高 安  國 世

田中榮君は「塔」創刊のときからの同志であり、今でも私たちのあいだでもっとも信頼されている作家である。今まで一冊の歌集も出していなかったことに、むしろ不審をいだくべきであったが、なんとなく馴れ親しんできたばかりで、強く慫慂しなかったのは私の怠慢である。中央の短歌誌や大阪の新聞等には折にふれて推薦した記憶があるが、地味な田中君の歌風はジャーナリズム向きではなかったようである。しかし今の時点ではむしろ時流とは無関係に自己の信じる立場をつらぬいてきた田中君のような背骨の通った歌が力を発揮すべきであり、モダニズムの行きづまりから、真の生活短歌が見直されるときにきているように思える。そういうとき、静かに呈出される「岬」一巻は、想像以上に深い意味をもっていると信じられるのである。
というのは、この短歌は生の本音から出ており、まったく気取りや軽薄さがない。歌と人とがぴったり一致している。この歌がまじめで、むしろ息苦しいほどであるのは、作者の生き方が真剣でごまかしがないからである。こういう態度は戦中戦後、アララギで育った私たちに共通するものであり、私はそこにありありと同時代者の意識をもつのである。私自身はその後いくらか歌い方に変化があり、「塔」の内部にも違った時代の空気を身につけた人たちがあらわれてきているが、田中君はもちろん器用に変化を試みるような性質ではない。いったん体得した生活即短歌の道をつきつめていくことであろう。しかしそれが一般に行われているような平俗な安易な作風でないのはもちろんであって、その辺の違いを読者はこの一巻からくみとるであろうし、それが何に由来するかを心をひそめて考えていただきたいものである。
私は田中榮君の歌は久しく見てきたが、その生活の実際についてはほとんど知らない。居住地も住居も職場も家人についても歌の上以外では何も知らない。だから実際と歌とをつき合わして作り上げた田中短歌の「環境」ではなく、むしろ純粋に歌からのみ想像する田中短歌の世界が私に与えられている。これは比較的近いところにいる仲間同志としては稀有のことである。ふつうはなんとなく現実と作品とを頭の中でまぜ合わして、ある人の作を理解し味わっているのであろう。その点、田中君の歌に出てくる職場も土地も肉親もまったく私には誌中のものであって、純粋な鑑賞ができたともいえる。田中君自身の風貌を知らなければ、さらに純粋に作品を味わえたかもしれないと思うほどである。

この歌集を見ていくと第一部のものは戦後まもなくのものであって、さすがに作者も若く、恋愛のような素材もあり、病気による影はあるものの、自然の風物の感受も新鮮である。
  冬田の上に落穂をひろう鶏の群日のある方へ移りつつあり
  雨はれてただに日の照る桃一木蜂のめぐれば花落ちやまず
  風の音絶えし狭間に入りくれば踏まれし麦のひかる夕暮
  月の出の風疾くなり曼珠沙華花は花をば打ちてなびきぬ
  音もなく曇り渡れる塔の上一人鉄剪る火を持ちあるく

などにすでに子規に由来する写生のみごとな結実がみられる。あとの二首にはそこに現代的な進展もうかがわれる。
病身による生活の寂しさ、職業を通じて迫ってくる現代の不安などは、次のような作品となってあらわれている。
  時雨すぎて部屋にさし入る月の光逃れ処のなき身は照らされぬ
  朝はやく職安の窓開くときいたく白けし舗道が見えぬ
  雨の中に職待つ人等ひしめきて朝よりすでにわが荒き声

これが第二部ではさらに深められ、広い社会問題の意識をもってとらえられるようになっている。
  生活扶助費支払うわれを拝み去る一人のありて何にいら立つ
  なお縋る扶助を打ちきり来し夕汚れし壁に対きら黙せる
  死病には扶助は出来ぬと君言いきこの単純に我は苦しむ
  水の上に果てし亡骸曳きゆけり冬の日くもりしままに夜は来ん
  組合の分派となる妻苦しみて囁く傍にわれは睡りぬ

 また病を得て索漠とした心境や、それに堪える力を歌に得たのであろうと思える作品群がある。 病める身を起して見おり何もなき谷底照らす冬の夜の月
  怠りて病みつつおれど海越えて白き崖身ゆる月の夜となる
  ベッドより手鏡に見る浜木綿の折れし花白し雨に昏れゆく
  ビルの間の白き空間をとぶ燕垂直の壁にとまる時あり

前にも言ったように私は著者の家庭を知らない。しかしこの歌集に出てくる家庭の様子は苦しみを通してむしろ味わい深い小説のような趣を得ている。母の歌が印象的だ。
  ふがいなき我等言いしが立ちゆきて西日の中に箕をふるう母
  年老いて再婚のこと言う母と日々淡あわ麦を蒔きゆく
  風のなか黙して母と麦ふめり遠くゴルフハウスのみ照る

あるいはまた妻との歌もそのようだ。
   ラジオかけダンス習える弟に声のみて妻との夜の世界あり
   赦したる過去にこだわりわがいしが洗い髪して笑みてくる妻

田中君の歌はこういう点にかけては逡巡がない。写生で鍛えたのは手法だけでなく、冷たいまでの現実への意志である。
しかしまた、ささやかな生き物の営みにもやさしい目をそそぐところも見のがすことのできない特徴となっている。
   我ひとり歩み入りこし林にて落葉の下に蟻はたたかう
   水底は黄に明りいて殻ぬぎし許りの蟹にいどむ蟹あり
   風の中驚きやすく穴を守る蟹を天より見る如く見つ
   南極の氷踏みいし足老いてペンギンの見に蠅のむらがる
   人の香の絶えざる中に卵抱くペンギンはひとつ暗がりに対く

要するに田中君は心弱く、からだ弱く、現代という非人間的な機構の中で虐げられて生きるひとりであるが、しんは強く、歌に執念を持ち、苦しみの中でも愛情の中でも明確な目を失わず的確な表現をこころざし、あいまいな、気分的な情緒や言葉を潔癖に拒否している。この点で多く見習うべき作品をなし得ており、それゆえに私たち仲間のなかで正当な信頼を受けているのである。
今その作品が一巻にまとめられ、広く歌壇その他の方々の目にふれるに際し、ひとこと余分と思える推薦の辞を弄した次第である。
昭和四十八年一月十七日



流 域 自昭和二十三年 至昭和二十八年


   末枯の季

末枯れんものの中なる山あざみ折々つよく風にあらがう
立ちみだる荒野野菊にそそぎたる時雨のあめは流となりつ
冬田の上に落穂をひろう鶏の群日のある方へ移りつつあり
素直なる心となりて帰る道桐の古実は風と鳴りいる
切崖に石蕗の花黄にかがやきて今日は音もなし海をふく風
肥料にする鰊をすこし貰いきて衰えし身を養わんとす
常臥の毛布のつづれ縫うわれを玻璃戸の外にみる小鳥あり
遊学のとき購いしこの毛布いまは破れて病む身をつつむ

花 葵

雨はれてただに日の照る桃一木蜂のめぐれば花落ちやまず
痛きまでの歓びに似て夕立のま白き中に立ちている黍
海風にたわたわ靡きし花葵もうつろえば寂しただ青の中
夕映えは須臾にあせしにわが前を風に流れて過ぐる黄金虫
わが胸の骨挽くごとききりぎりす声ひそまりて朝明となる
秋となる雨に臥しつつ細ぼそと寄る蚊をいくつか殺して暮れぬ
抱かれて君踊りいん高き窓いらいらとなり我は草むふ

二 人

街の公孫樹ちりしく時に君ときてかいなき事は今日は言わずも
心疲れ君と見下す高き窓海底のごと人は往くなり
相逢いて君の窓の外夜となるこのしばらくの心がなしも
埋火をまもる二人の夜なりき時計を停めて君は座りし
黒子ある君がまなぶた撫でおりて深きなげきに触れざらんとす
生え際の稚き汝が髪指にまき今ある一時疑わずいん
短かる命せまりて寄りしかどひとはきびしくて許さざりにき
ひそかに君と逢いきて服ぬぐとき母の前にて砂こぼれたり
暗き家に小さき胸をいためきてまた家のため嫁ぐというか
あわれ君はよき人妻と幸えよ病む胸を冷やしひとり寝んとす
水の辺に膝抱くさびしさ現身を春の枯葉はふりて埋めよ

時 雨

寒ぐもる窓にむかいて臥しておりまた杭打機の音がはじまる
時雨すぎて部屋にさし入る月の光逃れ処のなき身は照らされぬ
病む我の家みる弟が時々は酔いかえる寂しさも我は知るなり
時雨ふる暗き谷々めぐりきて山上の湖ひかりたたえつ
暗きなかに光る海より風はふき一本の桐枯れゆくらしも
影ながく曳きて墓原通るとき墓石はするどく風切りており

氷 の 下

水上はつねしぐれつつ流れくる紀の川を低き冬日照らせり
トタン屋根低きに暗くしぐるる中黄のあざやかに競輪場あり
枯れし野の駅に電車まつ囚人群息しろじろと皆若かりき
この溝に生きいるものは何々か氷の下いくつも気泡うかべぬ
海の風一日たえざる番小屋に病める体を冷してかえる
木枯の吹きしきりたる日の果てに壁のごと現れぬ海の上の星

工 場 の 砂

廃工場にただ放置さるる造船材枯芝の上に銹を流しぬ
残材を整理するクレーンのみ動きいてそこに吹きつくる工場の砂
音もなく曇り渡れる塔の上一人鉄剪る火を持ちあるく

白 き 足 裏

いつしかも葦の角ぐむ溝にして米のとぎ汁ゆく時の間よ
風の音絶えし狭間に入りくれば踏まれし麦のひかる夕暮
白々と空地の曇り暮るるらし電柱にいつまでも人上りいて
夕焼の片照る崖をよじる蟹しきりと砂をこぼす音する
六月の外光おそれただ臥る白き足裏を風が吹きゆく
畦草に這い出でし蟹甲の上に泥をつけたるままに死にいる
わが病める部屋にきたりて昼ねむるこの友も失業六か月なり
職なき我朝より寝おれば隣にて油いための盛なる音
苦しみの足らざる己かえりみてつつましくなり廊下拭きいつ

求  職

石蕗の青く茎立つかたわらに蘂もつれ合い枯るる曼珠沙華
去年の落葉今年の落葉ちりしける静けさに差す薄き光の
冬の日の厨にさしくる朝々をたちたるままに髪を結う母
北の方潮鳴り寒くきこえいて眠り薬のききくるを待つ
不幸去らぬわが家の障子張りかえてその清明りに暫らくおりつ
職求め冷えくる屋にまつ五時間かかる嘆きは憶良も知らず
職探しに又やつれたる友のきて戦争を待つと言いて去りたる

昨 日 今 日

海の辺の墓幾十に吹雪くさま電車停まれるしばらく見えつ
砂運ぶ女等低く唄いいて昨日も今日も海はくもれる
夜の海原ときに走れる白き波生きる寂しさを一人思いぬ
六年病みし我の就職をためらうを仕事嫌いと評しいるらし
一日のうち幾度も気の変る処女子と対き合い勤めていたく疲るる
帰り来し家族らつかれ黙す部屋ひとり汚れし電燈を拭く
ほしいまま雀出で入る檻のなかペリカンの鋭く鳴くが聞こゆる
るり鳥のかがやき接吻交しいる金網のまえ押され去るかな

悼 小 井 冬 青

いちはつの白き群立ちに雨ふりて静かに君の死をば怒れる
屋根の上に咲きちる草になぐさみて狭き二階に君は逝きにき


青 き 葡 萄

暗き雨やまずそそぎし西窓の青き葡萄にいま夕日する
梅雨しげくふる玻璃のなか足病みて去年より衰うる母が眠りぬ
梢より枯れゆく無花果見えており疲れきて一人部屋に臥すとき
ふがいなき我等言いいしが立ちゆきて西日の中に箕をふるう母
飛びまどう螢に降りいる夜の雨君は嬰児とはやも寝つらん
夫持てるきみが玻璃戸の白き顔乱れて夜の浜辺あゆみぬ
わが未来見込まれし先生と今日会えど見忘れい給うこともやすけき
金儲けおごれる友らに会いて来し寂しき一日も寝ねて忘れん

荒 き 声

朝はやく職安の窓開くときいたく白けし舗道が見えぬ
雨の中に職待つ人等ひしめきて朝よりすでにわが荒き声
窓の外の黄なる崖土かわく頃心つかれて部屋立ちあゆむ
働きてやさしさ失せゆく娘とおりて一日淡々書類あつかう
我がこころ理解さるるなく帰りきて灯の下にしばし鶏を遊ばす
働きて微熱きざすと思う身の何時かねむりぬ冬日さす部屋に
身を磨れる勤めにたおれ五日経し今宵久々に性欲きざしぬ

風白き街に

風白き巷来しときマンホールの中に呼び交い人働ける
焼けし城も壕も一色に暮るるとき鳥棲まぬ木の白々と立つ
石竹のくれないに雨はふりいつつ衣透く少女ら園めぐりゆく
物言えぬ子連れマチスの絵にかがむ高安国世を遠くより見つ
デパート閉ずるベル鳴る中に外人の美容師ひとり顔料落しおり
曇るビルにゴーランドゆるく廻りいて今日も遅れて来る汝を待つ
野の中に石をつかめる小鳥いて物みなひびき吹く春あらし
結婚のみが今を救うとわが知れど又しらじらと逢いて過ぎんとす

地  層

我ひとり歩み入りこし林にて落ち葉の下に蟻はたたかう
水漬きて新しくなりし地層をば無数に小さき蟹渡りくる
月の出の風疾くなり曼珠沙華花は花をば打ちてなびきぬ
飯食えば寝る外はなきわが家にて光返せる夜の鏡あり
涜れゆくわが日々にして病む君に会うを恐れき今は亡きかも
浄らにて友が逝きしと聞きし夜も女とおりて酒をば呑みぬ
青き葡萄寄りくる娼婦に分ちきて泪ぐむまで今宵酔いたり
ふる雨に七夕竹の濡るる路地人に傷つき今日も帰りきぬ

大 船 橋 附 近

夕もやにとどろき聞こゆる大船橋肺病むらしき職工遊べり
指導工に辨当かくされて職習いし頃の物怖じが今に支配す
昼くればいちはやく運河に我はきぬ胸を病みいる職工なりき
工場もクレーンもくもる昼過ぎてうすら明りに赤旗が立つ

九 州 行

桜島紅き雪負い夜明くれば希望あるごと又旅を行く
絶え間なく西より阿蘇に吹雪くなか火を吐く中岳ありと思わん



白 き 崖 自昭和二十九年 至昭和三十六年


妻 と 母 と

梅雨ふけし河口しろく波立てり馴れつつ妻と歩むさびしさ
風の中に細ぼそこおろびのこえきこゆガーゼに病む目冷し臥すとき
金色の雲の夕焼わが言えば妻もきてみぬ汚れし手垂れて
赦したる過去にこだわりわがいしが洗い髪して笑みてくる妻
月光は部屋にあふれいて妻とわれ二匹の紙魚のごと照らされぬ
年老いて再婚のこと言う母と一日淡あわ麦を蒔きゆく
月落ちし夜きて山をながめおり妻持たざりし頃より寂しく
風のなか黙して母と麦ふめり遠くゴルフハウスのみ照る
ただ絶うる性ゆえ妻をたのみ寝る窓に海より来ている明り

冬 小 景

杉谷の暗き底ひにたぎつ水高野へ入りゆく折々に見ゆ
紀の川は漂いくるものなくなりてひたすら流れぬ冬空の下
何処にか水注ぐ音のきこえいて暮れゆく冬の湖の辺におり
断崖の雨に濡れたる木々の根がゆうべ暫く茜に染みぬ
人のいぬ浚渫船あかあか燈しいて港出てゆく芥照らしつ
岸壁の草は波かぶり暮れながらはがねの如きひかり残りぬ

測 量 機

測量機かつぎて今日も浜ゆくに沖のくもりに尖る白波
金握らし糊塗せんとせし白き手よ帰りきて本読むひまも浮びぬ
徹夜して指紋に染む墨洗いおり報いられぬことも何かすがしく
沼原の草らにびしょびしょ降れる雨物言わずして一日働く
とがめ受けし帳簿重たく降る階秋日となりし日がさしている
この湿地に茎なき草の類生えて日に白らけつつ風が過ぎゆく

又 病 み て

青麦の折るる許りなびく土みえて廊下にながく診断を待つ
ストマイも効かなくなりし身を臥すに空の果てより月が照らせり
病むわれを働かさん妻の思惑を感じつつ今日も一日臥しおり
わが呼吸苦しめし曇晴れゆきて枕べのコップに夕明りせり
又病みて働かん日近づきて今宵きしきしと米をとぎいる

向 日 葵

向日葵に今日も暮れつつ風立てりわが身憩わす椅子ひとつ欲し
草萎えて荒野のごとき庭に立つ向日葵は夜も赤き月負う
蝉の眼は霧に濡れつつ鳴きおらん茫々とせる月の夜にして
今朝出でし血痰秘めてつとむる窓いた乾きし坂がみえいる
減給を告げられ人前はへらへらとおりし我思い今宵ねむれず
一枚が拾円の筆耕読みあわせ妻と待ちたる夜も過ぎゆく
汚れ果て信にむくい得ぬと書き来れば嘆きて立ちぬわが声のごと
冷房の中に葉を垂るるゴムの木にきて息づきぬ心疲れて
川に沿う夜の道次第に涼しくて従きくる妻を忘れんとする
電車にて西日さす先生の家を見き我は背きて久しく会わず

推  移

党の一人迎うと今宵燈の下にとまどい踊らさるる朝鮮の子等
力つくし生きゆくのみにて時移らんあまたの基地も見しこともなく
運河なり来れる水と走る民封鎖越えこし映画にみたり
労働者を銃にて圧しつくる警官の行進を写せりここ西独も
地の上にしゃがみ時間待つ日傭者の翳りなき顔をひそかに恐る
遅れきて妻と立ちどまる月の下ハレルヤの声満つ黒き幕舎に
聖歌うたう幕舎は風にはためきて神父の上衣にねむる稚児

鉄 骨 の 歌

わが畑にアメリカ資本の工場が建ちきて踏まるる青き豆の木
工場の建つは戦争を聯想せしめ冬のくもりに鉄骨吊らる
高層の鉄骨すぎゆく冬の雲働く者は皆背ぐくみぬ
照明燈高き足場を照らしつつ夜となり冷えし鉄骨を打つ
鉄骨のビルは翳たち昏れながら霧にふかるる廃墟のごとく
一度は爆撃せし土地彼ら来てビル建つ資本侵略のビル
霧深き夜をこし煙突に溶接する人いて空を片明りせり
霧のなか苦しみ鉄負う影みえてマイクに励ます外人の声

いちはやく雪を落せし鉄骨の中に音しぬ夜の燈照りて

職 失 い て

水栓を漏るる滴りきこえつつ起きられずおり職のなき今日
職失いし今朝わが布団たたむとき妻の寝敷きせしズボン出ず
工場の中にあかあか燃ゆる平炉職求めきて疲れ見ている
体弱きを口実に四年過ぎてきて家族に対う時にきびしく
職さがしに疲れたる日よ松風の清き辺に病む君ら訪いゆく
生き悩むときのみ君ら訪いゆくに病みて暖かし我を待つ声
北風に波とがる二つの池ありて道をへだてし鳰は呼びあう
ラジオかけダンス習える弟に声のみて妻との夜の世界あり

松 の 苗

深谷にあえぎつつ松苗植えゆくに焚火に照りつつボスが見ている
物思う間もなく植えつつ谷のぼる植えし松ふく海の風あり
公吏たりし我を憎みいしかの人夫松苗植うる我に声かけて過ぐ
山の上に雪解けそめて流れ出ず小さき分水嶺をみており

室 の 空 気

一つ鍋かこみ物食うわが家族米人アパートの視野のがれ得ず
夜を待ちて咲くサボテンの白き花室の空気の荒れいる感ず
跫音の荒きなか一日臥りいて思うこの頃海を見ざりき
五十過ぎ明日より日傭いにゆく母の鎌をとぎいつ暗き灯の下
雪となる曇りの空地に砂ふるう女ばかりが低く歌えり
没る冬日遠くホームの我を染む職得ん当なき明日さえ恃まん
夕暮は口重くなり帰りゆく我に従きつつ目守る妻あり
飛ぶ鳥も見ずて二時間来し高原ひたすらなびけり笹も白茅も

貧 し き 人 々 T

ドラセナのさびれし葉垂るる役場の門貧しき者等今日も我を待つ
我を責むる人意識せぬ時ありてドラセナの木に吹ける黄の沙
雨の日の香に立ちて扶助費受くるなか頬あからめて去る少女あり
孤児寮に汝らは如何に育たんか氷菓を食いて別れきたりぬ
この我にたよる病む者思いはなれず暮るる川きて
偽りて扶助に縋るを責めいるに何時までも爪かみて朝鮮人佇つ
おどおどと扶助費受け去る朝鮮人固き表情はわが母に似て
扶助訴うる人殖ゆる中にわがありて育ちゆくべし革命への意志

貧 し き 人 々 U

生活扶助費支払うわれを拝み去る一人のありて何にいら立つ
なお縋る扶助を打ちきり来し夕汚れし壁に対きて黙せる
救呼ぶ声法の声わがうちにせめぎて日暮の坂のぼりゆく
又緊めこし法ゆえもらすわが吐息苦しさ訴うる君らは知らず
死病には扶助は出来ぬと君言いきこの単純に我は苦しむ
水の上に果てし亡骸曳きゆけり冬の日くもりしままに夜は来ん
自殺せし土工の引取待ちいるにゆうべ白じろわが息が見ゆ
帰りきてつねに倚る柱決まりいて倚れば屋根屋根の上にふる雨



水底は黄に明りいて殻ぬぎし許りの蟹にいどむ蟹あり
風の中驚きやすく穴を守る蟹を天より見る如く見つ

旅の妻

川よごし遊ぶ若きらあらわにて穂高はくもる天のなかなり
我にきて仕合せうすきか山巓のひかりに老けし妻かえりみる
生きられぬと思いし三十の齢過ぎて月のひかりに顔並べねる
閉じし眼の裏は血潮のいろさして旅にきてやさし妻の声きく
オリーブの返す葉裏の眼にいたし遊ぶに馴れぬわれら疲れぬ
遠くきて日あたる芝生に臥しいるにはや帰る家をおそれいう妻
  
白き手

たまたまに暇得てくれば視野とおく花咲けるごとかすむ冬木あり
春のごと霞立つ水上ゆきゆけばかの日の少女の君に逢わんか
日の照れば涸れゆく溝に小さきもの群れいて銀にひかり騒げる
秋風の吹くなか咽喉ぶえ動きつつ石の上にて睡る労務者
選挙民買収し飲ましいる伯父を台所にわが身の冷えて待つ
三日寝ず医務課とたたかうと言う君が白き手垂れぬ枯芝の上
ここ過ぐる三年の生の狂いなし霧の中にかわく石垣の面

流れ藻

もの暗き群衆につききてシャボン玉無数にふりくる処に遇いぬ
芥ためし笹黒ぐろと吹かれいて水のごと路地に低き月照る
働けば何とかなるという妻よ子生めば退めささる機構の中に
かかわらずわがなりしより昼休み冬日の中にバレーする妻
冬の海小さき水門にあふれいて手術しにゆく妻と越えたり
わが前に罵るボスの荒き声耐えている身の鼻さき見えぬ
これからも頼むとわが手握りしかひとり酔わざる手を垂れてゆく
十年の戦犯の苦悩は読みがたく汗あえ下る一つリフトに
我が人を教えるなどと思いいき扶助受くるひとり縊れ果てたり
指令にて扶助断りて来し朴の家いまも水栓のしたたりていん
波の秀の透くとき流るる藻の見えて又不安なりわれの生き方

箱根他

なお耐えて生きんと思う寒潮に胸ぬらし海苔をすくう女見ゆ
濡れとおり黄色に明るき高萱に早雲山より風おろしくる
霧こめる芦の湖に棲む鱒の子を思いいるときわが心和ぐ
霧こめる夜の湖の風聞きねむる過去も未来も同じに似たり
夜の霧に立ちいし一木かわきいて湖にきびしき影うつしおり

日常吟

涸川の果てに荒れいる海が見ゆ怠りし日も疲れてかえる
かたくなに夜更まで内職する妻の大き影うつる中に臥しおり
内職して負債返そうと言う妻よせめて炭火は旺んにしよう
節穴はつねに月夜の明るさにて熱ある妻の掌と重ね睡る
隙間風くる部屋に妻といてさびし子を貰う話にうごく心も
幼児ときて石垣に身をもたす戦うに似し一日の果て
北風に並び仕事待つ日傭婦の後姿ばかりを見て通りきぬ
小作らに金貸す祖母をうとみにきそれに縋り生きき父なき十五年

運河他

黄に濁る昼の運河を曳きのぼる筏の上の雪は新し
薄暗き工場に鉄延ばす少年のふかき息づき見えてわが佇つ
わが来たる宵闇に光る線路のうえ腰を落として病める犬おり
夜となり壁のごと立つ建造船人いて海へ寒き灯洩らす
機上よりパラシュートに降りくる兵等みな足曲げおりぬ曇る空にて   (自衛隊演習)


朝はやき事務室におこる炭火の音漏れし顔暗く人ら入りくる
雨の日の湿りし書類しまうとき恩給を待ちて言う声のする
怠りて今日の机より立てるとき自殺者の遺品が壁に影ひく
老眼になやむ数字を君言えり淡々として二人の残業
ついに貧しき一人も救えずと思えるに声低く夜くる朝鮮婦人
幾許の扶助費封筒に入れゆくによれよれの紙幣は獣の香が立つ
職追わるる噂の職場休む今日臥しいてただに汗流れおり
言葉やさしく扶助受くる老人を帰すにも我はわが持つ寂しみ出でず
湯殿にて髪洗うとき扶助断たれ憎しみ言いし眼を思い出ず
散らばれる羽蟻の翅を吹きいたり妻と筆耕の夜が来んとして
喪うものおそれて我の近づくにただ直なりき君の生き方

自が影

雨のなか遠き家の窓々ひかりいて貧を訴うる人ら今日来ず
くどくど言う貧をあわれと思えるに何にわが咽喉を出ず荒き声
わがまえに扶助費待つ人ら並びいて互いに語らず自が影を負う
十幾年嫁がず働くK子さん風邪ひきて今日はやさしくもの言う
税寄らねば給料遅るる我らにて冷えし掌息にぬくめつつゆく
海荒るる季きて家間に霜のごと光る魚干場朝々に過ぐ
岸壁の草吹く風に息づまる鎖放たれし小犬とわれと
音のなき海に月出で寒き水絶えずしたたる崖明るみぬ

後退

夜業終え漏れこし少女ら悲しきまで華やぐ声の中を通りつ
首出して見る外寒し擬装してかっての如く過ぐる特車群
枯野にて後退し来るトラックよ窓も前灯も雨したたりて
若き祖国に還れぬ嘆き聞かされて又幾許を捲き上げられぬ
誠意なき福祉吏か否か糺されいん彼等のみ交すこの朝鮮語
素直なりと言わるれば素直をよそおいて空しく過ぎんか我の一生は
断崖に洗い出されし木々の根の乾きいて冬の一日くもりぬ
北暗き海浜ひとところ日当りて砂の上砂の吹かるる音す

腎を病む T

病みてまた帰る寂けさよ夕べきて伏せしコップの裡ら輝く
雨さむく何に見えくる孤つ木に太き腹して縊れいしユダ
微塵ふる昼の臥床に臥し思う病みつつ働き逝きし誰々
飼い馴らせし空しさは時に身を灼きて黒き川面の渦を見ており
雷のくる光して自らの重みに揺れいき巣の上の蜘蛛
病みて又短きいのち思うにも気よわく笑みて生きて来しなり
わが病める窓に夜々きて蛾をねらうこの精悍の守宮を愛す

腎を病む U

病室に一夜みとりて寝し妻がわが足を撫で勤めに出でゆく
隣ベッドの子は病よく今日一日父と子拙く物言うきこゆ
看護婦ら声かくる隣の少年にあわれ嫉妬し長き日の過ぐ
病む果ての心は秘めん訪いくるる誰にも淡き笑顔を対けて
梅雨の廊下ひと時明るし麻痺の児の歩みはげます病者らの声
病み臥せる我にきて髪洗いくるる指やわらかし異国の聖女
ベッドより手鏡に見る浜木綿の折れし花白し雨に昏れゆく
ビルの間の白き空間をとぶ燕垂直の壁にとまる時あり
階級の差別なく病む日何時か来んうとまれて臥す赤十字の下
腎より血洩れ止まぬ日々わが裡に明るさを増すゴッホ「花咲ける木」
働かぬを許されし我昼床をおそう小さき蟻殺しいつ
製鉄の紅煙遠くなびく日々ベッドに空しく爪のびて臥す

腎を病む V

季過ぎし茄子畑に青漂いて種茄子ひとつ日に灼けてゆく
守宮ふたつ餌をねらう張り美しく太古の如く窓に照る月
海風に揺るる裸灯の下に臥し病む故みにくき心知られず
我病みて寡黙なる母ひたすらに磨り下す青き林檎匂い来
差別せる扶助にかばい来し李夫人病むわれに来て涙を落す
長病めば来らぬ医師の怠りも嘆くことなし冬ふかみゆく

腎を病む W

病院にみとりにくる妻夜々いねて見えいる冬の星をよろこぶ
病み臥して見ている丘の上の切通し今日ひかり沁み過ぐる人あり
限りなく流るる淡雪を前にして光なき太陽をふと見出でたり
病む六月給与断たれて自らは救われざらん福祉吏われの
わが心閉ざし臥すとき隣室に祈りてくるる児の声がせり
追いつめられ飛びしはたはたの羽のいろ写象にありて寒々と臥す

腎を病む X

怠りて病みつつおれど海越えて白き崖見ゆる月の夜となる
わが病みて朝々つとめに妻を出す心も様ざまに変り来りぬ
地に近き位置に臥せればつまぐれの季ながく咲く紅はまぶしも
この村に散歩するは病む我と遅進児K崖下にきて秋日浴みおり
この丘に命は生きて来たりたり縞なして寄る紺の昼潮
何も来ぬ冬薔薇の天辺に何故のぼる蟷螂は一日臥す視野にあり
葉の上に蟷螂ものうく吹かれいて食われたる蛾の黒き眼残る
稍々とおき丘に雨ふる父の墓地見えつつ臥床も寒くなりたり
働かん希いむなしく臥す窓に海よりながく続く雲あり
何時癒ゆるかと問う幼子ときて遊ぶ谷地にしのしの生うる冬草

腎を病む Y

寒き沖見つつ臥すのみの我にきて革命の本置きて去りたる
病める身を起して見おり何もなき谷底照らす冬の夜の月
少年の我を搾取せしかの社長テレビに見しよりながく睡れず
血尿に日々おびえつつ臥しおれば励ましくれき掃除婦一人
海近くはや凍る沼見にゆきて癒えざる我の母を嘆かす
日に照りて限りなく草の実とびゆきし暗き海をば負いてわが去る

腎を病む Z

この海も汚れ来りて電柱に縄張りて乏しき若布がかわく
透く潮に無傷の水母流るるのみ海ふく風に笑いたくなる
潮ぐもる沖に向き一途ににとびゆきしヤンマの後姿思う幾度も
ベッドの上に盲いつつ臥す元少佐天皇を言えるときに涙す
病むわれに分裂を伝えくる組合に恃みていしか復職のこと
組合の分派となる妻苦しみて囁く傍にわれは睡りぬ
病める間に組合離脱者とさるる夢抗い覚めんとしつつ疲れぬ
結滞するわが身と林檎残されて咎むる者なき朝寝つづけぬ
病癒ゆる日々にきて見るほてい草傷つく花々秋日透せり

冬の虹(昭和三十七年から昭和四十七年)

冬の虹

生活につまずきながら年暮れて海の上に透く虹を見ていつ
内職の絶えねば機嫌よき母を措きて睡りぬ寒き宵々
朝起きし心しばらく怖れなく一人の米煮ゆる音をききいる
砕氷船岬に灯し汚れいん冬生ぬるく降りつづく雨
淡色の羽育ちいん桐の実を木を濡らし夜々の霧深みゆく

ある時

よわき身は媚び働けどある時に数字の中に心澄みいつ
その人を憎み夢なかで刺したりき朝へらへらと人に対いぬ
かすかなることも身に沁む癒えしわれ妻に抜き貰う白髪幾本
冬の日の光と電車に運ばるる腎を病むらしこの労務者も
冬磯に根を洗わるるひとつ木の梢のさやぎ我はききけり

街 上

河に曳く筏に少年の撓む身よ見えぬ背後に資本太りゆく
どろどろと群につきゆく橋の下深山の材のかわく闇あり
渚には吹き寄する水泡見ゆるまで月照りて重し河の流れの
春くると俄に明るき路上にて氷塊に透きて露浮ける鋸
地下街にもまるる警官の孤独の眼見しより遅れ階のぼりゆく
街角に見えいて事もなし屋上に父と子を乗せ廻る遊覧車
梨の花ことごとく天受け咲くひかり月照る崖に見下ろしていつ
月光に新しき街待つごとしわが登る上に霧らう石階

鳥 獣

南極の氷踏みいし足老いてペンギンの身に蠅のむらがる
人の香の絶えざる中に卵抱くペンギンはひとつ暗がりに対く
群はなれ雌ペンギンの抱く卵模造石の上のよごれ日を経る
電気うなぎに食われんとする小さき魚帯電の水にきらめき泳ぐ
ゴムの輪に手をのべ揺られいる猿にこころあやうき我ら見られつ

能 登

雪しずく落ちつぐ二階声もなく素手に漆器をみがく女おり
海に沿う雪の斜面に青葱のことごとく折れて影なく昏るる
冬の波雪しずめつつ寄せながら岬の果ての泡は濁りぬ

遠き水

遠き水つねに耀きて濠の蓮枯れきる前の茎みな動く
蓮の実の沈みいん濠の水寒く花托ら寄りつつ一日たゆとう
疲るればそこに充つる声ききいたり保育園の中ふり込める雪
我といるのみに明るき顔見する妻ありともに長き薄給者
わが妻と二人にて絶ゆるを思えども春日に畳きしらせて拭く
様ざまに鳴く虫の名を教えくれき直かりし一度の娼婦を思う

凍 結

あり狎れてその羽重たき日もあらん広き水田に憩える鴉
生きしまま凍結せし蟹重なりて孕めるもあり水槽のなか
水の香する炎天の道歩みゆくわが手に持てる司馬遷一冊
時ながく黄のかぎろいの圧えいる海にむかえり働かん前
かの国の行方に心痛む日よ帰化希いに来し汗まみれの顔
廊下の果て残るひかりに掃きゆけり税苦情者の泥ボス共の泥
かなしみを知らぬ若きらと働きし疲れ身に沁み舗道かえりぬ
怠りて夜となるわれに迫りつつぬれぬれと光のこる坂あり

冬 潮

冬潮に身をはずませて降りし鴉よ西日に漂う精悍の顔
工場のつぶれ町去る女工たちかたまりて浜に髪吹かれ佇つ
北風に灯すごと向日葵の立てる傍小さきはすでに霜の上に伏す
かく並ぶは何の意志もつ黄沙ふく屋根の斜面に動かざる鳩
枯れし野をかぎり月照る長き塀もとおるときにやすらぎは来つ
癌病むを識らず臥す伯父金もうくる指図こまごまと我に伝え来
父にかわりきびしかりし伯父家出できて道に金くれしことも忘れず臭くなる傍にいねくれというおそれ訪わぬ四日に伯父みまかりぬ

風さわぐ
風さわぐ160P
風さわぐ土手に声澄むきりぎりす生き難きときも妻と過ぎたり
苦しみて弟の負い来しをむさぼりて食いき病みやすく今に遅るる
贈賄に利用し弟を陥れしゴルフリンクの伸びてくめ見ゆ
夜々に灯を洩らし母国語を学ぶ声知らざりき彼らの長き耐苦も
かつがつに生きて漉くという韓国の海苔あぶり食う疲れいえぬ夜
街統べる電柱にはや嘔気せり「日韓条約万歳」のビラ
樹々ぬらす雨のひかれる窓の下働くことはうつむけること

職場の鍵
心萎え睡りたる夜半の目覚めにて枕辺に置ける職場の鍵あり
アドバルーンふたつ草生に相寄りてぬくもるも見つわが事務所より
朝より耀く窓よ少女らに告げん解雇に思い疲るる
薄日さす街角まがりつつ不意に恋う或る日いなくなる田中榮氏
暗き思想厭いてはやく君去りき十二年耐えきて今ねむる妻
冬日の下遊びのごとく人見えて焼跡の黒きを片づけ始む
公魚は芥寄る渚に腹かえす凍らんとする湖の上の風

潮岬
靴に入る小石もわびしく歩めるに夜の海原に現るる白波
広く照る海の沖みる妻のそば石のうえにてわがいねむりぬ
波寄する岩間の沙に鳶のいて疲れいるとも出発とも見ゆ

山行
寂けさに耐えつつ憩う雪渓に影を落して幾人か過ぐ
汗垂りて登る岩かげの駒草よ霧はそこよりちぎれつつとぶ
蜩にながき夜は来ん杉の木も河原もこめて雨ひびく音
斑雪ふく風にむきゆく溶岩の原一筋の道白くひかりて

ゆく夏
疲れつつバス待つしばし少年のシャボン玉ふく虹の中に立つ
ほしいまま過ぐる日なくて目の前の貨車群の白き雨をみており
河原にむかえば長き疲れ出ずイカの甲ひとつ波にゆれいき
葉末まで泥にまみるる葦群のなびき鋭し水上むきて
神に背くゆえ幸せは来ぬというその白き手を我にあずけて
なお憎み経ん幾年かバスの中に老い来し君の頸を見ていき
敵うしなう心の焦りよコンクリートの広場紫立ちて夏ゆく

サフラン
新しき古きテトラポット入組みて潮落ちし海に対いかがやく
病院を出でこし我とまだ飛べぬ雲雀の子とおり寒き埋立地
仕事休みこころ細がりいし妻が枕べに置く紙縒一束
愚かしく勤めいるなか日光追いサフラン咲かせんとする少女あり
労務者を整理する立場疑えど説きてやめどり言葉又言葉
「越年金」今年も値切り出でてきつ雨に顔ぬれて帰る労務者
残業のひとつ灯消すときに不意に侵入す外の冬海


妻別れせん弟に苦しめば身にひびくなり草の葉ずれも
強情を遺伝し妻子と別れきてねむる弟の禿げたる顱頂
その父と別るるといねし蚊帳の中あかつきを幼く咳くがきこゆる
訴えつつ友に泪を見するときも眼ざめていたりあわれ自負心

黒き渦
街川に黒き渦いくつ見えおれど大根の葉の迅く流れき
濠の水ときに流るるごと見えて白鳥ひとつ草の実を食う
黙ふかく働く一日見下せる踏切はしめりしままに暮れゆく
働きて倦めば来てみる窓の崖三年萌ゆるなし寒色に立つ
誰もだれも信なき中につとめいて一日小さき数表に拠る
数表に追われし一日帰りきて並ぶ雀の胸の明るし

越前岬
北海に虹立ちやすき冬の日よありありて妻と崎めぐりゆく
枯沢より沁み出ずる水せせらぎてすぐ尽くるなり海の辺にして
雪原に余剰のごとき青笹は間なく吹かるる風に音立つ
金三日月凍れる湖と照り合えるさびしき国も見て過ぐるのみ


朝あさの窓にわが愛すいちはやく光を受くる冬の突堤
頭を垂れてつとむる窓よ匕首のようなひかりに海鳥が来つ
露ぐもる鏡冴ゆる間もわがひとり識りいて長き午後を働く
舗装路を割る音のなか手の力よわきもありて夕暮となる
雨の音充つる部屋なり残業にて泛く足試す妻を見ており
屋並のうえ静かに帰り来しマスト檣灯ははや濁りにうるみて
夜の明けにひとり思えりかの淵を出んとして凍りし魚の幻

方位
六月の方位感なき川の洲に若き向日葵吹かれつつおり
青葉のなか重き音していつしかにわが家をめぐり鉄塔が建つ
わが息のしずまりゆくかな石かげに群れし木賊に陽がこぼれたり
争わず生きよと妻の言う声もかまわず白まじる髭剃りて出ず
職失いし弟のこころに触るるなく板縁にながく月光を浴ぶ
いつまでもデモに従きあふれゆく市民「敵」とよびくる高き指令車


見込なき団交ぬけて来ししばし崖を立ちゆく鳥を見ており
坂のぼる暫も去らぬ職制に抗うこころ声に言いみる
貧のなか鋭く物言うかの友に会いたきままに日の過ぎてゆく
義歯つくるガスの焔に寄りともに酔う君も病みつつ働くひとり
昼食わず出でゆきし母ひとりにて又叩きいん天理の太鼓
水迅き川辺に低く住みつきて鮮語あかるく唐辛子干す
排土機にそがれし崖の大樹の根風ふくときに土をこぼせり

海の霧
岸壁に海見えぬ霧はこめながら海へ押しゆく乳母車みゆ
海の霧花芽の霧にのこりいて岸に冬越えし油菜一株
冬晴の突堤にきて若からぬ腕を垂れおり風にむかいて
灯台のひかりの来るしばしにて帆のごと吹かるるポプラの冬木
ヒビスカスくもりに朱のひとつ冴えいまも責む戦に逝きし面影
死者らの顔なおも若しも戦後経し戸籍簿の紙におう一日

事務室
朝より疲れつつ事務室掃きゆくに塵の中より立てる白き蛾
不機嫌に老の帰りし机あり残照のなかなおも勤むる
窓口に罵られたる妻おりて銭数う音の外はきこえず
灰皿の焔みじかし焦立てるわれにかかわらず事は過ぐるも
たくらみの前に曲げられし文案と告げ得ぬ心持ちて寝んとす
「地の塩」とならん勇気のわれになし無限に寄りくる紺の寒潮
冬一日火力発電所の煙突を赤く塗りおり地を汚すまで

大村呉楼先生追悼
髪吹かれ先生とコースターにいし思う背きしわれを許し給いきや


対岸の製鉄所たえずノロ吐きて煙になびけり笹も青木も
製鉄所の煙に病みて落つる鳥かゆうべ渚に波が曳きゆく
玻璃戸のうち二つ照り合う壺ありて図られたりし心和ぎゆく
貶しめし課長の机も拭きていつこころ耐えつつ立直りきぬ
電算機にこころは翳りゆくわれか帰りきて鋭く母に物言う
頭利くかずなるまで数字に対うとき裡照らすごと鴎が過ぎつ
妻ねむる傍えに朝々はやく覚む電算機がまた時を待つ
薄氷の閉じし下青き葉が見えて何故恋おし坂田博義


潮たぎつ鳴戸の瀬戸を泳ぎゆくひとつ鴉よたえず羽ばたける見ゆ
鴉一羽潮瀬に抗いのぼりつつ岩の上なる鴉と交わらず
なお濃ゆき血の潮をもて洗わるる鱶ならびおり昼の浜べに
外海のしろき沙地に生うるもの葦の芽は空のま央をぞ指す

濁る空
事務室の窓より濁る空みえて鉄片のごと鴉吹かれつ
わが知らぬ楽しげなる声妻あぐる女子職員の控室過ぐ
健やけき老いが日毎にものを食むある時の音は憎しみに似る
夜ふかく電車を降りる街川の朽ちたる杭ら雨にぬれおり
水玉を追い及きのぼる噴水の黒くみえおりふる雨の中
海の上にふりつぐ雪の見えており鋼鉄の椅子に一日の老い
硫黄の水沁み出ずるなか眼をあきて蛙幾百溝うつりゆく
大いなる湖しずまりがたくして岸の薄氷せりせり動く
凍りたる湖より来る風ありて赤のこる菊の花に吹きおり


送電線過ぎる空荒れし感じして藁をくわえし鴉とびゆく
つづまりは故郷出でがたく終るのか峡の空占むいびつなる山
制服に替うるとき小さき身ぶるいよ幾許人を傷つけて来し
目の前に花粉にまみるる花ありて人に言葉を待たれつつおり
ああ頭利かなくなりしと出でくれば暮るる庁舎は絶壁をなす
閉ざされし門の彼方にパンジーが昏れのこり今日も残業が待つ
窓の海昏れて残業に入る五人私語の絶えたる一時があり
煙のなか溶鉱炉群しずまりて野を侵しくる鉄骨が見ゆ
 
内灘
秋となる海の上しずかに雨ふりて子に立泳ぎみせている父
北の海の波すき透り寄りながら深き蔭たつ砂の断崖
手を垂れて砂浜をひとり行きゆけば砂えぐる轍おびやかし持つ
むらさきに蕾輝くはまごうの延びたる蔓を波洗いゆく
北海の潮に網して得たるもの数尾をねらう鴎群れとぶ

機械
鏡の中あざむかぬ光返しいて古くなりたる耳剃られいる
簡明に機械の明るさ見せており廊下の果てに置かるる車椅子
わが心あやしくしずまり眼を病める人ら細ぼそ言う中におり
濠の辺に死なんとふくらみいる家鴨うしろより来し一羽がつつく
補償金とりて昼あそぶ漁夫にして単車ひびかす海の辺の道

火花
四方山は落葉しつくして冬の雷かたき湖面にひびきつつ過ぐ
かぎりなく空は澄みつつ飛ぶ鷺の杜過ぎすぎて白さ増しゆく
冬の空一日晴れつつ断崖の上の芒はかわききりたり
あと幾年つとむる職場かガラス扉のわが影に対きわれは入りゆく
謀られて会閉じしかな帰りきて冷えし畳にかがまりており
徹夜してわれら測りし騒音値また権力にかえられてゆく
灰いろの風景切りて来し鳩よわが前あゆむ泥ひかる足
冬一日煙突の上に鉄を截る火花はながく風に撓めり

砂の上
砂の上広くくずるるさびしさか沖より来たる砥のいろの波
寒き雨そそぐ砂浜にひそむものかすかなる虫は毒をはぐくむ
わが心立直りがたき思いつつ砥のいろに寄る波見て帰る
中年より移り来し彼うとまれて大き手にけさ花を活けゆく
たわやすく妥協に終えし日の果てに爪熱きまでマッチを点す
ついにして学びがたき先生と思うにも群衆の中に汗かかぬ顔
コンベアー停まり出で来し工員の昼を憩えりみな石の上
警官にかこまれゆきし小さきデモうつむきゆきし姿残れり

追悼中所孝子
月光にみるごと顔にさせる翳問わず帰りしが最後となりぬ
死の床に手足の運動していしを見守り給いしひとを思いぬ

即時
週末の衰えしるきわれにして何処ゆきても会う向日葵の炎
水底はただ明るくてザリガニの退くはやしわが影のなか
苦しみて代作一篇書きしのみはやく日かげる部屋を去りゆく
又闇に屠られんとする報告書風呂敷につつみ持ち帰りきぬ
自衛艦泊つる灰いろの海見えてわれ沈黙す長き午後の日
命なれば情報を刑事に与えきてうつうつ座るひとりなる椅子
たまたまに家ごもるとき物蔭にごまの実打ちて老母がおり
闇のなか火のごと鳴きいし法師蝉こえしずまれば又霧がすぐ


あとがき

 本集は昭和二十三年から昭和四十七年に至る作品のうちから五一五首を収めた。私の二十四歳から四十九歳までに当る。その殆どは「アララギ」「高槻」「関西アララギ」「塔」「短歌研究」等に発表したものであり、少数を除いては、土屋文明先生、大村呉楼先生、高安国世先生の選を経たものである。
 この歴史的にも、時代思潮の上にも、めまぐるしい変遷の時期の作品を一集にまとめることは、かなり無謀であり、統一を欠く結果となっているが、この年齢となって自分の作品の全体を見直してみたい要求が出たことであり、読者のご理解をいただきたい。
 いま編集を終って、外に騒がしく、内に満つるものの貧しさに言いがたい寂しさを感じる。しかし、これは才能の乏しさによるものであれば、あきらめるより外、仕方があるまい。唯、いえることは、土屋先生の歌われた「魯鈍なる或いは病みて起きがたき」中の一人として、生活の折おりの心の支えを短歌に寄せてきたことはせめてものなぐさめであろう。
 私は年少時、ほとんど文学に無縁な造船技術者に過ぎなかったが、十九歳で結核を発病、療養中に正岡子規に親しみ、随筆から次第に短歌に惹かれるようになった。昭和二十年の末頃、当時の出版事情で入会を制限していた「アララギ」に入れることを知り、昭和二十一年から会員となった。土屋文明選歌欄の送稿者の一人として先生の選の終る時まで続いた。その間、土屋先生をはじめ、関西アララギの諸先進、故大村先生、高安先生、岡田真氏、上村孫作氏、中島栄一氏等のきびしく、暖かい誘掖を受けたことを有り難いことと感謝している。また、縣義治君、赤井忠男君、堀田清一君、故奥谷漠君、前田定雄君等の先輩、友人にめぐまれ文学の上でも、生活の上でも影響を与えられたことを今の世に得難いことと思っている。
 しかし、昭和二十九年所属していた「関西アララギ」の分裂に際して、大村選歌欄から唯一人『塔』に参加したことは、万事に消極的な私にとって、大へんな決意の要することであった。その時の新風に即くということは、内部にやみがたいものがあってのことであり、かえりみて、私の行為に誤りがなかったと信じている。というのは、昭和二十六年、台風のあとの荒廃が目立つ貝塚市の国立療養所で「高槻」の歌会がひらかれた際、その時の選者が大凡来られた中で、高安先生から「君の歌は注意して見ている。歌風にへんな癖があるが、それが個性にまでなればよい。」という意味の言葉を記念写真を撮りにゆく道すがらいただいた。日頃、先生の作品に強く惹かれていた私は、全く沁み徹るような感動を覚えた。私は同世代の友人と歌を励みたいという気持ちと、潜在していた先生に対する親灸によって「塔」の創刊に参加し現在に至っている。
 標題の「岬」は地名に拠らず本来の意味に拠った。この歌集の背景となった私の住むところは、海峡に向かって小さな岬がいくつか続いている。私はその海中に突出した小さな陸地にかぎりない親しみを抱いている。私は二十年来、この地の小さな町の公務員でもある。私はおそらく、この故郷を出ることなく生を終るものと思っている。
 上梓にあたって、高安先生の序文をいただいたことは、身に余ることと暑くお礼申し上げる。又、この歌集について「塔」の諸友ならびに構造社の横山乾治氏に一方ならずお世話になったことを併せてお礼申し上げたい。

昭和四十七年歳晩                                          田  中      榮 記