文庫版『流氷記』あとがき
この文庫版流氷記も今までに例を見ないものになった。僕は無宗教者だが、幼いときから天の声を聞こうとする処があった。天を見上げては思考するという形である。そのため周りが見えなくなってしまい、組織や既定のものに依存する人たちから怒りを買うこともしばしば、歌も自然に出来上がってしまうが、論を立てて正当化するという気持ちもない。どうしても孤独な存在にならざるを得ない。そんな僕の生き方は、なにくそ!の連続だったように思う。イエスやジャンヌダルク、菅原道真、仙石左京といった人々の在り方に自分を重ねたりした。イエスは罵声を浴び石を投げられながらゴルゴタの丘を上り、道真も左遷途上の茨木で早く退出させるため一番鶏を無理に鳴かされたりしている。しかし、幸いにも流氷記の刊行により、たくさんの人々に僕は助けられてきた。一首評で歌を共有してくれる人たち、いつも紙折りをしてくれる上埜千鶴子さん、僕の授業や流氷記の世界に親しんでくれる西陵中や西中の生徒たち、その保護者たち、いろんなジャンルの方々にも流氷記を見て貰い親しんで頂いた。いつも自分を語り相談することのできた田中栄さんや、僕を理解し温かく接してくれる元校長好田吉和(甲田一彦)さんなど、本当にたくさんの色々な人たちに助けられ支えられてきたことも事実である。一首評や激励の便りなど、ここに載らなかった玉稿や人の方が多いのが心残りだが、どうかお許し願いたい。一首評も七年ほどの期間なのでその当時の時点であることご理解いただきたい。それでも流氷記の持つ雰囲気は伝わったのではないかと思っている。
最後にこの文庫本流氷記刊行にあたって、自分のイメージ通りに制作してくれた松岡恭子さんはじめ新葉館出版のスタッフと、新葉館を紹介してくれて本を出すように勧めてくれたお隣の岩井三窓澄子ご夫妻、表紙の帯(推薦文)を快く引き受けて下さった三浦光世氏にお礼を申し上げたい。
平成十六年八月二十日
川 添 英 一
人生の機微を深く捉えた鋭い感覚 情景を捉える優れた力量を、この一冊は豊かに示す。(三浦光世) |
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