『流氷記』に寄せて(七号) 高 辻 郷 子

かつて網走の第二中学校で教鞭をとられた川添氏が、昨年「流氷記」と題する小歌集を次々と刊行された。
 彼の復調の狼煙を、私は大いに驚き喜んだのは言うまでもないことであった。何故なら、網走在住の時に何度か歌会でお会いする機会はあったが、田舎者の私には深く馴染めぬままの別れとなり、それ以降後悔の思いを抱き続けていたからでもある。
 帰郷後は音信も途絶え、作品も見る機会もなく、月日の流亡の果てに、彼の事はすっかり我々の話題から消滅していたのだが、ここへ来て豆歌集を連発し、その存在を示した事に対し、祝意と敬意を表すものである。
 彼の網走での生活は、私には未知の部分が多かったが、歌壇では結社誌『塔』に所属し、既に『夭折』と『夜の大樹を』の二冊を上梓していた歌人であった。従って彼の歌会での言動には、我々も一目を置いていたものである。
 しかも僅か二年の修練で、合気武道全国大会に於いて最高金賞を受賞し、その闘魂の尋常ならざる熱血漢としての一面を見せつけるのだ。この時期に彼は恐らく、文武両道に長けた教師像を理想に掲げていたのかも知れない。
 ところで、都会の学校での教師という恵まれた平穏な生活と、栄進の機会を棒に振ってまで、何ゆえに彼は酷寒の僻地校に身を投ずるような行動を選択したのであろうか。
 刑務所の網走、氷雪の地に、四年間も単身を晒す、愚行、無謀とも思える行動に出た理由は一体何だったのだろうか。
 『流氷記抄』の後記にいみじくもこんな事が述べられている。‥‥見えないものを見、聞こえないものを聞くことを道標としたい‥‥云々。私はこの述志こそが、異境網走で肉体の修練によって、表層短歌を駆逐する、揺るぎない肉声の短歌の原点を獲得した、彼の言挙げに他ならないと考える。
 話は前後するが、来網以前の彼は、極度のスランプ状況にあったのかも知れない。あくまでも推測ではあるが、表層的な創作活動、いわゆる頭脳遊戯的な作歌行為よりも、もっと精神と肉体の一体化した総合感性で、肉声の重さを勝ち取る創作方法を意識し、模索し始めていたのではなかろうか。
 頭の中での平板で平穏な歌の遊びに頽廃性をみると共に、他方教師としても挫折感があったのかも知れない。かかる閉鎖的状況を打破するために、己れの精神と肉体を、北端の極限の地を修練の場として打ち据える以外に、新たな転身は期待できないと考えたのではあるまいか。
 酷寒の地での四年間は、文字通り挑戦者としての厳しい修練の歳月であったらしい。
 物見遊山的な思いつきでも、逃避でもない、過酷で孤独な人生の闘いに勝ち抜いたその証こそが『流氷記』なのである。
 網走は、罪を犯した者の更生の地であり、人生を迷う人間の再生と転身の修練の風土として、好個の環境なのかもしれない。
  網走に来て網走と書くようやくに流刑にとらわれいし心より
  刑務所も二ツ岩海岸も校区にて網走二中声太き子ら  (二ツ岩海岸=ノトルンワタラ)
右揚の二首とも『流氷記』の象徴的な作品である。流刑の作品には、流人のような複雑な心境がのぞく。刑務所の存在が余計に神経を鋭敏にさせるのである。
 網走の子供達の歌は、骨太く詠まれていて、過酷な風土に同化して、子供達に親しんでゆく姿がうかがわれる佳作である。
  流氷よ海に還れよ網走にこのままいては戻れなくなる
  連結より離れしホース炎天に放り出されて水吐きており
流氷の歌には自分の心境も投影されていて、仄かな哀感が底流している。炎天のホースには、故郷の棚を自ずから断った孤独感が吐露されている。以下数巻にわたり、網走の生活を原点とした佳作が多く発表されている。去る二月中旬、彼は流氷の網走を訪れた。「網走の何かが僕を駆り立てていて、それが創作の原点になっている。」それを確認する旅だと言う。自身に満ちた姿であった。(第七号掲載)


流氷記春氷号を読んで
                        甲  田   一  彦

流氷記第六号春氷号を一気に読んだ。この小冊子の歌は、第一号以来注目してきたのだが、一首一首の歌が大変良いのに感心している。特に今回の第六号の歌は、作者の「故郷網走」に行った歌であるだけに、気持ちが高揚していて読む者に迫るものがある。そのことは次の歌が端的にあらわしている。
  一日も四年も同じ網走に帰るがごと行くかく高揚し
巻頭の
  網走に置き忘れてきた魂の在り処を捜す冬来たるべし
が前半の百二首を象徴しているといえるし、後半の六十三首もその連続の勢いのある絶唱である。
 もう一度頁をめくってみると、三頁の三首目に「モノレールの外まだ暗しさまざまな眠りの夢まだ壊れていない」が出てくるから、ここまでの八首は、出発前に詠まれた歌であることがわかる。その八首は「網走」が三首、「流氷」が五首(ただし一首は氷塊)だから、網走という地名と流氷という風物が作者を魅き付けていることがわかる。しかもこの巻頭の八首の中に深く流れているのは、仏教的な生死の世界を追究しようとする真摯な姿勢である。巻頭の一首で「魂の在り処を捜す」と歌われた網走の冬、第二首の「赫き陽沈む」その冬の海、第三首第四首の網走の冬の風。その流氷原は「死後歩む彼岸此岸か」と詠い、さらに
この空のはるか向こうに横たわる流氷原あり雲渡りゆく
と読み進めば、作者は「二河白道」を見ているのである。海を閉ざす氷塊を「死顔のごとき静謐」と表現されると、読む者も一瞬たじろぐのであるが、次の歌
鳥渡り雲行く果てに流氷のはるかに広がる水平線あり
で、ゆったりと収めている手腕には敬服の他ないのである。
ここで前半の百二首に目をやると、やはり「網走」と「流氷」が同居しているのは四首であるが、満足し、安心し、充足している作者の様子がうかがえる作品ばかりである。
  我もまた流氷となり運ばれて網走斜里間海ばかり見る
  流氷の少し離れし網走に大きなシジミの味噌汁すする
  流氷の流れつきたる網走に旅人我もつかの間泊まる
  網走の石拾わんと波打ちに我が足濡るる流氷の間に

第一首は、網走に到着した作者が、友人の車で久しぶりのオホーツクの海に見とれ、流氷と一つに溶け合っているのである。第二首は、まるで母親のように心通じ合った人の、もてなしのシジミ汁を心から味わい、くつろいでいる作者が手にとるようである。第三首は流氷もやって来たし、自分もやって来たこの網走。愛する冬の網走での一夜をくつろいでいる作者が目に浮かぶ。第四首は、記念の石でも拾おうとして、波打ち際に出たところ、流氷の間を打ち寄せた波に足を濡らしてしまったというのである。言葉の配置と全体のリズムは万葉集第一の人麻呂の歌を思わせて余りある秀歌である。
若き日の作者が、この網走と流氷の中で、公立中学校教師として四年間を生活したのであるが、その時の最大の恩人が中川イセ氏であることは、作者も書いているが、その人を詠んだ歌が十二首、その息女を詠み込んだ歌が三首みえる。
  九十九歳老婆なれども輝きてほのかに漂う色香がありぬ
作者が全身で親しみ、尊敬して来た様子があぶり出される歌であるが、息女の亜衣子氏も同様に接して来た人であるだろう。
  網走のシジミはかくも身に沁みて光岡亜衣子母のごとしも
自然詠も佳作ばかりであるが、北海道らしい「白鳥」と「オジロワシ」の歌をあげる。
  流氷の離れし海より帰るらし首伸ばし飛ぶ白鳥が見ゆ
  氷海に立つ断崖よりオジロワシ音もなく海すれすれに飛ぶ

人事詠では網走二中のゆかりの人達が出てくる。すっかり成人した昔の教え子や、共に奨励した先生たち、中には既に幽明相隔てた校長棚川音一という歌人もいる。
  流氷のごと真っ白に生き来しか棚川音一今すでになし
  幼子のような笑顔と思いつつ棚川音一よみがえりくる

もう一人の歌友は、農を営み、大地に根を下ろした本田重一である。
  開拓の大地守りて清々し本田重一住む女満別
この百二首の大作も、作者が機上の人となり幕を閉じるのだが、締めくくる最後の二首は次の通りである。
  在るだけで身は引き締まる機上より富士山やっぱり雲の上に見ゆ
  魂のように命を持つように雲は渡りぬ飛行機の下

何が陳腐といって「富士山」ほど陳腐な題材もないのだが、この歌の場合はそんな心配は無用である。童謡に「富士は日本一の山」という通俗がありながら、「富士山やっぱり」と詠じて、きっぱりと通俗を断ち切って見事である。しかもこの場合は、富士山でなければ収まらないと思われる気迫のようなものが「在るだけで身は引き締まる」の中にある。この気迫が一首を秀歌の域に高めたのであり、この作者の気迫が、この一連百余首を生んだのだといえる。
 クライマックスを飾る最後の一首では、巻頭の一首の「魂」が再登場することになる。網走のどこかに忘れた魂を捜してこの度に出たのであるが、その魂は飛行機の下を流れる雲の中にあったのである。彼の歌への旅がさらに完成されることを祈りたい。
《 その二 》
「網走流氷への旅」の文章も簡にして要を得たものということができる。短歌作品の鑑賞にあたり、導入となり、手引きとなり、増補となり、多大の救援をいただけるのは有り難い。その上、作者の動静も、人柄も、そしてその生き方も言外に滲んでいてほほえましい。
 さて、その後に続く短歌作品六十三首に注目してみたい。この部分を通読してみて、ちょっと印象に残ったのは「ほどく」という言葉のうまい活用であった。
さまざまに衣装や言葉まといいる人ほどかれて風となるべし
  晴天のしばれる朝はほどけつつ半月ビルの真上に浮かぶ

まず出てくるのがこの二首であるが、「さまざまに衣装や言葉まといいる」のは、どこにでもいる人々であって、言うなれば単純な属目詠である。しかし「ほどかれて風となるべし」と読み進んだなら、歌の中心はここにあることがわかる。不自然な衣装を身につけ、口先だけの言葉のやり取りを捨て去って、身も心も軽くなって、本来の自分を取り戻して生きたいものだとの意である。「ほどく」には「解く」の他に「迷いを晴らす」という意味もある訳であるから、この場合これ程適切な言葉もないと思うのである。  
次の歌も「晴天のしばれる朝」や「半月ビルの真上に浮かぶ」だけなら、冬の風景をとらえた自然詠ということになる。この場合の「ほどけつつ」も、冬の朝が明けて日が出て来ると、寒さがみるみる緩む様子を実に鮮やかに表現しているわけで、その寒気が緩んでいく空には、ぽっかりと白い半月が見えているというのである。
 あと四首の「ほどく」を含む歌は、作者の勤務する中学校を詠んだ職場詠である。
  かたくなな心もこの頃ほどかれて和みゆくらしき一生徒あり
  成績に隔てし部分この頃は一気に生徒ほどけゆくらし
  和やかに教師と生徒という立場ほどかれつつ午後冬の日を浴ぶ

何れも現在の中学校での三学期、卒業を目前にした三年生の子供たちを詠ったものである。マスコミのいう荒れる中学校とか、少年非行の半数は中学生だとかの中での歌であることを知って貰いたい。作者はここで国語を教えて三年生の担任を持ち、剣道部の指導にあたっているのである。
 第一首は、いろいろと心砕いて指導助言してきた問題の生徒が、最近は良くなってきたことを喜んでいる歌である。トゲトゲしかった生徒の様子が次第にとけて和らいでいくことを「ほどかれて」が適切に捉えられているのである。問題生徒を抱え、こんな場面を迎えた時こそ教師冥利に尽きるのである。
 第二首。学校というところは、成績がものを言う世界である。親が成績に一喜一憂する家にいるのだから、子供たちは点取り虫になって当然であろう。中学は高校へ、高校は大学へと、入試という関門が待ち構えているのである。しかし、中学生も最終段階を迎えるころには、成績一点張りの世界の限界にも近づき、次第に目覚めてくるというのである。自立への第一歩に向かって、自分をほどいていくのである。
第三首は、教師と生徒の関係の新しい出発を歌っている。今どきの中学生に、師の影は踏まずとい古い道徳を押し付けるのは無理である。教師の権力を振りかざすのは徒労で反発を買うばかりである。教師と生徒という立場はほどいて、和やかに春の日を浴びる人間を作ることが第一である。
 第四首は「ほどかれぬ」歌であるが、現在の中学校の日程はこの歌の通りである。六三制が始まって以来の日程である。この「ほどく」で表現された四首は、職場の様子を「ほどく」ことによって適切に言い尽くしている。現在の中学校の実情を、これほど深く詠った詩はないのではなかろうか。
 その他、この六十余首の中で、作者が自分自身の心情を詠じた作品に注目すべきであろう。
  目を閉じて神に祈れば力湧くどのようにも生きていくべし
  苦辛して築きし家庭の幸せが許せぬ妬みの一群がある

作者は大学生活を始めて以来、親元を遠く離れて生活して今日に至っている。経済的に特に恵まれた環境にあった訳でもないから、学生時代は勿論、教職に就いてからも余裕ある生活ではなかった筈である。
 前の歌は、そうした日々の生活の中で、苦しみ悩みを乗り越え乗り越え生きて来た作者の、はらわたをさらけ出したような真実の告白の歌であると思う。
 学生時代から高安国世の下で歌を学び、『塔』編集の仕事にも携わって来たとのことで、友人知己も多かったと思われる。網走二中での四年間から、再びこちらに帰って数年経った家庭を持ち、一女の父として教職生活を送りつつある。二首目は、作者の今現在の歌であるだけに、断腸の思いがするのである。第一句の「苦辛」という語一つの中にも作者の心情が察せられるのである。雨が降れば、雨に体当たりして詠う作者。
  意識するたびに雨音鮮やかに地に砕け落つ我が頭蓋打ち
  目つむれば眼裏模様雨音の命のひとつひとつを伝う

 前者は、神経を張りつめて聞けば、地面に砕けて落ちる一粒ひとつぶの音がわかるが、その雨粒は自分の頭蓋骨を貫いて落ちるのだというのである。
 後者は、目を閉じて雨の音を聞いていると、命をもった雨粒が、一粒また一粒と作者の網膜を伝って流れ落ちるのである。「我が頭蓋打ち」は凡庸の表現ではないし、「目つむれば眼裏模様」は優れてリズミカルであり、次の「雨音のひとつひとつを伝う」と見事に照応しているのである。ここ北摂の地に雪が降ることは珍しいのであるが、その雪も捉えられている。
  ゆっくりとただゆっくりと落ちてくる雪のまにまに我が生きて来し
  たちまちに舗道に吸われてゆく雪の死の瞬間を我は見ている

サラサラだろうか、チラチラだろうか、実際雪はゆっくり降ってくるものである。急かず焦らず、この雪のように自分も生きて来たことであるとの詠嘆である。第四句までは雪であるが、第五句で一挙に心情の歌にする手腕は見事である。昼の雪はめったに積もらないのが例であるが、第二首は落ちては溶け、落ちては溶けする雪を見ている作者は、生きとし生けるものの生死を見ているのである。関連のある歌をもう三首拾ってみた。
  愛憎すら既に心を離れいて過去は無彩の雪景色かな
  マスコミに乗る彼よりもいい仕事している誇り持ちて生くべし
  自分の思い通りに生きてきたのかと此の頃少し思うことあり

第一首は仏教でいう悟りの境地であるが、「過去は無彩の雪景色かな」はうまい。第二首の読者としては、作者のいっそうの精進を期待したい。第三首は、自己反省ではあるが強い決意の秘められていることを信じている。楽しい歌を一首。 
春の風マリンバピアノヴァイオリン賑やかに歌流るるごとし
この小冊子には珍しい歌である。春は喜びの季節であり、希望の門出である。作者の前途に祝福をおくりたい。
  知床の山も積もりて流氷は天の果てまで陰影つづく
第六号の最後に据えられたのは、やはり流氷の歌であった。今後も作者の「網走・流氷」の名歌が紡ぎ出されることを期待して稿を閉じる。