渡氷原十七号歌

神宿る森を見つけしアイヌびと我が血をたどる手を合わすたび

罰当たり人はひたすら幸めざし祈るらし賽銭を放りて

五十鈴川流れて浄し伊勢の森人洗われにぞろぞろと行く

アサマなどアイヌの地名ここ伊勢も神もて暮らす民族の裔

神在りしこの国仏キリストも混じりて迷いのただ中にいる

我が生きて在る一日の終わりにて夕日に赫く英虞湾染まる

九九年四月八日にVサインして写りしに生徒今亡し
我が夢の中の一人が網走にいて流氷の海を見ている

肩書の詩人しか人信じない霧にカムイヌプリも消えゆく

いつからか夢に残りて我が裡の確かに一人網走にいる

死体より骨となるまで呆気なく儀式に人はたそがれてゆく

ドクダミも枯れて如月黎明の微かな明かりに鎮まりている

ようやくにして歌作る領域に我が心入る夜も明けてきて

飛行機となりて飛びつつ雲の上冷蔵庫の音ひびく真夜中

何見るとなく人座る早朝の一期一会の電車は走る

たわやすくきしょいきもいを連呼する生徒よ業をかく撒き散らし

お互いが気に障るらし教師二人トムとジェリーの戯れに似る

二人とも自分の言いたいことだけをまくし立てつつ黙らせようとす

味噌糞にどこまで言えば終わるのか互いに心聞く耳持たず

あんなことよくしぁあしぁあと言いくさるなどと周りも目で会話する

マスコミの作る権威の操作にてきしょいきもいを放つ子供ら

立派さを言葉や動作の端々に込めて教師の擬態がつづく

電車窓少し明るく淀川に紫立ちたる雲かかる見ゆ

唇が性器のごとく生ま生まと見えてかなしく思うことあり

話し声絶えず聞こえる車輛にて関空快速旅立ち運ぶ

女満別マイナス十五度放送に込み上げてくる熱き風あり

大地割くように紀ノ川くっくりと白き光の一筋が見ゆ

山筋の端に海あり岬町あたりを白く船すべり行く

魂が棲んでいるのか雲の群れまぶしき白き光を放つ

飛行機で飛ぶたび気づく日常のなべては雲の下の出来事

穏やかな海にて襟裳岬には小さな雲のかけらが浮かぶ

地に在りし時には厳しき切崖の襟裳岬をかく見下ろせり

空ありて雲ありてかく単純に景色は人を和ませている

たてがみのように針葉樹の並ぶ雪山見つつ人暮らしゆく

この道をいつも転びし頃ありしこと思いつつ凍り道行く

船長のごとくに海の彼方見て菊地慶一流氷を呼ぶ

氷海に真向かえど風厳しくて凍りつつ見ゆただ一人来て

鼻の奥までたちまちに凍りつく半端な我もしばれゆくべし

氷海より風吹き上げて人形のように凍りてたまゆらをいる

氷海の風受けて立つ灯台よ凍りつつ我が精神は燃ゆ

民族の乗りて渡りし氷海が切れ目なく天の果てまで続く

トナカイの群れと北方民族と渡りし白き海広がりぬ

我が心モーゼとなりぬ氷塊の果てまで陸のごとくに続く

トナカイと彼らと渡りし氷海が我が見る限り果てまで白し

流氷原月面のごと彼方まで夕日に真っ赤に染みわたる見ゆ

我が前に一筋足跡戸毎訪う新聞配達少年の跡

網走はマイナス十二度綺羅雪が輝きにつつ我が皮膚を刺す

小便の跡さえ鳥の足跡のように可愛く雪に消えゆく

目交いはただに真白に輝きて雪踏み続き歩み行くべし

一面に鎮まりて海海鳥の雪の渚に鳴き交わすのみ

小便といえども雪を溶かしいる命の水かいとおしく見ゆ

裂け目よりアザラシ叫び大鷲の悠々と飛び滑空して行く

流氷と海の境に海鳥の群れてしばしの雄叫び放つ

薄氷の海一面に銀色に輝きて明るき空映しいる

海鳥のなぜに悲しく鳴き渡り氷の割れし海に群れゆく

尾白鷲大鷲止まる氷塊の周りに小さな水鳥群るる

なつかしきリズムと言葉網走の「〜するべさ」人混みさえも嬉しき

網走も普通の町となりてゆく市街に五つもコンビニが見ゆ

中川イセ百歳小股にゆっくりと歩いて我を導きくるる

取りとめもなき会話にてお互いが在る悦びに満つるひととき

苦界すら通り抜けしか穏やかに百歳中川イセ微笑みぬ

我が前に流氷の女座りいて苦しき過去などどこにもあらず

流氷がほのかに赤く染まりいるこの朝降りし雪の肌えに

流氷を眺めし人より距離をおき見し氷塊の横たう幾つ

ほの赤く染まる遥かな知床の山まで届く静けさにいる

流氷の上を歩いて渡りゆく夕日の染まる地が広がりぬ

氷塊の上にたたずみ氷塊とともに真っ赤な日を浴びている

氷塊が悲鳴のような音を出しかすかに海を上下している

真っ赤な日沈み切るまで氷塊の上にて我も氷塊となる

みしみしと音して氷塊上下するゆっくりかすかに呼吸している

地平線薔薇色に燃ゆ見る限り流氷原は鎮もりの中

少しだけはみ出てしまう氷塊か帽子岩見ゆる渚に並ぶ

一つずつ確かに舞って落ちてくる雪の結晶重ねつつ積む

新雪を踏めば大きく音のして命の一歩こだましてゆく

氷塊と氷塊せめぎ合う隙の海のかすかなため息聞こゆ

さまざまな音の高さに氷塊の犇めきながらの静けさに満つ

やわらかき赤き光に氷塊の無言の命の輝きを浴ぶ

遥かなる祖先となりて氷海の上踏みしめて彼方へと行く

歩み来し我が足跡は海色に浸りて雪の岸まで続く

一区画鏡のような氷原に命の赤い光かがやく

やわらかき朝の光に灯台の影濃き赤もほぐれゆくらし

氷原に小池のような黒い海蓮葉氷の数片が浮く

地平まで陸のごと浮く氷塊も乗ればぐらりとわずかに揺れる

黎明に覚めて知床より昇る朝日を思えばモヨロに向かう

平らかに氷の原ありクリオネの踊る少女が幻に見ゆ

海に満つる氷の原は薔薇色に朝日に染まる身も震えつつ

氷海が朝日に染まる薔薇色に我が血液の流氷天女踊る

暖かき蜆汁もて迎えくるる光岡亜衣子母のごとしも

まだ誰も歩いていない雪原が空の彼方へ滑り落ちてく

氷塊の上に置かれし氷塊の朝日に向かう肌生まなまし

鳥歩みし足跡途絶え大空へ飛び立ちかねつる雪原が見ゆ

知床より昇り日徐々にほどけつつ流氷天女の舞う空ひろがりぬ

氷塊の揺れるたび鳴る鈍き音聞きつつ朝日の朱に染まりゆく

流氷によりて遭難せし人の天女に呼ばれし幻覚ありき

流氷の上を歩めば揺れゆれて氷ぶつかり鳴く音を聞く

山脈のごとくにうねり盛り上がり氷塊の上に氷塊は立つ

流氷の群れと群れとの境目がめくれて小さく盛り上がり見ゆ

にんげんの心と心ぶつかりてかくも歪つに氷塊は立つ

流氷に岸より風が吹いてきて走りて戻らな海開くまで

着陸するたび助かったと思いつつ地上の煩瑣の中に入りゆく

意に反し素直に対応せぬ生徒寂し嬉しと思うことあり

認めるとか認めないとかそんなこと卑しき人の集いなるべし

ぼそぼそとあらぬ方見て呟くを妻恥ずかしく思い見るらし

皆が見え皆が聞こえる物事に頓着なきと妻いらだちぬ

元刑事宗家口伝の一つにて人が好いから犯罪をする

流氷の離るるさまをつらそうにしみじみ菊地慶一語る

春の土手輝く緑敷き詰めて踏めば小さな草立ち上がる

真夜覚めて再び眠れば我が布団流氷片となりて彷徨う

頑なに職人気質見つめつつ原田昇は生き貫けり

豪快に原田昇というおのこ見事に生きてあばよと去りぬ

現身は亡けれど心わが裡に力と勇気奮い立たせよ