ぎんなん第60号

安威川や

かわぞえ えいいち

琵琶湖からずうーっと続いて淀川が
木津、鴨、桂、水無瀬川、芥川まで引き連れ海に注いでいるけれど
知らぬ存ぜぬ安威川は
近くを流れているけれど
決して淀川へは行かぬ
鮎川相川経由して
神崎川へと名を変えて
がっちり海へ注ぐんや
途中一津屋辺りから
神崎川へと注いでる
       のは淀川のほうやんか
淀川よどがわ言うけれど
目立たぬけれど かっこいい
何てったって 安威川や
僕の茨木辺りでは
春には桜もきれいやで
いっぺんよーっと地図みてみいや


 一月末、突然ぎんなんにお邪魔して仲間に入れてもらった。さあ、詩を作らんならん。僕は短歌を作っているが、まあそのほうはさておいて、どんな詩を作ればいいか、はたと迷ってしまう。もともと詩を作っているつもりで歌っているので、ずいぶん前に僕が地図で発見した安威川のことにしようと決めた。安威川は詩にあるように淀川に合流せずに神崎川となって海に注いでいる。淀川に逆に注がせるというところがいい。大阪の天下に冠たる中小企業のおっさんや、ここの島田陽子さんと同じ。それほど目立たへんけど脈々といい仕事をして堂々と海に注ぐんや。真っ赤な夕日なんか浴びたりして、一人悦にいる、そんな時間を大切にしていきたい。
 ぎんなんも六十号を迎えるようで、ちょうど一津屋あたりかも。ここまで来たんやから後は目的に向かって海に注ぐばかりや。僕の短歌の個人誌の流氷記も五十号になったばかり。いつも行き詰まってばかりやけど、ここらでいつぺん詩のことも勉強したい。思いっきり詩も作ってみたい。やりたいこと、言いたいことは山のようにある。淀川のように大きくならなくていい。確かにオレは安威川なんやと言えるような残りの人生を歩んでいきたい。のんびりと流れながら、人々と対話しながら、夕日の沈む海を目指して、自分の満足のいくように、ね。

第61号
レール     
かわぞえ えいいち

いつまでも
ひかるレールがついてくる
とけてゆうらり
ゆれながら
こころの中までついてくる
ゆめを見るよに
ゆらゆらと
ひかるレールを見ていると
ながいじかんも
とけてゆく
どこまでとけて
ゆくのだろ
こころころころ
ころころと
ながれるようにとけてゆく
ひかるレールにみちびかれ
いつまでゆれて
いるのだろ
ほんのいっとき
なのだけど
こころもからだも
とけながら
そんなふしぎなレール見て
旅をつづけるぼくがいる


第62号
果て   
            かわぞえ えいいち

孫悟空 ここが果てだと考えた
向こうに山が 見えていた

太陽の何百倍もある星が
小さなボール転がった

今今の 時間の始めさかのぼり
行けど 行けども届かない

果ての果て それよりもっと先がある
あるけど いつもわからない

大きくなり 小さくなって
ずーっとずっと あっという間に
寝てしまう



第63号
感想

思いやりが大切だと思う
そう隣の席の子が書いていた
きのうのトイレ掃除
僕に全部させておいて
先生、終わりました!
そう言ったのは隣の子だった
感想って足りないものを書くんだな

幼いころ
泣いてばかりした僕
泣かされて返ってきたとき
玄関でお母さんが言った
噛みついて泣かせてきなさい!
そうしたら家に入れてあげる
泣きながら噛みつきに行った僕
感想のあとがドキドキ逃げたくなるよ


母ちゃん   
          かわぞええいいち

母ちゃんと呼んでいたころ
母ちゃんと ほっぺをつけて
いい気持ち

母ちゃんの背中の匂い
日溜まりの板の塀より
気持ちいい

母ちゃんのいない縁側
小春日の光の中で
待っている

母ちゃんと呼んでいたころ
母ちゃんとずっと一つに
なっていた



第65号
れいぞうこ かわぞええいいち

ブーーーーーン  グーーーーーン
れいぞうこがそらとんでいる
だれもみてない
だれもみえないくうかんの
うちゅうをたしかにとんでいる
とびらをあけてはばたいて
ほたてのようにとぶのかな
よなかにブーーーン グーーーングン
たしかにどこかとびながら
ぼくのぎゅうにゅうひやしてる
ゆめもながもちするように
できるだけとおいたびをする
なんでもないというように
あさはぼくらのそばだけど
とびらのはねのすきまから
わいんがこぼれていたりする
ぼくもときどきねてるまに
ふしぎなところへたびをする
だれにもないしょだけどね
れいぞうこだっておなじだよ ね



すいそう   かわぞええいいち

ひこうきのまどからみたら
したはおおきなすいそうで
くもがうかんでおよいでた
ひともおよいでながされて
そこにうごいているんだな
たしかにしたはみずのなか
ひとのこころもゆらゆらと
いつもゆらいでいるんだな



第66号
はじめ

ここからがはじまり
だけどまえがある
そのまたまえのそのまえの
まえのいちばんそのまえに
はじまりがある
ここからは
まえはみないでみんないう
はじめ!


すいはんき
 
ぼくだけがめざめていたら
すいはんき
もくもくもくもくおとたてて
ひとりうちゅうをとんでいる
おいしいごはんのいいにおい
うちゅうのはてからくるのかな
ぼくもおもえばねむるとき
じかんもおもさもなくなって
うちゅうにねむっているんだよ
そんなぼくらのおみやげに
おいしいごはんのいいにおい
もくもくもくもくさせながら



第67号
フジテック
         かわぞええいいち


フジテック
ジテック テックとなっていき
今見上げると
クだけ残って
フジテック塔の半分が
空の端っこに
ぶら下がっている
フジテックの塔より高く
クレーンが空にそびえてから
塔のまわりに緑の囲いができてから
少しずつ食べられていく
キリンのようなクレーンが
塔食べ尽くして
いくようで
今ゆうやけの
空にはりついて
‥‥ク‥‥ク‥‥ク
と泣いて立っている



第68号
右・左
              かわぞええいいち

右・左・右・左
ふらふらしないでしっかり
歩きなさいって
母さんが言ったから
右・左・右・左
数えながら
右から左・左から右・右から左
右を確かめ 左を確かめ
足を踏む時どれくらい
離す間はどれくらい
考えすぎても歩けない
でも時々はこんなこと
考えながらもいいのかも




僕の舌はウミウシ
                    かわぞええいいち

眠い 眠い
眠りの風呂にどっぷり浸かり
海の底にじっとしている
僕の舌はウミウシ
ちろちろちろちろちろちろと
歯茎の裏をうごめいて
乾かぬ口の中にいる
僕の舌はウミウシ
いつもは耳や目や鼻や
言葉の口に譲るけど
今はともかく僕一人
眠りの中で動いてる
眠い 眠い
海の底にはさまざまな
眠りの顔が泳いでる



第69号
せなか かわぞええいいち

編み物をしている背中気持ちいい
母ちゃん編み機を右左
じゃじゃーんじゃじゃじゃん右左
あいだで毛糸を操作する
じゃじゃーんじゃじゃじゃーん
忙しい
母ちゃんとってもいそがしい
母ちゃんとってもいそがしい
背中にもたれて母ちゃんと
つながっている
母ちゃんとってもいそがしい
そう歌いながら
母ちゃんとつながっている

丹前    かわぞええいいち

父ちゃんの分厚い丹前その中に
ちょろっと入って眠るんだ
背中をつけて眠るんだ
僕の後ろの父ちゃんが
亀の甲羅のようなもの
父ちゃんのその形から
ちょっとずつふと抜け出して
僕は大人になるんだろう
僕が甲羅のようになり
のっしのっしと歩こうか



第70号
蝉    かわぞええいいち

ギーギェーと蝉逃げていく
あーあーせっかく捕ったのになー
でも
可愛そうやないね、捕ったんやからもういいやないね
可愛そうに、蝉は何日かしか生きとらんとよ
逃がしちゃりなさい
そう言って母さんが
僕の虫かごのフタを開ける
嬉しそうに蝉逃げていく
ギー ギェー
母さんの気持ちわかるのかなー
何かいいことしたような
そんなゆうがた
きれいな夕焼けに向かって
蝉飛んでった



第71号
二ツ岩    かわぞええいいち

網走の
海岸町から二ツ岩まで
右手にはるかオホーツク
左は絶壁見上げつつ
潮の匂いを浴びながら
向こうに見える二ツ岩
二つ並んで立っている
向かい合い見つめ合ってる二ツ岩
歩くたび
二つの岩は近づいて
手がつながって
鼻と鼻 近づき そして いつの間に
二つの岩は重なって
一つの岩に見えてくる
海岸町から二ツ岩
二つの岩が重なっていくときなぜか
嬉しくて しあわせになる
しあわせって?
でも そうなんだもの


(『二つ岩』は三浦綾子『続・氷点』最終章「燃える流氷」の舞台でもある。私は、この、海岸町から二つ岩までの道を『陽子の道』と名づけていると、三浦光世氏にお話ししたことがある。) 


第72号
さざなみ    かわぞええいいち

きらきらきらきら
小さな無数のはばたきが
きらきらきらきら輝いて
羽を広げて飛んでいる
ほんの少しの間にも
命が生まれ消えていく
歌いながら笑いながら
きらきらきらきら
川のおもてを飛んでいく
風がスキップして走り
無数の命が現れて
輝きながら踊り出す
その時だけのぼくだけに
見える命のはばたきを
水の流れのその上に
刻んでそっと消えていく
川はいつでも新しい
水を運んでいくけれど
誰もそれには気付かない
きらきらきらきらきらきらと
輝く水のときめきを
誰か気付いてくれないか



第73号
僕の舌はウミウシ かわぞええいいち


眠るとき僕は海の底を泳いでいる
目をつぶりながら僕は昼間とは違った世界を
たっぷりと泳いでいる
僕の舌はウミウシ
濡れた海の底をゆらゆらゆらゆらと
歯茎の岩のぬめぬめとしたその岩間を
ただゆらゆらゆらゆらと
流れにまかせいつまでも揺れている
僕の舌はウミウシ
揺れながらいろんな夢を見るんだ
たとえば人間になった夢
人間になって朝から昼 昼から夜へ眠るまで
いろんな人と出会いいろんな楽しいこともあるけど
最後には疲れて布団の中にいる
目をつぶるとそこは海の底
かすかに明るい海の底
そこでは僕は生き生きとしている
僕の舌はウミウシ
いろんな魚やタコやイカ、みんな僕のともだち
大きなサメも怖くはないよ
みんな本当は仲良しなんだ
近づいてきてはいろんな話をしてくれる
何を話しているのかは
パクパクパクパク言うだけで
あんまりよくはわからないけど
どんなことでもうなずいて
波のうねりのそのままに
ふらりふらりとしていればいい
ウニやヒトデやサザエなど
じっとしているようでいて
それはなかなかすばしこい
そんな眠りのウミウシも
朝の寝覚めで人となる
人間なんてウミウシの
夢の一つの形かも
ゆらゆらゆらゆらうたた寝もして



第74号
目をつぶると     かわぞええいいち


目をつぶると
たくさんの
たくさんの螢が飛んでくる
だれをさがして
さがしつづけて
いつまでも飛んでいる
明るく浮かぶ
螢の夜に
まぎれて眠る

目をつぶると
たくさんの
たくさんの波押し寄せてくる
キラキラひかり
ひかりつづけて
いつまでも寄せてくる
波はさわさわ
揺られてゆれて
ぐっすり眠る

目をつぶると
たくさんの
たくさんの水母が揺れている
フワリふらふら
ゆらゆらユラリ
いつまでも揺れている
明るく光る
水母の夜に
ゆらりと眠る


第75号
鳥                     
        かわぞえ えいいち


水平線 
線の途絶えたところから
一つの波が鳥となり
青い大きな空へ飛び立った
次から次へ
波は途絶えた所を目指し
鳥となっては飛んでいく
すべての波が
鳥となり空を自由に飛べる夢
見ながら揺れるゆらゆらと
そしてそのうち

水平線
線の千切れたところから
一つの波が鳥となり
広い大きな空へ飛び立った
次から次へ
波は千切れた所を目指し
翼を広げ飛んでいく
すべての波が
鳥となり羽を広げてゆうゆうと
そんな夢見て揺れている
いつかそのうち

水平線
線の薄れたところから
一つの波が鳥となり
高い大きな空へ舞い上がる
次から次へ
波が鳥へと変身しつつ
自由な空へ飛んでいく
ぼくの心も
波となりふわふわ揺れて待っている
真っ赤な空を飛べること
鳥に変わって


第76号
新しい水 かわぞええいいち

真っ白い滝も
透明に流れていく川も
みんなそのとき新しい水
まばたき一つするだけで
もう違う水になっている
新しい滝 新しい川
轟々と音を立て
滔々と流れて流れて
休むこともなく
新しい水を運んでいる
ぼくらにんげんも
真っ赤な血が
赤血球や白血球や血小板の小さな小さな生き物が
ぐるぐるぐるぐる泳ぎつづけて
次々に生まれ変わって
新しいぼくを作ってくれる
今朝もぼくは透明な新しい水を飲む
ごくごくごくごく
今までとはぜったいに違う
新しいぼくのこころで


まだそこにいるような(島田陽子さんのこと) かわぞええいいち

 島田陽子さんに会いに『ぎんなん』の例会に行った。僕は『流氷記』という個人誌を出していて島田さんに歌の批評を書いて戴いたりしていた。母が亡くなって島田さんに会いたいと思った。お会いする前から大好きだった。沢山しかられもした。でも嬉しかった。僕にとって母のような存在。島田さんに会いたくて『ぎんなん』に入り、詩とも呼べないものを作った。いまだに詩なんか分からない。『ぎんなん』の帰り、喫茶や食事ではいつも島田さんの隣、子供のように甘えた。天満橋から東梅田までこれも隣に座る。人がぶつかってこないように転ばないように島田さんを時々支えた。じゃあね、またね。島田さんがニコッと笑った。それが最期だった。