銀杏葉三十号
わが家の屋根の形に雨の音聞きつつ眠りの中に入りゆく
おじいちゃんいつでも側にいてくれる娘はいよよたくましく見ゆ
透明となりゆく夕べか混迷し信号赤と青見間違う
炊飯器鳴る音雨のように聴く心はしばし生も死もなき
冷蔵庫昨夜歪つな音ひびきわたりて今朝は寿命となりぬ
金木犀枝を払わぬ理由にて昨年より止まる空蝉があり
朝ごとに障子に映る影ありて金木犀あり空蝉もいる
風もなく自ずと木の葉落ちてゆく喉の渇きに目覚めいし夜半
明日の体調考えて眠りゆく若くはあらぬ我が現身は
赤トンボ群れ飛ぶ野辺にからからと夕焼けにつつ我が立ちつくす
栗イガの時折落ちし坂上り西陵中あり生徒も上る
山よりも高く鉄塔聳えいる山の端浮かぶ日が沈むまで
縫い針のごとくに電車見え隠れ街の夕暮れ山の端が浮く
黄花つけ野に群がるオオブタクサ千と千尋の豚見えてくる
ゆうらりと広き白砂庭に来て仁和寺小さな滝ひびくのみ
滝の音鳥の聲して仁和寺にしばし憩いぬ何思うなく
管の中くるくる滑り下りゆく黄泉路を急ぐときめきに似て
擬人化をして飼うアメリカの笑い笑えぬままUSJにいる
今は使われぬ小溝にアカマンマぎっしり赤く指のごと咲く
眼裏に水母棲まわせつむるたび我が海中も生き生きといる
冷蔵庫聴きつつ眠る虫歯菌などもいそいそ働く夜か
白血球赤血球など泳ぎいるわがわたなかの命ひしめき
風呂場のみ裸となりてかなしみに常包まれん人というもの
止まるたびカサリと音の聞こえくる新聞配達バイクの巡り
右左遠く近くのしばらくの新聞配達バイク聴きおり
未明より働く音の聴こえいて今日の命を思いつつ寝る
波打ちに透明の波寄せるごと優しき夜の眠りに浮かぶ
限りなく光の粒が飛んでいる宇宙の果てのその果ての果て
媾合の約束ありと昇平の若き日友をきっぱり断ちき
逢いたいと言わなく言われなくなりて晩秋の風骨まで沁みる
わが死後のごとき不安が雑踏にしばらく妻も子も見失う
炊飯器黎明弾ける音聞こゆアフガン空爆よみがえりつつ
猪の重き死担ぎ川下るブジャライ凌ぐ若者が見ゆ
雲浮かぶ空の高さを窓越しにみつつ今年の秋も過ぎゆく
蓑虫の雌は死ぬまで蓑の中子に食べられて体をなくす
亡くなりし義父が蓑虫のように我が裡に棲み時に出てくる
金閣寺出でてバスこぬ植え垣に裏銀シジミ羽広げおり
車にはややためらいて通過後にいそいそ黄蝶横切りてゆく
止まるともなく飛び急ぎ冬の野に紫シジミ何捜しいる
小町蜘蛛わが身を食べさせて終わる理想といえばしみじみとして
青虫の中の葉くずの心もて満員電車に運ばれて行く
何もまだ見えていないというように次々疑問ばかり直ぐ湧く
時はあやふや曖昧に流れいて何度も施錠確かめている
玄関を掃きつつ声を掛けくるる校務員さんわが教師かも
美しく堅き舗道にしめやかに土にもなれぬ桜葉が落つ
採り過ぎを戒めて来し民族を餌食として我が文明人あり
精子飛びしイチョウも今は黄枯れいて巨きな楽器の並木となりぬ
未来にも過去にも我が居るような気がするどこかさ迷いながら
柿の実の空に溶けつつ柿本人麻呂すでに我が裡にいる
人はなぜ花を刈るのか菊の花何待ちて並ぶ整然として
専制的集団ならば美しく「大成功」の文字あふれおり
影落としつつ雲浮かぶ北摂の傾りに紅葉色づきて見ゆ
高きより紅葉の町の昼見えてカラスも影も横切りて行く
花よりも堅き濃き色気づきつつ桜紅葉の下歩みゆく
実紫式部輝くひそやかな森の真昼もうら枯れてゆく
死によりて始まるワイドショーを見る夫婦のいずれどちらが残る
人は人により滅ぼされゆく歴史辿るか生物兵器も進む
細胞も病原菌も進化して人したたかなもののみ残る
蝶となり流氷となり落ちてゆくイチョウ葉すべて違う形に
炊飯器の音ゴーゴーと迫り来て流氷の群れ脳裡に浮かぶ
逢えぬかも知れぬ心を便りにてせめて相手を想いつつ書く
人がまあ何とレッテル貼ろうとも歌うべし我が心弾めば
冷や飯も左遷も好きでにこにこと生きて死ぬべしこのみじか世は
古布のごとき花びらゆら揺れて霜月下旬も紫陽花開く
水しぶき放ちて滝は落ちてゆく紅葉の森の谷間下れば
月夜にてマンホールの蓋光りいる近づけば舗道に紛れゆきたり
つかの間の此岸ゆえ望月を見る井の入り口のように見上げて
前の墓後ろの墓を横切りてあまた石立つ我が歩むたび
御陵にて昭和天皇眠りいる平成十三年も過ぎゆく
夕暮れの空閉ざされて輝きは紅葉に秋の雨しとど降る
柿の枝無彩の木肌生まなまし背後の紅葉真紅なれども
白樺の黄葉の林粛々と半透明の後ろ姿が行く
昨日まで言葉交わしていた人も焼かれてしまえば骨壷に入る
さよならの手を振るすすき山に来て余光に我も照らされている
残照に浮かぶ灯台白々と流氷原は国境もなし
頭髪と性器と腋の下の毛と残りて人のキテレツかなし
眠れぬ夜事故寸前の記憶など恐怖のゲームの乗り物にいる
なるようになるなるようにしかならぬ心繋いで来し流氷記
虫の音も絶えて冷たき身に沁みてさいかちの実かしゃかしゃと響くよ
裸木の中に卵のごと浮かぶつるうめもどき見上げつつ行く
突然の人の死なども混じりいて秋より冬へ風渡りゆく
俺は今死んでしまうのかもしれぬ漠たる不安の中に寝ている
いつ死ぬかわからぬ不安の足音を踏みつつ進めどすぐ過去になる
コマ送りに葉もなくなりて裸木を見つつ確かな過ぎ行きを知る
オンコの実過ぎれば長き冬となる網走は我が歩みいし町
イチョウの葉散りつつ北では流氷の海の卵の生まれつつあり
我が喉をふさぎて流氷生まれくる海の卵か清らに白し
氷塊の一つ一つが離れたり付いたり流氷群が迫り来
氷塊の形は全て異なるに沖に一筋流氷迫る
本統の詩人は川添かもしれぬ師のつぶやきしと辺境にて聞く
氷塊の堅きが下に貝の肉妖しく春を待ちつつ育つ
目つむれば白き海別岳浮かぶ海岸町の風となるべし
一塊の氷となりて流れ来し遺志渺々と白き海あり
集団の中で弾けて立ち上がる氷塊群るるところまで行く
テーブルに大きな真っ赤な桜の葉虫喰いありてしみじみ優し
街灯の明かりの闇の舗装路をマチスの後の人歩みゆく
月 匂 う
アンカーの競り勝ち騒ぐ校庭にぱっくり石榴割れていし見ゆ
金木犀見るたび笑顔こぼれいし君の匂いのよみがえりくる
今朝少しまたコスモスの花増えて車窓はフィルム走りつつ見ゆ
地より湧き出でてうら鳴くコオロギの月の匂いの満ちてくる夜
よく見れば黒み縮みて花残る金木犀も秋深みゆく
(『大阪春秋』百五号より転載)