流氷記四十三号紫陽母の歌

稲の葉にちょこんと座る雨蛙母亡き我のなぐさめとなる

殺人を狩猟のごとく楽しんで兵士は神に祈りを捧ぐ

眼交いは襖の笹の絵模様を早朝まどろみながら見ている

カマキリの頭のごとき紫陽花の緑のつぼみ青々として

物忘れ名忘れ脳が雨の音しみじみ今朝は眠りつつ聴く

目つむれば銀河のごとき輝きの向こう母棲む星見えてくる

少しずつ言葉に変えて真向かえば中学生の心に触れる

干涸らびていきつつ蚯蚓アスファルト舗道を人の行き来がつづく

カマキリのあまた頭の紫陽花の幼き花の緑が匂う

独り言なれども母と対話する時間この頃増えてきている

見たい顔触れたい心あまたあり授業へ階段急いで上る

十分の休憩も教室にいて椰子の実暗唱する生徒聞く

「Aでないことがわかった」間違いを糧としてわが授業は続く

水戸黄門、金正日のようなものなんて見方も出来るのだろう

校庭の山苺の実を食べに来るカラスに怒る教師の声す

小賢しい人にはなるな真っ白な雲ゆっくりと窓わたりゆく

鳥が泣く鳴くでなくては擬人法ヒトの傲りは数限りなく

名声に見合う歌とは思われぬかつての仲間の此の頃かなし

野ざらしを心に歌をつくりゆく流氷記をわが道標として

もうちょっといい歌作らなあかんでェ生徒に言われて嬉しくなりぬ

次々に「そんなの無理」を打ち砕く授業なるべし生徒とともに

覚えさせ身につけさせて考える道筋自ずと拓かれてくる

身につけて名詩を空に口ずさむとき明らかに生徒は変わる

今日一つ歌身に付けて生き生きと生徒の口調弾む目がある

同じ口調同じ報道ばかりする日本はどこへ進むのだろう

次々に銃が暴走して終に束の間生きし人いなくなる

人のものだけじゃないのに真っ青な地球に罅がいりつつ回る

少しだけ違うものほど対立し母と娘今朝は口利かずいる

飛行機雲赫く染まりて夕焼けの空に梯子の伸びてゆくらし

柿若葉小公園には人影もなくて壊れたブランコひとつ

雨あとは人の気なくてヘビイチゴ小蛇すすすと己を運ぶ

竹若葉かさかさ我の死の後も匂いや音は変わらず続く

失敗に失敗重ねて暗唱し歓喜の叫びを生徒はあげる

暗唱の生徒増えればあきらめし子も挑まんと気持ちを変える

少しずつ出来るよろこび積み重ね生徒の笑顔増えつつ楽し

紫陽花にアオスジアゲハ花も舞い飛びたんとす風に吹かれて

食卓は土より生まれたものばかりヒト偉そうに食べているけど

地の中のマグマのごとくグツグツと炊飯器一日の始まり

歌や詩や句は空で言え中学生豊かな心育ちゆくべし

ウィーンうぃーん蚊に遊ばれて丑密は小さな殺意膨らませおり

吹けば飛ぶような蚊に弄ばれて殺意は思わぬところへ及ぶ

視界にはひしゃげた四角形ばかり思えば不思議な部屋に寝ている

目つむれば粉々になる視界かと思いて眠りの中に入りゆく

極端な菱形平行四辺形ばかりの視野に慣れてしまいぬ

部屋底の布団に体押しつけて泥鰌のように潜りつつ寝る

亡くなりてしまえば今はしみじみと耳にも目にも母棲みている

敷布団部屋に浮かべば流氷に乗りて漂うわが視野がある

五月雨に濡れて滴のきらきらとモミジそこだけ輝きて見ゆ

ナミコ姉ちゃんと遊んだ麦の穂の香る季節に母みまかりぬ

麦の香の丘に木立のごとく立ちふうわり白き雲を見ている

渡りゆく風に揺れつつハナミズキ時の流れは無情につづく

しどけなき風に揺れつつハナミズキ水面なけれど花びら浮かぶ

薔薇の花やさしく開き母の死をようやく少し受け入れており

エゴノキの花びら溜まる道端を流氷群のごとく見て過ぐ

若き日の母の微笑のよみがえる山帽子の花浮かぶがに咲く

梅雨の間のズボンの裾の濡れているシロツメ草を踏みて帰れば

今朝は晴れてクチナシ匂う通勤の路地にもなじみつつ過ぎてゆく

手の平の上に死体はぺちゃんこになりて払われ蚊の命消ゆ

たるみつつ顔は笑えど笑えない心となりて今日も暮れゆく

小六の娘と同じ齢にて殺人肯う少女もありぬ

武器を持つ少年少女の哀しみを想えば鮮やかな夕日見ゆ

昨日今日ベルトコンベア流れゆき少しずつわが壊されている

花びらは飛ばんと茎を伸ばしいる胡蝶花群るる山道下る

目つむりて後の景色はスクリーン眠ればたちまち異次元に入る

とめどなき花火か朝の空間に紫陽花の青はじけつつ咲く

母の死に顔の時折浮かびくる雨の紫陽花匂うこの部屋

サルビアの赤に幻惑されて見る妥協なき純粋を怖れる

胡麻粒のごとき地球に争いを繰り返し人つかの間を生く

たちまちに母の面影顕ちてくる菖蒲の花の群れる畦道

アスファルトの上に蚯蚓の藻掻きいる早朝勤めに急ぎつつ見ゆ

流氷のように筏のように漕ぐ白い布団の上の眠りは

苦しくも降りくる雨か紫陽花に母の微笑の死に顔浮かぶ

紫陽花は母にあらねど目詰めれば雨に打たれてそこだけ光る

束の間のこの世なれどもいちはつの花の不思議に見入ることあり

流氷が喉元塞ぐ朝方は冷たき水ごくごくごくと飲む

出る杭は殺る常識に今も満つキリストジャンヌダルクのように

九州の方言「常識ばかりする」言葉は真実隠すことあり

坂下るたびクチナシの匂いくる青い西河原新橋過ぎて

肩書きを外して聞けば心なくただの卒なき男目に見ゆ

梅雨あとの畦の緑に滲みつつムラサキツユクサ点々と咲く

あの時に死んでいたかもしれぬ死が流氷群となりて彷徨う

新幹線向かうは母の一周忌いまだに斯かる実感はなく

紫の花弁あえかに垂れて咲く菖蒲の花母若きころおい

一周忌まだ母の声聞こえくる家の小さな音伝うたび


雑記◆歌とこの雑記を残して母の一周忌に九州に向かう。大型の台風が南方に迫って時々細かな雨が降る。母の突然の死が周りの植物の見方までも変えた。実際に家に着いてみると母の声が至る所から聞こえてくる。最後の最期まで意識のはっきりしていた母はその死後までも周りを仕切っているのかもしれない。その通夜の時にもその火葬の時にも一筋ザァーと紫陽花の雨が降った。一年経った今も母と共に景色が流れていたような気がする。◆思えば母の死の頃、流氷記も完全に行き詰まっていた。自分の中で萎えていくものがあり、創意と切り離れて周りと同調し普通化していこうとしていた時期でもあった。それでも何とかしないといけないという裡なる欲求が芽生えるがその都度抹殺されてゆこうとしていた時期なのだろう。それを見透かすように母の懸命な姿があった。母の天声人語のことや折々の歌のことなど偶然の事とは今も思えない。◆流氷記も初めは妨害とまではいかないまでも続かないからやめとけとかうまくいく筈がないという声に満ちていた。キリストやジャンヌダルクのように殺されたり上杉鷹山や二宮尊徳のように多くの反対者に苦しめられた時期のあることは承知している。対する人々を徒に敵視するのでなく変えていくくらいの気持ちで精進していきたい。◆塔の先輩にあたる清原日出夫が亡くなる。僕の塔編集時には論争もしたし良く思われていなかったが、最近は流氷記に対して好意的な便りを時々もらうようになってきていた、その矢先である。歌壇の寵児でもあったがこれから開発すべき世界があったような気がしてならない。

編集後記★ご覧のように西中学校生徒も流氷記に徐々に親しんでくれるようになった。前号から表紙写真も網走流氷とは離れつつあるが日常での無常観や孤独感、漂泊への思いこそが流氷の本質であろうと日々の暮らしに目を向けている。もう6月半ばになり母の死から一年が過ぎてしまおうとしている。順風満帆に行く筈もないが流行よりも不易を追い求めた芭蕉の気持ちで流れていきたい。校庭にも日々新たな花が咲くがすぐに次の花へと移り替わる、そんな景色を眺めながら日々が流れていくのを目の当たりにする。自分は流氷の一塊となって海を漂いながら…。