六号春氷号歌

網走に置き忘れてきた魂の在り処を捜す冬来たるべし

信号待ち深呼吸する眼裏に赫き陽沈む流氷原あり

頬の皮膚覚えているのか網走の風よみがえる微かなれども

つらかりしもあれど網走思うたびさわやかな風身を吹き抜ける

死後歩む彼岸此岸か真っ白に流氷の原果てまで続く

この空のはるか向こうに横たわる流氷原あり雲渡りゆく

死顔のごとき静溢氷塊ははるか地平と向き合いて立つ

鳥渡り雲行く果てに流氷のはるかに広がる水平線あり

モノレールの外まだ暗しさまざまな眠りの夢まだ壊れていない

果てしなき雲海午後は流氷となるのか視野は輝きの白

何一つ遮るもののない青いまぶしい空に一人わがいる

彼方より神々歩いて来るような遥か雲海果てまで続く

雲海と空との境まぶしくてしびれるほど良き彼岸思おゆ

機上より雪なき道に仕切られた区画正しき農耕地見ゆ

一日も四年も同じ網走に帰るがごと行くかく高揚し

雲海に飛び込んで行く魂のひとかけらわが恐れもなくて

飄々と意志持つごとき人ほどの小さな雲のかけらが浮かぶ

網走川氷上ラッコ昼寝する鷲に狙われているとも知らず

網走湖白き平らに人群れてワカサギ釣りするテントが見える

またしても取り残されし帽子岩はるかに流氷遠ざかりゆく

白樺のまにまに流氷浮かびいる海の青さが際立ちて見ゆ

春風に吹き残されし一群の流氷能取岬に浮かぶ

流氷は風に押されて能取湖の入り口近く盛り上がる見ゆ

物言わぬ流氷されどはじかれていびつに転がる氷塊が見ゆ

流氷に取り囲まれし一区画青鮮やかな海底が見ゆ

森のごと都市のごとくに凄まじく流氷積もる吹きだまりあり

氷片も照りて浮かべば流氷の海といえども春近き海

白金の如き日照らす北の海まだ流氷のかたまりが見ゆ

オホーツク取り残されし氷片を冷たき赤き夕日が照らす

布袋顔にかぶせて足縛る治療せし鹿野に放つため

流氷は海に去るのか消えるのか今日も昨日となる春近し

氷付くコンクリートの防波堤べっとり赤く夕日を写す

常変わる巨大な風に流氷が徐々に細かく砕かれてゆく

まだ尖る氷片海に残されて溶けつつ淡き月浮かびおり

我もまた流氷となり運ばれて網走斜里間海ばかり見る

知床の海夕焼けて轟きのオシンコシンの滝聞いている

原爆のような夕日に静まりて流氷残る海昏れてゆく

流氷の少し離れし網走に大きなシジミの味噌汁すする

肉親にはあらねど心通じ合う母とも見ゆる光岡亜衣子

網走のシジミはかくも身に沁みて光岡亜衣子母のごとしも

中川イセ・光岡亜衣子を理想とし思えば女性を見ること多し

網走の溶けつつ雪を踏みゆけばギュギュっと幼き笑い声する

夜の町吹雪するさえ嬉しくてただ網走の風に吹かるる

流氷の流れつきたる網走に旅人我もつかの間泊まる

網走に来て眠られぬ夜を越えて早朝二ツ岩まで歩く

うらめしく網走の海見ることもありしか二ツ岩まで歩く

流氷は彼方に見えて我が歩む海岸町から二ツ岩まで

二キロほど歩くというに波照りて雪吹きて海は迎えてくれる

警笛を鳴らして巨きな雪かき車一気に雪を撥ね除けて行く

薄曇る大きな朝日に照らされて帽子岩まで金色の波

雪かきを未だせざりし早朝は轍となりし車道を歩く

朝の道鮮やかなれど新雪にカラスのちぎりしゴミ散乱す

長すぎる脚伸ばし飛ぶ白鳥の一群たちまち山影に消ゆ

流氷の離れし海より帰るらし首伸ばし飛ぶ白鳥が見ゆ

北の町早朝なればしめやかに北見ナンバーばかりが走る

氷海を直ぐ立つ崖のオジロワシ風に揺れつつ小枝に止まる

氷海に立つ断崖よりオジロワシ音もなく海すれすれに飛ぶ

オジロワシ眺める水平線の上流氷白く盛り上がり見ゆ

流氷の海に向かいてひそやかに切崖体震わせて泣く

凍りついた巨岩が大きな口あけて吠えるらし海背に立つ我に

流氷の海に真向かう切崖の巨大な顔の雄叫びつづく

氷海に沿いて歩めば折々に凍りつく風吹き上げてくる

流氷の怒りが切崖叩くらし頭蓋とよもす底鳴りの音

切崖が体震わせ泣く音は大震災の底鳴りに似る

切崖の上より雪積む枝垂れてオジロワシいるかたまりが見ゆ

網走の石拾わんと波打ちに来て足濡るる流氷の間に

わが頭蓋岸に転がる二ツ岩水平線には流氷残る

流氷は海にためらい陸地では臓器移植の報道すすむ

地吹雪の風に揺られて二ツ岩から網走の町へと入りぬ

網走橋渡れば白き幾つもの船プレミアムのごとくに置かるる

人見えぬ町すみずみまで吹雪きいて閉じたシャッターの音のみひびく

シャッターの微妙に震う地吹雪の網走人は小走りに行く

これは旅なんだろうか 現実と夢・現在と過去身に沁みて

海岸町歩けば次々教え子の表札並ぶ顔も浮かびぬ

突風はとんでもなくて小走りに急がぬ我を走らせている

向陽高網走二中在りし跡住宅団地の建設すすむ

幼子のような笑顔と思いつつ棚川音一よみがえりくる

いつまでも我をとどめて話しくるる棚川音一幼子のごと

唐突の死に割り切れぬ戸惑いが医療不信のつぶやきとなる

流氷のごと真っ白に生き来しか棚川音一今すでになし

舞い上がるきら雪さえも網走の風、何だろうこの興奮は

四万人の市だというのに病院がやたら目につく町歩み行く

顔を見て声聞くだけで励まされし中川イセに今逢いに行く

手を取りて再び逢うを喜びぬ九十九歳中川イセと

莫大な私財投じて《いせの里》作りし中川イセ∧神∨のごと

四年間お世話になりし網走のアグラバッチャン中川イセに

人生に負けてはならぬと教えいし中川イセ今輝きを持つ

逢わざりしと言えども心は通い合う中川イセとのたまゆらの逢い

初対面あんた私に似ていると言いいしイセは流氷の女

散々に甘えて過ごしし四年間時過ぎて今さえも甘えて

山形より流れ流れて流れ着き中川イセ終の網走に住む

見るだけでいい逢いたいと思う人中川イセといる一時間

九十九歳老婆なれども輝きてほのかに漂う色香がありぬ

ただ一つ波間に浮かぶ氷塊の白く輝きながら溶けゆく

夢の中網走雪道歩きいてつるり滑りぬ実感残る

拓の大地守りて清々し本田重一住む女満別

北海道新聞死亡欄ありて道のすべての死に人並ぶ

ああ人は谷の溜まりに住んでいる大地の襞のような山脈

雲もまた地をさまよいて消えて行く露の命と気づく機上に

機上より猪苗代湖の全容がしばらく下に見えてしまいぬ

在るだけで身は引き締まる機上より富士山やっぱり雲の上に見ゆ

魂のように命を持つように雲は渡りぬ飛行機の下

四十度高熱三日続きいてインフルエンザに娘は耐えんとす

目を閉じて神に祈れば力湧くどのようにも生きていくべし

孤立など無縁なものか結局は権力権威に群がる人ら

振り返り仰げばクレーンの持ち上げる危うき街より逃れきしかな

試すのか試されるのか三年生最後の期末テストに向かう

校門の前の生け垣より伸びてきら星のごと梅誇り咲く

風の音都に続く路傍にて眼つぶしし景清座る

魂のほころびながら集う道 背を丸めゆく老い人ひとり

風に乗り雪のひとひら落ちてくる細き桜の枝続く坂

さまざまに衣服や言葉まといいる人ほどかれて風となるべし

良い世論悪い世論が作られるただ一握りのにんげんどもに

五十分テストにそこに揺れるのみ生徒群木の思考を学べ

我に向かい座る生徒ら一陣の風のごと笑む瞬間があり

思考すといえども文字をいじるのみ生徒一群木のごと並ぶ

こだわらぬ性格だったかもしれぬ歴史の大悪人を疑う

晴天のしばれる朝はほどけつつ半月ビルの真上に浮かぶ

意識するたびに雨音鮮やかに地に砕け落つ我が頭蓋打ち

雨音の中に時折混じりいる雀の叫び遠近にあり

目つむれば眼裏模様雨音の命のひとつひとつを伝う

銀河よりちらりふらりと落ちてくる雪あり銭湯より自宅まで

盲いとなり彼岸此岸を行き来する景清桜花しきり落つ

昨夜降りし雪も吸われて鮮やかに梅の花咲く坂下りゆく

ゆっくりとただゆっくりと落ちてくる雪のまにまに我が生きて来し

淡雪のほどろほどろに沁みてゆく舗道急ぎぬひたすらなれば

音もなく巨きな鳥の渡るらし羽毛ひたすら降りつづく朝

たちまちに舗道に吸われてゆく雪の死の瞬間を我は見ている

我が心ただ震わせて目交いに星降るごとくに雪降りしきる

雪に包まれて魂降りるらし地にゆったりと静寂つづく

降り続く雪の静寂に洗われて悔いもなく過去よみがえり来る

愛憎すら既に心を離れいて過去は無彩の雪景色かな

肉体の外より冬の光差す窓透明の皮膚かと見えて

垂直に硝子窓立つ教室にまぶしき冬の光が注ぐ

かたくなな心もこの頃ほどかれて和みゆくらしき一生徒あり

成績に隔てし部分この頃は一気に生徒ほどきゆくらし

和やかに話しかけ来る生徒増え卒業まであと二十日となりぬ

快きガヤガヤ話と聞いているプリント自習の多きこの頃

和やかに教師と生徒という立場ほどかれつつ午後冬の日を浴ぶ

冬の日といえども梅の紅き花枝伸ばしつつ遠景に見ゆ

冷たくはない弥生雨教室のストーブの火のつつましく燃ゆ

卒業式の四日後公立受験にてまだほどかれぬ緊張がある

三年後に結婚したいという生徒まだ青臭き春のただ中

ストーブにたちまち曇りゆく窓を明るき弥生の雨降りしきる

雨上がりの午後のまぶしき風に揺れて春のススキは金色に照る

日本だけなのか吉宗・黄門にお上の意識培われゆく

映画館の幕下りてくるゆっくりと雪降る朝に君返しきぬ

返礼も賀状もくれぬ一群はお前なんぞと思っているのか

マスコミに乗る彼よりもいい仕事している誇り持ちて生くべし

自分を追い詰めて行くのも悪くないこの頃少し気が軽くなる

三月は音にてわかる薄明の雨といえども暖かき雨

風もなき春の曇りの教室にヘリコプターの音しばらく響く

自分の思いどおりに生きてきたのかと此の頃少し思うことあり

怒り方少し分かってきたような気がする生徒和やかなれば

にんげんの歌にもならぬごたごたを考えるな星見に出てゆこう

苦辛して築きし家庭の幸せが許せぬ妬みの一群がある

恥かかせぬように信号送りしも悪口絶えぬおばちゃんがいる

二十年言い訳もせず耐え来しに抗議の手紙一気に書きぬ

書きなぐり放ちし葉書の文面にあきれるばかりの卑しさが見ゆ

腕伸ばし大きなあくびをする生徒飛び立つごとし巣立ちの時か

曇り空横たうプールよく見れば歌うがごとくにさざ波は立つ

春の風マリンバピアノヴァイオリン賑やかに歌流るるごとし

心込め作りし歌が伝わりて今日も嬉しき便りが届く

個人誌を歌集と呼ばれいることも肯定すべきか歌あふれゆく

知床の山も積もりて流氷は天の果てまで陰影つづく