流氷記55号歌集『父無夏』

午前二時眠れぬ我を操作する飛行機の音しばらくひびく

運転手いるのだろうか長き長き貨物列車の音聞きて寝る

透明な柩の箱に横たわり眠れぬままに夜が明けてくる

死の準備せよとごとくに早朝を目覚めて一気に過去よみがえる

気づかれぬように己の呆け始末しどろもどろに終日つづく

突然に襲われて死ぬ人のことニュースはドラマ作りつつ言う

飛行機が離陸していく浮遊感ありて一気に眠りへと入る

大方は不幸なニュースばかりにて見つつ聞きつつ夕食進む

亡くなりてしまえばいろんな歳の父、母の匂いがよみがえりくる

怒るのはやめて元気の出る言葉かけよう友も親も教師も

父恋し母恋しとぞ夕方の鴉の帰路は飛びながら鳴く

父さんと呼べばにわかに胸詰まるいかなる過去も愛あふれおり

竹と木の緑の天王山見つつ山崎駅に電車は停まる

野ざらしの痛みに耐えてキリキリと今日はひねもす偏頭痛あり

列車通るたび花水木揺れていて風の初めの輝きを浴ぶ

六月の雨に打たれてオオデマリ花嫁衣装ひっそりと過ぐ

いちはつの花華々し迷いつつ歩めば幼き頃と重なる

やわらかな心となりぬゆるやかに坂下りつつクチナシ匂う

たくさんの小人の帽子鮮やかに雨の紫陽花輝きて見ゆ

花菖蒲歩めば父も母もいて此岸といえど心澄みゆく

田の畦に二輪紫カキツバタきりりひたすら誰待ちて立つ

前の夜に殺められたのかも知れずアヤメに魅入っている我がある

天空より雲見るように睡蓮の葉の下この世あると思えり

睡蓮の葉の下緋鯉泳ぎいる世界は今も昔も同じ

慎ましく咲く睡蓮の白き花浄らかなればしばし真向かう

閑かさや蓮の花びら一つずつ落として風は一瞬に過ぐ

町の複雑な家並み真っ直ぐに電車が通る見え隠れつつ

すごすごと右へ習えと言うがごと貨物列車の隊列続く

雲足に舐められながら北摂の山ふところの町鎮まりぬ

雲下りて北摂の山今は見えず入り組んだ街並みが膨らむ

稲妻がキリリと立ちて北摂の竜王山が怒り始める

沙羅の花清しき朝を托鉢の般若心経僧通りゆく

金色の浅沙の花の詰まりいる小さな池の輝きを過ぐ

蒲の穂の群れる河原は古代めき夕焼けながらしばらく歩む

空よりも深き青の面睡蓮の花に鎮もるひとときがある

誰も書く者がなければ久方の硯に向かう父偲びつつ

熱すぎて人が住めなくなる地球そんな日射しの中帰り来ぬ

暑いのに熱いシャワーが心地よい皮膚持ちしこと新鮮く知る

校門を見下ろすように群れて咲く石榴の花は青空に映ゆ

山の野に星のごと咲く姫女苑ふと亡き父の面影が顕つ

八月の半ばの予定聞かれては帰省と言えど父母はもう亡し

炎天の後に怒りの雷の雨唐突に来て地を叩き過ぐ

夾竹桃嫌な匂いの漂いて高速道路の渋滞続く

葉の上にそっと置かれているように泰山木の花重く咲く

ああ夏の終わりが来たというように百日紅の花ツクツクホーシ

麦の穂の直線清しき匂い満ち無数の海老が跳ねてゆくらし

少し華やかなひととき臨終に向かいて人は手繰りつつ生く

父と母揃いて遺影並びいる家に帰ればくつろぎており

人間があの世天国浄土など小さな虫を殺しつつ言う

自ずから自分自国の為ならば殺意さえ湧く人というもの

心込め書かれ刻まれし父の書を捜せば無数の碑に会う

特攻隊平和観音父の書になりていわれのいしぶみがある

雨繁く濡れて流れる道端に短き煙草の吸い殻残る

カーチェイスの犠牲となりし人々は顧みられることなく終わる

主人公の周りの死のみ重きまま勧善懲悪ドラマが終わる

空飛びし記憶はありや蜻蛉の死あたまと胸と羽とあるのみ

墜落の形に蜻蛉死んでいる道端見つつ勤めに急ぐ

鬱鬱と夏の終わりの夕卓は身体に沁みる茄子食みている

血球のような蓮の葉風吹けば命の通う騒めきを聴く

日盛りのノウゼンカズラのひとところ父母生きていし過去に入る

草いきれ我が野ざらしの埋もれいる川岸上る汗まみれつつ

夾竹桃見るたび口が苦くなり夏終わりなば花はもうなし

JR列車が通るたび揺れる萱草の花今は枯れゆく

道の端しのぶもじずり咲きしこと眠りし後も心に残る

誰も居らぬ部屋のポロシャツポケットに携帯電話のスズムシ響く

仮の声、心に依存して歩く人は携帯電話を離さず

疑いもなく人話す電話口所詮は生の声にはあらず

携帯に指示されながら街を行く人は滅びに向かいつつあり

そこだけにしかない論理の攻撃に晒されており黙るほかなく

親しげに話した秘事が次々に悪意津々変えられていく

そこだけにしかない論理振りかざす口調見ており口動くのみ

どうにでも言えると気付くその前に論理倫理を人振りかざす

論理なんぞその都度変わるものなれば人の心の表情を見よ

本当に人が判ると思いつつこの逆境も通過するべし

フジテックタワー解体されてゆく怪獣クレーン微かに動き

フジテック塔より高いクレーンが釣り糸垂らし塔壊れゆく

フジテックタワーを囲む鉄骨の足場に人と声聴こえ見ゆ

父亡くて半年経ちてようやくに母亡き父の心となりぬ

今にして思えば父のいない夏ツクツクホーシつくづく惜ーし

玄関を開ければ金木犀匂い父に会いたくなりて出て行く