流氷記39号悲母蝶歌・雑記・編集後記

アカシアの枯れ花だらりぶら下がり夏へと一気にまた暑くなる

すさまじき剣幕妻と娘が対い譲らぬままの夕餉となりぬ

朝が来ても起きられなくなる暗闇の恐怖に独り目覚めておりぬ

丸まりて布団に入ればじんわりと体に沁みて温かさ湧く

少しずつ死を目の当たりにして人はやがては来る日思いつつ寝る

太陽すらなかった頃の新超星七十億光年もまぼろし

朝ごとに尻むきだしにしてヒトはとんでもないこと考えたりする

流氷記入れるポストのその横にガクアジサイの紫匂う

円筒のゴミ籠口を広げいる部屋にはモーツァルトがひびく

いつもとは違う妹声荒らげ電話に母の苦しみ伝う

美しき神戸の夜景も岡山も母の命の無事祈るのみ

街の灯も山も飛ばして垂乳根の母の命を助けてくれよ

ゴーゴーと新幹線の強き音命はかなき母へと向かう

学校に戻れと苦しみの際で母言う言葉にならぬ言葉で

あえぎつつ子のこと夫のことを言う母を叱りてたまらなくなる

見舞う人ごとに目を開けありがとうあえぎつつ言う母の一期は

頑張って頑張ってとしかつぶやけず母の苦しむ耐え難き声

苦しみの際で物言う母を叱り少し眠れと願いつついる

五分ごと母にうがいをさせてやる深夜よ水がごぼごぼと湧く

やっと母眠ってくれたと思うまに忽ち危篤となりてしまいぬ

死ぬことが楽になるのか目前の母の苦しみ如何ともなし

自分ならこんなに我慢出来るのか母の苦しみ死に向かいつつ

頻繁に喉を潤す母のため楽呑み奇蹟の水となるべし

もういいよ死んでもいいよと苦しみの母見て思う励ましながら

楽になるとは死ぬことか苦しみにあえぐ母その心かなしみ

最期かもしれぬ苦しみ耐えている母に付き添う幾夜かが過ぐ

膵臓炎苦しみながらなお母は我に帰れと心を配る

母さんと叫べば数字が動き出すその繰り返しついには止まる

ある時は我の全てとしての母今死に給う数字が止まり

生き様も死に際も母美事にて悲しけど誇らかに見送る

母さんと叫べば数字がまた動く最期の母の心と通う

紫陽花のうすむらさきは母の色みまかりて後しめやかに咲く

風吹けば雨の滴くを落としいる紫陽花母をかなしむごとし

母さんと呼べど返事をしてくれぬ美しいその死に顔がある

はだか身は美しけれど痛々し母の湯灌の束の間かなし

苦しみを解き放たれて横たわる母あり微笑のかく美しき

痛々しい母の体のごとくにて無花果太くくねりつつ立つ

にこやかに笑う遺影の母がいてヤマユリふわり匂うこの部屋

雨の後ひんやり風の渡りいる庭にも母はもう出てこない

網膜に残りて動くさまざまな母あり忘れ草群れて咲く

庭を這う小さな茶色の毛虫見ゆ健気に動く命というもの

水滴が横に走りて母の死を新幹線の窓もかなしむ

殺す気になれず毛虫を見ておれば赤子のごときかなしみが湧く

手を伸ばし蛍光灯の紐掴む天より光賜るがごと

母居ない家か風さえ一巡りして静寂を怖れいるらし

母の居ない家に帰れば声掛けてくれる気がする風渡るたび

もしたらで母生き返る訳もなく一週間がもう過ぎている

いずれ死に赴く我か母が居るただそれだけで身近となりぬ

坂下りて池を巡れば蓮の花浄土か凛と首伸ばし立つ

緊張が緩みはじめて母の死の七日後涙滴りてくる

信号に不意に時間を止められる余命の禍福揺られいるらし

朝の畦道を歩めばツユクサの露が微かな風さそいおり

苦しみの母が望んだかもしれぬ浄土を拝むなむあみだぶつ

流氷が時に接岸するように母よ戻って声掛けて来て

見る限り海は流氷原となる母よこの世にかく現れよ

氷塊が積み上げられて天を向く真白き熱き心となりぬ

いつの間に流氷原の上にいる我の心は羽ばたきながら

海覆う流氷原の束の間がこの世か死者こそ数限りなし

土石流積みて鎮まり呆然と人は太古のかなしみにいる

華やかに飛びて視野から消えている蝶よ逢うこそ別れのはじめ

表層に積む雪取れて生まなまと裸身のごとき氷塊が立つ

くっきりと月が間近に浮かびいる流氷原に深夜来ている

周りには過去となれども生まなまと日々母の死が反芻される

我に手紙書きたいばかりに毎朝の天声人語を母写し来し

百七冊途中で母の文字絶えて天声人語のノートが残る

流氷が犇めきて泣く苦しみか母のいまわの際のこころは

楽になりたいとばかりに死を願う心を抑えかねつつ眠る

臨終のシーン幾度もよみがえり母が身近となりてしまいぬ

色褪せた好評分譲中の旗アレチマツヨイグサ群れて咲く

一片のつもりが母の分骨かタッパー家の片隅にある

紫陽花は萎れつつ咲く二十日して母の死いまだ受け入れずいる

生まれては消えゆく蝶かはらはらと袖はためかせ束の間を飛ぶ

電話すれば出そうな気がする真昼間よ母の命は既になけれど

草臥れて草に臥す場も今はなく指示待ち人が増えてきている

二日しか二日も母の苦しみのさまが日々折々に出てくる

流氷記読みつつ生きて死んでゆく人あり母も一人となりぬ

地平まで続く流氷原を越え真っ赤な夕日今沈みゆく

流氷原沈む夕日の瞬間に全ての音が吸い込まれゆく

母の死の後にも夕日赤き羽広げて沈む束の間かなし

紫陽花に吸われつつ降る雨見えて母の気配か甘き香のたつ

キンカンの葉を食い尽くし青虫の枝に止まれる無邪気な顔見ゆ

どのような生き物かになり母が今我の周りにいてる気がする

前世と後世つなぎ青虫の消えれば蝶になりて飛ぶらし

蝉時雨ノウゼンカズラの午後の闇覗いてしまえり生者なれども

我の居らぬ間にぎくしゃくとなりし生徒の心根に思い至りぬ

事実など簡単にねじ曲げて言う勢い口の立つ人かなし

柔らかき薄紫のタチアオイ母が好みし服浮かびきぬ

母亡くしし悲しみ身体に沁みとおり悪意にも心揺れることなし

大いなる悲母とはかくも苦しみも怒りも包みこんでしまえり

揚羽蝶横切るたびに母が来て見守り給う胸ふさがりぬ

道の辺のしのぶもじずり若き母見知らぬ人と歩みつつおり

雨あとの地を低く飛びすぐ止まるアオスジアゲハ羽はためかせ

風に流されて木の葉のごときもの忽ち蝶となりて飛びゆく

揺れながらはたはた蝶は目に映る景を剥ぎ取りつつ宙を飛ぶ

誰を導いて咲くのか道の辺のホタルブクロに伴われゆく

梅雨明けて蝉やかましく鳴く波に乗りてはかなき母が来ている


雑記 ◆六月二十三日夜六時三十分過ぎの妹からの電話で始まった。「兄ちゃん、すぐに新幹線に乗り!母さ

んが急性膵炎に掛かって!今度は普通じゃないけん!すぐに新幹線に乗ってきー!そう、厚生年金病院、黒

崎の。今、車の中やけん。すぐに、乗り!」ただごとでない語調があった。妻に伝えて電車にそして、新大阪一

九時四二分発ひかりに乗った。病院に着くと母は苦しみに悶えていた。ありがとうと言い、苦しみの声であえぎ

あえぎ、学校に早く帰りなさい、来んでええのに、とも言った。僕も西陵中の一年と三年の一週間後の期末テス

トの作成が頭に浮かんで、一度帰らないとなど甘い考えも浮かんだ。が、母は苦しみ止まず急性膵炎は腹の中

が火事になっている状態で五日間を乗り切れば助かるかもしれないと主治医から説明があり、希望を繋いで母

の看病にあたった。ほぼ五分毎に喉の渇きを潤してやらねばならない。うがいをするだけで水は飲めない。僕

らにできるのは側にいて励まし楽呑みでうがいをさせてやるくらい。父も昨年は動脈瘤の大手術をしているし、

少しは眠りつつしないと皆が倒れてしまう。父と妹と三人、常に二人はいて交代で眠った。母は痛みで眠れずに

苦しんでいた。薬によって楽になるはずなのに母は苦しみ続け、その病状の進行の早さに薬の量を増やすなど

したが体も弱りだしたようだ。元来心臓が弱くもたなくなったのかもしれない。二四日午後、医師から人工呼吸

の話が出たので妻と娘を呼び、母の姉妹も呼んだ。友人などの見舞いにも母は必ず応対しあえぎながらもあり

がとうを言った。夕方駆けつけた娘にも大きくなってと喜んだ。その後に付けた呼吸器は自力も出来るもので母

の意識と意思ははっきりしていた。二五日母はおとなしくなったがもう限界を越えていた。午後一時二三分皆

に見守られて息を引き取った。枕元の数字が前後していたがやがて止まり「母さん!」と叫ぶたびに何度か吹

き返し最期まで耳も確かだった。その夜と二六日と自宅で寝せた。葬儀屋がさらに丁寧な湯灌、化粧もして母

は一段と美しくなり、一度も顔に布を被せることはなかった。今にも起きそうな寝顔だと顔を何度も触る親戚も

あった。二七日通夜、二八日葬儀、通夜では親戚縁者代表で挨拶した。葬儀では娘が代表で言葉を贈った。

家族だけでもいいと誰にも連絡しなかったが三百人以上の人が集まり惜しんでくれた。骨もきれいに焼けてい

た。美事な死に様だった。生前ノートに写していた天声人語が百七冊目途中で空白を残した。天声人語の後に

は日記が綴られていた。三月二八日僕の歌が折々の歌に載り、何と今日の嬉しいこと、と書かれていた。最初

で最後の親孝行だったのかも知れない。川添キミ子、昭和五年五月二九日福岡県生。父とは従兄弟同士。純

粋で一途でお人好し、最期まで優しく美しい母だった。

編集後記

 突然の母の死がまだ映画を観たばかりの興奮から覚めぬように信じ切れずいる。でも人に限らず死とはこう

いうものなのであろう。九州から自宅に戻ると貰っていた甲虫の幼虫が孵っていてそれに雌を買ってあてがっ

たが先日もうその雌が死んでしまった。日々他の生物の死を食べながら人の死がどんどん過去になっていくの

を哀しむ。そんな人の有様を描いていくことになろう。百七冊の天声人語の写しを見たとき初めて未だ母の掌の

上にいるに過ぎない自分に愕然とした。母の死への悲しみからか目前の苦しみ怒りにも動揺することのない悲

母という言葉の実感を体験した気がして今号の題名とした。母に捧げたい。