流氷記40号夢一途の歌

鳳仙花弾ける夏は午後の闇突き抜けて秋そこに来ている

庭の片隅のダリアは天を向き人に従かぬと凛と咲く見ゆ

セメントの小さな川あり人植えし白き虎の尾しめやかに咲く

ふうわりとキキョウ咲く庭夏の日を吸いて立つらし秋遠からじ

この朝の睡蓮開く時に来て亡き母偲ぶ静けさにいる

森抜けて不意に明るき草原に大きな木槿の花開きおり

我が体いかなる水で出来ている蒸しむし雨の音聴いて寝る

雲の下は水槽のごと地を歩む人か帰りて後に想いぬ

新幹線乗るたび母の危篤の日よみがえり来る揺れつつ思う

誕生日美空ひばりと同じにて一日違いに逝きにし母は

母よりも若く逝きにし人あれば少し得心させられて寝る

美空ひばり六月二十四日死す一途さ母に似ると思いぬ

ゆめいちず桐箱に扇子納まりて吉永小百合さんより届く

人の生なんて束の間夢一途抱いて生きな命の限り

人責めるよりも自分が責められる方がと母に思い至りぬ

母の骨カラスが遠く近く鳴く初盆死者の風渡るらし

脳にぎざぎざの波寄せ蝉時雨生まれては死ぬ命がひびく

提灯と棚飾られて骨壺と遺影の母が現れてくる

こんないい人はおらんと言われつつ母の遺影は常微笑みぬ

心から母を悼みて来てくれる人と涙を流しつついる

見るたびに喜怒哀楽の違いいる遺影の母あり心に沁みる

骨になると母は遺影に移りいる喜怒哀楽を確かに備え

半世紀以上も母と連れ添いて父の涙は滂沱となりぬ

母に励まされし人らが弔問に来るたび無常のかなしみを知る

今にして思えば母は死の準備いつもしていたような気がする

杖つきて母の弔慰に訪れし人を支えて玄関にいる

故郷と離れて居りしも母死して母と身近になりてしまえり

母の死を悲しみながら食べている鯖か死後幾日なのだろう

現身の母に隠れていた父の優しさ此の頃気づくことあり

残されし父の頑固を頼もしく思えて少し遺影と笑う

連れ添いし人を亡くして少しずつ頑固の形変わっていく父

逆らわずただ淡々と聞いている父の行き場のない不機嫌を

母の優しさの際だつ死後ゆえに生者は少し小さくなりぬ

いやいやをして扇風機置かれいる人は地球の王者にあらず

道の端小さく白く秘やかなゲンノショウコの花を見ている

天国も浄土もなくて蝉時雨帰らぬ母を偲びつついる

韮の花群れて名残の日差し浴びヒメアカタテハ風起こすらし

こんなにも我が身内からずっしりと抜けるものあり母の死なれば

いい人を亡くしてほんとに寂しかね母がみんなの想い出になる

阿弥陀さん母さん二つの御仏飯今日こそ残さず食べて下さい

六時には一気に暗くなる九月わが今生もやがてまぼろし

幾つもの部屋なる夢の洞窟を出られなくなる母捜すうち

死にて後も心はありや夏過ぎて風に混じりて母の声する

今日も鬱々と過ごせり母亡くて何の変わりもないというのに

死後出会う若き激しき母なれば夢といえども声あげて泣く

いつまでも子供のままの我がめぐり母は死んでも見守りてくる

母亡くてつくづく惜ーしツクツクと天より神の繰り言ひびく

秋の風渡れば外は憂い様子ウイヨース蝉やがて死ぬまで

熊蝉が必死に時間も空間も揺るがせ頁めくられてゆく

今どこに居るのか母の亡くなりし夜空に火星輝きて見ゆ

もう少しなどと我が死も近くなる九月は冬の風まじりいる

捨てるものばかり増やすと妻が言う我の余生もかくのごときか

あの虹の下に小さな家の群れ卵のごとし人巣くうらし

数限りなき夢持ちて母は今いずこにありや百日忌過ぐ

淀川に夕日とどまる流れ見ゆ海と空とのけじめなき果て

誰そ彼れにまぎれて母ら透明な人らか風がすり抜けてゆく

くっきりと渋色茅切擬き鳴くしばらく母が此の世にもいる

仏壇屋親鸞日蓮並びいてあの世この世の金ピカあわれ

ススキ原いざ肉体を脱ぎ捨てて母よ風立つ夕暮れにいる

法事に行く新幹線より華やかに咲く曼珠沙華流れつつ見ゆ

足止まりつい見てしまうカンナ花母の生死に関わりもなく

本当に母さん死んでしまったの?この思い常あるがかなしき

秋桜の上にヒメアカタテハ舞い揺れつつ花とともに吹かるる

窓外の簾の影が映りいる明るき襖の朝をまどろむ

夢一途ついふらふらとしてしまう我にも輝く一つ星あり

スクリーン広がるように視野展け生きる喜び湧き出でてくる

九十を越えて喜び哀しみを近藤先生熱く語れり

不幸にさえ分け入って来る人あれば怨憎会苦と思う外なし

川筋に人間カビのように棲む地球の命今真っ盛り

不可解な夢の幾つか前世の続きなのかも小夜時雨降る

文章題つまらぬ仮定あきれ言う娘と同じ怒りあるのみ

くらくらと夏よ急げの日射し浴び藤本芽子の脳幹揺れる

メモ取らぬままに忘れし歌幾つ脳裡に沁みて日が沈みゆく

齢重ね楽しきことに上品で素敵な喜多嶋洋子見ている

胴上げの星野阪神優勝と母の死縁という他はなく

闇と闇つながる故に眠りより覚めればひとり網走にいる

向陽ヶ丘より海が見えている常流氷を育みながら

灯台に灯台対う母も子も互いの存在のみを見ていし

流氷の間に間に浮かぶ帽子岩次々生死入れ替わりゆく

朝霧の空へと向かう車列見ゆ人生五十年もまぼろし




編集後記  母の葬儀が終わって高槻に帰ると吉永さんより「ゆめいちず」と書かれた立派な扇子が届き、伯父と母の死が続き挽歌ばかりだった自分にとって希望と夢のある『夢一途』で行こうと決めた。涙もろい母であったが明るいことが好きで僕がいつまでも死を悼んでいるのを叱ってくれているような気がする。日に日に悲しさの増すこの頃だが無理にでも明るく夢を抱いて生きていきたい。亡くなった方も含めて流氷記には沢山の期待と夢が詰まっている。なかなか流氷記を出せないのはこんな産みの苦しみを味わっているに過ぎない。常に味わえるものでありたい。