あと五分と思っているうちにまた眠ってしまう。夢の続きなど、私は見れたためしがない。寝るのが大好きな私は、この一首にとても共感できた。今度夢を見た時は、続きに出逢うことができるか楽しみだ。(南中学校三年生)
岩 ア 理 緒
突然に迷惑メール来なくなるホッとしながら淋しさもあり(期一会)
いつもはただ邪魔なだけの迷惑メールだが、来なくなると急に淋しくなる。そんな矛盾した気持ちをこの歌は表している。確かに、いつも自慢話ばかりで面倒くさい友達が急にしゃべりかけてこなくなったら、何だか物足りなくて淋しいと思う。この歌を読んで、人は今まで当たり前だと思っていたものがなくなると、淋しさを感じることが分かったから、日常を当たり前と思わず一つ一つの出来事を楽しみたい。 (茨木市立南中学校三年生)
塚 田 瑞 穂
ひたすらにハーモニカなど吹いている心も体も初期化したくて(期一会)
「ハーモニカ」を吹いている先生を見たら、自分もやってみたいなと思いました。自分の好きなことをやっていたら心もすっきりするし、辛いことや苦しいことなどみんな忘れて美しいメロディーに没頭することができるので、身も心も若返るし、先生も少年のような心でいることができるのだろう。先生のハーモニカを聴きながら、身も心も掃除されて「初期化」されているんだなと実感しました。 (茨木市立南中学校三年生)
祝 迫 麻 乃
本当にそうなの?それを確かめよ真偽の資料振り分けながら(期一会)
今では、テレビや新聞やラジオ以外にインターネットもあって、いろいろな事を知ることが出来るけど、もしかしたら、全てが嘘の可能性もあるし、大事なことが隠されてしまうこともあるから、それをしっかり理解できるような人になりたい。どこかでこう言っていたからと、それを正しいことだと思い込んで違うことを言っている、人の話を聞かない人にはなりたくないし、それによって自分の見ている世界が狭まってしまうことは残念なことだと、この歌から学ぶことができた。 (茨木市立南中学校三年生)
石 川 歩 美
国荒れて教育すらも受けられぬ子供たちあり後藤氏語る(期一会)
今でもまだ世界中で戦争があると思うと悲しくなります。時々テレビで戦地の子どもたちの様子を見ることがあります。私が毎日学校や部活に行ったり、朝昼晩、満足にご飯を食べたり、友達と遊んだりする、当たり前だと思い込んでいる日常が戦地では全くなく、そんなことが分かって、初めて自分が幸せな場所にいるのだと感じます。だから私は、ご飯を他の人が残すのを見て、食べられない人もいるのになぁと思います。戦争での一番の犠牲者は当たり前の日々を過ごせない、その現地に住んでいる人だと思う。それを伝えてくれたのは後藤さんを含めジャーナリストの人たちです。感謝したいです。
(茨木市立南中学校三年生)
岩 田 一 輝
イスラム国に拘束されし後藤さんいたたましくて心が痛む(期一会)
もし僕が後藤さんみたいにイスラム国で捕まったら、後藤さんみたいに冷静でいられない。後藤さんは絶対に死ぬと分かっていながら殺された。その後藤さんを僕は尊敬しています。イスラム国の人に殺されたと聞いた時は正直めっちゃ悲しかったです。自分は後藤さんのことを絶対に忘れません。数年後は、後藤さんのようにイスラム国で誰も殺されないようにと願っています。後藤さんがかわいそうと思いました。 (茨木市立南中学校三年生)
西 川 里 穂
台風が日本に近づくやもしれぬ数日後の危機だれも知らない(夢徒然)
毎年夏になると日本に台風がやってきて、たくさんの人がけがなどをしていて、命を落とす人もいる。でも台風は少しの対策でけが人や死者を少しでも減らすことができるかもしれない。日頃から台風などの災害への対策をとればいいんだなとこの歌を読んで思いました。(茨木市立南中学校三年生)
丸 山 由 夏
何もかも空がリセットしてくれる雲ゆったりと動きつつ見ゆ(舌海牛)
つまらないことでくよくよしている時にふと空を見上げると、雲が浮かんでいるのが見える。その雲に魅かれてじっと見ていると、本当にゆっくりゆっくり‥‥まさにゆったりゆったりと雲は動いている。どんな辛い暗い状態でも、時間が経てば、真っ青な快晴の時も必ずやって来る。嫌なことやうまくいかなかったことがあっても、空を見ると、ゆったりと浮かんでいる雲を見ると、心をリセットすることができて前向きに生きていける。ふと見上げた空にそんな秘密が隠されていることを知って嬉しくなった。どんな時にもくじけずに前向きに努力して生きていきたい。 (茨木市立太田中学校二年生)
松 本 優 菜
あの頃の大人はほとんど死んでいるそんな幼年期をなつかしむ(期一会)今、話をしている周りの大人たちも、私が先生と同じ歳になる頃にはほとんど死んでいるのだろう。自分の幼年期の頃の大人が、一人また一人と死んでいくたびに昔を懐かしく思うんだろうな。嫌いだった大人が死ぬのは少し嬉しい気もするが、少し哀しい気もする。そして、いつか自分も死んでしまうから‥‥。今を思いっきり楽しみ、今一緒にいる友達と今できることをしよう。一緒にいろんなことを乗り越えた友達を大人になっても大切にし、一緒に幼年期を懐かしみたい。(茨木市立太田中学校二年生)
宮 前 圭 佑
ハーモニカ吹けばお礼を言われいて心も体も嬉しくなりぬ(期一会)
人に褒められて嬉しくなるのはよく分かります。しかも、自分の得意なことを人にお礼を言われて心も体も陽気になり、またいろんな曲を吹こうという心が芽生えてきます。授業の始めに吹いてくれる先生のハーモニカの美しい音色を聴いて、みんなの気持ちも豊かになります。どんな曲を吹いてくれるのか楽しみです。ハーモニカも楽器の一部なので、楽器も嬉しいと僕は感じました。僕もこの歌のような気持ちを目標にして野球をがんばりたいです。
(茨木市立太田中学校一年生)
成 光 康 一 郎
イスラム国に拘束されし後藤さんいたたましくて心が痛む(期一会)
後藤さんは色々な国の人々に平和を訴えたり、日本では海外の貧しい国や戦争や内戦に苦しむいろんな国の子どもたちの様子や苦労を講演で、たくさんの人に伝えていて、みんなから尊敬される人だったのに、あんな悲しいことが起きて、僕も心が痛みました。先生は亡くなる半年ほど前に直接にお会いして話したことがあり、その人柄がとても素敵だったと語ってくれ、後藤さんの明るい爽やかな笑顔の写真を見せてくれました。今後、同じような悲しいことが起きないように、たくさんの人で、平和を訴え、命の大切さを伝えていくべきだと思いました。死ぬまでは死なないように頑張っていくのみこの世はそう悪くない(夢徒然) 世の中は人がすぐに死ぬようにも出来ていないとこの頃思うようになりました。一人だけが努力するのではなく、たくさんの人が協力していくことで、もっと世の中が楽になり、もっと生きていく人が増えていくのだと思います。これからも僕も友達や家族とも協力し、困っている人を減らして、もっと笑顔の溢れる「この世はそう悪くない」と言えるような良い世の中にしていきたいです。
(茨木市立太田中学校一年生)
小 野 恵 梨
呆気なく母亡くなりて一枚の遺影に見つめられつつ暮らす(槌の音)
私は、身内で誰かが亡くなったことがまだありません。誰かが亡くなっても実感が湧かないだろうし、泣いたり後悔したりするだろうと思います。この歌を読んで、もしも誰かが亡くなっても後悔しないように生きていきたいです。いいように言われて黙って来たけれど僕には僕の言い分がある(紫陽花) 私には私なりの理由があるんだと言い返しても、反省していないからそう言うのだと思われてしまうからと、じっと我慢して母の言っていることを聞き流している自分に似ていて、この歌が心に残りました。「僕には僕の言い分がある」というところには、特に自分と重なる部分があるのかもしれません。(茨木市立太田中学校一年生)
田 中 美 衣 奈
テレビでは除菌除菌というけれど人こそ除菌されねばならぬ(夢徒然)
この歌を読んで思ったのは、人の外側を除菌するのもいいけれど、人の内側の菌をこそ除菌するべきだということです。いじめや差別をする人の心は本当に菌だらけで、細菌や他の何よりも汚いと思ったからです。人も細菌も生物の一つには違いありません。人だからといって偉ぶらずに、いじめや差別のない温かい、みなが仲良くなれるきれいな世界を作っていくよう努めて「人こそ除菌されねばならぬ」と言われないようにしたいものです。 (茨木市太田中学校一年生)
長 野 克 生
地球には国境なんかありません命はぐくむ海と陸のみ(期一会)
地球上にはあらゆる生き物が一緒に暮らしています。その中で一番力を持っているのは人です。だからといって、人の都合のいいように自然を変えていくのは良くないと思います。地球上のあらゆる生命を未来へとつなげていかなければいけません。そのためには天然資源を無駄にしないこと、自然の尊さを世界中の人々が共通認識することが必要だと思います。僕はこの歌を読んで、地球を守っていくことの責任を強く感じました。
(茨木市太田中学校一年生)
宮 崎 真 緒
服を脱ぐように花散り鮮やかな緑のさやぐ桜木となる(幸紐絡)
桜は季節に合わせて服を選んでいるんだな思いました。春はピンク色の服を着て、桜が散るとすぐに緑色の服を着て、風にさわさわ揺られながら夏を涼しく過ごします。秋には茶色の服が待っています。そして冬にはすべて葉を落とし、また春になればピンク色の服を着ます。桜は何色の服を着ても似合っていると思います。さくらの花や葉の色を服にたとえてみると、いろんな季節の桜を見るのがおもしろいです。
(茨木市太田中学校一年生)
長 野 百 華
言うことを聞かねば殺すという神に何故に従う人々がいる(期一会)
言うことを聞かなければ人の命を奪うことを神さまは全く望んでいないと思います。神さまが望んでいることは、戦争がなく、平和で差別がない世界ではないでしょうか。このことを世界中の人々と共感することで初めて平和が実現するのです。世界で起きている紛争、自然災害、飢え、教育などのいろいろな問題に関心を持ち、互いに協力し合って解決していけば、他の宗教も認め合って生きていけると思います。 (茨木市太田中学校一年生)
徳 山 望 見
いいように言われて黙って来たけれど僕には僕の言い分がある(紫陽花)
この歌にすごく共感しました。人に流され、その人がいいなら、自分は本当は言いたいことがあるのだけれどそれで我慢する、と自分のことを犠牲にしてきた自分‥。いやだなぁとか、本当は悲しい、つらい、言い返したいと思っているのに、自分で殻を作ってそれに気持ちをぐっと押し込んで「いい子」でいました。でも、同意を求められて、自分の意見や気持ちと違っても「うん」と応えてしまう、そんな弱いままじゃダメなんだと気づきました。「○○なんだからそんなこと言うんでしょ」というようなことを思われていると分かっていても、私にだって意見や気持ちを伝えることができる権利がある。弱いというレッテルを貼っているのは自分自身でした。これから、たくさんの経験をし、心の芯を強くしていきたいです。(茨木市太田中学校一年生)
杉 村 武 紀
四十度近くも暑いこの夏も過ぎてしまえばなつかしくなる(夢徒然)
僕は正直夏があまり好きではありません。なぜなら服は汗でびしょびょになり、汗臭くなるからです。しかも喉は乾き、体力がすぐになくなってしまいます。けれど、やがてそんな夏も過ぎ、木々が色づく紅葉の季節がやってきます。そして、すぐに、こたつが恋しくなる寒い冬になり、あの暑かった夏をなつかしく思い出すようになります。これから僕の嫌な夏に向かいますが、なつかしくなる冬のことも思い味わいながら過ごしていきたいです。 (茨木市太田中学校一年生)
上 西 扶 佳
大量に武器を作りて輸出する国あり平和を主張しながら(花水木)
平和を主張しながら裏では武器を輸出している国があると聞きびっくりしました。私はそれは違うし、間違っていると思います。平和になるために武器は必要ないと思うからです。自分の国だけでなく、地球上の全ての国の人のことを考えて動ける国を作っていくことが大事なのではないでしょうか。自分の国でない所も、その国は今どんな状況でどんな暮らしをしているのかを気にして、よりよい所になるように出来るだけ協力していく、そんな国でありたいです。私は今、幸せです。なので日本は「平和な国」を維持していってほしいです。(茨木市立太田中学校一年生)