舌海牛(流氷記五八号歌)


屋上を下より見れば雲動き地球は回る船行くごとし

紫陽花の葉の下の闇昆虫と小人の棲まい人に知られず

膀胱に水の溢れて目覚めれば明るき闇に雨音聞こゆ

天井の木目の波に揺れながら眠りの旅にいざなわれゆく

揚羽蝶交尾は命の儀式にてゆったりと羽根開いては閉ず

厳かに愛の形の揚羽蝶輝きながら黄の花よりも

そのまんま布団をまとい真っ黒な宇宙の闇に眠り入るべし

アベリアと薔薇の花咲くしばらくを歩めば薫り過去よみがえる

天井の木目くっきり見えてくる夜と朝との境目にいる

アベリアとクチナシ匂う坂上れば苦しき過去もほどかれてゆく

肥やしにも土にもならず人の死も大小便も意義無くしゆく

アスファルトコンクリートの道ばかり帰路二十分快適なれど

紫と白鮮やかに垂れて咲くデュランタ見つつ今日始まりぬ

デュランタの色鮮やかに横たわる花の盛りのうちに落つらし

日々草雨後の晴れ間にぺちゃくちゃと話しかけきて気が和みゆく

空の青映して開くツユクサを見しよろこびが終日続く

白き花ドクダミ群るる校庭の何考えるなくベンチに座る

蒼白きカメオの深き横顔のクチナシ匂う道帰りゆく

アベリアの花群れ続く坂道を白鮮やかに蝶も飛び交う

クチナシはカメオの如き深き彫り白鮮やかな花匂いくる

クチナシの香りの中をゆったりと自転車もやや酔いつつ走る

クチナシの花洗うごと雨が降る白き光沢鮮やかにして

家家の屋根の間に間にすり抜けて電車が通る潮満ちるごと

紫陽花も盛りを過ぎしと思いつつ坂を下ればクチナシ匂う

この匂い全てとばかり口無しのクチナシ妖しき匂いを放つ

彫り深きカメオの少女の横顔の白きクチナシ花匂いくる

雨落ちるたびに撥ねては戻りいるクチナシの葉に思いが残る

何もかも空がリセットしてくれる雲ゆったりと動きつつ見ゆ

妻は抜けと言えど抜かずに残しいしタンポポ輝く我が裏庭に

諸行無常諸行無常と蝉が鳴くあと幾つ夏我にはありや

次々と花火輝いては消えて夜の電車のたちまちに過ぐ

上昇し展いて開ききらめいて花火も人も命つかのま

銀紙のような雨音未明より聴きつつ夢の狭間に眠る

恐いから殺してと妻叫びいる蜘蛛あり外に逃がしてやりぬ

大蜘蛛は足を束ねて壁の端恐怖の形か微動だにせず

賑やかな洗いや濯ぎ脱水の音聴きながら夢を見ている

冷蔵庫肉も野菜も食べ尽くし家ひびかせて雄叫びあげる

挿入と言えばくすくす笑いいる男子よ青春真っ盛りなり

流氷のことを脳裡に焼き付けて些細なこともドラマとなりぬ

今日明日とあっという間に過ぎていく焦りも悔いも巻き込みながら

言葉もて悼み弔い偲ぶべし通夜葬式は生まなましくて

自転車のペタルを強く踏みながら流れる時が不気味に迫る

眼裏の模様が像を結びゆくしばらくの間に眠りに入りぬ

路地裏の時代変わらぬ一角に紅花襤褸菊つつましく咲く

束の間のこの世眺めてアキアカネ輝く空の秋も更けゆく

ジョウビタキカワセミヤマガラシジュウカラ鳥に出会えば安らぎており

けたたましきこの世を裂くかと百舌の声聴いて清しき心となりぬ

よく見れば我のごとしも曼珠沙華枯れて傾きながら直ぐ立つ

あと幾つ夏過ごすかと思うときこんな暑さも味わいとなる

沿道の人おらぬ土手虫の音の満ちていくとき清しくなりぬ

我が耳に女歯科医の胸触れて母に抱かれし安らぎ戻る

これが喉仏の骨と掴みいる焼かれしばかりの命抜け殻

玄関の施錠を何度も確かめる確かめる時は常締まりいる

砂浜のような雲行く空見えて撫子揺らぐ川土手を過ぐ

退屈な中間テストは監督の我に鉛筆拾わせている

よく見れば葛の花見え浮木のごと薄き緑の波間に浮かぶ

人生の折り返し点はとうに過ぎゴールの見える齢となりぬ

四クラス百六十人確かめる授業を終えて階下りおり

ひとところ会話を交わすように咲くカンナの群れる所に至る

一人一人顔と気持ちを確かめて授業の中の話を変える

鶏頭の静かに燃える小庭には亡き父母も日を沐みている

やわらかに木槿の花の揺れていて秋真っ盛り風吹き渡る

冥福を祈るというよりしょうがない誰もが逝って誰も戻らぬ

手を足を振りほどきつつ蛇となる自在に夢を叶えんがため

頬の裏歯茎を舌は海牛は舐めつつ掃除しながら進む

強く舌意識をすればぬめぬめと口腔泳ぐ海牛がいる

目つむれば海底にいる海牛の舌ぬめぬめと泳がせながら

舌動かすたびに唾液がどくどくと湧きつつ眠る水底にいる

不条理なこの世の海の水底に舌もて泳ぐ海牛のごと

眼裏の洞窟の闇探りつつ常ほの白い夢を見ている

誤解され曲解されし悲しみと悔しさ夜をまんじりともせず

我が裡に号泣している幼子の夜通し続くかなしみに満ち

あまりにも表層なぞる人々に満ちて大災害も防げず

簡単にあの世で会おうと言うけれど死後など信じられずに暮らす

授業中窓行く雲の美しさこの時だけと生徒に告げる

心込め話せば必ず通じると生徒に向かうこの歳にして

仕方ないことなのだろうか上司との相性により評価が変わる

四苦八苦人の世は苦と教えありされど楽しく我が生きて来し

最期にはこの人生は素晴らしい言いてこの世に別れ告げたし

素晴らしい人生だったと死に際にしみじみ思い消えていくべし

なるようになると思いて生きて来し自分を信じる他はないから

楽すれば苦となるされど苦を越せば楽となるべしこの人の世は

先生見て見てとノートを見せにくる生徒は学ぶこと楽しくて

びっしりとノートに資料書いてくる生徒は我を驚かすため

自分でも信じられないことをする不可解な闇人は持つらし

唐突に怒鳴りて気まずくなる仕草こころ動かされずに観ている

誤解され曲解されてさめざめと泣く幼子がわが裡にいる

うまくいくこともいかなくなることもありて教師も成長していく

四クラス百六十人発言し今日の授業も無事に終わりぬ

こつこつと目立たぬ努力は沈潜し構わず評価分けられていく

水底に人棲むごとし機中にて雲の上より地表を見れば

人もまた水底なのか口腔の濡れて泳いでいる舌がある

常濡れていること舌で確かめる昼間も海を我も持つらし

大地震南海トラフの可能性聞きつつ備えなど何もなし

災害と自分の死とが繋がらぬ怠惰な日々を過ごしつつおり

最悪のシナリオ観れど他人事のように思えて今日明日のこと


編集後記
★『歴史研究』の名誉回復の日本史特集U(平成二五年一、二月合併号)に『大日房能忍』が掲載されたら五十八号を出そうと決めていたので前号からほぼ半年で刊行することが出来た。平成二十四年度は養精中学校二年生の五クラスを担当することになったが、この号に見られるように、三十四人の一首評が掲載されている。一日に四クラスの授業をし計百六十人の顔や声を毎日確認しながら楽しい日々を過ごしてきた。彼らのノートには日々の授業の感想のほか豊富な資料もインターネット等から調べてきて豊かなものになっている。彼らにとっても宝物なのではないか。★『野坡如来塚から芭蕉塚まで』は前号の大阪春秋に掲載のものと重複するところが多く、今号と分けて掲載した。芭蕉翁墓の文字が野坡のものではないかと分かったのは既に投稿して後のことで、校正の段階で一部書き換えてのひやひやの経緯があった。最小限の文字での内容の変更は大変だったがとても役に立った。『歴史研究』は採用の基準が厳しいので嬉しい掲載だった。★十月三十日に藤本義一さんが亡くなった。新聞テレビ等で大きく取り上げていたが、僕のような名のない貧しい者にも一人の作家として接してくれた。本当は原稿料など払わないといけないのだろうが、一切そういうことは口にも出さず原稿を送ってくれた。そんなお礼の気持ちもあり、彼を含む仲間たちの童話集『あきあけろ』という豆本を作って差し上げたことで六甲奥池の別宅に招待されたこともあった。彼の温かさと統紀子夫人の気さくさが嬉しかった。二女の芽子さんとも彼女の絵を通じて親しくさせていただいている。作品を通じて恩返しをしていきたい。★八月にロンドンオリンピックがあったが体操の三兄弟の父田中章二こと章ちゃんとは幼なじみで小さな時から兄弟のように育ってきた。八幡の山王町の時から近所で郊外の塔野にも一緒に移り今も実家は一隣にある。章ちゃんが隣で大車輪を軽々とやっていた時も僕は逆上がりが出来なかった。章ちゃんはメキシコオリンピックには出ると思っていたのでその子供達が今大会で活躍したのが嬉しかった。父が亡くなる二年ほど前におじさん(十一さん)が亡くなったのが何とも残念だが‥‥今回しか書けないので。★桜宮高校の体罰事件が世間を賑わしているがあれは体罰でなく暴力である。褒めることばかりがいいとは思わないが楽しく勉強し運動を楽しむというやり方もある。日々の授業もこの流氷記もこの楽しみの追求と工夫なのだろう。少なくとも僕の周りの生徒だけは辛い思いで学校生活を過ごさせたくはない。精進していきたい。