流氷記48号 桜一木歌
流氷が接岸している報を聞き白梅光る坂下りゆく
紅梅は緑の中に鮮やかに命の刹那耀かせおり
自転車で追い越す登校時の生徒卒業式まであと数日に
繰り返しし三寒四温も猫の声荒びて春の空へと変わる
窓際に頬杖してみるオリオンの光の彼方目をこらし見る
二三日の違いなれども二月尽紅梅耀よう横過ぎて行く
気がつけば夕べ明るく若葉摘みなどない町にも春が来ている
我は人なれば分からずけだものの怖れるヒトの匂いして生く
春の雨校舎を叩き沈黙のテストの生徒萌え出ずるべし
神妙に卒業証書貰いいる生徒の一瞬次々と過ぐ
車椅子松葉杖ひく生徒あり卒業式はけじめの一つ
卒業という文字幾つ重ね来て熟さぬままに我独りいる
温かい時候の挨拶とは違う寒の戻りの式もたけなわ
母の死の式より悲しいものはなく卒業式にも淡々といる
感動の心が徐々に失せてゆく人にまみれて日々過ごしつつ
明石大橋下暗き影浮かぶ幾多の死者の心あるがに
海岸を風と歩けば少しずつ明石大橋近づいてくる
次々に生れては消える一つ波その瞬間の生もてあます
見るたびに母の機嫌の変わりいる遺影は部屋の片隅にあり
もしかして自分の生まれ変わりかもそんな気になる幾人かいる
まだ若き君らは羽が生えているテストに頭働かせつつ
兼好も芭蕉も身近になりて老ゆまだ人の世も悟らぬままに
人の世もこれと同じか大椿在りしも小さな更地となりぬ
早朝の一番鳥は雀にてペチャクチャ人の噂するらし
複雑なDNA組み合わせつつ世に生き物としてある不思議
歩むたび道が後ろに下がりゆくこの単調な視野が全てか
夜光虫踊るかたちに人群れて夜の桜は水面のごとし
夜桜のリズムに満ちてほの暗き顔もて笑う人もつかのま
花びらはゴミとなりつつ桜散る瞬時瞬時が目に浮かびおり
雨に濡れ桜花びら付けて行く車も一期一会のひとつ
畳の目砂漠のごとく広がればうつ伏せて旅どこまでも恋う
乾きつつ砂漠に独りわが死体瞬く星に照らされて寝る
見渡せば電気水道車などかつての夢を難無く暮らす
散る時を待つ花びらの心もて今日も生くべし春逝かんとす
桜花散りつつ青葉出でてくる絶妙な色合いというべし
簡単に認められなどするものかこの自負持って生きて来しかな
くっきりと赤く輝くボケの花周りがぼやけて溶けそうになる
イナバウワーまだ肌寒く吹く風に輝きながら猫柳咲く
笹が森迷い込むにはあらざれど仏の座咲く野に独りいる
人の世もかくのごときかサッと来て紫蜆は去ってしまえり
視野にありながら気付かぬ存在も姫踊子草小さく群れる
地に低くタンポポ群れる休耕田人の愚かな世と言うべきか
日の少し当たる斜面にキランソウ賑やかに咲き群れているらし
そこに吸い込まれるように雨落ちて藪椿咲く頷きながら
あでやかなこれが最後の桜かも我かも知れず人かも知れず
しとど降る雨に打たれて桜花耐えて開くと思いつつ寝る
アスファルト隅のわずかな泥土にスミレ開けば小人のごとし
安威川の堤カラスノエンドウの見ている景色も夕暮れていく
こんなにも緑あふれる廻りかと気付く桜の下のタンポポ
鮮やかにニセアカシアの白き花輝く見れば我も輝く
溝川を桜花びら流れゆく時淡々と過ぎゆくばかり
睾丸をぶらぶら犬も渡りゆく西河原橋安威川またぐ
わが裡を次々時は過ぎてゆく人の死さえも呑み込みながら
桜木は我かと思う次々に泪のごとく花びら落とす
一本の桜となりて思考せよ青葉が風にキラキラとして
天皇賞名馬威奔る直線をディープインパクトがぶっちぎる
花散りて緑の桜耀えば母の笑顔がよみがえり来る
爪を剪り髪を刈りしてすっきりと人の死もこの過程のひとつ
淘汰され絶滅してゆく種のひとつヒトは地球に嫌われながら
限りなく深く青めく秋の空われはほどけていきそうになる
風吹けば高く黄色き帆となりてイチョウは午後の日を浴びて立つ
温かく優しき言葉かけてくる生徒に今日は救われている
奥山の紅葉踏み分け迷いいる風となりしか親しき人も
今日一日上を向くことなかりしか筋雲染めて秋の夕暮れ
熟し柿色の桜の葉が幾つ残りて夕べの闇が迫り来
安威川を渡る明るい蛇が見え電車も川面も物語めく
地上より空見下ろせよ流氷の蓮葉氷が点々と浮く
流氷記一枚一枚折りてゆく気の遠くまた楽しい作業
カラス二羽三羽塒へ急ぎいる西空燃えて秋の夕暮れ
嵐山傾りも共に上りつつ紅葉繁き山登りゆく
死に向かい育つものありわが体あちこち痛き所がありぬ
牙剥いて威嚇し迫る冬の海帰りて後もしばらく残る
それちょっと違うだろうと思うこと多く晩年域へと入りぬ
こだわりを持てばぶつかりそうになる自転車幾度すれ違い行く
唐突に道に転がる赤椿妙に明るく心に残る
墓群れの中に椿の大木のありしが今年更地となりぬ
悪党の出会え出会えで殺されるために出てくる人あまたあり
目を瞑るたびに宇宙の果てにいる死は永遠と繋がる不思議
男の子に上げ損なったチョコレート食べてるらしい帰路追い越せば
人の世に受け入れられぬ名前にてイヌノフグリは宇宙のごとし
二月晴れいつもは通らぬ道を行くマンサクの花耀うところ
青空に映えて白梅耀けば寒さも少し緩む気がする
自転車に今日は手袋無しで乗る二月末日紅梅匂う
青春も朱夏も瞬く間に過ぎて水仙群れる傾りに独り
日時計か墓には墓の四季があり影こそ主体今日は春めく
沈黙のその表情を眺めつつテスト監督ゆったりと過ぐ
卒業証書貰いてピンと背を伸ばす生徒の顔の大人めきたる
緊張か退屈かさまざまな指作りて卒業生徒は並ぶ
舞子駅降りて雨立つ明石橋下行く時に波騒ぐ見ゆ
安威川
淀川へ注ぐことなく安威川はひたすら海へ海へと向かう
淀川の水注がせて安威川は神崎川となり海に出る
安威川は鮎川相川下りゆく夕日の卵焼きを浮かべて
親しみを持たれて生徒に話しかけられる放課後秋深みゆく
グラウンド一周競いつつ走るこの光景は絶えることなし
(『大阪春秋』一二二号)