文庫版『流氷記』掲載一首評
いいように言われて黙って来たけれど僕には僕の言い分がある(紫陽花)短歌にかういふユーモラスな味がにじみ出るのは結構なことだと思ひました。 (阿川弘之・作家)
生まれ死に生まれ死にして流氷の真っ赤に燃えるたまゆらにいる(燃流氷)
生死と流氷。(小生はかつてオーツク海で南極そのものの雪原を見ました。宗谷でしたので、乗員にも南極隊員が多かった。)真っ赤のさまは見ませんでしたが、「たまゆらにいる」はうまいと思います。 (北杜夫・作
家)
鬼気迫る田宮二郎の晩年の白き巨塔の断片残る(蛍)
実は柴田吾郎君、つまり田宮二郎とは約十年のシナリオ上の付き合いでした。犬シリーズ十三作と悪名シリーズ二作の合計十五本を彼に捧げました。お互いに三十歳前後で、人生論を語り合いながら深夜に酒を飲みました。常々《邪鬼》を払おうと《無邪気(鬼)》を装っている彼は時に激しい憤りと悲しさを見せたものです。静かな中に、たしかに鬼気の本質を宿していたものです。わが人生で《鬼気》と《孤独》を見せてくれた唯一人でした。年末に猟銃で自らの生命を断ったのを知った時、彼の演技の本質を知ったものです。右目より出でて電車はするすると夜の隙間へ吸い込まれゆく(断片集)
うーんと唸りました。、四十年前を思い出したのです。映画シナリオ修行中に一番必要なのは、この感じ方だったのです。ただ、シナリオの場合は―吸い込まれ消ゆ―まで考えなくては採用されなかったものです。小説を書きはじめて―吸い込まれゆく―の余韻がわかったのです。 (藤本義一・作家)
天も地も我も全ては網走の流氷原に吹く風となる(二ツ岩)いつも『流氷記』お送り頂いてありがとうございます。私はまだ流氷をみたことがありません。網走も知りません。川添さんのおうたで見た気がして、感覚的には親しいです。ずいぶん長くつづけていらして、大変なお仕事と思います。『凍雲号』の「曇より青空少し見えてきて楽しく心変わりゆくらし」『夏残号』の「妻はただ普通であって欲しいというそれが一番難しいのに」など好きです。ご本がいろとりどりにたくさんたまり、読み手は楽しみですが作り手送り手のご苦労お察しします。母亡くしし悲しみ身体に沁みとおり悪意にも心揺れることなし(悲母蝶)お母さまのご逝去、つつしんでお悔み申し上げます。この三十九号は、病哭のお歌がならんでいて、心を搏たれます。右のお歌に、私は共感しました。悲しみは人の心を浄化し、魂を天外に拉して、この世のものならぬものを、かいま見させます。人の世の@り、というべき、悪意や邪智から、心はしぜんに遠ざかってしまいます。悲しみの深さが、お歌によくあらわれています。 (田辺聖子・作家)
魚のごとかすかに口の動く見ゆ凍りたる夜の電話ボックス
(断片集)遠い昔、古い映画館で観た、モノクローム映画の一画面のように、心にしみます。モノクロームであるがゆえに、より鮮やかな……。 目を開けてしまえば鳥は逃げて行く眠りの森の端に我がいる(惜命夏)《端》とか《角》とか《隅》とか《縁(ふち)》とか…。心惹かれます。なぜか。目を開けると逃げていってしまうもの、鳥の他にもたくさん居そう、ありそうな気もします。二十一号では他にも 接着剤剥がすごとくに眠りより現つに一歩立つまで長し
も好きです。なんだか、わたしも少し疲れているのかな、と、自分の好みに苦笑する十月の暮れです。(落合恵子・作家)
蓑虫のように布団に入りて聞く朝の足音ゆったりと行く(馬の骨)
冬の朝、いつもこんな感じでいました。子どもの頃、朝食を作りに起きて行く母の足音のようでもあり、大人になってから窓の外に聞いた音のようでもあり。朝の忙しい時なので本当は少し急いでいるかもしれないのに布団の中でゆったりと感じている幸せ感を思います。重そうな雲ぬったりと渡りゆく窓にビュッフェの裸木並ぶもよい感じです。
黒い景色を思い浮かべますが、雲と少しとんがった裸木とがあることで、そこからさまざまな思いが広がります。ゆったりとかぬったりとか、少しのんびりした感じが好きなようです。緊張が緩みはじめて母の死の七日後涙滴りてくる(悲母蝶)お母様を突然に亡くされてのお気持、どの歌にも素直に表現されており、十五年前の私の体験を思い出しました。暫くの間は、涙も出ないほど悲しかったこと、もういないのだという気持とどこかにいてくれるような気持とが混じり合っていたことなどなど。とてもすてきなお母様でいらしたことがよくわかります。実は私も、母のように生きたいと思い、今もそう思い続けておりますので、私もそうだったと思う歌を選ばせていただきました。 (中村桂子・生命誌研究館館長。)
いつか見しごとくに山下繁雄描く闘鶏空の彼方まで吠ゆ(水の器)
一管の筆に託してただ軍鶏一路にひたむきに生きた平城画工。戦時には挙国玉砕に敢えて後ろ向きとなり瓦全堂と号した山下繁雄が中秋名月の夜彩光院秋月居士の名で小さな骨箱におさまり本望通り地獄の消印で無事安着の知らせを受けて四十三年の歳月が流れた。生前から退屈の極楽より遥かに筋の通った軍鶏地獄に行きたいと云っていたから悠々とあの世で暮らしを楽しんでいるだろう。山下と深い血脈をもつ作者が「空の彼方まで吼ゆ」の一句に山下の孤独をつきつめた。六甲山麓に住んでから肌身離さず愛蔵して来た―彼から授与された―闘鶏の油画にこの歌をわたしはひたすら読み上げた。 (寺尾勇・奈良教育大学名誉教授
美学者 故人)
流氷の上に横たう我が骸ひたすら独り烏がつつく(二ツ岩)
流氷の歌、他にも心打たれる数首がみられるが、年輪としていただいたのがこの歌。前号では、偶然寺尾教授の選ばれた山下画伯の歌。あなたから戴いた歌集《夭折》再読して感無量。二十一歳の歌境は只々驚くのみ、書も独自であるが、短歌革命の前登志夫さんもおどろかれる新風にして枯淡。ニューコスモロジーは《流氷記》として結晶。《夭折》の天と地と噛み合ううねる光たつ没日に海よいざなうなかれ
の歌が、いま流氷記巻頭の湧き出でてくる歌綴る手帳だけ持ちて流氷来る海へ行くと氷結。 歌集《夭折》が《流氷記》と変身した。
(近藤英男・奈良教育大学名誉教授)
おじいちゃんおばあちゃんにと貝殻を拾う娘に波やわらかし(ぬば玉)
童女の心が純直に胸に沁みとおってくるような一首。幼な子の動作を汲み取る作者のあたたかさ。私はこの表現を到底平凡とは言えない。やはり非凡でなくしては詠めない作品ではあるまいか。生きていることの喜びを、自ら抱かせられる。奇をてらわずにこう詠えたらいいと思う。「貝殻」「波やわらかし」がまた見事に光っている。そこに深い詩を感じさせられた。差別する側よりされる側にある娘の話安堵して聞く(麦渡風)目を惹く表現が一語もなく、
極めて普通の言葉でつらぬかれた一首。この作者としては比較的珍しい作品と思うのだが、やはり深みがある。 人生に対する態度を感じさせる。結句で、
理屈っぽくなく、その主張を伝えている。たやすいようで、むしろむずかしい詠嘆を見た。お互いに小さく腹を立てながら夫婦は一つ食卓に向く(同) この上句も巧みな描写。
小さなことに腹を立てつつ、というのでなくて、「小さく腹を」 に感服。地平線薔薇色に燃ゆ見る限り流氷原は鎮もりの中(渡氷原)三月七日、女満別に用事があって行った。その時案内されて網走まで足を伸ばし、流氷も見た。そして二十九年前、妻と共に見た燃える流氷を思い出したが、右の作に更に思いを新たにした。 (三浦光世・作家)
海に背を向けことごとく船並ぶ流氷原には影一つなし (新緑号)
清澄な感性によって結ばれたイメージがあって、そこに惹かれました。たぶん、ここには、なにものかに対する拒否がある。その強さがある。そして、拒否の孤独に抗するときに、新しい境界があらわれ、まだ名付けられていない無名の世界が見えてくるといえましょう。敍景と心象がバランスをとって対応しあい、あるひとつの決意みたいなものを感知させる。ぼくは、主観が露出して威張っているような言葉の体系を信じない。そういう言説にはあきあきしている。だから、この一首のような過剰さを切り落とした表現が好きです。 (高野
斗志美・詩人、三浦綾子記念文学館長 故人)
わがクラスみんな違ってみんないい明るく笑い励まし合おう(未生翼) 花咲かぬ季にもナズナの根は開く真昼の星のごとく見えねどこの二首には金子みすゞの影響があり、殊に「みんな違ってみんないい」は教育の根本精神と思っているので、この姿勢は肯定します。ただ、作品となると、それを受ける後半が甘い気がしました。といって、これ以外の展開も思いつきませんが。先生にも生徒にもクラス替えの不安があるので「新しきクラスに座る生徒らの不安と期待の眼差し残る」以下の三首に頷き、 その上で「君らとも所詮つかのま滔々と流れる川に陽がとどまりぬ」の諦観に共感しました。言い負けて少し清しき傷付ける言葉避け来し結末ならば(断片集)言いつのり、とことんまで言ってしまえば相手を傷つけること多いこの世の中、一歩ひかえたために言い負けたけれど、気持ちはむしろ、ほっとして、少しだけ清々しい。少し(横に点)、というまだこだわりがあるのがわかる、という共感。その次に置かれた一首で作者はやはり傷ついていたことがわかる。しおしおと帰れば妻にも言い負けて一人座りぬ氷塊のごと (島田陽子・詩人)
アホやなあ先生らしいと生徒より言われてホッと一日終わる(馬の骨)
生徒の投げかけてきた率直な言葉の中に彼らなりの体温を感じて、心の通い合いをかみしめ、ホッと一息ついている教師。彼の毎日がこうした「ホッ」で終わるものであってほしいと、思わず共感してしまう歌である。「生徒より」という語句は、かなり抽象化された表現のように感じられる。「生徒らに」「女生徒に」……などとすると、イメージは違ってくるが、少し具体性が出てくるのではないか、と門外漢の私は呟いてみる。
あえぎつつ子のこと夫のことを言う母を叱りてたまらなくなる(悲母蝶)「悲母蝶」全九六首のうち八七首が母の死を歌っており、その迫力は斎藤茂吉の連作「死にたまふ母」を想起させる。なかんずくこの歌では、死の迫った母の没我的な健気さが「あえぎつつ」という詞でリアルに表現されており、そこに《古き良き日本の母》を見てしまうのである。それを見て「私」は「なぜもっと自分のことを考えないんだ」と「叱り」ながらも、一方で母の限りない優しさに「たまらなくなる」。その内面的な矛盾も深い共感をさそう。 (畑中圭一・詩人。児童文学者)
眠るたび死んでは朝に生まれくる命と思えば一日は楽し(凍雲号)
心はこんなにもまっすぐ表せるものなのだなあと川添さんがうらやましくなりました。巻末で触れておられる斎藤茂吉も、真心ということを書いていたと思います。事物を写す心をさらに写し取るというのは大変なことなのだと思います。それから 代名詞「あそこ」と言えば笑い出す思春期盛り生徒達あり
はなにやらおかしくまた哀しく。あそこがいつまでもあそこでありますように。(貞久秀紀・詩 人)
川と海の間の濃さにて我が裡をくまなく巡り水流れゆく(水の器)
私も、体内に流れる水を感じて、詩に書きました。男の方も似たような感性があるのですね。水の惑星に棲むものは、やっぱり書きたくなるのでしょうね。 薄白き霧氷の森に迷い来て足跡続く目が覚めるまで
きっと、目覚めている時はもっと迷っているんでしょうね。この絶望感の切実さに、親近感を覚えました。 (江口 節・詩人)
通夜のあと人は集いてがやがやと寿司動物の死をつつき合う(二ツ岩)
私自身、この世紀になって八日目に母を亡くしました。だからこの歌に目がいったのでしょうか。いやいや、母のときもこのように感じましたがいつも思うことです。死は終わりではなく、途中のこと――という仏教の教えからするとこの感覚はむしろ普通のことなのかも知れませんね。生物はいつか死を迎え、その次の世へと旅立っていきますが、いつもこの世との接点を持っている――私は今も母と会っています。前よりももっと密に会えるようになったのです。死後すぐにパリ雲上で確かに母は私に話しかけましたから……。 (もりけん・詩人)
冷蔵庫うなりつつ空飛んでいる家族三人眠りただ中(水の器)
一首を選ぶことがこれほど大変で、これほど楽しい作業だということを初めて体験しました。この一首は私の空想癖を刺激し、一瞬にして童話ができてしまいました。題は『空飛ぶ冷蔵庫』―そのまんまですね。『冷蔵庫の冒険』―平凡です。やっぱりこの一首に勝てそうもありませんから、書くのはやめた方がよさそうです。 (中島和子・詩人 童話作家。)
横たわり水の器となりながら人間のこの奇妙なかたち(水の器)
好きだなあ。この歌―『水の器』とは何か、よくわからないところがまず好き。口から尻まで「人間は一本のクダに過ぎない」とも読めるし、プールか浴槽でこの限りある骨と肉の運命をかかえこんでいるのかもしれない。そうか。音のひびきも快いのだ。Y音で始まる音のやわらかさ―そして「この」「奇妙」「かたち」と続くK音の硬質な、そして存在の本質をつきとめようとする意志の硬さと表現の独自性。つい緊張する身体の哀しさよ―
もういいよ死んでもいいよと苦しみの母見て思う励ましながら(悲母蝶)例えば、斎藤茂吉の「死に給う母」一連の中の「のど赤きつばくらめ二つ梁にゐてたらちねの母は死に給うなり」と、この歌とのキョリを思います。近代短歌と現代短歌との間の、苦しいけれど必然の隔たりと、川添英一の人間観の新しさと―前者は名歌といわれるテンノウ制のもと家父長の制度の中の言語であり、川添のは、人は神ではなく、純粋で愛すべき哺乳動物の一種・歴史を作る誇りと責任をもっている地球の一生命体という認識。下句はもうちょっと文学上のレトリックでなんとかしてほしいが、しかし、技術の恐ろしさもあり―
(加藤多一・作家)
流氷の間に間に位置を変えながら真っ赤に濡れて波輝きぬ
(金木犀)「間に間に位置を変えながら」はやや煩瑣の傾向はあるが、それ以下即ち下句の感じ方は特殊性があり、それが今後どのように伸びて行くか期待される。物忘れなど責められて半日を最晩年のごとくに過ごす
(燃流氷)私などいつも体験している事で、大いに共感せられる作だが、「など」には一つの型の印象がまつわり、「最晩年」は語自体に或る過激なものを感ずるのが惜しい。 (清水房雄、読売歌壇選者)
氷塊が鯨の骸のごとくにて一つだけ夕日を浴びている(二ツ岩)大きな氷塊が、あたかも鯨のかばねのように見えるという、この直喩が説得力があります。じっくりと氷原を見つめてきた持続力の成果でしょう。詩的なイメージが、きわやかに現出してきます。下句の、そらにくれないの色彩が映えているという描写が、巧みにマッチしています。破調も効果的で、ひそかに自然のはからざる様相におののく情感が溢れます。さりげない氷塊の描写のなかに、大きな生命力が滲むものとなりました。主観的な表現を極力抑えたところがよいのでしょう。やはり当然のことながら、簡潔な截り口が魅力です。
流氷が今日は離れて彷徨うと聞きて心も虚ろとなりぬ(小秋思)
氷海の動きを、じつに執拗に、かつ多彩に詠んでこられました。目撃したことのないわたしには羨しいモチーフです。大きな自然を前にして、
己れの小さな存在をいやおうなしに体感することでしょう。この一首は、みずからの内的葛藤と微妙に結びついています。離岸していく流氷を知ったことで、動揺し、かつ緊張感が失せていく、そうした心理を抉り出しています。やはり短歌は、生身で生きる人間のありか、それが見据えられていく必要があります。こうした作風を大事にして下さい。これも個人誌の成果でしょう。一匹では寂しいからと蟋蟀を増やしし娘共食いを知る(秋沁号)
少女のやさしい心配りと、はからずもきびしい自然の抗争を知った痛みを、作者はしかと見守る。たんに少女を愛する域を超えたものがあり、その視点にうなずく。この一首とともに ピアノ弾くように少女はパソコンに向かいて機器の一部となりぬ
クールにその姿態を見つめた歌も、深く印象にのこる。いつもピアノを弾いている少女なのであろう。ひたぶるにパソコンに挑むポーズに、目を細める。この二首の情愛は、美しく交錯する。 (篠弘・歌人・毎日歌壇選者 現代歌人協会理事長)
次々に土に吸われて細雪斜めに異次元空間に降る (凍雲号)
ことばの順序が複雑な不思議な歌だ。「細雪」は大気中を斜めに吹き、土に到達すると融けて土中に吸われてゆく、というのが常識的な順序であろう。そのとき、「大気中」という空間と、「土の中」という空間は、どちらも三次元的なひろがりをもった空間だが、両者は異なった空間軸をもった「異次元空間」ということができる。しかしこれは全く物理学的な理論説明に過ぎなくて、この歌の真意はむしろ、「水」という物質の固体から液体への転移を暗喩して、人の心の存在空間が異質に変貌してゆくさまを詠んだのではなかろうか。 (
和田悟朗・俳人 奈良女子大学名誉教授 )
氷塊は一部屋ほどの大きさにぎっしり岸に積まれて並ぶ(二ツ岩)
一昨日の『高浜虚子記念文学館全国俳句大会』で私が特選にとったのは《一抱へほどある波の花もとぶ》という作品だった。「一抱へほど」という把握に、これを得るまでの見つめている努力の時間にうたれての選だった。抽出した流氷塊の歌は、もっと大きく「一部屋ほどの大きさ」と把握されていて圧倒された。短歌もやはり即物具象の詠出が強い存在感を読み手に与えてくれると思って感動した。 (茨木和生・俳人)
スーパーに籠もて巡る新鮮な死が飾られて並ぶ静けさ(ぬば玉)
魚が好きである。食べるのが…。泳いでいる魚と、食卓に料理されて並ぶ魚について、それぞれ別々の感受性を働かせる、魚を食べる、ということは、実は魚の死を招くことであり、スーパーなどでその屍体を買うことなんだと、この歌を読んで気がついた。当たり前になっていた殺戮。生きのいい新鮮な臭いを立てて、たった今まで生きていたような。次の歌も次の歌も「死」を買うことのできる人間の豊かさへの直視がある。金子みすずに「お魚はかわいそう。なんにも悪いことしていないのに食べられる…」という詩がある。でも本当に可哀想なのだろうか?お魚は。 (堀本
吟・俳人)
網走の二月の雀よ酷寒の大気を群れて鳴きながら飛ぶ(帽子岩)「二月酷寒には革命を組織する」の美しくも潔い一行ではじまる「二月革命」が収められた『吉本隆明詩集』一冊をいつも小さな鞄に入れて彷徨っていた学生時代の日々を突然思い起こさされたのは、作品の「二月」「酷寒」の言葉ゆえにほかならないのでしょうが、それも「網走」という地名があるが故になおさらといえるでしょう。記憶に、というよりも身体の深いところに染みついてしまった詩行をゆくりなくも揺り動かし目覚めさせる力を短歌という形式は有しているようで、そうしたいくつかの詩行を身体の深いところに染み込ませたまま、ついには向こう側に行くことになるのだなという思いを抱かされたのでした。さながら網走の酷寒の風に吹き飛ばされている小さな雀のように。 (藤野勲・俳人)
やかましく死は死は死はと蝉の鳴くそう死に急ぐこともないのに(蝉響号)
昭和三九年の拙句に「かかるときぜにぜにぜにと蝉が鳴く」というのがある。田辺聖子さんにも『川柳でんでん太鼓』の中で「三窓さん調のおかしさ、金繰りを按じていると蝉の声まで『ゼニ、ゼニ、ゼニ……』と聞こえるのである。これは油蝉だろうか、つくつく法師なら、『おあしー、おあしー』と聞こえるかもしれぬ」と取り上げて頂いた。昭和五一年の川柳誌『番傘』に「夏蝉がシューセンシューセンと鳴きだした利彦」と言う句があり、私が句評として「夏の思い出はすべて終戦につながる、我々戦中派は、蝉の声にさえ、とくに八月は、ただの蝉の声とは思えないのである」と書いたことがある。犬語、猫語、を解する、と言う話があるが、蝉は蝉で、蝉語で何を語っているのであろうか。 (岩井三窓・川柳作家)
トータルで人生なんて分からない寄り道ばかりして来たけれど(未生翼)大学へ入る前に一年寄り道をした。大学ではマスコミ学を専攻していたのに、四年になってから、小学校の先生になろうと思いたった。運よく教員資格認定試験に受かり、教員免許は取れたものの、小学校教諭になれたのは卒業して二年後。その教諭も十九年で辞めた。もう一年勤めれば退職金がぐんと増えるのを知っていながら。ひょっとしたら、今も寄り道をしているのかもしれない。(野村一秋・作家)
船のごと網走台町潮見町夕日の浸る氷海を行く(凍雲号)
私は網走市台町二丁目六の一〇という住所に居を構える。ここは昔、知人岬と呼ばれていた海抜五三メートルの崖の上である。その最先端で流氷の海を眼下にしていると、まさしく私の身体は家ごと氷海に突き進んでいくのだ。そのことを、この歌で教えられた。身ぶるいするほどの感動だった。三十年近くも同じ場所に住んでいて、一首の歌で初めて気づいた感覚だった。今冬は流氷量一〇という全海面を覆う状況である。この小文を書いている夕刻も、私は台町の町ごと家ごと、朱色の氷海に分け入って行く。 (菊地慶一・作家 流氷観察者)
全員が百年以内に死ぬること既定の事実として授業する(麦風号) 「教室の全員いずれいなくなる死ぬ順番は神のみぞ知る」と甲乙つけ難く、身に迫る一首。そんな、はかないかなしい存在なのに、憎愛の感情や生きている大変さに悩まされる人間、因果なものです。(中平まみ・作家)
落ち葉踏めばドングリ混じる秋の香の斑らな日差しに溶かされている(輝く旅)
京都の三月書房は、一見なんでもない書店のようで中に入ると、選び抜かれた、とんでもない本ばかりある書店だ。『流氷記』は、その本の中でも特別大事な宍戸店主の座る脇に置かれた鞄の中にあった。手に収まる小さな歌集は、大事なたまもののようにも都の景色に馴染んでいる。落ち葉踏めば秋の日差しに溶ける香り。匂い立つような秋がある。今回、この冊子へ架ける喜びをまた、ドングリのように、ふと足の裏に心地良く当たるものになれば、とても嬉しい。(大島
なえ・作家)
やかましく雀ら騒ぐ早朝に集いて家族臨終を待つ(漂泡記) 十四年前に逝った父が、
早朝、病院の個室で、大きないびきで臨終を迎えようとしていた時、私は父の枕元で、 確か窓の外の雀が騒がしく喋り合う声を聞いたように思います。今そう思えるのは、
鋭い観察眼をもったこの一首を読んだせいかも知れません。 (佐藤昌明・作家)
無駄なもの余分なものを削ぎ落とし幾山河行く流氷のごと(麦渡風) この七月に八十歳になった私に、
この「流氷」は途轍もなく大きな存在感となって迫って来る。人生のテーマに「自己史」を選択してからは、それまでの諸関係の中の無駄なもの、余分なものを大胆に削ぎ落として来たが、その途上、予期しない人や書物との出会いに胸ときめかしながら、新しい体質作りに励んできた。権力者が仕掛ける一切のイデオロギーに拒絶反応をするような体質、この様な体質の所有者にだけ、自然界の生命力に目が開かれ、この「流氷」の存在感を口にする資格があるのではなかろうか。 (宍戸恭一・三月書房店主 三好十郎研究家)
さまざまな歴史重なる本統の自分を捜しに古書店に寄る(燃流氷)
川添先生は、古書店の客である。以前二三度本を買い伺った事もあるし、網走から送って来た事もあった。様々に歴史重なるこの方から買い取った本の中に、思い出に残る本がある。南伝大蔵経という七十冊に及ぶ仏書であるが、この本は、暫くして、広島の若いお坊さんが買ってくれた。十年以上も前の事である。それ以来、このお坊さんと御縁が出来て、今も続いている。古書店にも様々な出会いがあり、様々な人生が有る様だ。一冊、一冊に、著者の、出版社の人達の、又旧蔵者の人生が、秘められている。私も人並みに、迷いながら生きてきたが、五十歳を越えて、やっと、本統の自分はここに居ると感じている。 (園田久行・
(株)オランダ屋書店店主)
今まさに離れんとする滴くあり命の重きかなしみが見ゆ(凍雲号)
私の写真集を求めて下さってご感想と共に『流氷記』
(五号発行の頃か?)を届けて下さり、その後創刊号と共に毎月忘れず拝見することになりました。私の大好きな道東網走で教職につかれたことから『流氷記』のタイトルが気に入りました。私の感想も最近は求められるのですが、忙しい生活ではゆっくり鑑賞する時間もありません。私の写真の内容以上に歌は奥深く簡単に批評は出来ません。流氷記の縁で私の写真集(『ふゆいろ』)にも登場してもらって多くの読者の眼にふれてもらって喜んでいます。この一首は『水の詩写真展』からと…
(津田洋甫・写真家)
流氷原心残りし墓標にて果てまで幾多の沈黙続く(紫陽花)現実的な流氷原から伝わってくる大自然の息遣いに圧倒される。記憶の中での流氷原は時に哀しく苦しみを含んで脳裡を駆けてゆく。見る人の心の裏側を映して、刻々と光が薄らぎ、手の温もりまで失ってしまう。数時間の生命を懸命に燃やし続ける妻の魂が氷海に放たれてしまった。この一首から私は昨年十月亡くなった妻の姿を見た。三十数年流氷を追い求めたが、本物の流氷を見ることが出来なかった。今、流氷原の彼方に、置き忘れられたように輝く雲の一端に、あの優しい眼差しを感じている。流氷原は闇と化す。 (山崎猛・写真家、アルプ美術館長)
飛鳥川多武峰より下りて来る少女に赤き花ひろがりぬ(明日香) ふさ手おり多武の山霧繁みかも…(万葉巻九、1704)
と浮かんでくる細川谷は急峻な川が一気に石舞台まで落ちている。冬野川と呼ばれる飛鳥川の支流は流域の棚田を潤し、豊饒の秋にはやさしい曲線を描く棚田の土手を、曼珠沙華の紅が染める。
彼岸の数日間、明日香の里は緋衣の紅が染める。少女に赤き花ひろがりぬ、印象に残りました。 (上山好庸・写真家。)
雨の後にわかに浮かびし水溜まりアオスジアゲハ揺れつつ止まる(明日香)夏の朝早くスコールのような雨が降った後、雑木林の小道に流れ出た砂はまるで掃き清めたようで美しい。草木の葉も雨を吸って生き生きとし、未だ乾かぬ水滴が太陽に輝いて、虹のごとくに煌めいている。清純だが夏独特の暑さの中に、エメラルドグリーンの帯を持ったアオスジアゲハが砂の上で吸水を始める。はじめは一頭だが次第に数が増えて、
羽を震わせながら夢中になっている様は、俗世間の垢で汚れた人間が踏み込んではいけないような光景である。フィールドに足繁く通ってもなかなか出会えぬ一齣である。 (吉田富士男・ウィークエンド・ナチュラリスト)
雨に濡れた葉よりすっくと立ちて咲くシロツメグサあり輝きて見ゆ(麦渡風)
身の回りのありふれた小さなものへの眼差しに共感。
野の花はレーダー/さりげないふうをして/宇宙の霊気を受信している。
野の花は塔/風の音を聞きながら/はるかな地平を眺めている。 (清水敦・造形作家)
管弦楽華やかなれど夭折のモーツァルトはひっそりと死す(蜥蜴野)
新聞に「モーツァルトはポークカツで死んだ!?」という小さな記事が出た。それによるとポークカツ (ウィンナーシュニッツェル)
の寄生虫が死因だという新説があらわれたらしい。発症から十五日後に亡くなったそうだ。いわばコロリと往ったわけだが、やはり「ひっそりと」が似つかわしい。 (林哲夫・画家)
歌作るこころにひそみいるらしきかなしみまとい生きゆく我か(流氷記抄)
小生は川添氏に二十数年前たった一度お会いしたきりの短歌の門外漢ですが、氏の生き様にひそかにひかれるものがありました。年賀状や風の便りに聞く氏を小生は勝手に、怒りと悲しみの人と思い続けてきました。それがこの歌によって間違っていなかったと納得した次第です。歌や詩を作る人間は誰しも悲しみや寂しさというものを持っているものですが、この歌ほどそれを端的に表現したものはないと思います。
(鈴木 悠斎・書家)
月もなき夜といえども目交いは白き流氷光を放つ (春香号)
流氷の地、網走が川添さんの魂の拠り所となっていることを、矢継ぎ早に刊行される流氷記から読み取ることができます。流氷記を読み返しながら、決まったようにたどり着くのはそのことです。魂を光が迎えに来るという流氷の海夕焼けて燃ゆ(燃流氷)川添さんの魂は、現在身を置く高槻と曾住の地網走の間を自在に往き来しているのに違いありません。流氷の地は、川添さんにとって、さながら聖地のようです。 (深尾道典・シナリオ作家。映画監督)
天や地に死者は還りて夕方はますます赤く日が沈みゆく(二ツ岩)
アーネスト・ヘミングウェイの小説『誰がために鐘は鳴る』の冒頭に、英国の詩人ジョン・ダンの詩が揚げられています。要約すれば、
「島は小さな砂から成り立っていて、岸辺を洗う波によって砂が海中に没(死)する。やがてはあなた(という砂)も海中に沈むのだ。ゆえに問うことなかれ「あの弔いの鐘は誰のために鳴っているのですか」と。それはあなたのために鳴っているのだから」この歌を目にし、ジョン・ダンの詩を思い出しました。 (林禧男・シナリオ放送作家)
槍のごと雌日芝雄日芝咲き群るる丘に魔神のごと我が踏みて入る(明日香)
網走大東館にて合気武道に励んでおられたことを思い出します。槍ぶすまを恐れなかった武田惣角のごとき心持ちで野に入る姿が浮かんできます。鞍馬山には、魔王が降りたとの伝えがあります。そこが武術の修行所となったことは興味深い。鬼一法眼から源義経へと伝承される兵法書も鞍馬山に所蔵されていた。「魔神の我が」という表現に、鞍馬の魔王を連想した。姿も見せず宇宙を飛び回る摩利支天は、武の原点と思います。 (岩田一政 武道研究家、日本銀行副総裁)
神となり渡る魂みしみしと流氷泣きて禊がれてゆく(蜥蜴野)
この神は、アマテラスやイエス・キリストのように人間によって捏造されたものではなく、太陽や月と同じ自然の脅威から感覚する原始宗教の神的なものだろうと感じました。流氷が岸を離れて流れ出すときの壮絶さは、
私も日本の北の端に旅したときに目撃しています。かぶさってゆこうとする氷塊、圧迫されて喘ぐ氷塊、ずるく潜り抜けてゆく氷塊などを観ていると、まるで人間社会の葛藤を観ているような感じがしました。 (リカルド・オサム・ウエキ 作家。ブラジル在住)
抱き締めて欲しいと娘祖父の死を時に受け入れ難くなるらし(卵黄海)
最近、母を亡くしました。母の年齢は八十八歳で、私は六十三歳。でも、まだまだ母とおしゃべりがしたかったし、わがままも言いたかった。母の死を受け入れられるのは、いま少し日がかかりそうです。
(藤田富美恵童話作家)
道の傍ナズナの花の凛と咲く並んで芭蕉と我と見ている(蜥蜴野)
「よく見れば薺花咲く垣ねかな」は何気ない句ですが、いいなァと思ってきました。
日常に「よく見れば」という行為はなかなか果たしがたく、「ふと見れば」程度の日々を送っておりますけれども、それもこれも肯定してくれそうな芭蕉の眼差しを感じます。「道の傍」の作者は、「芭蕉と我と見ている」と仰言います。古人の世界に、そのような同化を赦されたと感じる瞬間のありえることは、僥倖の一つではないでしょうか。御歌を拝見し、私にはもたらされない世界だなァと羨ましく存じました。
(横尾文子 白秋研究者)
ものなべて虫の音となり燦々と星の輝く深夜となりぬ(秋沁号)
秋の夜の、当然のことを言っている歌だが、その当然のことを作者は自らの言葉で着実に述べている。「ものなべて虫の音となり」は誇張だが、その誇張は下句の星の輝きを導く必然として効果をあげている。それとなく、人の生きるさびしさをも感じさせてくれる佳い歌である。 (来嶋靖生・歌人)
煙草害の授業を終えて一服する体育教師うまそうに吸う(麦風号)
肺だの気管だのがタールに黒々とまみれた禁煙取材用スライドなんぞを小生も見た覚えがあるが、あれは確かに恐ろしい。恐ろしいけれど、煙草はうまい。特に授業後の一服と来たら、実にもうサイコーにうまいのである。テメーら煙草なんか吸うんじゃねえぞ、などとエラソーに説教しつつ、みづからは愛煙家という体育教師の姿が生き生きとして妙にリアリティーがある。こういうシーンを歌う川添さんの眼は微苦笑に満ちて、なかなか味がある。 (島田修三・歌人)
年の暮れ突然逝きて網走の棚川音一賀状を残す(金木犀)川添英一といえば確かに船首で水を切った一時代のあった名である。したがって送られてくる毎号の小歌集にもう少しもう少しと注文をつけ、返信は留保してきていた。今も「心込め作りし歌も拙くて」などとは金輪際言ってほしくないし、むやみに作らないことに恃むところあってほしいと思うのである。掲出歌、死者の名まで含めてのこの感情を支えているところが何ともいい。他に「金木犀に雀騒げは明るくて障子に映りし影消えている」「雨の後しばらく虹の観覧車見ており二人手が触れている」がおのずからで佳品と思った。自ずからがよい。 (田井安曇・歌人)
地球にはクレーンが棲み人間が周りを蟻のごとくに動く(蝉響号)
二十世紀も残りわずかとなった。二十世紀という概念はもともとキリスト教を中心とした西欧のもの。しかし、仏教国たる日本にも定着してきた。右の一首は、世紀末の地球の在りようを、大変アイロニックにとらえ、するどく告発している。どきりとさせられる内容の歌である。金木犀に雀騒げば明るくて障子に映りし影消えている (金木犀) 読んでいて、ハッとしました。
とてもいい歌です。とくに、下句の把握、表現がいいと思いました。「明るくて…」というかすかな条件法、それが「影消えている」の結句にぴったりとつながっています。技巧を感じさせない技巧(呼吸)というものを感じさせます。北原白秋的な世界を詠みとりました。 (松坂 弘・歌人)
道の外れ薮の繁りにトカゲいていそいそジュラ紀に逃げてしまえり(明日香) いい作品たくさんありましたが、
この一首にしました。ジュラ紀とトカゲは卓抜な飛躍ではありませんが、一首全体にユーモラスもあり選びました。
(前川佐重郎・歌人)
湧き出でてくる形象の一つにて少女の背中ゆうぐれてゆく(蛍)歌をずーっとよんでいるうちに、
この一首が異彩を放って目にとびこんできた。これはいったいなんだ、どういう情景だと、くり返しくり返しよみこむが、よくわからない。けど、ひきつけてやまない。作者の視点は明らかに少女の背のみえる位置にある。つまり少女をうしろからみている。その背がゆうぐれていくというのは、一日のおわり、あるいは少女時代のおわりであり、生のおわりの方向をさしている。ローマンをにおわせているようで、実はまったくその逆だろう。底深い引力を秘めた歌だと思う。
(佐藤通雅・歌人)
自分とは違う自分が語られて自分のように見えることあり(金木犀)
自分のことは自分が一ばんよく分かっている、などというのは大それた言い草で、他人の目に映っている自分こそがまことの自分なのかも知れぬ、自分というこの不可思議なるもの。誰にでもふとそんなことを思う一ときがある。この一首、さらりとさりげなく述べられておりながら、実はそのさりげなさのゆえにこそ、怖いことがうたわれてもいる。毎号お送りいただいて、この粘着力の強さは、この一首のさりげなさの中にひそむ力なのだろうと思った。 (大塚陽子・歌人)
ゆっくりと沈みゆく日よ今日もまたあらゆる所に人の死がある(燃流氷)
この号は高安国世の死を悼む歌をはじめ最近起こった凶悪殺人事件からイチョウの一葉まで、死を詠んだものが多い。身近に人の死がない日がつづくと、つい死など遠いものに思いがちだし、だからこそ人間はいつまでも生きていられるような気がして勉強したり働いたり出来るのだが、言われてみればその通りなのである。
戦国時代や大戦中の戦場に身を置く人の述懐ではなく、平和な現在の日本にあってそのことに思い至るとき、この一日を終わる夕日はゆっくり沈んでいくように見える。 (小野
雅子・歌人)
人の好い生徒がいつも引っ掛かる問題少しひねって作れば(燃流氷)
教師の歌を集めています。集めてどうしようというのではありませんが、私も教育の現場に身を置いているので気になるということです。社会全体の有り様が鏡のように写っているのが子供の世界です。この一首もそういう意味で今の日本の社会を切り取っていると思います。人の好い人間がますます生きづらくなってきた日本。そして、そういう状況に加担している己(教師)の姿。そういう視点で教育の現場、教師の姿を歌っていけば、教師の歌もまた説得力を持つのだと思います。そんなことを考えさせてくれる一首です。 (西勝洋一・歌人)
平和ゆえ平和の言葉なき民とまずゲンダーヌは語り始めぬ(麦渡風) この歌のあとに「日本名北川源太郎拒否しウィルター人ゲンダーヌとして死す」という作品がある。
この《ゲンダ》と《源太》の間をつなぐひとすじの糸、否、荒々しく太い縄の中に充満する、そのゲンダーヌの心の中の忿怒と自恃の思いが、まざまざと見える気がする。右の歌を、掲出する歌の底に沈めて再読するとき、「平和ゆえ平和の言葉なき民」というフレーズの重さがずしりと読み手にこたえるばかりか、そのあとゲンダーヌが何を語り、作者自身がどう聞き、どう受け止めたかまで、はっきり感じとれる。 (米満英男・歌人)
帰り道下るは桜通りにて獣の匂いの満つる坂道(桜伝説)土屋文明を困らせた川添作品はどんな一首であったのだろうか。若きこの作者の新鮮な表現と純一な抒情は印象的であった。あげた一首「獣の匂い」は、食に関わる店なども並ぶ「桜通り」か、あるいは文字通り桜が続く道であり「獣」は花見の人や雑踏の喩とも思われる。「坂道」はこの一首の風通しの役を果たしている。 歳月は人間を太らせ豊かにし、また変えもする。が、若き日に見せた資質は変わらぬはずであり、どこかに光っている。この一首、壮年川添英一の、今を生きる力ある歌といえよう。 (中野
照子・歌人)
高きより紅葉の町の昼見えてカラスも影も横切りて行く(銀杏葉)作者がある秋の昼見つけたワンダーランド。紅葉の町を横切る一羽のカラス。影もくっきり紅葉の町を横切ってゆく、「誰かが私の墓の上を今歩いている」と、外国の小説にはよく出てくる。日本ではあまりこういう表現をしないが、この一首はそれを思い出させる。生きている現実の中に、ある時しんとこの世のものとは思われない霊妙な時間が現出する。その時人間は、生でも死でもない時のはざまにおののくだけである。 (大和克子・歌人)
死ぬることずっと先だと思いしに高安国世逝きてしまえり(燃流氷) 昨年(平成十一)七月十六日、
師の和田周三(繁二郎)が亡くなった。思えば、私が昭和三十五年、大学に入った時、ふと見上げると、作家の高橋和巳と哲学者の梅原猛がいた。また歌人の和田周三と国崎望久太郎がいた。
ともに〈先生〉として私の前にあらわれたのである。大学二年のとき知り合った北尾勲(ヤママユ)と京都在住の歌人を尋ねようということになった。田中順二、高安国世と次々と十人ばかりたずねたものである。もっと先だと思っていた高橋和巳が亡くなり、国崎、高安、和田と歌を残して先立たれた。 (安森
敏隆・歌人)
冷えしるき朝の大気を灯すため橙実る坂下りゆく(馬の骨)
厳寒のころの作品であろうか。手も足も、体全体が凍えてしまいそうな「冷えしるき朝」なのである。そんな中、眼前に橙が何個も実っている木があった。まるで「大気を灯す」ように。しかも、そこが坂道であってみれば、この情景は鋭角的に見る者の目をとらえて放さない。何の気負いもなく、淡々と歌われていながら、ここには一つの確かな世界があるように思える。
(北尾 勲・歌人)
死に向かう生も溶けゆく流氷も照らして斜陽かけらとなりぬ(夏残号)生けるものは必ず死す、形あるものは必ず滅すと、この世の約束事がある。大自然の流氷も溶けていくのだ。のぼる朝日もあれば落陽もある。そこまで思いいたれば人生もさばさばしたものなのだ。作者も大自然の中で浮世の葛藤に思いをはせたのであろう。不治の病いに苦しみながらも、運命に逆らえないと居直っている私には共感をよぶ一首である。 (原田昇・歌人、故人)
〈わが心モーゼとなりぬ氷塊の果てまで陸のごとくに続く〉〈薄氷の海一面に銀色に輝きて明るき空映りいる〉〈新雪を踏めば大きく音のして命の一歩こだましてゆく〉 (渡氷原) 《魂まで透き通る造型》
北海にひしめく流氷の青冴ゆるとき、魂まで透き通る特殊な情念の昇華が余すなく造型されている一巻に目を見張る思いがしました。南海に住んでいて、そういう世界の追体験の出来ることをよろこびとします。 (竹内
邦雄・歌人)
生徒にも土にも光が沁みわたりたばしる足の回転が見ゆ(冬待号)
学校時代の、独特の土と光の匂いがする。明るくエネルギッシュで、切なく孤独なあの時間の風景が見える。 (小島ゆかり・歌人)
我が前に次々開く白き道ためらいもなく歩みゆくべし(秋夜思)
この歌は当然、茂吉のあかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけりを意識しているだろう。意識しつつも、てらいなく堂々と歌い上げるのが川添さんの長所だ。いま目の前に開けてゆく道は、実景であってもいいし、また象徴的な人生の道であってもいい。その道をためらうことなく歩いて行こうという気持ちがまっすぐに伝わってくる。そこが清やかで心地いいのである。また、この号では十月の終わりの雨か冷たくてやさしく細くひたひたと降るにも強く引かれた。気持ちが純な人なのであろう。 (桑原正紀・歌人)
ゆっくりと攝津富田に入る電車始発明るき透明な箱(帽子岩)どこかへ出掛けるのか、朝の始発電車を待っているとガラ空きの電車が室内灯も明るくホームへ入ってくる。作者は、それを「透明な箱」と把握する。八〇首を越える今号の作品の中には「述志」の歌なども含まれるが、私は、この歌のさりげない叙景が好きだ。少なくとも、ここには「詩」がある。「摂津富田」というのは東海道本線の高槻の一つ大阪寄りの駅名で、川添氏の住いする所である。「地名の喚起力」というものがあり、地名という固有名詞をうまく使うと趣きのある作品が出来る。この歌は、そんな一つである。 (木村草哉・歌人、詩人)
腕時計の硝子に映る竹すだれ夏の日分断されて明るし(麦渡風)現代の短歌は結局「写生」を出てゐない。―といふことは、作者が歴史を持つてゐないといふことである。人間がちつぽけなのである。しかるに川添氏は希有な叙事歌のよみ手であらう。氏のニヒリズムは死を憧憬し、かつ花々を愛し頬を寄せるといふ行為を尽してはばかりがない。かつて日本ロマン派といふのがあつた。
その中心人物は私の住む大和桜井の出身である。
―川添氏の詩心はむしろさういふところに近いのではないだらうか。この一首、写生をぬけきつて、抒情化されてゐる。 (長岡 千尋・歌人)
高きより見れば縫い針縫うように特急が街に光りつつ入る(小秋夜)
この歌実に印象的で気に入りました。街に入ってくる夜の特急のようすを縫い針が縫うように光を放って入りくるという表現は見事だと思います。見馴れた光景を適切な言葉で捉えているのに感心させられました。(里見純世・歌人)
果てしなく続く氷塊空の青攻めぎて地平せり上がり見ゆ(秋夜思)
流氷記にふさわしい一首を選び出してみた。時期的には、流氷の歌は、私の場合、一月の始め頃から流氷鳴りの前触れみたいなオホーツク海の空の色や、北西の寒風が肌にピリピリと感じる時点から作歌を始めるので、新鮮味のある歌が出来上がるまで満足できないでいる。そこへゆくと、この一首は秋の夜にさえ氷塊が、空の青が眼裏に強く焼き付いている厳冬の雰囲気を盛り上げていて私好みの作品になっていて共鳴できそうです。網走の十一月に入ってからの海の色は鈍び色が濃くなっています。晴天の続く日が少ないからでしょうか。 (松田
義久・歌人)
流氷をめぐりて飛べる海鳥よ曇りてあれば響きつつ鳴く(流氷記抄)
曇天下の氷海は晴天よりも奥行きが深い。一羽の海鳥に化身した作者の哀切極まりない思いが、響きつつ氷海の果てへと飛ぶ。何故に、
都会派の彼が、これ程までに北海の風物、 とりわけ流氷に執着するのであろうか。流氷の膝元、網走の我々でさえ、
流氷の歌は数少ないのである。「卑俗限りない生身故歌だけは清澄でありたい」十九号後記の述懐が鍵になるのか。
卑俗卑小な自己認識から創作の闘いがはじまる。これが彼の視座だ。 そして流氷は魂を清澄にする光源だ。 (高辻郷子・歌人)
斜里岳の雪の形を見て決める種蒔き時あり土ほぐれゆく(春香号)
斜里岳は標高千六百米頂上は二峰に分かれ、知床半島の付け根のあたりに急峻な姿を見せる。土地の農家は朝夕眺めて暮らす事になるが、五月から六月にかけて次第に山容を鈍色に変え、山襞に残る雪渓の白さが目に付く。丁度この頃春の播種期が終りを迎えて「別れ霜」の時が近づいたのを知るのである。かつて網走在住の経験のある川添氏は、
我々の生活感をより深く抉り取られた。「見て決める」その背景をしっかりと押さえている処に、旅行者の視点を越えた心の働きが感じられる。 (本田
重一・歌人)
真っ白な歯と歯の軋む音のして神のみ渡る流氷原あり(新緑号)
私も網走の海岸に永い年月を過ごしました。そして流氷の押し寄せる音にひかれて幾度かこの流氷の音を聞き、心の引き締まる思いをしたことがありました。流氷の軋む音を神のみ渡ると表現されておられますが、私もこの清らかな響きは御身渡と感じております。 (葛西操・歌人)
ひび割れた舗道にエノコログサ伸びて今朝は破滅も破壊も楽し(秋声号)流氷記とする一連の歌集、大変興味深く拝見しております。物事の核心を衝く鮮やかで鋭い詠み方に独特の境地を拓きつつあるようにも拝見受け致します。川添短歌とでもよぶべきでしょうか。追いかけて来て階段を踏み外す夢といえども背骨に響くこんな歌などにも親近感を覚えます。流氷記はどの号も面白く、時にはぼやきであったり、また皮肉もあり、定型の枠の中で自由に詠い上げられて、とても気分のよい歌集でした。 (南部
千代・歌人)
人間の人間による人間のための二十世紀も終わる(惜命夏)多分誰も選ばないでしょう。でも、ピープルを《人民》と日本語訳した人はスゴイと思いませんか。短歌をさしおいて変なこと言いますが、人民を人間と置きかえた川添さんもスゴイと思いますよ。(神野茂樹・『大阪春秋』編集長)
愛想の悪き小さな古書店の主も夏も逝きてしまえり(秋沁号) 八月十五日は関西のお盆で、
今でも盆踊りがあちこちで催される。盆踊りがすむと何だか夜闇の通行人も急に減って、いよいよ夏が逝ってしまった気がして、子供の頃からいつも淋しいような惜しいような気になった。愛想の悪い小さな古書店のオヤジも、確かに見なくなったような―錯覚ではあるが、実際に自分もそういう体験をしたような気がする。考えてみると、この歌は過ぎてゆく時間へと淋しさや恐れをうまく表現した大きな大きな詩のように思える。 (川口玄『大阪春秋』元編集長)
紫に流氷の帯灯しつつ卵黄やわらかに昇りゆく(卵黄海)藤色に流氷源は影のごと卵黄の海輝くばかり(卵黄海)
壮大な流氷源に視る巨大な時のドラマに立ちつくすあなたを見ます。さまざまな想いを淘汰して敢えて光と色を詠いあげた心に共感しました。いつも、日常の様々な現象や乱れる心と視点を一瞬凝視して、鋭く詠い込む力量に敬服しています。ここでは、大自然にただただ素直に対峙しているのだと思います。北国の雄大な美しさです。やはり自然は私の心を洗い流してくれる。その想いを新たにしました。ありがとう。 (弦巻
宏史 元網走二中教諭)
流氷記親しむ中学生も増え彼らの心に少しだけ入る(小秋思)我が闇と生徒の闇と繋がりて大津皇子のかなしみうたう(水の器)
いつからかわたしは、川添先生の歌のフアンなのか、それとも先生の生徒たちのフアンなのか分からなくなっています。流氷記を届けていただくたびに、
紙面を埋める生徒たちのことばに真っ先に目がいってしまいます。生徒たちが若々しい感覚で先生の歌を読み、味わう姿が目に浮かびます。そして先生と生徒たちがどんな授業を創っているのかを想像するだけで楽しくなります。歌のすばらしさとともに、
先生の国語教師としてのお仕事に拍手を送っています。 (山内 洋志・元網走二中教諭)
山脈のごとくにうねり盛り上がり氷塊の上に氷塊は立つ(渡氷原)
流氷を氷原の原点としてこだわってきた川添さんが、氷塊に目を向け、たくさんの作品を生み出している。間近に氷海近く、全身で向き合っている作者のひたむきさに打たれる。北の海のすさまじい自然と力を動的に、しかも視覚に訴える的確な表現だと思う。流されて追い詰められて盛り上がる氷塊我の生きざまのごと(燃流氷)
前者のような自然詠だけでなく、厳しい北の海の氷塊を眺めての自己省察、寂寥感があふれ、人間川添さんの表現となった。 (小川輝道・網走二中元教諭)
近づけば近づく程に寄り添いて一つの岩となる二ツ岩 (新緑号)
私達にとって、慣れ親しんでいる網走の景観の一つの二ツ岩。本当にそうなのです。近づけば近づく程に寄り添いて、一つの岩となる二ツ岩なのです。二ツ岩を夫婦や恋人達と置き換えてみるとおもしろい。いろいろな人生模様が見えてくる。寄り添っているようでもあり、そうでもないような微妙な心の動きが、二ツ岩におし寄せる波の音と共に伝わってくる。網走の良さを再認識しています。『流氷記』に心から感謝しています。 (
井上 冨美子・網走二中元教諭)
かくまでに尖りし心も少しずつ金木犀の香にほぐれゆく(金木犀)人混みに紛れて死んだ筈の人ふと擦れ違う一瞬がある(秋沁号)
今は無き木造校舎の職員室で、手帳片手にした笑顔の川添さんと、なにやら宙をにらみ一点に突き進むその姿とが、一瞬のうちに現れて来ました。尖りし心をどこかに置き忘れ、生活する術ばかり身に着けている自分を浮き上がらせます。尖りし心の中に秘めるエネルギーと、そのエネルギーと折り合おうとする歌と接し、毎号自分に問いかけます。 (藤田
康子・元網走二中教諭)
紫陽花の葉に次々に落ちてくる雨あり木琴叩くがごとし(麦渡風)
梅雨空に映える紫陽花、 私は雨にぬれた紫陽花の何ともいえない風情が好き。紫陽花の葉にポツポツと落ちてくる雨音を 「木琴叩くがごとし」と表現された見事さ。
木琴の音が耳元に届くようです。紫陽花、雨、木琴の調べと続くリズム感がすてきです。中学校では国語教師、剣道部の指導と、大変な仕事をこなしながら、『流氷記』
第二七号まで編集された心意気に感心しています。お身お大切にますますのご活躍をお祈りしています。 (井上芳枝・大蔵中学校時代恩師)
反抗やいい生意気も教えいるその標的に時にされつつ(秋夜思)中学生の教師という仕事はむつかしいものです。彼等から反抗や生意気を消去したら、後には抜け殻が残るだけです。反抗や生意気に正面から取り組んで行こうとする作者の姿が彷彿とします。しかし、この歌の真骨頂は下句にあることは明らかです。作者の職場詠には、捨て身の教育者の姿がにじんでいることを感じ、いつも感動します。次の歌なども同じだと思いました。寂しくも一人で死んでゆく君ら皆と同じでない生き方をここまで指導することが「生きた教育」だとつくづく感じました。(甲田一彦・歌人元校長)
夢の中わがもう一つの人生が今日は波乱に満ちて消えゆく(小秋思)
今号には夢の歌が何首かあった。夢の話は、他人にとっては本人ほど面白くはない。ああそうかで終わる。それ故に、夢を詠うのは危うい。下手すると自己満足に終始する。危ういゆえんだ。「君連れて」「犯人に」はいただけない。ぼくの好みからいえば「夢の中」がいい。夢の中のできごとを「もう一つの人生」と詠んだところがいい。ぼくたちはほんとうは「夢の中」ではなく、この現実の日々の中で「もう一つの人生」を生きたいと、夢想しているのかもしれない。そして「もう一つの人生」を生きられないままに逝くのかもしれない。うん、せつないことだ。 (築田
光雄・文芸評論家 故人)
すれ違う人あるいはと振り返り一人の人を捜しつつ過ぐ(麦風号)
風にそよぐ麦の静かなざわめきの中で別れも告げずに逝った人の面影を追いかける。セピアがかった黄金色の映像が急にゆっくりしたコマ送りになり、すれ違う人を振り返る―そんなシーンを思い浮かべる一首です。私はこの歌を、西陵中広報紙の随筆『風』で読み、強い印象を受けました。十三歳で夭折したナミ子姉ちゃんを追い求める川添少年と麦畑が一体になって私の中に残りました。今年の二月に私は父を亡くしました。突然のことで、あるいは…と風が吹き抜けることがあります。(村上祐喜子・絵本作家)
中学生揃いて歌えばこんなにもかぐわしき声伝わりてくる(小秋思)
流氷記の誌面を埋めている西陵中学の生徒の皆さんの文が、いつもさわやかで澄んだ声となって響いてきます。短歌の世界をこんなにも素敵に共有できる先生と生徒は他にはいないのではないかと思うほどです。短歌はもうすたれていこうとしている日本の文化なのですが、こんなところでしっかり根付いていて大変励みになります。川添先生はとてつもない大きなお仕事を遂行なさっていらっしゃる。歌を詠むことも大切なことですが、
短歌がとりもつ縁で人が親しく集まる幸福もあっていいのではないでしょうか。 (田土 才惠・歌人)
流氷の果てなく続く白き道わが後ろ姿(で)の遠離りゆく(漂泡記)
『山頭火』の句を想起してしまったが、限りなく淋しい『山頭火』の句よりも、北方指向の川添氏の一首には、歩み続ける決意のようなものが感じられるし、客観視する自分の見方が面白い。今号の後記に、短歌で出来ることに賭けてみたいと記す作者の自己をみつめる真意の目を見ている。 (新井
瑠美・歌人)
流氷に巨大に咲きし青き花輝きにつつ開きゆく海(流氷記抄)私はまだ流氷を見たことがない。敷き詰められた真っ白い流氷原にポッと青い花が開いたように海が顔を出す。何と美しい風景であろうか。近づいてくる春。作者の心の鼓動も聞こえてくるようである。次第に海の青い花は大きくなってゆく。自然のダイナミックな動きをナイーブな作者の眼が余すところなく描いた一首。この作品を読んで、たまらなく流氷が見たくなったのは確かである。 (利井聡子・歌人)
妻怒る仕組み知らんと耳栓をして表情を覗くことあり(小秋思)些細なことで夫に小言を言い、
怒る妻を詠んだ一連の作品がある。これらを読んでいると、
舞台で喜劇を見ているような気がする。エネルギッシュなしっかり者の妻に対して、気の弱そうな夫の困り果てた姿。中でもこの一首は、自分を矮小化することによって夫婦のおかしみを表している。夫に罵詈雑言を発したかと思うや、すぐさま笑いながら電話をしている妻。そんな妻の表情を耳栓をして覗こうとする。巧まずして表されたユーモアと悲哀感。夫婦とはおかしくてかなしくて、やはりいいものだと思う。(高階時子・歌人)
成績に隔てし部分この頃は一気に生徒ほどきゆくらし(春氷号)和やかに教師と生徒という立場ほどかれつつ午後冬の日を浴ぶ 卒業期の生徒を詠まれた一連、何と言っても生徒は成績の良し悪しに学校での一人の立場を大きく縛られるようである。その現実に詮無く身を置いている生徒達だが、卒業まで後二十日という時期ともなれば、成績の呪縛からもさらさら心解かれてゆく。独り立ちの自覚がめっきり育ち出す。そんな生徒らの急速な心の変化成長の様子が実にうまく表出されていると思う。 (松永久子・歌人)
三十年ぶりの家には柘榴一つかつての処にぶら下がって見ゆ(秋徒然)
わが庭には樹齢何十年の柘榴の古木がある。何とか毎年、剪定だけはするので、たくさんの紅の実をつけてくれる。十月二十三日、知り合いの人に頼んで実を採ってもらった。その後、気がつくと採り忘れた紅い実が一つぶら下がっていた。川添氏が、近くの用事を終え、わが家に寄ってくれたのはそんな時だった。彼は目ざとく、この一つの柘榴を見つけ、しきりになつかしがっていた。帰宅後、すぐにこの一首を書いた葉書が届いた。「三十年ぶり」が利いているし、「かつての処に」も巧い。私は彼の気取らないこの作品が好きである。 (古賀泰子・歌人)
風沁みて独り真向かう氷原に我がもう一人背を見せて行く(小秋思)一つの心象風景を大変リアルに表現している。氷原を歩いてゆくもう一人の自分、それは理想を追う孤独な自分の姿かも知れない。背(せな)の風景が沁みてくるようだ。人は誰でももう一人の自分を持っている。
それを意識するか、しないかであろう。 流氷原を行くもう一人の我は作者の心のふるさととも言える。 (田中栄・歌人)
丁寧に急いで逃げる尺取り虫生徒と我と見守るしばし(漂泡記)
「丁寧に急いで」なるほど。ゆっくりと早い農夫の鍬作業や多くの職人仕事など、人間にも通じるものは少なくない。まず尺取り虫の動きを的確に写し取り、同時に一つの認識を提示する。即ち、急がば廻れ、急いては事を仕損ずる、と。少し違うが「放屁してしまえばのろき屁ひり蟲」(加藤知世子)なんておかしな句もある。
Slow and steady wins the race.
外国の同じ格言。そんな勝ち方を生徒にわかってほしいとでもいうのかな。下句「生徒と我と」とは何やら調子いい。「我は見守る生徒と離れて」とも歌いうる。
(池本一郎)
笑いの中笑えなくなり北摂の山の緑を窓開けて見る(麦渡風)場面に作者の背がみえてくる。窓を開けて、その視線の先は、北摂の山のみどり、晩春の色濃い山肌の傾りなのだろう。ふと立ち上がって、おもむろに窓際に行き、窓を開ける。その時間の移りの中に、実は、作者のこころの動きが出ていること、「笑いの中笑えなくなり」とは、周囲から孤立してゆくことで、原因は自分の中にあり、人並から外れてゆく、自らを肯定しながら孤独の雲の上に出てゆく、矜持ともつかぬ孤独と寂寥感がある。 (鎌田弘子・歌人)
幾重にも階積み上げて流氷のごとき都会が目のあたり見ゆ(春香号)
作者の流氷への想いは熱い。六号の後記にも記されているが、網走の旅では歌が溢れるほど出来たとある。真に羨ましいかぎりである。
旅から帰って都会のビル群にも流氷を重ね合わせて見てしまう。「流氷のごとき都会」は都会もいつか流されて消え果ててしまうのかもしれない。そのような絶望の想いを感じ取ることが出来る。流氷のごときではあるが流氷の持つ美しさはない。「階積み上げて」に都会の危うさを憂うる気持ちを汲み取ることが出来る。どの集を見ても佳作が多く一首に絞り込むことが難しかった。 (前田
道夫・歌人)
遠がなしく響くキツネの叫び声真夜流氷の海を見ている(流氷記抄)心が研ぎ澄まされている。「遠がなしく」と詠い出した後、「響く」「叫び」と重ねた鳴き声を述べた表現から、キツネへの共感を感じとる。作者はキツネと一体化している。大袈裟かもしれないが茂吉の「実相観入」とはこのような処だろうかと思われる。続く真夜の流氷の海という詠嘆の現場は、「響く」というよりは、沁み通るようなキツネの声の次元を高める最適の場であり、作者の北方憧憬と、その至り着いた充足感以外のものではなかったろう。「見ている」はダメ押しとして効いている。(榎本久一・歌人)
黎明の意識かすかに聞こえくる桜の花びら叩く雨音 (桜伝説)桜の花びらに降る雨の音が、
実際に耳に聞こえてくるものなのかどうか。夜明け方の意識にはかすかに聞こえてくるというのである。そうかもしれない、いやきっと聞こえるのだろうな、と不思議にリアリティをもった作品だと思われてくる。こまやかな日常の心的風景を歌った作品が、歌壇には少なくなったと思う。「黎明の意識」という歌い出しがやや重くは感じられるが、しみじみと心に沁みてくる歌である。桜に降る雨をこのように歌った人が過去にあったのだろうか。 (東口誠・歌人)
我々は壊れるようにプログラムされてるらしい子を残しつつ(秋夜思)
「プログラムされている」ではなく「らしい」としてあるところに不安感、凄みを感じます。私たちには時に予測し得ない運命が待ち受けています。 (小石薫・歌人)
雪の道止まれば静寂(しじま)がいっせいに我が両耳に飛び込んで来る(二ツ岩)意識していなくても我々は何らかの音に取り囲まれて存在している。真の無音の状況に置かれると、
むしろ聴覚を強く意識することになる。そこから自分自身の存在が大きくクローズアップされてくるのである。自分の身内に理屈を越えて迫ってくるものを受けとめるしかない。 (鬼頭昭二・歌人)
坂田博義のかなしみ氷塊の岸に置かれて夕影を浴ぶ(卵黄海)
故坂田は昭和三十年半ばに『塔』で活躍した歌人であった。大学卒業後就職、そして結婚、その直後昭和三十六年二十六歳で自死した。彼のあまりにも若過ぎた死は故高安国世始め周辺に大きな衝撃を与えた。彼の出身地は「網走本線の小駅」「北海道で最も寒い」「僻地」(教育『実習日誌』)であった。それゆえに川添の歌う、坂田のおそらくは深い「かなしみ」が氷塊の岸に置かれて夕影を浴」びているのであろう。それは坂田の原風景であったかもしれないと同時に川添のなつかしい風景でもあったのだ。『坂田博義歌集』は川添の編集。川添には第一歌集『夭折』(昭和四七年)がある。 (早崎ふき子・歌人)
流氷のことを思えば流氷となりて彷徨う分身がある(秋沁号)
『流氷記』発刊に際して、作者は創作の起点を網走の流氷に置く、というように記されていたと記憶する。網走での四年間、作者を取り巻く温かい人々の中にありながら、目に沁みついた流氷は今なお作者の分身として冬海の彷徨を続けるのであろう。 (三谷美代子・歌人)
花びらも風と群らがる夜の道蛙がのっしのっしと歩く(新緑号)蛙と桜の取り合わせの妙、
野趣的詩情に充ちて物悲しく一幅の絵のようだ。 (唐木 花江・歌人)
干涸らびていきつつ蚯蚓アスファルト舗道と人の行き来がつづく(紫陽母)作者は動物の死を通して、自己の死に向き合っている。しかも、何か少し残虐性を主張したい様である。この残虐には乾燥が匂っている。「干涸らびていく」にこの匂いが浮かび上がっている。そうだ、死とは乾燥である。決して湿潤ではない。人も死んだら大抵は火葬される。これは乾燥以上の火熱による消失であろう。舗道の上に一つだけ転がっているミミズが太陽に照らされ、人の靴に踏まれて水分を失って行くのである。写生時に写実的に詠まれているので素直に共感できるのではなかろうか。 (古川裕夫・歌人)
麦笛にするためナミ子姉ちゃんより貰いし一つの麦の茎欲し(麦風号)
青空の下にひろがる麦畑は追憶を呼ぶ。幼ごころをそそる麦畑の色彩と匂い。作者は童心に還りながら、ナミ子姉ちゃんを麦秋の景色の中に浮かび上がらせている。一連のこの歌は「沸きて来て溢るる醜き感情を抑えつつ夕べの坂下りゆく」に始まり「すれ違う人あるいはと振り返り一人の人を捜しつつ過ぐ」に至るまで、
その主人公が作者の心の中に瑞々しく生き続けている。私はふと、この連作を小説にしたら、題名を考えながら、原稿用紙は何百枚になるだろうか…。絵なら水彩画がいいと思った。(遠藤正雄)
雪の町夕暮れどきは人絶えて電信柱の連なりており(流氷記抄)
白皚皚見渡す限りの雪の曠野が眼前に浮かんで来る。曠野の中に氷柱が何本も何本も逆立ちしてゐる様に電信柱が連なって見える。電信柱の尖端は国境の町である。雪の中に歩哨がぽつんと立っていた。寒暖計は零下三十度を超えていただろう。《雪の降る町を、雪の降る町を》確かに想い出だけが通り過ぎてゆく。
悲しくて半世紀も前の国境警備の日が蘇る。その戦のあった二十世紀は間もなく終わろうとする。この歌を読んで私は彼の日のソ満国境の風景が眼うらをよぎった。それだけ青春のかなしい思い出が残って居るのだろう。 (塩谷勇・歌人)
気まぐれに指に潰しし蟻のごと不運も時に唐突に来る(秋夜思)不運というのは時として唐突に襲ってくるものなのである。そればかりか、逆に我々の方が他者に不意に不運をもたらすことがあることをこの作品は想起させてくれる。深い内容を含んだ作品である。 (吉田健一・歌人)
関わりのなき特急が通過するその影ホームの人攫いつつ(馬の骨) 不安な時代、
しかもその不安の発信体が掴みにくく我々をますます不安にさせる現代社会。その心理状態をプラットホームに立ちながら実感させる見事な一首。自分に関わりのない特急。しかもその影にさえ我々の存在は攫われていく。しかし、その特急が無ければ現代社会の生活は成り立たないという矛盾が感じられて面白い。 (川田一路・歌人)
真っ赤な日沈み切るまで氷塊の上にて我も氷塊となる(渡氷原)何というスケールの大きなそして透徹した世界でしょうか。それでいて体の心底より迸り出る清々しいまでの真実が端的に詠まれてとても個性的な一首だと思います。私も一度は行ってみたいと思っていた網走の流氷が切ないまでに迫って来て、心から感動しました。一見粗々しいデッサンのような構成の中に作者の繊細な感性がキラリと光ってまだ見ぬ流氷に引き寄せられるようでした。真っ赤な夕日と対照的な氷塊、結句「氷塊となる」は作者の願望も込められているようなそんな余情が漂います。
(平野文子)
どのような生き物かになり母が今我の周りにいてる気がする(悲母蝶)三九号は『悲母蝶』とあり、お母様を失った悲しみが淡々と綴られています。川添さんの歌はむずかしいと敬遠していた妻が、最後まで読んで泣いていました。私も『悲母蝶』を読み、川添さんの悲しみが自分の悲しみと重なって胸を熱くしました。見えない、手の届かないところにいる母。その「母が今我の周りにいてくれている」。そう信じないとやり切れない。そんな思いがこの歌の中に込められていて、涙を流して読んだ一首です。 (山本勉・歌人)
ここまでと亀裂広がる氷原にきつねの足跡一筋続く(帽子岩)評言の足跡に数時間前のきつねの姿が見えます。どこに向かって歩いているのか、時折曲がったり、立ち止まったり、そこで何があったのでしょう。足跡をたどるのは、ちょっとした時間旅行ですね。人間が立つことを許されない流氷と海の境界で、このきつねが見たものさえ感じ取れそうです。この歌には四次元の広がりがあると思います。その広がりがオホーツクの情景をよりリアルに感じさせてくれました。それと、足跡が残るのは雪国ならではと、改めて嬉しくなってしまいました。(千葉朋代・私の流氷)
白樺の林の走りゆく向こう流氷原ありありと我が視野(卵黄海)
迷った末の網走行き。着いた途端に、あふれるように出来た歌の数々、今号はそのような気がします。どれを選ぶか迷いました。流氷、雪の白に対して、瑠璃色の海、卵黄のような朝日、黄金色に海等々と、カラフルできれいな光景が今その場所に居るように目に浮かびます。日常のことを一瞬でも忘れさせてくれる、
自然の大きさ、力強さに出会えたような気になりました。 (山川順子・私の流氷)
流氷記一枚一枚心込め夜を込め夜明け近くまで折る(春香号)作者と机を並べて一年。個人誌を作ることになった経緯からこの号が出されるまでを知っている私から見ると、この誌は作者の心が折り込まれて出来上がっているのだとわかる。それぞれの号の表紙の色を考え、歌を選んでワープロで打つ。表紙は何色にしようかと、イメージを膨らませていく時の作者の楽しそうな顔、少年がちらりと見える。印刷で手を汚してしまうこともあるが、紙を汚してはいけない。少しの狂いもなく紙は切断されていく。さあ、製本だ。ていねいにていねいに紙は折らなくては…。一枚一枚折っていたらもうこんな時間になっていた。寝不足だ、と出勤して来る。今日は早く帰らなくちゃ、と会話が始まる。作者の歌への愛が伝わってくる一首である。(光藤彬子・西陵中教諭)
凍死などしているなかれ夜をこめて家出の生徒捜しつつおり(抄) 毎号楽しみにしています。
その中でも特に私がつい探してしまうのが網走の香りとでもいうか、風のようなものです。あっ、この感じはあの辺りのことかと、とても身近に感じられ十数年の年月がぐーっと引き戻される気がします。
雪明かり青く注げる放課後の長き廊下をぎしぎしと行くこの「ぎしぎし」本当にこんな音を立てていたし、なつかしいです。当時中学生の私には先生の大変さなど知らず日々過ごしておりました。ちょっとショックな一首で心の隅に残りました。 (古市浩恵
元網走二中生徒)
目つむれば海岸町より二ツ岩歩いてしばし磯の香のする(水の器)川添先生と初めてお会いした時、先生は目を輝かせながら網走の自然に感動されていた事を思い出します。生まれた時から網走で育ち、右に帽子岩、左に二ツ岩を眺められる浜辺で毎日の生活を送っていた私にとって、先生のその姿の方が新鮮で、何故こんな事に感激しているのか、当時はあまり理解できませんでした。冬になり流氷が来ると、先生は大喜びでしたが、私は流氷の季節が最も嫌いでしたし、流氷なんて来なければいいとも思っていました。流氷は私にとっては、突き刺さるような冷たい風を運び、父の漁を奪ってしまい、全てを閉ざされたものにしてしまうようで、とても感動させらせるものではありませんでした。網走を離れて随分経ちます。
住んでいる時は感じなかった香をたまに家へ帰ると感じるようになりました。家の裏口を出ると見えた景色も、
また違う感じで見えるようになりました。いつも変わらずある二ツ岩と帽子岩を繋いでいる水平線に、懐かしさと心の穏やかさを取り戻させてもらえます。ここ何年も網走へ帰ることは出来ませんでしたが、先生の歌を読む度に、
住んでいる時には理解できなかった網走の良さが懐かしさと共に実感出来るようになって来ました。目を閉じるとあの磯の香りがしてきます。
厳しい流氷の季節を乗り越えるからこその春を迎えた時の素晴らしさを自然から教えられて育つことの出来た有り難さを今とても幸せに思います。 (原田正枝・元網走二中生徒)
自分を追い詰めて行くのも悪くないこの頃少し気が軽くなる(春氷号) 救われたような気がした。
高校一年になったばかりで、私にはすべてが重い心境。ふつうに歩くことすらしんどいという状態だった。この歌を見て、
私はあらためて、この世界が広いことを感じ、自分が好きになれる日々が続いた。確かに辛い事ばかりかもしれないが、それも案外悪くないぞと、先生が言ってくれているような気がした。先生
ありがとう! (磯田 愛香・西陵中学校)
新雪に一足一足置いて行く猫の歩みの一コマが見ゆ(春氷号)いつも緊張感が保たれているものが多い先生の歌の中で、これは可愛らしさが滲み出ており、私にとって印象が強い一首となりました。夜の間に猫が作った足跡を、朝になって先生が見つけられたのでしょうか。私は、可愛らしい仔猫が寒さに凍えそうになりながら、一歩一歩進んで行く様子を想像しました。同時に、網走の寒さも伝わってきました。歌を作るには、観察力の鋭さか必要なのですね。この歌を読んで小さなことにも目を向ける先生の細やかな心が感じられました。
(菅納 京子・西陵中学校)
悪人にいつも同情してしまう癖もて語るオツベルと象(麦風号)これを読んだ時、あっ、これ!と思いました。昨年、私が一年の時に習ったときも先生は「オレはオツベルを憎めへんなあー」みたいなことを言っていて、久しぶりにオツベルのことを思い出しました。このお話に関して私は、オツベルが悪すぎるのが一番いけないと思うけど、象が世間知らずで純粋すぎたから、あんなふうになってしまったんだとも思います。物語だから悪は滅びて象は助かったけど、
現実は世の中そんなに甘くないと思っています。 (高田暢子・西陵中学校)
弾けては空に舞いつつ一瞬の水滴そこは宇宙のごとし(凍雲号)この歌を読んだとき、一年生のころ聞いた先生の話を思い出した。「瞼を閉じたらそこには宇宙がある」と教えてもらった。この歌では、水滴を宇宙とたとえている。私にとっての宇宙は何だろう。宇宙のように広々とした空間はどこだろう。きっとそれほどまでに居心地のいい空間なんて見つからないから人間は宇宙にあこがれ続けるのかもしれない。だけど私は、瞼を閉じたら広がっていく真っ暗な世界が自分の中にある宇宙だと信じている。これからもそう信じていくと思う。
(若田奈緒子・西陵中学校)
春の土手輝く緑敷き詰めて踏めば小さな草立ち上がる (渡氷原)
明るい春の光に包まれて、すくすく育った新しい命を感じました。一つ一つはとても小さな力だけど、じゅうたんのように敷き詰められた多くの緑は、踏んでもすぐ押し返すほどの、春の力強い生命力にあふれています。輝く緑の美しさを、読むだけでなく、その生命力に感動する心が歌の中に生きていると思います。私も先生のように、見落としがちな日常の小さなことでも、感動出来る心を持ちたいです。三年生になって、また先生に教えていただけることになりました。嬉しいです。(中村佳奈恵・西陵中)
夢の中一筋の道流氷の彼方まで振り返らず歩く(新緑号) 私はこの歌を読んだとき、
まっすぐな歌だと感じました。本当に自分の好きなことを見つけて、夢に向かって振り返らず歩いて行く人は素敵だと思います。私はまだたまに自分の夢が分からなくなるときがあるので、とてもこの歌に心を打たれました。でも、必ず自分で一筋の道を見つけようと思います。中学三年生になって、初めて先生の授業やお話しが聞けるのでとてもうれしいです。 (小西玲子・西陵中学校)
生きているうちに抱くべし触るべし死ねば冷たく堅き物体(惜命夏)一年と半年病気で入院していた私の兄は二年前、やっと家に帰ってこれた時には息をしていませんでした。何も言わずに、ふとんの上に横にされている兄を見ているとまるで生きている人のようでした。でも、触ると本当にこの歌のように「堅き物体。」二度目はもう触れるのが怖くて触れませんでした。この歌を読んだとき、本当はちょっと怖かった…。これから先、私はもっといろんな人が死んでいくのを目にすると思います。でも、その時後悔することが何もないように、相手の身体にも心にも触れながら、強い人になりたいです。 (齋藤萌・西陵中学校)
雪解けの冷たき水を飲みて咲く桜花びら星のごと降る(桜伝説)
雪は美しい。その美しい雪の解けた水を飲んだ桜はなお美しいだろう。この一首から、美しい物から美しいものが誕生していくことに、はっと気づかされた。私も、
この一首を読んでまた新しい自分に出会えた気がする。その自分は、桜の花のように内側から美しさの感じられるものであり、ものの内側から滲み出るすばらしさに気づいた自分の心そのものに美しさを感じた、と言っていいだろう。私も、先生の詠った桜の花のような女の子になりたい。 (高島
香織・西陵中学校)
日向より陰へと人は移動するそのうち日陰がすべてとなりぬ
この一首はとてもおもしろいと思います。日向がそのうち日陰になるのは当たり前だけど、人が陰に移動したのに、日向の所も日陰に結局はなるということだから、口では表しにくいけど、なんとなく不思議な感じがします。ちょっとした身近なことで、こんなふうに表現できるなんてすごいと思います。それに読んでいて楽しいです。私も、とても身近なことでおもしろいことを見つけてみたいです。(大西琴未)
白象の優しさゆえにオツベルが殺されてゆく過程をたどる(麦風号)
私の日常生活の中にでも、注意していれば、この歌のようなことがよくあるのかも知れない。ある人に親切にしてあげても、結果的にその人にとってよくないこともある。一人の人にした親切が、他人の迷惑になることもある。先生は『オツベルと象』のまとめで、白象のさびしい笑いについて話してくださった。優しさが必ずしも幸福をもたらすとは限らない。人間は、優しく思いやりながらも、きびしい目でものを見ていかなければならないなと思った。 (根岸恵・西陵中学校)
笑いつつ我は恐るる幼子は危うきことに目を輝かす(秋声号)
このような光景は結構見かけるものではあるが、このように歌に詠もうという人はなかなかいないのではないか。こういう日常的なことが、こういうふうに自然に詠める作者の感性がよく読み取れる。何かに恐れている心、その「何か」を考えさせる。 (宮脇彩・西陵中学校)
桜花波立ちながら海中(わたなか)の憂いに沈み我が歩みゆく(新緑号)
目にした時、桜花の海へ入り込んだような感じがした。私も桜の花を見ると、どこか物哀しい気持ちになるので、この歌がとてもリアルに思える。それは、風が吹けば、雨が降れば、すぐ色あせて散ってしまう桜の儚さを知っているからか…。もちろん、海中を行く時は、そこまで分析できるほど気分がしっかりしておらず、ただただ憂いと幻想的な光景に茫然とするだけで…。桜ばかりが儚いのではないだろう。私達の生活、私達の命だって、そんなものかもしれない。
(内田恭子・西陵中学校)
雲走る空の下にて台風を待ちつつ並木の緊張が見ゆ (秋沁号)
台風がやって来る前というのは、妙に静かでさみしいものです。屋外に出てみても人一人通らず、みんな家の中に閉じこもってしまって。時たま聞こえてくるものといえば、外に出されたままの犬の悲しそうな声か、いやにかしこまった木の葉のささやきくらいです。実に緊張した、いや、さみしい時間です。この歌にはそのことが込められているように感じました。どれだけ凄まじい風がやって来るのかという木々や草花の緊張感が……。
(北川貴嗣・西陵中学校)
地下鉄は長い洞窟真っ暗な真昼をひそと通り抜け行く(金木犀)
何か不思議な気持ちになった。というよりなるほどと思った。地下鉄を、暗く長い洞窟などというふうに見立てたことがなかったからだ。そして少し感動した。私はあまり地下鉄は利用しないし、地下鉄について考えることもなかった。私からしてみれば、ただの電車の一種にしかすぎなかった。しかし、考えてみると、日の光があって、明るい世界があるのに、人々はわざわざ昼間でも、真っ暗な洞窟に入って行くのだ。そう気づいた時ふと、地下鉄も人々もむなしく感じた。 (大橋佐和子・西陵中学校)
生徒吐き出でし校舎を見上ぐれば光りつつ雲移動していく(冬待号)
流氷記を見ていて、この一首が目についた。校舎から多くの生徒が一気に出て来るところなのだろうが、上手な表現だと思った。想像してみると確かに校舎が生徒を吐き出しているようだ。そして校舎を見上げれば、雲が移動していく…。特に何でもないことのようだけど、私はこの一首が好きだ。
(藤川 彩・西陵中学校)
息を呑む群衆のなか面を打つ少女が海豚のごとくに跳ねる(夏残号)
私は今年、剣道部の部長になっていろいろと不安がありました。しかし、この一首を見て、何にも迷いもなく真っすぐな気持ちで少女はいたから、相手の一瞬の隙を見て面をいれられたんじゃないかなと思いました。どんなスポーツにしても、真っ直な気持ちじゃないと駄目なんじゃないかと気づかされました。私も自分らしく真っすぐ前を見て面を入れていけるようになりたいです。(三部訓子・西陵中学校)
よく見れば分かる程度に震災の跡残りいる神戸となりぬ(夏残号)
私はそのころ宝塚に住んでいた。震度7の大地震。建物が崩壊したくさんの人が家を失った。そして仲の良い友達がたくさん引っ越した。家にいるときも「今地震が来たら家ごとつぶれてしまうんじゃないだろうか。」という恐怖がいつもあった。外にいても「今地震が来たら…。」なんて考えると体がかちかちになってしまった。そんな時期から四年半も過ぎ、地震への恐怖は薄れていった。本当に「よく見れば分かる程度に」しか、あの地震の跡は残っていない。四年半前とは想像もつかないほど美しく甦った。先生の歌はあの頃を思い出させてくれた。地震はつらいけど、とても貴重な体験だったと思っている。その体験をいつまでも忘れないようにしたい。 (阪本麻子・西陵中学校)
窓ガラス対のガラスを映す昼どこも接していないかなしみ(夭折)
窓が開いていて重なっていて、一番近くにいる時には触れられず、窓を閉めた時、遠くなった時に初めて触れられる、そんなかなしみ。離れてみて初めて、その存在が自分にとっていかに大切な存在だったのかと、思い知らされるという意味もある。
いつも一緒にいたはずの友達が一日だけ体調をくずし休んだことがあった。いつもその子が座っているはずの席に誰も座っていないのです。淋しかった。…
というわけで、この歌にすごく納得させられたというか、この歌がいいな、と思いました。 (小樋山雅子・西陵中)
一瞬の生者の顔に死者の顔宿りて我を確かめに来る(麦渡風)
時々、道を歩いたり、外で遊んでいる時にふと死んでしまった筈の人の顔を、私も見たことがあります。その時は一瞬ビクッとするけれど、もう一度ソーッと見てみると違う顔でした。でも、これは、死んだ筈の人が少し心配になって、他の人の顔を一瞬借りて私の様子を見に来ているんじゃないかと思うのです。 (岡本英璃乃)
まばたきはトンネル異次元空間にさ迷うごとくぼんやりといる(明日香)まばたきは一瞬だけど、その一瞬の中で、長いトンネルをくぐり抜けて、どこか違う世界に行ってしまいそうな気がします。誰でもありそうで本当はごくわずかな人しか行けない世界。まばたきをするたびに、今までとは違う世界にいる。まばたきをするたびに古い生き物が死に、また新たな生き物が生まれるから。宇宙だって星だって同じだし、私たちの体の細胞だってそう。それは私には見えないし感じもしないけど、きっといつかどこかで関わり合いのあるものになる。そんなふうに考えると、悠久の時の流れを少し感じることができました。 (乗岡悠香・西陵中学校)
地に開く花を愛でればそれでいい我が死すとも花不要なり(麦渡風)
地で開いている花はそのままそっとしておくことだ。私の死を思う優しさで花を摘むのなら私はいらない…。私のためにたくさんの花を犠牲にするのなら、それは本当の優しさではない。本当の優しさをくれるのなら、すべてのものをそっとしておいてほしい。…そんな作者の思いが伝わってきた。 (田坂心・西陵中)
人が言う皆が言うから世間では…など言いながらあんたも一人(ぬば玉)人や皆が言っているから正しいわけじゃないと思いながら、自分もその中の一人。
、一人になるのが怖くて、結局皆と同じことを…全く情けないなと思った。しかし同時に、人がして自分がして皆がしたら、大変な作業もすぐに終わってしまう。一人では決して出来ない事も出来てしまう。 (妹尾芳樹・西陵中)
声にして詠むとき歌は千年の彼方より来てしばしとどまる(水の器)
百人一首をしているとき不思議に思います。私たち現代人はお正月の遊びとしてごく普通に百人一首をしています。聞いていても何の違和感もなく聞いていられます。でもこれは、今から千何百年以上も前に作られ、詠まれ、今なおこの時代に詠まれてみんなに親しまれています。この一首を読んで、短歌はいつの時代でも変わらない、人間そのものが描かれているものなんだなと思いました。
(衛藤麻里子・西陵中)
波打ちに透明の波寄せるごと優しき夜の眠りに浮かぶ(銀杏葉)
この一首を見て、 私は波の優しさ、温かさを感じました。 夏、人々が楽しく遊んでいても、時には恐ろしいものと化してしまう海、 波。
人間の命さえも簡単に奪えてしまうもの。でも、そんな波も、「夜の眠りに浮かぶ」ような温かさがある。透明な波は優しく包み込んでくれる。こんな気持ちにさせてくれたこの歌は、私にとって印象的な一首になりました。 (山田小由紀・西陵中学校)
雲浮かぶ空の高さを窓越しにみつつ今年の秋も過ぎゆく(銀杏葉) 空に手は届かない。雲は掴めない。
よしんば届いたとしても、昼の空と夜の空を同時に得ることは不可能である。雲はするりとその手から逃れてしまうだろう。まして窓越しでは手を伸ばすことすら叶わない。それは私が大好きな人の背中に似ている。受験という人生の節目、卒業という別離。道が二つに別れる時、つなぎ止めておける自信が私にはない。それでも時間はいつもと同じように過ぎていく。ただ見上げているだけでもいい。せめて雲のように消えてしまわないで。空のようにいつまでも高くそこにあって!私の切実なる思いをこの歌に重ねる。 (荒木祐貴子・西陵中学校)
今朝少しまたコスモスの花増えて車窓はフィルム走りつつ見ゆ(銀杏葉)車窓から見る風景は、どんどんと次々に変わっていきます。四角い枠に囲まれた車窓は次々に変わるフィルムの画面のようです。「今朝少しまた〜増えて」というのは昨日から今日と少しずつ、時間とともにコスモスの花が変化していく様子をも表しています。景色も時間も次々に走っていくもの…。
私たちが普段何げなく過ごしている時の秘密が、人の目に映る車窓を立体的に感じながら表されていると、そう思いました。 (渡辺あず咲・西陵中学校)
生きている間にせめて魂の触れ合う対話をしようじゃないか(未生翼)
言葉は本当に不正確なものです。自分の気持ちは、自分にしか分からないのだから、嘘をつくことだって簡単にできます。しかし、自分が相手を信じなければ相手も自分を心から信用してくれることがないように、自分が嘘やお世辞ばかり言っていると、誰ともうわべだけの会話しか出来なくなってしまうのではないかと思う。
(蓮本彩香・西陵中学校)
歩むたび次々桜開きゆく空の青さも輝きを増す(新緑号)
幼稚園、小学校、中学校と歩むたび桜がそこにはあるように思う。私は今まで色々な期待と不安を胸に抱きながら歩んできた、そして上を見上げると青く輝く空がある。
そんな桜と空を見ると不安が期待に変わり期待はもっと膨れ上がるだろう。こうやってみんな大人になっていくんだろうなと思った。 (中
恵理香・西陵中学校)
高く咲き散る一瞬のために生く桜は花の翼を広げ(未生翼)
これを読んだ時、とても切なくなりました。桜の花はきれいだけど、咲いた次の日には花びらがはらりと…。美しいものなんだけど美しいのはほんの一瞬で、花吹雪だって地面に着くまでの数秒がきれいなんです。でもこの一瞬が大事なんですよね。その一瞬のために頑張ってる花たちはとてもすばらしく感じます。 (坂井彩美)
気がつけば岐羅比良坂を上りいる我の姿とすれ違い行く(未生翼)
この歌に出てきている岐羅比良坂は私から見ると「人生の坂」に感じます。その坂で二人の自分の姿を見つけた時に、もう一人の自分が自分を横切って行ってしまったのなら、今自分は何かにとらわれて立ち止まっているのではないでしょうか。そしてもし、もう一人の自分が坂を上へ上へと上っていくのならば、これから乗り越えていける証しなのではないでしょうか?
(森田小百合・西陵中学校)
花咲かぬ季にもナズナの根は開く真昼の星のごとく見えねど(未生翼)
どこにでも生えていそうなナズナのたくましさが人間の生き方と重なって感じられます。誰も目をとめてくれないけれど、少しでも遠く根を伸ばしいつか花を咲かせるために、精一杯生きるナズナ。何ていうか命の豊かさを感じました。人間もナズナも変わらない大切な命の持ち主としてここにいるんだなと改めて思いました。
(森 晶子・西陵中学校)
信長も武蔵も今では犯罪者なのにと歴史の不可解がある(蝉束間)
今は、人の命は大切であり、戦争は何があってもしてはならないという常識がある。だが昔は人と人が戦って営まれてきた。それがまるで当然のように。同じ歴史の一ページなのにどうしてここまで異なるのか。この歌を読んで、時代の流れはここまで人の価値観を変えてしまうものなのかと改めて驚いた。 (斉藤実希子)
わが事のように一つの雲が今目前の窓流れ過ぎたり(蝉束間) 人間は努力をする。
目的は人それぞれだろう。しかし、中には目的や夢など持たずに頑張る人がいる。何のためにかも分からず、ただおこなう。それを終え、窓の向こうの雲を見る。一つだけ寂しそうに流れていく雲はこっちを見て、「僕達、似たものどうし」とつぶやく。そして、時は全てを過去に変える。思い出したかのように、その人はさっきの続きを試みる。もう雲のことなど覚えてやしない。そうして、時は人間も雲も消してしまうのだろう。
(水口智香子・西陵中学校)
億年も数秒にして大宇宙広げて煙草吸う老爺あり(輝く旅)現代の社会の中でせわしなく生きている人々へのメッセージを感じました。日頃僕たちは、目の前の物事ばかりにとらわれがちです。けれども、もっと広い視野をもって、宇宙全体に思いをはせるとき、そこには日常の時間や空間を超越した世界が広がります。すると、自分の身のまわりにあるものはすべて、ちっぽけなものに見えてきます。「煙草吸う老爺」が面白いと思い、この歌を選びました。いかにもくつろいでいるという感じで、はりつめたところが全くありません。一仕事終わって一服しているのでしょうか。まるで、宇宙を創り上げるという仕事を終えたかのように。彼は自分の頭の中に、宇宙を広げていたのかも知れません。彼の目は、きっと宇宙を見渡していたのでしょう。
(白田 理人)
鮮やかな黄色い炎の続く道イチョウは未練振りほどきつつ(輝く旅)イチョウが並び黄色い炎がごうごうと、でも優しくそして儚く、日ごと勢いを弱めていくような道が頭に浮かんできました。そのイチョウも今はもう新たな若葉色の炎を勢いよく燃やそうとしています。この若葉達も、時の流れには逆らえず、未練を残しつつ、文字通りの金色の輝く旅に出てしまうのだと思うと、どこか人間の一生を見ているようだなと、深く考えさせられました。
(磯部 友香梨・西陵中学校)
日本もそういう時代があったとよ母の少女期戦いさなか(輝く旅)今、イラク戦争の真っ最中です。きっとこれを書いている今も何人もの命が奪われているのだろうと思います。この歌のように少女、少年という青春の楽しい時期が戦争だったというのはとても悲しいことです。今回のイラク戦争では少年達が直接アメリカに何をしたわけでもないのに青春が奪われ、そして命まで奪われる時もあります。日本にもそういう時代があったことを私はこれからも忘れずに生きていきたいです。 (大津明日菜・西陵中学校)
にこにこと何考えて生きてんの?そんな顔してたい春の日は(新緑号) 最近、
悲しい事があったり、嬉しい事、嫌な事や楽しい事などいろいろな事が起こった。一つ何かが起こるたび、たくさんの考えや思いが頭にぶちまかれ、大混乱となる。すべてをマイナスに考えたりして、欠点ばかりを見る結果になったりもする。そんな中、この歌を読んで、とてもいいなと思った。私の中にもぽかぽか温かい春が来てほしいと感じる。でも、現実は厳しく、作者も「そんな顔をしてたい」と望んでいるだけで、「春の日は」には《せめて》というのが、付いている気がして、そんなものだよな、と一人考えたりもする。 (古藤静香・西陵中学校)
誰そ彼れにまぎれて母ら透明な人らか風がすり抜けてゆく(夢一途)ときどき、ふっと、亡くなった人がいたような気がすることがあったりしました。本当にそこに、亡くなった人たちがいるのか、それはわからないのですが、振り返りたくなったりしてしまいます。それはすぐに、風のように去っていってしまいます。そしてその、「ときどき」でも、ときどきは、そのものに、手を振ってみても、いいんじゃないかなと思いました。 (奥田治美・西陵中学校)
スクリーン広がるように視野展け生きる喜び湧き出でてくる(夢一途)
人間は、目の前に夢が見えてきたとき、喜びというものが見えてくるのではないでしょうか。反対に、前に何も見えず、頑張ろうと思うことすらない時、何も見えないのだと思います。そうなってしまったとき全てにおいてどうでもいい…という感情が出てきます。しかし、そういうときに人の頑張っている姿は力をくれます。この人は頑張っている!!…じゃあ自分も頑張ってみようかな…と。私は夢がない時でも、目の前にあることを頑張ろうとすれば、いつか夢は見えてくるのではないかな、と思います。 (西尾美暢・西陵中学校)
本当に母さん死んでしまったの?この思い常あるがかなしき(夢一途)僕の祖母は二年前に亡くなってしまいました。祖母は入院していたけど、時々行くお見舞いの時は少しは話すことができていました。それに入院するまでは一緒に住んでいたから、亡くなったと頭では分かっていても、その後半年ぐらいは何か変な感じで「死んだ」というよりは「いなくなった」というような感じがしました。それからは人の「死」に対して少し考えたりもしました。人が死ぬというのは、とても不思議なことだと改めて感じました。
(角島 康介・西陵中学校)
今にして思えば母は死の準備いつもしていたような気がする(夢一途)先日、川添先生のお母様が亡くなられたことを知った。その知らせを聞いてからしばらく経った後で、この「夢一途」を読むと、いかに先生のお母さんが周りの人に気を配り、常に優しい方であったかがわかる。お見舞いに来てくれた人々には、元気であることを見せるが、実はそれはみんなに最期のお別れをしていたのだ、と思うと、胸が熱くなった。きっと自分の母が死んだら大変な悲しみに打ちひしがれるだろう。しかし先生は、周りの人に少しも悲しみを見せようとはしなかった。先生はいつも心の中で母親の愛情を噛み締めておられたのだと思った。
(出来幸介・茨木西陵中三年生)
乗り急ぐ人らひしめき電車去る後の空虚のしみじみ優し(二ツ岩)
近ごろ一人で電車に乗ることが多くなって、この歌のような感じを受けることが多くなりました。なぜかすごく共感できるというか、電車が去った後の空虚の優しい感じがよく分かったのです。この歌の「電車が去った後」の表現が、僕の思っていたものと、すごくよく似ていたので、僕はこれを選びました。何回も読んでいると、その場所や環境が思い浮かんでくるような感じがいいなぁと思いました。
(宮本浩平・西陵中学校)
今は鈴虫の奏でる石舞台蘇我馬子は悪人なのか(明日香)現在、蘇我馬子は歴史上悪人とされているけれど、それが本当かは分からないと思います。先生が授業で話されているように、悪人とされる人は、案外優しい心を持っている人かもしれないと思います。人々にどう思われようと見向きもせず、《自分》をしっかり持って…。悪人になるというのはとても勇気のいることだから。そして悪人に近づくというのも同じ。だから孤立してしまう。正義のヒーローになるのは簡単だと思う。味方になってくれる人がいくらでもいるから。私はその中で、自分の考えを貫く人をすごく格好いいと思うし、決して悪人だとは思いません。 (匂坂一葉・西陵中学校)
褒めるのは甘いと陰口叩かれるされど生徒が輝きて見ゆ(輝く旅)「褒めるだけなんて甘い。時には厳しくしろ」と言われるけれど褒めたときの生徒の顔が輝いて見えてそれを見ると褒めないわけにはいかない…という感じ。私も西陵中の時、川添先生に褒められるとすごく嬉しくて「また頑張ろう」という気になったものです。確かに厳しくすることは大切なことですが、時には生徒を褒めて、やる気を出させることも必要だと思うのです。 (金指なつみ・西陵中学校)
生も死も一瞬されど窓枠をしばらく羊雲渡りゆく(輝く旅)生まれるときも死ぬときも一瞬のことです。でもそんな中、空の羊雲はゆっくりといつも通り移ってゆきます。人が生まれたり死んだりしたとき、喜んだり悲しんだりするのはその人の家族や知り合いだけで、他人は雲と同じように何もなかったかのように毎日を過ごしていく…そんな様子が思い浮かびました。 (中越あすか・西陵中学校)
氷原が果てまで続くその果てに燃えつつ夕日今沈みゆく(帽子岩)
その景色がすぐに浮かんできました。すごくきれいな景色です。私も本当に見てみたい景色です。氷原ができる所はとても寒い所でしょう。でも、そんな寒い所ほど、きれいな景色が見られると私は思います。沈んでゆく夕日は、いつまでも燃えている、そんな素晴らしい夕日が見えると嬉しい気持ちになるでしょう。(高谷小百合・西陵中学校)
流氷は掻き分けられてまた凍り船の軌跡も白くなりゆく(帽子岩)
二度目に訪れた網走でやっと流氷船に乗ることができました。船はバリバリと音をたてながら氷を砕いて進んで行きました。砕かれた氷は船に振動を与えながら左右に分かれて大きく傾いて後ろへ流されていきました。その白い氷の内側がこんなに青かったことを初めて知りました。こんなことを思い出した一首でした。(神田理博・西陵中二年生)
人責めるよりも自分が責められるほうがと母に思い至りぬ(夢一途)
先生の歌を読んでいるうちに一度もお会いしたことのない先生のお母さんの輪郭が浮かび上がってきた。その核となるのがこの歌のような気がする。私にはとても言えそうにないが、先生ならふと口にされそうな言葉だ。(吉田佳那・西陵中二年生)
臨終のシーン幾度もよみがえり母が身近となりてしまいぬ(紫陽母)お父さんの臨終のシーンが心によみがえってきました。父を忘れないように、現実を受け止めてほしいと母は五歳の私に全てを見せました。臨終のシーンや焼く時の姿から…、一つでも思い出を褪せないようにしたいです。そのためにいつまでも身近にあのシーンを心に刻んで生きていきたい―今はそう思います。 (佐々木真里奈・西中二年生)
味わうでなくただイライラと過ごしいる中途半端な時間に怒る(槌の音)自分は時間を使うのがとても下手だと思う。これまでに何度、時間を無駄にしてきたのだろう。そう思うと、後悔という言葉が頭をよぎる。大事なのは自分がしなければならないことから誘惑などを振り払い、それを実行に移すことだと思う。みんなに与えられている時間は自分次第だから。そして時間に無駄という言葉の服を着せず、有意義という言葉の服を着せてやりたい。(井野辺純香・西中二年生)
優しくて礼儀正しく温かい生徒に接することのよろこび(花びら)
いつも手を焼いて苦労させられている生徒がいる中で優しく礼儀正しい生徒に会って、いつも手を焼かされている苦労を忘れ、心が和む喜びがよく分かってきます。でも、いつも手を焼いている生徒が学校の中にいるからこそ、この優しくて礼儀正しく温かい生徒のいる喜びがよく心に沁みてくるのだと思います。だからある意味で手を焼いている生徒がいて優しく礼儀正しいがいる丁度よいバランスがいいと思います。僕が教師になったらこのようなバランスを保っている学校に行きたいです。 (広兼秀)
人のものだけじゃないのに真っ青な地球に罅がいりつつ回る(紫陽母)人間の争いの巻き添えを食らっているものは数限りない。憎しみにより人が命を絶たれ、その巻き添えを食らい怯える罪のない人々。そして後は泥沼の報復合戦。そして地球には罅が入り、いつ砕け散るかわからない恐怖に怯えて、真っ青な顔をしている。今の地球の青さは、きれいな海や空の青さではなく、怯える地球の蒼白して青くなった表情が現れたものだろう。しかし、その青さを通り過ぎて、どんどん濁って汚い青に変わっていく地球がある。(平瀬達也・茨木西中二年生)
ゆっくりと闇引き裂いてゆく涙その極点にかかる吊り橋(夭折)人生は生まれた時から始まる。生まれる前は闇の中にいるが、生まれて人生がスタートするとともに闇が少しずつ切り裂かれ、その隙間から光が見えてくる。その先はたぶん可能性だと思います。その可能性が大きくなり、極点にくる。そこには成功するかしないかを見極める吊り橋があり、それを渡れた人は物事を達成することができ、途中で切れるとまたそれに向かって努力するよう知らせる何かがある。私の前の吊り橋をいつか渡れるよう常に努力を重ねていきたい。(福田泰子・茨木西中二年生)
母想うたび胸詰まりつつ眠る夢の中では死者生きるらし(槌の音)亡くなった人を想うと胸が苦しく、つらい思いにおそわれる気持ちは少し分かるような気がします。私もそのような感情に襲われたことがあります。眠る前にふと思い出してしまい、涙が溢れてくるのです。目の前に存在しない人が夢の中に出てくるのは不思議なことですが、それはきっとその人が、自分の心の中で生きているからじゃないかと思います。いつも見守っていてくれて時々、励ましに会いに来てくれる。だから孤独を感じても、自分の中に生きている人といつも一緒なのだからと思えば、きっと毎日を強く生きていけるのではないでしょうか。 (白石千尋・茨木市立西中二年生)
今が次々に昔に変わってく自分にも死が確実に来る(槌の音)今と昔とはちがう。昨日と今日もちがう。一日一日と経つごとに自分にも死が近づいてくる。生まれた時から死へと向かって生きていく。でもなぜ「死が来るとわかって生きているのか?」と思いました。でもそんなことを思っていても何の役にも立たないので、私は今の自分の人生を精一杯生きよう!!と思いました。そうしたら、死が来たとしても後悔がないから自分の人生にケジメがつけられると思いました。 (中田有来未・茨木西中二年生)
ゆっくりと秘かに町の上昇す真白き羽毛降らせつつおり(流氷記抄)真白き大きな羽毛の様な雪。ついつい目で追ってしまう。すると、それに会わせて町が上昇する様に見える。それは、自分が何か不思議な感覚に捕われる一瞬。時間が止まったように、ふわっと・・・頭の中で何かが弾ける。私はこの歌を読んだ時、この詩に込められている感情が自然に伝わってきた。年に一度の美しき冬。その冬が真白き羽毛を降らせてくれるのはいつの日か。 (岡本藍里・茨木西中二年生)
水平線 線の途絶えたあたりより波の数だけ鳥が飛び立つ(夭折)目の前に広がる水平線を見ていたら、たくさんの鳥たちが一斉に海の上から飛び立っていく、まるで水平線の突然切れた所から波が上に昇っていくように。それは僕の頭の中からたくさんの夢がはみ出して飛び出していろんな行動になっていく、そんな気持ちを励ましてくれる気がしています。(藤田恭平・西中二年生)
母想うたび胸詰まりつつ眠る夢の中では死者生きるらし(槌の音)
私は小学校六年生の時に大宮のおじいちゃんを亡くしています。その時はなぜ死んだのか分からなくて泣いてばかりでした。眠る前にも思い出すと泣きたくなることがあります。それに、母さんが亡くなったと想像すると胸が苦しくなるし泣きたくなります。でも死んでしまったらもう会えないじゃなくて、亡くなった人達は自分の中で生きていると思うようにしていきたいです。 (藤本美紀・茨木西中二年生)
今にして思えば母は死の準備いつもしていたような気がする(槌の音)ぼくも、川添先生と同じように母をなくし、父もなくしました。父と母は本当は死んだわけではないけれど、今日、国語の初めての授業で、先生と同じ気持ちでいるなぁとお母さんの話を聞いてしみじみ思いました。ぼくの方はいつか母に会えるかもしれません。そう考えると、先生の方がつらい気持ちをしていたと思います。いつまでも明るく優しい先生でいてください。 (山本洋・茨木西中一年生)
真夜中に目覚めて自分の内臓に元気でいろよと思う外なし(帽子岩)私は小さい頃、心臓を一回止めて手術をし、何人もの人の手で助けてもらったことがあります。そしてこんなに元気になりました。この体そして内臓を本当に大切にして守っていきたいです。 (今久保里奈・西中一年生)
星のように輝く水を欲りながら根は支えいん夜の大樹を(夜の大樹を)僕の歌を一首だけ選べばこの歌になるよ、と先生が言われました。私はこの歌を覚えて時々口ずさみます。星と大きな樹の影しか見えない真っ暗な夜、星のような水を吸い続ける大樹の根もまた見えません。この風景とその広大な思いは私の未来にもずっと灯りつづけていくと思います。(長谷川未紀・西中一年生)
くらやみの空気の部分閉じ込めてコーヒーカップのさかさまならぶ(夭折)バイクの音、電車の音、昼にはいろんな雑音が耳に入り、眠る時に目を閉じて始めて自然の中にいるんだという気持ちになる。私の嫌いな昼間にもしっかりと闇を湛えてコーヒーカップは逆さまに置かれている。そんな闇の中にも心を置いて先生は歌を作られているのだろう。 (小野舞・西中一年生)
眠そうなナイフの光に血まみれに林檎の皮がほどかれてゆく(夜の大樹を)辛いことや悲しいことをストレスとして溜め込む自分…そんな僕の目に映る心の風景の一つだと感じた。心の状態で人は目の前にある風景をどのようにも感じるものだ。先生の歌はいろんなことを考えさせてくれる。僕はストレスを希望の光に変えてしっかりと生きていきたい。
(横田貴大・西中一年生)
見たい顔触れたい心あまたあり授業へ階段急いで上る(紫陽母)私はいつも何かを思いながら階段を上ります。早く教室へ行きたいと思いながら毎日同じ階段を上り、楽しみなことを一つ考えたりして上ります。階段は変わらないけれど、私は毎日何かが少しずつ違っていく、一つ一つ楽しみを重ねて温めながら毎日この学校の階段を上っていきたいです。(泉田真美子・西中一年生)
もうちょっといい歌作らなあかんでェ生徒に言われて嬉しくなりぬ(紫陽母)流氷記をいただき一通り目を通してみたが、自分の気に入った歌が全然なかったので、つい言ったのです。先生はとても嬉しそうな顔をして、「そうやな、もつといい歌作らなあかんな。」と言われました。川添先生、私のためにもっともっといい歌をいっぱい作って下さい。(川上和泉・茨木西中一年生)