流氷記一首評  八月三十日現在

中  村   桂  子
雨あとに匂い漂うクチナシに沿いて自転車ゆっくりと行く(花水木)
猛暑と言われる中で、戦争に向かおうとしている政治家たち言葉を聞いていると、こんな世の中をつくろうと思って生きてきたのではないと思います。そんな中でも、花は美しく、またよい香りを漂わせてくれます。私もまったく同じような体験をしましたので。生きることを大切にというあたりまえのことを思いながら、ゆっくり歩きました。
(生命科学者。JT生命誌研究館館長。著書に『生きもののしくみ』『自己創出する生命―普遍と個の物語―』『ゲノムの見る夢――中村桂子対談集』『食卓の上のDNA―暮らしと遺伝子の話』など。)

畑  中   圭  一
ひまわりの哀しい調べ戦争に弄ばれし運命がある(花水木)
これはソフィア・ローレン主演のイタリア映画「ひまわり」を想起しての作であろう。戦争のためにひき裂かれてしまった夫婦の哀しい物語であったが、私にとっても、ヒマワリは「戦争に弄ばれし運命」を背負っていた。昭和一九〜二〇年、グリセリド油生産のためにヒマワリを育て、その種子の供出を義務づけられた少年の私、食べたら死ぬとだまされ、おどされてヒマワリを育てた私、まさに戦争に弄ばれた少年期であった。かつて私はそのことを「贋造の夏」という詩にうたった。戦争をする大人たちの独善と欺瞞を追及した詩であった。
(詩人。この詩を知りたくて畑中さんにお願いした。「贋造の夏」は40数年前の作品で小野十三郎から評価された名詩。ここに紹介する。)

   贋造の夏

やはり
大きなロシア・ヒマワリが咲いていたが
その夏 人は
花を愛でているのではなかった

やがて結実する種子を
供出しなければならなかった夏
食べたら死ぬと だまされ おどされて
グリセリド油の生産に励まされた
愚かな善人たちの季節
はりつめた青空が 頭上にいつもあった

イタドリの葉の蔭干しを タバコに刻み
それすらもない老人は
トウモロコシのヒゲを煙管につめ
街はずれには
石炭を石油に変える工場が建てられていた

人造石油会社の煙突から
最初の煙が出た日
闘いは 終わった
高射砲の照準器は
狂ったまま うち捨てられたが
ヒマワリの咲く いくつもの夏を
そのままに 生きながらえてきたようだ

きょうも
ロシア・ヒマワリの影のなかで
狂った照準器が
オパールの空を狙っている  〉

菅  沼  東 洋 司
タンポポはすっくと花を伸ばしいる笑顔のように輝きながら(花水木)
 
混沌、不条理、思うがままにならぬ世のしがらみに取り囲まれて生きていると、タンポポの花の美しさ、けなげなさにさえ感動を覚える。冬の寒さをくぐり抜けて咲いた春を告げる可憐な花。温室で大切に育てられた花にはない力強さがタンポポにはある。人間の心を浄化し、明日へ生きる勇気を与えてくれる力がタンポポにはある。この歌の対極として、「惨惨に負けて悪者日本が謝り続ける戦後がありぬ」を挙げたい。この二つの歌の狭間で、作者は詩人の目をもって、渾身の力で叫び、歌い続けている。永遠の平和を願いながら。(作家。ブラジル在)

住   谷     久
昨日よりの雨に洗われクチナシの白鮮やかな匂い漂う(花水木)
ブラジルの私の住んで居るサンパウロ州には園芸化された八重クチナシは沢山見かけますが一重のクチナシはまだ見たことがありません。故郷、茨城県水戸市大塚町「旧、上中妻村」の実家の庭隅に一重クチナシがありました。ヘリコプターのプロペラのような細長い六弁の花びらは純白で、かなりきつい香りがありました。幼い頃、よく近所の子ども達と、その花弁をぬいで細い棒を通して、風車として遊びました。橙色の実が成り、これは自家用の布の染料になるのだと聞いたことがあります。昨日よりの雨も上がり、洗われたクチナシが日に映えて眩しいほど白い、その辺りに佳い香りが漂って清々しい日和となった。もうすでに忘れてしまった遠い記憶、幼い頃の思い出をこの歌は掘り起こしてくれました。(作家。ブラジル在)


藤  田  富 美 恵
母の死の歳まで九年こんなにもあっさりと死が間近となりぬ(花水木)
 
私にはあと十三年あります。でも油断しないで、毎日毎日を大切に過ごしたいと思っています。(児童文学作家。『父の背中』『からほり亭で漫才!』。二十代、父君の秋田実さんに一度声を掛けてもらったことがある。)

菅  沼  東 洋 司
タンポポはすっくと花を伸ばしいる笑顔のように輝きながら(花水木)
 
混沌、不条理、思うがままにならぬ世のしがらみに取り囲まれて生きていると、タンポポの花の美しさ、けなげなさにさえ感動を覚える。冬の寒さをくぐり抜けて咲いた春を告げる可憐な花。温室で大切に育てられた花にはない力強さがタンポポにはある。人間の心を浄化し、明日へ生きる勇気を与えてくれる力がタンポポにはある。この歌の対極として、「惨惨に負けて悪者日本が謝り続ける戦後がありぬ」を挙げたい。この二つの歌の狭間で、作者は詩人の目をもって、渾身の力で叫び、歌い続けている。永遠の平和を願いながら。(作家。ブラジル在)

住   谷     久
昨日よりの雨に洗われクチナシの白鮮やかな匂い漂う(花水木)
ブラジルの私の住んで居るサンパウロ州には園芸化された八重クチナシは沢山見かけますが一重のクチナシはまだ見たことがありません。故郷、茨城県水戸市大塚町「旧、上中妻村」の実家の庭隅に一重クチナシがありました。ヘリコプターのプロペラのような細長い六弁の花びらは純白で、かなりきつい香りがありました。幼い頃、よく近所の子ども達と、その花弁をぬいで細い棒を通して、風車として遊びました。橙色の実が成り、これは自家用の布の染料になるのだと聞いたことがあります。昨日よりの雨も上がり、洗われたクチナシが日に映えて眩しいほど白い、その辺りに佳い香りが漂って清々しい日和となった。もうすでに忘れてしまった遠い記憶、幼い頃の思い出をこの歌は掘り起こしてくれました。(作家。ブラジル在)

川   口     玄
びっしりとモミジの若葉満ち溢れ楽しく揺れて春雨の降る(花水木)
こういう風景は、毎年眺める好もしいもので、「短歌の存在価値そのもの」のようなうたかと思い感心し、何度も読み返しました。大変失礼ですが、「モミジ」はやはり「カエデ」(楓)とすべきではないでしょうか。植物好きなものとしては気になるものです。その時代確かに生きていたような気がして古い歴史をたどる 小生も「歴史」が好きで、この歌のような感慨にひたることがよくあります。抽象的すぎる言葉が多くわかり易いのが川添短歌の大きな魅力かと思っております。
        (『大阪春秋』元編集長)

神  野   茂  樹
生徒とは馴染み大人と相容れぬ気性もつらしぞえぽん我は(花水木)
 
川添先生は「ぞえぽん」と呼ばれているのか、それとも自称されているのか、両方なのか。私は自称「ジンちゃん」ですが、「ジンさん」だったり、「ジン君」だったり。そのうち「ジンじい」ですね。
(『大阪春秋』僕はまだぞえじいとは呼ばれていない。一回り下の教師が〜じいなどと呼ばれているのを聞くと、ちょっとニヤッとなる。)

求@ 岡   哲  二
タンポポはすっくと花を伸ばしいる笑顔のように輝きながら(花水木)
 
私は今朝、九月七日に、私の庭先に咲くタンポポの花咲く一本を見つけたのです。そして、その一首に出会いました。〈すっくと花を伸ばしいる〉が、とても素直で好感を持ちました。猛暑の夏を通り越して今も咲いているタンポポの一つの花、「笑顔のように」のたとえに、作者のやさしさを感じ取りました。他に二首揚げます。
「飛ばされる」などの言葉の行き通う職員室に嫌悪を抱く
あの時の父の齢を我は生き父と重なるところもありぬ

(歌人。室生在。朝日新聞大和歌壇選者。歌文集『室生山峡』。故近藤英男先生の紹介で。「流氷記第六十二号を送って下さり有り難うございました。ご熱意と意慾ある作歌に心打たれて啓発されています。高安国世先生の直筆の短歌コピーは、じっくりと拝読させてもらいます。」)

前  田   道  夫
母の死の歳まで九年こんなにもあっさりと死が間近となりぬ(花水木)
 
巻末の「振り返り思えばあの時死んでいたかもしれぬこと幾つもありぬ」と共に共感を覚える一首。私の場合は四年。死を思わない日はありません。「あっさりと死が身近となりぬ」が佳く感じを表していると思います。また人間誰にでも、死ぬような目に遭った覚えは幾つかあるもの、それを乗り越えてきたからこそ、今日生きていることに大きな意味があるものと思います。「あっさり」は辞書によれば「しつこくないさま」「さっぱりしたさま」「淡泊なさま」とあり、効果を挙げていると思います。(『塔』の大先輩。大正十四年生、父と同歳)

松  永   久  子
花びらは空押し上げて花水木生者も死者も風となりゆく(花水木)
花水木咲けば花びら花びらが風に揺れつつ空へと昇る

二首とも花びらがみな空に向いて咲く花水木を表しており、ただ美しい季の花として仰ぎ見送っていた私に一歩深く心に留めて愛しんでいる作者の、この花への思い入れに感銘した。『花びら』のリフレインも良い。そう思って初めから読み返してみると、どの歌も細やかに事物に心を注いで掘り下げていることに気付く。後になつかしい高安先生のお歌があるが、もの柔らかなトーンが懐かしかった。全体に直截な表現が少ないこと、つまり一言ごとが練り上げられていると云うことだろうか。心すべきと思った。(歌人。『塔』の大先輩であり母と同じ歳。)

天  野   律  子
あっと振り向く間に人が死んでいる生死の境界線を踏み越え(花水木)
 
人の生死の境界線はどこにでも在るのだが、それはだれにも決して見えるものではない。もしかしたら神様ですら知らないのかもしれない。しかし、確かに在る。越えていく者はそれと知って越えていくのであろうか。それとも、なに気なく、ふいに、あるいは気紛れに、その一線を越えてしまうのだろうか。この世に在るということは、その生死の境界線を踏み越えなかったというに過ぎないのかもしれない。それを僥倖と言うべきか、はた悪縁と慚愧すべきか。彼はどう思うのだろう。(作家、歌人。最近、短編集『うずくまる光』がある。)

高  階   時  子
広大な工場跡地が囲われて鳥や蛙や虫の音聞こゆ 「花水木」 
『流氷記』は川添氏の個人歌誌である。 掲出歌の隣に次の一首が並んでいる。・東芝の工場跡地の広大な原野が四角く横たわり見ゆ 最先端のモノづくり企業の工場が撤退して広大な跡地が残された。跡地は囲われて、時を経て原野となった。いや、原野に戻った。原野に戻ったからこそ鳥や蛙や虫の声が聞こえるようになった。かつては多くの従業員たちが働き、賑わっていた工場はなく、今は方形の原野が横たわっているだけになった。 作者はそれを無惨な姿として捉えてはいないだろう。工場が消失してしまうことは雇用の問題、地域の活性化という点でもマイナスは大きいだろうが、原野に戻った広大な土地にふと慰藉を感じることがあるのではないか。ハーモニカ突然吹ける曲もあり半分眠りながら親しむ ・若き日のあのメロディーが甦り寝ころびながらハーモニカ吹く ハーモニカの歌を二首。 以前に同じ作者のハーモニカの歌「ひたすらにハーモニカなど吹いている心も体も初期化したくて」 を紹介したが、「半分眠りながら」、「寝ころびながら」演奏できるのはハーモニカという楽器の手軽さ・親しみやすさを表している。作者はハーモニカという小さな楽器を自家薬籠中の物として親しみ、あわただしい日常生活の救いとして楽しんでいる。楽器を何一つ演奏できない私にはとても羨ましい。 (歌人。彼女のブログ『私の選んだ一首』から)

唐  木   花  江
薄紅の無数てのひら花水木風従えて空へと昇る(花水木)
写実であっても写実ではない。花の形を「てのひら」とした独自的感受、「風従えて」という詩的把握、美しく幻想的な作品になっている。色ティッシュ丸めたように溢れ咲くツツジ触れつつ我が歩みゆく 導入部の「色ティッシュ丸めたように」という表現も同じく詩人としての独特の感受があり踏み込んでいる。私なんかは「千切れた花が咲いているな」としか受けとめないかもしれない。最後に今は亡き田中栄先生への一首  「川添君、出世したらあかんでぇ」田中栄の口癖刻む刻むという表現がいい。いかにもあの田中先生らしい。私的な事ながら先生の意に背き某結社を出た私、出たことについて全く悔いはないが、亡き先生のことを思うと今も胸が痛む。(歌 人)

横  山   美  子
大阪府茨木市立中学校の国語の先生をされている川添英一さんから短歌冊子「流氷記」第六十二号『花水木が届いた。川添さん、どうもありがとうございます。 川添さんは60歳のときに一旦定年退職されて、現在は再任用最後の夏なのだそう。お忙しい中、こういう冊子を作られるのは大変だろうと推測させていただく。川添さんの短歌を読ませていただくと、もうすぐ65歳になられる人とは思えないくらい瑞々しい。今回の冊子にも、そういう歌が散見される。
  教師ではなくて詩人の目でいよう不思議不可思議見逃さぬよう
  生徒とは馴染み大人と相容れぬ気性もつらしぞえぽんわれは

その一方で、長年中学校の先生をしてこられたという自負の感じられる歌も
  分かるには十年早い職人の技術が国語の授業にもある
  文学に最も遠し当たり前すぎる国語の正答なれば
  このときの作者の思いは?などと問うけれどもボーッとしている時ほど浮かぶ

今号には、命終を見つめた歌が散見されるのも特徴かもしれない。
  救急の担架に運ぶさっきまで風呂に浸りし生ま足が見ゆ
  あのときの父の齢を我は生き父と重なるところもありぬ
  あと幾度いや最後かも桜咲くその喜びを噛み締めている
  存在が死ねばなくなる恐怖にて無限に墜ちてゆく夢を見る

↑これは死ぬことを恐れている歌なのだろうか。それとも「死」を恐ろしい夢の喩にしているのだろうか。とにかく「無限に墜ちてゆく」とはただごとでない。
  母の声母の姿がよみがえりそぼ降る雨の中の紫陽花
ただお母様を懐かしんでいるだけの歌でもなさそうだが、川添さんは、最近は、「死」に親しんでおられるのだろうか。
次の歌は叙景歌と思うが、歴史的人物の名前も詠み込まれているせいで、重厚な歌に仕上がっていると思った。

  大職冠鎌足眠る阿武山が四角い窓にすっぽり嵌る
勤務していられる中学校の教室の窓から見える景色と思う。
短歌を話題にすると、読者数が微妙に減るけれども、私のブログなので、減ろうが増えようが、書きたいものを書かせていただいている。

(歌人。彼女のブログ『神鳴り』から)

小  川   輝  道
薄紅の無数てのひら花水木風従えて空へと昇る(花水木) 
季節の花を眺め風とともに舞い昇る様子を愛情こめて見送っている姿を思い、その境地に感心させられた。流氷記六十二号を美事に彩っている表紙のように、華やかにそして愛らしいやまほうしの花弁が光を受けている。歌集に見られる描写の豊かさは、例えば「台風の前の静かな深き空船のごとくに雲渡りゆく」のように下の句は雲を捉えて悠々と実に鮮やか、そのような作品群となっている。「街道の太田町筋旧家前朝採れ野菜果物並ぶ」歴史が息づいている街道の活気を愛情込めてうたうところにも探究を続ける歌人のまなざしを見る思いがする。(網走二中元教諭)

井  上  冨 美 子
空越えて地球も超えて花水木薄紅色の花輝かす(花水木) 
この歌を拝見しました時、川添先生もご存知の中川イセ様(一九〇一〜二〇〇七)のことが思い出されました。天童市でお生まれになられて、十七歳で娘さんを出産し、育てるため、北海道の遊郭で働き、網走市で結婚され、戦後初の統一地方選で女性市議としてご活躍。波乱の人生を送りながらも、社会資本の整備、人権擁護などに大きな功績を残されました。網走市名誉市民となられたあとも、社会福祉のために尽力されました。本日、当市において、中川イセ様の語り劇が上演されるということで、中川イセ様の生涯の展示がされておりました。拝見しまして、あらためて、この歌のように力強く、美しく人のため世のために、激動の一世紀を生きられた方だと思いました。(網走二中元教諭)

畠  山   眞  悟
逆らえぬ理由は特になけれども妻にははいと言いて従う(期一会)
年に一回、日本アルプスの登山ツアーに行く。毎年行っていると社員さんとも顔見知りになる。その彼が恋愛時代と結婚後の妻の変貌ぶりを話題にしたので、人生の先輩としてそりゃ当然よと話した。そして妻から指摘があれば素直に「はい」と従う。「はいはい」と答えてはいけない。間違っても反論してはいけない。延々と時間を取られるから、等々を助言した。これぞ家庭円満の秘訣である。振り返り思えばあの時死んでいたかもしれぬこと幾つもありぬ(花水木)盆、正月を迎えると亡き人を偲ぶ。父母親族は次第に遠くなっていく。教員として共に仕事をし、早くに逝った仲間を思う。退職後亡くなった同世代の先生たちを思い起こす。自らを省みても、生きる気力が萎えた時は何度かあった。生死はまことに計りがたく、今、生きてあることに感謝するばかりである。 (養成中学校時代の同僚)


時  任   玲  子
「目つむればヒトを抜け出しキラキラと無数の星の宇宙に眠る」
「五十年あっという間の実感に残されし日は幾許もなし」

ルイが8歳の誕生日をバリ島で迎えたとき、夜空を見上げた時に、「私たちの命も宇宙のカケラなんだ」と実感したのを懐かしく思い出す歌でした。そのルイも今年12月に二十歳を迎え、私自身も残りの時間を意識するようになりました。「道真も杜甫も確かに疎まれて流れさすらう歴史がありぬ」大河ドラマを見ていて、吉田松陰も生きた当時は変人扱いだったとこと重なりました。「それだけで嬉しくなりぬ校庭にタンポポ群れて陽を浴びている」平和な情景です。 「花びらは空押し上げて花水木生者も死者も風となりゆく」しばらく前に参列した葬儀の時に、花水木がきれいに咲いていたので印象に残りました「したたかに弄ばれて日本がやがて無くなるそんな気がする」本日も戦争法案に反対する大きなデモがあちこちでありました。本日は所用で参加しませんでしたが、昨年からデモに参加する回数が増えました。平和であるからこその日常をありがたいと思わせてくれる歌だと思いました。(三島中学校卒業生生徒保護者)

高  谷  小 百 合
母の死の歳まで九年こんなにもあっさりと死が間近となりぬ(花水木)
月日が経つのは、早く感じたり遅く感じたり色々あると思います。その中で、まだ経験していませんが、いつかは経験することで、考えさせられることだなあと、この一首に目が留まりました。考えたくないことだけど、歳を取るのも、母の思いとか考え方が分かってくるのかな、と思います。先生、長生きして下さいね。鮮やかにツツジ群れ咲く公園に空の青さも際立ちて見ゆ 私の家にもツツジがあり、毎年咲くのを楽しみにしています。ツツジは色鮮やかで大好きな花です。空の青さも際立ってきれいに見えるのも分かるので、この一首を選ばせていただきました。群れて咲くツツジは他の花とは違う感じがします。私の家にあるツツジは、枯れずに毎年咲いています。この一首を読み、この花は強くてきれいな主役でもあり、空の青色を際立たせている脇役でもあるんだなと感じました。(西陵中学校卒業生)

広  瀬   礼  子
その時代確かに生きていたような気がして古い歴史をたどる(花水木)
 
私はよく神社仏閣を巡ります。その時代にこんなにも立派な建造物を造った素晴らしさ、偉大さも感じます。昔誰かがここで願ったはずの思いや感情は今となってはわかりません。そして、今の時代、それを感じる人も少なくなってきていると思います。ですが、川添先生の一首は昔の人の造った建物だけでなく、その当時や時代の流れの中で訪れた人の願いや思いなどの感情にも視点を置いて見て感じて居られるのだと思います。今の時代の人から見たら川添先生は風変わりな人と思われるかもしれません。でも私は、いつか川添先生と一緒にその旅をしたいです。いつか、私が守ってきたこの場所も大切にしている思い出も、100年後は歴史の波に揉まれてしましい、忘れさられてしまうと思うと悲しくなる一首でした。(三島中学校卒業生)

松  田   純  奈
タンポポはすっくと花を伸ばしいる笑顔のように輝きながら(花水木)
「花水木」をパラパラと読んでいて、パッとこのタンポポという文字に目がいきました。タンポポのイメージは、春の温かい季節に黄色く可愛らしく咲くというものでした。私の好きな色は黄色です。なぜかというと、明るい色で元気な色だからです。そんな黄色いタンポポは人を元気にさせてくれる花です。私は今、高校生ですが、毎日忙しく、笑顔でいられない時もあります。以前、先生に私の歌を作ってもらったときの歌を思い出すと、やっぱり私は周りの人も笑顔にさせられるような存在であるべきだと改めて感じました。タンポポの花言葉は「真心の愛」です。真心とは、他人のために尽くそうという純粋な気持ちのことを言います。タンポポのように真心を忘れず、人を幸せにさせられる笑顔で輝いている存在でありたいと思います。(茨木市立養精中学校卒業生。東京在。「以前の歌」とは純な貌純な心に触れるたび生きる歓び湧き出でてくるだったろうか。)

岩  田   一  輝
作り過ぎ消費するため内紛やテロを操る大国がある(花水木)
僕は、テロや内紛が続いている事に不安、悲しみを持っている。これを書いたのは、フランスのパリで起こったテロの事件をテレビで知ったからです。なぜ世界でテロや内紛が多いのか、武器を保持しているのか、武器を作らなければテロや内紛は起こらないし、人が死ぬようなことは絶対にない。思い出してほしい。去年自称イスラム国のテロで日本人が殺されたこと。自分は今でも忘れない。このテロ事件でテロがこの世からなくなってほしいし、誰も死んでほしくない。だからこの歌を選んで書かせてもらいました。(茨木市立南中学校三年生)

松  本   優  菜
千年も滝の姿は変わらぬに人次々に入れ替わり見る(期一会)
滝は千年の月日が経っても姿を変わらずに流れ続けているが、人は千年もの間に色々な人が入れ替わっている、姿も心も。人は、誰もが生まれた時は、何も知らない真っ白であったのに、一つ一つ歳を取るたびいろいろな事を知り、裏の顔というものも一人ずつ持ってしまった。どうして犯罪を犯すのか、犯罪には必ず被害者がいる。両者とも幸せにはならないのに。滝にも変化はあるが、時に水が汚れても、最後にはきれいな水に戻る。私たちは滝のようにきれいな心を持った真っ白な人に戻れるのだろうか。また千年後にはどうなっているのか、姿を変えて見続けていきたい。(茨木市立太田中学校二年生)

立  原   奈  実
分かるには十年早い職人の技術が国語の授業にもある(花水木)
何になるとしても、時間がかかり、努力や技術が必要だということに気付かされました。例えば、和紙職人も、一人前になるまで何十年もかかるのだと言われています。たくさんの月日が必要となり、日々努力することが欠かせません。毎日毎日、考えるだけでなく、自然に身についてくる何かを少しずつ少しずつ身にまとう必要があるからです。先生の国語の授業では、自然にみんなが自然に聞き入っている風景があります。私もこんなふうに変わって行けたら、そして色々なことが身についている、というようになりたいです。(茨木市立太田中学校一年生)

新  堀   未  侑
誰が好きなどと時めく年頃を羨しと思い温かくなる(花水木)
私たちは一生に一度は好きな人ができると思います。好きになった人は、誰が好きなのかと気になり、クラスなどで騒いだりします。自分だけでなく、周りの人も同じなんだなと、ちょっと安心したり、大丈夫かなと心配したりします。自分の好きな人と同じだったりすると、ちょっと複雑な気持ちになったり、いろいろな気持ちで時めいてる、そんな時期なんだな、と思ったりします。でも、そんな楽しい時期は、あっという間に終わってしまうかもしれません。先生は羨ましいと思いながら見ているようで、何だか楽しそうです。そんな今を大切にし、後悔しないように、一日一日を温めて過ごしていきたいです。(茨木市立太田中学校一年生)

後     美   和
一人一人顔と気持ちを確かめて授業の中の話を変える(舌海牛)
この歌を見た瞬間、いつも先生の話に飽きないのはこれか!と思いました。いつも楽しそうに話す先生を見て「この話おもしろい」「先生の話は飽きないな」と思っていました。その日その日の生徒の様子を見て内容を変える、そんな先生の心が表れた、そんな歌だと思います。今度は私が先生を見て、楽しい話、おもしろい話をたくさん話したいと思いました。 (茨木市立太田中学校一年生)



梶   村     昇
 お元気にご活躍のご様子、何よりです。『流氷記』六十二号、ありがとうございました。私も九十歳を過ぎましたが、何とか、というところです。
雨止みてふと見上ぐれば西の方富士の頂き雲海に浮く
今、法然上人の「百四十五箇条問答」に取り組んでおります。頑張って下さい。草々

西勝洋一さんから便りと共に北海道新聞のコピーが届いた。半年前のものだったが知らなかった。ここに掲載します。