流氷記45号花一会120首

一匹の蚊が潰される一瞬にこだわりながら眠りへと入る

スマトラ沖地震津波の映像よ生きるは今の今だけ確か

少しずつ朝が明るくなる二月流氷がわが脳裡にも満つ

大災害起こるも危害被るも人の勝手が絡まりている

目を開ければ蒲団の縁が氷壁となりて寝ており氷塊となり

なぜこんなつまらぬ人に腹が立つ未熟な自分を叱りつつ寝る

わが笑う声がそのまま母の声蛇腹のごとき日々くぐり来て

悔しさも腹立たしさも歌一つ出来れば平穏無事に収まる

体力が単に落ちたというだけか死ぬように寝て起きては浅し

さまざまな像次々に浮かびくる白昼も目をつぶれば楽し

目を閉じて聴けば居眠りばかりする教師と陰口叩かれており

所詮わが生あるうちのこの地球かの世は異星生も死もなく

地球裏返した所に棲むという母の遺影の微笑みかなし

死に至る所詮なれども最期まで心澄むべく歌詠うべし

氷海の果てかぎろいの立つ見えて過去の全てが美しくなる

川添君ぼくもうあかんねんと言う田中榮を励まして切る

癌転移して処置なくて帰りしと田中榮の声弱々し

ありがとうありがとうと二度言いし田中榮の最期となりぬ

川添君!田中榮の肉声が響く死を告げられたというに

あかんねんもうあかんねん田中さんこんなに弱々しい声で言う

この人に読んで欲しいと作りいし流氷記たださ迷うばかり

大切な人次々に亡くすたび死は心身にしみわたりゆく

母と来し天橋立磯清水黄泉がえりつつ味わいて飲む

死者と向き対話すること多くなる目覚めて起きるまでの数刻

目つむれば田中榮と母がいる眠りの中の会話は楽し

そのままの声が頭蓋に響きくる田中榮も我が裡に棲む

日本もひずみつつあり此の頃は笑えぬ笑いあまりに多し

歯の抜けた所より死が忍びよる舌は味わいたくはないのに

英ちゃん!と川添君!と聞こえくる母と田中榮亡くせば

食べ過ぎて胃が怒り出す真夜中は共に闘いつつやがて癒ゆ

あでやかに安威川桜咲き満ちて死者のあまねき心を伝う

死者ばかり母さん田中榮さん茫然自失今日も暮れゆく

死者達をたわわに乗せて散る桜言葉行き交う風渡るたび

舌に触れ大きく膨らむ血豆みゆ眠りいつしか死に変わるらし

祖先にも子孫にもわが心あり桜若葉の風を見ている

さざ波のごとくに光散りばめて桜若葉に風渡りゆく

真面目さが狭い教師の長短所独裁国家思うことあり

わが脳の裡に積もりて次々に桜花びら風渡るたび

桜花水滴となりわが脳裡ひたひた落ちて深夜眠れず

また人の死を聞く午前桜花散り急ぐため咲いたのだろうか

出世したらあかんで川添君!それが口癖田中榮かなしも

花脱ぎて緑若葉の耀えば我も桜の木となりて立つ

天国の母に見せたいこの桜並木を行けばはらはらと散る

彼の声彼の姿がまざまざと田中榮の骨と真向かう

毎日のように言葉を交わせしか泪突き上げくるものは何

さまざまな当たり前角突き合わせ世界は愚かな戦いをする

人生に月謝を払い過ぎているなどと思えど好奇は尽きず

午後の照り椿ムラサキシジミ来てしばし若き葉巡りつつ飛ぶ

よく見ればたわわに馬酔木花開く少し過ぎきて心に残る

川中に小鷺とどまり流れゆく時の流れに逆らうがごと

中一の娘と座る春日向ジョウビタキ来てきょろきょろとする

小庭辺の隅に置かれし花桃のあでやかなれば今日は良しとす

ヒサカキの花ひそやかに開きいし垣根過ぎれば墓地広がりぬ

木瓜の花色の紅色耀えば春過ぎて人は歳重ねおり

道の端ひそと小さく菫咲き風のごと時来ては過ぎゆく

紡ぎゆく仕草に揚羽蝶止まり杏の花が微妙に揺れる

蕗の薹見えて河原は石走る水の一途に春伝うらし

紫はこの世あの世の隔てなき姫踊り子草そこだけ群れる

翡翠は何思いいん美しき姿仕草の束の間が見ゆ

東雲の朝に輝く猫柳この世こそ極楽だと思え

玉キクラゲ血球のごと続く枝遍き命ひたすらにして

雨脚のいよよ激しく虫のごと自動車過ぎゆく水はじきつつ

信号に停まる自動車の続きいて巨大な虫と思いつつ過ぐ

少年のような笑顔を常持ちし田中榮は逝ってしまえり

彼と見し能取岬の流氷が遥か広がる目を閉じるたび

山吹が雨に打たれて唄いいるほんに緑に黄はよく似合う

ここにある不思議命はひびきあいカリン可憐な花開きおり

気がつけば鳩鳴き初めて早朝のまどろみゆっくゆっくと眠る

近づいて初めて分かる道の傍サヤエンドウの花を見ている

一枚の布団に縋りついて寝る時はまたたきつつ消えてゆく

我とわが時間次々消えてゆくクレマチス咲く庭過ぎる間も

若き母ゼラニウムの花見つつ待つ幼き我がわが内に棲む

ゼラニウム・チェリーセイジと様々な赤あり生きて今日も過ぎゆく

他人の家なれども赤き薔薇あまた咲けば嬉しくなりて過ぎゆく

躑躅花汚く残り此の頃は挽歌ばかりを我が作りいる

芍薬はあの世にも咲き母も観ているのか歓ぶ面影浮かぶ

母はもういないのだなと思いしる老女の何気ない仕草あり

親しき人死して心は凍りつつ流氷のごといよよさ迷う

流行で人は動いて戦いを好みますます滅びゆくべし

憎しみをつのらせながら滅びゆく人の群れあり民族という

すぐ前のことを忘れてこの世からあの世へ迷い入るのだろうか

日が暮れて星煌めけばアンコールワットのように墓群れ浮かぶ

カタバミの黄花にしばし目をやればヤマトシジミが訪れて来る

羽根拡げ密を吸うらしシジミ蝶その深き青生きてこそ見ゆ

花水木風に揺れつつ揚羽蝶あの世この世を飛び急ぐらし

宝石も敵わぬ深き羽根の色しみじみ蜆蝶を見ている

ビートルズ聴きつつ思う同時代生きていたこと至福の一つ

人の死を悼んで献花などという花は剪られていいのだろうか

最後かもしれぬ桜の花を見る花びらひらりわが命かも

イヴモンタン・アズナブール聴く日曜日幸せはかく心に沁みる

田中さんどこにいるのかゼラニウム日陰にありて紅際だてり

蜘蛛膜下出血だったと同僚の死を聞く逃げ場なきと思えど

一日が日々速くなり追い越して夜汽車たちまち闇へと変わる

目つむればオルフェの鏡の中に入り流氷がわが海を彷徨う

畳の上白き布団の夜毎行く夢漁り火のごとくに灯る

気がつけば鳩鳴き交わす夏未明かくのごときか死後も未生も

あきらめという感情が身に染みて真夜秒針の音聴いている

人の世に戸惑い動けぬ我を透き時は容赦もなく過ぎてゆく

ああ恋がしたいの!中学生言えば置き忘れてきた感情と知る

カラスより先に目覚めてわが未生はてしなき道脳裡に続く

天井の木目に人の顔見えて人に煩うこの世なるべし

田中さん母さん舌に転がせて死者に親しきこの夕まぐれ

白馬岳馬の形の駆け抜ける未来へ心明るくなりぬ

雪残る高原に来て水芭蕉生きるよろこび祈りつつ咲く

イヤホンに昼聴きし歌ほどかれて未明の耳に響きつつ過ぐ

この春に突然生れし野良仔猫雨の夜なれば気になりて寝る

紫陽花の咲くとみる間に枯れてゆく束の間母の三回忌過ぐ

死者の声耳に幾つも重ねいて晩年という歳に入るのか

太陽も地球も銀河も滅ぶものさればこの世は夢なのだろう

母の三回忌を終えてひた急ぐ新幹線わが命終めざし

ネガとポジ次々変わる世に出でて紋黄揚羽は羽ばたきやまず

ああせめて声が聴きたい話したい田中榮が身に染みてくる

何を見て考えしと日々伝えいし田中榮は死んでしまえり

デジタル化されてこの世の存在も命もDVDに収まる


文庫本『流氷記』の各誌の批評より

   三   枝    浩  樹
著者はかつて高安國世のもとで「塔」の編集に携わっていた気鋭の人。現在、歌壇とは一線を画して掌中サイズの個人歌誌「流氷記」を発行している。本集はその集大成でユニークな分厚い文庫本となった。氏の第三歌集である。
もういいよ死んでもいいよと苦しみの母見て思う励ましながら 
臨終のシーン幾度もよみがえり母が身近となりてしまいぬ
現身の母に隠れていた父の優しさ此の頃気づくことあり
残されし父の頑固を頼もしく思えて少し遺影と笑う
いい人を亡くしてほんとに寂しかね母がみんなの想い出になる平明ながら深い味わいのあるこれらの挽歌。中学の先生をしている氏は自分の生徒たちに分かってもらえないような空しい歌は作るまい、と思ったのではないか。哀しみと微笑ましさと、そして生きてゆく勇気。そんな思いがそっと手渡される歌集である。
                  (角川書店『短歌』二〇〇四年十二月号)

安 森 敏 隆
川添英一(大阪府高槻市)の『流氷記』(新葉館出版)は、二、三カ月に一回ずつ、友人知己に配られている豆本の歌をもとに纏めたユニークな文庫本形式の歌集である。
流氷に閉ざされいし海オホーツクブルーは深く息留めて見る
網走に置き忘れてきた魂の在り処を捜す冬来たるべし
著者は、学生時代を京都で過ごし、高安国世に師事し、その後、網走二中に数年間勤務した体験と「流氷」をモチーフに短歌を創り続けてきた歌人である。ここでうたわれる「流氷」は、氏の魂の根源を志向している。「解説」にかえて、氏の豆本に「一首評」を寄せられた阿川弘之、北杜夫、田辺聖子、三浦光世等の評が何ともあたたかく、よい解説になっている。
(京都新聞二〇〇四年十月九日夕刊『詩歌の本棚』一部抜粋)

櫟 原  聡
川添英一氏(大阪府高槻市)の『流氷記』(新葉館出版)は、手づくりの個人歌誌を文庫本にまとめたもの。「氷塊は一部屋ほどの大きさにぎっしり岸に積まれて並ぶ」と確かな存在感を刻みながら、「氷塊の上に座れば悲鳴とも怨嗟ともなき声こだまする」と、内なる声に耳を澄ませてもいる。平明な表現ながら、思いのよくこもる歌集である。
(朝日新聞二〇〇四年十月一日夕刊『詞華の森』一部抜粋)

雑 記 ◆三月、田中榮さんが亡くなった。掛け替えのない師であり、父であり、友であった。塔の大阪歌会が初めての出会いだったが、芭蕉の不易を追求する彼の姿勢に共感し、魅かれていった。西東三鬼や佐藤佐太郎の世界に入ったのも彼の影響。僕の網走行きや流氷記の在り方に誰より喜んでくれた。彼の理想とする形の一つを流氷記が体現していたのかもしれない。奥さんと共に網走に来てくれて、能取岬からの流氷原を見た時の興奮が忘れられない。彼がなければ流氷記もなかった。亡くなる一年ほど前、塔の選者を下りて作歌に専念すべしと強く勧めたことがあった。田中さんは立派な作家なんだから、もう他人のことばかりで煩うのはやめて自分の世界を追究すべきだと。「僕もそう思ってたんや。相談して良かった。川添君の言葉で決心がついた。ありがとう」と。河野裕子、栗木京子、冬道麻子等も田中榮選から巣立っていったが、そんな実績や肩書には全くこだわらなかった。流氷記も田中さんの言葉に耳を傾けつつ成長し世界を広げていった。文庫本流氷記も彼と相談した。一頁十二首立ても彼に送ってもらった文庫本柴生田稔歌集を参考にしたもの。彼の理想の歌集の一形態でもある。一昨年の母の死と同じく、これからも彼に見守られ続けるのであろう。生きている者の努めとして、流氷記も心して続けていきたい。◆今年の桜はひときわ美しかった。形の崩れないまま長く鑑賞することが出来た。安威川の桜に酔いながら田中さんの死がひたすら悲しかった。桜も散り娘も中一になり、やがて紫陽花の咲く頃、母の三周忌を迎えた。まだやり残していることばかり。ああ!◆今号は号名も表紙の写真も決定まで時間がかかったが表紙には網走二中旧校舎の桜の風景にした。その次の年には田中榮さん文子さん夫婦が校舎を訪ねてきてくれた思い出がある。

編集後記
45号夜汽車から長い期間があった。田中榮さんの亡くなったことで体ごとごっそり消耗してしまった。何かを発見したり感動するたびに田中さんと喜びを共有していた日々が一気になくなってしまったのだ。さらにこの号の題名もなかなか定められずひときわ美しかった桜を彼に伝えたかった無念の思いか一期一会の言葉が体中を駈け巡った。流氷記はこんな時期こそ見事に乗り越えていかなければならないのだ。田中榮さんの言われたように流氷記を突っ張ってでも敢行していきたい。きっと僕にしか流氷記にしか出来ない世界が広がっていくに違いないから。

網走二中にて  田中栄・文子 ご夫妻と