悲母蝶(三十九号)
アカシアの枯れ花だらりぶら下がり夏へと一気にまた暑くなる
丸まりて布団に入ればじんわりと体に沁みて温かさ湧く
少しずつ死を目の当たりにして人はやがては来る日思いつつ寝る
流氷記入れるポストのその横にガクアジサイの紫匂う
いつもとは違う妹声荒らげ電話に母の苦しみ伝う
美しき神戸の夜景も岡山も母の命の無事祈るのみ
街の灯も山も飛ばして垂乳根の母の命を助けてくれよ
ゴーゴーと新幹線の強き音命はかなき母へと向かう
学校に戻れと苦しみの際で母言う言葉にならぬ言葉で
あえぎつつ子のこと夫のことを言う母を叱りてたまらなくなる
見舞う人ごとに目を開けありがとうあえぎつつ言う母の一期は
頑張って頑張ってとしかつぶやけず母の苦しむ耐え難き声
五分ごと母にうがいをさせてやる深夜よ水がごぼごぼと湧く
やっと母眠ってくれたと思うまに忽ち危篤となりてしまいぬ
死ぬことが楽になるのか目前の母の苦しみ如何ともなし
自分ならこんなに我慢出来るのか母の苦しみ死に向かいつつ
頻繁に喉を潤す母のため楽呑み奇蹟の水となるべし
もういいよ死んでもいいよと苦しみの母見て思う励ましながら
楽になるとは死ぬことか苦しみにあえぐ母その心かなしみ
最期かもしれぬ苦しみ耐えている母に付き添う幾夜かが過ぐ
ある時は我の全てとしての母今死に給う数字が止まり
生き様も死に際も母美事にて悲しけど誇らかに見送る
母さんと叫べば数字がまた動く最期の母の心と通う
紫陽花のうすむらさきは母の色みまかりて後しめやかに咲く
風吹けば雨の滴くを落としいる紫陽花母をかなしむごとし
母さんと呼べど返事をしてくれぬ美しいその死に顔がある
はだか身は美しけれど痛々し母の湯灌の束の間かなし
苦しみを解き放たれて横たわる母あり微笑のかく美しき
痛々しい母の体のごとくにて無花果太くくねりつつ立つ
にこやかに笑う遺影の母がいてヤマユリふわり匂うこの部屋
雨の後ひんやり風の渡りいる庭にも母はもう出てこない
網膜に残りて動くさまざまな母あり忘れ草群れて咲く
庭を這う小さな茶色の毛虫見ゆ健気に動く命というもの
水滴が横に走りて母の死を新幹線の窓もかなしむ
殺す気になれず毛虫を見ておれば赤子のごときかなしみが湧く
母の居ない家に帰れば声掛けてくれる気がする風渡るたび
もしたらで母生き返る訳もなく一週間がもう過ぎている
緊張が緩みはじめて母の死の七日後涙滴りてくる
朝の畦道を歩めばツユクサの露が微かな風さそいおり
苦しみの母が望んだかもしれぬ浄土を拝むなむあみだぶつ
流氷が時に接岸するように母よ戻って声掛けて来て
見る限り海は流氷原となる母よこの世にかく現れよ
氷塊が積み上げられて天を向く真白き熱き心となりぬ
海覆う流氷原の束の間がこの世か死者こそ数限りなし
華やかに飛びて視野から消えている蝶よ逢うこそ別れのはじめ
表層に積む雪取れて生まなまと裸身のごとき氷塊が立つ
我に手紙書きたいばかりに毎朝の天声人語を母写し来し
百七冊途中で母の文字絶えて天声人語のノートが残る
流氷が犇めきて泣く苦しみか母のいまわの際のこころは
楽になりたいとばかりに死を願う心を抑えかねつつ眠る
臨終のシーン幾度もよみがえり母が身近となりてしまいぬ
色褪せた好評分譲中の旗アレチマツヨイグサ群れて咲く
紫陽花は萎れつつ咲く二十日して母の死いまだ受け入れずいる
生まれては消えゆく蝶かはらはらと袖はためかせ束の間を飛ぶ
電話すれば出そうな気がする真昼間よ母の命は既になけれど
地平まで続く流氷原を越え真っ赤な夕日今沈みゆく
流氷原沈む夕日の瞬間に全ての音が吸い込まれゆく
母の死の後にも夕日赤き羽広げて沈む束の間かなし
紫陽花に吸われつつ降る雨見えて母の気配か甘き香のたつ
キンカンの葉を食い尽くし青虫の枝に止まれる無邪気な顔見ゆ
どのような生き物かになり母が今我の周りにいてる気がする
柔らかき薄紫のタチアオイ母が好みし服浮かびきぬ
母亡くしし悲しみ身体に沁みとおり悪意にも心揺れることなし
大いなる悲母とはかくも苦しみも怒りも包みこんでしまえり
揚羽蝶横切るたびに母が来て見守り給う胸ふさがりぬ
道の辺のしのぶもじずり若き母見知らぬ人と歩みつつおり
雨あとの地を低く飛びすぐ止まるアオスジアゲハ羽はためかせ
風に流されて木の葉のごときもの忽ち蝶となりて飛びゆく
揺れながらはたはた蝶は目に映る景を剥ぎ取りつつ宙を飛ぶ
誰を導いて咲くのか道の辺のホタルブクロに伴われゆく
梅雨明けて蝉やかましく鳴く波に乗りてはかなき母が来ている
夢一途(四十号)
鳳仙花弾ける夏は午後の闇突き抜けて秋そこに来ている
庭の片隅のダリアは天を向き人に従かぬと凛と咲く見ゆ
セメントの小さな川あり人植えし白き虎の尾しめやかに咲く
この朝の睡蓮開く時に来て亡き母偲ぶ静けさにいる
森抜けて不意に明るき草原に大きな木槿の花開きおり
新幹線乗るたび母の危篤の日よみがえり来る揺れつつ思う
母よりも若く逝きにし人あれば少し得心させられて寝る
人の生なんて束の間夢一途抱いて生きな命の限り
人責めるよりも自分が責められる方がと母に思い至りぬ
母の骨カラスが遠く近く鳴く初盆死者の風渡るらし
こんないい人はおらんと言われつつ母の遺影は常微笑みぬ
半世紀以上も母と連れ添いて父の涙は滂沱となりぬ
母に励まされし人らが弔問に来るたび無常のかなしみを知る
今にして思えば母は死の準備いつもしていたような気がする
杖つきて母の弔慰に訪れし人を支えて玄関にいる
故郷と離れて居りしも母死して母と身近になりてしまえり
母の死を悲しみながら食べている鯖か死後幾日なのだろう
現身の母に隠れていた父の優しさ此の頃気づくことあり
残されし父の頑固を頼もしく思えて少し遺影と笑う
連れ添いし人を亡くして少しずつ頑固の形変わっていく父
逆らわずただ淡々と聞いている父の行き場のない不機嫌を
母の優しさの際だつ死後ゆえに生者は少し小さくなりぬ
いやいやをして扇風機置かれいる人は地球の王者にあらず
韮の花群れて名残の日差し浴びヒメアカタテハ風起こすらし
こんなにも我が身内からずっしりと抜けるものあり母の死なれば
いい人を亡くしてほんとに寂しかね母がみんなの想い出になる
阿弥陀さん母さん二つの御仏飯今日こそ残さず食べて下さい
幾つもの部屋なる夢の洞窟を出られなくなる母捜すうち
死にて後も心はありや夏過ぎて風に混じりて母の声する
今日も鬱々と過ごせり母亡くて何の変わりもないというのに
死後出会う若き激しき母なれば夢といえども声あげて泣く
母亡くてつくづく惜ーしツクツクと天より神の繰り言ひびく
今どこに居るのか母の亡くなりし夜空に火星輝きて見ゆ
捨てるものばかり増やすと妻が言う我の余生もかくのごときか
あの虹の下に小さな家の群れ卵のごとし人巣くうらし
数限りなき夢持ちて母は今いずこにありや百日忌過ぐ
淀川に夕日とどまる流れ見ゆ海と空とのけじめなき果て
誰そ彼れにまぎれて母ら透明な人らか風がすり抜けてゆく
仏壇屋親鸞日蓮並びいてあの世この世の金ピカあわれ
ススキ原いざ肉体を脱ぎ捨てて母よ風立つ夕暮れにいる
法事に行く新幹線より華やかに咲く曼珠沙華流れつつ見ゆ
本当に母さん死んでしまったの?この思い常あるがかなしき
秋桜の上にヒメアカタテハ舞い揺れつつ花とともに吹かるる
夢一途ついふらふらとしてしまう我にも輝く一つ星あり
スクリーン広がるように視野展け生きる喜び湧き出でてくる
不幸にさえ分け入って来る人あれば怨憎会苦と思う外なし
不可解な夢の幾つか前世の続きなのかも小夜時雨降る
メモ取らぬままに忘れし歌幾つ脳裡に沁みて日が沈みゆく
闇と闇つながる故に眠りより覚めればひとり網走にいる
灯台に灯台対う母も子も互いの存在のみを見ていし
流氷の間に間に浮かぶ帽子岩次々生死入れ替わりゆく
槌の音(四十一号)
目を閉じれば白き道東の景色にて海別岳浮かぶ遠景が見ゆ
蓮群れて風音立てて心地よき篠山城に秋深みゆく
秋山は黄泉路か母の写りいし深耶馬渓に迷いつつ入る
深耶馬渓鹿鳴館に蕎麦食いに来て奇岩立ち紅葉も見ゆ
玖珠川の瀬音聞きつつ母と来しこの天ヶ瀬の湯に浸りいる
癇癪の後は気弱になる父か母亡くなりし後のかなしみ
味わうでなくただイライラと過ごしいる中途半端な時間に怒る
藁の上動かぬノスリ見つめつつ稲穂の匂いに捕らわれて過ぐ
信号を待ちつつ過去は過ちを抑えきれずに来ること多し
呆気なく母亡くなりて一枚の遺影に見つめられつつ暮らす
三十年刻み続けし鑿の跡青の洞門今くぐりぬく
カマキリに射すくめられつつ人間も心優しき生き物となれ
十三歳大人と子供併せ持つ君らと生きて今有り難し
どのように生くのか君らの人生の一シーンにいる我揺れながら
ここだけにしかない論理が突然に現れて悪にされることあり
一日の一コマにしてそれぞれの顔して車すれ違い行く
人間をきっとどこかで操っている神ありと帰り急ぎぬ
雨の夜は母が訪ねて来てくれる眠りの森に迷いいるべし
母想うたび胸詰まりつつ眠る夢の中では死者生きるらし
肉親の死が力になることわりが紅葉もやがて散りてしまえり
一昔前といえども時代劇出演者はほぼ故人となりぬ
蛍光灯消せば深夜の眼裏に海月浮かびてながては消ゆ
こつこつと近付いて来て遠ざかる足音あれば眠れずにいる
夕茜空の向こうにぽっかりと出口のような月浮かびいる
歳経れど所詮は母の洞のなか彷徨いながらいよよさ迷う
不愉快な笑いの中にいて我と同じ気持ちの生徒をさがす
今が次々に昔に変わってく自分にも死が確実に来る
我が命捨てられるのを待つように空のくずかご部屋隅にある
真夜中といえども働くさまざまな音聞こえくる耳を澄ませば
網走駅降りて二中へ歩みゆく道筋夢といえども続く
秒針が時刻む音響きくる深夜は人の領域ならず
意識して耳を澄ませば秒針や鼓動の音のなかに我がいる
重心を移しつつ行く歩みさえ意識してまた今日も過ぎゆく
枯れ葦の間にまに群れる浮寝鳥月夜の湖面輝きながら
人責めて越すに馴染めずこの職場十年しどろもどろに過ごす
小春日の枝に安らぐ母子猿幸せは人のみにあらなく
転勤で網走二中に戻る夢見ており寒波冷えしるき夜
フセインの赤き喉元さらされて自由は武器の向こうに遠し
流氷の群れが日本を目指しいるイラク派兵に揺れる日本を
死んだ筈ないやないねと母のいる夢こそうつつ愛あふれなば
時を経て思うことあり生きるには慣れねばならぬ匂いがありぬ
歌一つ出来るよろこび沁みてくる何事もなき一日なれど
時代劇いつもついでに殺される人あり一件落着なんて
さまざまな夢の一つに過ぎぬ世か昨日も今日も忽ちに過ぐ
大勢の流れに逆らいながら行く氷塊もありいずれ負けれど
網走にいる分身か流氷の近く迫るを自ずから知る
石炭を継ぎつつ会話はずみいし網走二中もはるかとなりぬ
花びら(四十二号)
片隅に絶えず置かれて死亡欄母より若く死ぬる人あり
目つむれば宇宙の果てに浮かびいる死もかく暗く明るきものか
いくつもの殺人事件並びいるテレビは最も平和を嫌う
犯罪を追いかけ死刑待ちわびる報道陣という人種あり
穏やかで優しいことが障碍か教師の受難いつまで続く
ともすれば毒もて毒を制しいる教師となりてしまうことあり
少しずつ笑えなくなるそのうちに裁かれている自分に気づく
高笑いつづく遊びの領域で裁かれ始末される人あり
足指に力を込めて第一歩踏み出さんとす今日の初めも
コンセントより外されて横たわるコードか希望叶うまで待て
優しくて礼儀正しく温かい生徒に接することのよろこび
飛行機の窓より遠く流氷は海にためらいつつ浮かぶ見ゆ
網走の夜の氷の滑り台少女の喜鳴たちまちに消ゆ
新雪を踏みてははしゃぐ娘より羽根生えて我が圏外へ飛ぶ
接岸もせずに漂う流氷を我のごとしと遠く見ている
海に背を向けて漁船の並びいる冬の日ビュッフェの絵に入るごとし
屋根に落ち地に落ち溝に落ちる雨聴きつつ朝の識域にいる
人間もどこかで神の操作するロボットなのかと思うことあり
ゴミ袋漁りてカラス声高く人の卑しきこと吹聴す
自分だけは死なぬものだと思いしがこの頃衰え激しくなりぬ
我が過去は中途で終わることばかり続き補う夢あまたあり
春の雨やさしく叩く生きるものなべて目覚めよそう悪くない
こちらにもあちらにも真実があり悪魔といえど滅ぼすなゆめ
迷い込み森を歩けばひとところ桂の芽吹きに水滴りぬ
音もなき怒濤の海の続きいし夢か布団の中しばしいる
見上げれば視界に空のある不思議思えば死後は闇のまた闇
よく見ればジシバリ黄花あふれいる野のやわらかき細道続く
オオイヌノフグリの青に吸い込まれそこだけ宇宙のごとくに楽し
少し気に入らねば削除して進むインターネットに人溢れゆく
夢を見るように月日が過ぎてゆく母亡くなりてもう桜咲く
道の辺に落ちて重なる桜ばな雨に打たれて匂いを放つ
地に落ちた椿の花の増えてゆく無常はかくも淡々として
安威川の堤あぶら菜ひろがれば蝶も躍動して移りゆく
おいしそうされど料理の残酷の明るさばかりテレビに映る
夜が明けてやがて雀がやってくる金木犀に意識している
雨風や人の気まぐれ花びらは流氷のごと移動していく
銃あふれやられる前にやれという論理に世界滅びつつあり
みんなまだ若いつもりで乗っている夜の電車はひっそりとして
朝方に耳を澄ませばバタバタと天気予報の雨落ちてくる
天井の木目の模様渦巻きて脳のごとしと思いつつ見る
亡くなりて後に幾度も声を聞く母は棲むらし耳の奥処に
いつの間に今は昔となる齢おさなき心進歩なきまま
花びらが落ちる桜の下に来て母のいまわの際想いおり
これまでに生きてきて今生きてゆく瞬時も心さまよいながら
花びらが流氷のごと散ってゆく瞬時に我もさらされており
いっぱいに花咲き花も散りてゆく夜桜夢の中にもつづく
この道を選ぶにあらねど後戻り出来ぬ地点を過ぎてしまえり
十年を過ごしし西陵中を去る桜坂には花散りながら
母の許ムラサキカタバミちぎりいし茎の酸っぱさ今は見て過ぐ
玄関を出でて緑の葉の繁き山椒噛んで今日始まりぬ
紫陽母(四十三号)
稲の葉にちょこんと座る雨蛙母亡き我のなぐさめとなる
殺人を狩猟のごとく楽しんで兵士は神に祈りを捧ぐ
カマキリの頭のごとき紫陽花の緑のつぼみ青々として
物忘れ名忘れ脳が雨の音しみじみ今朝は眠りつつ聴く
目つむれば銀河のごとき輝きの向こう母棲む星見えてくる
干涸らびていきつつ蚯蚓アスファルト舗道を人の行き来がつづく
独り言なれども母と対話する時間この頃増えてきている
見たい顔触れたい心あまたあり授業へ階段急いで上る
野ざらしを心に歌をつくりゆく流氷記をわが道標として
もうちょっといい歌作らなあかんでェ生徒に言われて嬉しくなりぬ
次々に「そんなの無理」を打ち砕く授業なるべし生徒とともに
今日一つ歌身に付けて生き生きと生徒の口調弾む目がある
同じ口調同じ報道ばかりする日本はどこへ進むのだろう
人のものだけじゃないのに真っ青な地球に罅がいりつつ回る
少しだけ違うものほど対立し母と娘今朝は口利かずいる
飛行機雲赫く染まりて夕焼けの空に梯子の伸びてゆくらし
柿若葉小公園には人影もなくて壊れたブランコひとつ
少しずつ出来るよろこび積み重ね生徒の笑顔増えつつ楽し
地の中のマグマのごとくグツグツと炊飯器一日の始まり
吹けば飛ぶような蚊に弄ばれて殺意は思わぬところへ及ぶ
部屋底の布団に体押しつけて泥鰌のように潜りつつ寝る
亡くなりてしまえば今はしみじみと耳にも目にも母棲みている
五月雨に濡れて滴のきらきらとモミジそこだけ輝きて見ゆ
ナミコ姉ちゃんと遊んだ麦の穂の香る季節に母みまかりぬ
麦の香の丘に木立のごとく立ちふうわり白き雲を見ている
しどけなき風に揺れつつハナミズキ水面なけれど花びら浮かぶ
薔薇の花やさしく開き母の死をようやく少し受け入れており
エゴノキの花びら溜まる道端を流氷群のごとく見て過ぐ
若き日の母の微笑のよみがえる山帽子の花浮かぶがに咲く
手の平の上に死体はぺちゃんこになりて払われ蚊の命消ゆ
たるみつつ顔は笑えど笑えない心となりて今日も暮れゆく
昨日今日ベルトコンベア流れゆき少しずつわが壊されている
花びらは飛ばんと茎を伸ばしいる胡蝶花群るる山道下る
とめどなき花火か朝の空間に紫陽花の青はじけつつ咲く
サルビアの赤に幻惑されて見る妥協なき純粋を怖れる
たちまちに母の面影顕ちてくる菖蒲の花の群れる畦道
流氷のように筏のように漕ぐ白い布団の上の眠りは
苦しくも降りくる雨か紫陽花に母の微笑の死に顔浮かぶ
流氷が喉元塞ぐ朝方は冷たき水ごくごくごくと飲む
出る杭は殺る常識に今も満つキリストジャンヌダルクのように
梅雨あとの畦の緑に滲みつつムラサキツユクサ点々と咲く
あの時に死んでいたかもしれぬ死が流氷群となりて彷徨う
一周忌まだ母の声聞こえくる家の小さな音伝うたび
帽子岩(三十八号)
ゆっくりと摂津富田に入る電車始発明るき透明な箱
幾つもの箱に乗り継ぎ行くものか人生既に半ばを越えて
生きている人自ずから運ばれて電車と電車すれ違いゆく
がりがりと固き雪踏む靴底に我が体重を乗せて道行く
みしみしと流氷鳴きて裂け目より透明な血の海が噴き出す
氷塊の上に座れば悲鳴とも怨嗟ともなき声こだまする
意に添わぬ者には敵意むき出しにして人かなしけだものなれば
それぞれに正義と悪があり我も悪の一人になることがある
真夜中に目覚めて自分の内蔵に元気でいろよと思う外なし
氷原が果てまで続くその果てに燃えつつ夕日今沈みゆく
丸鋸のような夕日が氷海の果てに真っ赤になりて墜ちゆく
違反して壊してアクション映画過ぐどっちが正義か悪かわからず
人殺し正義がやれば許される理不尽がまだドラマの主流
我もまた土の一部かしとしとと降る春の雨聴きつつ眠る
春雨と炊飯器の音混じりいる夢のシーンはクライマックス
棺に居る死者には関わりなき葬儀なのかも集う人なつかしき
灰色に街はアスファルトの匂いヒトの地球は滅びゆくべし
人間の際限のなき欲望はブラックホールに呑まれゆくべし
一冬のいのち流氷軋みつつ群れてけだもの横たうごとし
流氷がいまだ接岸すると聞く春の嵐の吹きすさぶ夜
悔しくて眠れぬ夜は選り分けて言葉を歌となるまで磨く
桜雨聴きつつ眠る幼き日も今も変わらぬ耳の洞窟
雨の音そのものになり聴いている地中に眠る命の鼓動
どこまでも平和な日本の若者が戦争ゲームばかりしている
どこか嘘ついて生きてる人々が今地下街にあふれつつ行く
氷原は零下十五度結晶となりて心もきらきらとする
群れないと逆境になる職場にて独りしみじみ十年が過ぐ
流氷が動きて微かな音ひびきクリオネ羽をひらめかすらし
苦しみも中断されてかしましき雀の声に耳澄ましいる
ヒトラーや金正日やスターリン身近にいると思うことあり
流氷は掻き分けられてまた凍り船の軌跡も白くなりゆく
だっだっだっ港の流氷掻き分けて小さな生活の船が出て行く
帽子岩カムイワタラは神の岩いま朝霧に見え隠れする
戦争では罪にはならぬ人殺し三面記事とは何なのだろう
ここまでと亀裂広がる氷原にきつねの足跡一筋続く
坂もまた輝く岐羅比良坂に来て上るたび知床も上るよ
網走は底に金具のついた靴求めてがりごり街歩きゆく
滑るたび骨うつたびに網走の苦しき甘き過去よみがえる
網走の二月の雀よ酷寒の大気を群れて鳴きながら飛ぶ
朝霧に見え隠れする灯台と帽子岩わが立ち尽くすのみ
流氷もしばらく揺れて灯台と灯台の間を船が出てゆく
さまざまな海の生き物組み合わせ奇妙奇天烈ヒトというもの
仕方ないの中の犠牲に幼子の何も語れぬ死が置かれおり
何一つ無駄などなくて生きて来たこの頃そんな思いに浸る
残されて渚に座る氷塊と帽子岩あり午後の日に照る
突然にかつて生徒を傷つけた言葉に思い至ることあり
黎明は雀と鳩の声ひびきこの世の音を初期化している
炊飯器機関車の音響かせて元気の匂い運びくるらし
大粒の雨が頭蓋に沁みてくる屋根叩く音聴きつつ眠る
世間から認められたとなど聞けばかなし心は彷徨いながら
  輝く旅 (三十七号)
褒めるのは甘いと陰口叩かれるされど生徒が輝きて見ゆ
炊飯器蒸気の翼ごうごうと未明の空を飛びつづけおり
人という乗り物に乗り旅をするいつか下車することに怯えて
わが内の無数の生きもの生と死を繰り返しつつ今日もあるべし
幾億の微生物いるわが体ひとつの星と同じ気がする
億年も数秒にして大宇宙くゆらせ煙草吸う老爺あり
亡くなるは無くなることか今日一つ義父の形見の草履を捨てる
その後も言いたいことがある死者も過去へ過去へと墜ちてゆくべし
死者の形見を身に付けて少しずつ黄泉へと近くなりにけるかも
立ち止まり見えないものを見んとする我いぶかりて妻は見ている
キリストも死後輝いて語られる全て生者の都合によりて
人の死に遭えば自分に残された月日が鼓動を持ちて迫り来
もうこれで死んでもいいと言う程の作品ありや今日もまた過ぐ
書かないも一つの行為流氷記思いはおのずからでありたく
戦闘機一気に発ちて沖縄の基地より殺しに行くとは言わず
アメリカの日本州とは裏腹の大和ごころも儚くなりぬ
生も死も一瞬されど窓枠をしばらく羊雲渡りゆく
人としてあと何日を生きられる切なさきゅんとしてくる夜明け
触れ合いこそ大切なのにセクハラの一語が支離滅裂に巣喰いぬ
見るたびに優しく小さくなり給う父母会うが別れなるべし
十円で肩揉み腰揉みする娘父の弱点自ずから知る
物忘れ激しきことも責めるより笑うよりしょうがないじゃないか
修正するプログラムも又暴走しパソコンに使われて日が過ぐ
日本もそういう時代があったとよ母の少女期戦いさなか
現つとも夢とも未明霜月の獅子座流星群を見ている
流れ星一瞬我も光るらし夢も現つも錯覚なれば
この夜空見上げているか死に際の醜い戦のさなかの人も
太陽も月も地球もわが死後も変わらず何ということもなく
鮮やかな黄色い炎の続く道イチョウは未練振りほどきつつ
北斎となりてクレーン山際に大きな夕日しばらく吊るす
亡くなりし人の思いも詰まりいる流氷記一人一人に送る
輝きて風にそよげる枯れ葉見ゆ散りゆくまでのつかの間にして
印篭が目に入らぬか茶番劇ニュースは独裁主義を笑えど
落ち葉踏めばドングリ混じる秋の香の斑らな日差しに溶かされている
雪塊が一気に水と流れゆく梨噛み潰せば口中にあり
柿の実に噛み跡残る甘暗き夕べも早く暮れてしまえり
ウォークマン読経のごとく若者の悟り顔あり地下鉄の中
パソコンの画面なれども警告を無視して先に進むことあり
夢を見てるような人生今日もまたあっという間の夕闇にいる
キリストは左の頬も出せと言い戦を好むヒト諫めいし
人として生まれた幸と悲しみを深夜眠れぬまま思いおり
蓑虫のように布団に浸りいるこの温もりが生きるよろこび
言い訳にばかり使われ人により神はほとほと疲れいるべし
今くぐる明石大橋脳髄に杭打ち込みて震災となる
争いを好まぬ筈の宗教がなぜか戦の火種となりぬ
思い出の一部となりて伯父の臨終に立ち会う数人がいる
新幹線で我が来るのを待つように伯父目前で息引き取りぬ
さまざまな七十五年も臨終の一礼となり冷えてゆくのみ
臨終となりて横たう伯父の顔見つめて母は声放ち泣く
数日前話したばかりの伯父が今火葬の炎のただ中にいる
四十年半ば連れ添い来し女に伯父の小さな骨片拾う
流れ星降る黎明にみまかりて花のしとねに君横たわる
星のように輝く水をプラタナス吸いて立つ夜のオリオン光る
オホーツク海に広がる氷漠を想いて眠れ芯寒き夜は
流氷を踏めばバウンドして地平まで果てしなき氷漠揺れる
  秋徒然(三十六号)
壕に積む人間の骨思わせて珊瑚の遺骸かなしかりけり
黒焦げの人人人を埋めに行く戦争末期の沖縄かなし
逃げ惑い殺されてゆく人々の沖縄今も戦闘機発つ
人間が粗末に棄てた食べ物にゴキブリ寄れば撃ち殺すのみ
バルサンを焚けばゴキブリぞろぞろと避難経路に従いて逃ぐ
他生物虐殺して生き抜いているニンゲン我らも平和を望む
起きている時にも寝ていることがある目交いをただ絵のように見て
クレーンが大地吊るして空の端入道雲ありもくもく昇る
たちまちの一生か花火広がりて視野いっぱいになれば消えいる
波打ちは珊瑚の骨の群れむれて恩納の海のたそがれにいる
大漁の感覚もて戦争をする人が人狩る歴史が続く
さまざまな生き物の死が波打ちに洗われながらつぶやきて引く
蝉絶えてしまいて夜はしんしんと虫の音ひびき涼しくなりぬ
ゾウリムシ二つに裂けて若くなるそんな素敵な生き方もある
突き詰めて思えば生も死も全てあっという間の過去となりゆく
人間の淘汰のための戦争と地雷野染めて夕日が沈む
成り行きの不幸不運のただ中に臨めば笑うよりしょうがない
不可思議な生き物ゆえか人もまた時に滅びを急ぐことあり
秋分を過ぎてたちまち暗くなる夕方帰りは虫の音を浴ぶ
さんざんに他の生物を食べ尽くし人は勝手なことばかり言う
次々に生き物育て殺しゆく人も身近な死を恐れつつ
気が付けば小庭ふくらむ韮の花群れてしきりに風呼びている
神様が助けてくれたとしか言えぬ過去の折々折々があり
立ち枯れて九月の末の曼珠沙華なれども新しき花混じる
玄関を出れば墓石の群れ見えて満月の下冷ややかに見ゆ
妻の家遺品も少しずつ減りて義父は写真の中に収まる
墓石の上にハシブトガラスいて大気と話す丸き目をして
どことなく子に似る親の集いいるグランド体育大会たけなわ
足速きが襲いて遅きは食べられるリレーの瞬時どよめきかなし
玄関を開ければ金木犀匂い夜の青空広がりて見ゆ
金木犀小さな花の溢れいて夜は満天の星となりゆく
人の生なんて一瞬白昼のプラネタリウムに星満ちてゆく
夕立の去りし空白数人が取り残されて目を合わせおり
キクイモの黄が青空を泳ぎいる秋はまたたく間に過ぎてゆく
赤トンボワレモコウより飛び立ちてふわりとワレモコウへと戻る
我が居らぬ間にも夕べは過ぎてゆき鈴虫響きわたるこの部屋
風に揺れどこへ行くのか枝垂れ萩過去へ未来へ続く道あり
夕焼けの雲行く空を汚すがに椋鳥群れて鳴きかわし過ぐ
細枝に止まりて高鳴く頬白の楊枝のような足も揺れいる
人間の巣が広がりて地上には蟷螂のごときクレーンが見ゆ
金木犀匂えよつまらぬことばかり思う心を初期化してゆけ
韮の花しおれて後は蟷螂の頭のような緑が揺れる
右目より出でてたちまち消えてゆく夜の電車の明るさ残る
コンセント離れたコード転がりて部屋障子越しの朝の日を浴ぶ
スタンドが畳の海を灯台のように照らしている眠る間に
一粒の露の地球がふうわりと浮かんで未明目が覚めてゆく
どうにでも言える論理の応酬に少し厚かましい方が勝つ
幾つかのボスとその取り巻きがいて猿山みたい職員室も
ジーンズを履けばジェームスディーンわが重なりて照れ笑いなどして
どのような縁でこの世に生まれくる目交い全て映画のごとし
悪しざまに生徒を笑う教師あり自分が言われているように聞く
最後には自分が判断するべしと生徒に強く言うことがある
考えをやめれば雀の声を聞く朝の識閾明るくなりぬ
三十年ぶりの家には柘榴一つかつての処にぶら下がって見ゆ
自分より若き人の死送ることこの頃多くとりとめもなし
焼香の順に並べど明らかな死の順番が何処にかある
薄明は流氷に乗り旅をする目を閉じ布団に包まれながら
ミシミシと響きどよめく果てしなき流氷原に我ひとりいる
  蝉束間(三五号)
竹林がおおきく激しく揺れている景いつまでも心に残る
さまざまな形にペンを持つ指の動いて試験たけなわとなる
次の世の入り口なんだろう月が朗らかに照りすぐそこに見ゆ
足らぬもの補うように寄りて来る娘はわれの一部ならねど
音もなく影のみ伝う一瞬のああ朝帰りする猫がいる
蚊や蝿を殺して喜ぶ人ばかりいるのか日本のテレビの夏は
脅かせば体を縮めておびえいる足高蜘蛛あり逃がしてやりぬ
人死んで犯人わかって了となるドラマサラ金提供にして
ため息やうめき声など冷蔵庫常働けば時折聞こゆ
この世から突然我がいなくなる単純来るかもしれぬではなく
考えてもどうにもならぬことばかり思う楽しみ眠られぬ夜は
ゴキブリに悲鳴を上げる妻よそれニンゲンよりも大きなものか?
ゴキブリを見つけるたびに僕を呼ぶこんな時だけ頼りにしてか
イヤホーン付けて聞こえぬふりをするゴキブリいると妻叫ぶ声
ゴキブリが触角緊張させて振る妻の悲鳴に驚きながら
何の罪あればこんなに嫌われるゴキブリあわれ我とて同じ
不貞腐れ宅間守の不条理を誰もが持つと思うことあり
信長も武蔵も今では犯罪者なのにと歴史の不可解がある
蝉時雨聴きつつ眠る海の底わが舌ひらりひらりと泳ぐ
海の底に我ら生きつつ蝉時雨青木繁の絵の中にいる
古き町並を歩けば背景にビル傾いて見えることあり
安威川の流れを見つつ一瞬が今が全ての光景となる
歌作るたびに心が軽くなる独りうっすら笑いなどして
生きている不思議不可思議蝉時雨あふれる朝の識閾にいる
明らかに我に聴かせるごとく鳴く熊蝉太く滑らかな聲
アオムシが山椒葉食べて美しく居座りおれば殺さずにいる
どさくさの薄い平和の日本が勿体ないことばかりしている
見るからに意地悪そうな人が意地悪にて少し気の毒になる
いらぬとき出てきて捜せば出てこない物に囲まれ生きているのに
我が前を袴速足するようにアオスジアゲハ横切りて行く
穴の位置悪くて成虫寸前に死にいし蝉に蟻群がりぬ
神居ます天に響かせ鳴く蝉よ鞴のような腹震わせて
風や岩、水となるのも幸いか雲間より日がざんぶと注ぐ
蝉時雨聴きつつ土や風となり眠るよ死後も未生も同じ
バルサンを焚く近所より逃げて来るごきぶり追えば隣家へと入る
わが事のように一つの雲が今目前の窓流れ過ぎたり
ぷちぷちと手の爪足の爪我を離れて土の一部となりぬ
癇癪を時々爆発させている家族か我もこだわりを持ち
天井の木目の模様死体さえ輪切りにすると美しくなる
パソコンも不意に固まる死といえど流れる時間の一つに過ぎぬ
太陽もいずれは滅ぶ我もまた無数の滅びを繰り返し過ぐ
義父の死からあっと言う間の一年が過ぎてノウゼンカズラ見ている
鳳仙花弾ける夏に迷い入り少年となるつかの間がある
蝉の羽根地に転がりて美しき土となるべしわが庭にある
微生物たちに喰われて粒となる砂漠葬あり満天の星
たくさんの枝を絡めて鳥と蝉うたう金木犀も輝く
夏の風涼しくしみる夜は流氷がどこかで生まれゆくらし
我のみが流氷原に一人居るそんな風吹き夏終わるらし
夏過ぎて緑の川か葛の花紫の首が流れに浮かぶ
あの時にあの日に戻れたらなどと思いは蜃気楼のごとしも
ブランコがかすかに揺れていてツクツクホーシツクツクホーシツクツク
  蛍(三十四号)
わが布団四角いシャーレーもぞもぞと一晩動いて成長もせず
多数決だから従う納得を決してしている訳ではないぞ
漱石や芭蕉の享年過ぎて生くのろまでひねくれ者しょうがない
踏切を過ぎる電車の一瞬を目で追えば目を合わす客あり
いつの間に我が家に帰る全自動装置に委ねられし一日
すんなりと言葉が出ない舌の先絡まりながら口腔めぐる
深夜歯と歯茎の間くねくねと動いてやまぬ我が舌がある
時に舌カレイのように潜みいて唾湧くたびにふわりと泳ぐ
ニンゲンの醜さばかり湧きてくるざらりと舌の嘗めている午後
常濡れし水底にいてわが舌は心の動き揺られてやまぬ
振り返り思えば義父は自分の死知るや晩年ひたすら優し
鬼気迫る田宮二郎の晩年の白き巨塔の断片残る
歯と歯茎せわしく動く舌の先太古よりわが内側に棲む
やわらかな夜に溶けつつ横たわる我あり舌を泳がせながら
先人のトーテムポールは長き舌空の真青に見せつつ笑う
空を飛ぶ夢も叶わず舌はわが口の中にて常動きいる
つまらない人にこだわるつまらない自分を見ている自分がありぬ
際限もなく人がいて次々に死ぬ生まれるを繰り返すのみ
湧き出でてくる形象の一つにて少女の背中ゆうぐれてゆく
口の中ウミウシふわりふうわりと舌泳がせて我が眠りあり
時にわが舌自身になり泳ぎいる深海ゆらり寝返りながら
手厳しいことを言われて妻はややひるみつつ出て娘を叱る
叱らねばならねど言葉無くなりし妻に替わりて娘と向かう
抱き締めてやれば素直になる娘無駄な言葉は置き去りにして
脳の血管がぷつぷつ切れてゆくらしい言葉の空白続く
不登校生徒来ているそれだけでクラスに温かい血が通う
庭に穴空きて幼虫出でてくる蝉と生くべし短か世ならば
そんなこと俺にもあった真剣な生徒の声に我が重なりぬ
棺箱に入りゴウゴウと焼かれいる夢より覚めて今日始まりぬ
ふわりふわ無数の蛍明滅し小さな闇の川照らしゆく
我が阿呆を見られたような心地して笑いつつ見る落語はかなし
限りなき闇の奥へと点々と蛍灯れば導かれゆく
薄緑色に蛍がゆらゆらと闇切り裂きつつ揺れて飛びゆく
いざなわれ導かれゆく暗闇に匂いつつ蛍群れて灯りぬ
地に墜ちて飛べぬ蛍が最期の灯ともしつつわが在り処を示す
蛍狩り娘と遊びつつ思う一年前には生きていた義父
言葉ではなく肉声が蘇る義父死して我が裡に住むのか
野ざらしを心に川瀬沿いて行く我に蛍の光は揺れる
どれほどの違い合格不合格歓喜に醒めてゆく意識あり
なだらかな火口のごとき蓮の葉の群れて静かな花開きおり
我が内の無数の命ゆらゆらと蛍灯れば輝くあわれ
携帯を持ちつつ人も呆気なく虫のごと死ぬ定めなるべし
飛びて舞う蛍の明かりの他見えぬ夜の流氷原を思えり
一夜にてジグゾーパズルほどけおり流氷去りて海覆う波
蓮の葉のひしめき流氷群に似て朝の池畔に動けなくなる
今われが生きているこの幸せに勝るものなし過去も未来も
  未生翼(三十三号)
人間を全肯定か全否定してマスコミが闊歩してゆく
見せしめのありて秩序の保たれる人の集まりなのかと思う
地を叩く音ひびかせて春の雨獣も花も笑いつつ過ぐ
目を閉じて雀の暮らしの声を聞く夜明け獣となりて横たい
二三日離れて妻の良いところのみが湧きくる不思議なれども
人厭うたびに眺める北摂の山並み今朝は鮮しき雨後
死ぬために生きるみたいと娘言いまた子の無邪気な世界に遊ぶ
トータルで人生なんて分からない寄り道ばかりして来たけれど
卒業式ビデオカメラの群れ見えて人の残せしもののいつまで
卒業式遺影が一ついつまでもVサインしてかなしみを呼ぶ
幼子の笑いに笑い返しいる我折り返し点とうに過ぐ
それぞれの終着駅にて降りてゆく人乗せて電車未来へ走る
辛い過去の日々こそ宝ゆっくりと海を濡らして日が沈みゆく
わがクラスみんな違ってみんないい明るく笑い励まし合おう
売れぬまま宅地予定地母子草父子草ありつつましく咲く
新しきクラスに座る生徒らの不安と期待の眼差し残る
生徒の目徐々にほどけて手を挙げて答える授業たけなわとなる
藤村の椰子の実一つさまざまに生徒の心の孤独を灯す
かつて家在りし空き地にホトケノザ何想い咲く坂下りつつ
二年生三年生となる不思議自ずとどこか違う気がする
ホームレス・リストラ・トラウマ…次々と現代が病み襲いつつ来る
流氷の原も翌日にはなくて流離の憂い青々と海
流れ寄る氷塊一つ午後の日を浴びて呟きながら溶けゆく
故郷の岸を離れて波の音する満天の星を見ている
想いやる八重の潮々流氷は何処に浮かび彷徨いつづく
雪原に直ぐ立つ一樹くっきりと影あり白き日に向かいつつ
椰子の実は流氷となり転がりて渚に我としばらくをいる
去年とまた同じ処にナズナ咲きしゃがんで我も日を浴びている
炊飯の音が拍手に聞こえくる今日もドラマの始まらんとす
押し寿司の人のかたまり並走の電車に詰まり顔あまた見ゆ
不登校常なる生徒の空席のかなし授業の間にま目が行く
分類されコンピューターに入りてゆく歪つに笑う我が顔がある
君らとも所詮つかのま滔々と流れる川に陽がとどまりぬ
蚊が飛べばパチンと叩く手の平に細かき造りの美が鮮らけし
ゴキブリやムカデ棲む地にヒト増えて四角い無数の巣が立ち並ぶ
ほの熱き湯呑みを抱く手の平に今在る命思いつついる
我が足を離れて二つ靴下の不思議なオブジェ飽かず見ている
限りある命愛しみ目を閉じていつまで続く我が鼓動聴く
雨の夜の硬き舗道は銀色に光りて我に従いて来る
高槻に居て網走に眠りいる常流氷を見渡しながら
生きている間にせめて魂の触れ合う対話をしようじゃないか
魂の対話もありて幾つもの言葉行き交う授業は楽し
すさまじき女の争いしておりし妻と娘が寄り添いて寝る
都合よく我の名前も入れられて妻と娘の争い激し
口出しをすればこちらが責められる夕方妻と娘と対かう
妻・娘・僕の奇妙な関係もやや和らぎて食卓囲む
呆気なき祖父の死娘父我の死を思うらし首強く抱く
病院が終の棲家の日本の今いまいましく思うことあり
目つむれば流氷原とも銀河とも白く輝く空間がある
気が付けば岐羅比良坂を上りいる我の姿とすれ違い行く
オジロワシとなりて見下ろす氷原に立ちて花咲く氷塊群れる
  卵黄海(三十二号)
ブラジャーもシャツもパンツも回りいる振動に家ひそまりてあり
部屋暗くすれば障子に映りいる金木犀見る目を開けるたび
外の影映りし障子映さなくなりて明るく朝が来ている
服を着て携帯持ってああ人は奇妙で不思議なことばかりする
暗けれど外の明かりも部屋内を灯せば消えて我がめぐりのみ
何処より来て何処へと消えてゆく我がつかの間の形ある身は
たちまちに部屋の形を灯しいる明かりは点けず眠りいるべし
雲間より冬の日が射すこの身にもいつかいきなり空白が来る
巨大なる空白のごと累々と氷塊が積み彼方へと消ゆ
右を見て左見る間に右が来る慌ただしさの中に佇ちいる
小便が水にぶつかる音さえも生の証しと思うことあり
起きらねばならぬ時刻に眠くなる落下してゆく夢ばかり見て
伝うべきことも言えずに二人いるツグミが胸を反らし見ている
番いとはなれぬ二人かカイツブリ群るる湖面に映りつつ行く
サラ金のCM流れゆく部屋を異国のように思いつつ過ぐ
植物は泉の形に地を覆いわが眠る間も地球は回る
金木犀の葉の影揺れて映りいる障子も我も夜も明るし
眼裏の模様はDNAなのか果てなき夢も現れながら
時の川流れて四角いわが布団もう少しだけ眠っていたい
玄関を開ければ船が出るように小雪が斜めに流れつつ降る
気が付けば今年も梅の花開く立ち止まることなく時は過ぐ
網走は今日は吹雪くと便りありここ梅開く高槻にいて
真夜中の部屋には窓の光のみ首傾けてスタンド凛々し
氷原の海見渡せば渺々と地の果てより風ぶつかりてくる
雪撥ねてゆく除雪車のゆっくりと過ぎて未明の静けさ戻る
オレンジの灯のカラカラと除雪車の過ぎて未明の町整いぬ
影落とし地に貼り付いている雲を見下ろしつつ飛ぶ我が視界あり
流氷に鎮まる海の一角を揺れて砕けて叫ぶ波あり
亡くなりし義父はいないかくっきりと波に打たれて氷塊が見ゆ
氷原の中に広がる瑠璃色の海あり激しく水鳥叫ぶ
流されて岸に収まる氷塊のまぶしく細くなりつつ白し
氷塊の大平原を流れゆく雲の影あり音もなく過ぐ
岸に残されし流氷群を見る人には言えぬ苦しみを持ち
流氷の青き地の色雪解けて午後の光にさらされてゆく
金属の光沢見せて流氷の残骸並ぶ岸に来ている
坂田博義のかなしみ氷塊の岸に置かれて夕影を浴ぶ
真夜中に痛む胃もわが一部にて網走の夜を共に過ごしつ
雪明かりゆえにか夜がまぶしくて網走の夜まんじりともせず
雪道を踏めば命の音ひびき止まれば風がしじまを運ぶ
海は明るく氷原青く鎮まれり夜明け岐羅比良坂を上れば
わが脳の中の風景より出でて現つ朝日の輝き始む
卵黄のような朝日が光の矢放ちて帽子岩を見ている
海白く氷原青く鎮まりて雲の真下にあるオホーツク
黄金色に海きらきらと輝きぬ流氷群るるあちらこちらに
藤色に流氷原は影のごと卵黄の海輝くばかり
白樺の林の走りゆく向こう流氷原ありありと我が視野
向陽ケ丘より朝の氷海が赤紫に鎮まりて見ゆ
流氷が朝の光を鎮めいる海きらきらと輝くみれば
心臓のように動いて絶え間無くクリオネあちらこちらを泳ぐ
卵黄の渦巻きつつ氷海の上わが命ありありと見ている
氷塊に氷塊の影水色に置かれて流氷原は鎮まる
我が命しばし見ている氷塊が岸に横たう獣のごとし
雲間より見ゆる下界は海中のごとくに青き影まといいる
瞬きをするうちいつか我が視野も命も何もなくなるだろう
既に子の齢の生徒どのようなしぐさも可愛くなりてしまいぬ
少しずつ少しずつ赤多くなる椿見て過ぐ人も車も
夕方となり夜となる単純をこの頃驚異と思うことあり
  馬の骨(三十一号)
見る程にレールも走りついて来る車窓は幼き頃と変わらず
今日もまた地雷踏みつつ人あらん一足歩む時の狭間に
蟻塚や蜂の巣のごと人築く都市見つつ飛ぶ渡り鳥あり
あちこちの地雷うっかり踏まぬよう妻の機嫌を測りつついる
文明が作り地雷を埋めてゆく山河の民は滅ぶ他なく
人と人かく憎み合い殺し合い果たして神は必要なのか
我が内に巣くう無数の虫たちを思いつつ寝る愛しみながら
程ほどに我を蝕む虫もいて仲良く暮らせわが内側も
旬の花過ぎし師走のアジサイを見つつ乾いてゆく過去がある
あどけなき娘の寝顔しみじみと生きてゆくべし心足らいて
何ほどのなき光景も川のごと人少しずつ代替わり行く
俳優は何度死んでも生き返る本物の死が数行にて載る
長いのか短いのか一日が過ぐかけがえもなく生きて地球に
魔法にて神の作りし人集う地球は青くやわらかな星
浜村淳語ればつらい人生も映画も味のあるものになる
無駄なもの何一つなき人生と空行く雲を見つつ思えり
自在なる魔法は夢に封じ込め人は現つの些事に追われる
何となく死者の魂あるような明るき月夜の墓に来ている
深夜目覚めれば闇路に美しく便器の青い輪郭が見ゆ
素晴らしい歌を夢にて作りしがどこに忘れて終日が過ぐ
蓑虫のように布団に入りて聞く朝の足音ゆったりと行く
関わりのなき特急が通過するその影ホームの人攫いつつ
その時は潔く食べられてやる心持ちつつ豚食べている
血統の始めはどこの馬の骨空海歩むケモノミチあり
裁かれて取り残されて我が裡に幾ついかなる剣呑が棲む
ピラカンサなごみの赤き実を広げ冬の日だまり輝き放つ
落ちたいか落ちたくないか冬の日を浴びて銀杏の葉は縮みゆく
あと五分だけ眠りたい朝うつつ生に執着するにあらねど
しとど降る霙に濡れて幾百の墓群れ肩を怒らせて立つ
人も花も地球も不思議一瞬といえども愛によりて生くべし
道でなく川を流れて行くように自転車ゆらり揺られて漕ぎぬ
おずおずと朝にハコベの花開く今日緩むべき冷えと思うに
枝のみとなりて深夜のプラタナス手を差し伸べよあまねく宇宙へ
ものがたり性善説がいつも勝つ踏みにじられて来しとうらはら
怒られては抱き締められに来る娘命を包むつかの間と知る
締め忘れ水滴一晩中落ちて一瞬の命たちのまぼろし
眼裏の模様は波か滔々と川の流れに任されて寝る
少し赤らみし蕾の満ち満ちて今年も椿春を呼ぶらし
冬の日の今日は和みて紫陽花の芽の柔らかさに目を凝らしいる
冷えしるき朝の大気を灯すため橙実る坂下りゆく
雲は影塗りつつ流れ北摂の山は明るく暗くひねもす
目の粗いショールのような雲の群れ夕日の方へと明るく渡る
我が命無くなりてもなお繰り返し時計のごとくに雲流れゆく
幾つもの危機一髪が一時間程運転のなかにも在りき
いつぶつけられても仕方ないようなカーブの対向車を見つつ乗る
マッチ擦るつかのま火は木を抱き締めて殺して己れも消えてしまえり
夢なれど網走二中旧校舎戻りて座るわが机あり
目つむれば向陽ケ丘に立っている海には蜃気楼を浮かべて
湯気のごと立つ海霧の湾見えて朝の岐羅比良坂下りおり
飛び魚のごとき一瞬面を打ち竹刀は宙にとどまりてあり
石ばしる垂水に魚の跳ねるごと少年が面一瞬決める
今はビルの谷間にありて処刑台セリヌンティウスの日が沈みゆく
亡き義父の氷塊ありや揺られつつ流氷群が近づいてくる
閏土も揚おばさんも見渡せばいるいる職員室のなかにも
アホやなあ先生らしいと生徒より言われてホッと一日終わる
蛍光灯の小さな穴より紐垂れてカンダタ我は手を伸ばしいる
重そうな雲ぬったりと渡りゆく窓にビュッフェの裸木並ぶ
  銀杏葉(三十号)
わが家の屋根の形に雨の音聞きつつ眠りの中に入りゆく
金木犀枝を払わぬ理由にて昨年より止まる空蝉があり
朝ごとに障子に映る影ありて金木犀あり空蝉もいる
風もなく自ずと木の葉落ちてゆく喉の渇きに目覚めいし夜半
明日の体調考えて眠りゆく若くはあらぬ我が現身は
赤トンボ群れ飛ぶ野辺にからからと夕焼けにつつ我が立ちつくす
栗イガの時折落ちし坂上り西陵中あり生徒も上る
山よりも高く鉄塔聳えいる山の端浮かぶ日が沈むまで
縫い針のごとくに電車見え隠れ街の夕暮れ山の端が浮く
今は使われぬ小溝にアカマンマぎっしり赤く指のごと咲く
白血球赤血球など泳ぎいるわがわたなかの命ひしめき
止まるたびカサリと音の聞こえくる新聞配達バイクの巡り
未明より働く音の聴こえいて今日の命を思いつつ寝る
限りなく光の粒が飛んでいる宇宙の果てのその果ての果て
わが死後のごとき不安が雑踏にしばらく妻も子も見失う
炊飯器黎明弾ける音聞こゆアフガン空爆よみがえりつつ
雲浮かぶ空の高さを窓越しにみつつ今年の秋も過ぎゆく
金閣寺出でてバスこぬ植え垣に裏銀シジミ羽広げおり
車にはややためらいて通過後にいそいそ黄蝶横切りてゆく
止まるともなく飛び急ぎ冬の野に紫シジミ何捜しいる
青虫の中の葉くずの心もて満員電車に運ばれて行く
時はあやふや曖昧に流れいて何度も施錠確かめている
玄関を掃きつつ声を掛けくるる校務員さんわが教師かも
美しく堅き舗道にしめやかに土にもなれぬ桜葉が落つ
精子飛びしイチョウも今は黄枯れいて巨きな楽器の並木となりぬ
未来にも過去にも我が居るような気がするどこかさ迷いながら
影落としつつ雲浮かぶ北摂の傾りに紅葉色づきて見ゆ
高きより紅葉の町の昼見えてカラスも影も横切りて行く
花よりも堅き濃き色気づきつつ桜紅葉の下歩みゆく
細胞も病原菌も進化して人したたかなもののみ残る
蝶となり流氷となり落ちてゆくイチョウ葉すべて違う形に
炊飯器の音ゴーゴーと迫り来て流氷の群れ脳裡に浮かぶ
古布のごとき花びらゆら揺れて霜月下旬も紫陽花開く
水しぶき放ちて滝は落ちてゆく紅葉の森の谷間下れば
月夜にてマンホールの蓋光りいる近づけば舗道に紛れゆきたり
前の墓後ろの墓を横切りてあまた石立つ我が歩むたび
昨日まで言葉交わしていた人も焼かれてしまえば骨壷に入る
さよならの手を振るすすき山に来て余光に我も照らされている
眠れぬ夜事故寸前の記憶など恐怖のゲームの乗り物にいる
裸木の中に卵のごと浮かぶつるうめもどき見上げつつ行く
突然の人の死なども混じりいて秋より冬へ風渡りゆく
俺は今死んでしまうのかもしれぬ漠たる不安の中に寝ている
コマ送りに葉もなくなりて裸木を見つつ確かな過ぎ行きを知る
オンコの実過ぎれば長き冬となる網走は我が歩みいし町
イチョウの葉散りつつ北では流氷の海の卵の生まれつつあり
我が喉をふさぎて流氷生まれくる海の卵か清らに白し
氷塊の形は全て異なるに沖に一筋流氷迫る
本統の詩人は川添かもしれぬ師のつぶやきしと辺境にて聞く
氷塊の堅きが下に貝の肉妖しく春を待ちつつ育つ
目つむれば白き海別岳浮かぶ海岸町の風となるべし
一塊の氷となりて流れ来し遺志渺々と白き海あり
集団の中で弾けて立ち上がる氷塊群るるところまで行く
アンカーの競り勝ち騒ぐ校庭にぱっくり石榴割れていし見ゆ
金木犀見るたび笑顔こぼれいし君の匂いのよみがえりくる
地より湧き出でてうら鳴くコオロギの月の匂いの満ちてくる夜
よく見れば黒み縮みて花残る金木犀も秋深みゆく
  明日香(二十九号)
午後七時暗くなりたる八月の半ばか風も沁みわたりくる
思い詰めて夏の真昼の雑踏のなか透明に人見えて過ぐ
骨となり死を確かめた筈なのに訪ねてきそうな義父待っている
四十前に死ぬこそよけれと兼好はつぶやきながら余生過ごしき
土となり塵芥となりして蝉の音絶えて八月終わりとなりぬ
本当はそうでなくても雰囲気に浸って泣いてしまうことあり
道の外れ薮の茂りにトカゲいていそいそジュラ紀に逃げてしまえり
迷うなら先ず夏木立眠りより覚めれば森を渡る風あり
草いきれの向こうに確かに幼年期手をつながれていし僕がいる
義父死して二十日この頃さめざめと妻泣く顔を見ること多し
亡くなりし義父に似し人見るごとに語りかけたき胸詰まりゆく
骨になるまで確かめた筈なのに義父の訪ねてきそうな午前
緑田にすらアスファルトの道伸びて夏アザミ幻影のごと咲く
草いきれ漂う土手に夕方の川面はとろりとろり輝く
すれ違うだけの人波地下街に会うが別れの流されて行く
人の死を聞けど体調悪き日は己が命にこだわりて過ぐ
雨の後にわかに浮かびし水溜まりアオスジアゲハ揺れつつ止まる
納棺は堅きなきがら巡礼の死装束の義父横たわる
朝夕は涼しくなりて際やかな夏の光を吸う百日紅
待つ人と通過する人踏切を過ぐたびしばし目を合わせつつ
踏切に待ちつつ今まで行き過ぎた時や心をご破算にする
ゴキブリのいかにも無念そうな死が歩いて力尽きし形に
緑葉の上に小さく日を浴びてホトトギス咲く魂のごと
虎の尾の花いっせいに揺れている少し涼しくなりし夏の日
次々に形と色とを変えながら光と風を抱くプラタナス
アカシアの枯れ花垂れて実のように秋の緑の中に収まる
仙人草白き十字の花の群れ墓地の墓なき一角に咲く
幽霊になっても逢いに来てほしい娘は天の義父慕うらし
道の端ゲンノショウコの小さき花くっきり白く続くたまゆら
夕焼けのやけに明るくくっきりと虹立つ野分け近づいてきて
それぞれに敵も味方も正しくて神の名をもて争いをする
飛鳥川多武峰より下りて来る少女に赤き花ひろがりぬ
見たこともない道眠りの中にある辿れば赤い橋に来ている
大滝の水脈のごとくに萩の花崩れゆかんとする刹那咲く
唐突にチョンギス草より草へ跳ぶその顔女官の微笑みに似る
石舞台遠くに見えてしばらくはヌカキビ風に揺ら揺れて立つ
槍のごと雌日芝雄日芝咲き群るる丘に魔神の我が踏みて入る
葛の葉の裏返るたび少年に戻りて我は野に立ちつくす
ふと見れば野に一片の光あり我が命かとしばらくをいる
自ずから光る金色すすき穂の向こう彼岸の青々と空
再生の出来ぬ事実を映しいるビデオカメラのモニターが見ゆ
文字化けのように脳裡に次々に不可思議模様眠られぬ夜は
今は鈴虫の奏でる石舞台蘇我馬子は悪人なのか
何ゆえにかく神の名を使うのか貿易センタービル崩れゆく
伸びやかに生徒演じる劇のごと人生もかくあればいいのに
リストラの友の葉書を見て居れば早く着替えてよと妻が言う
カタバミより出でし小さき韮の花ヤマトシジミが束の間止まる
闇の中逝きにし人あり目を閉じて思い見んきりぎりす鳴く夜は
義父死して二タ月義父の訪れぬ部屋には金木犀の香が立つ
容疑者の自宅より出で餌を運ぶ強制捜査の隊列が見ゆ
街の一角となりいて金色の稲穂の匂いの風満ちてくる
草の名を知らばしばしばチカラシバ握るともなく親しみて過ぐ
果てしなく遠き星よりリモコンで操作されゆくヒトの群れあり
まばたきはトンネル異次元空間にさ迷うごとくぼんやりといる
金網を張りし空き地にびっしりとエノコロキリン草の名あわれ
葉書さえ書かぬ奴らが見よがしに携帯電話のメールを送る
日溜まりに照る鶏頭の赤き肉よりイチモンジセセリ飛び立つ
刻々とただ時のみが過ぎてゆく流氷溶けて海となるまで
夏に枝を切らなば金木犀の花たわわに実りの香に満ちてゆく
  ぬば玉(二十八号)
噛み締める歯さえ人工物ばかり既に危うきうつしみにして
梅雨終わるともなく今日は晴れ渡りチイイと蝉の鳴き初めにけり
太陽の色を映してワスレグサすっくと茎の立ち群れて見ゆ
亡き人を雑踏の中すれ違うぬばたまの風吹きかすめつつ
暖かい御飯のやわらかな匂い一日の命いのちをつなぐ
夜明けまで眠り三昧這うようにすとんと布団という穴に入る
その昔思えば死者もよみがえり幼き我が生き生きといる
両目では透明片目にぼんやりと我が視野に立つ鼻の側面
瞬きはシャッターのごとぬば玉の脳裡に幾億画像が残る
人見つつ人の視界に我が姿ある不思議さのすれ違いゆく
月の下墓石群あり我歩む足音だるまさんころんだ
流氷記持ちてポストに運ぶたび墓群れ見つつ見られつつ行く
上に反り葉も実も青きイチジクのほのかな香りの一角を過ぐ
血液と肉のあわいを蝉しぐれ細かく震えつつ沁みてくる
土の中眠る幼き我がいて蝉の鼓動に揺れつつ眠る
二十歳にて死なば金色の月の下男根のごと墓立つあわれ
アカシアの蝉を襲いて喰うカラス飛びつつ咀嚼して口開く
眠くなるように寝かされ歯の治療浅き夢見し身も削がれつつ
炎天のヨモギの匂い昇り来る線路よ遠き電車は歪む
葉にしがみつきて空蝉去年からの殻と並びぬ蝉しぐれつつ
一斉に蝉鳴く朝の始まりに我が裡流れる血も騒ぎゆく
扇風機冷蔵庫の音ひびきいる深夜の家族寝息たけなわ
スーパーに籠もて巡る新鮮な死が飾られて並ぶ静けさ
スーパーは天井高く山道の果実のごとく食物並ぶ
蟻のごと人は溢れてスーパーの冷房の中食物漁る
屍を味わいながら食べている人は己れの死を恐れつつ
人のため食べられるため生きている動植物は何思うことなく
深夜ひっそりとしている路地裏がテレビの色に次々変わる
いらいらと待つ踏切を殊更に減速して今電車過ぎゆく
薄光る樹幹の甘き液を吸う蝉あり桜の花知らず鳴く
生ま生まと女歯科医の唇が下りてきそうに目の前にある
電車過ぎまた矢印の灯りいて踏切前のざわめき親し
蝉時雨浴びつつ午前わが庭に小さく白きキンカンの花
心常飛びつつ生きるかなしみを白くサギソウ目の当たり見ゆ
柔らかき地球に学べ争いも花も思想も繰り返しつつ
プチトマト口にて広がる一瞬の甘き破壊を楽しみて食ぶ
白桃の肌を愛しみ皮むきて甘き匂いのやわらかさ食ぶ
熟れし桃徐々に剥がれてくっきりと雲の隙間に満月浮かぶ
おじいちゃんおばあちゃんにと貝殻を拾う娘に波やわらかし
突然に義父倒れたと次々に山押しのけて『のぞみ』駆けゆく
午前には話していた義父もの言わぬ体となりて横たわる見ゆ
月の満ち欠けのごとくに断面の脳幾つかが暗闇に浮く
インスタント写真見ながら克明に執刀医言う時止まりつつ
突然に倒れて四日後みまかりし義父の教えてくれし死にざま
四日間無言の義父の語りかけ尽くして波が凪となりいる
流氷が岸に鎮まる静けさに臨終示す直線となる
がんばってからありがとうへと変わる千羽鶴折る娘の言葉
おじいちゃん今までどうもありがとう娘の声に皆涙せり
想い出の一人とならん美しく焼かれて義父の骨横たわる
  麦渡風(二十七号)
美しさ醜さ常に併せ持つ心を今日は持て余し過ぐ
生徒より大胆奇抜な解答を提示して我が得意顔あり
間違った選択肢の中奇抜なれど本質を突く言葉群あり
紫陽花の葉に次々に落ちてくる雨あり木琴叩くがごとし
わが娘叱られてはすぐ抱き締めてほしいと我にぶら下がり来る
ぐしゃぐしゃに微かに街も写りゆく水溜まりの輪の生まれては消ゆ
汚れやすき心に沁みて五月雨はどくだみの花揺らしつつ降る
この世から突然われが消えている静かな朝の町歩みおり
こんなこと作者は言ってはおらぬぞとバツの選択肢の中にいる
間近にて見ればシーツも果てしなき氷原海鳥さえも聞こえて
威勢なく落ち込む妻の甲に手を当ててしばらく聞き手となりぬ
偏見と差別語祖父の言葉から学ぶ中学生もあるらし
殴る蹴るして次々に突破するゲームが武器のように売られる
笑いの中笑えなくなり北摂の山の緑を窓開けて見る
白き花放ちて緑生まなまと精の匂いに満つるアカシア
早朝の静寂破りてぐごぐごと手押し車の老人が過ぐ
葉に満つる金木犀を揺らしつつ雀ら大論争やまかしき
大声で声を制する会議なぞ暮れなずみつつ帰り急ぎぬ
天と地の初めと終わり思わしめ氷塊積みしが累々と見ゆ
差別する側よりされる側にある娘の話安堵して聞く
紫陽花は雨の匂いかたたき降る音にかすかに震えつつ咲く
本統のことを言ったら理想だと笑いて応うしたり顔あり
ヤマボウシ四弁の花のくっきりと谷の木陰に浮かびつつ咲く
雨に濡れた葉よりすっくと立ちて咲くシロツメグサあり輝きて見ゆ
我が祖母は田植え姿の腰曲がり蛙の響きの中に逝きたり
幾つもの蝶のとまりし如くにてアイリス梅雨の晴れ間に開く
抱き締めてやると寝入りの早くなる娘よストレスはや持ちながら
腕時計の硝子に映る竹すだれ夏の日分断されて明るし
乳酸菌満ちるキムチを噛みてより我がやわらかき洞窟に入る
水晶のような氷塊立ち上がり巨大な白き花を見ている
和やかに教師と生徒という仮面外して人の心に触れる
定かには音は無けれど窓の外大きく遠く竹林揺れる
山の道迷いしところ輝きて芍薬の花すっくと一つ
道の辺にホタルブクロの花群れて昨夜の雨の滴くに揺れる
氷原の写真を見つつ寝転びぬ梅雨のうっとうしさを逃れて
人の死をかなしみながら蚊のぶんぶ泣くのを強く憎みて殺す
湧網線廃止反対集会に車で行きし人というもの
しっとりと細かき雨を含み咲くムラサキツユクサ心を浸す
麦渡る風に幼き我負いしナミ子姉ちゃん顕れてくる
麦の茎ちぎりて舌に乗せて吹くナミ子姉ちゃん麦笛かなし
畦道を並んでナミ子姉ちゃんと麦の穂触りつつ歩みゆく
亡くなりし事実を母より告げられし数秒のことなれど忘れず
十三歳突然逝きし姉ちゃんと幼きままの僕がまだいる
泣きながらしゃくり上げつつ連れられて姉ちゃんといる日が沈むまで
いつも手を握られていた畦道に姉ちゃんといる今も時々
泣き虫の僕を庇いていつの間に姉ちゃん遺影の中に収まる
姉ちゃんの行く所なら何処へでもついて行きたい心が残る
佐田川の土手にすかんぽ茅萱噛むナミ子姉ちゃん面影かなし
麦に風ナミ子姉ちゃん想うたび涙あふれて幼子となる
めらめらとビデオテープの炎見ゆ過去も未来も火に抱かれゆく
暇だから書く批評などいらないと生徒に厳しく言うことがある
地に開く花を愛でればそれでいい我が死すとも花不要なり
薔薇色に一面染まる氷原に生も死もなきたまゆら揺れる
  蜥蜴野(二十六号)
夫婦共すこぶる腹を立てているいないと不安にすぐなるくせに
往生際カレイ一跳び裏返りこの夕食のために売られる
流氷記出でしあとただ虚しくて骸のごとく夜を独りいる
疲レテハイナイカ我を気遣いて死の一カ月前の筆跡
流氷の果てまで続く白き道歩みてゆかな迷うことなく
春の土手小さな花の咲き競い髑髏さえ笑いて見える
冷蔵庫炊飯器の音聞いている黎明明るみかけた脳裡に
胡瓜草カラスノ豌豆踊子草タンポポナズナよく見れば野は
人を責めぬ人良き人が責められる習いかかくも夕焼け沁みる
逆境や不遇も詠えばしたたかでまんざらでもない我が顔がある
使い捨て蜥蜴の尻尾と笑いつつ我が臍曲がりが誇らしげに言う
小三の娘の寝言に複雑な子供の人間関係が見ゆ
寂しくて嬉しくて娘はやわらかな命の重み身を寄せてくる
したたかに小花の競う春の野に頬寄せ蜥蜴の目となりて寝る
かくまでに蜥蜴の尻尾と思いしもそう悪くない気となる不思議
道の傍ナズナの花の凛と咲くしゃがんで芭蕉と我と見ている
枝隠すために桜葉出でてくる地に木は踊りつつ生きている
ためらいもなく反抗の言葉出す娘と連帯して妻といる
久々に男女の夜となりて寄る娘を外泊させて二人は
雨の中阪急電車響きゆく黎明左耳より右へ
天平の森に迷えば木漏れ日の紫華鬘ひっそりと咲く
街中に白くノイバラ生のままの野より咲き継ぎ来しと思えり
枯れ色の芦原なれど下草も見えてまぶしき輝きを浴ぶ
振り向けば山やわらかき春いろの色とりどりの点描が見ゆ
一面の枯れ芦原は緑葉も混じりて風にきらめき揺れる
山覆う芽吹きと花の点描が光と風の調べに揺れる
ぴちぴちと伸びて緑の麦畑風に匂いの旋律渡る
風触れてしばしのしじま花水木空を漂う形に揺れる
踊子草過ぎてタンポポいつの間に綿毛の塔と黄花群れあり
管弦楽華やかなれど夭折のモーツァルトはひっそりと死す
石や岩をぶつかりながら滔々と川は過去より未来へと行く
沈み切るまでのしばらく死者送る真っ赤な穴に人魅かれゆく
山覆い音立てて霧が走りゆく汚き心洗うみたいに
溜まり来し汚れた心漉くように流氷原を霧渡りゆく
山土手の五月温めど葱坊主匂いに緊まる一区画あり
赤紫サヤエンドウの花群れて風の在りかをかすかに揺れる
蜥蜴野の緑の土手に崩れつつタンポポ綿毛風呼びて立つ
危機危険恐怖も楽しさのひとつ枚方パークにひしめく人ら
複雑なビルの間に間に日は沈みゆきつつ車窓流されてゆく
絞りたくなるほど雨を含み咲くツツジの白き花の群れあり
目つむれば翼を広げ我は飛ぶ流氷原の鎮まるところ
桜花散るたび我は流氷の漂いつづく海想いおり
  二ツ岩(二十五号)
湧き出でてくる歌綴る手帳だけ持ちて流氷来る海へ行く
網走へ戻ると思えど大阪の空も古里なのかもしれぬ
富田より茨木吹田と鉄路よりやがて空浮く不思議に向かう
新大阪出でてまぶしき淀川の川面に光の粒はじけおり
乗り急ぐ人らひしめき電車去る後の空虚のしみじみ優し
電車より束の間見えて安治川のどってり重き水横たわる
地上より離れられない列車にて告ぐる鳳駅名哀し
ゆっくりとためらいにつつ走りいて飛行機一気に離陸してゆく
機首上にして飛行機は一気に昇る天まで上る
直ぐ下に海がぺったり単調な波の模様をきらめかせ見ゆ
雲の上飛んでいるのかいないのか明るく青く空も輝く
暗く濃き海に群がる鳥たちの叫びの中に我が立ちつくす
重き雲垂れ込めて海抑えいる鳥の叫びの響きがつづく
海岸町出でて向かいは二ツ岩見えてこれより我が道歩く
歩み止めしばらく二ツ岩を見る海鳥叫ぶ声のみ聞こゆ
一つだけ取り残された氷塊が浅瀬に骸のごとく横たう
薄氷の下は浅瀬か氷塊のごつごつしたのが転がっている
薄氷を一筋海の所まで川のごと鳥通り道あり
立ち止まらず歩いてゆこう二ツ岩一つの岩となる所まで
大仰にわが歩みゆく音のして右手の海はなお凍りゆく
踏みてなお体重が乗る足裏に軋む音して鎮まりてゆく
ムギュギュッギュ痛くはないか真っ白な新雪にわが足跡残す
海霧の向こうにかすかに二ツ岩見えて優しき心となりぬ
かぎろいの少し明るく浮かびいる雲の照らしている海が見ゆ
雪の道止まれば静寂がいっせいに我が両耳に飛び込んで来る
人の顔が見ているような二ツ岩彼方に白い流氷帯あり
二ツ岩夕方過ぎてアザラシの雄叫び水族館よりひびく
オホーツク水族館より漏れてくる叫びが流氷原をこだます
氷塊が鯨の骸のごとくにて一つだけ夕日を浴びている
残された氷塊一つと帽子岩並んで午後の薄ら日を浴ぶ
一夜にて雪積む道となりている玄関出でて雪原に入る
雪原に体ごと入り歩みゆく氷塊海へと積むところまで
汚水口群がるカモメ汚れいてしきりに何かつつきては食ぶ
シャッター音響く真中にオジロワシ氷塊離れ悠々と飛ぶ
断崖のような氷塊連なりて目交いはただ結氷の海
よく見れば鳥の足跡氷原に一筋続く我が心かも
氷塊の上にしばらく座りいる我がため流氷原も輝く
氷塊は一部屋ほどの大きさにぎっしり岸に積まれて並ぶ
気が付けば潮の香はなし流氷の淡き匂いの中に立ちいる
氷原は見渡す限り一枚の氷となりて目交いにあり
目交いに遥か広がる氷原の真白き心持ちて見ている
わが心走りてゆかな帽子岩目がけて夕日薔薇色に照る
氷塊の上にてそこより開きいる果てなき大氷原を見ている
我が前に海一枚の氷原が真白く果てへと横たわり見ゆ
真っ白な雪道なのに鮮やかにカラスの食べ散らかした跡あり
金網に黒ポリ袋入れられて地吹雪すさび身を寄せている
魚加工処理して下水出でてくる汚水にカモメ浸りてつつく
生臭き匂いをつけて低く飛ぶ汚れたカモメに睨まれて過ぐ
誰も眠る網走の町歩みいる雪明かりの雪踏む音のして
目を凝らし見れば流氷原の夜かすかに赤き空の端あり
氷盤に乗ればずぶりと海水が膝まで食べて上がれば凍る
屋根の端隈無く並ぶ数百のカモメに見られつつ歩み過ぐ
剥製のように動かぬワシカモメ獲物の我を見下ろして立つ
生々とカモメの顔が迫り来て我が食べられてしまう夢あり
底曳きが海の資源を取り尽しロシアより買う蟹が売られる
声高に海の演歌が流れいる海産物屋に蟹人を待つ
排水口群れつつやがて死に至る鳥あり甘き毒も流れる
石油もて漁網洗いて毒撒きし海に流氷群が来ている
流氷が無言の叫び寄せて来る地平の真白を見ている岬
ただ一つ汚き大きな氷塊が気高くしばし夕日を浴びる
雪の結晶が次々落ちてくる網走歩む冷えしるき朝
真上より黒く落ち来て真っ白に光を返し雪しきり降る
我が裡の彼岸此岸を突き抜けて流氷群がそこに来ている
ジェット機より速く地球は回りいる次々命振り落としつつ
飛行機の直ぐ下雲の続きいる歩いてゆける氷原のごと
炊飯器の音して我は黎明の脳裡に大氷原を見ている
異国語のごとくに妻の怒り聞くうなずきながら謝りながら
この生も夢幻に過ぎぬこと目を閉じ思いみること多し
傷つけばたちまちカラス群れてくる烏合の衆の中急ぎゆく
犯人という肩書で死んでゆく無実の人あり過去も未来も
緑敷き詰めて小さな花も咲く踏めども立ちて草輝きぬ
死者送る自ずからなる黒服の親族烏のごとくに集う
通夜のあと人は集いてがやがやと寿司動物の死をつつき合う
日は赤きトンネルとなり地に憩うめざして川はするすると入る
天や地に死者は還りて夕方はますます赤く日が沈みゆく
  水の器(二十四号)
偏見と中傷好きな人達の心をほどく過程も楽し
寒くなるたびに恋しくなる白き氷原現つと重なりて見ゆ
鮮やかに霧氷の群れは雪原にくっきり青き影長く引く
耳栓をすれば聞こえるせせらぎよ我が末端まで血液巡る
眼前の海に光の漏れて輝る波は宝石びっしり詰まる
目交いは銀河あふるる光のみ輝きながら川流れゆく
茫々と空より雪が雪の上降り積むしばし生も死もなし
薄白き霧氷の森に迷い来て足音続く目が覚めるまで
雲間より漏れ来る光に揺れながらしばしそこだけ竹林笑う
君返す夕べは闇の早く来てもうナナカマドの赤黒みゆく
親も子もしばしほどけて殺気持ち百人一首の札奪い合う
声にして詠むとき歌は千年の彼方より来てしばしとどまる
こんなにも眠りが気持ちいいのなら死も又いいものなのかもしれぬ
製鉄所百年過ぎてあかあかとつれなく洞海湾は輝く
直ぐ下に洞海湾在り枝光の坂を上れば振り返り見ゆ
死の方が圧倒的に長いのに眠り貪り起きれずにいる
横たわり水の器となりながら人間のこの奇妙なかたち
この今は昔の夢の実現もあるのに何か崩れつつあり
老眼のせいといえども輝きてぼやけて妻のカチューシャが見ゆ
生き物の人こそ不思議奇妙にて地球に引っ掻き傷のみ作る
冷蔵庫うなりつつ空飛んでいる家族三人眠りただ中
世の中で布団の中ほど心地よいものがあろうかしみじみといる
どうせなら歩みはのろい方がいい没り日に向かい川流れゆく
雷に光りつつ雨たちまちに怒涛の海に吸い込まれゆく
百伝ういわれもなき悪評を聞く死んでもいいほど夕焼け沁みる
あでやかに紅葉せし木も細き枝あらわに空に揉まれつつ立つ
カッとなりむしゃくしゃとする感情を持て余しはや日暮れとなりぬ
没りつ日は赤きトンネル光りつつ蛇のごとくに川流れゆく
いつか見しごとくに山下繁雄描く闘鶏空の彼方まで吼ゆ
膀胱といえども泉湧くような黎明のわが水脈(みお)浮かびくる
しんしんと布団に沈む我がからだ真夜膀胱に水たまりゆく
一面の海たちまちに消え果てて潮の香もなき氷原にいる
アザラシのように打ち捨てられてゆけ流氷原に鳥群がりぬ
もう幾度魯迅の故郷を教えいる閏土揚おばさん達の中
鷲のごと流氷原の上をゆく彼方で空とつながっている
じゅくじゅくに熟れて桃の実食べられるためかぐわしき匂いを放つ
このままに溶けて無くなってもいいと死へと繋がる一瞬もある
見る限り白き氷原ものなべて彼方の空へ吸い込まれゆく
瞬きの間にまに消えてゆく命流氷原に雪降りしきる
失敗も無駄も過程の一つにて今日のドラマの終わらんとする
流氷が今日は離れて彷徨うと聞きて心も虚ろとなりぬ
氷海につながる空か薄く濃く風に押されて雲流れゆく
  小秋思(二十三号)
建物の在った所に駐車場あっけらかんと日を浴びている
見える筈なき風景が生き生きとビル壊された木枠にはまる
金木犀匂う裏道ランドセル少女の声の束の間はずむ
何恋いて鳩鳴くひびき黎明の夢にて我の声ともなりぬ
妻子連れ木下大サーカスに行く家族の長たるところも見せて
幾千の人間の顔見回して一吠え放ちライオンは去る
ライオンと虎と揃えばたちまちに獣の匂い満ちみちてくる
曲芸を危なっかしくするピエロ予定通りの失敗をする
見世物となりし動物達の見る人は不気味に目を輝かす
見上げれば空中ブランコ揺れゆれて次々魚のごと人が飛ぶ
軽々と逆立ち頭の上でする日常ならねば何ゆえ楽し
唐突にキリンや象が出でて来て人に愛想笑いしている
他に行く世界もなくてサーカスの動物泣けど笑いを誘う
人間の拍手は森の何ならんライオン火の輪くぐりて走る
鳥のごと魚のごと人軽々とテントの広い空間を舞う
ライオンが象がピエロが群衆の拍手と視線を浴びて去りゆく
高きより見れば縫い針縫うように特急が街に光りつつ入る
ひとところ輝く群れあり竹林の奏でる風の音も聞こえて
紅葉の一樹そこだけ燃えて見ゆ光一筋雲間へつづく
がやがやとモミジ葉集う窪地には水子ら風に誘われて来る
銀杏散る下にて竹刀振る少女声高らかに秋も過ぎゆく
駅前でもらったティッシュと流氷記仲良く右のポケットにある
夢の中わがもう一つの人生が今日は波乱に満ちて消えゆく
柔順な妻の棲まいし夢の中ゆったり我も優しくなりぬ
我が夢の中に雨音聞こえしがやがて現つの家包みゆく
コスモスの小さな群れあり山小土手揺れつつ空へ輝きかえす
水に浮くようにコスモス揺れゆれて少し冷たき風渡り行く
金色にブナ満つる森迷い来て帰れなくなる我が心あり
枯れ色の金に輝くブナの森迷うともなく深々と入る
君連れて逃げるますます加速する夢あり覚めて誰かは知らず
北摂の山も紅葉の色まとい雨後鮮やかに山並み迫る
死後迷うごとき糺の森に来て風は紅葉を敷き詰めてゆく
なるようになるなるようにしかならぬ渋滞続く通学路行く
イチイの実濡れて心は鬱鬱と十一月降る雨を見ている
中学生揃いて歌えばこんなにもかぐわしき声伝わりてくる
雨しとど舗道は濡れて白々と我が氷原と思いて歩む
洞窟を魚となりて進みゆく曲がるところで寝返りを打つ
手応えもなきものばかり追う我か烏が黒い袋をつつく
流氷記親しむ中学生も増え彼らの心に少しだけ入る
流氷記重ねるたびに見えてくる小さきものへと思いをこらす
ゆるやかな山の斜面に日を浴びてセンブリ小さな花輝かす
山路来て迷うところにリンドウの紫意志持つごとく輝く
雑草となれば空き地にくっきりとアキノノギクの花びら浮かぶ
はいはいはいその素直さに腹立つと妻はますます苛立ちてくる
妻怒る食卓早く退きたくておかわりせぬ味噌汁匂い来る
ボロカスに僕に怒りてその後に妻の電話の笑い声聞く
妻怒る仕組み知らんと耳栓をして表情を覗くことあり
割引の買い物僕に頼みいる妻の口調はおだやかになり
お互いに小さく腹を立てながら夫婦は一つ食卓に向く
万葉集教えるときに身内より湧き出でてくる何かがありぬ
眼裏がみるみる明るくなっていく暁流氷原にわがいる
夢の中徐々に解けつつ我が視野は流氷原に吹く風となる
何もかもほどけてしまえば流氷となりて漂う我が心あり
地の果てまで続く氷原くっきりと満月そこに在るように浮く
池のごと海現れて氷原は濃き青色の血が通うらし
流氷原砂漠と同じ人の死もただ美しく月に照るのみ
氷塊の一つとなりて月に照る我が分身が網走にいる
氷原の割れ目より射す月みえてクリオネ熱く明るく踊る
魂のひとつひとつか氷塊の群れが迫りぬ此岸をめざし
何処より流氷原に降りて来て烏の群れあり血の跡残る
知床の山にかぎろい立ちながら氷原は薔薇色の血通う
風沁みて独り真向かう氷原に我がもう一人背を見せて行く
頼りなく雲行く空か見下ろせばプールに痩せた銀杏が映る
使われぬ十一月のプールには雲をちぎりてさざ波遊ぶ
見下ろせば四角い空が過ぎてゆくプールも白い冬へと向かう
  秋夜思(二十二号)
我々は壊れるようにプログラムされてるらしい子を残しつつ
極めればエゴをまといし我ならん眠れぬ夜を木のごとくいる
死ぬほうがいっそ楽だと思うほど胸ふさぎくる霧湧き続く
何だろう裏側に棲む我ならん目をつぶること此の頃多し
気を張れば張るほどドジをしてしまう娘と我と苛立つ妻あり
すやすやと眠る娘の口動くいかなる夢が巣喰い居るのか
グラウンド小さな地球傾けて走れば青い空まで動く
ゴール前順位際どく入れ替わる走者に合わせば観客走る
打ち上げ花火を打ち明け花火と娘は歌う秘密めきたる大人へ向かう
ここまでに生きてこられたのは不思議奇跡に近いと思うことあり
果てしなく続く氷塊空の青攻めぎて地平せり上がり見ゆ
ホトトギス咲く坂道を下りしが夕べは直に闇となりゆく
星雲のごとくに群れて咲く紫苑生きるは束の間輝きて伸ぶ
兎棲みしかつての森もフジバカマ庭に咲くのみ家並み続く
かなかなの遠く聞こえる山小土手萩の花点描のごと咲く
よく見れば花のテーブル女郎花午後の光を集めて揺れる
夭折の髪輝かすススキ原程なく闇へ吸い込まれゆく
鉄柵に絡まりながら紫の朝顔空へと口開きおり
眼裏の白き模様の流氷を見つつ眠りの中に入りゆく
白鳥の声なまなまし臨終に叫ぶ我らの響きかと聞く
氷原は地球の始め思わせて果てまで白い大陸続く
オジロワシ滑空しながら目交いは大氷原地の果てまで白し
我のみの歩む道あり氷原の果てへ一筋足跡続く
カーテンをしてひっそりとパズルする校長独りを埋めてゆくらし
気が付けばもう曼珠沙華立ち枯れて彼岸の遠く秋深みゆく
尾白鷲高く昇りてふわり飛ぶ風あり能取灯台の上
啄木にあらねど我は晩年の土岐善麿より言葉たまいき
生前は惨ざんだったと啄木を想えばしばし安らぎている
渋滞の車を束ね越してゆくバイクの悪の快感にいる
キャスターの笑いの中にどうしても笑えぬ世間のよこしまが見ゆ
蛍光灯見て目をつむれば紫の輪がイトミミズのようにうごめく
森林の写りし壁のひび割れて震災はもの暴きゆくらし
波よ跳べ砕けて海に還るまで夕日は光あまねく照らす
日輪のあまねく照らす海の上伸び上がり波数秒止まる
誰一人踏まぬ雪原日の沈む彼方まで行く我が一人のみ
ひたすらに歩む人らの背中見ゆやがて彼方へ消えてなくなる
天と地のけじめもなかりし氷原に雲間より射す一筋が見ゆ
缶ジュースペットボトルと地下資源飲んでは捨てるため作られる
反抗やいい生意気も教えいるその標的に時にされつつ
目つむれば海岸町より二ツ岩歩いてしばし磯の香のする
氷原が浮かべば何ゆえ彼方まで歩む一人の後姿(うしろで)が見ゆ
踏切が開けば一気にぞろぞろと渡る人群れ死に急ぐがに
すすき野に生まれて風は夕方の片足垂れたブランコに吹く
十月の終わりの雨か冷たくてやさしく細くひたひたと降る
死者の血の数だけ燃ゆる紅葉山いよいよ赤く我が前に見ゆ
うらうらに照れる秋陽に消えてゆく命の染まる紅葉山行く
犯人の異常な性格伝えいる口調ありあり目を輝かす
風立ちぬいざ生きめやもすすきの穂輝きながら野を走りゆく
大鷲のように烏が悠々と滑空して秋沁みてゆくらし
  惜命夏(二十一号)
土を出でて此の世に在るという不思議寝転びながら蝉時雨聞く
炎天下電車の運ぶ一陣の風あり音の少し後から
蝉の声に揺られて眠ればうら悲しダリの静かな海展けおり
蝉の声響く階段死者たちが此の世に忘れたもの取りに来る
蝉の声伝わりながら彼岸へと逝く死者たちの心となりぬ
蝉の音たどれば何も知らずいた少年の日の夏へと帰る
己が死もかくのごとしか奥歯抜かれそのまま闇に廃棄されゆく
ゴキブリといえども命重からんトイレの隅に仰向けて死す
気を抜けばホッチキスの針歪みいるかくして深夜の作業を進む
昨日まで干上がりし川濁流の溢れて海へただに急げる
人死ねば急に出てくる神仏死後の所在を決めねばならぬ
父の夢突然オイサン消エチョルと死者修一の声湧きてくる
修一の声を聞きしと父言いきその時電話のベル響きおり
消エチョルト表札消エテシモチョルト大伯母父に初めに言いき
秋月はわが生家にて日を浴びて文字消えかけた表札が見ゆ
修一の名を残してと頼みいる死が実感とはならぬ家族
死者なれど修一と父先ず書きぬ表札ペンキ鮮やかにして
少しずつ命繋いで来し村も廃屋増えて蝉ただに鳴く
秋月は鹿児島寿蔵も故郷にて変わらぬ山河歌い継ぐべし
裏山の納骨堂より続く道草深きゆえ誰も上らず
墓参るたび亡くなりし人増えて故郷の盆はアキアカネ満つ
大伯母は会うが別れと別れ際微笑みながらつぶやきにけり
我が夢の中にも死者が混じりゆく徐々に死に慣れ親しまんため
四十九日過ぎて聞きいる火葬場の火のスイッチを誰も押せない
秒針と冷蔵庫の音ひびきいる深夜を醒めてゆく意識あり
それぞれの五十五年を語りいる戦後に我らを生みし父母
高辻郷子本田重一恋しけれ耕すように歌詠うべし
赤白く冷えた西瓜をざりと噛む歯茎は海の底に似ている
海藻の揺れゆれるごと葡萄の実舌に転がる生まなまとして
切り口に生まなま歯茎埋もれいてバナナの香り口に広がる
死にかけた蝉捕まえて遊ぶ猫鋭き爪が瞬時につかむ
氷塊の群れ盛り上がるに似て御飯白々と我が目の前にある
最小の原子の中に大宇宙みえて心はするすると入る
破滅へと向かう心を鎮めいる蝉鳴く声は祈りのごとし
クリオネは涼しい顔して近づいてパクリと我を食べてしまいぬ
ゾウリムシ二つに分かれ増えてゆく死ぬことのない命もありぬ
目を開けてしまえば鳥は逃げて行く眠りの森の端に我がいる
夏といえど氷食べれば溶けるまで胃にひえびえと伝わるあわれ
ポストまで深夜歩けばコオロギの少し切なき風の音を聴く
接着剤剥がすごとくに眠りより現つに一歩立つまで長し
暑いのにぺたぺた体寄せてくる娘を払いのけつつ楽し
パンツ丸出しで昼寝をする娘この無邪気さにしみじみといる
あどけなく可愛ゆき寝顔しみじみと悔いなき過去と思い至りぬ
尤もで詮無き妻の苛立ちをのらりくらりと聞いてしまいぬ
早口に次々捲くし立ててくる妻より逃れカラオケに行く
労りと憎しみ交互に来るらしき妻にのっぺり我が顔は見ゆ
色抜けし紫陽花一輪からからと真夏の風と光に揺れる
体より湧くといえども生ぬるき汗にまみれて蝉時雨聴く
タオルケットのみでは寒くなる朝と気づけば八月後半に入る
町と町隔つ小さな四つ角に梔子(くちなし)今日はかすか香りぬ
夾竹桃花咲く森に迷い入る匂いこそ夏くらくらと夏
夢を見ているように昼ふらふらと木槿花咲く坂道下る
犯罪を考え作る小説を真似て現つの人殺される
網走の三十七度の夏と聞くストーブ焚いた夏もあるのに
救急車かすめて過ぎぬ血の色にしばしサイレン余韻を残し
富士見える泰樹の寺にて語らいし互いに若く貧しき一夜
君にわが従いてはゆかぬそれこそが友情と思い三十年過ぐ
流氷のように静かに横たわり夜こそ独り網走にいる
生き物を食べつつ生きる命ゆえ死も順繰りにおのずから来る
死の恐怖数日消えず明け方は眠る娘の手を握り寝る
ミニバイク転倒して我が横たわる地はアスファルト露骨に匂う
歴代の墓累々と一生の人など脇役なのかもしれぬ
墓清め守る人らの光景は毎朝過去も未来も同じ
山上より観れば百年一季節都市流氷のごとくに迫る
輝きてビルの谷間を流れ行く人も車も直線で消ゆ
一息に殺してくれというがごとゴキブリよろり我が前に立つ
どこまでも下弦の月の墜ちてゆく夜空支えてひびくこおろぎ
  漂泡記(二十号)
生ぬるき布団に目覚めて居し五月五時には明るく鳥の聲あり
雀、鳩、烏、犬、猫…人間の間にまに町に声溢れゆく
ただ今を普通の人でいることの不思議さ家に只今と言い
生ぬるき夕方小さな蝙蝠がぱたぱた蝉の飛ぶごとく去る
幼き我背負いてくれし母の背のこんなに小さくなりて座りぬ
手術のあと逆に励ます母といて一つの雲の渡りゆく見ゆ
空のまま台車幾つも続く貨車そら恐ろしく踏み切りに待つ
片付けの粗雑な我に「英ちゃん!」と小二の娘が手伝いに来る
馬となり王子となりて暫くを娘の心の一部となりぬ
真っ白な花あふれ咲くニセアカシア天へと伸びる流氷のごと
過ちて改めざるを繰り返し人が地球に黴のごといる
忙しいその数倍も忙しい人より貴重な原稿もらう
悪い人ならば死んでもいいのかとテレビを見つつ思うことあり
おいしいとうまいと言えば生き物の死の肯える人の世に住む
細き月射す墓石群眠りいる夜をつないで鳴く虫のあり
間違わすための問題文作る神の驕りをかく裡に持ち
明確にしてもさりとて味もなく問題作りは人の世に似る
いつの間にツツジニセアカシア過ぎて淀みつつ風夏に入りゆく
感情の乱れのごとく雨音の時折激しくぶつかりやまず
脳味噌も臓器も外しゆったりと半日せめて眠っていたい
黎明の心を澄ます一時間少しずつ歌湧き出でて来る
妻の愚痴時にメロディー付いて出るあーあーもうもういやんなんなあ
とりとめもなき雀らのおしゃべりを聞きつつ眠りも徐々に醒めゆく
水の音輝きながら聞こえくる初夏プラタナスの木陰に憩う
初夏の日のあまねき石の公園に水面揺れつつ風渡りゆく
薄き濃きプラタナスの葉の合間より初夏の光の七色まぶし
土となり草となりして寝転べば生も死もなき安らぎにいる
プラタナス葉と葉重なるその隙を意外に速く日が渡りゆく
寝転べば草の間の虫けものみち歩み行くらしひたすらに過ぐ
啄木のようだと便り届きいる梅雨の晴れ間の青澄みわたる
毒を持て毒を制すと毒気ある教師も敬す距離保ちつつ
我が授業聞きつつ窓の外ばかり見ている生徒我のごとしも
流氷の果てなく続く白き道わが後ろ姿の遠離りゆく
丁寧に急いで逃げる尺取り虫生徒と我と見守るしばし
カマドウマかつては人かキャンプ場トイレの隅に動かずにいる
取り敢えずこれ読むまではと引き延ばし命積んどく本あふれゆく
どこからか魚焼く匂い夕まぐれ火点し頃とう言葉思おゆ
ケイタイに使われながらぞろぞろとあらぬ方へと急ぐ人群れ
舌打ちをしながら朝の雀達いかなる愚痴をしゃべくり交わす
早くすれ北海道では仮定形はや命令となりて冬待つ
眼裏の白き模様が流氷となりて身内の海あふれゆく
わが裡に満つる流氷原を行く彼方は生も死もなきところ
海からの風に押されし氷塊が浜に横たう廃船のごと
月面のごとく鎮まる氷原にわが足跡の一筋続く
氷塊のような形に白鳥の群れありあまた首すくめ寝る
波打の砂に水しみわたるごと次々消えて人どこへ行く
人群れの川滔々と流れゆくいかなる彼岸へ続くこの道
我もまたあぶくとなりてひとときの地下の暗渠を人流れゆく
地下街の三筋分かれて人の群れやがては独り骸となりぬ
  新緑号(十八号)
炊飯器SLのごと蒸気吐く音して黎明うとうとといる
パチンコ屋ばかり豪華に人間が同じ方見て並んで座る
月天心墓すみずみまで照らしいて生者も死者もおおかた眠る
親しげに近づいては陰口捜すこの鼻糞のような人達
集会に座りし生徒見下ろして教師がのたりのたりと歩く
人を殺し人死ぬさまの淡々と流れて銃の音のみひびく
にこにこと何考えて生きてんの?そんな顔してたい春の日は
あの鳥のようには飛べぬ流氷を伝いて君に逢いに行くべし
我に祖母一人も亡くてやわらかき百歳中川イセの肩抱く
果てしなく白く広がる氷原をオジロワシ我が見下ろしつつ飛ぶ
海に背を向けことごとく船並ぶ流氷原には影一つなし
ブランコの半ばまで雪積もりいる公園は鳥安らうところ
笑い顔持ちつつどこか醒めてゆく我を見ている自分がありぬ
十米以内に棲みて隣人のくしゃみが所々で弾む
流氷に海閉ざされて陸の上雪積む船の数艘並ぶ
今はただ神のみ渡る氷原が天との境もなく広がりぬ
近づけば近づく程に寄り添いて一つの岩となる二ツ岩
真っ白な歯と歯の軋む音のして神のみ渡る流氷原あり
てきぱきと何を処理して改札機我が許されて扉が開く
流氷と海の境に群るる鳥生競うがに声高く鳴く
夢の中一筋の道流氷の彼方まで振り返らず歩く
ゆっくりと町も天へと昇りゆく雪の静寂に坂上るとき
人一人渡らぬ氷の平原に獲物を探しオジロワシ飛ぶ
贅沢な食事など我が願わぬを妻いぶかしく思いみるらし
地平のなお果てまで船の影もなく流氷原を日が嘗めてゆく
流氷の間にま鎮まる波の上海鵜が魚くわえて走る
春の日の照りを集めてふさふさと花海棠咲く山道を行く
歩むたび次々桜開きゆく空の青さも輝きを増す
桜花波立ちながら海中の憂いに沈み我が歩みゆく
とりあえずここまで生きて桜花次々開く坂上りゆく
花びらとなるため土や水たちの無数の出会いの上歩みゆく
咲き盛る束の間過ぎて所在無く風に一ひら花びらが舞う
あざらしの皮膚立ち上がる桜樹の獣の匂い花びらが消す
口づけのあと花びらを一つずつ含みて去りしがよみがえり来る
花びらも風と群らがる夜の道蛙がのっしのっしと歩く
  渡氷原(十七号)
神宿る森を見つけしアイヌびと我が血をたどる手を合わすたび
五十鈴川流れて浄し伊勢の森人洗われにぞろぞろと行く
神在りしこの国仏キリストも混じりて迷いのただ中にいる
我が夢の中の一人が網走にいて流氷の海を見ている
ようやくにして歌作る領域に我が心入る夜も明けてきて
飛行機となりて飛びつつ雲の上冷蔵庫の音ひびく真夜中
何見るとなく人座る早朝の一期一会の電車は走る
たわやすくきしょいきもいを連呼する生徒よ業をかく撒き散らし
電車窓少し明るく淀川に紫立ちたる雲かかる見ゆ
大地割くように紀ノ川くっくりと白き光の一筋が見ゆ
山筋の端に海あり岬町あたりを白く船すべり行く
魂が棲んでいるのか雲の群れまぶしき白き光を放つ
飛行機で飛ぶたび気づく日常のなべては雲の下の出来事
穏やかな海にて襟裳岬には小さな雲のかけらが浮かぶ
地に在りし時には厳しき切崖の襟裳岬をかく見下ろせり
空ありて雲ありてかく単純に景色は人を和ませている
たてがみのように針葉樹の並ぶ雪山見つつ人暮らしゆく
この道をいつも転びし頃ありしこと思いつつ凍り道行く
船長のごとくに海の彼方見て菊地慶一流氷を呼ぶ
鼻の奥までたちまちに凍りつく半端な我もしばれゆくべし
民族の乗りて渡りし氷海が切れ目なく天の果てまで続く
トナカイの群れと北方民族と渡りし白き海広がりぬ
流氷原月面のごと彼方まで夕日に真っ赤に染みわたる見ゆ
我が前に一筋足跡戸毎訪う新聞配達少年の跡
網走はマイナス十二度綺羅雪が輝きにつつ我が皮膚を刺す
小便の跡さえ鳥の足跡のように可愛く雪に消えゆく
目交いはただに真白に輝きて雪踏み続き歩み行くべし
小便といえども雪を溶かしいる命の水かいとおしく見ゆ
裂け目よりアザラシ叫び大鷲の悠々と飛び滑空して行く
流氷と海の境に海鳥の群れてしばしの雄叫び放つ
海鳥のなぜに悲しく鳴き渡り氷の割れし海に群れゆく
尾白鷲大鷲止まる氷塊の周りに小さな水鳥群るる
なつかしきリズムと言葉網走の「〜するべさ」人混みさえも嬉しき
中川イセ百歳小股にゆっくりと歩いて我を導きくるる
我が前に流氷の女座りいて苦しき過去などどこにもあらず
流氷がほのかに赤く染まりいるこの朝降りし雪の肌えに
流氷の上を歩いて渡りゆく夕日の染まる地が広がりぬ
氷塊の上にたたずみ氷塊とともに真っ赤な日を浴びている
氷塊が悲鳴のような音を出しかすかに海を上下している
真っ赤な日沈み切るまで氷塊の上にて我も氷塊となる
みしみしと音して氷塊上下するゆっくりかすかに呼吸している
地平線薔薇色に燃ゆ見る限り流氷原は鎮もりの中
少しだけはみ出てしまう氷塊か帽子岩見ゆる渚に並ぶ
一つずつ確かに舞って落ちてくる雪の結晶重ねつつ積む
新雪を踏めば大きく音のして命の一歩こだましてゆく
氷塊と氷塊せめぎ合う隙の海のかすかなため息聞こゆ
歩み来し我が足跡は海色に浸りて雪の岸まで続く
やわらかき朝の光に灯台の影濃き赤もほぐれゆくらし
氷原に小池のような黒い海蓮葉氷の数片が浮く
地平まで陸のごと浮く氷塊も乗ればぐらりとわずかに揺れる
黎明に覚めて知床より昇る朝日を思えばモヨロに向かう
平らかに氷の原ありクリオネの踊る少女が幻に見ゆ
氷海が朝日に染まる薔薇色に我が血液の流氷天女踊る
暖かき蜆汁もて迎えくるる光岡亜衣子母のごとしも
まだ誰も歩いていない雪原が空の彼方へ滑り落ちてく
氷塊の揺れるたび鳴る鈍き音聞きつつ朝日の朱に染まりゆく
流氷によりて遭難せし人の天女に呼ばれし幻覚ありき
流氷の上を歩めば揺れゆれて氷ぶつかり鳴く音を聞く
山脈のごとくにうねり盛り上がり氷塊の上に氷塊は立つ
流氷の群れと群れとの境目がめくれて小さく盛り上がり見ゆ
にんげんの心と心ぶつかりてかくも歪つに氷塊は立つ
流氷に岸より風が吹いてきて走りて戻らな海開くまで
着陸するたび助かったと思いつつ地上の煩瑣の中に入りゆく
元刑事宗家口伝の一つにて人が好いから犯罪をする
春の土手輝く緑敷き詰めて踏めば小さな草立ち上がる
真夜覚めて再び眠れば我が布団流氷片となりて彷徨う
豪快に原田昇というおのこ見事に生きてあばよと去りぬ
  凍雲号(十六号)
ちょっとしたズレにて罪や死に至る人らもまとい震災忌過ぐ
眠るたび死んでは朝に生まれくる命と思えば一日は楽し
沸きてくる醜き思い弄ぶ黄昏人はほどけゆくべし
どこでどう間違ったのか罪犯す人あり気づく時には遅し
泡立草立鈍枯れて線路土手色鮮やかな空罐一つ
パソコンの中より分類されて出る人を何だと思ってやがる
代名詞「あそこ」と言えば笑い出す思春期盛り生徒達あり
曇より青空少し見えてきて楽しく心変わりゆくらし
背中まで凍れる夜かオリオンの弓絞りつつ我が前に立つ
風吹けど揺らぐことなき電柱の葉の散り終えし銀杏と並ぶ
車の音電車の音など地を擦りて己が眠りも微かに揺れる
求むるものだけに輝く光あると信じて眼強くして生く
小便の勢い見つつ音を聞く喜怒哀楽の薄れる時あり
海蛇座飛びかからんとする凍夜神々の星輝きわたる
葉にしがみつきてくるくる回りいる水滴地球のごとき輝き
今まさに離れんとする滴くあり命の重きかなしみが見ゆ
巡礼の途次にて入水自殺せし弥七いかなる風景を見し
女殺油地獄とよみがえる津太夫弥七のひびきかなしみ
人形といえども悲しき定めにていと惜しみつつ死へ旅立ちぬ
風景を巡礼しつつ野ざらしの骸とならんわが希いあり
霧溢れあふれ流るる湖面にて時折神の棲む島が見ゆ
たちまちに霧に溢れて摩周湖の神棲む島も見えなくなりぬ
大滝のごとくに霧の溢れ来る屈斜路湖面みずいろやさし
たちまちに山追い越して走り来る霧の叫びのただ中にあり
道くねりながらも家へと続きいる風景こそ我が過ぎ行きに似る
生き人に混じりて死者も犇めける朝のラッシュの束の間を過ぐ
次々に土に吸われて細雪斜めに異次元空間に降る
合唱に合わせるように霏々と降る泡雪土に吸われつつ消ゆ
病葉に霙そぼ降る窓見えてモーツァルトの横顔かなし
盛り上がる氷塊ありてなお高くくっきり大きな月浮かびおり
神々の山横たわる知床を望みて氷塊盛り上がり見ゆ
石を積む賽の河原のごとくにて氷塊天の果てまで続く
夕暮れの空へと伸びてゆくポプラ紫立ちたる雪原に立つ
船のごと網走台町潮見町夕日の浸る氷海を行く
  燃流氷(十五号)
遠離り次々消ゆる車見ゆ生の証しは我が視界のみ
死の順のように並んで彼方まで真っ赤に尾灯連なりて行く
さまざまな歴史重なる本統の自分を捜しに古書店に寄る
人の好い生徒がいつも引っ掛かる問題少しひねって作れば
順番に常にどこかで罪犯す人あり決める神もあるらし
紅葉して散ってなくなるまでしばし滅びの時を人楽しみぬ
昨夜よりの雨が作りし水溜まり落ち着いて濃き紅葉を映す
流氷原のごとく落ち葉の散り敷きて黄イチョウ並木のしばらく続く
ライオンのごときグランドピアノにて躍動しつつ弾く指見ゆ
流氷も天より落ちて積もりしか黄色きイチョウ葉地にひろがりぬ
巨大な陽昇りて沈む網走を今は孤島のごとくに慕う
親しもうなどと言いつつ森荒らす言葉は悪の言い訳ばかり
寝転べば体を寄せてくる娘わが肉体の一部ならねど
風もなく晴れた真昼間黄イチョウの一葉が枝より飛ぶように落つ
湧網線載りしゆえ我が捨てられぬ地図あり佐呂間に終日遊ぶ
見る限り二本の線路光りつつ夕日の山の麓まで伸ぶ
北海道北へと尖り繋がらぬままの廃線鳥渡りゆく
一人くらい違う意見もあっていい言えば忽ち生きづらくなる
死ぬることずっと先だと思いしに高安国世逝きてしまえり
舗装路にごっそり枯れ葉盛り上がるかなしみ集め人生きるらし
犬小屋が横に並びし青テント優しき男暮らしいるらし
クレーンより細き糸垂れゆっくりとビル新しく生まれゆくらし
篝火のようにすすきの穂が燃えて風もなく今日の陽が没りてゆく
人のため殺されてゆく生き物の形に冬の雲渡り行く
生きている間はせめて死ぬること忘れよ燃えて日の沈む見ゆ
一人の死知るより知らぬ側に行きその軽やかな笑いに浸る
人の死を聞いてしまえば眼前の景色もシャボンのごとくに消える
唐突に病に倒れし生徒あり間を置かず死の行事が進む
流れくるお経の意味に関わらずただ人の群れ静かに続く
あきらめを強いるかのごと火葬にてまず存在を消してしまいぬ
空や気となりて彷徨う死者たちを我ら吸うべし息白く吐き
菊の花机上に置かれし亡き生徒の椅子引きて最初の授業を進む
幾重にも地に敷き詰みし赤や黄の落ち葉は夕べの波のごと見ゆ
まだ来ぬと冬の電車を待つ人ら己れの死までの距離も縮まる
冬の日の白き光を着て動く生徒にドッヂボールが跳ねる
かさかさと紅葉に迷いいつの間に明るき流氷原に来ている
物忘れなど責められて半日を最晩年のごとくに過ごす
生も死も幸も不幸も幻のように思えてくることがある
氷塊の横たうのみの青白き生も死もなき明るさにいる
大いなる意志にて動き生きている今流氷は燃え始めたり
生まれ死に生まれ死にして流氷の真っ赤に燃えるたまゆらにいる
己れすら光の一部となりて佇つ燃えつつ入り日消えてゆくまで
ゆっくりと沈みゆく日よ今日もまたあらゆる所に人の死がある
流されて終にとどまる氷塊の解けつつ真っ赤に燃える夕暮れ
流氷の斑らに浮かぶ夕月夜やわらかに波燃えて輝く
魂を光が迎えに来るという流氷の海夕焼けて燃ゆ
流されて追い詰められて盛り上がる氷塊我の生きざまのごと
  金木犀(十四号)
雲丹の肉たわわに垂れているような金木犀の花匂いくる
幸福の家にあるべく金木犀葉っぱの根方に金の花咲く
真夜中は障子に葉影映しいて金木犀わが家族のごと
金木犀に雀騒げば明るくて障子に映りし影消えている
土となり肥やしとなりて安らかに蟋蟀の死が転がっている
空蝉のいまだに止まる木犀の香りは土のいずこより来る
我が脳が地中にありて支えいる夜の金木犀星空の下
夕映えの海に氷塊浮かぶごと金木犀の花びら溜まる
かくまでに尖りし心も少しずつ金木犀の香にほぐれゆく
マスゲーム美しされど背後にてアドルフヒトラー右手を挙げる
本統の役所は熊もムササビも登録すべし原住民と
雨の後しばらく虹の観覧車見ており二人手が触れている
二人降りることなき虹の観覧車鮮やかなれど消えてしまえり
朝もやの湖面に朽ち木さざ波に静かに移動するように見ゆ
居なければ不安の募る妻なれど居れば腹立つこと多くなる
父親に似てだらしないとなじる妻無視して娘わが膝に乗る
青々と地球優しく映りしを娘がリモコンで一瞬に消す
その匂い伴いながら蘇るかつて馬糞紙という紙ありき
ぐず・のろま・おっちょこちょいが歌作る思いの丈は誰にも負けぬ
傷つけぬ言葉を選びするうちに声の勢いだけで負けゆく
自分とは違う自分が語られて自分のように見えることあり
たくさんの人が歴史に現れて死の年だけは大かた残る
地に沈むように寝床に背骨置く一日の重さがずしりと響く
もう少し大人になれよというような眼差しの中我が独りいる
いっぱいに朱き実重きピラカンサ我が校門の端彩りぬ
酷寒の木になる大鷲尾白鷲思いつつ柿実る空見ゆ
とりあえずここまで生きたと新しき年迎うることあと幾つある
年の暮れ突然逝きて網走の棚川音一賀状を残す
冬に向き急ぎ冷たき風吹けば盛りの過ぎし花立ち枯るる
流氷が燃える網走二つ岩『続氷点』の終章に佇つ
潮干きし網走川に死にかけて口のみ動く鮭浮かぶ見ゆ
勢いを持ちて昇りし鮭の群れ海へと流されながら死にゆく
食べられていく瞬間に生き物は力をほどき死に向かうらし
目つむれば心のままにさまざまな流氷浮かび我が前にあり
流氷の間に間に位置を変えながら真っ赤に濡れて波輝きぬ
もう何もかも赦されて流氷の燃ゆるばかりの輝きに入る
  秋沁号(十三号)
葛の花あな美しと思えども昼間切られて空き地となりぬ
花びらの落ちし枝より桜の葉枯れて波立ちながら落ちゆく
ピアノ弾くように少女はパソコンに向かいて機器の一部となりぬ
雲走る空の下にて台風を待ちつつ並木の緊張が見ゆ
擦れ違う夜の電車は昇降機彼方へ上下するように見ゆ
右目より出でて電車はするすると夜の隙間へと吸い込まれゆく
限りなく深き奈落へ警笛を鳴らしつつ夜の電車は急ぐ
いにしえ人愛でいし花か我が前に今の命の萩咲きにけり
かごめかごめ幼子集う萩の花次々開けば踊りとなりぬ
鈴の音響くがごとき秋の風折々葛の花見えている
死者増えてゆくたび活気づくテレビ聞きつつ人は勤めに出て行く
文化祭するたびゴミが増えてゆく人の傲りを文化というか
空晴れているのに予報は傘マーク並びてデタラ雨だと笑う
日向より陰へと人は移動するそのうち日陰がすべてとなりぬ
グラウンド強き光に照らされて死後渡りゆく海のごと見ゆ
突っ掛けでちょっと散歩に出るように死に入る人をあっけなく聞く
愛想の悪き小さな古書店の主も夏も逝きてしまえり
親しみし安藤古書店今はなく軒の上にて看板残る
生臭き土の匂いの更地にて家食べ終えしクレーン一機
捕虫網で娘の採りし虫籠に蟋蟀一夜しみじみと鳴く
一匹の蟋蟀の声と夜を過ごす体の芯まで沁みじみとして
ものなべて虫の音となり燦々と星の輝く深夜となりぬ
一匹では寂しいからと蟋蟀を増やしし娘共食いを知る
蟋蟀は足一本のみ遺されて昨夜は己れの弔いの声
性格も個性も持ちし一匹の蟋蟀の死を思いみるべし
夜を込めて鳴きいし彼を食べたのか太った雌の蟋蟀がいる
枯れ草と枯れ葉集めて我が庭に蟋蟀の家娘(こ)と作りおり
虫籠も網も使わぬ我が庭の蟋蟀夜をひとしきり鳴く
蟋蟀を捕まえて来て我が庭に放てり娘生き生きとして
我が庭に蟋蟀放てば高々と縄張り主張して雄が鳴く
コロちゃんと娘の名付けし蟋蟀が今鳴いている親子して聴く
追いかけて来て階段を踏み外す夢といえども脊骨に響く
人混みに紛れて死んだ筈の人ふと擦れ違う一瞬がある
彼方まで流れるように滲みつつ曼珠沙華の朱が緑に浮かぶ
我が命氷塊となり網走の海に来て夕日を浴びている
流氷のように漂う此の世かと次々視界の変わるさびしさ
流氷のことを思えば流氷となりて彷徨う分身がある
写真にて流氷見つつ蟋蟀の音しみじみと沁みわたりゆく
少しずつ一つのドラマ出来てゆくそんな夢見る眠りも楽し
追いかけて追い抜く際は狩りにいて獲物射止めしときめきに似る
確実に死に近づいていく時間を競いてリレーの攻防続く
一人夜は泣きたいくらい沁みじみと蟋蟀命を涸らしつつ鳴く
新聞の片隅なれど親しみしビュッフェの自死に滂沱となりぬ
果てしなく自分を責めて追い詰めて死へと導く長い夜がある
冗談のように聞こえて俺だって今が晩年なのかもしれぬ
少し死に近づきながら新しき一日の朝をうとうとといる
知らぬ間に死にいし蟋蟀干からびて影濃き土の一部となりぬ
地下鉄は長い洞窟真っ暗な真昼をひそと通り抜け行く
残されたフィルムによりて人と人繋がり伝うまごころがある
唐突の電話のような繋がりに心伝わる生きてあるべし
危ないと書かれし便りが死となりてテレビにて聞く三浦綾子を
死後もまた生きて行くべく書棚には三浦綾子の分身が見ゆ
生も死も貫く何か見えてきて人は思いによりて繋がる
  夏残号(十二号)
ホッチキス、裁断…腰がへらへらと崩れ落ちつつ数日終わる
カップ麺、ペットボトルと曖昧な日本の容器が捨てられてある
この年になりても寝相悪きこと感謝すいまだ健康にいる
生きていると思えば死者も蘇り語りかけさえしてくれるもの
よく見れば分かる程度に震災の跡残りいる神戸となりぬ
一日を終えるも死ぬも同じこと快きこの眠りに沈む
蝉の音ぴたりと止まる空間の一コマ人のざわめきを聴く
不便でも不幸でもなく子供らは望みて障害物に親しむ
アマゾンのセクロピアの木だけに棲むナマケモノ月見上げて眠る
三歳の時に娘は文字知らで童話数冊暗記していき
文字持たぬ誇りと悲劇語り継ぎしゲンダーヌも今文字となるのみ
電波となり記号となりして次々に文字増殖し人殺しゆく
パソコンと呼ばれる頭脳持ち歩く若者鼻に輝くピアス
食べられる物の謂にて食物をたやすく今日も我らは食べる
人が人裁けるものか生き物を刻んで焼いて食べる人々
憎しみもなく殺しては食べている人こそ愛すという言葉好き
冷房を利かせて車は炎天の夾竹桃を眺めつつ行く
宇宙より金の粉降り注ぐ朝水鳥騒ぎつつ海を飛ぶ
赤カンナ咲きいしところ崩されてただに平たき空き地となりぬ
伸び縮みする時間あり竹刀もてためらわず虚を一気にたたけ
緊迫の攻防続くためらいの一瞬面がすべてとなりぬ
隙あらば敵も自分も真っ二つその勢いで面打ちて行け
羽のごと竹刀の先を震わせて小手浮き上がる瞬時を狙え
打たんとする出端に小手が一瞬に疾風のごと駆け抜けて過ぐ
息を呑む群衆のなか面を打つ少女が海豚のごとくに跳ねる
目つむれば知床の海あらわれてオホーツクブルー風も輝く
あまりにも短き命と知る時しいよよ余生も少なくなりぬ
死に向かう生も溶けゆく流氷も照らして斜陽かけらとなりぬ
雲速く流れて地表風もなし九月早朝虫の音繁し
セピア色写真のように生け垣を覆いてノウゼンカズラ群れ咲く
生け垣にノウゼンカズラ燃えていた君との会話他愛もなくて
葛の花わずかに見えてひと夏の繁りは小さな空き地を覆う
大陸のような形の氷塊が微かな風に移動して行く
さまざまの祈りこもれる墓石の林立見上げ今日始まりぬ
西陵中昔は兎棲みし森壊して人を育成したのか
花を摘むなんて優しき感情と思えず生きき生き難かりき
どうしても好きにはなれぬ花を摘み人のためだけ飾る営み
ゴキブリが裏返しとなり物となり我にも殺す悦びがある
風や木や草や土より呼びかけてくる黎明の静けさにいる
肉刻み量り売りして人間の危うき平和の一コマが見ゆ
内蔵が陳列されて主婦達のとりとめもなき立ち話あり
鬱解けぬままに彷徨い来し広場人混み人はゴミのごとしも
苦しくもどど降る雨に鳴き止みて蝉何思いつつ弱りゆく
しおらしく優しき顔を向けていし帰路見し雨に濡れし向日葵
名も知らぬ草に束の間しがみつき雨宝玉となりて輝く
雨に濡れ雨を喜ぶ少年にしばし戻りて家路を急ぐ
蛇口より水滴落ちてとととととその音次第に大きく聞こゆ
感情の起伏激しき内面を生徒に察知されることあり
妻はただ普通であって欲しいというそれが一番難しいのに
赤カンナ・向日葵・木槿・百日紅…帰路風少し冷たくなりぬ
  蝉響号(十一号)
可愛さと煩わしさとが入り混じり娘は首絞めるように抱きつく
人のあら捜しばかりに浮かれいる哀れな自分に気づくことあり
ラベンダー波立ちながら寝転べば限りなく青き空広がりぬ
氷塊はためらいにつつ海面に真っ赤に浮かぶ日が沈むまで
マネキンのように海猫立っている氷塊一つ溶けつつ浮かぶ
海面に溶けつつ浮かぶ氷塊に十羽の海鵜動かずにいる
流氷の寄せ来し藻琴海岸に廃船海に真向かいて立つ
氷塊の上に雪積む穏やかな夕べの蒼き闇広がりぬ
ボランティアが職を奪うと優しさも奢りの一つと分類される
地球にはクレーンが棲み人間が周りを蟻のごとくに動く
鳥となり魚となりして黎明のしばし布団を抱き締めて寝る
米軍機に襲われしこと父話す頭隠して尻隠さずと
花壇に咲く花よりもなお美しく咲く雑草と呼ばれる花あり
プライドの見えかくれする断りの葉書も大事にしまうこのごろ
白樺の林は鹿の足のごと跳ねつつ青き空渡りゆく
雲海の上澄みわたる空ありて死の向こうには苦しみもなし
見つからぬ死体が土となる森に蝉の死骸も土となりゆく
抜け殻の数匹見えて我が庭の金木犀より蝉飛び立ちぬ
死ぬることまだ実感とならぬまま我が人生の半ば過ぎゆく
快楽に果てるも死ぬも同じこと蝉これでもかこれでもかと鳴く
いつの間に小さき深き穴あまた蝉の命の出で立つらしも
目つむれば頭蓋の森に鳴り響く蝉あり夜には骸となりぬ
敗戦の蝉鳴き継ぎて日本の惨めな心も育ちゆくらし
やかましく死は死は死はと蝉の鳴くそう死に急ぐこともないのに
神経や血管巡る我が裡の巨大な森に蝉競い鳴く
蝉の声聞きながら死ぬ人あまたありしと思い浸りつつ聞く
兼好も芭蕉も夏の徒然に蝉しみじみと聴きつつありき
蛹より伸び立つ蝶の羽根のごと朝顔徐々に花開きゆく
麦を刈り入れる七月女満別猛暑続くと電話にて知る
海跨ぎ六甲ライナーより見ゆる仮設住宅疎らとなりぬ
少しずつ海かき分けて進みゆく船無理無謀の限度を知りぬ
なだらかな海に杭打ち進むごと明石大橋船くぐり行く
震源地明石大橋付近にて光の橋を船くぐるのみ
遠ざかり二つの棒のみ海に立つ明石大橋墓標のごとし
戦争が淘汰してゆくとばかりに滅びに向かいつつ人がいる
九州も近畿も蝉の鳴り響くすぐに死にゆくもののたそがれ
特攻隊出撃ならず若き父東田高炉の起重機に乗る
中川イセ小坂奇石も生まれいて一九〇一東田高炉
標的であるとも知らず若者が携帯電話と話しつつ行く
蝉時雨しみじみ聴きてスイッチを入れれば無人君ララララ
余情など求めぬ気風育ちゆく日本よしばし蝉時雨聴け
溺れつつ泳ぐ娘よ生と死のはざまを少し覚えいるらし
人死ねば焼かれて灰になるという娘の話の聞き手となりぬ
この娘わが死を見取り生き継いでいくのかいかなる死に顔我は
未知というより本能のままにして娘は物怪信じいるらし
幾年を土に籠りて出でて鳴く蝉の鼓動の天にこだます
目つむれば銀河の星の生き死にが命の果てまで蝉鳴き続く
縫いぐるみ畳の上に転びいて命の蝉の沁みわたり鳴く
目のあたり無数の光漂いて蛍の匂い野の闇に満つ
死後歩む光の道に蛍いて獣の匂い漂わせ待つ
彼方より群れて飛び来て蛍舞う夜道黄泉路のごとくに迷う
おいしそうなどと幼き死体さえ人よろこびにすることがある
横たわる外なく魚は並べられ死に際動けば新鮮という
店頭に動く蟹あり人集い笑うも醜き傲りかと聞く
魚市場死臭漂う空間にまだ生きている魚もありぬ
小さな船大きく揺れて赤き網手繰るせわしく動く腕見ゆ
  紫陽花(第十号)
緑濃き森にするため折々に消毒散布の車が通る
星雲の輝きに似て森の中曇りに映ゆるアジサイの花
木となりて木の葉となりて潜みしがたちまち烏群れて移動す
律義者ゆえ悪者とされることデーバダッタに思いが至る
この一年いろんな人が見えてきて寄贈者名簿は最も親し
流氷原心残りし墓標にて果てまで幾多の沈黙続く
花冷えは身に沁みわたり女満別ツツジも桜も一斉に咲く
君連れてここまで逃げて立ち尽くす段戸襤褸菊群れ咲くところ
雲間より光は滝のごと落ちて地表の人ら言の葉優し
人肌のように曲面輝かせ氷塊の上を雪は積みゆく
流氷に閉ざされいし海オホーツクブルーは深く息溜めて見る
いいように言われて黙って来たけれど僕には僕の言い分がある
魚の肉野菜の死体を切り刻み鼻唄うたいつつ妻がいる
ごろごろと僕に纏わり付いてくる娘小一なまいきざかり
さなぎより出てくる蝶の羽根のごと手足を伸ばし娘は眠りおり
溜め息もて妻のあきれる駄目亭主特に演じている訳じゃない
恐いから殺してという娘を叱るたまには小さな心も伝う
角もたぬ氷塊果てもなく続く岸を巡ればやさしさに満つ
沸きて来るつまらぬ心拭いつつ青澄みわたる空ばかり見る
人殺しばかりテレビに溢れいて風さわやかな墓に来ている
経験もなくためらいもなき渡り鳥叫びつつ大海を飛ぶ
命賭け飛ぶ前日に身じろぎもせず木に止まるサシバの群れあり
倍倍に親また親を数えさせ命の深きことわり教ゆ
諍いと思えばテレビの声音にて家族は家は肉声もなし
留鳥といえども人の戦いを逃れし疎開雀ありにき
疎開の子都会の雀は痩せこけてあわれいじめの対象となる
朝まだき川面に白き旅鳥は流れに足を浸して眠る
人のこと考えるたび結局は自分の醜き心に至る
返事なきゆえに自由にその時の気分次第の人作りおり
筆不精とは明らかに違うもの無視という気を感じておりぬ
転んでもただでは起きぬしたたかさ少し我にも身につきはじむ
海の色映して空も果てしなしオホーツクブルー満ち満ちわたる
紫陽花は揺れつつ笑顔満ちあふれ傘の奏でる雨聞きており
少しずつ親の批判を口にして世間の会話に娘は入らんとす
朝刊を取りに行くまでごろごろと心は鳥のごとくに遊ぶ
目つむれば文字化けの闇あらわれて胎児のごとき思考がつづく
窓越しにテレビの画面は青々と夜の紫陽花の辺りを揺らぐ
紫陽花のかすか揺れるを見つつ待つ夕べの逢瀬はたまゆらにして
過去未来遠くへ自由に羽ばたける心楽しまな生きているうち
雨の音聞きつつ頭蓋紫陽花になりて膨らみ眠りへと入る
腹の中に一年生きると数え年その意味中川イセより学ぶ
雨の音聞くたび開き増えてゆく紫陽花万華鏡見るごとし
紫陽花の雨に打たれて帰りしがギターつま弾く夕べとなりぬ
紫陽花を思えば『雨の物語』歌うよ過去は美しくなり
僕はまだ君を愛しているんだろなんてフレーズ何度も歌う
雨の音聞きつつ眠る雨落つる模様は一瞬だに同じなき
ワイパーの扇の形一瞬に雨滴は消えて川筋となる
麦風号(九号)
唐突に葉が落つと見え新緑の中より雀飛び出して来る
花と風目立たぬ校舎の裏手にて密かに佇つ我がけものみちあり
転勤するたびに教員住宅に引っ越すこと知る網走に来て
網走で内地外地という言葉辺地に住まいし実感として聞く
土地も人も神の所有と考える民滅ぼされし過程を聞きぬ
あちこちにアイヌの地名残りいて日本は単一民族などと言う
土地区画国境などと人間の浅ましき知恵地球を巡る
本来は政治も役所もない暮らしジャッカドフニは網走にある
平和ゆえ平和の言葉なき民とまずゲンダーヌは語り始めぬ
トナカイと流氷を渡り国境の思想などなき民族ありき
狡さなき心を持ちて滅びゆく民あり弦巻宏史は語る
初めから支配被支配ある暮らし戦いにつつ我が育ち来し
本当に知恵なき日本人と散々に弄ばれしゲンダーヌより聞く
日本名北川源太郎拒否しウィルター人ゲンダーヌとして死す
ゲンダーヌ呆気なき死は黒澤のデルスウザーラの死と重なりぬ
我が裡にさえも色んな民族が入り混じりいて葛藤はじむ
いろいろな血が複雑に混じり来て赤の他人が似ていたりする
網走は巨人ばかりが映りいてフアンの多き理由を知りぬ
冬支度始めし頃か網走にいて阪神の優勝を聞く
見渡せば歌の素材に満ちていていまだに花の名前も知らず
くねくねと歩くたび道展かれて遠近際立つ路地裏続く
春日差し流氷思えばグランドが一面白く輝く時あり
昨日まで溢れつつ咲く満嘆の躑躅ティッシュのように萎るる
桜散り終えてにわかにやわらかき躑躅の赤き花溢れゆく
桜散り椿は落ちて今躑躅小さく萎みて花終わらんとす
一面に白き躑躅の花溢れ光吸いつつ吹く風も見ゆ
土の中無数の命生きているとマル虫見つつ娘に教えいる
信号の赤の点滅際立ちて夕べの踏切あわただしく鳴る
白き花突然開くまぶしさに教室匂う衣替えの朝
動くたびカッターシャツの襞模様たちまち変わる輝きの白
桜散り躑躅萎みし坂ははやニセアカシアの白輝きぬ
春霞今朝はほどけて青々と北摂山並み際立ちて見ゆ
衣替えニセアカシアなど生き生きと五月は白き輝きの中
曇りよりにわかに照ればニセアカシア樹氷の白き輝きと見ゆ
逃げて来るように独りで目的のなきこの荒れ地にぶらぶらとする
棄てられてやや盛り上がりし土に咲くカラスノエンドウより気をもらう
藤のように葡萄のように白き花垂るるニセアカシア潜(くぐ)り行く
雪のごとニセアカシアの白き花わずかな風に浮かびつつ散る
よく聞けば底引く都会の喧騒を森のそよぎが消してしまいぬ
雰囲気で変わる常識非常識力の強きが常識となる
煙草害の授業を終えて一服する体育教師うまそうに吸う
雪のように次から次へと落ちて来るニセアカシアの花咲き終わる
ニセアカシア落花の溜まり流氷を渡るごとくに蟻渡りゆく
沸きて来て溢るる醜き感情を抑えつつ夕べの坂下りゆく
ぴちぴちと幼き子供の肉体の麦の穂青き香に満ちわたる
一面の麦が見たくて麦畑匂いあふるる山間に来し
麦笛にするためナミ子姉ちゃんより貰いし一つの麦の茎欲し
麦秋の香るたびかの顔浮かぶナミ子姉ちゃん唐突に亡し
芋畑は麦畑となり我が裡に『夏の葬列』風吹きわたる
納得も別れもなくて姉ちゃんはあれから会っていないというだけ
姉ちゃんは十三歳のまま逝きて思うたび我も幼子となる
すれ違う人あるいはと振り返り一人の人を捜しつつ過ぐ
白象の優しさゆえにオツベルが殺されてゆく過程をたどる
国語という教科を外し授業する独りの重い内面となり
オツベルを少しも悪く言えなくて教師の立場におろおろとする
平和のため戦うことが人殺すことわり世界と歴史には満つ
オッペルからオッベル、オツベルへと変わる悪も時代とともに変われば
矛盾なくいつも正義の顔をする教師を憎みつつ教師する
悪人にいつも同情してしまう癖もて語るオツベルと象
気を付けていないと答えと反対のことを時々教えてしまう
国語では時々一番つまらない答えがマルとなることがあり
全員が百年以内に死ぬること既定の事実として授業する
教室の全員いずれいなくなる死ぬ順番は神のみぞ知る
この子らに何教えるのか教師我オツベル非難出来ず佇ちおり
話し合う言葉もなくてグララアガアグララアガアを恐ろしく聞く
聖戦のつもりであまた血を流す良いも悪いもないではないか
矢も盾もたまらぬ怒りは死を招く象の大群押し寄せてくる
ゲームなど出来ない我も劇中の一人となりて殺されてゆく
花季過ぎてぽつりぽつりと咲く躑躅ささやかなれば花簪に似る
どこにでも携帯電話というゲーム孤独がなくなる訳ではないのに
その歌のも一つ向こうが見えることありて次々歌作りゆく
  桜伝説(八号)
霧の中彷徨う君に逢うように深夜の郵便ポストまで行く
ユキヤナギ続く万博ロードにて自転車此頃足軽くなる
雪柳万博ロードに沿いて咲く我が流氷のごとく連なり
御神籤の結びのように雪柳白き祈りの花咲かせおり
桜開きつつある夕べの電話にて網走沖には流氷残る
たくらみのごとくに少し花開く桜に見られて下る坂道
帰り道下るは桜通りにて獣の匂いの満つる坂道
桜花人見るときに立ち上がる銭形海豹樹影をまとい
彷徨いてそこに出たかと華やかに桜花咲く花散らしつつ
箸使うものなどなくて洞窟のマクドナルドの喧噪つづく
こだわりてここまで流れて氷塊は岸に積もりぬ屍のごと
君なくて君が忘れていったもの必死に捜すふりをしている
虫が涌くように激しい感情が身内を巡る春闌けにけり
突端の帽子岩より二キロ沖白き大きな流氷残る
散ろうとする花も混じりて一本の桜宇宙に広がりて咲く
帯となり川となりして花びらは空へと向かう満天の星
桜より花びら空に舞い上がり天の川敷くさざれ石となる
天の原桜花びら散り敷きて息せき駆けて来る君を待つ
春の水吸いつつ花びら散らしゆく夜の桜花星雲のごと
雪解けの冷たき水を飲みて咲く桜花びら星のごと降る
誰ひとり通らぬ坂道滑走し夜を羽ばたく桜花あり
目つむれば風に吹かれて桜花銀河に星を振り撒いている
花冷えのおりふし新入生並ぶ入学式は淡々と過ぎ
一人だけ君が代歌うも歌わぬも許せぬ掟この民族は
人生を戦のようにみる人は囲碁か将棋か親しむらしも
憎しみに至る思考も在りながら性懲りもなく人群れてゆく
やり切れぬかなしみなれど人群れてとことん弱きところを挫く
緑めくプールの水は生き物の色にて桜の花びらも浮く
ポスト横目立たぬ小さな桜にて夜は星雲のごとくに浮かぶ
花びらはしきり降りつつ夜の広場桜木銀河のごとくに浮かぶ
花びらの敷石伝い逢いに行くそこには君が待っているはず
風に舞う花びら我を竜巻となりて運べよ君のところへ
逢いに来てくれた悦び伝わりてまなこ閉じれば花びらに満つ
強く抱き合えば宇宙のただ中に一つの星の生まれつつあり
山桜しきり散りつつ雷の光るとき時止まる花びら
花びらは乾いた砂に似て風の吹くたび葉桜現れてくる
黎明の意識かすかに聞こえくる桜の花びら叩く雨音
見る限り桜花びら敷き詰めた道にて天の涯まで続く
花びらを支えし花芯は色濃くて竹蜻蛉のごとおもむろに落つ
コンピューターのシナリオ通りに人動き次々武器の餌食となりぬ
引っ掛かり引っ掛かりして生く我を大人気ないという声のあり
小さな木なれども五つ赤々と我が家の椿の花咲きにけり
次々に桜の枝より放たれて花びら集まるひとところあり
花びらの後の葉桜淡緑徐々に濃くなり青葉となりぬ
水溜まり桜花びら風に揺れ流氷動くごとくに動く
一面の桜花びら水に浮くああ流氷の群れに似ている
見る限り若葉あふるる大樹より桜花びらほろほろと落つ
とめどなく桜花びら振り落とす若葉は朝の光を浴びて
高所より飛び降りたくなる衝動が体を巡る夕べとなりぬ
やり切れぬことわりなれど非常識時に多勢で常識に勝つ
歌作るならば結社に入るべしと縛られ慣れた人の群れあり
父も又組織に拠らず生きてきた後ろ手ばかり真似をしている
いつの間にこんな無数の銃口に囲まれ笑う一人となりぬ
どうしてもはみ出てしまうかなしみを詠えよしばし流氷となり
  春香号(七号)
流氷のように彷徨う一生かと白鳥叫びつつ果てに去る
幾重にも階積み上げて流氷のごとき都会が目のあたり見ゆ
担任が万感込めて詠み上げる生徒一人一人の名前
我が名前呼ばれるまでの数秒の卒業生の顔たどたどし
不登校の生徒もおおむね揃いいて卒業証書授与式終わる
嬉し泣き退職教師にさせるため生徒のマル秘計画すすむ
若き日の過ち言いし祝辞にて網走刑務所比喩としてあり
網走にいたかもしれないなどと言う塀に囲まれているのか町は
たわやすく網走の名を使いいて笑い促す言の葉ありぬ
結末は網走支店に左遷されるドラマもありき我が網走に
「お願いがあります少しお時間を」生徒の熱き申し出のため
退職する教師に「先生ありがとう」涙ながらの歌声ひびく
卒業式とめどなく泣く人々の儀式といえども心を伝う
流氷記一枚一枚心込め夜を込め夜明け近くまで折る
春雷の激しき雨はぴちぴちと暗き舗道に跳ねつつ踊る
春雷の轟きにつつ揺れて咲く沈丁花に雨したたかに降る
春雷の篠突く雨に川のごと車道は水の流るるところ
じゃじゃ振りの雨跳ね上がる白さのみ車も家も色失いぬ
突然の篠突く雨に人々は輪郭のみの動きとも見ゆ
雨しとど降りつつ開く真っ白な花次々と生まれては消ゆ
色のなき映画のシーン叩き雨 排水口より水ほとばしる
羽のごとてのひら広げ生意気な娘六歳チュチュ着て踊る
長き文暗唱続く卒園児全員大きな口開けて詠む
敬礼し卒園証書受け取りぬ一人の大人が娘のうちに棲む
非常勤時間講師で七年も塔に捧げし過去よみがえる
歌わねばならぬ思いを綴りいてかつての編集後記はありき
ほどほどを知らぬ我にてはらはらと高安国世見守りたまいき
次々と歌生まれるも感情の過敏となりてゆく部分あり
道典の景清伝観てふっ切れる心有る者のみ読者たれ
塩分を補給するため海岸に出でし鹿追いかける犬あり
たわやすく犬は遊べど野生鹿命を懸けて跳び回り逃ぐ
防波堤飛び越えそこねし仔鹿にて眠れぬ檻に一夜を過ごす
保護さるる鹿といえども細き脚震えてやまず人の手が持つ
吹雪の中ピエロのように揺れながら網走市街に歩みを残す
電柱のあまた聳える網走の市街へと入る海岸町より
新雪に一足一足置いて行く猫の歩みの一コマが見ゆ
耐えに耐え立っているのか断崖の苦しきうめき声とどろきぬ
流氷の置かれし汀のしばらくは断末魔の声続く切崖
海に出てさまよう運命知るように氷片網走川流れゆく
剥がされたばかりの氷が地に落ちてゆくように川流されてゆく
気負い来し流れも網走河口にて氷片しばしうろうろとする
車ごと網走橋より滑り落ちし女ありき雪の凍れる朝に
半日を氷流るる川底に在りしよ遺体引き揚がるまで
網走二中生徒の姉にて流氷館勤め行く朝命終わりぬ
断崖の上の枝にてオジロワシ威睨す流氷まだらなる海
わが場所のように周りを睨みつつオジロワシいる流氷の上
ゆったりと翼広げたまま旋回るオジロワシ我を従わせつつ
馬に乗り駆けいし中川イセ在りし能取岬の牧場が見ゆ
中川イセとただ嬉しくて共にいる一時間わが至福の時間
玄冬の人と言うべき全身がオーラというか輝きて見ゆ
斜里岳の雪の形を見て決める種蒔き時あり土ほぐれゆく
笑い泣きしながら流氷寄せて来る断崖となり今宵も眠る
流氷を真下に見ながら飛翔するオジロワシ我が翼を広げ
流氷をいつも見たくて我が眠る能取岬の灯台となり
夢の中ゆっくり旋回しつつ飛ぶオジロワシ我は氷海の上
屍のごとき流氷かくまでに追い詰められて来しにあらねど
追い追われ追い詰められ来て網走の岸に積もりし氷塊が見ゆ
向陽ケ丘に上れば流氷は知床あたりに縁取りて見ゆ
知床の山々浮かびて流氷を手繰り寄せしか吹雪の夜は
フイルムのように漂う北の海照りてまだらに流氷浮かぶ
いかほどの価値の合格不合格聞きて〇×記しておりぬ
合格のあと不合格告げに来るつゆ悪びれることなどないぞ
おめでとうなどの言葉に冷めてゆく笑えぬ教師の一人となりぬ
ありありと仲間内だけ大切にする社会見ゆ職員室にも
言い負けて少し清しき傷付ける言葉避け来し結末なれば
しおしおと帰れば妻にも言い負けて一人座りぬ氷塊のごと
夜を疼く膝の痛みが流氷の一かけらとなり波間に浮かぶ
月もなき夜といえども目交いは白き流氷光を放つ
うとうとと眼閉じれば岸辺にて確かに来ている流氷の海
見え過ぎてしまう今宵の網走の吹雪さえ見ゆ身も凍りつつ
  春氷号(六号)
網走に置き忘れてきた魂の在り処を捜す冬来たるべし
信号待ち深呼吸する眼裏に赫き陽沈む流氷原あり
頬の皮膚覚えているのか網走の風よみがえる微かなれども
つらかりしもあれど網走思うたびさわやかな風身を吹き抜ける
この空のはるか向こうに横たわる流氷原あり雲渡りゆく
鳥渡り雲行く果てに流氷のはるかに広がる水平線あり
果てしなき雲海午後は流氷となるのか視野は輝きの白
何一つ遮るもののない青いまぶしい空に一人わがいる
彼方より神々歩いて来るような遥か雲海果てまで続く
一日も四年も同じ網走に帰るがごと行くかく高揚し
雲海に飛び込んで行く魂のひとかけらわが恐れもなくて
飄々と意志持つごとき人ほどの小さな雲のかけらが浮かぶ
網走川氷上ラッコ昼寝する鷲に狙われているとも知らず
網走湖白き平らに人群れてワカサギ釣りするテントが見える
またしても取り残されし帽子岩はるかに流氷遠ざかりゆく
白樺のまにまに流氷浮かびいる海の青さが際立ちて見ゆ
流氷は風に押されて能取湖の入り口近く盛り上がる見ゆ
物言わぬ流氷されどはじかれていびつに転がる氷塊が見ゆ
流氷に取り囲まれし一区画青鮮やかな海底が見ゆ
森のごと都市のごとくに凄まじく流氷積もる吹きだまりあり
氷片も照りて浮かべば流氷の海といえども春近き海
白金の如き日照らす北の海まだ流氷のかたまりが見ゆ
オホーツク取り残されし氷片を冷たき赤き夕日が照らす
流氷は海に去るのか消えるのか今日も昨日となる春近し
氷付くコンクリートの防波堤べっとり赤く夕日を写す
我もまた流氷となり運ばれて網走斜里間海ばかり見る
知床の海夕焼けて轟きのオシンコシンの滝聞いている
原爆のような夕日に静まりて流氷残る海昏れてゆく
流氷の少し離れし網走に大きなシジミの味噌汁すする
網走のシジミはかくも身に沁みて光岡亜衣子母のごとしも
網走の溶けつつ雪を踏みゆけばギュギュっと幼き笑い声する
夜の町吹雪するさえ嬉しくてただ網走の風に吹かるる
流氷の流れつきたる網走に旅人我もつかの間泊まる
うらめしく網走の海見ることもありしか二ツ岩まで歩く
流氷は彼方に見えて我が歩む海岸町から二ツ岩まで
二キロほど歩くというに波照りて雪吹きて海は迎えてくれる
警笛を鳴らして巨きな雪かき車一気に雪を撥ね除けて行く
薄曇る大きな朝日に照らされて帽子岩まで金色の波
雪かきを未だせざりし早朝は轍となりし車道を歩く
朝の道鮮やかなれど新雪にカラスのちぎりしゴミ散乱す
長すぎる脚伸ばし飛ぶ白鳥の一群たちまち山影に消ゆ
流氷の離れし海より帰るらし首伸ばし飛ぶ白鳥が見ゆ
氷海を直ぐ立つ崖のオジロワシ風に揺れつつ小枝に止まる
氷海に立つ断崖よりオジロワシ音もなく海すれすれに飛ぶ
オジロワシ眺める水平線の上流氷白く盛り上がり見ゆ
流氷の海に向かいてひそやかに切崖体震わせて泣く
凍りついた巨岩が大きな口あけて吠えるらし海背に立つ我に
流氷の海に真向かう切崖の巨大な顔の雄叫びつづく
氷海に沿いて歩めば折々に凍りつく風吹き上げてくる
流氷の怒りが切崖叩くらし頭蓋とよもす底鳴りの音
切崖が体震わせ泣く音は大震災の底鳴りに似る
切崖の上より雪積む枝垂れてオジロワシいるかたまりが見ゆ
網走の石拾わんと波打ちに来て足濡るる流氷の間に
わが頭蓋岸に転がる二ツ岩水平線には流氷残る
地吹雪の風に揺られて二ツ岩から網走の町へと入りぬ
網走橋渡れば白き幾つもの船プレミアムのごとくに置かるる
人見えぬ町すみずみまで吹雪きいて閉じたシャッターの音のみひびく
シャッターの微妙に震う地吹雪の網走人は小走りに行く
海岸町歩けば次々教え子の表札並ぶ顔も浮かびぬ
突風はとんでもなくて小走りに急がぬ我を走らせている
向陽高網走二中在りし跡住宅団地の建設すすむ
幼子のような笑顔と思いつつ棚川音一よみがえりくる
いつまでも我をとどめて話しくるる棚川校長幼子のごと
唐突の死に割り切れぬ戸惑いが医療不信のつぶやきとなる
流氷のごと真っ白に生き来しか棚川音一今すでになし
舞い上がるきら雪さえも網走の風、何だろうこの興奮は
四万人の市だというのに病院がやたら目につく町歩み行く
顔を見て声聞くだけで励まされし中川イセに今逢いに行く
手を取りて再び逢うを喜びぬ九十九歳中川イセと
四年間お世話になりし網走のアグラバッチャン中川イセに
人生に負けてはならぬと教えいし中川イセ今輝きを持つ
初対面あんた私に似ていると言いいしイセは流氷の女
散々に甘えて過ごしし四年間時過ぎて今さえも甘えて
山形より流れ流れて流れ着き中川イセ終の網走に住む
九十九歳老婆なれども輝きてほのかに漂う色香がありぬ
ただ一つ波間に浮かぶ氷塊の白く輝きながら溶けゆく
夢の中網走雪道歩きいてつるり滑りぬ実感残る
ああ人は谷の溜まりに住んでいる大地の襞のような山脈
雲もまた地をさまよいて消えて行く露の命と気づく機上に
機上より猪苗代湖の全容がしばらく下に見えてしまいぬ
在るだけで身は引き締まる機上より富士山やっぱり雲の上に見ゆ
魂のように命を持つように雲は渡りぬ飛行機の下
四十度高熱三日続きいてインフルエンザに娘は耐えんとす
振り返り仰げばクレーンの持ち上げる危うき街より逃れきしかな
風に乗り雪のひとひら落ちてくる細き桜の枝続く坂
さまざまに衣服や言葉まといいる人ほどかれて風となるべし
我に向かい座る生徒ら一陣の風のごと笑む瞬間があり
思考すといえども文字をいじるのみ生徒一群木のごと並ぶ
こだわらぬ性格だったかもしれぬ歴史の大悪人を疑う
晴天のしばれる朝はほどけつつ半月ビルの真上に浮かぶ
意識するたびに雨音鮮やかに地に砕け落つ我が頭蓋打ち
雨音の中に時折混じりいる雀の叫び遠近にあり
目つむれば眼裏模様雨音の命のひとつひとつを伝う
銀河よりちらりふらりと落ちてくる雪あり銭湯より自宅まで
盲いとなり彼岸此岸を行き来する景清桜花しきり落つ
昨夜降りし雪も吸われて鮮やかに梅の花咲く坂下りゆく
ゆっくりとただゆっくりと落ちてくる雪のまにまに我が生きて来し
淡雪のほどろほどろに沁みてゆく舗道急ぎぬひたすらなれば
音もなく巨きな鳥の渡るらし羽毛ひたすら降りつづく朝
たちまちに舗道に吸われてゆく雪の死の瞬間を我は見ている
雪に包まれて魂降りるらし地にゆったりと静寂つづく
降り続く雪の静寂に洗われて悔いもなく過去よみがえり来る
愛憎すら既に心を離れいて過去は無彩の雪景色かな
肉体の外より冬の光差す窓透明の皮膚かと見えて
垂直に硝子窓立つ教室にまぶしき冬の光が注ぐ
成績に隔てし部分この頃は一気に生徒ほどきゆくらし
和やかに話しかけ来る生徒増え卒業まであと二十日となりぬ
和やかに教師と生徒という立場ほどかれつつ午後冬の日を浴ぶ
冬の日といえども梅の紅き花枝伸ばしつつ遠景に見ゆ
冷たくはない弥生雨教室のストーブの火のつつましく燃ゆ
卒業式の四日後公立受験にてまだほどかれぬ緊張がある
三年後に結婚したいという生徒まだ青臭き春のただ中
ストーブにたちまち曇りゆく窓を明るき弥生の雨降りしきる
雨上がりの午後のまぶしき風に揺れて春のススキは金色に照る
自分を追い詰めて行くのも悪くないこの頃少し気が軽くなる
三月は音にてわかる薄明の雨といえども暖かき雨
風もなき春の曇りの教室にヘリコプターの音しばらく響く
怒り方少し分かってきたような気がする生徒和やかなれば
曇り空横たうプールよく見れば歌うがごとくにさざ波は立つ
春の風マリンバピアノヴァイオリン賑やかに歌流るるごとし
心込め作りし歌が伝わりて今日も嬉しき便りが届く
知床の山も積もりて流氷は天の果てまで陰影つづく
  冬菊号(五号)
たちまちに町を覆いて秋霞もう北摂の山も見えない
どのようにも短き一生アカマンマ風に騒立つ海のごとしも
君なくて着物姿を思いみる庭にひときわツワブキの花
賑わしく華やかなれど安価にてドトールコーヒー人集まりぬ
まだら髪ガム噛みながら授業観しその母思えば強く言わざり
幾万の思い詰まりて立っている墓は力を与えてくれる
さりげなく給与明細読みながら三月退職する老教師
紅葉を激しき炎と見ゆるとき木は一瞬の命輝く
我もまた無数の枝を伸ばしつつ紅あざやかな木と真向いぬ
紅葉の群れ鮮やかな痛みとも涙あふるるまでに見ている
北摂の山並覆う紅葉は日々あざやかに輝くごとし
悲しみの数だけ紅く染まる木々あわれ人生の終末が見ゆ
己が身を巡りて騒ぐ血の色の紅葉は山の形を覆う
我が肺に虫棲むらしきくぐもれる咳にて外へと放らんとする
動くともなき白雲の浮かびいていつまでが我が生きている空
此頃はやや緊張が見えてくる三年師走『故郷』授業す
通い婚ただそれのみに興味して生徒聞くらし万葉古今
怒られたことなどなきか珍獣を見るような目で我を見返す
娘のこと言えば表情やわらぐと我怒る時言う生徒あり
白日射す冬の窓辺はまぶしくてストーブ己れの怒りを燃やす
倒産し職無き父親懇談にハローワークの帰りに来ている
懇談をするたび授業静かにて巣立ちの時と生徒知りゆく
幾度も魯迅『故郷』を語りゆくそのたび違う授業となりぬ
教室の我が閏土に語りかけ再会さびしき現実伝う
人の世を卒業するにはあらざれど何に寂しきこの夕まぐれ
怒鳴る泣く丁々発止この母娘あきれつつ我が勤めに出て行く
言い難きかなしみ抱けば鮮やかな紅葉は時に血のように燃ゆ
訳もなく寿命を肯定してしまう黄葉紅葉の山並が見ゆ
沈黙の密室となる四面体定期試験の息のみ聞こゆ
一群の森窓枠に嵌まりいて油絵タッチのように紅葉す
白い紙の中に思考が詰まりいて人の動きが操作されゆく
慌ただしく吸いに来るらし喫煙室漂う煙に日が射してくる
二小節の踊りといえど鮮やかな娘に照らされしスポットライト
恥ずかしさゆえか横の子小突きつつ踊るあり幼児クリスマス会
既にもう我にはなくてうさぎ耳つけし幼子はばからず泣く
風に揺れ音するごとし次々に起き伏しハンドベルのみ見えて
慌ただしき人の命を吸うように黄色き冬の菊たたずみぬ
風吹けば時折雪も混じり落ち桜の小枝尖りゆくらし
ものなべて酒に笑いにしてしまう忘年会今たけなわとなる
ゲームではとっくに地球滅びいて核のボタンを押すのは誰か
我が娘ブランコ中空まで伸びて叫ぶは雲と同化するらし
臍曲がり貧しく自由な我のため高安夫妻訪ねしことあり
仲間の死見過ごしながら牛の群れ巨大な嗚咽の叫びを上げる
ハイエナにたちまち我が子殺されて立ち去り難くキリン去りゆく
夢の中に過去の修正試みる我が分身の一人がありぬ
大晦日暖かき午後日だまりにポインセチアの緋は際立ちぬ
目つむれば花さえ語りかけてくる冬の日だまりうとうとといる
0.5シャープペンシルばかりにて決められたものばかり世にある
我が歌の存在理由かもしれぬ鬱々としてなじまぬ世間
同胞のみ愛する思想育みて長州薩摩の政治は続く
父母はああかくまでに老いたもう我が生きざまを見守りし間に
母の死と己れの癌を詠う時輝く田中栄かなしも
仏壇に真向かう父母極楽の方がよくなる錯覚に満つ
生物の死を彩りて正月の食の準備に人慌ただし
悪食に膨らむ白き腹並べ鮟鱇唐戸市場に並ぶ
雨脚を逃れるように速やかに船走る見ゆ赤間宮より
たちまちに鮟鱇五体ばらばらにぶちたたかれつつ捌かれ終わる
二十世紀最後の二年を残すのみ日本に核は向けられたまま
「心身を蝕む出世主義」という標語あり有り難き言の葉
さまざまな寝息あふるる人いきれ夢が現実現実こそ夢
満員の二等船室次々に眠りの形を変えて人寝る
少しだけ事実を混ぜて周到に卑しき噂広がりてゆく
次々に歪みの虚像さらされて悪意の伝言ゲームは続く
他人なら面白そうな話にて醜く歪曲された我がいる
如何ともしがたき時の過ぎゆきを今朝あせりつつ階段上る
大地震ここより起こりしより四年船にて明石大橋くぐる
唐突に十三歳にて亡くなりし足引きずりし面影が顕つ
幼き日つね従いて慕い居しナミ子姉ちゃん我が裡に生く
父の里に帰るたび見る面影は黒枠の中寂しく笑う
認めたくなかった母より葬式に行くのかどうかと尋ねられた日
夢の中麦の匂いの漂いてナミ子姉ちゃん慕いて遊ぶ
病ゆえ足引きずりていし少女幼き我を連れて野辺行く
鼻なでてくれと大顔寄せてくるやさしき牛の目よみがえり来る
現実と呼ぶ折節の空間も共に見ている夢に過ぎない
どうしようもない性格と思いしが頑固の頑は頑張るの頑
自転車で駅まで二分山茶花咲く曲がり角なら肩触れて行く
雲一つなき正月も三日過ぎ厳しき北の便りが届く
良き誤解悪き誤解に彩られ誰もが人の世渡りゆくらし
言葉出すたびひび割れてゆく胸を気管支炎と診断される
気管病めば微かな声となりながら目に力入れ授業に臨む
ラジオには網走流氷接岸の報あり車の渋滞続く
野間さんも死にもう頼るものなしと賀状にありし高安和子
我を責めし後いたわりの葉書くるる高安国世のやさしさがああ
戦時中すら戦いの言葉なき若き高安国世の覚悟
推測をたちまち事実としてしまう噂されると電話にて聞く
休日の朝の寝床に入りてくる娘此頃重たくなりぬ
魚のごと跳ねる娘を抱き上げる束の間しあわせも抱きしめて
安らかに死ねるため死の遺伝子があるという死は親しきものか
大地震虫の知らせかベッドより離れし時に轟きは来し
大地震終わりてすぐの我が居らぬ空のベッドは家具の下にあり
大地震何もかも揺れ妻と娘を守りて箪笥を押すばかりなり
大地震もまだ予震かも知れぬとの報におののく半日ありき
テレビでは外出するなと指示ありて欠勤したこと責められており
地盤弱く貧しき地域に屋根シート目に立つ総持寺駅前付近
さっきまで手袋握り帰りしが娘の冷たき手暖めてやる
  冬待号(四号)
阪急電車通るたび風巻き上げる土手曼珠沙華揺れて輝く
警笛鳴りはじめ渡ろか渡るまい家まで百米の踏切
曲がり道上下信号止まれ道一日一時間のみちのり
ある時は教師の掟きっぱりと己に従うもののみ優し
近所より窓も障子も突き抜けて咳の音だけ奇妙に響く
言葉には出来ないアクとしたたかさ持たねば教師となれぬことあり
グランドよりしみじみ校舎を眺むれば雲行く空に船のごとしも
組体操リズム体操裸足にて大地に弾む子らかぐわしき
いつよりか見上げてばかりいる我に硬き柿の実空埋め尽くす
運動会五歳の娘らそれぞれにビデオカメラのモニターにいる
腕伸ばし娘は五歳秋しなやかな心と体もて踊りゆく
こう言えばよかったなどというばかり言い負け慣れて家路を急ぐ
金星と立待月とに照らされて天に聳ゆる墓石群見ゆ
幼児期にままごと知らぬ若者ら硬き路上にぺたんと座る
土手の端かすか紫小さくて千振の花しきり日を浴ぶ
火に焼かれ幾度も叫喚した我が不思議に元気づきて目覚めぬ
食足りて平和に満ちて腐りつつ「くさー」「きしょー」を吐く生徒あり
砂浜のような青空地上には全校生徒が駆け足はじむ
本能のまま肉体を躍らせて戻る生徒のシャツ光る見ゆ
声援する我にはなくて中学生そのしなやかな肉体が見ゆ
おかしくも何ともなくて四五人の生徒の笑いに加われずいる
ちぎれ雲ゆっくり澱みなく過ぎて体育大会予行終わりぬ
生徒吐き出でし校舎を見上ぐれば光りつつ雲移動していく
一年の内に我が背を追い越して今しなやかに彼らは走る
魚のような鳥のような雲空に満ち地は海底のようなグランド
肩に足乗せてすくっと四層の男の肉体が土に立つ
緊張と力強さを誇張して人間ピラミッドは完成す
緊張はやがて充実感となり成長していく生徒の群れ見ゆ
光の枠持ちて明るきちぎれ雲大縄跳びの数合唱す
生徒にも土にも光が沁みわたりたばしる足の回転が見ゆ
ピストルに弾けて走りゴールする胸反らし赤も青も緑も
死ぬ順のように順番あるものを競いて届く順位楽しむ
ヘリコプター時折飛べど気づかずに体育大会たけなわに入る
ゴールまで順位変わらず走るさまドラマなきかなしみが顕ちくる
六層の組体必死に持ちこたえまだシラケてはいない生徒ら
駅前にギターつまびく若者の枯れ葉のごときかげり見て過ぐ
眠りても身体を巡るつぶやきか冷蔵庫の音木を伝い来る
容疑者に怒りを増幅させながらたちまち国民一体となる
スパイクにタイヤを替えし網走の冬の準備も過去となりたり
目つむれば網走の夜に眠りいる目覚めて後のことは知らねど
はじけては無数の宇宙となりてゆく雨は頭蓋をそぼ濡らしつつ
金木犀黄金のごとき花つけて我が家にも咲く少しなれども
愛のため正義のために人殺すドラマは殺さるる立場なし
電柱の上にてしばしせわしなく動きしカラスふいと飛びゆく
見下ろせる我が射程にて電線に毛づくろい余念なき烏見ゆ
悔し泣きしながらピアノを弾く娘いつの間に幼年期越えしか
食べること拒みて抗議する娘関わりなき父をしきりに見ている
命あるもののかがやきすすき原ゆうがた風に吹かれて笑う
傘閉じるように撓いて銀杏葉の今朝片側が白く輝く
立ったままエノコログサを掌に当てる娘よ雑草に親しんでおけ
カヤツリグサ昼を宇宙の星のごと群れいて墓石の傍らにあり
故もなく苦しみが胸巣喰うらし人のあざけり見てしまいたる
関わりもなき嘲りに我を置く苦しみ求め来しにあらねど
箝口令あるのか誰もが口つぐむ週刊誌一誌だけのある記事
大事件報道の日に国会で危うい法案さらりと通る
衰えゆく我が体より此頃は男の力が離れゆくらし
休ませてくれよと此頃内臓や脳味噌までもがリタイヤしてく
我が体《殻だ》と出でてワープロが見ている我の疲れに気づく
法律に拠りて新たな犯罪が生まれるゲームのような現実
横並びするマスコミを縫うように巨悪の群れは少し移動す
面倒な警察署には訴えず町のコンビニ自衛しはじむ
清らかに光を集め白く咲く小さな小さな黒胡麻の花
台風がいくつか過ぎていくうちに町はすっかり長袖になる
自転車にすれ違うたび人間のぬくみと風の冷たさ伝う
遠く見え近く見えして山並みに町は伸縮つね繰り返す
いにしえは隠元蓮如の住みたもう富田の町に電車が停まる
墓ありて花と水とを供えいる人ら見てわが勤めに出でゆく
いにしえも今も変わらず人入れて墓地も団地もゆうぐれてゆく
浄水装置備えしプールなみなみと十一月の水たたえおり
清らかに水はさざ波人居らぬプールに十一月も過ぎゆく
目印のように群がる畑茅を轢いて車は駐車場に入る
次々に輪が生まれては消えてゆきプールに雨はしたたかに降る
雨降りてヘッドライトをつけし午後ああ網走の秋と重なる
雨に濡れた赤き尾灯の連なりてああ葬列のごときわびしさ
一息にパチンと潰される虫の一生(ひとよ)に似たりと思うことあり
カーラジオ消せば体を伝いくるタイヤの摩擦とエンジンの音
汚れ落ちかび落ちその後の排水をCM言わず笑顔で終わる
ピカピカにされたワイシャツ川汚し魚を殺めて街へと急ぐ
細菌や匂いをなくしほにゃほにゃの奇妙な若者ばかりあふれく
環境にやさしいなどと言いながら山河の形さえ加工する
点数によりて表情変えるのみ生徒に何を教えてきたのか
愛すべき欠点などは切り捨てて万事に卒なき生徒が並ぶ
流れゆく雲の切れ間の一瞬に南の窓より陽がなだれ落つ
稲刈りし後の匂いに満ち満ちておどけるようにカラスが踊る
振り返ることなき別れと思いしが足引きずりて君微笑みぬ
水の上にあるごと風に揺れていてコスモスの花緑に浮かぶ
人住みし後の空き地は荒れあれて人の高さの数珠玉開く
深い空の手前にありてフジテック塔は視界のどこかを占める
背を丸め急ぎゆくかに生徒見ゆ夕べ雨降りはじめし校門
ほっとする束の間ならばウォシュレットトイレにひとつメモ帳を置く
滔々と車流れてコンベアーのような道路が目前にあり
くっきりと校舎と窓に区切られて明るきダリの窓が輝く
明るさを増しゆく空にかしましき雀の叫び幾重にも聞く
雲光るつゆの光りに照らされて午後の授業はしめやかに過ぐ
饒舌の後崩折れて我が娘突然意識不明となりぬ
目を開けたまま救急車に横たわる娘よ魂はどこに行ったの
入院の点滴今は嫌がりていつの間にか娘は正常となる
山はただ山として在る昔より萩の花咲くこの分譲地
ゆうさればひときわ闇が早く来て車のライトあわれまばゆき
夕方の冷たき風に根元からすすきが揺れるわが心かも
しがみつき五歳の娘の言うことにゃあなた死ぬほど抱き締めてよう
ゴムマリのように弾んでじゃれてくる娘は我が皮膚なめしてくれる
根雪にはならぬ雪降る網走の霜月思おゆ今朝少し冷ゆ
子を宿す命のように膨らんでススキの原を日が沈みゆく
水はただ流れ流れて高みより一気に落ちて滝轟きぬ
杭のごと鉄塔幾つも打ち込まれ北摂山並雨後鮮らけし
秋聲号(三号)
風吹かぬ夏の湿りを伝いくる貨物列車の土たたく音
土となり虫となりして眠るのみ飛行機の音しばらく聞こゆ
街路樹の下街灯に照らされて自転車はタイヤ外れて眠る
俺の死もこうかもしれぬ雨の音瓦をたたく突然に来て
わが内を巡る血なのかいつの間にリズムとなりし雨の音聴く
クーラーの音に消されし窓の外の木のざわめきが一勢に入る
雨上がり日が強烈に射してくる晩夏(なつ)透明の屋根続く町
誘わるるごとく来ている薄明の風にひらめく蓮の群れあり
一通の言葉の向こうを気に留めて如何ともなきこの三日過ぐ
ひぐらしを聴かぬまま夜の蟋蟀のひびきに眠る季少し経て
怒るときママには妖魔がいるという娘はいかなる時も明るく
芝居めく言葉も動作も身につけて日ごと娘は成長していく
鈴虫の夜通し宇宙にひびかえば滾々と湧く泉思おゆ
一息のうちに生滅する命無数に我の内にもありぬ
隙ありて打ち勝つたびに狂喜する生徒よ本能のままが美し
親・教師・医師・自分さえ拒みいて拒食過食を繰り返す子ら
急行と特急続けて通過する総持寺駅に我らは急ぐ
安らかに眠れは死後の詞にて陥るように眠りに入りぬ
笑いつつ我は恐るる幼子は危うきことに目を輝かす
毎朝乗る阪大病院行きバスは死に直面する人も乗るらし
病院行きバスにいる母ほどの女一途に余命見つめいるらし
ディオニスのような怒りにとらわれて一日が暮れぬ静まらぬまま
クレーンに吊るされたまま暮れてゆく街かと車窓に見て帰りゆく
曇り空きりきり軋む腰骨かコルセットはめ授業に向かう
激しい雨の翌朝なればくっきりと遥か鈴鹿の山並みが見ゆ
賑やかに静寂を駆けてひとときの深夜の阪急電車明るし
無花果の木にイチジクの匂いして自転車風を撫でつつ急ぐ
我が頭蓋開きて出でし脳味噌を蝕みて真夜蟋蟀鳴きぬ
青虫を踏み潰しつつかなしみは根絶やしにする思想もありぬ
シャボン玉花火のように一瞬に無音にはじけはじけつつ飛ぶ
眼の前にいきなりはじけるシャボン玉無音の音は我が裡にあり
人がいてあらゆる思い詰まりいて団地は夜の虫の音の中
いつよりか恋すら面倒臭くなる齢に虫の音が沁みてくる
傷口に当てんと摘みて擦り潰すよもぎの匂い沁みる虫の音
望月の巧みに操作するらしき夜長を虫の音が沁みわたる
曼珠沙華少女のような細き足群れいて風のまにまに踊る
空蝉も蝉の死骸も置かれいて我が庭秋の日差しを浴びる
色褪せて茎ごと倒れしカンナ花土より生れて土へと還る
この国は平和に満ちて仔牛などグルメの皿に殺されて乗る
風に揺れ小さき白き韮の花ささやかなれば忘れずにいる
家家の間よりいきなり射してくる夕日にふっ切れてゆく意識あり
朝夕に薬を飲むを日課とし娘五歳をつつがなく過ぐ
ルービー・ルービー 救急車の音娘言うなるほど語尾は上がりて聞こゆ
段ボール・ベニヤ板など文化祭するたび少しずつ森は減る
絶叫を涙をかくもあこがれる中学生は青春のただ中
独り言と思えば携帯電話にて声無きは無視される習いか
雨の音は風呼ぶらしき昼過ぎの紅きオシロイバナ群れて咲く
ヒトラーは無責任だとつづまりの自殺を生徒さらりと言いぬ
同情というより未知の少女にてアンネは本の表紙に笑う
淡々とアンネの歩み受け止めて生徒は一人の一生を記す
台風の近づく雲の急ぎゆく風雲急わがしょぼしょぼとして
地を這いて竜王山より下りてきて茨木の町雨音ひびく
憂いもつにあらねど空が身に沁みるキクイモの花揺れる町角
昨日より少し色づく葉の見えて劇練習も佳境に入りぬ
風草の輝きにつつ揺れている「好評分譲中」のまま五年
どこまでも青澄みわたる十月の空の匂いを見上げつつ行く
先端の花の重みに撓みつつサルスベリは青空に輝く
曼珠沙華総持寺富田の駅見えて阪急電車の土手に群れ舞う
蟋蟀の響きも夜空に吸い込まれゆるりとアンドロメダは傾く
アベリアの花また続く細道を少し触れつつ君問うてくる
君濡れていないか突然道たたきつつ銀の雨が降る鮮やかに降る
ひび割れた舗道にエノコログサ伸びて今朝は破滅も破壊も楽し
総持寺駅出でて芙蓉のやわらかな花十二三の輝きを浴ぶ
竜王山ふもとは霧に流れいて神のごとくに山浮かび見ゆ
体育館劇練習のただ中にトタン屋根打つ雨音ひびく
少しずつ劇の形の見えてくる虚構にもなりきれぬ生徒ら
台風の翌朝なれば崩折れて曼珠沙華の朱の緑に滲む
リセットをすれば死んでも生き返るリュウ太という名の似非タマゴッチ
自転車やバイクに足を広げ乗るおばさんティッシュを山ほど積んで
墓あれば墓にも慣れて墓守りの人らと挨拶交わして帰る
軍隊の仮の身分の刻まれた戦没者の墓今日も見て過ぐ
戦没者の墓外周に連なりて墓群れ守るこの五十年
晩夏へ(二号)
長い竹持ちて高見の杜に見しにいにい蝉を此の頃見ない
夕立の後の参道熊蝉が椿のようにぽたぽたと落つ
蝉の音に息を絞れば百億の宇宙の鼓動がわが裡にあり
午前五時二十分より蝉鳴きてわが血管のすみずみ巡る
やがて死ぬ束の間時を受け止めてひねもす鳴きぬ蝉の音かなし
油蝉熊蝉競い鳴く朝は目を閉じて宇宙の果てに我がいる
我が頭蓋巨岩となりて油蝉熊蝉虚せをひびかせて鳴く
朝うつつ巨大な夏の電源を誰入れて蝉一勢に鳴く
突然の篠突く雨に揺れながら無花果の葉の低温ひびく
遠花火ひびく胡瓜を音立ててかじりて食べよ水の香の顕つ
竹林の中ひっそりと墓群れてツクツクホーシの音のみ聞こゆ
深呼吸の息吸うてより波の音寄せては返し身内を巡る
日没の後にますます青くなる海ありしばし夕焼けの下
赤とんぼ無数に群るる波の上ためらいにつつ日が沈みゆく
目つむりていても視界は変わらずにただ一面の漁り火の海
重圧を覚えしことも亡くなりて高安国世親しくなりぬ
若きにはあらねど今も貧しくて師の「若き日のために」読み継ぐ
空蝉(一号)
五十分何思うなく過ごしいる期末テストを蝉鳴きつづく
自転車の上でバランスとりながら携帯電話の対話がはずむ
油蝉かしましく鳴く校庭にドッヂボールの攻防弾む
教室では心はずまぬ生徒二人ボールを巡れば生き生きとして
路地裏にいきなり駝鳥の首のごとなまなまと赤きカンナ花あり
三匹も土より出でて我が庭の今朝生け垣に空蝉のあり
指ほどの黒き穴より生まれでて空蝉蝉を背にはばたかす
空蝉の背は切り口のあらわにて辺りに響く蝉の音かなし
生け垣に油蝉鳴くしばらくを空蝉殻を震わせて聴く
ひたすらに檜葉の葉先にしがみつく空蝉しばし微風に揺れる
黒胡麻の茎に逆さにしがみつく空蝉禅の思考に入りぬ
金網にひねもす留まる空蝉の背の空洞に風吹き抜ける
帰宅して座りて思い起こすのみただ擦れ違うだけの人群れ
我が庭に空蝉三つぶらさがり午後の日照りは滞りなし
阪急電車過ぎる時風巡り来てつれづれ眠るともなく眠る
  流氷記抄
神さびてにわかに明るき海となる夜明け岐羅比良坂下りつつ
霧ふきて落ち葉しぐるる谷合いににわか雨降るわが涙かも
失いし愛のごとくにひそやかに枯れ葉ひとひらふるわせて落つ
山あれば人天に向く阿寒富士雌阿寒岳と並びて聳ゆ
藻琴山涌水より来し網走の水はころころのどしみとおる
網走に来て網走と書くようやくに流刑にとらわれいし心より
刑務所も二つ岩海岸も校区にて網走二中声太き子ら
堅雪は氷となりて我ばかり滑りて転ぶ街角のあり
雪の町夕暮れどきは人絶えて電信柱の連なりており
電線に鴉連なる雪道を幼き一人とぼとぼと行く
魚のごとかすかに口の動く見ゆ凍りたる夜の電話ボックス
控えめに明るき窓か鉄筋の囚人監舎のたそがれてゆく
ストーブの内側たやすくさらされて炎の上に石炭をつぐ
わが校舎に垂れし氷柱の重みにてトタン擦りつつ雪落ちんとす
雪明り青く注げる放課後の長き廊下をぎしぎしと行く
雪の上鮮やかなればさらされて生ゴミ鴉が群がりており
我が帰るたびに出でくる猫ありて彼も孤独の目を輝かす
やがて冬されど彼らのかぐわしき学校祭の歌声ひびく
十月になればストーブたく夜は寒くなるわが心を燃やせ
滞まりて僻地教師となる姿わが眼裏に執念く残る
魯迅作『故郷』音読幾度も十月異郷に年重ねつつ
潮干きてだんだら残る砂浜に白き鳥わが心をつつく
直視して生くべしと思いて見る鏡ひきつりそうな笑いに向かう
網走の港と町とを見下ろせる岐羅比良坂より我は帰りき
雪積みて険しき崖のひとところアイヌひそみし洞窟のあり
雲海の如く湯気立つ雪原の紫だちたる日暮れ帰り来
ゆっくりと秘かに町の上昇す真白き羽毛降らせつつおり
キタキツネ歩みしのみの流氷原その下にして育つ魚あり
細胞のつながり我も流氷のひとつひとつを踏みしめて行く
表面は平らなれども雪踏めばわずかへこみし流氷のあり
黒ずみし薄き氷が海の目のごとくまともに我が前にあり
手のごとく指のごとくに天に向き流氷逆立つ一群がある
踏むたびに我が足音の響くらし崩れつつ立つ流氷の見ゆ
流氷がひずみのごとく盛り上がる思えば余剰の地に人は住む
流氷に巨大に咲きし青き花輝きにつつ開きゆく海
流氷の間にまに生きしささら波海生き生きと輝かせおり
緑葉樹繁りし崖も細き木木まばらに刺さる雪景となる
校庭の雪はねあげし折々に黒きポプラの枝天に満つ
冬の滝我が前にして凍りたりここまで逃げ来しわれにあらねど
流氷が津波のごとく近づくを能取岬の果てにみている
海に消え海に生れし流氷の叫ぶがごとく岸に迫り来
流氷をめぐりて飛べる海鳥よ曇りてあれば響きつつ鳴く
遠がなしく響くキツネの叫び声真夜流氷の海をみている
流氷原鋭く裂けて青々し潮の香のして海ひろがりぬ
流氷よ海に還れよ網走にこのままいては戻れなくなる
凍死などしているなかれ夜をこめて家出の生徒捜しつつおり
校庭のスケートリンクに積みし雪ごみのごとくに日々払いゆく
雲母雪まといて走る風のむた集団下校は黙しつつゆく
唐突に苛立ちやすき吹雪にてわが煙筒の笛吹きている
次々と窓たたきつつこびりつく雪より熱く燃えて生きたし
滝のごと吹雪きて視野はひたひたとわが空洞を浸しつつおり
雪積める校庭に並びいるポプラ見上ぐる外なく人天に向く
流氷が去れば春来る網走を思いつつ見るむら雲の空
百舌の置きし獣のようにアンテナに膨らみながら陽がとどまりぬ
冬薔薇は乳首のごとくやわらかき棘つけて今日の雨に打たるる
頭だけ少し動きて静かなる冬田に憩う鳩の群れあり
沈みゆく心抑えしわが前に寒雲の群れ移動しつづく
人去りて星の光を集めいる夜のリフトの鉄のかがやき
夜の斜面乾ける雪を踏みゆきてけものの声をわれは放てり
紫の少しまじりし空にして輝く光をまとう朝空
顔上げぬままの生徒を気にとめて授業の声のつまりゆくなり
大人になる前のきざしか女生徒のくくくと笑い笑いつづくも
網走先生アバちゃんなどと生徒言い我が網走も明るくなりぬ
網走の吹雪の話して帰る我になまぬるき冬過ぎて行く
連結を離れしホース炎天に放り出されて水吐きており
一人居はカメラのごとく移動して部屋には我の視野のみがある
わが心明るまぬ日よ幻に美幌峠の風の中におり
わが心抑えつつ見る屋上に旗はためけり生きも帰りも
マンションの部屋に眠れるわがめぐりガス水道の管ばかりにて
わが部屋に夜更け近づく足音す訪いくる人のなしと思うに
目的もなく歩み来たれば総持寺の水子地蔵に人集まりぬ
風吹きて散るにもあらず曼珠沙華緑にまぎれゆく立ちしまま
わが前に色ボールペン散らばりぬ終日去らぬかなしみを持ち
地下街にたゆたいながら人の群れこのまま死まで移動しつづく
犬の顔雨に打たれて横たわる骸あり夜を帰る路上に
わが前に見よとぞ白きくしゃくしゃの紙のかたまり立ち上がりゆく
冬の光よどめる部屋に一人いて水母のごとくさらされて居り
今日一日己ればかりを愛しみし我をみつめてわが顔がある
朝霧は視野を閉ざして我が裡の苦しかりにし過去よみがえる
グラウンドに朝の霧満ちサッカーをする生徒らが見え隠れする
生徒らに網走先生と呼ばれいるようやく席の定まるらしき
刑務所より逃げて来しごと言われいる我は勝者のごとくふるまい
竜の玉ひそかに群るる坂道をふぐりの冷えし犬が過ぎゆく
わが心わが体さえむさぼりぬ思い出という生き物がいて
風のむた歩めば夜の校庭にメタセコイヤの裸木揺れる
わが裡に荒れゆく部分持ちながら荒れゆく生徒に対処しており
「邪魔くさい」「イライラする」を繰り返し崩壊してゆく生徒の群れあり
だぶだぶのズボンはきいて遅刻する彼に構わぬまま授業せり
対教師暴力破壊盗みなどしたい放題して出てゆくのか
燃ゆることの少なくなりて生きゆくかコーヒーカップのかがやき鈍し
訳もなく憤りのみこみ上ぐる夕方駅を出でてしばらく
このままでいいのかなどとたそがれてゆく遠山を見つつ帰りぬ
わが倒れ込まんばかりに街並を夕べより夜の丘にみている
幾列も並ぶ明るさ家族群暮らす窓みゆ夜の電車より
どのように生きてゆくのかわからねど幸せと思おうどの場面でも
口中の苦くなりつついる会議折りおりにして哄笑の涌く
唐突の事故の記事見て慰める我がままならぬ時のたまゆら
キツツキのごとくに軽き音たてて玉葱刻む独りの夜を
海鳴りのごとくに聞こゆ子供らの遊ぶ声にて目を覚ますとき
耳も目も内に向かいて複雑な階下りゆく眠りに入れば
タンポポの黄の数増えて歩みゆく今かなしみなぞどこにもないぞ
すみれ咲く川土手ありしと車にて帰りし後に色ひろがりぬ
夜の車下萌え踏みてやわらかき土の匂いにさらされて立つ
新しき学年なれば緊張の顔あり窓辺に黄梅の咲く
アスファルトうねりのごとく続く道雨に煙りて山茱萸の花
ネコヤナギ川より伸びて鮮やかに涙のごときあまたかすみぬ
駅前にけじめもなく家群がりてためらいにつつ電車が停まる
反応の乏しきときを指摘さるる我には聞こえぬ言葉がありぬ
葦の原見え隠れせし鴉一羽帰りて後もしばらく残る
吹き来たる春風のなかイヌフグリ激しく揺れる畦の一隅
煙草吸いて集うと連絡ありて来し小公園には人影もなし
さまざまな人の名前の詰まりいる新聞読みて今日も終りぬ
ああ鳥よ魚よ我は一日を地を這うのみに過ごして帰る
電車より吐き出され階下りゆく人群れ誰も誰も黙りぬ
人けなき深夜の桜照らされてひびくがごとし静けさのなか
夜といえど杉大木の影に入るわが存在のなくなるしばし
わが体吹き抜けてゆく風ありてときに独りに耐え難くなる
時過ぎてゆく恐怖さえ薄らぎてただ足伸ばしたくて眠りぬ
家に居れば金出せ出せと言うがごと勧誘チラシばかり訪いきぬ
湖の上をたばしる風ありて髪揺れやすき君さらいきぬ
かすかなる光となりて湖の上吹き抜けてゆく風のあり
夕さればひぐらし来鳴くひとむれの杉の香のたつ風の中にあり
君待ちて我が座りいる夜の広場まわりの石は露に濡れつつ
火のごとく高速道路に沿いて咲く夾竹桃よりとびたつ烏
地に落ちた時に花咲く雨の華 こらえきれずに来る君を待つ
眠られぬ夜の明けぬればわが頭蓋明るき雨の音満ちわたる
我もまた輝く風となりていん尾花が原に今日も来ている
夕方になればますます緊まりゆく若狭の海の山の間に見ゆ
死後渡る道のごとくに平らにてただに明るき海展けおり
にわか降る篠突く雨に電柱の黒く重たくそぼ濡れて見ゆ
篠突く雨∧死の付く雨∨と表われてワープロ何を考えている
カーブ切る時にいきなりなだれ来る海は光の粒あつめいて
うつせみの君をいぶせみ焦がれ待つ己が体を夕日が透きてゆく
雨やみて生きる外なしあしひきの山襞までも鮮やかに見ゆ
目つむれば明るき涙は惑星となりて視界にはだかりて見ゆ
歯科医にて麻酔かけられ横たわる死体のごときわが意識あり
煩わしき職場なれども折々に無垢なる生徒の心に触るる
苦しみて目覚めし朝に軽やかに尾を振りて飛ぶまだら鳥あり
千代の富士千秋楽に尻餅をつきてかくして昭和終わりぬ
歌作るこころにひそみいるらしきかなしみまとい生きゆく我か
雲の縁光りて徐々に移動する今朝春なのに冬より寒し
口のなか二度まで噛みて憂鬱な春の曇りの午後はじまりぬ
明日待ちて共に眠りぬ店頭の魚の屍体と浅蜊の群れと
寒雲の低く豊かに流れゆくひねもす心鎮まらぬまま
寒天のように光が置かれいる冬の日白き部屋に我がいる
明かりつけテレビのスイッチ入れながらたまらなくなる我が不在あり
ヘルメット戦士のような若者がピザ宅配して笑顔ふりまく
蛍光灯点くまでの間にため息をひとつつく我が癖のひとつか
  夜の大樹を (百首抜)
曼珠沙華の淡き記憶の夕闇を空のみ明るく雲なだれゆく
疑わず待つ苦しみに耐えていて沈みきるまで夕陽は熱し
溶けそうな無数の指がとり囲み私を無言に指さしている
苦しみに別れてきたというのですか?ゆうやけうつす川浸す足
コスモスの花散る夜の木枯を昇りつめたる花びらのこと
こうもりの白き歯のこと思いいる風さわがしき地下道に入る
ひとつの雪ひとつの雪おともなく涙ながれし時移りゆく
地表まで雪は呼吸を止めず降り人の歩みを美しくする
ふりしきる雪の閉じられゆく窓とほのかにさびし我のうしろ背
洗面器の水掬うため空を見し掌をさらさらと水のこぼるる
蛍光灯が笑った笑った冷えたまま私を笑って消してしまった
眠そうなナイフの光に血まみれに林檎の皮がほどかれてゆく
冬の卓 輝きばかりのスプーンがコーヒーカップにたてかけてある
仔猫・猫・固い貝殻・貝の肉・・・買いますかわいらしい奥さん
猥雑に言う窓際の生徒の背なめつくし雲がちぎれんとする
弾きしのち母がガソリンもて洗う黒い手 鴉が燃えながら飛ぶ
干潮の浜辺をピアノが泣きながらひきずるように歩いている
肩冷えて夜を目覚めしひたすらに螺旋階段赤子がのぼる
フイルムをたどりて冥し雪の野をひたすら機関車群突っ走る
寒い朝息吹き返す真っ青な無数の父と共に走りぬ
生きて死ぬ生きて死ぬとぞ父の顔持ちて雪降る野辺に来たりぬ
泣きじゃくりガラス戸たたいた手が音が赤い破片となりて散りゆく
眼割る思いに夕陽砕きいる硝子の数だけ映る夕陽を
「父殺し」ノートに綴りゆく夕べ黄のガラス戸に閉じ込められき
すさびゆく猫の声音のしみ透る夜の関節炎ひびく海
フイルムのような眠りに際やかな蝶となりつつ入る冬の午後
机の上 時計がひとつ夕映えて己が時刻をふるえておりぬ
いま一歩のところでボールを封じいるボールペン角なき文字つづるため
紅茶より湧きくる蝶の燦燦と己が体のなかに燃えゆく
根のごとき己がかたちの静脈が真夜蛍光をたどりゆきけり
冬の市たちまち閉じてゆくところシクラメンひとつ残りて白し
黒枠の四角い夏へ逃走す後なまなまと線路を残し
白き色はたはた赤に真向かいし蝶を殺めき陽は没りてゆく
刻々と日は逃れゆき山に没て傾く大地に耕す人ら
夕映えは沈み大地にもがく森 蝶を燃やせしてのひらあつく
いっせいに鳥飛び立ちし森想い思えば夜明けの風吹きてきぬ
胎内に滴る熱い涙かも眠りのなかにしきり降る雨
矢を射てばたちまち消ゆる海ありて眼下に堅き夕映となる
水の香の漂う夕べを閉ざしいんまなうら無数の海猫が飛ぶ
醒めきらず途絶えし眠りの死を思う我らつめたき抱擁のまま
法師蝉鳴きいし夜をあかあかと焔の中に闇はひそまる
首飾りの鎖の天に向かう夜半 首ほどかれて人は滅びぬ
青き水こおろこおろのまぶしさよ森追いかけてくるひびく足
星のように輝く水を欲りながら根は支えいん夜の大樹を
蠍座のさそりの骨を砕きたく駆けいしむこうの波高き海
どこに母を閉じ込めいしか星赤き夜につぎつぎと割る大き石
君の身に縦に流れる海ありて見ており渦巻く夕べの海を
草噛みて逃げゆく我に風強き野はにびいろの光さらしつ
夕闇になおも明るく空瓶を吸いつつ白いストロー刺さる
潮騒のしばらく途絶えし風おもう夕べ紫の鐘鳴りわたりき
天翔けてゆくごと背のさびしかり星出でてのちの夕映
雨の音地にいっせいにはばたきて胎児のごとく我ははなやぐ
ゆっくりと重き地平を沈みゆく我が眼球が我をみている
首吊りて後の廓にことごとく丸い窓ガラスをはめにゆく
無花果は領土かなしきまで実りひえびえと沈みゆかんか陽は
踏まれし後徐々にほぐれてゆく落葉が不意に笑いのごと盛りあがる
草いきれのあわいに雨のふりそそぐ耳のごときを削がれておりぬ
自転車に乗りて倒れし影が見ゆ一気に大木をせりあがる風
静かなる海を聞くためはるかはるか双眼鏡を持ち海へ行く
思いきり猫背になりて幼き日のわが捨てられし森を背負いぬ
海風の熱やや冷めて干されいし烏賊の無数の影にとらわる
尾をふりて駆けゆく犬の遠ざかる闇一点より風なまぐさし
蟻地獄、沼に沈んでゆくように切れ目なく人ら地下へつづける
風が秋だと思えるようになるまでをすすきのようにかがやくひとり
剃刀がたちまち波紋をひろげゆく水よあやまつ目のごとく澄め
人の死を聞きて眠れる沈みつつマリンスノーの中駆けやまぬ
車ののち猫の横切る幾度か郵便ポストの見える街角
内臓の中どこまでも落ちて行く針はり叫ぶ光を放て
光の束を鍛える如し沈まんとする陽の下に聞く槌の音
一粒の葡萄の薄き皮むけば口腔にぬめぬめ眼球の膚
ひるがえり風にふかるる木の葉なり彼の日翳りし人を想いぬ
星ふりて夜はつめたく流れいん水平線の見えるガラス戸
生れては消えゆく羽をくゆらせて煙草よ憩う我の指先
鳥影の鈍くかすめる昼があり血のしみつきし路上を歩む
雲の影風を巻きつつ下りる丘 泳ぐがごとき疾走の馬
限りなし海は翼を閉じて伏すかつて不死鳥の飛びし夜明けを
沈まんとする陽に向かう風ならば翼と思え輝くものは
叫びたきまでに冷えいし夜更けまで広告たたみいし新聞舗
秋萩帖 岬のごとく海待てばおもむろに髪和紙にこぼるる
朝を吸い昼を吸いしてなだらかに真っ赤に天を向く墓石群
白い椅子浜辺にひとつふらふらと食べられそうに男がすわる
さまざまに壜の中より湧き出でし小さき蝿小さき羽根を光らす
石垣にふきつける風なまぬるく咳すれば湧く蝶が無数に
いつよりか親しくなりしクレーンがビル食べつくす怪獣となる
ひるがえる一瞬にして火をまとう昼顔があり・・・さらば夏!
靴音が踏みつけ奪いゆくものを腫れもの熱くみている午前
ひとところ明るい橋に到るまで闇にほどかれつつ駆けてゆく
たちまちにして関わると風のむた雑草群より絮ふかれとぶ
まばたきのごとくに去りてゆく蝶よ驚きやすき我に驚き
万年筆水に浮かべりとめどなく一筋インクの黒吐きながら
激怒して我はみている流木の転がされついに動かなくなる
寂しくて浜を歩めばうつせ貝ふつふつとわがうつせを開く
駆けてくる子の膝狩りにシクラメン青き広場のすみずみ灯る
いらだちて階下りしときつつぬけに闇にまぎれて鳩の群あり
ルイ・ジュヴェとひくく極みのごとく言う父よいかなる生欲りていし
ひと息に上りつめれば白昼の屋上磁石の匂いをさらす
猫の目のごとく絞ればひややかに火は木を抱く闇をたたえて
君といて厳しき眼して笑うかすかに引き金はきしみつつ
血管の束を抱きし腕時計机上にありて夕日を浴びる
ゆうやみが酢のごと白くただようと花の下にてひと冷えてゆく
  夭 折  (百首抜)
いっぱいに私の顔の映る谷 水のつめたさ死のやわらかさ
限りなき眠りいざなう岸にいて冷たき重さなき水を飲む
目つむれば指紋のような夜になる海はさびしきもの呼びていつ
天と地と噛みあううねる光たつ没日に海よいざなうなかれ
闇の上に反り立つ未来しろじろと撓いつつ来るひらくてのひら
把まんとして闇深く伸ばす腕 爪より湧こう泉のかたち
はなびらが花びらが散る花が散る夜毎夢には風吹き抜ける
地平線まで道のみ道が続くのを気づいておれば熱き臍の緒
ひとひとり死ぬかもしれぬ波打ちの際にくちばしつつく音聞く
思いつめおもいつめ坂下りつつくだりつめれば曲がり角なる
たたかれている音深く意識せず明るき雨の舗道にむかう
過去もない未来もないか舞い上がる落葉葉裏の金照りかえし
ささやきささやきささやきわたる森深くおまえのかたちを揺れる木洩れ陽
さびしさの極まりどこに街灯の明りのにじむ歩む道の上
泥まじる最後一滴耐えているくるくるくるくる独楽まわりして
なだらかに光のごとき雨が降るここから始まる鋭き痛み
アメリカン・ロックは細き筋ひとつ選り出す絡みあう神経を
手をそこに下さぬだけの罪深いこの身をだれかひきさいてくれ
盛り上がる土をみている 生きものは確かに死んで死を教えない
何ひとつ生み出そうとはしない窓きょうも命の絶えてあかるく
重そうな机がひとつふかぶかとちいさくなりぬ不意の夕暮れ
石地蔵かすかに首をふっていた ライトすばやくとらえゆく影
芽生えいる俺の充実うしろより望めるごとくビンを割る音
木の幹を隠す枝より葉のみえて確かに通りすぎてゆく霧
薄霞に押し流さるる大木のみえてかすかにもどる恥じらい
しろじろと我が通る道もりあがり闇ひぐらしと共にわたれり
波頭夜毎に叫ぶ夢を見る海が剥がれてゆく夢を見る
白い壁壁壁壁が挑みくるカーテン夜の潮騒閉ざす
まっぷたつに夜が明けたら赤い橋いつも視界のどこかを占める
ゆっくりと闇切り裂いてゆく涙その極点にかかる吊り橋
気がつくと我のみ渡る橋なりきふりむくごとに橋でなくなる
逝くごとく彷徨うごとく静かなる愛のかたちに満つるよろこび
なつかしい見知らぬ人の顔ばかり裡をかすめて揺れてゆく橋
ゆっくりとおまえの言葉の形さえ見ゆる秘かな逢い重ねつつ
ひとところガラスのひびの輝けり傷はもっとも目をかがやかす
ふうらりと揺られて眠る橋の上揺れのどこかで飛びたつこうもり
真っ白に花の季節の途絶えるとたゆたうように橋は色づく
いつまでも動かぬごとく揺れながら長き橋の上柩がとおる
色褪せた花一本の花のため川をのぼってゆく黒き馬
潮騒に遠ざかりつつふりむけばひときわあかるい破片がみえる
フライパン昨夜火消せし底ぬるくむされて今日のひでりがつづく
くらやみの空気の部分とじこめてコーヒーカップのさかさまならぶ
坂上る剛きライトに揺れる森 立ったままでも死はおとずれる
撒き水が粘着しているやわらかな路のむこうを夕陽はしずむ   
かたまりのごとくうずまく眼球を闇にほぐしつつ沈む夕映え
ピラピラにはがるる雲をみていますましろきさむき夕映えなりき
下半身浸しちぎれし夕映えに地平線上ひたすら走る
てのひらに疲れは言えず卓に置く湯呑みのなかにこもるむらさき
窓ガラス対のガラスを映す昼どこも接していないかなしみ
黒い腕の一本橋渡るわたるごと潮満ちみちて夏 一番星みつけた
愛恋の残した高い砂山をとらえてゆれる風の望遠
ふと音の絶えた海辺によみがえりよみがえりつつ歩む足音
山を背に歩いてゆけり克服のきざしを胸に護らんがため
階段を上る傾斜に鎮もれば隆起してゆくうしろ背ばかり
逝きたりき ひとつのトゲとして生くも眼するどきわが裡魯迅
カリカリとひきずられてゆくものがある私は眠っているのにである
雷の隈なく照らす木木なればいまいっせいに駆けだす森よ
木となりてくちづけつくすわれらなり木の上たしかに水の音する
木の葉木の葉 裏照り表照るならば風の気づかぬ闇ふれてみよ
まなぶたを閉じておそれき霧の間を蛇のごとくに立つ木木のこと
雨が降る雨が降るから眠りますどこかで地蔵がまた逢いにくる
森は羽 羽をひろげて森森とつめたき水の谷間をくだる
めのたまがゆれてうずまく夕映えにせなかをみせてわたるこうもり
おしゃべりなこども没り日に立ちつくす 電車が不意に近づいてくる
窓際にあかりを消せば闇のみに部屋にひとつの星がまたたく
キャンパスの布目に風をはぐくめば雲よあなたはだまってゆくのか
急激には染まるな危険だ若者よ〈ぼくにもはばたかせてください〉
鳥篭が鳥追っかけて飛んでいるくちびる色のちいさな耳です
どうくつにしたたる水の銀世界そこには白いこうもりがいる
地の果てを沈みかかったトンネルをくぐりぬけたよ真っ赤にぬれて
長い髪の女の首がとんでゆくはやいはやい流れ星だよ
樹 水 風 土 母 やわらかな闇打つしらべ忽然と乳房洗われてい
透明な星星星にひびく〈ぼく〉ひとりぽっちひとりぽっちひとりぽっち・
ぼくのみる最後の次の葬列が・・・母の呼んでる ひとごみのなか
しおかぜにひとりすなはまかけてゆくさびしくはない かいがらかいがら
あたたかき風を緑にしまいこみ誰も誰も去ってしまう野
傷口の赤き香のする夕闇をちいさくなって丘かけのぼる
唇を開けば雨の街灯が息吐くようにちいさくふかく
とどめ得ぬひとときなれど光射すさすひとところかざすてのひら
ゆうやけのしたたる森を絞りつつゆたかに闇が近づいてくる
おどろきはさびしきものとかわりつつもとめておまえになぐさめられる
絡みあう心は気づいてほしくない泥と泥との契りのごとくに
潜み入る悦びなれば指先に葡萄の房の息ふかくあれ
くちづけに疲れて幹をゆさぶれば幹のぶんだけ夜の霧濃ゆく
ひとすじの光が土に燃ゆるとき霧の夜闇はひえびえとあれ
抱きあう深さにむかう風さやぐ闇におまえの目を閉じ忘れ
一滴の涙谷間を落ちてゆくこだまのごとき死に出会う朝
何もかもかなぐり捨てて生きてやる早瀬に映るゆうやけならず
波を蹴るおまえの夜明けよたちどまれ 海はおおきくなびいていたか
眼裏の熱き風吹く冬野吹く野犬の群れにぬれるゆうやけ
畳から天井へ落ちようとする決して畳を離れられない
はばたいて飛ぶ一点を定められある夜まばゆき眠りにはいる
ゆるやかにゆるやかに闇展けども胸に小鳥を離さず歩む
なにもかもなくした胸にひるがえる遠く泉の聞こえることが
夕暮れの川へ小石を投げこめば音のおわりの沈黙映す
翼へとなりそこねしその腕もちて我を抱けり夢もつ我を
日の出日の出髪逆立てて寄る波に倒れぬようにむかってかがめ
乾ききった泉のひそとよみがえる裡をかすめる鳥影あれば
鳥飛ばん刹那に鳥の声もてば今朝は私の息吹き返す
水平線線の途絶えたあたりより波の数だけ鳥が飛び立つ