流氷記47号『無法松』142首

赤松の上に筋雲広がりぬ相国寺境内を歩めば

天井の龍の見下ろす釈迦牟仁もかつては心弱きことあり

鳴き龍に見守られながら釈迦牟仁を拝めば心清しくなりぬ

鉢植えの隅のカタバミ花あればヤマトシジミが軽やかに飛ぶ

休耕田畔のアザミにイチモンジセセリが語りかけつつ止まる

木木絶えて明るき森のひとところ黄花秋桐鮮やかに咲く

斜めより射しくる光まぶしくてブナの林も徐々に色づく

筋雲の高く渡りて人は吸い寄せられるごと空を見ている

あの青き空は夏には見られざり青に吸い寄せられて見ている

鰯雲流氷のごと浮かびいて心泳がせ人歩みゆく

そこだけに光集めてすすき原夕闇迫れば風ともなりぬ

十一月空はますます深くなり引き締まりゆく心がありぬ

霜月の朝の布団の温かく幸せと思うささやかなれど

教室に深く斜めに射してくる日よ健やかに生徒を照らせ

緊張の中にほどけていく部分持ちて生徒は受験期に入る

斑雲流氷となり浮かびいる見下ろして我が鷲となるべし

道の端黒い骸の横たわり犬死という人の死もある

イチョウの葉色づき我もいつ散るか分からぬままに今日も暮れゆく

思い出は黄色く染まり散ってゆく銀杏並木の下を歩めば

全身に緊張走り若返る怒りも時にはいいものらしい

佐太郎も激しく怒る晩年と思いてイチョウの葉と吹かれおり

空高く水面ありて魚のごと人も車も行き交うばかり

迷うにはあらねど斑に照らされて欅黄葉の下歩みゆく

深き青たわわに洋種山牛蒡そこだけ荒れて藪残りいる

地上より空見下ろせよ懸命に車も人も我がめぐり過ぐ

鮮やかに黄に色づきて立つ一木はらりと涙の一葉落ちゆく

流氷記二千四百枚を折る狂わぬように心をこめて

流氷記一枚一枚心込め折れば待っててくれる人あり

金木犀花まだ幾つ残りいるささやかなれど今日の喜び

車との間合いを測り渡りゆく短き間なれどときめきを持つ

夢に見る時には生きて死んだこと否定して母声生々し

注意する無視する流す幾通り生徒の汚き言葉に向かう

グランドが全てスケート場になる網走二中思いて滑る

複雑な家庭の事情など見せぬ優しき言葉の生徒に触れる

柿の実のあまた広がる空の青吸いこまれつつ独りなるべし

山残る小さな岡にセンブリの白き花見ゆ守りてゆかな

風吹けば淡き紫茄子の花かすかに揺れしがしばらく残る

キタテハの誘いにあらねど竜胆の花咲く小さな山道にいる

通り過ぎてしばらく後にダリア花赤鮮やかに咲きしと思う

世の中の総ての名前覚えたし時には作りかえなどもして

材料は総て死であるサスペンス、グルメに人は目を輝かす

あってもいいことなのだろう人が鳥インフルエンザに淘汰されゆく

空深く見ゆ桐一葉ふいに落ち今日まで待っていたのだろうか

一番星出でて輝く青き空地上は暗く見上げるばかり

山に入りオナモミ付けて帰り来る少年時代は今はもうなし

山に来て夕べ間近く竜胆の花に下弦の月上りくる

何思うことなく今日も来てみれば淀の川原に刈萱群れる

我もまた雀のごとき身軽さに刈萱の穂を触りつつ行く

どうでもいいこのまま少し眠りたいこの感情のこの頃多し

突然に死がやって来る恐怖さえこの頃薄れ今日も過ぎゆく

弱り目に口内炎に歯の疼きかく老いて死に近づく我か

物忘れ勘違い責め立ててくる妻の勘気を疎ましく聞く

謝っておいてやろうとこの頃は余裕楽しむ心となりぬ

岩下俊作父の職場の上司にて居しことありと聞きて嬉しき

紅葉の色鮮やかに桜木は枝広げつつ目交いに立つ

街灯と風を飛ばして帰りゆく六時前だというのに暗い

夕卓の柳葉魚の匂い噛みごこち生きるはこんなものかもしれぬ

雲見れば星が流れるように見ゆ我が生もかく流れつつあり

風となり土となりして死の後もこの淋しさの感触残る

無法松生みし岩下俊作は市井の人として生全うす

どんな人?地味な普通の人じゃった!父に岩下俊作を聞く

製鉄所安全課普及掛長彼の生きざま惹かれつつ聞く

無法松らしき生き方全うし岩下俊作心に残る

嵐山緑と赤黄紫の傾りもともに夕暮れてゆく

雲間より黄金の光射している幸せは気付かれずあるもの

動脈瘤増えたと父の不安げな声甦る眠りに入れど

目を閉じて広がる世界死の後も続く気がする安らぎに満ち

呼吸器に口閉ざされて物言えぬ母のいまわの際よみがえる

紅葉の桜最期の万歳をしているのだろう両手を広げ

夕方の憂い青空下暮れて桜紅葉も重暗く見ゆ

妹の子宮筋腫の手術日を紅葉散り敷く参道に聞く

マスクした女の胸に触られて頭蓋の中の歯の治療受く

桜の葉わずか残りて立つ一木一夜の闇にさらわれてゆく

技工士の胸が我が髪触りつつ歯の治療受くときめくあわれ

急速に繁殖するものみな滅ぶ人も愚かなことばかりして

桜の葉おおかた散りて散り際の明るき枯葉の一群が見ゆ

無法松かつてどこにも居りしこと獣臭き生徒思えば

忙しい人ほど返信してくれる個人誌一冊一冊送る

日が暮れて帰り急げばヴァイオリン電飾の家より漏れるらし

星への距離思えば夜空深くなり道を揺らしてわが歩みゆく

桑の木に日が捕らわれて東の字なる伝説の甦りくる

いい景色見るとき母がついてくるはしゃぐ声など聞こえたりして

ねえ、英ちゃん!どこからか声聞こえくる母亡くなりて後頻繁に

出入り口開ければ木枯らし吹き抜ける職員室より裸木が見ゆ

小春日の日に照らされて伸び伸びと桜裸木枝広げ立つ

波荒れて牙剥く海に真向かえば心和らぎ今帰りゆく

氷海に氷塊の影蒼く引く鎮もり続けば歩みを止める

生者とも死者とも対話重ねつつ生かされ生きて今日も暮れゆく

竜巻に攫われながら空を飛ぶバベルの塔の住人となり

近く来る東海南海大地震呑気に満員電車に揺れる

十二月流しの縁をふらふらとゴキブリ今は哀しげに見ゆ

この家に私が住んでいるらしい同姓の家見て過ぎるとき

年越えるただそれだけの歓びを伝えんあと幾たび言えるのか

冬の海荒れると聞けば矢も盾も堪らなくなり来ているあわれ

脳が思い見えるは全て錯覚と夜の眼裏模様楽しむ

玄関を開ければ雪積み雪降りて心は夢の世界へ入りぬ

雪景色雪降るままに母の棲む静寂の世界突き抜けて見ゆ

ページ繰るように雪降り母の棲む隠し扉のあると思えり

朝ごとの読経欠かさぬ父にして母亡くなりて三年が過ぐ

感動のあるたび電話にて伝う田中榮はいずこに在りや

無法松生みし岩下俊作の生き方あれば心に残る

次々と夢湧き出でて今は亡き人とも語る夜が明けて来ぬ

本読めば目が痛くなり目を瞑るその闇は死へ通じる道か

買い物の小さな喜び見つけいて父の明細細かくなりぬ

枯れ蓮の首うなだれて鎮もれる水面を見つつ我も静まる

あちこちに母の痕跡残りいる家にて正月過ごすはらから

今の世のハリーポッター観るような八犬伝その魔力ひしめき

片時も読経欠かさぬ父は母まだ居るような空間にいる

二十年前などほんの昔にてほんの未来を思えばかなし

見るたびに機嫌の変わる遺影にて母の見ている自分がありぬ

窓からの日に白く縁取られいる生徒は受験間近くなりぬ

ストーブの上ゆら揺れて緊張の受験生へと生徒は変わる

木蓮の冬芽輝き自転車に微かにまとわりつく香りあり

枝のみの目にはさやかに見えねども桜の冬芽今盛りなり

結晶と同じ形にタンポポのロゼット土にぴったりと臥す

通勤に抜きつ抜かれつ自転車で常会う人の名前も知らず

権力と流行りに傾く人の世に無法松いる今も昔も

切れ切れの雲繋がりて雪となる空の彼方に流氷群あり

絶え間なく雲の形の変わりゆく空見て歩けひたすらならば

流氷の季近づけばわが裡の龍動くらしわくわくとして

白樺の立木見るたび真っ白で欲なき本田重一想う

無法松生みし岩下俊作も身近になりて歌うたうべし

ああ田中榮と思う黒く雪空より落ちて白く積みゆく

考えぬ幸せありや安威川に真鴨浮かびて日を浴びている

寒雲の空に向かいて頬白のつぶやく見れば春来るらし

鮟鱇の唐戸市場に白き息吐きつつ人は移動してゆく

牡蛎喰えばそこはかとなき海の香の舌に触れつつ広がりてくる

安けれど日に日に蜜柑不味くなるたびに春近づくと思いぬ

脱国者北朝鮮の取り調べ観つつ豊かなわが暮らしあり

冬の月溶けつつ浮かぶ薄き空その下歩む人黙しつつ

幾通りもの人生があったのに今を選んで可なりや否や

緊張の私学出願より帰る生徒の高揚しばらく続く

アンテナに殿様飛蝗の速贄の風に吹かれて干涸らびており

服を着て金を使いて不可思議な人というもの今繁殖す

秋茄子の喉にて溶けるときめきの待てば夕べの月が出ている

アンカーの一人一気に抜きてゆく後へ後へと借景流し

次々に抜きつ抜かれつ人生のリレーもかくのごとくにありや

一年のうちで最も楽しかりし本田重一との三日間

女満別空港に待ちくれし顔本田重一思えば浮かぶ

生活の全て捧げたこともある塔は冷たく大きくなりぬ

再入院告げし葉書の届きいて本田重一数日後死す

流氷が今日は離れて沖に見ゆ本田重一告げしことあり

毎日のように語りしこともあり田中榮と三十五年

志書くべし田中榮言う編集後記なめたらあかん

選挙まで秒読み始まる報道よあとどれくらいわが消えるまで

九・二三夏が終わらぬうち彼岸来てわが生もかくのごときか

電話もて話しかけたき人は亡し田中榮に本田重一

転んでもタダでは起きぬ川添と澤辺元一言いしことあり

どんな歌だったか眠りの中に歌作りて記さぬままに過ぎゆく

人一人憎むを心の支えとし生きることあり悲しけれども

独りがいい一人がいいよ誰知らぬ温泉にわが浸りいるべし

ピンセットで活字を入れる頃の塔思えば安易な発想も見ゆ

一文字セセリは武士の正装のごとき羽根閉じてクコの葉にいる

氷海に夕日の沈む喫茶店本田重一今はもう亡し



★昨年は三号しか出せなかった。一昨年に上埜千鶴子さんが倒れ、昨年三月には田中栄さんが亡くなり、八
月には本田重一さんが亡くなって、流氷記の基盤にいる人たちが居なくなったのが、この取り組みに影響を与えているのは間違いがない。西陵中から西中への転勤やそれに伴う印刷機の導入やインデザインのソフト等の環境の変化もあった。幸い流氷記という名がついていることが僕を助けたのかもしれない。流氷のように漂いながらもこの世をしっかりと生きていること、このことに尽きるからだ。よく「漂流記」と間違われて言われるけれど、そういう意味もあるのだ。今年は最低四回(季刊)は出したいと思っている。★うまくは続かないけれどパソコンの上で、ブログ(日記)も書くようになった。
一年間だけ再入会することになった塔のことや、流氷記のことなど日記のように綴っている。この雑記に書き切れないこともあるので序でがあれば覗いていただきたい。塔には歌だけの掲載となる。★火野葦平が麦と兵隊で芥川賞を受賞した昭和十三年に岩下俊作は『富島末五郎伝』を発表した。それは「富島松五郎の譚である。」に始まる。警察の撃剣教師と渡り合い、大尉に「うん、シッチョル、シッチョル」とかわす無法松の存在は、その当時の庶民の生き方には明らかに反するものだった。松本清張も彼に『或る小倉日記伝』の草稿を読んでは、指導を仰いでいる。そんな岩下俊作が父と同じ職場にして言葉を交わしていたというのは驚きであった。火野葦平や松本清張の生き方を思うとき、ぼくに
は彼の生き方の凄さと共感を感じている。幸い、次男の伸二氏とも話すことが出来、原稿も頂いた。彼の言葉遣いは北九州の独特の方言で、博多などとも違う。筑豊とも少し違うところもあり、今回『富島松五郎伝』を改めて読み返すことで、自分の言葉をも再認識することになった。岩下俊作についても追求していきたい。
★中学校教諭の仕事と両立するのには限度がある。時間がなかなか取れないし、教材作成やテスト、採点など待ったなしの仕事が多すぎる。まして、本年度は三年生の担当。流氷に会いには行けそうにない。田中さんに話しかけながらの日常だが、これでいいのだろうかと聞くことがある。これでやめたらあかんで川添君、このままずっと突っ張って頑張りやという声が聞こえてくるのだ。

編集後記
雑記とこの編集後記が書けたときには真っ先に田中栄に電話して読み上げてから編集を確認していたのだが、もうそれも出来なくなってしまった。編集後記は志を書くべきであると彼は常に言っていたし流氷記は彼と共に作り彼に読ませるという目標があった。本田重一もこの二月の時期には流氷の接岸の様子など言葉を交わしていた。さらに12月には網走の松田義久氏も喪ってしまった。父から聞いた無法松は唐突のことであったが、そんな自分をうまく脱出させ再生させることになるやも知れぬ、そんな期待を持った。荒削りでも誠意のある歌を作りたい。