流氷記49号 思案夏

わが裡に母宿りいて困難も乗り切るように生きていくべし
目つむれば宇宙となりぬ複雑で奇妙なヒトとして生まれつつ
複雑にねじれ縺れてポケットにDNAのように紐あり
雨の音聞きつつ眠れば母のこと浮かぶ頭の中の紫陽花
紫陽花を見るたび母の声がする守られながら生きていくべく
炊飯と時計と冷蔵庫の音が起こしてくれる歌作らねば
色褪せて紫陽花開く傍を行く母の死いまだ鮮やかにして
めまいして倒れるたびにこの視界こそが最期か目を凝らし見る
わが子孫残そうという本能が欠けつつヒトは絶滅間近
まだヒトは月に着陸しておらぬ自明も歴史の軽みのひとつ
近づけば蓮池ざわと揺れてくる一瞬ありて鎮まり戻る
蓮の花開いているか 唐突に心が池の端に来ている
植物の受粉のために蝶が飛ぶ短き命鮮やかにして
犯人の嘘の巧みと愚かさがマスコミは好き事件がつづく
御冥福など言うけれど死後のこと誰も知らずに法師鳴き継ぐ
かくれんぼ隠れたままに日が暮れる母らこの世に戻っておいで
逆さまに実は見ている目の部分持ちて奈落に吸われつつ寝る
徐々に夜が明けつつ思う今日生れて今日死ぬ命も無数にありぬ
昨日今日不意に亡くなる人多く自分のことだと気付かないまま
昨年の同じ処に赤カンナ群れ咲く見れば胸熱くなる
数日の蝉の命も耳に入る午後冷房の部屋の静けさ
何時の日か私も私の視野も消ゆ映画のような日々と思えば
うすむらさき色の曙みるものがなべて映画の一シーンめく
カアカアと鴉の訴え聴きながら今日が始まるさまざまな音
本当かどうかわからぬ身近にも表と裏の歴史がありぬ
蓮華草咲く野にしゃがむ子ら我の幼き時と重なりて見ゆ
死が近く来るのだという漠とした不安が横切り歩くことあり
花終えて雪柳の葉のやわらかく小さな光が流れつつ見ゆ
手に掬い飲食すれば廃棄物などなく地球美しきまま
能を舞う光景に似て木の陰にウラナミジャノメ厳かにいる
色欲の褪せてゆきつつ見聞きする罪さえ犯す人はかなしも
論争といえども人を悪しざまに言えなくなりて独りとなりぬ
原爆で亡くなりし蝉じりじりとあの夏伝う人揺れて見ゆ
長崎は八幡に似ちょると言いし母思いつつ行くオランダ坂を
思案橋通りのネオン輝きて夜の市電はゆっくりと行く
歴史とは過ぎるばかりか蝉時雨グラバー邸より海見下ろせり
大雨の後の小さな川にイトトンボ止まればしばし見ている
モノクローム篠突く雨は次々に道に模様を描きつつ降る
軒先に待つよりしょうがない時間豪雨は怒り地に激突す
ぶつかりて砕けて散るを繰り返す激しき雨になりたい今も
この夏の蝉道の端に転がりて今コオロギをしみじみと聴く
真実は譲らずされど攻撃は極力避けて生きてゆくべし
百日紅ツクツクホーシこの夏も溶けて記憶の中に消えゆく
ヒトの喉少し潤すばかりにて缶、瓶、ペットボトルを捨てる
取りあえず未来を少し飛び進むアキアカネ身も心も軽く
天然の葡萄も実る森に入り迷う夢見て夏終わり来ぬ
美しき毒には誘惑されていいヤマトリカブトひっそりと咲く
クワガタが右腕伝う微かなる痛みこそ我が安堵となりぬ
首回る不思議不可思議キクイモを仰げば青き空ひろがりぬ
つつましきおみなの肩に触れしことキキョウは揺れて微笑むごとし
言葉なき心持つかなオオケタデ命と出会う不思議がありぬ
森の中迷わぬように語りかけツリフネソウは艶やかに咲く
お互いに短き命ならばなれオンブバッタの笑顔と出会う
野アザミの上にゆらりと羽拡げキアゲハ止まる足ならしつつ
地球には命溢れてこの森も白山菊の輝りつつ笑う
油蝉ばかりの今年わが庭の金木犀も秋呼びている
紙に這う小さな虫を潰しつつ獣臭く笑う他なし
時止めて蝉の羽化やわらかく過ぐ今夜の眠りは月浮かべつつ
膝揃え電車の中に座りいる一見他人同士の彼ら
誰かとは分からぬけれど真っ白な流氷原を渡る人あり
網走の夕日を思う目つむれば時と場所とが溶け始めたり
限りなく墜ちてゆく夢現実の中にも歯止めの利かぬことあり
スイッチを付ければ歌い踊ることテレビは不思議と今は思わず
お父さんしっかりしてよと娘言う怒りの目して励ましでなく
キーボード押してばかりの一日か今日も閉じるのボタンで終わる
悪意などなしとは到底言い切れぬ煩瑣なヒトの仕組みがありぬ
抒情すら完膚無きまで奪いいる我が退職後老後の不安
野ざらしになるより他にしょうがない既に芭蕉の享年も過ぎ
この頃はすっかり必需品となる百円ショップの老眼鏡あり
五万円払って買った電卓が今では百円ショップに並ぶ
停電になれば昔に戻れない便利の他に選択肢なく
パソコンが壊れてしまえば何もかも無くしてしまう危うさにいる
バックアップするなら僕をもう一人用意しておけ温和しいのを
御冥福お祈りします御冥福お祈りしますと言われたくない
クレーンとビルと車と鉄塔と地球は奇妙な生き物ばかり
雑巾で車拭いたよ二百円ためらわず手を出して娘は
定年後小さな会社開きたい僕にしかない世界はないか
夏過ぎて九月は冬の支度する道東の風吹き巡り来る
流氷の海を見下ろすオジロワシその目もて世を俯瞰して見ん
十代の父は少年飛行兵鳥となる夢見しことありや
夕方の憂いと焦り西日射し職員室より見える空あり
西暦で彼らは生きてた訳じゃないイイクニ作ろう鎌倉幕府
人溢れあふれて我とすれ違う画面に向かうごとく見ており
一瞬に影襲いいるそんなこと気付かず歩くおみなごが見ゆ
今日一日無数の人とすれ違う殺意悪意を知ることもなく
暫くを同じ車輌に乗り合わす縁消えてゆく一人二人と
救急車遠く聴きつつ眠りゆく我異次元に入りたるごとし
電線に繋がれて立つ電柱を伝いて帰る独りの部屋に
さまざまな境遇にいる生徒らと此の頃強く思うことあり
簡単に公表できぬこともある職場詠心に留めども


雑記
◆本田重一歌集『耕凍』は、何とか七月の初めに刊行することが出来た。出来たといっても少しずつ印刷して紙を折りホッチキスにかけて裁断する。そして読んでいただけそうな処に送付した。流氷記とは少し読者層が違うのか、僕としては迷いつつ送った。自分が編集し、自分の出来る範囲でやっていることでは流氷記と何ら変わりはないのに、確実に読みたいと思い、読んでくれる人にと、送付も慎重になってしまった。それでも、九月九日現在、二十六人の感想文が届いている。幸いこの十月で会員の期限が切れる『塔』の裏表紙にも宣伝が入り、十月号では林一英さんの感想文と併せて、僕の追悼文が出る。思えば、本田さんと直接会ったことのある人は、網走歌人会と新墾の他には、僕の知っているのは、塔に入るキッカケになった河野裕子くらいか。それでも、網走歌人会の高辻郷子氏や里見純世氏、九六歳の葛西操さんなどから、原稿が届いている。その他、短歌年間などで、『新墾』の人などにも送ったりした。そんな中から、知己が出来ていくのも楽しい。それにしても、彼には「山路虹生」時代の歌があり、まだ僕にとっては未知の部分だ。編集していて、歌に対する真摯さが伝わってきて嬉しかったが、彼の底知れぬ心の深さをずっと見詰めていかなければとも思い、心が引き締まった。偶然の重なりがあるとはいえ、いい友人をもったものである。僕がこうして編集しているせいか、田中栄さと、多く並べられて語られるのも嬉しいことだ。そんなこんなで、ずっと思案のみの夏になったか。

編集後記
この間、落ち着いて歌に専念出来ることがなかった。これは自分の自覚の元に作っていくものだから今はそんな時期だと成長期と勝手に決め込んだりした。今年の夏は油蝉ばかりを目にしたり、昨年とはやはり違っている。初めて長崎の地を踏んだが、あの夏もたくさんの蝉が亡くなったのだろうか。次の日に出て鳴いたものもあったのか。思案橋に引っかけた訳ではないが、今号は思案夏という標題を付けた。次号は五十号になる。詩的な宇宙的な思索を重ねながら世界を創出していきたい。一首評を始め皆さんの助けがなければ確かにここまでは来られなかった。