流氷記三十七号『輝く旅』

褒めるのは甘いと陰口叩かれるされど生徒が輝きて見ゆ

炊飯器蒸気の翼ごうごうと未明の空を飛びつづけおり

人という乗り物に乗り旅をするいつか下車することに怯えて

わが内の無数の生きもの生と死を繰り返しつつ今日もあるべし

幾億の微生物いるわが体ひとつの星と同じ気がする

億年も数秒にして大宇宙広げて煙草吸う老爺あり

亡くなるは無くなることか今日一つ義父の形見の草履を捨てる

その後も言いたいことがある死者も過去へ過去へと墜ちてゆくべし

生まれれば死ぬのは当たり前なのに死にたくないと思い悩みぬ

義父の形見のサンダルの緒が切れて捨てし昨日も過去に収まる

死者の形見を身に付けて少しずつ黄泉へと近くなりにけるかも

口は横性器は縦に裂けて十字となり眠る明日が来るまで

立ち止まり見えないものを見んとする我いぶかりて妻は見ている

黎明の鳥鳴く前のつかの間は我が血液のせせらぎを聞く

残された生者のために弔いの式進みゆく死者横たえば

キリストも釈迦も異端の少数の一人に過ぎぬ命ある時

キリストも死後輝いて語られる全て生者の都合によりて

極小と言われる原子の構造と宇宙と似て果てしなきこの世は

人の死に遭えば自分に残された月日が鼓動を持ちて迫り来

もうこれで死んでもいいと言う程の作品ありや今日もまた過ぐ

書かないも一つの行為流氷記思いはおのずからでありたく

秋の虫たちはどこへと行ったのか木枯らしきつく吹き抜けるのみ

戦闘機一気に発ちて沖縄の基地より殺しに行くとは言わず

少しずつ少しずつわが居る体弱り崩れて行きつつかなし

アメリカの日本州とは裏腹の大和ごころも儚くなりぬ

生も死も一瞬されど窓枠をしばらく羊雲渡りゆく

人としてあと何日を生きられる切なさきゅんとしてくる夜明け

地球さえ壊れた直後のシャボン玉空間ばかりニュートリノ過ぐ

確実に次々人も死んでゆく地球の形の林檎をかじる

触れ合いこそ大切なのにセクハラの一語が支離滅裂に巣喰いぬ

見るたびに優しく小さくなり給う父母会うが別れなるべし

十円で肩揉み腰揉みする娘父の弱点自ずから知る

物忘れ激しきことも責めるより笑うよりしょうがないじゃないか

サボったり裏切ったりも繰り返し日々を営むわが遺伝子は

修正するプログラムも又暴走しパソコンに使われて日が過ぐ

その果てに死を組み入れし遺伝子の知恵もて人は悩みつつ生く

物忘れするのは修正プログラムなのかも今日もようよう暮れる

蓄えて補うための遺伝子が日本を過剰に太らせてゆく

日本もそういう時代があったとよ母の少女期戦いさなか

霜月になれば見上げる夜も冷えてべガ・アルタイル西に輝く

現つとも夢とも未明霜月の獅子座流星群を見ている

流れ星一瞬我も光るらし夢も現つも錯覚なれば

この夜空見上げているか死に際の醜い戦のさなかの人も

太陽も月も地球もわが死後も変わらず何ということもなく

次々と乾いた涙落としゆく桜並木も冬に近づく

鮮やかな黄色い炎の続く道イチョウは未練振りほどきつつ

北斎となりてクレーン山際に大きな夕日しばらく吊るす

亡くなりし人の思いも詰まりいる流氷記一人一人に送る

輝きて風にそよげる枯れ葉見ゆ散りゆくまでのつかの間にして

先生を高安さんと言わせいし永田も今は権威となりぬ

印篭が目に入らぬか茶番劇ニュースは独裁主義を笑えど

生徒から我見てみれば何とまあ訳の分からぬことばかり言う

時変わり所変われば考えの違いで人も殺されてゆく

心から人は景色を見るものか秋より冬へ雲移りゆく

落ち葉踏めばドングリ混じる秋の香の斑らな日差しに溶かされている

雪塊が一気に水と流れゆく梨噛み潰せば口中にあり

柿の実に噛み跡残る甘暗き夕べも早く暮れてしまえり

動かなくなれば捨てるを繰り返し家電と人と家に収まる

ウォークマン読経のごとく若者の悟り顔あり地下鉄の中

生き物を殺して飾る人間の都合の神など居るわけがない

パソコンの画面なれども警告を無視して先に進むことあり

夢を見てるような人生今日もまたあっという間の夕闇にいる

遺伝子に刻まれて死も波打ちの貝殻となり砂となるべし

何となくいつの間に死に眼裏の果てしなき夜を眠れずにいる

キリストは左の頬も出せと言い戦を好むヒト諫めいし

人として生まれた幸と悲しみを深夜眠れぬまま思いおり

蓑虫のように布団に浸りいるこの温もりが生きるよろこび

言い訳にばかり使われ人により神はほとほと疲れいるべし

宇宙船駅はどこやら次々に燃えてこの世の人消えてゆく

今くぐる明石大橋脳髄に杭打ち込みて震災となる

争いを好まぬ筈の宗教がなぜか戦の火種となりぬ

朝寝髪たやすく梳り生き生きと別の顔して君は出て行く

思い出の一部となりて伯父の臨終に立ち会う数人がいる

待つ人の頃合い見てか伯父の意思どこか感じて臨終にいる

新幹線で我が来るのを待つように伯父目前で息引き取りぬ

さまざまな七十五年も臨終の一礼となり冷えてゆくのみ

臨終となりて横たう伯父の顔見つめて母は声放ち泣く

数日前話したばかりの伯父が今火葬の炎のただ中にいる

正妻と愛人と手を握り合い夫をかなしむ伯父焼かれつつ

四十年半ば連れ添い来し女に伯父の小さな骨片拾う

輝 く 旅

生きるとは愛とは何かしみじみと君に会うたび優しくなりぬ

氷点や塩狩峠を語るとき君の心の奥処をのぞく

人責めず己を変えることばかり娘の笑顔を生き甲斐として

流れ星降る黎明にみまかりて花のしとねに君横たわる

生きている我ら残して横たわり輝く旅に君出でんとす

      (西陵中保護者西尾妙子さんを悼んで)

 氷   漠

この宇宙地球に人として今ある不思議思えば楽し

解らないことばかりにて生きている不可思議ブラックホールに遊ぶ

星のように輝く水をプラタナス吸いて立つ夜のオリオン光る

オホーツク海に広がる氷漠を想いて眠れ芯寒き夜は

流氷を踏めばバウンドして地平まで果てしなき氷漠揺れる

 (短歌総合新聞『ミューズ』90号現代作家作品Tより転載)