惜命夏二十一号
土を出でて此の世に在るという不思議寝転びながら蝉時雨聞く
炎天下電車の運ぶ一陣の風あり音の少し後から
雨風の中の雀ら雨宿りしつついかなるお喋り弾む
彼岸まで届けと蝉の鳴き競う中に目覚めぬまま眠りおり
蝉の声に揺られて眠ればうら悲しダリの静かな海展けおり
蝉の声響く階段(きざはし)死者たちが此の世に忘れたもの取りに来る
幾つもの空蝉残し彼岸へと此の世の画面響かせて鳴く
蝉の声伝わりながら彼岸へと逝く死者たちの心となりぬ
蝉の音たどれば何も知らずいた少年の日の夏へと帰る
大木を抜くごと奥歯みしみしと命あるものの哀しみを聞く
己が死もかくのごとしか奥歯抜かれそのまま闇に廃棄されゆく
ゴキブリといえども命重からんトイレの隅に仰向けて死す
気を抜けばホッチキスの針歪みいるかくして深夜の作業を進む
昨日まで干上がりし川濁流の溢れて海へただに急げる
人死ねば急に出てくる神仏死後の所在を決めねばならぬ
新しき杉といえども五千年屋久杉須臾の我が前にあり
朝方の夢にて死者の声聴きし父伴いて行く墓参り
明日行くと電話にて告ぐ六月に逝きにし修一いる秋月に
父の夢突然オイサン消エチョルと死者修一の声湧きてくる
修一の声を聞きしと父言いきその時電話のベル響きおり
消エチョルト表札消エテシモチョルト大伯母父に初めに言いき
秋月はわが生家にて日を浴びて文字消えかけた表札が見ゆ
修一の名を残してと頼みいる死が実感とはならぬはらから
死者なれど修一と父先ず書きぬ表札ペンキ鮮やかにして
少しずつ命繋いで来し村も廃屋増えて蝉ただに鳴く
秋月は鹿児島寿蔵も故郷にて変わらぬ山河歌い継ぐべし
裏山の納骨堂より続く道草深きのみ誰も上らず
墓参るたび亡くなりし人増えて故郷の盆はアキアカネ満つ
大伯母は会うが別れと別れ際微笑みながらつぶやきにけり
我が夢の中にも死者が混じりゆく徐々に死に慣れ親しまんため
たくさんの人を納めてゆく墓の一部とならんための一生か
初期ガンを切除せし伯父生きるとは日々闘いに勝つことと言う
四十九日過ぎて聞きいる火葬場の火のスイッチを誰も押せない
秒針と冷蔵庫の音ひびきいる深夜を醒めてゆく意識あり
それぞれの五十五年を語りいる戦後に我らを生みし父母
蝉鳴かぬ夜半を目覚めていし古人虚栄心とう言葉を残す
高辻郷子本田重一恋しけれ耕すように歌詠うべし
啄木や賢治を死後に認めゆく世間も詠え抗いながら
カラオケの字幕を追えど新しき言葉も愛も歌うことなし
若者の無気力すらも呑み込んで骨なく肥大してゆく社会
赤白く冷えた西瓜をざりと噛む歯茎は海の底に似ている
海藻の揺れゆれるごと葡萄の実舌に転がる生まなまとして
切り口に生まなま歯茎埋もれいてバナナの香り口に広がる
死にかけた蝉捕まえて遊ぶ猫鋭き爪が瞬時につかむ
氷塊の群れ盛り上がるに似て御飯白々と我が目の前にある
最小の原子の中に大宇宙みえて心はするすると入る
破滅へと向かう心を鎮めいる蝉鳴く声は祈りのごとし
風のごと貨物列車の響き来る深夜も人の営みかなし
深刻に歩めば頭に白き糞冷たく烏の餌食となりぬ
クリオネは涼しい顔して近づいてパクリと我を食べてしまいぬ
ゾウリムシ二つに分かれ増えてゆく死ぬことのない命もありぬ
一度しか生え変わらぬ歯と引き換えに人は何得て生きていくのか
人一人死んだからとて何一つ変わるなく今今があるのみ
大切に親しくなろう森や海壊して無菌の人あふれゆく
悪者を退治してゆくプレステが無人の地球に転がっている
殺人も淘汰の一つニンゲンをいかなる神が統べ給うのか
目を開けてしまえば鳥は逃げて行く眠りの森の端に我がいる
眠りより覚めたくなくなる昼間にて人語も蝉もはるかに聴こゆ
目を閉じて己が頭蓋に閉じ込める雀ら唄う愛の言葉を
安心といえども人の酷さあり『アリの巣コロリ』に蟻来なくなる
夏といえど氷食べれば溶けるまで胃にひえびえと伝わるあわれ
ポストまで深夜歩けばコオロギの少し切なき風の音を聴く
接着剤剥がすごとくに眠りより現つに一歩立つまで長し
暑いのにぺたぺた体寄せてくる娘を払いのけつつ楽し
生きているうちに抱くべし触るべし死ねば冷たく堅き物体
パンツ丸出しで昼寝をする娘この無邪気さにしみじみといる
あどけなく可愛ゆき寝顔しみじみと悔いなき過去と思い至りぬ
尤もで詮無き妻の苛立ちをのらりくらりと聞いてしまいぬ
早口に次々捲くし立ててくる妻より逃れカラオケに行く
労りと憎しみ交互に来るらしき妻にのっぺり我が顔は見ゆ
色抜けし紫陽花一輪からからと真夏の風と光に揺れる
体より湧くといえども生ぬるき汗にまみれて蝉時雨聴く
暑けれど不思議不可思議汗出でて意外に冷たきわが体あり
タオルケットのみでは寒くなる朝と気づけば八月後半に入る
風冷えて心もとなき夏の夜は遥かな死体となりて横たう
町と町隔つ小さな四つ角に梔子(くちなし)今日はかすか香りぬ
夾竹桃花咲く森に迷い入る匂いこそ夏くらくらと夏
夢を見ているように昼ふらふらと木槿(むくげ)花咲く坂道下る
青空にノウゼンカズラの渡りゆく明るき夏の輝きを浴び
我が裡の阿修羅と咎と禅定と十二神将見守り給え
一生の中のひと夏一瞬を駆けてく少女の後ろ姿(で)が見ゆ
犯罪を考え作る小説を真似て現つの人殺される
網走の三十七度の夏と聞くストーブ焚いた夏もあるのに
くぐり戸の向こうネムノキ紅白のおぼろ広がる夢のごとしも
救急車かすめて過ぎぬ血の色にしばしサイレン余韻を残し
遠くより遠くまで救急車過ぐその間に我の全過去浮かぶ
辺境にありて静かに賑やかな福島泰樹の絶叫を聞く
僕はあのようには詠めぬ絶叫を既に失くしてしまいて久し
富士見える泰樹の寺にて語らいし互いに若く貧しき一夜
君にわが従(つ)いてはゆかぬそれこそが友情と思い三十年過ぐ
流氷のように静かに横たわり夜こそ独り網走にいる
生き物を食べつつ生きる命ゆえ死も順繰りにおのずから来る
時という妖怪獣に食べられて首だけ出している我がある
死の恐怖数日消えず明け方は眠る娘の手を握り寝る
人肌に触れていたいよこのままに冷たく堅くなりそうな夜
ミニバイク転倒して我が横たわる地はアスファルト露骨に匂う
死体まだ冷えぬま己れに驚いてさ迷う魂ありやかなしも
歴代の墓累々と一生の人など脇役なのかもしれぬ
墓清め守る人らの光景は毎朝過去も未来も同じ
一蹴りで敵を沈めしアンディ・フグ死のマットより起きることなし
宝石もブランドもなく千円の時計と仲良く過ごす我あり
斜め上より見守りし夢ならん助けられ来しばかりを思いぬ
社会的弱者をついには擁護せぬマスコミも企業のひとつひとつ
弁護士や警察増えてゆく社会巻き込み巻き込まれて人いる
我が裡に夏といえども流氷のゆらりと骨を浮かべて眠る
山上より観れば百年一季節都市流氷のごとくに迫る
輝きてビルの谷間を流れ行く人も車も直線で消ゆ
人間の人間による人間のための二十世紀も終わる
一息に殺してくれというがごとゴキブリよろり我が前に立つ
どこまでも下弦の月の墜ちてゆく夜空支えてひびくこおろぎ
骨というより粉残す人間の最もはかなき時代は今か
スピードに乗ってしまうと後戻り出来ぬ哀しき仕組みがありぬ
過遇より不遇の方がいいなんて呟く我も卑しきひとり
墓地を見て今日も帰ればしみじみと「つくづく惜ーし」命も夏も