卵黄海三十二号

抱き締めて欲しいと娘祖父の死を時に受け入れ難くなるらし

泡風呂の泡のつかのま人の世を満喫して我が消えてゆくべし

ゴウゴウと洗濯機の音眼裏に巨大な水の竜巻が見ゆ

ブラジャーもシャツもパンツも回りいる振動に家ひそまりてあり

部屋暗くすれば障子に映りいる金木犀見る目を開けるたび

外の影映りし障子映さなくなりて明るく朝が来ている

服を着て携帯持ってああ人は奇妙で不思議なことばかりする

暗けれど外の明かりも部屋内を灯せば消えて我がめぐりのみ

何処より来て何処へと消えてゆく我がつかの間の形ある身は

たちまちに部屋の形を灯しいる明かりは点けず眠りいるべし

これは夢月に引かれて薄明の海には青い氷原開く

今は視野のみが世界かほの青い青い氷原果てまで続く

雨あとの舗道の光空白を思わせ時を踏みしめてゆく

かくまでに街はアンテナめぐらせて思想犯せる人捜しいる

雲間より冬の日が射すこの身にもいつかいきなり空白が来る

巨大なる空白のごと累々と氷塊が積み彼方へと消ゆ

右を見て左見る間に右が来る慌ただしさの中に佇ちいる

人間も肉骨粉になればいい墓も儀式も夕映えてゆく

小便が水にぶつかる音さえも生の証しと思うことあり

気の満ちてこぬ一日か憎むべき世評に押し潰されそうになる

起きらねばならぬ時刻に眠くなる落下してゆく夢ばかり見て

伝うべきことも言えずに二人いるツグミが胸を反らし見ている

番いとはなれぬ二人かカイツブリ群るる湖面に映りつつ行く

サラ金のCM流れゆく部屋を異国のように思いつつ過ぐ

植物は泉の形に地を覆いわが眠る間も地球は回る

肉体を離れて心飛んでいる人の醜さばかり見つめて

金木犀の葉の影揺れて映りいる障子も我も夜も明るし

眼裏の模様はDNAなのか果てなき夢も現れながら

鳥の聲聴きつつ夢の途中にもなべて時間の川流れゆく

時の川流れて四角いわが布団もう少しだけ眠っていたい

少しずつ夕べ明るく路地横に待ちしロゼット立ち上がりゆく

玄関を開ければ船が出るように小雪が斜めに流れつつ降る

気が付けば今年も梅の花開く立ち止まることなく時は過ぐ

網走は今日は吹雪くと便りありここ梅開く高槻にいて

どのように生き肉片にされたのか牛に今さら人騒ぎいる

真夜中の部屋には窓の光のみ首傾けてスタンド凛々し

氷原の海見渡せば渺々と地の果てより風ぶつかりてくる

雪撥ねてゆく除雪車のゆっくりと過ぎて未明の静けさ戻る

オレンジの灯のカラカラと除雪車の過ぎて未明の町整いぬ

影落とし地に貼り付いている雲を見下ろしつつ飛ぶ我が視界あり

こんなにも明るき雲をなつかしく思いて死後の不安も消える

流氷に鎮まる海の一角を揺れて砕けて叫ぶ波あり

亡くなりし義父はいないかくっきりと波に打たれて氷塊が見ゆ

氷原の中に広がる瑠璃色の海あり激しく水鳥叫ぶ

流されて岸に収まる氷塊のまぶしく細くなりつつ白し

氷塊の大平原を流れゆく雲の影あり音もなく過ぐ

岸に残されし流氷群を見る人には言えぬ苦しみを持ち

雪の白き明るさは悲しみを呼ぶ氷塊は空白に輝く

流氷の青き地の色雪解けて午後の光にさらされてゆく

氷塊の上に輝く雪の粒宝石は目の中にあるもの

金属の光沢見せて流氷の残骸並ぶ岸に来ている

坂田博義のかなしみ氷塊の岸に置かれて夕影を浴ぶ

真夜中に痛む胃もわが一部にて網走の夜を共に過ごしつ

雪明かりゆえにか夜がまぶしくて網走の夜まんじりともせず

向陽を上る途中にオジロワシ木に止まりしも今はまぼろし

雪道を踏めば命の音ひびき止まれば風がしじまを運ぶ

海は明るく氷原青く鎮まれり夜明け岐羅比良坂を上れば

わが脳の中の風景より出でて現つ朝日の輝き始む

卵黄のような朝日が光の矢放ちて帽子岩を見ている

海白く氷原青く鎮まりて雲の真下にあるオホーツク

黄金色に海きらきらと輝きぬ流氷群るるあちらこちらに

藤色に流氷原は影のごと卵黄の海輝くばかり

白樺の林の走りゆく向こう流氷原ありありと我が視野

向陽ケ丘より朝の氷海が赤紫に鎮まりて見ゆ

流氷が朝の光を鎮めいる海きらきらと輝くみれば

紫に流氷の帯灯しつつ卵黄やわらかに昇りゆく

流氷の間にまの海に卵黄の輝くばかり朝の静もり

岐羅比良坂上るは我と朝日のみ卵黄色に海輝けば

心臓のように動いて絶え間無くクリオネあちらこちらを泳ぐ

白鳥もカモメも渡る氷海の浜小清水の風に吹かるる

山頂の丸く優しき藻琴山氷海広がる真対いに見ゆ

卵黄の渦巻きつつ氷海の上わが命ありありと見ている

氷塊に氷塊の影水色に置かれて流氷原は鎮まる

我が命しばし見ている氷塊が岸に横たう獣のごとし

雲間より見ゆる下界は海中のごとくに青き影まといいる

波立てば海の小さな創のごとあちこち見えて機は降りてゆく

目つむれば瞬時壊れて光景のそのまま闇となることがある

我が視野をつくづく画面と思いつつ人の流れる地下街にいる

かくまでに人あまたいて誰も誰も命の在り処わからずにいる

瞬きをするうちいつか我が視野も命も何もなくなるだろう

目交いを人も車も流れゆく滝壺のような滅びに向かい

既に子の齢の生徒どのようなしぐさも可愛くなりてしまいぬ

布団に包まりて眠れば弥生雨ざわめき響く地下も地上も

教師にも好き嫌いありクラス替え作業の生徒の名前が並ぶ

次々に入れ替えられてゆく名前生徒が選ぶことはできない

不等辺四角形のみ溢れいる我が視野と思うひねもす過ぎて

少しずつ少しずつ赤多くなる椿見て過ぐ人も車も

夕方となり夜となる単純をこの頃驚異と思うことあり