流氷記46号『惜一期』歌138首

時を食う鼓動のように鳩が鳴く朝はこの世かあの世か知らぬ

何と言われようと愚直に生きるのみ流氷記はわが一人にあらず

やかましく鴉鳴き交う早朝の命あるもの聴けるよろこび

熱下がるともなく夏の風邪を引きひねもす眠るなま浅きゆめ

憶良らはいかにか思うわが前を自動車の顔が次々と過ぐ

蜘蛛膜下出血前夜かもしれぬ我を訪うがに足音が過ぐ

我が庭に生まれし蝶の鳴くしばしやかましけれど体に沁みる

スポーツといえども勝ちにこだわりて北朝鮮の口調となりぬ

早朝の窓を開ければ蝉時雨コルク栓抜く一瞬のごと

月徐々に欠けつつ夜蝉吸いつづく己が余命もはかなかりけり

浅き夢なれども我は突然に大きな蟻に食べられている

八月と九月の境目か風に鈴虫すだく眠れとばかり

鈴虫の黄泉路呼びつつ流れくる秋の夜長は聴きつつ眠る

眠りつつ耳より体調える虫の音すだく秋来たるべし

こんなとこ入ってからにほんにもう母の小さな遺影をぬぐう

戦乱のさ中流行りし末法の極楽浄土今はたいずこ

目が合えば人を怖れるゴキブリの心となりて眠ることあり

こんな時電話していたときめきの名残よ田中榮はいない

命ある不思議不可思議竹簾少し揺らして猫横切りぬ

目の奥に見たこともない顔浮かび神なのかなどぼんやりと寝る

流氷のような模様がたちまちに母へと変わる夢のその奥

ご利用は計画的にとサラ金の女優はしたり妖しく笑う

疲れても虫ひびく夜はしみじみと田中榮と話したくなる

こんなことしてるうちにも死がやって来て無に全てしてしまうのか

母呼べど母の気配がするようでひんやり秋の風吹き抜ける

気が付けば機械に振り回されている命終までそう長くはないのに

お互いのハンドルネームもて語るチャットの文字はネオンのごとし

花一会感想葉書にて呉れし本田重一逝ってしまえり

ああ本田さんまで死んでしまいしと心も力も抜けてしまえり

数日後亡くなるのだと思わざり本田重一自筆の葉書

明らかに我を怖れて構えいるゴキブリなれど命を惜しむ

花になり星になりして生きるのかコスモス揺れる野に独りいる

百日紅ツクツクホーシ八月と九月の境夏終わりゆく

人の死はやがて己に連なるに中秋の月笑いつつ照る

この頃は日々飛ぶように過ぎてゆく車窓の景色と何ら変わらず

往き復り車窓より見るコスモスの一秒ほどの華やぎ残る

鰹節踊るお好み焼きを食う今日生き延びてきたということ

大粒の雨降り注ぐ紫陽花の群れて花火のごとくに弾む

小さくなり虫に弄ばれる夢覚めて畳の目の生なまし

浅き夢なれども我は突然に大きな蟻に食べられている

十月の雨のグランド茫洋と斑に白く輝きを浴ぶ

温かく声かけくるる生徒あり我も負けずに声かけて過ぐ

流氷を想えば知布泊での本田重一甦りくる

丸鋸のような夕日を二人見し沈みて語る珈琲苦し

阪神の勝ち続けいる部屋の隅虎杖の花誇らかに咲く

葛の花浮かぶがごとく咲く九月途切れ途切れに太鼓が響く

川土手に小さな鳥の群れるがに撫子風に揺れる音する

女郎花風に吹かれて揺れている夕月夜には誰も旅人

百代の過客となりて女郎花風に揺れつつ野に独り立つ

紫にすっくと桔梗伸びており川の畔にうつうつと来て

アスファルト裂け目に群れるオオバコの花茎は常に上向きに咲く

筋雲の空見て帰る田舎道赤唐辛子が心に残る

夭折の人の通夜へと向かう道雁来紅あれば心に残る

たくさんの車輪のごとく小車の群れている野に心は遊ぶ

赤まんま絡むよに咲く道端のくさむらは虫侍り居るべし

「ゾエ様」と呼ぶ生徒増え西中も居心地はよし二年目にして

擦れ違う時に大きなコンニチワ放ちて中学生は過ぎゆく

青・緑・白とゴールに突入し彼らの青き肉体躍る

応援の大きな叫び秋空に少年少女の声こだまする

本田さんいまだこの世にいるような気がして受話器に手をあててみる

抜かれつつ抜きつつ叫びは頂点に達して体育大会進む

泣く叫ぶ笑う瞬く間に変わる中学生のこのエネルギー

感傷を好んで涙流しいる生徒よ肩を組みつつ歌う

青春ドラマかつて流行りしこと思う体育大会涙で終わる

天井の板目に母の顔ありて思い込みこそ楽しかりけり

懐メロを聴けば母まだ若き頃思い出されて胸熱くなる

母死にて母が身近になりしことこの頃強く思うことあり

丸鋸のような夕日が氷海に沈むを本田さんと見ている

会うたびに話弾みて宇登呂まで二人来ていし本田さん亡し

流氷の今の様子を電話にて告げ来し本田さん今は亡し

田中さんそれ違うよと噛みつきしことも思い出今となりては

金木犀咲くを待ちわび漸くに匂えば楽し勤めに急ぐ

我が家の金木犀咲きそれだけで幸せと思い終日過ごす

黄金色金木犀咲き匂いきて高鳴る心如何ともなし

十月の午後の日差しの眩しくて数珠玉揺らし過ぎる道あり

喧嘩しに塔に入会したのかと聞くことなかれそうかもしれぬ

昨日は秋晴れだというに今朝は雨金木犀にぱたぱたと落つ

金木犀匂い漂う今朝の雨聴きつつ布団の中にまだいる

母亡くて気になることの一つにて父がこの頃優しくなりぬ

今日の月美しかよと父の声母さんいたらとすぐ言うけれど

剥き出しの墓石群あり帰り道月皎々と半面照らす

こんなにも死者を身近に感じつつ生きるも楽し楽だと思う

母さんがはしゃいでいたねあの月を見ながら父が電話で語る

黄金色花の金木犀匂う朝の寝床のひととき楽し

車窓よりコスモス畑広がりぬ山崎過ぎて京都に入れば

西大路駅前書店立ち寄りて土曜の午前歯医者に通う

眼裏の模様はジグソーパズルにて母の笑顔が微かに浮かぶ

眼裏の白い粒粒変化して我の思いのままに楽しむ

目瞑りていてもこの今生きている今日も悔いなく過ごせるように

ほの白く明るむ障子の向こうには金木犀あり花真っ盛り

目の奥に育ちゆくらし動脈瘤わが物なれば如何ともなし

カッとするたびにぷつぷつ目の奥で切れる毛細血管がある

血流のためにも明るく振る舞えよ今日も命の絶える人あり

目瞑れば出で来る流氷原に立ち間近に沈む夕日見ている

死者達の方が豊かに賑やかになりて夜明けの識域にいる

不機嫌になりて終日物言わぬ我を触りにくる娘あり

金のこと老後のことを妻は言う我の領域外にあらねど

幼児期と何ら変わらぬ心根と思うことあり歳経りてなお

波打の際なのだろう氷塊の並びて墓のような鎮もり

塵となり芥となりて散りてゆく我の余命は幾ばくもなし

青空にキクイモの花映えているこの世と我もかくはありたき

「希望館」「子供の家」も抱えいて茨木西中教師も育つ

大丈夫?元気出してな!語尾上げて我を気遣う生徒がありぬ

どのように書けば入賞出来るのかその型通りの感想文あり

電話にて話せば時流に乗ることを是とせぬ僕も田中榮も

田中さんそれ違うよと言うことも度々ありて会話は弾む

真実を求めて二人会話する世俗を愛し俗嫌いつつ

テレビにて小林桂樹演じいし西東三鬼と彼と重なる

電話にて芭蕉と三鬼と佐太郎を語れば二人いつまでもいる

本当に話せる人の次々にあの世の方が親しくなりぬ

轟々と炊飯器の音聞こえくる朝にて今日も生きていくべし

急に風冷たくなりて金網の向こうに朝の月が出ている

岸に上げられし大きな氷塊が鯨の横たうごとくに在りぬ

元寇のごとく日本へ進みゆく流氷群あり秋もたけなわ

離陸する夢にも気圧変わりいてあの世も感触あるのだろうか

時代の持つ矛盾に心研ぎ澄ませ生くべし心真っ直ぐにして

昨日の雨含む小庭にホトトギス命の指の展くごと咲く

道端にゲンノショウコの赤き花揺れるを見れば安らぎにけり

自分を追いつめて河原をひた歩み背高泡立草の野にいる

逆境になるほどシャキッとする処ありて創作意欲が湧きぬ

目瞑れば今日も流氷原に来るくつきりと月大きく浮かび

逆境も何くそ負けてなるものかそんな自分が頼もしくなる

夕焼けの空に突然椋鳥の群れ過ぎて後かかる静けさ

馬追の声のリズムに乗りながらポストまで行く叢を過ぎ

秋の虫土へと還りゆく今朝の冷えしるくなり勤めに向かう

薄野をかすめて飛んだり止まったり秋茜わが心のままに

萩の花黄蝶飛び交い止まりいる短き時とは思わざるべし

家の前の小さな花壇次々に姫赤立羽訪れてゆく

此の頃は暮れ早くなりガマズミの赤よりたちまち闇となりゆく

さようなら、大きな声で生徒言い敬語なきその爽やかさあり

愛すべき妻を亡くしてその遺影守りつつ父八十となる

コチャコチャと雀おしゃべり聴く朝の至福布団の中の暫く

このままで死んでもいいという時が時折あると思うことあり

最後かもしれぬとポツリ本田さん言いしことあり日が沈むとき

電線と電線の間をふうわりとハシブトガラス何処かへ飛ぶ

見下ろせば街は幾つかクレーンに吊されながら在るように見ゆ

遠くより見れば電車の連なりも棒にて駅にのっそりと入る

哀しみも怒りも総てフォーマットする雨の音聴きつつ眠る


雑記
◆八月九日、本田重一さんが亡くなった。その頃は僕は九州に帰省中で連絡が取れず、後に網走歌人会からの便りで知った。いっぺんに力が抜けてしまった。表紙裏にあるように死の十日程前に投函された葉書で、大変だが取り敢えず元気そうだと思っていたばかりだったから。平成十五年には斜里と宇戸呂との間の知布泊で丸のこのような夕日を見た。その時に、もうご案内出来ないかもしれません。ちょっと手術が…と呟かれて、心配になった。十六年には自宅に訪ねて少し会えたが胃の痛みに耐えていたようだった。僕の「斜里岳の雪の形を見て決める種蒔き時あり土ほぐれゆく」の歌は彼との車の中での話から生まれたものだったし「流氷が今日は離れて彷徨うと聞きて心も虚ろとなりぬ」も電話の向こうにいたのは本田さんだった。謙虚な人だったが、彼は北海道の誇る優れた歌人であった。田中榮と共に僕の中から消えることはない。◆田中さん御夫妻が網走を訪れ、共に能取岬の流氷を見下ろしたときの感動は今でも新鮮である。文子さんの言葉はそのまま榮さんの言葉でもある。田中さんの資料等をまとめようとも思ったが、彼の所属する『塔』から何らかの貸与請求がある筈なのでと、このような形で追悼したつもりである。◆『塔』にもう一度一年だけ再入会しようと決めた。流氷記HPの中に短歌日記を早速作ったところ。早速その十月号が届いた。その中、大前和世さんの田中さん追悼の原稿を見て驚く。彼女から流氷記のこと書きましたよと原稿のコピーが届いていたからだ。その中、
ささくれて流氷寄するこの海に岬の崖は雪つけず立つ
弾力ある顔らに対いてもの言いつつ不意に透きゆく河を意識す
地平までつづく湿原秋くさの葉擦れはやさし身をつつむまで
という田中榮さんの歌のあと、
「第三歌集には、旅の歌が多い。川添さんは、田中氏夫妻が訪れて下さった網走二中の桜咲く校舎を流氷記四十五号の表紙絵にした、と送って下さった。父親以上の存在だったという。」という部分が完全に削られている。見開きの次の頁の最後には充分な空きがあり、意図的なものであろう。こんな『塔』に一年間限定で入会する。詠草は一月号からである。一年分の歌は充分にある。

編集後記
歌が出来なかった訳ではない。本田重一さんが亡くなり流氷記としての行方を少し失っていただけ。塔に一年限定再入会を決めてから一日五首以上を作ると決めて歌は大量に出来ていった。空や花、月などに感動しても誰にも言えぬというジレンマが続く。田中さんや本田さんに独り呟くより仕方ない。これから流氷記をどう発展させるか試されているのかもしれない。一刻一刻に命が通っているのが見えるようになった気がする。その集積が一期。それを惜しみつつ歌を深化させていきたい。表紙の写真は悲母蝶と重複するが本田さんの畑の近くの光景である。