流氷記三十八号『帽子岩』の歌

始まりも終わりもなければ仮の世の今朝の霧吹く渋滞にいる

ゆっくりと摂津富田に入る電車始発明るき透明な箱

幾つもの箱に乗り継ぎ行くものか人生既に半ばを越えて

伯父の死は十万円の棺にて儚きこの世の果てのゆうぐれ

生きている人自ずから運ばれて電車と電車すれ違いゆく

海ばかり過ぎれば襟裳岬来て白き北海道が広がる

がりがりと固き雪踏む靴底に我が体重を乗せて道行く

網走は零下十二度水でなく凍れば思想も湿ることなし

みしみしと流氷鳴きて裂け目より透明な血の海が噴き出す

氷塊の上に座れば悲鳴とも怨嗟ともなき声こだまする

意に添わぬ者には敵意むき出しにして人かなしけだものなれば

ヒトラーや金正日を望むのか従順時に残酷になる

それぞれに正義と悪があり我も悪の一人になることがある

人殺しなくならぬ世に平和への議論侃々諤々続く

氷塊の群れが泣き交う渚潟浜小清水に海別岳迫る

真夜中に目覚めて自分の内蔵に元気でいろよと思う外なし

氷原が果てまで続くその果てに燃えつつ夕日今沈みゆく

丸鋸のような夕日が氷海の果てに真っ赤になりて墜ちゆく

違反して壊してアクション映画過ぐどっちが正義か悪かわからず

人殺し正義がやれば許される理不尽がまだドラマの主流

民主主義共産主義もサル科ヒト棲めば争い繰り返しゆく

我もまた土の一部かしとしとと降る春の雨聴きつつ眠る

春雨と炊飯器の音混じりいる夢のシーンはクライマックス

棺に居る死者には関わりなき葬儀なのかも集う人なつかしき

灰色に街はアスファルトの匂いヒトの地球は滅びゆくべし

人間の際限のなき欲望はブラックホールに呑まれゆくべし

殺されること知りて牛うんもーと月夜の空に泣きわたりゆく

ああ俺も若者だった時もありあっという間に黄昏れている

一冬のいのち流氷軋みつつ群れてけだもの横たうごとし

流氷がいまだ接岸すると聞く春の嵐の吹きすさぶ夜

悔しくて眠れぬ夜は選り分けて言葉を歌となるまで磨く

ヒトの群れリズムに合わせ一斉にヒトラーなんてどこにでもいる

桜雨聴きつつ眠る幼き日も今も変わらぬ耳の洞窟

雨の音そのものになり聴いている地中に眠る命の鼓動

ヒトラーに忠実だった人々が戦後見事に消えてしまえり

どこまでも平和な日本の若者が戦争ゲームばかりしている

どこか嘘ついて生きてる人々が今地下街にあふれつつ行く

氷原は零下十五度結晶となりて心もきらきらとする

先生と呼び合う苦しみもありて職員会議ようやく終わる

群れないと逆境になる職場にて独りしみじみ十年が過ぐ

流氷の軋みかなしく鳴り響く白き浜小清水の海あり

流氷が動きて微かな音ひびきクリオネ羽をひらめかすらし

苦しみも中断されてかしましき雀の声に耳澄ましいる

ヒトラーや金正日やスターリン身近にいると思うことあり

流氷は掻き分けられてまた凍り船の軌跡も白くなりゆく

流氷の上に積む雪足乗せて水鳥憩う網走河口

だっだっだっ港の流氷掻き分けて小さな生活の船が出て行く

帽子岩カムイワタラは神の岩いま朝霧に見え隠れする

俺の言うことを聞かねば居られなくなるぞとかつて老教師ありき

風に乗り押し合いへし合い流氷の群れあり一つも同じものなし

陸からの風吹けば波打ち際に亀裂広がる流氷原あり

戦争では罪にはならぬ人殺し三面記事とは何なのだろう

与野党の立場で変わる言葉かと選挙のための政策を聞く

ここまでと亀裂広がる氷原にきつねの足跡一筋続く

坂もまた輝く岐羅比良坂に来て上るたび知床も上るよ

網走は底に金具のついた靴求めてがりごり街歩きゆく

滑るたび骨うつたびに網走の苦しき甘き過去よみがえる

流氷を鎮めてそこに帽子岩地上の星か朝の日を浴ぶ

網走の二月の雀よ酷寒の大気を群れて鳴きながら飛ぶ

網走川凍る河口に群れて鳴く一期一会の海鳥も過ぐ

朝霧に見え隠れする灯台と帽子岩わが立ち尽くすのみ

流氷もしばらく揺れて灯台と灯台の間を船が出てゆく

リモコンにみな操られいるような視界は携帯持つ人ばかり

肛門や性器は磯巾着や貝なのかも人が地に溢れいる

本能と生殖なのに猥褻という文字ヒトは持ちあぐねいる

近づいて痺れて魚食べられる性器のごとき磯巾着に

貝殻のごとき布団の中に寝て夢見て人は肺呼吸する

さまざまな海の生き物組み合わせ奇妙奇天烈ヒトというもの

仕方ないの中の犠牲に幼子の何も語れぬ死が置かれおり

何一つ無駄などなくて生きて来たこの頃そんな思いに浸る

残されて渚に座る氷塊と帽子岩あり午後の日に照る

突然にかつて生徒を傷つけた言葉に思い至ることあり

担任を外されるとか飛ばされるとか偏見の言の葉かなし

偏見と残忍ヒトは好むのか時にテレビに怒ることあり

歌を生む夜明けは鳥や冷蔵庫炊飯器と居て詩人に還る

黎明は雀と鳩の声ひびきこの世の音を初期化している

炊飯器機関車の音響かせて元気の匂い運びくるらし

大粒の雨が頭蓋に沁みてくる屋根叩く音聴きつつ眠る

何思い何を書いたかぐしゃぐしゃのメモあり闇は己れにもある

世間から認められたとなど聞けばかなし心は彷徨いながら