漂泡記二十号

生ぬるき布団に目覚めて居し五月五時には明るく鳥の聲あり

雀、鳩、烏、犬、猫…人間の間にまに町に声溢れゆく

雨は地に落ちて音する等高線地図見るように聞きつつ眠る

ただ今を普通の人でいることの不思議さ家に只今と言い

生ぬるき夕方小さな蝙蝠がぱたぱた蝉の飛ぶごとく去る

肩書を外せばただの小心な男と見えて何にも言わず

さまざまな緑の色も豊かにて山からからと皐月も笑う

幼き我背負いてくれし母の背のこんなに小さくなりて座りぬ

手術のあと逆に励ます母といて一つの雲の渡りゆく見ゆ

我の手を強く握りて死に就きし伯母ありき昔なれど忘れず

雲の上断然広く飛行機は人の生死を任されて浮く

前方にゆとり作ればバイク入り死までかように進みゆくのか

心なき少年責めてグルメにて仔牛の臓器うまそうに食う

空のまま台車幾つも続く貨車そら恐ろしく踏み切りに待つ

片付けの粗雑な我に「英ちゃん!」と小二の娘が手伝いに来る

馬となり王子となりて暫くを娘の心の一部となりぬ

真っ白な花あふれ咲くニセアカシア天へと伸びる流氷のごと

過ちて改めざるを繰り返し人が地球に黴のごといる

忙しいその数倍も忙しい人より貴重な原稿もらう

釈尊は随所に主となる生き方を言いて焼かれて灰となり消ゆ

悪い人ならば死んでもいいのかとテレビを見つつ思うことあり

おいしいとうまいと言えば生き物の死の肯える人の世に住む

従容として死に就けよ果てしなき宇宙の光の粒となるまで

細き月射す墓石群眠りいる夜をつないで鳴く虫のあり

幾千の光の陰となり動く夜の街我の心乱れて

間違わすための問題文作る神の驕りをかく裡に持ち

明確にしてもさりとて味もなく問題作りは人の世に似る

いつの間にツツジニセアカシア過ぎて淀みつつ風夏に入りゆく

感情の乱れのごとく雨音の時折激しくぶつかりやまず

雨音のやがて沁み入る土深く死体のごとく我眠りゆく

脳味噌も臓器も外しゆったりと半日せめて眠っていたい

裏庭の金木犀の中に来て雀たち朝のおしゃべり続く

黎明の心を澄ます一時間少しずつ歌湧き出でて来る

妻の愚痴時にメロディー付いて出るああああもうもういやんなんなあ

ご破算になる戦争をひた希む心も時に出でてくるらし

眼裏も少し明るみやかましき雀の今朝の会話がはずむ

とりとめもなき雀らのおしゃべりを聞きつつ眠りも徐々に醒めゆく

寝転べば青空ふさぐ大木を輝きながら蟻上りゆく

水の音輝きながら聞こえくる初夏プラタナスの木陰に憩う

初夏の日のあまねき石の公園に水面揺れつつ風渡りゆく

薄き濃きプラタナスの葉の合間より初夏の光の七色まぶし

土となり草となりして寝転べば生も死もなき安らぎにいる

プラタナス葉と葉重なるその隙を意外に速く日が渡りゆく

寝転べば草の間の虫けものみち歩み行くらしひたすらに過ぐ

啄木のようだと便り届きいる梅雨の晴れ間の青澄みわたる

毒を持て毒を制すと毒気ある教師も敬す距離保ちつつ

我が授業聞きつつ窓の外ばかり見ている生徒我のごとしも

我が骸燃えてゆくさま黎明の雀聞きつつ脳裡に浮かぶ

流氷の果てなく続く白き道わが後ろ姿の遠離りゆく

今ここにいても不思議に思われぬたくさんの死者わが裡に満つ

我が脳裡清めてしばし黎明の雀と鳩の声沁みわたる

見たこともない異国へと渡り行く鳥あり未生の記憶をたどり

今朝もまた生きて眠りの中に聞く処々啼鳥のやかましき唄

ニンゲンを刻んで鳥に喰べさせる弔い優しかなしけれども

沸きてくる卑しき心振り払い自転車風を孕みつつ行く

教材に工夫重ねる努力など上司の目には最も遠し

かしましく雀ら騒ぐ早朝に集いて家族臨終を待つ

神仏いる何処へと行くばかり何かに委ねる祈りとなりぬ

身近な死聞きて山へと続く道呑まれるように森に入りゆく

丁寧に急いで逃げる尺取り虫生徒と我と見守るしばし

カマドウマかつては人かキャンプ場トイレの隅に動かずにいる

取り敢えずこれ読むまではと引き延ばし命積んどく本あふれゆく

どこからか魚焼く匂い夕まぐれ火点し頃とう言葉思おゆ

ケイタイに使われながらぞろぞろとあらぬ方へと急ぐ人群れ

舌打ちをしながら朝の雀達いかなる愚痴をしゃべくり交わす

底知れぬ穴あり「おーい出てこーーい」が未来の空の一点より落つ

早くすれ北海道では仮定形はや命令となりて冬待つ

眼裏の白き模様が流氷となりて身内の海あふれゆく

わが裡に満つる流氷原を行く彼方は生も死もなきところ

海からの風に押されし氷塊が浜に横たう廃船のごと

月面のごとく鎮まる氷原にわが足跡の一筋続く

生も死も会いも別れも在るがままに我が流氷の歌うたうべし

網走のみぎわ転がる流氷の溶けつつ眠る朝一時間

氷塊のような形に白鳥の群れありあまた首すくめ寝る

海覆う雪原たどり存在も時もなき無の輝きにいる

波打の砂に水しみわたるごと次々消えて人どこへ行く

波打ちに水のあぶくの消えてゆくぷちぷち人も呆気なく消ゆ

人群れの川滔々と流れゆくいかなる彼岸へ続くこの道

我もまたあぶくとなりてひとときの地下の暗渠を人流れゆく

地下街の三筋分かれて人の群れやがては独り骸となりぬ

桜 雨

結ばれている悦びに桜花空へと向かい花びらが舞う

あざらしの皮膚立ち上がる桜樹の獣の匂い花びらが消す

口づけのあと花びらを一つずつ含みて去りしがよみがえり来る

花びらの落ちし後にも桜雨すべてを洗い流すため降る

花びらも風と群らがる夜の道蛙がのっしのっしと歩く

(『大阪春秋』 第九十九号掲載)